2011年の投稿詩 第91作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-91

  東日本大津波        

海嘯巷村千里津   海嘯く巷村 千里の津

波翻一切弄居民   波は一切を翻し 居民を弄ぶ

死生応別毫厘距   死生応に別る 毫厘の距

勤懇捜羅暮復晨   勤懇たる捜羅 暮また晨


          (上平声「十一真」の押韻)



震災は 詩に尽くせません。津波一週間の模様を纏めました。

<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから再掲しました。


2011. 4. 8                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第92作は 展陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-92

  東日本大震災        

濤濤海嘯濁流麤   濤濤と海嘯の濁流は麤(あら)い

港市摧残瞬毀無   港市を摧残され またたく毀無にす

請莫傷神過懊嘆   どうか懊み嘆き過て 傷神せずに

官民協力拓新途   官民協力して 新途を拓こう


          (上平声「七虞」の押韻)


<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから再掲しました。


2011. 4. 8                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第93作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-93

  春興        

雪白吹山三月巓   雪ハ白シ 吹山 三月ノ巓

風暄曽水半堤天   風ハ暄カシ 曽水 半堤ノ天

暫看北岸雁行影   暫シ看ル 北岸 雁行ノ影

又見南窓野火烟   又 見ル 南窓 野火ノ烟

階下石蘭香色妙   階下ノ石蘭 香色 妙ニ

盆中梅樹素粧妍   盆中ノ梅樹 素粧 妍ヤカナリ

東皇誘惑村醪旨   東皇 誘惑ス 村醪旨シト

傾盞因游酔夢邊   盞ヲ傾ケ 因ッテ游バン 酔夢ノ邊

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 真瑞庵さんのお住まいの地からの景、伊吹山(「吹山」)と木曽川(「曽水」)を画面一杯に描いて、前半を遠景に揃えた構成が、後半の近景、そして作者の心境への展開を滑らかにしていますね。首聯も対句にした効果も出ていると思います。

 四句目の「見」は「ふと目に入った」という意識でしょうが、「望」の方が遠景を表して自然でしょう。
 八句目の「因」は働きが弱く、ただ置いただけの字という印象ですので、「春」とか「清」などで意味を持たせると、作者の思いがより鮮明になるかと思います。



2011. 4. 9                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第94作は 劉建 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-94

  庚寅秋十月在岩松院看鳳凰図        

朱冠彩羽北斎描,   朱冠 羽を彩り 北斎描き

梅洞岩松富士遙。   梅洞 岩松 富士遙か

鳳睨禪僧天鏡滑,   鳳は禅僧を睨んで 天鏡を滑り

棲梧食竹頂棚喬。   梧に棲み 竹を食して 頂棚喬し

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 平成二十二年十月に長野県の小布施町の禅寺・岩松院に行ってきました。
 憧れの葛飾北斎、最晩年の鳳凰図を拝観して感動しました。

 説明によると鳳凰の顔の白は有毒な顔料を使っているとのこと。以前、修復を施し、彩度が上がった為、絢爛たる色彩でした。
 寺の柿の実が生っていたのが印象的で、一茶も句を詠んだ寺でした。

朱色の冠に、色とりどりの羽は、北斎が描いたもので、その画は梅洞山の岩松院にあり、富士山が遥か遠くに見える所。鳳凰図は禅僧たちを睨んでは、富士山を映す湖の上を滑空するかの様で、梧桐の林に棲んで、竹の実を食べると言われるが、鳳凰の天井画はとても高く感じられた。

<感想>

 起句は「彩」を動詞として「羽を彩る」と訓むよりは、「朱冠」と合わせて「彩羽」とした方が、「色とりどりの羽」の意味もよく出てくるでしょう。

 承句は「梅洞」「岩松」のせっかくの風雅な固有名が「富士」を持ってきたために生きてこず、単なる場所の紹介になっているのは残念です。「富士」を言う必要があるのかも疑問ですね。

 後半の「鳳睨禪僧」は結びの「頂棚喬」につながるもので、途中の「天鏡滑棲梧食竹」が不自然な挿入に感じます。鳳の説明を転句にまとめて、結句はもう一度絵のことに戻るのが良いと思います。



