2003年の投稿漢詩 第196作は 逸爾散士 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-196

  桜本偶吟        

聴講朝鮮史   聴講す朝鮮史

講終出学堂   講終わりて学堂を出ず

槿花浮薄暮   槿花薄暮に浮ぶ

一世憶家郷   一世、家郷を憶わん

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 題材が見つからないでご無沙汰しました。

 普段やっていることの中からテーマを見つけようと思い返し、7月12日、仲間と川崎市ふれあい館という在日朝鮮、韓国人と地域の人の文化交流の施設に見学と話を聞きにいったときのことを選びました。
 学童保育や在日一世の高齢者福祉の話、在日の戦後史、昨年9月17日(日朝会談で拉致問題が“はじけた”日)以降の日本社会の状況をどう思うか。いろいろ話を聞いたのだけど、それを詩にする力がない。話を聞いて館を見せてもらって、帰る頃には夕刻になっていました。
 近くにセメント通りという焼肉屋さんがたくさん並んでいる有名な所があり、そこに行く途中の道の街路樹が槿で、白い花が咲いていました。

 それだけを詠んだのですけれど、タイトルがこれでいいのか、よくわからない。メモ書き、デッサンに類する詩ですね。
 朝鮮の歴史を聞いたわけではないけど、在日朝鮮人の戦後史と丁寧にいうと幅をとるから、朝鮮の語を出すにとどめました。

 「講終わりて」だと「終」が孤平になるけど、他の言い方を思いつかない。
 「街頭木槿浮斜日  在日阿婆想故郷」というように七言に仕立てたほうがわかりやすいかもしれないけど、五言の簡素な調子のほうが気持ちにあう気がします。

 うちには底紅、宗旦むくげとよんでいる種類が咲いています。
 槿は古銅の花入れでも、国焼きの伊賀や信楽の花入れでもあうと思う。茶道の美意識の半分ぐらいは朝鮮半島出自じゃないかなあ。私は日本文化に誇りを持っているけど(例えば秋の歌とて、古今調、新古今調で和歌をわりと即座に詠みわけられる。うまくはないですが)、国の象徴の花が桜と槿とでは、槿のほうが品格があってゆかしい感じだよなあと思っていました。
 だから「わあ、街路樹が槿だあ」と思って印象に残りました。槿を見て一世の人は故郷を思い出しているだろうなと収束させました。在日一世のおばささん(ハルモニ)は日本語もハングルも読み書きできない人がいて、識字学級で字を習っているという話を聞いていたので、自分の中では感慨ひとしおですが、いきなり一世は唐突かも。(槿のほうがもっと唐突だけど。)
 初句の「朝鮮史」が布石になっているかどうか。

 ふれあい館は学校ではないけどハングル講座もやっているし、民俗音楽の講座もやっているから「学堂」でいいことにしました。
 いつか、在日一世のばっちゃまの話を聞いて詩を作れればいいな。

<感想>

 解説でお書きになったような、様々な思いを五言絶句に詠み込むというのは、確かに切り取り方が難しいと思います。
 思いを一気に吐き出したような感じで、確かに七言にした場合には説明的な口調が加わりますから、五言の簡潔さが効果的でしょう。ただ、その分読者には意識的な読解を求めることにはなります。

 今回の詩では、後半は仰るほどには違和感はありません。「槿花」の登場も転句の位置ですから、自然に入れます。結句の「一世」は和語ですから、「唐突」というよりも、誤解を招くのではないでしょうか。意味的には「老婦」でも通じると思います。

 気になるのは承句ですが、ここまで丁寧に書く必要はあるのでしょうか。「講終」れば外に出る、当たり前のことをわざわざ書くよりも、ここは「朝鮮史」の講義を聴いて、私が何を感じたのか、朝鮮半島と日本の文化の交流の歴史に思いを馳せるのも良いでしょう。作者の内面を直截に出した方が、この時の逸爾散士さんの気持ちに合うと思います。

 「槿花」が韓国の「国花」だということを注などで示すと、全体が一貫した明快な詩になるように思います。

 ところで、題名の「桜本」はどういう意味ですか。

2003.10.17                 by junji



謝斧さんから感想をいただきました。

 なかなかの佳作ですね。
「講」が同字重出になっていますが、私には不自然な感じはありません。 五言短形詩に堪えうる内容だと感じました。
 とくに転句の「浮薄暮」は感心しました。「浮」が詩眼でしょうか。
 「一世」はこの詩の唯一の瑕疵ではないでしょうか。熟していない詩句です。前句から、たんに「老嫗憶家郷」でもわかるのではないでしょうか。

   聴講朝鮮史    聴講す朝鮮史
   講終虚学堂    講終わりて学堂虚し
   枳花浮薄暮    枳花薄暮に浮ぶ
   老嫗憶家郷    老嫗家郷を憶わん

 ではどうでしょうか。
 「一世」にかえて「老嫗」にした為、作者の作詩意図により、「槿花」「枳花(橘花も可)」にしたのですが、どんなものでしょうか。

2003.10.20               by 謝斧


逸爾散士さんからのお返事です。

逸爾散士です。
 鈴木先生には、いつも懇切、精密な読解をしていただいています。
また、謝斧さんからお褒めいただいて光栄です。

 「桜本」は川崎市川崎区の町名です。大阪・猪飼野と併称される在日集住地区で、(在日人口比率ははるかに少ないですが)その意味では詩題で在日がテーマだというのが伝わるかもしれません。

 承句は、自分の動きを書くと、次の句も「槿を見た」という現認感(こんな言葉、あるかしら。現に目撃している感じ、というぐらいの意味です)が出るのではと思いました。
 ただ、確かに承句の念を押すような物言いは、省筆を旨とする五言絶句とはそぐわないようです。
その点、謝斧さんの「講終わりて学堂虚し」「虚」の字は、「講義を聞きいろいろものを考えさせられて茫然としている心境」を表現できますね。

 夕刻に白い花を見つけるのは、蕉門の俳句にもありそう。花橘なら王朝和歌でもありそうです。
 ただ、本人は「槿なんだ」と思っているわけで、「枳」(からたち)「橘」、また「卯の花」(これは和風か)だと、白のイメージが強いけど、朝鮮につながるかなあとも思います。
 ただ、「槿」は今の朝顔のことも指すというから、紛らわしいかもしれませんし、朝に咲く木槿が薄暮に浮かぶのは収まりが悪いかな、と思い返したりもします。
 槿がしぼんでも、白が浮かんでいるのに違いはなくても、より安定なイメージの取り合わせは、作者の嘱目より優先されてもいいでしょうから。

 「枳殻」「橘柚」だと、どこか老嫗も昔は華やかな若い女性だったという連想が生まれて、味わいが深くなるかも。
 「槿」に固執するなら、鈴木先生の言うように注をつけるか、詩題で「桜本見槿」のように強調するか。
 あえてテキストを一つに確定しようとするなら、なかなか迷うところですね。

2003.10.28                   by 逸爾散士




謝斧さんからのお返事です。


 「学堂虚し」「学堂の中は講義が終わってだれもいなくなった」との意味です。

 「枳花」はご存じのとおり、「橘化為枳」からきています。淮南地方の橘も淮北に移植すれば、枳と為る。境遇の変化が人間の気質もかえる、「朝鮮人である私が、すつかり日本人のようになってしまったのか」と言う感慨を言外に叙述しています。(朝鮮の枳花も日本に長く住むと日本の橘花になってしまったのか)

