2011年の投稿詩 第181作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-181

  新秋即事 其一       

雨洗残炎万頃涼   雨は残炎を洗って万頃涼し

西郊気爽菊花香   西郊気爽に菊花香し

虫声満地黄昏近   虫声満地黄昏近し

一片尋詩坐草堂   一片の詩を尋ね草堂に坐す

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 仲泉さんの今回の詩は、「新秋」ということで、秋に入ったばかりの頃の情景を考えられたのだと思いますが、季節感というか、場面の統一感が微妙にずれているように感じますが、いかがでしょう。

 例えば、起句の「雨洗残炎万頃涼」は新秋らしさを出していますが、承句の「菊花香」はまだ少し早く、「虫声満地」「黄昏近」よりももう時間的に遅くなってからか、と思います。
 場面展開で言えば、「万頃」「西郊」「満地」とかなり広い視野を維持してきて、結句で急に「坐草堂」と小さくなるのは、どんなものか。詩句を考えるならば、そのまま郊外を歩いていた方が良いでしょう。部屋の中へと展開するならば、転句まで同じような叙景をひきずらないで、早めに場面の変化を出しておく形かと思います。



2011. 8.29                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第182作も 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-182

  新秋即事 其二        

弦月峭涼星影流   弦月峭涼 星影流る

乾坤無際一天秋   乾坤際無く 一天の秋

寥寥永夜誰家調   寥寥たる永夜 誰が家の調ぞ

幽韻如風到枕頭   幽韻 風の如く 枕頭に到る

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 こちらの詩は統一感のある詩ですね。ただ、場面を思い浮かべると、季節は「新秋」よりももう少し後かな、いう気がしますので、題名を「秋夜即事」などにすると違和感が無くなるでしょう。

 転句で「誰家調」は李白の「春夜洛城聞笛」を連想させる句ですが、結句の「幽韻」と素直につながり、それが「如風到枕頭」という描写は、仲泉さんの独特の個性が出て、この詩の風格を高めていると思います。

 心に残る印象深い詩になっていると思います。



2011. 8.29                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第183作は 南芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-183

  人生未尽     人生未だ尽きず   

落落人生感慨多   落落たる人生 感慨多く

積年志業閲風波   積年の志業 風波を閲す

臥薪嘗胆君知否   臥薪嘗胆 君知るや否や

捲土重来意気多   捲土重来 意気多し

          (下平声「五歌」の押韻)



<解説>

 自分に詩に対しての心
 古希を前にして、人生はどのようなものなのだったのか、いや、我が人生なお連綿として続く、という気持ちを詠みました。


<感想>

 この詩は、勘違いだと思いますが、韻字に同字を起句と結句で使ってしまいましたので、まず、そこは詩作での大きなミスですね。

 内容的に気になる点は、まず起句の「落落人生」ですが、これは「私の人生は思い通りにならなかった」ということでしょうか。こうした形容はよく用いられるものですので、この語自体では気になるわけではありません。

 しかし、後半まで読んでいくと、「臥薪嘗胆」「捲土重来」という言葉が出てきて、先の「落落人生」とつながると、「失敗した恨みを忘れずに、必ず仕返しをしてやるぞ」という意味合いが強くなってきます。
 二十代くらいの若者の言葉ならともかく、古稀を迎えようという年齢の言葉としては、不釣り合いな気がします。
 作者としては、承句に描いたように、「永年、詩を書いてみたいと思っていて、ようやく出来るようになった。これからも粘り強く、くじけないで頑張っていこうと思っている」という、決意表明のような気持ちだとは分かりますが、選んだ故事成語が適さなかったこと、「落落」の措辞も意図と合っていないことで、思いもよらない読み方をされてしまうことになります。

 作詩においては、言葉の選択は何よりも、自分の気持ちが正しく読み手に伝わるようになっているかどうか、それが一番優先されることになります。
 言葉を選ぶ怖さと楽しさはそんなところにあるのでしょう。



2011. 8.29                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第184作は 南芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-184

  偲父     父を偲ぶ   

長男入学告霊前   長男の入学 霊前に告ぐ

謁父招魂情更憐   父に謁し招魂の情 更に憐れむ

大戦散花思往事   大戦の花散る往事を思ふ

尊翁徳育子孫賢   尊翁の徳育 子孫賢なり

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 長男が東京大学に入学したことを、母と靖国神社に祀られた父へ報告した際の心を詠みました。

<感想>

 この詩は南芳さんのご年齢から考えると、何(十)年か前のことを思いだして書かれたのかな、と思いましたが、違っていたら失礼しました。

 前半は作詩の事情がよく伝わります。承句の読み下しを「父に謁し招魂 情更に憐れむ」としておけば良いでしょう。

 転句は「大戦散花」を「大戦の花散る」と読み下していますが、恐らく、「大戦の時に、花(尊い命)を父は散らしてしまった」というお気持ちでしょうから、やはり読み下しを修正して、「大戦 花を散らす」としておくことでしょう。

 結句は「賢」の韻字は意図が分かりにくいので、「伝」とした方が良いと思います。



2011. 8.29                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

題名に用いられた「偲父」の「偲」は、「思い出す」という意味はありません。
「懐阿父」というところでしょうか。


2011. 8.31                  by 謝斧






















 2011年の投稿詩 第185作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-185

  憶八月十五日        

志軍二八入屯営   二八にして 軍を志し 屯営に入る

速戦速攻創練兵   速戦 速攻の 練兵を創る

忽聴聖音空涕涙   忽として聴く 聖音 空しく涕涙す

孤忠独抱若為情   孤忠 独り抱くは 若為の情ぞ

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 数え年十六、十五才五カ月で海軍を志願入隊す。
 日夜の速成猛訓練で精兵を為す。風雲急を告げ二都に新型爆弾投下の噂を漏れ聴くうちに、忽として八月十五日玉音放送を聴く。「陛下の為に生まれ、陛下の為に働き、陛下の為に死すことを本分とす」の人生観を幼くして養成されてきて、我如何せんやと思った。
 六十六年前烈日の藤枝海軍航空隊での出来事を憶いだす老境の人あり。と。

<感想>

 何年前のことであっても、決して消えることのない記憶というものはあるのだと思います。そして、忘れていけない記憶もあります。
 実際の体験者である方々が、胸の奥にしまい込んでいた思い、それは辛くて思い出したくないからなのか、思いだしているけれど話したくないのか、また、表現する手段や場を持っていない方も多かったことと思います。そして、すでに六十五年以上が過ぎて行きました。
 漢詩がその間、苦しく厳しい状況の中に置かれてきましたが、漢詩の力強いリズムや表現を用いて思いを語りたいという方が増えてきたように思います。

 「孤忠」という言葉が他に用例があるのか知りませんが、取り残されて放り出され、なおかつ「忠」であらんとする空しさ、はかなさという様々な思いを凝縮したようで、心に残りますね。



2011. 8.29                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第186作は刈谷東高校(刈谷桐山堂)の K.H さんからの作品です。
 

作品番号 2011-186

  述懐        

昔曾将相志思堅   昔曾て 将相への志思堅く

往事力行文学専   往事 力行 文と学を専らにす

忿恨干戈滄海変   忿り恨む 干戈滄海の変

磋跎莫笑白頭年   磋跎たり 笑ふ莫かれ 白頭の年

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 かつて昔、戦時には、私どもは青春の真っ只中、末は大将か大臣にと大きく望みを抱いて勉学に身体の鍛錬に頑張っていました。
 恨めしいかな、敗戦となり世の中の移り変わりは烈しく、若き頃の大志も大きく崩れ、月日はずるずると過ぎ去ってしまった。
 笑わないでほしい、いつの間にか白髪の老人になってしまった。

