2008年の投稿詩 第151作は中国西安からの留学生である 原上人 さん、二十代の男性の方からの作品です。

 お手紙をご紹介しましょう。
 初めまして、私は日本に居る中国人の留学生です。いまは大学で数理計量を学んでいます。
 私は中学の時から漢詩や詞に興味があって、時々詩を書いたり、吟味したりしてきました。
 来日してから、身の回りに同じ興味を持つ交流できる方が少なくて、ちょっと寂しいでした。今日、世界漢詩同好会のネット掲示板を見まして非常に嬉しいです。

 私は日本で皆さんとの交流をお楽しみにしております。
宜しくお願いします。


 いただいた作品は「柳枝」という題での連作四首です。読み下し文は桐山人がつけました。

作品番号 2008-151

  柳枝 四首之一     原上人   

初履河幹聴水潺,   初めて河幹を履みて水の潺たるを聴く,

嫩寒天気最難眠。   嫩寒の天気 最も眠り難し。

村前野杏花才試,   村前の野杏 花才(わず)かに試む,

欲作春游記短箋。   春游を作さんと欲して短箋を記す。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 私は日本で漢詩を愛好なさる方と知り合うことを楽しみにしております。
 中国でも今は詩を作れる若い人が少ないです。古代の先人の詩と詞の繁昌に対して、今の時代はまるで伝統の荒蕪であります。詩を愛する人が心を痛めました。
 しかし、近年中国人も古典にふれあう機会を増やして、伝統を守る念を持ちつつあり、次第に詩を好む人も増えていくのでないでしょうか。






















 2008年の投稿詩 第152作も 原上人 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-152

  柳枝 四首之二        

嫋嫋東風又一年,   嫋嫋たる東風 又一年,

故郷消息尚無伝。   故郷の消息 尚ほ伝ふる無し。

鵝黄昨見枝頭縷,   鵝黄 昨に見る 枝頭の縷,

未到清明已織烟。   未だ清明に到らざるに 已に烟を織る。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 私は中学の時(1997年)に「声律啓蒙」という本の影響を受けて、詩を読むようになりました。創作を試したのが六年前です。いつも自分で書いたり、吟味したりしていましたが、実はまともに勉強したことはないです。大学に入ってから、理数系のため、あんまり課業に忙しくて、精進ができませんでした。
 来日してから、日本語を勉強して、また衰えていくようです。

 でも、これからは不孤の道であらためて頑張ります。






















 2008年の投稿詩 第153作は 原上人 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-153

  柳枝 四首之三        

寂寞江南怨雨連,   寂寞 江南 怨雨連なり,

乍来双燕小庭翩。   乍ち来たる双燕 小庭に翩る。

殷勤井畔軽枝舞,   殷勤 井畔 軽枝に舞ひ,

相約居隣賃一椽。   居隣を相い約して 一椽を賃(か)す。

          (下平声「一先」の押韻)























 2008年の投稿詩 第154作は 原上人 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-154

  柳枝 四首之四        

休読尋陽五柳篇,   読むをむ 尋陽五柳の篇,

隋堤漢苑更無牽。   隋堤 漢苑 更に牽く無し。

フ簾遠睇金城道,   簾をフげて遠く睇(み)る金城の道,

枝老難飛点点綿。   枝老いて飛び難し 点点の綿。

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 中国でも古典詩を作る場合には、日本と同じく、自ら学ぶという過程を踏まなければいけない場合が多いようですね。
 日本に来られて、ますます作詩仲間が居ないというお気持ちになられることでしょう。是非、このサイトにも参加されて、お互いに交流し合いましょう。

 原上人さんからは、 「この四首の詩は同じ時期の柳を書いたのではありません。
一首目は早春尋柳、寒さを冒して柳を尋ねたが、まだ芽吹いていないです。
二首目は初春煙柳、初春、かすかに見える煙の如く柳の芽に会いました。
三首目は仲春柳枝、ぽかぽかの陽春の中、柳のやわらかい枝が春風で舞っています。
四首目は暮春柳綿、春の終わりのころ、柳の綿が飛び舞って、春の餞になりたいのでしょうか?」

と意図も教えていただきました。

 読み下しは私が書きましたが、悩むところもありました。お気づきの点がありましたら、また、ご指摘ください。

2008. 7.16                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第155作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-155

  櫻花憶昔        

七生報國旨忠君、   七生 報国 忠君を旨とし、

一億臣民惑美文。   一億の臣民 美文に惑ふ。

今摯平和忘惨禍、   今 平和に摯(いたり)て 惨禍を忘れ、

天無彈雨有櫻雲。   天に弾雨無く 桜雲有り。

暖衣飽食貪安逸、   暖衣 飽食 安逸を貪(むさぼ)り、

歳月崢エ過六秩。   歳月崢エ(さうくわう) 六秩を過ぐ。

憶昔青衿別此花、   憶昔すれば青衿 此の花に別れ、

乖離素志空投筆。   素志に乖離(かいり)して 空しく投筆す。

曾吟國破在山河、   曾て吟ず 国敗れて 山河在り、

不倣前車倒置戈。   前車に倣(なら)はず 戈(ほこ)を倒置す。

今日繁榮倚誰得、   今日の繁栄は 誰に倚(よ)りて得たる、

千家蒿里斷腸歌。   千家の蒿里 断腸の歌。

       (上平声「十二文」・入声「四質」・下平声「五歌」の換韻)

<解説>

 鮟鱇雅兄の「天無弾雨有櫻雲」を借用して古詩にまとめました。
 終戦当時わたくしは国民学校五年生でしたので、戦争のむごたらしさが理解できますが、戦後生まれの方には理解していただくには無理があるように感じます。
 わたくしも、もう少し早く生まれたならば、今現在この世にいなかったかも知れません。

 詩意といたしましては多くの学生(青衿)の犠牲(空投筆)があって今日の繁栄を我々が享受して謳歌していることに留意するべきであることを詠じた積りです。

 [語釈]
「憶昔」: 唐代の常套語。
「七生」: 楠木正成の自決に由来か。
「忠君」: 君に忠義。
「美文」: 我国は神国であり、元寇の役のように神風が吹くなどといわれた。
「崢エ」: 歳月のつみ重なるさま。
「六秩」: 六十年。
「青衿」: 学生、ここでは大学生。
「此花」: 桜。
「投筆」: 学業をやめて戦地に赴くこと。ここでは学徒出陣。
「不倣前車」: 前車の轍を踏まず。
「倒置戈」: 倒置干戈。戦争をやめ世のなかが平和になること。
「蒿里」: ここでは戦死した兵卒の挽歌。

<感想>

 鮟鱇さんの「春櫻花底樂和平」を御覧になった後、お作りになった詩です。

 おっしゃるように、戦後生まれの私たちには戦争のむごたらしを十分に理解することはむずかしいことかもしれませんが、体験者である方々のこうした作品を拝見し、訴えられた心を後代に伝えていくことが、私たちの責務だと思っています。
 「歴史」の「歴」は、次々と並んでいることを表す字です。過去の出来事と現在を切断することは、現在と未来へのつながりも切ることに他なりません。「今さえ良ければいい」という風潮の現代にこそ、「歴史」が必要だと思います。

2008. 7.16                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第156作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-156

  長堤觀櫻        

澱水橋邊春尚繁   澱水橋辺 春尚繁しく

一望兩岸落花翻   一望す 両岸 落花の翻るを

佳人留客紅樓醉   佳人 客を留めて 紅楼に酔ひ

一夜別離殘片存   一夜の別離 残片存す

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 淀川の夜の花見の風景を思い浮かべて作りました。

<感想>

 桜の花が一夜で散るはかなさを、後半の人事とからめて、花見の華やかさ、宴の後の寂しさ、余情の深まりを出していると思います。
 転句の「佳人」を女性ととれば、艶っぽい趣になるし、男性ととれば爽やかな印象にもなりますね。

 承句と結句に「一」が重複していますので、ここは直す必要がありますね。

2008. 7.16                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 玄齋雅兄今日は。
 今回は固有名詞の詠いこみについて述べてみます。

 以前には余り有名でない固有名詞は使用するべきでないと述べたことがあります。「澱水」は大阪湾に注ぐ淀川のことで、藤井竹外の詩には「花朝下澱江」がありますが、詩中には詠じていません。
 是非とも固有名詞を入れようと思えば、「長柄橋辺」としたほうが良いと思いますが、当詩の場合は必要は無いと思われます。

 ついでに申しますと、起句の韻字「繁」はこの際にはそぐわないように感じます。
 また転句の「紅楼」は「妓楼」を連想させるのでやはり観桜の詩題には無理があるように感じましたので、「紅亭」のほうが良いと思います。