  枳花浮薄暮  枳花薄暮に浮ぶ
  老嫗憶家郷  老嫗家郷を憶わん

 は、在日の老嫗の心境を言外に枳花に借りて述べています。境遇の変化が人間の気質も かえるということです。
 「橘化為枳」は実は「枳(北地朝鮮)化為橘(南地日本)です。それゆえに、「枳花」でなく「槿花」では作詩意図がはっきりしてこないということです。

 いくら詩とはいえ、事実と反したことを叙述せねばならないかと疑問をおもちだとおもいますが、私が思うところは、まず、「詩は志」と言うことです。
 作者の詩意から、「槿花」でも「枳花」でも大きな違いは無いとおもいました。もし、「槿花」が作詩意図の主であれば、それに関わる叙述が他の句になければいけません。「槿花」が朝鮮の国花であれば別ですが、あまりにも唐突な印象です。
 こういった作詩法には、確かに問題が有るものと思います。あまりにも姑息で、やりすぎだと感じる人も有るかと思います、少し抵抗も有るものと思いますが、ご意見をお聞かせ下さい。

2003.12.29                 by 謝斧



謝斧さんのご意見の後半について、私の感想です。

 まず率直な感想を述べますと、謝斧さんが示された「枳花浮薄暮」の句を読んで、即座に「江南橘化為枳」『晏子春秋』の故事を思い浮かべられるだろうか、と疑問です。「南」「北」とか、「橘」の語が伏線として入っていれば可能でしょうが、これでは「槿花」以上に「唐突」な感じがします。特に、ここでは、南である日本で見ている花が「橘」ではなくて、北に育つ「枳」であるとなると、これは書いた作者にしか確信の持てない典故のように思います。
 五言絶句という限られた字数の中での表現ですので、典故を用いることは有効かもしれませんが、この場合にはどうでしょうか。

 謝斧さんがお尋ねになっているのは、しかし、この詩の推敲についてではなく、現実の「槿花」を描かずに、見えてもいない「枳花」を置くという作詩法についてのことかと思います。
 その点に関しては、私は現実に縛られる必要は無いと思っています。作者本人にはこだわりや抵抗はきっと残るでしょうが、現代詩ならともかく、制約のある古典詩ではよりよく意図を伝えるためには、見えない物が見えたり、聞こえない音が聞こえたりしても、許されると思っています。
 「寒山寺の鐘声が夜半に鳴る」のは、事実はどうであれ、詩としてはその通りなのだと思うのです。
 勿論、むやみやたらに嘘八百が良いなどと言うのではありませんが、「ここにはどうしても赤い花が欲しい」というならば、作者の責任(?)で描き加えれば良いでしょう。逆に、作者が事実以外の物を加えたくないのならば、端から見ると物足りなく感じても、それが作者の描きたいことなのですから、ありのままで良いのだとも思います。
 大切なのは、より良い表現が存在することを作者本人が知った上で、それを取るか捨てるの判断をすることでしょう。

 謝斧さんのように、指導する立場、添削する立場からすると、より良い表現、より良い詩への道筋が見えているのに、相手が納得してくれないもどかしさを感じることが多いのかもしれませんね。

 私は日頃、高校生を相手の教育の現場にいます。青年期のあがきの中で苦しんでいる生徒達は、実に様々な反応をします。指導者として、あるいは年長者として、眼前の生徒にとって良かれと思ってアドバイスをしても、そのアドバイスの可否を判断できないのが生徒なのですから、私の臨む方向に進んでくれることは滅多にありません。
 じゃあどうするか、ここで教師はいくつかのタイプに分かれます。
 無理にでも聞かせようと強圧的な姿勢を見せ始める教師、無視されないためにやたらと生徒に迎合し始める教師、苦労しても無駄だと撤退する教師、彼らは実は皆、誠実な教師なのです。ただ、その分、結果を早く求めすぎ、最終的に生徒の内面世界に触れることから遠ざかってしまっているのでしょう。
 焦らずに、選択肢を沢山用意し、沢山持たせてやる、これが大切だと私は思っています。生徒自身が選べるように、そのためには学力や知識も必要でしょう、そのための勉強です。お互いの信頼関係も必要でしょう、そのための学校という特殊社会です。教師の望む方向とは違ったとしても、数多くの選択肢の中から本人が選ぶことができたのなら、役目は果たせたと言えるでしょう。
 「有名大学に入学することが君の目標だ」とか「有名企業に就職することが最終目的だ」と価値観を押しつけて、選択肢を狭めていく。これは、教師にとっても、そして実は生徒にとっても、「楽になりたい」という誘惑の花です。しかし、その誘惑に乗ると、教育がおかしくなります。

 話がずれてしまいましたね。詩に戻りましょう。
 リアリズムの問題として考えるとすると、徹底した写実主義はそもそも漢詩では無理だと思います。目の前にある物を見た通りに、感じた通りに書いたら「和臭」だと叱られるかもしれません。その上で、書き直すか、初心を貫くかは作者次第でしょう。でも、その表現が「和臭」だと知らないのではいけない、教えるのは指導者であり、判断するのは作者。その詩を評価するのは読者、ということだと思います。

 ちょっと取り留めが無くなってきたように思いますので、ひとまず、ここで切りまして、「桐山堂」の方に引き継ぎましょうか。

2003.11. 1                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第197作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-197

  緑陰読書        

池畔孤亭日影徐   池畔孤亭日影徐(ゆる)やかに

苔青庭広俗氛疎   苔青く庭広くして俗氛疎なり

新緑浄机無人訪   新緑浄机人の訪(と)ふ無し

檐馬響風閑読書   檐馬風に響いて閑に書を読む

          (上平声「六魚」の押韻)

<感想>

 一読、夏の木陰の涼しげな光景を思い浮かべるのですが、細かに読んでいくと、何となくイメージがぼやけてくる、そのためか、印象に残りにくい句が多く感じます。
 承句で「苔青」、転句で「新緑」、この二つの句に似たような色を持ってきたのは、承句と転句が内容的にくっつき過ぎて、起承転結の「転」の役割を弱めています。
 また、転句では、「新緑」「浄机」「無人訪」の三つのつながりがありません。「新緑」だから「浄机」なわけではありませんし、「浄机」だから「無人訪」となるわけでもありません。
 それでも何とか共通項を拾い出して、どうにか読み取ってみると、同じことが前句の末に、「俗氛疎」ともう表示されている。ここでも、承句と転句のつながりが密過ぎる原因を作っていますね。

 平仄の点では、転句は二六対が破れています。この場合には、「挟み平」にもなりませんから、検討なさると良いと思います。

2003.10.17                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第198作は 万遊家 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-198

  月        

臨窓方彩雲   窓に臨めば 方に彩雲

極円透身骨   極めて円く 身骨を透す

秋風靡草木   秋風草木を靡かすれば

虫黙楽観月   虫黙して観月を楽しむ

          (入声「六月」の押韻)

<解説>

 窓から見えた月があまりにも綺麗だったので漢詩にしました。
このホームページも時折見て楽しんでます。

<感想>

 万遊家さん、お久しぶりですね。

 秋の月を眺めての感懐が、短い五言絶句の中に籠められて、臨場感のある詩ですね。
また、結句の「虫黙楽観月」も、ユーモラスな光景、メルヘンのような趣もあり、作者の個性がよく表れているところだと思います。

