2020年の投稿詩 第91作は 羽沢典子 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-91

  冬空        

帰途冬独佇   帰途 冬 独り佇む

思案我仰天   思案ありて 我 天を仰ぐ

早晩多星耀   早晩 星は多く耀き

如看皎上弦   みまもるが如し かがやく 上弦

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 冬、出先から帰るときに、バス停で思いついた詩です。
 思いついてから、漢詩になるまで時間がかかり、主人が、「皎」などの漢字を教えてくれて完成しました。
 休日に一日がかりです。
 ご無沙汰しました。

<感想>

 返事が遅くなりました。
 ご夫婦での共同作業、いつも微笑ましく思っています。

 道を歩いていて、ふと見上げた星の美しさは冬の空ならではのものですね。そこに上弦の細い月を配した構図も良いと思います。

 起句は「帰り道」で「冬」で「独り」で「立っていた」ということで、場面設定をしたわけですが、五言の句に詰め込み過ぎで、句自体がもたついていますね。
 「冬」ということを直接言わなくても、例えば承句の下三字を「望寒天」とすれば良いので、この「冬」は削れますね。また、帰り道ということですと多分ひとりだとも分かりますので、「独」も削ってみると起句がかなりすっきりします。
 「帰途佇街巷」というところでしょうが、まだ説明文のようですので、うんと思い切って下三字を「風索索」という感じで叙景に持って行くのも良いと思います。

 承句は何を考えていたのか、心配事とかあったのならそれらしく書く必要がありますが、ここでは「案句」くらいで詩を考えていた形も良いでしょう。

 転句の「早晩」は色々な意味がありますが、ここでは「もうすぐ」くらいの意味でしょうね。
 「多星耀」はこのまま読めば「多くの星耀く」ですね。

 結句は「上弦」だけですと「月」と分かるのに手間取りますので、できれば「月上弦」としたいところ。
 ただ、せっかくご主人がアドバイス下さった「皎」ですので削るには忍びないかもしれませんが、「如看」の比喩が、星と月が寄り添うような感じを出して、作者の穏やかな心情が窺われる表現ですので、優先するのはこちらでしょうね。
 ご主人の凌雲さんに、私からお詫びを言っておきます。



2020. 3.22                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第92作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-92

  無題        

東雲神仏祟   東雲 神仏の祟り、

災積帝都危   災い積って 帝都危うし。

聖獣狂求血   聖獣 狂いて血を求め、

民衆恐献犠   民衆 恐れて犠を献ずる。

佞臣難解理   佞臣 理を解しがたく、

経世果忘慈   経世 果たして慈しみを忘れたるか。

四面無衣唄   四面 無衣の唄、

西風正義旗   西風 正義の旗。

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 プリンシパルのない日本と言う事を嘗て白洲次郎氏は言っていたそうです。確かに欧米で教育を受けてきた人にはそう見えるかも知れません。
 しかし、実はプリンシパルは日本にもあって脈々と受け継がれてきてます。言葉にははっきりしづらいのですが、確固としてあります。
 と、白洲次郎氏にもアンチテーゼを展開したい気分です。

 最近詩を書く題材に困るようになり、SFタッチに上のような漢詩を書いてみました。
 詩論にそぐわないのはごもっともですが、実験的に書いてみました。
 表現の自由としてこれぐらいは許されるかと思う次第であります。

<感想>

 「聖獣」は何かの比喩なのか、「佞臣」は誰のことかな、など色々と想像することはできますが、でも、映画のシーンを観ているようなストーリーが感じられる展開で、素直に詩を楽しむことができました。
 力の入った詩ではないかと思いましたよ。

 四句目だけは平仄が合いませんが、「民衆」は「衆民」の間違いでしょう。

 七句目の「無衣」は『詩経』からの言葉で、戦に向けて結束を高める歌の意味と解しました。

 やや言葉足らずかな、と思うのは、一句目の「東雲」と八句目の「西風」で、この「東」「西」は何か意図があるのでしょうか。
 また、六句目の「経世」は上の「佞臣」と対応させるなら「横政」でしょうか。



2020. 3.22                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第93作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-93

  春夜偶成        

春宵佳会共囲盧   春宵 佳会 共に盧を囲み

俗世等閑詩酒娯   俗世を等閑して 詩酒を娯む

花貌嬌聲蘭芸好   花貌 嬌声 蘭芸好し

巫山悲短一狂夫   巫山の短きを悲しむ一狂夫

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

 古希を過ぎて、未だにチョコレートを貰って喜んでます。
 お返しは食事会。女子会に自然に参加できるようになったことを喜んでいいのか悲しいのかわかりません。
 夢のような楽しい時間はあっという間に過ぎて・・・。

<感想>

 バレンタインデーに関わる詩を亥燧さんから二首いただきました。

 古希を迎えても家族以外からチョコレートを貰えるということは、社会との積極的な繋がりがあることの表れですね。
 そういう意味では、承句の「俗世等閑」がちょっと気取り過ぎな感があります。

 転句の「蘭芸」は「蘭芝」とも書きます。「香り草」のことですが、「士人・美人」の意味にも使われます。上の「花貌嬌聲」からも、ここは「美女」ですね。
 更に転句で「巫山」の夢が出てきますので、まあ、これは俗世にどっぷりということですね。
 承句は、上四字を直して、皆で宴を楽しむ様子を描いておくと統一感が生まれると思います。



2020. 3.24                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第94作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-94

  情人節即事        

眉黛嬌声春恨色   眉黛 嬌声 春恨の色

巫山之夢風流極   巫山の夢 風流の極み

香消枕上還叟時   香消ゆる枕上 叟に還る時

惻隠情深朱克力   惻隠の情深き朱克力

          (入声「十三職」の押韻)

「朱克力」: チョコレート

<解説>

 今年もまたバレンタインチョコをたくさんいただきました。
 お返しはいつも食事会(宴会)にしています。
 若い子といると華やかで、ついついはしゃいでお酒が過ぎてしまいます。

<感想>

 こちらも主題としては似ていますが、起句から見ていくと、美女が居て、巫山の夢を楽しんで、枕元に香が焚かれて、とエスカレートしています。
 艶っぽい表現は、言葉の楽しさを狙ったものでしょうが、やや遊び過ぎの感もあります。
 女性陣に顰蹙を買いそうな気もしますので、「巫山之夢」だけでも削ってはどうでしょうね。



2020. 3.24                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第95作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-95

