2003年の投稿漢詩 第121作は 青穂 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-121

  遊鳥取花回廊      鳥取花回廊に遊ぶ  

今朝終得訪回廊   今朝終に得たり 回廊を訪うを

芳馥百香円頂堂   芳馥百香の円頂堂(ドーム)

千紫万紅青草映   千紫万紅 青草に映じ

逍遥遊客忘帰郷   逍遥の遊客 帰郷を忘る

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 私は鳥取の花回廊を訪れたことはありませんのが、青穂さんのこの詩から、その美しさを十分堪能しました。

 起句の「終得」は表現としてはやや感情が入りすぎていて、単純に「回廊に立つ」でも意味は通じると思いましたが、以降のこれ以上ないというような花の描写を見ていると、それを受け止めるに値する言葉かな、と思い直しました。
 「百」「千」「万の対応も面白いですし、「千」「万」「草」の対応もうれしいですね。

2003. 6.11                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第122作は Y.T さんからの作品です。
 

作品番号 2003-122

  看電視節目五丈原而後有感 其一     電視節目五丈原を看て後、感有り   

去年明月復帰来   去年きぞの明月 復た帰り来たり

渭水東流竟不回   渭水 東に流れて 竟に回らず

蜀魏遺蹤久丘土   蜀魏の遺蹤 久しく丘土

角声三弄客心催   角声 三弄 客心を催す

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 先日、テレビで 『三国志』(「その時歴史が動いた」)の五丈原をやっていました。
 それに感じて、また作ってみました。前作と同工異曲でですが、お許し下さい。

 また、題の漢文は正しいでしょうか?

<感想>

 前回の作品は 「五丈原」でしたね。

 前作と比べると、今回はかつての孔明と司馬懿の戦いの日を思い浮かべるのではなく、あくまでも今日の景に絞って描いた点が工夫が感じられるところです。
 「五丈原」は漢文好きな人ならば誰でも思い浮かべる名場面の数々、だからそれを前提にした上で、転句の「蜀魏遺蹤久丘土」が一層時の流れを感じさせるということでしょうか。
 芭蕉「夏草や・・・・」の句に感動するのは、源義経の悲劇を私達が十分に知っている、作者も読者も共有の事実として信頼できているからこそのものですね。
 勿論、往時の場面を具体的に想像して描いた詩と比べて優劣を言うわけではありません。それぞれに作者の意図があり、それぞれに効果があるのですから、私達は作者の工夫を読み取り、その効果を味わうことが読者の姿勢でしょう。

 題名がこれでよいかどうかについては、私の乏しい中国語の知識ではこれで良いと思いますが、私の中国語の先生にメールで質問しておきました。

2003. 6.12                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第123作は Y.T さんからの作品です。
 

作品番号 2003-123

  看電視節目五丈原而後有感 其二        

秋天渭水落暉紅   秋天の渭水 落暉 紅く

満眼風光衰草中   満眼の風光 衰草の中

千古興亡一炊夢   千古の興亡 一炊の夢

祇今只聴草間蟲   祇今 只聴く 草間の虫

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 先日、テレビで 三国志(その時歴史が動いた)の五丈原をやっていました。
 それに感じて、また作ってみました。前作の 「千古興亡」 を生かし結句を変えただけですが、お許し下さい。

<感想>

 「落暉紅」「衰草中」「一炊夢」という形でそれぞれの句の下三字が同じ趣旨の言葉が続いています。
 これも、統一感があると言うのか、変化がないと言うのか、長短どちらも言い得るのですが、私の印象としては、転句の「一炊夢」はストレート過ぎて面白くないように感じます。すでに「落暉」「衰草」で十分に「千古興亡」は象徴的に描かれているわけですが、それを「一炊夢」と結論づけるよりも、何か具体的な「興亡」を想起させる事柄を描いた方が劇的になるのではないでしょうか。

 承句と結句に「草」が重なっている点も考えると、承句を改めるのも手段かもしれませんね。

 それ以外の点では、余情のあふれる、秋ならではの叙情が描かれた好句だと思います。

2003. 6.15                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第124作は Y.T さんからの作品です。
 

