2011年の投稿詩 第241作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-241

  李氏朝鮮六死臣        

大君簒奪弱王囚   大君簒奪して 弱王を囚ひ

変節守成申叔舟   変節 守成の申叔舟

不似尽忠謀復位   似かず 忠を尽して復位を謀り

六臣為鬼志何休   六臣鬼と為って 志何ぞ休まん

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

 詠史を作る場合どうしても事実の羅列になり易いので、できるだけ詩人の感慨を詩に叙述しようと思っています。
 以前に某生先生が六死臣で投稿されました(「過死六臣祠」)が、二番煎じです。私の詩は理屈だけになっている気がしています。

 詩意は世宗の遺志に背いて癸酉靖難に荷担して功を遂げた申叔舟よりも、端王の復位を謀った六死臣のほうが勝っているという意味です。
 申叔舟は 世祖曰叔舟是為吾魏徴といってます。

「守成」は
   魏徴對曰、帝王之起、必承衰亂中省略。以斯而言、守成則難。

 申叔舟は日本語も話せて日本に来たこともあり、現代のハングルをを世宗の下でつくった人です。

<感想>

 「守成」の記事は、『貞観政要』に書かれているものですが、「創業は易く守成は難し」(Web漢文大系)に詳しく書かれています。

 歴史を詠む難しさは、謝斧さんの仰る通りで、歴史的事件や人物に対して作者自身がどんな思いを持っているのかが大切です。絶句の場合は句数も少なく、ともすると、事実の列挙だけで終わってしまうことも出てしまいます。
 そうなると、ここで作者が詩を詠む意義は何なのか、を考えることになります。つまり、「こういうことがあった」と述べるならば、特に日本のことを題材にした場合には、実は先人がすでに詠んでいることがほとんどです。
 先人と同じ思いを共有する、という目的ももちろん作詩にはありますので、それを否定するわけではありませんが、それでも、どれだけ先人の視点や表現に対して現代の詩人として取り組むかという観点は欲しいと思います。
 新しい発見や独自の史観まではなかなか要求し難い点はありますが、同じようにとらえるにしても「私はこう思う」という強さ、あるいは矜恃と言っても良いかもしれませんが、そういうものを出したいと私は思っています。

 謝斧さんは「理屈だけの詩になってしまって」と書かれていますが、それは論理性を出しただけのことで、何を求めているか、という作者の視点は十分伝わってくると思います。




2011.10.26                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第242作も 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-242

  潭嗣洞 清朝六死士        

屯亶変法事已休   変法を屯亶して事已に休み

六子誅身菜市頭   六子身を誅せらる 菜市の頭

従容就死須天意   従容と死に就くも 須らく天意なるべし

一死賢於張倹謀   一死は賢れり 張倹の謀よりも

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

 潭 嗣洞は李卓吾とならび私のもっとも尊敬する人物です。
 戊戌の変法で 康有為や梁啓超 知日家であり 漢詩人で有名な黄遵憲も日本へ亡命しました。

「張倹」: 望門投止   康有為等亡命したものにたとえる。


<感想>

「張倹」の注に書かれた「望門投止」は故事からの言葉ですが、避難する場所を選んでいられないほど、状況が切迫していることを表します。
 「投止」はかくまうということですので、遠くから門を見てすぐそこにかくまってもらうという意味ですが、後漢の「張倹」の故事からのものです。

「屯亶(チュンテン)」も難しい言葉ですね。易経からの言葉のようですが、辞書によれば「行き悩む、悩み苦しむ」ということです。

 亡命して後日を期した人物との比較は難しいところかもしれませんが、「従容就死須天意」という悟りへの共感が謝斧さんにはおありなのでしょうね。




2011.10.26                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第243作は 展陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-243

  牢騒        

支頤閑坐夜何長   頤(あご)を支えて閑坐した夜は何と長いか

望月追懐綴短章   月をながめて追懐し 短章を綴る

惜在文中多拙句   惜しくは文中に拙い句が多く

慙羞学浅汗成行   学の浅きを慙羞し 汗が行を成す

          (下平声「七陽」の押韻)



「短章」: 絶句又は短い文章
「牢騒」: 愚痴


<感想>

 起句から展開が滑らかですらっと読めるのは、前の句の下三字を受けて次の句が始まるという構成になっているからでしょう。丁寧にお作りになっていらっしゃると思います。

 題名の「牢騒」は「不平、不満を口にする」ということですが、詩の内容からはそれほど強烈なものは出てきません。詩を作る者ならば誰でも感じる思いで、そういう意味では、つい口から出てしまった「愚痴」というところかもしれませんね。



2011.10.26                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第244作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-244

  梅天閑詠        

雲煙霖雨尚難休   雲煙霖雨 尚 休(や)み難し

水漲秧田蛙応酬   水は秧田(おうでん)に漲(みなぎ)って蛙は応酬す

獨坐幽齋啜新茗   独座幽斎 新茗を啜(すす)り

繙書削句思悠悠   書を繙(ひもと)き句を削って 思ひ悠悠たり

          (下平声「十一尤」の押韻)



<感想>

 前半は梅雨の時候の家の外の風景、後半は書斎で詩を練っていらっしゃる様子、どちらもよく分かる表現になっていると思います。
 屋外から室内へと場面が転換しますが、部屋の窓から外を眺めていたと解すれば、それほど気になりませんね。何よりも「新茗」が効いていて、季節感を継続させています。
 実はこの「新」がないと、後半は秋の詩でも冬の詩でも、いつの詩でも良くなってしまうわけで、さりげなく使った一字ですが効果は絶大ですね。

 結句の「思悠悠」は、全体の収束を考えるとややピントが甘いか、という感じです。
 この言葉は、広い山野の中での開放感、あるいは友人や故郷と遠く離れた気持ち、過去の事件や人物への懐旧、などに用いられることが多いわけですが、サラリーマン金太郎のこの詩の場合、心がどこに向かって「悠悠」となっていくのでしょう。
 また、それをもたらしたものは「獨坐幽齋」なのか、「啜新茗」なのか、「繙書削句」なのか、作者はきっとそれら全部だと仰るのでしょうが、欲張りすぎで、判断材料が多い分、「思悠悠」の内容は「読者の想像におまかせします」という感じになっています。
 もう少しだけ、方向性を限定するような、丁寧な描写があればと思いました。



2011.11. 3                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第245作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-245

  夏日舟遊        

楫舟解纜燧灘傍   楫舟(しゅうしゅう)纜(ともづな)を解(と)く 燧灘の傍

蟹舎魚莊潮自香   蟹舎魚荘 潮自ら香し

舷上涼風巡鹿島   舷上(げんじょう)の涼風 鹿島を巡り

歸帆箇箇送斜陽   帰帆箇箇 斜陽を送る

          (下平声「七陽」の押韻)

「蟹舎魚莊」: 漁村の形容

<感想>

 場面がくっきりとしていて、「燧灘(ひうちなだ)」の潮の香りが漂ってきそうな詩ですね。

 承句の「蟹舎魚莊」は、せっかく舟を漕ぎ出した場面ですので、また岸に戻るのではなく、波の様子などにしてはどうでしょうか。

 転句も「舷上」「鹿島」と、風の流れる場所が二つ出ています。「舷上」から「鹿島」までということかもしれませんが、バランスとして違和感が残りますので、「海上」とした方が良いでしょう。



2011.11. 3                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第246作は 南芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-246

