2002年の投稿漢詩 第91作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-91

  初夏閑居雑詩        

庵在寒村古道傍   庵ハ 寒村古道ノ傍ニ在リ 

門通秀麦翠波岡   門ハ 秀麦翠波ノ岡ニ通ズ

暁鶏晩鳥鳴秧圃   暁鶏 晩鳥 秧圃ニ鳴キ

朝靄夕煙籠竹墻   朝靄 夕煙 竹墻ヲ籠ム

故友時時携酒濁   故友 時時 酒ノ濁レルヲ携エ

里人往往勧苳香   里人 往往 苳ノ香レルヲ勧ム

老来何若労智慧   老来 何若デカ 智慧ヲ労サン

只恨平生糊口忙   只、恨ム 平生 口ヲ糊スルニ忙シキヲ

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 私の家は片田舎の旧街道沿いに在り、門は青々と育った麦が波打つ岡に通じています。
 夜明けを知らせる鶏の声、夕暮れ時塒に帰る鴉の鳴き声を田植えが始まった田圃で聞き、野良の行き帰りに朝靄、夕靄がどこかの竹垣を包み込んでいます。
(このように毎日自然を相手に農作業に明け暮れている私のところにも)
 時時旧友が濁り酒を携えて訪ねてくれますし、たまには村人が香り豊かな採り立ての蕗を持ってきてくれます。
 若いうちは、智慧を働かせて少しでも生活を豊かにしようと思いますが、年を重ねるにつれてそんな気持ちも薄れてきます。
 只、毎日毎日、口を糊するために忙しく暮さなければならない事が恨めしく思います。

 永らくご無沙汰しておりました。鈴木先生のご活躍振りは、このホームページを通して拝察させて頂いていました。
 今後も、時時お邪魔させて頂き、鈴木先生始め漢詩愛好の諸先生方のご指導を賜りたく思います。宜しくお願い致します。

<感想>

 真瑞庵さんからは、久しぶりの投稿詩ですね。
 整った律詩の妙をいつも真瑞庵さんの詩で楽しませていただいていますが、今回も叙景から近辺人事、感懐へと流れる構成は、安心して読むことができました。

 尾聯の結末がその前のゆったりとした生活ぶりから行くと、「あれ?!」という感じが少ししました。第七句と第八句が内容的に重複しているからでしょうか。
 「平生」も世俗を凌駕して欲しいというのは、私自身の願望の故でしょうか。

2002. 6.15                 by junji



謝斧さんからも感想をいただきました。

 久しぶりに真瑞庵先生の七律を読ませて頂きました。
 「詩以両聯起結輔之 渾然一気」とあります。今回の詩は両聯と収束の関わりがあまりにも希薄に感じました。
 対句に関しては、私は出句と落句の関わりを常に意識しています。そうでないと合掌対になりやすく、何のために対句にしたのかわけが解らなくなるからです。出句落句が勝手に違う方向をむいているようにもなります。
 首聯の対句は、其の点において、落句が出句を補足していますので良いのですが、頷聯は同じような叙述で合掌対になっています。頸聯も工夫の跡はみられまますが出句と落句の関わりが希薄で、ただ同じような用例を対句にしたように感じました。
 収束はよくわかりますが、対句との関わりが希薄なので突出しているように感じるのではないでしょうか。
 「労智慧」はやや詩的表現に乏しいように感じます。詩の内容を考えると、ここは用典で締めくくるべきではないでしょうか。
 勝手なことを云いましたが許して下さい。

2002. 6.29               by 謝斧



真瑞庵さんから、次のように改めたいとのお手紙をいただきました。

    庵在寒村古道傍
    門通秀麦翠波岡
    暁鶏晩鳥鳴秧圃
    淡靄軽煙籠竹墻
    故友時時携酒濁
    里人往往勧苳香
    老来欲謝世塵事
    只恨平生糊口忙

 紅い文字のところが変更した部分です。

2002. 7.27                 by 真瑞庵


謝斧さんから、改訂版への感想です。

 128作の 『驟雨』 といいこの作品といい、なかなかの佳作になったとおもいます、なにがきっかけになったのでしょうか、それとも、丁度、習作期を脱する所なのかもしれません。
 最後の聯は申し分ありません。この聯の為に対句二聯もよく見えるのが不思議ですといったら失礼になるかもしれませんが。
 最後の 「糊口忙」は私なら、蘇東坡のように「為口忙」(自笑平生為口忙 初到黄州 口腹を養うに忙しい)としますがどんなものでしょうか。此の方が出句からのながれに無理がないとおもいます。

2002. 8.27              by 謝斧






















 2002年の投稿漢詩 第92作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-92

  早朝二条城        

御殿青苔裂石蒙   御殿の青苔 石を裂きて蒙(おお)

蒼枯小徑隠荒叢   蒼枯たる小徑 荒叢に隠る

坐忘瞑目漫傾耳   坐忘 瞑目して漫(そぞ)ろに耳を傾ければ

萬世啾啾渡木風   萬世啾啾たり 木を渡る風

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 3日間の行程で、京都に修学旅行に行ってきました。
 二条城、清水寺、錦市場などいろいろなところをまわり、古都の景観と歴史を深められたと思います。
 二条城の庭は広かったので全部は見られませんでしたが、開けたところもあり、とても綺麗でした。

[訳]
   苔が御殿の石の隙間を割って生え、
   古びた小道は荒れた草むらに埋もれている。
   雑念を去り、目を閉じて何とはなしに耳を傾ければ、
   大昔から変わらない風が、悲しげに木を渡っているだけだ。

<感想>

 修学旅行ですか、恒例の行事も終えて、徐庶さんもいよいよ中学生活最後の年を迎えた実感が深まったのではないでしょうか。

 「御殿」は漢詩ではあまり見ない言葉ですね。和習ではないかもしれませんが、「御苑」の方が無理が無いでしょう。
 結句の「渡木風」は、強くて木を飛ばすような風かな?、どんな風なんだろうと思いました。「林裏風」とか、「樹風」などの安定した表現にした方が良いでしょう。

2002. 6.15                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第93作は 藤原鷲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-93

  牡丹        

薫風五月雨餘天   薫風五月 雨餘の天

數朶牡丹珠露鮮   數朶の牡丹 珠露鮮やかに

花發晴紅自添艷   花は晴紅を發して自ら艷を添え

嬌姿嫋嫋轉清妍   嬌姿 嫋嫋として 轉た清妍なり

          (下平声「一先」の押韻)


