「俗語について」・・謝斧 さん(2005.2.5)

『白氏文集』を読みますと、よく詩句の解説に当時の俗語であると説明があります。
また宋の『蘇東坡詩集』にも当時の俗語が使われています。
 我々が詩を作る場合、唐や宋の俗語を使用してもよいのでしょうか、今までは気にしながらも使用していましたが、御存知の方はご教示下さい。










































「身体髪膚」について教えて下さい・・M さん(2005.2.10)

 誠にぶしつけで申し訳ありませんが、次の漢詩(だとおもいますが)を教えていただけませんでしょうか。

   身体髪膚之父母に受く  疵つけざるを孝の始めとなす

 といった意味だそうです。
  こういった漢詩をご存知でしたら是非教えていただきたいのですが。

  よろしく御願いします。
私から差し上げたメールです。
今晩は
ご質問のメール拝読しました。

「身体髪膚之父母に受く  疵つけざるを孝の始めとなす」

 この言葉は漢詩ではありません。中国の古典である『孝経』の中に書かれているもので、「身体髪膚 之を父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり(身体髪膚受之父母、不敢毀傷、孝之始也)」というものです。
 意味は、「我々の身体は、全て父母からいただいたものである。どんなことがあっ ても損なわないようにすることが『孝』の始まりである」ということです。
 『孝経』は儒教の理念である「孝」を説いたもので、戦前まで日本の道徳の基本書物として扱われていた経緯があり、その中の言葉を引用されることがしばしばあります。とりわけ、道徳や倫理に関わる場面で登場することが多いように思います。

 ご質問への答はこれでよろしいでしょうか。できましたら、この言葉を調べようと思った理由などを教えていただければ有り難く思います。

お返事をいただきました。
 ご挨拶が遅れまして失礼しました。
 また、今回は小生のご質問にご丁寧にご返事を頂きまして、御礼申し上げます。

 私は福岡市在住。年齢は58になったばかりでございます。
 今回の件は、実は私の老父(84歳)が趣味の一貫でいろいろ短編随筆に投稿しており、表現句に用いたくいろいろ本を読んだりした中で、今の自分の状況
 ・・昨年末、元気に過ごしていたのにヘルニアをわずらい2ヶ月ほど入院を余儀なくされ、なんとか手術も成功し無事復帰・・
 を何かに投稿したくて引用したいらしく私に調べて欲しいと要請されたものでございます。

 ご親切にご教授いただき誠にありがとうございました。父からもよろしくとのこと、重々御礼申し上げます。





















「注釈無ければ無意味」・・冷月さん(2005.5.31)

 前略、初めて貴ページを拝見。
 特に「新年漢詩」の出来映えは素晴らしいと感じましたが、それらの漢詩に注釈が付いてないのは何故?
 誰にでも解りやすく親しみをもってもらうには、それも又必要ではないかと思う。漢詩を知っている者だけ解ればそれで良いと云うふうでは、いくら良い作品でも意味が通じなければ、ただ漢字を並べているだけの事で、無意味であると思う。
 誰にでも解りやすくすべし。
 注釈をつけるべし!

私からさしあげたメールです(一部加筆)
 丁寧に当ホームページをご覧下さり、ありがとうございます。
 新年漢詩に注釈が無いのは何故か、ということですが、冷月さんが仰る「注釈」というのは他の投稿詩に添えている私の「感想」のことでしょうか。
 作品の「解説」については、作者からの指示があれば、新年漢詩でも一般投稿漢詩でも載せています。主宰である私の方が勝手に注釈を添えることはしていません。(どうしても必要だと判断した時は書き加えますが)
 これは、作者の意思を反映したいということからです。
 そして、一般投稿詩では、漢詩にそれほど詳しくない方でも理解しやすくなるようにと意識して、「感想」のコーナーを書いています。

 冷月さんがご不満をお持ちなのは、恐らく、新年漢詩に「感想」が書いてなくて、ぶっきらぼうに並べているだけじゃないか、ということではないかと思います。

 新年漢詩につきましては、当初から「感想」は書かないつもりで始めています。一般投稿のコーナーをご覧いただくとお分かりになると思いますが、「感想」では、表現や文法、平仄や押韻などで気の付いた点があれば、どうしても指摘することになります。しかし、新年漢詩は、その性格上、年賀状に用いておられる方も多く、新年の挨拶としてすでに送ってしまった漢詩について、後で「ここの表現はどうだろうか」などと公開されるのは、宜しくないと私は思うからです。
 結果的には「漢詩を知っている者だけ解ればそれで良いと云うふう」になってしまっているかもしれませんので、そこはご指摘の通りです。しかし、新年漢詩に限っては、私はそれでも良いと思っています。今後も新年漢詩については、せっかくのご意見に対して申し訳ありませんが、変更する予定はありません。

 「誰にでも分かりやすく、親しみをもってもらう」ことは何よりの希望ですので、それは新年漢詩以外の部分で果たしていきたいと思っています。その点で不十分な点をまたご指摘いただければ、精一杯取り組ませていただきます。

 ご意見、ありがとうございました。





















「縦書き・毛筆にならないか」・・Oさん(2005.6.12)

 前略失礼いたします。
 私は漢詩が大好きなのですが、漢文や漢詩を勉強したことが無いので読めない漢字があって困っています。
毛筆の練習に漢詩の手本使っています。
漢詩は読むだけではなく、こんな綺麗な字が書けたらなーと見て楽しんでいます。

 このホームページを見て感じたことは、字が活字で小さく読みづらい事です、又ふりがなも付けて欲しいものです。
 もう少し大きな字で、縦書きの毛筆にならないものでしょうか。

 勝手なお願いで申し訳ありませんが宜しくお願い致します。



「漢詩の読み下しに振り仮名を付けて欲しい」というご要望は、Oさんだけではなく、同じ気持ちの方も多いと思います。
 ホームページへの記入を私はテキストエディターを使っていて、一般のワープロやホームページエディターを使っていません。タグと言われるHTML言語(ホームページ用の言語)で直接書いているものですから、振り仮名(ルビ)も専用のコマンド(命令文)で入力しています。
 ということで、全ての漢字についてルビを振るということがなかなか時間の関係でできません。すみません。読み間違いの恐れがある場合や、普段あまり目にしない読み方の場合にはできるだけつけるようにしていますが、十分ではないことをお詫びします。
 できるだけつけるように心がけます。

「字が小さい」ということにつきましては、1ページにできるだけ多くのことをまとめようとするために、見づらくなっているかもしれません。
「ツールバー」のところの「表示」をクリックしていただいて、「文字のサイズ」というところでお好みの大きさに変更していただくと、文字は大きくなります。ただ、横や縦の表示がずれたりするかもしれません。ご自分の一番読みやすい大きさにされるとよいでしょう。
 私の方は、画面設定は「1024×768」の大きさで、「文字のサイズ」は「小」で収まるように組んでいます。

「縦書き」「毛筆」は、申し訳ありませんが、現在の所、取り組むだけの時間が取れません。『お薦め漢詩』で何編かの漢詩は画像として縦書き表示をしていますので、御覧になっていただければと思います。






















「律詩について」・・謝斧 さん(2005.10.22)

 律詩は大変難しく、少し無理のある詩形です。
 対句の解釈も唯だ並列関係で同じだから従属関係で同じだからといって可不可を論じる人がいますが、それは単に必要条件であります。律詩の頷頚聯に対句を用いるにはそれなりに効果を得るからです。
 意味の上では合掌體は稚拙とされて、よくありませんが、声律的にははっきりと対句と分かるように詩作するべきだと思っています。

 吟社等では律詩を投稿する人が少なくなっていますが、掲載されている律詩を見ると、対句として破格なものが多いようです。対句を用いても対句かどうか分からなければ、対句の機能は果たせません。
 例えば、数字の対句であれば、ともに数字を用い、色彩の対句であれば、ともに色彩を用い、双声畳韻せあれば双声畳韻を用いるべきです。ただ、合掌體にならないよう工夫をします。
 その為には、対句の拘束を避けるべく、平仄を犠牲(拗體)にします。これを呉體と呼び、杜甫の詩に多くみられます。

 例として(律詩研究より 著簡明勇 国立台湾師範大学国文研究所)
@二六不対(六字目破格)を六字目孤仄にして拯けたもの
○○●●○●● ●●○○○●◎ 明光起草人所羨 肺病幾時朝日辺   十二月一日 杜甫

A二六不対(二字目平破格)を一字目を仄にして拯けたもの
●○○○○●● ●○●●●○◎ 去年登高!縣北 今日重在※江濱   九日杜甫 
! 妻+阜  ※三水辺+立+口

B二六不対(二字目仄破格)を三字目を平にして拯けたもの
○●●●●○● ●○○○●●◎  炙背可以献天子 美芹由来知野人  赤甲杜甫

C仄三連を平三連で拯ける
●●○○●●● ○○●●○○◎

D六字目の孤平を六字目の孤仄で拯ける
○○●●●○● ●●○○○●◎
























「挟み平で生じる孤平について」・・庵仙 さん(2005.10.28)

 庵仙です。
 先日の下手な作品に評を戴きありがとうございました。誰に学ぶこともなく、一人で本を読んで得た知識をもとに漢詩を作り、また一人で直しています。漢詩に強い人にも巡り会えず、人を通しての知識がないまま今日になってしまいました。ですから、鈴木様にご指導を戴くことはまことに嬉しい限りです。
 七言絶句の「転句」で、挟み平に伴う孤平の指摘がありましたが、そんなこと(孤平が許される)を書いた本があったと覚えていたからです。

 平起法の一般形 ●● ○○ ○●● または ●● ●○ ○●● 
  変形すると   ●● ○○ ●○● これがよいとされている。

 しかし、変形 ●● ●○ ●○● これは四字目が孤平となるので「だめ」ということになるが、実際は字面が孤平であってそれを変形したものとして「よい」というように書いてあった。実例を探してみると、その例がいくつかある。

例 白楽天の「読老子」(七言絶句)の三句目は
  若道老君是知者  は ●● ●○ ●○● となっている。

例 杜甫の「柚樹為風雨・・・」(七言排律)の三句目は
  誅茅卜居総為比  も ●● ●○ ●○●

例 杜甫の「酔歌行」(七言排律)の三句目は
  総角草書又神速  も ●● ●○ ●○●

例 高適の「夜別韋司士・・・」(七言律詩)の七句目は
  莫怨他郷暫離別  も ●● ●○ ●○●

と、例は限りない。

 大分前に読んだので、いまその本を探しているところです。家にあった本であろうと思いますが、見つけましたらまた連絡したいと思います。
 孤平の例外としてのこれらのことをどう考えたらよいでしょうか。



