2022年の投稿詩 第61作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-61

  散歩口吟        

悠然緩歩送奔車   悠然 歩を緩うして 奔車を送り

又逐蝶兒廻百花   又蝶児を逐って 百花を廻る

路上老猫離地直   路上の老猫 地を離るること直く

籬邊群雀舞空斜   籬辺の群雀 空に舞ふこと斜めなり

游雲出岫俗塵絶   游雲 岫を出でて 俗塵絶へ 

騷客吸風眞味加   騒客 風を吸って 真味加はる

忽覺異香方撲鼻   忽ち覚ゆ 異香の方に鼻を撲つを

晝餐咖哩是誰家  昼餐の咖哩 是れ誰が家ぞ 

          (下平声「六麻」の押韻)


<解説>

 歩くペースを遅らせて 走るクルマを見送って
 お次はチョウチョを追いかけて あの花この花そこかしこ
 道行くネコはジャンプして 真っ直ぐ地面から離れ
 垣根に群がるスズメども 空に向かって舞い上がる
 雲は山から湧き出でて 世の塵などに染まらない
 詩人は風を吸い込んで まことの味わい知っている
 ふと気が付いた今ちょうど 鼻をくすぐるいいにおい
 お昼ごはんはカレーだね いったいどこの家かしら


<感想>

 ゆったりとした気持ちで散歩を楽しむ姿が首聯、テンポも良く、気持ちの良さが伝わって来ます。

 頷聯は「老猫」「群雀」の描写がリアルで、特に「舞空斜」は画面を広く使って動きがよく出ていますね。
 「猫が真っ直ぐ飛び上がる」のは、どんな理由なのかちょっと分かりませんでした。

 頸聯は『帰去来辞』の「雲無心以出岫」を思い出しますね。
 「絶へ」は「絶え」ですね。
 また、下句の「吸風」「飲露」と同じで、高潔な仙人の心境を表す言葉です。
 どちらも「俗塵」を離れて清浄な境地へと向かって行く形、いよいよ詩もクライマックスかな、と期待をしていると、尾聯ではまことに家庭的な「咖哩」の香りで詩を終らせる、「落ちはそこか!」と突っ込みたくなる展開、何とも観水さんの術中にはまったようですね。
 でも、私などはつい「仙人にならずに戻って来れて良かったね」とつい思ってしまうのですが、これは楽しげに作詩されている気持ちが伝わってくるからでしょうね。




2022. 4. 2                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第62作は桐山堂半田の 睟洲 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-62

  歎麥秀        

浮雲湧出四山蒼   浮雲 湧出す 四山蒼し

故舊踏丘畝傍   故旧 踏青す 丘畝の傍ら

烏露紛爭歎麥秀   烏露の紛争 麦秋を歎ず

和待終局禱斜陽   和して終局を待たん 斜陽に祷る

          (下平声「七陽」の押韻)


<解説>

 毎日ロシアとウクライナの戦争を聞き、『麦秀歌』を想起する。
 双方とも小麦の産地、麦秋の頃殷墟とならぬことを切望する。

<感想>

 本当に悲しいことです。
 武力によって世の中を変えようという試みは決して許されることではない、しかもそれが独りの権力者の自己満足による行為というのが、現代の出来事として全く信じられない気持ちです。

 『麥秀歌』は殷王朝が亡んだ後、一族であった箕子が殷墟の跡を見て歎いた詩でした。

   「麥秀漸漸兮、禾黍油油。彼狡僮兮、不與我好兮。」
    麦秀でて漸漸たり、禾黍油油たり。彼狡僮(こうどう)、我と好からず

 「狡僮」は「ずる賢い子ども」で殷の紂王を指しますが、賢人の諫言を全く聞こうとしなかったと伝えられます。
 側近を次々にイエスマンだけにして行けば組織は必ず崩壊する、三千年前からの隘路にプーチン大統領も足を踏み入れて行くのでしょうか。

 承句の「故舊」は意図が分かりにくいので「春日」「寧日」でどうでしょうか。

 また、結句の「和待」「即時」として、平仄も合わせると良いですね。



2022. 4. 2                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第63作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-63

  断罪普京蛮行     プーチンの蛮行を断罪す   

獸心終暴戻   獣心 終に暴戻

鏖殺劫灰時   鏖殺 劫灰の時

醜陋如邪鬼   醜陋 邪鬼の如く

愚蒙似白痴   愚蒙 白痴に似たり

聴哀民衆哭   聴け 哀たる民衆の哭

見慘廃墟姿   見よ 惨たる廃墟の姿

嗚悪狂人行   ああ 狂人の行を悪む

如何無辜悲   無辜の悲しみを如何せん

          (上平声「四支」の押韻)


<解説>

 ウクライナ情勢、大変危惧していますが、古今東西、独裁者の蛮行は続くようです。人間は、悲しく又恐ろしいものです。

 起句の「終」は当初「何」としましたが、結句に使ったので、「終」にしました。「終始・最後まで・一貫して」の意味で使いましたが、如何でしょうか。

<感想>

 東山さんからもウクライナに関する詩をいただきました。

 第一句はなるほど、「終」「何」でしたか。そちらですと、作者の感情がストレートに出て、書き出しから強い気持ちが出てきますね。
 「終」も問題は無いですし、落ち着いた書き出しから徐々に気持ちが高ぶっていき、最後の悲痛な叫びへと進んで行く展開も良く、詩としてはどちらが良いかという比較はできません。
 手法の違い、というところでしょう。
 ただ、最後の「如何」ですが、「如」の字が第三句で重なっていますので、それを考えると「如何」を変更しても良いかとも思います。

 第二句は難しい言葉が入っていますが、「鏖殺」(おうさつ)は「皆殺し」「劫灰」(きょうかい)は「戦火」の意味です。
 初めの「暴戻」の「乱暴」を言い換えた形で、印象を強くして、良いと思います。

 頷聯、頸聯の対句も問題無いですね。

 全体に、作者の怒りが溢れ出てくる感じで、そこが何よりも詩を生き生きとしたものにしていますね。



2022. 4. 2                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第64作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-64

  侵攻俄國烏克蘭        

兵車列列幾千車   兵車 列列 幾千車

邦域侵攻違法邪   邦域 侵攻 違法なる邪(よこしま)

国際機関無手腕   国際機関 手腕 無く

独裁君主獻言遮   独裁君主 献言(けんげん) 遮る

          (下平声「六麻」の押韻)


「俄国」: ロシア
「烏克蘭」: ウクライナ
「兵車」: 戦車
「邦域」: 国境
「献言」: 意見を申し上げる 進言

<感想>

 岳城さんからは、ウクライナの詩を二首いただきました。

 ウクライナのひどい状況も連日報道されますが、ロシア側の詭弁、兵士たちの残虐行為を目にすると、プーチン大統領の狂気が引き起こしただけではなく、国全体、国民性そのものが発端であったと感じます。
 憎しみの連鎖が拡がらないことを祈るだけです。