<感想>

 北宋の周敦頤『愛蓮説』に、「李唐より来(このかた)、世人甚だ牡丹を愛す」と語られ、「牡丹は華の富貴なる者なり」と説かれた牡丹は、日本でも愛されている花の一つですね。
 漢詩にも牡丹を扱った作品は多いのですが、私は晩唐の皮日休「牡丹」の詩が一番この花への気持ちがよく表れているように思います。
 以前お薦め漢詩のコーナーでこの詩を紹介しましたので、重複は避けますが、「百花王」「天下無双」「人間第一」とこれでもか畳みかけている割には、花そのものの美しさはそれ程描いてない所に、逆に牡丹に惹きつけられている心が浮かび上がってくるようです。

 また、白居易は、「買花」の詩では、

   帝城春欲暮       帝城 春暮れんと欲し
   喧喧車馬度       喧喧として 車馬度(わた)
   共道牡丹時       共に道ふ 牡丹の時
   相随買花去       相随って 花を買いに去くと
   貴賤無常価       貴賎 常価無く
   酬直看花数       酬直 花の数を看る
   灼灼百朶紅       灼灼たり 百朶の紅
   戔戔五束素       戔戔たり 五束の素
    :
    :

 と人々が牡丹を買い求める姿を描き、「牡丹」の詩では、「花開き花落つ二十日   一城の人 皆な狂えるが若し」とも詠っていますね。
 昔も今も「流行」に人々は弱かったようですね。

 さて、藤原鷲山さんの牡丹はどんな美しさを描いて下さったのか、楽しみに読ませていただきました。
 牡丹は花の姿が派手(?)なせいか、それとも李白によって楊貴妃の美しさを例えられたせいか、豊かで艶っぽい、あでやかなイメージが多いと思いますが、鷲山さんは新たに「清新さ」を添えられたようですね。
 「薫風五月雨餘天」と、まず最初から申し分のない爽やかな背景を述べ、「珠露」「晴紅」「清妍」と続けて行くと、グラマーな年増女性から一気に清純な女学生へと(この辺りの例えはいかにも世代を感じさせますが、お許しを・・・・)イメージが移っていくようで、「そうか、牡丹はそんな美しさがあったのか!」と感動しました。
 ただ、結句の「嫋嫋」は、なよなよと頼りない姿を表す語ですから、そこまで言われるとちょっと戸惑いますね。
 もう一つは、承句の「珠露鮮」ですが、「珠」の字には既に「小さな美しいもの」という意味が含まれていますので、「鮮」とわざわざ言うとくどく感じます。逆に言えば、「珠」自体は単なる修飾語に過ぎないわけですから、もう少し別の要素、冷たさとか落下する動きとかを入れた方が、全体の中で生きてくるのではないでしょうか。

 勿論、落ち着いた表現ですので、前半で安定感を狙ったという意図でしたら、納得できる作品だと思います。

2002. 6.19                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第94作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-94

  記事        

朝鮮人民多俊傑   朝鮮人民俊傑多く

夙学尼聖重礼節   夙に尼聖(孔子)を学んでは礼節を重んず

本知民心希光復   本より知る民心光復(以前の立派な状態を回復する)を希い

久遭戦禍呑涙血   久く戦禍に遭って涙血を呑まん


日本不義侵朝鮮   日本不義にして朝鮮を侵し

冦盗国家濟多年   国家を冦盗すること多年に濟る

故惡日本亦宜乎   ことさらに日本を惡むも亦宜なる乎

収戈未逃坐鍼氈   戈収まるも未だ逃れず鍼氈(針のむしろ)に坐するを


俄美分国南北地   俄美(米ソ)国を分かたん南北の地

謀得利権弄狡智   利権を謀り得ては狡智を弄す

嗟甘脅嚇誤樞機   嗟すらくは脅嚇に甘んじて 樞機(物事の肝要な所易)誤つ

從此窺覦多怪事   此れ從り窺覦(すきをうかがう)して怪事多し


北地寒冷少田疇   北地寒冷にして田疇少く

人民厭貧凍餒憂   人民貧に厭きて凍餒を憂い

南地土沃産業盛   南地土沃て産業盛なり

亦名韓国敷政優   亦た韓国と名づけて政優を敷く


北鮮首領何為者   北鮮首領何にをか為す者ぞ

拉致婦女何益也   婦女を拉致しては何の益なる也

政府欲問事真偽   政府問わんとす事の真偽を

雄弁高官如聾唖   雄弁の高官聾唖の如し


首領為人如豺狼   首領人と為り豺狼の如く

亀鼈小竪豈尋常   亀鼈の小竪 豈に尋常ならん

不識時務尺沢鯢   時務を識らざるわ尺沢の鯢(見聞の狭い)なり

狗尾続貂罪材良   狗尾続貂(つまらない者が高官に列す)して材良を罪する


仄聞国策無信義   仄聞す 国策信義無く

嫌猜韓国苦畏忌   韓国を嫌猜して苦だ畏忌す

窃将爆裂殺要人   窃かに爆裂を将って 要人を殺し

糞土抗弁多虚偽   糞土の抗弁(道理にそむいた卑しい言)虚偽多し


或携火砲紛夜陰   或は火砲を携えて 夜陰に紛れ

潜入邦土犯法禁   邦土を潜入して 法禁を犯す

即賣阿片唆無頼   即は阿片を賣って 無頼を唆かす

何異死人盗美金   何んぞ異らん 人を死(殺す)して 美金(アメリカドル)を盗むのと


已聴寇警衞領海   已に寇警を聴いて 領海を衞れば

怪船正有眼前在   怪船正に眼前に有る在り

忽以火砲応戦繁   忽ち火砲を以って応戦繁り

阻得航行受降待   航行を阻み得て 降を受くるを待たん


不意寇賊殊死全   意わざりき 寇賊 殊死(死を覚悟する)全たしを

尚似窮鼠実可憐   尚お窮鼠に似て 実に憐む可し

誰使無辜為凶逆   誰か無辜(罪なき人民)をして 凶逆を為さしまん

遂知難逃自沈船   遂に逃れ難きを知って 自から船を沈めん


皇華政府即聞此   皇華(中国)の政府 即ち此れを聞くも

隣交北鮮誤義理   北鮮と隣交(友好を誓う)しては 義理(人が行う道理)を誤つ

唯恐按擦情偽明   唯だ恐れるは 按擦(調査)して情偽を明かななるを

故欲掣肘多譎詭   故さらに肘を掣して(干渉する) 譎詭(偽りの言)多し


又聞瀋陽領事官   又聞く 瀋陽の領事官

疲氓亡命訴凄酸   疲氓亡命して凄酸を訴う

華吏使気欲拉致   華吏 使気(怒る)して拉致せんと欲っし

如何看過版図干   如何んぞ 版図(主権)を干されるを看す過すを


竜節官吏何斟酌   竜節の官吏(天子から全権を与えられた) 何んぞ斟酌せん

可哀為叢欲駆爵   哀む可しは叢の為に爵を駆らんとす(茂みに雀を追いやる 孟子)

