2004年の投稿漢詩 第136作は 長岡瀬風 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-136

  初夏偶成        

此境尤宜五月中   此の境尤も宜し 五月の中

危峰淺瀬屋西東   危峰浅瀬 屋の西東

藏鴉嫋嫋楊柳翆   鴉を蔵して 嫋嫋たり 楊柳の翠

呼蝶夭夭躑躅紅   蝶を呼びて 夭夭 躑躅の紅

閉戸無人延永晝   戸を閉じて 人は無く 永昼を延き

開窓煎茗坐薫風   窓を開いて 茗を煎って 薫風に坐す

鰥夫遲鈍了間事   鰥夫かんぷ遅鈍にして 間事を了り

自笑欣然學放翁   自ら笑う 欣然 放翁を学ぶと

          (上平声「一東」の押韻)

<感想>

 瀬風さんからは、以前に「初盆」の詩をいただきましたが、静かな悲しみに胸を打たれました。
 今回はそれから二年ほどを経たことになりますね。尾聯の「鰥夫」は、「奥さんの居ない男性」を表します。他にも「鰥居」という用法もありますね。
 「放翁」は南宋の陸游、「示児」に見られるような強烈な、憂国愛国の詩人であると共に、また「遊山西村」に示されるような田園詩人でもあります。そして、さらに「沈園」では、女性(かつての妻)への深い愛情があふれる、情熱の詩人でもありました。
 瀬風さんは、ここでは「田園詩人」としての「放翁」に学ぼうとされているのでしょうね。

 さて、放翁のことにばかり話が進んでもいけませんので、感想に戻りましょう。
 私が最も印象に残ったのは、第二句の「危峰淺瀬屋西東」です。何気ない言葉を使いつつも、句中対が生きていて、視界が上から下、東西にと広がり、非常に立体感のある構図になっていると思いました。
 この句の効果で、次の「楊柳」「躑躅」も遠近感があり、読者はおのずと詩人の世界の中に入り込んでしまいますね。
 頸聯の対句は、「閉戸」「開窓」の対が常套の感があり、やや物足りない気はしますが、「無人」の部屋で誰のために「煎茗」するのか、他ならぬ自分のためだと進めていくと、次の「鰥夫」にも深刻さが薄れて軽妙さが生まれ、更に「自笑」も洒脱な風格が出てきているとも言えるでしょう。
 こうした流れは意図して生まれるのではなく、詩が自ずから導いたのかもしれませんね。言葉として描かれた以上のものが感じられる味わい深い作品だと思いました。

2004. 7.23                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第137作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2004-137

  晩春渡瀬戸内海      晩春に瀬戸内海を渡る  

夕陽群島訪   夕陽群島を訪れ、

紅染海和天   海と天を紅染める。

一陣春風渡   一陣の春風 渡れば、

揺舟誘浅眠   舟揺れは浅眠を誘う。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 出張で松山から山口 柳井にフェリーで渡りました。
 さすがは瀬戸内海。夕暮れは”無限好”でした。

<感想>

 穏やかな瀬戸内海の穏やかな晩春、安心してウトウトと出来るのはフェリーの大きさに依るのでしょうか。
 私は以前、別府から松山まで夏の夜にフェリーで渡りましたが、揺れる揺れる、眠るどころではなく、転がらないように踏ん張り続けていました。あれは、三等室だったからか、船が小さかったからか、夏の夜だったからか、いずれにしろ、大変な航海でした。

 さて、詩の方ですが、承句の「和」について、「○○○○」のように接続詞の用法は現代口語表現ですので、不適切です。ただ、この詩の場合には、「紅に染み、海 天に和す」と動詞で読むこともできるでしょうから、そうするとちょっと雄大な感じがでるかもしれませんね。

2004. 7.23                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第138作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-138

  佳人死盛春        

肺臓藏花開病身,   肺臓 花の病身に開くを蔵し,

阿嬌薄命死酣春。   阿嬌 薄命にして酣春に死す。

櫻雲吐雪天飛處,   櫻雲 雪を吐いて天に飛ぶところ,

憔悴斷腸埋骨人。   憔悴断腸す 埋骨の人。

          (普通話韵十五痕、上平声十一真の押韻の押韻)