 題名は「俄國侵攻烏克蘭」の順が良いです。

 起句は「車」の繰り返しは、修飾する「列列」「幾千」も重複感が出ますので、あまり効果的とはおもえません。
 「武器」ということで、「兵戈」としてはどうですか。

 転句の「国際機関」は確かに即効的な解決手段を持っていませんが、様々な「国際機関」が様々な方策で立ち向かうしかありませんので、「無手腕」と投げ捨てるよりも、期待を籠める形が良いかと思います。



2022. 4.11                  by 桐山人



岳城さんから再敲作をいただきました。

    俄國侵攻烏克蘭(再敲作)
  兵戈列列幾千車   兵戈 列列 幾千車
  邦域侵攻違法邪   邦域 侵攻 違法なる邪(よこしま)
  国際機関包舉策   国際機関 包舉の策
  独裁君主獻言遮   独裁君主 献言 遮る

          (下平声「六麻」の押韻)

「俄国」: ロシア
「烏克蘭」: ウクライナ
「兵戈」: 戦車
「邦域」: 国境
「包舉」: すっかり包み込む
「献言」: 意見を申し上げる 進言

2022. 4.15                  by 岳城
























 2022年の投稿詩 第65作も 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-65

  烏克蘭惨事        

戰禍拡大濫難民   戦禍 拡大 難民 濫(あふ)る

寒冷野営群衆嗔   寒冷の野営 群衆の嗔(いか)り

経済制裁疑効果   経済制裁 効果を疑ふ

砲煙彈雨廃墟頻   砲煙弾雨 廃墟 頻なり

          (上平声「十一真」の押韻)


「烏克蘭」: ウクライナ
「砲煙弾雨」: 戦争の激しいさま

<感想>

 起句の「禍」は仄声ですので、少し表現が甘くなりますが、「戦雲」「戦図」として合わせましょう。

 こちらの詩も、転句で見捨てるのではなく、一縷の希望を持たせるようにすると、結句の空しさが一層浮かんでくると思います。



2022. 4.11                  by 桐山人



岳城さんから再敲作をいただきました。

    烏克蘭惨事
  戰圖拡大濫難民   戦図 拡大 難民 濫(あふ)る
  寒冷野営群衆嗔   寒冷の野営 群衆の嗔(いか)り
  経済制裁強諫廣   経済制裁 強諫 広がる
  砲煙彈雨廃墟頻   砲煙弾雨 廃墟 頻なり

              (上平声十一真韻)

「烏克蘭」: ウクライナ
「戦図」: 交戦地帯
「強諫」: 強くいさめる
「砲煙弾雨」: 戦争の激しいさま



2022. 4.15                  by 岳城
























 2022年の投稿詩 第66作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-66

  客中絶句        

杯中紅琥珀   杯中の紅琥珀

窓外玉芙蓉   窓外の玉芙蓉

世事難開口   世事 口を開き難きも

風情忽盪胸   風情 忽ち胸を盪(うご)かす

          (上平声「二冬」の押韻)


<解説>

  ぶどう酒の グラス挙げれば
  窓のそと 富士の姿よ
  窮屈な 世の中だけど
  旅のそら 胸を打つのさ


<感想>

 前半の対句は、「紅」「玉」の付いたことで、美しい対になりましたね。
 五言の二句、わずか十字で広々とした画面が目に浮かびます。

 転句は杜牧の「塵世難逢開口笑」(「九日齊山登高」)を思い出させますね。
 杜牧は酒を飲んで重陽の節句を楽しもう、と豪快に進みますが、観水さんは静かに詩心を育む形、どちらも詩人の姿ですね。



2022. 4.14                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第67作は 石華 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-67

  漁港春融        

海天殘月融煙景   海天の残月 煙景に融けて

山背初陽遍険礁   山背の初陽 険礁に遍し

坐見垂竿石堤外   坐ろに見る 竿を垂らす石堤の外

漁舟一一裂春潮   漁舟 一一 春潮を裂く

          (下平声「二蕭」の押韻)


<解説>

 よくキス釣りに行った漁港です。春ののどかさを詩にと思いましが…。

 海に関する詩を始めて、海そのものでは季節を表す困難さが解りました。
「険礁」は困り果てて、「礁」の字に合いそうな「険」を付け、勝手に作りました。

<感想>

 前半は穏やかな春の海、ですね。
 起句の「殘月」「煙景」「融」けるという絵画的な場面は印象に残りますね。
 朝、日が昇る前、海に立ち籠める靄は幻想的でもあり、佳句だと思います。

 承句は視線を回して、山に昇った太陽の光が海岸に輝くということで、これも良い景色です。
 「険礁」はゴツゴツした岩を言いたかったのでしょうね、なかなか平仄の合う字が無かったですか。
 「礁」自体が水の中に埋もれる「かくれ岩」ですので、「険」が合うのか、些か疑問です。
 場所を表す形で「渚礁」でしょうか。
 さて、出て来たものを並べて見ると、「空に残月」「海に靄」「山に朝日」「岸辺に礁」、目線が上から下、また上に行って下に行くという展開は、幾分せわしなさは感じますが、対句によって随分緩和されていますね。

 転句は「坐」が、のんびりと釣りをしながら眺める、という感じを出していて、作者自身が登場するのはここだけですが、存在感を示しています。
 ただ、この「坐見」「坐」を他の字に替えることで詩に変化が出ますので、色々な心境を楽しんだり、あるいは主体を作者以外にして風景の一つにしたり、まだまだ推敲の楽しみは続きそうですね。



2022. 4.15                  by 桐山人



石華さんから再敲作をいただきました。

 転句を視覚から聴覚に変えて作り直し、結句の「漁舟」を「(音の出る)漁船」といたしましたが、どうでしょうか。

  竿列倶聞出航響  竿の列倶に聞く 出航の響き  
  漁船一一裂春潮  漁船 一一 春潮を裂く    


 気になるのは、「出港」では平仄が合わず、「出航」としましたが、詩語でしょうか。
 起句・承句も、ご感想にそって、視線の動きを自然に、内容も淡白に変えたいのですが、宿題になりました。


2022. 4.24                  by 石華



 「出航」はどうでしょうね、「発船」はありましたが。
 直接船が出ると言わなくても、暗示するもの、例えば「銅鑼」などを使うのも考えられますね。


2022. 5.26                  by 石華






















 2022年の投稿詩 第68作は 石華 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-68

  秧風ク        

昨日衆人耕百畝   昨日 衆人 百畝を耕し

今朝白鷺點秧   今朝 白鷺 青秧に点ず

陌頭倶話炎涼事   陌頭 倶に話すは炎涼の事

拂頰爽風周一ク   頬を払ふ爽風 一郷に周し

          (下平声「七陽」の押韻)