窮鳥入懐人所憫   窮鳥懐に入いらば 人の憫む所

失体亦供衆口謔   失体 亦供うす 衆口の謔を (世の笑いものになる)


近隣諸国絶交通   近隣の諸国交通(行き交う 諸所交通無非豪傑大侠)を絶ち

国儲無備糧資窮   国儲(国の貯え )備え無く糧資窮まり

偽造美金充国費   美金を偽造して国費に充て

羝羊触藩国是空   羝羊藩に触れて 国是空しい  勇気にはやりむやみに猛進する


剩遭天殃亡田圃   剩さえ天殃に遭って田圃を亡い

喰尽草根飢腸苦   草根を喰い尽しては飢腸苦しむ

看児餓死酸嘶頻   児の餓死するを看ては酸嘶頻り

路傍不葬満臭腐   路傍葬られず臭腐満ちる


看眼惨状意如何   眼に惨状を看ては 意如何

不感痛痒故看過   痛痒感ぜずことさらに看過し

及身初解轍鮒急   身に及びては初て解す 轍鮒の急(差し迫った困窮 )なるを

復脅近隣姦策多   復た近隣を脅しては姦策多し


骨肉憂慮無消息   骨肉は憂慮す 消息の無きを

為愬心情送糧食   為に心情を愬ったえて 糧食を送るも

如何未入飢児口   如何ぞ 未だ飢児の口に入らざるを

群蟻付羶虐政極   群蟻 羶に付いて虐政極る


哀哉兄弟已老身   哀哉兄弟 已に老身

生亀脱筒同苦辛   生亀筒を脱して(骨肉の別れ)同に苦辛す

或試亡命罹禍蘿   或は亡命を試みては禍蘿に罹り

眼前臨死一慘神   眼前死を臨んでは一に神を慘ましむ


諸子読此嗤悪癖   諸子此を読みては悪癖を嗤い

徒弄言辞如無責   徒に言辞を列ねては責無きが如し

不然一歌謝旧悪   然らず一歌して旧悪を謝し

空吐衷心報怨嘖   空しく衷心を吐いて怨嘖に報いん

<感想>

 七十六句からなる大作ですね。正直に言いますと、読むのにやや疲れました。以前の作品は長くても気にならなかったのですから、今回は内容が関係しているのではないかと思います。
 それは、一つには北朝鮮が開放された国ではなく、内情については漏れてきた数少ない事実から推測しかできないこと、その国や指導者に対して「首領人と為り 豺狼の如く   亀鼈の小竪 豈に尋常ならん」と断言することが可能だろうか、という疑問です。
 謝斧さんの作詩意図としては、末尾四句に書かれているように、「空く衷心を吐いて怨嘖に報いん」という誠心からのものであっても、相手の心に訴えかけることができるのかどうか、ということを思います。
 直接事情を窺い知ることのできない相手に向かって、「あなたの現実の姿や心の中を私が代わりに言いました」と言っても、部外者のおせっかい、とされてしまうのではないでしょうか。逆の立場で考えて、ほとんど交流のない国の人が日本社会に対して批判をしていたら、私自身はそれを素直に聞くことができるとはあまり思えません。

 「いやいや、種々の現れた事件や情報を集めれば、事実は明白だし、日本の政治でも過去の事件や人物を読む時でも同じだ」と言われる方もいるかもしれませんが、私は違うように思います。

 謝斧さんが直接北朝鮮を歩いてこられて、その上で実状を詩として描き出したというのならば勿論意味は違ってくるでしょうが・・・・。

2002. 6.25                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第95作は 佐竹丹鳳 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-95

  雨中散歩        

風吹細雨徑斜穿   風は細雨を吹いて 徑斜めに穿ち

新樹千枝滴翠鮮   新樹 千枝 翠滴らして鮮やかなり

蹌踉扶筇行緩慢   蹌踉 筇に扶けられて 行くこと緩慢たり

薔薇紅落有餘妍   薔薇紅落ちて 餘妍有り

          (下平声「一先」の押韻)

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 この詩は、漢字表記に Unicord を用いています。
文字化けして変な記号が表示されたり、「 ・ 」となっていたり字数が合わない、など、
漢字が正しく表示できていないと思われる方は 主宰者 までご連絡下さい。
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<解説>

 「薔薇」は作者自身を擬しています。

<感想>

 いかにも梅雨のひと時の光景を描いた作品ですね。

 雨に降られるこの季節は、どうしても部屋の中に閉じこもりがち、外に出ても傘をさしてうつむきがち、あまり自然の景物を眺めないで過ぎることが多いのですが、その中で美しさを発見することが詩人の楽しみですね。

 結句の「薔薇紅落有餘妍」が眼目ですね。
 バラの美しさは、花や香りからとるのが一般的ですが、丹鳳さんの今回の詩では、花は落ちてしまった、それでもなお艶やかな品格を保っているというバラの姿に着目されたようですね。
 と同時に、そうした美を発見するために不可欠なのが、転句の「蹌踉」(よろよろと歩く)ことであり、「扶筇行緩慢」というゆったりとしたスピードでの目だと思います。そういう点で、転句結句は連結の深いつながりになっていますね。

 丹鳳さんの詩はいつも、細やかな観察と丁寧な言葉の選択が生きていて、私自身は目が洗われるような思いがします。今回の作品もそういう点でとても印象に残ります。

 「薔薇」は作者自身を擬したということで、「まだまだ、私も捨てたもんじゃないわよ!」という声が聞こえそうですが、うーん、私ならば「餘妍」などと遠慮せず、「新妍」として、「いくつになってもその時その時の年齢での美しさはあるのよ」ともっと図々しく書いてしまうでしょうね。そこの一歩控えるところが、丹鳳さんの魅力でもあるのでしょう。

2002. 6.25                 by junji




ニャースさんから感想をいただきました。

 最近 漢詩ができないのは季節のせいだと勝手に理由をつけていたのですが、佐竹さんの漢詩を見て、深く自己反省いたしました。雨とアジサイといかないで、薔薇というのが新鮮に思えました。
 梅雨で鬱鬱とだけしないで、角度を換えればこんなさわやかな詩ができるんですね。