  新春戲作        

春日斜長路   春日 長路斜めに

思詩輕世塵   思詩 世塵を軽んず

塵世輕詩思   塵世 詩思を軽んじ

路長斜日春   路長く 斜日春なり

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

   春の日の 坂道ながく
   詩を思い 浮世軽んず
   世の中も 詩を軽くみて
   路はるか 日の暮るる春

 所謂「上から読んでも、下から読んでも……」の回文詩です。
 日本語のかなの場合、普通に上半分と下半とで意味が変わってくるところに回文の面白味があるのですが、漢字では一字一字に意味があるので、回文にしても、単純に言えば、内容が半分になってしまうのがちょっと残念です。

<感想>

 回文詩にも色々な種類があるようですが、日本の『本朝文粋』に載っているのは、橘在列(ありつら)の作品ですね。

  寒露曉霑葉   寒露 暁にして葉を霑(ぬ)らし
  晩風涼動枝   晩風涼しくして 枝を動かす
  殘聲蟬嘒嘒   声を残す蝉 蟬嘒嘒
  列影雁離離   影を列ぬる雁 離離
  蘭色紅添砌   蘭色紅にして砌に添はり
  菊花黄滿籬   菊花黄にして籬に満つ
  團團月聳峰   団団として月は峰に聳え
  皎皎水澄池   皎皎として水は池に澄む
       『本朝文粋』(巻一 雜詩 廻文)

 「上平声四支」の押韻であるこの詩は、逆から読んでも「上平声十四寒」の押韻で成り立ちます。

  池澄水皎皎   池澄み 水皎皎
  峰聳月團團   峰聳え 月団団
  籬滿黄花菊   籬に満つ 黄花の菊
  砌添紅色蘭   砌に添ふ 紅色の蘭
  離離雁影列   離離として雁影列なり
  嘒嘒蟬聲殘   嘒嘒として蟬声残る
  枝動涼風晩   枝動きて 涼風晩れ
  葉霑曉露寒   葉霑ひて 暁露寒し

 随分前になりますが、鮟鱇さんが投稿してくださった「払暁飛觴」の詩は、「十字回文」(回文の形で漢字十字で七言絶句を作る)という形でしたね。

    払暁飛觴     鮟鱇
  飛觴払暁起風悲   觴を飛ばせば 払暁に風起きて悲しく
  暁起風悲魂夢帰   暁に起つ風の悲しければ魂夢帰る
  帰夢魂悲風起暁   故郷に帰る夢に魂悲しく風暁に起き
  悲風起暁払觴飛   悲しき風暁に起ちて觴を払って飛ぶ



 観水さんは「内容が半分になってしまうのが残念」と書かれていますが、日本語の回文は表音文字なので、ひっくり返しても同じ意味になりますね。
 逆に、漢詩の場合には、表意文字であることと、屈折語としての文法構造で、語順が逆になると意味が違ってくるという点が面白いところで、「内容が半分」というよりも「一度で二度楽しめる」という意識の方が強いでしょうね。


2020. 3.30                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第96作も 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-96

  感事        

能御舟車千萬里   能く舟車に御して千万里

整冠豹變非君子   冠を整へ 豹変あるも 君子に非ず

山川異域自同心   山川 異域なれども 自ずから心を同じうす

早晩必看艱禍已   早晩 必ず看ん 艱禍の已むを

          (上声「四紙」の押韻)

<解説>

 世間の混乱が続き、なかなか先行きの見えない現段階では、必ずしも正しく表現できているとは限りませんし、投稿することにも迷いはありますが、早期に落ち着くことを祈ってお送りします。

  船に飛行機、バス、タクシー 千里の道も何のその
  冠つけてあざやかに 変異かさねた似而非君子
  世界ところは違っても 心一つに立ち向かい
  いつか必ず乗り越える 新型コロナの大混乱

<感想>

 この三月は、本当にコロナウイルスに翻弄された一ヶ月でした。

 ヨーロッパで蔓延、アメリカでもと聞くと、内心は「日本は早めに流行が来たから、もうピークは過ぎた」ような感覚になりそうでしたが、この数日は東京で、オリンピック延期を待っていたかのようなタイミングの、感染の増加です。
 まことに観水さんの仰るように、「山川異域自同心」が大切だと肝に銘じました。

 前半のややお茶目な比喩が、事態の深刻さと合うかを心配されたのかな、と思います。
 観水さんが作詩された時期から刻一刻と変化していることで、ひょっとすると観水さんのいらっしゃる千葉も大変な状況かと思いますが、この詩はいただいた三月上旬の記録として拝見できますね。
 



2020. 3.30                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第97作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-97

  探梅        

暇日遊行淺水涯   暇日 遊行 浅水の涯

川邊二月薄寒加   川辺の二月 薄寒 加はる

梅林寂寂無人訪   梅林 寂寂 人の訪ふ無し

破蕾横斜三兩花   蕾を破る横斜 三両花

          (下平声「六麻」の押韻)

<感想>

 梅の季節には、まだコロナウイルスの感染がそれほど広まっていませんでしたから、岳城さんのこちらの詩も、そういう意味では穏やかな時節でしたね。

 前半は梅を出さずに周辺の景を描き、転句から結句で一気に梅を出して来るという展開も良く考えてあると思います。
 少し勿体ないのが、起句の「淺水涯」「川邉」がどちらも水辺の場所を表していて、しかも視点の変化も少ないことです。
 どちらかだけでも十分で、例えば転句の「無人」を承句に持ってきて「無人二月薄寒加」としてはどうでしょう。

 後半は梅でまとめることにすると、転句の下三字は香りなどを持ってきてはどうですかね。



2020. 4.14                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第98作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-98

  喜娘子次子誕生        

破夢五更蓬矢報   夢を破る五更 蓬矢の報

驅車二舎路程遲   車を駆って二舎 路程遅し

生孩眼見翁媼   生孩青眼 翁媼に見え

娘子溫顔抱愛兒   娘子温顔 愛児を抱く

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

おはようございます。
アクセス60万人突破、誠におめでとうございます。
先生のご尽力、改めて敬意とお礼を申し上げます。

新型コロナウイルスのため、世情騒然としていますが、何とか早く大事に至る事無く、終息することを祈っています。

扨、先日娘に第二子が誕生(第一子も男児でした)しました。愚作投稿しますので宜しくお願い致します。

<感想>

 お孫さんのご誕生、おめでとうございます。

 「桑弓蓬矢」は男の子が生まれた時の成長を願う儀式、「報」ですとやや時間にずれがあるかもしれませんが、意図は通じます。
 「破夢」ですと悪いことが起きるような感じがしますので、「夢裡」の方が良いでしょうね。

 転句の「生孩」は生まれたばかりの子ども、「青眼」は早過ぎるような気もしますが、「翁媼」の悦ぶ心情が表れていて、ほっこりします。



2020. 4.14                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第99作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-99

