2002年の投稿漢詩 第61作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-61

  春夜        

微風綽綽草婆娑   微風綽綽 草は婆娑たり

星如珠瓔雲似紗   星は珠瓔の如く 雲は紗に似る

逵路寂寥城市睡   逵路寂寥として城市睡る

四望燈殘兩三家   四望 燈殘るは兩三家

          (下平声「六麻」の押韻)

<語釈>

  「婆娑」:揺れ動く様子
  「珠瓔」:真珠の首飾り
  「逵路」:大通り


<感想>

 工夫・技巧があふれるような詩ですね。
 起句承句の句中対「綽綽」畳語「婆娑」畳韻による音律、結句の「4・両(二)・三」の数字の多用、細かい所まで神経がよく届いていると思います。

 結句の「殘」は平字ですが、ここは仄字を使うべき位置ですので、確認をして下さい。

 用語としては、惜しむらくは転句の「寂寥」でしょう、ここに作者の感情を入れると全体を支配する言葉になってしまい、「春夜=寂寥」という図式で片づいてしまいます。それでは、せっかくの結句の工夫が生きてきません。ありきたりかもしれませんが、「逵路無人・・」のように道の説明に徹した方が効果的だと言えます。

 尚、起句の「綽綽」は、風の形容として使った例はあるのでしょうか。一般には、姿形に用いるものと理解していますが。
 徐庶さんはきっと、「風がゆったりと吹いている」という意味でお使いになったと思いますが、そうすると、「微」が邪魔ですね。微風はゆったり吹くに決まっていますから、重複になります。「春風」・「東風」など、「綽綽」とは 異なった方向での形容にした方が良いのではないでしょうか。

2002. 3.29                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第62作は 咆泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-62

  摘草        

桃李花開保塁陲   桃李花開く 保塁の陲

蓬蒿鮮緑小川涯   蓬蒿鮮緑なり 小川の涯

踏青童女笑欣暢   踏青の童女は 笑うて欣暢す

正是四郊春動時   正に是 四郊 春動く時

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 古い石垣が残る小川の辺で少女らが摘み草をする風景に、そのご家族のささやかな幸せを感じました。

<感想>

 春の野山に出かけては、花を眺めては若草を摘み、季節の移り行くのを楽しむという「踏青」の風習、いつ頃に催すのかについては中国古典でも「正月人日」という所もあれば、「二月二日」頃や「三月三日」頃など、地方(時代)によって異なるようですね。
 文献的には調査も面白いところでしょうが、そもそもは冬の間出られなかった野山に行き、芽生えた草を摘んだりして春を感じ取り、太陽の暖かさを身体で味わうということが目的でしょうから、その地方その地方で時期が異なるのも当然なのでしょう。
 二四節気のように暦の上での計算で割り出したような全国共通の数値はないわけですから、きっと日本のお花見のように、地方や地区毎に適した期間が決まっているのでしょう。陽気に誘われれば外に出かけたくなるのは、どこでもいつでも同じなのでしょうね。

 全体的にも「春動時」ののどやかな情景がよく描かれていて、良い詩ですね。
転句の「欣暢」は難しい言葉ですが、「心のびのびと喜ぶ」という意味ですね。

2002. 4. 9                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第63作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2002-63

  落花生        

送娘周水別離情   娘を送る周水 別離の情

父母千愁対里程   父母は千愁 里程に対す

家味異郷嘗不到   家味 異郷 嘗するに到らず

皮箱放満落花生   皮箱 放ち満ちたる 落花生

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 大連の周水子飛行場での光景を詠みました。
 留学するのでしょうか、何人かの農村から出てきたような娘さんにご両親が落花生を沢山渡していました。
それを一生懸命スーツケースにつめている娘さん。横で見ていて、思わず感動してしまいました。

<感想>

 構成の非常に整った詩で、結句最後の「落花生」が家族の愛情を象徴していて、別離の悲しみがひしひしとよく伝わってきます。
 現代の日本では、コンビニから宅急便まで、全国どこにでも物が常備されるし届けられもするので、こうした送別の光景はあまり見なくなってしまったかもしれませんが、家族と別れて上京する時に栗だの餅だのミカンだのと食べ物をリュック一杯に詰めこんだ思い出のある方も多いのではないでしょうか。

 起句の「送娘」については、承句の内容でも十分に意味は出ていますから、ここは「周水」の様子を叙べるなどして前半には人事を入れない方が、下三字が生きてくるのではと思います。

2002. 4. 9                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第64作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-64

  漢俳・賞櫻花吟歩        

仰櫻雲早盛,      櫻雲の早くも盛んなるを仰ぎ,

賞乗風香雪飛飛。   風に乗る香雪の飛飛たるを賞す。

吟歩擬唐詩。      吟歩、擬唐の詩。

<解説>

 漢俳です。宋詞の雰囲気を狙っています(そこで、詞韻第2部の押韻としました)。
 第一句・二句は宋詞の特徴でもある領字を用い、第一句五字は上一字下四字、第二句七字は上一・下六の句としています。また、第三句は、五絶にならい上二・下三です。
 領字を使うことによって五言あるいは七言絶句の句読とは異なる軽快さを出そうとしました。