 私の詩作では、「元韻」で「繁」以外の字を推敲してみましたが、無理でしたので韻を変えて作ってみました。

    試作
  春誘遊人澱水隈   春は遊人を誘う 澱水の隈(くま)
  桜花勝地始尋来   桜花の勝地 始めて尋来
  芳魂畢竟無相識   芳魂 畢竟 相識無くも
  暫止残紅為我開   暫し残紅を止めて 我が為に開く

   同
  季節遷移指一弾   季節の遷移は 指一弾
  観桜失候思無端   観桜 失候(しっこう)して 思い端無し
  芳魂畢竟非相識   芳魂 畢竟 相識に非ず
  不待吾人已半殘   吾人を待たず 已に半殘

「失候」: 時期を失う。逸機と同じ

※転句結句は頼山陽の「嵐山」の詩句を変用しました。
        ************

  奉母嵐山第四回  母を嵐山に奉ずる 第四回
  板輿未到已花開  板輿未だ到らざるに 已に花開く
  春風畢竟旧相識  春風 畢竟 旧相識
  留取残紅待我来  残紅を留取(りゅうしゅ)して 我が来るを待つ

2008. 7.27              by 井古綆


玄齋さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、ご指導ありがとうございます。
 承句と結句の「一」の重複を修正してみました。

澱水橋邊春尚繁   澱水橋辺 春尚繁く
一望兩岸落花翻   一望す 両岸 落花の翻るを
佳人留客紅樓醉   佳人 客を留めて 紅楼に酔ひ
昨夜別離殘片存   昨夜の別離 残片存す


 井古綆さま、今回もご指導ありがとうございます。

「余り有名でない固有名詞は使用するべきでない」ですね。気をつけたいと思います。
 ただ、「澱水」は確かに藤井竹外の「花朝下澱江」では詩中に詠じられておりませんが、宮崎東明の「野崎観音」の承句では、「下瞰華城澱水流    下瞰す華城 澱水の流れ」と詠じられている例も見つかりました。

 試作を二作も作っていただいてとても嬉しいです。
二首目は難しいですが、何とか理解していこうと思います。

 今回の僕の詩は菅廟吟社の分韻の課題で、元韻が当たりましたので、できれば元韻で作っていただければとも思いましたが、こちらは私自身で、「繁」以外のどの字を用いるべきか、もう少し考えていこうと思います。

今回も大変ありがとうございます。

2008. 7.31            by 玄齋


井古綆さんからお手紙をいただきました。

 玄齋雅兄、今日は。
 愚見をお聞きくださいました上、打てば響くようにお返事をいただき有難うございます。
 雅兄が勉強されていることが非常によく分かります。わたくしが高慢にも広言を申していますのは、偏に我国の漢詩界のことを思っていて、将来は雅兄達が背負っていかれることを信じている次第ですので、お気を悪くなさらないでください。

 雅兄が述べられました宮崎東明先生は、『関西吟詩文化協会』を設立された当時のお一人であることは早くから存じ上げています。玉作の『野崎観音』では「澱水」の固有名詞を詠み込んでいますが、これは『野崎観音』が固有名詞であり、それに付随する固有名詞であるので、違和感がありません。
 辞書を引けば江戸時代より『野崎参り』が行われていたと伝えていますので、全国に知れ渡っていたと思われます。
 また戦前には歌手の東海林太郎さんによって『野崎小唄』が大ヒットして全国的に更に有名になりました。

 雅兄の『澱水』と『橋辺』を結びつけるには『橋辺』が固有名詞でないため、『長柄橋辺』かもしくは『澱水長堤』のほうが良いと思います。
 では、絶対に固有名詞を入れてはいけないことではありません。入れることで詩意がマイナスに作用するか否かを作者が判断するべきです。
 入れる場合には説明をすれば良いでしょう。

 『元韻』が課題韻とは存じませんでした。その後考えてみました試作を記しますので、将来の詩想にして下されば幸いです。

    試作
  澱水長堤遊客屯   澱水 長堤 遊客屯(たむろ)し
  惜春筵席落花翻   惜春の筵席に 落花翻る
  任他佳景明朝事   任他(さもあらばあれ)佳景 明朝の事
  万樹闌珊幾片存   万樹 闌珊(らんさん) 幾片か存するを

「闌珊」:開花の盛りが過ぎること。承句の「惜春」と「落花」に呼応する。
 雅兄の起句「春尚繁」と「落花翻」は詩意に少し矛盾があるように思います。
現地に行っていないで作詩する場合には、相当に留意しなければ齟齬が生じますので、出来る限り現地を訪ねるのが良いと思います。この点は雅兄だけではなくわたくし自身も自戒するところです。

2008. 8.19             by 井古綆


玄齋さんからお返事をいただきました。

 井古綆さま、何度もご指導ありがとうございます。
 僕も粘り強く漢詩を身につけていきたいと思っていますので、これからもよろしくお願いいたします。

「澱水橋邊」では、名詞として結びつかないということですね。
ここは「長柄橋邊」と修正することにいたします。

元韻で試作を作っていただいて、とても嬉しいです。
「春尚繁」と「落花翻」も季節感が合わないということに納得いたしました。

いつもありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。

2008. 8.26             by 玄齋





















 2008年の投稿詩 第157作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-157

  新緑吟行        

野川流域翠屏中   野川の流域 翠屏の中

南北公園細桟通   南北の公園 細桟通ず

詩友吟行貧士樂   詩友の吟行 貧士の樂しみ

柏梁擬古繞深叢   柏梁の古を擬えて 深叢を繞る

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 四月下旬詩友と野川に吟行す。柏梁体分韻で「中」と「通」の二字を引く。
 野川とは源を国分寺に発し、小金井・三鷹・調布・世田谷と四市一区を流域として多摩川に注ぐ一級河川。川を挟んで都立野川公園と隣接して近藤勇の生家と勇の眠る龍源寺がある。

<感想>

 起句は良いのですが、承句は「公園」では単なる地理説明だけですので、面白くありません。「南北」は生かすにしても、公園がどうであったのか、結句の「繞深叢」のような表現による具体性が欲しいですね。

 結句は、前半の「柏梁擬古」と下三字の「繞深叢」とのつながりはどうなのでしょう。武帝の伯梁台の故事に「繞深叢」が関わってましたでしょうか。そうでなければ、下三字が浮いてしまうと思います。

2008. 7.17                  by 桐山人



深渓さんからお返事をいただきました。

 桐山堂先生
 暑中お見舞い申し上げます。ご多忙の折から鄙稿二句のご感想を賜り有難うございます。
一気呵成ですが、下記の通りに推敲しました。

 承句については、「南北公園細桟通」「南北融融細桟通」(南北 融々たり 細桟通す)に直しました。「融融」は「とけあう」の意です。

 結句は、「柏梁擬古繞深叢」「柏梁擬体繞深叢」(柏梁体に擬らえんとして深叢を繞る)としました。

2008. 7.20                  by 深渓




















 2008年の投稿詩 第158作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-158

  悼大久保大和        

多摩野水挙呱呱   多摩の野水に 呱呱を挙げ

振刃幕臣為大夫   刃を振って 幕臣 大夫と為す

惨憺俘囚身斬罪   惨憺たり 俘囚の身は斬罪となり

生家咫尺偈仙區   生家の咫尺 仙区に偈う

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

 四月下旬吟行で野川に遊び、近藤勇の生家跡や墓に詣でる。

「大久保大和」: 俘囚の身となる直前幕臣に取り立てられて称したという。

<感想>

 起句の「挙呱呱」は産声をあげたということですが、そこから一気に承句の「振刃」は飛び過ぎのように思いますね。

 結句は、「生家のすぐ近くのお墓(仙区)にお参りをした」ということでしょうか。全体の締めくくりとしては、だから何なのか?という疑問が湧きます。
 作者が近藤勇に対してどんな思いを持っているのか、それがはっきり示されないからではないでしょうか。
 まず、結句あるいは後半にその主題を据えて、その上で前半を塩梅されるとバランスが取れると思います。