<解説>

  阿嬌:  美人

 この春、アマチュア声楽家の知り合いが出演したオペラ「ボヘーム」を見て書いた詩です。
 女主人公は、肺結核で冬を越せずに死にます。つまり、「ボヘーム」に桜が雪のように舞うシーンがあるわけではありません。桜は小生の想像です。

<感想>

 起句が難解ですね。推定の流れとしては、「肺臓は花を隠した」ということがスタートでしょうか、そして、その花は「病気の人の手元で開く」はずのものだったとなりますから、結果として、「肺のせいで病気のこの女の人(子)は花を開かせることもなかった」ということでしょうか。
 「肺臓藏花」に何か典拠があるのでしょうか。そうでないと、ここは分かりにくい言い回しに感じます。
 結句の「憔悴」「斷腸」の言葉があまり実感として伝わって来ず、言葉を貼り付けたような感じがします。観客の立場から見たからでしょうか、鮟鱇さんには珍しく、気持ちの入り方が少ないように思いました。

2004. 7.24                 by junji



坂本定洋さんからの感想です。
拝啓。鮟鱇先生。

 先ずは、このような題材に臆せずに取り組んで見せる鮟鱇先生に敬意を表します。それは難しいですよ。簡単にいくとは思いません。私など全くお手上げと認めた上で勝手な事を述べさせていただきます。

 「ミミ」は「短命」だったのはわかるけれど、「薄命」だったのか。私の感じかたは否です。あれはあれで十分に幸せな生涯だったのではないか。そんな見方も成り立ちます。その歌劇を知らない人にもある程度わかり、知る人にも納得いくように。どの詩にも求められる事と言えばそれまでですが、特に難しい題材です。

 冒頭「肺」は生過ぎます。「病身」とあるのですから余分と言えます。主人公を「短命」ないし「病身」で一括りにすれば、もっと書ける余地ができるはずです。「臨終の場面」なり「出会いの場面」なり、あるいは「別れの四重唱」と、もっと場面を絞り込んで一枚の絵を描くように臨めば、鮟鱇先生の事ですから、もっと何とかなるはずだと思います。

 もうひとつ。「ボエム」は鮟鱇先生には物足りなかったのではないかと言うことです。どうせ取り上げるならば、ワグナーの「リング四部作」「トリスタンとイゾルテ」あるいは「パルシファル」はいかがでしょうか。このあたり、三千世界広しと言えども、期待できるのは鮟鱇先生だけです。懲りずに挑戦を続けていただく事を切に望んでおります。

 最後に、この所不調の私ですが、鮟鱇先生のこの作に刺激を受けました。同じ題材に取り組んでみます。しばらく時間を下さい。刺激を受けたのは私だけではないようですね。

2004. 8.15                 by 坂本 定洋




















 2004年の投稿漢詩 第139作は大分県の 玉三郎 さん、四十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 このホームページをご覧になっての感想で、「どの作品にも丁寧な感想や心優しいアドバイスがあり感心しています。」と書いてくださいました。有り難うございます。

作品番号 2004-139

  川開        

隈川五月躍香魚   隈川五月香魚躍る

両岸釣竿垂柳如   両岸の釣竿垂柳の如し

日暮遊舟吹玉笛   日暮遊舟玉笛を吹く

焔火燎燭鵜飼漁   焔火燎燭鵜飼漁

          (上平声「六魚」の押韻)

<解説>

 見よう見まねで作った初めての作品です。平仄等ご指導いただければと思います。
 私の住む大分県日田市は広瀬淡窓・旭荘ゆかりの地で淡窓の作品にも「隈川雑詠」があります。

 五月、日田市内を流れる三隈川の鮎漁が解禁となると川開きとして祭があり川の両岸にはこの日を待ちわびた太公望の鮎漁特有の9m程の長い竿が並びます。
 日が暮れると川には遊船(屋形船)が繰り出し、川開きを祝って花火大会があります。篝火を灯した鵜飼いの漁も始まります。

