2007年の投稿詩 第271作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-271

  晩秋書懐        

屋後荒園若入冬   屋後の荒園 冬に入れるが若く

粉粉落葉薄霜重   粉粉たる落葉 薄霜重なる

季秋残菊紫黄褪   季秋 残菊 紫黄褪せ

亭午好天蒼碧濃   亭午 好天 蒼碧濃し

童子奔場何溌剌   童子 にわを奔るや 何ぞ溌剌たる

老爺炙背独龍鍾   老爺 炙背して 独り龍鍾

孰歳吾魂散冥晦   孰れの歳か 吾が魂 冥晦に散ぜんも

此奴懐裏住氷蹤   此奴懐裏に 氷蹤をとどめん

          (上平声「二冬」の押韻)

<解説>

「氷蹤」:こういう詩語が有るかどうか知りませんが、「一片氷心在玉壺」から作ってみました。

<感想>

 しばらく詩に登場されませんでしたが、お孫さんはお元気なようですね。
 「溌剌」と庭を走り回る子どもの姿との対比で用いられた第六句の「龍鍾」「年老いてやつれた様子」という意味で、どちらも「畳韻語」です。


 前半が「荒園」「落葉」「残菊」と冬をイメージする重く暗い言葉が続きますので、第四句の「蒼碧濃」で突然画面の明るさが変わるという感じがします。
 第三句の「季秋」「小春」にすると緩和されるように思います。

 尾聯はそのまま行けば悲愴な雰囲気が出てくるのですが、「此奴」の語が柔らかさを作り出しているでしょうね。

2007.12.27                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第272作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-272

  書懐        

無端弧杖訪成蹊   端無くも弧杖 成蹊を訪ふ

常使昧蒙融混迷   常に昧蒙をして 混迷を融(ゆう)せしむ

忘却飢時桃李恵   忘却す飢時 桃李の恵み

欲将覆轍答提撕   覆轍を将って提撕ていせいに答へんと欲す

          (上平声「八斉」の押韻)

<解説>

 鈴木先生今晩は。
 いつもお世話になります。

 不肖わたくしは最近人様の作品に対しまして、様々な衒学的な事を申し上げていますが、真意を誤解されないかと思いました。ゆえに一詩をもってわたくしの本心を賦しました。

<感想>

 いつも皆さんの投稿詩に対して、懇切な感想やアドバイスをしてくださる井古綆さんが、皆さんへの思いを語られた詩です。

 創作経験の豊富な井古綆さんも「忘却飢時桃李恵」として、「初心を忘れず」というお気持ちを持つこと、また、ご自身の経験(「覆轍」)を踏まえて皆さんにお答えしたいというお気持ちがよく分かります。
 でも、井古綆さんの「真意」を皆さんが「誤解」することは、今までも無かったし、これからも決してありませんから、ご心配なく。

2007.12.27                 by 桐山人



井古綆さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生お早うございます。
 拙詩に対しましてご好意に溢れる感想を有難うございました。そのご好意に甘えまして詩には表せない、わたくしの本心を述べて見たいと思います。

 わたくしが漢詩の作詩を志したのは、邪道ともとれる“脳の老化防止”のためでした。年月を重ね様ざまな詩句を追求しているうち、故人先賢の心に少しずつ触れ得るような気がいたしました。しかしながら、これはあくまで副次的なことでした。
 これが逆転しましたのは、「嗣朗雅兄玉作中江東樹記念館」の最後に記しましたように、洪儒佐藤一齋ならびに松蔭五条秀麿の七律を拝見し、その不完全な平仄に疑問をもって当館に三度訪問しました。
 佐藤一齋の経歴をしらべた処、江戸時代の昌平黌の教授でした。その洪儒が何故このような詩を賦したのか?
 様ざまに千思万考した後、疑問が解けた時のわたくしの感情は、筆舌に尽くせませんでした。
 まさに眼前の霧が晴れて、その明るい視野の中にわたくしの醜い心がシルエットとなって浮かぶようでした。恥を忍んで今始めて明らかにしますが、その時までは高慢だったと思います。
 若し先賢の詩を高所より見るだけで、瞻仰しなければ永遠に謙遜と言う語を心得しなかったでしょう。諸先賢が不完全な詩をもって非才に人間の心を無言で説いて下さいました。

 “脳の老化防止”と“漢詩を通じての人間性の向上”の主従が逆転したのは正にこの時からです。
 今では時空を越えた、近江聖人、洪儒佐藤一齋並びに松蔭五条秀麿の三先賢には心からの尊崇をしております。

2007.12.28               by 井古綆





















 2007年の投稿詩 第273作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-273

  看月探査機的映像     月探査機の映像を看て   

従月面望青玉球   月面より望む 青玉の球

麗佳神秘映雲流   麗佳神秘 雲流映ず

此星現実瀕危殆   此の星現実 危殆に瀕す

人類営為則大憂   人類の営為 則ち 大憂なり

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 月クレーターを前景として暗空に浮かぶ白帯を纏ったサファイヤーの様な地球を見て、地図や地球儀を見るのとは全く違った奇異な感覚(大きな世界が小球に収まっている)に襲われました。