<感想>

 深渓さんの詩を拝見し、私の刈谷東高校での漢詩講座の受講生の方からも戦争を扱った詩をいただいたので、併せて紹介をします。

 H.Mさんは私の講座では最長老にあたる方で、八十歳を迎えてはおられますが、ご健康で詩の創作にも熱心に取り組んでおられます。

 結句は初め「磋跎莫笑華髪年」でしたので、平仄を合わせるために「白頭年」としました。「八旬年」でも良いかと思いましたが、数字だけですと気持ちが入りにくいかと思い、「白頭」として掲載しました。



2011. 8.31                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第187作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-187

  讀幕末親藩伊豫松山藩史     幕末親藩伊予松山藩史を読む   

何乖幕政老中連   何ぞ幕政に乖(そむ)かんや 老中に連なり

敵対官軍勝必全   官軍に敵対して 勝、必ずしも全(まった)からん

決戰籠城論難決   決戦籠城 論、決し難きも

誓將恭順赤誠傳   恭順を誓ひ将(も)って赤誠を伝ふ

          (下平声「一先」の押韻)



★関連サイト&ブログ

第14代松山藩主 松平定昭(Wikipedia)

伊予の葵 松平隠岐守(久松家)研究サイト

伊予 松山城

★関連書籍

「幕末維新の松山藩」:出版社:(財) 愛媛県文化振興財団
「藩史物語2」:八幡和郎著 講談社

<感想>

 サラリーマン金太郎さんのコメントには「松山・彦根・会津・米沢 松山藩が真の“佐幕”の総大将」との言葉がありましたが、「真」については私には判断できません。ただ、親藩である松山藩が長州征伐の先鋒として戦い、そのために維新後に苦しい立場に居たことは分かりました。

 大政奉還後に松山藩が朝敵として追討されることとなり、籠城して決戦をするか恭順するか、そうした緊迫した情勢の雰囲気が転句までのところで表れていると思います。

 結句は語順が気になりますし、老中に連なったという起句と結句の「赤誠」へのつながりを作者自身はどう解釈しているのか、を書いて欲しいところです。



2011. 9. 1                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第188作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-188

  豫州風早郡総鎮守國津比古命神社 秋社神輿入御        

風早ク中有古祠   風早郷中に古祠有り

國師補任夙開基   国師補任し夙(つと)に基(もとひ)を開く

朝恭出御昏嚴擲   朝(あした)には恭しく出御し昏(ゆうべ)には厳かに擲(なげう)つ

齊頌神輿豐熟僖   神輿を斉(ひと)しく頌(たた)へて豊熟を僖(よろこ)ぶ

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

「予州風早郡」: 現在の愛媛県松山市北部地域(旧北条市)

「國師補任夙開基」:

 四世紀初頭、物部阿佐利(もののべのあさり)公が初代風早國造(かざはやのくにのみやつこ)として、当地方を開拓統治したことに風早郡の歴史は始まる。
 國津比古命神社は物部氏の祖神饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)を祭祀したもの。現在でも風早国造家末裔が当社の神職を務める。

「朝恭出御昏嚴擲」:
 伊勢神宮は20年に一度社殿神宝をことごとく新調します。わが氏神・國津神社では毎年4体の神輿を社殿・祭具を代表して新調します。そして早朝6時に宮出しをして氏子地域を渡御し、夕方5時前再度神社に戻った4体の神輿は全て、39段の石段から氏子青年により何度も差し上げられては投げ落とされます。中からご神体が顕になるまで。「暴れ御輿の神事(日本三大荒神輿の一つ)」
 このような奇祭は全国でここだけしかありません。ぜひみなさん一度ご観覧ください!!

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<感想>

 サラリーマン金太郎さんのホームページも拝見させていただきましたが、荒々しいと言うか、「え、御輿を放り投げて良いの?!」とビックリしてしまいました。奇祭と言えば、確かにそうですね。
 地元の方にとっては、エネルギーが凝縮され一気に放散されるような、心が高ぶる祭でしょうね。

 「嚴擲」という表現が、熱狂の中での神事の威厳を感じさせ、それが伝統というものでしょうね。
 詩は全体的に控えめなトーンで、祭の荒々しさを抑えた表現になっているのも、神事への敬虔なお気持ちの表れでしょうね。



2011. 9. 6                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第189作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-189

  豫州旧風早郡鹿島神社秋社 神輿海上渡御        

恭捧神燈解纜周   恭(うやうや)しく神灯を捧げて解纜(かいらん)して周(めぐ)り

勇剽操櫂木蘭舟   勇剽(ゆうひょう)操櫂(そうとう)す 木蘭(もくらん)の舟

輦輿投海豐漁願   輦輿(れんよ)海に投ず 豊漁の願ひ

奇習嚴然閲壽秋   奇習 厳然 寿秋を閲(けみ)す

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

「解纜」: 船のともづなを解く。出帆する。
「勇剽」: あらあらしいこと。強く勇ましいこと。また、そのさま。剽勇・慓雄(ひょうゆう)
「木蘭舟」: 木蘭でつくった舟。転じて、水遊びなどに用いられる風雅な舟をいう。
    ここでは神輿を奉据した御座船を先導する「櫂練船(かいねりふね)…愛媛県無形民俗文化財指定」のこと。
「輦輿」: 海に投ず豊漁の願ひ
    鹿島神社秋季祭礼では豊漁を願い、北条港付近で二体の神輿を海に投げ入れたり、
    宮入に際し、明星川に投げ入れてみそぎを行う。

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<感想>

 188作の詩が、やや控えめで紹介的な詩でしたが、こちらの鹿島神社の祭礼の詩は、勢いのある言葉が使われ、祭の華やかさが前面に出てきますね。
 目の前で動きを眺めている臨場感があり、用語もリズム感があり、良い詩だと思います。



2011. 9. 6                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第190作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-190

  豫州旧風早郡鹿島神社秋社 宮入神事        

供奉地車挑燭驅   供奉(ぐぶ)する地車(だんじり) 燭(しょく)を挑(かか)げて駆け

櫂舟先導御輿倶   櫂舟(とうしゅう)は先導して御輿と倶(とも)にす

祭神還幸点篝儌   祭神還幸すれば篝(かがり)を点(とも)して儌(むか)へ

一望齋灘波不孤   一望す 斎灘(さいたん) 波 孤ならず

          (上平声「七虞」の押韻)



<解説>

「斎灘波不孤」: 「斎灘」は「いつきなだ」と呼ばれ、旧風早郡の海域。
      潮が速く急流で好漁場として知られる。鯛めしは北条の名物。
      「不孤」は、この波が空間的にも時間的にも永続することを示し、神威を象徴する。


★関連サイト&ブログ

太田屋旅館 - 愛媛県松山市 北条・鹿島

<感想>

 この詩も良いですね。
 祭事の場面を時間的に切り取ったような前三句が、現場レポートのような臨場感を出しているとともに、結句が祭の終焉に向かう微かな寂寥と、それを打ち払おうとする心が感じられ、最近ちょっと出番のなかった作者自身の姿がよく表れている詩になっていると思います。