2002. 6.26                  by ニャース





















 2002年の投稿漢詩 第96作は 舜隱 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-96

  看湯島釋奠祭懷嘗游光州      湯島の釈奠祭を看、嘗て光州に游びたるを懐う  

楷樹仰新   楷樹 新高仰げば

心游百濟天   心は游ぶ 百済の天

湖南迎鵲語   湖南 鵲語迎え

市上誘春煙   市上 春煙誘う

會友交無境   友に会えば交わりに境無く

論文笑滿筵   文を論ずれば笑い筵に満つ

往時竊廻思   往時 窃かに思いを廻らせば

此地古生賢   此の地 古賢を生ぜり

戎馬衣冠擄   戎馬 衣冠とらわれ

牧羊禮義傳   牧羊 礼義伝わる

今看大成殿   今看る 大成殿

垂ヘ尚緜緜   垂教 尚綿綿たるを

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 長らくご無沙汰致しておりました。
 思い返してみれば最後に投稿したのが今年の新年漢詩、約五ヶ月ぶりの投稿となります。

 お知らせするのが遅れましたが、幸い志望していた大学に合格し、友人達と念願の韓国旅行に行って参りました。その時に光州で現地の友人と会った思い出と、去る4月28日に湯島聖堂で催された孔子祭とを絡めて詠んでみました。

 後半の「往時竊廻思」以後についてですが、湯島聖堂はご存知の通り林羅山の私塾が前身となっております。その羅山の師、藤原惺窩に性理学を伝えたのが、丁酉倭亂(慶長の役)の際に捕虜となった朝鮮の文臣、姜(カンハン)で、光州のすぐ西、全羅南道靈光(ヨングァン)の人です。
 靈光は今回の旅行でも訪ねたいという思いはありましたが、時間が足らず果たせませんでした。彼はまた孔子祭典も伝えているので、現在も行われている孔子祭はそこにルーツを見出すことが出来るのではないかと思います。
 なお、「湖南」は全羅道の呼称です。

<感想>

 お祝いを言うのも遅くなりましたが、合格おめでとうございます。

 今回の詩を拝見すると、時間的にもゆとりがうまれ、空間的にも自由度が増したようですね。スケールが一気に広がった感じがします。ますます楽しみです。

 表現としては、六句目の「論文笑滿筵」ですが、「文を論ずる」とどうして「笑い」が生まれるのか、「会友」ならばよく分かるんですけどね。何か典拠がありますか?
 八句目の「此地古生賢」は、このままでは読み下しのようにはなりませんので、「此地数生賢」として、「此の地 数々 賢を生じ」としたらいかがでしょうか。
 「戎馬衣冠擄   牧羊禮義傳」は解説にあったところの「丁酉倭亂(慶長の役)の際に捕虜となった朝鮮の文臣、姜」の故事を詠ったものでしょうが、やや言葉が足らないように感じます。
 両句とも主語を明確にして、
   戎馬擄衣冠     戎馬 衣冠を擄へ
   牧羊傳禮義     牧羊 礼儀を伝ふ
 とすれば意味もはっきりすると思いますが、韻をどうするかですね。

 パワーアップした舜隱さんのこれからの活躍を楽しみにしていますよ。

2002. 7. 3                 by junji



舜隱さんからお返事をいただきました。

 六句目の「論文笑滿筵」については、何か典拠がありますか?というお尋ねでしたが、典拠というよりは単にその場の光景を詠んだものです。
 ふとしたことから、日本と韓国でのそれぞれの漢文の読み方の話題になり、韓国の高校で使われている漢文の教科書まで見せてもらって、暫くその話題に花が咲いたという訳です。

2002. 8. 3                   by 舜隱





















 2002年の投稿漢詩 第97作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-97

  川中島        

誰斬流光破鏡飛,   誰か流光(=時間)を斬らん? 破鏡(=欠けた鏡=半月)飛び,

鞭声斷處杜鵑啼。   鞭声断つところ,杜鵑(=ホトトギス)啼く。

血河往昔沈枯骨,   血河 往昔 枯骨を沈め

苹果花開緑滿畦。   苹果花(=リンゴの花)開いて緑、畦に満つ

          (上平声「八斉」の押韻)


<解説>

 4月の下旬に川中島へ行きました。
 川中島といえば、「鞭声粛粛夜過河」、頼山陽です。そこでわたしは、山陽と詩を競おうと考えました。まず最初に、山陽が何を書いたかを考えました。わたしは彼が書かなかったことを書こうと思いました。そうでなければ、彼と詩を競えるわけがない。

 彼が何を書いたか?まず上杉謙信、次に武田信玄です。つまり、彼は英雄を書いています。
 彼が何をいちばん書かなかったか?それは、謙信と信玄があい拮抗したために、その犠牲となって死んでいった多くの農民兵です。あまたの無名の若者たちを書いていない。もとより山陽は、刀をさしていたから、無名の若者たちを書くつもりはまるでなかったかも知れない。

 昨今の日本の状況をみますと、みんな苛立っている。わたしも苛立っています。人は苛立てば、かならずそれをだれか人のせいにします。謙信はそれを信玄のせいにした。信玄はそれを謙信のせいにした。そうやってお互いに拮抗し、粘り強く拮抗すればするほど、人は英雄に近づきます。また、そのプロセスで多くの血が流されること、これが英雄たる条件かも知れません。
 そして、もとより本人たちは英雄になりたいなどとは思っていなかったかも知れません、それを後世の文人たちが美辞麗句で記録するとき、かれらは英雄として完成するのです。そうでなければ、彼らの名をわたしたちが知っているわけがない。

 この詩でわたしが言いたかったのは、謙信が悪い、信玄が悪いではありません。なにが悪いかといえば、信玄・謙信がともに同時代に隣あって暮らしていたというめぐりあわせです。そのために、多くの若者たちが死んでいった。ふたりのどちらかが「負けるが勝ち」を決め込めば、あれほど多くの人命は失われていません。
 そして、さらにあえて山陽の罪をいえば、彼は漢詩人として文学的には成功しましたが、謙信と信玄を英雄に歌いあげた罪はそれ以上に深刻です。
 あの時代でいえば、謙信も信玄も英雄としては二流です。なぜなら、彼らは結局は信長になれなかった。謙信も信玄ももっと早く信長に対して「負けるが勝ち」決め込めば、多くの人命は失われなかった。そういう二流の英雄があい拮抗したところに川中島の悲劇があります。そして、山陽の罪は、葉隠れだとか滅私奉公だとかの命を粗末にする思想に繋がっています。それは日本の伝統でもあり、従って思想上は和習の詩といわざるをえない。