2008. 7.17                  by 桐山人



深渓さんからお返事をいただきました。

「悼大久保大和」につきまして次のように推敲しました。

 承句については、「振刃幕臣為大夫」「武芸幕臣為大夫」(武芸で幕臣 大夫を為す)にしました。

 結句は、「生家咫尺偈仙區」「梟雄末路悼仙區」(梟雄の末路 仙區に悼む)としました。

2008. 7.20                 by 深渓





















 2008年の投稿詩 第159作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-159

  送春        

不堪終夜雨斜斜   堪えず 終夜 雨斜斜

只見池魚啄落花   只だ見ゆ 池魚の落花を啄ばむを

却識春愁還一興   却って識る春愁も還た一興

幽庭新緑可詩家   幽庭の新緑も詩家に可なり

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 終夜の雨の後、花が池に散ってしまているのは寂しいものです。
しかし、庭の新緑の美しさに気づき、愁いが転じたときのちょっとした喜びを詠みました。

<感想>

 季節が移り変わるのは心寂しいものですが、詩人にとってはそれは変化を味わう楽しさでもあります。そうした喜びの一瞬を描いた詩ですね。

 起句から転句まで、句頭が「不堪」「只見」「却識」と虚字が続きますので、詩としては変化が乏しくなっています。
 思い切って、起句も承句も景物を描くに徹しておいて、転句で初めて「却識」と来た方が効果が大きいでしょう。

 結句の下三字は「詩家たるべし」と訓じた方が良いでしょう。「可」「好」とするのも良いかと思います。

2008. 7.22                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 なみなみならぬ力量に敬服しています。
 結句の「可詩家」はこの詩のために用意したのでしょうか、一見散文的に見る人もありますが、私は好んでもちいています。
 古人は「可人」とか「可意」とかというやりかたですが、同じ意味だとおもいます。先生の意味でもやはり前句をうけて詩家の意(興)に適うでしょうか。

 全編にわたってかなりの佳作だと驚いています。
只、前半三句は唐詩のようですが、結句は宋詩に近いようにおもわれます。
浅学なので謬った感想かもしれません

2008. 7.25             by 謝斧




井古綆さんからも感想をいただきました。

 鈴木先生のご指摘のように、詩の構成に対して非常に惜しく思います。
 すなわち起句承句を叙景描写にすべきを、叙情句にしている点です。このために肝心な転句の魅力が半減しているように感じます。

 例によって推敲して見ましたので参考にしてください。

    試作 送春
  不知終夜雨斜斜  知らず 終夜 雨斜々たるを
  酔起池魚啄落花  酔起すれば 池魚 落花を啄む
  却識春愁還一興  却って識る 春愁も還た一興
  幽庭新緑可詩家  幽庭の新緑も 詩家に可なり

   ※承句に「酔起」とすれば起句の「不知」が布石となっています。

2008. 7.30           by 井古綆


謝斧さんから続けて感想をいただきました。

 人の見方はそれぞれだと思います。

 鈴木先生の感想に「起句から転句まで、句頭が「不堪」「只見」「却識」と虚字が続きますので、詩としては変化が乏しくなっています。」とありますが、絶句の前三句が虚字が続く瑕疵はよく知りません。どこかの文献にのっているのでしょうか。
 感じとしてはわかりますが、詩に虚字を多用しますと、一般に宋詩に多い、流利な内容になるが、半面、荘重さや含蓄のある詩に乏しい詩になります。
 ただこの詩に限っては不自然さは無く、薄くして、剽ならしむと言うことはないようにおもえます。
却って手慣れた感じがしました。作者の力量がかんじられます。
 特に承句のこまやかな描写はむしろ、唐人の風があると感じました。人の詩を三十年以上みてますが、最近にみる良いできだとおもいました。

 なお、句頭に虚字が続く用例として、紀ホは蘇東坡の七律を評して「中四句虚字平頭、東坡往往忌まず、然れども是一病 能く詩をして薄くして、剽ならしむ」と言ってます。

   幼眇文章宜和寡
   崢エ肝肺又交難
   未能飛瓦弾清角
   肯便投泥戯溌寒
   忽見秋風吹洛水
   遥知霜葉満長安
   詩成送與劉夫子
   莫遣孫郎帳下看
     (国訳漢文大成蘇東坡全詩集)


 ただ、詩人が「可詩家」を出したため、結句が前句の説明になってしまったので宋詩の悪面にならってしまって、おしむらくは、せっかくの詩が縮こまってしまい、残念だとおもいました。

2008. 8. 1            by 謝斧


追伸がありました。

 池面をうつ雨に、我関せずと悠々泳いでる魚の心が羨ましく感じた時、亦魚でもないあなたがどうして魚の心が分かるといえるのかといわれそうです。
  恵子曰 子非魚 安知魚之楽

 誰もが知っている莊子と恵子の問答で有名な濠梁の嘆ですが、この詩を読んだとき、まずこのことをおもいうかべました。
「遊漁」がでればこういった隠喩を想い、詩人の心境をおしはかるのですが、やや、良心的な深読みだったでしょうか





















 2008年の投稿詩 第160作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-160

  立夏        

花影寥寥嫩緑萌   花影寥寥として 嫩緑萌え

閑居小院午風軽   閑居の小院 午風軽し

遠雷一過春時雨   遠雷一過す 春時雨

残夢醒然夏立声   残夢醒然 夏立つの声

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 新緑に囲まれる小庭の心地好い風に春の名残を感じ、突如襲う春の驟雨に又来る暑い季節を想う。

<感想>

 起句の「嫩緑」は、初春の若草を表すことが多いのですが、新緑の若葉にも用います。

 転句は疑問が残ります。
 博生さんは俳句をなさるのでしょうか。「春時雨」は俳句の季語として使われますね。「時雨」が本来は秋から冬のにわか雨、それを春にも用いる時の言葉です。
 しかし、漢詩では「時雨」は「良い時節に降る雨」としますので、「しぐれ」は和習となります。この詩の転句では、「春の時雨」とは読まずに「春時の雨」と読まれます。
 どうしても「はるしぐれ」の語感を大切にしたいならば、和習だということを前提として読むことになります。



2008. 7.22                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第161作は 雨晴 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-161

  初夏        

緑樹薫風午影柔   緑樹 薫風 午影柔なり

庭前脩竹翠陰稠   庭前の脩竹 翠陰稠し

疎簾微動閑窓下   疎簾微かに動く 閑窓の下

一椀新茶排百憂   一椀の新茶 百憂を排す

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 起句、承句で初夏を詠いましたが、「緑」と「翠」と同じ意味の語を使いましたが、これは同字重出と同様にみなされるのでしょうか?
 転句、結句のつながりが上手くいっていない様に思います。

 忌憚の無いご批評を待っています。

<感想>

 全体の色調が統一され、安心して読むことのできる詩ですね。その分、劇的な変化に乏しい面はありますが、これはこれとして落ち着いた良い詩だと思います。

 起句の「緑樹」と承句の「翠陰」は同字重出ではありませんが、語彙として同じものを指すわけですので、字数制限のある中で、もったいないですね。

 転句から結句へのつながりについては、結句が全体を収束しますので、起句承句との「つながり」を考えるべきで、その点では結句はこれで良いと思います。
 問題は転句の方で、「疎簾微動」は実際は「風が吹いた」ことを指すわけで、それは起句の「薫風」と重なります。結論としては、起句と転句は同じことを述べていることになります。
 「緑」と「翠」の重複もありますし、直されるのならば、起句の上四字を推敲されるのが良いでしょうね。

2008. 7.22                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第162作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-162

  初夏        

夜来雨罷遠山明   夜来の雨罷み 遠山 明らか

漾緑薫風初夏情   緑を漾はす薫風 初夏の情

川上燕新飛有巧   川上の燕 新し 飛ぶに巧みあり

林間鶯老語無声   林間の鶯 老い 語るに声無し

枳花素素陌阡灼   枳花は素素 陌阡に灼らか

麦浪青青隴畝清   麦浪は青青 隴畝は清し

郊外物華真美麗   郊外の物華 真に美麗

造型妙是自然営   造型の妙は是れ 自然の営み

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 律詩制作にぼつぼつ努力しております。よろしく、ご指導ください。

<感想>

 初夏の風物として、頷聯に生物を、頸聯に植物を配して、尾聯でまとめ上げる構成はすっきりしていると思います。

 言葉としては、頷聯の「燕新」は分かりにくい表現ですね。

   川上燕飛幼有巧
   林間鶯語老無声


 とするか、そのままの語順で行くならば、「川上燕夭飛有巧」とすると自然になりますね。

 尾聯は「真美麗」「造型妙」は重なります。最後の「自然営」を生かすならば、上句の「真美麗」を直されるのが良いでしょう。

2008. 7.24                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 点水雅兄、玉作を拝見いたしました。
 鈴木先生の感想に加えて、気が付いた点を述べてみます。