  山海關見匈奴        

円碧獨征山海關   円碧 独り征く 山海関

失群孤雁故烽前   失群の孤雁 故烽の前

忽聞騎馬一團喊   忽ち聞く 騎馬一団の喊

風已落蘆頽替磚   風已み 落蘆 頽替の磚

          (上平声「十五刪」・下平声「一先」の通韻)

<解説>

 どこまでも続く青空の下、山海関の長城を一人行く。
 群れを離れた孤雁が昔の狼煙台の前に見える。
 ふと砂塵が舞ったかと思うと、匈奴の騎馬軍団の喊声が聞こえた。
 足元には、農民たちがレンガを持っていったとかで、崩れた長城。
 昔、匈奴に囚われていた蘇武の託した手紙を運んだ雁が落としていったのか、蘆が落ちているようにも思われてくる。

<感想>

 山海関は以前は万里の長城の東端とされていた場所ですね。

 青青とした広い空をまず描きましたが、その後の「山海關」とよく響き合っています。
 固有名詞の使い方の例になりそうな、良い組み合わせで、空と山と海が一望のもとに広がります。
 こうして見ると逆に、中の「獨征」が必要かどうか、気になってきます。

 更に承句の「失群孤雁」が出てくると、作者の姿の投影かと直結してしまい、短絡化してしまいます。
 せっかくの起句の良い表現がぼやけてしまいますので、「獨征」は自分のことではなく、景を描くようにすると良いでしょう。

 そうしておくと、転句で聞こえる馬のいななきで、ようやく作者の心の中が表れてくる形が明確になり、展開がはっきりしますね。

 結句の「頽替」はあまり漢詩では使われませんが、「衰頽」の意味、「磚」は「レンガ」です。
 ここも「風已」は悪いわけではありませんが、この言葉でどういうことを伝えたいのか、もう少し重要な言葉があるように感じますがどうでしょう。



2020. 4.14                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第100作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-100

  隱几開北牖        

南風北牖聽鳴鳩   南風 北牖 鳴鳩を聴く

孟夏荷香萬坂f   孟夏 荷の香 万緑稠し

永日茶煙鶯語歇   永日 茶煙 鶯語歇む

砧聲夢覺一螢流   砧声 夢覚め 一蛍流る

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 南風の吹く暖かい季節になった。北の窓に向かい、鳩の鳴き声を聞く。
 ハスの香りが漂い、木々の緑は目に鮮やかだ。
 日がな一日、のんびりと茶を味わい、ふと気づくと、ウグイスも鳴きやんでいる。
 砧の音で我にかえると、もはや日は暮れ、目の前を一匹の蛍が飛んでいった。

<感想>

 初夏の一日、風の流れ、鳩の鳴き声、蓮の花の香り、新緑の木々、前半だけでも十分な素材を配置していますが、後半に更に茶の香り、鶯の声、砧の音、一匹の螢と流れて行く展開は、素材を拾い出す作者の感性の鋭さは伝わりますが、もう少し整理が必要でしょう。
 鳥の鳴き声が二つ入って更に砧の音、蓮と茶という二つの香りが重なっている点などは、やや雑な印象も受けます。

 結句の「砧声」「一螢流」は時間経過を表そうとしたのでしょうが、また素材が出てきたという感じで、効果に目を向けることができないのが残念ですね。



2020. 4.14                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第101作は 用邨(銅脈) さんからの作品です。
 

作品番号 2020-101

  松山城壞古        

兩將風流以句爭   両将の風流句を以て争い

詠吟主膳與彈正   詠吟す主膳と弾正

雌雄決後敗走兵   雌雄決せし後 敗兵走り

炎上松山村里城   炎上す 松山村里の城

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 近所の武州松山城の攻防戦の話で、ここにある逸話が残っていたのを郷土史関係の文献で読んだものを詩にしたものです。
 これは江戸時代の和歌好きの人が着色したのでは?という話も一説にはあると、ある学者から聞きました。

 さて、北条方は山中主膳、扇ヶ谷上杉方は難波田弾正善銀ということで、刀や槍ではない和歌の戦があったということで、申し合いによるように記載されてましたが、どう始まったか?
 そこはもうファンタジーでありますが、いくらでも膨らませることが出来るかもしれません。
 松山城下の戦争ではどうも弾正の扇ヶ谷方が勝てるところだったのですが、お城を守るために弾正は松山城に帰ってしまった。つけてきたのか分かりませんが、主膳が「なんだ逃げるのか?」というのを和歌で聞いて来たために、弾正も和歌で応酬して、そのまま門を潜って城内に戻ったそうです。
 そんな話を風流歌合戦という名前で残っており、実際はなかったとも言われていますが、さてどうなのでしょうか?

 私は戦はよくないとは思いますが、こんな風流でゆとりがあるものだったらいいのかな?という感じはしないでもない感じでした。
 1590年の松山城陥落の折に記録は全て処分されているようなので、確かな話ではありません。
 何か残っていればなというのを感じたりもしますが。。。

<感想>

 武州松山城ということで、地元の歴史を繙いた詩ですね。

 確かに、和歌だけで結着がつけば戦で死傷する人も出ないでしょうが、最終的には結句のように村里が焼かれてしまうところまで行くしか無いのでしょう。
 前半の穏やかな描写と、後半のバタバタと陥落まで進む慌ただしさが対照的で、面白く描かれていると思います。

 転句の下三字は「敗兵走」の語順ですね。



2020. 4.17                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第102作は 用邨(銅脈) さんからの作品です。
 

作品番号 2020-102

  河越夜戰        

彼我八千終出師   彼我八千 終に師を出し

亂爭混戰月明時   乱争 混戦 月明の時

關東権柄孰能握   関東の権柄 孰か能く握らん

勝者北條揚幟旗   勝者の北条 幟旗を揚ぐ

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 埼玉の中世の興亡の後です。
 これは現在の「小江戸」で知られる川越市が舞台で、悪い意味でダサイ玉の異名を取る遠い原因にもなったのではと推測します。

 埼玉は1590年の小田原北条攻めの際に陥落し、その後違う土地の人に支配され続けて来て、埼玉人自身による統治がなかったように感じます。
 現在でも手柄を立てようとする人に対し、あまりいい表現がないのはその現れなのではないか?と、感じられてしまいます。
 ある意味それは長い統治期間で鬱積した精神がそこにあるようで、いつかどこかで解放されて行くことが肝要だと感じた次第です。



<感想>

 「河越夜戦」は「かわごえよいくさ」と読むようですね。
 調べてみますと、1546年に北条氏と上杉軍が関東の覇権をかけて戦ったもので、この戦で勝った北条氏が関東で大きな勢力を握ることになったものだそうです。

