2015年の投稿詩 第121作は横浜市にお住まいの 令樹 さん、80代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2015-121

  北陸新幹線試乗        

寸刻忽征加賀鄢   寸刻忽ち征く 加賀の鄢

東七系綽有余妍   東(E)七系 綽として余妍有り

幽雅静謐麗容地   幽雅 静謐 麗容の地

天下関心悉聚連   天下の関心 悉く聚連す

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 開業前の2月初め大宮から金沢まで試乗しました。
 地理的にも感覚的にも遠かった加賀の邑がなんと2時間です。アット云う間にを「寸刻」、韻から平先の「鄢」を選びました。

 JR東日本のE7シリーズの車両はシックで優しい感じ。平仄的には落第でしょうが。

 3句は金沢の描写とし、4句で金沢一大ブーム到来かもと纏めましたが「関心」は日常語的すぎる、「耳目」と言いたいところです。
 「聚連」はちょっと無理でしょうか。

<感想>

 はじめての投稿をいただきました。
もっと早く掲載できると思っていたのですが、ついつい遅れてしまい、すみません。

 新しい漢詩仲間を迎えることができ、とても嬉しく思っています。大歓迎ですので、今後ともよろしくお願いします。

 北陸新幹線開業以来、テレビでも金沢の特集が沢山放映されていますので、結句で書かれたように「天下関心悉聚連」は現実のことになっているようです。令樹さんは「試乗」ということですので、誰よりも早く乗っちゃったという感じですね。
 金沢に行くか、京都に行くか、確か数年前のJRのポスターに「そうだ、京都に行こう」というフレーズがありましたが、これからは「どちらに行こうかな」という選択の形になるかもしれませんね。

 さて、その新幹線の試乗の感想を詩にしようという狙い、各句の構成は作者が解説で書かれている形で、前半は起句でスピード、承句で車両の美しさという二つの面を出して「試乗の感想」を述べ、転句で金沢を出して変化させ、結句でその金沢と新幹線開通をまとめるというのは、素直な構成です。
 ただ、起句で「加賀鄢」を出してしまいましたから、起句から転句へ視線が流れて、全体として「金沢に行ってみての感想」という趣になり、承句が邪魔な印象です。
 「加賀」を出すのは我慢して、ここは、まだ乗車中だという内容、車内や窓外などを描いておくと、前半がまとまり、「試乗」という題に合うようになるでしょう。

 承句の「E7」系を「東七」としたのは、それなりにお洒落な表現だとは思います。しかし、「E7」から「東七」は分かっても、「東七」から「E7」へと行くことはできません。
 固有名詞だとしても、平仄を破ってまで入れなくてはならない言葉とは思えませんので、残念ですが、「最新車室綽而妍」などにするところでしょうね。

 転句は「雅」の平仄を勘違いされたのでしょうか、ここの二字目は平字でないといけません。
 ここに地名を入れる形で、例えば中二字に「加賀」を置いて、他の部分で金沢の印象を描くとまとまります。
 「清閑加賀麗容地」あるいは「古都金澤麗容地」のような形でしょう。

 転句で言葉が足りないような気持ちがあれば、結句で更に金沢を説明して「悉聚連」につなげることもできますが(「静謐清幽悉聚連」)、せっかくの北陸新幹線試乗という機会ですので、現行のままが良いでしょうね。



2015. 4.27                  by 桐山人



令樹さんからお返事をいただきました。

 桐山堂  鈴木淳次 先生

 大変にご多用のところを貴重なお時間を割いてのご懇篤なご指導、本当に有難うございました。
いささか老年にして奥深い道の入り口に立ったばかりではありますが、心強いお励ましを頂戴いたしました。

 あせらず勉めて参りたいと思いますので折に触れご教導の程よろしくお願い申し上げます。

2015. 5.10       by 令樹






















 2015年の投稿詩 第122作は 莫亢 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-122

  櫻花        

春掩閑園細雨晴   春 閑園を掩ひて 細雨晴れ

煙花歴乱葉逾生   煙花 歴乱 葉 逾いよ生ず

哀情忽来喪歓楽   哀情 忽ち来たって 歓楽を喪ひ

但見杯中一片英   但だ見る 杯中 一片の英(はな)

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 職場近くの公園を散歩していた際に浮かんだ一首です。

<感想>

 莫亢さんから三作目、桜が盛りの頃に作られたものですね。

 承句は、花と同時に若葉も見ているわけで、「歴乱」の語を用いたのは、桜が散っているイメージを感じさせるためでしょうか。春もまもなく終り、新緑が濃くなっていくことを予感しているのでしょう。
 そうなると、転句の「哀情」の正体は「惜春」となってくるのですが、そこまで限定しないで、ぼんやりとした「春愁」という方が理屈っぽくなくて良い感じですね。

 そういう意味では、転句の「喪歓楽」は説明しすぎで、「誰」「何」などの反語形を用いておくと、次の「但」が生きてくるでしょう。
 尚、転句は平仄が乱れていますので、「忽至」とするなり、修正が必要です。
 また、題名に「櫻」と旧字を用いたならば、本文も旧字にした方がまとまりますね。



2015. 5. 3                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第123作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-123

  花宴        

酔暈爛漫宴   酔暈 爛漫の宴

勿笑臥花陰   笑ふ勿れ 花陰に臥すを

浮世将夢中   浮世 まさに夢中

酒仙獨吐吟   酒仙 獨り吐吟す

          (下平声十二侵」の押韻)



<感想>

 哲山さんからは花見を題材にした詩をいただきましたが、うーん、まだお酒が残っているのでしょうか、平仄も押韻も崩れていますね。
 平仄から確認をしましょう。

  酔暈爛漫宴  ●●●○●
  勿笑臥花陰  ●●●○◎
  浮世将夢中  ○●○●○
  酒仙独吐吟  ●○●●◎

 仄起式の詩ですが、承句以降の反法や粘法を考えると、起句を直して平起式にした方がよさそうです。
 「芳筵酣酔宴」としましょうか。

 承句はこれで良いですね。

 転句末は近体詩の押韻の規則では、仄声でないといけません。「夢裏」とすれば良いですが、「夢」は「ゆめ」の意味では仄声ですので、「二四不同」が合いません。
 「夢」という字を入れたいとなると、「浮世夢中過」とするのでしょうね。「浮世」は「うきよ」と読まないようにしてください。

 結句は「二字目の孤平」で、これは五言句の場合に禁忌です。「独」を別の平字、「将」「誰」「何」など入れ替えてみると、思いがけず面白いと思いますよ。



2015. 5. 4                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第124作は 令樹 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-124