  先祖懐古 其一        

南小路卿安在哉   南小路卿 安くに在りや

惟任追撃獨徘徊   惟任の追撃 獨り 徘徊

昔時覇業都如夢   昔時の覇業 都(すべ)て夢の如し

直戻姓名誰作魁   直に戻せ 姓名 誰か魁(さきがけ)を作(な)す

          (上平声「十灰」の押韻)



「惟任」: 明智光秀

<感想>

 詩を拝見して、南芳さんのご先祖が詩中の「南小路卿」にあたるのだろうと思いまして、お尋ねしましたところ、次のようなご返事をいただきました。

 先生の御指摘の通り、先祖は南小路卿のようですが、隠遁生活で名前を変えたようです。
 祖父等の言い伝えでは、先祖は公家として京都の現在の二条城近くに豪邸を構えていたようです。今も住居はあるも、ごく普通の家です。土地、官職姓名さえも奪われていたのです。

 小生が幼少のころ、竹の尺八をチャンパラごっごと称して振りまわし、何本も落して来て怒られたことが思い出されます。今思えば、素晴らしい竹の尺八(竹の株の部分がやや弓なりになっているもの)であったと思います。

 私なりに先祖の足跡と言うかルーツを漢詩にして残してやりたいのです。
 この「其一」は本能寺の変に関わる政変により、大きな境遇の変化があった場面ですね。四百年以上も前にさかのぼるわけですが、先祖からの「言い伝え」が綿々と伝わってきたことにまずは感動しました。
 詳しい事情は分からないのですが、詩から推測できるのは、「南小路卿は信長側に居た人で、光秀に追われて逃げることになった。名も変えて隠れ住むことになった」ということですね。
 起句は光秀の探索の声でしょうか、切迫感がよく感じられます。
 四字目の孤平を心配されていましたが、「安」は平声ですので大丈夫ですよ。

 さて、この後の南小路家の経過は「其二」「其三」で明らかになるということで、楽しみに読みましょう。



2011.11. 5                 by 桐山人



南芳さんからお返事をいただきました。

 いつもお世話になります。

 鈴木先生の観察力と言うのか、洞察力と言うのか、または知性と言うのか。
 南芳の人間が丸裸にされているみたいで恐ろしい気もします。

 風月花鳥を題にすれば、浮いた漢詩になり、身上を題にすれば先生の御指摘の通りです。
 でも、勉強になります。
 今後とも宜しくお願いします。


    先祖懐古 其一
  南小路卿安在哉
  惟任追撃独徘徊
  昔時覇業都如夢
  直戻姓名誰作魁



2011.11.15               by 南芳





















 2011年の投稿詩 第247作も 南芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-247

  先祖懐古 其二        

変現公卿逃去哀   変現す公卿 逃去(とうきょ)哀し

越中隠處再生回   越中の隠處(かくれが)で再生を回(はか)る

罷官上地腸堪断   罷官 上地(あげち) 腸は断ゆるに堪へり

捲土重来相約来   捲土重来 相約して来る

          (上平声「十灰」の押韻)

<感想>

 越中まで逃げて行かれたご先祖は、官職も土地も取り上げられてしまったということで、徳川の時代に公家が地位を戻すことは難しかったでしょうから、まさに「捲土重来」の機会を待つことになったのでしょうね。

 起句の「変現」は「姿を変えて現れる」という仏教語ですが、「変転」くらいの方が分かりやすいのではないでしょうか。
 「逃去哀」の内容が承句に示されるわけですが、「哀」を強めるには転句の「罷官上地」をここに持ってきた方が「取り上げられた」という被害を受けた形ですっきりします。
 逆に「越中隠處」「捲土重来」に向けての行動と考えていけば、転句の方が合うでしょう。
 ただ、承句の下三字、「再生回」は、結句と内容が重なり、同じ構成の二句が並ぶようで、詩が前後に切断される印象が強くなります。
 承句・転句の下三字は検討されると良いでしょう。



2011.11. 5                 by 桐山人



南芳さんから推敲作をいただきました。

    先祖懐古 其二
  変転公卿逃去哀
  罷官上地幾辛酸
  越中隠処磨一剣
  捲土重来相約来



20011.11.15           by 南芳




















 2011年の投稿詩 第248作も 南芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-248

  先祖懐古 其三        

対岳呼應聖戦開   対岳(たいがく)と呼應して 聖戦を開く

公卿暗躍富山来   公卿の暗躍 富山より来る

古都改革如人語   古都の改革 人の語るが如く

南路因縁此処回   南路の因縁 此処に回る

          (上平声「十灰」の押韻)



「対岳」: 岩倉具視

<感想>

 いよいよ幕末・明治維新に到り、佳境に入ってきた印象ですね。

 公卿の一人として政変に関わり、とうとう京都に戻ってきたご先祖は、因縁の南小路に立ち、長かった苦節の年月を偲び、感慨はひとしおだったことと思います。具体的なお名前は存じませんが、つい、肩を抱いて共に「やったー」と叫んだような気持ちになりました。

 転句の「如人語」だけが何を指しているのか分かりにくく、改革が果たされたという成就の気持ちが出るような内容がよいかと思います。



2011.11. 5                 by 桐山人



南芳さんから推敲作をいただきました。

    先祖懐古 其三
  対岳呼應聖戦開
  公卿暗躍富山来
  古都改革冠天下
  南路因縁此処回



2011.11.15            by 南芳























 2011年の投稿詩 第249作は 小鮮 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-249

  新秋即事        

夜中微雨有   夜中微雨有りて,

早暁菊花香   早暁菊花香る。

猛夏残炎去   猛夏の残炎去り,

新秋万頃涼   新秋万頃涼し。

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 2010年の猛暑の夏を体験した9月に作詩しました。
やっと涼しくなったという思いです。

 猛夏というのは近年の日本語のようです。日本のYahoo!サイトでは「猛夏」は普通に使われていますが、中国、台湾では ありません。
 でも使いたい言葉です。

<感想>

 本当に暑かった夏で、秋の到来をこんなに長い間待ち続けたのも久しぶりのような気がします。
 「新秋」と言われても、何月頃のことなのか、どうも今年はピンと来ませんね。

 九月になっても残暑は厳しくて、日課の散歩でも夜明け前に起きるくらいだと、かろうじて涼しさを感じるというところでした。
 そういう意味で、季節の変化がかなり後にずれこんだような気がしますね。

 小鮮さんの詩では、起句の「有」が末尾に来ているのが気になります。本来は「有微雨」とすべきところ、平仄を合わせるためでしょうが、「微雨到」あるいは「微雨歇」というところでしょうか。

 「猛夏」は「猛暑」からの連想でしょうか、それとも季節の初めを表す「孟」を用いた「孟春」「孟夏」からの連想でしょうか。
 「猛」自体は「程度が激しい」ことを表すわけですから、「猛夏」では「激しい夏」ということで、熟語としてはもう一つポイントが欠けているようなものですが、小鮮さんが「使いたい言葉」と仰るのも、今年は特に理解できますね。



2011.11. 5                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第250作は Y.T さんからの作品です。
 

作品番号 2011-250

  秋懐        

西風吹畫角   西風 畫角を吹き

天籟度蒼松   天籟 蒼松を度る

坐聴茅亭裡   坐ろに聴く 茅亭の裡

憂来愁殺儂   憂ひ来たって 儂を愁殺す

          (上平声「二冬」の押韻)

