2004年の投稿漢詩 第91作は 西克 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-91

  朗吟迎曹     朗吟曹を迎える   

年年香雪逐風旋   年年香雪風を逐って旋る

歳歳人移思寂然   歳歳人移ろえば思い寂然たり

同好得曹春色裏   同好の曹を得る春色の裏

吟詩養気訪先賢   詩を吟じ気を養いて先賢を訪ねん

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 市の高齢者福祉の詩吟同好会です。年年仲間が少なくなってきたので、この度先輩グループと合併しました。

<感想>

 起句の「香雪」「梅の花」の別称ですね。
 起句の冒頭に「年年」とありますが、これは冒韻になります。冒韻についてはどこまで厳しく守るか、は色々な見解があるのですが、起句の冒頭ではこれは脚韻の効果が消えてしまいます。
 「年年歳歳」と対で置く意図は分かりますが、前対格ということでもありませんし、避けるべきでしょう。

 転句の読みは「同好の曹を得春色の裏」ではなく、「同好の曹を得たり春色の裏」と完了形にした方が勢いが出て、結句につながるように思います。

2004. 5.12                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第92作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-92

  詠北陸旅行      北陸旅行を詠む  

車窓遠望白山巒   車窓より遠望す 白山の巒

残雪容姿覚薄寒   残雪の容姿 薄寒を覚ゆ

携酒与朋金沢旅   酒を携え 朋とともに  金沢の旅

今宵談笑夜漫漫   今宵 談笑せん 夜 漫々と

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 この間 会社のOBと金沢へ旅行しました。
 久し振りの白山を眺めながら、懐かしさとともに昔のことを思い出し作詩しました。

<感想>

 起句の「白山」は、固有名であると同時に「白い雪山」の意味も持ち、固有名の使い方としては好適な例ですね。ただ、固有名のイメージは残りますから、転句の「金沢」がくどく、せっかくの「白山」の二重効果が薄れてしまうように思います。
 題名を「詠金沢旅行」として、「古都」あたりの言葉を使うと良いのではないでしょうか。

 結句の「漫」は、「(水が)広大な様」の時には平仄両用となる字です。この場合には、「夜が広々と(延々と)続く」という意味になるでしょう。

2004. 5.12                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第93作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-93

  波和怡真珠灣        

興亡一夢一恩讎   興亡一夢一恩讐

往者茫茫幾送秋   往者茫茫幾たびか秋を送る

碧玉海長傷嘆地   碧玉の海は長に傷嘆の地

灣碕波譟戦雲悠   灣碕波さわいで戦雲悠かなり

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 昨秋(平成15年、2003)初めてハワイへ旅行しました。
 戦後半世紀以上が経ち、若者の中にはかって米国と我が国が対峙したことすらも知らないという世代が出てきています。正に隔世の感ですね。
 この真珠湾は日米双方にとって決して忘れることのできない平和祈念と、鎮魂の地です。二度と両国が再び戦火を交えることの無き事を祈るばかりです。

<感想>

 真珠湾という名前を聞くだけで、私の世代以上の年齢の方はすぐに先の戦争のことを思い出し、歴史的な名前というイメージが強いのですが、三年前の「えひめ丸」の事件を思うと、改めてアメリカ海軍の拠点基地であることを実感します。

 結句の「戦雲悠」は、時間的な「悠」と空間的な「悠」と両方の意味に取れますね。時間的なことは言うまでもないでしょうが、空間的にとらえるならば、「かつてはこの真珠湾が戦場となったが、今では遠く中東の地が戦火に包まれている」という感じでしょう。作者の意図はこちらでしょうかね。

 転句は「長」の役割がポイントでしょう。「傷嘆地」「長」であるとして修飾する形にはここでは読みにくいと思います。
 文の構成としては、「碧玉海」「長(永遠)であると解釈しますので、前者の意味ならば「碧海久長傷嘆地」とでもするのでしょうね。

2004. 5.12                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第94作も サラリーマン金太郎 さんのハワイでの作品です。
 

