2006年の投稿詩 第181作は台湾の 蝶依 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-181

  賞荷        

塘慢歩看魚浮,   

出水芙蓉入眼眸。   

淡蕩荷風消暑氣,   

扶疏柳影起菱舟。   

陋瀦M墨添新韻,   

好放襟懷續舊遊。   

太息花容難入句,   

何曾筆底韻全收。   

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 世界漢詩同好會でお世話になっている台湾の蝶依さんから、初夏の風景を描いた作品をいただきました。

 頷聯の「淡蕩」「(風が)ゆったりと流れる」「扶疏」「(樹枝が)四方に広がる」という意味です。

 頸聯から心情がこめられて、尾聯では「筆に尽くしがたい」という感懐にたどり着くわけですが、余韻の残る結びで、いつまでも花を眺め続けている作者の姿が浮かんできますね。

2006. 9.29                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第182作も 蝶依 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-182

  遊記        

遊山不在高,   

近水興猶豪。   

氣吐峰迴路,   

花招韻入毫。   

雲生期望海,   

日照欲觀濤。   

何意窺桑戸?   

穿牆半熟桃。   

          (下平声「四豪」の押韻)

<感想>

 森林浴というのが以前、一時ブームになりましたが、古来から山水に遊ぶことを私たちは愛してきました。蝶依さんも、初夏の山を歩かれたのですね。爽やかなお気持ちだったことでしょう。

 「山」「水」「峰」「雲」「日」と遠景を描きながら、最後の尾聯で眼前に移り、一気に具体性が明瞭になります。
 作者個人の具体的な行動を示さないという頸聯までの流れで進むのも、それはそれで一つの詩であり、自然の中に溶け込むような描き方もあるでしょう。蝶依さんの展開は、ドラマチックな構成を生み出していますね。

2006. 9.29                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第183作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-183

  謹賀皇孫誕生        

蒼生一億待男孫   蒼生 一億 男孫を待ち

佳節懸弧朗報奔   佳節 懸弧 朗報奔る

家国声盈慶降誕   家国に声は盈ちて降誕を慶び

鳳城人祝続宸門   鳳城に人は祝いて宸門に続く

永令儲嗣悩当路   永く儲嗣をして当路を悩ましめ

正使竜雛安至尊   正に竜雛をして至尊を安んぜしむ

皇統連綿菊花薆   皇統 連綿 菊花はかお

歓呼澎湃溢乾坤   歓呼 澎湃ほうはい 乾坤に溢る

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

「 待 」=期待
「懸弧」=男子誕生
「儲嗣」=跡継ぎ
「竜雛」=ここでは、竜は天皇に関する字であり、雛は皇孫を意味します。

<感想>

 秋篠宮さまにご長男が誕生されたお祝いの詩が、井古綆さんと深渓さんから寄せられました。

 第二句の「懸弧」は、昔、男子が生まれると桑の弧(ゆみ)を門の左に懸けて祝ったことからの言葉で、「男子誕生」のことです。
 第八句の「澎湃」「水の沸き立つ様子」を表しますので、「喜びの声が国中に飛び交う」ということでしょう。
 その喜びの声が「溢乾坤」と表したところが、大きな広がり感をもたらしていますから、良い言葉の選択だったと思います。

2006. 9.29                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第184作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-184

  賀皇孫親王生誕     皇孫親王生誕に賀す   

万世連綿皇統危   万世 連綿たる 皇統危ふし

議論百出久尋思   議論 百出 久しく尋思す

親王生誕風雲治   親王 生誕 風雲治り

門巷先慶挙酒巵   門巷 先ずは慶びて 酒巵を挙ぐ

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 〇皇室において四十年ぶりに男子のご誕生。「悠仁」さまと命名さる。

<感想>

 井古綆さんの詩は、祝賀の国内の様子を中心に描かれましたが、深渓さんの詩では、前半でご誕生までの国内の動きを示し、それを転句の「風雲」の語で一気に集約しました。
 結句で慶祝の描写に移りますが、簡潔な描写ながら、十分に雰囲気を伝えていると思います。