2011. 9. 6                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第191作は 桃羊野人 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-191

  岡城址行        

荒城影落月如弓   荒城影落ちて 月 弓の如し

幽響経声不是風   幽かに響く経声は是れ風ならず

枯骨忠魂安在哉   枯骨忠魂 安くに在りや

残碑佇立暮雲紅   残碑佇立し暮雲紅なり

          (上平声「一東」の押韻)



<解説>

 近くの名城にして滝廉太郎が「荒城の月」作曲のイメージを掴んだところ、岡城址に遊んだときのものです。

<感想>

 桃羊野人さんからは、お久しぶりのお便りとともに詩をいただきました。二年ぶりですが、昔の知人に再会したような気持ちです。
 相変わらず掲載が遅くて申し訳ありませんが、詩友の復帰を心から歓迎しています。

 さて、詩は岡城址での作ということで、桃羊野人さんは大分にお住まいでしたね。「荒城の月」もそうですし、岡城への思いもひとしおのことでしょう。そのお気持ちがよく伝わってきます。

 起句の「月如弓」は、この場合には夕暮れ時に西の空に見える弓のような細い月でしょうが、「荒城」に似つかわしい表現だと思います。
 そう思って読んでいくと、結句で「暮雲紅」が出てきて、同じ方向で空の景を描いた重複感、というよりも違和感に近いものが出てきます。
 鋭く張り詰めたような繊月と紅い夕焼け雲を同じ背景に置く(実際には同時に見えたにしても)のは、雰囲気が随分違ってきます。
 城址に対しては月、石碑に対しては暮雲と、組み合わせを換えることで情感も異なることを描こうという意図があるのかもしれませんが、私はすっきりしませんでした。転句までの趣が最後に方向を変えられたような感じで、モヤモヤとした思いが残りました。
 「暮雲」の代わりに何らかの風を持って来れば穏当ですが、承句で「不是風」と持ってきていて、しかも句の中でなかなか効果を持った言葉になっていますので変更しづらく、悩むところです。

 転句の「哉」は平声ですので、ここだけは仄声に直しましょう。



2011. 9.10                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第192作も 桃羊野人 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-192

  緑陰読書        

忘刻書開意渺茫   刻(とき)を忘れ書開くも意渺茫

任他誦読楽無疆   さもあらばあれ誦読楽しみ疆(きわまり)無し

夏深避暑渓声裡   夏深く暑を避くる渓声の裡

独領清風臥草堂   独り清風を領し草堂に臥す

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 緑陰読書忘我の気持です。

<感想>

 起句の「書開」は語順としては「開書」とすべきですね。

 承句の「任他」は、放任の言葉で、以下のことは「どうでもいいことじゃ」と放り投げる意味を持ち、「任他」の前の表現を逆接で受けるような表現ではないと、石川忠久先生がよく仰っています。
 その観点でこの詩を読むと、「口に出して読む無窮の楽しみなどは、それはどうでもよいことじゃ」となり、楽しいのか楽しくないのか、よく分からなくなります。
 「任他」を逆接で受ける形で用いてしまったのではないかと思います。「時の過ぎるのも忘れて読書に没頭するが、意味はぼんやりしたままでよく分からない。でも、そんなことはどうでもよい。口に出して読んでみれば楽しみは尽きない」とすれば話は通じますが、そうは読めない(読んではいけない)ので、ここはお気を付けください。

 後半は涼しさのよく出ている表現ですが、転句と結句の下三字がどちらも場所を表すのが、やや残念。「裡」ではなく、「渓声」を形容する字を入れるとすっきりするでしょう。



2011. 9.10                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第193作は石川県にお住まいの 清穹 さん、70代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2011-193

  東日本地震.津波.原発        

千丈高濤襲日東   千丈の高濤日東を襲ひ

嘬家呑圃眺望空   家を嘬み圃を呑み眺望空し

噴烟猛毒未知熄   噴烟の猛毒未だ熄を知らず

應恨汚塵流碧穹   応に汚塵の碧穹に流るるを恨むべし

          (上平声「一東」の押韻)



<解説>

 北関東・東北地震により広範囲に大津波が襲い、沿岸の家・畑を呑み尽くして見るも無惨で空しい。
更に原発の目には見えない猛毒の噴煙が何時治まるかも分からない。
 まさに放射線量が青空に飛び交うをジッと恨むしかない

<感想>

 新しい漢詩愛好の仲間をお迎えでき、とても嬉しく思っています。
 前半が津波、後半が原発と分けて描かれていますが、つながりが難しいところです。
 勿論、現代の私たちは直接の体験をしていますから、題名を読み、「噴烟猛毒」と来れば原発のことだろうと推測はできます。しかし、単に詩だけを読んだ場合、「津波に襲われた後、火山の噴火があったのか」と思われる心配がありますね。

 「目には見えない猛毒の噴煙」を描くのは難しいわけで、ここは「噴烟原発未知熄」としておくのが良いかと思います。
 「東日本大震災」のコーナーは「原発」として掲載しましたが、もし修正されるようでしたら、ご連絡ください。



2011. 9.19                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第194作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-194

  春来(改作)        

青草春声足下臨   青草 春声 足下にいたる

細風遅日動空林   細風 遅日 空林動く

隠棲獨酌酣觴意   隠棲独り酌む 酣觴の意

駒影空過白叟心   駒影空しく過ぐ 白叟の心

          (下平声「十二侵」の押韻)

<感想>

 芳原さんのこの詩は、2007年に投稿いただいた「春来」の詩を推敲されたものです。
 前作では五言絶句でしたが、今回は七言、各句に情報が増やされています。前作も確認しておきましょう。

春声来足下   春声 足下に来たる
遅日動空林   遅日 空林動く
独酌酣觴意   独り酌む 酣觴の意
問花棲隠心   花には問ふ 棲隠の心

2007. 3.19
 起句は「足下の青々とした草に春の訪れを感じる」ということで、前作の「来足下」を補強した形になります。しかし、「青草足下臨」ことが「春声」と構成がはっきりする分、「春声」が直接的には前後に続かないため、ぽっかりと浮いています。
 せめて「春声青草足下臨」という並び方なら「春声、すなわちそれは青草・・・」という構造で句意としては通じるのですが、平仄は合いません。
 五言のままならば、「草芽来足下」という形で具体性を持たせる方向だろうと私は思っていましたが、七言ならば「春草青青足下臨」と「春声」を具体的に示す形でしょうか。語順を変えて「足下青青春草淫」も面白いかもしれません。

 同じ事が承句でも言えて、「細風」「動空林」の主述関係が明解な分、やはり「遅日」が浮いています。この「遅日」と「細風」の両方が「空林を動かす」という関係にしたいわけですので、もっと春を意識させる風にすべきで、「東風」「軽風」とすると、収まりがよくなりますね。

 転句はこのままでよいですが、結句は重すぎますね。これでは、春が来たことを嘆いていることになりますが、花の盛りならばともかく、前半のかすかな春の到来という趣から一気に「時の流れの速さ」につなげるのは、発想として無理があります。
 ここは再度、ご検討ください。



2011. 9.25                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第195作は 楽聖 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-195