<感想>

     おもかげに 花の姿を 先立てて 幾重越え来ぬ 峰の白雲

 というのは平安末期の藤原俊成の和歌ですが、一句目はまさにこの歌を思い浮かばせるようなスケールの大きさ、雄大な風格が五字の中にありますね。
 二句目の「香雪」は桜の花のことでしょうか?ただ、桜花の香はあまり記憶に残る程のものではありませんから、この言葉は梅の花を指すことが多いと記憶しています。私は初め、梅の花が散る中で桜も開いたという場面を描いたのかな、と思いました。ちょっと時期的には苦しいかもしれませんが、でも、それもあったら面白い光景でしょうね。
 そして、結句の「擬唐詩」がピッタリの選択ですね。鮟鱇さんは吟詠する詩を選ぶのにも選択肢が広いことと思います。私はせいぜい唐宋明あたりの詩から選ぶしかないので鮟鱇さんとは深さが違うでしょうが、桜を全身で味わった心にはやはり唐詩が一番かな、という気がします。

2002. 4. 9                 by junji



鮟鱇さんからお返事をいただきました。

 桐山人先生
 鮟鱇です。拙作漢俳「賞櫻花吟歩」にご感想を賜りありがとうございます。さて、拙作のいささか舌足らずな点、説明させていただきます。

桐山人先生:二句目の「香雪」は桜の花のことでしょうか?
 わたしとしては、桜の花が雪のようにふることを表現したつもりです。

桐山人先生:ただ、桜花の香はあまり記憶に残る程のものではありませんから、この言葉は梅の花を指すことが多いと記憶しています。
 ご指摘のとおりで、香雪といえば「梅」。しかし、桜も、とくに年輪を経た桜林では、梅に負けず香りますので、「香雪」を使ってもよいかと思った次第です。
 ただ、「香雪」だけでは「梅」になると思います。そこで、小生は、「桜雲」との組み合わせで使えば問題はないかと思ったのですが、先生のご指摘もありますので、「香雪」「春雪」とした方がよいかも知れません。

桐山人先生:私は初め、梅の花が散る中で桜も開いたという場面を描いたのかな、と思いました。ちょっと時期的には苦しいかもしれませんが、でも、それもあったら面白い光景でしょうね。
 その光景、小生、新潟・群馬の県境の山村で眼にしたことがあります。4月末のことです。おそらく春が来るのが遅く、来るときは一気に来る、そういう気候風土ならではのことではないかと思います。旧作で恐縮ですが、

満庭芳・山 春    2000年5月作

村酒芳醇,荊妻純朴, 村の酒は芳醇にして、荊妻は純朴,
江亭將暮風柔。    江亭まさに暮れんとして風柔らかなり。
目前河水,瀲瀲自西流。 目前の河水,瀲瀲と西より流る。
瞻仰晩鴉群舞,    晩鴉の群舞するを瞻仰し,
又遙看,落日軽浮。 また遙かに看れば、落日軽くして浮く。
与君酔,陶陶老境, 君とともに酔えば、陶陶たる老境,
形勝得重游。    形勝、重ねて游ぶを得る。

悠悠,山景好,   悠悠たり、山景好し,
彩霞焼尽,眉月如鉤。 彩霞焼き尽して、眉月鉤のごとし。
見光淡,櫻雲眠處幽幽。 光の淡きを見ゆ、櫻雲眠るところ幽幽たり。
可賞春遅客土,   賞むべし、春遅き客土,
花急発,千紫長留。 花は急に発いて、千紫長く留まる。
人聞否,梅香仍有, 人、聞くや否や、梅香なおありて,
馥郁無憂。     馥郁として憂いなきを。

2002. 4.15              by 鮟鱇





















 2002年の投稿漢詩 第65作は 中嶋咆泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-65

  金剛山独歩尋千早城址     金剛山独り歩して千早城址を尋ねる   

金剛山麓一天晴   金剛山麓 一天の晴

花発樵家春意盈   花発く樵家 春意盈つ

幽谷静淵塵外境   幽谷静淵たり 塵外の境

翠岑寂歴小禽声   翠岑寂歴たり 小禽の声

雲移険塞路程急   雲は移る 険塞 路程急なり

石古風林客思生   石は古りて 風林 客思生ず

不朽赤心伝万世   不朽の赤心 万世に伝ふ

捐身報国不堪情   捐身の報国 情に堪へず

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 金剛山は、過去に何十回となく登りましたが、最近は余り行っていません。奈良県側や紀伊見峠へ抜ける道は静かで大変気持ちが良いものです。
 金剛山の春の風景と大楠公所縁の千早城址を詠じてみました。

[語釈]
 「捐身」:身を捨てて

 このホームページに投稿させて頂くようになって7ヶ月、初めて律詩に挑戦してみました。このページに出会わなかったら、律詩を作ることなど無かったであろうと思えば感慨深いものがあります。
 さて、これで律詩の体をなしているのかどうか怪しいものです。やはり対句は難しいですね。またその前後、首聯尾聯からの繋ぎと収束も大変難しいものですね。
 宜しくご教授賜りますようお願いいたします。