<解説>

 本来、此の詩は交流詩に出すつもりでしたが、9月10日から21日まで、友人と昆明へ遊びに行き、間に合いませんでしたので、一般投稿に致します。

 ヴェルレーヌ「枯葉」、“秋の日のヴィオロンの・・・”を意識して作りました。題に秋を使っているので「西風」にしましたが「秋風」の方が良かったかな?とも思います。如何でしょうか。



<感想>

 どこからか秋風に乗って笛の音色が聞こえてくる、起句はそんな意味でしょうか。
 その秋風が承句では「蒼松」を吹き抜けて音を立てている、となり、更に転句で、その秋風を「茅亭」で聴くと続くと、さすがに風がしつこい感じがします。
 これが七言絶句だったりすると構成が気になるのですが、五言絶句のテンポの良さで乗って、気持ちを一気に出してしまったというところでしょうか。
 私の感想としては、起句には風を言う必要は無く、「西風」は削除した方が良いと思います。

 また、結句の「憂来」は、何故憂いが来るのか、その憂いがどんなものなのか、その鍵が見当たらないわけで、ヴェルレーヌ「枯葉」を意識して、とのことならば、若い日々の思い出とか、現在の老いた身の状況とかが感じられる言葉を、起句なり転句なりに入れるような工夫をされると良いかと思います。
 転句の「茅亭」で「落ちぶれた境遇」を表そうとした、ということかもしれませんが、「茅亭」だけでは単に「自宅」として謙遜の意味で解されてしまうので、弱いと思います。



2011.11. 7                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第251作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-251

  悲秋        

秋風蕭瑟雁南帰   秋風蕭瑟 雁南へ帰る

草木枯渇我古希   草木枯渇 我は古希なり

満足感充尤悔剰   満足感充つるも 尤悔(ゆうかい)あまし

余生幾莫寿康祈   余生幾ばくぞ 寿康祈る

          (上平声「五微」の押韻)

<感想>

 起句は「雁南帰」ですので、作者が北の地で雁を見送っているという印象ですね。秋になって雁が南に移動してくるのですが、本来ならば「来」の時を使いたいところです。

 承句の下三字、「我古希」は、まったく脈絡もなく、唐突ではありますが、その分面白みも出ているとも言えるでしょう。ただ、「我」ですと、自分が強調されてリアル過ぎる感がしますので、「我」を「人」として方が一歩離れた諧謔味が出るかなと思います。

 転句は「尤悔」は、いくつも失敗や後悔をすることです。「満足感」との対応が気になります。
 結句の「幾莫」は「幾」だけで「いくばく」と読みますので「莫」は不要、意味がおかしくなってしまいます。



2011.11. 7                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第252作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-252

  讃世界蹴球女子獨國法蘭法爾答大会初優勝  
        世界サッカー女子ドイツフランクフルト大会初優勝を讃ふ

最強美國不能侵   最強美国 侵すこと能(あた)はず

捲土重来意氣深   捲土重来 意気深し

撫子大和初制覇   撫子大和(ナデシコジャパン)初制覇

更期明歳五輪金   更に期す明歳 五輪の金

          (下平声「十二侵」の押韻)


「美國」: 米国


<解説>

 今年は早春より東北大震災が起こり、各地でも豪雨による風水害が頻発、多事多難な一年でした。
 しかし、光明の一筋、我が国のサッカー女子チームが世界一に輝いたことは数少ない朗報であり、閉塞感あふれ意気消沈する国民を大いに鼓舞してくれたことと思います。

 現代詩ですので、国訓と俗語ばかりでもとより漢詩の体をなしていませんが、ご慶事にてご寛容のほどお願いします。

★関連サイト&ドブログ:

なでしこジャパンW杯優勝(共同通信社)

<感想>

 なでしこジャパンの優勝は、本当に嬉しいものでした。あんなに日本中が応援して、しかも最高の結果にたどりつけたのは初めてのことかな、と思いますね。

 私自身は、今までJリーグなどのサッカーの試合を見ることは少なく、九十分見ていてもあまり点数が入らないし、解説なども個人のプレーばかり誉めているみたいであまりチャンネルを合わせることもしなかったのですが、今回の放送を見ていて、なるほど、サッカーは集団球技なのだと改めて実感しました。

 奇跡のようなシュートも「練習通りです」と言われると、もう、頭が下がるだけでした。

 喜びとお祝いの気持ちのあふれる詩をありがとうございました。



2011.11. 7                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第253作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-253

  夜坐聞蛩        

茅斎独坐対灯檠   茅斎に独り坐し 灯檠に対す

籬落深叢絡緯声   籬落の深叢 絡緯の声

白雨一過蕭瑟夜   白雨一過 蕭瑟の夜

月光満屋促吟情   月光屋に満ち 吟情を促す

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 秋の夜の趣がよく出ていて、落ち着いた良い詩ですね。場面の構成が統一されていて、転句の「白雨一過」も効果的だと思います。

 逆に言えば、素材がそろい過ぎていて、博生さん独自の視点が出にくくなっているところ、例えば、題名の「夜坐聞蛩」に即して見ると、「聞蛩」が弱く、詩のテーマになるべき素材が背景の一つになってしまっている点が惜しいところです。「秋夜」という題でしたら、素材の広がりもそれほど気にならないのかもしれませんが。


2011.11. 8                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第254作は 南芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-254

  偲母     母を偲ぶ   

寡婦人生心不平   寡婦人生 心平らかならず

多難八十別離情   多難八十 別離の情

遺兒養育向誰語   遺兒の養育 誰に向かって語らん

宿望立身家亦栄   宿望立身 家亦栄ゆ

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 前回の「偲父」を掲載の折に謝斧さんからもご指摘がありましたが、「偲」の字には「思い出す」という用法はありませんので、ご注意ください。

 お父様を戦争で亡くされ、お母様はお一人で子ども達を育てられたのでしょうが、戦後の混乱の時代のことですから、大変なご苦労をなさったことと思います。

 承句の「多難八十別離情」は、これだけでは判断しにくいのですが、「八十歳まで苦労も多く、寂しい気持ち(別離情)で生きてきた」ということでしょうか。「別離情」が分かりにくく、別の言葉を探した方がよいと思います。

 転句は、「遺児を独りで養育した」というご苦労はわかりますが、それを「向誰語」の意図が分かりません。「愚痴を誰にもこぼさなかった」ということでしょうか。「遺児養育」も語順としては「遺児養育する」となり、苦しい表現ですので、この句は推敲してください。

 結句の「宿望」は、お母様の「宿望」でしょうが、「立身」ですとお母様自身が世に出て名を上げるようにも取れます。
 後半の解釈としては、「子ども(遺児)が立派になる(立身)ように愚痴もこぼさず(向誰語)育て(養育)、家を発展させてきた(家亦栄)」ということかと思いますが、パズルのような印象で、読者に相当の負担を強いる形です。

 お気持ちが強くなりすぎて、詩の表現がかみ合っていないと思いますので、少し時間を置いて、推敲をされることをお勧めします。



2011.11. 9                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第255作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-255

  秋季尋山寺        

仰望雲流十月天   仰望す 雲は流る十月の天

揺風楓澗競秋妍   風に揺らぐ楓澗 秋妍を競ふ

禅扉光彩夕陽寺   禅扉光彩 夕陽の寺

暫対陶然古仏前   暫く対す 陶然 古仏の前

          (下平声「一先」の押韻)



<感想>

 承句の「揺風」は「風揺」として「風が揺らす」という形で解釈するのが良いでしょう。

 転句の「禅扉」の「禅」は「寺の」という意味ですので、句末の「寺」と重複します。
 「光彩」も「あざやかで美しい光」という名詞ですので、転句は名詞の羅列になっていますので、下三字の「夕陽寺」を推敲されると良いでしょう。