作品番号 2003-124

  看電視節目五丈原而後有感 其三        

極目蕭条渭水濱   極目蕭条たり 渭水の濱

晩来風起捲沙塵   晩来 風起こって 沙塵を捲く

五丈原頭夜闌月   五丈原頭 夜闌の月

嘗映帳裏祷星人   嘗って映せり 帳裏 星を祷るの人

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 転句は、劉禹錫「石頭城」から、結句は、李白「蘇台覧古」から借りました。

<感想>

 この第三句も、起句承句は申し分のない好景だと思います。古人の悲しい叫びが風に響いているような、時の流れのはかなさを痛感させるような、そんな書き出しは後半への期待を一気に高めてくれます。
 転句からは、平仄も気になるところ、私の感想としては、「五丈原頭」を結句に持っていって「五丈原頭祷星人」とし、転句の上四字を検討されたらどうかと思います。つまり、転句からすぐに過去の場面に飛んでいくような、そういう展開にすると前半の好句を受け止められるのではないでしょうか。
 今ですと、やや後半に息切れの感があるように思われます。

2003. 6.15                 by junji



Y.Tさんからお手紙をいただきました。
 転句と結句、ご教示に随い、次のように改めてみました。

  極目蕭条渭水濱
  晩来風起捲沙塵
  恨血千年没人弔     恨血千年 人の弔うこと没(な)く
  残紅泣露転傷神     残紅 露に泣いて 転た 傷神

「転」戰鼓競舟催,   咚咚たる戰鼓 競舟を催し、

兩岸翻騰噪似雷。   兩岸の翻騰 噪は雷に似る。

盪漾鱗波飛桂棹,   盪漾として 鱗波は桂棹に飛び

葳蕤艾草發牆隈。   葳蕤として よもぎ草は牆隈に發く。

九歌氣壯胸懷湧,   九歌 氣は壯にして 胸懷に湧き

五日詞雄志節恢。   五日 詞は雄にして 志節ひろ

弔屈招魂騷客涙,   屈を弔ふ招魂 騷客の涙

難描忠藎暗悲哀。   忠藎描き難く 暗たる悲哀

          (上平声「十灰」の押韻)

<感想>

 こちらの詩も、語句の意味を添えましょう。

 咚咚は、「太鼓がどんどんと鳴る音」を形容した言葉です。
 「葳蕤」「草が生え乱れる」ことを表しています。
 「九歌」「楚の国の朝廷音楽」「忠藎」「忠義な臣」のことです。



2004. 7. 7                 by junji


謝斧さんから感想をいただきました。
台湾端午節如看眼 真可知
首聯破題甚遒勁而高突 対聯援引典故尚無飣餖之跡 
尾聯能言志 以屈子吐赤心 頗有温柔敦厚之情 
先生技量工 自成功而使人心感 亦妙哉
2004. 7. 9                 by 謝斧


蝶衣さんからお返事をいただきました。

  謝謝△來信讚賞   (△=你+心)
  蝶詩一直在摸索中
  還望大家多加指點!
 蝶依 敬上

2004.7.15





















 2004年の投稿漢詩 第135作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-135

  讀菅廟吟社詩稿        

菅廟詩客文雄多   菅廟の詩客 文雄多く

就中瀬風詩風嘉   中ん就く 瀬風詩風嘉し

筆山能敵又高手   筆山能く敵せんとするも 又高手たり

技量伯仲誇詞華   技量は伯仲して 詞華を誇る

諸友親炙興趣好   諸友は親炙して 興趣好く

社中戦詩如相磨   社中詩を戦わせて 相磨するが如し

謝斧先生獨魯鈍   謝斧先生 独り魯鈍

毎苦詩債難如何   毎に詩債に苦みては 如何ともし難し

偶得険韻似遭冦   偶々険韻を得ては 冦に遭うに似たり

摘句遅遅恟詆訶   句を摘むこと遅遅としては 詆訶を恟る

四座諧謔譴我急   四座諧謔して 我を譴ること急に

願將浮白逃厳苛   願わくば 浮白を將って 厳苛を逃れん

          (下平声「六麻」の一韻到底格)