  寄一周忌        

君子有深慮   君子に深慮有り

知情燦又斌   知情 燦又斌

離別一年過   離別一年過ぐるも

無不憶佳人   佳人を憶はざること無からん

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 生き残りの同期生の寄せ書きに、不肖漢詩もどきでも気持ちを纏めてみたくなりました。
 初めての作文で稚拙 先生にご高評を頂く機会が得られるとは幸せこの上ありません。

  友の一周忌に寄せて
 なにごとも深く考えをめぐらす男だった
 インテレクチュアル、エモーショナル両面に眩しいほどで又二つのバランスも取れていた 
 死後一年経った今でも 
 優れた友をいつも思い起こすのだ

<感想>

 令樹さんのこちらの詩は、ご友人への敬意が表れて、哀悼の思いが伝わってきます。

 承句の「斌」(ひん)は、外見と内面が調和していることで、仰るようにバランスの取れた方だったのですね。

 転句は二字目が平字でないといけない(粘法)のですが、逆になっていますね。
 「別離過一歳」とすれば合いますが、「一年」を上に持って来て、この間の作者の気持ちを出すことも考えられます。「一年蕭寂過」「一年君去後」「一年寂寥裏(挟平格)」など、時間があれば推敲をされると良いでしょう。

 結句は推量形ですので「これからもずっと思い出す」というお気持ちでしょうが、転句で「一年」と述べていますので、ここは「この一年、いつも想っていた」とした方が自然で、読み下しを「佳人を憶はざるは無し」としたいですね。
 この句はこれで悪くはないのですが、「佳人」が前半の描写と重なる感があります。「上平声十一真」の韻字は沢山ありますので、また、検討していかれると良いでしょうね。
 季節が合えば「墳塋落花頻」などのように、視点を変えることも考えられますね。



2015. 5. 4                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第125作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-125

  誕日偶成        

八十七爺無独談   八十七の爺 独り談ること無く

懐過歳月在茅菴   過し歳月を懐かしみ 茅菴に在り

知音旧友拝年信   知音 旧友の 年信を拝しても

奈是人名難具諳   是れ人名を具に諳じ難きを奈せんや

          (下平声「十三覃」の押韻)



<解説>

 昭和戊辰四月二十八日に生を享け当年当日八十七齢となれり。

<感想>

 お誕生日をお祝い申し上げます。
 間もなく米寿をお迎えになる深渓さん、お話を伺うと世界中を飛び回って、席の温まる暇もないくらいで活力に満ちたお姿、深渓さんの年代の方々は戦争を経験し、戦中戦後の食糧難も乗り越えて来られたからでしょうか、本当にお元気な方が多いですね。
 私のような戦後生まれは、あと10年もしたらヨレヨレになっているのではないかと思いますが、人生の先輩に笑われないように何とか頑張るつもりです。

 起句は下三字の語順が違っていて、深渓さんの意図としては「独無談」、「独りで居て、誰とも話すことも無い」という意味ではないかと思いますが、お書きになった「無独談」ですと、「独りで話すことが無い」、つまり「いつも誰かと話をしている」となります。
 にぎやかな老後を送っていることになり、詩の主題とずれてしまいます。「無可談」とするのでしょうか。
 文法的に言えば「部分否定」と「全否定」という違いですが、「無」の指す対称が何かを見る必要があります。

 同じことで言えば、結句の「難具諳」も同じで、何が「難」なのかを考えます。この場合ですと、「人とその名前を一致させて(具に)覚えていること」が難しいと表現したわけです。
 もし「具難諳」ですと、「人も名前もどちらも、覚えることは難しい」となり、これですと記憶力の減退という話になります。
 内容的には、お書きになった「難具諳」がぴったり合っているでしょうね。

 



2015. 5. 5                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第126作は長崎市にお住まいの 痴凱 さん、六十代の男性の方からの初めての投稿作品ですが、作詩経験は十四、五年というベテランの方です。

作品番号 2015-126

  秋夜        

對飲清空裏   對飲ス清空ノ裏(うち)

星稀客夜長   星稀ニシテ客夜長シ

霜楓明月宴   霜楓明月ノ宴

落落酌雲觴   落落 雲觴ヲ酌マン

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 すがしい秋の気分の中、友と相対して酒を飲んでいる。明るい月がために、星は少なく見える。そして旅の夜は長い。霜枯れた紅葉、それとひときわ大きい月の下、ものさびしいとはいえ、私は雲のさかづきで酒を酌んでいる気分です。

<感想>

 新しい漢詩仲間を迎えることができ、とても嬉しく思っています。
 大歓迎です。

 痴凱さんからいただいたお手紙では

 今の今まで漢詩創作のサイトがあるなんて知りませんでした。

 この作品は学生時代、1970年乃至71年ころの作です。
 部活が詩吟部でしたので、漢詩創作は必須要件でした。
 しかし最近は、俳句短歌川柳などに興味が向いています。
とのことでした。
 漢詩創作を楽しんでいらっしゃる方は、まだまだ多いのですよ。
 漢詩にも興味を戻していただいて、是非、新作の投稿をお待ちしています。

 さて、詩は45年ほど前に作られたもの、それが現在まで残っていらっしゃったということは、思い出が深い作品なのかもしれませんね。
 平仄も整っていてさすがですね。

 言葉の並びに若干気になる点もありますが、五言絶句ですし、若々しさとも言えますので、現行のまま、二十代の記念として残しておくのも良いでしょう。
 逆に、半世紀ぶりに推敲してみようというお気持ちがお有りでしたら、その時の参考に、ということで感想を書かせていただきます。

 この詩の中で浮いている(働きが弱い)のは「霜楓」です。「明月」と並んで舞台装置という構成でしょうが、実は「明月」は前句の「星稀」とのつながりの方が強いのです。
 承句にある「星稀」は、北魏の曹操の詩にある「月明星稀」を意識してのもの、読者は自然に「明るい月」をイメージして読み進めています。
 その過程で「霜楓」があっても眼には入りません。
 例えば、言葉を入れ替えて、

對飲霜楓
清空客夜長
星稀明月宴
落落酌雲觴
としてみると、それぞれの句が上二字と下三字のつながりが明瞭になってきます。

 更に、この形で見ると、今度は「落落」という心情が本当は全く逆で、「適意酌雲觴」と肯定的に流した方が自然だと感じます。
 ただ、それでも「霜楓」が指定席かと言うと疑問で、「仲秋」と季節を表すだけでも十分な気がしますが、いかがでしょうか。