2011. 4. 9                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第95作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-95

  選擧        

擧世選良皆不清   世を擧げ 選良 皆 清らかならず

心非口是信難成   心非 口是 信成り難し

衆民安赦贈収賄   衆民 安んぞ赦さん 贈収賄

屈子彈冠漁父聲   屈子の彈冠 漁父の聲

          (下平声「八庚」の押韻)


  震災の見舞を添へてウグイス謳ふ

 大震災直後の選挙である。ウグイス嬢の連呼も何時もとは様子が違う。
 俄か仕立ての防災対策や復興計画が何とも虚しく響く。
 立候補者たちの立派な主義主張は選挙が終れば忘れられてしまうだろう。
 かの屈原の如き高潔な政治家は、当今、望むべくもないのだろうか。

「滄浪の水清ければ」と謳う漁父の歌聲が聞こえて来る。

<感想>

 屈原の『漁父辞』は、抜粋で「漢詩名作集」に載せています。以前の「お薦め漢詩」で書いたものです。

 昨日統一地方選挙が行われましたが、今朝の新聞を読みながら、大震災に影響を受けた形の結果になったのかもしれないと思いました。
 兼山さんの前半の厳しいお言葉、特に「選良」でありながら「皆不清」という表現の矛盾は、「選良」という言葉そのものが懐かしく感じるような昨今の政治状況をよく表していますね。
 世が濁っているからと入水した屈原と、世に合わせて生きよという漁父、千年以上の昔とは思えない二人の姿が浮かんできますね。


2011. 4.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第96作は 薫染 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-96

  奥州東震災        

震揺頻發奧州東   震揺頻發す 奧州東

昨日繁榮滅暗中   昨日の繁榮 暗中に滅(き)ゆ

街市壞頽爲瓦礫   街市壞頽(かいたい)して 瓦礫と爲り

沃田消失變幽叢   沃田消失し 幽叢と變る

爐心傷損補修窮   爐心傷損 補修窮(きは)まり

放射混汚觀測洪   放射混汚 觀測洪(おほ)し

士氣曾津凌幕末   士氣の曾津 幕末を凌げば

復興胎動希望充   復興胎動し 希望充つ

          (上平声「一東」の押韻)

<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから再掲しました。


2011. 4.15                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第97作は 秀涯 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-97

  三月十一日未曾有災害被東北地方北太平洋沖地震並原発事故一月余        

列島分崩惨状窮   列島ハ分崩サレ惨状、窮マリ

港湾万里一望空   港湾、万里一望ハ空シ

人人救護非容易   人々ノ救護ハ、容易非ズ

必待和衷再起風   必ズ待タン 和衷シテ再起ノ風

          (上平声「一東」の押韻)




心から被災された皆様にお悔やみと激励の言葉を贈ります!!

三月十一日未曾有災害被東北地方北太平洋沖地震並原発事故一月余
(震災と予期せぬ原発事故の三重被災、懸命の救助活動も遅遅として感じられ、心痛む日々となっています)

列島ハ分崩サレ惨状、窮マリ
港湾、万里一望ハ空シ
(眼に入る全ての港は無残にも打ち砕かれている)
人々ノ救護ハ、容易非ズ
必ズ待タン 和衷シテ再起ノ風
(日本人のそして、世界の心を一つにして、再生の道を築くその覚悟をこの東京でも微力を尽くしたい!その祈りを込めて)

<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから再掲しました。


2011. 4.18                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第98作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-98

  老朋讃歌        

花辺春信綻芳梅   花辺の春信 芳梅綻び

清客相逢清宴催   清客相集ひて清宴催す

斗酒高吟声朗朗   斗酒高吟 声朗朗

盃傾更満旧情杯   盃傾けば更に満つ旧情の杯

          (下平声「十一灰」の押韻)

<解説>

 鈴木先生ご多忙の中、ご指導ありがとうございます。
今日、私は76歳の誕生日を迎えました。
日本の平均寿命はとも角、ずいぶん長生きしたものだと私なりに感慨に耽っております。

 心身の機能低下は否めませんが努力で補えばまだまだ行けそうであります。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