 詩作において最も重要な句はやはり最後の句です。雅兄の第八句「造型妙是自然営」では「造型」「妙是」「自然営」とすべてが名詞になっていますので句に動きがないように感じられます。
 漢字はうまく作られていて殆んどの字が名詞にも成り、また動詞にも成ります。しかしながら措辞する場所でそれが決定します。「営」では雅兄の読み下しの通り「営み」として読み、動詞にはなりません。詩それぞれの場合によって異なりますが、最後の句は動きがあって初めて読者の心に響きます。
 最後の韻字に「驚」を持って来ると、工夫が生きると思います。
 そして、尾聯に齟齬が無いかを推敲を重ねたならば、まとめられると思います。
 句末を名詞収まりにしてそれを長く看過すれば、古来より言われていますように、
“慣性(ならいせい)と成る” となって自覚できなくなると思います。

2008. 7.25            by 井古綆

------ 追伸 ----------------------

 前便は言葉が少し足りませんでした。
 先賢の詩にも結句が名詞収まりの詩があります。
しかしながらその場合には結句が転句の説明になっていて、詩意が静かに収まり余韻が嫋々として、読者に深い感銘を与えるように思います。

    春雨到筆庵
  菘圃葱畦取路斜   
菘圃(しょうほ) 葱畦(そうけい) 路を取って斜めなり
  桃尤多處是君家   桃尤も多き処 是れ君が家
  晩來何者敲門至   晩来何者か 門を敲いて至る
  雨與詩人與落花   雨と詩人と落花と


「菘圃」: 唐菜の畑
「葱畦」: ねぎをうえた畦

※この詩は、清末の儒者「愈曲園」の言では、本邦第一の詩人と称された「廣瀬旭荘」の玉作です。

2008. 8. 2             by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第163作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-163

  詠近藤勇        

一介農民佐コ川   一介の農民 徳川を佐(たす)け

監臨新撰計回天   新撰を監臨(かんりん)して 回天を計る

雖時不利成囚虜   時に利あらず 囚虜(しゅうりょ)と成ると雖(いえど)も

矜恃従容就死傳   矜恃(きょうじ)従容(しょうよう)として 死に就きしと伝ふ

          (下平声「一先」の押韻)

<解説> <解説>

 深渓雅兄の玉作『悼大久保大和』を拝見して詩想が湧きましたが、わたくしは関西に住んで いますので、近藤勇にたいしては余り知識がありません。広辞苑でしらべたのみで近藤勇の生涯を忖度しました。結句の「矜恃従容」に作者の気持ちをこめましたが、果たして近藤勇の心を代弁していますでしょうか。

「新撰」: 新撰組
「監臨」: (新撰組の局長として)監督し支配する
「回天」: 斜陽の徳川幕府の天下に
「矜恃」: 幕府への守節のプライド

<感想>

 NHKの大河ドラマで「新選組」が放映されたのが四年前ですので、香取慎吾の演ずる近藤勇をまだ覚えている方もいらっしゃるでしょうね。
 ドラマは三谷幸喜の脚本で、青春群像という感じに描かれていましたが、新選組や近藤勇に対してのイメージは従来あまり良いものではなく、映画などでも、勤王の志士やら「鞍馬天狗」に対する悪役という設定が多かったように思います。
 もっとも、出身県によって評価は異なるようで、西国の人は厳しくとらえ、東国の人は再評価すべきだと感じている人も多いようです(別に、香取慎吾の人気のおかげということではないようです)。

 「近藤勇の心を代弁して」いるかどうか、と尋ねられると困りますが、転句の「雖時不利」の表現で項羽に比しておられるのは、最大級の讃辞だと思います。

2008. 7.24                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第164作は 庵仙 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-164

  岩手宮城内陸地震        

晴朝揺屋地鳴長   晴朝 屋を揺らし 地鳴長し、

依報震源東奥郷   報に依れば 震源 東奥の郷。

山崩川遮橋落下   山は崩れ 川は遮り 橋は落下、

路流家壊樹無常   路は流れ 家は壊れ 樹は無常。

観車転落鶯鵑谷   観車は転落す 鶯鵑の谷、

人畜逃迷街上傍   人畜は逃迷す 街上の傍。

恰若四川看映像   恰も 四川の映像を看るが若し、

悲哉尊命我心傷   悲しき哉 尊き命 我が心 傷ましむ。

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 山を崩した自然のエネルギーは、神戸震災に匹敵するという。それほど大きい地震がおきた。
 その震動が朝早く身体に感じた。いつものようにTVを注視したが、時間が経つほどに画面に釘付けとなった。
 道路が数百メートル先へ移動した動きは、とてつもないエネルギーであった。人間の力が如何に小さいか思い知らされた感じである。四川地震はエネルギーでいいばズーッと小さい。

 [訳]
  晴れた朝、家屋を揺らして、地鳴長かった。
  報道に依れば、震源は東奥の郷という。
  映像は山が崩れ、川は遮り、橋は落下している。
  また道路は流れ、家は壊され、樹木は無常であった。
  観光バスは鶯や杜鵑の鳴く谷に転落し、
  人や家畜は街路上の傍に逃げ迷っている。
  恰も、その図は四川の映像を看るが若しであった。
  悲しき哉、またも尊い命が失われ、我が心は傷むばかりである。

<感想>

 世界漢詩同好會での「四川省地震」と同じ時に送っていただいたものです。一般投稿のいつものペースですと掲載が遅れてしまいますので、急ぎここに入れさせていただきました。

 ニュースでは、震源地も地震の種類も異なるそうですが、今朝も岩手県で大きな地震が起きたそうです。
 災害に遭われた方々は、直接の地震被害もそうですが、今後の生活などの面でも、苦しいことが多いと思います。激励しかできませんが、頑張ってください。

 尾聯上句の読み下しは「恰も四川の若し 映像を看る」とした方が良いでしょう。

2008. 7.24                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第165作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-165

  麦秋        

朝来犂隴畝   朝来 隴畝を犂き

晩照返牽牛   晩照 牛を牽いて返る

禾穂蛙声道   禾穂 蛙声の道

一村入麦秋   一村 麦秋に入る

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 「爽やかな風に誘われて一首詠みました」とお手紙には書かれていましたが、初夏の農村の雰囲気がよく出ていますね。

 五言絶句ですので、語を絞り込むことが必要になりますが、そういう意味では、転句も結句も工夫されていることがよく分かります。
 結句の孤平を避けるためには、「一村」を「晴村」などに替えるか、「入」の字を平字に替えるかでしょうね。

2008. 7.24                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第166作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-166

  慈母斷腸(四川大地震)        

愛護嬰児自己僵   嬰児を愛護して 自己は僵(たお)れ

臨終空記斷魂章   臨終空しく記す 断魂の章を

報傳萬國誰無涙   報は万国に伝はり 誰か涙無からん

慈母深情永不忘   慈母の深情は 永(とこしえ)に忘れず

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 「僵」: 死亡すること。
 「断魂」: 断腸と同じ、この場所に韻字の「腸」を措辞するのは冒韻としてはかまわないと思いましたが、とりあえず避けました。

<感想>

 「世界漢詩同好會の參加詩として作った詩ですが、詩題のスケールが小さいと思いました。一般投稿でお願いします」とのことで、総会の後日に送ってこられたものです。
 母親の愛情の深さ、その愛情が「自己僵」という形で表さざるを得なかった悲しみ、その被害をもたらした大地震、まさに「万国」の母親の姿を描いたもので、大地震そのものを描いたわけではありませんが、大きな視点だと思います。

 尚、井古綆さんのお名前について、「何とお読みすればよいのか」とのご質問を何人かの方からいただきましたので、ご本人からご説明をいただきました。

 以前よりわたくしの雅号「井古綆」について、皆さんが不思議に思っていらっしゃったと思います。この際にその経緯をのべたいと思います。

 漢詩を私的に作るだけで十数年を過ごしてきましたが、人様に詩を差し上げる際には号が必要になりました。これまでに四、五回ほど差し上げる機会がありました。このHPのhttp://tosando.ptu.jp/2005/toko2005-9.html#2005-122もその一詩です。
 わたくしの姓は「井○」ですので、姓にちなむ雅号を探しました。
 井戸にはつるべ縄が必要ですので、辞書を検索して「綆短汲深・つるべなわが短いのに深い井戸の水をくむ。才能が足りなくて重圧にたえないたとえ」を学びました。
 そこで、「短綆・タンコウ」を考えましたが発音が悪く、意味が近い「古綆」にしました。「コウ」の音を用いることで、亡母の名「こう」を常に思い出すことになり、母の恩を終生忘れないよう心に刻むためでもあります。
 とすれば姓の「○」が不必要になったため「井古綆・セイココウ」といたしました。

