2021年の投稿詩 第181作は 地球人 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-181

  送春        

残桜明媚杜鵑声   残桜 明媚 杜鵑の声

散策庭中詩思清   散策 庭中 詩思清し

一陣尖風花乱落   一陣の尖風 花乱れ落つ

蕭然小院惜春情   蕭然たる小院 惜春の情

          (下平声「八庚」の押韻)


<感想>

 前半で晩春ののどかな趣、後半になるとやはり同じ晩春ながら「惜春」という形で逆の気配を出して、対比を狙っていることがよく分かります。

 ただ、いきなり「桜」と来ると、晩春とまでは考えにくく、「杜鵑」も「鶯」の方が合いそうに思います。
花の名前を特定せずに「残花」とし、転句は別の語を用いるようにしてはどうでしょう。
 また、対比がちょっと露骨かな、という感じも否めません。
 例えば、承句で「庭中」、結句で「小院」と場所を表す言葉が重なる点、また「詩思C」「惜春情」が心情語を末尾に配置したのも原因でしょう。
 結局、前半と後半が別々の詩のように感じられてしまいます。

 心情については、両立させるのではなく、どちらかにした方が良いでしょうね。
 そうなると、やはり「惜春情」が主になるべきですので、前半を直す方向が良いです。
 起句は「残花明媚柳枝明、承句は「腸斷杜鵑何處鳴」のような感じでしょうか。

 転句は「一陣尖風拷A動」と考えられますが、結句の「蕭然」に導くような下三字を探してみてはどうでしょう。



2021. 6.22                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第182作は 石華 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-182

  初夏散策        

菁莪郁郁戦林光   菁莪郁郁として 林光に戦ぎ

日午新陰添一涼   日午(じつご)の新陰に 一涼を添ふ

時有鳥聲詩境徑   時に鳥声有り 詩境の径(こみち)

風五月此山郷   風青き五月 此の山郷

          (下平声「七陽」の押韻)


「菁莪」: 「著莪」(シャガ・●〇)です。二字孤平になるので別称にしました。
「林光」: 林を抜ける光、木漏れ日です。
「風青」: 秋に使う「風白く」をアレンジしました。さわやかな薫風のつもりですがどうでしょう。


<解説>

 起句〜承句は何時もの散歩道で、ありふれた地味な感じです。
 結句もおとなしいのですが、ちょっとだけ工夫しました。

<感想>

 七言句ですので、「二字目の孤平」は気にしなくても良いですので、お気に入りの言葉の方で決めれば良いでしょう。

 全体にまとまっていて、順に視覚・触覚・聴覚と変化させる展開も素直だと思います。

 結句は初夏ですので、「五月」ではなく「四月」「風」の語も自然で違和感なく通じます。
 「此山郷」ですが、この結びが効果を出すのは、これまでの表現で具体的な情景が読者に伝わっている、という信頼にかかっています。
 インパクトを強くしたいならば、「此」とか「此山」をもう少し意味のある言葉に換えてみるのも一つの方法です。
「故山」「麗山郷」「夏初郷」など、色々と考えられると思いますよ。



2021. 6.22                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第183作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-183

  七十八翁索居書懐        

曾水津頭此索居   曾水津頭 此に索居す

荊門茅舎則吾廬   荊門茅舎 則ち吾が廬

功名富貴雖無分   功名 富貴 分無しと雖も

寧日閑時猶有餘   寧日 閑時 猶ほ餘り有り

執耒朝餉加野菜   耒を執り 朝餉に野菜を加へ

垂緡夕食副河魚   緡を垂れ 夕食に河魚を副ふ

老來去事夢還夢   老い来れば 去事 夢還た夢

何忸殘生甘櫟樗   何ぞ忸えん 残生 檪樗に甘んずるを

          (上平声「六魚」の押韻)


<感想>

 木曽川の畔で暮らしていらっしゃる真瑞庵さんの悠然とした姿が伝わりますね。

 第三句の末字「分」は平仄両韻字、唐代の詩にも「雖無分」は幾つか同じ用例が見られますね。
 「分ける。分かつ」は「上平声十二文」、「身分、本分、区分」は仄声という形で使われ、「雖無分」はここでは「分け隔ては無いと言うけれど」というところですね。

 第五句の「餉」は仄声、「飧」は平声ですが夕食の意味ですので、朝ご飯ということですので「饔」が良いでしょうね。

 第八句の「櫟樗」「クヌギとニワウルシ」ですが、「役にたたない(木材)」という意味で使われる言葉です。
 「忸」は読み方が難しいですね。「忸怩(じくじ)」として使われますが、意味は「はじる」ですので、「忸ぢん」でしょうか。



2021. 6.24                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第184作は 石華 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-184

  春耕        

雨餘卒卒荷鋤行   雨余 卒卒として 鋤を荷ひ行けば

小圃荒蕪雉一聲   小圃は荒蕪 雉一声

歳久客衣無刈草   歳久客衣 草を刈ること無し

今朝新笠竝妻耕   今朝は新笠 妻と並び耕す

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

 一年以上前の作。先生の感想を拝見しての再敲です。
 長年の単身赴任が終わり、家庭菜園を手伝いだした頃の思い出です。

 ほのぼのとした感じに読んでもらえれば嬉しいです。
 ただ「妻」という語を使うのは照れくさいですね。

<感想>

 以前の作品ということですが、一年前の「春畦」でしたね。
 三稿まで進めた作品でしたので、四敲作ということになりますね。
 題名も初案の「春畦」から二敲、三敲は「歸耕」となっていましたが、今回は「春耕」で「春」が戻りましたね。

    歸耕(三稿作)
  雨餘裹飯迫妻行   雨余 飯を裹み 妻に迫られ行けば
  小圃荒蕪雉一聲   小圃 荒蕪 雉一声
  歳久客衣不問處   歳久 客衣 処を問はず
  今朝新笠汗春耕   今朝 新しき笠 春耕に汗す

 三稿では「迫妻」という状況でしたが、今回は「竝妻耕」ということで、共同作業になりましたね。
 仰る通り、「ほのぼのとした感じ」が伝わって来ます。
 その関連で、起句に「卒卒」という言葉を入れましたが、意味は「あわただしい」「いそがしい」ということ、私は「そわそわ」「いそいそ」という感じに理解しました。
 つまり、奥様と一緒に農作業に出かけるので、気持ちがウキウキしているということを「卒卒」で表したいという狙いでしょう。