 2月21日に神戸の西方「しあわせのむら」で関東関西合わせて14名の級友が集りました。
 全員が70才後半の五十数年に及ぶ長い交遊であります。
会えば忽ち戦後間もなしの昔に返り、時を忘れて懐旧の思いにふけるのです。



<感想>

 五十数年来の級友との懇談は、さぞや楽しいものだろうと推察します。日頃はなかなか顔を合わすことができないでしょうから、喜びの気持ちが句からにじみ出てきていますね。

 起句の下三字は読み下しを「芳梅を綻ばせ」としておきましょう。

 承句は「清」が同字重出ですが、一句の中での句中対になっているので問題はありません。
 「清客」が集まれば「清宴」は当たり前かもしれませんが、敢えて「清」を強調して、集まった級友への作者の思いが出したいということでしょう。
 意図は理解できますが、「故友」「同学」あたりで抑えておいて、後半に喜びを出すことも考えられますね。

 結句の「盃」「杯」の俗字ですので、同字重出となります。
 「盃傾」は「傾盃(杯)」ならば「酒を飲む」、ここで「盃が傾く」としたのは時間経過を表したのでしょうか。
 転句の宴席の雰囲気を発展させるか、時間経過で収束させるかで苦心されたと思います。「杯傾」ではどちらにしろ意味が分かりにくいと思います。「飛觴更汲旧情杯」というところでしょうか。

2011. 4.25                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第99作も 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-99

  老師讃歌     老師を讃ふる歌   

春信催清宴   春信 清宴を催す

老師急駕來   老師 駕(くるま)を急がせて来る

一觴回昔日   一觴 昔日に回り

天下足三杯   天下 三杯に足る

          (上平声「十灰」の押韻)

<感想>

 こちらは五言絶句で同じ集いを詠まれたものですが、良くも悪くも五言らしい詩になっていると思います。
 理屈から行けば、起句の「春信」「催清宴」のつながり、承句の「老師」の突然の登場、またその「老師」が「急駕来」の理由なども説明不足ではありますが、転句を読めば分かるという勢いの良さで乗り切っているかと思います。
 このスピード感は、結句の「天下足三杯」の豪快さと相まって、爽快とも言えます。ただ、誰にでもその勢いを押しつけるわけにはいきませんので、もう少し語の選択が必要でしょう。

 詩全体に具体性・現実性が不足しているように感じますので、起句の「春信」は具体的なものを出した方が良いでしょう。花でも風でも香りでも良いと思います。

 承句も七言ならば「老師」の前に、容貌などの形容がついて、具体性も加わるし、転句へのつながりも生み出しやすいのですが、二字少ないことは大きいですね。
 そのあたりを意識して推敲するならば、「老師」を「師朋」、あるいは「旧師」(三字目を平字にする必要がありますが)としておく方向が良いでしょう。

 後半はこのままで良いと思います。
 ただ、結句は作者の意図として「三杯飲めば、(若い頃のように)もう天下国家のことを話し始めている」ということだろうと思うのですが、(私も含めて)多くの読者は「世の中なんて、わずかの酒があれば充分だ」というような、若者特有の情熱的な壮語だと理解をすると思います。それはそれで面白いと思いますので、「このままで」と書いたのですが、趣旨と異なるということでしたら「足」の字を「自(よりす)」「適」などでしょうか、他にも適切な字があるような気がしますので、ご検討ください。


2011. 4.26                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第100作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-100

  春日偶成        

晩霞天蓋薄紅粧   晩霞天蓋  薄紅の粧ひ

里巷幽昏日影長   里巷 幽昏 日影長し

遠寺鐘声囲寂寂   遠寺の鐘声 囲(周り) 寂々

朋徒遊楽想家郷   朋徒と遊楽 家郷想ふ

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 春日、しかも「朋徒遊楽」ですから、楽しい花見かな、と思っていると、そうでもなくて、承句や転句では重たげな雰囲気がします。

 この詩は、三月中旬にいただいたものですので、直接には大震災とのつながりは無いのかもしれませんが、今年の春景色に対しての私たちの思いが象徴されているような気もします。