2011.11.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第256作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-256

  偶成        

自欲晴憂悶,   自ら憂悶を晴らさんと欲し,

病夫作詞客。   病夫 詞客と作る。

幾篇披卷讀,   幾篇か 巻を披きて読み,

寸陰掲檠惜。   寸陰 檠を掲げて惜しむ。

求理朱子注,   理を朱子の注に求め,

覓句陶令宅。   句を陶令の宅に覓む。

詠詩愛桃李,   詩を詠じて桃李を愛し,

立志擬松柏。   志を立つること松柏に擬ふ。

新句窺清境,   新句 清境を窺ひ,

待望聊自適。   聊か自適せんことを待望す。

如何抱孤愁,   如何なるか孤愁を抱き,

流涕此熏夕。   此の熏夕に流涕するとは。

   

戀戀男女情,   恋々たる男女の情,

非所學孔釋。   孔釈に学ぶ所に非ず。

愛讀長恨歌,   長恨歌を愛読すれば,

其情看夙昔。   其の情 夙昔に看る。

帝王怠朝務,   帝王 朝務を怠り,

楊妃承恩澤。   楊妃 恩沢を承く。

愛人如此深,   人を愛すること此の如くに深きも,

叛乱因失策。   叛乱は失策に因る。

馬上失蛾眉,   馬上に蛾眉を失ひ,

腸斷生死隔。   生死の隔つるに腸断す。

懷人自失時,   人を懐うて自失の時,

形骸離魂魄。   形骸 魂魄を離る。

   

迂儒傾懷抱,   迂儒 懐抱を傾け,

佳人遺涙跡。   佳人 涙跡を遺す。

語愛病苦中,   愛を病苦の中に語り,

切願煉丹液。   切に丹液を煉らんことを願ふ。

扶桑分南北,   扶桑を南北に分かつとも,

寄信如咫尺。   信を寄すること咫尺の如し。

常要恐失言,   常に失言を恐るることを要す,

復難明潔白。   復た潔白を明らかにするは難し。

白圭唱三復,   白圭 唱ふること三復,

有過宜自責。   過ち有らば宜しく自ら責むるべし。



「松柏」: 『論語』子罕第九の篇「子曰,歳寒。然後知松柏之後彫也。」
「白圭」: 『論語』先進第十一の篇「南容三復白圭,孔子以其兄之子妻之。」



<解説>

 仄声の韻の一韻到底格で五言古詩を作りました。
 私自身の言葉のトラブルを戒めていこうという気持ちで作りました。

 これからも長い漢詩にも挑戦していきたいなと思います。

<感想>

 五言古詩の一韻到底格について、齋藤荊園先生の『漢詩入門』から少し長くなりますが引用しましょう。

 五言古詩の正統はその一韻到底偶句韻格である。換韻も古くから行われたとはいえ、一韻到底が主となっている。
 この形式は漢初から行なわれ、長い間に徐々に洗練陶冶されたものであって、実に二千年の歴史を有している。一口に二千年といっても掛値のない数字であって、或る詩形が腐朽することもなければ廃棄されることもなく、絶えず新鮮な生命をもちつづけたということは驚くべきことである。
(中略)  即ち五言古詩を作ることは擬古の士を作ることではなく、二千年間生き続けている形式に準拠することである。
 更に、
 (一韻到底偶韻格は)正々堂々たる形式であって、沈鬱悲涼なるものに宜しく、また蒼古遒勁なるものに宜しく、悠々自適の興趣もあれば、幽邃閑雅の境涯にもかなっている。ただ感情は浮動せず筋に飛躍がないことを特色とする。その音節は堅実無比というべく、達人の大観を窺い、高士の胸臆に触れる底のものであって、字々句々高邁超絶なることを要する。
とされています。

 玄齋さんからいただいた段階で「●」印が入れられていましたので、韻は変わっていないけれど解(段落)の切れ目という感じを出されたのでしょうね。
 一韻到底格で切れ目が示されているというのは、有り難いというか、目障りというか、微妙なものですが、感想を書くには便利ですので、[前]・[中]・[後]とさせていただきましょう。

 全編ともよく工夫されていて、表現も伝わりやすくなっていると思います。作者の玄齋さんの現状がうかがわれるとともに、作者の哀愁、悲嘆などの感情もストレートに出ていて、よく伝わってきます。

 [中]の部分は、単独で読む分には長恨歌の名場面が髣髴とされ、面白いのですが、詩全体の展開という位置づけから見ると、必要なのは最初の二句であり、そこから[後]の場面に進んでも話は通じますね。
 これだけ長恨歌の話が続くと、[後]に入ってから「最初は何の話だったっけ?」という感じで、詩のまとまりがなくなるように感じます。
 また、長恨歌という悲しい愛の物語をここで例に出すのが適するのか、という点もどうでしょうね。
 勿体ないからこの[中]だけ独立させて、一つの詩にすればよいのに、と私は思います。

 最後の「白圭」の話は、「玉の瑕は磨けば直るが、言葉の瑕は取り戻せない」という喩えですね。
 「失言を慎もう」で詩を結ぶのは、素直な人柄なのか、ユーモアなのか。
 「失言」自体は詩の中では[後]の六句目、「寄信」に関わるわけで、恐らくメールで「送信ボタン」を押してから後悔する、という、誰も一度は経験したことでしょうが、そこを『論語』を持ってきて大上段に構えるところが楽しいと思いました。



2011.11.                  by 桐山人



玄齋さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、ご指導ありがとうございます。

 [中]の長恨歌の部分は別個の詩にした方が良いなと改めて思いました。
 明るい恋愛のテーマを見つけることができなかったというのもあるなと思いました。
 もっといろんな話を調べていこうと思いました。

 言葉遣いには毎日気をつけていこうという気持ちを詠みました。

 この形の五言古詩はあと何作か作っていますので、これからも投稿していきます。またよろしくお願いいたします。



2011.11.15              by 玄齋























 2011年の投稿詩 第25作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-257

  新秋夜坐        

西風颯颯荐吹帷   西風颯颯 荐(しき)りに帷を吹けば

新蛬啾啾白露滋   新蛬啾啾 白露滋し

何忘先妣暗燈下   何ぞ忘れんや 先妣 暗燈の下

徹夜僂腰剥栗皮   徹夜 腰を僂(かが)めて 栗皮を剥ぎしを

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 母は享年五十八歳で十年前に他界しました。長年の心労が祟ったものと思います。

 一時期、父と別居を余儀なくされた私が幼年時代、母は女手一つで私たち兄弟を養育するために、夜なべしてこの新秋の時期、栗の皮をむく内職をしていました。指サックをして一個一個丁寧にあの固い栗の皮を刃物で剥きあげる根気のいる作業だったと思います。
 ある夜、夜中に目が覚めると母が一人部屋の隅で照明を落として、内職に励んでいる光景を襖越しに見てしまいました。私は早く大きくなって、このお母さんに孝養を尽くさなければならないと子供ながらに思ったものです。

 時は流れようやく人並みに独立した世帯を持った私ですが、時すでに遅し、母はもういません。孝行したいときに親は無しとはよく言ったものです。

 今宵食卓に上った栗ご飯を見て、思わず涙しながら作詩をしてしまいました。

<感想>

 お母様のお亡くなりになったのが十年前ということですと、サラリーマン金太郎さんから投稿をいただき始めた頃ですね。

 私は母親を小学2年生の頃に、父親を中学2年生の頃に亡くしましたので、親孝行という言葉とは遠い気持ちでしたが、幸いに妻の両親が健康で、現在も近くで過ごしていてくれますので、親孝行を改めてさせてもらう有りがたさを感じています。