<感想>

 初めての律詩とは思えない、工夫された作品になっていると思いました。

 対句としては、頷聯が苦しいかもしれませんね。下三字を比べてみますと、「境」「声」も異質の組み合わせですし、「塵外」「小禽」では熟語の構成も違うと思います。

 収束については、題名に「千早城址」とあるので尾聯の意味が分かりますが、詩だけで理解しようとすると辛いでしょうし、唐突な展開の感は否めませんでしょう。
 というような点がありますが、詩としては首尾統一された情緒を保っていて、七言律詩の格の重さに十分に堪え得た作品が出来上がったのではないでしょうか。

2002. 4.18                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第66作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-66

  詠松山城      松山城を詠ず  

藤公拓嶂又開窮   藤公、嶂を拓き又窮を開き

築得危楼千歳功   築き得たり危楼千歳の功

鐵壁松城横九漢   鉄壁松城九漢に横たわり

英雄事業一望中   英雄の事業一望の中

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 本年、県都松山市は、賤ヶ岳【滋賀県伊香郡木ノ本町・423米】七本槍の一人として有名な豊臣家臣団 加藤嘉明が、慶長8【1603】年関ヶ原の戦功により20万石に加増され、市街中心地の勝山に築城して400年の慶節を迎えます。姫路城や和歌山城と共に、日本三大連立式平山城として有名です。
 そんな松山のシンボルを題材に作詩してみました。是非築城祭たけなわの四国、松山に皆様お越し下さいね。

<感想>

 「藤公」は、解説に書かれた加藤嘉明のこと、彼は平安末期の武将である藤原利仁の末裔だと称することからの呼称ですね。
 藤原利仁と言われてピンと来る人は記憶の抜群に良い方でしょうが、芥川龍之介『芋粥』で、主人公の五位に芋粥をたらふく食べさせた男がこの藤原利仁です。勿論、モデルということですが。

 さて、その藤公が登場した今回の詩ですが、題名と内容がずれてしまいましたね。これでは、「詠松山城」というよりも、「詠加藤嘉明」とすべきでしょう。

 内容的には、後半の部分での「鉄壁松城」とか「英雄事業」とありますが、これは非常に主観的な比喩です。例えは悪いかもしれませんが、サッカーのサポーターやプロ野球ファンが「うちのチームは世界一!」と言っているに等しく、地元以外の人には見せにくい作品になってしまいました。
 こうした表現は、他郷の人が訪れた土地の文化や歴史に敬意を払うために用いるもの、と考えた方が良いと思っています。

 平仄の点では、起句の「公」と結句の「雄」が「上平声一東」の韻字ですので、冒韻になっていますので、気をつけて下さい。

2002. 4.18                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第67作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-67

  少年游・賞櫻花覓句        

山櫻雲涌,         山櫻に雲涌き,

吾頭霜降,         吾が頭に霜降り,

白髪兩如仙。       白髪 兩(ふた)つながらに仙のごとし。

重年却老,         年を重ねて 老いを却(しりぞ)け,

乗風飛雪,         風に乗って雪を飛ばし,

舞態益飄然。       舞態 ますます飄然たり。

誰憂春日嘆貧困,   誰か春日に貧苦を嘆き憂えんか,

覓句不須錢。       覓句 錢を須(もち)いず。

賞景抒情,         景を賞(め)でて 情を抒(の)べ,

低吟高古,         低吟して高古たれば,

無酒醉花間。       酒無くも花間に醉う。



<解説>

 2月のなかごろからこの春は「桜」の詞を書こうと思ってきました。どこまでできるかわからないが、桜が散るまでの間に「桜」を色々な詞牌で書いてみる、ということを続けています。テーマは同じ、しかし、詞型は違う、つまり同工異曲です。100首100牌は越えました。そのなかでどうにか気に入った詞にたどり着けたというのがこの詞です。
 わたしたち日本人の詩は古人の作を手本にした詩が多い。つまりは時間を超えた同工異曲。そうなら、いっそ開き直って同工異曲を作ってみよう思った次第です。詩を書いていて詩材にこと欠くことはいくらでもありますが、詞牌は数百、同工異曲を続けることはまだまだできます。
 小生の同工異曲、つまりは習作であるのですが、詞牌の多様性に興味のある方は小生のホームページ(http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/4826/)をご覧いただければと思います。

<感想>

 4月以来転勤の関係でページの更新が遅れてしまいました。鮟鱇さんはその辺りをきっと察して下さったのでしょう。htm 形式で、そのまま掲載できるようにして送っていただき、とても助かりました。

 蘇軾の『前赤壁賦』の後半、

  惟江上之清風、與山間之明月、  川上の清風と山間の明月だけは
  耳得之而爲聲、目遇之而成色。  耳では音楽となるし、目には絵画となる。
  取之無禁、用之不竭。         誰も取ることを禁じないし、どれだけ使っても尽きることはない。
  是造物者之無盡藏也。        これこそが大自然の無尽蔵というものなのだ。

 の名句のように、金も無く財も無くても美しい自然を眺めていれば、心の中には無尽の喜びが生まれるわけで、まさに鮟鱇さんが仰る通り、「覓句不須錢」であり、「無酒醉花間」の心境こそが私たちの詩心でもあるのでしょう。