「瀬風」:長岡瀬風。「筆山」;村井筆山、共に菅廟吟社社員。

<感想>

 菅廟吟社につきましては、以前にも謝斧さんからご紹介いただきましたね。
 「文雄多」と書かれているように、詩作に堪能な方がおそろいで、まさに切磋琢磨、そしてそのことを楽しむという感じがよく表れていると思います。
 鍛えれば上達するというのは、ある程度のレベル以上になると誰にでも当てはまるというわけではないでしょうが、鍛えなければ上達しないということは間違いないことです。
 磨き合う場と磨き合う仲間が居るということに、羨ましいと思う方も多いのでは無いでしょうか。

 この詩では、一韻到底ですが、下三平や下三仄を用いて、リズムの多様性を狙っていますね。

2004. 7. 7                by junji







































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 2004年の新年漢詩 第21作は滋賀県大津市の 拝唐 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-21

  (新年漢詩)迎宝舶     宝舶を迎ふ   

能看宝舶   未だ宝舶を看ること能はず

索泊船場   往きて索さむ泊船したる場を

夢歓新歳   夢を申して新しき歳を歓ぶ

吾舟越洋   来たれ吾が舟洋(おほうみ)を越えて

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 福を運ぶ宝船。今まで宝船に福を持ってきてもらったためしがないが、新年を迎えるにあたり、この年こそは、その到来を望むものである、というもの。
 「舶」「おおぶね」の意で、何とも欲深い。また福の象徴である宝船を自分で探しに行くのではなく、その到来を待っているところが、我ながら情けなくもある。
 和歌でいうところの「折句」の技法に似せ、未年から申年へのバトンタッチを表現してみました。なにぶん、初めて作りましたので、恥ずかしい限りであります。






















 2004年の新年漢詩 第22作は 藤原崎陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-22

  (新年漢詩)新年口號        

回來新暦甲申旦   回り來たる新暦 甲申の旦

四海波荒愴愴辰   四海波荒し 愴愴の辰

戦禍異郷花未綻   戦禍の異郷 花未だ綻ばず

鎮綏恐怖莫逡巡   恐怖を鎮綏しては 逡巡する莫れ

          (上平声「十一真」の押韻)























 2004年の新年漢詩 第23作は 佐竹丹鳳 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-23

  (新年漢詩)甲申新年        

家内平安在草廬   家内平安にして 草廬に在り

老来無事不閑舒   老い来って事無くも 閑舒たらず

新春佳興題詩處   新春の佳興 詩を題する處

恰似壷天微酔餘   恰も似たり 壷天微酔の餘

          (上平声「六魚」の押韻)























 2004年の新年漢詩 第24作は 長岡瀬風 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-24

  (新年漢詩)甲申新年書懐        

春風淑気到茅蘆   春風淑気 茅蘆に到り

案上盆梅一巻書   案上の盆梅 一巻の書

幸得頽齢身好在   幸に得たり頽齢の 身は好在なるを

渓山佳処意還舒   渓山佳き処 意還舒たり

          (上平声「六魚」の押韻)























 2004年の新年漢詩 第25作は 西川介山 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-25

  (新年漢詩)甲申新年書懐        

此生随意事難全   此の生意に随うも 事全うし難く

富貴無縁有誰憐   富貴縁無し 誰有てか憐れまん

草舎春囘甲申旦   草舎春は回る 甲申の旦

一身一醉一壺天   一身一酔す 一壷の天

          (下平声「一先」の押韻)





















 飯盛山で観賞した剣舞「白虎隊」も又印象的でした。

「憐憫涕」「催悵涙」の方が良かったかもしれません。

<感想>

 この詩では、「赤」「碧」「白」「蒼」と色が続き、同時に「龍」「虎」「鶴」と動物が重なり、それだけでも華やかな(内容とは別にして)印象ですね。

 私は詳しくは知らないのですが、「五色沼」には承句で書かれているような「潜臥龍」の言い伝えがあるのでしょうか。それとも、作者のその時の感懐なのでしょうか。もし言い伝えがあるようですと、この詩が「白虎隊」の悲話だけでは終わらなくなり、面白くなる気がします。