 過ぎた時間は戻せませんが、思い出はいつまでも残るものですね。
 母親は病弱でほとんど部屋で寝たきりでしたし、私も幼かったので、思い出と言ってもあまり無いのですが、いつだったのか、部屋で小さな私をしっかりと抱きしめてくれたことがありました。どんな状況でのことだったのか、まったく覚えていませんが、ふとした時に、その時の場面がよみがえってくることがあります。
 母親がどんな想いだったのか、年齢を重ねた今でも想像すらできません。しかし、大切な思い出として残っています。
 過ぎた時間は戻せはしませんが、思い出はいつまでも心の中に残るものだと感じています。

 サラリーマン金太郎さんの詩は、粘法が破れた拗体の詩になっていますが、結句を「剥栗皮」の語で結びたかったからでしょうね。この下三字が生きていて、違和感は感じません。

 前半の場面の描写の段階から寂しげな雰囲気が出ていて、導入の意図は分かるのですが、それでも転句での「何忘」と突然感情が高まるのは、読者から見ると置き去りにされる感があります。
 例えば律詩などのように、もう少し字数に余裕があれば、場面から感情への移行を段階的に丁寧に示せるのですが、そこが苦しいと言えば苦しいところでしょう。
 結句の「徹夜」を「秋夜」とすると、前半との統一感が出て、「どうして母親のことを思い出したのか」という理由が納得できるように思いますが、どうでしょう。



2011.11.18                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第258作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-258

  蘭盆展墓        

淨池紅藕見雙鳧   淨池 紅藕 雙鳧(そうぶ)を見

復聞蝉聲志似蘇   復た蝉声を聞いて 志 蘇るに似たり

考妣慈顔今尚玼   考妣の慈顔 今尚玼(あざや)かに

慇懃念佛洗艱虞   慇懃に念仏して 艱虞(かんぐ)洗ふ

          (上平声「七虞」の押韻)



<解説>

「淨池紅藕見雙鳧」: 清楚で赤い蓮の花が咲き乱れる清らかな池に、つがいのカモを墓参の道すがら見た。
「考妣」: 亡くなった父母(母は満一〇年、父は満二年を経た)
「艱虞洗ふ」: 難儀と心配事が消えうせた。心晴れやかになった。


<感想>

 父母の墓にお参りをするというのは、自分の近況報告や思いを、泉下の父母に語りかけているようなお気持ちなのかもしれませんね。
 結句の「慇懃念佛洗艱虞」は、お父様お母様と久しぶりにゆっくり話をしたという、どこかほっとしたような感じが出ています。

 承句の「志似蘇」は、やや疑問の残る表現です。
 起句から並べてきた素材の「淨池」「紅藕」「雙鳧」「蝉聲」などを受けて、どうして「志」が蘇るのか、ということが一つ。
 直前の「蝉」が高潔の士をイメージすることが多いことからの連想でしょうか、なかなかすっきりとしません。

 もう一つ、この「志似蘇」と結句の「洗艱虞」、どちらも心情が出ていて、しかもその内容も重複感が強いことも気になります。
 結句は収まりが良いと思いますので、承句の「志似蘇」の方を、墓参りやお盆だということが伝わるような言葉にして、転句への流れを少しつけておくと良いかと思いました。



2011.11.23                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第259作は 南芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-259

  癌告知        

安寧常日是何災   

抱疾告癌心欲頽   

神仏加護蘇万物   

杏林妙法欝胸開   

          (上平声「十灰」の押韻)



<感想>

 南芳さんからは10月上旬にこの詩と、次の「治療中」の二詩を送っていただきました。
 一読、題名がショッキングだったため、どうお返事を申し上げたらよいか悩んでいましたが、「治療中」の詩を拝見して、治療が順調のようだとわかり、ホッとしました。

 それまでの平穏だった生活が一転、癌の告知を受けて、辛い日々へと変わってしまう。そんな心情が前半に出されています。

 転句からは、希望を捨てずに治療に励むことで、心の中の辛さも消えていくということが実感として伝わってきます。

 転句は「二四不同」が崩れていますので、「加護」だけは直す必要がありますね。



2011.11.23                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第260作も 南芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-260

  治療中        

抱疾治療気不平   

微音患部断腸声   

杏林助勢堪惆悵   

如夢蘇生歩歩軽   

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 結句の「歩歩軽」は、治療の効果がよく出てきたことへの喜びを端的に表していて、良いですね。

 前半の病気についての描写が、この結句を一層効果的にしているとも言えるでしょう。
 承句の「微音」は最初「微温」の間違いかと思いましたが、呼吸器系の病気だということかと気づきました。

 起句の「療」は仄声ですので、こちらの詩でも「二四不同」が崩れていますので、そこだけご注意ください。



2011.11.23                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第261作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-261

  讀舊作有感     旧作を読みて感有り   

曾嘆此身如蠹魚   曽て嘆ず 此の身の蠹魚の如きを

未成功業老窮廬   未だ功業を成さず 窮廬に老ゆ

當年意氣猶存否   当年の意気 猶ほ存するや否や

又問胸中漫弄書   又た胸中に問うて 慢に書を弄ぶ

          (上平声「六魚」の押韻)



<解説>

 ご無沙汰しております。
漢詩投稿させていただきますので、よろしくお願い申し上げます。

 私がこちらに投稿させていただくようになって、そろそろ11年になろうとかと思います。
 本当は10年の節目の去年、投稿するつもりだったのですが、なんだかんだでタイミングを逃してしまって、結局、今年になってしまいました。
 自分の昔の作品を読み返していると、やはり我ながら恥ずかしかったりするものです。ただ、今だったらもっとうまい詩になるだろうなあ……、なんて思って、何年も前のものを推敲しようしてみたりする一方、きっと当時の自分だからこそ書けた部分もあるわけで、ひとりでニヤニヤしちゃったりもします。

 今回は、2000年末の最初の投稿詩「作品番号2000-147 蠹魚嘆」に自分で次韻してみたものですが、また10年後、同じことを試みたらどうなふうになるかなあ、なんてことも考えています。


 [訳]
 昔ちょっぴり背伸びして 紙魚の嘆きの詩を書いた
 けっきょく何もできぬまま 日々の暮らしに追われてる
 青春時代のあの思い 今も残っているのかな
 きょうも自分に問いかけて 本を閉じたり開いたり


<感想>

 久しぶりに、観水さんの「蠹魚嘆」を読み返しました。
 作者はご自身の旧作を振り返っての感慨があるでしょうが、実は私の方も以前の投稿作を読み返すと、様々な感懐に浸ります。
 例えば、「どこをどう見て、こんな感想を書いたのか」とか「肝心要のところを見落としてるじゃないか」とか、かつての自分の未熟さをバシバシと見せつけられて、もう恥ずかしいやら、申し訳ないやら、とても大変です。
 でも、「口から出た言葉は戻らないのだ」と開き直り、「その時その時に精一杯の気持ちで取り組んでいたことは間違いない」と、自分を慰めて、立ち直るようにしています。
 唐突ですが、改めて、投稿者の皆さんの温かな心、忍耐強さに感謝しています。