  暮春        

一陣強風払面吹   一陣の強風 面を払って吹く。

残桜紅褪寂寥滋   残桜 紅褪せて 寂寥滋し。

愁聴今夜瀟瀟雨   愁ひ聴く 今夜瀟々の雨を。

春夢忽醒花落時   春夢忽ち醒めて花落つるの時

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 春が遠くのき寂しいなと思う。月日の流れが寂しく。
 遠くの好きな人の力になれないのがつらいなと思いつつ、今日も涙を流す。
 花が落ちる時、儚いなと。原発でどのくらいその人がつらいのかわからない。
 被災者の気持ちを完全には理解できやしない。でもできることはしてあげよう。

<感想>

 しっとりとした叙情の感じられる詩ですね。
 春が行くという思いには、親しい人と共に春を眺めることが出来なかった寂しさも含まれて、特に今年の春は辛かった方も多くいらっしゃったことと思います。
 そうしたことも意識しての楽聖さんの思いが籠められているのですね。
 ただ、承句の「寂寥滋」から転句の「愁聴」へと続けるのは、言わずもがなの印象です。更に「蕭蕭雨」「花落時」と言葉は用意されていますので、感情形容語はこの詩では不要に思います。



2011. 9.26                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第196作は 楽聖 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-196

  偶成        

連日清閑暑可忘   連日清閑 暑忘るべし。

笑看庭上草花香   笑って看る 庭上 草花香し。

胸中洒落有余裕   胸中 洒落として余裕あり。

風雅親将自欲狂   風雅に親しみ将って自ら狂せんと欲す。

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 まだ夏の暑さがそれほど厳しくない頃に作られた詩でしょうか。
 周辺の草花、自分の心情、どちらもさっぱり、爽やかな趣が感じられます。

 しかし、結句で改めて「風雅に親しむぞ」と述べられると、実は前半の状況に作者自身は満足しきっているわけではないのか、という思いが出てきます。
 一般的な構成で言えば、転句のような表現の前には「暑苦しい毎日で耐えられない!! 草も花も萎れて見るものも無いぞー」という状況が置かれ、「でも、せめて心の中だけはさっぱりとしよう」と流れていくことが多いでしょう。
 ところがこの詩では逆で、環境や条件が整っていることが前半に示されています。それならどうぞ御勝手に、というのは貧乏性のひがみかもしれませんが、詩を作ることも音楽を楽しむこともやろうと思えばすぐ出来るのに、どうして最後に気合いを入れる必要があるのか。
 そこに何か吹っ切れない重みを感じるのは私の「深読み」でしょうかね。
 でも、そうでないと、何となく数学の模範解答を見たような感じで、条件から結果が順当に出されて「以上、終了!」とあっさり終わってしまって、惜しいという気がするのです。
 (これも、先ほどのひがみかな?)



2011. 9.26                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第197作は 楽聖 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-197

  呈某女史        

微笑傾城美   微笑 傾城の美。

清純年少心   清純 年少の心。

含嗤為悪戯   嗤(わら)いを含んで悪戯を為す。

疑惑却難禁   疑惑 却って禁え難し

          (下平声「十二侵」の押韻)



<解説>

 とある女性にこれを漢詩に訳して下さいと依頼されて訳したものです。


<感想>

 これは、何を漢詩訳したのか、元が分かりませんが、楽聖さんの専門との関わりで考えると、オペラのお話でしょうか。
 オペラをお好きな方も多いでしょうから、あまり大きな声で言うと非難囂々となるかもしれませんが、オペラを見ていると時々、「おいおい、そこまでするか」という気持ちになることがあります。
 実は私の娘も声楽を勉強していましたので、実際の舞台を観る機会もあったのですが、観ていると「お前はだまされてるぞ」とか「何てだらしのない奴だ」という言葉で、ついつい娘に向かって「そんな風に育てた覚えはない」と言いたくなってしまい、終わった後に「どうだった?」と聞かれてもうまく返事ができないことがあります。
 という観点、つまり舞台を眺めているような気持ちで詩を拝見すると、よく理解できます。
 これが現実の場面だとすると、なかなか複雑な心情をひとまとめにして、すごい詩だと感じますよ。



2011. 9.26                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第198作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-198

  游美國旧金山     美国旧金山に游ぶ   

憶昔鵬程航海艱   憶昔 鵬程 航海艱し

飛翔今日酔醒間   飛翔 今日 酔醒の間

金門橋畔多景勝   金門 橋畔 景勝多し

残照行人照老顔   残照 行人の老顔を照らす

          (上平声「十五刪」の押韻)



<解説>

 5月に、アメリカが誇る15大絶景ミニハイキング・15日間の旅を敢行しました。
 アメリカ西部9州に跨る実に3250マイル、5200キロに及ぶ走行でした。
 広大な果てしない大地国土と大自然に触れ、その強大なアメリカに曽て弱年で干戈に参加したことなどなど、感無量の83爺の旅でした。

大意: 昔は船での航海で日数を要し難儀であったという。今日は一杯酌んで酔いが醒める間に金橋を眼下に・・・と。

「美國」: アメリカ。
「旧金山」: 漢字でサンフランシスコ・桑港はサンフランシスコを音訳した桑方西斯可。

<感想>

 世界への旅を続けていらっしゃる深渓さんからは、今回はアメリカへ行かれたようですね。
 八十三歳とのことですが、昨年岡山でお会いした時もお元気で若々しく、エネルギーを私がいただくような感じでした。

 また、写真もいっぱい撮って来られたことでしょうね。

 詩の方は、転句の平仄(二六対)が壊れていることと、結句は「行人の老顔」と続けるには「照」の位置が苦しく「照」の重複もここは気になります。
 転句で「多景勝」と示しましたので、具体的な景物の様子などを入れてみてはいかがでしょう。



2011. 9.27                  by 桐山人



深渓さんから推敲作をいただきました。

  游美國旧金山
憶昔鵬程航海艱   憶昔 鵬程 航海艱し
飛翔今日酔醒間   飛翔 今日 酔醒の間
金門橋畔竝楼閣   金門 橋畔 楼閣竝び
残照行人染老顔   残照 行人 老顔を染む


 転句下三字の「多景勝」を「竝楼閣」にしました。
 結句は「照老顔」を「染老眼」といたしました。



2011. 9.28              by 深渓






















 2011年の投稿詩 第199作も 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-199

  米州偶成        

朱塗金橋是如何   朱塗りの 金橋 是れ如何に

寶舶楼船眼下過   寶舶 楼船 眼下を過ぎる

心止孤身千里旅   心に止めん 孤身 千里の旅

米州勝景幾山河   米州の勝景 幾山河

          (下平声「五歌」の押韻)



<解説>

 田舎爺はゴールデンゲートブリッジと聴き金色かと思いきや、朱塗りの橋とはと・・・

<感想>

 こちらもアメリカでの作ですが、前作と同じくアメリカは「美国」と表記した方が良いですので、詩題は「美國偶成」と、結句も「美洲」とする形でどうでしょう。

 起句はそうですね、がっかりされたお気持ちが感じられます。「金の門橋」ではなく、「金門の橋」だったのですね。
 「橋」は「ブリッジ」の意味で通常は平字になりますので「二四不同」が破れていますが、ここは悩ましいですね。固有名詞ならば仕方がない、と言うならば「金門橋」としたいところです。ひとまず「橋架」として合わせておくことにして、また検討をしてください。