 転句の「憐憫涕」「催悵涙」の方が抑制感があり、私はそちらの方が好きです。ただ、せっかく「潔花」と例えたのですから、花に関わる言葉で何か表したかったように思います。
 結句は余韻の残る句になっていますが、「鶴城」と固有名詞で描いた方が良かったかどうか、すでに「磐梯」「白虎」と来ていますから、一般的な名称(「孤城」「古城」)の方が良いのではないでしょうか。

2003. 6.23                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第129作は 欣獅 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-129

  新緑登山        

獨踏叢篁路   獨り踏む叢篁の路

雨晴山更深   雨晴れて山更に深し

飄揚風戯葉   飄揚と風は葉に戯れば、

万象是無心   万象、是れ無心

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 先日、大阪の岩湧山に登って、大変新緑が美しかったので作りました。
 数人でいったのですが、自然との一体感を強調するために、「独り踏む」という設定にしました。
 結句は我を忘れると言う位の感じなのですが、少し気取った感じになりました。

<感想>

 欣獅さんの作品を拝見するのは久しぶりですね。前回の「帰路偶成」の五絶も実感のこもった新鮮な句でしたね。
 今回は風格も増して、「新緑登山」の題にふさわしい詩になっていますね。

 承句の「雨晴山更深」は、雨が上がったことにより、一層山の深さが感じられるということですが、晴れたことで視界が広がり遠くまで見えるようになった心の変化をよく表している句ですね。
 結句の「無心」陶潜「帰去来辞」に使われている
   雲無心以出岫   雲は心無くして 以て岫を出で
   鳥倦飛而知還   鳥は飛ぶに倦みて 還るを知る
 と同様の使い方、つまり「何も作為もなく自然である」と解釈するわけですが、この一句によって、草を踏み分け歩いている作者自身も自然の中に溶け込み、全てが新緑の中での光景をして見られるようになります。

 十分に楽しめる作品ですが、もし手を入れるのでしたら、転句にもう少しインパクトのある素材が欲しいところです。特に結句の「無心」を引き出せるようなもの、それこそ「鳥還る」でもいいわけですから、その転句結句のつながりを密にしてみるといかがでしょうか。

2003. 6.26                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第130作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-130

  下漓江      漓江を下る  

両岸生民渡世幽   両岸の生民 世を渡ること幽にして

清江千載逝悠悠   清江 千載 逝きて悠悠たり

識詩蛟象久無跡   詩に識る 蛟と象は 久しく跡無きも

観画風光当溢眸   画に観し 風光 当に眸に溢る

万嶽鬱蒼従水変   万嶽の鬱蒼 水に従って変じ

一川濃緑抱山流   一川の濃緑 山を抱いて流る

薫風盪盪誘春夢   薫風 盪盪として 春夢を誘い

貶謫船中侍柳侯   貶謫の船中 柳侯に侍す

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 三月末、漓江下りに行って来ました。SARSはもう流行し始めていたのですが、高を括っていました。しかし、これほど猖獗を極めるとは・・・・

 漓江の眺めは素晴らしく、流れに従って移りゆく山々の姿はいつまでも見飽きることはありませんでした。水の方は、日本の川を見慣れたものにとってはそれほどの清流とは思いませんでしたが。
 ここは、古来より多くの文人墨客が詩にしているところで、いまさら小生のごときものが作ったところで仕方ないのですが、日記替わりにでもと思いました。

 「蛟象」は柳宗元の詩「山腹雨晴添象迹  潭心日暖長蛟涎」より採りました。しかし、唐の時代には本当に象がこの辺りにいたのでしょうか?
 結聯は、漓江を下って柳州に向かった柳宗元のことに思いをはせたという程度のことです。

<感想>

 桂林ですか、美しい景色、良かったですね。
 でも、今回は何と言っても三月末の旅行だそうですから、無事に帰って来れて良かったですね、と言わなくてはいけないでしょうか。私も今夏の中国旅行の計画を二月頃から立て始めていたのですが、どうやら今年は妻の許可がもらえそうにありません。SARSが収まるのはいつになるのか、果たしてその時は来るのか。私は現在、ひたすら人類がSARSを克服するのを祈っている次第です。