2021. 6.25                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第185作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-185

  閑坐漫吟        

三上三多我所親   三上 三多 我が親しむ所なるも

閑堂執筆苦吟頻   閑堂 筆を執れば 苦吟頻りなり

不如聊進杯中物   如かず 聊か杯中の物を進むるに

醉夢一篇應入神   酔夢の一篇 応に神に入るべし

          (上平声「十一真」の押韻)


<解説>

  寝床にトイレに通勤時 たくさん勉強してるけど
  いざ落ち着いて筆とれば どうにも言葉が出てこない
  ちょっと一杯引っ掛けて 仕切り直しといきますか
  酔って夢みて出来た詩は 神ってるはずと思いたい


 在宅勤務の機会も増えてきましたが、その分、家に居る時間が増えても、
 そうかといって特に筆が捗るわけではないのが惜しいところ。
 個人的な「三大詩が進むところ」は「入浴中」・「散歩中」・「通勤中」なので、
 残念ながら、ステイホームは詩作にはプラスとなっていないようです。



<感想>

 観水さんの詩作の姿が窺われ、「苦吟」と来たところで、つい嬉しくなりますね。
 私も在職中は「通勤の時間」が一番詩作に適していたのですが、退職後は「中国旅行での移動時間」が一番有効な時間でした。
 コロナの関係で出かけることがなくなり、詩作のスタイルを変えないといけないのでしょうが、なかなかうまくいきませんね。

 承句の「閑堂」は起句の「三上」があるので、また「場所」となります。
 例えば、「得閑」として、場所ではなく、タイミングの話にすると、リズムも良くなるように思いますが、どうでしょうね。

 結句は共感します。
 酔った時、夢の中、そういう時に頭に浮かんだ一句は、どちらも醒めると、跡形もなく消えてしまい、絶対に素晴らしい句だった筈なのに、と口惜しい思いを私も幾度もしました。




2021. 6.26                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第186作は 石華 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-186

  越前岬        

聯筇岬角北風號   筇を聨ぬる岬角は 北風号び

億萬水仙頽岸撓   億万の水仙 頽岸に撓(みだ)る

請看巖冬夕陰海   請ふ看よ 厳冬 夕陰の海

狂濤捲堕更狂濤   狂涛捲き堕れ 更なる狂涛

          (下平声「四豪」の押韻)


<解説>

 「更狂涛」を先に決め、初めて使う「四豪韻」だったので難しかったです。
 越前海岸で詩を作りたい場所がたくさんあるのですが、海に関する詩、詩語があまり見つかりませんので、日本の先輩方の漢詩から、集めたいと思っています。

<感想>

 前半は雄大な景で、特に承句の「億萬水仙」が迫力のある描写になっていると思います。

 転句は「請看」と、誰か看て欲しいということでしょうが、結句の「狂濤」の力強さに対しては、他人に委ねるのではなく、自分の行為として描いた方が良いと思います。

 海の詩が少ないのは、中国の古代の人々にとって「海」は遠い存在、詩興を誘われるようなものでは無かったからですね。
 その影響で、日本人の詩にも海の詩は少なくなりました。お手本とする中国古典詩の中に海に関する「詩語」が少ない、ということで、自分で「海」に対して詩心をかき立てることから始めなくてはならなかったという事情があります。
 日本は海への関心が高く、日が昇るのも日が沈むのも海という地域も全国的には多いわけで、是非、石華さんも新しい世界を切り拓くつもりで頑張ってください。

2021. 7. 4                  by 桐山人



石華さんから推敲作をいただきました。

    越前岬(再敲作)
  月蒼岬角北風號   月蒼き岬角 北風号び
  億萬水仙頽岸撓   億万の水仙 頽岸に撓(みだ)る
  放眼懸崖側身海   眼を放つ懸崖 身を側(そば)む海
  狂濤捲堕更狂濤   狂涛捲き堕れ 更なる狂涛

「放眼」: 遠くを見やる。
「側身」: (恐くて)身が縮む。

 転句の修正に関して、起句の冒頭を時間がわかる言葉に入れ替えました。転句は句中対で読みましたが、「懸崖に眼を放てば」と読むべきかと悩んでいます。
 句の内容は、いただいたアドバイスに沿っていますかどうか。


2021. 7.12                  by 石華




 夕暮れから夜に画面が変わり、景色としては初案よりも凄絶さが増したように思います。
 研ぎ澄まされたような緊張感が伝わります。

 転句の変更も、句中対で良いリズムになっていると思います。
 ただ、「側身海」は時刻が夜になった分、かなり危険が増しますので、実際の景とするとちょっと引いてしまう感はありますね。

 転句で句中対、結句で「狂濤」の繰り返しと修辞技法が重なるのも、ややくどいかなと思います。
 句中対にこだわらずに、下三字を考えるとよいでしょうね。

 なお、読み下しは「眼を懸崖に放たば」、また「側(そば)むる」と読みますね。

2021. 7.23                  by 桐山人



石華さんからお返事をいただきました。

    越前岬
  月蒼岬角北風號   月蒼き岬角 北風号び
  億萬水仙撓頽岸   億万の水仙頽岸に撓る
  眼放亂礁白冥海   眼を乱礁に放たば 冥海に白く
  狂濤捲堕更狂濤   狂涛捲き堕れ 更なる狂涛

「乱礁」: 海中に秩序なく乱れ立つ隠れ岩。

 アドバイスをいただいて、最近、対句・句中対・一句内での同字の使用に、こだわっていたことと、訓読・送り仮名の活用形も不勉強なことに気付きました。
 転句の「放つ」の已然形を教えていただくまでは「放てば」と思っていました。反省すべきことが多すぎてがっかりしましたが、悩み多き漢詩が面白くて、まだまだ頑張れます。
 転句は句中対を止めて、素直な表現に変更しましたが、ひとつ心配なことは、「冥海に白く」が「白き冥海」とも読めそうなことです。「白く」は「乱礁」と「狂涛」のつもりですが。

2021. 8. 5                  by 石華























 2021年の投稿詩 第187作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-187

  端午若武者 其一        

青波鹿道分   青波 鹿道別れ、

岡野只流雲   岡野 只流雲あるのみ。

走馬軽風入   馬を走らせれば 軽やかに風入り、

嘶声散鵯群   嘶き声 鵯の群れを散ずる。

          (上平声「十二文」の押韻)