 「論」「思」も、名詞用法と動詞用法で平仄が異なりますので、使う時は注意が必要ですね。

2006. 9.29                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第185作は Y.T さんからの作品です。
 

作品番号 2006-185

  在客舎看合歓花     客舎に在りて合歓花を看る   

残燈独夜雨絲斜   残燈 独夜 雨絲 斜め

逆旅帰心乱似麻   逆旅 帰心 乱れて麻のごと

夢断巫山無覓処   夢断たる 巫山 覓むる処 無し

起来虚對合歓花   起来たりて 虚しく対す 合歓の花

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 近くのスポーツセンターに、合歓の樹が一本、植樹されました。
 私は合歓の花が好きで、是に刺激されこんな詩を書いてみました。


<感想>

 Y.Tさんからのお手紙では、結句の「虚對」「虚見」とどちらにするかで迷われたそうです。
 皆さんのご意見はいかがですか。

 転句の「断」の読みの「断たる」は、「断つ」+「る」ですが、「受け身・自発」と言われる助動詞「る」が使われています。「自発」は「自然に〜〜する・ふと〜〜する」という意味です。
 「思ひ出す」「思ひ出さる」(ふと思い出す)の違いを考えるといいでしょうね。

 「巫山」の夢が断たれたわけですので、ここは遠く離れた恋人を夢に見たということでしょう。そうすると、合歓の花への思いも女性への思慕と重なりますね。
 芭蕉の「象潟や 雨に西施がねぶの花」も思い出しますね。

2006. 9.29                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第186作は 嗣朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-186

  遊伊賀路蓑虫庵     伊賀路蓑虫庵に遊ぶ   

首夏蛙声新緑覃   首夏の蛙声 新緑覃し

車窓客子苦吟談   車窓の客子は 苦吟を談る

蕉翁一句清幽極   蕉翁の一句 清幽を極め

青史光陰在草庵   青史の光陰 草庵に在りと

          (下平声「十三覃」の押韻)

<解説>

 松尾芭蕉翁の五庵の内、唯一残っているとされる伊賀路に歴史研のメンバーと旅す。
 この庵は蕉門伊賀衆服部土芳が結んだもので、元禄元年三月四日入庵した。その数日後芭蕉翁が訪れ、

   「みの虫の 音をききにこよ 草の庵」


と讃して与えたので、この句の上五をとって『蓑虫庵」と呼ばれているそうです。

「車窓客子」=歴史研の会員
「苦 吟 談」=苦心して句を作り語るさま
「 青 史 」=松尾芭蕉の歴史
「 草 庵 」=蓑虫庵



<感想>

 伊賀の蓑虫庵をネットで探しますと、沢山出てきます。伊賀市からのリンクということで、「芭蕉翁記念館」をご紹介しておきましょう。
 承句の「苦吟談」は、次の「蕉翁一句」と関わってしまいますので、ここでは用いない方が良いでしょう。旅の様子を表す言葉ならば、他にも考えられると思います。

 結句の「青史」は、昔青竹を焼いてその後に文字を記録したことから「歴史」そのものを表しますので、注に書かれたような「松尾芭蕉の歴史」と限定するのは難しいでしょうね。

2006. 9.29                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第187作は 登龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-187

  水村所見        

潺湲流水暑威輕   潺湲せんかんたる流水 暑威輕し

薄暮秧風涼味清   薄暮 秧風 涼味清し

群散家家螢火舞   群散じて 家家 螢火の舞

喧啾閣閣亂蛙聲   喧啾 閣閣 亂蛙の聲

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 起句   さらさらと流れる水は暑さの威力を軽くし、
 承句   夕暮れの迫った頃秧風は涼味が清らかである。
 轉句   蛍の群れは散じて家々に乱れ舞い
 結句   蛙が閣閣と鳴き騒ぐ乱れた蛙の聲。