 また、宋の梅堯臣は 『詩癖』 という詩で、

  人間詩癖勝錢癖           この世では、詩への執着は金銭への執着に勝っているものだ。
  捜索肝脾過幾春           佳句を求めて心の中を探しまわって幾度の春を過ごしたことか。

 と詠った後、「財布の中が空っぽでも平気だ、詩の中に新味が多くなれば満足だ」と詩人の真情を吐露していますが、まさに納得です。

 春を味わうに十分な詩を読ませていただきました。

2002. 4.22                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第68作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-68

  和東坡詩飲湖上初晴後雨        

偏愛坡公湖上遊   偏に愛す坡公 湖上の遊

慕他高興従無由   他の高興を慕ふも従うに由無し

獨傾瓢酒息羸脚   獨り瓢酒を傾けて 羸脚を息わしめ

閑挙笠檐凝酔眸   閑に笠檐を挙げて 酔眸を凝さん

朝雨空濛烟欲鎖   朝雨空濛 烟は鎖さんと欲し

午晴瀲艶水如留   午晴瀲艶 水は留る如し

淡粧濃抹何須比   淡粧濃抹 何ぞ比するを須いんや

誰為詩人借一舟   誰か詩人の為に一舟を借さん

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 誰も手を下しにくいのであれば、ということならばと気負って作ってみましたが、納得のいくものではありません。推敲を重ねてもみましたが、妥協してしまいました。
 頸聯の「烟欲鎖」 「水如留」が気に入りません。いろいろ推敲を重ねてみましたが、好い句は見つかりませんでした。

「獨傾瓢酒息羸脚」●○○●●○● 6字目は孤平です。
「閑挙笠檐凝酔眸」○●●○○●◎ 6字目の孤仄で拯ています。

 所謂呉體といいます。(陳文華先生 『古典詩的形式結構』 呉體 中国学術年刊)

    [大意]

 私は常々先生(蘇東坡)の湖上の遊を愛し、その高きおもむきを慕っておりますが、
先生に陪することは出来ないのが残念です。
 その趣を味わんが為に私は武庫川を散策しております。
 たまたま、疲れた足を休めるため歩みを止め、携えていた酒を酌みながら、
閑に、傘を挙げて武庫川の流れを見入っています。
 朝降った雨は空濛として、煙は私のいる岸堤を閉ざすようです。
 丁度雨も止んで天気も晴れてきました。武庫川の水面は瀲艶としてまぶしいばかりになっており、
朝方の雨にもかかわらず、水は渺々として留まっているように見えます。
 武庫川の景色は西湖にも劣りません。先生が西湖を西子に比して、淡粧濃抹と表現されました。
 武庫川の景色も正に淡粧濃抹と表現しうるに堪えますが、私は舟に乗って、
先生とは違った趣向で詠じたく思っています。
 誰か私の為に舟を貸してはくれませんでしょうか。


<感想>

 蘇軾の名作、『飲湖上初晴後雨』を底に置いて、大先生を敬慕しつつ新しい趣向も狙いたい、更に形式も七言律詩で作りたい、という謝斧さんの意欲が溢れる詩ですね。

 頸聯が気に入らないとのことですが、「烟鎖」「水留」の虚字がリズムを崩しているのでしょうか。私はそんなに気になりませんでしたが。

 私自身は武庫川を訪れたことがまだありませんが、謝斧さんのこれまでのお手紙や詩から推測すると、「西湖にも劣りません」というお気持ちは理解できますね。

2002. 4.22                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第69作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-69

  強風雨後        

夜寒侵枕席   夜寒 枕席を侵し

未曉甚醒然   未だ曉(あ)けざるに甚だ醒然たり

一眄庭桃樹   一眄す 庭桃樹

殘花潤露鮮   殘花 露に潤いて鮮やかなり

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 庭に桃の花が咲いたと思ったら、この前の風雨のために散らされ、二、三しか残っていませんでした。
 二十四番花信の風では桃は啓蟄となっていますが、春分ももう過ぎてしまい、少し詠むのが遅かったのかもしれません。

<感想>

 「小寒」の初めの梅花から始まって、「穀雨」の最後の楝花(おうち)まで、花の季節である農暦の十二月から三月の間を「花便り」として二十四の花を当てたものが『花信風』ですが、徐庶さんが仰るように、「桃花」「啓蟄」となっています。
 筑波大学の向島成美氏は、「広い国土を持つ中国で、一体どこの地方を基準としてこのような開花時期が設定されたのかはよく分からない。」と書かれていますが、『花信風』には順に花を入れていったという面もあるでしょうから、「桃花はいつでも啓蟄」ということではないでしょう。
 ただ、季節的にはやはり仲春の花、昼の汗ばむほどの陽気と朝晩の冷えを同時に感じる頃に咲き始めると思えば、徐庶さんの今回の詩は非常に臨場感のあるものと感じます。
 また、咲き始めたばかりの花なのにもう散ってしまったという気持ちもよく表れていますね。

 難を言えば、咲き始めたばかりなのにどうして「殘花」なのかの説明が題名でなされていて、詩では分からないことくらいでしょうか。五言絶句では仕方ないのかもしれませんが、逆に「殘花潤露鮮」に作者の感動がよく表れているとも言えますね。