<解説>

  昨日は、多くの人が農作業をした、広い水田。
  今朝は、(緑の)早苗の中に白鷺がぽつんぽつんと立っている。
  あぜ道での立ち話は、気になる気候のこと。
  頬を撫でる爽やかな風が里いっぱいに吹き渡る。


 私が借りて、妻が耕し、嫁に行った娘も喜ぶ家庭菜園のお隣の水田の昨年の様子を。

<感想>

 解説文は、「私が借りて、妻が耕し、嫁に行った娘も喜ぶ家庭菜園の、そのお隣の水田」ということですね。

 前作と同じく、前対格になった詩で、「衆人」「白鷺」の多寡の対比が画面に奥行きを出していますが、それ以上に、句の中でも「衆」「百」「白」「」と同類語で句をまとめた形がとても良く考えていると思います。
 この対句で「今日は人が居ない」と述べましたので、そうなると転句の「倶話」は「誰と話したの?」ということになります。「白鷺」に語りかけても良いのですが、そういう意図では無いでしょうから、この語は再考してはどうでしょう。
 ここの「炎涼」は「暑さと涼しさ」、季節の変化を表す言葉で、白居易は「炎涼昏曉」と並べて「歳月の流れ」を表していましたので、そういう方向でも良いかもしれません。

 結句は直前の「炎涼」を受けると「涼」が適切かどうか、また、「拂頰」という皮膚感覚から「周一ク」の拡がりのギャップもやや気になりますので、上四字を見直してみてはどうでしょうね。



2022. 4.17                  by 桐山人



こちらの詩の再敲作もいただきました。

 鈴木先生 推敲のつもりが、作り直しになりました。
 よろしくお願いいたします。


    初夏山郷
  昨日孤翁耘雑草   昨日 孤翁 雑草を耘れば
  今朝紅女挿青秧   今朝 紅女 青秧を挿す
  梯田午餉農談熱   梯田の午餉 農談熱(あつ)く
  乍覚夕鐘鳴一郷   乍ち覚ゆ 夕鐘一郷に鳴るを

昨日、老人が草刈りをすると、
今朝は、若い女性たちが田植えをしている。
棚田での昼の弁当は、農作業の話で盛り上がり、
やっと気づく、夕方の鐘が村中に鳴り響くのに。


「紅女」: 働く女性。(紅)襷が国字で残念です。
「梯田」: 棚田。


2022. 5. 1                  by 石華
























 2022年の投稿詩 第69作は 川竹 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-69

  歩春寒        

郊畛徘徊風日清   郊畛を徘徊す 風日清し

餘寒曲径草初萌   餘寒の曲径に 草初めて萌す

山梅疎影詩媒好   山の梅は疎影にして 詩媒に好し

春為騒人賜午晴   春は騒人の為に午晴を賜る

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

 畦道を散歩して、風もすがすがしい。
 春の余寒の中、道に草が出始めている。
 近くの山を見れば梅が咲いていて、詩には好い光景で、春は詩人に午後の晴れを賜っている。

<感想>

 春を迎えたばかり、まだ薄ら寒い時節の風景を描いていますね。

 場所を表して「郊畛」「曲径」「山」とそれぞれ異なる所が出てくるのがやや気になりますので、起句は「郊邑」、転句は「山梅」でなく、「野梅」とすると、滞りが解消します。

 転句の「詩媒」「詩を引き出してくれる素材」ということですが、「疎影」だけでは書き足りません。
 この句は、梅の良さ、つまり花とか香りとかを具体的に書いた方が良く、起句、承句、転句で描いてきた景色を結句でまとめる形で、「春」が登場すると、きれいにまとまると思います。
 転句で「詩」の字を使わなければ、結句の「騒人」「詩人」とするとより分かりやすくなります。

 最後の「賜」の読み下しは、「賜る」ですと「いただく」になりますので「春が貰った」となります。「賜ふ」と読んで「あたえる」の意味でないといけませんね。



2022. 4.18                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第70作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-70

  五丈原        

武侯余命短   武侯 余命短く、

姜維託遺言   姜維 遺言を託さる。

未立英雄義   未だ立たず 英雄の義、

暫封北伐論   暫く封ずる 北伐の論。

固知難退却   固より知る 退却に難するを、

何奈解兵屯   兵屯を解くを何奈(いかん)せん。

臨死神奇策   死に臨む神がかる奇策、

星流五丈原   星は流る 五丈原。

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

 始めに、蜀ファンの人たちにごめんなさい。
 炎上覚悟で自説を展開します。

 私はやはり魏が正統だったのではないかと思います。
 曹操は軍人としてだけでなく文人として優れた詩を残しています。
 劉備陣営は荊州人が主だったメンバーで、荊州を失ってからは人材の面でも補充が利かなくなり難儀したことでしょう。
 益州をぶんどるまでは良かったですが、呉からもうそろそろ貸してあった荊州を返して欲しいと言われても返そうとせず、弓矢を交えて答えを出そうと言うことになりました。

 色々動画を観ながら僕なりにまとめたものですが、貸したものを返しもせずに、魏の不義を弾劾するのですから、蜀も大したものです。
 益州を領有するまでが劉備陣営の上り坂で、その後は下る一方でした。夷陵の戦いで大敗して人材も兵隊も、それこそ国力の半分を失ってしまったのは決して大げさではなかったでしょう。

 夷陵の大敗の後、呉との講和に動きました。これは大幅な軌道修正で、大方針転換です。
 呉の方も蜀と手を組まなければ魏に飲み込まれるのは間違いがない。
 蜀が魏にちょっかいをかけている間は自分たちは安泰なわけで、よく考えたものです。
 蜀は「魏の不義を匡す」と言うことを国是にしなければ、求心力さえ無かったのではないでしょうか。
 益州の地元の人たちからすれば、よそから来て内心面白く思わない人たちも少なからずいたと思います。
 キャンペーンをしなければ求心力を保てず空中分解してしまう、そんな状況ではないかと思えるのです。

 夷陵の大敗の後は、丞相の諸葛亮に権力を集中して、機動的に国内を立て直したのは流石ですが、大敗の痛手は大変なものだったようです。
 劉禅も諸葛亮を信任して思い切り国政を任せたのは流石で、確かに凡庸な人かもしれませんが世間の人が言うほど暗愚ではなかったと思います。
 蜀の遺臣達が糊口をしのげたのも安楽侯(劉禅)が領地を持っていたからではないでしょうか?

 最後に蜀ファンに追い打ちをかければ、蜀は一地方軍閥にすぎず、魏があくまでも正統で、蜀は堅牢な益州に立てこもり魏の足を引っ張っていただけと言う見方が成り立たないでしょうか?