 すくなくとも、詩を志す以上、今の時代、わたしたちは英雄を書くべきではありません。なぜなら、詩で殺しあいを描いても、具体的な人命は直接には失われませんので、詩が英雄を描けば、それを書いた詩人も読む者もいい気持ちになれます。その限りでは罪のない児戯だともいえますが、そのうち詩に詠われている英雄にほんとうになってみたいと思う者が現れて、自分ではない多くの命を奪う。
 文学、詩にはそういう毒、そそのかしがある。命は無駄に失われるべきではない。命が無駄に失われるなら、文学も詩も、そして漢詩も人類にとっては無用です。リンゴの花は、血の河が流れたあとに咲くよりは、清らかな水辺に咲くほうが似合っています。
 しかし、川中島では、その白く清楚な花は、川中島で死んだ兵の枯骨の石灰のように思えてなりません。

<感想>

 鮟鱇さんの解説(私の独断で少し省略させていただきました。ごめんなさい)を読み、信玄ファンの方や謙信ファンの方、あるいは甲斐や越後の方々は「ムム」と思ったかもしれませんね。郷土の「英雄」は、郷土の風土から歴史までを一心に担った上での英雄なわけですから。鮟鱇さんが旅行に行きにくくなるのでは、と心配です。
 と、ここまでは冗談ですが、歴史上の地点に立った時に、私達は古来の一般的な感慨を持つと同時に、独自の視点も必ず持ちます。それを言葉として結実させて、新たな感慨をその地に固定するのが詩人の仕事。

 川中島と言われれば、まさに誰もが信玄と謙信の一騎打ちを思い描いて「天と地と」の世界ですね。その合戦に場に、まさに「一将功なりて万骨枯る」の感慨を抱いたのは、鮟鱇さんの独自の視点ですね。
 私は転句に至って、全く思いもしなかった展開に、目が洗われたような気持ちでした。自分の視野の限界をうち破られる快感、とでも言いましょうか、だから尚更結句の美しさが生きて来るのでしょう。

 鮟鱇さんの万感の思いを七言絶句で表し得たか、と尋ねれば、解説に書かれたことと比して、鮟鱇さんはきっとまだ物足りないと仰るのでしょうが、私は転句結句の余情の深さに、漢詩の魅力を十分に堪能させていただきました。

2002. 7. 3                 by junji



逸爾散士さんから感想をいただきました。

 鮟鱇兄

 感想がなくとも、前半の一種、謎めいた措辞が頼山陽の詩を意識していることは分かります。「斬(流光)」といい、「断(処)」といい、日本伝統の感覚への異議と拒絶を感じさせます。
 「流星光底」から「流光」という辞が出て、季節だから「杜鵑」が啼き、杜鵑は血を連想させて「血河」を導く。
 血の色は花の白さと緑に収束されていく。

 前半、嘱目の景ではないけど、夜の情景で、後半は昼のイメージ。
起承では、山陽詩を強く意識しているけれど、後半は近代的なりんごの花に、中国古来の厭戦、非戦の主張が浮き立つ。
 全体が日本文化への批評を含んでいるところが、現代で漢詩を書くことの意味でしょう。

 頼山陽「不識庵・・・」の詩は、私にはどこか李長吉詩を思わせ、底光りして一筋縄ではいかないけど不気味な詩、という感じです。
 鮟鱇先生の詩も、短歌で言うと塚本邦雄さんのような言葉の強度があって、平談俗語から言葉が身を起こしている。

 古来、漢詩では悲壮、勇猛な辺塞詩がある一方で、干戈の悲惨を詠じたものが多い。
日本漢詩の名所旧跡を詠んだ詩、名勝類の詩に、唐土のような厭戦の詩があるのかどうか。


2002. 7. 6               by 逸爾散士



鮟鱇さんからのお返事です。

 逸爾散士先生
 鮟鱇です。
 ご感想、ありがとうござます。実は小生、他ならぬ逸爾散士先生に観想していただいたことに強い衝撃と深い感動を覚えております。
 拙作の背景、ご指摘のとおりです。思うところをすべて書いていただいたように思えます。しかし、先生ご自身お気付きかどうかですが、拙作には、山陽の詩以上に重要な典故があります。典故というものが、詩を読み、あるいは文を読み、そこで受けた感動を作者に伝えたいという思いから生まれるものであるとすれば、拙作でもっとも重要な典故は、先生の玉作「朝鮮出兵」です。先生の「朝鮮出兵」をもし読んでいなければ、小生は、たとえ川中島に行ったとしても(実際には行きましたが)、詩は書かなかったと思います。
 小生、3月の末に玉作を拝読しました。小生も溜飲を下げました。解説に書かれた文天祥については、思うところを全部書いていただいた、そういう思いがありました。ただし、「思うところを」云々は、小生の勘違い。先生の文天祥をめぐる文章を拝読し、ああわたしの言いたいことはこれだったと後から思ったに過ぎません。
 拙作は、その後から思ったことを、たまたま見ることができた「川中島」で追体験したものです。拙作、玉作「朝鮮出兵」に追随しています。しかし、その追随者に、先生ご自身が声をかけてくださった、これはとてもうれしいことです。なぜなら、詩を書けば思いが通じる、あらためてそう思えるからです。ほんとうにありがとうございました。

 玉作の「碧空」とあい前後して掲載されましたこと、偶然ではあると思いますが、ご縁を感じます。ただ、小生なりの感想を書かせていただこうと思っていました矢先、先を越されてしまいました。
 しかし、「蒼穹又覆凍飢村」、小生としては、もうこれ以上なにも付け加えることはないと思っています。敢えて感想を書くことはないと思います。しかし、あえて感想は書かないということは、先生にお伝えしたい。以心伝心は言葉にすれば以心伝心ではなくなりますが、それでもあえて、玉作「碧空」、小生付け加える言葉がありません。
 死はすべからく悼むべき不幸であるにしても、同じように死んでいく身でありながら、全世界の同情を集めながら死んでいく人々にはまだ救いがあるように思えます。小生、敢えてテロリズムをよしとするものではありませんが、詩を書くなら、虫けらのように死んでいく人々の信じるところを壊すような詩は書きたくありません。
2002. 7.13                by 鮟鱇





















 2002年の投稿漢詩 第98作は 逸爾散士 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-98

  碧空        

高樓崩落碧空存   高楼、崩落して、碧空存す

遺族瞻望拭涙痕   遺族 瞻望して 涙痕を拭わん

天上誰聞悲苦訴   天上に誰れか聞かん 悲苦の訴えを

蒼穹又覆凍飢村   蒼穹は又 凍飢の村を覆わん

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 「ビンラディン」の詩の感想で、9月11日のテロを題材にした詩がなかなかできない、という話がありました。
 強烈な印象、歴史意識、様々な感情、どれも漢詩創作を促すものですが、本当に難しそうです。飛行機や高層ビルは漢語になっても、テロリズム、アルカイダをどう記すか分からないし、アフガニスタンも分からない。(ペルシャなら昔から玻斯だろうけど)