 さて、十年前の自分の詩に次韻をする、というのは面白い取り組みで、タイムカプセルから出てきた自分の手紙に返事を書くような趣でしょうか。あるいは、「今日の私は昨日の私ではない」という感じ(確か、英作文の授業で暗記した気がするフレーズですね)でしょうか。

 十年前の作品には十年前の観水さんが居て、今の作には現在の観水さんが居る、当たり前かもしれませんが、拝見する側の私にとってはそれが一番楽しいことです。是非、また十年後に次韻をして、読ませてください。

 おっと、詩の感想を書き忘れるところでした。
 観水さんの言葉がそのまま詩になったような、率直で自然な語り口が良いですね。
 大志あふるる若者という年齢でもなく、油が乗ったというにはまだ早い、勿論悟りきった老境は遠い先のこと、なかなか微妙なポジションの思いがよく出ていると思います。
 ただ、典故を駆使した前作への次韻ですので、こちらも何か一つくらいは典故が欲しい気もしますね。
 あとは、「嘗」「未」「又」などの虚字が句頭に並びすぎかな。

 そんなところです。(ああ、十年後にこの感想を自分で読んで、どう思うのだろう)




2011.11.24                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第262作も 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-262

  贈次子     次子に贈る   

田家重得好男兒   田家 重ねて得たり 好男児

沼上逍遙案祝詞   沼上 逍遥して 祝詞を案ず

義理人情不容易   義理 人情 容易ならざるも

敬心自有致良知   敬心 自ずから良知を致す有り

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 次男誕生を記念して作りました。
 今年4月上旬、地震に慌てたものかどうか知りませんが、予定よりも1月近く早く出てくることになりました。後で聞けば、実は結構ギリギリのところで処置が間に合ったらしいのですが、今のところ、健康上の問題もなく、よく太り、元気に育ってくれています。



 [訳]
 こんど生まれた二人目も 元気いっぱい男の子
 沼辺ぶらぶら散歩して 贈ることばを考える
 「世間の義理や人情は たやすいものじゃないけれど
 まごころ持っているところ 自然と正しい道がある」


<感想>

 ご次男ご誕生おめでとうございます。

 私が父親になったのは昭和五十年代、まだかろうじて経済成長の名残があった頃で、義理も人情もそれなりに通用し、「今日の積み重ねが未来だ!」という将来への安心感もありました。
 現代は、とりわけ前途の見通しの厳しい時代ですので、贈る言葉もついつい「しんどいだろうけど、頑張れよ」という弱いトーンになりがちですが、でも、どんな時代であっても大切なことは変わらないという気持ちを持つことが大事なのだと、観水さんの詩を拝見して思いました。

 結句は「敬心」「良知」を導くことは分かりますが、それなら、「敬心良知」でも「敬心良知」でも「敬心良知」でも良いようで、つまり間にある「自有致」については、強調ということかもしれませんが、逆に言いたいことがぼやけているようにも感じます。
 「敬心」に欲張ってもう一つ加えて、「良知」へと進めてはいかがでしょう。




2011.11.26                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第263作は 秀涯 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-263

  送三女旅立秋日     三女ノ旅立ヲ秋日ニ送ル   

女児欲発在門前   女児(三女)発ント欲シテ門前ニ在リ

蛍雪随師工学研   蛍雪、師ニ随ヒテ工学ヲ研ク

君道洋洋天地濶   君ガ道ハ洋々タリ 天地濶シ

一片秋風万感牽   一片ノ秋風ハ万感ヲ牽ク

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 最後の娘が、自立しようと門前にいる。
 蛍雪(現在の研究室でもがき学んできた)師に随い、選んだ道である。
(しかし)君が道は、洋々たり、世界は広い。
 秋の日、(娘の成長と親の苦労がない交ぜにとなり)万感の思いで送り出す。
 そんな気持ちを、旅立つ三女に送りました!


<感想>

 娘の旅立ちは結婚であれ、就職であれ、親にとっては寂しさとちょっぴりの喜びがあるものです。(人によっては、この「ちょっぴり」の修飾が逆につくということもあるかもしれませんが)
 起句の「女児」には、親の立場からの、ついこの間まで庇護していたから子どもだ、という気持ちが入っているのかもしれませんね。

 漢詩を作る際に、結句にある「万感牽」とか「無限情」とか「興無涯」など、大きな感情を表す言葉は出来るだけ避けて、具体的、あるいは個別的な形容をすべきだとよく言われます。
 確かに、もやもやっとした自分の感情を漠然とした言葉で処理してしまうような場合は、表現の放棄との指摘も受け入れざるを得ないこともあります。
 しかし、この詩のように、あの気持ちも、この気持ちも、喜びも寂しさも切なさも、みんな含み込まれた感情を表そうとすれば、まさに「万感」が作者にとってはドンピシャだったのだろうと思います。

 余韻とか象徴的な形で、例えば「一片秋風在門前」と起句の下三字と入れ替える方法もありますが、素直な感情の表れが弱くなるとお考えになったのでしょうね。

 なお、題名は「秋日」を一番前に置いた方が良いでしょう。



2011.11.27                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第264作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-264

  留念第二届東京詩歌大会曁第六届世界俳句協会大会2011 填一首詞調寄望海潮
  第二回東京詩歌大会ならびに第六回世界俳句協会大会2011に念を留め 一首の詞を填ずるに、調は「望海潮」に寄す

一天開霽,       一天 開霽すれば,

三元深穩,       三元は深穩にして,

五行収斂詩情。     五行は詩情に収斂す。

百川歸海,       百川は海に帰り,

八仙振羽,       八仙は羽を振って,

九合日本東京。     日本の東京に九合す。

樓上月將盈,      樓上に月 まさに盈ちんとして,

使才媛傾酒,      才媛をして酒を傾けしめ,

騷客飛聲。       騷客をして聲を飛ばさしむ。

俳句堪吟,       俳句 吟ずるに堪へ,

歌人猶善喚言靈。   歌人 なお善く言靈(ことだま)を喚(よ)ぶ。


滿堂老少清聽,     滿堂の老少 清聽して,

喜詞華碎錦,      喜べり 詞華は錦を碎き,

原語含英。       原語は英(はな)を含むを。

花貌入神,       花の貌(かんばせ)神に入り,

霜頭肆體,       霜頭 體を肆(ほしいまま)にし,

游魂萬里乘風。     遊びをる魂 萬里に風に乘る。

佳会在雲峰,      佳会は雲峰にあり,

伴春宵金盞,      伴ふは春宵の金盞,

秋夜瑤箏。       秋夜の瑤箏。

幸有喉舌堪鼓,     幸ひにも喉舌の鼓するに堪ふるあらば,

何不詠今生。      何んぞ詠まざらん 今生を。





<解説>

 望海潮(全百七字)詞譜:(新編実用規範「詞譜」姚普編校による)

 △○○●,○○▲●,△○▲●○☆。○●●○(○○●●),△○●●,△○▲●○☆。▲●●○☆。●○●○●(●●○●●)(一四),△●○☆。▲●△○,△○▲●●○☆。
  △○▲●○☆。●△○●●(一四),▲●○☆。○●●○,△○●●,△○▲●○☆。▲●●○☆。▲▲○○●(●▲○▲●)(一四),△●○☆。▲●○○▲●,▲●●○☆。


 ○:平声。●:仄声。
 △:平声が望ましいが仄声でもよい。▲:仄声が望ましいが平声でもよい。
 ☆:平声の押韻。(拙作は中華新韵十一庚平声の押韻)
 (一四):前の五字句は,上二下三ではなく,一・四に作る。その一は領字。
 ( ):たとえば○●●○(○○●●);○●●○は、○○●●に作ってもよいことを示す。