 また、1590年の秀吉の小田原北条攻めも調べてみましたが、こちらも松山城が合戦地として載っていました。
 私は北条攻めは小田原へ真っ直ぐに向かって行った戦だと思い込んでいましたが、そうした南方戦線とは別に、関東北部方面の戦もあったのですね。
 伊達政宗がひょいとやって来たので、関東は素通りできるように思ったのかもしれません。

 ご当地の方には馴染み深い歴史事件の記録ということで、こうした詩作を続けることは意義があると思います。
 歴史事実の記述で終ってしまう場合もありますが、この詩では「八千」という数字や、承句の具体的な戦の様子が描かれて、臨場感のある描写になっていると思います。

 転句の疑問文に対して結句で「勝者北條」とすぐに答が出てきますので、読む時は結句の前に間を置かないといけませんね。



2020. 4.17                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第103作は 地球人 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-103

  初夏        

心煩伏枕只蕭然   心を煩ひ 枕に伏せ 只蕭然

裂帛啼鵑驚午眠   裂帛の啼鵑 午眠を驚かす

開戸満庭新樹緑   戸を開け 満庭の新樹の緑

沖懐忘病自相鞭   沖懐 病を忘れ 自ら相鞭うつ

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 季節を先取りになりますが、五月になって気分が滅入っていて、新緑にて心を癒され、元気をとり戻したといったイメージです。

 起句の「只蕭然」は詩語表にはありませんが、以前参考書として教えて頂きました『詩語辞典』(河合酔萩)編の141ページにあった「只飄然」「便蕭然」を合成しました。
 どちらも詩語表に記載されている単語なので合成しても差支えないと判断しましが、問題ありませんか?
 それとも勝手に単語を作ることになるので、ダメですか?

<感想>

 春の終わりから初夏、元気潑剌というイメージもある反面、メランコリックな気持ちになる時期でもあります。
 今年は特に、外出もままならず、仕事もできず、そうした気持になる方も多いかもしれません。地球人さんは、そうした時には窓を開けて深緑を浴びよう、と呼びかけているのかもしれませんね。

 起句の「只蕭然」につきましては、「飄然」「蕭然」という言葉があり、そこに副詞の「只」とか「便」が付いた韻脚です。
 「飄然」と「蕭然」を合体させて「飄蕭」という辞書にも載ってない言葉を作り出したというわけではありませんので、今回の地球人さんの用い方は「造語」でもなく、用いるのに何も問題ありませんし、副詞を他の言葉(「復」「太」「正」とか)に替えるのも構いません。

 起句は「心煩」は、地球人さんは「五月病」を意識されて書かれたのですが、結句の「病」も同様で、「病気」とあまり強く出すよりも、ここは「空房盡日」と曖昧な表現にしておくのが良いでしょう。
 承句の「驚午眠」も、どちらかと言えばのんびりした雰囲気ですしね。

 転句は「新樹緑」とするか「深緑樹」とするか、ですが、目に一杯の緑ということを強調したかったのでしょうね。

 結句の「沖懐」は難解ですね、「心が穏やかになった」という意味でしょうか。
 心の中という意味で「中懐」、それならば中二字も「解悶」と流れて行けますが。



2020. 4.22                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第104作は 向岳 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-104

  憶新年        

新年人迪根本明   新年 人の迪(みち) 根本明らかにす

無偽矜持可尽誠   偽り無く 矜持して 可尽誠

翻弄首相行路変   首相 翻弄 行路変る

異説多産道如荊   異説 多産 道如荊

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 平仄をまず確認しましょうか。

 起句から順に書きますと、
 起句  ○○○●○●◎
 承句  ○●○○●●◎
 転句  ○●●●○●●
 結句  ●●○●●○◎

 起句は「二六対」、転句は「二四不同」、結句は本来二字目が平字でなくてはいけません。
 以上の点を踏まえて、見ていきましょう。

 前半は、「新年は人としての道の根幹をしっかり考える時だ 偽り無く誇りをもって真心を尽くすべきである」ということでしょう。
 言わんとすることは分かりますので、表現を何とか合わせましょう。
 起句は「根本」に対して語順が逆の「本根」という言葉がありますので、それで平仄も合いますね。

 承句は「矜恃」が不釣り合いですね。「恒心」「真心」の方が良いでしょう。

 転句は、「時の首相があれこれ流されて方針を変える」ということでしょうね。
 「相」は「大臣や姿」の意味では仄字、「あい」の時は平字という、異韻意義語になります。
 「首相」の言葉を残して上に持ってきて、「首相混迷行路変」でしょうか。

 結句は下三字しか意味は分からないですが、うーんと頑張って読み取ると、「前と異なることを次々に生みだす」、つまり「政策や主張が一貫していない」ということでしょうかね。
 それでも、「道如荊」とつながるかと言うと難しく、なかなか一般の読者には通じないでしょうね。
 自分の思いが相手に伝わるにはどう言うか、は難しいところで、作詩者は皆悩みます。しばらく時間を置いて、自分自身で読み返してみて、ちゃんとわかるかどうかがポイントですね。
 ここは庶民の立場から「衆民昏惑道如荊」でしょうか。

 ひとまず平仄を合わせて、お気持ちに合わせるように考えましたが、向岳さんの気持ちとずれているかもしれませんので、再敲をしてみてください。



2020. 4.22                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第105作は 向岳 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-105

  贈朋        

喜壽迎齡健勝   喜寿の齢迎へても 健勝奄モ

酒干肴麗上盤陳   酒干 肴麗しく 盤上に陳ぶ

貴居今日親家集   貴居に 今日 親家集る

期更全員八十春   全員 更期す 八十の春

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 いただいた題名には個人的なお名前が入っていましたが、ネット上では個人を特定することは避けますので、私の方で「朋」と変更させていただきました。

 起句の「喜壽迎齢」の読みは「喜寿の齢」とするのは無理で、「喜寿(が)齢を迎へ」です。読みに合わせるなら「迎喜壽齡」ですが、「齡」がいかにも邪魔ですね。
 「重齡」とすれば分かります。
 また、ここの読みを「迎へても」と逆接で読んでいますが、これは「喜寿の年になったけれど(幸いにも)元気でいる」ということでしょうが、それは好意的な読み方で、普通に読めば「喜寿なのに健康だ」となれば健康なことが悪いような印象を与えます。
 「康健身」と韻字を替えると、喜びの気持ちが素直に出ますね。

 承句は「上盤」を「盤上」とひっくり返すことはできません。平仄を意識されたのでしょうか。「祝盤」としておきましょう。

 転句の「親家」は親類のことですが、親類に限定しないならば「親朋」とした方が良いでしょう。

 結句は「期更」は「更期」を平仄合わせでひっくり返しましたか。そのために文意がおかしくなってしまいました。
 「期」にこだわらずに、「更願」「更待」とすれば収まりが良かったですね。



