2020年の投稿詩 第121作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-121

  述懐 到故人訃報        

老去元知多永別   老去っては 元知る 永別多しと

今朝魂断至凶音   今朝 魂は断たる 凶音の至れば

余生苟活何誇寿   余生 苟活(こうかつ) 何ぞ寿(ひさ)しきを誇らんや

独怨桜花散雨霖   独り怨む 桜花の雨霖に散るを

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 大学の同窓生でずっと親しくしていた友人が死去しました。
 転移癌に罹っていたので何時かはと覚悟はしていたのですが、報せが来るとやはり寂しいものです。
 それと、もうすぐ自分もとの思いが強くなります。

 話は変わりますが、私は昨年より作詩の韻を調べたり、用例を検索するのに「捜韵」(https://sou-yun.cn/index.aspx)というサイトを利用させて貰っております。
 もう皆様ご存じかも知れませんが。
 これはまことに驚くべきサイトで、『佩文韻府』が簡単に検索できたり、詩語の用例などもすぐに検索出来るなど、もう韻書に頼ることがなくなりました。
 それでもこのサイトの全部を利用出来ておりませんが。

<感想>

 私は、四月に大学の研究室の仲間で「同窓会」を開く予定でいたのですが、コロナウイルスの影響で中止になりました。
 大学の仲間というのは、高校や地元の仲間とはまた違った心のつながりがあり、年に一度会うだけでも、そのまま学生時代に戻ります。
 もし誰かが亡くなったと聞くと、どんな悲しみが来るのか予想もつきません。
 結句の、雨に桜の花が散る姿が、禿羊さんの悲しみを象徴して、胸に悲しみが残ります。

 転句の「苟活」は「苟生」とも表しますが、「かりそめに生きる」ことですね。

 「捜韻」は、私も五年くらい前に北京で教えて貰いました。「『佩文韻府』がネットで閲覧できるんですよ」と言われた時には、神田まで行って古本屋さんで買った時の喜びがホロホロと崩れるような感覚でしたが、とにかく携帯で『佩文韻府』が読めるということは、いつもポケットに入っていることなわけで、その便利さに愕然としました。
 いいなぁ、今の若い人は・・・・と正直思いますね。
 色々な機能がどんどん加わっているようですね。



2020. 5.14                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第122作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-122

  悼中村哲醫師        

施醫貧巷問根源   医を貧巷に施し根源を問い

自汗導渠甦轟エ   自ら汗し渠を導き緑原甦る

久照一隅誠一貫   久しく一隅照らさん誠一貫

不撓不屈住心魂   不撓不屈 心魂 住まらん

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 「照於一隅」を貫かれた中村医師の事績は、アフガン和平の一里塚となろう。
 死してなお霊魂彼の地にとどまる。
 中村医師の許、灌漑事業に献身した伊藤和也さんが犠牲となって、もう13年になろうか。
 お二方のご冥福お祈りする。

<感想>

 アフガニスタンで中村医師が銃撃されたのは、昨年の12月4日でした。
 現地に尽くしてこられた方が何故現地で殺されなくてはならないのか、理不尽な思いでニュースを見ていたことを思い出します。
 転句の「照一隅」は中村医師が生前好んでいらっしゃった言葉だそうです。
 ご冥福を祈ります。



2020. 5.14                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第123作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-123

  憶諾貝化学賞        

彼男此女手中機   彼の男此の女 手中の機

普及開端新電池   普及の開端 新電池

高壓堅牢型自在   高圧 堅牢 型自在

未來社會必須基   未来社会必須の基

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 ノーベル化学賞の吉野彰さん、何時も笑顔を絶やさない。
 企業での研究開発、常に市場を念頭に苦労を重ねられたことだろうが、その苦労を微塵にも表にせずざっくばらんなお人柄。

<感想>

 21世紀になってからの私たちの生活は様々な変化を経ていますが、特にこの数年の激変に携帯電話の普及がもたらした影響は大きいですね。

 その携帯電話の普及に何よりも貢献しているのがリチウムイオン電池、未来を開いていく必須の技術という常春さんの表現、特に転句の性能表現は納得できます。
 テレビで拝見するお姿も、常春さんが解説に書かれた通りの印象で、素敵な方ですね。



2020. 5.14                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第124作は (桐山堂半田) 睟洲 さんからの作品です。
 漢詩の教室がコロナウイルスの影響でずっとお休み状態ですが、受講生の皆さんは熱心に作詩に励んでいます。
 私の自宅に届いた作品と私の感想を併せて、紹介させていただきます。

作品番号 2020-124

  辛夷        

山阿花徑竹溪隈   山阿 花径 竹渓の隈

黄鳥無聲去又來   黄鳥 声無し 去りて又来る

馥郁辛夷搖白蕚   馥郁たる辛夷 白萼を揺する

仰看佳景絶塵埃   仰ぎ看る佳景 塵埃を絶つ

          (上平声「十灰」の押韻)

<感想>

 起句で「花徑」としてしまうと、題と合わさって「ああ、こぶしの花が咲いているのだな」と読者が予測してしまいます。
「細徑」「曲徑」など、別の形容にした方が良いでしょう。
 「竹」もここで出す必要が無ければ、「山阿幽徑此竚G」と視覚に持って行くのも良いでしょう。

 承句は、鳴きながら鶯が行ったり来たり、というのは分かりやすいですが、「無聲」ですと存在そのものをどうやって感じたのか、ちょっと苦しいですね。
「無声」を「枝柯」、あるいは枝から枝に動いていくなら「枝枝」とこちらも視覚をはっきり出したいですね。

 そうなると、目でずっと見て来ているわけで、転句も「辛夷」を挟んで上下の形容を逆にする必要があります。
「白蕚辛夷香馥郁」とした方が流れが自然でしょう。

 結句は花を見上げているわけで、「佳」はまだ良いですが、「景」は気になります。それならばここに「白蕚」を入れた方がすっきりしますね。
 転句の上二字は「辛夷」の咲いている場所を表せば良いと思いますので、そうした方向でお考え下さい。



2020. 5.15                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第125作は (桐山堂半田) 睟洲 さんからの作品です。
 漢詩の教室がコロナウイルスの影響でずっとお休み状態ですが、受講生の皆さんは熱心に作詩に励んでいます。
 私の自宅に届いた作品と私の感想を併せて、紹介させていただきます。


作品番号 2020-125

  棣棠(山吹)        

早朝庭宇鳥聲新   早朝の庭宇 鳥声新たに

柳樹垂枝細雨頻   柳樹 枝を垂れ 細雨頻りなり

籬畔棣棠花不語   籬畔の棣棠 花語らず

亂英雄意一庭春   英雄の意を乱さしむ 一庭の春なり

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 雨の朝 庭前の山吹の花を眺めて 詩詞「太田道灌借蓑圖」(大槻磐渓作)を回想する。