以下、「望海潮」をめぐっての閑話です。

 「望海潮」は宋の時代に盛んになった詞のひとつで、「詞」は、唐の時代に盛んだった「詩」が、律詩にしろ絶句にしろ、一句の字数が、五言であるとか七言であるとかして一定であるのに対し、一句一字から九字までの長短句を自在に織りなして詠む詩です。
 句に長短があること、また、句の数にも多少があることから、「詞」は、律詩・絶句の定型性に対し、自由詩の趣が大いにあります。しかし、それぞれの詞型には押韻に決まりがあり、平仄にも決まりがありますので、自由詩とはいえず、あくまでも定型詩です。そして、短いものは十四字から長いものは二百四十字までの間に、千を越える詞体がある、それが「詞」の世界です。

 わが国の「詩」は、文字とともに当時の「詩」が大陸から輸入されて以来のものであり、文字に記録される詩歌としては、万葉集に先立つ長い伝統と歴史があります。その伝統と歴史は、日本の詩歌の一員としてのものです。そして、「詩」といえば、その後遣唐使がもたらした絶句や律詩、さらには唐代の古体詩だけが「詩」として存続し、千年の惰眠のごとき定型であったわけですが、明治となるやいなや新体詩のごく短い試行錯誤を経て、早々に現代詩へと飛躍します。
 詩から詞への発展は、このわが国の定型から自由詩への革命的な変化ほどにはダイナミックではなかったのかも知れませんが、日本の詩歌の革新に先立つこと千年の早い時期にすでに、自由詩の詩境に歩を踏み入れていたのだということは、もっと着目されてよいものと愚考します。

 さて、その詞のひとつである「望海潮」を最初に作ったのは柳永(987?−1053?年)という宋代の詩人です。詞の一詩体の創始者が誰であるかがわかっていることは、詞を作る醍醐味のひとつであり、「望海潮」を作るたびに私は、柳永のことを思います。泉下の柳永は、千年の後に、極東の島国の一老人が、自分が考案した定型詩と格闘していることをどう思っているのだろうか、などなどを思います。いずれ泉下で彼を尋ね、出来ばえを評してもらいたい、とも思います。
 詞には、限りなく自由詩に近い位置にありながら定型詩であるというところに、詩の特許権のごときものがあり、その使用の許諾をめぐって考案者の詩人と酒を酌み交わせる、そういう風趣が「詞」にはあります。



<感想>

 表題の二つの大会は、以前鮟鱇さんからご案内をいただいた国際詩歌祭「第2回東京ポエトリー・フェスティバルと第6回世界 俳句協会大会2011(TPF2&WHAC6 2011)」ですが、大会の終わった後に、東京での金中さんの朗誦会の席で鮟鱇さんにお会いしました。
 事務局長として一年以上もの長い間、準備や運営に携わってこられたのでさぞお疲れになっていることだろうと思いましたが、変わらずお元気なお姿を見て、改めて鮟鱇さんのパワーを拝見した気がしました。

 歌い出しの数詞の連続は、これだけでもリズムが出ているようで、変な話かもしれませんが、ここの部分を読むと私はついついボレロのメロディが頭の中に浮かんできます。

 後半の盛り上がりも、まさに詩趣を駆使して、「幸有喉舌堪鼓 何不詠今生」という結びは、鮟鱇さんの日頃の思いを高らかに歌い上げたという印象ですね。

 添えていただいた詞(望海潮)についてのご説明にも、古人との心の交流という視点から、詞の創作の楽しみを分かりやすく教えていただいた気がしています。



2011.11.27                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第265作は 劉建 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-265

  大栗(蝦夷風物詩)        

霜天實熟栗初肥,   霜天に実熟し 栗初めて肥え

介士無腸紫與緋。   介士に腸無く 紫と緋

有髄酒盃風味好,   髄有り 酒盃 風味好く

濤波漁火寫★。。   濤波 漁火 寫∴ヘふ

          (上平声「五微」の押韻)



「栗」: 毛蟹の別称を大栗蟹と言う。栗は毛蟹を指す。
「介士」「無腸」: 本草綱目に蟹の事を指して言う。


<解説>

霜が降りる頃に実が熟し、栗は初めて肥え、
鎧を着けるが、腹に腸が無く、色は紫や緋色である。
熱燗の盃に脳髄を入れて飲むとこの上ない風味であり、
荒れる波の漁燈の下、蟹が茹でられて、芳しい香りが辺りを囲んでいる。

<感想>

 私も蟹が大好きで、宴会などで出れば他の人のことはすっかり忘れて、黙々と食べてしまいます。
 ですので、転句の気持ちはよだれが出そうなくらいよく理解できます。

 ただ、起句の「栗」は蟹の別称で、あくまでも「栗のような蟹」ということでしょうから、この一字だけで蟹だと理解するのは難しいですね。
 また、「実熟」「初肥」も意味が重複していますので、この句だけは推敲された方が良いでしょう。

 それにしても、身の肥えた蟹を「風物詩」として詠めるなんて、うらやましい限りですね。
 劉建さんに、「ほらほら、こんなにおいしいよ」と見せびらかされているようで、ちょっぴり悔しさ(笑)も感じますね。



2011.11.28                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第266作は 洋宏 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-266

  早晨        

月明冴降桂香飛   月明冴え降り 桂香飛ぶ

踏土響音敲竹扉   踏土 響音 竹扉を敲く

散策早天山寺路   散策す 早天 山寺路

陽光雲際僅些輝   陽光 雲際 僅かに輝く

          (上平声「五微」の押韻)



<解説>

 私は毎日朝5時に起床して一時間ほどランニング、もしくはゴルフの練習を続けております。
 その朝を表現してみました。

<感想>

 健康的な生活をなさっておられるようで、散歩にしても水泳にしても、ちっとも長続きしない私は、頭が下がります。
 自然に囲まれた中での爽やかな気配が漂ってきますね。その満ち足りた気持ちを、詩の読み手にも伝わるように表現を考えることが必要です。

 例えば、起句の「月明」が「冴降」は、月の光が冴え渡っていたのか、光が降るように照らしていたのか、その両方だという気持ちかもしれませんが、「冴え降る」という言葉はあまり一般的ではないでしょう。

 承句の「踏土響音」は、「土を踏むその足音が響く」ということで、周りの静かさを表したところでしょう。何か大げさで、大きな動物でも現れるような感じもしますので、「踏響」「踏声」などと簡潔にして、代わりにどんな音だったのか、その形容を加えてみてはどうでしょう。
 下三字の、「敲竹扉」は何のためなのか、ちょっと理解に苦しみます。場面からは夜明け前の状況で、転句から見ると「山寺」の「竹扉」でしょうか、そんな早朝に「竹扉を敲く」のは迷惑と言うか、あまり考えられない話で、展開のどこかに飛躍があると思います。

 後半は問題ないですね。
 結句は、全体の結びとして「僅些輝」は控えすぎの感じもしますが、「日が昇った」という感激よりも、「太陽の光もまだ弱い」ということで、早朝の静寂感を印象つけたかったのでしょう。
 意図は分かりますが、上四字での期待感と「僅些」の落差がやや大きく感じ、「あれれ?」という感じもします。




2011.11.28                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第267作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-267