<感想>

 地球を外から人間の目で眺めるという驚異的な出来事は、1961年の4月12日、ソ連のガガーリン少佐が「地球は青かった」という言葉に象徴されるものでした。
 人工衛星が初めて飛んだのがスプートニク1号で1957年のこと、宇宙からの地球の写真を最初に見たのはいつだったのか忘れましたし、何度も見慣れた写真であっても、真っ暗な宇宙空間に浮かぶ「青玉球」は神秘的な感情を引き起こします。

 そうした宇宙の神秘に感嘆する段階から、全地球的な視野で人類の営みを考える過程へと進んできたのだなぁと博生さんの詩を読み、改めて思いました。

 新しい年には、「大憂」「杞憂」に変わってくれることを希ってやみません。

2007.12.27                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第274作は 鯉舟 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-274

  晩秋        

落葉填庭被薄霜   落葉庭を填(うず)め 薄霜を被(かぶ)り

参三残柿領秋光   参三残柿 秋光を領す

莫遮鳥雀求甘啄   遮(さえぎ)る莫れ 鳥雀甘を求め啄むを

斂手袍中眺矚長   袍(ほう)中斂手(れんしゅ)し 眺矚長し

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 我が家の庭の柿の実は例年収穫せず、野鳥の餌にしております。雀、目白、ひよどりが三々五々飛来して喜んで啄んでおります。その様子を窓から眺めているととても楽しい気分になります。

 結句の「斂手」は「懐手」にしたいと思いましたが、「懐(ふところ)手」は和習のような気がしましたので、「斂手」のままとしました。どんなものでしょうか。ご教示願います。

<感想>

 鯉舟さんから作品をいただくのも久しぶりですね。
 承句の「参三」は「数が多い」ということでしょうか。下三字の「領秋光」は良い表現ですね。
 「懐手」は漢詩の用例としては見ませんね。
 『史記』の「完璧」の話の所で、「懐其璧(其の璧を懐にす)」という表現や「窮鳥入懐」などの例もありますが、自分の身体の一部を懐に入れるという表現は感覚としてどうなのでしょう。
 また、例えば「懐刀」を「懐に入れた刀」ではなく「頼りにする人物」という日本語の意味で用いたり、「懐手」も「傍観する」という意味を持たせてしまうと和習となります。「懐紙」なども同じですね。
 この詩の場合も、鯉舟さんは単に動作としてではなく「何も手を出さない」という気持ちを籠めたいわけですから、やはり和習でしょうね。
 逆に、この時の気持ちを伝える形で、上の四字に「安閑」「安舒」などの語を入れるようにされた方が、下三字の「眺矚長」の動作が生きてくると思います。

2008. 1. 2                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第275は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-275

  偲依羅郎女        

空閨孤枕月如霜   空閨孤枕 月霜の如し

恋恋思君涙万行   恋々君を思うて 涙万行

一片人伝郎不返   一片人は伝ふ 郎返らず

枯骸交貝望家郷   枯骸貝に交じりて 家郷を望むと

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 11月25日、萩友吟社(漢詩創作の会)の女性軍がお隣の益田市へ吟行旅行をいたしました。
 人麻呂神社参拝の後、万葉公園を散策、匹見峡を訪ねて帰りました。

 神社には大きな石碑に人麻呂終焉の歌が刻まれ、そこでいただいたパンフレットに人麻呂の妻依羅郎女よさみのおとめの歌も載っておりました。妻は石見の長者の娘、十七歳〜十八歳位の若妻だったそうです。

万葉の昔を思って二編の漢詩を作ってみました。

   今日今日とわが待つ君は石川の貝と交じりてありといはずやも

<感想>

 歌聖柿本人麻呂の終焉の地については色々な説があり、また、終焉そのものについても諸説があるようで、私も大学生の頃にブームとなった梅原猛氏の古代史関連の著作を読んでは遠く思いを馳せたことがありました。それはそれで古代史や人麻呂という偉大な人物へのロマンでもあると思います。

 解説に書かれた依羅娘子の歌は『万葉集』に収められたもので、「今日は来られるか、今日は来られるかと、私の待つ君は、(火葬散骨されて)石川の貝に交じっているというではないか」(岩波古典大系)という意味です。待ち続けていた良人の死を知らされた気持ちが表れています。

 知秀さんは起句承句で待ち続ける依羅娘子の気持ちを描かれていますが、「今日今日とわが待つ君」という言葉をここまで情感を籠めた句に仕上げたことは、短歌にも堪能な知秀さんならではのことですね。依羅娘子の思いを十分にくみ取った表現で、閨怨詩としても秀句、依羅娘子もきっと満足していることと思います。