作品番号 2004-94

  游波和怡思母國      波和怡に遊んで母国を思ふ  

碧海白雲l館前   碧海白雲館前にlぶ

佳肴美醞酔芳莚   佳肴美醞芳莚に酔う

忽然湧起望郷念   忽然湧き起こる望郷の念

遥仰高天雁影連   遥かに高天を仰げば雁影連なる

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 起句の「醞」はこの字で良かったでしょうか。「ゆるやかに美しく広がる」という意味でしょうね。「白雲」「館前」というのは少し抵抗がある表現です。

 転句の「忽然」は、恐らく事実そのもの、「脈絡もなく突然に心に湧き上がってきた」ことをそのまま書かれたのでしょう。しかし、前半に誘因となるものが暗示されていればいいのですが、そうでないので、どうしてなのか悩み、ここで鑑賞が中断します。
 作者にとっては説明が省けて便利な言葉ですが、読者にとっては苦しむ言葉です。
 結句の「高天雁影連」がきっかけだとして解決はするのですが、その前の「遥仰」がこの位置にありますので、順番としては「望郷の念が浮かんだ」後で「空を仰ぎ見た」となります。この「遥仰」は意味が希薄ですし、省いてはどうでしょうか。

2004. 5.12                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第95作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-95

  春日        

霜溶梅發馥蒙鄰   霜溶け 梅発きて馥 隣を蒙い、

黄草善風還含銀   黄草風を善(よみ)して 還た銀を含む。

萬物随行榮八表   万物 行に随い 八表に栄ゆ、

我生天與蓋欣春   我が生 天与 蓋ぞ春を欣ばざらん

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 久しぶりに作ったので、腕が落ちていないか心配です。
学校も忙しく、なかなか時間がありませんが、暇を見つけては作っていきたいと思っています。

 [語釈]
 「隣」:辺りというほどの意味
 「含銀」:生気を宿す様子
 「随行」:天行に随う

<感想>

 徐庶さんも二年生、学校生活も勉強や進路のことなど、いよいよ本格的に進めて行かなくてはいけない充実した学年になりますね。
 「暇を見つけて」是非、作詩にも頑張って下さい。

 徐庶さんの独特のスケールの大きな視野がよく表れていると思います。結句の「我生天与」などという言い方は、老成の感もしますが、ある意味では若者だからこそ使える特権かもしれません。この言葉が詩の中でしっくりとしているところが良いと思います。
 部分的に「還含銀」「蓋欣春」などはやや生硬な感じで、もう少し推敲できると思いますが、詩の構成力などは、大丈夫、「腕が落ちて」などいませんよ。

2004. 5.12                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第96作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-96