2011. 9.27                  by 桐山人



深渓さんから推敲作をいただきました。

  美國偶成
金橋朱色是如何   朱色を 金橋とは 是れ如何に
寶船楼舶眼下過   寶船 楼舶 眼下を過る
心止孤身千里旅   心に止めん 孤身 千里の旅
美州勝景幾山河   美州の勝景 幾山河

 題名を「美國偶成」とし、起句は「金橋」を頭に置き、「朱塗」を「朱色」としました。
 結句は「美州」にしました。



2011. 9.28            by 深渓























 2011年の投稿詩 第200作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-200

  敬一閑人        

窮居在鄙一閑人   窮居して鄙に在り 一閑人

朝夕老猶三省新   朝夕老いて猶 三省新たなり

短褐布衣淳所作   短褐布衣 所作淳く

破顔高士粲如春   破顔の高士 粲として春の如し

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 「一閑人」という表現は、その人の人格識見に尊敬の眼差しを向けながら同時に限りない親近感を併せ持つ、そういう気持ちの表現でありますが、私の理解に間違いないでしょうか。
 何か閑を持て余してゴロゴロしている人という軽く見ているような意味があるとすれば私の本意ではありません。

<感想>

 本来、「閑」は「忙」に対応する言葉ですね。
 白居易の「閑適詩」で言えば、「或いは公より退きて独り処(お)り、或いは病いに移(ことよ)せて閑かに居る時、足るを知り和を保ち、情性を吟翫する」(岩波中国詩人選集「白居易」解説)とあるように、仕事の無い状況で静かな心で過ごすことを表します。
 従って、芳原さんが仰るように「閑人」を「何か閑を持て余してゴロゴロしている人」と考えるのは正しくはありません。ただ、この語を「ひまじん」と読んでしまうと、どうしてもマイナスのイメージが先行してしまいますし、漢文にあまり馴染みのない場合には誤解されることもあるでしょう。
 それをどうしても避けるというならば、「一騒人」と直すことになるでしょう。他者を指すというよりも、自称のニュアンスが出てくるように感じますが、結句で「高士」の語がありますので、カバーはできると思います。

 「粲」は「くっきりあざやか」、動詞ならば「白い歯を見せて笑う」ということですが、「如春」の比喩とのつながりが分かったような分からないような、何か別の形容詞の方がすっきりするかな、という気がしますがいかがでしょう。



2011. 9.27                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第201作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-201

  鎌倉鶴岡八幡宮御神木倒壊即事        

翠洱朱棚萬樹張   翠榭朱棚(すいしゃしゅほう) 萬樹張(は)る

春風占斷武家堂   春風 占断す 武家の堂

公卿往時逢災難   公卿 往時災難に逢ひし

巨木千年一夜殭   巨木千年 一夜にして殭(たお)るとは

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

  平成23年(2011)3月11日の未曾有の東日本大震災。「絶望的な喪失と被害(平成23年8月12日現在、死者15694人、行方不明者4669人、負傷者5714人=警察庁発表)」を目の当たりにして、終戦の日が近づくとテレビで流される米軍による日本各都市への無差別爆弾の惨状に匹敵するすさまじい惨禍に、私は茫然自失して作詩の心境にはどうしても至らなかった。
 とりあえず鈴木先生には、せっかくの震災詩特設コーナーへの応募を現時点で躊躇している旨、ご連絡申し上げたところであった。

 それから5か月を経て、被災地では盛んに鎮魂と復興の象徴にと夏祭りが行われ、夜空には花火が彩られた。
 それ以外の地域でも直後の自粛ムードは一転。例年以上に力を入れて祭礼やイベントが展開されるようになった。
 祖霊神や御靈を迎え慰め、日至らば確実にあの世に送るというのが、日本古来のマツリの起源なのであって、原点回帰の当然の帰結といえる。

 それとともにマスコミや文壇の論調も次第に変化した。主な記事を紹介したい。

(中略)はたして今、「国語」の出番はあるのだろうか、被災者に必要なのは命をつなぐ水や食料、暖衣であって、百万言を費やしても言葉は何の支援にもならないのではないかーそんな思いに駆られていった。
 同じように酸鼻を極めた関東大震災で、もう2,30分も遅ければ自分も煙に巻かれていたという菊地寛は、『災後雑感』に次のように記した。
 「今度の震災では、人生に於て何が一番必要であるかと云うことが、今更ながらに分かった。生死の境に於ては、ただ寝食の外必要なものはない。食うことと寝ることだ。」「『パンのみに生くるものに非ず』などは、無事の日の贅沢だ」。
 文壇の大御所が文芸の無力を嘆いたのである。
     
(産経2011/5/9頁9:国語逍遥14−希望を結べる言葉がほしい−清湖口敏)

 文壇の大御所に比するのは誠に恐縮の極みであるが、震災直後の私の書感はまさに上記に記されたごときであって、漢詩家といってもアマチュアの域を到底脱しえない凡夫の我が身にあって、しばらく歳月が流れて心の平衡感覚を取り戻し一片の拙詩が成ったとしても、それを被災者の目に触れるホームページにアップされることを潔しとはしなかった。
 どこかでいつの日にか聞いた「未曾有の惨禍は詩にならず、絵にならない」というフレーズもまた頭をもたげた。
 文人気取りでただ単に関連する詩語を並べた素人漢詩の無力さを、いささか自虐的に捉えていた私があった。
     (サラリーマン金太郎の私見)
(前掲記事の続き)
 そんな菊池寛に反論したのが同じ小説家の広津和郎だった。
 『非難と弁護』にいわく、「火に責められているものには水こそ救いであり、餓に泣いているものにはパンこそ救いであり、それと全く同じ意味で芸術の渇きを感じているものには、芸術こそ救いである。それは別々に考えなければならない。」
 私は今、改めてこの一節を読み返しつつ、一つのことを再確認しているところだ。それは、生死の境においては水も食料も確かに重要ではあるが、それでも切実に「言葉」を待っていた人もいたろうし、「言葉」によって生きる力を取り戻した人も少なくなかったに違いないーということである。
     
(産経2011/5/9頁9:国語逍遥14−希望を結べる言葉がほしい−清湖口敏)

 五七五のリズムは大震災にも揺るがない−。
 大切な人を亡くした喪失感や震災で受けた悲嘆を和らげ心の傷を癒やすため、俳句や川柳、短歌の役割が注目されている。自分が置かれた境遇を凝縮された言葉に投影させる。甚大な被害をもたらした東日本大震災は詩歌のモチーフとなり、日本人に連綿と受け継がれてきた「詩歌を愛する心」を通じて生きる指針を探っている。
  (中略)
 震災後、「応援の一句」を呼びかけたのは、新葉館出版(大阪市東成区)の『川柳マガジン』だ。「たった17音で心を動かすことのできる川柳で、被災者に精一杯のエールを送りたいと企画した」と編集部。当初は「句を作る気持ちになれない」という川柳ファンの声もあったが、震災から3ヵ月約500句が寄せられた。6月号からは「被災地からの一句」を募集。その時、その場所にいるからこそ感じられる生の声を募っている。
 一方、俳人の長谷川櫂さん(57)は短歌の形式で『震災歌集』(中央公論社、1155円)を編んで話題を呼んでいる。本のあとがきに「今回の大震災は人々の心を揺さぶり、心の奥に眠っていた歌をよむ日本人のDNAを目覚めさせた」と記している。
 随筆「病牀六尺」で知られる正岡子規は晩年、死のふちにあるときも庭をながめる余裕とユーモアの精神を忘れなかった。子規のみならず、生死の危機にあるときに「辞世の句」を遺言のように残してきたのも同じ日本人である。
 子規に関する多くの著書がある俳人の坪内稔典さん(67)は「被災された方にとって、同じ木々の青葉を見ても、震災の前と後では違って見えるだろう。それぐらい日本人の心に深く、ゆっくりと影響を与えているのが東日本大震災だ。俳句という17文字の制約の中で、現在の心境を表現することは簡単なことではない。決して急ぐ必要なない。言葉を十分に斟酌しながら詩歌に向き合っていくことも大事だろう」とアドバイスする。
     