 転句の「朋徒遊楽」「想家郷」は、「群衆の中の孤独」みたいな矛盾した感覚で、一応理解はできますが、詩としては無理矢理という感じがします。
 句の構成から見ても、「朋徒遊楽」は承句に置いて、前半は明るさを出しておいても良いと思います。

 後半に春の愁いをまとめるならば、「想家郷」は不要で、思いを限定してしまう分だけ逆効果になるかと想います。


2011. 4.27                  by 桐山人



  緑風さんから推敲作をいただきました。


    春日偶成(推敲作)
  晩霞天蓋薄紅粧   晩霞天蓋  薄紅粧
  朋友遊遨野趣長   朋友と遊遨 野趣長し
  遠寺鐘声囲寂寂   遠寺の鐘声 囲(周り) 寂寂
  閑瞑想世俗無常   閑に瞑想す世俗の無常を


 三月十八日に友人と嵯峨野を散策 夕方に高台から見た京都の景色は奇麗でしたが、ふと東日本の大震災を思い出しました。


2011. 5.11             by 緑風



 作詩の段階で大震災のことを考慮されていたのですね。納得できました。

 結句の「世俗無常」はストレートな物言いで、違和感があります。また、「閑」も直前に「寂寂」がありますので、くどく感じますね。
 結句で、大震災への思いと移りゆく春の姿を「世俗」の言葉でまとめようとされたのでしょうが、未曾有の天変地異と災害を「無常」で収めるのは、感情的に納得しにくい点があります。
 結句の推敲をもう少しお勧めします。


2011. 5.30             by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第101作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-101

  湖愁        

閑行踏影渚煙涯   閑行影を踏む 渚煙の涯

雲淡柳条情亦加   雲淡く柳条 情亦た加ふ

艪響幽思孤月下   艪響幽かに思ふ 孤月の下

詩懐覚得酔韶華   詩懐覚り得たり 韶華に酔ふ

          (下平声「六麻」の押韻)

<感想>

 全体に落ち着いた雰囲気の素材を選び、統一感のある詩ですね。

 ただ、承句の「情亦加」、転句の「幽思」「詩懐覚得」と心情語が重なるのはどうでしょう。
 作者の思いが先行すると、読者の思いを先取りしてしまい、共感を通り越して押しつけられている印象になってしまいます。
 転句の「幽思」だけでも「一声」とか「数声」とすると叙景の句になります。起句と承句の組み合わせも「景」と「情」の組み合わせですので、前半と後半が同じ構成で並ぶ形になります。
 これならば、それほど違和感なく読めるように思いますが、いかがでしょうか。



2011. 4.30                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第102作は 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2011-102

  短歌・櫻雲涌        

櫻雲涌。       櫻雲(オウウン)涌き,

吉野山中       吉野の山中に

有霞洞,       霞洞あり,

酣春風裡       酣春の風裡に

聞鶯哢。       鴬の哢(さえず)るを聞く。

          (中華新韵十一庚仄声の押韻)

<解説>

 和歌の漢訳に関する金中さんの提案(「『三四三四三』形式による和歌の漢訳」桐山堂より)を一個の短詩型をみなし、実作に応用してみたものです。
 上記のように五句に分かち書きしていますが、下記のように一句一章、二句一章、計三句二章に作るのがよいかと思っています。

   櫻雲涌。吉野山中有霞洞,春酣風裡聞鶯哢。
   花は雲 吉野の山に霞洞あり春はたけなは風に鶯

    日本の短歌に対応する短詩型としては、私が所属する漢詩結社「葛飾吟社」の創始者の中山逍雀が、三四三四四に作る「瀛歌」を提唱しており、中国でもかなりの賛同者を得て実作されています。
 これに対し、金中さんの提案は、五句目を四ではなく三とし、三四三四三としています。

 日本の短歌が五七五七七であることをそのまま踏まえれば、三四三四四とする「瀛歌」の方が尺があっている、とまずは考えられます。漢語の三四三四三は、和語では五七五七五ではないか、と思えるからです。

   しかし、四句と五句を四四に作るのは、漢詩のリズムに慣れた者にはいささか収まりがつかない感じがあります。
 私見では、それを四四の対句に作ればよいと思いますが、絶句や律詩の七言のリズムに慣れた人には四四で終わることには、違和感があるかと思います。