 前に口ずさんだ、「崩れ落つ ビルの背後も 飢えて死ぬ 子らの頭上も同じ青空」という、短歌になっているのかわからない自作をもとにして作ってみました。
 青空や涙や貧しさは唐代も現代も変わらないから。

 でも、なんか四句がばらばらの感じで、遺族と言う言葉は浮いているし、結句は詩題だけでは唐突だし、今の時点だから読むほうも同時多発テロと世界の貧富の格差の問題だとわかるけど、そういう前提がなかったら納得されないかなと思います。
 特に転句はとってつけたようにも感じる。(本当に最後にはめたもの)
       五月末日 紐育摩天楼破壊地撤去作業終了。因作一詩。
というような注が必要かもしれません。

 蒼天に世の不正を訴えるのは古い時代の詩にあったような気がします。暴政や争乱、悲しみや貧苦などを見下ろす天青空の永遠の沈黙がテーマといえばテーマです。

<感想>

 逸爾散士さんの主題はよく分かりますし、心情としても共感できるものです。しかしながら、率直な感想を言えば、添えられた短歌、「崩れ落つ ビルの背後も 飢えて死ぬ 子らの頭上も同じ青空」と漢詩を比べた時には、現時点では短歌の方が訴える力は強いのではないでしょうか。
 解説で仰っておられるように、承句の「遺族」というのは視点の転換が急激すぎるでしょうし、結句に「蒼穹」を持ってくるのならば起句の「碧空」は冗語で、効果を薄れさせる言葉です。
 同じ様な点では、承句の「拭涙痕」と転句の「悲苦訴」も主題をストレートに出していて、さらに繰り返してもいるわけで、訴えたいことが結果的にぼけてしまったと言えるでしょう。
 改めて、こうした主題を詩にすることの難しさを感じます。感情が強く明確な分だけ、尚更言葉を絞り込んで、余韻を深くする必要があるのでしょうが、全く私には困難です。

 でも、逸爾散士さんは、この詩でとっかかりができたのではないでしょうか。二稿、三槁と進めて行かれると、短歌では表し得なかったものが見えてきて、詩として完成度が上がるように思いました。

2002. 7. 4                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第99作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2002-99

  弔朋友        

箱根君熟路   箱根 君は熟路、

何意未帰京   何の意ぞ未だ帰京せず。

相約出張去   相約す出張に去くことを、

茫然改日程   茫然として日程を改める。

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 取引先の方が箱根でバイク事故でなくなりました。31才でした。
 よく飲みに行きました。来月は一緒に三陸に出張しよう、約束していたのに。残念です。
作詩の際、感情がふき出るのを押さえるのに苦労しました。

<感想>

 お友達の突然の訃報、お気持ちを察し、深く哀悼の意を送らせていただきます。
 私も数年前に親しかった友人が亡くなり、その時には全く自分を失ってしまいました。彼はどんな気持ちで最期を迎えたのだろうか、残していく家族のことをどんなに心配しただろうか、やり残した仕事への愛着はどれほど深かったことだろうか、翻って私自身は今の生活はどうなのか、いろいろなことを考えると、悲しみと虚脱感が私をうちのめしました。

 ニャースさんはこの詩では、直接友人が亡くなったことは書かず、連絡のない不安な気持ちを前半で述べ、感情をよく抑えて表現なさっていると思います。後半への重い序曲という形で、五言二句で十分な構成ができあがっていますね。
 その分、後半は一気に気持ちを出しても良いように思います。結句の「茫然改日程」は、私は抑制しすぎたのではないか、特に「改日程」が実務的な印象を与えますので、収束感が強くなっています。この三文字をもっと感情的な行為に代えても良かったかもしれません。

2002. 7. 9                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第100作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-100

  今春採筍誤期口占      今春、採筍期を誤つ、口占  

今春往疾採時違   今春 往くこと疾くして 採時に違い

荘裏龍孫既解衣   荘裏の龍孫 既に衣を解く

酒饌何須困耆歯   酒饌 何ぞ須いん 耆歯を困しむるを

首陽山下蕨薇肥   首陽山下 蕨薇肥えたり

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

 毎年、ゴールデンウィークには友人の山荘で筍掘りを楽しんでいたのですが、今年はもう皮が剥がれて竹になりかかっていました。
 しかし、無理に堅い筍を煮て、年取った歯を苦しめることはありません。ここは、伯夷叔斉が隠れたという首陽山の様に太った蕨が沢山採れるのです。

<感想>

 今年は春先の陽気がおかしかったようで、花だけでなく、タケノコやら山菜やらも収穫の時期がすこしずつずれたようですね。私も何人かの人からタケノコをいただいたのですが、口々に「今年は時期が早い」と仰ってました。私は食べる方面専門なのであまりこだわりもなく過ごしていますが、掘ってくる立場の方は大変だったんでしょうね。
 タケノコを「龍孫」となぜ言うのかは知りませんが、あの皮の形状から命名したのでしょうか。そうだとすれば、納得できる話ですね。

 使われている言葉も前半は統一がとれていて、格調もあると思います。ただ、起句の「往疾」は、春が行くこととは読み切れず、作者が山に行くことかと思いました。そうなると、「疾」では話が逆になるなぁとしばらく悩みました。(私だけかな?)
 できれば、「去」「過」などにすると誤解は無いと思います。

 結句の「首陽山下」は、やや引用が直接的過ぎる気がします。伯夷叔斉がぼんやりと意識されるような、そんな表現にした方が落ち着くのではないでしょうか。

2002. 7. 9                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第101作は 楚雀 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-101

  『論詩・中野逍遥』        

自称狂骨永相思   自ら狂骨と称して永(とこし)へに相思す

賦得哭花腸斷詩   賦し得たり 哭花 腸断の詩

願厥芳魂在泉下   願はくは 厥(そ)の芳魂の泉下に在りて

化爲鵬鳥宿南枝   化して鵬鳥と為りて南枝に宿せむことを

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 最近入れ込んでいる漢詩人について書いてみた論詩詩です。

 中野逍遥は明治の詩人。伊予宇和島から東京帝大の漢学科に進み、歌人佐々木弘綱の門下で詩歌の交流を行いました。
 この門下で逍遥はとある実業家の令嬢に想いを寄せるのですが、この恋は叶わず。相手は親の勧めで別の男の元へと嫁いでしまいます。

 絶望した逍遥は想い人が死んだものとして哀弔の詩を作り、また自らも病にかかって28歳の若さで世を去りました。
 その間詠まれた激情の詩篇の数々は同人の編纂により、『逍遥遺稿』二篇として後世に伝えられます。