  浪速菅廟吟社        

去歳題秋思   去歳秋思を題し

清涼受恩賜   清涼に恩賜を受く

不意被怨恚   意わざるき怨恚を被むるを

遭謫過此地   謫に遭って此地を過ぎる

可憐古賢意   憐む可し古賢の意

南岳風雅嗣   南岳風雅を嗣ぐ


天満菅廟裏   天満菅廟の裏

風流交朋誼   風流交朋を誼す

豹軒詩文崇   豹軒詩文崇く

黄坡自雅致   黄坡自のずから雅致なり

詩人知其志   詩人其の志を知り

戦詩無遠近   詩を戦わせて遠近なし

聳肩苦一字   肩を聳しては一字に苦しみ

欲争詩筒寄   争って詩筒を寄せんとす

先達大雅議   先達大雅を議し

綿綿吟社熾   綿綿として吟社熾んなり



劫後詩道墜   劫後詩道墜え

世間流澆季   世間澆季に流る

餘容逸藻備   余容逸藻を備え

夙懷復興義   夙に興を復する義を懷う

瓠堂大便庇   瓠堂大いに便庇するも

世儒空掉臂   世儒空しく臂を掉う

詩人無投刺   詩人 刺を投じる無く

社友徒鶴跂   社友 徒らに鶴跂せん

風雅興無術   風雅を興すに術無く

世情希平治   世情平治を希う



国多経済器   国に経済の器多し

窮民足衣食   窮民衣食足り

人心漸和懿   人心漸く和懿し

復有詩文嗜   復た詩文を嗜む有り

從此詩雄萃   此れ從り詩雄萃まり

復興夙志遂   興を復して 夙志遂ぐ



霊鳳先隨侍   霊鳳先ず隨侍し

詩味正妍媚   詩味自のずから妍媚なり

琴窓詞巧緻   琴窓 詞巧緻たり

斯道無次比   時人 次比無し

白節詩意易   白節 詩意易く

雅趣誇才智   雅趣 才智を誇る



後生受惠施   後生 惠施を受けて

非才報教示   非才 教示に報いん

豈厭詩文累   豈厭わんや 詩文に累わるを

社友偕相憙   社友 偕に相い憙ず

雖各巧拙異   各々巧拙を異にすると雖も

承風娯韻事   風を承て韻事を娯しまん

鴻業須心誌   鴻業 須らく心誌すべし

感荷垂感涙   感荷して感涙を垂れん

  ●南岳 藤沢南岳   ●豹軒 鈴木豹軒   ●黄坡 藤沢黄坡   ●餘容 中村餘容
  ●瓠堂 安岡正篤   ●霊鳳 根岸霊鳳   ●琴窓 水原琴窓   ●白節 北村白節

 僕曾学詩白節老師於浪速菅廟吟社。夙欲跪履執弟子禮。
 老師、復興吟社、而後為主宰。為其人、碩学鴻文、風節高峻也。社中諸子亦、是篤学好古士。耳提面命而皆親炙。
 老師説道、「藤沢南岳老師、欽慕菅公、而創詩社於浪速天満宮。課宿題設席題。席題分韻而互相評隲」自創吟社、今于經百二十星霜。感慨不少。
 以老師之所説、賦五言毎句四十六韻、報鴻恩。


 浪速菅廟吟社
 僕曾って詩を白節老師に浪速菅廟吟社で学ぶ。夙に履に跪ずいて、弟子の禮を執らんと欲っす。
 老師、吟社を復興して而る後、主宰と為る。其の人為るや、 碩学鴻文、風節高峻也。社中諸子も亦た、是れ篤学好古の士たり。耳提面命しては、皆親炙す。
 老師説く道く、「藤沢南岳老師、菅公を欽慕して、詩社を浪速天満宮に創むる。宿題を課し席題を設く。席題は韻を分ち互いに相い評隲する」と。吟社を創めて自り、今于百二十星霜を經る。感慨少からず。
 老師之説く所を以って、五言毎句四十六韻を賦して、鴻恩に報いん。

<解説>

 浪速菅廟吟社は藤沢南岳老師が明治15年に創められ、途中第二次世界大戦により中断されましたが、現在にいたり120年をむかえます。おそらくは日本最古の吟社だとおもいます。
 その間、鈴木豹軒藤沢黄坡を始め、著名な詩人を輩出しています。創立100年の時には、昭和56年の3月1日付けの朝日新聞に、吾師 白節 北村学「浪速菅廟吟社百年について」で掲載されたことがあります。

 今回、浪速菅廟吟社より大阪天満宮の好文木浪速菅廟吟社創立120年冊が発刊されています。
 大阪近在の方は是非一度お訪ね下さい。毎月第一日曜日に定例会を大阪天満宮で行っています。





















 2004年の投稿漢詩 第97作は 枳亭 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-97

  熊野鬼城      熊野の鬼ケ城  

延延対海断巖連   延延海に対って 断巖連なる

鬼相威容壁面穿   鬼相の威容 壁面の穿

激浪烈風侵食業   激浪烈風 侵食の業

祇知妙致拠経年   祇に知る 妙致は経年に拠ると

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 鬼面の故か、それとも昔海賊が洞窟を根城としていたからか、名称の由来はどちらとも受け取れる。壁面の異相もさることながら、無数の造形的な穿孔は自然の侵蝕と長い年月が作り上げた芸術品だとの思いを強くした。