   そのような場合に、金中さんの提案は、三(四三)(四三)=三七七。三字句を頭に冠し、あとは七七の二句一章を作ればよいわけで、作りやすいと思えます。

<感想>

 漢詩に関しては、読み下し文自体が既に和訳であると言えますが、多くの方は漢詩をそのまま読んでいるという気持ちではないかと思います。
 漢詩の和訳と言われると、例えば、于武陵の名作「勧酒」を井伏鱒二が訳した例が浮かびます。「花発多風雨 人生足別離」を訳した「ハナニアラシノタトエモアルゾ サヨナラダケガ人生ダ」は、原詩と並んで名作だと思います。
 読み下し文でも、漢詩が「二・二・三」のリズムを持っていることを尊重し、韻律を強調する形で五音や七音を基本とし、調子を良くするように読み下すことも多くなされています。

 平安の『和漢朗詠集』では、対句一聯(七言二句)と短歌を対応させていましたが、詠われた内容を考えるとそのくらいかとも私は思っています。
 そこに、短歌のリズムと漢詩のリズムを組み合わせると、三四三四三が合うのでしょうか、鮟鱇さんが仰るように、「三(四三)(四三)」と考えると呼吸はつかみやすいでしょうね。



2011. 4.30                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第103作も 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2011-103

  短歌・醉賞櫻花        

光景佳。       光景佳なり。

人傾酒盞,      人は朱臉を傾けて

賞櫻花。       櫻花を賞(め)づ。

風拂朱臉,      風は朱臉を払(な)でて,

遶田家。       田家を遶(めぐ)る。

        (中華新韵一麻平声(佳、花、家),八寒仄声(盞、臉)の押韻)

<解説>

 和歌の漢訳に関する金中さんの提案(『三四三四三』形式による和歌の漢訳)を一個の短詩型をみなし、実作に応用してみたものです。

  光景佳,人傾酒盞,賞櫻花。風拂朱臉,遶田家。
  景よしと杯をかたむけ花をめづ風は頬なで田家を遶る

 三四三四三は、三字句一句一章、七字句二句一章に作るのが作りやすいと思いますが、この作は、三字句一句一章、四字句と三字句で二句一章を二章、という形にしています。
 四字句と三字句の二句は、四字句を上一下三としてその上一字を領字とし、下三と次の三字句を対句にしています。

 領字は、詞で用いられる詩法で、領字を含む句の詩句と、それに続く複数句の詩句にかかる働きがあります。
  人傾酒盞,賞櫻花。= 人傾酒盞,(人)賞櫻花。
  風拂朱臉,遶田家。= 風拂朱臉,(風)遶田家。

<感想>

 鮟鱇さんの二つの詩を拝見しながら、頭の中ではどうしても二句を組み合わせて七言に読みたがります。こちらの詩は、四字句、つまり偶数句も押韻しているため、(三四)(三四)三とも読めて、その場合の三字の役割が重くなるなぁと考えていました。
 金中さんの言われる「七五調」と「五七調」の違いが、押韻の工夫で生まれることが分かりました。



2011. 4.30                  by 桐山人





















 2011年の投稿詩 第104作は 劉建 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-104

  立春(蝦夷風物詩)        

雄雌雙鰊皿中居,   雄雌 双鰊 皿の中に居し

互祈關雎共食魚。   互いに祈る 関雎を 共に魚を食す

夫婦有時繙尺素,   夫婦 尺素を繙く時有らば

則過歳月笑談餘。   則ち 歳月過ぐるも 笑談余る

          (上平声「六魚」の押韻)

<解説>

 この度の震災には、心底、震撼させられました。日本人がどのように存在すればよいか、根本的な問いを突き付けられ、茫然自失しているのです。寄付活動だけではいけないと思いますが、漢詩を作る事も希望につながると思います。


   雄と雌の二匹の鰊を皿に盛り、互いに夫婦和合を祈って、一緒に魚を食べる。
   夫婦は時に、腹を割って心底の情を察することは、年月を経ても、笑って話せる家庭を保つ秘訣である。