2020. 4.22                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第106作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-106

  三月降雪        

彌生未雪帝都天   弥生 未の雪 帝都の天

夢醒六花在眼前   夢醒て 六花 眼前に在り

一色窓前銀世界   一色 窓前 銀世界

誰言温酒酌成仙   誰か言ふ 酒を温め 酌んで仙と成さんと

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 3月29日(日)大雪となる。

<感想>

 コロナで自肅の中、大雪が東京に降ったことがニュースになりましたね。
 「なごり雪」だなぁと懐かしんでいましたが、テレビで画像を見ると、そんなレベルではなく、風雪でしたね。

 起句の「未」は「末」でしょうね。
 「彌生」は和語ですので、できれば避けたいところ。また、承句は「四字目の孤平」でもありますので、語を入れ替えて、起句を「雪花三月帝都天」として、承句は「早曉夢醒新眼前」として、ひとまず解消しておきますか。

 転句は「前」は使えませんので、「窓外一望銀世界」。
 結句は「成さん」でなく「成らん」が良くないですか。



2020. 4.27                  by 桐山人



深渓さんから再敲作をいただきました。

    三月降雪(再敲作)
  雪花三月帝都天   雪花 三月 帝都の天
  早暁夢覚新眼前   早暁 夢覚めて 眼前に新なり
  窓外一望銀世界   窓外 一望 銀世界
  誰言温酒酌成仙   誰か言ふ 酒を温め 酌で仙成らんと


2020. 4.29                  by 深渓
























 2020年の投稿詩 第107作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-107

  暁起大雪        

櫻雪東都朝早生   桜と雪の東都 朝早く生ず

霏微俄積六花清   霏微として 俄に積む 六花清し

寒更玉屑埋幽徑   寒更 玉屑 幽徑を埋む

歩歩寒空踏雪行   歩歩 寒空 雪を踏んで行く

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 早朝から午前中春の雪 霏霏として降る。


<感想>

 前作の続編でしょうか。

 桜の季節に雪という取り合わせが、遅い雪をよく表していますね。
 ただ、今回のように「櫻雪」と並べてしまうと、桜の花を雪に例えたという感じで、あまり印象が強くなりません。
 せっかくですので、桜の花も描いて、同時に雪も描くと、今年の雪の特徴を出せると思います。
 そういう意味では、起句は桜だけにして、承句は雪という構成が良いでしょうね。
 「東都」は必要な言葉ですが、題名を「東都大雪」とし、「繚亂櫻花」と書き出す形で検討してはどうでしょう。

 後半は、「寒」「雪」が重複しています。
 転句の「寒更」は「寒い夜更け」ですが、起句に「朝早」がありますので、詩中の順番が逆なら良いですが、これですと使いづらいですね。
 結句の「雪」は、起句に雪を使わないようにすれば解消できるので、そちらで解消するようにしましょうか。



2020. 4.27                  by 桐山人




こちらの詩にも深渓さんから再敲作をいただきました。


    暁起大雪(再敲作)
  櫻咲東都朝早生   櫻咲く 東都 朝早く生ず
  霏微俄積六花清   霏微として俄に積る 六花清し
  紛紛玉屑埋幽徑   紛紛たる 玉屑 幽徑を埋む
  歩歩寒空踏雪行   歩歩 寒空 雪を踏で行く

2020. 5. 4                  by 深渓


再敲作を拝見しました。
起句の「咲」は漢語では「わらう」ですので、違和感が残ります。
「發」にすれば収まりますが、最後の「朝早生」で「突然現れた」という感じを出すならば、いっそ「櫻色」としてはどうでしょうね。


2020. 5. 5                  by 桐山人

























 2020年の投稿詩 第108作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-108

  詠熱海梅園        

梅花今爛漫   梅花 今爛漫たり、

処世任時流   処世 時の流るるに任す。

雪化冷泉水   雪は冷泉の水に化し、

児投笹葉舟   児は笹の葉の舟を投ず。

真心応易錯   真心 応に錯し易く、

人道使難求   人道 求めがたくせしむ。

欲問蒼天主   蒼天の主に問はんと欲するも、

青苔不語幽   青苔 語らずに幽なり。

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 2月の13日に熱海梅園に女房と友達と四人で行った時に、梅を愛でながら浮かんだ諸々の感慨を詠んでみました。

 昨日は午前中雨だったのですが、午後からは晴れて春のように暖かでした。
 足湯などもあり、梅を堪能してきました。
 調度見頃だとのことでした。

 人間とは複雑なもので、そんな時でも、確かに目は梅を見ているのですが、頭には色々感慨が浮かぶものですね。
 レンタカーで行ったのですが、一日運転で少々くたびれました。

<感想>

 二月半ばは、まだこんなにコロナウイルスでの外出自肅も無く、出かけるのにも不安は少なかった頃ですね。

 仰るように、目で見ているものと頭の中は繋がっていないことはあります。私などは、妻の話に相づちを打ちながら頭は別のことを考えていることがよくありますが、一緒かな?
 ただ、詩で他人に伝えるとなると、そのまま流しては論旨が混乱したものになってしまいます。

 まずは、第一句と第二句、「処世任時流」は、梅の花が季節に合わせて開くことを「時の流れに任す」としたのかなと思いますが、通常は人の気持ちとして解釈する言葉で、何となく梅の花が処世術で花を開いているような感じがします。
 読者としては「え!!!何? どうつながるの??」という感じで、この段階でギブアップしてしまうんじゃないでしょうかね。

 頷聯は叙景として読み取れますが、頸聯になるとまた、「え!!」という展開。「子どもが笹の葉を浮かべている」姿から、「真心応易錯」へとどう流れるのか、子どもでなくその前の「雪が水に化し」からでしょうか。
 これは言いたいことが伝わらないし、私が妻に叱られるパターンですね。
 下句の読みは「求めがたからしむ」でしょうが、「使」は句意から見ても不要でしょうね。

 最後の尾聯は「丁度見頃の梅と春のような暖かさ、温泉」での感慨とはとても思えませんが、頸聯からの流れが出てしまったのでしょうね。
 それにしても、「蒼天主」に問うて、答を「青苔」に求めるのはおかしくないですか。

 何か今回の感想は、ツッコミばかりでしたね。すみません。



2020. 4.27                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第109作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-109

  春野花        

散散近郊平   散散と近郊 平らかに、

陽春鉄路横   陽春の鉄路の横。

参差空地緑   参差たり 空地の緑、

寂寞異郷情   寂寞たり 異郷の情。

満野東風唄   野を満たす 東風の唄

懐花啓蟄頃   花を懐かしむ 啓蟄の頃。

今残繚乱彩   今も残る 繚乱の彩り、

追憶更鮮明   追憶すれば更に鮮明なり。

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 ある事情で故郷を離れているときに、線路脇の空き地に雑草の花が咲き乱れているのを見ました。
 その印象が消えなくて詩にしてみました。