 蛇足になりますが、不遜にも中国風の雅号にいたしましたのは、本家の中国の先賢に一歩でも近づきたい気持ちもこめています。
 ちょうど「井真成」の墓誌が発見される半年ほど前のことです。
 井真成に関する詩を作ったのは、勝手に井真成に親近感をおぼえたためでした。


2008. 7.25                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第167作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-167

  参加萩高三期会        

飛騨山荘解旅装   飛騨山荘に旅装を解き

一堂知己気軒昂   一堂の知己 気軒昂

仙人仙女延年術   仙人仙女 延年の術か

後期高齢歓笑長   後期高齢 歓笑長し

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

[意訳]
  飛騨に集まる萩高三期
  昔なじみは皆々元気
  年とらないね、あんたこそ
  後期高齢なんのその

 私こと、このたび6年余勤めた木戸孝允旧宅管理&ガイドの仕事を退職いたしました。この間たくさんのお客さんに出会い、いろいろなことを学ばせていただきました。
 鈴木先生ご一家をご案内させていただきましたのも、とてもよい思い出でございます。

 ずっと引き際を考えておりましたが、昨年11月に「萩ものがたり」と言う小冊子に木戸公の名誉を冒涜する内容が出ており、それが解決するまではと頑張って参りました。
 このたび6月市議会でようやく市長も「議論の余地あり」と認め、継続審議と言うことになりました。

 これからはのんびりゆっくり世の中の動きをみまもっていきたいと念願しております。

<感想>

 知秀さんは萩市で木戸孝允旧宅管理とガイドをなさっておられ、私が二年ほど前に萩に行きました時にお会いしました。
 明るいお人柄でお話を伺っていても楽しく、木戸孝允旧宅では知秀さんご自身で丁寧な案内をしていただきました。家族一同、本当に喜んで帰ってきました。
 この度は、そのお仕事を退職されたとのこと、木戸公も寂しがっておられるのではないでしょうか。長年、お疲れさまでした。

 お手紙にありました『萩ものがたり』の一件は、二月に掲載しました知秀さんの作品、「萩物語 桂小五郎」に詳しく書かれていますので、御覧ください。

 さて、詩を拝見しました。同期会でのご様子が詠われていますが、「気軒昂」「仙人仙女延年術」などを読むと、知秀さんを含めて、皆さんが元気溌剌と歓談されている様子が目に浮かぶようです。

 話題の「後期高齢」も、笑い飛ばしてしまうような勢いがあり、気分がスカッとするようです。

 起句の「飛騨」は平仄は「○○」ですので合いませんが、固有名詞ということで流します。合わせるならば、古名の「飛太」とすれば良いですね。
 結句の「後期高齢」も「●○○○」ですので合いませんが、こちらはなまじ文字を変更するよりも、このままの方が迫力があります。

 これからも、ご健康を保たれて、お付き合いをよろしくお願いします。

2008. 7.25                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第168作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-168

  寄同窓會     同窓會に寄す   

青松碧水少年時   青松 碧水 少年の時

蓬髪朋儔傲世姿   蓬髪 朋儔 世に傲るの姿

當飲高歌今夕酒   當に高歌して飲むべし 今夕の酒

吟聲不發弔恩師   吟聲 發らず 恩師を弔ふ

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 先年(平成十七年)、小学校(当時、国民学校)卒業六十周年を迎えた時点で、担任の先生六名の内、御存命の方は只一人になった。
 卒業後二十五年経って(昭和四十五年)以来、毎年欠かす事なく開催されて来た同窓会、及び五年毎の修学旅行会には、必ず何人かの恩師が参加されて居たが、昨年からはどなたにも出席して戴けない事になった。
 今年の同窓会も間近になった。

  起句:(西新)小学校の横門を出ると白砂青松の(百道)海岸だった。現在は埋め立てられている。
  承句:七十五歳以上「後期高齢者」ともなれば、お互いに一癖も二癖もある連中ばかりである。
  転句及び結句:高齢者の同窓会ともなれば、常套句としては「飲めや歌えや」と詠みたい処だが。


<感想>

 同期会の詩を続けて御覧いただきましょう。

 小学校卒業六十年ということですと、そうですね、当時の先生方もお若い方でも八十歳を超えておられるわけですから、ご出席願うのも難しくなってきますね。

 私もこの夏には、教え子たちから同窓会への招待を受けていますが、まだ教え子たちも年齢が若く、どうしてもお盆に集中するため日程が重なることが多くなります。何とか顔を出して、せめて精神だけでも元気な姿を見せることが、教員として、あるいは人生の先輩としての努めだと思っているのですが、不義理なことも起きてしまいます。

 毎年同窓会を開催されて来たこともそうですが、五年ごとの修学旅行というのも、楽しいでしょうね。

 詩は、転句の読み下しを「當に飲みて高歌すべし 今夕の酒」とされる必要があります。また、全ての句の頭が平声になっていますので、できれば「當飲」「浩飲」とされると良いでしょう。
 ただ、結句との関わりがありますので、転句で盛り上がりすぎるのも良くないかもしれません。結句は詩全体の締めくくりになりますので、内容をもう一度検討されて、その上で転句の表現を練ると良いでしょうね。

2008. 7.25                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第169作も 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-169

  祝正僧正叙任     正僧正 叙任を祝す   

一心専念稱名號   一心 専念 名號を稱ふ

行坐食眠偏不休   行坐 食眠 偏に休まず

聳聳平成五重塔   聳聳たり 平成の五重の塔

緋衣燦燦更何求   緋衣 燦燦 更に何をか求めん

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 昭和二十六年高校卒の同窓会「仁禄会」は毎年の総会の他に、毎月末の土曜日に有志が集まる雑談(勿論、一杯飲む)会を実行している。
 浄土宗寺院「大佛大圓寺」の住職である同窓生が、この度「正僧正」に叙任され、併せて「緋衣被着」の許可を得た。
 近日、その祝賀会が開催される予定であり、献吟の折には、転句の前に名号「南無阿弥陀仏」を二度称える積りで練習中であります。

  起句及び承句:浄土宗の根本経典である観無量寿経疏(観経疏)から採った。
    一心専念弥陀名号/行住坐臥不問時節久近/念念不捨者是名正定之業/順彼佛願故
  転句:平成七年、境内に住職悲願の(福岡では唯一の)五重塔が完成した。
    木造三間五重塔婆(二重基壇、銅板葺、総高三十八.三五八メートル、塔身二十六.五一八メートル)
  結句:本来は大僧正被着の緋衣が、特に認可された。五重塔の緋色と共に燦然と輝く、の祝意を込めて。

<感想>

 前作の小学校の同窓会もそうですが、高校の同窓会も毎年、飲み会は毎月ということで、兼山さんの同窓の方々は皆さん、仲良しなんですね。

 起句は踏み落とし、結句の「更何求」は、文字通りに読めば「これ以上何を求めようか、もう十分だ」と反語で解釈しますが、詩意としては、「最上のことだ、すばらしい」と感嘆の言葉となります。

2008. 7.25                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第170作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-170

  病起        

三月関門獨臥牀   三月 門ヲ関ザシテ 独リ牀ニ臥ス

不知春盡古津郷   知ラズ 春ノ古津ノ郷ニ盡キルヲ

五更鶏唱妨濃睡   五更ノ鶏唱 濃睡ヲ妨ゲ

一穂灯檠誘老傷   一穂ノ灯檠 老傷ヲ誘フ

朝雨暮風梅子熟   朝雨暮風 梅子熟シ

東田西圃稲苗香   東田西圃 稲苗香シ

江村物候無遅滞   江村ノ物候 遅滞無ク

近景遠望初夏粧   近景 遠望 初夏ノ粧

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 長らくご無沙汰いたしました。体調が戻りましたのでまたぼちぼちと作詩に励みたいと思います。
よろしくお願いいたします。

<感想>

 真瑞庵さんのご病気は三ケ月だったのですね。三月からともとれますが、どちらも期間的には同じですね。
 病気の自分とは関係なく季節は移り変わっていき、もうすでに初夏を迎えていた、という感慨が尾聯に出されていますが、私も病気をした時には、丁度時期も同じ頃で、真瑞庵さんと同じ想いを持ちました。
 病院の窓から眺める景色、退院して床から眺める自宅の庭の草木の色合い、日を経るとともに確実に色を変えていく自然の姿は、ホッとするとともに、思い通りに行かない養生に焦りも感じさせました。
 やがて焦りは消えて、ある時、ふっと心が軽くなった時がありました。「要するに、なるようにしかならない」という悟り(?)を得たのかもしれませんが、それは病気の前も病気の後も全く変わらず移っていく自然の姿に教えられた部分も大きかったと思います。