 四字目の孤平が厳禁ということは、これはどの本にも書かれていることですので問題はないのですが、仰るように、挟み平に伴って生じる孤平をどう考えるか、ということですね。

 太刀掛呂山先生は、「誰にもできる漢詩の作り方」の中で、次のように書かれています。
 ただ、七絶でも五絶でも○●●の下三字は●○●に換え得る。その際孤平にならぬように気をつけねばならぬ。孤平というのは七言の第四字と五言の第二字とであって七言の六字目や五言の四字目をいうのではない。
 と書かれています。
 ただ、太刀掛先生もこの「挟み平に伴う孤平」には疑問を持っておられたようで、『呂山草堂詩話』には、昭和十五年に岡崎春石翁に対してこの件で質問をしたという記述もあります。
 そして、結論として、転句に(四字目の)孤平が生じるのは、平起りの平仄式の下三字句の、○●●を●○●にしたときにのみ生じるのであって、他には生じようがない。その時には、この孤平は許されるのであると覚えておいてよい。
 とされています。

 齋藤荊園先生の『漢詩入門』(大法輪閣)では、p231で
日本人がよく犯す孤平は七字目が仄である句(転句または仄韻の句)が平句であるとき犯す六字目の孤平である。これが仄句の場合なら、三字目、四字目が続いて平字であれば問題はない。
 甲  △●△○○●●(正しい律句)
 乙  △●○○●○●(可)
 丙  △○△●●○●(不可)


とされています。
また、「第四章 韻律の本質」(p.182)で、
七言の律句  末字仄の場合
 末尾の三字を●○●と変えるのである。孤平のように見えるが、その前の二字(第三字と第四字)を平とすることによって救われるわけ。

とされています。

 二人の先人の文章を引用しましたのは、誰かがこう言っていたということではなく、結論が明解に出ているわけではない、ということをお伝えしたいからです。
 そして、明解でないならば、自分で納得できることを守るしかないのだと思います。
 私は、齋藤先生が「上の二字を平とすることで救われる」というお考えが一番すっきりしました。下三字○●●は●○●と同じだと言われると、内心「それでも孤平には違いないだろう」と違和感があったのですが、その前の二字との相関で救われると聞くと、「孤平だけど許してやれよ」と諭されているような気持ちになります。
 七言句では、四字目以外は孤平を厳しく言わないのが通例で、だからこの六字目の孤平も無視していいかのように扱ったりもしますが、孤平が無い方が望ましいのだと私自身は思っています。だから、この挟み平に伴う孤平の場合には、△●●○●○●と孤平が二つも並ぶことから見て、美しくないんですね。

 もちろん、だからと言って、「全ての孤平を許さない」というような狭量なことを言うわけではありませんが、四字目の孤平については、できるだけ避けたいという気持ちです。
 同じ事は、冒韻についても言えますので、投稿詩の感想などでもその点をつい書いてしまい、後でご質問を受けることがありますが、私はそんな気持ちでいます。皆さんのお考えもお聞かせください。

        by 桐山人

























「冒韻について」・・謝斧さん(2006. 1. 9)

 鈴木先生はよく冒韻の事(句頭の全平や全仄もですが)を言われます。

 我々の吟社も以前話題にしたことがあります。然し、あまりにも用例がありすぎますし、根拠も確かではありませんので看過しています。
 それ以外にも五言の四仄一平 ●●●○● もあります。これは、排律のみ不可としています(漢詩作法 宮崎鉄城)

 私見ですが、全平や全仄を咎めますと、平頭(出句と落句の各対応する句は上入去平の同声は忌みます)や蜂腰(五言の二字目と五字目の同声は忌む)鶴膝(五言の五字目と十五字目の同声は忌む)齟齬病(二三四字目中の二字連続の同声は忌み、特に上は斬首刑入去は絞首刑)等、枚挙にいとまがありません。
 どこかで線引きが必要です。
 冒韻は大韻(触絶病)発展されたものと思われます。


 このお手紙は投稿ということではなかったのですが、丁度良い機会ですので、掲載させていただきました。
























「古典の効用」・・慵起さん(2006.2.7)

 二年半ほど前から、詩吟を習っております。その教室に、不佞に一年ほどおくれて、女性が入ってきました。彼女が詩吟を習おうと思った理由がふるっていて、
「カラオケが大好きなのだが、なかなか声が出ない。詩吟の発声を勉強すれば、もっとカラオケが上手になると思って」というものでした。
 最近、彼女と話す機会があり、何気なく、
「カラオケは、やっていますか?」
 と、たずねたところ、
「やめました」
 との答え。
 ビックリして、
「どうしてやめたんですか?」
 と、重ねて問うたところ、
「カラオケで歌う内容は、ほとんどが好きだの、別れたのだの、男と女の色恋でしょ。詩吟をやり始めてから、だんだん、そういう歌を歌うのが恥ずかしいというか、馬鹿馬鹿しくなってきて……」
 と答えます。

 ハッと気づきました。
 詩吟が吟じる漢詩は、中国の杜甫や李白にいたっては約1200年前、わが国の頼山陽にしても約180年前、乃木希典にしても約100年前の作品です。
 すべて、時間というフルイにかけられ、生き残った古典です。その内容には、やはり重みがあります。
 やはり、古典に触れることには、一種の効用があるということではないでしょうか。人間をちょっぴり「高尚」にするのかもしれません。
 もちろん、現在カラオケボックスで歌われている歌の中にも、100年後にも生き残り、古典になるものもあるのでしょうが。

 漢詩に触れることで、人が「ちょっと変わった」という例を身近に体験したので、お知らせするしだいです。
 もちろん、教育の現場にいらっしゃる鈴木先生は、古典の教育効果はよくご存知だと思いますが、「中年の女性でもちょっと変貌した」例は、おもしろいかなと思いました。

























「漢詩の規則の基準について」・・桐山人(2006. 2.11)

 謝斧さんの仰る通り、線引きをどこでするか、はいつも悩んでいるところです。それぞれの方に思いがありますし、誰もが最初に教わったことからはなかなか抜け切れない面もあります。

 私の場合も、最初に漢詩の手ほどきを受けた先生が、詩の規則に対して非常に厳しい方で、とりわけ「句頭の全平や全仄」を気にされる方でした。また、漢詩の教則本も戦前に発行されたものを初めの頃に読んでいましたので、孤平などでも形式的に細かいところが気になるほうだと思っています。

 このホームページの投稿詩については、それぞれの皆さんの経験上からの基準がおありでしょうし、詩を読む前に形式的なことばかりを見るようなことは私の本意ではありません。だからと言って何でも有りではいけませんし、一般の通例から離れすぎてもいけません。
 基本的には、私自身で考えて、理論的に、あるいは感覚的に納得できる規則かどうかを基準にしています。厳密な区分けをしているわけではありませんが、大概、投稿詩については次のような点に目を向けて、重要度から表現を多少変えています。

 重要度A(「二四不同・二六対」「押韻」「下三平」「四字目(二字目)の孤平」)
   ⇒「・・・・は改めるべきです」と書きます。
 重要度B(「冒韻」「句にまたがる同字重出」「和習」)
   ⇒「・・・・は推敲されると良いでしょう」「・・・・の方が良いでしょう」と書きます。
 重要度C(「下三仄」「句頭の全平・全仄」「護腰」)
   ⇒「・・・・はどうでしょうか」と書きます。

 まだ他にも書き忘れている規則があるかもしれませんし、私のコメントの言葉も区別があいまいなものですが、ひとまず、こんな形で考えています。
























「主語・述語・補語の関係」・・R.Mさん(2006. 1.31)

 はじめまして。
 鈴木先生の著書『漢詩 はじめの一歩』を読ませていただきました。以前から漢詩に興味があり、基本的な作法を学びたいと思っておりました。しかし、そんな自分の希望にこたえてくれる本がなかなか見つからず、諦めかけていました。そんな時先生の本を新聞の広告欄で偶然見かけました。先生の本のおかげで、ようやく漢詩への入り口に立てた思いです。
 ほんとうにありがとうございます。
さて、この本を読み進めていく中で、疑問に思う点がありました。その点につき、先生に質問してみたいと思い、不躾ながらメールを差し上げた次第でございます。もしお答えいただけましたら、この上ない喜びでございます。

 漢詩の言葉の順序は、主語・述語・目的語(補語)ということでした。
 とすると、P.18の「傍若無人」という四字熟語は、「傍らに」を補語とすれば、「若無人傍」となるべきではないでしょうか?
 また、P.22の李白の詩の転句下三文字についても、「碧空に」を補語とすれば、「尽碧空」となるべきではないでしょうか?同様のことが、結句下三文字についてもあてはまります。
 この点につき、何か特別なルールがあるのでしょうか?


 先日、このようなご質問のお手紙をいただきました。漢文の語順につきましては、特に「・・・・ニ」と続く時は注意が必要だと太刀掛先生も書かれていました。「説明が足りないかもしれないなぁ」と思いながら、執筆時にはページ数と時間の関係で先を急いでしまった箇所ですので、お返事を差し上げましたが、ホームページでも説明をしておきましょう。

> P.18の傍若無人という四字熟語は、「傍らに」を補語とすれば、「若無人傍」となるべきではないでしょうか?

「傍らに」は実は補語ではありません。「静かに」「厳粛に」なども同じですが、「〜に」となっていますが、これらは動詞を受ける補語ではなく、動詞を修飾する言葉です。「静かなり」「厳粛なり」という形容動詞の連用形です。補語になるのは「名詞」+「に」の場合ということになります。
 形容動詞であるか、「名詞」+「に」なのかを区別するには、その前に「とても」「ひどく」「大変」などの言葉をつけてみます。その時に、表現がおかしくなければ、それは形容動詞であり、変だったら「名詞」+「に」だと判断します。
 例えば、「丁寧に書く」と「紙に書く」を比べてみます。どちらも「〜に」という形で動詞「書く」につながっています。この「丁寧」と「紙」に「とても」という言葉を付けてみると、「とても丁寧に」は通じても、「とても紙に」はおかしいわけです。つまり、「丁寧に」は形容動詞であり、「紙に」は「名詞」+「に」だとわかりますね。
 ですから、この場合、「紙に」は補語ですから、漢文の語順としては、補語を後に置きますから「書紙」となります。 一方、「丁寧に」の方は、修飾語ですので、これは動詞の前に置かれます。「閑吟(閑かに吟ず)」や「長恨(長しへに恨む)」などと同じですので、語順は「丁寧書」となります。(「丁寧に紙に書く」ならば、「丁寧書紙」となりますね)
 「傍」も同様の関係ですので、「傍若」という順にしかなりません。

> また、P.22の李白の詩の転句下三文字についても、「碧空に」を補語とすれば、尽碧空となるべきではないでしょうか?同様のことが、結句下三文字についてもあてはまります。
> この点につき、何か特別なルールがあるのでしょうか?