 承句の「極円」は、「満月」だったことを言いたいのでしょうが、ここは「清光」あたりで、秋の月の冷ややかな光を示しておくと、次の「透身骨」が生きてくるでしょう。その関係で行けば、満月を示す必要があるならば起句に入れることになるでしょうが、敢えて入れなくても良いように私は思います。

 今回の詩は、押韻も仄声ということですので、古詩として平仄にはあまりこだわらずに読ませていただきましたが、趣旨のよく伝わる、秋らしい詩だと思いました。

2003.10.21                 by junji



謝斧さんから、「通例として、『月』とすれば詠物対となります。であれば、題と内容に齟齬があります。『観月』であれば問題はありません」とのアドバイスをいただきました。





















 2003年の投稿漢詩 第199作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-199

  炎天        

紺碧澄晴八月空   紺碧澄晴たり 八月の空

炎天焦地作炎風   炎天地を焦がして炎風と作る

明眸少女祈平世   明眸の少女平世を祈れども

広島長崎苦未終   広島長崎の苦は未だ終らず

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 [訳]
 真っ青に晴れ渡った八月の空
 真夏の太陽が地を焦がして熱風がおこる
 明るい目の少女が「平和な世界」を祈っているが
 広島長崎の苦しみはまだ終わっていない

<感想>

 八月の炎天の下にいると、私もいつも戦争について様々なことを考えます。
 直接に戦争を体験してはいませんが、私の住んでいる愛知県の半田市は軍用飛行機工場が有ったため、終戦近い頃には大きな空襲を受けました。従業員、学徒工員、朝鮮半島からの徴用工、多くの方が犠牲になりました。
 学徒は地元の高校からも動員されていましたが、京都や長野、高知など、遠くからも来ていました。多くの犠牲者が出たのですが、戦時下の軍需工場、機密保持のために被害の正確な実態は長くの間明確にはなっていませんでした。私などは、地元で育っておりながら、子供の頃は空襲があったという事実すら知らず、勿論学校で教えられることもありませんでした。
 地元の高校の演劇部の顧問を中心に、十数年前に「半田空襲」を題材とした創作演劇を夏に発表しました。
 空襲を実際に受けた方々から体験を聞く、という地道な聞き取り調査を長年続けて来られた市民団体の活動があり、その体験談をベースにして、演劇の形で特に若い人々に見てもらおうという考えでした。
 以来、毎年夏の恒例となり、脚本担当のスタッフは常に新しいものを創り出すために、いつも冬頃から打ち合わせを始めています。私も出来ることを手伝うという形で、音響やら舞台に立たせてもらったりとかで参加してきたのですが、高校演劇部OBなどの若い人たちと一緒に、戦争中の生活などを学ぶことは貴重な経験です。
 柳田 周さんのこの詩を読んで、特に転句の「明眸少女祈平世」は心に深く残りました。各句のイメージが具体的で、共感できる詩だと思います。

 形式などの点で言えば、起句の「八月空」は、本来は「八月天」としたいところです。「空」の字の用法については、以前にこのホームページでも議論になりました。一文字で使う場合には「むなし」と解釈されるでしょうから、避けた方が良いでしょう。
 「桐山堂」に「空の字義」というタイトルで掲載しましたので、そちらも参考にして下さい。

 また、次の承句では「炎天」と来ていますが、ここを文字通り「天」の意味で解釈すると、起句との照合が合わない(「紺碧澄晴」の空のさわやかさと「炎天」の厭わしさがイメージとしてぶつかるように思います)ので、「天」を「太陽」と理解する必要が出てきますが、「炎」の字の繰り返しをどうしても入れたい、ということでなければ、この「炎天」の部分も、夏の太陽を表す言葉は他にも有るわけですので、推敲対象にした方が良いでしょう。

 結句の「苦」も、一文字で用いると「苦しみ」ではなくて、「はなはだ」と読む方が自然です。二文字の熟語にしたいところです。

2003.10.25                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第200作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-200

  八月記憶        

児趁蜻蛉駆路上   児は蜻蛉を趁って路上を駆け

母需園菜励耘耕   母は園菜を需(もと)めて耘耕に励む

爆音低響而聞警   爆音低く響けば而(すなわち)警を聞く

童未知何是戦争   童 未だ知らず何ぞ是戦争

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 [訳]
 子はトンボを追って路上を駆けまわる
 母は野菜を作ろうと一所懸命に庭を耕している
 飛行機の爆音が低く響いて警戒警報が聞こえる
 子どもは戦争が何なのかまだわからない

<感想>

 こちらの詩も、戦争の思い出ということで書かれたものですね。トンボを追っかけていたのは、さんご自身でしょうか。

 転句の四字目「而」は、散文では使いますが詩ではどうでしょうか。わざわざ入れる必要は無いように思います。「すぐに」とか、「いつでも」という意味を「すなわち」に含ませているのならば、その意味を表すのに適した明確な字が他にもあるわけですから、そちらを使った方が良いでしょう。
 結句の「童」は、起句の「児」と重なりますが、「まだ幼いから分からないのだ」という気持ちが入っているのでしょう。これでも良いのですが、私としては、どちらかに「我(吾)」を用いて、作者自身の体験を描いているのだと分かるようにした方が良いと思います。
 今のままですと、どこかの戦地の風景を描いた詩と読まれてしまうような気がします。

2003.10.25                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第201作は 坂本 定洋 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-201

  橘里立夏      橘里の立夏  

紀州四月漉天   紀州の四月酷Vに連なり

孤客今朝不足眠   孤客今朝眠り足らず

晝夜橘香蒸萬戸   昼夜橘香萬戸を蒸し

東西百里至行船   東西百里行船に至る

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 季節はずれで申し訳ないのですが、新参ということもあり、私の故郷、今も在住ですが、についての詩を投稿させていただきます。以後、季節に合ったものを出すようこころがけますので、今回はご容赦ください。

 私の故郷は古くからの蜜柑の産地です。蜜柑の花の香りが一帯に立ち込める立夏のころが私の最も愛する季節なのですが、どのように詩にしたものかと悩んでいました。今回やっとアイデアを得ました。最初の投稿詩「食蟹」と同時進行で仕上げた最新作です。
 この地を商用で訪れた人が「蜜柑の花の香りに蒸せかえり眠れなかった」と言ったのを聞き、詩に取り込みました。
 また、徳川御三家の威光盛んな時代、この地の漁民が対岸の阿波の漁民と縄張り争いになった時に、蜜柑の花の香りが届く範囲が紀州藩の領域であると主張し、認めさせたそうです。これも詩に取り込みました。
「百里」は華里ならば適切なスケールと言うもので、実のところ誇張はないのです。

 字配りは作者の言う「均衡法」。詩の後半は対句と言うには捩れており、「構造法」の用は成しません。このあたりの基本的な考え方は別途一文を寄せさせていただきましたが、みなさんの参考に足れば幸いです。
 このページを精読するにつけ、立派な見識を持つ方が多く参加されており、後になって恥ずかしくなることしきりですが、何事にも実用を旨とする技術屋の気質とでもご理解ください。