 前半の緊張は結句まで保たれていますから、絶句としての完成度も高いと思います。

2008. 1. 2                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第276作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-276

  想柿本人麻呂終焉        

衰残影冷付荒涼   衰残 影は冷たく 荒涼に付す

落莫山腰木葉黄   落莫山腰 木葉黄なり

京洛彩衣還一夢   京洛の彩衣 た一夢

憐君紅頬涙成行   憐れむ 君が紅頬 涙行を成すを

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

   鴨山の岩根し枕ける吾をしも知らにと妹の待ちつつあらむ 



<感想>

 前作は依羅娘子の気持ちを詠ったものでしたが、こちらは良人である柿本人麻呂の終焉の姿とその思いを描いたものです。

 前半は知秀さんがご覧になった実景も合わせてお描きになったのでしょう。終焉を感じさせる晩秋の山景がよく伝わります。
 転句は、都から遠く離れた地で死を迎えた無念さを書かれていますが、これは人麻呂の歌の「鴨山の岩根し枕ける吾」から、作者の思いを読み取った句でしょう。人麻呂が晩年に左遷され不遇な時を過ごしたという見方もあります。単に妻が恋しいというだけでなく、終焉を迎えた時に振り返った人生への思いまで詠み込んだ点に、人麻呂の歌をどう解釈したかを明らかにしようとする知秀さんの工夫が見られます。

 人麻呂の歌の意味を付しておきましょう。
 この鴨山の岩根を枕にして死のうとしている自分を、そうとは知らないで、
   妻がひたすらに待ち焦がれていることであろうか。

2008. 1. 2                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第276作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-276

  寒宵        

流雲嬰月洗塵胸   流雲 月にかかりて 塵胸を洗ふ

半夜勁風揺碧松   半夜 勁風 碧松を揺るがす

破壁蕭然唏現世   破壁 蕭然 現世をなげ

書床展巻闞真宗   書床巻を展べて真宗を闞ふ

          (上平声「二冬」の押韻)

<解説>

 月はこうこうと冴えわたり、雲の動く様を見ていると胸にわだかまるものを洗い流してくれる思いがする。
 夜中、強風に松林が唸っている。
 あばら家に寒気は容赦なく侵入して暗い気分にさいなまれる。
 眠れぬまま寝床に本を広げて世の中の真実というものをうかがってみようか。

(転句が少し大げさな表現になりました。よろしくお願いします。)

<感想>

 起句から重みのある言葉が続いていますので、転句もそれほど大げさとは感じません。ぐいぐいと押してくる言葉の圧力に、仲泉さんの思いが表れているように感じます。
 作者の言いたいこととお使いになっている言葉とのバランスが良く、仲泉さんから投稿をいただくようになって一年半ほどですが、随分表現力がおつきになったと感心しました。

 難を言えば、起句で「塵胸」を「洗」ってしまうと、転句の「唏現世」とのバランスが悪くなりますので、「洗」わないままにしておいた方が良いでしょう。

2008. 1. 2                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第277作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-277

  憶憲法六十年        

不磨大典化虚玄   不磨の大典 虚玄と化し

壯語軍人壟斷專   壮語の軍人 壟断専らとせり

憲法章絛幾心折   憲法の章条 幾心折ぞ

樞庭轍跡九腸縺   枢庭の轍跡 九腸縺る

内稱戍衞盾纔備   内は称す 戍衞 盾纔かに備ふと

外見戎裝矛既堅   外は見る 戎裝 矛既に堅しと

兩可模稜誰頼此   両可の模稜 誰か此れを頼らん

彬彬文質禮尤虔   彬彬ひんひんたる文質 礼 尤も虔なり

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

「不磨大典」: 明治憲法、
「 枢 庭 」: 軍機処
「両可模稜」: どっちつかずの意見、態度
「彬彬文質」: 文と実質とが程よく調和すること

 憲法施行六十年の今年、年頭に「丁亥年頭所懐」、二月に「憶明治憲法」を投稿しましたが、年末の締めくくりとして、繰り返しになりますが、投稿します。

 今春は、賢人?の意見で憲法解釈を変えようと首相の下に諮問機関が作られました。えらいさんの解釈で動くようでは義務教育で憲法は教えられません。
 また、米国の太平洋軍司令部と自衛隊司令部とが同居することに向かっています。外国の軍隊と共同行動をとる非軍隊?
 なんだか軍人と軍属との関係、なさけないなー。

<感想>

 憲法問題に限らず、現代の日本の状況について常に目を配っておられる常春さんの作品は、私の方もいつも心して読ませていただいています。

 戦後生まれの私にとっては、明治憲法は歴史的な存在としてしか捉えられず、「憲法」と言えば現憲法しか頭に浮かばないのですが、確かに、日本という国の歩みは昭和二十年で切断されているわけではないのですね。
 連続する時間軸の中で、過ちを繰り返さないために反省すべき事を反省し、過去の上に現在が在ることを認識することが本来の姿だと思いますが、戦後の民主国家、平和国家を目指す段階で、日本人は過去を切り離して生まれ変わろうとしたように思います。
 しかし、どれだけリセットしても自分の人生は自分で背負わなくてはいけないのと同様、社会も過去を背負ってこその存在のはずです。
 そして、現在、もう一度リセットしようとしている人たちが居るのは、不安をかき立てます。