 それはさておき、禿羊さんは「古来より多くの文人墨客が詩にしているところで、いまさら小生のごときものが作ったところで仕方ない」などととんでもないことを書かれていますが、とんでもないですよ。
 日本でも古来から「歌枕」と呼ばれる地が沢山あり、そこでは「多くの文人墨客」が歌を詠みました。そういう場所に出かけていった時に、詩人は何を感じるのか、と言えば、まさに先人との心の交流、時はどれだけ隔たっていようとも、同じ景色を眺めながら互いの詩の交流ができることを喜ぶのです。
 江戸の松尾芭蕉「奥の細道」の旅に出たのも、西行能因法師の足跡を辿りつつ、自らの俳諧で彼らと交歓を結びたいというのが目的だったはずです。

 多くの人が詩を作った場所だからこそ、そこで詩を作れば多くの人と交歓できる、そこが楽しみです。李白杜甫芭蕉と同時代に生きていたって、私などはとてもお目にかかることもできないだろうし、ましてや自分の詩を見せるなんてことは畏れ多くて決してできないでしょうが、時代がずれたおかげで友達にも先生にもなってくれる。
 もうこれは後から生まれた者の特権ですから、大いに詩を作って楽しむべきですよ。

 詩の内容については、頷聯の「識詩」「観画」が、どちらも説明過剰のように思います。「詩」であれ「画」であれ、どちらも「以前から知っていた」ということを言えば良いのでしょうし、それはわざわざ言わなくても分かるように思います。
 「蛟象」だけでは典故が分かりにくいのでは、という不安があったのかもしれませんが、どうしても必要ならば解説を添えれば十分です。対で考えるなら、「風光」も何か典故のある言葉にするのはどうでしょうか。特に「風」の字がが後半で重なりますので、ここで直しておくのもよいでしょう。

 頸聯は「万嶽鬱蒼従水変  一川濃緑抱山流」の対句が、「山」から「川」、そして「川」から「山」へと言葉を変え、それに応じて視点が変わる、船で下りながらあの山からこの山、そして川の流れへと動かす詩人の目に沿うような表現で、とても臨場感があります。
 工夫が生きているところですね。
 「嶽」は、かなり高い山を指す字ですので、桂林ではどうなのでしょうか。「万」も付いていますので強調の気持ちをこめてのことでしょうが、うーん、これはやはり確かめに私も桂林に行かなくてはいけませんね。明確な理由ができましたので、もう一度、妻に交渉してみましょう。

 「薫風」は125作目の みず さんの「雷鳴」の時にも書きましたが、初夏の風を表しますから、「誘春夢」とはバランスが悪いでしょう。
 「香風」「軽風」などでいかがでしょうか。

 「象がこの辺りにいたのでしょうか」ということは、どうなんでしょうね。桂林の説明などをみると、近くに「象鼻山」と名付けられた場所もあるようですし(いつ頃から名付けられたかは知りませんが)、北方の地よりはなじんではいたんでしょうね。

2003. 6.29                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第131作は 赤間幸風 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-131

  春日閑歩        

東風吹片碧雲天   東風 片を吹く 碧雲の天

両岸紅櫻柏尾川   両岸 紅櫻 柏尾川

一鷺浅流悠点白   一鷺 浅流にあり 悠かに白を点ず

閑行拾翠小橋辺   閑行 翠を拾う 小橋の辺

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 我が家からそう遠くないところに柏尾川が流れていて、其の堤防の櫻が、このあたりの櫻の名所になっております。毎年楽しみにしているのですが、今年は花見客でまだ混まない朝のうちに、女房と見に行きました。
 たまたま白鷲が川辺にいて、紅と白の色のコントラストがとてもよかったものですから、なんとか詩にしてみようと思い立って作ったものです。