 この詩で作者が一番気にしているのはわかりにくさです。「孤客」の眠れなかった理由が「橘香」とは、一読ではまず理解できない。ただ、「橘香」「萬戸を蒸す」という表現は特異であり、ここから元に返ればお察しいただけるかと思います。
 実際に効いているがどうかはわかりませんが、「蒸」は読行線上にあり、視覚的に強調される位置にあります。句のつながりには問題ありとしても、個々の句は読み下しが必要ないほど平易に書けたと思いますので、ここは開き直って投稿させていただくことにしました。

<感想>

 季節的にはもうミカンの実を食べる頃になってしまいました。投稿していただいてすぐに掲載すれば良かったのでしょうが、遅れてしまってすみません。
 感想が私の話ばかりになって恐縮ですが、住まいの愛知県知多半島もミカンの産地です。最近は夏に出荷する温室ミカンも盛んなようですが、実はミカンの花の香りを私は実感として記憶していないのです。これはいけませんね。もう時期は過ぎてしまったようですが、来年は何としても味わいにいくことにもう決めました。
 さて、詩を読ませていただきましたが、承句の「不足眠」が気になりますね。一つ目は語順ですが、このままで行けば「眠るに足らず」で、主語が「孤客」となり、やや苦しいところ。「不得眠」あたりが妥当でしょうか。
 もう一つは、定洋さんも仰っておられるように、「孤客が眠れなかった理由」です。転句から立ち戻って解釈すれば良いと言われても、一般には起句と承句をペアにして考えますから、ここではどうしても「緑聯天」ことが原因かと思います。そこで「???」となって、転句から戻ってくださいでは混乱が深まるばかりでしょう。

 「孤客が眠れなかった」ことを言う必要があるのかどうか、そこから考えてみると良いのではないでしょうか。作者の気持ちは分かりますが、詩を分かりにくくしてまで入れる話では無いように思います。

 転句の「橘香蒸萬戸」「蒸」が分かりにくくさせています。「香りが強くてムセカエル」意味ならば、「噎」でしょうから、ここは「盈」「充」が適するのではないでしょうか。

 結句の「百里」は、日本では約四百キロ。和歌山からならば、東西で日本列島からはみ出してしまうでしょう。中国唐代ならば、一里は約五百メートル、百里で五十キロ、手頃な距離でしょうね。中国の方では、この「百里」にやや物足りなさを感じると、「三百里という形で強調しているようですね。

 尚、起句については、本文は「聯」、書き下しは「連」です。どちらも平仄も同じですので、どちらかに決めていただきましょうか。

2003.10.27                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第202作は 佐竹丹鳳 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-202

  偶成        

弟兄漸老往還稀   弟兄漸く老いて 往還稀なり

一紙寄來甘息機   一紙寄せ來って 息機に甘んずと

不恨流年閑棲處   流年恨まず 閑棲の處

已含秋気午風微   已に秋気を含んで 午風微なり

          (上平声「五微」の押韻)

<感想>

 この詩に「偶成」という題がふさわしいのかどうか、それをまず考えました。結句の描写が実景ではなく、想像・イメージを描いたのならば「偶成」でも良いかもしれませんが、それでも一言くらいは具体的な記述を入れた方が良いと思います。

 「偶成」は決まり言葉、謙遜の意味で題につけることもありますからそんなに重く感じる必要もないと言われるかもしれませんが、「偶成」という題をつける時には、「偶成」でなくてはならない、という必然性に私はこだわります。具体的な事柄を記すほどのものでもないから、と付けられることも多い題なのですが、それによって詩に描かれた心情までも「たまたま浮かんだ」ものという印象になる気が日頃からしています。
 それは詩にとっては不幸なことでしょう。
 丹鳳さんの今回の詩は、肉親のように親しい友(「弟兄」)へのいたわりと、お互いに訪れる「老い」というものへの感情が穏やかに描かれていて、趣の深いものになっていると思います。
 こうした深い想いをも「たまたま浮かんだ」としてしまうのは、全く残念です。意図的に、そうすることが重要であるということでしたら、私の読解が不足しているのかもしれませんが、できれば、せっかくの詩情を生かす適する題を添えていただけると嬉しく思います。

 とりわけ今回の詩は、起承転結、どの句も胸に響くものばかりでしたから、そんな印象が強いのかもしれません。

2003.10.27                 by junji


鯉舟さんから感想をいただきました。

 鈴木先生 こんばんは。

 佐竹丹鳳さんの「偶成」(作品番号 2003-202)を拝読し一言感想を申上げます。先ず最初にお断りして置きますが、以下に書くことはこの詩によって触発された小生自身の兄弟に対する感情、感慨を元にした勝手な想像と解釈です。したがって作者の真意とずれている惧れがありますが、敢えてそれを承知で書いております。
 この詩は兄弟の交わりにおける人生の真実を描いた秀句だと思います。無論、 兄弟間の付き合いは各家で千差萬別、一概に言えません。ましてや佐竹丹鳳さんのご事情に立ち入ることはできません。唯この詩を読み改めて肉親の情を考えました。

弟兄漸老往還稀   弟兄漸く老いて 往還稀なり

 「知らぬ間に年をとって、自分も兄弟もお互いに老境に入ったが、今では昔のような行き来は殆ど無くなったなあ」という感懐。一瞬小生は我が身のことを言われたかの如く、ハッとし、次いでしんみりとさせられました。
 同じ家の下で共に寝起きをし、時に兄弟喧嘩もして朝夕顔を付き合わせて暮らしていた子供の頃、離れ離れになって行き来も殆どなくなった現在のような状況が将来訪れようとは夢にも思いませんでした。
 長い人生の過程では色々と思いも寄らぬ事が起こり、お互いに配偶者も得て離れて暮らすようになると、兄弟とは言え次第に疎遠になり勝ちです。昔から「兄弟は他人の始まり」といわれるのはそれを指す俗諺でしょう。勿論いつまでも仲良くしておられる兄弟の方が多いでしょうが、、、。
 又、よく「子はかすがい」といわれて夫婦の絆は子供が居ればこそと言われますが、「親はかすがい」とも言えるのではないでしょうか。親が生きている内は何とか兄弟付き合いを保っていても、一旦親が亡くなると兄弟の間が急に冷たくなる傾向もまま見られます。(悲しいことですが、遺産争い等がからんで。)
 「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ」と、昔習った教育勅語の教えは理想であって現実の人生の姿は切ないものです。人間還暦を過ぎるとひしひしとそれを感じます。

一紙寄來甘息機   一紙寄せ來って 息機に甘んずと

 長年、年賀状も来ず、どんな暮らしをしているのかと気にはなっていても日々の暮らしに取り紛れて永い間顔を見ていない兄弟の一人から、或る日思い掛けなく一通の手紙が来た。元気にしているとの文面を読んで、安堵すると共に、いつまでも自分のことを忘れずにいてくれている兄弟の情に思わず涙がこぼれるのである。自分の方から安否を問うて手紙を出してやらなかった事への後ろめたさを覚えつつ、、、。
 やはり兄弟というものは良いものだなあと改めて思う。

不恨流年閑棲處   流年恨まず 閑棲の處

 兄弟の間には過去色々と辛いこともあったが、今ではもう何も恨んでいない。年が寄ってお互い静かな老後の悠悠自適の境に入ったのだから。(この転句は手紙の中に書かれた相手の言葉とも、或いは手紙を読んで湧いた作者の気持ちとも取れますが、どちらでしょうか。)「不恨」は人生の苦悩を超越した穏やかな心境を偲ばせます。