 僕は、地味ながら頑張った呉が好きです。周瑜、陸遜と言った軍人を配し、頑張りました。
 清代に「鳥雀南に飛び魏の地なく、大江東に去り周郎有り。」と趙翼が歌っていました。

 ながながと自説をごめんなさい。

<感想>

 『三国志演義』の作り出した登場人物のキャラクターは時代を経て強固なイメージが定着していますので、凌雲さんの仰るような逆転はなかなか難しいでしょうが、色々な視点から歴史上の人物を眺めるのは楽しいこと、何と言っても「正解」は無いに等しいわけですからね。
 千年以上経っても評価が定まらないからこそ、歴史は面白い、そんな気もします。

 詩は五言律詩ですが、平仄で気になる所がありますので、確認をしておいてください。

 第二句二字目の「維」は平声、ここは反法で仄字のところが崩れています。
 第四句の二字目、「封」の平字は良いですが、前後は仄字ですので「二字目の孤平」になっています。
 第六句ですが、「何奈」の「いかん」は本来は状態を尋ねる疑問詞、手段方法を問う時は「奈何」が良いですが、通用することも多いので良しとしましょうか。



2022. 4.18                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第71作も 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-71

  諸葛亮後        

遺言臨死策   遺言 死に臨むの策、

仲達恐如神   仲達 神の如く恐れる。

蜀漢無飛将   蜀漢 飛将無く、

劉禅侍佞臣   劉禅 佞臣を侍らす。

果忘先帝志   果たして忘れたるか先帝の志、

固穏益州人   固より穏やかなる益州人。

不敢奮誅魏   敢て魏を誅するに奮はず、

寧逃北伐塵   寧ろ北伐の塵を逃れん。

          (上平声「十一真」の押韻)


<感想>

 こちらは題名の通り、孔明亡き後の場面です。

 首聯は有名な「死せる孔明生ける仲達を走らす」ですね。
 ここはよく分かります。

 後半になると、句の繋がり、構成が気になります。
 例えば、第四句の「劉禅侍佞臣」は第三句とペアで対句になっていますが、内容的には次の第五句に繋がって「劉禅は先帝の志を忘れたのか」と理解します。
 第六句は「益州人」が第七句、第八句の主語とした方が読みやすいですので、結局、詩が第五句で切れるという構成になってしまいます。
 聯として「二句一まとまり」感は対句も含めて大切な要素ですので、頸聯を見直すのが良いですね。



2022. 4.18                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第72作は 山麓人 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-72

  媼聴鶯鳴        

春色燦然雨後朝   春色 燦然 雨後の朝

新鶯哢吭独高調   新鶯 哢吭 独り高調

鳴声不整誘含笑   鳴声整はず 含笑を誘ふ

歳歳年年慰寂寥   歳歳年年 寂寥を慰む

          (下平声「二蕭」の押韻)


<感想>

 題名で「媼」を入れたのは、作者自身を登場させて、外から眺めるという趣を出したのでしょうね。
 その登場人物が詩の中に出てくるのは転句の「含笑」だけ、控え目なところが逆に良いと思います。
 あまり作者が歩き回っても落ち着きませんしね。

 承句の「高調」は「調子外れの高い音色」ということでしょうが、「調」「音楽の調べ・節」などの意味の時は仄声です(「ととのう」の時に平声)。
 「響高霄」なども考えられますが、後半を見てから考えましょう。

 転句はこれで良いですが、「鳴声」は承句の「哢吭」と同じこと、内容に変化があれば良いですがただ文字が変わっただけですと、重複感が出ますね。
 承句の方は韻字も直しますので合わせて考える形で、「新鶯高樹渡枝嬌」という感じでしょう。



2022. 4.19                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第73作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-73

  觀櫻        

先觀白色単葩花   先ず観る白色 単葩の花

後發淡紅重瓣華   後れて発く淡紅 重瓣の華

人影慢遊櫻竝木   人影 慢遊 桜の並木

平和実感好音加   平和 実感 好音加はる

          (下平声「六麻」の押韻)


「単葩」: ひとえ ソメイヨシノ
「重瓣」: 八重の桜
「好音」: ウグイスの鳴き声

<解説>

お世話になっております
いつまでも収まらないコロナウイルスとロシアの侵攻、日々ニュースを見るのが憂鬱です。

気分を変えて桜を楽しみました
今年は開花後 朝の冷え込みのためか、長く花を楽しみました

<感想>

 仰る通り、今年の桜は私の所でも天候も良く、長い間楽しめました。
 人の出も思ったほど多くはなく、ゆったりと何度も花見をしました。
 そのおかげで、岳城さんの詩の通り、色々な種類の桜を見られました。

 ソメイヨシノから八重への流れを対句で描くことで、時の流れが表された点が工夫のところですね。
 全体も良い展開になっていると思います。

 ウグイスの声も、今年はまさに「好音」という感じで、長い間楽しませてくれています。



2022. 5. 6                 by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第74作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-74

  時節偶感        

立春雨水節循環   立春 雨水 節循環

黄橘白梅澄水湲   黄橘白梅 澄水湲たり

時中四時順帝則   時に中して四時 帝則に順ふ

野翁日興樂餘閑   野翁 日興 余閑を楽しむ

          (上平声「十五刪」の押韻)


<解説>

 日頃の散歩道にも、春が近づいている情景。転句の語順は、どうでしょうか。

<感想>

 掲載が遅くなりましたが、春の訪れを楽しむ様子が結句によく出ていますね。

 まず、ご質問の転句ですが、「時中」「時に中す」という形で目的語のように見えます。その場合には「オニトヨリで返れ」のように、目的語を述語の後に置く「中時」の形になります。
 しかし、この場合の「時」は、「いつでも、どんな時でも」という副詞用法で目的語ではありません。
 『論語』の「学時習之」(学びて時に之を習ふ)と同じ形ですので、この「時中」の語順で大丈夫です。

 ただ、この句は下三字が仄字、結果として「四字目の孤平」になっていますので、「順」「從」「隨」などとしなくてはいけませんね。

 結句の「日興」「日々の楽しみ」ですので、次の「樂」が邪魔になります。
 「樂」を他の言葉に替えても良いですが、ここは「日興」「日日」としておけば良いと思います。



2022. 5. 7                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第75作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-75

  人性如何        

人獰緒本性   人の獰なる 緒れ本性か

反恕是還然   反って恕なるも 是れ還た然るか

孟子四端説   孟子 四端の説

荀卿善偽編   荀卿 善偽の編

誠心自尊和   誠心 自ずから和を尊び

欲念竟貪権   欲念 竟に権を貪る

雖元少姦軌   元 姦軌は少なりと雖も

應用意後天   応に 後天に意を用ふべし

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

 1・2句は疑問のつもりですが、如何でしょうか

 また、4句の「善偽の編」の表現は許されますか。

<感想>

 ロシアの暴挙に憤っての作品ということですが、「人間の本性」を考えさせられるのは理解出来ます。

 人間の「猛」な心と「寛」の心、どちらが本当の姿かと問題提起から始まりますね。
 ここは疑問の形だとお書きですが、はっきりさせるならば「緒」「何」としましょう。

 首聯での疑問から、頷聯は孟子の「性善説」、荀子の「性悪説」を並べる形ですね。
 「善偽」の言葉は、荀子の「人之性悪、其善者偽也。(人の性は悪なり、其の善なる者は偽りなり)」の句を受けての言葉ですので、充分通じると思います。