2002. 4.22                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第70作は高校生になった マヨっち さんからの作品です。
 

作品番号 2002-70

  春一日        

街化砂巣窟   街は砂の巣窟と化し

我憧清碧寥   我憧るる清い碧寥

去汚春夜雨   汚れ去る春夜の雨

寂寞霧中朝   寂寞たり霧中の朝

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 復活しましたマヨっちです!!今回は、私の春の憂鬱を漢詩にしてみました。
 起句の「砂巣窟」っていうのは、黄砂が猛威を振るっているというたとえです。「巣」という漢字は、本当は別の漢字だったのですが、パソコンで出ませんでした。
 転句は、おぞましき花粉(マヨっちは花粉症)や黄砂が夜の雨で洗われるという意味です。
 「憧」は、このごろの中国語でも日本語と同じ意味で使われるということで使ってみました。また、弧仄はお許しを。
 最後に、転句は逆に空気がすっきりしすぎて、少し寂しいなぁということを表しています。

<感想>

 今年は特に黄砂が激しいようで、アメリカ大陸まで飛んでいったと聞きました。花粉に苦しむ人には、本当に辛い春でしたね。(私も数年前までは花粉症で苦しんでいましたが、気管支喘息で入院した後は、それ程ひどくはなくなりました。でも、辛さはよく覚えています)

 さて、約半年ぶりのマヨっちさんの詩、順番に見ていきましょうか。

   [起句]
 「砂巣窟」ですが、巣窟はそれ程広い場所を表す言葉ではありませんから、「街が砂の巣窟と化す」ですと、広がりが出ませんね。
 「巣」という漢字は、本当は別の漢字だったのですがとのこと、うーん、どんな漢字だったのでしょうか?「巣窟」自体が別の言葉に変わるのなら、その方が良いと思います。

   [承句]
 場合にもよりますが、「我」という言葉を使う場合は、「他の人と違って、特にこの私は」と強調する意味になります。というのは、詩の中の心情は普通作者の心情で(つまり、「私」の気持ち)、わざわざ「我」と言う必要はありません。強調でないのだったら、別の字を使って意味を深めた方が得策です。ただでさえ字数が少ないのですからね。
 この詩ならば、「清碧寥」を望む人がほとんどでしょうから、わざわざ「我」と言わなくても良いでしょう。
 「碧寥」は難しい言葉ですね。『三体詩』の最後の方に採られている温憲という詩人の「杏花」に出ていますね。「寥」は「空虚」という意味で、ここでは「大空」を指すのでしょう。

   [転句]
 「去汚」は、この形では「汚れ去る」と読めません。動詞の後の名詞は目的語として認識しますから、「汚れ去らしむる」のように読んで、「春夜雨」に掛かっていくようにしたらどうでしょうか?

   [結句]
 この句には問題はありませんね。

 「孤仄」については、私はあまり気にしませんし、取り立てて指摘しない場合の方が多いと思います。避けられればそれに越したことはないのでしょうが、私個人としては、孤仄まで厳格に守ると逆に詩のリズムの自由度が減ってしまい、面白さがなくなるように感じています。

 色々書きましたが、推敲の折の参考にして下さい。

 マヨっちさんが昨年の英語弁論大会で発表した原稿をいただきました。漢詩、詩吟についての的確な英訳でしたので、「桐山堂」に掲載させていただきました。興味のある方は是非、お読み下さい。

2002. 4.23                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第71作は Y.T さんからの作品です。
 

作品番号 2002-71

  林彪(七言古詩)        

建国元勲遍災禍   建国の元勲 遍く災禍

獣盡良狗竟亨也   獣盡きなば 良狗も 竟には亨らるなり

林彪蓋識先制人   林彪 蓋し識る 先んずれば人を制すと

欲抜一毛簒天下   一毛を抜いて 天下を簒(と)らんと欲っす

龍車早去向京華   龍車 早(つと)に去りて京華に向かひ

太湖東辺逸長蛇   太湖東辺 長蛇を逸す

事敗夜陰将奔北   事敗れ 夜陰 将に北に奔らんとするも

戟折沈沙喬志   戟折(くだ)けて沙に沈み 喬志 (はる)かなり

          (上声二十「煤v、二一「馬」の通韻と下平声六「麻」の換韻)