2008. 1. 2                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第278作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-278

  風早熟田津懐古        

割拠海城天一方   割拠す海城 天の一方

相連七島簇帆檣   相連ぬ七島 帆檣むらが

曽屯此地征韓隊   曽て屯す 此の地 征韓の隊

睥睨豪勇意氣昂   睥睨 豪勇 意気昂し

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

帆檣はんしょう」: 帆柱。
睥睨へいげい」: にらみつけて勢いを示すこと。

風早かざはや熟田津にぎたつ」: 額田王の和歌で有名な熟田津がどこであるかは伊予古代史の謎の一つとされ、今日でも諸説がある。そのうち郷土風早(旧北条市)も有力地とされている。


 古代風早王国(旧北条市)は、東に高縄連峰が三方を囲み、天の下、眼を海に転じれば斎灘(いつきなだ)が西に開け、忽那七島(くぬなしちとう)には海城が配されて、軍船が行きかう要衝の地(熟田津)であった。
 その昔神功皇后三韓征伐の砌、鹿島に戦勝祈願し、また後年斉明女帝もまた百済救援のため、この地で戦支度をしたとされる。遥か朝鮮半島を睨みつけ、その勢いたるやさこそのものであっただろう。(今は穏やかに潮が流れるばかりである。)

<感想>

 額田王の「熟田津」の歌は、松山の道後温泉に御幸された時の歌とされていますが、熟田津の具体的な場所の特定はできないようですね。2007−276作の知秀さんの「想柿本人麻呂終焉」に登場した柿本人麻呂の終焉地とされる「鴨山」の地も、諸説があり特定されていません。
 こういう時は、それぞれに根拠があるわけですから、みんなが「私の所が本当」とするのが適切で、よほどの新資料が出てこない限りは、「どれも正しい」のです。

 ま、それはさておき、今回の詩に関しては、前半の二句は現代の情景なのか、古代の情景なのか、迷いました。転句に「曽」とありますので、普通に考えれば前半は現在の様子になると思いますが、承句末の「簇帆檣」が迷わせます。もう少し、すっきりと分かるようにして欲しいところですね。
 ついでに、その「簇帆檣」は語順としては「帆檣簇」が正しいものです。しかし、漢詩では下三字については押韻の関係で語順を入れ替えても良い、つまり文法を破っても良いことになっています。
 ただ、だからと言うことで「下三字はいつでも文法は無視して良い」と言う人が居ますが、下三字は無法地帯ということではありません。可能ならば正しい書き方を心がけるべきですし、そのための工夫もすべきですので、勘違いの無いようにお願いします。

 承句の「相連ぬ」は「相連ぬる」、結句の「睥睨」は動詞ですので「睥睨す」と読むのが正解です。ただ、「睥睨」は表現としては妥かでは無いと思います。

2008. 1. 2                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第279作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-279

  憶薩州出水郷殉国英霊     薩州出水郷殉国英霊を憶ふ   

盡忠報國賭乾坤   盡忠報國乾坤を賭し

出撃飛機碎作雲   出撃飛機 砕けて雲と作(な)る

賽人無訪鎮魂墓   賽人訪(と)ふ無く鎮魂の墓

只見秋空翔鶴群   只見る秋空 鶴群の翔(か)けるのみ

          (上平声「十三元」・「十二文」の通韻)

<解説>

 先の大戦では数多の将兵また一般の国民が戦陣に散り戦禍に斃れた。
この出水市も海軍の特攻隊基地があったところで、特攻碑公園などもある鎮魂の町だ。
毎年慰霊祭が行われているのだが、普段はお参りする人の姿も残念ながら見られない。
またこの地は真鶴の飛来地としても知られる所で、空にはたくさんの鶴の群れが飛んでいるだけである。
この鶴たちこそは「天翔ける青春」を謳歌する英霊たちの生まれ変わりに私は思えてならないのである。

「薩州出水郷」: 鹿児島県出水(いずみ)市

<感想>

 出水の鶴については、これも知秀さんが2007年の投稿詩臺43作で「(新年漢詩)訪出水鶴」として書かれていましたね。
 サラリーマン金太郎さんは、鶴に託して特攻隊の事実に目を向けたものですね。

 特攻という、人の命の重さを考えない攻撃方法は、百年後や千年後の人たちには理解も想像もできないことかもしれません。私たちは現実に存在したことを知っていますから、例えば承句の「出撃飛機砕作雲」という表現もある程度受け入れられますが、冷静に見れば、とんでもなく冷淡な表現とも言えます。そして、その冷淡さが実は悲惨さをより感じさせるという効果になっているのは、作者の計算の中に入っていることかもしれません。