<感想>

 「見よう見まねで作った初めての作品」とのことですが、使われている言葉も無理がなく、漢詩に随分理解の深い方かと思います。とても初めてとは思えません。
 平仄については、起句から転句までは整っていて、何も問題は無いでしょう。結句は「燭」が仄字ですので、ここは平字を入れるようにしましょう。直前の「焔火」「燎燭」に入れ替えて、何か炎が燃え輝くような言葉を入れると良いかもしれません。
 燎燭R煌鵜飼漁などとすると、かがり火の鮮やかさが出るでしょう。

 転句の「玉笛」「素晴らしい笛(の音)」の意味ですが、どうなんでしょう、もう少しにぎやかな方が雰囲気に合うような気がします。太鼓も鳴らすのかどうか知りませんので無責任かもしれませんが、「高簫鼓」(笛や鼓の音を高く響かせあたりだと、祭りの雰囲気が出るでしょうか。

2004. 7.24                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第140作は 齊藤深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-140

  帰郷會友     郷に帰り友に會う   

老境難忘竹馬儔   老境 忘れ難き 竹馬の儔

羅山深谷念同遊   羅山 深谷 同に遊びしを念う

正驚浦島如胸裏   正に驚く 浦島 胸裏の如き

昨日紅顔已白頭   昨日の紅顔 已に白頭なり

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 老人の境遇になって故郷に帰り、忘れ難き竹馬の友に会うのも幾十年ぶり。
 少年のころ遊んだ山や川を思い浮かべる。
 それにしても驚くこと浦島太郎の心境のようだ。
 昨日の如きに紅顔の友はすでに白頭になっていた。

 歳月の過ぎる早さ、歳月は人を待たず。

<感想>

 深渓さんから投稿はいただくのですが、メールを届けることが出来ず、深渓さんのホームページにも辿り着けないでいます。URLをもう一度お知らせ下さい。

 起句は「老境」が主語となり、「難忘」が述語のように読めます。本来の主語である「私」は勿論省略されているのですが、ここは「至老境」(老境に至りて)と書くべき所、そこで「至」の方を省いたのですが、「境」を省いた方が良かったかもしれません。

 また、転句では、「如」の位置が「浦島」より後にありますので、このままでは、「浦島」「如」の主語になり、「浦島胸裏のようだ」となります。
 お書きになったように「浦島心境のようだ」とするのならば、「如」「浦島」の前に置くべきでしょう。
 詩の中では大胆な表現も許されることが多いのですが、出来るだけ誤解を少なくするように持って行くのも作る方の礼儀でしょう。尚、「浦島」を竜宮城に行った浦島太郎の意味で用いるのは、当然和臭ですので、外国の人に読んでもらう時には注を施すと良いでしょうね。

2004. 7.25                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第141作は 齊藤深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-141

  歳旦酔夢 論自衛隊伊駱派遣     歳旦酔夢・自衛隊伊駱派遣を論ず   

宰相於炉時事評   宰相の炉に於て 時事について評す

追従一国悔終生   一国に追従するは 終生において悔ゆ

劫後防衛律専守   劫後 防衛は専守なるを律とす

誰是無忘莫派兵   誰か是れ 忘るる無き 派兵すること莫れと

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 人道支援のため自衛隊をイラクに派遣する。賛否両論の時、屠蘇をいただき酔って居眠り中、夢で総理と議論を交わしたという内容です。。