 「姦軌」「よこしまな行為、悪人」を表す言葉、「後天」は「先天」の逆です。
 ここは、「人間は本来、悪の心は少ないものだが、生きて行く中でよこしまな心を持たないように心掛けなければいけない」ということになります。
「性善」「性悪」と両極に決めるのではない所が日本的な感じですが、そうして考えると、題名の「如何」の意味が理解できてきました。

 「如何」は「手段・方法を問う」疑問詞、対して「何如」は「状態を問う」疑問詞です。
 前半は結論が出ない「疑問」の形でしたから、「人の本性はどうなのか」ということで、私は最初「何如」の間違いかと思いました。
 しかし、最後まで来ると、「生きて行く中でどんどん悪くなっていく人間の性を、どうしたら良いだろうか」と考えていけば、題名はこのままで良いことになりますね。





2022. 5. 7                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第76作は 地球人 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-76

  春雨        

嫩寒雪案煮茶鐺   嫩寒たる 雪案 茶鐺を煮る

慵出無端聴雨声   出るも慵し 端無く 雨声を聴く

窓外風多庭院寂   窓外 風多くして 庭院寂し

落花入眼待新晴   落花 眼に入り 新晴を待つ

          (下平声「八庚」の押韻)


<感想>

 以前は半年毎に調布の漢詩会にお邪魔していましたが、コロナになってもう二年、なかなかお会いすることが出来なくて寂しく思っています。
 このまま落ち着いてくれれば、夏頃には行けるかな、と期待しています。

 起句の「雪案」「雪に日の机の辺り」ということでしょう。
 この句だけを見ると、肌寒い春雪の日に茶釜でお茶を入れる、という画面が浮かび、味わいもあります。
 ただ、題名とか次の句を見ると「春雨」ですので、「雪案」は変ですね。この語は本来は「蛍の光、窓の雪」の故事で、「雪明かりの下で勉強する」、つまり「苦学」の象徴です。
 その努力型の言葉と承句の「慵出無端」というだらしなさも不釣り合い。「嫩寒一日」としておいてはどうでしょう。
 また、「慵出」「煮茶鐺」という風雅な行為とは合いませんので、「春雨無端聴滴声」でしょうか。

 転句も「聴雨声」から行くと窓を閉めているのでしょうから、急に窓の外の景色に行ったり、「風」が吹くのは疑問ではあります。ただ、結句に行くためには外を見なくてはいけませんので、仕方なしの展開ですね。
 風はひとまず削って、「窓外無人庭寂寂」とした方がブレが小さくなると思います。

 結句は「待新晴」に対して上四字の関わりが弱いですね。
 また、ここで「落花」ですと、雨ばかりの中で花(春)が終わってしまう、という感じで季節がズレてきます。
 ここの上四字は大切な所ですので、再敲をして、下三字と合うような素材を探してみてください。



2022. 5. 7                  by 桐山人



地球人さんから再敲作をいただきました。

    春雨
  嫩寒一日煮茶鐺
  春雨無端聴滴声
  窓外無人庭寂寂
  梅花不見待新晴


2022. 5.15                  by 地球人



 再敲作を拝見しました。

 私の不注意でした。承句と転句を別々に考えていて「無」の字が重複になってしまいましたね。
すみません。
承句の方を「春雨冥冥滴滴声」と変更しましょうか。

 結句は「不見」がいかにも説明的ですね。
「梅枝蓓蕾待新晴」として、梅のふっくらとした蕾が晴れを待っていると擬人化してはどうでしょう。


2022. 5.17                  by 桐山人






















 2022年の投稿詩 第77作は 一竿 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-77

  江上春        

三月丘園草色   三月 丘園 草色奄モ

村郊散歩一閑身   村郊 散歩す 一閑の身

古堤静坐看飛燕   古提 静坐 飛燕を看る

芳景光輝江上春   芳景 光輝 江上の春

          (上平声「十一真」の押韻)


<解説>

 近くの堤防を散歩の途中、水面にキラキラと日光が反射し、燕が菜の花の上を飛んでいる風景を見ての一首です。

<感想>

 川辺の景色は視界が広く、結句の「芳景光輝」というのはよく分かります。
 ただ、実際にどんな「芳景」なのかと言うと、書かれているのは「草色堰v「飛燕」だけですので寂しいですね。

 そういう視点で見直してみると、起句の「丘園」と承句の「村郊」、更に転句で「古堤」、結句で「江上」と全句に場所を表す言葉が入っていますね。
 また、場所がこれだけ出ていますので、「散歩」という言葉はもう要らないでしょうし、自分自身を出す「一閑身」も削れば削れる言葉ですね。
 こうして必要なものを残す形で整理し、空いた字数分だけ、実景を表す物を詩に入れることができるでしょうね。

 「江上春」の題ですから叙景に主眼を置き、スケッチの積もりで目に見えるものを沢山入れるような方向が良いと思いますよ。



2022. 5.11                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第78作は 川竹 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-78

  感遇        

立志敲門学一隅   志を立て 学の一隅の門を敲く

論交借問自鞭駑   交を論じ 借問し 自らの駑に鞭(むちう)つ

桜花紛散如風去   桜花 紛散し 風の如く去る

意気青雲笑我愚   意気 青雲 我の愚を笑ふ

          (上平声「七虞」の押韻)


<解説>

 志を立てて学問の一隅に入る。
 論じて問う、また自分の愚かさに鞭打つ。
 桜花は散り風の如く流れる
 意気あり 青雲 己の愚を笑う。

<感想>

 起句は「学の一隅の門」と読むのは無理矢理で、「志を立て 門を敲き 一隅を学ぶ」と述語を三つ並べて読むべきです。

 承句は「論を交はす」ならば分かりますが、「交を論じ」というのは何をするのでしょうか。
 また、「借問」は相手にちょっと尋ねるというニュアンスがあり、やや軽く感じます。「究問」「問話」などとしてはどうですか。
 下三字はこちらも「自らの駑」と飛んで修飾するのは無理で、「自ら駑に鞭つ」と訓じないといけません。
 この読みでも一応意味は通じますのでひとまず良しとしておきましょうか。

 転句は「桜花が風のように去る」という比喩はおかしく、「因風」「従風」とすべきです。
 ただ、桜が散ったということが学問に励むこととどう関連するのか、ただ季節を入れただけという印象で、この句だけ浮いています。
 桜への作者の気持ちとかが入ると違ってくると思いますが、現行ですと、この句は無くても構わないような状態で可哀想です。