 通韻、粘法が守られていない拗体の詩です。各句の頭が全て仄声になっていますが、これは避けるべきで、どこかの句頭を平字に換えましょう。

2007. 1. 2                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第280作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-280

  転居偶感        

芙蓉窈窕樹扶疎   芙蓉は窈窕 樹は扶疎

習習薫風度雨余   習習たる薫風は雨余に度る

来燕営巣運泥土   来燕は営巣 泥土を運び

詩人脱帙曝書魚   詩人は脱帙 書魚を曝す

馳思旧屋多休戚   旧屋に思いを馳せれば休戚多く

移榻新陰趁往初   新陰に榻を移して往初を趁ふ

毎友煙霞友花鳥   毎(つね)に煙霞を友とし 花鳥を友として

消光韜晦愛吾居   消光 韜晦 吾が居を愛す

          (上平声「六魚」の押韻)

<解説>

「書魚」: 本の紙魚
「休戚」: 喜びと悲しみ
「往初」: むかし、分解すればむかしとはじめ
「韜晦」: 私ごときに使用する語ではないが、あえて使用した

 五六句は流水対のつもり

<感想>

 井古綆さんのこの詩は、2007−159作、謝斧さんの「書窓送春」に次韻なさったものです。

 頷聯の「来燕」「詩人」は、この二語だけの対で考えても脈絡はないのですが、句全体で見れば、「燕」は巣作り、詩人は本の虫干しということで両者とも初夏の風物を示していますね。

 尾聯は俗塵を離れたゆったりとした心境を述べていますね。井古綆さんは謙遜なさっていますが、「韜晦」「自分の才能を周りに示さない」ということで、学問や才能のある人がひっそりと暮らす趣を出しています。
 「消光」「ぶらぶらとのんびり暮らす」ことですが、これは日本語用法かと思います。

2008. 1. 3                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第281作は 翠葩 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-281

  冬至遊水尾里     冬至に水尾の里に遊ぶ   

満眸佳景領秋光   満眸の佳景 秋光を領し

水尾山村橘柚香   水尾の山村 橘柚香ばし

偶到得知南至節   偶たま到り 知り得たり 南至節と

習風頑守浴芳湯   習風頑に守りて 芳湯に浴す

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 ゆずの里水尾に遊び、土地の人に「今日は冬至です」と聞く。
 柚子の香は村中に漂い、湯浴みの客が多く訪れていた。
 自分も習風にしたがい、中風避けに芳ばしい湯にいり、得心の一日でした。

<感想>

 冬至は一年中で最も昼が短い日となりますが、逆に見れば冬至から日はどんどん長くなるわけで、古来から陰が窮まり陽が起こり始めるという「一陽来復」の日として祝われていたようです。
 転句の「南至」も太陽が最も南に来る(低い)日ということで、冬至と同じです。
 日本でも、冬至の日には「カボチャやコンニャクを食べると中風除けになる」とか、「ゆず湯に入ると風邪を引かない」とか言われますね。

 この詩では結句の「頑守」がとても味わい深いと思います。「頑」なのは習風を守ることではなく、冬至を祝う心を指しているもの、それは古来から自然や季節に対して人々が抱いてきた暖かい想いです。
 迷信だとからかったり、科学的な成分分析による薬効がどうのこうのとか、そんな現代人の面倒くさい考えをばっさりと捨てて、人々の暮らしの息吹を感じ取る喜びと精神のたくましさが、翠葩さんの「頑守」の字からは感じられます。

2008. 1. 3                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第282作は 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2007-282

  送年一醉        

老殘難斷慕情多,   老残 慕情の多きを断ち難く,

春晝秋宵養宿痾。   春昼 秋宵に宿痾を養ふ。

花下風流流感涙,   花下の風流に感涙を流し,

月中香夢夢仙娥。   月中の香夢に仙娥を夢む。

隣家孀婦無回話,   隣家の孀婦に回話へんじなく,

酒店狐狸有返歌。   酒店の狐狸に返歌あり。

歳暮叩門求一盞,   歳暮に門を叩いて一盞を求めれば,

錢包奏效瞼波和。   銭包さいふ 效を奏して瞼波いろめ和む。

          (中華新韻「ニ波」の押韻)

<解説>

「宿痾」:積年の病。
「孀婦」:寡婦。
「回話」:現代中国語で返事。
「狐狸」:キツネ。
「返歌」:和歌における返歌。
「錢包」:財布

 読み下し文中、現代中国語で漢和辞典に収録されていない言葉の音読は、日本語でのわかりやすさを考え意読しています。
 老いてもなお多感・多情でありたいという願望を詩にしたものとお読みいただければ幸いです。