<感想>

 これは楽しい詩ですね。首相に直接談判するなんて場面は、お正月らしく、気宇壮大という言葉がぴったりでしょうね。水戸黄門が将軍に説教するような感じで、何とも痛快です。
 起句では「於」は直後の言葉を受けますので、「炉に於いて」は良いのですが、「宰相の炉」とはなりません。このままですと、「宰相 炉に於いて 時事を評す」となり、「宰相が評す」と読み取ります。
 「與宰相」のようにするか、「於宰相炉」とするのでしょうが、「炉」にこだわる必要があるのかどうか、その辺は作者の判断でしょうね。
 承句の「追従」は漢語では「人に従う」という意味だけで、「こびへつらう」という意味は日本語での用法になりますので、和臭です。
 転句は平仄が崩れていますので、構成し直した方がよいでしょう。
 結句は、前半の四字での反語表現はこれで良いでしょうか、「誰が忘れることが無いだろうか、いや、そんなことはない」ということですので、意味としては「みんなが忘れる」となります。句全体の意味でも「イラク派兵をやめてほしいということを、みんなが忘れるだろう」という厳しい言い方になります。
 それはそれで、国民の現状に対しての深渓さんの厳しい批判と取れないことはありませんが、く「無・・莫・・」と二重否定の形も分かりにくく思いますので、推敲なさった方が良いと思います。

2004. 7.25                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第142作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-142

  初夏即事        

夏兆都城陽焔揺   夏 都城に兆して陽焔揺れ

皇居岸上柳枝飄   皇居岸上 柳枝飄る

露膚児女相遊戯   膚を露わにして児女は相遊び戯むる

万緑至時精気饒   万緑至る時 精気饒し

          (下平声「二蕭」の押韻)

<感想>

 夏の暑さが本格的になる頃に、必ず新聞に載るのは、公園の噴水に子供達が足を入れて遊んでいる風景の写真です。あるいは、若い女の子達のノースリーブの写真かな?
 そんな記事を髣髴とさせる詩ですね。
 暑いからもう全て嫌だ!ではなく、結句にあるようにエネルギーを感じ取る(「精気饒」)ようにしていくと、沢山見えてくるのでしょう。
 この「精気」を直前の転句だけを受けていると解釈することもできますが、詩全体を受けているとした方が季節の変化の時期を描くには良いでしょう。
 その場合には、起句承句転句は皆並列で、最後の「万緑至時精気饒」を導くことになり、一般的な起承転結の展開にはなっていませんが、不自然さはありませんね。また、起句と結句をそっくり入れ替えてみると、頭括の叙法で、シャープさが増した映像になりますね。

2004. 7.25                 by junji


坂本定洋さんから感想をいただきました。

 拝啓。柳田先生。
 しつこく意見して嫌われそうかもしれないと思うのですが、柳田先生の詩、私には結構印象に残るのです。

 例によって「基準の定かでない形容詞、副詞」を見ますと、今回は「精」「饒」です。これらも言いっぱなしにならずに「万緑」がしっかり評価基準として効いています。柳田先生は「力のある書法」を心得ているように見受けます。「基準の定かでない」形容詞と副詞については、基準が定かでないのですから、度の過ぎた用い方をすれば訳がわからなくなるのは自明の理です。この点に気を配れば詩は自ずと力のあるものになります。
 誰も禄でもない事を書こうとしているわけではない。しかし、人があっと驚くようなものを、そう簡単に書ける訳がない。柳田先生が見せるような地味でも合理的な書法は大切です。杜甫も李白も、この点はしっかり合理的なのです。

 問題は、今回も結句です。今回の詩に限らず、力が入り過ぎと言うか無理にまとめようとし過ぎに見えます。汗臭く感じられます。かえって全体の足を引っ張っています。
 転句までは十分力のある書き方なのですから、結句は肩の力を抜いて軽く流しても寄り切れそうなものです。大円団ばかりが結句ではありません。四角四面に「起承転結」とやる必要はないと思います。このあたり柔軟に考えた方が良いと思います。

 私達が書こうとする様々な「事象」と「言葉」は、どこまで行っても「別物」なのです。どのように言葉を重ねても伝え得る事には限界があります。書くことをあきらめた方が良いというものもあります。言葉は所詮「代用品」である以上、代用品はほかにいくらも選べるという便利さもあります。

 鈴木先生ご提案の、起句と結句の転置には私も賛成です。この方が、汗臭さが後を引きません。そうしていただければ、この詩は私にとっての「今年の一押し」になると思います。