 李白の詩については、仰る通りで、この場合は、「碧空」も「天際」も補語です。
 文法的な語順としては、「尽碧空」「流天際」となるべきです。ただ、この場合には、結句が押韻の関係で、最後に「流」の字を持ってこなくてはいけないため、文法破りを承知の上で李白は「天際流」としたわけです。(漢詩では、押韻や平仄が文法よりも優先されるのです)
 転句も、結句の下三字との対応と、最後の字を「空」という平声を置けないという事情で、入れ替えたのだと思われます。

 長い説明になってしまいましたが、おわかりになりにくければ、またお手紙をください。























「願上南山寿一杯」の掛け軸について・・新潟の高橋さん(2006. 5.24)

 はじめまして!
 私は、新潟県に住むものです。

 大変恐縮ですが、知り合いの家に掛け軸があります。
「願上有山寿一杯」と書いてあり、書いた人が考えたものか、漢詩の中にあるものなのか、まったくの素人なのでわかりません。
 読み方と意味を教えていただければとても、うれしいです。

 お分かりであれば、是非教えて頂きたい。
 ご無理なお願いよろしくお願いいたします。



 先日、お手紙でご質問を受けました。メールでお返事を何度かしたのですが、その都度届かなくて戻ってきてしまいましたので、「桐山堂」の方で返事を書かせていただきます。
 以下は、私の(届かなかった)返事です。
今日は
漢詩ホームページ主宰の鈴木淳次です。

 お手紙拝見しました。
ご質問の件ですが、「願上有山寿一杯」は「有」が「南」であろうと思われます。

 唐の時代の詩人、張説(ちょうえつ)の「幽州新歳作」という七言律詩の最後の句です。
全部をご紹介しますと、
  去歳荊南梅似雪
  今年薊北雪如梅
  共知人事何嘗定
  且喜年華去復来
  辺鎮戍歌連夜動
  京城燎火徹明開
  遥遥西向長安日
  願上南山寿一杯

 この最後の句の意味は、「南山(長安の南にある山です)のように欠けたり崩れたりせずに寿命を永らえますように」というめでたい句です。詩全体の意味は、ホームページの次の所をご覧ください。

      「幽州新歳作

『唐詩選』に選ばれている詩です。内容としては新年の喜びを詠ったものですので、お知り合いの方も、新年ということで軸を架けられたのではないでしょうか。























「錦秋の松山へ!」・・サラリーマン金太郎さん(2006. 9.20)

 平成18年度全日本漢詩大会並びに愛媛県総合文化祭・漢詩大会へのお誘い

 鈴木門下の皆様、また当サイトをご訪問の漢詩愛好家の皆様こんにちは。
私は愛媛県で漢詩を学び、当サイトにも拙詩を投稿させていただいているサラリーマン金太郎です。

 平成14年に全国漢詩連盟が組織され、この間国民文化祭においても、香川、群馬、鳥取、福岡、福井の各県で全国規模の大会が盛会裏に開催されるなど漢詩文化の復興が緒についてきた感がありますが、今年度と来年度は残念ながら国民文化祭において漢詩大会の予定がありません。
 私ども愛媛県では、県民総合文化祭の一端を担い、漢詩大会を過去19回開催してまいりました。
 今年で20回目を、また四国漢詩大会が開催5回目という慶節を迎えるに当たり、全日本漢詩連盟、四国漢詩連盟などの協力を得、さらには文化庁の後援並びに愛媛県、松山市の絶大なるご支援を賜るとともに、県下吟剣詩舞界の賛助出演を得て、李白、杜甫などを始め漢詩文学を受け継いで来た日本の歴史の中で、かつて試み得なかった企画、構想をもって1000名の参加を期待する全国大会を開催する運びとなりました。
   (詳細は下記大会内容をご覧下さい。)

 深遠にして極めて難解なる漢詩文学の研鑽に日々努力を傾けておられる貴台に敬意を表しますとともに、既に鈴木先生の御来松も決定しておりますことから、本大会をご縁として、いで湯と文学の城下町・松山で鈴木門下関係者の皆様と初のオフ会が叶いますならば、この上の喜びはありません。
 ぜひこの機会に、錦秋の伊予路をお訪ねいただければ幸いです。


 平成18年度全日本漢詩大会並びに愛媛県総合文化祭・漢詩大会要項

日時:11月23日(祝) 午前10時〜
会場:愛媛県県民文化会館
日程:
  10:00 開会 
    @オープニング
    A優秀作品 構成吟詠剣詩舞
      四国地区 名勝、先哲篇
      全国地区 名勝、先哲篇

  13:00〜14:00
    B式典
     特別優秀作品 授賞 11名
     優秀作品 40名 
    C記念講演
      「子規と漱石の漢詩」石川忠久先生
    D特別賞授賞作品 
     構成吟舞

  16:30 閉会

         本要項は、安井草洲さんからご連絡いただいたものです。





















「孫山について知りませんか」・・Y.Tさん(07. 1. 7)

 昔から疑問に思っている事ですが、「孫山外」(成語では名落孫山)についてです。
 この言葉を最初に知ったのは、もう30年以上前、聊斎志異を読んでいた時です。
 翻訳では“孫山外”と書いて“ビリを外れていた”とフリガナがあり、孫山がビリで進士に合格した時、人から首尾を聞かれ「解名尽処是孫山/余人更在孫山外」と答えた処から、ビリを「孫山」、落第を「孫山外」と云う様になったと註が付されていました。
 また成語故事を調べても、同じ話が載っているだけでした。長い科挙の歴史では、当然ビリで合格した秀才は多かったはずなのに、何故、彼だけが?と疑問に思ってきました。
 10年程前、鴎陽脩の「踏莎行」を読んでいて其の後厥の最後の二聯がそっくり同じなのに気が付きました。即ち「 平蕪尽処是春山/行人更在春山外」です。
 鴎陽脩は小令の大家であり、彼の作品は当時流行していた。そのパロディだったから、きっとこの言葉が流布したのだと考えました。しかしこの推測が正しいとすれば、孫山は鴎陽脩と少なくとも同時代以後の人でなくてはなりません。
 それで、孫山の生没年及びいつ進士に合格したのか種々調べましたが、大漢和辞典にも孫山の故事が乗っているだけで進士合格は勿論、生没の年代すら書いてありません。何方か孫山の進士合格或いは生没年をご存じないでしょうか?

   踏莎行(鴎陽脩)
候館梅残 渓橋柳細   寸寸柔腸 盈盈粉涙
草薫風暖搖征轡     楼高莫近危欄倚
離愁漸遠漸無窮     平蕪尽処是春山
迢迢不断如春水     行人更在春山外






















「四国漢詩連盟香川大会」のご案内・・安井 草洲さん(07. 1.12)

 今年6月3日に香川県の高松市、サンポートホールで開催される「第6回四国漢詩連盟 香川大会」では、一般の漢詩の応募を受け付けています。

 課題は@「城」 A自由
 韻目の指定はありません。また、課題につきましても、課題詩・自由題どちらも等分にあつかい、いずれかが優先することはないとのことです。
大会の実行委員会連絡先は次の通りです。

   〒761-0113 高松市屋島西町 2274−15
              安井草洲方
         四国漢詩連盟香川大会実行委員会

 投稿の締め切りは1月31日必着です。

 連絡先
Tel・Fax 087−843−1488
URL http://wwwa.pikara.ne.jp/rohus
Mail: rohus@ma.pikara.ne.jp

是非、ふるってご参加ください。























「孫山は宋代の読書人」・・禿羊さん(07. 1.13)

 NHK出版のCDブック『中国成語故事』に「名落孫山」の話が載っていますが、それによると孫山は宋代の呉郡の読書人で、この話は郷試でのことだと書いてあります。
 宋代の科挙制度はよく知りませんが、郷試でビリだとすると、進士にはなれなかった可能性もありますね。






















「漢俳について教えてください」・・Tさん(07. 4.25)

 初めてお便りいたします。
 私は長野県に住んでいまして、三十人ほどの漢詩の会に所属しています。

 質問と言うのは漢俳についてです。あれこれ検索をしてみてもヒットするところが無くて、このホームページにたどり着きました。
 漢俳については比叡山の根本中堂の前に建てられた漢俳碑の事しか知識がございませんが、もう少し詳しい事が知りたいと思っております。
 御多忙の所申し訳ございませんが、よろしかったら参考になる本の事など、ご返事をお願い申しあげます。



私からは、以下の形でお二人の方のサイトをご紹介しました。
 漢俳についてのご質問ですが、中山逍雀さんのサイト、あるいは鮟鱇さんのサイトをご覧いただくと詳しく書かれています。

 中山逍雀さんのサイトは漢詩全般にわたる広大なものですが、漢俳は
    http://www.741.jp/kouza01/kou-01C06.htm

 鮟鱇さんのサイトは
    http://www.h2.dion.ne.jp/~ankou/

 ご自作の漢俳が載せられています。

お返事をいただきました。

 お返事有難うございました。
 早速中山逍雀さんのサイトを見せて戴きとても参考になりました。

 狭い範囲で作詩をしておりましたが、鈴木先生のこのHPで、世界中にこんなに漢詩の愛好家がいるのかとあらためて驚嘆しております。
 色々有難うございました。





















「漢俳についての説明」・・鮟鱇さん(07. 5.26)

鮟鱇です。
 漢俳について実作の経験をご参考までにお話します。

 中国では漢俳は、漢字五七五の短詩とすることを共通理解としているだけのようで、それ以上の規約はありません。
 しかし、実作上は、二つの流れがあり、一は中国古典詩詞の五言句・七言句の作り方に準じて五七五に作るものであり、一は欧米のHAIKUと同様に、三行の自由短詩に作るものです。
 欧米のHAIKUは、日本の有季・定型に倣うもの無きにしもあらずですが、体勢は無季・非定型。五音節・七音節が欧米諸国語の韻律に必ずしも叶うものではないから、そうなるのでしょう。
 一方、漢俳は、今のところは無季・定型です。