<感想>

 回想したという詩は次の一首ですね。

     太田道灌借蓑圖  大槻磐溪
   孤鞍衝雨叩茅茨  孤鞍 雨を衝いて 茅茨(ぼうし)を叩く
   少女爲遺花一枝  少女為(ため)に遺(おく)る 花一枝
   少女不言花不語  少女言はず 花語らず
   英雄心緒亂如糸  英雄の心緒 乱れて糸の如し


 有名な故事で「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき」を素材にした詩でしたね。

 作品は無理なくお作りになっていると思います。「雨」「山吹」からの連想もよく分かります。

 「庭」の字が起句と結句で重複していることと、「早朝庭宇」は「曉庭」と二語で済みますので、中二字は鳥の鳴き声を出しておくと良いかと思います。

 転句も「籬畔」とまた場所を表す言葉ですので、山吹の花の様子を描いて欲しいところですね。

 結句は「春」を残して下三字を検討されると良いでしょう。


 再敲作も早々といただきました。

   棣棠(再敲作)    
  曉庭嬌舌鳥聲新   暁庭 嬌舌 鳥声新たに
  柳樹垂枝細雨頻   柳樹 枝を垂れ 細雨頻りなり
  鮮色棣棠花不語   籬畔の棣棠 花語らず
  亂英雄意獨惜春   英雄の意を乱さしむ 一庭の春なり


 流れとしては、承句の「柳樹」から「細雨」がやや切れ目があります。ただ、実景ということで、許容範囲かとも思います。
 転句は「鮮色」も良いですが、「黄(金)葩」「黄蕚」などで、はっきり示してはどうでしょう。


2020. 5.15                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第126作は (桐山堂半田) 睟洲 さんからの作品です。
 漢詩の教室がコロナウイルスの影響でずっとお休み状態ですが、受講生の皆さんは熱心に作詩に励んでいます。
 私の自宅に届いた作品と私の感想を併せて、紹介させていただきます。


作品番号 2020-126

  惜春        

沃霖花落遶村流   沃霖 花落ち 村を遶りて流る

芳草萋萋此゙疇   芳草 萋萋として 緑 疇に満つ

和雨陌頭農務急   雨に和し 陌頭 農務急なり

惜春吟歩憶ク遊   惜春 吟歩 郷遊を憶ふ

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 菜種梅雨の頃、農家は田植えの準備で徐々に忙しくなる。今は機械化されているが、昔は晩春期の一大行事であった。

<感想>

 起句は「花」「落」だけでなく、「遶」「流」の主語にもなっているわけですが、これは分かりにくいです。そもそも流れるものとして「花」だけでは不足です。
 「沃霖」とは直接繋がらないですが、「野水遶村流」くらいで話をまとめる必要があります。

 承句は「芳草萋萋」とありますので、「緑滿疇」がややしつこく、ここに「花落疇」と持ってきてはどうですか。

 転句は良いですね。

 ここまで農家の人の気持ちに添っているのに、結句で突然傍観者になり、更に「憶郷遊」では、最後に梯子を外された感じ。
 この句を使うなら起句に持ってきて、「私は通行人ですが、晩春の農村を眺めています」と先に示しておくべきです。
 結句は作り直した方が良いかと思います。



2020. 5.15                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第127作は (桐山堂半田) 睟洲 さんからの作品です。
 漢詩の教室がコロナウイルスの影響でずっとお休み状態ですが、受講生の皆さんは熱心に作詩に励んでいます。
 私の自宅に届いた作品と私の感想を併せて、紹介させていただきます。


作品番号 2020-127

  牡丹        

雨餘僧院寂無人   雨余の僧院 寂として人無し

招内中庭榊d新   招かれて 中庭に内る 緑蘚新たなり

華麗鮮妝傾國艷   華麗 鮮妝 傾国の艶たり

花王風致淨無塵   花王の風致 浄くして塵無し

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 菩提寺である禅宗の寺に参詣し、花を観賞したことがあった。

<感想>

 「無」の字が重複していますので、ここは直しましょう。
 例えば下三字を承句と入れ替えて「緑苔新」、承句を「中庭寂絶人」、上二字は「中庭」を形容する言葉を入れると落ち着きます。
 また、肝心の「牡丹」がどこにあるのか、はっきりしません。

 転句からはもう牡丹の形容に進むわけですので、「中庭」にあったことを分からせるために、転句の書き出しに「獨立」と入れておきましょう。
 「獨立花王傾國艶」とここで牡丹だと分かるようにしておくと、結句はどうにもなりますね。

 結句は、転句で削った「鮮妝」を頭に置いても良いですし、上四字を考え直しても良いと思います。



2020. 5.15                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第128作は (桐山堂半田) 眞海 さんからの作品です。
 漢詩の教室がコロナウイルスの影響でずっとお休み状態ですが、受講生の皆さんは熱心に作詩に励んでいます。
 私の自宅に届いた作品と私の感想を併せて、紹介させていただきます。


作品番号 2020-128

  新型冠状病毒破壊世界        

肺焔延期夏五輪   肺焔は夏五輪を延期し

看櫻自肅百花春   看桜 自粛さす 百花の春

新型感染猶憂國   新型 感染 猶ほ国を憂ふ

唯諾規制樂遠妍   規制の唯諾 遠妍を楽しむ

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 世界の国々に蔓延する新型コロナ、国を亡ぼす恐い病菌、オリンピックを延期させ、人々の外出を自粛させ、
 春の花見を制限した。あまんじて遠くの桜を眺めるだけである。

<感想>

 起句は「病毒延期夏五輪」が良いかと思います。

 結句は平仄と押韻が合いませんね。
 まず転句で「新型感染深規制(新型の感染 規制を深くし)」、結句の方に「憂国」を置きましょうか。
 「憂國烝民遠望頻」「憂國民心唯諾遵」など。



2020. 5.15                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第129作は (桐山堂半田) I・F さんからの作品です。
 漢詩の教室がコロナウイルスの影響でずっとお休み状態ですが、受講生の皆さんは熱心に作詩に励んでいます。
 私の自宅に届いた作品と私の感想を併せて、紹介させていただきます。


作品番号 2020-129

  看梅        

吾愛庭梅竹欄前   吾は愛す 庭梅 竹欄の前

魁春芳信一枝妍   春に魁す 芳信 一枝妍なり

幽香素艷詩情逸   幽香 素艶 詩情逸なり

風白C閑料峭天   風白く 清閑 料峭の天

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 庭の梅の木の一枝に二輪花が開きました。
 毎日蕾が膨らんで行くのを楽しみにしていました。
 美しい梅の花を詩にしました。

<感想>

 承句の「欄」は平声ですので、ここはまずいですね。また、「梅」を出すのに「竹欄」ではやや弱いです。
「吾愛梅花牆角邊」でどうでしょうね。

 他の句は問題無いと思いますので、これで良いでしょうね。



2020. 5.15                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第130作は (桐山堂半田) I・F さんからの作品です。
 漢詩の教室がコロナウイルスの影響でずっとお休み状態ですが、受講生の皆さんは熱心に作詩に励んでいます。
 私の自宅に届いた作品と私の感想を併せて、紹介させていただきます。