<感想>

 端午の節句の武者人形を見てのイメージでしょうか。

 前半はそれにしても、言いたいことが何なのか、よく伝わって来ませんね。
 特に五言ですので、主となるものを逃さないようにしないと、言いっぱなしで後は読者まかせになってしまいます。

 後半は話は分かりますが、結句は疑問です。
 馬の「嘶声」となると、若武者はどうでも良くなりますね。ここは若武者の声でないと詩が散漫になります。
 「鵯」は「ヒヨドリ」ですと和習のようで、漢語の意味としては「みやまがらす」「はしぶとからす」「こくまるがらす」など、辞書によって違っていますね。



2021. 7. 4                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第188作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-188

  端午若武者 其二        

兵時将小軍   兵時 小軍を将(ひきい)る、

初陣想姫君   初陣 姫君を想ふ。

遠的研弓術   遠的 弓術を研き、

難修儒学文   儒学の文を修め難し。

          (上平声「十二文」の押韻)


<感想>

 こちらは「若武者」の内容で一貫していますので、意味はよく分かります。
 ただ、だからどういうことを言いたいのか、つまり、作者の伝えたいイメージはぼやけている気がします。

 例えば、起句は人形を眺めながら、「この若者は戦になれば小軍を率いるのだろうなあ」と想像するのは良く分かりますが、その場合の若武者は「凜々しい」という感じですね。
 対して、承句で「初陣で姫君を想う」と来ると、どうしても軟弱な貴公子としか読めず、起句のイメージが崩れます。

 転句でもう一度、「武者」の姿を出すのですが、また結句で「勉強嫌いな駄目息子」と突き放す。
 作者としては、武者の「若者」である部分を両立するものとして描こうとしているのでしょうが、一つイメージを出しては裏切り、一つ出してはまた裏切る、という形で、読者は非常にはがゆい思いをします。
 欲張らずに、まずは大きなイメージ(例えば、若武者の凜々しさ)を出しておいて、でも「若者だからこんな面もあるだろうね」と一つ投げかけるくらいのバランスが良いと思います。



2021. 7. 4                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第189作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-189

  白馬遅春        

白馬青山遠   白馬 青山遠く、

杉風擽鼻腔   杉風 鼻腔をくすぐる。

蜜蜂過啓蟄   蜜蜂 啓蟄を過ぎ、

雪水合東江   雪水 東江に合する。

噪軒遅春喜   噪軒 遅春の喜び

同巣乳燕双   同巣 乳燕の双(つがい)

日高猶就夢   日高くして猶夢に就く、

果未閉綺窓   果たして未だ綺窓を閉ざす。

          (上平声「三江」の押韻)


「乳燕」 :子育て中の燕
「綺窓」 :女性のきれいに飾った部屋の窓

  <解説>

 白馬の地名の由来は、遠く多分北アルプスだと思うのですが、白く馬の形に雪が残る事に由来するのだそうです。
 丁度今頃でしょうか?

 自分の春の詩と言うと霞がかかったようなぼんやりした詩が多いということに気づきました。
 今回も例外ではないですね。

 女房が若い頃、母方の実家の長野県白馬に養生していたことを聞き、その話に題材をとりました。
 少なくとも自分は(と言うか書いている時は)いい詩になりそうだと思いながら筆を振るっていますが、熱が冷めると大したことないかなとも思えるのです。
 そこのところ人は見てどう思っているか?
 気にならないと言えば嘘のなります。

 女房も忙しいらしくて、なかなか漢詩に取り掛かろうとしません。
 暇が出来たら書いてくれるのを待つことにしましょうかね。
 今後よろしくお願いします。

<感想>

 首聯は分かりやすい内容になっていますね。

 頷聯は「過啓蟄」「合東江」の対は感心しません。「啓蟄」という季節情報はもう不要ですので、ここは蜜蜂が飛んでいる場所、「草径」「草野」などでしょうか。

 頸聯は上句で「噪軒」の主語を示さないと、誰が騒いでいるのか、また、「遅春」でどうして喜ぶのかが分かりません。
 「噪軒燕雛喜」としておき、下句の方を検討してはどうでしょう。

 尾聯は、窓をまだ閉じて朝寝坊ということですと、前半の春景はどこから見たものでしょうか。
 頸聯までの春が到来したイメージから、どうしてこの結びになるのか、奥様の子どもの頃の姿を想定すると、尚更分かりにくいですね。
 せっかく整えてきた律詩が、この二句で「ぼんやりとした詩」になっています。
 詩の流れを意識すると、随分まとまりが違ってきますよ。

 奥様の作詩については、私の感想が遅いのも筆が進まない原因かもしれませんね。済みません。
 詩が出来た、という時に間髪入れずにアドバイスが届くとやる気が出るかもしれません。
 次回は最優先で早く見ますので、お待ちしています。



2021. 7. 4                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第190作は 国士 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-190

  初夏即事        

小苑梅天昼   小苑 梅天の昼

暫時耽沈吟   暫時 沈吟に耽る

笛聲何許聽   笛聲何許より聴こゆ

不識感哀音   識らず 哀音に感ずるを

          (下平声「十二侵」の押韻)


<解説>

 公園で昼間、梅雨空の下。
 しばらく、考えることに耽っていたが。
 すると、笛の音がどこからか聴こえる。
 誰か知らないが、心を切なくさせる音に感じた。


<感想>

 五言絶句という字数の少ない型式ですので、余分な言葉を出来るだけ削って、情報量を増やすことが大切ですね。
 読んで行くと、「梅天」とありますが、梅雨の様子が少なく、逆に転句の「何許聽」や結句の「不識」は必要かどうか、叙景に変えれないか、そこを検討すると良いですね。

 転句からの笛の音色は作者の心境と重なっていて効果的ですが、現代という時代では、「雨の日の昼間に公園で笛の音を聞く」ということはあまり経験しにくいことになりましたね。
 古典的な趣を出す、ということと現実感の弱さは裏表でもありますので、ここに何か別のものを見つけられると、現代の漢詩が生まれてくると思いますよ。

 なお、承句の「沈」は平声ですので、平仄が合いませんので、ここは直す必要があります。





2021. 7.23                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第191作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-191

  反貧困学習  
   ―― 大阪府立西成高校実践――   

無視教員廃嚝児   教員を無視する 廃嚝の児

門人財宝先生思   門人は財宝なり 先生の思ひ

断裁貧困呈標指   貧困を断裁する 標指を呈(しめ)す

意欲眼光参学姿   意欲の眼光 参学の姿

          (上平声「四支」の押韻)