<感想>

 起句の「潺湲」「さらさらと水の流れる音(様)」を表し、結句の「閣閣」「蛙のケロケロと鳴く声」を表します。どちらにも音を配置したのが工夫のところでしょうね。

 承句は、「夕暮れの稲田を渡る風は涼しげだ」ということですが、リズムの良いサラリとした表現が、視野一面の広がりを感じさせて、良いですね。
 結句は、「喧啾」「閣閣」、あるいは「亂蛙聲」に重複感があり、やや煩わしい感じがします。前半の四字はせっかくだから生かして、「亂」の字を直されると、落ち着くのではないでしょうか。

 全体として見ると、作者の姿が具体的には描かれていません。叙景に徹したということで、味わいのある絵画のようです。もし挿入するならば、結句の「喧啾」に作者の姿(動きや心情)を描くのも面白いかもしれません。また、別の趣の詩になるでしょう。

2006. 9.30                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第188作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-188

  溽暑        

白昼雲天上   白昼 雲 天に上る

蝉声益倍増   蝉声 益(ますま)す倍増

乾坤光夏節   乾坤 光る 夏節

庭撒水炎凌   庭に撒き水 炎凌ぐ

          (下平声「十蒸」の押韻)

<感想>

 この詩は昨年の夏の暑さを思いだして作られたということですが、今年も本当に暑い夏でした。

 五言の詩の場合には、一句が「○○ ○○○」と「二字+三字」で切れ目を入れますので、転句と結句がその点で読みにくいでしょう。
 特に結句は、「庭に撒く 水炎凌ぐ」と普通の形で切ると、何が何なのか分からなくなります。読者に不必要な混乱や誤解を起こさせないように工夫することも、作詩では必要なことです。
 「撒水午炎凌」と少し言葉を換えるだけでも解消できるはずです。

 承句ももう一工夫できそうですね。結果としては、「益」「倍」「増」は皆同じことを言っているわけですから、「ますます」どうなったのか、という具体性が欲しいですね。

2006. 9.30                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第189作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-189

  勧学志     勧学の志   

告学窓儔倦枕時   学窓の儔に告ぐ 倦枕の時なり

書生落落路多岐   書生落落 路は多岐

天涯究覈任人笑   天涯究覈きゅうかく 人の笑ふに任せん

一片吟魂千里馳   一片の吟魂 千里馳す

          (上平声「四支」の押韻)

<感想>

 承句の「落落」は、「気持ちが大きい、思うようにならない」の二つの意味がありますが、この場合は後者でしょうか。転句の「究覈」「深くつきつめて調べる」ことです。
 学校という職場に居る関係上、若者に「勧学」の機会は多いのですが、真摯に学問に取り組む姿を見ることができると、本当に嬉しいものです。
 仲泉さんのこの詩は学生へのエール、結句の「一片吟魂」は学生のものとも仲泉さんのものとも取れますね。

2006.10. 4                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第190作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-190

  雨中散策        

荷花帯雨參差浮   荷花雨を帯びて 參差として浮かび

柳影沿堤依約周   柳影堤に沿うて 依約として周ぐる

寂也暁鐘浸淡墨   寂なりや 暁鐘 淡墨に浸み

孤哉菅笠佇青疇   孤なるかな 菅笠 青疇に佇むは

辺村六月水煙裡   辺村 六月 水煙の裡

閑客一時荒渡頭   閑客 一時 荒渡の頭

身託竹筇運跬歩   身は竹筇に託して 跬歩きほを運び

心随詩趣豁窮愁   心は詩趣に随ひて 窮愁を豁す

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 なんとまあ、雨の降り続くことか。年老いた身は、只でさえ気が滅入る日々を過ごしているのに、こんなに毎日毎日雨に降り籠められると、益々気が滅入ってします。しかし、雨の中、一歩外に出掛けると、又それはそれで色々な風物、景色に出会え楽しいものです。