作品番号 2020-130

  看櫻        

林園日午雨晴時   林園 日午 雨晴るるの時

鳥語芳菲春色宜   鳥語 芳菲 春色宜し

萬朶櫻花惟一白   万朶の桜花 惟だ一白

恍然執筆有新詩   恍然 筆を執って 新詩有り

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 刈谷の亀城公園(愛知県刈谷市にあった城址を整備した公園)の桜が満開になりました。
 人はまばらでしたが、雨後の美しい桜を観賞しました。

<感想>

 亀城公園に行ったというところまではっきりしているなら、起句は「古園春日」とした方が趣が深まりませんか。
 この句の頭が仄字になると句頭が仄揃いになりますので、そうですね、承句の「鳥語」を「禽語」としておきましょう。

 承句は「鳥語」「芳菲」は欲張り過ぎで、特に「芳菲」は、これも次の「桜花」を呼んでしまいますので、別のものの方が良いでしょう。
 鳥の声の形容でも良いですね。

 転句は「萬」「一」で工夫が出ています。佳句ですね。

 結句は「有」よりも「得」の方が「出来た!」という感動が出ると思います。
 読み下しも「筆を執れば」と条件構文にした方が良いでしょう。



2020. 5.15                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第131作は (桐山堂半田) I・F さんからの作品です。
 漢詩の教室がコロナウイルスの影響でずっとお休み状態ですが、受講生の皆さんは熱心に作詩に励んでいます。
 私の自宅に届いた作品と私の感想を併せて、紹介させていただきます。


作品番号 2020-131

  送春        

禪宮客少落花深   禅宮 客少なく 落花深し

吹白幽庭氣易沈   吹き白くす 幽庭 気沈み易し

疫病蔓延何日鎭   疫病 蔓延 何れの日に鎮まらん

殘櫻幾片涙沾襟   残桜 幾片 涙襟を沾す

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 近くのお寺を訪ね、散りゆく桜を味わいました。
 コロナ騒動が早く落ち着いて欲しいです。

<感想>

 晩春の桜の舞う景色は美しいだけではなく、昔から「春愁」とされてセンチメンタルな気持ちを催す季節とされています。

 起句は「客少」の理由として、例年でしたら、「春も終わりだから」とか「ここのお寺自体が人気が無い」でしょうが、今年は新型コロナウイルスによる外出自粛も影響していることもありますね。
 その辺りをまとめる形で、承句に転句の上四字を持ってきた方が良いですね。
 そうすると、「氣易沈」の原因についても、疫病のせいだとなります。
 と言うのは、ここで「氣易沈」を作者の送春の心情として強く出してしまうと、結句の「涙沾襟」と重なってしまって、最後が生きて来ないわけです。
 コロナのせいで気が滅入る、と限定的にしておくことで、前半が叙景で収まります。

 転句は改めて話を立ち上げる形になりますが、「獨佇幽庭風淅淅」という感じで、風を出しておくと結句の花が舞う画面に繋がります。

 結句は「殘英」として「桜」は削っても良いでしょう。



2020. 5.15                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第132作は (桐山堂半田) 健洲 さんからの作品です。
 漢詩の教室がコロナウイルスの影響でずっとお休み状態ですが、受講生の皆さんは熱心に作詩に励んでいます。
 私の自宅に届いた作品と私の感想を併せて、紹介させていただきます。


作品番号 2020-132

  偶成        

巷間四月暗雲渦   巷間四月 暗雲渦まく

或召人間斷末魔   或いは召かん 人間の断末魔

今古幾多滔惡疫   今古幾多 悪疫滔(はびこ)る

閑居悄悄獨吟哦   閑居悄悄として 独り吟哦す

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

 新型コロナウイルスの世界的蔓延で、人類の危機が叫ばれている。
 歴史的には何度も疫病発生が繰り返され、解決している。
 暫くは家でじっとしていよう。

<感想>

 コロナウイルスは本当に私たちの気持ちを「悄悄」とさせてしまいます。

 承句は「或」より「將」の方が切迫感が出ると思います。

 結句も同様で、「閑居」だと落ち着いてしまいますので、「蟄居」「閉居」の方が良いと思います。



2020. 5.15                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第133作は (桐山堂半田) 輪中人 さんからの作品です。
 漢詩の教室がコロナウイルスの影響でずっとお休み状態ですが、受講生の皆さんは熱心に作詩に励んでいます。
 私の自宅に届いた作品と私の感想を併せて、紹介させていただきます。


作品番号 2020-133

  郊村愉農        

田家穀雨覺春溫   田家の穀雨 春温を覚ゆ

盡日農耕數畝園   尽日 農耕す 数畝の園

蔬菜植栽成育悦   蔬菜 植栽し 成育の悦び

出來作物贈兒孫   出来の作物 児孫に贈る

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 今年はコロナ肺炎のため農作業がはかどりました。約百坪を耕作。

<感想>

 「穀雨」は二十四節季の「清明」の次、現在ですと四月の中旬から下旬になりますので、「覺春溫」は疑問ですね。
「楽春溫」か、韻字を替えて「緑風飜」などでしょうか。

 承句は良いと思います。

 転句の「成育」ですが、植物ですので「生育」の方でしょうね。

 結句の「出來」は、多くは「出現する、発生する」の意味で使用しますので、和語のような印象で気になります。
 「穫収」としてはどうでしょうね。



2020. 5.15                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第134作は (桐山堂半田) 睟洲 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-134

  初夏        

曉雨雲晴野靄翻   暁雨 雲晴れ 野靄翻す

行人孤影越山村   行人 孤影 山村を越す

清和麥節新秧長   清和 麦節 新秧長し

望見游風對鯉幡   望見す 風に游ぐ 対の鯉幡

          (上平声「十三元」の押韻)

<感想>

 良い詩で、初夏の爽やかさが感じられます。
 転句の「長」は「生長する」の場合には「ちょうズ」と読みたいですね。
 「長し」ですと「ながシ」と読んで、平声に感じます。

 鯉のぼりは日本の風習ですので、難しいことに挑戦されたわけですが、お上手に描いていらっしゃると思います。
 もし可能ならば、転句に持ってくる形で、「蒼天群泳鯉魚幟」とする案もありますね。



2020. 5.18                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第135作は (桐山堂半田) 睟洲 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-135

  端午        

涼風清爽夕陽汀   涼風 清爽 夕陽の汀

端午遊行宿旅亭   端午の遊行 旅亭に宿す

粽供屈魂傷志習   粽 屈魂に供し 志を傷む習ひあり

遠雷獨坐掲杯銘   遠雷 独坐し 杯を掲げて銘す

          (下平声「九青」の押韻)

<解説>

 昨年五月、木曽駒高原に家族旅行をした。
 残雪は山陰にあったが、コブシは開花していた。
 二〇〇四年九月中国旅行の時、長沙よりバスで洞庭湖畔を経て岳陽に行った。
 屈原縁故の汨羅は車窓より眺めた事を回想する。端午は屈原の命日と言われる。