 漢詩になじみのない方にも分かり易い21世紀の詩をと心掛けていますが、この考え方は如何なものでしょうか。

<感想>

 いただいた原稿では、転句について、本文が「浸食」で読み下しが「侵蝕」となっていました。「侵食」で揃えておきましたが、よろしかったでしょうか。
 起句の「延延」は冒韻になっています。このことについては2004年の91作、枳亭さんの「朗吟迎曹」のところで述べましたので、ここでは繰り返しませんが、冒韻として避けるべき位置ですね。

 詩のねらいは結句にあり、風雪が作り上げた自然の妙への感動を描こうとされているのですが、結句の表現が固いので、全体が尻すぼみのように感じます。結句をより力強い明快な句にすると、詩としてのまとまりが良くなるでしょう。

2004. 5.13                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第98作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-98

  看桜時節迫近     看桜の時節迫近  

風日温和朝靄天   風日は温和 朝靄の天

木蘭花紫樹頭鮮   木蘭の花は紫 樹頭に鮮やか

柳糸浅緑春情涌   柳糸は浅緑  春情涌く

思案看桜往那辺   思案す 看桜那辺へ往かん

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 木蓮の花が樹頭に咲き出し、また、柳も浅緑の芽が伸びて、いよいよ春が来た気分となります。
 次は花見ですが、今年のように、開花時期が早くなりますと、何処へ出かけるのがいいか、ますます思案することとなります。そんな気分を書いてみました。

<感想>

 三月下旬に投稿していただいた作品でしたが、掲載が遅れて季節が移ってしまい、申し訳なく思っています。
 詩の方は、一つ一つの情景を丁寧に見ていらっしゃると思います。ただ、起句から転句までが情景に変化が少なく、特に転句の変化の弱さが気になります。
 桜への期待感が段々と高まっていくような展開ですと結句も盛り上がるのですが、起句から転句まで春の好景をここまで並べると、ひがみっぽい私などは、「この上に桜まで期待して贅沢だなぁ」と思ってしまいます。ま、でも春に酔いしれての心境を描くとすれば、このくらいでもいいかもしれません。

 そういう点では、結句の「思案」「携酒」とかでうきうきした気持ちをいっそ強調した方が面白いかもしれませんね。

2004. 5.14                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第99作は島田市の 履氷 さん、五十代の男性の方からの作品です。
 

作品番号 2004-99

  春日偶成        

春鳥鳴芳樹   春鳥 芳樹に鳴き

東郊風色新   東郊 風色新たなり

街頭老詩客   街頭 老詩客

羨見荷鍬人   羨み見る 鍬を荷う人

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 定年を控えた会社務め人にとっては、春は感無量の季節と言えます。いっそ人間関係など煩わしさのない所で生きていきたいのに、やっぱり再就職して似たようなところで生きていかねば成らないことに、一抹の寂しさを感じます。

<感想>

 初めて作られたということですが、風格のある詩になっていますね。
 転句の「街頭老詩客」は作者自身を客観的に眺めたものでしょう。結句の「羨」もその流れから行けば、「うらやましそうに見ている」と解釈すれば視点の変化もなく、自然に読んでいけると思います。ここを作者自身の感情として出してしまうと、詩が平板になります。
 そういった点を解消するならば「羨見」の箇所を、「街頭」の対で場所を表す言葉に代えるなり、「偶見」などのように感情語を排除するかが方策でしょう。
 余韻の残るような終わり方にすると、五言絶句の良さが出てきますね。

 尚、起句の「春」は冒韻ですので、「鶯鳥」ではどうでしょうか。

2004. 5.14                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第100作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-100

  孫女誕      孫女誕まる  

片片桜花舞恵風   片片たる桜花 恵風に舞い

斑斑欅葉踊蒼空   斑斑たる欅葉 蒼空に踊る

呱呱高響嬌孫誕   呱呱高く響いて 嬌孫誕まる

育育心身願日豊   育育たる心身の願わくは日日に豊かならん事を

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 起承句の対句仕立ては兎も角として、転結句にまで畳字を用いたのは些か煩しいかも知れません。