 私はそういう中で、漢俳は日本の俳句とは別の新定型詩だと考え、実作にあたっては中国古典詩詞の延長線で作ることにしています。
 日本の俳句のような詩心で作るには、日本語に翻譯すれば往々短歌以上の長さになる漢俳五七五は長過ぎます。日本の俳句に想を得た漢語定型詩には、漢俳の他に、私が所属する葛飾吟社主宰の中山栄造が提唱した漢語三四三に作る「曄歌」がありますが、この「曄歌」の方がまだ俳句に近い詩情を表現できると思います。実をいえば、この漢語十字の曄歌でも幾分長い感があって、俳句の詩情を表現するには七言句で十分な場合がけっこうあります。

  城春国破山河在    城は春 国破れて山河あり

 漢俳十七字はこの七言句の倍以上の長さです。

 だから、俳句と漢俳は別のものと考えた方がよいのです。
 しかし、それでは漢俳を作る意味があるのかといえば、俳句とは別だから作らない、というのも短絡です。漢俳は、中国古典詩詞に親しむ者には、作るに値する新定型詩のひとつです。
 俳句が世界に与えたインパクトは、短くても詩になる、ということです。俳句がなければ中国の詩人も、五絶よりも短いものを作ろう、という考えには立てなかったでしょう。しかし、詩情には短いものもあるのであって、詩情が短ければ、その詩体も短くあるべきです。上記曄歌十字で表現できるものを無理やり二十字に引き伸ばして五絶とするのは、ナンセンスです。
 中国人と比べればわれわれ日本人の詩情は、一般に短い、ということがあります。短歌や俳句の定型詩としての成功の背景に、それがあると思います。とすれば、五絶よりも短い詩体を持つことは詩魔と戦う武器が増えるわけですから、漢俳を作るメリットの一に、五絶二十字を充たしきれない詩情は、漢俳十七字で表現すればよい、ということがあります。そして、漢俳十七字でも長過ぎるのであれば、上記曄歌十字でもよい。

 詩では五絶二十字が最短ですが、詞には実は「閑中好」三五五五計十八字や、「十六字令」一七三五計十六字などの短詩体がすでにあります。そこで、中国には、漢俳をそういう詞のひとつと見る詩人も少なくないのですが、「閑中好」は初句を「閑中好」と始めるので以下の詩情が拘束される、「十六字令」は初句の一字に主題の提起のような強さがあってそれが以下の詩情を支配する、などの特徴があり、やや柔軟性に欠ける詩体です。これと比べれば五七五の漢俳は、語をより柔軟にハンドリングできます。この柔軟性が漢俳を作るメリットの二です。
 漢俳の柔軟性については、上述のように漢俳には絶句や律詩のように韻律についての厳格な規約がない、ということもあります。しかし、われわれ日本人が作る場合は、その詩体が柔軟で自由であればあるほど、それではなぜ漢語で詩を作るのか、日本語で詩を作ってはいけないのか、という問題に突き当たります。
 私は、この問題につき、一個の日本人として漢語で詩を書く以上は、古典詩詞の韻律に即して作るのでなければ意味がない、と考えています。私は古典詩詞の韻律に即して詩を作るメリットを自覚しています。そして、だからこそわたしは漢語で詩を作っているわけで、古典詩詞の韻律に即して作るという原則を抜きに漢俳を試みることは、私個人には関心がありません。

 そこで私の実作は、平仄を踏まえ、押韻をする、という古典詩詞の作法を踏まえて漢俳を作ることになります。漢俳の五言句と七言句を、絶句律詩のそれのように作ります。
 ただし、絶句律詩には平仄について反法と粘法の規約があります。しかし、漢俳は、詞曲とどうように、それを踏まえる必要がありません。反法と粘法は、四句を一単位・各句を同字数として始めて意味のある規約だと考えられますが、漢俳も詞曲も、「四句を一単位・各句を同字数」としているものではありません。そこで、反法と粘法がない、ということも、漢俳の柔軟性の一に加えることができます。
 また、漢俳の五言句と七言句は、古典詩詞の嗜みがある詩人は通常、絶句律詩のそれのように二・三、二・二・三に作っていますが、五言句を一・四(二・二)、七言句を一・六(二・二・二)または三・四(二・二)に作ることができます。この一・四、一・六、三・四の句法は、詞曲ではかなり頻繁に見ることができるものであり、詩の二・三や二・二・三に較べ、響きが軽快です。これも漢俳の柔軟性の一です。

    飲山櫻花底,     一・四
    賞乗風香雪飛飛。   一・六
    忘學過無爲。     二・三

 また、漢俳の中七を二・五とすれは、その五字句と下五の五字句を対句にすることができます。対句表現は、短歌や俳句では嫌われるところがあるようですが、漢詩では珍重されます。

  詩魔誑好人。       詩魔 好人を誑かす
  凡才春昼花間酒,     凡才 春昼 花間の酒
    秋宵月下吟。        秋宵 月下の吟

 上記拙作の中七の「凡才」は二字の領字です。この二字は、下五にもかかるものです。つまり意味のうえでは、凡才春昼花間酒,(凡才)秋宵月下吟。このように領字が使えるのも詩にはないメリットです。

 さらに、これは漢俳の規約違反ですが、俳句の字余りからヒントを得て漢俳を六七五あるいは五七六に作ることもしています。この場合、字余りにすることに必然性を付与するために六は三・三にして、必ず対句にします。漢俳の規約違反でもあるので、誤解がないよう、「添字漢俳」として、漢俳と区別しています。

      添字漢俳・俳人探勝伴秋娘
  佳吟短,閑話長。俳人喜飲醉春昼,歡笑對秋娘。

 あるいは、

      添字漢俳・一 首
  泉下骨,天上壺。笑傾芳酒洗腸肚,忘艱苦,枕詩書。

さらには、

      添字漢俳・春
  山鬼賣詩材。I have nothing to buy,say good-bye,醉仙台。

この作は中英の全句通用押韻です。say good-byeと醉仙台は、中英の擬似対句。

とか

      添字漢俳・je pense
  骸骨有思惟。Parce que je pense donc je suis,傾酒醉,化蝶飛。

 この作は中仏の全句通用押韻です。

      添句漢俳・冬
  爐邊柴火烈,窗外北風驅。閑人飲酒老茅舎,看書釣蠹魚。

 この作は、漢俳の頭に五言句を加えたものですが、三句の「閑人(領字)」を除けば、全對格の五絶になります。舌足らずですので、「閑人(領字)」を加えてあるので、五絶ではなく「添句漢俳」です。

 かかる次第で、漢俳は結構遊べる詩体だと、私は思っています。






















「韻律論(韻律の柔軟性と多産性と詩的自由をめぐって)」・・鮟鱇さん(07. 7. 3)

 鮟鱇です。
 「平仄討論会」で桐山人先生が示されたご見解「当サイトの漢詩の定義」(2007.4.12)は、漢詩の今後を考えるうえでとても示唆に富んでいると愚考します。
>1.しかし、「押韻・平仄が守られていない」という理由で投稿を断るようなことはしていませんし、してはいけないと思います。
>2.「漢詩が好きだ」という一点で、古人であれ未来の人であれ、お互いに仲間になれる。そうした成熟した文化を味わえることを幸せだと私は感じています。

 上記2.私も賛成です。
 上記1.については、「押韻・平仄が守られていない」という理由で、投稿された方の作品を軽く見る読者がいるとしたら、私は、考えを改められた方がよいと思います。
 「押韻・平仄」は「守るもの」ではなく、利用するものです。あらゆる定型の最初の作は、自由詩です。そこに「守るべき」ものなど、あろうはずがありません。詩は、はじめに自由でなければならない、とすれば、定型を形作るものとしての韻律すなわち押韻と平仄に関わる格律は、その自由をより効果的にするための優れた工具に過ぎません。工具を使うかどうか、工具がうまく使えるかどうかということは、詩の本質ではありません。とりわけ初心の人に対し、熟練の者が工具の使い方うんぬんで先輩面をするようであっては、今の時代、漢詩を作り続けようという若者はいなくなると思います。詩が好きだとして、何も漢詩でなくとも、詩作りを楽しむ方策は、いくらでもあるからです。

 わたしの狭い見聞に過ぎませんが、現代日本の文芸には、一所懸命主義とでも呼ぶべき風潮が広く深く蔓延していて、俳人は俳句、歌人は短歌、漢詩人は漢詩というそれぞれの蛸壺に深く嵌まり込んでいるように見えます。それぞれの蛸壺に安住し、よその蛸壺の他所懸命を、「ああそうですか、それはよいご趣味で」くらいにしか見ていない、そういう一所懸命主義が蔓延し、そういう創作態度を取らなければ、よい作品は作れない、と信じているようです。どうしてそのように文芸の蛸壺化が進むのかはわかりませんが、江戸の文人大田南畝(蜀山人)が、狂歌師・戯作者として活躍しながら、狂詩を作り、漢詩も作っていた、というような多所遊芸は、現代の俳人、歌人、漢詩人に、その例をみません。
 そこで、漢詩にしても、絶・律一辺倒で、絶・律一所懸命主義とでも呼ぶべき作詩態度になるのでしょう。絶・律といいましたが、七絶だけ作れればよいし、あれこれ手を出すよりは絶句を極めるべきだ、という考えが日本の漢詩壇にすでにあるのかも知れません。漢詩作りも七絶ばかりが指導され、平仄の整わない漢詩は、その詩想がいかに豊かであっても、それを軽く見る、ということが行われていると思います。季語がなければ俳句ではない、定型でなければ俳句ではない、だから短歌は詠めなくてもよい、そういうことを言いたげな俳人が少なくありませんが、漢詩でも、平仄が整っていなければ読むに値しない、と考える漢詩人が決して少なくない。
 漢詩は畢竟、押韻と平仄の詩です。押韻と平仄に関わる格律すなわち韻律が詩としての格調を高め、それ自身に詩性をもつ対句が、詩興をさらに高める、それが漢詩のよいところであるでしょう。そして、さらにいえば、中国古典詩詞の韻律は、その必然が生む結果として、限りなく自由詩に近付いていくのであって、定型詩と自由詩の狭間で、韻律が内蔵する豊かな詩的可能性を広く追求することに、その醍醐味があると思います。韻律の発見が生み出した最初の成果は、近体の絶・律である、という歴史的な事実は争う余地はありません。しかし、韻律という母はとても多産なのであって、最初は絶・律の二子であっても、たちまち詞を生み、曲を生み、千を超える数の定型詩体を子として生んでいます。