<感想>

 こちらの初夏の詩については、前半は言葉が滑らかに紡がれています。

 転句は「端午」に絡んだ故事を入れたものですので、屈原を思う気持ちが伝わるかどうかですが、よく出来ていると思います。
ただ、承句で「宿」にしましたのが場面としては夕方から夜ですので、旅館の夜にどうして屈原のことを思い出したのかが疑問になります。
 となると、承句で「渓水」の近くに佇んでいるようにしたいですね。
 下三字だけの変更で、起句を「遠峰青」、承句を「立碧汀」のようにしてはどうでしょうね。

 結句は承句との関わりで行くと、「獨坐」は要らないので「獨聞」、そして最後を「宿山亭」とすると、時間の流れも落ち着くと思います。



2020. 5.18                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第136作は (桐山堂半田) I・F さんからの作品です。
 

作品番号 2020-136

  初夏偶吟        

花園C晝拷A稠   花園 清昼 緑陰稠し

新樹陽光鳥語柔   新樹 陽光 鳥語柔らかなり

躑躅紅霞詩景好   躑躅 紅霞 詩景好し

薫風閑坐意悠悠   薫風 閑坐 意悠悠たり

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 近所の公園を散歩すると、季節が初夏へと移り、新緑やつつじに癒やされました。

<感想>

 起句ですが、「花」園に「緑陰稠」となるのは違和感がありますね。
「庭園」「小園」としておきましょうか。

 同様に、「緑陰稠」と言った直後に承句で「新樹」となるのもしつこいです。
あまり新緑のことを出してしまうと、次の「躑躅」が弱まってしまいます。
 溢れるような初夏の日差しという感じで「滿目」「燦燦」などとしておきましょう。

 転句はツツジの垣根が続いている光景でしょうね。「霞」が適するかどうか、「紫牆」「紅垣」などが良いかもしれません。

 結句の「閑坐」はどこに坐っているのか。
 作者としてはベンチとか芝地にでも座って一休みということでしょうが、いつの間にか家に戻ったような印象です。
 風を表す言葉で「薫風爽爽」「薫風颯颯」として下の「悠悠」と対応させてはどうですか。
 他には「闊歩」と無難に収めても良いですね。



2020. 5.18                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第137作は 遊空 さん、横浜にお住まいの20代男性の方からの初めての作品です。
 お手紙には、「処女作になります。大切な人にどうしても詩を送りたく、見様見真似で詠ませていただきました。漢詩どころか漢文そのものも高校以来さわっておらず、拙く、不備があるかもしれませんが、どうかよろしくお願い申し上げます。」とのことでした。

作品番号 2020-137

  零桜        

月色風情映彩霞   月色 風情 彩霞に映ず

釵光明媚感無涯   釵光 明媚 感涯り無し

芳心如夢難帰去   芳心 夢の如く 帰り去り難し

紅雨煌々惟酔花   紅雨煌々として 惟だ花に酔ふ

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 満開の夜桜の下、舞い散る花弁の中に佇んでいる美しい。
 ずっとこの時間が続けば良いのに、と思いを伝えたく詠みました。

<感想>

 処女作とは思えない内容で、使われた言葉も詩に即しており、詩吟でもなさっていましたか。
「見様見真似」のレベルではなく、初めてでこれだけ出来れば、素晴らしいの一言です。
押韻や平仄の点でも問題ありませんし、お気持ちも入っていますので、人生初という記念の作品としては、あまり他人の手を入れない方が良いでしょうね。


 その上で、「大切な人」に送るということですので、若干のアドバイスをすれば、

 起句の「色」「風情」もどちらも「月」の様子を表す言葉です。「月の光」が「映」ずるなら良いのですが、「月色」「風情」が「映」ではズレがあります。
「清月春天上彩霞」という感じで、月そのものを主語にしておくと、承句の「釵光」への流れも素直に入れます。

 承句からの「感無涯」「如夢」「惟酔花」はどれも感動を表す言葉で、あまり繰り返したくはないですね。
 しかし、「芳心」は相手の心を敬った言葉、「如夢」は核心の言葉かと思いますので残したいでしょうから、直すなら「感無涯」でしょうか。
 その場合、可能ならば、この桜の場所が分かるような言葉(「水堤涯」「照京華」)が入ると、ご自身にもお相手にも記念の詩としての意味合いが深まるでしょう。
 良い代案が浮かばなければ、現行のままで十分です。

 最後の「紅雨」は花吹雪でしょうが、夜の場面ですので「煌」は気になります。
「紛紛」が一般的でしょうが、少し艶っぽくするならば「艶容」、しとやかな美しさを出すなら「婉容」なども考えられます。

 尚、「々」は記号で、漢字ではなく、当然平仄もありませんので、漢詩本文には使いません。



2020. 5.18                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第138作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-138

  風電話        

自是如清域   是より 清域の如し、

陽岡結界籬   陽の岡 結界の籬。

只存風電話   只存す 風の電話、

猶在魄遊離   猶在り 魄の遊離。

繋絆親朋便   絆を繋がん 親朋の便り、

昇天骨肉詞   天に昇る 骨肉の詞(ことば)。

花揺伝冥報   花は揺れて 冥報を伝へ、

傾聴鎮魂詩   傾聴すべし 鎮魂の詩。

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 震災からもう九年が過ぎたでしょうか。

 誰が名付けたか、「風の電話」。ここには電話線は繋がっていない黒い電話があるだけです。
 ですが、震災の犠牲者との絆を求めて人々が訪れると言います。
 葬儀や法要と言いますが、必ずしも死んだ人間の為だけでなく、生きた人間の心の整理の意味もあると思います。

<感想>

 「風の電話」は岩手県ですね。
 震災で親しい人を亡くした人が、あの世の家族と話をしたいという時のための電話で、電話線が繋がっていなくて「心で話す」とされています。

 突然親しい人を理由も無く失ってしまう、という点では、そしてその人と最後のお別れもできないという点でも、津波の災害とコロナウイルス感染も似ているかもしれません。
 相手からの返事は聞けないかもしれませんが、思いを伝えることだけでも、この電話に託すことができるなら、と思わずにはいられません。

 第二句の「陽岡」だけがよく分からないので、注が欲しいところですね。



2020. 5.25                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第139作は 雷鳴 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-139

  春暮        

滿目飛花杜宇聲   満目の飛花、杜宇の声

故村春色暮天C   故村の春色、暮天清し

何人與我戯詩酒   何人か 我と詩酒に戯れ

吟月通宵邀夜明   月を吟じて通宵、夜明を邀(むか)へん

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 函館ではようやく数日前に桜が咲きました。
 添付した写真は我が家の向い側になります。




  辺り一面に桜は舞い散り、ホトトギスがさえずっている、
  そんな故郷の春景色に、夕暮れの空も澄んでいる。
  誰か僕と一緒に詩酒に戯れて、
  夜を徹して月を吟じ、朝を迎えませんか。