<感想>

 お孫さんのご誕生、おめでとうございます。以前に禿羊さんもお孫さんが生まれた折の詩「」を送ってくださいましたね。
 各句の頭の畳字は「煩わしいかも」と書かれていますが、狙いをどこに置くかでしょう。古詩などでは、例えば「桃夭」では、よく知られた「桃之夭夭」「之子于帰」などの繰り返しが何度も出てきますが、それを煩わしいとは思いません。何故ならば、古詩の持つ歌謡の要素を残していると知っているからです。
 この詩もお祝いの、みんなで声を合わせて歌うのだと思えば、楽しい繰り返しとなります。

2004. 5.14                 by junji



ニャースさんから感想をいただきましたよ。

ニャースです。
柳田先生 おめでとうございました。
失礼ながら詩人のにこにこした好々爺ぶりも、イメージできこちらまでうれしくなってしまいます。
こういう喜びを素直に詠うのも、詩の大事な表現だと思います。
 鈴木先生もとりあげられていますが、そのあとの時代の詩と比べて技巧が少ない詩経が、いつまでも輝きを失わないのは、(わが国の万葉集もそうですが)素直に人間の喜び、悲しみを表現するということが、どんな時代にも受け入れられるからでしょう。
 そこまで大上段にふりかぶらなくても、音的にもきれいだし、楽しめる詩です。それにしても柳田先生 この調子だとお孫さんのご成長の様子がどんどん詩となっていくのではないでしょうか。いまから楽しみにしております。

2004. 5.20                 by ニャース





















 2004年の投稿漢詩 第101作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-101

  老去新生        

桜蘂降頻重路辺   桜蘂降ること頻りにして路辺に重なり

欅芽漸密映蒼天   欅芽漸く密にして蒼天に映ゆ

呱啼時響肥孫女   呱啼時に響いて孫女肥ゆ

老去新生合是然   老去新生合に是然るべし

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 前作『孫女誕』と殆ど同工ですが、結句は些か理屈に堕すかも知れません。

<感想>

 前作と同じく、お孫さんを詠った作品ですね。
 前半の起句承句は、視線の動きが上下遠近、広角度の望遠から近距離の接写まで、濃密な描写が生き生きと続き、読んでいてもワクワクするような昂揚感があります。
 結句は「些か理屈に堕すかも知れません」とのお言葉ですが、「老去新生」という条理はどこから導かれたのか、特に「老去」は転句までの流れからでは見つからないので、唐突な分だけ「理屈」を感じるのかもしれません。
 起句承句の情景描写の中にいくらかでも暗示するようなものを入れる、具体的に老を感じさせるものを書き込むと、全体の流れが良くなるように思います。

2004. 5.14                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第102作は 登龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-102

  晩春偶成        

落花繚乱暗傷神   落花繚乱暗に神を傷ましむ

空寂林庭似我身   空寂たる林庭我身に似たり

蝶恨鴬愁都若夢   蝶恨み鴬愁ひ都て夢のごとし

此情枉賦餞徂春   此の情枉げて賦し徂春を餞す

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 散り落ちる花びらが入り乱れ何となく心がいたみ、
 ひっそりと寂しい林庭はわが身に似ているようだ。
 蝶は恨み鴬は愁いすべて夢のようで、
 この情まげて詩を作り、去り行く春に別れを告げる。


<感想>

 過ぎゆく春を惜しむのは人間だけの感情ではなく、登龍さんの仰るように、蝶も鴬も、そして落ちる花も皆、一斉に春を惜しむものなのですよね。

 承句の「似我身」は、こうした表現はあまりにも直截的で、感情をそのまま比喩したのは感心できません。ただ、前句の「落花繚乱」と次句の「蝶」「鴬」とをつないで、最初に書きましたように、花も鳥も虫も、そして「私も」ということで提示しておきたいということでしたら、これも一つかもしれません。
 しかし、それにしても、承句でも「似我身」と比喩、転句でも「都若夢」と比喩は面白くないでしょう。