<解説>

 かつて教育困難校と言われた大阪府立西成高校。
「生徒は未来を築く宝である」の思いのもとに 教師が一丸となって取り組んだ。

 授業が成立しない原因としては貧困が大きな要素である。
「反貧困学習」と題し、貧困の原因、貧困を脱するには・・等々に焦点を当てて指導すると、子どもたちは目を輝かせ意欲的に学習するようになった。

(学校の実態、教師の悩み、取り組み等を通してのTV報道を視て作詩した)

<感想>

 私はこのテレビ番組は見ていませんが、教育困難な場面で、授業の内容だけでなく生徒の環境(貧困)を見据えての指導がよく分かりました。
 粘り強い教員の取り組みがあってのこと、共感した茜峰さんのお気持ちも伝わる内容です。

 起句が「困難だった現場」、承句が「そこでの教師の気持ち」、転句で「具体的な対策」、結句で「その成果」という流れで、整ったレポートを見ているような展開ですね。
 しかし残念ですが、七言絶句では字数が足りない、工夫して表現されていることは分かりますが、「解説」を読まないと理解できない部分も目立ちます。

 起句は「廃嚝」がよく分かりません。「嚝」は「叫び声、太鼓や鐘の音」です。意味としては多分「荒廃」でしょうか、これならば「四字目の孤平」「二六対」の平仄の問題も解消します。
 ただ、「無視教員」だけで混乱した現場を表すのは一面的ですので、「黌室荒蕪蔑業兒」と広く述べておく形が良いでしょう。

 承句は「門人」は現代の高校生を表すのにはあまりに古臭い印象ですし、「財宝」も率直過ぎるでしょう。
   末字の「思」は名詞用法では仄声ですし、平声だとすると「下三平の禁」を冒すことになりますし、「先生」も起句の「教員」と重複していますね。
 上平声四支韻に「貲」という字がありますので、これを使って、「將爲年少未來貲」とした方が、言えることが増えますね。

 結句は生徒に変化が表れたことを言うわけで、これは結果だけを言っていますので、「意欲」「眼光」のどちらを残しても良いですので、変化が分かるようにしたいですね。



2021. 7.24                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第192作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-192

  詠長崎・広島  其一        

色滅花消只失聲   色は滅し 花は消え 只だ声を失ふのみ、

爆風疾走断人営   爆風の疾走 人営を断つ。

当時試問皆焦土   当時 試みに問へば 皆焦土、

社殿残門一脚迎   社殿の残門 一脚にして迎ふ。

          (下平声「八庚」の押韻)


<感想>

 凌雲さんから以前にいただいた作品ですが、八月が近づいたら掲載しようと思っていたものです。(決して掲載が遅れた言い訳ではありません・・・今回は)
 写真も送っていただき、対象が分かるようにとご配慮いただきました。

 こちらの詩は、結句の「社殿残門一脚迎」からも分かるように、長崎の一本柱鳥居を中心に据えたものです。
 爆心地から南東900メートルほどにある山王神社は、1945年8月9日の原爆投下により社殿は壊滅し、元々は参道に四つあった鳥居も二つが残っただけ。
 その中の「二の鳥居」は片脚が飛ばされてしまい、「一本柱鳥居」「片足鳥居」と呼ばれ、原爆の被害の凄まじさを証す史跡として、現在も同じ場所に立っているものです。

 詩の前半は原爆が投下された直後の様子で、特に冒頭の「色滅」が爆発の閃光で全ての物が消え去った感じをよく表していると思います。

 転句は、過去から現在へと転換の役割をしているわけですが、「試問」はのんびりした印象で、「皆焦土」という答に対して間の抜けた感じがします。
 ここだけが違和感が残ります。別の言葉にするか、転句から「一本柱鳥居」を出すか、の検討でしょう。



2021. 7.25                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第193作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-193

  詠長崎・広島  其二        

円堂惨劇亦幾桜   円堂の惨劇 亦幾桜、

水渇土焦滅尽精   水は渇し 土は焦げ 精を滅し尽くす。

熱線火痕残史跡   熱線の火痕 史跡に残る、

川波相映夕陽傾   川波 相映ずる 夕陽の傾くに。

          (下平声「八庚」の押韻)


<感想>

 こちらは、いただいた写真を拝見すると、起句の「円堂」は広島の原爆ドームです。
 この起句の末字の「桜」は「被爆桜」のことでしょうか。
 当時、幹まで被爆で焼け落ちても、また葉を伸ばして再生した桜が残っているとは聞きますが、それは生き残った方の話なので、「惨劇」に続けては変ですね。
 「楼」だと考えるとまだ納得できますが。

 なお、「幾」は「いくつ、いくばく」の意味では仄声ですので、ここは平仄が違います。
 「幾多」「許多」ならば合います。

 また、承句は「四字目の孤平」ですので、修正が必要です。

 転句は「火痕」でも良いですが、原爆ドームですと「人痕」としてはどうでしょうか。





2021. 7.25                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第194作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-194

  令和花宴        

爾携杯酒笑顏紅   爾は杯酒を携へて 笑顔紅く

我也狂歌醉境同   我も也(ま)た 狂歌して 酔境同じき

愉快今宵賞花宴   愉快なり 今宵 賞花の宴

盛筵一切手機中   盛筵 一切 手機の中

          (上平声「一東」の押韻)


<解説>

 おまえはグラスを手放さず 真っ赤な顔で笑ってる
 おれもテキトーな歌うたい 同じく酔いが回ってる
 実に愉快でたまらない 今夜われらが花の宴
 この盛り上がり一切が スマホひとつで済んでいる


<感想>

 こういう楽しい花見の様子は、二年前まではごく普通に毎年見ることができましたね。
 懐かしい光景を思い出して、お詠みになったのかと思いましたら、最後の最後で種明かしが来ましたね。
 「一切手機中」のやや突き放したような言い方が、コロナウイルスへの怒りを感じさせますね。



2021. 7.26                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第195作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-195

  鶯歌怨        

鳥歌何處使人迷   鳥歌 何れの処か 人をして迷はしむ

欲近濳行梅下蹊   近からんと欲して 潜びやかに行く 梅下の蹊

無頼流鶯青眼裏   無頼なり 流鶯 青眼の裏

弄花故不向吾啼   花を弄して 故(ことさら)に吾に向かって啼かず

          (上平声「八斉」の押韻)