 先日、『荻生徂徠全詩1』(東洋文庫)を購入しまして、その解説に、徂徠の詩は先人の作品に次韻したものが多いとあって、自分でも試してみようと思いました。
 今回の詩は、『唐宋聯珠詩格』に取られている次の杜牧「処士亭」に次韻したものです。

    處士亭  杜牧
  水接西江天外聲
  小齋松影拂雲C
  何人教我吹長笛
  共倚春風弄月明

 杜牧の楽しげな感じと違い、自分の詩では、いつもならお花見の時期なのに外出自粛で家に閉じこもったきり、家族以外の誰とも会わない寂しさを描いています。

<感想>

 転句の「何人」は反語形として、「誰も居ない」という結論に辿りつくわけですね。
 ただ、「誰か居ないかな」という願望の意味としても解釈できますので、コロナウイルスが落ち着きましたら、友を呼ぶ時にまた楽しく読めるでしょうね。

 流れとして、「暮天」「通宵」「夜明」と時刻を表す言葉が続き、また、起句の「滿目飛花」や承句の「暮天C」とそれなりに美景を見ている時に、更に「夜明」までと希望するのも少し欲張り過ぎのように感じます。




2020. 5.25                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第140作は 觀水 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-140

  令和二年送春有感        

疫鬼乘春已轉移   疫鬼 春に乗じて 已に転移し

扶桑蠶食忽臨危   扶桑 蚕食せられて 忽ち危に臨む

人心擾擾無由鎭   人心 擾擾として 鎮むるに由無く

肺病新新不可醫   肺病 新新にして 医すべからず

全國強排三密處   全国 強ひて排す 三密の処

一年甘遠五輪期   一年 甘んじて遠ざく 五輪の期

清和四月光風好   清和 四月 光風好きも

尚未盡春何所怡   尚ほ未だ春を尽くさず 何の怡しむ所ぞ

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

  新春迎えたその裏で ウイルス入り込んでいた
  国のあちこち拡がって 日常生活さま変わり
  みんなイライラ募らせて 落ち着く方法なんてなく
  今までにない肺炎で 治す薬は未開発
  密閉・密集・密接を 日本中で取り除き
  一年だけと言いながら オリンピックも延期した
  かがやく五月の初夏の風 こんなに気持ち良いけれど
  楽しむ間もなく春が去り 心の弾むわけがない


<感想>

 コロナウイルスの状況は日毎に変化していて、緊急事態宣言の解除の地区も多くなってきました。
 しかし、まだまだ前途は多難なようで、コロナとの新しい日常が必要なのでしょう。

 この事態につけ込む詐欺や便乗商法、デマや偽正義感、「蠶食」されて行くのはまさに人間の心だと思い知ります。
 本来「正義」は誰の心にも備わっているものですが、「正義を語るには資格が要るぞ」とつい叫びたくなりますね。

 もうすぐに六月、夏の暑さの中でマスクは耐えがたいところ、何とか終息して欲しいですね。



2020. 5.25                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第141作は (桐山堂刈谷)T・K さんからの作品です。
 

作品番号 2020-141

  萬花郊村        

盡日徘徊白髪人   尽日 徘徊す 白髪の人

東風吹滿九旬春   東風 吹き満つ 九旬の春

城南山麓羊腸路   城南の山麓 羊腸の路

撩亂櫻花趣最眞   撩乱の桜花 趣最も真なり

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 詩に桜の花しか登場しないので題名に合わないかと心配していると書かれていましたが、「万花」は花の種類だけではなく、数の多い場合にも使います。
 例えば、桜を「千樹万花」のように表します。
 転句に「山麓」がありますので、こちらの関係で行けば題を「万花山村」とした方が良いですし、逆に題名に合わせるなら、「郊村和気城南路」のような調整もできます。

 承句は四字目「満」ですと、九十日の春の間ずっと吹き続けたような感じになります。
 ここは「吹染」のようにすると、じわじわと春の気配に染まっていく感じになるかと思います。

 結句の下三字は最後としてはややインパクトが弱いですね。
 桜の花もこの結句で初めて出てきますので、感動は大きくしたいところ。  「万朶桜花撩乱辰」などでお考えになってはどうですか。



2020. 5.25                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第142作は茨城県にお住まいの 紫峰 さん、40代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2020-142

  江橋春望        

錦繡清明魂魄擒   錦繍 清明にして 魂魄擒(とら)はる

江橋獨佇聴川音   江橋に独り佇み 川の音を聴く

紅帷黄毯飾河郊   紅帷 黄毯 河郊を飾る

三月春姸値萬金   三月の春妍 万金に値ふ

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 美しい花々は清く明らかで、(眺めていると)自分の魂が虜となってしまう(程に美しい)。
 橋の上に独りで佇みながら、川の流れる音を聴いている。
(同時に視界に入って来る、川の両岸の光景は)垂れ掛けられているピンク色のカーテン(桜)と、
    地面に敷かれている黄色の絨毯(菜の花)が川岸を彩り、飾っている。
 このような三月(陰暦。現在の四月)に見られる春の景色(の美麗さ)こそは、まさしく万金の価値があると言うものだ。


<感想>

 紫峰さんは、今回の作品は四作目とのことです。

 漢詩の勉強をされている中で、色々と疑問になることがお有りのようで、沢山の質問をいただきました。
 入門期の方々の共通の疑問と思われますので、ご質問と私の返事を「桐山堂」のコーナーで紹介させていただきたく、ご本人の了解もいただきましたので、近日中に掲載します。


 さて、詩の感想に行きましょう。

 平仄(「二四不同」「二六対」)は整っていますが、押韻の点で、転句の末字、押韻しない句は仄声で終るのが決まりですので、ここは下三字を直さなくてはいけません。
 なお、近体詩は原則として押韻は平声で行うことになっていますので、押韻しない句を仄声として変化をつけるわけです。古詩の風格を出す場合など、仄声で押韻する詩もありますが、その場合には押韻しない句は平声になります。
 孟浩然の「春暁」、高適の「「江雪」などに見られます。

 句を順番に見ると、起句は「錦繡」といきなり来ましたが、これは勿論比喩ですので、何を例えているのかが分からないと話が進みません。早めに種明かしができると良いのですが、「清明」では比喩を解くことは出来ないし、私は最初「二十四節季」の「清明」かと思いました。
 ややくどいかもしれませんが、ここは「錦繡滿堤(錦繍 堤に満ちて)」とすると、堤が何かで奇麗に彩られていることがわかりますので、「魂魄」「擒」となった対象もはっきりします。

 承句はこのままで良いですね。手を入れるなら、「獨佇聽川音」がやや寂しげなので「風暖樂川音」なども面白いでしょう。

 転句は本詩の中心とのことですから、下三字を華やかにして、「花撩乱」などもありますね。

 結句は良いでしょう。


 まとめてみますと、

  錦繡滿堤魂魄擒   錦繍 堤に満ち 魂魄擒(とら)はる
  江橋風暖樂川音   江橋 風暖かく 川の音を楽しむ
  紅帷黄毯花撩亂   紅帷 黄毯 花撩乱
  三月春姸値萬金   三月の春妍 万金に値ふ