 結句は「意気青雲」の語順ですが、「青雲の意気」ということでしょうね。
 最後の「笑我愚」は上四字とも繋がらないし、承句の「鞭駑」と同じ内容、常套な謙遜が繰り返されると鼻につきます。
 ここは「青雲」に相応しい結びを考え、前進するような内容にしなくてはいけません。
 そこを第一に考えれば、転句の桜に対してももっと前向きな見方が生まれると思いますよ。



2022. 5.13                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第79作は 遊雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-79

  五月郊行        

野性元嫌喧鬧巷   野性 元より嫌ふ喧鬧の巷 

青郊緩歩勝華車   青郊の緩歩 華車に勝る

交加桑葉垂幽蔭   交加の桑葉 幽蔭を垂れ

合抱梧桐立紫花   合抱の梧桐 紫花を立つ

新到杜鵑横碧落   新到の杜鵑 碧落を横(よこぎ)り

旧居蝸子向黄瓜   旧居の蝸子 黄瓜に向かふ

余生日課只行散   余生の日課 只だ行散

一路薫風亦可嘉   一路 薫風も亦た嘉すべし

          (下平声「六麻」の押韻)


<解説>

 以前一度 游雲の名で投稿したと記憶していますが・・・・これからもよろしくお願いいたします。

 定年後の薫風の時節、武州所沢市郊外の風景を詠んでみました。
 移転してきました三十数年前には。近所で雉が見られました。
 今でも鶯、杜鵑が西林で聞かれます。


<感想>

 遊雲さんは十五年振りの投稿ですね。
 お元気でいらっしゃることが何より嬉しいです。
 当時は独学で漢詩を作っていらっしゃるとのことでしたが、作詩を続けていらっしゃったのも、嬉しい限りです。
 旧友に十何年ぶりに再会できた、という思いです。

 今回は七言律詩ということで、充実振りが感じられます。

 まずは要の対句の所から見ましょうか。
 対応の語句を選んで配置し、画面を充実させる効果と、吟じた時のリズム感が対句の楽しみです。
 そういう点で素材配置などはよく考えていらっしゃると思います。
 リズムの点で問題がありますね。例えば、読み下しを見るとより分かり易いと思いますが、頷聯も頸聯もという読み下しになっています。
 ただ、頷聯と頸聯の二つの聯の四句はどれも「修飾語+主語+述語+目的語」という文構造になっていて、それは読み下しでも「□□の□□ □□を□する」となっていることでも分かります。
 せっかくの対句も、四句も同じような調子が続いては、逆に単調な繰り返しになってしまいます。
 頷聯と頸聯を対句にするならば、それぞれの聯で文構造に変化を持たせることが重要になります。

 更に言うと、下三字の「述語+目的語」の形は第二句にも見られますし、各句の六字目を見ていくと、「華」「幽」「紫」「碧」「黄」と形容詞が並び、色を表す字も同じ位置に並ぶことになります。

 律詩は句数が多いわけですが、対句を用いるために文構造が重なる関係から、単調さを避ける工夫をしないといけません。
 拾いあげた素材はどれも問題ありませんので、配置を考えて句に変化を出してみると良いと思います。

 あと、第一句は踏み落としですが、「嘩(譁)」を韻字にすれば出来上がると思いますので、できれば押韻しておきたいですね。



2022. 5.13                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第80作は 山麓人 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-80

  聴山月記朗読        

一虎叢中見篝灯   一虎 叢中 篝灯を見る

猛然襲撃不知朋   猛然として襲撃 朋と知らず

名文朗誦忘塵俗   名文の朗誦 塵俗を忘れ

哀怨生涯憫李徴   哀怨の生涯 李徴を憫む

          (下平声「十蒸」の押韻)


<感想>

 中島敦の『山月記』は私も教員の頃に幾度も朗読しました。
 他の教材は生徒に読ませることもありますが、この『山月記』と『舞姫』は私が自分で前編朗読しました。
 何故? 『山月記』は特に、こんな気持ち良い朗読を生徒に渡してたまるか、という単純な理由です。

 まあ、そういう意味では『山月記』朗読のベテラン(?)である私から言うと、今回の詩は、前半の場面がここで良かったかどうか、という点が第一ですね。
 お書きになったのは、虎になった李徴と友人の袁傪が再会する初めの部分、不思議な出来事ということでは分かりますが、それだけですと元になった『人虎伝』と同様で怪異譚で終ってしまいます。
 『山月記』という題名の意図も含めて、月に対して長嘯するしかない李徴の苦しみや悲しみを描かないと、最後の「哀怨生涯」という思いが浮いてしまいますね。
 ただ、この起句承句は物語の始まりを分かりやすく描いてもいますので、削るのも惜しいですね。かと言ってここで物語が終ると、『山月記』の内容を知らない方は、「虎が襲いかかって、どうなるのか?」という気持ちになります。

 頑張って、この二人の出会い以降の部分を書き加えてみてはどうでしょう。
 短編ではありますが、『山月記』の内容と自分の感想も入れて七言絶句にまとめる、というのはなかなか苦しいわけです。
 ストーリーをもう少し長くする、というくらいの軽い気持ちで句を追加してみて、そこから使える場面を取捨選択しても良し、いっそ律詩に挑戦してみようとしても良し、楽しみが長引くと思いますよ。

 注意点は、起句の六字目の「篝」は平声ですので「二六対」になっていませんので修正しましょう。
 もう一点は、転句の「忘塵俗」という感慨と、最後の「憫李徴」という気持ちが噛み合っていません。
 転句の方に作者の気持ちを入れないように、「朗誦」の様子とか場面を表す形にしておかないといけないですね。

2022. 5.26                  by 桐山人



山麓人さんからお返事をいただきました。

 ご感想とご指導をありがとうございました。

「山月記」は高校時代の教科書にあり、読むのはそれ以来でした。
たまたま聴いた朗読CDで難しい語句がわからなく、改めて本文を読み、「山月記」の世界に引きこまれました。

 今回興味を持てたのは、漢詩を勉強していたからだと思います。
 CDを何度も聞き直し、読み直したりして「聴山月記朗読」を作詩しましたが、自分でも「足らない感」は有りました。

 律詩を作詩したことは有りませんが挑戦してみます。
 作詩の楽しみが増えました。

 ありがとうございました。

2022. 5.29                  by 山麓人
























 2022年の投稿詩 第81作は 国士 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-81

  春暮辛夷        

辛夷花満朶   辛夷花朶に満つ

雲萼若光明   雲萼 光明の若し

孤鳥啼村落   孤鳥 村落に啼く

花時感慨生   花時 感慨生ず

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

 木蓮の花が枝に満ちている
 雲のような花が夕日の光を浴びて光かがやいているようだ
 一羽の鳥が村里で啼く
 花の咲く季節に深く感じて感動する


<感想>

 春の詩ですので、掲載が遅れてすみません。
 辛夷の花が夕ぐれの中で浮かび上がるように開いている様子を描いたものですね。

 起句と結句の「花」が同時重出、どちらを削るかは推敲過程で判断ですね。

 内容面では、承句の「雲」が気になります。これは「雲」がかかったように枝に花が重なっていることを表すわけですが、花の量という点では起句で「満朶」ともう言っています。つまり、同じことを言い直しているわけです。
 起句が、例えば花の色とか場所とか香りとか、つまり数の多さ以外の形容ならば良いのですが、字数の少ない五言絶句でわざわざ繰り返すのはどうでしょう。