2015. 5. 5                  by 桐山人



痴凱さんからお返事をいただきました。

 ありがとうございました。
 また、推敲していただきまして、お礼申し上げます。

 結句の「落落」についてのご指摘、腑に落ちましたので改稿致します。「適意」という語も知らない時の作でした。

 更にいえば、起句に置かれた「霜」が下平七陽に属しますので上平一東に属します「紅」に差し替えたいと思います。

  對飲紅楓下   對飲ス紅楓下ル
  清空客夜長   清空客夜長シ
  星稀明月宴   星ハ稀ナリ明月ノ宴
  適意酌雲觴   意二適ウテ雲觴ヲ酌ム

2015. 5.15           by 痴凱























 2015年の投稿詩 第127作は 虎堂 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-127

  雪晨即事        

曈曈朝旭雪晴時   朝旭 曈曈として 雪晴るる時

庭色皚皚日影移   庭色 皚皚 日影移る

白髪茶梅紅點點   白髪の茶梅 紅點點

佳粧一刻愛風姿   佳粧一刻 風姿を愛づ

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 地元の教室で指導をうけた作品です。

 私の原作、結句下三字は、「古松枝」でした。「茶梅」(山茶花)と古松を並べて、前者は、雪化粧がなくなっても紅い花が残るが、後者は、ほんのひとときの佳粧で、はかないものだと言いたかったのですが、講釈余って舌足らずでした。先生のアイデアをいただきました。
 この時に、転句も、「白髪」を「玉樹」の方が・・・と指導を受けたのですが、結句の「風姿」を採るならば「美しいすがた」と言う意味でダブると思い、原作のままとしました。
 あれこれ悩んでいる裡に、季節外れの投稿となりましたが、ご指導お願いします。

<感想>

 拝見して、まず、畳語が「曈曈」「皚皚」「點點」と三つ入っているのが気になりました。
 リズムとして単調な印象が残ります。多用してかつ効果的というのは、なかなか難しいですね。

 また、「皚皚」と転句の「白髪」も色が重なっていますので、そういう意味でも「玉樹」にというご指導だったのではないでしょうか。
 「白髪茶梅」の比喩も、その後の「紅點點」と不調和に思います。「玉樹」は「美しい樹」というのではなく、「雪をかぶった枝」という意味ですので、虎堂さんの趣旨とずれないでしょう。

 結句の「愛風姿」は常套で面白みが無く、「惜風姿」とした方が気持ちが入るように思います。

 起句の読み下しは「曈曈たる朝旭」という語順にすべきですね。


2015. 5.17                  by 桐山人



虎堂さんからお返事をいただきました。
 ご指導有難うございました。

 起句、承句の畳語は、空と地上のコントラストを詠みたいので残したいと思います。
 下二句を、先生のご指摘を得心した上で、手直ししたいと思いますが、如何でしょうか。

  玉樹茶梅佩紅艶   玉樹の茶梅  紅を佩いて艶やかに
  佳粧一刻惜風姿   佳粧一刻  風姿を惜しむ

2015. 5.22         by 虎堂























 2015年の投稿詩 第128作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-128

  濱玉枝垂梅     浜玉の枝垂れ梅   

田園風景一民家   田園 風景 一民家

旗幟庭前坐喫茶   旗幟 庭前 坐に茶を喫す

紅白枝垂梅老樹   紅白の 枝垂れ梅なる老樹

為魁未發春告花   魁を爲す 未だ発かざる 春告花

          (下平声「六麻」の押韻)



<解説>

 唐津市浜玉町横田上の民家に、大小十二本の梅が放射線状に枝を広げている。
 最も古いのは樹齢約百十年、高さ約六メートル、幹回り約一メートル。傍にある樹齢約六十年の株と一緒に、ピンク色に染まって「親子」で競演している。

    囀りの重みに耐へて枝垂れ梅   兼山


<感想>

 浜玉町には梅の見所が沢山あるようですね。
 ネットで検索すると、満開のしだれ梅の写真がいっぱい載っていますが、写真でも相当な迫力を感じますから、目の前で見たらすごいでしょうね。

 結句がやや疑問ですが、「爲魁」ためにはもう花が開いていないといけないし、今目の前には紅白の梅が開いているのかと思ったのですが、「未發」となると、枝垂れ梅と通常の梅の開花時期の差を言っているのでしょうか。
 そういうことで読めば、「(枝垂れ梅)はまだ開いていない春告花(梅)の魁となっている」ということで、「天下魁」「百花魁」と言われる梅の、更に魁だという名誉を負ったということでしょうね。



2015. 5.17                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第129作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-129

  鏡山佐用姫傳説        

松浦湘君振領巾   松浦 湘君 領巾を振り

待歸化石作悲辛   帰を待ち 石と化し 悲辛を作す

鏡山展望臺粧了   鏡山 展望台 粧ひ了り

南北西東已報春   南北 西東 已に春を報ず

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 平成二十六年年、唐津市玄海国定公園鏡山の既存施設前に新たな展望台「スカイデッキ」が完成した。
 唐津市、唐津湾、虹ノ松原などの素晴らしい景色を一望する事が出来る。

    領巾振りし佐用姫が泣く山笑ふ   兼山


【補注】
 松浦佐用姫伝説を知らない人はいないだろう。愛する人との別離を悲しむ余り、石となってしまったという悲恋物語は、昔も今も女性の同情を誘う。

 万葉集より(七首中二首)
  遠つ人松浦佐用比賣夫恋いに領巾振りしより負へる山の名(万葉集巻五 871)
  海原の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫(万葉集巻五 874)

 望夫石・李白
  髣髴古容儀 含愁帯曙暉 露如今日涙 苔似昔年衣
  有恨同湘女 無言類楚妃 寂然芳靄内 猶若待夫歸

<感想>

 松浦佐用姫伝説の悲しい場所にも春が来る、言い換えれば、春は場所を選ばずにどこにでも訪れる。
 兼山さんが俳句の方で、「山笑ふ」の季語に「泣く」を対比させた(あるいは逆かもしれませんね)のは、そうした思いを表しているのでしょう。なるほどと思いました。
 「春愁」というと広がりすぎてしまうかも知れませんが納得できる心情です。

 その辺りを漢詩でも丁寧に描かれていると思いました。
 特に、松浦佐用姫の伝説から現実の春景色に移行する転句は、突然「展望台」が来てビックリという方も居るでしょうが、「佐用姫」から「鏡」、そして「粧」という、女性を意識させる言葉、和歌で言えば「縁語」の使用が、前半の二句からの流れを裏側で作り出していますね。
 勿論、展望台からの景色として「南北西東已報春」があるわけですから、結句へのつながりも強くありますが、転句の重層化が構成の妙を生んでいると思いますよ。

 一点だけ気になるのは、前作もそうですが、転句のリズムが「二・三・二」、変則が続くと何となく落ち着かない感が残ることくらいでしょうか。

2015. 5.17                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第130作は 越粒庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-130

  春日田家        

遅日長堤外   遅日 長堤の外

桃花遶古庵   桃花 古庵を遶る

老師磨鉄鉢   老師 鉄鉢を磨き

一笑向江南   一笑して江南に向かふ

          (上平声「十四寒」の押韻)