「關雎」:『詩経』・周南の詩の篇名。夫婦和合の徳を詠じる。
「尺素」:手紙のこと。古楽府の詩に、鯉の腹に有った一尺の長さの絹布に書かれた手紙を指す。
     ここでは転じて心底の愛情を意味する。


<感想>

 三月の末にいただいた作品の掲載が遅れました。すみません。
 「蝦夷風物詩」としていただきました。

 起句の「鰊」(ニシン)は「春告魚」と言われるそうですが、私の住む愛知県ではなかなか鮮魚としてお目に掛かることはありません。でも、身欠きニシンを煮たものは私の大好物ですし、身欠きニシンをそのまま焼いて脂がジュワジュワと泡立つ熱々に醤油をかけて食べるのも酒の肴でこれまた大好きです。ただ、身欠きニシンで春を意識することはないので、脂の乗った鮮魚を食べる東北や北海道の方の特権でしょうね。

 また、当然ニシンですので、卵(かずのこ)を意識するわけで、「雌」と書かれたのは「子持ち」のことでしょう。ご夫婦仲良く、子持ちのニシンの身を分け合う睦まじさが感じられます。

 子持ちですから、また、腹を割って食べることになる、そこから「尺素」へと発展させている、同様に仲良く食べることから承句の「關雎」も連想されたのでしょう。
 『詩経』の有名な一節、「關關雎鳩 在河之洲 窈窕淑女 君子好逑(關關たる雎鳩は河の洲に在り 窈窕たる淑女は君子の好逑)」。この詩は夫婦仲の良いことを表していて、婚礼の席での祝いの歌とされています。

 夕食に出された二匹のニシンを前に、心に浮かんだことをそのまま描いた、言わば随筆的な詩ですね。
 ただ、七言絶句の字数の中で、柔軟な作者の発想や連想を十分に描ききれたか、というと、第三者としてはやや強引な展開という印象が残ります。
 もっとも、仲の良いご夫婦の春の日の食卓の思い、その詩をこれまた仲良く読んでいらっしゃるお姿が目に浮かぶようで、それはそれで、まさに第三者の私としては「ごちそうさま」というところでもあります。

 承句の「祈」は平声ですので、平仄が合いませんので「願」としておきましょう。

 転句は「夫婦時有りて尺素を繙く」と読むべきでしょうが、それで詩意に合致するかどうか。
 例えば、「夫婦尚如繙尺素」と比喩にする形で行くところでしょうか。



2011. 5.13                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第105作は 展陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-105

  春興        

百草吹香柳色催   百草香を吹いて 柳色を催がす

東風満地石生苔   東風地に満ちて 石に苔が生え

群行北雁横空去   群行する北雁 空を横ぎって去り

一対砂鷗渡水来   一対の沙鷗 水を渡って来る

静聴流泉嬌鳥囀   静かに聴くと流泉に 嬌鳥が囀っている

遙看峻岳断雲回   遙かに看える峻岳に 断雲が回ぐる

春郊到処多佳境   春郊の到る処に 佳境が多く 

興湧邀朋互勧杯   興が湧き朋を邀えて 互いに杯を勧める

          (上平声「十灰」の押韻)

<感想>

 春の景色をあれこれと思い描きながら読ませていただきました。季節を象徴する素材が並び、統一感のある内容になっていると思いました。

 ただ、頷聯から見ていくと、「北雁」「砂鷗」「嬌鳥」と三句に鳥が並ぶこと、また、「渡水」「流泉」と水が並ぶことで、頷聯と頸聯に変化が乏しいように感じました。

 尾聯の「春郊到処多佳境」は確かにその通りなのですが、まさに「その通り」で間違いも何もないのですが、面白みが足らない気がします。
 頸聯までの叙景の素材に伝統的なものを選んでいるだけに、その分、展陽さんの個性が弱く、それが最後まで続いてしまうとモヤモヤした感じになります。今年のこの春の景色に対して、作者は何を考えたのか、いつもと同じならそれも良し、いつもと違うならどこが?、そこを意識して書かないと、無難に仕上がってはいるが印象の薄い作品になってしまいます。
 尾聯のどちらかの句で、何かインパクトのある独自の見方を出すと、全体の働きが生き生きとして、余韻が残る詩になると思います。