 また、承句について更に言えば、「雲」は直接比喩を表す「若」「如」などの語はありませんが、これ自体も当然比喩ですので、「雲のような蕚が光明のようだとなり、実体が見えない表現と言えます。
 「若光明」も分かりにくいので、この下三字は比喩を避けて、「暮天明」のような形がよいでしょう。

 転句は「孤鳥」ですので、一般には寂しさの象徴として使われますが、この詩の場合は必要かどうか、実景と言われればそうでしょうが、ここは花を楽しんでいる形で良いと思いますので、「閑歩春郊径」と作者を登場させてはどうでしょうね。

 結句は「感慨生」が単調で、どんな感慨が生じたのか、その内容が分かるようにしないと詩にはなりません。
 この言葉は詩の前半に使うならば効果がありますが、これで詩をまとめるとなると、その前によほど叙景が整わないと難しい言葉で、例えると食レポで「おいしい」と言ってるだけのようなもの、読者には気持ちが伝わってきませんね。




2022. 5.26                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第82作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-82

  雪中観梅        

六花萬點映清晨   六花 万点 清晨に映える

庭院紅梅一朶新   庭院の紅梅 一朶新らし

未察流鶯風度樹   未だ樹を渡る流鶯の風察(み)えず

四圍幽寂復迎春   四囲 幽寂 春を迎える

          (上平声「五微」の押韻)


<解説>

 年末の大寒波によって、一晩で我が家は雪で覆われました。

<感想>

 緑風さんからは昨年末の雪景色を詠んだ詩をいただきました。

 全体に読み下し文にややミスがありますので、そこを先に直しておきましょう。

 起句は「映」ですが、「映える」とするなら正しくは「映ゆ」、ここは「映ず」と読んだ方が良いですね。

 承句は「新」の送り仮名ですが、「新し」が基本です。

 転句は本文自体にも疑問がありますが、このままで読むとすると、「未だ流鶯の風樹を度るを察えず」、あるいは「未だ流鶯を察ず 風は樹を度る」、倒置で読んでおいた方が分かりやすいですが、「未だ察えず 流鶯の風 樹を度るを」などですが、「流鶯風」という風を私は知りませんので、言いたいことがはっきりせず、読みに反映できない状態ですね。

 結句は「迎える」では現代語ですので、古典活用で「迎ふ(う)」とします。


 転句以外の句は情景のはっきり見える句になっていますが、転句で急にモヤモヤして、意図が伝わらない印象ですね。
 「鶯」「風」のどちらかに絞って句を作ってはどうでしょう。



2022. 5.26                  by 桐山人



 緑風さんから推敲作をいただきました。

    雪中観梅(再敲作)
  六花萬點映清晨   六花 万点 清晨に映ず
  庭院紅梅一朶新   庭院の紅梅 一朶新し
  未察初鶯暗香僅   未だ初鶯察えず 暗香僅か
  周圍静寂復迎春   周囲静寂 又春を迎ふ

2022. 6.10                  by 緑風


 転句ですが、「未」とあれば「初」は実は要らないわけで、重複感があります。
 「未聽鶯聲」とか、逆に「不見初鶯」の方がすっきりします。

 改めて見直してみますと、「周囲静寂」を転句に置いて前半で雪の様子を述べ、春の気配を後半にまとめた方が、最後の「復迎春」への流れが良くなるかと思いました。

2022. 6.15                  by 桐山人






















 2022年の投稿詩 第83作は 游雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-83

  盍簪筵        

同榜盍簪華筵開   同榜 盍簪して華筵開き

暫時凝視旧容回   暫時 凝視すれば旧容回る

酔談時歇感星暦   酔談 時に歇めば 星暦を感じ

措大青春彷彿来   措大の青春 彷彿として来る

          (上平声「十灰」の押韻)


<解説>

 大学同期が約五〇年ぶりに集まりました。
 会面してもすぐには認識できませんが、暫らく見詰めていると昔の容貌が蘇ります。
 酒も入り色々語り合うものの、ふと会話が中断すると、歳月を感じて、昔の貧乏学生の当時が思い出されてきました。

<感想>

 「盍簪」は「友人を寄せ集める」、「友人が急いで集まる」という言葉ですが、五十年振りということですと、幹事をされた方が随分と骨を折られたのでしょうね。
 起句は「筵」が平声ですので、せっかくですが「宴」としておきましょう。
 二字目の「榜」は「立て札」の意味の時は仄声ですので、こちらは良いですね。

 承句は会での様子ですね、「いかにも」という感じで、これぞ実景描写というところですね。
何を「凝視」したのかを書くならば、「暫時」「蒼顔」とする手もあります。

 転句は下三字、「感星暦」で過ぎた歳月ということのようですが、そのことは承句でも同じ感慨を述べていますね。
 ここでは「時」も重出していますので、この句は宴の楽しそうな様子を描く方向で作り直すのが良いと思います。
「酔談」は良いですので、「笑語」「高歌」などの語を入れるようにすると、結句の「青春」の語が生きて来ると思いますよ。



2022. 6. 6                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第84作は 游雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-84

  五月新晴        

浴雀喜声行潦中   浴雀の喜声 行潦の中

紫陽潤色映幽叢   紫陽の潤色 幽叢に映ず

四時一様山村径   四時一様なり 山村の径

五月新晴便不同   五月の新晴 便ち同じからず

          (上平声「一東」の押韻)


<解説>

 五月の通り雨の通過した村道の風景です。

   道中の水たまりには晴れを喜ぶ雀が遊び、
   濡れて色を濃くした紫陽花は日に映える。
   四季を通じ変わりばえしない村里の径も、
   五月の雨の晴れた直後は普段と違い、趣ある風景である。



<感想>

 幾つか気になる所が今回の詩ではありますね。

 まず、「浴雀」ですが、水を浴びている雀のことでしょうか、先に水たまり(「行潦」)を出しておいて、雀を主語として「浴びる」とするなら分かりますが、いきなりでは風呂上がりの雀としてしか読めませんね。
 語順を入れ替えるべきですが、「喜声」もありますので、「浴」が必要かどうか、「遊雀」ではいけないのか、を考えましょう。

 承句の「紫陽」は神仙界を象徴する言葉で、白居易がアジサイに「紫陽花」と名付けたのも、仙人の処に在るのがふさわしいと考えたからでもあります。
 現在では広く知れ渡って、「紫陽」だけでもアジサイを指すとは言えますが、できるだけ「紫陽花」という形にした方が良いです。
 この場合ならば「紫陽花色」とか「紫花潤色」とできますので、そちらが良いですね。