 詩作に取り組めるまで快復されたことと理解し、一層のご養生をお祈りします。

2008. 7.25                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 瑞庵雅兄、こんにちは。
ホームページを長らくお休みしていらっしゃったので心配していました。

 玉作を拝見して近況が理解できました。この玉作のようにお体も完治されましたことと、お慶び申し上げます。

 また雅兄と共に作詩を学ぶことを大変に嬉しく思います。
まずは鈴門へのお帰りを心より歓迎いたします。

2008. 7.26              by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第171作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-171

  孤蓬        

幽草徘徊竹露揺   幽草 徘徊 竹露揺らぐ

胸中鬱悒伴無聊   胸中の鬱悒 無聊を伴ふ

何堪塵境羊腸路   何ぞ堪へん 塵境 羊腸の路

形影相憐慰寂寥   形影相憐みて寂寥を慰む

          (下平声「二蕭」の押韻)

<感想>

 詩を拝見すると、作者の描こうとしているお気持ちは分かるのですが、それが題名とどうつながるのか、に悩みます。逆に言えば、詩題を読んでから詩に向かうと内容が理解できなくなります。

 「孤蓬」は、李白の「送友人」の中の「孤蓬万里征」に見られますように、風に吹かれて根ごと丸くなって転がっていく蓬がイメージされます。日本のヨモギとは異なることが、『漢詩のことば』(大修館あじあブックス 向島 成美)に書かれていましたね。
 この詩の場合には、「孤」は分かりますが、「蓬」はどこにイメージされているのか、起句を読むと、竹林の中、草を踏み分け歩いている姿しか浮かんできません。

 また、転句の「塵境羊腸路」は曲折に富んだ人の世を表していると思いますが、承句の「無聊」や結句の「寂寥」とつなげるのは無理があるように思います。
 転句の内容を主題とされるのでしたら、全体の構成を見直す必要があるでしょう。

 平仄の点では、全句の頭が平字ですので、仄字を配するとバランスが良くなります。

2008. 7.30                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第172作は 嗣朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-172

  古代朝来(あさご)館        

山紫清風朝来郷   山紫清風 朝来の郷

一衣帯水旅人翔   一衣帯水 旅人翔ける

丘墳遺物聚集館   丘墳の遺物 聚集の館

古代史論但馬王   古代史の論は 但馬の王。

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 朝来の「まほろぼ」館を訪ねた。
今から二千年も昔、弥生時代の人々は、村を中心に田や畑をつくり暮らしていた。
やがて、食べ物をめぐって争い、権力をめぐる戦いへと発展し、三世紀後半、大和の国が誕生した。
但馬で育ちつつあった指導者は、大和の王と手を結び、力をつけ、ここに但馬王が誕生したとされている。
考古学の研究では議論を呼びそうだ。(邪馬台国は何処か?)

何時も拝見、勉強させて頂いています。
今回の投稿も起句の「朝来郷」の「来」が(仄字)として良いかどうか?
 又、転句の「聚集館」は平仄は間違いないか?等が自分でも疑問です。

<感想>

 ご質問の点から書きますと、「朝来」については、「来」を仄字にすることはできません。「聚集館」も平仄は合っていません。
 疑問に思っていらっしゃるのは、固有名詞として用いる時にどう考えるか、ということでしょうね。「朝来郷」は確かに固有名詞ですので、この場合には二六対を破ることも許されます。
 ただ、それならばどんどん固有名詞を入れて行くと平仄は滅茶苦茶になるわけで、本当に必要な言葉を選ぶという観点は持っていなくてはいけません。また、いかに固有名詞でも漢字で表記されるわけで、その時には漢字の持つ意味合いがどうしても働いてしまいます。
 この詩の場合には、「清風」という直前の二字と「朝来」という言葉のつながりがあり、和歌で言う「掛詞」のような働きが出ていて、私はこのままで良いと思います。

 承句は「旅人」で「人が往き来した」ことを表したのでしょうか。やや、無理があるように思います。

 転句は「集」を「収」にするとして、結句の「但馬王」は、詩の表現だけで内容を理解するのは難しいですね。自分の記録としてならば良いですが、一般の読者にも気持ちを伝えるにはどうするかを検討する部分でしょう。

2008. 8.15                  by 桐山人



嗣朗さんからお返事をいただきました。

 今日は、桐山人先生。私の疑問に対しての親切なご指導有難うございます。
 旅日記的に漢詩を詩作する場合、固有名詞を使いたくなり、無理やりに地名や人名を入れていましたが、自分独りよがりであったと反省し、何か疑問が解けたような感じがします。
 有難うございました。
ご指導を肝に銘じ、作詞に挑戦したいと思います。

 お盆が過ぎたといえども、残暑はまだまだ厳しい折、御身をご自愛下さい。先ずは御礼まで

2008. 8.21                by 嗣朗


井古綆さんから感想をいただきました。

 玉作を拝見いたしました。
 朝来市に「まほろば館」が出来ていることを存じませんでした。
わたくしは帰郷の際に当地を通過するのみで立ち寄ることはありませんでした。今度時間が許せば訪問して見たいと思います。

 感想には鈴木先生が全てを説明されていますので、改めてわたくしが申し上げることは有りません。試作をしてみましたが、わたくしは当地を訪問していないので、詩想を把握できません。
 敢えて作って見ましたが非常に難しい詩でした。無理に作っていることが表われていると思えば、赤面の至りですが笑読してください。

    試作 古代朝来館
  此地伝聞在小王   此の地 伝え聞く 小王在ると
  弥生真偽已茫茫   弥生の真偽は 已に茫茫
  館中展示平和世   館中 平和の世を展示するは
  彷彿方今但馬郷   彷彿たり 方今 但馬の郷

「弥生」: 弥生時代
「方今」: 現在

2008. 8.27              by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第173作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-173

  八月忌        

悲哉争未絶   悲しき哉 争い未だ絶えず

民病苦飢凍   民は病み 飢凍に苦しむ

莫忘劫余惨   忘る莫かれ 劫余の惨み

休希四海戎   休むを希ふ 四海の戎

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 今年もあの忘れ難い、広島・長崎の原爆投下と、敗戦。戦後の惨めな姿を忘れてはならない。
 未だに世界各地で戦争・紛争がある。此れによって苦しむのは、弱者女子供と民衆である。

<感想>

 厳しい夏の暑さが全国的に続いているようです。この季節には、戦争中や戦後の思い出がよみがえって来る方も多いことと思います。
 深渓さんからそうした詩をいただきましたので、本日掲載をさせていただきました。

 連日報道されている北京オリンピック、私の意識では、オリンピックと言えば「平和の祭典」とすぐに呼応したように思っていましたが、今は、オリンピックだけに目を奪われていてはいけないぞ、という気持ちについなってしまいます。
 しかし、日本選手が金メダルを獲得した表彰式の場面を見ながら、「君が代」が中国の北京で流れていることを考えて、私は胸の奥で、締めつけられるような緊張感と共に、何かしら終息感も覚えました。「平和の祭典」は「平和を踏み固めていく祭典」であると改めて思いました。

 深渓さんの詩は、結句は「休希」ですと、「希ふを休む」となりますので、語順を入れ替えなくてはいけませんが、お気持ちはよく伝わってきます。

2008. 8.15                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第174作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-174

  澱江觀櫻        

風度長堤夕   風度る 長堤の夕

舟遊澱水春   舟遊す 澱水の春を

迷津轉輕楫   津に迷ひて 軽楫を転じ

對酒玩芳辰   酒に対して 芳辰を玩す

翳翳雲邊月   翳翳たる雲辺の月

依依樓上賓   依依たり楼上の賓

夜深催驟雨   夜深 驟雨を催し

應知落花晨   応に知るなるべし 落花の晨を

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 花見の季節に、淀川に浮かべた舟や、川べりのホテルなどを想像して作りました。

<感想>

 玄齋さんのこの作品は、第156作の「長堤観桜」と同じ時にいただいたものです。

 拝見して面白く感じましたのは、題名が「観桜」であるにもかかわらず、花の姿がなかなか出てこないことです。あれあれ、と思っていると、ようやく最後に「落花晨」と来るのですが、実はこれも実際の花の姿ではなく、翌朝の場面を想像してのもの。
 前作の七絶では、承句に「一望兩岸落花翻」として実景を出されてましたので、こちらの五律では意図的に隠されたのでしょうか。
 これだけ抑制することによって、逆に満開の花を目に浮かばせるという効果もないわけではありませんが、それを狙うのなら私は絶句の方が良いと思います。律詩で角度の広い描写をしておいて、なおかつ花が出てこないとなると、ウナギ屋で天丼を食べさせられたようなもので、匂いばかりで姿が無い物足りなさが強くなります。
 題名が「澱江舟遊」ならば内容とも合いますが、「観桜」ですので、前の方の聯で桜の姿が欲しいと思います。