<解説>

 良寛詩の「看花到田面菴」、「再到田面庵」に触発されて作ってみました。  「長堤」、「桃花」などの詩語は今の時季、当地に定着です。

 詩語集のまま詩題を持ってきましたが、なにかそぐわないようですね、田家と田面庵では似て非なりと。

<感想>

 「田面庵(たのもあん)」に住んでいたのは、良寛さんより二十歳年上だった有願というお坊さん。
 新潟で生まれ、諸国で修行した後に帰国し、円通庵に暮らしていたそうです。「田面庵」は通称ですね。
 書画にも巧みで、良寛と親しく交際をしていた人ですが、いろいろなエピソードもある豪快な人物のようですね。

 その円通庵が「古庵」となるわけですが、まるで良寛さんがふわりと訪ねてきたような詩になりましたね。
 「江南」は前作「江南春」で示されたものかもしれませんが、「川の向こうの春景色の中」と読むと、一層場面が幻想的になります。

 そういう意味では、確かに題名も「春日田家」では物足りない気がしますね。
 「江上春日」「春行随水」のような題が考えられますが、田面庵での作詩という記録的な要素を詩に残すならば、「春日訪古庵」とそのまま書いても良いでしょうね。



2015. 5.18                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第131作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-131

  春情        

梅花遍發朔風徂   梅花遍く発き 朔風徂き、

野草漸蕃田圃隅   野草漸く蕃る 田圃の隅。

白水鴨群頻奮翅   白水 鴨は群れて 頻りに翅を奮ひ、

清漣鯉出屢形鬚   清漣 鯉は出でて しばしば鬚をあらわす。

紅塵紛若恟酸鼻   紅塵 紛若 酸鼻を恟(おそ)るも、

煙景嫣然懷綺襦   煙景 嫣然 綺襦を懐かしむ。

春色年年雖所待   春色年年待つ所と雖も、

加齢不亦不吁吁   加齢も亦吁吁たらずんばあらず。

          (上平声「七虞」の押韻)



<解説>

 「酸鼻」はいわゆる花粉症に、「懐綺襦」は若き日の艶事ひいては青春の思いに喩えたつもりです。

<感想>

 「梅花」「野草」「鴨」「鯉」と進みますが、そうですね、私も散歩をした時に、こうしたものに春を感じたことを思い出します。
 そういう意味では、作者の足取りが感じられるような前半ですね。

 頸聯の「花粉症」は分かりますが、下句の「懐綺襦」は「若き日の」というのを「懷」で示されたのでしょうが、現在の心境のようにも読めますので、できれば上句からも青春の日を思わせるものが欲しいですね。

 尾聯は二重否定でややこしいですが、最終的には「全く嘆かわしいことだ」、このまわりくどさに心情の揺れ動きを出したのでしょうか。
 頸聯からのつながりがはっきりしないのも、やはり頸聯を懐昔に揃えると、解消するように思います。題名の「春情」にもすっきり合うと思います。



2015. 5.18                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第132作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-132

  劫後四年憶東日本大震災        

未協帰郷福島辛   未だ帰郷協(かな)はず 福島の辛

延延仮寓是何因   延延たる仮寓 是れ何の因ぞ

禍於苛政猛燐火   禍は苛政よりも猛き燐火

命若鴻毛軽我民   命は鴻毛の若く軽き我が民

微雨流愁為碧草   微雨愁ひを流して 碧草を為し

落花残恨作錦茵   落花恨みを残して 錦茵を作る

友朋健否空欹枕   友朋健なるや否や 空しく枕を欹てば

杜宇聲聲已四巡   杜宇声声 已に四巡

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 鈴木先生久しぶりの投稿です。宜しくお願いします。

 年初に掲げた目標の律詩に挑戦しました。
 難しかったのですがなんとかできました。題材は東日本大震災です。

 もう四年経過、未だ故郷に帰れぬ人に思いを寄せて作ってみました。

 会津若松、仙台、塩釜に友人がいます。幸い無事だったのですが、多くの命が失われ復興などできないところもあるそうです。
 一体どこへ怒りをぶつければいいのでしょうか。

<感想>

 東日本大震災から四年、先日は玄齋さんからも詩をいただきました。
 戦争の記憶もそうですが、忘れてはいけないものが沢山有ることを思い知ります。

 被災地の復興は、ニュースでは、帰宅するための住宅が完成しても、すでに四年が過ぎ、避難している方々もそれぞれの地での生活があり、なかなか入居の希望が満室にならないと聞きます。
 復興が遅れればそれだけ帰る人が減り、村や町の人口が回復しなければ、せっかくの復興策も手遅れになる、かといって今日明日に即席で処理できることでもなく、一生懸命に取り組んでいらっしゃる方々には一層辛い現状なのだろうと思うと、胸が痛みます。

 私たちにとっても、できることをすぐに答えることは難しく、ただ、四年前のことを教訓として忘れない、としか言えないのですが、こうして皆さんの詩を拝見することが、思いを改めて馳せる機会になることを願っています。

 律詩に挑戦という亥燧さんの今回の詩ですが、対句に苦労されたようですね。
 頸聯は意味も分かりやすいですが、ただ、上句の「流愁」は「愁いを流して」しまって良いですか。下句は「残恨」ですので、避難者の方々の心情を象徴しているのだろうと理解できますが、同じように上句を見ると、「愁いが無くなった」ようになります。
 ここは「留愁」でしょうね。

 頷聯はわかりにくいのですが、「燐火」は通常は墓場に浮遊する火とか人魂、ここでは「原子炉からの死の炎」のことを指しているのでしょうか。
 そう考えると「禍」とのつながりも何とか分かります。
 比較形を用いたのは、「虎よりも恐ろしい苛政(「苛政猛於虎」)、それよりも恐ろしいのが燐火の禍」という流れで、政治の方への批判も含めているのでしょうね。
 ただ、比較形は『礼記』のように、「於」の上に形容詞が来ますので、「猛」は倒置のようで、それがわかりにくくさせています。
 「於」を「方(くらぶ)」「弥(いやます)」のような言葉にすると、四字目で切れる形になり、対応が良くなるでしょうね。



2015. 5.27                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第133作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-133

  餞春        

韶光漾漾晩風柔   韶光漾漾 晩風柔かなり

遠近声声去不留   遠近声声 去りて留らず

野寺僧房禽語静   野寺僧房 禽語静かなり

離枝香雪絵春愁   枝を離れし香雪 春愁を絵く

          (下平声「十一尤」の押韻)