<解説>

 鳥の歌声どこからか 道行く人を迷わせる
 もっと近くで聴きたくて 梅の木の下しのび足
 憎いヤツだねウグイスめ さも親しげにオレを見て
 わざと鳴かずに知らんぷり 花をつついているばかり


<感想>

 前半は、姿を見せなかったウグイスの声に誘われて梅の木の下を歩いて行く作者を描き、転句から姿を見せたウグイスの姿が面白いですね。
 「青眼」は阮籍の故事ですが、好意的な目をしていながらも、ツンデレの姿、世俗を超越した隠者の風格というところでしょうか。

 



2021. 7.26                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第196作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-196

  江戸川邊望東京        

碧浪一川分二州   碧浪 一川 二州を分つ

群鳧還往自悠悠   群鳧 還往すること 自ずから悠悠

今春我不渡江水   今春 我は江水を渡らず

隔岸京華生萬愁   岸を隔つる京華 万愁を生ず

          (下平声「十一尤」の押韻)


<解説>

 あおく流れるこの川は 千葉東京の都県境
 水鳥どもが群れなして 悠々自在に行き来する
 今年の春は江戸川は 渡らぬものと決めたのさ
 反対岸の大都会 気持ちのふさぐことばかり


<感想>

 緊急事態宣言をあざ笑うように、コロナウイルスの感染者数がまたまた増加の一途のようで、今回は東京から周辺の県に拡大していく傾向が明瞭、千葉県の知事さんでしたか、「江戸川を渡って都心に行かないように」とコメントがありました。
 おや、観水さんと同じことを言っている、と思いました。

 私も出来るだけ自分の住む市から出ないように、愛知県から出ないようにしていますが、なかなか難しい時もありますね。

 承句の「鳥は自由に境を越える」という描写は裏側に「自由に動けない自分」があるわけで、転句へ繋がる良い承句だと思います。

 結句の「隔岸」は、直前の「不渡江水」や起句の「一川分二州」で分かりますので、別の情報、「京華」の華やかさなどを形容する言葉にしておくと、「生萬愁」との対比が出ると思います。

 今回の波では四十代、五十代の感染者の大きな割合を占めるようです。
 ワクチン接種もまだまだのようですので、働き盛りの皆さん、お気をつけください。



2021. 7.27                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第197作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-197

  詠親鸞聖人        

求道辛艱不顧身   求道 辛艱(しんかん) 身を顧みず

無明長夜佛緣巡   無明の長夜 仏縁巡る

稱名暗誦凡夫據   称名 暗誦 凡夫の據(よりどころ)

淨土真宗本願遵   淨土真宗 本願に遵(したが)ふ

          (上平声「十一真」の押韻)

「称名」: 念仏


<解説>

 一向に終息の見えない新型コロナウイルス 憂慮の毎日ですね。
 地方においても行事ごとはほとんど中止、毎年4月に行われる浄土真宗千部経法要 今年も中止になりました。

 宗祖親鸞聖人を偲び 1題投稿します。

<感想>

 前半は親鸞聖人の事績をまとめる意図ですね。
 承句の「無明長夜」は親鸞聖人の晩年の言葉とされていますので、そのまま使いたいですね。
 下三字の「佛緣巡」は親鸞聖人の行動を直接表すような言葉がまとまりを生むでしょう。

 私は学生時代に読んだ吉田知子さんの『無明長夜』が懐かしい気持ちでした。

 後半は宗教的な内容ですので、ご本人の気持ちが出ていれば問題ないと思います。





2021. 7.30                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第198作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-198

  夏甲子園 其一        

若者青春闘   若者 青春の闘ひ、

歓声越夏雲   歓声 夏雲を越えん。

炎炎蜃気乱   炎炎 蜃気乱れ、

勝利涙輝君   勝利し涙は君に輝く。

          (上平声「十二文」の押韻)


<解説>

 (蜃気)蜃気楼の意味です。昔、大きなハマグリの息であったという故事から。

 真夏の汗臭くなるような詩は初めてだと思います。
 よく考えてみると高校球児たちは一銭にもならないのに死力を振り絞って戦います。
 千校以上の参加校のうち負けないで済むのは一校だけです。いよいよ来るものが来たかと関係者は思うのでしょうか?
 負けたら涙があふれるほどに悔しい涙が待っています。世の中でこんな清い人たちはほかにいないのではと思います。
 聖人君子を高校球児に押し付けすぎな気もしますが、そこが高校野球の魅力かもしれませんね。

<感想>

 甲子園大会も全国で代表校が決まっていますが、オリンピック同様にコロナウイルスのために苦しんだ学校や選手も多かったでしょう。
 大会は無観客で実施、学校関係者だけの応援になるようですが、それでも大きな「歓声」が夏空に響くことでしょうね。

 転句は結句の「勝利涙輝君」に繋ぐためには、試合の様子を描いた方が良いでしょう。
 「蜃気乱」は、何を言いたいのかが私にはぼやけて感じます。



2021. 7.30                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第199作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-199

  夏甲子園 其二        

轟轟声援響   轟轟と声援響く、

凝視白球高   凝視する白球高し。

疾走連峰熱   疾走すれば 連峰熱く、

晴顔歓喜中   晴れた顔は歓喜の中。

          (上平声「一東」の押韻)


「連峰」: 甲子園のアルプススタンドからとりました。

<感想>

 「アルプススタンド」は、岡本太郎氏のお父さんが比喩したのがきっかけだそうですね。
 夏なので白いシャツを着た観客が高い所まで並んでいる様子を「冠雪のアルプス」に例えて、それが名称として定着したわけですが、今度はそれを「連峰」と言い換えるのは苦しいですね。
 また、「疾走」「疾走すれば」と読ませるのは苦しまぎれで、誰が「疾走」するのかも悩みます。

 結句の「晴顔」は「晴れやかな顔」でしょうか、これは造語ですね。
 聞き慣れない言葉を使うのは読者にも違和感しか残しませんので、適した言葉を探すようにしましょう。



2021. 7.30                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第200作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-200

  東京五輪開会式前夜作        

數多障害既時來   数多の障害 既に時 来たる

病毒未収轟怒雷   病毒 未だ収らず怒雷 轟く

難局何然漕着刻   難局 何(なに)は然(しか)れ漕ぎ着く刻

安全大會明日開   安全なる大会 明日 開く

          (上平声「十灰」の押韻)


<解説>

 新型コロナウイルス猛威の中の1年延期
 度重なる不祥事による関係者の解任
 制約付きの聖火リレー
 開催反対の声が未だ止まない中 いよいよ明日は開会式
 ここまで来れば 只々安全な大会になることを祈るだけ。

 テレビ前で応援するぞ!