(産経2011/6/22頁18:東日本大震災今何ができる−日本人に根付くリズム・詩歌は悲嘆和らげ、心の傷癒やす−日出間和貴)

 さて、このような論調に後押しされ、心に平常心を取り戻しつつあったころ、我が師である伊藤竹外先生が月例の学習会でこう述べられた。
「詩人たる者、ただ単に四季の課題を作詩するだけでは詩人ではない。今ここで沸き起こったさまざまな事象に対して、たとえそれが諸行無常にかられる惨事であっても、その心揺り動かされた思いを速やかに漢詩にすべし。すでに数多の方々から震災詩が寄せられているので、いずれ愛媛県漢詩連盟で詩集にまとめ被災地に送りたいから、未提出の方は早急に作詩すべし(大意)」と門下にご発言があった。

 そこで今回、これら内外のアシストを拠り所として、思い切って震災関連漢詩をここに投稿いたします。ただ単に惨状の悲壮を嘆くのではなく、かすかな光明が大いなる希望に結びつくような構成になればと措辞したところです。
 伊藤先生同様、早々と震災詩コーナーを特設された鈴木先生の卓越した思いに改めて敬服し、遅ればせながらここに拙詩(関連詩1首と震災詩3首)を呈します。

 [語釈]
「翠榭朱棚萬樹張」: 鎌倉市の中心部高台にある朱塗りが目に鮮やかな鶴岡八幡宮の社殿が、大銀杏をはじめさまざまな樹木の中に鎮まっている様。

「武家堂」: 鎌倉時代以降の武家社会に於いて人々とりわけ武家源氏の崇敬を集めた神社。
 つまり、鶴岡八幡宮は源氏の氏神である。康平六年(1063)に当時の清和源氏の棟梁・源頼義が、山城の石清水八幡宮(京都府八幡市)の分霊を鎌倉に勧請した大社である。
 建久二年(1191)の大火で社殿が炎上するが、五代後胤の頼朝によって、より豪奢に再建された。

  「鶴岡八幡宮(Wikipediaより)
  「鶴岡八幡宮(公式ホームページ)

「公卿往時逢災難」: この公卿とは源実朝。暗殺実行犯のくぎょうは「公暁」なり。
 建保七年(1219)1月27日、源実朝の右大臣拝賀の式典が鶴岡八幡宮で行われた。この式典は、日没後に行われたと言うことである。数日前から降っている雪で積雪が約60cmほどの中で惨劇が起こった。
 式典が終わった後、実朝が退出して石段を降りているとき、今回倒壊した大銀杏の陰に身を潜ませていた実朝の甥(実朝の兄の頼家の子)の覆面法師・公暁が一瞬のうちに実朝と警護役の中原仲章を殺害、 しかも実朝の首を切り取って逃走した凶変を指す。享年28歳。

「巨木千年一夜殭」: 平成22年3月10日未明、三代将軍実朝卿暗殺事件ゆかりの大銀杏が突如として倒壊した。今思えばちょうど一年前のこの椿事は東日本大震災の予兆だったのかもしれない。
  「鶴岡八幡宮(大銀杏)



<感想>

 震災詩につきましては、感想を控えさせていただいていましたが、先日、サラリーマン金太郎さんが名古屋に来られた時にお会いし、漢詩談義に花が咲きました。
 その時に、「感想も是非」とのお言葉がありましたので、投稿コーナーで書かせていただきました。

 鎌倉の鶴岡八幡宮にある大銀杏が一年前に倒壊したという事件と大震災を関連づけたサラリーマン金太郎さんの今回の詩は、震災時や事後の状況を詠う詩が多い中では異色かもしれません。
 その点を理解するには、サラリーマン金太郎さんの日頃からの神社に対する深い思いを斟酌することが必要かもしれません。

 解説にお書きになったように、「予兆」としてとらえる時に、日本の国民に対して安寧を願ってきた神社と、千年の齢を保ってきたご神木の役割、更にそのご神木が倒壊したことの意味を、単なる「予言」ではないものとしてとらえようという意思が籠められているのだろうと思います。

 そうした意図を理解した上で詩を拝見しましたが、感想としては、震災との関連を転句から語る方が良かったかと感じました。
 鶴岡八幡宮と言えば、どうしても源実朝の事件が浮かぶのはもっともですが、その事件と倒壊との関連は同じ場所だったという点であり、事件と震災との関連はもちろん、事件と大銀杏との関連も弱く感じますので、やや歴史に流れすぎたかな、というのが正直な印象です。
 実朝の事件への私の理解が足りないのかもしれませんが、承句の「武家堂」をもう少し発展させて、鎌倉の地から日本全土の平安を祈ってきた長い歴史を語ると、結句の「千年一夜殭」がより生きてくると思いました。



2011. 9.27                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第202作も サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-202

  鎌倉鶴岡八幡宮大公孫樹之奇跡        

巨幹盤根銀杏殭   巨幹 盤根 銀杏殭たお)る

夜來颶氣遇猖狂   夜来の颶気(ぐき) 猖狂(しょうきょう)に遇(あ)ふ

更新萌蘖~威漲   更新萌蘖(ほうげつ) 神威漲(みなぎ)り

復舊天災待瑞祥   天災を復旧して瑞祥を待つ

          (下平声「七陽」の押韻)





<解説>

「巨幹盤根銀杏殭」: 前掲関連詩参照。震災一年前に何と御神木が倒壊していた。

在りし日の大銀杏の雄姿(鎌倉歴史紀行&江ノ電レイアウト作製記 - Das Schlupfloch des Mannes〜北条四郎のブログ - 楽天ブログ(Blog)より)

「夜來颶氣遇猖狂」: 平成22年3月10日未明の大風(南の海上に発生するつむじ風。颶風)がとんでもない行いをした。

「更新萌蘖~威漲」:「萌蘖」は「ひこばえ」と呼ばれる若芽。倒壊した大銀杏の株から無数萌芽。まさに「再生・復活」を旨とする神道奥義の顕現事象である。
  「【鎌倉デイズ】Vol.6 ひこばえに託す希望 − 鶴岡八幡宮の大銀杏再生へ  - MSN産経フォトより

<感想>

 こちらの詩は、転句と結句のつながりが明快で、「震災詩」としてお気持ちがよく伝わってきます。

 前の詩とのつながりもありますので、この二詩をまとめる形で、律詩にされるのはどうでしょう。
 例えば、首聯は八幡宮の現在の様子、頷聯はその歴史、頸聯はご神木の倒壊、尾聯はこの詩の結びを用いるような形はどうでしょうか。



2011. 9.27                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第203作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-203