2004. 5.19                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第103作は 佐竹丹鳳 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-103

  晩春即事        

行逐韶光澱水浜   行きて韶光を逐う 澱水の浜

洪流漫漫幾回新   洪流漫漫として 幾回か新たなる

桜花飛散成紅雨   桜花飛び散じて 紅雨と成り

柳葉繁低連翆茵   柳葉繁り低れて 翆茵に連なる

粉蝶香深穿菜繞   粉蝶香深き 菜を穿って繞る

黄蜂蜜熟入叢頻   黄蜂蜜熟し 叢に入って頻なり

一年好處忘時過   一年の好き處 時の過ぐるを忘れ 

閑却離愁又送春   離愁を閑却して 又春を送る

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 淀川沿いの晩春、土手の桜の花が一斉に風に舞い、空一面を覆うような光景が目に浮かぶ詩ですね。
 第二句の川の流れの描写から考えると、第一句で「水」「浜」と関連する二字を使うのは少し気になりました。
 読み下しの点では、第五句の「香深」「香深き」と連体形にされていますが、対応で行けば第六句も「蜜熟する」と連体形にする、あるいはどちらも連用形にして「香深く」「蜜熟し」とするか、整えた方が良いでしょう。私は後者で、「香が深いので」「蜜が熟したので」という雰囲気を残したいと思います。
 尾聯はやや急いだでしょうか、決めの言葉をあと一つ入れないと、全体の締まりが悪くなっているように感じました。

2004. 5.19                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第104作は 岡田嘉崇 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-104

  初夏閑居        

地僻村居人影空   地僻の村居 人影空しく

残芳猶有鳥啼中   残芳猶有り 鳥啼中

遶簷嫩葉低迷緑   簷を遶る嫩葉 低迷の緑

覆水青萍隠約紅   水を覆う青萍 隠約の紅

深院鈔詩消永日   深院詩を鈔して 永日を消し

荒園摧朽引清風   荒園朽を摧いて 清風を引く

新陰墻角歩幽径   新陰の墻角 幽径を歩し

獨聴老鶯田舎翁   獨り老鶯を聴く 田舎の翁

          (上平声「一東」の押韻)

<感想>

 閑居の中、作者の足取りまでもが見えてくるような詩ですね。特に、第二句の「残芳猶有」や第八句の「獨聴老鶯田舎翁」は、「猶」「獨」が利いていると思います。
 ただ、第二句の「鳥啼中」は第八句の「獨聴老鴬」を暗示してしまうのがやや心残り。作者は意図して書かれたのかもしれませんが、私は尾聯までは静かな情景に徹しておいた方が良いように思いますが、どうでしょう。

2004. 5.19                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第105作は 藤原崎陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-105

  春宵花宴        

老残自遣在風塵   老残自から遣って 風塵に在り

恍看窓前淑景新   恍として看る窓前 淑景新なるを

點筆雲牋画紅萼   筆を雲牋に點じて 紅萼を画き

銜杯草院楽芳醇   杯を草院に銜んで 芳醇を楽む

與誰相語朧朧夜   誰と與に相い語らん朧朧たる夜

只獨幽吟寂寂春   只獨り幽吟す 寂寂たる春

回想古城花下宴   回想す古城 花下の宴

尋華詠月憶佳人   華を尋ね 月を詠じて佳人を憶う

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 幻想的な雰囲気を感じさせる詩ですね。
「回想」する「古城花下宴」が、どんなものを想定していらっしゃるのかはわかりませんが、その分、読者に委ねられた部分もあり、読み返すたびに胸に浮かぶものが変わり、何度も楽しませていただきました。
 とりわけ、頸聯の対句は胸の奥に響いてくるような仕上がりで、良いですね。

2004. 5.19                 by junji