<感想>

 老と病の二つが手を取り合うように押し寄せてくることを実感するのは、やはり一年の終わりでしょうかね。
 花の美しさや散りゆく哀しさに心を動かし、人を愛することや別れを嘆くことに敏感であること、それがまさに「多感・多情」であるわけです。そうでありたいというのは、詩人として、また人間としての当然の願望だと思います。
 現実には「花下風流」を味わう余裕も無い生活であっても、あるいは「夢仙娥」ことも叶わぬ苦境に居ても、だからこそ「多情」を求め、それを維持することが大切だと思います。

 詩の後半からは「仙娥」の方面が専らになりましたが、「風流臭くしぼむようには終わらないぞ」というところに、詩に対しての、あるいは人生に対しての、鮟鱇さんの意地と意志と願望が表れていますよね。

2008. 1. 3                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第283作も 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-283

  歳暮酬吟        

茅齋半壁點寒燈,   茅齋の半壁に寒燈ともり,

詩債如山雪滿城。   詩債 山の如く 雪 城に満つ。

老骨遊魂追昨夢,   老骨 魂を遊ばせて昨夢を追へば,

酒功仍舊促吟情。   酒功 旧にりて吟情を促す。

獨呵凍筆沾香墨,   独り呵す 凍筆の香墨にうるおふを,

再冩美辭稱友生。   再び写す 美辞の友生を称えるを。

自知才短依窗戸,   自づから才の短きを知り窓戸まどに依れば,

庭前幽景四無聲。   庭前に幽景 四もに声なし。

          (中華新韻「十一庚」の押韻)

<解説>

 台湾で日本語で作句している俳人黄靈芝先生提唱の漢語俳句、湾俳を試み、

 半壁寒燈,詩債成山雪滿城。

 という句を得ました。
 その下句「詩債成山雪滿城」が気に入り、七絶にしましたが、ちょっともの足りなくて七律に作り直しました。「詩債成山」は詩では冒韻になるので「詩債如山」。

 拙作、律詩としていちおうは調っていると思いますが、内容がどうも平凡。
 そこで、その平凡を削っていくと、結局は湾俳十一字でよいように思えます。
 字句の推敲には答えが出しにくいところがありますが、同じ詩題で異体を作り比較をすると、自作の出来具合がより明瞭に見えくるように思えます。

<感想>

 「結局は湾俳十一字でよい」というのは、経験的に実感できる言葉です。
 あれこれと言葉を並べて議論したり、説明をしたりしても、最後に「結局は・・・・」の一言で全てが終わってしまうこともありますし、自分の心は百万言を費やしても説明しきれないもどかしさ、恋愛なんて「好きだ」の言葉以外は全て無駄な言葉に思えるのにやっぱり果てしなく書いてしまう言葉たち。
 でも、そういう無駄な言葉やそれに費やした時間が実は大切なのだと思います。

 鮟鱇さんが平凡だと感じてしまうのは、やはり贅肉をそぎ落としたはずの「半壁寒燈,詩債成山雪滿城」の佳句に、もう一度贅肉をつけているという意識が働くからでしょう。
 この句から更に何か発展したり、連想が広がったということが無いと、先に湾俳十一字が存在している限りは苦しいですよね。何となく、弟子が師を越えるには、みたいな感じですけど。

 ところで、「半壁」は部屋の壁だったんですね。私は「半壁寒燈」を山の中腹の一軒家の灯りかと最初思っていました。


2008. 1. 3              by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第284作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-284

  歳晩偶成        

故友追懐書賀詞   故友追懐 賀詞を書す

光陰如矢鬢絲知   光陰矢の如く 鬢絲知る

逝川不返常多悔   逝川返らず 常に悔い多し

世事蒼惶歳晩時   世事蒼惶 歳晩の時

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 賀状を書いていると浮かぶ級友の若い面影
 今は同じように年老いて居るだろう
 時の移ろい
 年末ともなれば感慨もひとしお

<感想>

 年賀状を書きながら、友の顔を思い出すという風情は、現在のワープロ全盛の中でいつまで残るのかと不安がありますね。
 先日授業中に、年賀状の宛名を手書きしている人を尋ねたら、教室でわずかに一人だけでした。裏面の方は一枚ずつ手作りの人もいるし、印刷で作ったものでも手書きで一言は書き添えるという人がまだ半分くらいの割合で残っているようですが、宛名印刷はどうもワープロ頼みが圧倒的に多いようです。
 自分でも使っていて言うのは変ですけれど、そのワープロ活字の宛名に最初は何となく違和感があったのですが、最近は出すのも貰うのもすっかり慣れてきたなぁと思います。

 博生さんの詩の方ですが、起句は「故友」が主語となりますので、意味としては「友人が追懐して、賀詞を書いている」となります。「私」を主語とするのならば、「故友追懐」の語順でないといけません。
 しかし、主語を友人だとしても、起句は解釈できますし、趣の異なった詩になると思えばよいかもしれません。

 転句から結句の感懐は、具体性があまり無いので、今一歩共感がしにくい状態です。できれば、博生さん個人が感じられるようなことを述べられると深まると思います。

2008. 1. 3                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第285作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-285