 しかし、この韻律の多産性は、日本ではあまり認識されておらず、韻律が定型のものでありながらいかに自由詩に隣接しているかということを体感できる漢詩人は、日本にはあまりいません。自由詩に限りなく隣接している、だから平仄を無視した詩作りがあってもよいし、漢俳や曄歌などの新詩体がもっと試みられてもよいのですが、わが国で韻律が生み出すことができているのは、絶句と律詩、だけです。56字の七律と40字の五律、28字の七絶と20字の五絶。これにいくらかの排律。
 これに対し韻律がこれまでに生み出した詩体、これからも生み出すことができるかも知れない詩体は、2字から56字までの間に、下記のごとくです。56字以上でみれば、さらに無数です。

 ここでは、その概観を見ていただければと思います。拙作を個々に読んでいただく必要はなく、56字から2字までの間に、韻律を踏まえた詩型が隙間なくあることを、眺めていただければ結構です。そこで敢えて和訳は付しません。適当にスクロールダウンで読み飛ばしてください。

      隨歩減声放吟五十五首 中華新韻十一庚   鮟鱇

七律・56字
  幻人天下千鍾酒,蝶夢陽春十里風。振翅尋花舞芳徑,游魂問柳樂浮生。
  未知冬雪埋新墓,今見夏雲如大鵬。遠志無功爲老骨,愁聽蛩雨作秋声。

一七令・55字
  風,穿徑,登峰。拂雲水,化鯤鵬。茲醒香夢,復蘇醉生。滿山櫻舞雪,悦耳鳥飛声。正是黄鶯振翅,將催青女彈箏。朱唇先唱游仙境,白首吟酬散酒酲。

江山晃重山・54字
  莫笑醉生香夢,化蝶偏愛輕風。飄飄振翅喜天晴,穿芳徑,萬里探春榮。
  滿目櫻雲盛涌,關關鶯語堪聽。尋花問柳忘歸程,眠秘境,拂曉醒鷄鳴。

折桂令・53字
  有白頭、醉樂餘生,仰賞紅櫻,酬和黄鶯。天用菲才,聳肩信口,吟句飛声。
  枕花陰、鼾眠午夢,化胡蝶、飄舞春風。振翅高昇,欲問嫦娥,對飲天宮。

南歌子・52字
  黄鳥啼將領,青山吹好風。白頭傾盞醉長生,朱臉正隣香夢忘歸程。
  振翅穿芳徑,游魂試遠征。尋花問柳喜相逢,仙女天衣無縫羽毛豐。

燕歸梁・51字
  悦目櫻雲映水清,雪花舞春風。善哉壺滿酒堪傾,隣香夢、醉長生。
  黄鶯巧哢,白頭諷詠,唱和擅幽情。暫調平仄試新声,無詩病、有鴎盟。

少年游・50字
  人無功譽領京城,筆墨擅風情。花心萌動,櫻雲盛涌,何不弄春榮?
  闊然乞骨歸邊境,連日仰雲峰。飲酒偸生,游魂探勝,詩夢有鵬程。

柳梢青・49字
  花有春情,人知鳥性,山喜東風。醉仰天晴,閑聽鶯哢,何不飛声?
  善哉酒洗心靈,隣香夢、游魂苟生。吟句發瘋,聳肩如鳳,張翼鵬程。

朝中措・48字
  人無功譽老京城,才器擅光榮。只有花間酒甕,自催仙境鴎盟。
  游魂探勝,化蝶入夢,振翅回生。萬里求詩乘興,三春信口吟風。

烏夜啼・47字
  滿目櫻雲涌,花如雪舞春風。白頭信歩穿芳徑,黄鳥數飛声。
  試鼓詩魂如鳳,吟將張翼鵬程。酒功依舊催蝶夢,振翅樂浮生。

落梅風・46字
  櫻雲飛雪舞春風,山鶯巧囀飛声。善哉花底酒堪傾,樂浮生。
  枕肱瞑目耽蝶夢,游魂振翅相逢。天人笑賣羽衣輕,擅鵬程。

好女児・45字
  白首仰山櫻,緑酒促詩情。信口暫調平仄,吟句和春鶯。
  韵事慰浮生,枕肱處、蝶夢長征。游魂佳興,餐霞好景,振翅鵬程。

巫山一段雲・44字
  白首穿芳徑,黄鶯飛好声。山櫻萬朶擅春情,花底午風清。
  緑酒催香夢,朱顔愉醉生。化蝶幽討喜天晴,振翅試長征。

霜天曉角・43字
  笑坐春風,白頭擅醉生。花底宛如仙洞,黄鶯哢、碧天晴。
  壺盈,醇酒濃,將催蝶夢清。飛弄櫻雲盛涌,穿靜徑、忘歸程。

浣溪沙・42字
  朱臉重杯擅醉生,素櫻飛雪舞柔風。黄鶯振羽喜新晴。
  緑酒有功催好夢,青娥陪我坐閑亭。K甜依舊醒鴉声。

玉蝴蝶・41字
  白頭嘆賞山櫻,黄鳥擅春風。緑酒洗塵情,朱顔是醉生。
  花天如玉洞,香夢有鵬程。蝶影舞碧空,羽人飛雪峰。

太平時・40字
  山涌櫻雲飛雪清,舞春風。白頭帶酒試飛声,和黄鶯。
  醉叟口吟游玉洞,隣蝶夢。詩魂振翅試長征,樂浮生。

新譜・39字
  有野翁,山櫻花底擅春風,吟句和鶯声。
  擬唐詩韵玲瓏,枕肱香夢高昇。胡蝶振翅舞蒼穹,游魂掠雪峰。

醉太平・38字
  人弄午晴,詩依酒功。抱壺醉仰春櫻,賞飛花滿城。
  蝶夢易成,倉庚可聽。游魂千里風中,擅吟情自生。

新譜・37字
  春天酣興,花底醉生。仰櫻雲夜涌,飛雪乘風。
  巧排声病,吟化倉庚。善哉禿叟擅香夢,佳詩依酒功。

何滿子・36字
  春賞櫻雲山涌,菲菲香雪乘風。花底宛如仙洞,詩人恰似倉庚。笑枕閑肱貪夢,醉生化鳥飛声。

新譜・35字
  揮本領,樂醉生。春賞櫻雲涌仙境,飛雪舞輕風。秋玩銀月如天鏡,枕肱擅香夢,張翼化鳴鵬。

天仙子・34字
  酒洗塵腸有醉生,花開仙境滿荒城。曲肱堪枕擅春風,貪蝶夢,舞鵬程,振翅游魂昇更昇。

新譜・33字
  櫻雲盛涌天晴,山鶯巧哢声清。白頭耽午夢,游魂振翅鵬程。醉尋仙洞,笑交羽客偸生。

調笑令・32字
  香夢,香夢,人問壺中仙洞。櫻雲盛涌天晴,游魂醉化凰鳴。鳴凰,鳴凰,振翅吟詩巧哢。

短歌・31字
  墓地滿春風。髑髏到處耽香夢,游魂樂醉生。賞櫻飛雪如仙境,吟句擬唐隔市声。

秋風清・30字
  無才能,有詩翁。月下貪香夢,花間樂醉生。餐霞乘興爲鳴鳳,競鶯吟句忘歸程。

四塊玉・29字
  聞谷鶯,穿花影,老骨隨風入山城。吟魂游目耽光景,弄午晴,喜澗声,題野情。

七絶・28字
  春無塵事有吟翁,仰賞山花樂醉生。仍舊野詩乘酒興,枕肱香夢擅東風。

桂殿秋・27字
  揮本領,樂醉生,花前月下帶餘酲。游魂枕臂尋春夢,羽化胡蝶舞好風。

南歌子・26字
  野叟耽香夢,仙娥献酒瓶。行觴笑語賞山櫻,白首醉乘吟興化黄鶯。

游四門・25字
  月中蛩雨滿秋庭,酒客夢山亭。櫻雲舞雪飛仙洞,鶯,振羽肆春情。

凭闌人・24字
  老骨多閑樂醉生,蝶夢尋花乗好風。蒼穹無路程,黄泉解宿酲。

荷葉令・23字
  白首醉耽蝶夢,仙境擅春風。黄鶯清囀領花徑,勝景雅情生。

慶宜和・22字
  枕臂涼陰喜緑風,幸遇花精。酒境驚聽午鷄鳴,夢醒,夢醒。

新譜・21字
  櫻盛涌,鶯清哢,花間堪往生。白頭擅香夢,朱臉死春風。

五絶・20字
  黄鳥啼將領,青山花舞風。醉生人漸老,蝶夢忘歸程。

新譜(添字漢俳)・19字
  算余命,作醉生。帶酒花間入蝶夢,飛仙境,舞晴風。

瀛歌・18字
  有書生,頻耽醉夢,問花精。笑招仙境,唱化春鶯。

漢俳・17字
  延壽樂浮生。帶酒尋花醉香夢,問柳舞春風。

十六字令・16字
  靈,降下塵寰作醉生。耽蝶夢,振翅舞春風。

偲歌・15字
  酒作狂生,人耽香夢。鵬程萬里,飛仙境。

竹枝・14字
  人如黄鳥入紅櫻。夢魔携酒伴花精。

新譜・13字
  酒作狂生,醉花間香夢,月下吟情。

新譜・12字
  人乘詩興,月下浮生,花間香夢。

新譜(添字曄歌)11字
  好句生。醉客耽蝶夢,化春鶯。

曄歌・10字
  好句生。人耽香夢,化啼鶯。

新譜・9字〜2字
  醉生,花前月下耽香夢。

  老骨偸生,醉魂迷夢。

  醉生,花底胡蝶夢。

  墓穴生,壺天夢。

  人生,醉香夢。

  醉生,香夢。

  醉生,夢。

  生,夢。

 上記「新譜」は、わたしが独自に作ったものです。他は既成の詞曲であり定型です。
 「新譜」は、平仄を整え押韻をしていますので、その平仄譜に従い拙作に追随してくださる方が出てくれば、定型として定着します。しかし、今の段階では、私が独自に平仄を整え押韻をして作っただけの、自由詩です。

 最短2字から56字までの上記拙作群は、一字数につき一首としていますが、同じ字数で詩体が異なるものは、複数あります。たとえば、七言絶句と同じ28字に作るものでは、曲に、天淨沙・六六六四六、賞花時・七七五四五、鵲踏枝・三三四四七七、罵玉郎・七五七三三三、七弟兄・二二三七七七、迎仙客・三三七三三四五の六体があります。
 また、拙作、あまり意味はありませんが、詞曲風に平仄をまたぐ押韻を多用しています。七律はそのようにできませんでしたが、一部の例外を除くほとんどの作が全句で、平仄をまたぐ押韻をしています。また、同字数句は、対句にすることを旨としました。