已含秋気午風微   已に秋気を含んで 午風微なり

 この結句は静かな秋の午後の状景描写ながら、既に人生の第四コーナーを回って晩節を迎えた人間の心境を象徴的に表現している句だと思います。秋気の「秋」、「午風」「微」がそれを示していると思います。

 鈴木先生はこの詩の詩題「偶成」に関して指摘をされておられますが、小生は反対に「偶成」はこの詩に相応しいと考えます。
 一紙寄せ來ったのは、来るのを待っていて来たのではなく、ある日偶々思い掛けない時に来たのです。作者はこの詩を予め創ろうと思っていたのではなく、偶々受け取った兄弟からの手紙を読んで偶々この詩情を得て、突如として湧き出た兄弟への情そのままを賦して一詩成ったのだと想像いたします。偶々手紙が来たから、偶々この詩が出来たのだと考えれば「偶成」という詩題は必然的であるとすら思えるのです。

2003.11. 1                    by 鯉舟


鯉舟さんからは翌日、またお手紙をいただきました。

 鈴木先生

 昨夜佐竹丹鳳さんの「偶成」の詩題についてメールしましたが、その後再考して、やはり多少説明を加えた方が良い様に感じました。
 例えば「家書を得て偶成」とか。
 「河上肇詩注」の中にも「偶成」という詩が載っておりますが、後に「對鏡似田夫」と添えてあり、そう思いました。

2003.11. 2                    by 鯉舟


佐竹丹鳳さんからもお手紙をいただきました。

 鈴木先生のおっしゃる通りに、安易に面倒だっただけです。
題は「從長兄有信」にします。
 結句もあまりよくなかったので推敲しました。以下のように変更します。

 いつもながら丁寧なご教示には感謝しています。

   從長兄有信            佐竹丹鳳
  弟兄漸老往還稀   弟兄漸く老いて 往還稀なり 
  一紙寄來甘息機   一紙寄せ來って 息機に甘んずと
  不恨流年閑棲處   流年恨まず 閑棲の處
  時逢知友茗鐺囲   時に知友に逢って 茗鐺を囲む


2003.11. 3                   by 佐竹丹鳳





















 2003年の投稿漢詩 第203作は 藤原崎陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-203

  消夏雜詠        

嵐光浮動紫翆郷   嵐光浮動紫翆の郷

檐馬丁東日正長   檐馬丁東 日正に長し

林表難堪三伏暑   林表堪え難き 三伏の暑

槐陰易過一天涼   槐陰過し易し 一天の涼

窓前朝槿千紅麗   窓前の朝槿 千紅麗し

雨後梔花淡白芳   雨後の梔花 淡白芳し

蝉噪時歇流汗退   蝉噪時に歇んで 流汗退き

逍遥漫歩避炎陽   逍遥漫歩 炎陽を避く

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 少し私の方で注を添えましょうか。

   「嵐光」・・「山にかかる靄(もや)」「山気」日本語の「嵐」ではありません
   「檐馬」・・これは以前にも載っていましたが、「檐の風鈴」
   「丁東」・・「丁当」「丁冬」などとも書きますが、「珠や鈴がチリンチリンと鳴る音」
   「梔花」・・「クチナシの花」、前句の「朝槿」「ムクゲの花」

 私の感想としては、まず作者の立つ場所がはっきりしない点が気になりました。
 第二句の「檐馬丁東」、第五句の「窓前」がどこを指しているのか、第三句の「林表」や第四句の「槐陰」、あるいは「流汗」「逍遥漫歩」などとの組み合わせで、結局作者は涼しいのか暑いのか、広い山野を歩いているのか庭園を歩いているのか、そうした統一感が薄れているように思います。
 時間や場所を超越するのも詩の魅力ですが、それでも現実感が必要でしょう。別々の場面から幾つかの句を集めたような印象があります。

 頸聯の対句は味わいがありますが、頷聯はどうでしょうか。「林表」も気になりますが、「易」「難」「暑」「涼」が対応が直接過ぎて、やや興が下がるように思いますがどうでしょうか。

2003.10.29                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第204作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-204

  穂積陳重のぶしげ        

不求名利挺身専   名利を求めず挺身専らに

炯眼編成民法権   炯眼編み成す民法の権

穂積橋頭衆無断   穂積橋頭衆断ゆる無く

聲望赫赫至今鮮   声望赫赫今に至って鮮やかなり

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 宇和島市が生んだ穂積は我が国最初の法学博士として30余年現東京大学で法学を講じ、後枢密院議長を務めその功を称え銅像を立てようとしたが、「銅像となって仰がれるより、橋となって踏んでもらいたい」との意志に基づき、穂積橋は現在も人々の往来を助けている。

<感想>

 穂積陳重の『法窓夜話』は岩波文庫に入っていましたね。
 郷土の偉大な先人を称える趣旨の詩は、一般的には主観的な美辞が連なって読むのがつらいものが多いのですが、サラリーマン金太郎さんのこの詩は、穂積陳重の人柄が響いているのでしょうか、落ち着いた表現になっていると思いました。
 ただ、起句の「挺身」は、穏やかではないでしょう。「専」と意味の重複もありますから、何を専らにしたのかを示すと良いでしょう。
 転句の「衆無断」は、「無衆断」と並ぶべきでしょうが、表現としては分かりにくいですね。否定形を避けた方が考えやすいでしょう。
 結句のは全体が抽象的ですので、最後の「至今鮮」が印象が薄くなっています。決まり言葉のように思いますが、決まり言葉だからこそ使わないで工夫することが必要だと思います。

2003.10.29                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第205作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-205

  秋夜對月        

庭院無聲白露饒   庭院声無く白露饒し

風翩梧葉正清宵   風は梧葉を翻して正に清宵

山河照遍中天月   山河に照らし遍し中天の月

此景欲描情未調   此の景、描かんと欲しておもい未だ調わず

          (下平声「二蕭」の押韻)

<感想>

 サラリーマン金太郎さんの叙景の詩は、味わいが深く、共感を覚える方も多いのではないでしょうか。用語もバランスが取れていて、情感が出ていると思います。
 言葉の上では、転句の「照遍」「遍照」と入れ替えるくらいで良いのではないでしょうか。

 今回の詩では、起句から結句までの展開について感じたことを書きましょう。
 起句から転句まで秋の趣が続いていますので、起承転結の転の役割が出ていません。これも一つの展開ではありますが、絶句としては落ち着きがよくありません。
 また、三句を使って景を述べてきたのに、結句で「欲描情未調」では不自然で、「これ以上何が必要だろう?」という気持ちになります。
 転句と結句を内容的に入れ替えて、転句では作者の気持ちを述べ、結句でもう一度秋の景に戻るようにした方が、先ほどの疑問についても、「起句承句の他にも、更に月までもがあるのだから、なかなか描ききれないのだ」という意味合いが出て、余韻も深くなるのではないでしょうか。

2003.10.29                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第206作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-206