 その当時空き地だったのですが、しばらくぶりに帰ったときに宅地になっていました。
 建売住宅が何軒か建っていました。
 もうかれこれ二十年はたっているかと思います。

 春のほのぼのとしたできになったと思います。

<感想>

 こちらの詩は、おっしゃるように「春のほのぼのとした」作品と行きたいところですが、第一句の「散散」(これは「チラホラと」ということでしょう)、その後の「参差」「寂寞」と合わせると、春の浮き立つ感じではないですね。

 転句はおだやかな春景になっていますが、「懐花」「今残」「追憶」と同じ内容の言葉が続きます。
 これだけならば「待ち遠しい気持ちがいっぱいだ」と明るく考えられますが、前半の「寂しさ」が利いてくると、結局、今はまだ桜の花が開いていないことが残念だという思いが優先されますね。

 作者の本来の意図もそこにあるということでしょう。



2020. 4.27                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第110作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-110

  山寺迎春(回文詩)        

山暗浮雲彩色晨   山暗く浮雲彩色の晨

耀暾慶集賀初春   耀暾慶び集う 初春の賀

間林樹韻鼓鳴鳥   間林樹韻 鳴鳥を鼓す

頒酒温情交客新   酒を頒ち情を温む交客新に

          (上平声「十一真」の押韻)


<解説>

 観水さんの回文詩「新春戲作」に触発され、古い2003年作の詩、敢えて提出します。

<感想>

 常春さんからも回文詩をいただきました。
 逆に読みながら、「ホウホウ」と一字進むごとに興奮してきますね。


 逆順の読み(倒讀)もいただきましたので、載せておきます。


  新客交情温酒頒   新客情を交し 酒を温め頒つ
  鳥鳴鼓韻樹林間   鳥鳴 鼓韻 樹林の間
  春初賀集慶暾耀   春初 賀に集い 暾耀を慶ぶ
  晨色彩雲浮暗山   晨色彩雲 暗山に浮ぶ

            (上平声「十五刪」の押韻)



2020. 4.27                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第111作は 欣獅 さんからの作品です。
 お久しぶり

作品番号 2020-111

  近傍散策        

疫災渡海冒扶桑   疫災海を渡りて 扶桑を冒す

忌憚繁衢尋近傍   繁衢を忌憚して 近傍を尋ねれば

初見小濠籬竹蔽   初見の小濠 籬竹は蔽ひ

夕陰花散未知梁   夕陰 花は散る未知の梁(はし)

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 新型コロナウイルスの異例の蔓延で、外出を制限されて何日かが経過しました。
 毎日家にばかりいると心身共に鬱屈してまいりますので、時々日が傾きだしてから、混み合った所を避けて近傍を散歩しております。
 あえて人気のないところを探して歩いておりますと、近くでありながら今まで知らなかった小道などを発見して嬉しくなります。
 この日も、西宮の甲山の東側(甲陽)を歩いていて、濠に沿った狭いわき道に出くわしました。
 民家の裏の竹垣が道を蔽い、小さな橋の付近にはもう残り少なくなった桜の花が散っているのが印象的でした。

<感想>

 欣獅さんからはお手紙もいただきました。
 お久しぶりということもありますので、ご紹介させていただきましょうか。

 桐山堂先生
 ご無沙汰致しております。以前登山の詩などいくつか投稿させて頂いておりました欣獅と申します。

 この8年ばかりは俗用に紛れて、落ち着いて詩作を行う余裕がありませんでした。  その間、時折このサイトを訪れて勉強し、桐山堂先生はじめ諸兄姉のご活躍を嬉しく拝見したり、漢詩講座に出席したり、頼山陽や菅茶山の詩を愛読したりしておりました。
 漢詩へ思いは何とか持ち続けていたのですが、詩想を熟成させて形となして、投稿するまでには至りませんでした。
 そのあいだもずっと、先生におかれましてはこの漢詩サイトを手広く運営され、質の高い活動を続けて来られていることに敬意を表し、そのご努力は如何ばかりかと拝察している次第です。

 私事、やっと去年の3月に退職して、大いに作詩もしようと意気込んでいたのですが、長い束縛から解放された嬉しさから、他の習い事にも欲張って手を広げすぎて、却って多忙を極めていました。
 しかし、ここへ来て、新型コロナウイルスの流行によってすべての習い事が中止となり、作詩のゆとりを生じさせてくれて、投稿にこぎ着けた頂いた次第です。

 ということで、欣獅さんが漢詩と関わり続けていらっしゃったことが私は嬉しいですね。
 また、このホームページにも温かいご支援の言葉、ありがとうございます。

 普段は歩かない小路に入り込んだ時の発見の楽しさは、子どもの頃の探検ごっこみたいな感じがありますね。
 私も運動のために自転車でよく走り回るのですが、住み慣れた町でも、自動車では決して入れないような狭い道や、大通りから一本入った裏道を見つけると、つい走り入ってしまいます。
 特別に見るようなものは何も無くてもワクワクします。
 欣獅さんの体験は、新型コロナの「せい」ですが、今まで体験出来なかったことができる新鮮さを、今回の感染のせめてもの「おかげ」としたいですね。

 久しぶりの詩作とのことですが、前半は近時の「緊急事態」の状況をよく表していると思います。
 承句の「繁衢」は「繁華街」を意味してのものですが、「造語」っぽいですね。「衢」で言えば、「康衢」「広衢」なども同じ意味を表しますので、そちらの方がよいでしょう。

 後半は、発見の楽しさになりますが、「初見」はまだわかりますが、結句の「未知」はおかしいですね。
 今までに無い新しいデザインの橋でも出てきたかと驚きます。
 どのような橋だったか、どのような景色だったか、を感動を籠めて描けば、「初めて」ということも自然に伝わります。
 結句は例えば「紛紛花落夕陰梁」など落花の描写にするなど、転句も「初見」を替わりの言葉で考えてみると、これもまた「発見」の楽しみになるでしょう。



2020. 5. 1                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第112作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-112

  永遠合歓木 ―捧故宮城眞理子氏―    合歓木よ永遠に   

養護示教英気振   養護の示教 英気振ふ

終生満足錯酸辛   終生 満足と酸辛錯(まじ)る

共同寝食無私愛   共同の寝食 無私の愛

個性発揚慈母仁   個性の発揚 慈母の仁

芸術器才柔感覚   芸術の器才 柔らかき感覚

可憐素質快天真   可憐の素質 快き天真

安寧優麗合歓弁   安寧 優麗 合歓の弁(はなびら)