<感想>

 全体に場面を目に浮かべにくいのですが、仲泉さんが直接体験されたということですと、納得しないといけないですね。
 時刻と場所がどうもはっきりせず、例えば「韶光」「晩風」、夕暮れ時まで「韶光」をひきずるのはどうでしょうか。
 また、承句の「遠近声声」と転句の「禽語静」も違和感があります。
 承句と転句で聴覚を重ねるのは疑問ですので、「僧房」の趣を出すなら、何か他の素材を出してはどうでしょうね。

 結句は、この時期ですと何の花でしょうか、一般には「香雪」は白梅をイメージしますね。白い花がハラリハラリと枝から離れるというのは画面としては美しいですが、「晩風」が「柔」だとは言え、邪魔な気がします。
 「白英散乱」くらいの方が全体には合うのではないでしょうか。



2015. 5.28                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第134作は 痴凱 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-134

  立夏偶感        

嚢中無一物   嚢中 無一物

酔後臥山亭   酔後 山亭に臥す

感慨誰知処   感慨 誰か知る処

荒途夢未醒   荒途 夢未だ醒めず

          (下平声「九青」の押韻)



<感想>

 銭は無くとも心は錦、胸に秘めた気概を述べたものですね。

 前半は、まさに唐代の詩人のような豪放さ、俗世を超越した生活が浮かびます。
 後半も、「この心は誰にも分からないだろうが、俺はまだまだ頑張るぜ」という力強さで読み通せますが、「荒途」(はるかな道のり)の「荒」の字、「未醒」の否定形、一句戻れば転句の反語形、これらが倚る術の無い孤独感を感じさせて、作者の寂しさが浮き上がってきます。
 味わいのある詩ですね。



2015. 5.28                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第135作は 小鮮 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-135

  歳朝 寄課本童話'雪'        

清晨已息夜風声,   清晨 已に息(や)む夜風の声、

雪後庭園曙色盈。   雪後の庭園 曙色盈(み)つ。

踏印梅花走狗走,   梅花を踏印して 走狗走り、

跴書竹葉一鷄鳴。   竹葉を跴書(さいしょ)して 一鷄鳴く

          (下平声「八庚」の押韻)

     新雪に子犬刻すや梅の花 鶏も出(いで)来て竹の葉で和す

「課本」: 教科書
「踏印」: 足で踏んで印をつける
「跴書」: 足で踏みつけて書く


<解説>

 この詩は中国語教室の教科書(簡単な童話から老舎の随筆まで読む)の二番目の文章、新雪に子犬が足跡をつけて喜んでいるところに鶏も現れて、こちらは笹の葉を描画して一緒に和しているというのから想を得ました。
 起句、承句は私の想像です。



<感想>

 小鮮さんの投稿は、一月頃に送られたそうですが、私の所に届いていなくて、改めて送っていただきました。

 お久しぶりですね。
 お忙しいようですが、漢詩創作を続けておられることを嬉しく思います。同じ世代の仲間からの詩は私も刺激を受けます。

 さて、詩の方は、犬の足跡が梅の花、鶏の足跡が竹の葉という取り合わせは楽しいですね。詩想が湧くというのも納得できます。
 ただ、起句の「清晨」と承句の「曙色盈」や、「走狗」「走」など、言葉の重複が気になるところです。
 承句の「曙色」は「銀(白)色」にすることで良いでしょうね。
 転句の「走狗走」の「走」は狙いがあるのかもしれませんが、ここは我慢して「家狗走」、対句の対応で言えば、結句の「一鶏鳴」も「野鶏鳴」と合わせておくと面白いと思います。



2015. 5.28                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第136作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-136

  詠横浜夜景        

開港百余年   開港百余年、

斑斑夜景鮮   斑斑と夜景鮮やか。

路端猶架宙   路端 猶宙に架かり、

楼閣更摩天   楼閣 更に天を摩す。

電照湾橋聳   電照 湾橋聳え、

埠頭月影円   埠頭 月影円なり。

朝昏営交易   朝昏 交易を営み、

多数擁商船   多数 商船を擁す。

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 「斑斑」は交じり合う様の形容。
 「楼閣」は楼閣の様な建造物、ランドマークタワー等ビルディング。
 「電照」は水銀灯又はナトリウム灯、最近ではLEDの電気の照明を略したもの。
 「湾橋」はベイブリッジ。
 

 本来漢詩に歌いこむ物ではないかもしれませんが、清末の詩人、黄遵憲の真似をしたつもりです。
 いつものようにご意見賜りたく投稿いたします。

 最後に「百余年」としましたが、開港140年位経っているそうです。

<感想>

 横浜港の開港は1858年、安政の日米修好通商条約による開港だったので、もう150年ですね。そういう点では、「百余年」はイメージとして開きがあるようにも感じますが、まあ、このくらいの誤差は眼をつむれると思います。

 「斑斑」は、横浜に色々なものが建てられていることを表したようですので、「多多」「雑多」というところでしょうが、「夜景鮮」へと流れるために、色合いを表す言葉にしたのでしょうね。
 漢詩の通例として通じるかどうかよりも、作者の感性だと納得します。

 頷聯の上句「道端」は下句の「楼閣」と対応させる形で「街衢」「路街」のように、同じものを並べた熟語にした方が良いですね。

 頸聯は、「電照」「湾橋」は本来逆で、「湾橋の電照」となるところ、下句の「埠頭月影円」の対応としても逆の方が良いですが、平仄の関係で入れ替えたのでしょう。
 「聳」は頸聯で「架宙」「摩天」と高い方向への視点は既に言ってますので、光を形容するような言葉が良いでしょうね。
 また、下句は二字目が孤平ですので、言葉を入れ替える形で、「月影埠頭満 電照湾橋連」(月影埠頭に満ち 電照湾橋に連なる)のような変更も考えられます。

 尾聯は、船が数多く行き来するという場面ですから「多数」で悪いということではありませんが、そのまんまという感じで、詩の結びとしては物足りないですね。
 数を時間で表して「不断擁商船」、船に焦点を合わせて「大小往来船」「来去許多船」など、余韻を残す形で検討してみてはいかがでしょう。

 あとは、全体に情景が続いていて、横浜港のガイドブックのような気がします。作者でも、デートのカップルでも良いので、そうですね、頸聯あたりに、誰か人間が登場すると、詩に臨場感が出てくるのではないでしょうか。



2015. 5.31                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第137作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-137

  喜風何不騎才筆        

晩境多閑少塵事,   晩境に閑多く塵事少なく,

老骸無恙有琴卮。   老骸に恙なく琴卮あり。

酒家人醉遊魂處,   酒家に人は醉ひ魂を遊ばすところ,

天上花開設宴時。   天上に花は開き宴を設くるの時。

悦目飛仙翻舞袖,   目を悦ばせて飛仙 舞ひの袖を翻し,

放聲騷客競吟詩。   聲を放ちて騷客 吟ずる詩を競ふ。

喜風何不騎才筆,   風を喜べば何んぞ騎(の)らざらんや 才筆の,

化馬行空誇騁姿。   馬と化して空を行き騁姿(ていし)を誇るに。

          (中華新韻十三支平声の押韻)