<解説>

 七言絶句で以前発表した嗤林彪を七言古詩に書改めたものです。古詩は初めてですが、対句を作らなくても良い分、楽のように思いました。

 長くなりますが、詩の背景を述べさせて下さい。

 文化大革命中の1969年11月に劉少奇国家主席が党籍を剥奪され、家族の看護はおろか見舞いさえ許されず監禁状態のまま孤独の裡に病死すると、既に同年4月、正式に毛沢東の後継者に指名されていた林彪は、自分が国家主席になろうと画策を始めました。此が毛の不興を買い、二人の間に次第に溝が深まり、毛は林彪を警戒し始め、一方林彪の方は焦った様です。
 翌1970年8月、廬山会議で毛は林彪の画策を難じ、会議の終わった後に「私の若干の意見」という一文を草し、そこで林彪一派の行動をはっきり非難しました。こうして、平和裡に権力を得ようとして失敗した林彪は、もう武力による権力奪取しかないと決心します。
 林彪一派がクーデター準備中の1971年8月、毛は突如北京を離れ南方へ視察旅行へ赴きます。そうして湖南、湖北、河南の党幹部と武漢で会い、大いに林彪批判をします。
 もう一刻の猶予も出来ないと悟った林彪は毛の帰途、太湖東岸の碩放橋に於いて専用列車を爆破、暗殺する計画を立てました。毛は林彪の計画を何処まで察知していたのか不明ですが、この視察旅行で林彪を相当刺激している事を意識していたのでしょう。裏をかく様に上海からの出発予定を早め、遮二無二列車を急がせて、北京へ帰り着きました。
 事の失敗を悟った林彪は、飛行機で北載河からソ連へ亡命しようとし、モンゴルのウンデルハン近郊の砂漠に墜落死亡、野望は夢と消えた事は周知の事実です。


 [語釈]
 「建国元勲」:劉少奇、彭徳懐、ケ小平、陳毅等々。
 「欲抜一毛」
 
:一毛は毛個人の意。前回は典故の語をそのまま使いましたが今回少し変更しました。
 これ位のパロディは許されるのではと思います。
 「龍車」
 
:毛は所謂皇帝ではありませんが、新しい皇帝とみて差し支えないでしょう。
 それで専用列車を龍車と表現しました。
 「逸長蛇」
 
:列車を蛇に見立て、列車の襲撃失敗をこう表現しました。
 尤も日本人なら頼山陽の詩を直ぐ連想して意味は明らかと思います。
 「戟折沈沙」
 
 
 
:戟とは林彪の乗ったトライデント機。
 トライデントはギリシャ神話の海神ポセイドンの手にする「三つ叉の戟」です。
 中国では三叉戟機と翻訳されているので中国人なら註無しでも分かるでしょう。
 飛行機が砂漠に墜落、飛散した事を杜牧(赤壁)からの借物でこう表現しました。

<感想>

 以前送っていただいた『嗤林彪』も楽しく読ませてもらいましたが、今回は古詩ということでゆったりとした作りですね。
 歴史の裏面を自分の視点で描き出すことは楽しい作業ですが、表現を絞り込むことが難しいですね。冗長にならずに、しかも舌足らずにならないように、その辺の塩梅が詩の良否に響いてくるとも言えます。
 詩中の語句はよく練られていると思いますし、古典と現代の事柄を巧みに構成して、うーん、なるほど!と思う箇所も多く感じました。
 後半がいつものことのようで恐縮ですが、やや説明的に追ってしまった感で、少しでも作者の気持ちが入ると展開が違ってくると思いました。

2002. 4.29                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第72作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-72

  早春山村即事        

凍稜三日厭寒峩   凍稜 三日 寒峩に厭き

降到山郵息弊靴   降りて山郵に到り 弊靴を息わしむ

残雪陽輝白嶺嶺   残雪 陽輝いて 嶺嶺に白く

初萌風度緑坡坡   初萌 風度って 坡坡に緑なり

空田荒圃春耕晩   空田 荒圃 春耕晩(おそ)くして

笑語酔顔婚会和   笑語 酔顔 婚会和かなり

村媼携自先導   村媼 を携えて 自ら先導して

款冬任意采多多   款冬 意に任せて 多多に采らしむ

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

 三月初め、福井県山奥の村の情景です。
 春山を三日ほど歩いて、どこまで行っても白一色なのに少々ウンザリして、山奥のバス停まで降りてきました。バスを待っている間に、近くの土手に案内してもらって、蕗の薹をドッサリと取らせてもらいました。
 とりとめもない詩になってしまいました。起聯は言わずもがなの説明ですし、前聯は語法的に少々苦しい感じです。

<感想>

 頷聯(前聯)は仰るとおりで、書き下しのようには読めませんが、「白き嶺嶺」「緑の坡坡」と読むようにすれば意味は理解できますね。それよりも、第八句の方が文法的には苦しいのではないでしょうか。
 頸聯は「空田」「笑語」「荒圃」「酔顔」が対としてはやや苦しいように思います。
 第六句の「笑語酔顔婚会和」は、前の句とのつながりがなく、後の句でも「村媼」との関係も何もないようですから、浮いていますね。「たまたま婚会に遭遇した」というような内容にすると、一応村の春景の中に収まると思いますが、構成を考慮して第六句を推敲したらどうでしょうか。

2002. 5. 3                 by junji




禿羊さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、ご批正有り難うございました。
「婚会」は唐突でしたか。実はここは、半分そら言になりますが「春社」を考えました。迷った末、結局実景を取りました。村の情景ということでは「春社」の方が適切だったようです。

    空田荒圃農功晩
    青幟俚歌春社和

 に変更致したいと思います。
 半分そら言というのは、たしかに幟は立っていたのですが、あの日が祭りではなかったようです。

 第八句、語法的に無理でしょうか。やはり使役形にする必要がありますか?
「款冬任意使采多」 (款冬 意に任せて 采らしむること多し)は如何でしょうか?