 それにしても「夏」をこのように感じることができる柳田先生がうらやましい。私などは、「初夏」から、ただただ参ってしまっています。

2004. 8.15                by 坂本 定洋





















 2004年の投稿漢詩 第143作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-143

  歌劇 ラ・ボエム         

青春男女喜相思   青春の男女 相思を喜び、

豈憶凋蘭訣別時   豈に憶わんにや、蘭は凋む訣別の時を。

地炉絶火身空凍   地炉 火は絶えて、身空しく凍え、

盤案無餐人毎飢   盤案 餐無く 人毎に飢う。

貧苦徒嗟不能救   貧苦 徒に嗟く 救う能わざるを、

病羸忍見竟難支   病羸 忍び見る 竟に支えざること難し。

花顔如語将如笑   花顔 語るが如く た笑うが如し、

休唱含哀外套詩   唱うを休めよ 哀を含む外套の詩を。

          (下平声「四支」の押韻)

<解説>

 鮟鱇先生が「 ラ・ボエム 」の詩を投稿されましたので、私も投稿させていただきました。

 私も三度の飯よりもオペラが好きです。関西に来る引越し公演は必ず見に行きました。
 ただ、「ラ・ボエム」は引越し公演がかかるチャンスはなく、ライブでは関西二期会でみたきりです。当然レーザディスクや衛星放送では何回ともなく見ました。
 オペラのライブをみるとき、初めての時はスコアを見ながら、全曲を五十回位聞きます。あとはハイライトでアリア等百回位聞いて耳におぼえこませるようにしています。信じられないと思いますが。
 通勤は片道で2時間30分かかりますので、毎日の行き帰りの通勤で聞いていました。
 ライブで最後の外套の詩を聞いた時は感激して涙ぐんだことをおぼえています。これはその時の詩です。ちなみに私のあだ名は「オペラ」でした。

<感想>

 同じオペラの作品を、鮟鱇さんの七言絶句と謝斧さんの七言律詩を読んでいますと、二人の作品というよりも、同じ作者が二つの形式で書いたような気持ちになりました。
 それは多分、このオペラ作品に対するお二人の思いが似通っているからでしょうね。

 私はオペラについては無知に等しい人間ですが、お二人の詩を読みますと、ざわざわと心が動かされてしまいました。なかなかオペラを見る機会は少なく、ましてや公演ですと財布との相談もあったりするのですが・・・・。

 謝斧さんの詩は、頷聯での「粘法」が破られていますので、「拗体」になっています。

2004. 8. 8                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第144作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-144

  遊於公園     公園に於いて遊ぶ   

白昼公園翠色鮮   白昼の公園 翠色鮮やか

千紅萬紫鳥声円   千紅萬紫 鳥声円やか

嬉遊酒食薫風裏   嬉遊 酒食 薫風の裏

家族一同心浩然   家族一同 心浩然

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 親子3代が連休のある日公園へ遊びにでかけた日の、祖父の感想です。普段は別々なので、孫と遊ぶ楽しみを味わいました。
 樹木の緑の多様さ、また、さまざまな花が咲き誇る姿は何にも例えようもありません。詩としてたいしたことを言っているわけではありませんが。

<感想>

 一読しますと、起句の「白昼」「公園」はどちらも詩としては必要のない言葉です。後の記述を見れば、夜でないことは分かりますし、公園でなくともハイキングのようなイメージで捉えても問題ないでしょう。ですから、一般的には、この二語は省いてもう少し情景を叙述するところでしょう。
 何故ならば、この前半に「樹木の緑」「多彩な花」「のどかな鳥声」と詰め込んだために、どれも言いっぱなし、素材をそのまま転がしたような印象だからです。