 最後の「生,夢。」これを詩と認める人はきっと少ないと思います。私がこれを敢えて詩であるという理由は、次のとおりです。
 二字の詩は、私の知る限りでは天才的なボクサーだったモハメッド・アリに先例があります。彼はハーバード大学での講演の際に学生からの質問に、“Me,We”と答えました。彼は、韻を踏み、MをさかさまにしてWの対句としています。これを聞いた学生は、モハメッド・アリの言葉に詩を感じたことでしょう。そして彼らは、言葉一語では詩にならないが、二語二音節あれば世界最短の詩が書けることを、知ったのです。

 私は、繰り返しになりますが、漢詩作りの醍醐味は畢竟、韻律と対句にあると思っています。韻律には声に詩的感興を添える力があり、対句にはそれ自身に、詩性があります。日本の俳人はよく、「俳句は世界最短の詩である」ということを口にしますが、世界最短の詩を実現できるのは、英語であり、漢語であるように思っています。

 生,夢。  生きて、夢見し

 この拙作は、新韻十一庚で、平仄をまたぐ押韻をしています。生はsheng1、夢はmeng4。
 生と夢は、平仄を異にしていますから、対句です。

 ここにお示ししたのは遊びではありません。韻律は、自由詩を定型化する工具であるということを体感するために、私が自身に課した実験であり、絶句と律詩だけを詩と考える日本の漢詩人に、あなたがたはどれだけ自由に詩が書けているのかということを、問うものです。絶句・律詩だけに依拠して韻律を絶対とすることが間違いであることを示すもの、と思ってください。
 なぜその間違いを説くかといえば、私は、絶句と律詩だけの定型性に拘泥し、詩の自由を無視してきたことに、現代の日本漢詩の沈滞の原因があると思うし、日本の漢詩をそのように導いてきた絶・律一所懸命主義に対し、怒りも覚えているからです。漢詩が、俳句や短歌ほどに多くの日本人の関心を引くことがなく、漢詩作りの仲間を増やせないのは、絶・律一所懸命主義の閉鎖性によって、漢語による詩作がいかに広汎な可能性を持つものであるか、ということを示せないでいるからです。詩としての新しい可能性に思いを馳せることができない文芸のジャンルは、同好の士を多く集めることはできません。

 韻律に親しむ者は、詩の可能性について、もっと自由であるべきです。





















「適切な詩題の設定と送り仮名の振り方のコツについて」・・サラリーマン金太郎さん(2007. 9.27)

 まずは、おなじみの以下の漢詩について、問題提起の例題とします。

 川中島  <ョ 山陽>

  鞭聲肅肅 夜 河を過る
  曉に見る 千兵の大牙を擁するを
  遺恨なり 十年一劍を磨き
  流星光底 長蛇を逸す
「 鞭 聲 」:馬に当てるむちの音
「 肅 肅 」:静かなさま
「 大 牙 」:将軍のたてる旗
「 遺 恨 」:残念、無念
「流星光底」:流星の飛ぶ光のごとく剣を抜きて切り下げた時の光をいう
「 長 蛇 」:目指す大敵、ここでは信玄を指す

 上杉謙信の軍はむちの音もたてないように静かに夜に乗じて川を渡った。明け方、武田方は、上杉の数千の大軍が大将の旗を立てて、突然面前に現れたのを見て驚いた。
 しかし、まことに残念なことには、この十年来、一剣を磨きに磨いてきたのに、打ち下ろす刃がキラツと光る一瞬のうちに、あの憎い信玄を打ちもらしてしまった。
 不識庵は上杉謙信、機山は武田信玄である。
【これはある書物の解釈を引用したものでえす。】

(T)
 まず詩題の設定について、本来、この詩の題は「題不識庵撃機山図」であるが、私ども書を紐解いても、また吟剣詩舞道の各種大会プログラムの表題も「川中島」と印刷する場合が多々見受けられます。
 文字数の制限やレイアウト様式などから、あえて簡略化した表現を選択したとするならわかりますが、それはさておき、作者が詩題を設定するに当たっては「川中島」とするとその景を詠む漢詩となり、上記の謙信が信玄をあと一歩のところで打ち漏らした無念さを表現するなら、「題不識庵撃機山図」が至適であろうと思うのです。

 さようなことから、作者が詠まんとする情景や心情を適切に詩題とするための、コツや漢詩独特の「題す」「即時」「過ぐ」「懐古」「偶成」「作」など定型化された詩題のつけ方の法則などあれば先輩・同輩のご教示を願いたいと思います。

(U)
 次に、訓読時における送り仮名の振り方で随分と余情や情感が変わり、その効果により作者の作意がより一層ダイレクトに伝わってまいります。
 そこで先の例題によると、転句で「いこんなり じゅうねん いっけんをみがき」としてありますが、私が漢詩道と並行して精進している吟剣詩舞道の公認テキスト『吟剣詩舞道漢詩集』 (財団法人 日本吟剣詩舞振興会編)では、「いこんじゅうねんいっけんをみがき」と読み下してあり、他のテキスト等にもそのようにしているところも多々あります。
 さて、この詩の内容の脈略を考えますと、後者の読み方では「10年間の遺恨」という意味になってしまい、謙信の真情に立てば例題のように「いこんなり じゅうねん いっけんをみがき」 の方がより一層無念の情が出るのではないでしょうか。
 だとすると、結句の例題についても「りゅうせいこうてい ちょうだをいっす 」「逸せしは」「逸せるは」と送り仮名を振るのが、日本の文法上の呼応の仕方でなかろうかと思います。主宰及び諸賢のご意見を承りたいと思います。

(V)
 また「流星光底」のくだり、剣舞の振り付けでは、よく夜空天空を指差し、流れ星と解釈した所作が各流派とも多いのですが、ここでは剣光と剣名とを兼ねて作者頼山陽は表現しているのであり(中国では、流星は宝剣の名で『古今注』に「呉に宝剣あり、流星という」)、そこに詩語選定の妙味があると思います。
 したがって、私はこのような舞の振り付けに対する疑義や、題のつけ方、送り仮名の振り方など漢詩を学びだして初めてわかった視点で、これを学ぶ意義が派生してくるというものです。

 さらに起句「よるかわをわたる」とするか「よるかわをすぐ」にするかの問題です。
 越兵全軍が粛粛として、いわゆる渡河作戦を隠密に決行している状況でありますから「わたる」の方が情感が出ると思いますし、平仄上から、本来「渡」を使いたいところ仄字の為「過」に変えたと考えられるので「わたる」が至当と考えます。

 このような送り仮名の振り方による余情の醸成度はいろいろとあり、ケースバイケースでもありましょうが、先賢諸氏のご意見をお伺いいたします。

(W)
 その他の例を挙げます。
 例えば起句で、
「丘陵登到火雲天」の場合、「きゅうりょうのぼりいたって かうんのてん」ではなしに、「きゅうりょうのぼりいたる かうんのてん」とすべきですよね。
 これは名詞止めの場合、その上に動詞が来たら終止形にするという法則が定法だと愚考するからです。

 これらは定型化されたひとつの送り仮名の法則と考えますが、その他送り仮名の振り方で留意事項があればご指導をお願いします。





















「頼山陽詩の解釈について」・・謝斧さん(2007.10.15)

「題不識庵撃機山図」の「遺恨十年磨一剣 流星光底逸長蛇」の解釈について、私の意見です。

 上杉謙信と武田信玄は家代々の恨みがあった訳でもありません。「十年磨一剣」も賈島の「劍客詩」からきています。ただ、苦労をしたというだけのたとえです。
 ここで問題は「逸長蛇」です。山陽自身も確かに、著書の中で上杉謙信と武田信玄を同列に扱うことには異を唱えてます(父親を追放したため)が、信玄とて不世出の英雄です。其れを長蛇(封豕長蛇 左伝 残忍凶悪のたとえ)にたとえて、悪し様に言えば、いくら憎々しい相手でも礼儀を失い、山陽の人間性も疑われます。
 唯取り逃がした魚は大きかったということで理解するのが妥当だと思います。
 どういった場合でも詩は温柔敦厚に背いた詩などはありえません。詩を学ぶ上で一番大切なことと思っています。長蛇を信玄にたとえて残忍凶悪な者と理解すれば、山陽自身を矮小化することになります。






















「漢詩と俳句の表現について」・・鮟鱇さん(2007.11.26)

 2007年の投稿詩210作で、鮟鱇さんから「讀芭蕉句有感作一首詩」をいただきました。芭蕉の俳句を漢詩に書き換えるという大胆な試みでした。掲載の翌日には、すぐにお二人の方から感想を届きました。
 この「俳句と漢詩の表現」というテーマは面白そうなので、「桐山堂」でも扱おうと言うことで転載しました。
皆さんも、ご意見をどうぞお寄せ下さい。

 2007年の投稿詩 第210作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

  讀芭蕉句有感作一首詩        

深山花散緑肥時,   深山 花散じ緑肥ゆる時,

白首穿林到古池。   白首 林を穿ちて古池に到る。

游目求詩挨近處,   目を遊ばせ詩を求めて挨近あいきんする処,

青蛙躍入水声馳。   青蛙 躍り入りて水声馳す。

          (中華新韻「十三支」の押韻)

<解説>

挨近:接近
青蛙:カエル

 俳句と漢詩の違いを私なりに考えてみたいと思い、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水のをと」をもとに作った七絶です。
 俳句は無駄な言葉を削りに削り、ぎりぎりの十七音にまとめあげる詩文芸であるといわれています。一方、漢詩は、削ってばかりでは詩にはならないように、私には思えます。私は多くの漢詩を書き、そのつど日本語のなかで大いに使われている漢字言葉だけを拾い、「てにをは」や動詞の活用語尾などの仮名書き言葉は、詩を作るうえでいっさい無用であるとして一律に削っていますが、たまにはその削り屑を拾って、日本語の詩歌を作ってみたいとも思います。
 そこで、言葉を付け足し、あるいは水増しをすればどういうことになるのかを、私なりにまず漢詩で試みてみました。具体的には、俳句をもとに、漢詩一首を作ってみることにしました。
 俳句→漢詩の作業をしながら、少しばかり気付いたのは、俳句から漢詩を作るには、作者が何を削っているかに想像力を働かせることが必要だ、ということです。
 拙作が選んだ芭蕉の句では、

(a) 古池があり蛙が飛び込む水の音が聞こえる、ということを通じて、芭蕉はわたしたちに何を伝えたいのか、ということが削られています。
(b) 蛙はなぜ古池に飛び込んだのか、というわたしたちの素朴な問いに対する答え、あるいは説明が削られています。 そこで、わたしたちは、蛙がどうしてそのような行動をとったのか、その背景がわかりません。
(c) 蛙が古池に飛び込むことが、芭蕉にどのような詩的感動を与えたのでしょうか。芭蕉がこの句を詠んだ動機・詩的感動の如何が削られています
(d) そもそも芭蕉はどこにいて、蛙とどのような位置関係にあるのか、ということが削られています。そこで、蛙は実は芭蕉が化身したものなのだという、いささか無責任な想像もできます。蛙はそれとも、屈原?