2020. 5.26                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第143作は 向岳 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-143

  桜時        

現役桜時酙酒春   現役 桜時 酙酒の春

連休同族宴交歓   連休 同族 宴で交歓

萬花看看翁充気   萬花 看看 翁気が充つ

樹木生生浄土臻   樹木 生生 楽土臻る

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 今回の詩は、なかなか悩ましいですね。

 起句は「現役」は、お仕事をなさっていた頃を思い出してということですかね。
 現在仕事に就いている、というならば良いですが、かつてのことを言うのは日本語用法ですね。
 同様に承句の「連休」も「連続休日」の省略形で現代日本での造語でしょう。
 この詩の場合は、「桜時」ですので「ゴールデンウィーク」までは行かないでしょうが、もし使えば完全な和語ですね。
 なかなか難しいですが、入門期は特に、詩語集や漢和辞典で言葉を確認するようにしましょう。

 起句の「現役」「懷昔」くらいが妥当でしょう。

 承句はまず、韻字が合いません。「歓」「上平声十四寒」に属する字です。
 「上平声十一真」にこだわらなければ、起句の韻字を「闌」として韻目を変更してしまうことも考えられますが、取りあえず、ここは「親」とか「頻」で考えてはどうでしょう。
 内容的にも、起句で「昔のこと」を出して、突然「連休同族」ではどういうお気持ちなのか、読者には伝わりにくいですね。
 昔のことに話を持って行くなら承句も同じような時間に持って行くべきですし、逆に現在の家族との宴を言うなら、混乱の元である「現役」をばっさり削る気持ちが必要でしょうね。
 「起句承句でひとまとまり」というのは作詩でも観賞でも大切な要素です。

 転句は、ここで話題転換ですので、話が飛んでいても一応読者にも読んでは貰えますし、句として大きな齟齬があるわけでもないですから、このままでよいでしょう。

 結句は「浄土」「楽土」となっていて、本文と読み下しで違っていますが、どちらにしても話が大げさ過ぎます。
 比喩だとしても、桜を見て酒を飲んだだけですので、それに見合うくらいの「幸福」で描いていかないと、作者の実感という点では伝わるものが無くなります。

 用語としても最初の頃に比べると無理矢理という言葉は少なくなりましたし、「二・二・三」の句作りも整って来ましたね。今回の課題としては、「現役」「連休」「浄土」の語句の直し、繰り返しますが「全体の一貫性」ということでしょう。



2020. 6. 1                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第144作は 向岳 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-144

  悟        

釈迦民衆社交親   釈迦 民衆 社交して親しむ

無悩宗教救済貧   宗教は 悩を無くし 貧を救済する

天仰萬花生力感   天を仰いでいる 萬花 生きる力を感じ

身心煩捨仏陀遵   身心 煩を捨てて 仏陀に遵ふ

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 こちらも最初の句から行き詰まりますね。
 多分、「お釈迦様は民衆の中に入り民衆と親しまれた」ということでしょうが、「釈迦」「民衆」「社交親」では三題噺のようなもので、読者への負担が大き過ぎますね。

 承句も、この形ですと「無悩の宗教」としか読めませんので、「悩みのない脳天気な宗教」という感じで印象悪いですね。仏教で「無悩」という言い方がそもそもあるのでしょうか。

 転句は文法間違いです。「天仰」では「天が仰ぐ」です。「生力感」もこれでは「生力の感」あるいは「力感を生ず」です。
 漢文では「目的語は述語の後に来る」わけで、ここは「仰天」「感生力」が本来の語順です(「生力」も疑問ですが)。平仄のために入れ替えたということでしたら、それは本末転倒で、意味が通じなくなっては句として成り立たないですね。
 古人の詩でも、押韻のために下三字を文法破りしたり、平仄のために語順を入れ替えることも時にはあります。しかし、今回のように意味が全く違ってしまったり、言葉として通じないような場合は許されないと思いましょう。

 そうなると、結句もお分かりになると思いますが、「煩捨」「仏陀遵」も述語と目的語の関係ですので逆になっています。

 主題となる「悟」という点では詩に統一感はあると思いますので、完成まで行きたいですね。申し上げた辺りを検討し、再度練り直してみてはいかがでしょうか。



2020. 6. 1                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第145作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-145

  懷結婚四十年        

囘頭萬感舊懷情   頭を回らせば 万感 旧懐の情

問汝如何踏破行   汝に問ふ 如何が踏破の行はと

先役福岡甘薄禄   先ず福岡に役し 薄禄に甘んずるも

男兒生誕草居明   男児生誕して 草居明るし

恵庭札幌還霞浦   恵庭札幌 還た霞ヶ浦

滑雪釣魚加野營   滑雪釣魚 加た野営

遍歴他郷親故遠   他郷を遍歴して 親故遠く

育成三稚孝簾成   三稚を育成して 孝簾成る

十年遊仕歸桑梓   十年の遊仕 桑梓に帰り

二姓厳慈恩拙誠   二姓の厳慈 拙誠を恩まる

漸放俗塵知雪月   漸く俗塵を放れ 雪月を知り

時邀孫子願光榮   時に孫子を邀へて 光栄を願ふ

獨夫酣飲婦功貴   独夫酣飲 婦功貴く

偕老安閑家室平   偕老安閑 家室平らかなり

四十春秋猶一夢   四十春秋 猶ほ一夢のごとく

同覉尚娯五旬程   同羇尚ほ娯しまん 五旬の程

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 先日、結婚四十年を迎えました。
 隣県に嫁いだ娘も孫を連れて来てくれ、「まあ何とか続いたかな」と言う所です。

 ついては、初めて作った長めの詩を投稿させて頂きます。
 少し散文的に成りましたが、如何でしょうか。
 また、3・4句の「対」は2句一意と言うことでお許しを。

「滑雪」はスキー、「野営」はキャンプ、「霞浦」は茨城県の霞ヶ浦です。
「二姓厳慈」は亡くなった両家の両親ですが、「考妣」は平仄が合わず厳慈としました。
「三稚」は、三人の幼子のつもりですが、如何でしょうか

<感想>

 まずは四十年、おめでとうございます。
 四十年の歳月を振り返るとなると、この十六句でもとても書き切れないというお気持ちでしょう。
 最後に奥様への感謝と、金婚式が楽しみだという結びで、収まりは良いですね。

 全体の流れとしては、全国を転々とした最初の十年、帰郷した後の親や子どもたちとの暮らし、老年の心境と並んでいます。

 3句から6句は地名が入った分具体的で生き生きとしています。ここの対句の違和感は東山さんご自身も意識されているようですね。
 対句については、全体に句の構造としては良いですが語の対に緩いところがありますが、勢いで乗り切ったという印象です。