 頸聯は目を一転頭上に向けて、月を望むわけですが、この月が「依依樓上賓」でもあると読みたいところです。つまり、「依依」も擬人的に月を表していると解釈します。
 と言うのは、下句を花見客の姿にしてしまうと、どの聯にも必ず人が登場することになるからで、逆に言えば叙景のみの聯がなくなって詩のリズムが平板になることを避けるためです。

 最後の句の「知」は「識」でしょうか。


2008. 8.15                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 鈴木先生の感想での「ウナギ屋で天丼を食べさせられたようなもので」は言い得て妙哉と思います。
 詩の一番の瑕疵は、題意に背くことです。推敲を重ねていくと、その結果こういったことが起きるのはままあります。

 「迷津」は大変重い詩語で、この場合はそぐわないとおもいます。「迷津」をだせば、なにか隠喩があると読者は考えてしまいますので、注意が必要です。

2008. 8.17             by 謝斧



井古綆さんからも感想をいただきました。

 玄齋雅兄。今回の詩もまた頭の中での空想でしょうか。読者に訴える感情が少ないように感じます。
 近畿地方にお住まいならば、やはり空想ではなく現地に行かなくてはならないと思いました。また大阪市内の川でしたならば、淀川(澱江)ではなく大川で、ここでしたならば堤桜の並木があります。漢詩を作るには針小棒大であっても、虚構をもって読者を翻弄してはならないと思いますが如何でしょうか。

 しかし、雅兄の詩作に対する意欲は見習う点がありますので、上記のことを胸に止めて頑張ってください。今回の作は五言ですので詩意を込めるには難しいので、今後は七言を志すのが良いと思います。
 よって七言で推敲して見ましたので今後の参考にしてください。

 わたくしは20年以上前に二回尋ねましたのでそれを思い出しながら推敲しました。

    詩作 ○○観桜
  寒温反復到芳辰   寒温 反復して 芳辰に到り
  与友尋来浪速津   友と尋ね来る 浪速の津
  衆客参差連野店   衆客 参差(しんし) 野店に連なり
  堤桜爛漫領熙春   堤桜 爛漫 熙春(きしゅん)を領す
  新添佳景天辺月   新たに佳景に添う 天辺の月
  須作酒仙楼上賓   須らく酒仙と作るべし 楼上の賓
  一任夜深催霎雨   さもあらばあれ夜深 霎雨(しょうう)催すを
  不知晏起落花晨   知らず晏起(あんき) 落花の晨(あした)

「芳辰」: 花のにおう春の季節
「参差」: 意味の多い語。ここでは(人が)ならび続くさま
「熙春」: のどかな春
「新」:  冒韻
「賓」:  作者を指す
「一任」: 花見には充分満足して、お酒は心ゆくまで飲んだので後は雨が降ることには関心がない
「霎雨」: ぱらぱら雨。夜に驟雨は少し不自然だから
「晏起」: (飲酒で熟睡のため)遅く起きる

※五言と七言では絶句で8字、律詩では16字の差で詩意を込めることがこのように違います。

※また、桜花は最初に出さなくてはなりません。わたくしの詩では「落花」が最後に出ていますので、中ほどに「堤桜」としているわけで、作詩者の苦労する点です。
 最後に「花」を出すことは、鈴木先生のお言葉のように、ウナギを食べたいお客を無意味に“じらす”ように感じます。

2008. 8.21               by 井古綆


玄齋さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、謝斧先生、井古綆さま、いつもご指導ありがとうございます。

 鈴木先生の「ウナギ屋で天丼を食べさせられたようなもの」というお言葉には、とても共感いたしました。
 改めて見てみると、「澱江舟遊」と題を改めようかと思えてきます。謝斧先生のおっしゃるとおりに、推敲を重ねるたびに主題から離れてしまいました。詩の始まりの辺りで桜を出すことにいたします。

「迷津」はそぐわないのですね。わかりました。
さらに「津」では冒韻になってしまいますので、改めることにいたします。

 井古綆さまの七言律詩の試作も、大変ありがとうございます。
将来の参考にしていこうと思います。

 現在では五言律詩の対句を二つ作ることにも四苦八苦している現状ですので、将来の目標として七言律詩が作れるようになっていきたいと思います。

「現地を訪ねてから作詩する」というのは、僕にとっては難しい点がありますが、齟齬が生じる漢詩を作らないように、推敲と作詩の対象への研究を繰り返して、何とかその穴を埋めるようにと、努力していきたいと思っております。


今回は次のように推敲してみました。

  櫻綻長堤夕    桜綻ぶ 長堤の夕
  舟遊澱水春    舟遊す 澱水の春を
  臨淵轉輕楫    淵に臨みて 軽楫を転じ
  對酒玩芳辰    酒に対して 芳辰を玩す
  翳翳雲邊月    翳翳たる雲辺の月は
  依依樓上賓    依依たる楼上の賓なり
  夜深催驟雨    夜深 驟雨を催し
  應識落花晨    応に識るなるべし 落花の晨を

いつもありがとうございます。
よろしくお願いいたします。

2008. 8.26               by 玄齋


井古綆さんから、推敲作への感想をいただきました。

 玄齋雅兄今日は。
 推敲作を拝見いたしました。

 原作から脱皮して素晴らしい詩に成ったと思いました。『桜』を起句に持ってきたので、読者に違和感がなく安心して拝読が出来ると思います。
 今後も頑張ってください。

2008. 9. 6               by 井古綆


玄齋さんからお返事です。

井古綆さま、いつもありがとうございます。
詩題と乖離しないように、これからも気をつけていきたいと思います。

これからも投稿していきますので、ご指導よろしくお願いいたします。

2008. 9.15               by 玄齋





















 2008年の投稿詩 第175作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-175

  竹村有感        

隣圃竹孫出   隣圃 竹孫出で

早晨穿土聲   早晨 土を穿つの声

炊煙茅舎暮   炊煙 茅舎暮るれば

芳筍酒壺傾   芳筍 酒壺傾く

古朶葉蒙地   古朶 葉 地をおお

新篁幹謾甍   新篁 幹 甍をあなど

白頭思少壯   白頭 少壮を思ひ

一刻感懐縈   一刻 感懐めぐ

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 私の住まいは京都の筍の本場です。
 家のすぐ裏が筍を生産している竹やぶなので、晩春・初夏は竹やぶや新筍を詠むことがしばしばです。

<感想>

 季節になると、知人から「今朝掘ってきたものです」と言ってタケノコをいただくことが多くなりました。以前はスーパーでの水煮のタケノコしか知らなかった妻も、竹皮をむき、ゆがくのに手慣れ感が出てきました。
 私はもっぱら、食べる方に専念していますが、「これが竹になるのか」と思いつつ食べると、人間と自然が織りなす季節の営みを感じるようで、柔らかな歯ごたえが陶酔感さえ与えてくれます。(おっと、よだれが・・・・)
 青眼居士さんの今回の詩は、竹林を眺めながらの感慨を詠われたものですね。

 首聯は、「朝早くから隣の竹林でタケノコを掘る音がする」、という書き出し。それを受けて頷聯が「晩ご飯の時にはおいしいタケノコが食べられる」と期待を述べるのですが、絶句の起承転結のようで、急に「茅舎暮」と展開するので、やや息苦しい感がします。
 前半四句で一首の絶句、後半でも一首と考えると分かりやすくなりますが。

 後半は、「白頭」「古朶」「新篁」「少壮」の対応は分かりやすいのですが、逆に分かり易すぎると言うか、ここまでの説明はしないで、現在の自分の状況だけを語る方が味わいがあると思います。また、結句の「感懐縈」も、「感懐」とひとくくりにしてしまうのではなく、どんな「感懐」だったのかを示すような方向が良いでしょう。

2008. 8.16                  by 桐山人


井古綆さんから感想をいただきました。

 青眼居士雅兄、こんにちは。
 以前玉作「後鳥羽上皇」を拝見して並々ならぬ力量の持ち主のお方であると思っていました。
今回の玉作はそれ以上に難しい詩題だと思います。わたくしは関西に住んでいますので、雅兄のお住まいの地方は充分に理解し、まことに羨ましく思います。