<感想>

 幸風さんは横浜にお住まいでしたね。インターネットで「柏尾川」を調べました。区の花として柏尾川の桜が選ばれていることや、鎌倉まで流れていることなどを勉強しました。写真も掲載してあるページが多かったのですが、きれいですねぇ。
 その桜と川に居た鷺の色の対照を描こうとしたとのことですが、色を使いすぎたように思います。「碧」「紅」「白」「翠」と各句に色を表す字が入っていますから、春の色彩鮮やかな景色を詠んだということならば良いのでしょうが、「紅と白の色のコントラスト」は薄れてしまっていますね。

 起句と承句のつながりもやや唐突で、視線が上空から突然両岸の桜に移るのは苦しい気がします。これは「碧雲」に原因があるのでしょう。「碧雲」「青く澄み渡った雲」ですので、どうしても視点を遠くまで持っていきます。遠近感を出すには良いのですが、あまり広がりすぎると苦しくなります。
 承句と転句の方がつながりが密ですので、一層唐突感が起句の孤立が強まりますね。

 「拾翠」「拾翠踏青」と組み合わせても使われますが、春の郊外で草を摘んだりすることを表します。堤防沿いを野原と言い得るのかちょっと気にはなりますが、状況はよく分かります。幸風さんは何を摘まれたのでしょうね。

 こうして見ると、起句と結句を入れ替えると全体の構成の上では落ち着くように思いますね。

2003. 6.29                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第132作は 勝風 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-132

  尋識名御殿      識名御殿を尋ぬ  

旧都南苑緑陰深   旧都 南苑 緑陰深し

甍宇映池魚影沈   甍宇池に映じて魚影沈む

徐歩殿庭思昔日   徐歩 殿庭 昔日を思えば

竹声如聞異朝琴   竹声 異朝琴の如く聞こえん

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 識名御殿は琉球王朝時代、中国からの使者など賓客が宿泊した、今でいう迎賓館のようなもので瓦葺の建物です。首里城から程近いところにあって南苑と呼ばれていたようです。
 去る大戦で失われてしまったのですが、近年復元され、今は識名園として観光地になっております。
 そこには金竹と呼ばれる珍しい金色の竹が数株生えております。詩はその園を散策したときの情景を詠っております。
 久しぶりの投稿の詩ですが、添削のほどよろしくお願いいたします。

<感想>

 早速、インターネットで識名御殿を調べてみました。色々ありましたが、私は次のサイト、「識名園」が写真も多くて、分かりやすかったと思いました。
 ただ、「金竹」については、説明されているものがなかったので、残念でした。と言うよりも、次に私が沖縄に行く機会があれば、その時の楽しみにしておくということかもしれませんね。

 さて、お久しぶりです。こうして様々な地域の方から漢詩を送っていただき、それぞれの地域の風土が感じられる作品に触れるたびに、漢詩の表現力の奥深さを感じます。

 添削を、というお言葉ですが、前半は申し分ない仕上がりだと思います。「百聞は一見に如かず」などと言いますが、「見る」以上に伝わるものが言葉にはあります。そんな気持ちになるような、イメージ豊かな両句になっていますね。

 転句からはやや間延びした感じがします。例えば「殿庭」、わざわざ庭を歩くという必要はここでは無いでしょうね。ここは転句ですので、それまでの叙景から変化を付けるためにも、作者自身のことをもう少し書いたらどうでしょうか。
 また、「思昔日」も、前に「旧都」とありますので、それ以上の具体的なことを暗示するような言葉にしたいところでしょう。つまり、「昔のどういうことを思ったの?」という感じですね。

 結句は、まず「聞」の字ですが、これは「耳で直接聞く」の意味では「上平声十二文」の平声、「噂や評判を耳にする」の意味では「去声十三問」の仄声になります。
 この場合には、竹の音を耳で聞いたわけですから平声となりますが、本来は仄声が来るべきところ(「二四不同」)、内容的にも「竹声」「異朝琴」をつなぐのは他の表現が考えられそうですので、ここの「如聞」の二字は直されたら良いと思います。

2003. 6.29                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第133作は 畑香月 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-133