  元禄赤穂事件史跡 訪息継井戸     元禄赤穂事件史跡 息継ぎ井戸を訪ふ   

殿上刃傷何以堪   殿上の刃傷 何を以てか堪へん

侍臣速報策羸驂   侍臣速報せんと羸驂(るいさん)に策(むちう)つ

塵痕装束滌C水   塵痕の装束 清水に滌(あら)ひ

赤穂城中晨夜參   赤穂城中 晨夜(しんや)に参ず

          (下平声「十三覃」の押韻)



「策羸驂」: 痩せ馬にムチ打っていった。早籠との兼用であったとも言われる。


<解説>

 平成二十二年五月、神社庁松山支部の研修旅行で播州赤穂を訪ねた時のものです。

 元禄一四年(1701)3月14日、江戸城本丸御殿松の大廊下で起きた刃傷事件の第一報を、国元の城代家老大石に伝えんと浅野家中の早水藤左衛門と萱野三平早は早馬早籠で江戸を発ち、赤穂城下に着いたのは3月19日の早朝でした。
 155里(約620km)の行程を4昼夜半という驚異的なスピードで凶報を伝えたことになります。

 両氏が、城内大石邸に入る前に一息ついた井戸とされ「息継ぎ井戸」と呼ばれています。



★関連サイト

赤穂観光協会

息継ぎ井戸(兵庫県赤穂市)の情報 - MAPPLE 観光ガイド

<感想>

 赤穂事件に関わる様々な出来事を漢詩に詠んで、この後も送っていただけるとのこと、楽しみにしています。

 今回の詩は、松の廊下の刃傷事件を国元赤穂に大急ぎで伝えようという家臣の姿を描いたものですが、この詩だけで読むと、前半の緊迫感が後半でやや息切れしてしまう印象です。
 それは、主題である「息継ぎ井戸」の役割の描き方から来ているように思います。

 使者二人は四昼夜走り続けて来たわけで、疲労困憊の状態、そこで城中に参上する前に息継ぎ井戸で、まず「水を飲んだ」と来るかと思ったら、転句で示されたのは「汚れた服を整えた」ということで、「こんな時に身だしなみ?」という疑問が湧きます。

 本来ならば、一旦家に戻って旅の汚れを落とし、衣服を整えてから参上するのが礼儀でしょうが、そんな余裕もないので、とにかく水を一杯だけ飲んで報告に向かった。息継ぎ井戸は使者の緊急性を象徴する存在なわけですが、転句で衣服の描写が来たため、その意図が十分には出ていないように感じますが、いかがでしょうか。

 結句は、その報告を受けて、城内が騒然とした状況を語っているのですが、やや時間的にずれがあり、間があると息継ぎ井戸の役割がますます薄くなってしまうので、使者の行動で通した方がやはり良いでしょうね。
 例えば、後半は「塵痕垂死恃清水 赤穂城中払暁参」などが考えられるところです。「恃」は「滋」、「清水」は「清井」も考えられます。

 全体として、大きな物語の中の一場面という感じですので、忠臣蔵連作の中の一つの詩として読んだならば、述べました点も随分緩和されるのかもしれません。





2011.12. 5                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第268作も サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-268

  愛媛縣神社廳松山支部一行賽安仁神社        

鶴山恭祀一之宮   鶴山 恭しく祀る一之宮

賽客ク人敬慕崇   賽客郷人 敬慕崇し

神胤連綿由緒在   神胤連綿 由緒在り

信心奥義継承中   信心の奥義 継承の中

          (上平声「一東」の押韻)



「鶴山」: 別名「宮城山」に鎮座する。

  安仁神社は岡山市西大寺一ノ宮にありますとおり、本来はこの大社こそが「備前国一之宮」でした。





<解説>

 平成二十二年五月二四日、神社庁松山支部の研修旅行で当社を正式参拝しました。

 そもそも備前国の一宮は阿仁神社でありましたが、939年の藤原純友の乱の時に安仁神社が純友軍に味方し破れてしまいます。
 一方この時、備中国 吉備津神社は朝廷軍に味方し勝利します。吉備津神社からの分祀である備前国吉備津彦神社に備前国一ノ宮の地位がゆずられました。
 備前国一ノ宮を吉備津彦神社に譲った阿仁神社を「備前国二之宮」ということもあります。また「備前國総鎮守」とも称えられました。
 したがって、この来歴を踏まえ、ここでは敢えて「一之宮」と措辞しています。

★関連サイト

岡山県神社庁公式ホームページ



<感想>

 まとまりのある詩だと思います。

 結句の「継承中」が結びとしては、やや緩いという気がします。
 承句の「敬慕」と結句の「信心」が似たような感情というこたもあるのでしょうか。
 例えば、語句の交換で、「信心」「継承」を入れ替えて「継承奥義信心隆(窮)」ような形にすると、作者の主情のアピールが深くなるようにも思いますが、「信心奥義」でひとまとまりの語と考えるとそれも難しいかな、とも思います。



2011.12. 5                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第269作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-269

  晩夏夕景        

江上雨休多落暉   江上 雨休ンデ 落暉多シ

度頭水静染丹幃   度頭 水静カニシテ 丹幃ニ染ム

両三茅屋荷田近   両三ノ茅屋 荷田ニ近ク

蓮子風揺灯火微   蓮子 風ニ揺レテ 灯火微カナリ

          (上平声「五微」の押韻)



<感想>

 木曽川の水面に夕陽がキラキラと反射する、鮮やかな光景が目に浮かびますね。

 夏から秋へと移る季節感をどう出すか、が作詩のポイントですが、真瑞庵さんが用いたのは、結句の「灯火微」の三文字。特に「微」「風」と相まって雰囲気を高めていますね。

 目にはさやかに見えない秋を風によって感じたのが平安時代の歌人ですが、その風をかすかに揺れる灯火で知るとしたところ、また、最後のところまでぐっと我慢して置いたのが、作者の工夫のところでしょう。

 詩全体を通して、作者の姿はもちろん、人や鳥、動物さえも登場しない構成は、風景に動きや変化を出しにくいものですが、広がりや奥行き、色彩感もよく出ていますね。





2011.12. 6                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第270作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-270

  旧友七人清遊塵外        

澄高荒壁裏   澄高 荒壁の裏

秋柝一空天   秋柝しゅうたく 一空の天

半夜残樽幾   半夜 残樽幾(いくばく)ぞ

竹林云七賢   竹林の七賢もかくやあらん

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 先日信州の古い温泉旅館で一週間、七十代半ばの旧友七人相集って清遊しました。
 家内より古いつきあいの幼馴染であります。

 七十年を越える七人の人生ドラマは、酒を飲みながら一週間語りあっても語りつくせぬほどのものです。


<感想>

 起句の「澄高」は「月が澄んで高く輝く」という意味。
 月の光が壁の隙間から洩れて明るい、という気持ちで「裏」とされたのかもしれませんが、ここは「荒壁外」とした方が分かりやすいですね。

 承句の「秋柝」は「秋の夜、夜回りが鳴らす拍子木」、その音が空に響いていたということで、「古い温泉旅館」という場面とよく合っていると思います。

 結句の「云」は難解ですね。読み下しを「竹林の七賢」と続けるのも苦しいでしょう。
 素直に書けば「竹林存七賢」(竹林には七賢存り)という形かもしれませんが、幼なじみの友ということがまだ書かれていませんので、「集郷林七賢」のような形で「集」の所に色々な字を考えてみてはいかがでしょう。
 五言ですので、多少の飛躍も必要ですので、この詩くらいの大胆さも面白く感じますね。



2011.12. 6                 by 桐山人