  謝糟糠妻        

荊妻真意是糟糠   荊妻の真意は是れ糟糠

応分貧家菽水常   貧家に応分して菽水は常

違背唱随唯一点   唱随に違背するは唯一点

軽聴労作蔑詩狂   労作を軽く聴いて詩狂と蔑す

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

「荊妻」: 自分の妻の謙称
「糟糠」: 酒かすとぬか、ここでは糟糠の妻
「菽水」: 豆と水、粗末な食事
「唱随」: 夫唱婦随

<感想>

 この詩も井古綆さんから随分以前にいただいたものです。鮟鱇さんの「偶成」の詩で、奥さまのことをどう表現するか、という話題がありました。
 一年のしめくくりとして、妻への感謝を述べるというのも大切かと思いますので、ここに掲載しました。

2008. 1. 3                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第286作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-286

  丁亥除夜偶感  
    次韻 安達漢城老師『除夜』作      

七十餘齢鬢髪殘   七十 餘齢 鬢髪 殘す

挑燈獨坐歳將闌   燈を挑して 獨り坐す 歳 將に闌ならんとす

仰天無愧先賢賦   「天を仰いで 愧づること無し」先賢の賦

莫悔我懐唯自寛   悔ゆること莫し 我が懐 唯だ自ら寛なり

          (上平声「十四寒」の押韻)

<感想>

 兼山さんのこの作は、題注に書かれたように、安達漢城氏の『除夜』の詩に次韻されたものです。
その詩をご紹介しておきます。

    除夜
  書燈一穂歳將殘
  兀坐閑吟夜已闌
  七十四齢如幻夢
  仰天無愧我懐寛

 元詩の「仰天無愧」に心惹かれ、安達漢城氏への敬意を籠めて次韻されたのでしょう。
 年末らしい感慨がよく表れていると思います。

 次韻の際に気をつけることなどのご質問が兼山さんから投稿時にありましたので、井古綆さんに日頃どんな形で作っていらっしゃるのかを尋ねました。懇切丁寧なお答えをいただきましたので、次の287作で紹介させていただきます。

2008. 1. 3                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 兼山雅兄今晩は。
 曾て拙詩「題咸宜園」において雅兄が次韻について仰いましたが、初めて雅兄の玉作を拝見いたしました。
 雅兄と先賢安達漢城とは時代が異なるものの、古希を過ぎた一人の人間の考えは、そんなにも変わるものでは無く、この次韻の玉作に詩意のすべてが現れております。
 鈴木先生のご感想にそのすべてが語られてありますので、わたくしが付け足すことは何もありません。佳詩であると思います。

 この次韻によって(わたくしもそうでしたが)今後の詩想に進展が有りますようにお祈りいたします。

2008. 1. 3            by 井古綆





















 2007年の投稿詩 第287作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-287

  望比良積雪        

宛似鵞毛漂漾輕   宛ら鵞毛に似て 漂漾して軽く

模糊銀嶺一望平   模糊たる銀嶺 一望平らかなり

勿乖天惠論豪雪   天恵に乖いて 豪雪と論ずる勿(なか)れ

朱夏水源看此生   朱夏の水源 此に生ずるを看る

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 我々が住んでいる近畿地方は、水源を琵琶湖に頼っていて、毎年夏季には水不足で悩んでいます。
近年暖冬で積雪も少なくなり、琵琶湖の漁業に従事されている方々は、我々以上に、漁業に深刻な事情があります。
 素人ながら解説しますと、湖水は多くの河川の流水によって水の対流が生じ、湖底に酸素の供給を行われますが、夏季、融雪水が少ない場合には、湖底に酸素の供給が行われず、魚類の減少が危惧されています。
 これは琵琶湖を研究されている学者が行った実験結果の意見です。地球の温暖化現象がここにも影響しています。
 この詩では生活用水のみに、焦点を当てて作詩いたしました。

 さて、鈴木先生から次韻の留意点についての解説依頼をいただきました。わたくしのこの作を皆さんのご参考になればとお示しし、次韻の思いをお答えさせていただきます。

 この詩については、まず次の詩を読んでみてください。

     掃雪
  雪比落花殊不輕   雪は落花に比して殊に軽からず
  半庭掃得半庭平   半庭掃き得て半庭平らかなり
  緑芽掀土是何草   緑芽、土をあぐる、是れ何の草ぞ
  春自帚痕多處生   春は自から帚痕多き処より生ず

 前半の起句承句は情景描写であり、一読のみでは後半の転句結句も前半の続きで只の情景描写であるに過ぎません。しかし、これを熟読すれば、結句に人生訓を詠出しているように感じませんか。
 こうした作は熟練を経た作者でないと、作ることは出来ません。この作者は“絶句竹外”と当時絶賛された「藤井竹外先生」の玉作です。