<感想>

 オリンピックが今真っ盛りで、朝からチャンネルを替えながら、色々な種目を楽しんでいます。
 頑張る選手達に心から声援を送ります。

 コロナは専門家の予測の通り感染爆発となってしまいました。
 政治家の心の籠もらない発言や表情を見せられると、メダルの色とは関係無く全力を尽くしている選手達の曇りの無い顔が本当に輝いて見えます。

 岳城さんも仰るように、ここまで来たら一日でも「安全」な状態が続くように祈るばかりですが、始まる前のドタバタや開催反対の声を決して忘れはしません。

 結句の六字目は平仄が合いませんので、ここは直しましょう。



2021. 7.31                  by 桐山人



 岳城さんから再敲作をいただきました。

    東京五輪開会式前夜作
  数多障害既時來  数多の障害 既に時 来たる
  病毒未収轟怒雷  病毒 未だ収らず怒雷 轟く
  難局何然漕着刻  難局 何(なに)は然(しか)れ漕ぎ着く刻
  安全大会切望開  安全なる大会 切望し開く



2021. 8. 2                  by 岳城






















 2021年の投稿詩 第201作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-201

  驚愕熱海土石流        

百年無有叫呼人   百年に有ること無し叫呼の人

熱海禍災疑目頻   熱海の禍災 目を疑ふこと頻なり

盛土一因開發付   盛土 一因 開発の付

夜來捜索雨中巡   夜来の捜索 雨中を巡る

          (上平声「十一真」の押韻)


<解説>

 温泉の名所 また別荘地
 集中豪雨による土石流が発生
 ほぼlive映像で見る惨事は驚愕そのもの
 そこには ずさんな盛土の管理が浮上
 二次災害を警戒しつつの捜索が続く


<感想>

 熱海での土石流による災害は今月の初めでしたね。
 数日前の新聞では、お一人の身元確認ができ、行方不明の方は五名とのことでしたが、土石流の流れる様子を何度もテレビで見ながら、恐ろしさを噛みしめました。

 異常な大雨、更にこれまでの人の営み、犯人捜しではなく、今後のための原因検証を願います。

 転句の「付」は「つけ」でしょうが、それは和習ですので、別の言葉が良いでしょう。

 結句は創作活動の緊張感や切迫感が伝わってくる表現になっていると思います。



2021. 7.31                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第202作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-202

  立夏        

晴耕雨讀勵余生   晴耕雨読して 余生を勵ます

茶飯弧棲歳月更   茶飯弧棲するも 歳月は更(かは)る

自適悠悠労老朽   自適悠悠は 老朽に労(つか)る

遮渠天碧地花盛   遮渠(さもあらばあれ) 天は碧(あお)く 地は花盛り

          (下平声「八庚」の押韻)


<感想>

 哲山さんの日々の暮らしが描かれた作品ですね。
 「晴耕雨讀」「自適悠悠」の言葉がよく伝わります。

 承句の「弧」「孤」ですね。

 結句は最後の「盛」ですが、「盛り付ける」の意味では平声(庚韻)ですが、「勢いが盛ん」の意味ですと仄声になります。
 下平声八庚韻は韻字が多いですので、他の字で「盈」「榮」「明」などが良いでしょう。

 最後の「遮渠」は「遮莫」と同じですが、下の語を受けて、「それはどうでも良いことだ」となる言葉。この場合ですと、「悠悠自適も年をとると疲れるもの 天の青さや地の花などはもうどうでも良い事だ」となります。
 転句からの流れを逆接に持って行くならば、「惟看」「尚知」などでしょうか。



2021. 8.23                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第203作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-203

  梅子雨        

梅霪毎染紫陽花   梅霪 紫陽花を染(いろど)ると毎(いえど)も

悪疫恟恟使閉家   悪疫 恟恟として家を閉ざしむ

光景一朝庭漫歩   光景の一朝 庭 漫(そぞ)ろ歩けば

蜘蛛渦縷聯珠華   蜘蛛の渦縷 聯珠の華

          (下平声「六麻」の押韻)


<感想>

 こちらはコロナ禍の中、一服の清涼剤のような良い詩ですね。
 蜘蛛の糸に掛かった雨の滴、透明な美しさが目に浮かびます。

 結句の下三字が「下三平」になったのだけが残念ですので、「聯」はあきらめて「架」くらいが適当でしょうね。

 承句の「恟恟」「おびえてビクビクする状態」という言葉、これは下の「使閉家」に掛かっていく形ですが、勿論、「惡疫(に対して)恟恟たる気持ち」という意味も含まれますね。



2021. 8.23                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第204作は 芦泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-204

  平塚八景        

晴嵐一望湘南平   晴嵐(せいらん)一望す 湘南平

西遠藤原暮雪娟   西の遠藤原 暮雪娟(ぼせつけん)たり

落雁蕭然前鳥社   落雁蕭然(しゅくぜん)たり前鳥(さきとり)の社

砂丘夕照茜雲天   砂丘の夕照(せきょしう) 茜雲(せんうん)の天

晩鐘霧降松岩寺   晩鐘 霧降(きりふ)る 松岩寺

秋月観音金目川   秋月(しゅうげつ)の観音と金目川

馬入潮来帰帆景   馬入の潮来 帰帆の景

八幡山雨哭霊前   八幡山の雨 霊前に哭す

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

 平塚の「八景」を中国北宋での「瀟湘(しょうしょう)八景」を真似て作詩してみました。

 初夏の風が吹き下ろす湘南平は海抜182mで、平塚を一望できる。
 七國峠とも言われる遠藤原に積もる雪はしなやかさのある光景
 前鳥(さきとり)神社の上空から舞い降りる雁までもが神々しい
 平塚海岸からは茜雲の天の西方に箱根連山や霊峰富士がそびえる
 霜降りの滝のある松岩寺の鐘が時を知らせる
 坂東第七番札所の観音堂のそばを流れる金目川に映し出される秋の月
 湘南海岸にそそぐ馬入川は湘南潮来とも言われ、漁を終えた舟が帰る
 八幡山公園の平和の慰霊塔に降る雨はその霊を慕う多くの方々の涙