 7句からは帰郷してからのご家族のことが中心になりますが、11句からは最近の心境というところでしょうね。
 起聯と結聯で全体をまとめて、中は四句でひとまとまりという形で作られていますが、やはり四十年を伝えようとすると「一韻到底」では変化が乏しく、「散文的」と思われた原因でもあるでしょう。
 二人でこれまでを振り返る、ということでしたら、奥様も同じ歳月を過ごして来られてよくお分かりの事柄、このままで十分納得していただける詩です。
 他の人が読むことを考えると、「換韻」格で、いくつかの解(段落)に分けた方が読みやすいと思います。



2020. 6. 9                  by 桐山人



東山さんからお返事をいただきました。

 こんばんは
 拙詩、早速のご掲載、またご感想、有難うございます。
 初めて長いのを作りましたが、やはり韻を換えた方が良かったと思います。
 内容が無く、お恥ずかしい限りですが、作るという作業自体が「来し方」又「今後」を考える事に繋がるように思います。
 これからも宜しくお願い致します。

 今年の宮崎大会は、コロナの影響はどうでしょうか。
 私も、巣籠もり状態で毎日近所を散歩するぐらいで、「家呑み」で辛抱しています。
 先生もお気をつけてお過ごし下さい。


2020. 6.12                  by 東山

 私も巣ごもりでしたが、6月になってようやく、高校の仕事が再開、漢詩教室も一つだけ再開、今日は名古屋まで電車で出かけました。
 宮崎国文祭は何とか無事に開催できると良いですね。

2020. 6.20                  by 桐山人























 2020年の投稿詩 第146作は 石華 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-146

  春畦        

雨餘郷邑荷鋤行   雨余の郷邑 鋤を荷ひ行けば

菜圃荒蕪雉一聲   菜圃 荒蕪 雉一声

歳久客衣不問處   歳久 客衣 処を問はず

今朝草帽汗春耕   今朝 草帽 春耕に汗す

          (下平声「八庚」の押韻)

「草帽」: 麦わら帽子

<解説>

  雨上がりの村里、鋤を肩に出かけると
  家庭菜園は荒れ果て、雉の縄張りに。
  永いこと転勤で留守にしていたからなぁ。
  今朝は麦わら帽子で、農作業にひと汗かいた。



<感想>

 起句の「郷邑荷鋤行」から承句の「菜圃荒蕪」への流れで行くと、石華さんの菜園ではなく、「郷邑」全体が荒れ果ててしまっているように感じます。
 「郷邑」が原因ですので、ここは出かけた時の事情(時刻や誰と行ったかなど)を述べてはどうでしょうね。
 同様に「菜圃」も「小圃」としておくと良いでしょう。

 「雉一聲」は草が生い茂った状況を象徴して、良い言葉だと思います。詩の結びに使いたいくらいですね。

 結句の「今朝草帽」は転句の「歳久客衣」に対させて読むと、味が出ますね。



2020. 6. 9                  by 桐山人


石華さんから早速、推敲作をいただきました。

    歸耕
  陶公故實荷鋤行   陶公の故実あり 鋤を荷ひ行けば
  小圃荒蕪雉一聲   小圃 荒蕪 雉一声 
  歳久客衣不問處   歳久 客衣 処を問はず
  今朝新笠汗春耕   今朝 新しき笠 春耕に汗す
     (下平声「八庚」の押韻)

 詩の舞台を題名にしていましたが、詩の内容に変えました。
 畑へ行った事情は家庭内の力関係ですが、色々あって陶淵明に登場願いました。
 結句は「草帽(麦藁帽子)」より、妻が買ってくれた「新しき笠」がピッタリかと…。

2020. 6.12              by 石華




 家庭内の力関係はさておき、新しい笠は良いですね。これで、詩中に奥様の顔が見えるともっと良いですかね。

 起句の「陶公故実」ですが、この詩自体は、小さな日常を描くことが主眼ですので、大げさに感じます。
 「雨が上がったから」という流れで、「仕方なく」なのか「待ちかねて」か分かりませんが、私は「いそいそと」「そわそわと」という感じが良いかと思います。
 陶潜にご登場願うなら、『帰去来辞』に「遑遑」という言葉がありましたね。この辺りを使うのも面白いと思いますが。

2020. 6.19              by 桐山人


石華さんから三敲作をいただきました。

    歸耕(三稿作)
  雨餘裹飯迫妻行   雨余 飯を裹み 妻に迫られ行けば
  小圃荒蕪雉一聲   小圃 荒蕪 雉一声
  歳久客衣不問處   歳久 客衣 処を問はず
  今朝新笠汗春耕   今朝 新しき笠 春耕に汗す
(下平声「八庚」の押韻)

 再敲作にまで適切なアドバイスをありがとうございました。
 「雨が上がったので、おにぎりを持ち、妻にせかされて…」から始まり、「新笠」も妻が持たせてくれて…。と続けました。

 でも、主題は「帰郷安臥」だつたのに。
 次は亭主関白の名作をと。

2020. 6.22              by 石華
























 2020年の投稿詩 第147作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-147

  看花        

逝妻手植咲薔薇   逝妻 手植の 薔薇が咲く

時節催花詩就稀   時節の花を催す 詩就る稀なり

寂寂幽居茅屋下   寂寂たる 幽居 茅屋の下

黄昏又訪送春帰   黄昏 又訪ふ 春帰るを送る

          (上平声「五微」の押韻)

<感想>

 外出自肅で在宅ですと、奥様を思い出されることも多いでしょうね。

 まず、題名は「(看)薔薇」と花の名を出した方が良いですね。

 起句は「手植薔薇」と続けるのは苦しいですので、下三字で一つの言葉になるように「幾薔薇」「架薔薇」など。

 承句は「時節催花」で良いですが、「時節花を催す」と続けず、「時節 花を催す」と読みましょうか。
 下三字は、詩が出来上がらないのでは花が開いた意味が無いので、韻字を「囲」「幃」などに変更して、香りを出してはどうでしょう。

 転句の「幽居」「茅屋」はどちらかで良いと思います。

 結句は「又」は「復」、「春帰」は「春暉」が良いでしょう。





2020. 6. 9                  by 桐山人


深渓さんからお返事をいただきました。

ご添削有難く、下記の如く補正いたしました。


    看薔薇
  逝妻手植幾薔薇   逝妻 手植の薔薇に幾(こいねが)ふ
  時節催花詩就幃   時節の花催す 詩幃り就す
  寂寂偸生茅屋下   寂寂たり 生を偸む 茅屋の下
  黄昏復訪送春暉   黄昏 復た訪ふ 春の暉きを送る


2020. 6.11                   by 深渓























 2020年の投稿詩 第148作は中国上海市にお住まいの 于義石 さん、40代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2020-148