 しかし、結句の家族団欒の喜びの句を見ますと、これは必要なのかな、と思い直しました。わざわざ遠くまで行くのではなく、日常的な空間、すぐ近くの公園での昼下がり、その何気なさが家族の幸せの本質だとすれば、目に見えたもの、耳に聞こえたものをそのまま切り取って置く、というのも一つの表現かな、と思えたからです。
 料理することと漢詩を作ることは似ていると日頃から私は思っているのですが、あまり加工をしないで素材のままで食するという料理も最近多くなってきました。それも一つの料理であり、料理人が素材を見て、「うーん、今日のコースの流れから行けば、これを使いたい。それも、あまり加熱したり、切り刻んだりしない方が良いだろう」てな感じで決めるんでしょうね。
 漢詩の場合でも、視覚や聴覚などの五感でとらえた素材の中から、その詩に最も適するものを選び出し、次にその素材を描くのに最も適した言葉を選び出し、配列する。その時に、余分な装飾や誇張を使わないという選択もあるわけです。
 ただ、料理でも漢詩でも、素材の吟味、厳選は不可欠です。
 先ほどの三つの素材に「昼下がりの公園」を加えて、この四つの素材で最適な選択であるのかどうか、推敲するとしたらその辺りでしょうね。

 尚、承句の「千」は冒韻ですので、考慮しなくてはいけませんね。また、結句の「浩然」は、「広く大きい」ということですが、公園での家族の心境としては合わないような気がしますが、どうでしょうか。

2004. 8.11                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第145作は 勝 風 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-145

  述懐        

祖訓明珠傳子孫   祖訓 明珠 子孫に伝ふ

徳望深識萬年尊   徳望 深識 万年に尊しと

風光勝地青山麓   風光 勝地 青山の麓

宗族隆盛懐淵源   宗族 隆盛 淵源を懐ふ

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 これまで訪れるのに難所で不便な地にあった先祖代々の墓を、念願叶い風光明媚なところに新しく建てることになりました。そこで先祖へ報恩感謝を込めこの詩を墓門の脇にでも供えようかと思っております。
 私如きがと、恐れ多い気もしますが、先ずは先生の添削と御意見なりを頂きたいと投稿いたしました。それと共に投稿者の皆様にそのような体験がありましたら参考にさせていただきたいと思います。
 宜しくお願いいたします。

<感想>

 先祖への報恩感謝とうかがうと、日頃墓参りも無沙汰にしている私などは、あの世の父親からの「それにつけても、うちの息子は・・・・」という小言が聞こえてきそうで、いやいや不孝者で済みませんとつい謝ってしまいます。
 勝風さんのご先祖はきっとお喜びのことと思います。掲載が遅くなりましたので、ひょっとしたらお盆にはもうお墓も建っているかもしれませんね。申し訳ありません。

 意見をということですが、形式の点から言いますと、結句の「盛」「盛る」の時は平声ですが、「盛り、盛んだ」の時は仄声ですので、ここは二四不同にぶつかります。また、「淵」は平声ですので二六対にぶつかること、更に下三平ですので、ここも直した方が良いでしょう。
 「隆盛」は畳語でリズムを出して「隆隆」とすれば良いでしょうが、「憶淵源」は難しいですね。
   「宗族隆隆謝遠源」
くらいでしょうか。

 上四字が四句とも同じリズムで来ていますので、一般的にはあまり好まれませんが、儀式的な意味合いを籠めるならば、効果的だとも言えます。

2004. 8.11                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第146作は 深 渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-146

  懐大久保大和        

多摩石原存此人   多摩の石原に 此の人存り、

風雲告急為幕臣   風雲急を告げ 幕臣と為る。

巡邏京洛泣児黙   京洛に巡邏すれば 泣く児も黙す、

誰何連夜虎徹振   連夜に誰何して 虎徹を振ふ。

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 NHK大河ドラマ「新撰組」で、野翁の棲む調布の里が沸いています。
 武州多摩郡石原村(現調布市野水一丁目)宮川家に生まれる。幼名・勝五郎。後に近藤家に養子に入った近藤勇である。