<感想>

 芦泉さん、お久しぶりですね。

 瀟湘八景は「瀟湘夜雨」「平沙落雁」「煙寺晩鐘」「山市晴嵐」「江天暮雪」「漁村夕照」「洞庭秋月」「遠浦帰帆」とされ、洞庭湖周辺の美しい景色を描いたもの、その影響で日本でも各地で「八景」が詠まれています。

 芦泉さんは順に「晴嵐」「暮雪」「落雁」「夕照」「晩鐘」「秋月」「歸帆」「(夜)雨」を各句に入れて、八句で完成となっています。
 よく知られる明治の大江敬香が作った「近江八景」では、例えば「堅田落雁比良雪」と一つの句に二つの景を入れて、その分、景の羅列になるのを避けようとしていますね。
 どちらの手法も、景をしっかり伝えたいという思いからのものですね。

 県の違う私には、詠われたそれぞれの地の状況は分かりませんが、芦泉さんの表現は想像しやすく、八景をよく考えられていると思います。
 この詩を題材にして、「平塚八景」が地元の方々の話題になることが大切、しっかりアピールしてください。
 「あそこの景色も良いぞ」とか「この場所は春の季節が良い」とか「令和の八景はどこだ?」とか、想像するだけで楽しくなりませんか。

 尚、第一句の下三字は「下三平」、「平」は韻が違いますので、韻を踏まないならば末字は仄声にしておかないと、変なところで詩が評価されてしまいますので、気を付けましょう。



2021. 8.24                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第205作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-205

  閑日雑賦        

老来烏兎漸遅遅   老来ッテ 烏兎 漸ク 遅遅タリ

屡作田園七字詩   屡作ス 田園 七字詩

朝浴彩霞荷圃畔   朝ニ浴ス 彩霞 荷圃畔

晩望皎月草庵楣   晩ニ望ム 皎月 草庵楣

苑桃好雨花開日   苑桃 好雨 花 開ク日

墻菊初霜色褪時   墻菊 初霜 色 褪スル時 

稚拙精妍何処問   稚拙 精妍 何ノ問フ処ゾ 

野夫只獨撚吟髭   野夫 只獨リ 吟髭ヲ撚ルノミ

          (上平声「四支」の押韻)


<感想>

 首聯と尾聯の四句で、作者の姿や心情を充分に表しておいて、対句の中二聯を使って景を描くという構成は、律詩のお手本のようで、よく整っていますね。

 第一句の「烏兔」「太陽に居る烏」「月に居る兔」ということで「月日」、つまり「歳月や時の流れ」を表す言葉になりますね。
 頷聯は「朝と晩」、頸聯は「春と秋」ということで時間軸が長くなっていますので、題名の「閑日」に違和感が出てきます。
 「閑居」ならば落ち着くと思います。

 尾聯の「何処問」ですが、これは杜甫の「旅夜書懷」にも出てきた用法ですね。
 「処」は場所を表す言葉ではなく、「こと」とか「もの」として名詞化する役割、「どんなことを問おうか」という訳が良いです。

 真瑞庵さんは以前、ご自分の詩を「変わり映えのしない画面で個性が無い」というように仰ってましたが、今回の詩は尾聯などは光っていますし、最後の「撚吟髭」はお会いした時のご尊顔が目に浮かんできて、面白く拝見しました。



2021. 8.29                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第206作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-206

  冬日郊歩        

寒房数刻厭看書   寒房 数刻 書を看るに厭き

引杖負暄郊歩徐   杖を引き 負暄して 郊歩徐やかなり

橋畔小淵双鴨戯   橋畔の小淵 双鴨戯れ

一枝翡翠覗遊魚   一枝の翡翠 遊魚を覗ふ

          (上平声「六魚」の押韻)


<感想>

 禿羊さんの穏やかな生活がうかがわれます。

 起句の「厭看書」が生きて、次の承句の外出への導入になっていますね。
「負暄」「暖かさを背に浴びる」わけで、家ならば「日向ぼっこ」ですが、ここは「日の当たる道を歩いた」となります。

 後半は、水に戯れる「鴨」と樹上の「翡翠」という形で、「鳥」を重ねて画面を作りましたね。
 結句は、カワセミを見つけた時の作者の緊張感が「一枝」に凝縮され、転句の「双」との数詞の対比が効果を出していると思います。
 こういうちょっとした(と言うと失礼かもしれませんが)言葉の使い方は、漢詩ならではの趣ですね。

 結句の「覗」は辞書では両韻となっていますが、韻書によっては平声のみとしているものもあります。
 私は幅を拡げて考えれば良いと思っていますが、どこかに見せるとか詩集にまとめる時は別の字にした方が良いかもしれません。




2021. 8.29                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第207作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-207

  春暖        

朋友多徂気力枯   朋友 多くは徂きて 気力枯れ

老而不死蟄坊隅   老いて死せず 坊隅に蟄(かく)る

好風吹寄花千片   惠風 吹きて寄す 花千片

炙背迷糊抱狸奴   炙背して 迷糊 狸奴を抱く

          (上平声「七虞」の押韻)


「老而不死」: 『論語』「憲問」編

<感想>

 『論語』の「老而不死」は孔子の言葉としては、厳しいものです。この部分は短いので引用しましょう。

    「原壤夷俟。子曰、『幼而不孫弟。長而無述焉。老而不死。是爲賊。』以杖叩其脛。」

  原壌(げんじょう)夷(い)して俟(ま)つ。子曰く、『幼にして孫弟ならず、長じて述ぶること無く、老いて死せず。是を賊と為すと。』杖を以って其の脛(すね)を叩く。

 原壤は孔子の幼なじみのようですが、その気安さもあったのかもしれませんが、孔子が来た時にしゃがんだ(夷)ままで礼を示さなかった、そのことに対して、孔子が珍しく激怒した場面です。
 「子供の頃も人を敬う気が無かったし、大人になっても誉められる点が無い、年をとって迷惑を掛けながらも生きている、こういうのを生を貪る賊と言うのだ」と言うのですが、何かむちゃくちゃな怒り方で、私は最初ここを読んだ時にはビックリした覚えがあります。
 「新釈漢文大系(明治書院)」の解説では、「孔子の言葉としては珍しくきびしいものがあるが、叱責の中にも、どこか愛情の籠もった態度もうかがえる。悪いことは悪いとして、心を尽くして教えいましめる」(のが仁者である)と書かれていますが、正直「??」でした。