 新たな投稿者が参加され、益々貴HPを尋ねるのが楽しくなってきました。
と、同時に、小生の怠惰な生活を鞭打たれる思いがします。

<感想>

 六月の雨は気分も重くするものですが、気合いを入れて外に出てみると、必ず詩心に適するものを見つけることができます。
 「荷花」「柳影」とまず定番を出しつつ、雨に濡れそぼる景色を「菅笠」「水煙」「荒渡」で描いて、読者を場面の中に引き込んでくれます。
 「寂也」「孤哉」はこの詩の特色を出した部分ですね。

 「跬歩」「一歩、半歩踏み出す」ことです。

2006.10. 4                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第191作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-191

  放晴訪角島        

雲峰屹立景光開   雲峰屹立 景光開け

一眸杭橋又快哉   一眸杭橋 又快なるかな

仰看灯台侵碧落   仰ぎ看る灯台 碧落を侵し

野花発遍洗塵胎   野花あまねく発いて塵胎を洗ふ

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

   入道雲立つ 角島へ わたる大橋 美しや

   見上げる灯台 空青く 浜木綿咲いて 心洗ふよ


<感想>

 知秀さんからは、梅雨明けの七月末にこの詩をいただきました。

 詩題の「放晴」は中国語で、「雨が上がり、晴れる」ことです。承句の「又快哉」が、身中から自然にわき出てきた声で、この言葉が一首全体を集約する柱、「そうだなぁ」と納得できる構成になっていると思います。

 添えていただいた歌も心が何か浮き立つようで、夏の青空が目に浮かぶようです。漢詩の方では、一つ一つの言葉が力強く、自然に対峙する気持ちが出てきます。
 結句は「遍発」とした方が、語順は良いですね。

2006.10. 4                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第192作は 翠葩 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-192

  脅晩雷        

褫魄狂雷送雨来   魄をうばひ 狂雷 雨を送り来り

天号一奮大音催   天は号び 一奮 大音催す

周章各自無顔色   周章 各自 顔色無し

失箸晩餐安在哉   箸を失ひては 晩餐 安んぞ在りや

          (上平声「十灰」の押韻)

<感想>

 前半を叙景、後半は人事という構成に徹するためには、起句の「褫魄」は後半に回すべきだったかもしれません。
 作者の意識としては、この「褫魄」は具体的な描写ではなくて、単に雷の激しさを表すために用いたのでしょうが、主題は雷におびえる人間の姿を描くことにあるわけで、その点から考えると、冒頭の二字がどうしても主題に直結してしまいますね。
 「失箸」は、「驚いて思わず箸を落としてしまう」こと、日常的な感覚で理解できる言葉ですが、「大漢和」で確認をしましたら、三国時代、曹操が劉備に「天下に英雄は君と僕しかいない」と語った時に劉備が思わず箸を落とした場面が例として出されていましたね。

2006.10.18                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第193作は 酔翁 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-193

  秋        

秋色斜陽暮正幽   秋色 斜陽 暮れ正に幽なり

夜涼朧月誘孤愁   夜涼 朧月 孤愁を誘ふ

草房人静吟燈下   草房 人静かにして 燈下に吟ず

敲句銜杯万感稠   句を敲き杯を銜み 万感しげ

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 秋の夜ひとり書房で月を見ながら酒を飲みながら詩作りをしようとすると、昔のことを思い出してさびしい複雑な気持ちになる。

<感想>

 前作の「秋愁」と同じ承句が用いられていますので、同じ頃にお作りになったものでしょうか。感想として前作と重複する部分は省きます。

 前半の起句と承句は秋の景を詠ったものですが、時間に変化があります。それぞれの景から受け取る感覚を、起句の夕暮れでは「幽」と、承句の夜では「孤愁」と明確にした点がまず詩をすっきりさせたと思います。
 「孤愁」の語などは感情形容語ですので、この言葉をメイン(主題)にして詩を書こうとすると、置く位置に工夫が必要なのですが、今回は景色を説明するためのもの、作者の狙いは後半に置かれているのでしょう。