 鈴木先生の感想のように、律詩にも関わらず、前後二つの絶句に分かれているように感じられますのは、どなたが作られてもこのように成り、大変に難しい詩題だと思いました。
 他人様の詩ですが失礼ながら、脳の老化防止にも成りますので、わたくしなりに推敲してみましたが、非常に難しく、多くの時間も要しました。

 以下、自作の解説のようになりますが、多くの読者の為と書かせていただきました。なお詩語は作者の立場で措辞していますので、失礼がありますことをお許しください。

 まず一句目、「竹孫」でも良いと思いますが、孤平を避けるため「竜孫」といたしました。

 二句目、次句との時間的に開き過ぎると思いましたので、「晨朝恵贈声」として時間の空白に考慮しました。
 三句目、時間的に余りにも慌ただしく感じましたので、「山妻芳筍煮・野叟玉杯傾」として、時間の推移を曖昧にしました。
 ここで詩意は終結してしますので、第五句への移行に大変苦心いたしました。それで「免掘枝蒙地・長篁翰謾甍」と考えました。

 尾聯は作者それぞれの考えですので他人が立ち入れませんが、雅兄の「感懐縈」を使用して「仰瞻汪溢気・衰老感懐縈」といたしました。

 以下にまとめてみます。事実とは違うかも知れませんが、あくまで詩として考えてみました。

    試作 竹村有感
  隣圃竜孫出   隣圃 竜孫出で
  晨朝恵贈声   晨朝 恵贈の声
  山妻芳筍煮   山妻 芳筍煮れば
  野叟玉杯傾   野叟 玉杯傾く
  免掘枝蒙地   掘(くつ)を免れれば 枝は地を蒙(おお)ひ
  長篁翰謾甍   篁(こう)に長じれば 翰(みき)は甍(いらか)を謾(あなど)る
  仰瞻汪溢気   汪溢の気を仰瞻(ぎょうせん)して
  衰老感懐縈   衰老 感懐縈(めぐ)る

※第七句、汪溢気は汪溢景が仰瞻と合致しますが、第八句を考え敢えて「気」を用いました。
※「恵贈」: 他人から物を贈与されたことにいう尊敬語。このごろはこれをゲットと言い、
      人の好意を無視する風潮はテレビの影響でしょうか。

2008. 8.21           by 井古綆























 2008年の投稿詩 第176作は 展陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-176

  梅雨        

細雨綿綿草色深   

門庭處處碧苔侵   

無聊日日難消遣   

唯有茫然抱膝吟   

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

梅雨の退屈な毎日を表現して見ただけです。

  きり雨が長く降り続き 草の色も濃い
  門庭のあちらこちらに 青い苔がはびこり
  退屈な毎日のうさも 晴らしにくく
  ただぼんやりと 膝を抱えて詩を作るのみ


<感想>

 梅雨の降り続く庭の景色を、「草色深」「碧苔侵」で象徴させて、陰鬱な中にも色彩感が出ていますね。「細雨綿綿」は、雨がいつまでも降り続いていることを表したのでしょう。

 前半の「綿綿」「處處」は対句仕立てで置かれているのはいいのですが、転句まで「日日」と畳語が続くのは面白くありません。しかも、同じ位置ですからね。

2008. 8.20                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第177作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-177

  送良醫朋友自奥州赴任帝都     良医朋友の奥州より帝都に赴任するに送る   

時扶急患閲難關   時に急患を扶けて難関を閲(けみ)し

僻遠村郊幾往還   僻遠村郊 幾往還す

大望秘心辭敢職   大望心に秘めて敢へて職を辞し

欲磨仁術貴慈顔   仁術を磨かんと欲して慈顔貴し

          (上平声「十五刪」の押韻)

<解説>

 昨秋、友は東北の総合病院を辞し、東京の病院へと旅立った。
 聞けば給与も下がり、地位も名誉も擲っての転職。もうさしてもう若くない年なのに、最愛の家族を置いての単身赴任を選んだ友の選択を当初理解に苦しんだ。
 私が聞いても、何だかんだとはぐらかして多くを語らない。
 そこで彼なりの決断に上記一詩を門出に送ることにした。
 新天地での大成を願ってやまない。

<感想>

 人生の岐路に立ち、自分で道を選択できることは、そんなに何度もあることではありません。多くの場合には、後になって、「ああ、あそこが別れ道だったんだなぁ」と結果として気がつくもののように思います。
 サラリーマン金太郎さんのご友人は、現在お年が幾つなのかは分かりませんが、随分多くのものを乗り越えるような形で、決断なさったのですね。
 そうした勇気に対して、友人としてできることは、激励のエールを送ることなのでしょう。こちらの方が心を揺らしているわけですので、そうしたお気持ちを詩の言葉でどうあらわすかは難しいですね。

 転句は「辞敢職」は、この語順では無理です。「辞職事」などでしょうか。

 結句の「欲磨仁術」は、これが前句の「大望」になるわけで、種明かしのようなことで、新鮮さに欠けてしまう印象です。また、「大望」が先にあることで具体性のない飾り言葉のようになってしまっているのが残念です。
 順序としては、先に具体的な「欲磨仁術」を出して、その後にまとめる形で「胸中大望」とすると、友人の行動への作者の感懐が表れることになります。

 結句の「仁術」は和習ですが、敢えて使ったところに、結句でまとめ上げようという作者の気持ちが出ているのでしょう。しかし、先述しましたように、転句と結句の句を入れ替えるならば、「医術」とそのまま表現した方が良いと思います。

2008. 8.20                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第178作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-178

  対幽林        

薫風積翠画中天   薫風 積翠 画中の天

雲樹香然望野煙   雲樹 香然 野煙を望む

要害山辺苦吟怫   要害山辺 苦吟怫たり

幽林包我自如仙   幽林我を包み 自ずから仙の如し

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 「幽林」は「ほの暗い林」ということですが、前半を読むと、広々と開け放たれた視野が広がり、「あれ、どこに居るのだったか?」と不安になります。それは転句まで行っても解消されず、最後にぽつんと「幽林」と言われて、突然空から堕ちたような気持ちになります。
 転句の「要害」も、「幽林」「自如仙」とはつながりの薄い言葉です。
 ちょっと失礼な言い方ですが、全体としては「夏山登山」という感じの方が強い詩だと思います。

 承句の「雲樹」「雲まで届くような高い樹木」ということですが、「香然」はよく分かりません。「杳然」の入力間違いでしょうか。

2008. 8.20                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第179作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-179

  菩提達磨和尚        

日東孺子夙相親   日東の孺子 夙に相い親しみ

君王不解達磨賢   君王解せず 達磨が賢を

嵩山山裏少林寺   嵩山山裏 少林寺

面壁九年禅定堅   面壁九年 禅定堅し

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 日本ではダルマさんでしられていますが、禅宗の祖である菩提達磨和尚のことを描かれた詩ですね。

 はじめ達磨大師が南天竺から布教に来た時に、中国の南北朝、梁の武帝は達磨大師と問答を行ったそうですが、武帝は達磨大師の答えに満足をしなかったそうで、「縁が無かった」と悟った達磨大師はその後、嵩山で九年、座禅を組まれたと言われています。
 承句の「君王」はその時の武帝を指しているのですが、その武帝の不明を表すために、承句の「日本では子どもでも親しみを持っているのに・・・・」と導入されたのでしょうが、時空を飛び越えたびっくりするような記述で、後半の具体的な達磨和尚の事跡に対するに、極端な抽象性を狙ったのでしょうか。

2008. 8.20                  by 桐山人



謝斧さんからお返事をいただきました。

 深く考えていませんでした。
 少し疎率でしたか、詩意にかかわることなので変更出来ません。
 反省してます。

2008. 8.21             by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第180作も 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-180

  慧可        

端坐雪中求乞教   雪中に端坐して教へを乞ふを求め

断将左臂見心情   左臂を断ち 将って心情見わる

遂成弟子悟真髄   遂に弟子と成って 真髄を悟り

何厭遭讒生死軽   何んぞ厭わん讒に遭って生死を軽んず

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 こちらの詩は、前作の「菩提達磨和尚」の弟子、禅宗では二祖とされる「慧可についてのものです。

 慧可が少林寺で面壁している達磨大師に弟子入りを求めましたが、断られます。そこで、左の腕を切り落とし、世俗への思いを全て断ち切ったことを示したことで、ようやく認められたと言われています。

 最期は、布教先で対立宗派の讒言によって捕らえられ、即座に処刑されたのですが、その痛ましい事件を結句に置き、前半の「雪中断臂」と重ねることで、慧可和尚の仏法への生き様を象徴させ、印象深くさせていますね。

2008. 8.20                  by 桐山人