 転句は、四季の変化が無いとして「山村径」としましたが、秋の山村、春の山村などの詩を作るわけで、四季の変化はありますね。
 もう少し田舎の趣を出して、「僻村」とした方が、結句への流れが良いでしょう。



2022. 6. 7                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第85作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-85

  懐昭和広告  其二        

問世新提示   世に問ふ 新たな提示、

為家大麗扉   家を為して 大きな麗しい扉あり。

試行初出版   試行して 初めて出版し、

不惑自権威   不惑にして 自ら権威たり。

止手黄金憩   手を止める 黄金に憩ひ、

充杯琥珀輝   杯を充たす 琥珀の輝き。

深懐男四十   深く懐ふべき 男四十にして、

漸至認知違   漸く違いを認知するに至るを。

          (上平声「五微」の押韻)


<解説>

 私が中学生の頃だったと思います。
 当時インスタントコーヒーの宣伝に遠藤周作先生が出ていて、違いが分かる男がキャッチフレーズだったと思います。
 子供心に違いが分かる男はかっこいいな〜と思っていました。
 ダバダーダーバ〜ダバダ〜とか言いながら違いの分かる男を意味も解らず憧れていました。

 もうとっくに50も過ぎたのですが、いまだに違いが分かるのだか分からないのだかわかりません。
 少年時代を懐かしみながら詩にしてみました。


<感想>

 昨年いただいた「憶昭和広告」の続編ですね。

 全体が、凌雲さんがこのコマーシャルを見ていた頃に、思い描いていた未来像という設定ですね。
 若くして世に認められ、御殿のような家に住み、本を出せばベストセラー、四十の時にはもう大家、黄金に囲まれ美酒に酔う、それが「憧れの違いの分かる」生き方と思っていたこと自体が、確かに「昭和」の匂いではありますね。

 三句目の「試行」「壮年」に、第七句の「四十」は先に年齢を表す言葉を出してますので別の語にした方が良いですね。



2022. 6.13                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第86作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-86

  三寒        

南関住港街   南関 港街に住み、

凍縮羞東北   凍縮 東北に羞づ。

起熱故震身   熱を起こそうと 故さらに身を震はせ、

風吹寒是極   風吹けば 寒 是に極まれり。

          (入声「十三職」の押韻)


<感想>

 こちらの凌雲さんの詩は、次の「四温」の詩と併せて読んでいただくと良いですね。

 前半は、温暖な港町に住んでいるのに寒さに縮こまっていることを、寒さの厳しい東北地方の人に恥ずかしく思う、という内容で、これを十字の中に収めたのは凄いですね。
 転句はもう少し変化を出して、頑張って外出したぞ、という感じが面白いと思います。



2022. 6.14                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第87作も 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-87

  四温        

雪後縮三寒   雪後 三寒に縮み、

晴天伸四暖   晴天 四暖に伸ぶ。

東風淑淑吹   東風 淑淑と吹き、

列島春縦断   列島 春は縦断する。

          (上声「十四旱」の押韻)


<感想>

 前の「三寒」の詩の寒さから、緩んで来て春が広がっていく感じが出ていて、面白いですね。

 第三句の「淑淑」「清らかで美しい(女性)」を表しますが、「肅肅」「慎重に身を引き締めて」の意味の方が良くないですかね。



2022. 6.14                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第88作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-88

  秋夜読書        

秋夜竹風蟲語悲   秋夜 竹風 虫語悲し

一燈孤読少陵詩   一燈 孤り読む 少陵の詩

百年多病豈無愧   百年多病 豈に愧無からんや

樗櫟寿長心自夷   樗櫟 寿長 心自ら夷らかなり

          (上平声「四支」の押韻)


<解説>

 秋の夜、風にそよいで音を立てる竹、悲しげな虫の声も聞こえる。
 燈火の下、一人杜甫の詩を読む。
 杜甫の詩にあるように、長い人生ずっと病気がちだった我が身を思うと、恥ずかしい限りである。
 しかし、何の役にも立たないニワウルシやクヌギが命を全うするという荘子の思想を読んでは、自ずと心慰められる気持ちになるのだ。

<感想>

 それぞれの句で見ると良いのですが、詩全体で考えると、言いたいことがどうもすっきりしませんね。

 起句は良いですが、承句は「一」「孤」は重複です。「一燈」「少陵詩」とあって、更にわざわざ「読」と言う必要があるかも疑問です。

 転句は「百年多病」自体は杜甫の詩句ですが、そのままなぞるのではなく、恕水さんご自身はまだお若いわけですから「半生」くらいが共感を得ると思います。

 ここで「豈無愧」と反語を使いますので、意味としては「恥ずかしい気持ち」が強調されるわけですが、その「愧」は荘子の「役に立たない樗櫟だからこそ長生きできる」という言葉で解消されるわけですが、杜甫の別の詩ならばともかく、荘子となると、どうもここが無理矢理くっつけたような感じがしますね。

 また、「愧」を解消できたとすると、杜甫の詩は否定されるために引用されただけという扱いになります。優劣を競うわけではありませんが、結論として「杜甫の詩を読んで自分も恥ずかしい気持ちになったが、荘子の発想に救われた」となってしまいます。
 杜甫の詩を読んだ、ということでしたら、その深い憂愁を受け止めて、他の方向に転嫁しないのが杜甫への敬意となると思います。



2022. 6.23                  by 桐山人
























 2022年の投稿詩 第89作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2022-89

  四神守南京城     四神が南京の町を守る   

金陵北部道桜繁   金陵の北部 道に桜繁る

玄武紅山白虎存   玄武の紅山に白虎存す

朱雀無姿湖沼穏   朱雀 姿無けれども 湖沼穏やかなり

青龍不見静川鴛   青龍 見えざれども 静川に鴛あり

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

 南京の北部、道には桜の木がたくさん植えられている。
 玄武区の紅山動物園には、白虎が飼育されている。
 朱雀の姿は無いけれども、湖沼は穏やかである。
 青龍の姿も見えないけれども、静かに流れる川には鴛の姿があり、四神が南京の町を守っている感じがする。

 奈良県明日香村のキトラ古墳に行き、四神の壁画を見たときに南京を思い出して作りました。

<感想>

 「玄武」「白虎」の流れから「四神」へと読者を引っ張りたいという狙いでしょうが、「朱雀」「青龍」に関わる物が見えたならともかく、どちらも「無姿」「不見」というわけで気合いが抜けます。

 対句で描くことも逆効果で、却って存在しないことを強調するだけになっています。
 転句に「朱雀青龍雖不見」とまとめて、結句に町の様子を描くだけでも十分でしょう。

 その場合も、「穏」「静」と形容詞一つで簡単に述べるのでなく、起句の「桜」のように具体的な物で描いて欲しいですね。





2022. 6.25                  by 桐山人