 しかし、そういう詮索を抜きに「古池や蛙飛び込む水のをと」をまるごと受け入れれば、ああいい句だ、と私も思うのです。わたしも、おそらくは世界でもっとも俳句を理解できる民族に違いない日本人の一人である限りにおいて、なるほど、と思っているのに違いありません。
 しかし、それでは外国の読者が納得するかというと、言葉少なげでも感動できるのはそこに美があるからで、きっと日本人ではなくとも共感できる、といえるかどうかでいえば、必ずしもそうではないだろう、と思えます。とすれば、何をどうすれば、少しは理解してもらえる詩となるのでしょうか。
 これに対する答えとしては、上記a〜dについてきちんと詩のなかに著述することだと思えます。拙作は、それを試みました。しかし、上述のbとdには私の想像力が働きましたが、aとcは皆目検討が付かず、詩に織り込むことができませんでした。つまりはその2つを、わたしは理解できなかっし、想像力が働かなかったのです。
 そして、aとcとを省いた結果、もし拙作が詩として十分でないとしたら、漢詩はやはり、何を訴えたいかという詩人個人のテーマを、きちんと示されなければならない詩であるのか、と思うに到った次第です。



<感想>

 俳句と漢詩の違い、という大テーマに対して私が述べられるようなことはあまり無いのですが、ただ、この二つの詩が日本の江戸時代において、最盛期を迎えたという事実はとても興味深いことです。当時の文人たちは、どのような思いで漢詩と俳句を楽しんでいたのでしょう。
 同時に、芭蕉の句作の原点は、和歌や漢詩という日本の古典の滋養をもとに、現代(芭蕉にとっての)との融合をいかに果たすか、というところにあったと私は感じることが多いのですが、「高く悟りて俗に帰る」、漢詩の表現できるキャパシティと俳句のそれとは決定的に差があるわけです。
 詩人が自分の思いをどこまで読者に伝えられるか、それは俳句でも短歌でも、また漢詩、現代詩でも、かならず限界があります。だから、逆に、どこまで伝えるかを詩人は考えることになります。
 かつて、石川啄木が短歌を「三行分かち書き」にしたのは、三十一文字の音による表現を、視覚的な文字による表現へと変えようとしました。
   やわらかに柳あをめる北上の岸邊目に見ゆ泣けとごとくに

   やわらかに柳あをめる
   北上の岸邊目に見ゆ
   泣けとごとくに

 一行で書かれたのと三行で書かれた表現力の違いは明らかで、句の独立性は漢詩の絶句に匹敵すると思います。それまで読者の理解力に頼っていた部分(詩作の意図)を、改行という手段で、あらかじめ作者が方向を指し示すという大胆な手法へと変換させるものだったわけです。
 しかし、作者の思いを出来るだけ多く伝えたいという、啄木のある意味で素朴な狙いは、現代に継承されていません。日本の短歌は、作者の伝達力よりも読者の読解力に重きを置いたということです。
 以前に知秀さんが、「漢詩一首は短歌五、六首に該当する」ということをおっしゃってましたが、経験則からはそんな感じなのかもしれませんね。

 さて、鮟鱇さんの分析ですが、芭蕉の「古池や」の句が作られた時を「深山花散緑肥時」とし、場所を「林」とし(ここまでが(d)ですね)、作者が古池に近づいていくと驚いた蛙が水に飛び込んだ(ここまで(b))と想像を広げたものです。
 文学関係の文献などを調べればこうした作詩事情はある程度は見えてくる場合もあります。しかし、この古池が江戸深川の芭蕉庵の池なのか、深い山の中の池なのか、それは俳句からは何も伝えて来ない、つまり芭蕉自身が説明を省いたわけですから、必要ならば読者が補うことになります。その時に、読者一人ひとりによって、感じられるものは変わってくるのでしょうが、それは良いことですし、それを許すのが俳句でしょう。
 先ほど、「必要ならば」と書きましたが、ここが重要な点で、実は必要かどうかも読者の判断に委ねられているわけで、「この俳句では古池の場所なんて関係ない」と言うことも、場所の限定の必要性を主張することも、それはどちらも許されることです。俳句は必要な言葉を選び抜くのですが、だからと言って、省略された部分は不必要であるとは限らないからです。

 鮟鱇さんの詩で、やや不足している点があるとすると、「古池や」と切れ字を用いてこの五文字が独立していることをどう解釈したかが伝わってこないことです。私はこの句を解釈する時は、ひとまず「古池だなあ!蛙が飛び込む水の音がするぞ!」と感嘆符を用いてから内容を考えるようにしています。「古池蛙飛び込む」という説明調ではないことを考慮し、明確にする必要があるでしょう。
 それは、例えば、三行詩を用いた啄木の意図を汲んで訳すか、一行の短歌として訳すかの違いのように思います。


2007.11.26                 by 桐山人






















「漢詩と俳句の表現についてU」・・常春さん(2007.11.27)


 鈴木先生
 鮟鱇さんの詩「讀芭蕉句有感詩」を読んで、私も俳句を漢詩に盛り込もうとしたことを思い出しました。
 何か名句を借りて相撲をとるような、気晴らしともなるのですが、何時もつくってみて、あー蛇足だなーとがっかりします。
 あえて、私見を鮟鱇さんに呈します。
 鮟鱇さんの「讀芭蕉句有感」とその解説を読んで、感じたことです。

 迂生も、俳句を漢詩に翻案してみました。

   我と来て 遊べや 親のない雀

  疲倦家郷骨肉爭   家郷骨肉の争いに倦み疲れ
  幽篁獨坐夕陽明   幽篁に独り坐せば夕陽明らか
  忽聞黄口逸親慟   忽ち聞く黄口親を逸して慟ずるを
  遊矣雀乎吾與晴   遊べや 雀よ 我と晴れん

 しかし、起句のこの理屈、くどいなー、一茶の骨肉の争いと無関係に、人々は素直に句のもつ寂寥感に共感します。

 それで、起句を省いてみました。

  幽篁獨坐夕陽明  幽篁に独り坐せば夕陽明らか
  忽聽奄奄黄口聲  忽ち聴く奄奄黄口の声
  泣訴求親風冷冷  泣訴 親を求むるも風冷々
  雀乎遊矣我倶晴  雀よ 遊べや 我倶に晴れん

 二句目もやはり蛇足かな、 と 俳句の完成度 に改めて脱帽しました。
俳句には俳句の持ち味、漢詩には漢詩の持ち味ありだなー。

 それでも、これからも、俳句や和歌の翻案をトライしようと思っています。
和歌や俳句に学んで、和風という意味ではなく、漢詩に日本人としての潤いを盛り込みたいと念願するからです。






















「漢詩と俳句の表現についてV」・・井古綆さん(2007.11.27)


 玉作を拝見しました。
 鮟鱇雅兄の、俳句と漢詩との融合へのご努力には、非常に敬服いたします。非才のわたくしには、漢詩を習得するに精一杯で、とても他を振り返る余裕がありません。
 鮟鱇さんのすぐれた頭脳を羨ましく思います。

 雅兄のように長文を書くことは出来ませんが、気がついたことを述べてみたいと思います。

 管見ですが、漢詩は概ね具体的に作っていますが、俳句は抽象的に表現されているため、百人百様に解釈されその曖昧さが良いとされていますが、わたくしは好みません。
 これは日本人としての国民性であろうと思います。その良い例が法律の解釈で、どちらにもとれることは、混乱を招く原因であろうと思います。
 それはさて置き、俳句「古池や・・・・・・・・・・・・」を漢詩への変換、鮟鱇さんが新境地を開く先鞭ではないでしょうか。

 以下に気がついた点を述べてみます。
起句、「花散」を推敲したほうが良いように感じられます。
承句転句、少し作為的に感じますがいかがでしょうか。
結句、直截的で余韻があまりないように感じれられました。

 はなはだ失礼ですが題名にも留意していただければと存じます。
 次にわたくしは中華新韻なるものを存じませんが、雅兄のこの玉作では水平韻の「支韻」ではないでしょうか。その違いを説明して頂ければ有難く存じます。

 この文を書く以上わたくしも一詩を賦しましたが、雅兄との詩意が同じですので次韻とは言えません。

   拝蕉翁秀句有感作一絶
  全山紅痩緑肥時、    
全山紅痩 緑肥の時、
  散策林中到古池。    林中を散策して 古池に到る。
  忽聴驚蛙敲水響、    忽ち聴く驚蛙の 水を敲く響き、
  只看瀲灔細紋馳。    只 瀲灔たる細紋の馳せるを看るのみ。

※ 結句に余韻を持たせましたが、慌ただしく作りましたので、推敲の余地は充分にあります。


以下は、11.29にいただいた文です。

その後推敲いたしました。

  全山紅痩緑肥時    全山紅痩 緑肥の時
  散策林中到古池    林中を散策して 古池に到る
  忽見驚蛙叩澄水    忽ち見る驚蛙の 澄水を叩き
  餘音消只細紋馳    余音消えて 只細紋の馳せるのみ

 漢詩では音を声としても表現しますが、この俳句では音の字を使用しなくてはならないと思い、転句に俳句の「水の音」を描き、結句にその影像を詠出しようと思いましたが、無理だったので結句を句中対にして余韻を詠出したつもりです。

     ************

  常春さんの玉作を拝見して、また新たな感想をもちました。

 俳句の十七文字を漢詩の二十八文字に表現すれば、どうしても間延びしてしまいます。
十七文字は漢詩の一句あれば充分で、あとの三句を如何にして詩語を埋めるかが問題です。
 常春さんの玉作に触発されてわたくしも参考になればと思い一詩を賦しました。



   世情
  黎元戰後幾辛酸    黎元戦後 幾辛酸
  老去無忘甘赤貧    老去無忘 赤貧に甘んず
  今日廟堂施政惡    今日廟堂 施政悪し
  何遊孤雀與羸身    何ぞ遊ばん 孤雀と羸身(るいしん)と

「黎元」: 国民
「無忘」: 思いがけない、無端
「何遊」: 日々の生活に偓促して小雀と遊ぶ余裕がない
「羸身」: (生活に)疲れたからだ

2007.11.29                 by 井古綆






















「漢詩と俳句の表現についてW」・・鮟鱇さん(2007.11.29)