 さて、私事になりますが、最近個人的にこの人とあまりに境遇が重なるような振られ方を経験しまして、もはや他人事と思って『逍遥遺稿』を読めない心境が続いています。
 心からの哀弔の意をもってこの詩を賦しましたる次第です。

 [語釈]
 「狂骨」:狂骨子は逍遥の別号
 「相思」:片思い
 「哭花詩」『逍遥遺稿』中に、夭逝した(ということになっている)恋人を弔う詩として「哭花十律」あり
 「泉下」:死後の世
 「南枝」:想い人であった南條氏の隠喩として『逍遥遺稿』に散見する語

<感想>

 中野逍遥については、以前から広島の金先生が話題にしておられましたね。私はあまり詳しくは知らなかったのですが、大修館書店のアジアブックスで触れることがありました。
 熱情をストレートに表現するのでなく、ある種抑制した詩には、特に若い世代には心惹かれる部分が多いだろうと思いました。

 楚雀さんの今回の詩は、逍遥と同じ境遇を経て作られたもののようですが、うーん、私などからはこうした感懐はなつかしくもうらやましくもあり、といったところでしょうか。
 学生時代から歌が好きで、時代の風潮もあり、作詞作曲自演ということを続けてきていますが、三十代の半ばを過ぎた辺りから、どうにも恋の歌が作りにくく、他人の曲を歌ってもいわゆる「ラブソング」と言われる類は照れくさくなったものです。
 最近はいっそ図々しくなったのか、あまりにも縁が遠くなったのか、それほど照れなくなりましたけど・・・・

 詩は構成も整って、楚雀さんの日頃の修練が感じられるものですね。結句の「化爲」が意味が重複していて、やや滑らかさに欠ける気がしました。「化」の字を何か連用修飾語にすると落ち着くのではないでしょうか。

2002. 7.10                 by junji



謝斧さんから感想をいただきました。

 我々が漢詩(中国古典詩)を作るときは古典文学を骨子にします。
 恐らくは「鵬鳥」を漠然と象徴的な言葉として使ったものとおもいます。確かに漢詩を純文学としての詩としてあつかえばそれも一つの見解であるのですが、どうも我々にはなじみ難いところがあります。
 「鵬鳥」荘子の言葉で、誰でもが知っているところです。其の大きさは幾千里かを知らずとあります。
 とても宿南枝(巣南枝)といったものではないと考えます。荘子はこの詩とは逆なことを言っています。

 「宿南枝(巣南枝)」といえば、「胡馬依北風 越鳥巣南枝」が思い出され、懐郷の詩かと想像して、詩を読みます。漢詩を現代的(自由闊達に作詞)に捉える人には何をつまらないことをと言う人がいるかもしれませんが、これも見解の相違からくるものと思っ ています。

 詩の内容は、中野逍遥のことは知りませんので、よく理解出来ません。説明を要さなければ分らない、独善的(ひとりよがり)な詩になっているようにおもえます。


2002. 7.13                   by 謝斧





















 2002年の投稿漢詩 第102作は 咆泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-102

  蘇鉄山        

颯颯清風碧玉湾   颯颯たる 清風 碧玉の湾

旧碑含露緑陰閑   旧碑 露を含んで 緑陰閑かなり

名声基点君知否   名声の 基点 君知るや否や

朋友来遊蘇鉄山   朋友 来り遊ぶ 蘇鉄山

          (上平声「十五刪」の押韻)

<解説>

 私の職場の近くに大浜公園というのがあり、埋め立て前は大阪よりの海水浴客で賑わっていた所です。
 近くには、旧堺港や日本で一番古い木造の灯台跡などもあります。その公園の中に日本で一番低い、高さ6.8mの一等三角点がある蘇鉄山というのがあります。
 堺の駅前にある神明神社の宮司さんが、山岳会を作って楽しまれています。山開きには謡曲や、薙刀、詩吟なども披露されているようです。

 上記の詩は、過日友人が山開きの案内パンフレットに漢詩が載っているから吟じてみよと持ってきた詩が、韻と平仄が合っていなかったので自分なりに、作詞して宮司さんの所へ、あまりおせっかいを焼いてもいかがなものかと思いつつ、持って行ったものです。
 その原詩は

      蘇鉄山
   友有来遊蘇鉄山
   茅渟浦風吹軽軽
   砦石碑在緑陰中
   銕蕉広翼而悠然

 ぶしつけで失礼だとは思いましたが、漢詩は韻や平仄など色々ルールがありますとの手紙を添えて持って行きましたところ、先日お礼の手紙が届き、機会があればこの詩を山岳会で紹介したいとの事です。
 これで鑑賞に堪えうるものになっているでしょうか。

 公園の風景としては、結構緑も多く蘇鉄山の周辺の木陰は中々のものがあります。又台場跡の石碑や明治天皇行幸の碑などもあり、宮司さんの解説には一等三角点は小さな山の大きな誇りとあります。



<感想>

 宮司さんのお作りの詩は、韻平仄ともに全く意識されていませんから、漢詩の規則についてはご存じないのでしょう。その点を指摘なさった咆泉さんに「お礼の手紙」を送ってこられた宮司さんは、立派な方だと思います。
 また、宮司さんの詩を拝見すると、規則からは外れていますが、全体の構成や用語もよく工夫されていますから、日頃から勉強熱心な方なのでしょう。

 咆泉さんの詩は、単に平仄韻合わせではなく、原詩の雰囲気を更にふくらませようという意図がよく伝わり、前半は特に味わい深いと思います。十分喜んでいただける内容ではないでしょうか。

 もし、推敲を進めるのならば、ということで以下の感想を読んでください。
 転句は宮司さんの気持ちを汲んで「名声基点」の言葉を入れたのですが、「君」の語がやや勢いに流れたように感じます。
 結句の「朋友」は宮司さんの「友有来遊」を意識されたのでしょうが、転句の「君」とつながると、転句が朋友に対して呼びかけている感が強くなります。「朋友」を生かすのならば、転句の末三字を見直されたらいかがでしょうか。

2002. 7.10                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第103作は はむよん さん、兵庫県の十代の方からの初めての作品です。
 いただいたお手紙を紹介しましょう。

 徐庶くんから教えてもらってやってきました。
 ここを教えてもらったのは数ヶ月前なのですが、そのころに韻を合わせることを考え始めて、考えるだけで時間その他もろもろのためそのままになっていたので、実際に覗かせてもらうのはほぼ初めてということになります。
 このページの感想ですが、まず、皆さんすごいです。なんだかアホにはまだまだよく分からないことだらけです。
 いまのところ、韻に関することを見させていただいただけですが、ついこの間まで「反法って何? 韻書って何?!」などと言っている有様で、さらに「韻書もないのにどこをどう探して韻を当てはめるんだ」という状態のぼくにとっては、平仄・韻検索が非常にありがたかったです。
 というわけで、暇な日にはしばしば訪れて検索をかけさせていただこうかと思います。もちろんほかのコンテンツも覗きつつ(^^ゞ