2011. 5.20                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第106作は 蕉風 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-106

  沾壽a@    寿福に沾(あやか)ふ   

重陽佳節壽莚連   重陽の佳節 寿莚連なり

鶴髪聰明勝去年   鶴髪 聡明にして 去年に勝る

萬里來求長命術   万里 来たり求む 長命の術

人能勧業後娯絃   人能く業に勧め 後に絃を娯しむべし

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 私の地域では、白寿祝いは旧暦の九月九日に開かれる慣わしがあります。ある年の祝いの席の一端を詩にして見ました。

 結句の「絃」はここでは三線を指します。作詞の過程で「白寿」という語を詩に取り入れようとしたのですが、手元の漢和辞典にはその語が無く、和臭をおそれて使いませんでした。少し惜しいような気がしています。

<感想>

 蕉風さんは沖縄にお住まいでしたね。沖縄には長寿の方が多いことはよく知られています。

 詩では、前半では「白寿」の祝いの席の様子をまず述べ、転句ではその席の中で「長寿の秘訣」を尋ねた場面でしょうね。誰もが、長寿にあやかりたい、というのは変わらぬ望みですので、自分にできるかどうかは別にしても「長命術」があるのならば知りたいというのは自然です。

 結句では、その質問に対しての答ということですが、「まずは仕事に励みなさい。その後に絃、つまり音楽を楽しむのが良い」ということで、斬新な内容ではありませんが、だからこそ逆に普遍的なもの、しかも実際に長寿をかちえている年長者からの言葉ですので、重みを持って感じますね。

 仕事も趣味も一生懸命取り組んだかと問われると、どうにも中途半端な思いしか残らない私としては、身につまされる言葉です。


2011. 5.27                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第107作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-107

  思孤獨     孤独を思ふ   

孤峰聳秀隔塵寰   孤峰 聳秀 塵寰を隔つ、

擁雪凛乎凡小間   雪を擁して凛乎たり 凡小の間。

獨鳥哀鳴何處返   獨鳥哀鳴して 何処にか返る、

失羣生類定辛艱   群れを失へば 生類定めて辛艱。

          (上平声「十五刪」の押韻)

<解説>

 凛として他を寄せ付けない孤峰の美しさはありますが、いきものの世界では、群れを離れては生きてゆけない自然の厳しさがあります。「孤族」「断捨離」など造語ができた人間社会に思いが及びます。

<感想>

 凛とした山峰は、只だ一人で立っていても、その存在だけでも俗界を超越したような風格があるのに対して、生き物はそうはいかないというところが詩の発想ですね。
 「思孤独」という題ですので、「孤独」ということに対しての作者の思いが語られる詩です。同じ自然界の存在ながら、「孤峰」「独鳥」を並べて、尊厳と悲哀を対比させる発想は面白いのですが、生き物は群れなくては孤独で辛いものだ、というのは分かったとして、ではその孤独にどう対応するのが良いということなのかが見えませんね。

 安直な人生訓みたいなもので結論つけるのも賛成はしかねますが、ただ「辛いね」というだけでは、このスケールの大きな対比からは物足りない気もします。

 できれば、この四句をベースにして、作者自身の姿を描き出す句を加える形で律詩に持っていくと、味わい深い詩になるように感じました。挑戦してみてはいかがでしょう。


2011. 5.27                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第108作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-108

  暮春        

残櫻散盡失芳菲   残櫻 散り尽くし 芳菲を失ふ

轉眼樹梢新緑肥   眼を転ずれば 樹梢に新緑肥え

間歩庭前懐淑景   庭前を間歩し 淑景を懐ひ

巡遊郊外對鮮暉   郊外を巡遊し 鮮暉に対す

野花匝地群蜂亂   野花は地にあまねく 群蜂乱る

河柳垂堤雙燕飛   川柳は堤に垂れ 双燕飛ぶ

遠寺鐘聲知晩節   遠寺の鐘聲に 晩節を知る

暗愁一脈送春歸   暗愁一脈 春歸るを送る

          (上平声「五微」の押韻)