鈴木先生、常春先生 井古綆先生

 鮟鱇です。
 拙作につきご感想をいただき、ありがとうございます。

 拙作について、みなさんに読みとっていただけなかったこととして、詩中の「白首」は芭蕉ではなく、私である、ということがあったと思います。
 「古池や」句を詠んだ当時の芭蕉は四十代前半、まだまだ若く、「白首」ではありませんので、詩中の人物は私であると読んでいただけるかと思っておりました。

 そして、詩意としては、私は芭蕉と同じ立場に置かれれば、芭蕉のようには「蛙飛び込む」に詩情を見出すことはできないだろう、ということがあります。詩を見出すべき場所に詩を見出すことができない詩人の滑稽。そういう詩人の姿を私にダブらせて、私は書きました。
 しかし、そのようには読み取ってはいただけなかったようです。そこで、失敗作ですね。

 以下、ご意見への私の感想を申し上げます。

常春さん>俳句には俳句の持ち味、漢詩には漢詩の持ち味ありだなー。

 そのとおりです。拙作は、その持ち味の違いを私なりにきちんと体感したいと思い、作っております。日本人が作る漢詩は、その違いを踏まえず、短歌的な詠嘆であったり俳句的な感慨であったりを漢詩に仕立てて、詩意がよくわからない作品になる場合が少なくない、と私は思っています。

井古綆さん> 管見ですが、漢詩は概ね具体的に作っていますが、俳句は抽象的に表現されているため、百人百様に解釈されその曖昧さが良いとされていますが、わたくしは好みません。

 私も同感です。さらに言えば、私の場合は、百人百様の解釈、その曖昧さを尊ぶ風潮が日本の美意識にあるように思え、それが好ましくないと思うので漢詩を始めました。少々過激になりますが、曖昧であってよいことと曖昧であってはならないことの区別をきちんと付ける努力さえせず、百人百様という美名のもとで文芸に親しんでいる、そういう甘いところが日本人の詩歌鑑賞にはあると思えます。
 私は、漢詩は、そういう曖昧さを極力排除して作る詩だと思っています。とかく作者の心情という形で片付けられ、読者にきちんと伝わるかどうかが曖昧な心情表現は、私の場合ですが、極力排除する方針です。

井古綆さん>起句、「花散」を推敲したほうが良いように感じられます。

 確かに「花散緑肥」よりも「紅痩緑肥」の方が、四字の対仗としては整っていると思います。
 しかし、後述しますが、「蛙」を季語として「古池」句を春の句とする通行の解釈、わたしには抵抗があり、「花は完全に散じてしまった」季節にしたかったので「花散緑肥」にしています。
 「全山花散」と「全山紅痩」でみれば、「全山花散」の方が、花期を過ぎて探勝する、つまりTPOを失しているということが、表現できます。これに対し、「紅痩緑肥」は、いわゆる風情がありすぎます。

井古綆さん>承句転句、少し作為的に感じますがいかがでしょうか。 井古綆さん>結句、直截的で余韻があまりないように感じられました。

 承句転句。結句へどう展開していくかで、私なりの「作為」はあります。作中の「白首」は私ですので、滑稽に戯画化したい。
 「蛙飛びこむ」は一個の偶然・独立した事象です。凡庸な詩人である私は、芭蕉と同じ境地で「蛙飛び込む」に詩情を見出すことはできないのです。私が詩中で詩にしようとしたのは、古池だけです。「蛙飛びこむ」には、ただ、びっくり。  凡庸な詩人を戯画にする。そのためには、転句、結句は、因果関係にズレがある方がいい。ズレは、「滑稽」の技法です。凡庸な詩人が詩を求めて詩材に近付く、しかし、そのことと関係のない蛙が池に飛び込む、というのが、転句と結句です。

 余韻については、井古綆さんの玉作に確かに劣ります。上述のような次第で、余韻のことはわたしはあまり考えていません。わたしが書きたかったのは、「滑稽」です。
 ただ、玉作の転句「忽聴驚蛙敲水響」は、「聴」、「驚」「敲」「響」の五字が強すぎると思います。「蛙飛び込む水の音」が十分に詩的である、という前提で詩をお作りになっているからだと思いますが、蛙は、驚いたから池に飛び込んだのかどうか、又、「敲水」という表現が適切であるのかどうか、蛙が飛び込む程度の音を「響」と表現してよいのかどうか、また、その実、「聞(聞こえる)」である程度のことを「聴(注意して聴く)」としてよいのかどうか、という疑問があります。

 拙作は、「蛙飛び込む水の音」がどうして詩情あふれるものとされているのか、ということを考えながら作っています。私が芭蕉句をきちんと吟味せずに、つまりよくわからないのに、ああいい、と思うのは滑稽ではないか、そう思いながら作っています。拙作のなかには、「白首」すなわち私を泳がせ、芭蕉は登場させなかったのは、芭蕉の作品自体が問題なのではなく、私が問題だったからです。

 私も「古池や」句が世界的な名句であることは、十分承知していますし、わたしなりにしっとりとした鑑賞もできますが、その鑑賞は、私自身で気付いたものではなく、私が学生だった頃の教育の場でそのように鑑賞するのがよいと教わったものだ、と思っています。私の感性が芭蕉の句に響いたのではなく、教育が私の感性を動かしている、私の「古池や」句のしっとりとした鑑賞は、そういう詩情に基づくものです。
 拙作は、教育で植え付けられた私の先入観を抜きに、つまり私の眼と耳を洗って、改めて芭蕉句を読み返したときに、何を思うか、ということを詩作の動機にしています。

 そして、そういう眼でみたときに、わたしが思うのは、「蛙飛びここむ水のをと」に詩情を覚えた芭蕉の詩人としての感性ではなく、それを詩にまで高めた芭蕉の文才です。芭蕉は天性の詩人としてではなく、推敲の秀才として類稀れです。
 「古池や」句の初案は「山吹や蛙飛ンだり水の音」でした。「山吹」がどうして「古池」に変わったのか。ここに、芭蕉の優れた文才があり、推敲力があります。
 「山吹や」と詠む限り、主役は「山吹」であり、俳諧の座での挨拶句です。「蛙飛び込む水の音」は、山吹が咲いている春の池に、ちょっとだけ動きをそえるものす。主役は山吹、蛙は脇役。季語は「山吹」であり、「蛙」は今でこそ春の季語とされていますが、「蛙鳴く」が春の季語なのであって、「蛙飛び込む」は、芭蕉の時代には、春の季語であったはずがありません。蛙は、短歌では、その声だけが春を告げるものとして意味があり、その醜い姿は、それこそ芭蕉の句が生まれるまでは、詩題とはなりえなかったのではないでしょうか。
 もし芭蕉の時代に「蛙」それ自身がすでに春の季語だったとすれば、芭蕉ほどの宗匠が、俳諧の発句として、「やまぶき」と「蛙」と季重なりをなぜ詠んだのかを、考えなければなりません。「やまぶき」は春、「蛙飛び込む」には季感がない、そういう立場で芭蕉は初案を詠んだと思えます。

 これに関連し、「猫の恋」は春の季語ですが、だからといって「猫」は春の季語ではないということがあります。  このことからも、当時は、「蛙」=「鳴く蛙」だった、と思われます。また、「月」=秋の季語、「春の月」=春の季語、ということもあります。だとすれば、「蛙」=春の季語なら、「蛙飛び込む」は、春の季語ではない、ということになります。
 とすれば、「山吹」が「古池」となったとき、実は有季だった発句が、無季の句になったと見るべきです。これは、俳諧の一部だった発句が、それ自身で独立した詩となった、ということです。「山吹」句は脇句が付けやすい、「古池」句には、どうのように付けるのか。そういう観点からも「古池」句が、俳諧の発句という位置から離れて、一個の独立した短詩としての地位を、すでに獲得していることがわかります。
 そして句の主役も、「山吹」から「古池」と「蛙」という取り合わせに変わりました。「古池」そのものに詩があるのではなく、「蛙飛び込む」そのことに詩があるのでもないのです。

 「古池」という無季性あるいは超時間性と、「蛙飛び込む」という無季性あるいは無意味性。時空のなかに存在し続けるものと一瞬の些事。このふたつが結び付くとき、わたしの頭に残るのは「謎」です。シュールレアリズムの謎であるといってもいい。そして、この謎が解明されない限りは、私は脳裡に「蛙が飛び込む景」を描くことができません。古池と蛙が飛び込む姿とをかりに「絵」にするとして、その古池すなわち風景が、春であるのか夏であるのか、あるいは秋であるのか、それを決めることができないし、それを決めることに意味がない。そういう超時間性の詩としての俳句を、芭蕉は作ったのだと思います。だから、日本の四季や風景をまるで知らない欧米の詩人も驚くのです。そして、そういう超時間性や日本の風土に拘束されない普遍性にこそ、芭蕉の俳句を世界のものにする力があり、「古池」句に哲学を読み取る解釈をも可能にする力があるのです。
 そこで、わたしのごときがどのように漢詩にしようと、芭蕉の句を踏まえ、芭蕉と同じ詩境で佳作を作ることは、できないのです。また、どなたがそれを試みても、決してうまくいかないと思います。

井古綆さん> 次にわたくしは中華新韻なるものを存じませんが、雅兄のこの玉作では水平韻の「支韻」ではないでしょうか。その違いを説明して頂ければ有難く存じます。

 拙作で用いた韻字は、平水韻では「支韻」です。そして、中華新韻でも「支韻」です。拙作は、作者の意識としては「新韻」ですが、平水韻の詩としても通用します。
 私の作詩の楽しみとして、平仄と押韻が結構重要になっています。ピンインで書く、そうすることではじめて調子に乗ることができるからです。そして、ピンインで書く限りは、平水韻準拠による押韻の醍醐味を味わうことが私にはできません。
 平水韻の「支韻」は、現在では、韻母が無声化して「支韻」となっている語と、「斉韻」「微韻」に移行した語とに分かれます。危・奇・詩は平水韻では「支韻」で同韻ですが、新韻では「微」「斉」「支」です。これらを同韻として作詩をしても、わたしの頭のなかの声は、押韻をしたことにはなりません。
 平仄や押韻は、詩にとっては二次的な問題であり、そう厳密である必要はありません。とりわけ読者にとっては、そうであるだろうと思います。しかし、詩を作る立場でいえば、声に出したらどうなるかということでこだわってもいいわけで、私には新韻で作ることへのこだわりがあります。

 以上、お答えになっているかどうかですが、私の思いを述べさせていただきました。