去國三巴遠 國を去りて 三巴遠く
登樓萬里春 樓に登れば 萬里春なり
傷心江上客 傷心す 江上の客
不是故郷人 是れ故郷の人ならず
<通釈と解説>
故国を去って、遠い三巴の地へ来て
南楼に登ってみれば見渡す限り春である。
その春に心を痛めるのは、長江のほとりに旅の身であるこの私
この土地を故郷とする人ではないのだ。
(『唐詩選』より)
「三巴」:蜀の地方(今の四川省)は、昔から巴と呼ばれ、
巴・巴東・巴西に分けられていた。
「客」 :故郷を離れた旅人。ここでは作者自身を指す。
作者廬撰(本当は「にんべん」ですが、お許しを)は初唐の人ですが、よく分かりません。
見渡す限りの春を眺めながら、異郷人として故郷を懐かしむ寂しさを詠ったこの詩は、私の好きな詩の一つです。新年のお薦めとしてはやや暗いかもしれませんが、眩しいような春だからこそ一層悲しみが増す、という心情は、お屠蘇や雑煮にうつつを抜かす私にはがーんと頭を叩かれるような衝撃があります。
このホームページをご覧の方の中にも、きっと故郷を離れて正月を迎えた方がおられるだろうと思い、1999年の推薦漢詩の一番目にしました。
天街小雨潤如酥 天街の小雨 潤ふこと酥の如し
草色遙看近却無 草色遥かに看ゆるも 近づけば却って無し
最是一年春好処 最も是れ 一年 春の好(よ)き処(とき)
絶勝烟柳満皇都 絶えて勝る 烟柳の皇都に満つるに
<通釈と解説>
都大路は小雨に濡れて乳のよう
芽生えた青い草の色は遠くからは見えるのだが、近づくとかえって消えてしまう。
この季節が一年で最もよい時期
都中にかすみや柳があふれる風景とは全く比べようもない。
「天街」:都の中を通る街道
「酥」 :牛や羊の乳から精錬した飲み物
中唐の韓愈が、弟子の張籍(張十八のこと)に贈った詩です。
「早春の雨で街がしっとりとクリームのように濡れている」、この表現が私は好きです。承句の「草色遥看近却無」の方が自然の見方として面白いという方もいるでしょうが、私は何となく理屈っぽいような気がします。「牛乳をぶちまけたような道路」という荒っぽい比喩が、結句の「烟柳」と対比されていて、韓愈の意気地が表れていませんか。
張籍は、これも私の好きな「秋思」という詩の作者です。秋になったら、この「お薦め漢詩」に載せようと思っていますので、今回は紹介だけ。
秋思 張籍
洛陽城裏見秋風
欲作家書意万重
復恐忽忽説不尽
行人臨発又開封
一二三四五六七 一二三四五六七
萬木生芽是今日 万木芽を生ずるは是れ今日
遠天帰雁払雲飛 遠天の帰雁雲を払って飛び
近水遊魚迸氷出 近水の遊魚氷を迸(ほとばし)って出づ
<通釈と解説>
正月も一日、二日、三四五六日と過ぎて、七日になる
全ての木々が新しく芽ぶくのが今日の立春
遠い空の北へ帰る雁は雲を払うように飛んで行き、
近くの川を泳ぐ魚は氷をうち砕くようにして水面を飛び跳ねている
正月七日の人日が、丁度立春と重なったという年(八六八年)に作られた詩です。
元日から一、二、三と指折り数え、立春になった喜びを詠っています。「木」「雁」「魚」と生き物を並べ、それらが「生芽」「帰」「遊」という言葉と結び付いて春を伝える景物になっていますね。
石川忠久氏は「実景というより、暦を歌にしたような趣の詩だ」とおっしゃっていますが、本当にそんな感じで、このままカレンダーの上に貼っておきたいような詩です。私は対句の後半、「迸氷出」という表現が好きで、愛誦しています。
桃紅復含宿雨 桃は紅にして 復た宿雨を含み
柳緑更帯春煙 柳は緑にして 更に春煙を帯ぶ
花落家僮未掃 花落ちて家僮掃はず
鴬啼山客猶眠 鴬啼きて山客猶ほ眠る
<通釈と解説>
桃の花は紅色で、昨夜の雨を含んでまたまたしっとり、
柳の芽は緑色で、春の霞を帯びていよいよねっちり
花びらがはらはらと庭に落ちても 召使いは掃除もしない
鴬がせっせと啼いても 山に籠もったこの私はまだ眠っている
王維の『田園楽』で雨水(二十四節気)を迎えます。「花落」とありますので、ちょっと季節が早すぎるかもしれませんが(石川忠久先生はこの詩を春分に入れておられます)、孟浩然の『春暁』を出す前に読んでおきたい詩ですので、先取りしました。
六言絶句という変わった形式なのも好きですし、「家僮未掃」という表現が、怠け者の召使いというよりもつい箒を止めてしまった風流な家来を表しているようで、のんびりとした春の一日、時間のゆっくりとした流れまでもが見える気がする詩ですね。
こんな春の日を待ち望んであと少しの寒い二月を乗り切りましょう。
渡水復渡水 水を渡り復た水を渡り
看花還看花 花を看還た花を看る
春風江上路 春風江上の路
不覚到君家 覚えず君が家に到る
<通釈と解説>
明の時代の第一級詩人、高啓の作品です。
春の一日、川に沿ってゆったりと歩いてみた。
花に誘われ、あちらの花、こちらの花と。
風は柔らかに、そしてゆるやかに吹いて、
おやおや、いつの間にか君の家に来てしまったよ
起句はすべて仄字、そして同じ言葉の繰り返し、そうした古詩のような声調が、隠者を尋ねる風情とよく合っていて、そのまま桃源境へ誘い込まれるような気がします。
高校の卒業式(3/1)も今年は穏やかな陽射しの中でした。生徒を送り出して一仕事を終えた心は、春のそぞろ歩きを促すようで、ホッと一息。生徒が最後に贈ってくれた花束の中の桃の花が、部屋をピンクに彩ってくれています。
勧君金屈巵 君に勧む 金屈巵
満酌不須辞 満酌辞するを須ひず
花発多風雨 花発いて風雨多し
人生足別離 人生 別離足る
<通釈と解説>
晩唐の于武陵の有名な詩ですね。
春分の、この季節の詩はいくつも好きなものがありますが、今回は自然よりも人事を主として選んでみました。三月の終わり、四月の初めは、卒業・就職・入学など、人生の転換期を迎える方も多いと思います。新しい環境に入る、ということは、逆に言えばそれまでの環境にさよならを告げることでもあります。
送り出す側、つまり残る立場の方が寂しさは強いもの、惜別の詩の名作はやはり送る側の心情を述べたものが多いようです。この詩もそうですね。
井伏鱒二の名訳を添えておきましょう。
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
新しい環境に進まれる皆さん、頑張って下さい。