  緑陰幽居        

新樹葱葱覆草廬   新樹葱葱 草廬を覆い

薫風漾緑素心舒   薫風緑を漾わして 素心舒ぶ

午下幽栖無客訪   午下の幽栖 客の訪う無く

詩書讀倦入華胥   詩書読み倦きて 華胥に入る

          (上平声「六魚」の押韻・拗体)

<感想>

 「葱」は野菜のネギですが、「青い」という意味もあります。「葱葱」と畳語にすると、「草木が青々と茂る」という意味になりますね。
 初夏の爽やかな空間が鮮やかに眼に浮かびますが、それを引き立てているのが「素心」でしょうね。この言葉が前半を巧みに集約して、非常に動きのある景を作り上げていると思います。
 景から情への転換を滑らかにする効果が生きているのでしょう。

 転句も申し分ないですね。「幽栖」が起句の「草廬」とやや重なる感はありますが、「奥深い」の意味を添える「幽」の字によって、下三字の「無客訪」への連結が良くなってると思います。
 欲を言えば、転句を生かすならば承句の「草廬」を具体的な建物の一部分(屋根とか)を表すようにすると、重複感が薄れるかもしれませんね。

 結句の「入華胥」「うとうとと昼寝をする」ことを意味しますが、うっとりと理想郷に入るイメージがあって、結びにはふさわしい言葉になっていますね。

2003. 7. 3                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第134作は 慵起 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-134

  泊祖谷渓     祖谷渓に泊す   

澹雲環碧嶺   澹雲 碧嶺を環る

苔径少人蹤   苔径 人蹤少なり

駅館臨幽壑   駅館 幽壑に臨み

日斜万緑濃   日斜に 万緑濃なり

          (上平声「二冬」の押韻)

<解説>

 旧作の改作です。
 かつて四国の祖谷渓(いやだに)に泊ったときの情景を詠んだもの。当時、寝ていた旅館の部屋にムカデがあらわれたものでした。いまはすでに観光地として、車があふれていると思いますが。

<感想>

 何となく、王維の詩を髣髴とさせるような、幽谷の寂しさがよく表れている詩ですね。

 起句の遠景と承句の近景の対比が、山の坂道をよっこらしょいと登っている時の眼の動きを再現しているようで、臨場感がよく出ていると思いました。

 山道を歩いていくとようやく見えた宿屋の建物、「駅館」「駅舎」「客舎」色々な言葉があるでしょうね。辿り着いて、ホッとした気持ちがうかがわれる転句ですね。

 結句は二字目が孤平になっていますので、「日」「暉」に換えるのはどうでしょうか。
 「万緑濃」は、起句の「碧嶺」と色彩的に似ていますが、ここも転句の遠景から自分の周りを眺める視点へと変換という意図で、ある意味では宿が見つかってようやく、日も暮れかけていたり、自分も緑一色の中に居ることに気がついたという驚きが表れているのでしょう。
 そういう点で、起句から結句まで、作者の心の動きまでもが目の前に描かれているような、構成された詩だと思いました。

2003. 7. 3                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第135作は 蓮龍 さんからの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2003-135

  悼喪        

一夜春風掃路塵   一夜の春風 路塵を掃(はら)い

桜花片片序天真   桜花 片片 天真を序す

莫嘆薄命如星殞   嘆く莫かれ 薄命の星殞つるが如きを

胸裡余香永遠新   胸裡の余香 永遠に新し

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 ホームページを拝見いたしました。
 誠に勝手なお願いなのですが、私の漢詩を添削していただけないかと思い、メールさせていただきました。 実は、私の上司であり友人であった方が、この4月に他界されました。
 今回、その方を偲んで植樹(桜)が行われました。
 植樹は、先日無事終わりました。当日は、天気予報では雨でしたが、植樹式の間は、なぜか突如晴天になり、社員一同、樹傍にて故人の足跡を偲ぶことができました。

 そこで私の気持ちを漢詩で書いてみたいと思ったのですが、何分初めての経験であり、要領も得ず、貴ホームページを読ませていただき、参考にさせていただき、また、一部引用(盗作)させていただきながら、作りました。
 昔、祖父が漢詩の様なものを書いていた記憶があり、また最近漢詩に興味を持っており、文章に添えて、漢詩を書いてみようと思った次第です。