  声声慢・聽 秋
綿綿勉勉, 綿綿たり勉勉たり,
濟濟聯聯, 濟濟たり聯聯たり,
声声促促戀戀。 声声 促促たり恋恋たり。
正是殘蝉哀訴, まさにこれ 残蝉の哀訴したるか,
好逑逃散? 好逑の逃散したるに。
先鳴合先落, 先に鳴けばまさに先に落ちるべく,
仰秋陰、被蒙雨洗。 秋陰を仰いで、雨に洗われたり。
風颯起, 風 颯として起ち,
拂層雲, 層雲を払えば,
富嶽聳然天半。 富嶽 天半に聳然たり。
      ○            ○    
熏夕閑情易亂, 熏夕 閑情乱れやすく,
思余命、 余命を思えば、
當鼓詠懷猶健。 まさに鼓すべし、詠懷のなお健なるを。
随歩穿林, 歩に随い林を穿ち,
搖吻裁詩漫漫。 くちを揺らして詩を裁し漫漫たり。
詩境擬唐陳腐, 詩境 唐に擬して陳腐なれば,
轉嘆嗟、吾才淺短。 うたた嘆嗟す、わが才の浅短。
聽歸路, 帰路に聴く,
早蛩吟、紫穹飛雁。 早蛩の吟、紫穹の飛雁。

<解説>

 [語釈]

 「声声慢」   : 宋詞の「詞牌」名。詞中「○」は、前段・後段の区切りです。
 「綿綿勉勉 : 連綿と勉め励むさま。ここではまた、ミンミンゼミの声を音写しています。
 「濟濟」 : 数多くそろって立派なさま。ここではまた、アブラゼミの声を音写しています。
 「好逑」 : 好い配偶者。蝉は畢竟、メスを求めて鳴きます。
 「衰邁」 : 歳を取り衰えること

 昨年9月末、わが家の周辺では最後となった蝉の声(ツクツクホーシでした)を聞きながら書いた詞です。詩材は8月末に遊んだ富士山麓で眼にした光景です。昨年は夏に蝉の声を音写した絶句を書き、この詞を書きました。9月末、いささか季節外れでしたので、今年の投稿させていただきました。

 「声声慢」は、李清照に名作(下記)があり、蘇軾の「水調歌頭」、岳飛の「満江紅」などと並び称される宋詞の絶品とされています。
 そこで、とても書きにくいのですが、50点ぐらい取れればとの思いで挑戦してみました。

 以下、「声声慢」をめぐって少々。

 まず、李清照の「声声慢」は次のとおりです。

  尋尋覓覓,冷冷清清,凄凄惨惨戚戚。乍暖還寒時候,最難將息。三杯兩盞淡酒,怎敵他、晩来風急。雁過也,正傷心,却是旧時相識。
  満地黄花堆積,憔悴損、如今有誰堪摘。守着窗児,独自怎生得黒。梧桐更兼細雨,到黄昏、点点滴滴。這次第,怎一個、愁字了得。

 「声声慢」の詞譜(仄声押韻)は次のとおりです。

     声声慢・97字

  ○○▲(★),▲●○○,△○▲▲●★。▲●△○▲●,△○○★。△○●△●,●△○、△○●★,△▲●,●△○,▲●△○▲★。
  ▲●△○▲(★),△△●、○△●○○★,▲●○○,▲●△○△★。○△●○●●,●○△、△△●★。▲▲●,●▲▲、△▲▲★。

 ○は平声,●は仄声。△は応平可仄,▲応仄可平。★は仄声押韻,(★)は押韻せずとも可。

 「声声慢」はもともとは「勝勝慢」と呼ばれていたようです。それを蒋捷という宋末元初(13世紀〜)の詞人が、押韻箇所のすべてを「声」一字で書きました。以後、「声声慢」と呼ばれるようになったとか。
 李清照が生きた時代は12世紀です。とすれば、李清照の頃は、「勝勝慢」と呼ばれていたことになります。彼女の詞、秋虫の「声」がとても印象に残ります。そこで、蒋捷は彼女の詞を踏まえ、「声」一字到底の「声声慢」を書いたのではないのか。これ、小生の勝手な想像ですが。。。。

 蒋捷の詞はまた、押韻箇所のすべてを「声」一字で押韻したことのほかに、一考に値することがあります。
 李清照は、上記仄声の詞譜に従った書き方をし、韻字は入声を用いていますが、蒋捷の「声」は平声、つまり、同じ「声声慢」でも、李清照のように仄声で押韻する場合と、蒋捷のように平声押韻の場合があることになります。そして、李清照よりは後で、蒋捷よりは前の1200年生まれの呉文英も、「声声慢」を「平声」で書いています。

 ここまで調べて気になったことがありました。
 李清照の詞は仄声ではあるが「入声」だということです。
 唐詩では平と仄の対照が、宋詞では平・上・入声と去声の対象へと変化していく流れがあるということを聞き及んでいました。
 そこで、李清照の詞の押韻字の四声を調べてみますと、驚くべきことに、現代韻で読めば、1カ所を除いて、すべて現代韻では平声とされている語で押韻されていることがわかりました。そして、その1カ所も、詞譜に照らせば必ずしも押韻する必要のないところであり、律句の規則(二四不同・二六同)に照らせば、仄声で書かれるべきところでした。
 
李清照の押韻字:カッコ内は現代韻での四声。(1)(2)は現代韻では平声。
  覓(4),戚(1)。息(1)。急(2)。識(2)。積(1),摘(1,2)。黒(1)。滴(1)。得(2)。

 拙作はしかし、純粋な仄声で書いています。もしかすると間違ったかも知れないと思いつつも、詞譜を信用してそうしました。そして、今ではもう小生の持論のようなものとなっていますが、改めて思ったのは、 「クフツキ」がわかる分だけ日本人の詩は中国人よりも失声が少なく整っていると誇るのは間違いだということです。「クフツキ」は擬唐詩の便法とはなりえても、詩と音韻のホントウのところは見えず、井の中の蛙の片思いのごときものであるということ。そこで、われわれ日本人がどうすればよいかというと、「クフツキで平仄がわかること」を誇るのをまずやめよう、ということです。

<感想>

 蝉に関しては、以前に鮟鱇さんからは、「」を送っていただきましたが、その折にも、李清照「声声慢」の件が話題になりましたね。
 今回は蝉が主題ではありませんが、主情を導くきっかけとして有効に働いていると思います。とりわけ、第二片に描かれた感懐は、李清照の悲痛な嘆きとはまた趣が違いますが、逆に六朝の「詠懐詩」の風が漂うような気がします。
 結部の「聽歸路,早蛩吟、紫穹飛雁」などは、まさに余韻嫋嫋という感じです。改めて、「詞」の味わいを楽しみました。

2003.10.29                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第207作は神奈川県の 鯉舟 さん、六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2003-207

  秋日書懐        

嶺頂白雲山影明   嶺頂白雲 山影明らか

金風野渡爽涼生   金風野を渡りて 爽涼生ず

桂香馥郁漂庭径   桂香馥郁として 庭径に漂い

赤卒翻飛趁朗晴   赤卒翻飛し 朗晴を趁(お)う

過夏禾田霖久滞   過夏 禾田 ながあめ久しくとどまり

迎秋米穀盗横行   秋を迎えて 米穀 盗横行す

雖常世上多煩事   常に世上 煩事多しといえど

好節方今盞可傾   好節まさに今なり さかづき傾くべし

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 今年は冷夏で米不足、加えて米泥棒の横行。農家の方々のご苦労は尽きませんね。しかし、今が一年中で一番過ごしやすい季節。しばらく浮世の塵雑を忘れて、酒を酌み逝く秋を楽しもうという気持ちを表現してみましたが、如何でしょうか。