  奥州大震災書感        

崩屋埋人海嘯飜   屋を崩し人を埋め 海嘯(かいしょう)飜(ひるがえ)る

何銷何屈大和魂   何ぞ銷(しょう)せん 何ぞ屈せん 大和魂

倶誓再生萌蘖訓   倶に再生を誓ふ 萌蘖(ほうげつ)の訓(おしえ)

八幡廟社守~源   八幡廟社 神源を守る

          (上平声「十三元」の押韻)




<解説>

 これも鎌倉の八幡宮大銀杏の奇跡事象を通して、被災地とともに日本国民は一致団結して頑張ろうというエールを仮託したものです。

 [語釈]
「萌蘖訓」: 神道では常に新しい息吹を大切にします。別名常若(とこわか)の思想。次代に世代交代をすべく(永遠に種子を残すべく)親である大銀杏は千年の寿命を散華させたが、ただ倒壊枯死しただけでなく、ちゃんと次代千年を担う若芽を内包顕現させたこと。まさに震災の再生復興の象徴事象である。

  「鶴岡八幡宮で大銀杏の祈願祭 倒木から1年、再生願う(静岡新聞)

<感想>

 この詩は、前作から続けて読んでくればよく分かるのですが、この詩だけで完全に理解できるか、と言うとやや不安ですね。
 題名に「鶴岡八幡宮」あるいは「神木再生祈願」などの言葉が入ってほしいところです。

 内容的には、震災と津波の惨事を七言でまとめあげ、そこから立ち上がっていく勇気を承句で描くところに、サラリーマン金太郎さんの工夫が表れていると思います。



2011. 9.27                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第204作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-204

  辛卯端午陸前偶成        

海嘯襲來千屋呑   海嘯襲来して千屋を呑み

人車船舶盡無痕   人車船舶 尽(ことごと)く痕無し

愛兒未返双親歎   愛児未だ返らず 双親の歎き

只抗薫風鯉幟翻   只だ薫風に抗(さから)って鯉幟(りし)翻(ひるがえ)るのみ

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 最愛の我が子を今回の震災で失った世帯がいくらありましょうか。
 我が身を犠牲にしてでも子供を守ってやりたい親情からすれば、やりきれない日々だと拝察します。
 無事の帰還を信じてこいのぼりを揚げて、せめて跡形のない我が家の道しるべとしています。
 あるいは、既に最悪の結果を迎えたご家庭では、このこいのぼりは、まさに鎮魂の御旗です。
 そして、吹き抜ける風に抗って泳ぐ夫婦親子鯉の姿は、まさしくこの未曾有の難局試練にさいなみもまれならも抗して生きる被災者の方々の姿でもあります。

 このお盆を迎えて未だ遺体すら発見されないわが子の奇跡の生還を一縷の望みとして、死亡届も出していなかったお母さんが、この子だけ新盆の法要ができないのは尚不憫と、ようやく仏壇に位牌を迎え念佛をささげ、仮設住宅の軒先には「盆提灯」が吊るされた映像をテレビで見ました。
 「まよわず、ここへ戻っておいで」という親情に胸が打たれました。

<感想>

 この詩は切々とした情感がにじみ出てくるようで、サラリーマン金太郎さんの最近の詩では、気持ちがストレートに出ている詩だと思いました。

 詩に関しては申し上げることはなく、バランスの良い構成で佳作だと思います。
 詩題はこれだけの詩と内容を「偶成」とするのは変ですから、「偶成」を「書懷」とした方が良いでしょう。震災コーナーはそうさせていただきましたので、ご了承ください。



2011. 9.27                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第205作は 南芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-205

  詩作途上        

罷読詩書気味親   詩書 読み罷んで 気味親しむ

成吟執筆莫逡巡   吟成りて 筆を執る 逡巡する莫かれ

推敲妙句生光彩   推敲 妙句 光彩を生ず

詩興高論入夢頻   詩興 高論 夢に入りても頻りなり

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 漢詩を作り始めて、難しさと面白さの混在する心境を表現しました。

<感想>

 起句と承句は「気味親」「莫逡巡」に、詩作に対してのお気持ちを籠めたのだと思いますが、両句ともその前の描写とのつながりがよく伝わってきません。
 起句の「罷読」は「読むことをやめた」わけですが、その理由がはっきりしないことと、「気味親」とのつながりが無いこと。
 承句では、「成吟」「執筆」の関係もよく分かりません。「詩を作ろうと思って筆を執る」ということでしょうか、それとも推敲することを指すのでしょうか。
 どちらの句も下三字を生かしたいところですので、この気持ちとうまくつながるように上四字の素材の組み合わせを工夫してみると良いでしょう。

 後半は、推敲するにつれ句が良くなっていき、寝ていても詩のことが浮かんでくるという状況がよく分かります。
 私も夢の中で悩んでいた詩に素晴らしい句を思いついて「やったー」と喜び、更に「待てよ、これは夢だろうから、しっかり覚えておかないと朝になったら忘れてしまうぞ」と冷静に状況分析もし、更に「お前はきっと覚えておけないから、そこの紙にメモをした方が良いぞ」と自己分析までもして、でも結局は朝になって夢しか思い出せず、「メモしておけば良かったのに」と嘆くことが何度もありました。
 南芳さんに全く共感します。

 転句の「推敲妙句」は、「良い句(妙句)」を更に「推敲する」のは変ですから、「推敲詞句」「推敲摘句」などに。
 また、結句は「詩」の字が起句にもあり、同字重出です。起句を直すならばそれでも良いですが、結句で考えるなら「風雅高論」というところでしょうか。



2011.10. 1                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第206作は 南芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-206

  病不癒        

連日仰天一病夫   連日天を仰ぐ一病夫

杏林無奈自迷途   杏林いかんともする無し 自づから途に迷ふ

満腔惆悵君知否   満腔の惆悵 君知るや否や 

仕業難擲笑我迂   仕業擲ち難く 我が迂を笑ふ

          (上平声「七虞」の押韻)



<解説>

 喉頭蓋炎にかかり3年が過ぎたが治りの兆しがない、その心境

<感想>

 少しずつでも改善されていくのが実感できれば、治療を受けるのにも元気が出るのですが、変化が見られない、ましてや「杏林無奈」と来ると、さぞ辛いことと思います。
 「自迷途」「満腔惆悵」に実感がよく表れていると思います。
 私も病気を経験した身ですので、お気持ちによく共感できます。

 平仄の点では、起句は「天」の字が仄声に挟まれ、「四字目の孤平」になっていますので修正しなくてはいけません。
「一病夫」を「衰病夫」「沈病夫」とするような工夫が必要ですね。あるいは、「仰天」についても、嘆く言葉は以下の句にも何度も出てきますので、この二字そのものを変えるのも一案です。

 また、結句は四字目が本来は平字にならなくてはいけませんが、「擲」は仄字ですので、平字の「抛」に替えるなりを考えてください。

 内容的には、転句の「君」、結句の「我」が気になるところです。
 「君知否」は「あなたは分かりますか、どうですか」という疑問文ですが、実際には「わかってほしい」という依願の気持ちが籠められている筈です。
 ところが、結句では自分の心中で話を結着させていますので、転句を受けて理解しようとしたこちらの気持ちが突き放される、「君知否」は疑問文ではなく「他の人には決してわからない」という反語文だったのかと思ってしまいます。
 結句の心情が主になるでしょうから、内容をモヤモヤとさせるような「君知否」は削っても良いと思います。