 ただ、私は貴ホームページにあるような、韻・平仄といったことが良く分かっていません。
(自分なりに語尾の感じはそろえたつもりですが)
 もしよろしければ、桐山堂様に添削していただければ、幸いに存じます。

<感想>

 上記のようなメールをいただきました。(一部掲載にあたり、直させていただきました)
 このホームページでは基本的には「添削」はしていません。漢詩を愛好する仲間同士、お互いに「感想」を出し合い、励まし合って行こうというものです。また、感想についても、「こう直すべきだ」ということではなく、「こうしたらもっと分かりやすくなるのではないか」「もっと意図を伝えるにはどうしようか」という意見交換というつもりで、私は書いています。

 今回、蓮龍さんからのご依頼につきましても同じ姿勢で考えていますが、事情も特別ですので、やや修正案を大目に書いてみました。

 蓮龍さんからいただいた詩は次のものでした。初めに掲載したのは私の修正案です。

     一夜春風化路塵
     桜花薄命散天真
     莫嘆人生如流星
     胸中良香残永遠

 私の感じたことを添えて、修正の意図を述べましょう。

 基本的には、蓮龍さんの作られた言葉を残して、表現として問題があるところ、平仄で違っている所だけを直しました。

 起句は、「化路塵」でしたが、主語がここでは不明確ですので、春風を主語として、「道を浄めた」という感じにしました。

 承句は、ここで「薄命」を使うと主題が先に出てしまい、転句が生きてきませんので、「片片」として「ひらひら」と落ちるようにし、またその落花は自然の摂理、あるがままを示しているという意味で「天真を序す」としました。ただ、ここは蓮龍さんが「散天真」と書かれた意図がやや不明確でしたので、変更の余地はあると思っています。

 転句は、「人生」「流星」も平仄が合いません。四字目は仄字、七字目は仄字でなくてはいけませんので、先ほど削った「薄命」を生かし、下三字は「星殞つるが如きを」としました。「薄命」の代わりに「人世」でも良いのですが、「人」は押韻に使っている「上平声十一真」に属し、ルールから外れてしまいます(「冒韻」と言います)ので使えません。

 結句も、二字目は仄字でなくてはいけないのと、七字目は韻字でなくてはいけないので、そこを合わせます。「胸中」と同じ意味の「胸裡」と先ずしました。「良香」はその後の「残」を削る予定ですので、「余香」としました。その後の「永遠に残る」という意味を生かして韻字をそろえるとなると、「余香が永遠に新しく感じられる」とするのが良いと思いましたので、「永遠新」としました。

 これでひとまずは、平仄押韻という漢詩の規則は守られています。
 表現的には、率直に言いますと、転句をもう少し推敲することとと、結句の「永遠」を別の言葉で考えてみること、この二つをすれば漢詩としては整うように思います。

 ただ、誰か知らない他人(つまり私ですが)が、蓮龍さんが普段使わないような語句を用いて句作し、いくら見た目は良い(?)句になったとしても、それが最善だとは思いません。蓮龍さんが現在の全力で作られたもの、そうした誠実な作品を故人も喜ばれるのではないか、と私は思います。

 初めに書きましたように、今回の推敲案も、そうした意図から、明らかな形式上の間違いや、表現の意図が不明でない限りは、蓮龍さんの語句を最大限残すようにしました。
 以上をご理解の上で、更に蓮龍さんが推敲をなさるならば、再度送って下されば、その段階でまた協力させていただきます。

 作詩だけではなく、曲を作るのでも絵を描くのでも、推敲すれば実はきりがないものです。後になってから、ああすればよかった、こうしとけば良かった、と恥ずかしい気持ちになることも多いのですが、だからと言って、いつまでも完成を放っておくことは良くないのです。
 ある時点での自分の感懐を、その段階での精一杯の努力をして書き留める、後日、もっと良い表現が見つかったとしても自分が誠実に取り組んだならば、後悔はないと思います。
 なんか人生訓みたいですけれど、私はそう思っています。

2003. 7. 3                 by junji