 『論語』の解釈はさておいて、この詩のように、自分に対して使うならば問題は無いですね。前置きが長くてすみません。

 転句は春を表しているのですが、この景色が全体の構成の中でどういう意味を持っているのか、はっきりしません。
 ただ季節を表すだけの叙景ですと、ならば「花」の代わりに「雪」とか「落葉」とすれば「冬の詩」「秋の詩」にもなってしまう印象です。
 前半の「老いの嘆き」と繋がるような形か、あるいは起句の下三字あたりに「春」を示しておくと、詩としてのまとまりが整うと思います。

 結句の「迷糊」は現代中国語で「ぼんやりする」「はっきりしない」という意味ですので、ここは「日向ぼっこで、ウトウトとして、猫(「狸奴」)を膝に抱く」ということでしょう。
 ただ、「狸」は平声ですので、「二六対」が壊れていますので、ここは困りましたね。



2021. 8.29                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第208作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-208

  遊北摂久安寺憶亡友魁猿     北摂久安寺に遊び、亡友魁猿を憶ふ   

薫風習習度林叢   薫風 習習として林叢を度る

山寺逍遙万緑中   山寺 逍遙す 万緑の中

鮮嫩何為却哀切   鮮嫩 何為ぞ 却って哀切

往時倶看彼丹楓   往時 倶に看し 彼の丹楓

          (上平声「一東」の押韻)


<解説>

 「魁猿」とは大学入学以来の遊び仲間でした。
 一昨年、この寺で一緒に紅葉を見たのが最後となりました。

<感想>

 前半で久安寺の初夏の景を出して、昨秋の思い出と対照させたいという狙いですね。

 まずは結句からですが、「一昨年」ということで「往時」と幅を拡げたのでしょうが、「倶看」ですと誰と一緒なのか具体的なものが無いので、結局、いつ誰と見たのか漠然とした表現になっています。
 多少脚色になりますが、「一昨年」ということを知っているのは作者だけですので、上二字を「去秋」とすると具体性が出てくるとと思います。
 禿羊さんの気持ちに関わりますが、「去年ではない」ということにこだわるかどうかですね。

 前半も、「久安寺」としっかり名前も出しているわけですので、こちらももう少し、実際の景色、事物が欲しいですね。
 



2021. 9. 3                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第209作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-209

  卑弥呼        

倭傳論客百春秋   倭傳の論客 百春秋

未見女王千古樓   未だ見ず 女王 千古の楼

巡歴多多羇適逝   巡歴 多多 羇 適(まさ)に逝かんとす

巫山之夢異郷愁   巫山之(の)夢 異郷の愁ひ

          (下平声「十一尤」の押韻)


<感想>

 邪馬台国はどこなのか、まさに「百春秋」の長い年月議論されてきましたが、仰る通り、いまだに結論を見いだせていないですね。
 その分、ロマンは続くということなのかもしれません。

 起句の「倭傳」は『魏志倭人伝』を指しているわけですが、「傳」は「書物」のような名詞用法では仄声となりますので、ここはどうでしょうね。
 「倭傳」は削れないでしょうから、「爭論倭傳」という形でしょうか。

 後半は話が飛んでいってしまい、「卑弥呼」という詩題が薄くなっています。
 「巫山」は関係無いと思いますので、再度、古代に戻るような方向が穏当ですね。

 なお、結句の「之」は「の」と音読で良いですが、これは助詞ですので、「助詞は平仮名で書く」のが原則、この場合には「巫山の夢」として「之」を書く必要はありません。



2021. 9.18                  by 桐山人



哲山さんから再敲作をいただきました。

    卑弥呼(再敲作)
  爭論倭傳百春秋   爭論の倭傳 百春秋
  未見女王千古楼   未だ見ず 女王 千古の楼
  何語歴年攻伐跡   何か語る 歴年 攻伐の跡
  黄憧虚下火宮丘   黄憧 虚しく下がる 火宮の丘


2021.10.17                  by 哲山






















 2021年の投稿詩 第210作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-210

  志士        

遊子平居一會愉   遊子 平居して 一会 愉しむ

聲望何願是在乎   聲望 何の願ふこと是れ在らんや

三文五釐龍馬嘯   三文五厘 龍馬嘯(うそ)ぶく

長夜将明虎負嵎   長夜 将に明けなんとし 虎 嵎を負ふ

          (上平声「七虞」の押韻)


<解説>

〈なんの浮世は三文五厘よ。 ブンと、屁のなるほどやって見よ〉
出典:坂本龍馬が姉の乙女に宛てた手紙の一節。(三文五厘は現在の貨幣価値で30〜40円ほど)

<感想>

 起句の「平居」「平生」と同じで「常日頃、普段」という意味だと思いますが、ここは動詞として使っていますので、「あまり肩を張らない」という意味でしょうね。
 坂本龍馬の飄飄とした姿を描いた言葉ですので、承句の「何願是在乎」が逆に堅苦しく感じますね。
 転句の「三文五釐」(「釐」は「厘」の正字)の言葉とか、逆に結句の緊張感を強調するにも、ここはもう少し端的な表現が良いでしょう。

 結びの「虎負嵎」は「孟子」からの言葉です。この語自体は「追い詰められた虎が山ふところに立てこもって抵抗する」ということですが、発展して「英雄が地方から立ち上がる」という形にも使われます。
 「維新の夜明け」という感じが出て来ますね。

 承句と転句の平仄が合いませんので、そこが残念ですね。



2021. 9.18                  by 桐山人



哲山さんから再敲作をいただきました。

    志士(再敲作)
  遊子平居一會愉   遊子 平居して 一会 愉しむ
  觴謡花下醉宏謨   觴謡す 花の下(もと) 酔ひては宏謨し
  三文五釐咍龍馬   三文五釐 咍(わら)ふ龍馬
  長夜将明虎負嵎   長夜 将に明けなんとし 虎 嵎を負ふ


2021.10.17                  by 哲山



 承句の「宏謨」(こうぼ)は「大きなはかりごと」の意味の語です。
 転句は「釐」が平声で平仄を合わせられませんが、ここは固有名詞の形で行きましょうか。

2021.10.25                  by 桐山人