虎徹=勇の愛刀。

<感想>

 深渓さんのホームページにもようやく辿り着けましたので、ご紹介します。「漢詩リンク集」にも載せておきましたが、「南部俊三郎・幕末岩国藩の儒者」のページです。「南部俊三郎」は深渓さんの曾祖父さんに当たるそうですが、その紹介と共に、深渓さんの漢詩も載せられていますので、是非ご覧下さい。

 投稿詩には「七言絶句・拗体・上平声十一真韻」と説明がありましたが、平仄の点では近体詩の規則から全く外れていますから、拗体というよりも七言古詩短形とした方が良いでしょう。

 口にした時の語呂も良く、どうしてもこんな感じになりますね。ただ、近藤勇を称揚するという点では良いのですが、作者である深渓さんの姿は見えてきません。近藤勇のどんな点を言いたくて詩にしたのか、自分なりの見方(これは特別に新説が必要ということではありません)が無いと、誰が書いた詩なのかが呆けてしまいます。
 決まり言葉を用いるほどに作者はそこに埋没してしまい、消えていきますので、その点をご考慮下さい。

2004. 8.11                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第147作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-147

  水村散策        

老圃廻畦引水田   老圃畦を廻りて 水を田に引く

南風時起走淪漣   南風時に起こりて 淪漣りんれんを走らす

遠鶯声妙愉吾歩   遠鶯声妙なれば 吾が歩みは愉し

口唱何軽若和涓   口唱何ぞ軽からん けんに和するが若し

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 初夏の水村の情景がよくとらえられていますね。
 承句「南風」は既に夏の風ですが、そこに「遠鶯声」が聞こえることで、季節の重なる候を感じさせます。工夫されたところでしょう。

 転句の「吾」はわざわざ「私の歩み」と言う必要はあまり感じません。「吟歩」などのように、「歩」に意味を加えるような方向で考えると深まるように思います。
 結句の「若和涓」「若」の字が不要です。あっさりと「和細涓」とした方が滑らかになります。

2004. 8.11                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第148作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-148

  江山春景 菅廟吟社四月席題 得先韻       

山川生物風光動   山川物を生じて風光動き

天地回春景色妍   天地春を回して景色妍なり

雪解雲崩藍岫遠   雪は解け雲は崩れて 藍岫遠く

潮來波静白鴎眠   潮来たり波穏かに 白鴎眠る

一瓢流憩沙提下   一瓢流憩す 沙提の下

双屐随詩石岸辺   双屐詩に随はん 石岸の辺

老病相仍身少健   老病相仍るも 身少しく健なり

閑行遊目自怡然   閑行し目を遊ばすれば 自ずから怡然たり

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 「菅廟吟社」の例会を紹介します。
 菅廟吟社では、席題と宿題の二首を作るようになっています。詩題は予め知らされています。席題の分韻は当日韻牌をくじ引きできまります。
 詩形は何でもかまいませんが、おおむね近体詩の絶句か律詩です。

 例会は1時から5時迄です。1時から3時迄の2時間が作詩に費やされます。後の3時から5時迄が、前月の作詩の感想です。
 私は一時間半で作詩を終えて、後の三十分で推敲するようにしています。
 やや姑息だと笑われますが、時間が足りないことを考えて三十分ぐらいで七絶を作ります。後の時間で七律に作り直します。
 こういったやり方はよくないことですが、余裕をもって作詩できます。

 今月の席題「江山春景」は時間が足りなくて推敲が出来ませんでした。
 「随詩」は分り難い表現ですが「探句」と同じと思います。
今思うと首聯は
「山川改(更)物風光動  天地回春景色妍」の方がよかったでしょうか。

<感想>

 二時間で七律を作るというのは、もうびっくりです。しかも、この詩の場合には首聯も対句になっているわけで、三組も対句を作るとなると、これまた大変の筈なのにとまたびっくりでした。
 首聯の上句、「生物」については、初めに読んだ時には何も気になりませんでした。対句の関係で行けば、「回」に対応しますから、そういう点では「更」「改」では変化が少なく、面白みに欠けるように思います。「生物」として「新しい」ことを示した方が良いと思います。
 私自身は「生」よりも「物」の方が気に掛かります。羅隠は「京中正月七日立春」で「一二三四五六七  万木生芽是今日」と詠んでいましたが、「物」という非常に漠然とした一般名詞よりもこの「芽」のように、スパッと春を感じさせる言葉は無いだろうか、と考えていました。