弥久開花学校倫   弥(いよよ)久しく 開花せん 学校の倫(みち)

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 昭和40年代、養護施設「ねむの木学園」を創設された宮城まり子さんが亡くなられました。
 彼女の人柄と、生前になされた偉業に敬意を表し、創りました。
 ねむの木学園がこれからも教育方針を受け継いで末永く続くことを願っています。

<感想>

 宮城まりこさんが亡くなったのは、3月21日、お誕生日だったそうです。一瞬コロナのせいかと思いましたが、そうではなかったとのこと。
 ねむの木学園は今年で52年を迎えるそうで、本当に、半生を過ごされた活動だったのですね。
 私も現役教員であった時には、宮城まりこさんの文章を教材として使わせていただいたこともありました。
 ご冥福をお祈りします。

 茜峰さんの今回の詩は、首聯でねむの木学園に対する宮城まりこさんの活動をまとめられたものですね。
 第二句の「酸辛」は、「大変なこともあった」という意味で、その通りだと思いますが、ここで言う必要があるかどうか疑問です。
「辛酸も呑み尽くして満足な気持ち」という形で、同列にはしない方が良いでしょう。

 頷聯の「無私愛」「慈母仁」という表現は適切で、よく表していると共感します。
 第四句の「個性」は宮城まりこさんの「個性」ではなく、学園の子どもたちの「個性」を拾い上げたということでしょう。
 その点では、この句は本来は「発揚個性」の語順であり、対句としては上四字の対応は甘いと言えます。

 第四句の「個性」を子どもたちのものと見れば、次の頸聯も同様に考えるべきでしょう。
 最初読んだ時に私は、「芸術器才」「可憐素質」も宮城まりこさんの歌手、女優としての姿を示されたものかと思い、そうすると最後の結びとの対応が悪いと考えていました。
 ここを、個性豊かで、天真爛漫な子どもたちと見れば、全体が一貫したものになりますね。
 ここも「芸術」「可憐」が対応が甘いわけですが、頷聯もそうですが、作者の気持ちはよく表れているところですので、無理に直す必要は無いと私は思います。

 尾聯はねむの木学園の今後の発展を祈る、という形で、宮城まりこさんも何よりもそれを願っていらっしゃるでしょうね。




2020. 5. 5                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第113作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-113

  又逝妻十三回忌        

暮春花散緑陰深   暮春 花散り 緑陰深し

香火断腸寂寞心   香火 断腸 寂寞の心

老叟長生餘九十   老叟 長生 九十を餘す

不知一夜涙沾襟   知らず 一夜 涙襟を沾す

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 卯月の終り亡妻の墓参で一句

<感想>

 亡くなられた奥様を憶うお気持ちが伝わって来る詩ですね。
 以前お伺いしたお話ですと、深渓さんもお仕事をお引きになって、「さあ、これから老後を、二人で海外旅行をし、長年支えてくれた妻への感謝をしよう」と奥様のパスポートも用意した矢先にお病気で倒れられ、短い闘病で還らぬ人となられたそうです。
 深渓さんは海外旅行に行かれる時も、今でも、使うことの出来なかった奥様のパスポートをお持ちになり、いつも二人で旅行しているお気持ちでおられるとのこと。
 奥様も残念だったでしょうが、きっと、深渓さんの感謝のお気持ちと御愛情を、天国で受け取っていらっしゃると思いますよ。

 承句は墓参ということが分かるように、「展墓炷香」として、「四字目の孤平」を避けるために下三字を「空寂心」としてはどうでしょう。



2020. 5. 7                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第114作は 向岳 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-114

  散歩        

両端花発麗   両端 花発(ひら)き麗し

路上老停欣   路上 老停(とど)まり欣ぶ

目閉桃源想   目閉ぢ 桃源の想ひ

天思浄土聞   天思 浄土聞

          (上平声「十二文」の押韻)

<感想>

 前半は対句を意識して作ったとのことですね。
 上二字は「両端」「路上」で場所を表し、下三字も文法的に合わせようとする意図は明確ですね。
 五言絶句は古詩の趣を持っていますので、ある程度の甘さは許容されますし、初めての対句としては丁寧に対応させていると思います。
 細かいところを言えば、「両端」は「形容詞+名詞」、「路上」は「名詞+名詞」ですので、どちらかに揃えるともっと対になりますね。
 例えば、「眼前」と「路上」、「両端」と「一巷」などの形ですね。

 転句は「閉目」が正しく、「目を閉じれば桃源郷に居るような気持ちになる」ということですね。

 結句はまず読み方に悩みますが、これも対句にしたということですと、「天を思ひて」で「浄土の聞」ではおかしいので「浄土を聞く」でしょうか。
 となると転句も「桃源を想ふ」という積もりかもしれませんね。
 理想・憧れの対象として、「桃源」「浄土」を対比させたのは、生きている時と死後の世界を同時に考えるわけで、実際にあり得るのは無理ですね。
 対句のために無理矢理考え出したような印象です。ここは無理に対にしない方が良いでしょうね。




2020. 5. 7                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第115作も 向岳 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-115

  幻想        

夜陰沙漠到   夜陰に 沙漠到

朝日太陽崇   朝日の 太陽崇

幻想乾坤静   幻想 乾坤静なり

人間偽妄中   人間 偽妄(ぎもう)中

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 モロッコ旅行でサハラ砂漠にて。
この句も対句を意識しています。

<感想>

 平仄はしっかりと合うようになりましたね。

 起句も承句も下三字はどう読むのでしょう? 「沙漠に到る」「太陽を崇ぶ」でしょうか、どちらも目的語が述語の前に来ていますので苦しい形です。
「夜中に沙漠が近づいてきた」と読まれても仕方ないですね。
 承句は特に「朝日」「太陽」という重複が理解を難しくしています。

 転句は「幻想的な世界で、大地は静まっている」で、これはサハラ沙漠が素晴らしいと言っているわけで、詩としては肯定的な方向の詩だと思いましたが、結句になると人間世界への反感が出て来て、「あれれ、否定的な詩かな」と慌てます。
 幻想的な景色を眺めて素晴らしいという気持ちが湧いた、それを強調するために、対比として人間界を出すという手法は当然在りますが、転句と結句では主題が在るのは結句だと考えるのが自然です。そうなると、作者の言いたいことと逆の方が読者の心に残ってしまいます。
 ひっくり返して、人間界を転句で述べ、対してサハラ砂漠を結句にすれば、分かりやすくなるでしょう。



2020. 5. 7                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第116作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-116