2002. 5.11                  by 禿羊




 第八句については、「采多多」「多多に采らしむ」と読むのに無理があると思います。「多多采」ならば良いのでしょうが。
 ですから、詩の方はそのままにしておいて、読みだけを「采ること多多」としておいた方がリズム感もあるのではないでしょうか。

2002. 5.16                  by junji





















 2002年の投稿漢詩 第73作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-73

  爲受験生        

龍門澎湃甚難登   龍門は澎湃として甚だ登り難し

性固偸安嫌習恒   性は固(もとより)偸安にして嫌習恒なり

我讀学書通解日   我れの学書を讀みて通解するの日

衆人容益琢才能   衆人容に益々才能を琢くべし

          (下平声「十蒸」の押韻)

<解説>

 [語釈]
 「龍門」:科挙の受験会場の正門、または山峡の名前。

 受験戦争はとても厳しく、いい学校には受かりにくい。
 自分の性格は昔から事なかれ主義なので、勉強嫌いはいつものこと。
 自分が教科書などを通解する日には、
 他の人はどんどん上を行っていることであろう。

 先日、馮至の漢詩で十四行詩集の第七首を読んで、何か感じるものがあり、他の作品(日本語訳のみ)を読んだのですが、何となく雰囲気がリルケ(少しかじっただけ)に似ている気がするんです。
 ところで、最近の漢詩人は、欧化詩を作ることの方が、近体詩より多いのでしょうか?今まで、漢詩といえば、唐詩と宋詞ぐらいに思っていた自分には、とても新鮮でした。

 ところで、自分も今年は受験生ということで、漢詩を送る機会が減るかもしれませんが、
今後ともよろしくお願いします。

<感想>

 二句目の「偸安」は、「将来を考えず、目先の安泰ばかりを求める」ことですが、徐庶さんがそんなタイプには思えませんから、謙遜してのことでしょう。一首全部が謙遜になっては面白くありませんから、転句くらいからは自信や抱負がほのかに窺えるような展開にすると、詩自体も未来への期待を込めたものになるでしょう。

 受験勉強は大変ですが、気の持ち方も大切です。「中学三年間の復習をこの機会にやって、自分の勉強の不足していた所を補うのだ」、くらいに考えると勉強の意義も見えるのではないでしょうか。合格という目標のみを目指していると、息が切れるもの。自分に何が必要なのか、そこから始めるといいですよ。
 頑張って下さい。

2002. 5. 3                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第74作は 佐竹丹鳳 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-74

  浪速城下探梅        

重入華城憶旧遊   重ねて華城に入って旧遊を憶い

探梅韻事共朋儔   探春の韻事 朋儔と共にせり

今春來見花零急   今春來り見る 花の零ること急に

半散苔茵半杪頭   半ばは苔茵に散り 半ばは杪頭

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 今回は、佐竹さんの詩をいつも送って下さっている謝斧さんが書かれた感想を載せます。

 起句は「重入華城」よりも、「重訪華城」の方がよいと思います。
 此の詩は、結句に工夫があるのでしょう。
 習作の人の詩は、情思を述べる場合、概ね、一句全体、情思ばかりの、むくつけの叙述になりがちです。それでは余韻を含むような詩はできません。散文ならばよいのですが、景物を化して情思と為すが大事なところです。
 この詩の転結句は、「以前遊びに来た時は友達(朋儔)も一緒だったのに、今では、その人も亡くなられて、時の経つのがなんと早いことでしょう(お二人は苔茵に散り、我々は杪頭に残っている、然し早晩我々も苔茵に散る定めなのですが)」ということを、花に託して表現することで、余韻の深い作品になっていると思います。

2002. 5. 3                 by 謝斧





















 2002年の投稿漢詩 第75作は兵庫県西宮市の 欣獅 さん、四十代の男性の方からの、初めての投稿作品です。
 お手紙をご紹介します。

 このような浮薄な世にあって、変わらず漢詩を作っておられる方々の存在に敬意を表します。
 以前から漱石の詩などに惹かれて読んでいましたが、平仄が難しく作詩は敬遠していました。今回、皆様の御作に刺激を受け、敢えてチャレンジしました。
 ご練達の皆様に恥じ入るばかりですが、何卒ご寛恕頂き、御指導の程を!

作品番号 2002-75

  帰路偶成        

春宵帰路遠   春宵、帰路遠し

鞄重肩愈凝   鞄(かばん)重く、肩愈(いよいよ)凝る

昔日咸陽月   昔日、咸陽の月

今夜翳電燈   今夜、電燈に翳(かげ)

          (下平声「十蒸」の押韻)

<解説>

   遠方の勤務からの帰り道
   鞄が重く、肩が大変凝ってくる
   昔、咸陽の都に懸かっていたのと同じ月が
   今夜、町の電燈の光にかき消されて無粋な事だ

 雑務に追われる現代のサラリーマンの悲哀を、昔の心豊な詩人たちがうたった月に比して一層悲哀なものとして浮かび上がらせたつもりです。
 「肩愈凝る」の句の品性の無さを如何にしたものか、請う御高評!