<解説>

 騁姿:
 最近は筆のおもむくままに空想を楽しんでいます。
 この作は「天上花開」の四語が最初に浮かび、それをもとに対句ができ、対句ができたので律詩にした次第です。
 頷聯が最初にでき、首聯、頸聯、尾聯の順で詠みました。
 苦労したのは末二字「●姿」をどうするか、でした。
 ネットの『漢典』を懸命に検索し、ようやく「騁姿」を見つけました。
 騁姿は私が使っている漢和字典には載っていませんが、ネットの『漢典』には、
 騁姿はR耀たる姿容(光り輝く姿、華麗なる姿、誇らしい姿)をいうとあり、唐の皮日休『桃花賦』に「或窈窕而騁姿。」 とある、とありました。
 騁姿は馬偏があって天馬にふさわしいと思い、満足しています。




<感想>

 『漢典』は先日お会いした時に、最近のお気に入りだとおっしゃっていたサイトですね。
 私も鮟鱇さんの解説を読みながら「騁姿」が出てくるか検索してみましたら、「?姿」と入力すると表れました。
 説明は簡体字ですがとてもシンプルで、分かりやすいですね。
 言葉に行き詰まったら、今度は私も使ってみようかと思いました。

 この詩も鮟鱇さんのお好きな天上の世界、古人との宴を開いている場面でしょうね。

2015. 5.31                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第138作は 松庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-138

  寄帛琉諸島天皇慰霊旅     パラオ諸島 天皇慰霊の旅に寄せて   

南洋野戦不勝悲   南洋の野戦 悲しみに勝(た)へず

祖国存亡那得知   祖国の存亡 那ぞ知るを得ん

君主慰霊行路遠   君主慰霊 行路の遠きを

憑皆伝語望清時   皆に憑(よ)って語り伝ふ 清時を望まんと

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 戦後70年。今もって慰霊の旅を続ける天皇、皇后。
 幼かった私にはパラオの戦闘、知る由もなしでした。

 私の願い、それは、なんとしても、後世に平和な世界を築くことを伝えること。
 詩にしてみたくなりました。

<感想>

 構成としては、前半が過去の場面、後半が現在としたいところ、起句に「不勝悲」があると、作者の感懐となり、それは現在のものになります。
 また、パラオ諸島という地理を考えると、「野戦」は唐突な印象です。
 「南洋島嶼戦図碑」、「碑」が気になるようでしたら、「悲」でも過去のことになるでしょう。

 承句は「存亡」がわかりにくいので、はるかに遠く隔たっていたというニュアンスにして、「万里蒼茫望国湄」、あるいはここに「望国悲」を入れても良いでしょう。

 結句の訓みは、「語を伝ふ」となりますね。これですと、意味が変わってしまうので、句の頭に持ってきて「語伝」とした方が良いでしょうね。





2015. 6. 7                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第139作は 小鮮 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-139

  故郷春日 一        

連山残雪映蒼穹   連山の残雪 蒼穹に映じ

満邑桃花万朶紅   満邑の桃花 万朶(ばんだ)紅なり

山雉飛来天井角   山雉飛来す 天井(てんせい)の角(すみ)

耕車鳴動草廬東   耕車の鳴動 草廬の東

          (上平声「一東」の押韻)



<解説>

  2010年に掲載された「故郷春天」を推敲し、二首に分けたものです。
 まずは、春耕の始まる村里の様子から。

「山雉」: 雉のこと。
「天井」: 本来は中国の伝統的家屋建築の中庭。転じて庭一般。
「耕車」: 耕耘機とかトラクターの意で使っています。「農耕車」は使われているようですが、「耕車」は造語になりますか。


 起句と承句は、年々巡る故郷の春の風景。
 転句、結句は、数年前帰省の折の同級生の実家で見て、聴いた光景です。但し、草廬と言っても立派な茅葺きです。

<感想>

 遠景から近景へと自然にズームアップしてくる描写で、ゆったりと景色を写したビデオを見ているような気持ちになります。

 後対格になっていますが、後半の対句はまとめが難しく、二句ひとまとまりの分、「だからどうしたの?」と次に続くような印象になり、前半の雄大さに較べてこじんまりとした感が残ります。
 最後に春を迎えた作者の気持ちや姿が現れるとすっきりするように思います。

 結句の「耕車」は「耕機」の方がよいのではないでしょうか。



2015. 6. 8                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第140作も 小鮮 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-140

  故郷春日 二        

山谷雪形奔馬群   山谷の雪形(ゆきがた) 奔馬群(むれな)し

農人乗耒始耕耘   農人耒(らい)に乗り 耕耘を始む

土中驚愕蟄虫躁   土中驚愕 蟄虫躁(さわ)ぎ

地上啄餐飢鳥欣   地上餐を啄(ついば)み 飢鳥欣(よろこ)ぶ

          (上平声「十二文」の押韻)

<解説>

<解説>

 2010年に掲載された「故郷春天」を推敲し、二首に分けたものです。その後半部、春耕が始まると土中の虫の災難、地上の鳥の至福の時の情景です。

「雪形」: 故郷の山にも雪形が現れます。残念なことに私の所からは見えません。
      実際に現れる雪形は駿馬一頭ですが、ここでは、押印の関係から群れなす駿馬にしてみました。
「乗耒」: 古の耒は人が押し牛に引かせるものですが、現代の耒は乗車(乗耒)して耕すトラクターです。
「蟄虫」「飢鳥」: 土が耕されると、土中の虫が表面に掘り出され、それを狙って白鷺や烏がトラクターの後を追いかけます。
      まさに虫の地獄、鳥の天国が出現します。


 なお、初案では転句を「蟄虫驚愕土中変」としました。しかし、中国の友人に「中国語では『本能寺の変』のような『変事、さわぎ』の意味での『○○の変』ということばは無い」といわれたので、投稿の形に直しました。

<感想>

 起句は無理に「群」とするよりも、踏み落としで「奔馬影」としてはどうでしょうか。

 後半の対比は面白いですが、「土中」「地上」まで書く必要は無く、「鳥が餌を啄む」というだけで地上だと言うことは分かります。
 「飢鳥啄餐春蠢欣」のように、「鳥」を主語として句を検討してはどうでしょうね。



2015. 6. 8                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第141作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-141