作品番号 2002-103

  於食放題店      食い放題の店に於いて  

共行於食店   食店へ共に行き

彼我肉茹娯   彼我肉を茹らって娯しむ

食欲前棚立   食を欲して棚の前に立ち

考何頭被屠   考えるに何頭屠さるるか

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

 部活で焼き肉食い放題の店へ行って、遠慮なく食いまくった挙句にふと思ったことです。

<感想>

 若い方の新たな参加を大変うれしく思います。漢詩には色々なルールがあって、韻だの平仄だという点を気にしすぎると、感情と表現が一致しなくなったりもしますから、少しずつ慣れていくつもりで、まずは気持ちを漢文で言葉にしてみるということが良いと思います。
 漢詩のルールや文法的な問題は、適宜述べさせていただきますので、これからもどんどん送って下さい。

 さて、今回の詩ですが、食べながらふと「みんながこれだけ食べて、牛は何頭死んだのだろう」と思い至ったという、純粋な発想が描かれていて、(私自身はあまりそういうことを考えずに「欲望」にまかせて食べていますので)とても面白く読みました。
 注意する点を少し。

@漢文では、目的語は述語の後に置きます。

 例えば、「肉茹」「食欲」「前棚立」は、それぞれ「茹肉」「欲食」「立前棚」とします。
 「食欲」は日常語としても使いますが、その場合は「食べる欲望」という修飾語・被修飾語の関係ですね。
 漢詩の場合には、こうした文の構造を意識しながら平仄を合わせることになります。
A漢字の意味について
 「肉茹」で使った「茹」は、クサカンムリからも分かりますように、一般には「野菜を食べる」時に使う字です。
 この場合は「肉を茹う」ということで、意味の対立が目立ってしまい、違和感が残りますね。「くらう」という意味の平字はほとんど無くて探すのが難しいのですが、「餐」の字でも「食べる」という表現になります。

 漢詩に限らず、詩を書くということで最も大切なのは、作者の独自の感覚、自らが感じ取ったものが描かれているかどうかです。もちろん、結果的には先人の発想や、普遍的な感懐と一致することは当然起こりうるわけですが、同じことを述べても作者の感性がどこに光っているか、そこに読者は注目するわけです。
 用語としては、漢語らしくない言葉も見られますが、はむよんさんのこの新鮮な表現は共感を呼ぶのではないでしょうか。
 次作を楽しみにしていますよ。

2002. 7.11                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第104作は、やはり初めての投稿です。
 香川県の にゃん さん、三十代の女性からの作品です。

作品番号 2002-104

  初夏偶吟        

南風窓外緑陰初   南風 窓外 緑陰の初め

一椀新茶心自舒   一椀の新茶 心自ら舒ぶ

清昼懐人閑作句   清昼 人を懐ひ 閑に句を作る

胸中淡淡寄君書   胸中淡々たり 君に書を寄す

          (上平声「六魚」の押韻)

<解説>

 初めまして。漢詩には興味がありましたが、作るのは初心者です。どうぞよろしくご指導をお願いします。

 日曜日が休みでのんびりした日。友人からもらった新茶を飲み、お礼状を書いていた時のことを詠みました。

<感想>

 初心者とのことですが、とてもそうは思えないような、用語も無理なく選択されていて、やさしい表現の中に味わい深いものが含まれていると思いました。これまでに、良い漢詩をたくさん読んでいらっしゃるのではないですか。

 特に前半は、とてもよく初夏の爽やかさが感じられ、ほっと一息、という感じで、心が落ち着く二句になっていると思います。

 比べて後半は、やや疲れが見えたのか、急にもやもやとした印象です。
 転句からの場面を想像していくと、
 人(お茶をくれた友人でしょうか)のことを思いながら、静かに詩を作っていると、胸の中は淡々と澄んでくる。・・・あなたに手紙を書く、という内容でしょうか。
 「胸中淡淡」「寄君書」はどうつながるのか、そもそも転句の「人」「君」は同一人物なのかどうか、感動の中心の部分がはっきりしないので、全体がぼやけてしまいましたね。

 特にこの詩では、前半と後半がくっきりと分かれてしまい、全体の構成(起承転結・特にここでは結)が弱く感じます。前半の状況だからこその感懐ということを表して収束させたいわけで、そのためには、「清」の字や、茶との関わりで「香り」を表す字などを使って胸中を言い表すと、締まった結句になるのではないでしょうか。

2002. 7.11                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第105作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-105

  初夏遊琵琶湖八景竹生島     初夏琵琶湖八景竹生島に遊ぶ   

霊島朱楼望旧都   霊島の朱楼 旧都を望み

是知太古厚恩殊   是知る 太古より厚恩殊なると

投天土器祷奎運   天に土器【かわらけ】を投じて 奎運を祷り

欲断世情名利途   断たんと欲す 世情名利の途を

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

 黄金週間に湖国滋賀県を旅してきました。
 彦根から高速艇で島に渡り、古より霊験あらたかな宝厳寺を参拝。竹生島神社では琵琶湖に向って、願いをしたためた土器を放ちました。
 詩歌を創作していく中で、ひたすら無心に、品優を養うべく精進したいものです。

<感想>

 詩においては、何を書いて何を省くかが大切になります。
 転句の「奎運」は、「奎」が文章を司る「奎星」から生まれた言葉で、「学芸の上達」を表すものです。
 だとすると、この「祷奎運」と結句の「断世情名利途」の関係はどうでしょうか。結句の方は重複というよりは、明らかに不要と思われます。
 繰り返されると逆にマイナスの方が目立ってしまうようです。

 他では、承句の「太古厚恩」は、だれにとってのものなのか、この詩だけではわかりにくいですし、神社固有の儀式である「投天土器」も、一般には通じない行為でしょう。
 「土器」「かわらけ」と和訓読みすることについてお尋ねでしたが、訓読は基本的には日本語として読んでいるわけですから、私は個人的にはどちらでも構わないと思います。入谷仙介氏は、朝日新聞社刊の「宋詩選」などでは和語を用いた訓読をなさってますね。
 ただ、一般的には和語を避けて、漢詩特有の音調、硬質な響きを好む方が多いと思います。詩の内容から判断して、決定される場合もあるでしょう。

 詩としては、詠まれた土地固有の語意を含んでいますから、他の方と気持ちを共有できるものではないでしょう。しかし、金太郎さんご自身の旅の記録として見るならば、価値ある作品となっていると思います。

2002. 7.12                 by junji