 尚、小生今年から律詩の勉強を始めました。

<感想>

 鯉舟さんのお手紙に、「漢詩愛好者には素晴らしいサイトです」と書いていただきました。ありがとうございます。

 今年から律詩を始めたということですが、落ち着きのある詩ですね。
 首聯、頷聯と爽やかな秋の風景が目に浮かぶようです。「金風」は秋の風、五行では「金」は秋を表します。
 頸聯から趣が変わり、今年の状況が描かれていますが、七句目の「米穀盗横行」がやや唐突でしょうか。この句の俗っぽさが他の句とバランスの関係で気になりました。
 現代の世相を描こうという作者の意図はよく分かるのですが、前半に清澄感、爽やかさを描いた好句が続くため、この二句だけが浮いてしまい、最後の「世上多煩事」の感懐も軽く感じられます。
 頷聯あたりから世事にも触れるようにすると、世を嘆く言葉に重みが加わるように思います。ただ、このあたりは好みもありますから、「軽い方が良い」と言う人もいるかもしれません。そういう観点からは、この「盗横行」という直截的な表現も面白いのでしょう。

 頷聯頸聯の対句では、「馥郁」「翻飛」「庭径」「朗晴」「禾田」「米穀」などの対応が苦しいように思います。

 今後もよろしくお願いします。

2003.10.30                 by junji



早速、鯉舟さんからお手紙と推敲作を送っていただきました。

まずは、お手紙から。
鈴木先生 おはようございます。

 先般来、貴HP「漢詩を創ろう」へ愚作を投稿させていただいております。 今朝HPを開きました所、小生の「秋日書懐」が掲載されており、先生のご懇切なるご批評とご指摘を賜り大変感謝、感激しているところでございます。

 ご指摘頂いて始めて起聯、頷聯と頚聯、結聯とのアンバランスに気が付きました。これから推敲を重ねたいと思っております。推敲は漢詩制作過程での苦しみであると共に楽しみでもありますね。
 小生は長風呂に浸かってゆっくりとあれこれ推敲をするのが好きです。

 貴HPは我が国漢詩界における貴重な存在だと思います。日本各地に漢詩の吟社、同好会があるようですが、一般社会からはやや閉鎖されている感がしております。
 他方、俳句、和歌は例えば全国紙の朝日新聞は毎週紙面一頁を投稿欄に充てて俳壇興隆に努めておりますが、漢詩投稿欄のある新聞は聞いたことがありません。
 HP上に漢詩投稿欄を設けられた先生のご英断はわが国漢詩界の快挙として深甚の敬意を表するものです。益々のご発展を期待しておりますのですが、若干気になる点があります。

 貴HPのTOPテロップでお書きになって居られる「掲載が遅れ気味」との点です。今後の投稿数増加に伴い、先生ますます多忙を極められて星野監督の二の舞になられるのではとひそかに心配致す者です。
 何卒ご自愛いただき、要すればしかるべきアシスタント等ご考慮されては如何かと存じます。
 大変差し出がましき段、御海容下さい。

2003.10.30               by 鯉舟


 ご心配下さり、有り難うございます。
掲載が遅れ気味なのは、ひとえに私のバランス感の悪さから来ていることです。仕事を後回しにはできませんので、そちらを片づけてから・・・と思っていると、いつの間にか滞ってしまう。二ヶ月もお待たせした作品もありましたので、これでは月刊誌よりもひどいですものね。
 もう少し頑張ってみますが、個人の努力のレベルを超えるようでしたら、鯉舟さんのアドバイスを真剣に検討したいと思っています。



鯉舟さんからの推敲作です。



  秋日書懐        

嶺頂白雲山影明   嶺頂白雲 山影明らか

金風野渡爽涼生   金風野を渡りて 爽涼生ず

星移有序還閑到   星移序有り 還(また)閑に到るも

世路無常時患萌   世路常(つね)無く 時に患(うれい)を萌(きざ)す

浸圃久霖妨稲育   圃を浸(ひた)して 久霖 稲の育つを妨(さまた)げ

破倉多盗使神驚   倉を破りて 多盗 神をして驚か使(し)む

人寰災禍雖如許   人寰災禍 許(かく)の如くと雖ども

好節方今聊盞傾   好節方(まさに)今なり 聊か盞を傾けん

          (下平声「八庚」の押韻)

 詩の心は次のとおりです。

(起聯)
嶺の頂上に白雲がなびき 山の姿がくっきりと見える
秋の風が野を渡って 爽涼が生じた

(頷聯)
月日の移り変わりは春夏秋冬、順番通りやって来て又のんびりした良い時候となったが
それに反して、世の中の有様は一定せず 時々憂鬱な事が起こるものだ

(頸聯)
(夏には)長雨が田圃をひたして稲の発育を妨げ
(秋には)米倉を破って多くの盗難が起こり人心を驚かせる
   (鎮守の神様を驚かせると解しても可)

(結聯)
人間世界の災難に見舞われこと、許(かく)の如くであるが
今が一年中で一番過ごしやすい季節ではないか、
(しばし世の中の煩悶を忘れて)さあ一杯やろう

 自然の美と人間社会の煩ひとのコントラストを描き、浮世の塵雑を慨嘆しながらも、それを超越して悠々閑々と花鳥風月を弄し酒を愛でる詩人の心境をイメージしてみました。
 尚(頷聯)の「星移」「世路」の対句は苦しいところですが、良い句が思い当るまで暫くこのままにしておきます。

2003.10.31             by 鯉舟


鯉舟さんから、更に推敲を進めた作を送っていただきました。

 拙詩「秋日書懐」重ねて推敲を試みました。
起聯、頷聯は不変。

  秋日書懐        

嶺頂白雲山影明   嶺頂白雲 山影明らか

金風野渡爽涼生   金風野を渡りて 爽涼生ず

星移有序還閑到   星移序有り 還た閑に到るも

世路無常時患萌   世路常無く 時に患いを萌す

起喜朝陽開菊舎   起きて朝陽を喜びて 菊舎を開き

臥兢夜客鎖柴荊   臥して夜客をおそれて 柴荊を鎖す

人寰萬象雖如許   人寰萬象 許の如しと雖ども

好節方今聊盞傾   好節方今なり 聊か盞を傾けん

「夜客」「ぬすびと」「柴荊」「あばらや」のことです。

 頷聯のテーマである自然の美と塵世の煩との対比を頸聯の中で具体的事物の表現によって繰り返しました。やや詩の構造が入り組みましたが、、、。
 律詩は対句が難しいですね。推敲にも時間が懸かり完璧を期すと他の事が何もできません。
しかし良い勉強になります。

2003.11. 2                by 鯉舟

 再推敲作を拝見しますと、頷聯のやや漠然とした表現を頸聯の具体的な行為によって表す形で、この頸聯の主体を自身のことに持ってきたことが、すっきりした印象を与えますね。
 前作までは、どうしても自分は別の所に居て、世の中のことは色々あるけれど、私は知らないよという感じもしましたが、この変更で、自分自身の中に「塵世の煩」があるようになり、その分だけ、「自然の美」への思い入れが深まったのではないでしょうか。
 バランスの取れた詩だと思います。

2003.12. 2                   by junji





















 2003年の投稿漢詩 第208作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-208

  鬼節        

鬼節今年亦復郷   鬼節 今年も亦郷に復(かえ)る

孤棲父寿母経亡   孤棲の父は寿いのちながきも母 すでに亡し

更花点燭専供養   花を更へ燭を点して供養をもはらとするも

孝不如慈是勿忘   孝の慈に如かざる、是 忘る勿かれ

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

  鬼節(盂蘭盆会)
 鬼節(盂蘭盆会)で今年もまた郷里に帰った
 一人住まいの父は長生きをしているが、母はもう亡い
 花を替え、蝋燭を灯して供養を怠らないようにしているが
 孝行は親の慈にかなわない、この事を忘れてはいけない

 結句が道徳の諭しの様で、些か気になってはいます。

 結句中の「如」は両韻ですが、白川静先生の「字通」では「しく」の意の場合去声の「御」韻となっており、一方角川の「新字源」では「御」と「魚」の両韻とあるだけで、意味による韻の別は書いてありません。
 私はこの詩では「新字源」に従って魚韻と考えましたが、どちらを信じればよいのでしょうか?