2004. 8.12                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第149作は 深 渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-149

  城趾春景        

城趾丘陵春日暄   城趾の丘陵 春日暄く、

眺望煙景遍郊原   眺望の煙景 郊原に遍し。

吹花片片無人訪   吹花 片片 人の訪う無く、

坐見新林隔寺門   坐ろ見る 新林 寺門を隔つ。

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 深大寺城=天文六年(一五三七)扇谷上杉朝定が、江戸城に対して築城。
空ぼり跡も散見されるが、現在公園となってベンチなども置かれているが、あまり知られていないのか、訪う人もない。

 古城あとの丘陵に来て、咲き誇りし櫻の花も風に吹かれて散りゆくを眺め、哀れむ間もなく深大寺の林は新緑を装いを始めている。
 季節の移ろいを発見したような心地を詩にしたもの。

<感想>

 季節の移る瞬間を描こうという意図がよく分かる作品ですね。
 結句の「新林」は、盛唐の儲光羲の「寄孫山人」に見ることができますが、「芽吹いたばかりの林」ということで、山々が木の芽によってほんのりと色づいた頃を述べた言葉です。
 深渓さんは、「新緑の林」として使われていますが、どうでしょうか。「坐見」は働きの弱い言葉ですから、結句はいっそ「新緑」と頭に持ってきた方がすっきりするのではないでしょうか。

 

2004. 8.12                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第150作は 勝風 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-150

  対酌好漢     好漢に対酌す   

落日紅灯映玉杯   落日 紅灯 玉杯に映じ

佳人対酌愛吟催   佳人対酌し 愛吟を催す

鶏鳴曉色離情切   鶏鳴 曉色 離情切なり

借問何時君再来   借問す 何れの時 君再び来るやと

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 数年前、ある詩吟教室で「古隠君を尋ぬ」の稽古中、この詩はまるで恋人の家に行く心境を歌っているようだ、という話になりました。
 そして詩吟の教本には恋歌がないことに気がつき、詩吟ではそのような詩を嫌うのかと疑問に思いました。その時私は自ら恋歌を作詞したいと思い、いくつか作りました。これがそのうちの一首です。
 実際のところでは中国、日本の漢詩には恋歌もあるように見受けます。
 このHPにはこのような詩はまだ投稿されてないようですが、こんな詩でもよろしいのでしょうか。少々恥ずかしい思いで投稿しました。

<感想>

 そうですね、確かに恋愛の漢詩は多くはありません。特に「恋はバラ色」というような明るい恋の詩は見ませんから、パターンとしては、恋人に会えない辛さ、戦争などで恋人と別れなくてはならない悲しみなどが多くなります。
 詩吟で仲間と一緒に吟じたり、人前で吟ずるのに、あまりハッピーな恋愛の詩では気恥ずかしいのかもしれませんし、男女の恋愛に関してはあまり表に出さない風潮の日本では、尚更大きくは取り上げられなかったのでしょうね。
 私たちが漢詩を作る時でも、したがって恋愛に関しては語彙が不足していることに気がつきます。でも、それだから漢詩では恋愛の詩は詠んではならないということでは勿論ありません。
 どんどん新しい方向を表現していくことこそが大切だと思っていますから、投稿もお願いします。

 そういう意味で楽しく読みました。ただ、題名を見た時には「これは女性の側からの詩だな」と思ったのですが、詩の方は逆で、女性の方が「あなたは今度、いつ来てくれるのかしら」と尋ねているようですね。
 それは私の方に先入観が有って、明け方に出て行くのは男の方だと思うからでしょう。ただ、古来からのイメージを抜き去るのだとしたら、それなりの伏線なり説明は欲しいところです。


2004. 8.12                 by junji