<感想>

 新しい方をまた迎えることができ、とてもうれしく思っています。これからもよろしくお願いします。

 さて、詩の感想ですが、仰るように「肩愈凝」は確かにそのものずばり、日本語のままですが、「鞄重」も現代的ですので、ま、ひとまず良しとしましょうか。ただ、鞄が重くて肩が凝るのでは当たり前すぎて、五言絶句という最短詩形にはふさわしからぬ、勿体ないような表現ですね。鞄が重いのは仕事を象徴させていますから、何か他のことを後半に持ってきたらどうでしょう。「遠距離通勤」「過重労働」と来ましたから、あと一つですけれどね。
 平仄については、結句の二字目が「夜」で仄声になっていますが、ここは平声でなくてはいけないところです。

 転句結句のつながりは、意図は分かるのですが、その効果としてはどうでしょうか。現代に対比して、何故「咸陽」でなくてはならないのか、「長安」では?「奈良」ではどうなのか、「咸陽」と限定して書いた分だけつながりが分かりにくくなったように思います。
 五言絶句は描写は明瞭に、余韻を深く、とするのが良いわけですが、今回の作では「明瞭」の点でやや心残りの所がありますね。まず、平仄を直されて、その後に推敲を進めてみて下さい。

2002. 5. 3                 by junji



欣獅さんからお手紙をいただきました。

 早速に添削を頂き誠にありがとうございました。駄作に懇切なご指導を頂き恐縮に存じています。

 「鞄重く」の句、「凝」の韻字を持って来んがために、無理にこじつけたもので、仰せの通り説明調になり品を落としたようです。
 そこで、いっそのこと「凝」をやめて、疲れている様子を、「憔悴欲欄凭」(憔悴し、欄に凭らんと欲す)にしてはどうかと思います。「車窓」という言葉を使って、月と関連付けたかったのですが、平仄がうまくいきませんでした。「欄凭」で、バス停の手すりに寄りかかっているという事が浮かばないでしょうか。

 「咸陽」については、三字目に平字を持ってくる事が可能な事を見落としていたので、無理に持って来ただけのことで、仰せの通り「洛陽」のほうが、すんなりといくと思います。
 結句の「夜」は、ご指摘の通り、単純な平仄のミスで情けの無い事です。これをやめるとすると、「昔日」に対比させる言葉がなかなか無いので対比を諦めまして、月の存在感の無い様子を、「模糊」とか「風前」あたりで表せないかと考えました。しかし、「模糊」は、なんとなく説明しすぎている気がしますし、「風前」は昼間の感じがするように思いましたので、やや擬人化が過ぎて嫌味があるかなとも思いましたが、「悄然」あたりで決着をつけることにしました。

 まだまだ至らないとは思いますが、それで一応修正作は次の通りになりました。
    春宵帰路遠     春宵、帰路遠し
    憔悴欲欄凭     憔悴し、欄に凭らんと欲す
    昔日洛陽月     昔日洛陽の月
    悄然翳電燈     悄然として電燈に翳る


 もし余裕がおありでしたらご意見を賜りたいと思いますが、ご無理をなさらないでください。

 思い切って投稿して自分の作品をサイトに載せて客観的に見て、ご批評を頂くという事は大変良い勉強になりました。お手を煩わせました事、重ねて感謝を申し上げます。
 絶句の通りに、多忙な生活をしておりまして、なかなか詩想も湧かないのですが、出来ました折にはまた投稿をさせていただきたいと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。
 末筆ながらご健勝の程お祈り申し上げます。

2002. 5. 6                 by 欣獅

 追伸: つかぬことをお伺いしますが、投稿費用というものはどうなっているのでしょうか、必要ならどうぞご遠慮なくおっしゃて下さい。




 お返事ありがとうございます。色々とご心配をいただきまして、恐縮の至りです。
 まずは、「追伸」でお尋ねの投稿費用の件ですが、全く無料ですので、ご心配なさらないで下さい。私のプロバイダは地元の個人の方が運営しておられる所(開設の折りにはとってもお世話になりました)なのですが、ホームページ登録に特別な料金も不要ですので、投稿に際しての費用をいただく予定はありません。
 私個人としても、趣味で始めていることですから、無料の方が気持ちも楽ですね。無責任で、というわけではありませんが、「無料」ということで主宰者の自由裁量の部分を許していただこうか、という気持ちです。

 さて、直された詩の感想ですが、承句は言葉としては落ち着いたと思いますが、「欲欄凭」は語順としては「欲凭欄」となるべきですね。(目的語が述語の後ろに来ます)。平仄・押韻の関係でどうするか、いっそのこと結句や韻字を変えるかですね。
 転句については、「洛陽」がいいのか、「咸陽」がいいのかは、正直私にはわかりません。というよりも、前回書きましたのは、なぜ固有名詞が必要なのかということだったわけで、結句とのつながりが不明なのは変わりないように思います。再度説明していただけるとありがたいと思います。
 結句の「悄然」は承句の「憔悴」と語感が似ており、主語が違うとはいえ、やや言葉が多すぎたように感じます。承句の「憔悴」の方を直されてはいかがでしょうか。

 次の作品も楽しみにしています。よろしく。

2002. 5.16                 by junji