<感想>

 結句の「孝不如慈」は胸に染みる言葉ですね。「慈孝」と二字を併せてよく使われますが、「慈」「親の子に対する愛情」であり、「孝」「親に対する子の孝行」にあたります。
 ただ、「慈」だけでも「親を敬愛する」という「孝行」と同じ意味で使われることもありますから、解釈の時には注意が必要です。白居易の「慈烏夜啼」で有名ですが、鴉のことを「慈烏」と呼ぶ場合は、この「慈」「孝行」の意味ですね。

 起句は「亦復郷」がいかにも読みにくいですね。「還」「帰」を使いたいところですが、平仄が合いません。ただ、これでは「亦」の役割も薄くなりますし、「またまた」と読みがちです。
 もう一つは、「今年」ですが、わざわざ「今年」と言う意味があるかどうか、です。「今まで帰ったことが無く、久しぶりに今年は帰ることができた」とか、「去年、何年ぶりかで帰った。そこで今年も是非帰ろうと思っていた」とかいうならば、この「今年」は強調の意味で必要です。
 しかし、去年も帰っているし、今年も帰るという程度ならば、「復」の一字でも十分意味は伝わるわけです。下三字を例えば「復故郷」とでもすれば、中の二字(「今年」の部分)に別の内容を盛り込むことができます。
 さんの「今年亦復郷」は、日本語での「今年もまた郷里に帰った」をそのまま漢文で表したわけですが、詩は散文や会話文とは異なりますから、贅肉をどれだけ取るかが工夫のところです。
 同じ趣旨で言えば、承句の前半の「孤棲父寿」についても、後半の「母経亡」によってお父様が「お元気でいる」ことは暗示されているとも考えられるわけです。だから、「存命である」というだけならば不要な四字となります。
 「孤棲」によって、お父様の孤独感を表すということになるでしょうが、そちらが強くなると全体の主題が変わって来ると思います。ここは、内容的には「父が一人で母の墓を守っている」として、「寿」の字は削る方向で考えられると良いでしょう。

 尚、ご質問の「如」は、両韻併用です。通常は「上平声六魚」の平声として扱いますし、大部分はその用例だと思います。
 いくつか手元の書籍で調べましたが、「詩韻含英」「韻府一隅」「平仄辞典(明治書院)」では「両韻」です。「諸橋大漢和」では、三韻ありますが、平声の用例に「シク」「シカ(ズ)」も入っていますから、両用で問題無いと思います。

2003.11. 1                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第209作は 坂本 定洋 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-209

  海村秋分        

海村雨後麹テ黄   海村雨後、香A黄を催す

一夜秋來圍四方   一夜秋来りて四方を囲む

暑去始懷真夏夢   暑は去って、初めて懐く真夏の夢

玉肢色冷半裳孃   玉肢、色は冷ややかなり 半裳のひと

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 今年の8月まで自分がこのような内容の詩を書くとは想像もしていませんでした。買ったばかりのコンピュータでこのページをたまたま覗きました。このページに投稿しているどなたかの影響なのでしょうね。
 イタリア人はマンジョーレ、カンターレ、アモーレと言います。詩を書くことはカンターレに属すること。なれば究極の詩題とは、おいしい食べ物と美しい女性。わかりやすい結論です。
 前者に対しては、初めての投稿詩「食蟹」が初挑戦。後者に対してはこれが初挑戦です。
 題はふつう。内容も転句まではふつう。十分に腰を落としてから結句頭に置いた色「玉」でガツンと一発。それなりに勝負しました。

<感想>

 今回の詩は、いくつか気になるところがありますね。

 まず、起句ですが、「緑催黄」は何を指しているのか、「秋が来たために、木々の緑が黄葉し始めた」ということかなと解釈しましたが、これはかなり拡大解釈。というのは、その前の「海村雨後」に、秋を感じさせるものが無いからです。逆に、夏の夕立などを連想することの方が可能性は高いでしょう。
 ここで「海」を入れたのは、意図的ならば逆効果でしょうし、そうでなくても削りたい語ですね。

 杜牧の「江南春」の起句、「千里鶯啼緑映紅」での「緑」「紅」とは導入部に違いがあります。

 承句では、「秋来囲四方」です。「秋来たりて四方を囲む」とありますが、「秋」「四方を囲む」というのは、どんなものや景色から感じたのか、それが出ていません。
 例えば、雑談中の友人が何の脈絡もなく突然に、「ほら、秋が僕たちの周りを取り囲んでいるよ」と言い出したら、気味悪くないですか。友人はきっと何かを感じたのでしょうが、それを語ってくれない限り、共感はできません。そんな感じでしょうか。
 季節の微妙な変化を感じ取ることが詩人の感性、それをどう伝えるかが詩人の工夫。秋の深まりを風に感じたという人もいれば、布を打つ砧の音に象徴する人もいるし、雁の連なる姿で描く人もいる。「秋来」はそこを省いてしまったために、作者の感じた処まで辿り着くのに読者は苦労します。

 「転句まではふつう」と書かれていますが、うーん、私は結句が一番「ふつう」な気がしました。転句までは読者に深読みを強要するような、そんな「狙いすぎ」の感じがしますが、どうでしょうか。
 これは鮟鱇さんにもご意見を伺いたいところですね。

2003.11. 1                 by junji





















 2003年の投稿漢詩 第210作は 畑香月 さんからの作品です。
 

作品番号 2003-210

  夏夜納涼        

軽衫揺扇趁涼行   軽衫扇を揺がして 涼を趁って行き

風渡江頭爽気生   風は江頭に渡りて 爽気生ず

嫋嫋笛声何処起   嫋嫋笛声 何処にか起らん

月華星彩亦多情   月華 星彩 亦多情

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 浴衣姿のお姉さんが団扇片手に歩いて行く。遠くで聞こえる笛の音、川を渡る夜風。ふっと昔を思い出させる、そんな懐かしさがありますね。

 北宋の秦観に「納涼」の詩がありますが、そこでは船の警笛でしたね。香月さんの場合には何の笛だったのでしょうか。
 私は、夏祭りのピーヒャラピーヒャラという音かなと思いましたが。

 起句の「趁涼行」、承句の「爽気生」は、それぞれの句の中では気になりませんが、二つ並ぶとどうでしょうか。例えば、「爽気生」などは、その前の「風渡江頭」から想像させるべきかもしれませんね。

 バランスの取れた語が組み合わされているため安定し過ぎている感もありますが、述語を省いた歯切れの良い結句のリズムが、全体をよく締めているではないでしょうか。

2003.11. 1                 by junji