2011.10. 1                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第207作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-207

  抱父遺影幼児     父の遺影を抱く幼児   

包懐写照四歳児   写照を包懐す 四歳児

想起温柔父恵慈   想起す 温柔なる 父の恵慈

納骨未行原発里   納骨 未だ行へず 原発の里

応盟無核久安期   応に盟ふべし 無核 久安の期を

          (上平声「四支」の押韻)

「包懐」: 思いを胸に包み抱く
「写照」: 肖像を描いたもの または写したもの。写真。


<解説>

 七月初め、福島県南相馬市で行われた慰霊祭の記事が新聞に出ていた。
 母の膝の上で「パパ」と言って父の遺影を抱きしめている四歳男児の写真を見て、胸が締め付けられる思いがした。

 写真を抱きながら父の肌の感触や慈愛の姿を思い出しているのだろう。
 父親は地震か津波で亡くなったのだろうが、墓は警戒区域内で納骨も出来ないという。詳しくは書かれていないが、おそらく自宅で暮らしていないだろう。
 これだけの衝撃的な事件に出合ったこの子は今後どのように生きていくのだろうか。

 私たちは今こそ核のない社会を目指すことを肝に銘じなければならない。



<感想>

 この詩は、震災関連の詩として「東日本大震災」のコーナーに置きたいと思っていますが、作者の茜峰さんから「感想を書いてほしい」とのご要望がありましたので、書かせていただきます。

 起句の「四歳児」は作者としては思いの深い所でしょうが、平仄が乱れてしまって残念です。「四歳」という点は題名に入れるなどで処理し、ここは「小童児」というところでしょうか。
 震災コーナーにはそちらで転載しますので、修正されるようでしたら、ご連絡ください。

 転句の「納骨未行」は「行」が弱い感じです。「未成」の方が漢詩としては、すっきりすると思います。
 「原発」は略語ですし、そもそも「原子力発電所」でも日本語ですから、他の方もこの問題を漢詩で扱おうとすると悩むところです。
 しかし、現代の私たちには「原発」が一番分かりやすい表現でもありますので、固有名詞扱いで行ってしまいましょう。

 結句は「無核」でも良いのですが、「応盟」という意思の強さを出すならば(自然に無くなるわけではないので)、私は「絶核」(核を絶つ)とした方が良いと思います。



2011.10. 2                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第208作は 桃羊野人 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-208

  夏日舟行        

海村洗暑一身軽   海村暑を洗ひ 一身軽し

帆影白鴎塵外情   帆影 白鴎 塵外の情

四望潮平船任水   四望潮平らかに 船水に任す

魚飛回首晩雲生   魚飛び 首を回らせば 晩雲生ず

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 夏の海辺にたたずむ作者の視点で、周囲の景色をよく拾い上げていると思います。

 起句は「海村」という場所を表していますので、意味合いとしては「この海辺の村では」ということですね。私は初め、「海風」かと思いました。

 承句は「塵外情」が起句の「一身軽」と同じような心情を表す語ですので、ややくどい感じがします。
 また、「帆影」「白鴎」の対応も、多分「帆」も白いでしょうから、「鴎」にだけ「白」がつくのも気になります。
 「塵外情」をやめて、この七字で「帆」と「鴎」のことを描写する方向で検討してはどうでしょうか。

 転句は良いですね。

 結句は、「飛」の主語は「魚」、「回首」の主語は作者、「生」の主語は「晩雲」、七言一句で主語が三回替わっているのは、煩雑です。
 「魚が飛びながら首を回した」と読む人はまず居ないでしょうが、読者を困らせないような配慮は必要でしょう。



2011.10. 3                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第209作も 桃羊野人 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-209

  夏日田園        

有年待望老農勤   有年待望して 老農勤む

知否同時草木欣   知るや否や 同時に草木欣ぶを

高樹蝉声夕照中   高樹蝉声 夕照の中

遥雷一角欲生雲   遥雷一角 雲生ぜんと欲す

          (上平声「十二文」の押韻)


<感想>

 起句の「有年待望」は、「長年の念願していた」ということでしょう。

 承句の「知否」は「知得」の方が感情がストレートに出ると思います。

 後半は情景と心情がよく合っていて良いのですが、転句末字の「中」は平声ですので、これは仄声に直す必要があります。「夕照」を下に持ってきて、五字目を平声で適語を探す形でしょうか。



2011.10. 2                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第210作は大連の 馬薩滔 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-210

  千年古蓮     千年古蓮(古代蓮)   

泥中睡夢越千年   泥中に睡り夢みること 千年を越し、

硬化依然在世間   硬化すれども 依然この世に在り。

百姓重播池水里   人は池のなかにふたたび播く、

今朝醒覚籽暢天   今朝目覚めて籽(たね)は天に暢びる。

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 八月はじめ、蓮の花が咲く季節になり、大連郊外にあります、千年古蓮園というところに行ってきました。

 千年古蓮園と日本との関係をお話ししますと、普蘭店では20世紀の初頭から少量の古代蓮の実がすでに出土していました。
 百年ほど前、孫文が来日した際、普蘭店で出土した古代蓮の実の化石を四粒、当時のある日本人にプレゼントしたとのことです。
 おそらく孫文はその蓮の実の化石が再び発芽するとは思ってもみなかったでしょうが、時が経ち、孫文からいただいた中国の古代蓮の実を大切に保管されていたその方は、日本の大賀一郎教授が縄文時代の地層から蓮の実を発見し、そしてそれを発芽、開花させることに成功したことを知り、家宝の中国古代蓮の発芽育成を大賀博士に依頼しました。

 二年後、その四粒の普蘭店古代蓮の実のうちの一粒が見事に発芽し、そして開花しました。

 この話は中日友好交流の美談としてよく知られています。
 そして、中国古代蓮の実の化石が日本ではじはじめて命を吹き返したことが、北京にいる中国科学院院長の郭沫若の耳に入り、千年前の化石の中に閉じ込められた命が甦ったことに感動した郭沫若は「古蓮開新花」という詩を作られました。

 千年古蓮園の古代蓮の池の畔にはその郭沫若氏の「古蓮開新花」の詩碑があります。

一千多年前的古蓮子呀、    一千何年か前の古蓮の実よ、

埋在普蘭店的泥土下。     普蘭店の泥土に埋もれていた。

尽管別的雑草已変成泥炭,   雑草はすでに泥炭に変わってしまい、

古蓮籽的果皮已経硬化,  古蓮の実の皮は硬くはなったけれど、

但只要你稍稍砸破它,   その皮を破って池に播けば、

種在水池里依然進芽開花!   相変わらず芽を出し、花が咲く!


 上の詩を真似て作りました。


<感想>

 古代蓮の話は私も記憶がありますが、郭沫若の詩は知りませんでしたが、千年の時を経て蘇った生命力への感動が表れている詩ですね。
 この詩を思いながらの作詩ということで、やはり、古代蓮の力強さ、時を越える驚き、それが結句によく出ていますね。

 欲を言えば、現代の日中交流の架け橋でもある馬薩滔さんですので、この中国の蓮が日本の地で芽を出したことを転句に入れていただけると、馬薩滔さんの個性、というか、馬薩滔さんでないと書けないという詩になるのではないかと思います。

 承句の「間」は平水韻では別韻になりますので、その点はお気を付けください。



2011.10. 2                 by 桐山人