 前半の二句の時間をつなぐのが、今度は場所(空間)としての「草房」ですね。「茅葺きの粗末な建物」のことですが、「草堂」「草屋」と同じく、自分の家を謙遜しての表現です。
 この転句に「吟」が入っているのが気になります。次の結句の「敲句」を導くためのものかもしれませんが、私には「吟」が先に入っていることで、結句が間延びしているように感じられるからです。
 ここは「吟」でなくても、「坐」「寒」「青」などでも句は成り立つでしょうから、見直しをされるのが良いでしょう。

2006.10.19                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第194作は 蝶依 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-194

  待晴        

待晴鬱鬱了無歡,   

寂寞書齋影覺單。   

最是牽人孤夢遠,   

何堪付夜一燈殘。   

不言身痩因風雨,   

克念詩狂借桂蘭。   

莫遣愁多思薄醉,   

縈懷難釋笑酸寒。   

          (上平声「十四寒」の押韻)

<感想>

 蝶依さんの今回の詩は、雨に降り込められた日々の中、晴れる日を待っている時の思いを描かれたものです。

 一句目の「了」「ついに、とうとう」という意味での完了を表します。六句目の「克」「よく」という可能の意味でしょうか、八句目の縈懷えいかい「まといつく思い、からみつく思い」です。

 雨の中、鬱々として一人部屋にいると、心もすーと夜の中に溶け込んでいくような思いがする、身も痩せる思いで詩句の格調を求めるが、愁いやさまざまな物思いを捨てることもできず、つらい生活をただ自笑するだけ。
 大意はこんなところでしょうか。

2006.10.20                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第195作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-195

  正倉院御物螺鈿紫檀琵琶        

螺鈿細飾配泥金   螺鈿の細飾に泥金を配し

絢爛琵琶使眼擒   絢爛たる琵琶は眼をして擒にせしむ

誰匠心魂罩名器   誰が匠の心魂か 名器に罩め

諸賢耳目選真琛   諸賢の耳目は真琛しんちんに選ぶ

千年猶秘孤高耀   千年 猶孤高の耀きを秘め

一撥未聞幽妙音   一撥 未だ幽妙なる音を聞かず

今若張絃任仙手   今 若し張絃して仙手に任せば

霊犀非只伯牙琴   霊犀は只 伯牙の琴のみに非らず

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 2004年の秋奈良国立博物館にいきました。
実物を拝見して感動しました。

真琛=宝物
霊犀=知音の意に使用
泥金=金泥
猶、弦は無かったです。

<感想>

 正倉院の御物は、千年以上もの時を経てきたことを忘れるほどで、私も見る度に感動をしてきます。井古綆さんがご覧になったものは「螺鈿を施した紫檀の琵琶」ということですが、さぞかし立派なものだったことでしょう。

 音楽の話になれば、「伯牙」「鍾子期」の二人の話は当然出てきます。

 幾つかの書物に出てくるようですが、私が目にしたのは『列子』と『呂氏春秋』、鍾子期の死後のことが書かれている『呂氏春秋』の方を紹介しましょう。

伯牙鼓琴、鍾子期聴之。
方鼓琴而志在太山、鍾子期曰、
善哉乎鼓琴、巍巍乎若太山。
少選之間而志在流水、鍾子期又曰、
善哉乎鼓琴、湯湯乎若流水。
鍾子期死。
伯牙破琴絶絃、終身不復鼓琴。
以為、世無足復為鼓琴者。


伯牙琴を鼓し、鍾子期之を聴く。
琴を鼓するにたりて 志 太山に在れば、鍾子期曰はく、
「善きかな琴を鼓する、巍巍として太山のごとし」と。
少選の間にして 志 流水に在れば、鍾子期又曰はく、
「善かな琴を鼓する、湯湯として流水のごとし」と。
鍾子期死す。
伯牙琴を破り絃を絶ち、終身復た琴を鼓せず。
以為おもへらく、世復た為に琴を鼓するに足る者無しと。



2006.10.20                 by 桐山人