  客夜        

遙過雲漢漾昏冥   遙か雲漢を過ぎ 昏冥に漾ふ

再不帰而故旧星   再び帰らじ なんじ 故旧の星

誰謂欲望名地球   誰か謂ふ 欲望といふ名の地球

超三界直下夢醒   三界を超えんとして 直下 夢醒める

          (下平声「九青」の押韻)



<感想>

 起句はスケールの大きさがよく出ていて、佳句ですね。

 承句は読みづらく、「而」は接続の字とつい思います。二人称を表す言葉で平声を探したのだと思いますが、無理に入れる必要はなく、「帰来」としておけば良いでしょう。

 転句は語順がおかしく、「誰謂地球爲欲望」でしょうか。

 結句は「三字+四字」は読みづらいので、「将超三界客夢醒」(将に三界を超えんとして客夢醒む)とするところでしょう。



2015. 6. 8                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第142作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-142

  述懐        

還暦大患呵瞎児   還暦の大患 瞎児を呵り

古希平静慰相思   古希の平静 相思を慰む

栄華瞬刻夢魂盡   栄華瞬刻 夢魂尽き

一病息災心事知   一病息災 心事知る

煩去不留安我習   煩去れば留めず 我が習ひに安んじ

楽来不拒任人笑   楽来れば拒まず 人の笑ふに任す

省無悔恨何憂懼   省みて悔恨無ければ何ぞ憂へ懼れん

直把酒杯朋與師   直ちに酒杯を把らん 朋と師と

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 テレビ番組「おはよう健康体操」の今日の言葉、「煩来不留、楽来不拒」からヒントを得て作詩しました。

 六十才で全身麻酔、八時間を超える手術を受けるの羽目に。それまでの我が儘を叱られたようです。
 もうすぐ古稀ですが、今度は平穏に迎え、雑事色々ありますが、他人様になんと言われようと楽しい余生を送りたいと思っってます。

<感想>

 「煩来不留、楽来不拒」は誰の言葉なのか知りませんが、共感できる言葉ですね。
 私も退職したからには、楽しいことだけで過ごす生活をしたいと思っていましたが、なかなかそうは行かなくて、「煩来」は避けられないのだなぁと実感しています。
 だからこそ、「不留」が必要なのでしょうね、ぐずぐずといつまでも気にかけていてはいけない、それが老後を愉しむ秘訣でしょうね。

 今回の詩が亥燧さんの律詩二作目ということですが、具体的な事物を出さず、一貫して心情を語るというのは、どうしても聯の展開が平板で、同じことを繰り返している印象になりますね。
 雰囲気としては古詩のような感じですが、ただ、これはこれとして、亥燧さんの現在の心境をうかがわせる詩ではあると思います。

 「不」の字の重出だけは直しましょう。



2015. 6.13                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第143作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-143

  遊鞍馬山        

登山鉄路翠嵐行   登山の鉄路 翠嵐の行、

躑躅藤花溪水C   躑躅 藤花 渓水清し。

造化氤氳今最是   造化の氤氳たる 今最も是なり、

羸軀不恐峻嚴程   羸躯峻厳の程を恐れず。

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 五月の連休の一日、貴船と鞍馬に遊んだ時のものです。
 新緑真っ盛りで、盛んな自然の息吹を感じ、自然の活力に刺戟されて、老人が険しい山路をも恐れず奥の院を目指した、という大意です。

<感想>

 承句はいかにも新緑の山中の景で、こういう句は好きですね。

 起句の「鉄路」が頭に残りますので、結句の「不恐峻嚴程」がやや弱くなります。
 どうしても「鉄路」ということを出す必要がなければ、「一日」として山の中を歩いている情景にした方が、後半の視野が生き生きとしてくると思います。



2015. 6.13                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩  第144作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-144

  目黒川観櫻        

橋頭看花集、   

総有駐留人。   

非櫻開滿岸、   

如何辨得春。   

          (上平声「十一真」の押韻)



<感想>

 川沿いの桜を見に来た人があまりに多くて、これでは「花見」ならぬ「人見」じゃないか、と嘆いた内容ですね。

 特に今年の桜は開花の期間が短く、あっという間に散ってしまったという感がありました。
 花見も天気予報を見て、「雨の前に」と大急ぎで繰り出した人が多かったのではないでしょうか。

 ただ、それだけ日本人というか、東京・江戸の人は桜が好きだということでもありますね。
 二、三年前でしたか、ちょうど桜が満開の時に漢詩の大会があり、翌日はとバスツアーで都内を巡りましたが、あちらでもこちらでも、どこの街角に行っても真っ白の花が目に入り、東京ってのは何て桜の多い町だ、と思いました。
 それだけこの花が愛されているということでしょうね。




2015. 6.14                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第145作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-145

  二月五日偶題        

十六月圓逢立春、   

懸于窗外即爲隣。   

河堤雨落漫成雪、   

坡道花飄会作塵。   

一日無窮PC事、   

滿堂貧極IT民。   

天寒還讀李太白、   

海客瀛州郷夢頻   

          (上平声「十一真」の押韻)



<感想>

 こちらの詩は、「PC」「IT」という現代語が使われて、「おやおや」と思われた方もいらっしゃるでしょうね。
 古典詩とは言い難い(平仄はどうなる?!)のですが、他の句で口語表現を避けて詩語を意識して使われている分だけ、より鮮明にこの二語が浮き上がり、ある意味で固有名詞のような扱いで読み進めることが出来てしまいます。
 陳興さんならではの詩でしょうね。

 「滿堂」とありますので、ご自宅ではなく、出先での場面でしょうね。

 読まれた李白の詩は「夢遊天姥吟留別」でしょうか。「海辺の人(海客)が瀛州ははるか遠く霞んで、とても行き着けないと言った」という書き出しですが、故郷を遠く離れて日本にいらっしゃる陳興さんの気持ちが表れていますね。



2015. 6.14                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第146作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-146

  惜別辞        

千里客程是我師   千里客程是れ我が師

陽関一曲泣臨歧   陽関一曲泣いて歧に臨む

交情有信従今別   交情信有り 今より別れん

無那辛酸別後思   那する無し 辛酸別後の思ひ

          (上平声「四支」の押韻)



<感想>

 起句が四字目の孤平になっていますので、ここはまず「前程」「行程」とするのでしょうが、「客程」が「我師」というのがよく分からないですね。
 気持ちが先に走った感があります。
 「千里客程催我師」という趣旨でしょうか。