 次韻を志す前の問題としては、元の詩を完全に理解しなくては、次韻を“させて頂く”資格はありません。
 これが次韻をする詩人としての心構えです。
 わたくしはある所で、「わたくしは今後、藤井竹外先生のこの詩意に及ばずながら、私淑させて頂く心算である」と高言をいたしましたが、これは先賢に一歩でも近づきたい爲の自戒の心の表現です。
 とはいうものの、なかなか先賢には遙かに及ばず苦吟しています。

 最近の世情を藤井竹外先生の玉韻を以って次韻しましたのが、今回お示しした「望比良積雪」です。

 いままでに何首か次韻などをしてまいりましたが、元のお方の玉作の詩意を理解して作っています。元の詩が主であり、次韻は從であると思います。ですから主を越えないようにするのが常道ではないかと思います。
 また、先賢の詩に次韻させていただく時には、失礼のないように「謹次韻」と記すとか、内容としても先賢に失礼のないようにすることが詩人としての礼儀だと思います。
 このように先賢には尊敬の念を、雅友には親愛の情で接するのが次韻であり、間違っても元の詩より俺のほうがすぐれていると思うようでは、次韻する資格はないと思います。

 多くの方が気軽に次韻を楽しむようになれば、連帯感も生まれ、非常に良いこと思います。

<感想>

 韻を和する作法ということですが、現在では「次韻」は元詩の韻字をそのままの順序で使う、「用韻」は韻字はそのままで順序を替える、「和韻」は同じ韻目中の字を用いる、という違いがあります。
 しかし、唐以前は「詩を和す」と言っても韻を合わせることもしなかった、ということですので、形式的なことよりも、相手の詩をどのくらい敬うかがポイントだろうと思います。
 相手の詩に勝負をするのではなく、相手の詩心を理解し、時と感動を共有する気持ちで作ることができると、漢詩創作も一層楽しみが増すでしょうね。

2008. 1. 3                 by 桐山人






















 2007年の投稿詩 第288作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2007-288

  書懐        

不圖弧杖訪成蹊   図らずも弧杖 成蹊を訪ふ

常使昧蒙融混迷   常に昧蒙をして 混迷を融せしむ

聲價周流無長幼   声価周流 長幼無く

文才盍簪自東西   文才盍簪こうしん 東西よりす

日澆睡樹天恩普   日は睡樹に澆いで 天恩普く

雨澤芳園地徳斉   雨は芳園をうるほして 地コ斉し

忘却飢時桃李惠   忘却す飢時 桃李の恵

欲將覆轍答提撕   覆轍を将って提撕に答へんと欲す

          (上平声「八斉」の押韻)

<解説>

 272作に投稿しました「書懐」につきまして、その後、この絶句を律詩に改めようと思いました。
 自画自賛ながら一応起承転結は整っていると思いますので、これを律詩にするには起承と転結の中に、二聯の対句を挿入した方が良いと思いました。

 話がそれますが、NHKのラジオ放送では今年度から講師の先生が変わり「宇野直人」先生になりました。まだお歳が若いのにも関わらず、確信に満ちた講義をなさいます。
 今年度後半は杜甫を講義されています。律詩を作る方法には二種類あり、一は今わたくしが申し上げている真ん中にサンドウイッチのように前後を包む方法を取っていると講義されています。
 拙詩「書懐」もそのように作りました。他の方法は一貫して作りますが、起句から作っても必ず結句の到着点は想定していなくては成りません。わたくしの作では、「菅原道真公」はサンドウイッチ方式で賦し、「偉人平田靭負公」は結句から作りました。
 律詩を志す諸兄のご参考になればと思い、投稿しました。

「不図」: 絶句では無端でしたが、第三句に「無」が重出のため、「不図」に変更。
「成蹊」: “桃李言わざれども下おのずから蹊(みち)を成す”。第七句の桃李に呼応する。
「声価周流」: 鈴木先生のこのホームページの名声が普く知られていること。
「盍簪」: 盍は合う、簪は“はやく”の意。この場合の簪は仄韻。最初は「広集」としていたが改めた。
「睡樹」: 我々詩を学ぶ者にたとえる。
「芳園」: 鈴木先生のこのホームページにたとえる。
「天恩地徳」: 鈴木先生の日常の教えにたとえる。
「提撕」: 後進者を教導すること。

なお三四句は流水対になりました。

<感想>

 2007年も多くの方から投稿をいただきました。本当にありがとうございました。
掲載が遅れたり、勘違いな感想を書いてしまったり、ご迷惑ばかりをかけた一年だったように思います。それでも、体調をご心配くださったり、「掲載は都合の良い時にどうぞ」と心配りいただいたり、皆さんの温かいお気持ちに助けられました。
 感謝、感謝の思いばかりです。

 2007年に投稿いただいた詩につきましては、この井古綆さんの詩を持ちまして掲載を終了させていただきます。
以後は、また2008年の投稿詩としてスタートしますので、よろしくお願いします。



2008. 1. 5                 by 桐山人