  事業成否安在     事業の成否安くにか在る   

悠悠一鷲眼光苛   悠悠たる一鷲 眼光苛し

閃降飛馳小兔窩   閃めき降ること飛馳たり 小兔の窩

事業成功安所在   事業の成功 安れの所にか在る

天時地利更人和   天の時 地の利 更に人の和

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

 一羽の鷲が空を悠々と飛んでいる。
 眼光は厳しい。急降下して、うさぎの巣穴に一直線。
 ことの成功は、何によって決まるのだろうか。
 タイミング、場所、そして、人々の協力。

<感想>

 恕水さんの今回の詩は、物を以て人事を語るという諭詩ですね。

 前半で鷲の狩りの様子を描いて、これは臨場感のある描写になっていると思います。

 うさぎの運命やいかに、とハラハラ、ドキドキで行くと、それが転句で話が変わって、ああ、前半は実景ではなくて、この話をするための例え話だったのかとなる構成です。
 そして最後に、結句で種明かしが来て落ち着かせようというわけですが、さて、その狙い通りになっているかどうかです。

 人間世界ならば「天時・地利・人和」が大切だと分かりますが、前半の鷹の話に繋がりますか?
 狩りですから、獲物が居る場所でなくてはいけませんし、時刻や天候も影響するとは言えますが、人の和はどうでしょう。鷹が兎を得るために必要なのは、自らの眼と自らの羽と自らの爪であって、私には結句の要素はどれも該当しないようにの思われます。
 つまり、前半と後半が分断されているわけです。

 これは例えば、皇帝が鷹狩りをしながら「者ども、あの鷹を見よ。国の命運はこの狩の如しじゃ」と言ったので、家臣達も(よく分からないままに)じっと鷹の成否に注目し次の言葉を待っていると、皇帝から「どうじゃ、人の和こそが大切だと分かったろう」と言われたような感じでしょう。
 却って分かりづらくなってしまったかもしれませんが、起承からの転に飛躍が大き過ぎる場合には(転換の効果が大きいだけに)、結句でのまとめがより大切になりますね。



2020. 5. 9                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第117作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-117

  責子孫        

児童避暑掬飛泉   児童避暑して 飛泉を掬ふ

浩鬧何知父母年   浩鬧す 何ぞ父母の年を知らんや

到処常求梨与栗   到る処 常に梨と栗とを求む

金銀不若子孫娟   金銀 子孫の娟しきに若かず

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 子どもたちが酷暑の中、涼を求めて泉の水を手ですくっている。
 わいわいがやがやとやかましい。子なら知っているべき父や母の年齢を知っているだろうか。知らないだろうなあ。
 いつでもどこでも、腹をすかせて、梨だ、栗だとねだる。
 とはいえ、金も銀も子どもや孫の美しさにはかなわないよなあ。

<感想>

 こちらの詩は、承句が『論語』「里仁」にある孔子の言葉、「父母之年、不可不知也。一則以喜、一則懼」父母の年 知らざるべからざるなり。一は則ち以て喜び、一は則ち懼る)を、転句が陶潜の「責子」にある「通子垂九齡 但覓梨與栗」通子は九齢に垂(なんな)んとするも 但だ 梨と栗とを覓(もと)むるのみ)を踏まえてのものになりますね。

 起句で場面設定しておいて、中二句は「孔子先生の教えもどこ吹く風、陶潜の嘆きも耳に入らず」と大げさに語るところが時代を超えて、面白い句になっていると思います。

 陶潜が自分の子どもたちを前にしているのに対して、恕水さんの方は噴水の近くで遊び回っている子どもたちを見ての詩ですので、その分、受け入れるための理屈が必要になりましたね。
 結句は山上憶良の「銀も金も玉も何せむに優れる宝子にしかめやも」でしょうか。
 楽しい詩になっていると思いますよ。



2020. 5. 9                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第118作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-118

  春遊        

媚景風暄春鳥啼   媚景 風暄かく 春鳥啼く

丘陵庭園草萋萋   丘陵の庭園 草萋萋たり

道中何處花争發   道中 何れの処も 花争って開き

求雅徘徊帰路迷   雅を求めて徘徊すれば 帰路迷ふ

          (上平声「八斉」の押韻)

<感想>

 春らしい穏やかな景で、コロナを忘れてしまいたくなりますね。
 桐山堂詩會の方にも掲載させていただきましょう。

 部分的なことですが、承句は平仄が合いませんので「園」を「苑」に。

 後はこのままでも良いですが、転句の「何處」は疑問文に感じますので「處處」が良いでしょう。
 結句の「求雅」は、転句まででもう十分に堪能できている感じで、その上更にと欲張るよりも「半日」「終日」「午下」など、時間の長さを伝える言葉の方が幽趣が出ると思います。



2020. 5.10                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第119作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-119

  橄欖球(ラグビー)輸嬴        

密鬩前鋒擒抱拒   前鋒を密に鬩ぎ 擒え抱えて拒ぐ

奪球觸地一途馳   奪球 触地せんと一途に馳す

喧天熱援歓呼浪   天に喧す 熱援歓呼の浪

溢巷高談麥酒旗   巷に溢る高談 麦酒の旗

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 この詩外来語の翻案多く読みづらいかな、
 狂歌風に

「スクラムだ タックルだ それいけトライ ひといきに応援のどよめきやまず ジョッキの話題これひとつ」

<感想>

 こちらの詩は、昨年のワールドカップを思い出してお作りになったものですね。
 私もにわかファンですが、ラグビーの魅力はと尋ねられば、常春さんの仰るような強靱な肉体の激突というよりも、自分がハンドボールに関わっていたので、パス回しの美しさに惹かれますね。

 仰るように、西洋語を漢字で表すのは難しいですが、読みながら「納得!」と感じましたね。
 「輸嬴」は「勝ち負け」、「嬴」は「贏」が辞書では使われますが意味としては同じ、ここは「熱闘」という感じでしょうか。



2020. 5.10                  by 桐山人
























 2020年の投稿詩 第120作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-120

  讃橄欖球日本隊        

擧應一呼龍虎英   一呼に挙り応ず 竜虎の英

闘魂一迫賭輸嬴   闘魂一に迫り 輸㐤に賭す

賽環一位登淘汰   賽環一位 淘汰に登る

面目一新櫻勇名   面目一新 桜の勇名

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 これまた狂歌風に

「呼べば応える選手の気魄、闘魂ただただ勝負に賭けて リーグ一位でトーナメントへ、やったぞ桜のワンチーム」

<感想>

 こちらもラグビーで、決勝進出の快挙ですね。

 三字目に「一」を置いて、リーグ一位を強調して、嬉しさが溢れています。
「賽環」は「リーグ戦」ですね。




2020. 5.10                  by 桐山人