 転句からは心情を表す部分になりますね。
 「従今別」は言わなくても分かる言葉ですが、作者が心の中で自分に何度も言い聞かせていると解釈すれば、理解はできます。

 結句の「辛酸」「別後思」を表すなら、もっと他にこの時の気持ちを言う適切な言葉がありそうな気がしますので、検討してみてはいかがですか。



2015. 6.15                  by 桐山人



仲泉さんからお返事をいただきました。

書きなおしてみました。
相変らず観念が先行する癖が抜けません。よろしくご指導をお願いします。

  永訣師君恩愛滋  永訣師君恩愛滋し
  陽関一曲去何之  陽関一曲去って何くにか之くや
  交情有信空懐古  交情信有り 空しく懐古す
  無那凄涼別後思  那んともする無し 凄涼別後の思ひ


2015. 8.15           by 仲泉


 内容的にまとまりが出てきたように思います。
 細かいことですが、承句の読み下し、「何くに之く」と二つの疑問の助詞を入れるのはくどいですので、どちらかにすべきです。
 「何くにか之く(かん)」あるいは「何くに之くや」でしょう。

 転句の「空懐古」は「空」に感情が入っていて、結句の心情を先取りしています。繰り返しの効果よりも、主眼があちこちに出てきて、結句の想いが散乱してしまいます。
 ここは「深懐古」とするのが良いと思います。

2015. 8.19          by 桐山人






















 2015年の投稿詩 第147作は 楽宙 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-147

  宝泉院        

夏気晴風野鳥啼   夏気 晴風に野鳥啼き

蒼天白日石苔青   蒼天の白日に石苔青し

茶湯一服千年寺   茶湯一服、千年の寺

俄頃盤桓額縁庭   俄頃、盤桓、額縁の庭

          (下平声「九青」の押韻)



<解説>

 京都大原宝泉院を訪れました。

 初夏の風、鳥の声、新緑のすべてが気持ちよく、お寺でお庭を臨んで抹茶をいただくと、まさに立ち去り難い額縁の庭を感じました。

 日常を離れた至福の時間を過ごして、力不足ながら久々に作詩に挑んでみました。

<感想>

 前半を見ると、場所がよく分からないのは、「野鳥」の語ですね。
 苔の青青として寺に居るわけですから、わざわざ広々とした場所をイメージさせる「野」の語を入れる必要はなく、大原の山深さを出したいという意図ならば「山鳥」の方が納得できます。「衆鳥啼」でも十分だと思います。

 承句は、「蒼天」「石苔青」を対にしたいのでしょうが、苔は地面にあるもの、空を見て地を見るという動きは、立体感を出すよりも不自然な印象です。
 起句の「夏気晴風」でもう承句の上四字の雰囲気は出ていますので、ここは寺院の新緑の様子を描いた方がよいですね。

 結句は「俄頃」は短い時間、立ち去りがたい気持ちを表す「盤桓」が「ちょっとだけ」とか「ふいに思いついた」という感じで弱まってしまいます。
 もちろん、「俄頃」をここで「ふと思った」という意味で使うことは可能ですが、「盤桓」との組み合わせは疑問です。

 同じく結句の「額縁庭」は宝泉院の借景庭園を表す言葉ですので、そのまま固有名詞として使いたい気持ちは分かりますが、知らない人が「額縁」と聞いて素晴らしい庭園だとイメージできるかどうか、承句の「石苔青」の具体性も軽くなるような気がします。
 そういう点では、結句はまだ検討できると思いますね。



2015. 6.15                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第148作は 春空 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-148

  題弾琴祭 一        

清流一曲似沙銀   清流 一曲 沙銀に似たり

皎月金風洗世塵   皎月 金風 世塵を洗ふ

岩上笙琴微妙界   岩上の笙琴 微妙の界

公勲功長照郷民   公の勲功 長なえに郷民を照らす

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 岡山県倉敷市真備町は、吉備真備公の生誕の地です。
 毎年、中秋の名月の日に縁の岩の上で琴を弾くお祭りがあります。
 非日常的な美しいひと時です。
 それを詩にしました。

 鴨方町出身の阿藤伯海先生の吉備真備の有名な作品があります。

<感想>

 起句は、「沙銀」という言葉がありますか。「沙は銀に似たり」ということでしたら語順が違い、「沙似銀」でなくてはいけません。
 「似」を取って「白沙銀」(白沙は銀たり)としてはどうでしょうか。

 承句はわかりやすい良い句です。

 美しい音色を表す言葉は色々ありますが、ここはどうでしょう、「神妙」くらいでも良いと思います。

 結句は突然の「公」ですので、吉備真備のこととすぐに分かるかどうか、ただ内容的に「弾琴祭」ということは題にも詩にも書かれていますので、参加される方には当然周知のことだと考えると、納得できるところでしょう。
 ただ、「三字・四字」という切れ方、二四不同の崩れは気になりますので、「公勲今古」「遺勲綿歴」などとしてはどうでしょう。



2015. 6.15                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第149作は 春空 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-149

  題弾琴祭 二       

皎月秋風掃俗塵   皎月 秋風 俗塵を掃ふ

清流一曲白於銀   清流 一曲 銀於り白し

岩上弾琴玄妙韻   岩上の弾琴 玄妙なる韻

功名右相化郷人   功名ある右相 郷人をも化せり

          (上平声「十一真」の押韻)



<感想>

 前作を練り直したものですが、承句は川の流れが月の光に照らされて銀色に光っているということですね。
 そうなると、起句で「秋風」が入ると鮮やかさがぼけて、どうして「白於銀」なのかがピンとこなくなります。
 「清流一曲円月銀」と月と川をまとめて、起句の方は「秋風」を修飾する言葉を入れてはどうでしょう。

 転句は本来は粘法から行けば、平句(二字目が平字の句)になりますが、拗体として読めば大丈夫でしょう。

 こちらの詩は、わかりやすく構成されていると思います。



2015. 6.15                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第150作は 春空 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-150

  題弾琴祭 三       

清流円月備南村   清流 円月 備南の村

不忘千年右相恩   忘れず千年 右相の恩

今夜笙琴奏岩上   今夜 笙琴を岩上に奏す

秋風妙曲満乾坤   秋風 妙曲 乾坤に満つ

          (上平声「十三元」の押韻)



<感想>

 同じ素材を用いながら、句の配置を工夫することで詩の趣が異なってきますね。

 地元の方ならではの気持ちがすっきりと出ていて、良い内容になっています。
「一」や「二」では結句に入っていた吉備真備への敬意を承句に置き、後半の焦点を「弾琴」に絞ったことで、まとまりがぐんと良くなりました。
 ここでも「秋風」は邪魔で、「味わいのある音色が天地に染み渡っていった」と一つのこと(琴の音色)を描くようにすると一層まとまります。
 ただ、この「秋風」を削ると、弾琴祭という行事がいつ行われているのかを表す言葉が何も無くなってしまうので、許容範囲とも言えます。
 まあ、それならそれで、「秋風」を前半に持ってきても良いわけで、後半のクリアな描写が望ましいと思います。




2015. 6.15                  by 桐山人