  長安夜        

夜至長安満玉沙、   夜長安に至ると玉砂が満ち

銀河倒影落雲霞。   銀河の倒影 雲と霞より落ち、

千楼燭照秦宮月、   千楼 燭(ともしび)秦宮の月を照らし、

万戸灯輝漢帝家。   万戸 明り漢帝の家を輝く。

火樹無窮連酒肆、   火樹 無窮なり酒肆を連ね、

瑤漿未飲酔琵琶。   瑤漿(ようしょう)未だ飲まずにして琵琶に酔い

凉州曲罷傾盃尽、   涼州の曲 おえると盃を傾き尽き、

燕舞同飛苑柳花。   燕舞(えんぶ)とともに飛ぶ苑柳の花

          (下平声「六麻」の押韻)

「玉砂」: 星の喩え
「火樹」: 灯篭のこと
「瑤漿」: 美酒のこと
「燕舞」: 唐代に宴で披露した舞

<解説>

 こんにちは。初めて御連絡しますが、日本の漢詩には深い興味を持つ故、漢詩の交流を宜しくお願いします。

 日本語の語学力がまだまだのため、ご指導宜しくお願いします。

  夢で見た、唐の長安の様子や景色を漢詩で描きました。

  玄宗の全盛の時代を歌い、李白など詩人達と宮殿の近くに飲み合った場面です。
  李白が酔うと好きな涼州の曲に合わせ、柳の花が飛ぶ春の中舞い始め、その風流さを語りきれなかったとの夢でした。

<感想>

 コロナウイルスのせいで日本もほぼ150年前の鎖国状態、人と人の行き来は難しい状況ですが、漢詩を愛する仲間と国を超えて交流できることは嬉しいことです。

 詩仙李白と酒を飲むというのは、何とも羨ましい夢ですね。
 日本の和歌の世界で誰と一緒にお酒を飲みたいかを考えると、貫之、業平、小町、定家・・・どうもお酒というイメージでは無いですね(私の個人的な感想ですが)。
 楽しく詩酒に耽るという点で、李白に匹敵する方を探すと、これはもう物語の世界から光源氏あたりにご登場願わないといけないかもしれませんね。

 感想ということでは、まるで唐の時代にタイムスリップしたような趣で、楽しく最後まで読みました。

 対句も丁寧にお作りになっていると思いますが、三句から「燭」「灯」「火樹」と並んで、同じような景色が続く印象なのがやや物足りないところでしょうか。

 読み下しも日本語をよく勉強されているようですね。
 日本語の読み下しは単なる翻訳ではなく、ある種のリズムを保ち、読み下しそのものも韻文のように楽しめるように工夫をします。
 そういうことで、日本の方に伝わりやすいということでは、倒置法を使って以下のようにした方が良いかと思いますので、ご参考に。

夜長安に至れば玉砂満ち、
銀河 影を倒(さかし)まにして 雲霞落つ。
千楼 燭は照らす 秦宮の月、
万戸 灯は輝く 漢帝の家。
火樹 窮まる無く酒肆に連なり、
瑤漿 未だ飲まずして琵琶に酔ふ(う)。
涼州の曲罷みて 盃を傾くること尽き、
燕舞は同(とも)に飛ぶ 苑柳の花と。


2020. 6.20                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第149作も中国上海のは 于義石 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-149

  長安嘆古     長安にて古を嘆く   

秦川昔日帝王家、   秦川 昔日 帝王の家なり、

郁郁叢深野菊花。   郁郁たる叢野 菊の花深き、

断壁風塵吹過客、   断壁 風塵が過客を吹き、

荒園草木掩啼鴉。   荒れた園 草木 啼き鴉を掩う。

霓裳旧影誰猶記、   霓裳の旧い影を誰ぞ猶記え、

鴈塔残暉暮已斜。   雁塔の残った輝き暮れに斜めになり

惟嘆楽游原上柳、   唯楽遊原の上の柳を嘆き、

青絲化雪望雲車。   青絲が雪になっても雲車を望む。

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

  西安を訪れると唐の遺跡が大雁塔のほか何も残らず、
  玄宗皇帝の宮殿が既に草と花に包まれています。
  楊貴妃の霓裳の影を誰が覚えていますか?
  昔の楽遊原の上に未だ古い柳が残り、髪のような枝が白くなっても李白の雲車の到着を眺めています。

<感想>

 こちらの詩も、まずは読み下しの音調を整えましょうか。

秦川 昔日 帝王の家、
郁郁たる叢野 菊花深し。
断壁 風塵 過客を吹き、
荒園 草木 啼鴉を掩う(ふ)。
霓裳の旧影 誰か猶ほ記せん、
雁塔の残暉 暮れて已に斜めなり。
唯嘆く 楽遊原上の柳、
青絲 雪と化すも 雲車を望まん。


 安史の乱の後、それこそ「長恨歌」の世界でしょうね。
 荒廃した都に佇んだ詩人の姿が髣髴と浮かんできます。
   「雲車」は「仙人の乗る車」、ここは唐の都長安ということで李白を待つわけですね。
 伏線として「霓裳旧影誰猶記」が入っていますが、李白にすぐ繋がるかどうかはやや微妙でしょう。



2020. 6.20                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第150作も中国上海の 于義石 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-150

  望月思人     月見で人を思う   

時逝旧情愈覚珍、   時逝くと旧情愈珍れに覚え、

近来睹物総沾巾。   近来物睹(み)るといつも巾を沾い

何憐客燕分飛久、   何ぞ客燕が久しく分かれ飛ぶを憐れみ、

但恨知心未比隣。   但し知心が未だ比隣(ひりん)にならずを恨む。

昨歳深秋離別雨、   昨歳 深秋 離別の雨、

今宵望月感傷人。   今宵 望月 感傷の人、

長安路遠三千里、   長安への道 三千里遠くも

猶等君帰浙水濱。   猶君が浙水の濱に帰るを等つ。

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

  時が流れるとともに、心の通じあう人をますます思い、
  月が幾度に丸くなっても、君が帰らず、
  心を痛め、涙がよく襟を濡らした。
  長安がいくら遠くても、僕は浙水の濱に君をずっと待っている。
  必ず待っています。

<感想>

 同じく、読み下しの音調を整えましょうか。

時逝けば 旧情愈よ珍れに覚え、
近来物睹れば 総(すべ)て巾を沾(うるお)す。
何ぞ客燕の分かれ飛ぶこと久しきを憐れみ、
但だ知心の未だ比隣ならざるを恨む。
昨歳 深秋 離別の雨、
今宵 望月 感傷の人。
長安 路遠きこと 三千里、
猶ほ君が帰るを等つ 浙水の濱。



 色々な場面が想像できる詩ですが、前二作と同じように、唐代に飛んだ方が面白いでしょう。

 「浙水」は「浙江」、つまり銭塘江ですので、杭州が舞台。
 私は杭州、君は長安と離れ離れとなっても、ずっと待ち続けているという心情が、切切と伝わります。

 頸聯が事情説明になりますが、好聯だと思います。
 首聯での心情吐露がやや唐突な印象ですので、例えばこの頸聯と首聯を交換してみると、味わいが出るように思いますが、いかがでしょう。

2020. 6.20                  by 桐山人