<感想>

 去りゆく春を見送る寂しさをしっとりと伝えたいという気持ちが感じられますね。

 第一句は花が終わってしまった季節の景をまず伝えようということでしょうが、「残桜」「散尽」は明らかに語が重複しています。「残桜」が「散」るならば「尽」きるに決まっているし、「散尽」ほどに完璧に散るならば当然桜の方も「残桜」でなくてはいけません。
 「残桜」とするなら「尽」は不要だし、「散尽」とするなら「残」が要らなくなります。
 更に「失芳菲」と来て、とどめのとどめの一撃のような印象です。桜の香りは梅などと違ってあまり感じないものと私は思っていますので、この「芳菲」は桜ではない別の花とどうしても考えてしまうのですが、それならいっそ「残桜」も「百花」としても良いのではと思います。

 下句の「転眼」も微妙なところがあって、「樹梢」に新緑が芽ばえているのは良いのですが、もともと桜は梢を仰ぐもの、「転眼」はどこからどこへ眼を転じるのか、考えてしまいますね。細かな経過動作よりも、目の前に緑がいっぱいだ!と展開した方が却って自然でしょう。

 その流れから見ると、頸聯の「野花匝地」は逆に晩春にそぐわないように見えますが、どうでしょうか。

 あと、尾聯の「遠寺鐘声」が新鮮さがないことと、「暗愁」の感情形容も逆に類型化を促すようで、この詩の個性が弱くなるように感じます。


2011. 5.30                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第109作は 洋宏 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-109

  於京大和祝三十周年     京大和にて三十周年を祝う   

西京落景満花前   西の京 落景 満花の前

回想決然独立年   回想す 決然独立の年

浮出来陰八坂塔   浮き出てくる陰 八坂の塔

祝杯好聴舞姫弦   祝杯 好聴 舞姫の絃

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 4月10日 京都の料亭 京大和で弊社の創立30周年を祝いました。
その時の感動を漢詩にしてみました。


<感想>

 創立三十周年、おめでとうございます。
 ご自身で独立して経営されたようですが、三十年の長さはご苦労も沢山お有りだったことと思います。その思いが承句の表現に表れているのでしょうね。気合いの籠もった句です。ただ、このままでは「四字目の孤平」になっていますので、「決然」は「昂然」などに替えておくのが良いでしょう。

 起句は場所と時刻と季節を表して、場面設定を兼ねた叙景は導入部分として申し分ないでしょう。この叙景と承句がうまくつながらないのが残念です。

 起句をこのままで生かすなら、承句も叙景の句、例えば転句の「八坂塔」などを持ってくるのも考えられます。
 承句を生かすのならば、起句は過去の三十年前の状況を語るようにするのでしょう。起句と承句はひとまとまりの内容として構成していくと、読者へも思いがよく伝わります。

 転句の「八坂塔」の説明である「浮出来陰」は何となくもってまわったような言い方が気になります。
 三十年前を回想するなかで、この塔が関わりを持っているならば、そのあたりの事情を述べた方がよく、回想と何も関わらないのならば、この四字はほとんど働いていない、つまり無くても良い四字だと思います。

 より良い表現を求めて納得できるまで推敲を続けることが、お祝いの気持ちを伝えることになりますので、もう一息、粘ってみて下さい。


2011. 5.30                  by 桐山人




洋宏さんからお返事をいただきました。

鈴木先生
ホームページに掲載 有難うございます。

ご指摘に従い再挑戦いたしました。
当日撮った写真を添付いたします。



京大和の庭から見える八坂の塔がとても印象的だったのです。

 推敲作

  西京落景満花前   西京 落景 満花の前
  八坂楼陰向日鮮   八坂の楼陰 日に向かって鮮やか
  回想昂然独立頃   回想す 昂然独立の頃
  挙杯好聴舞姫弦   挙杯 好聴 舞姫の弦


2011. 6.14              by 洋宏



前半は良くまとまってきたと思いますが、承句の「陰」は「影」でないと妙ですので、「高楼」「   の代用としては品が。
転句は下三字が全て仄字(下三連)になっていますので、改めなくてはいけません。
また、「独立」を「起業」と解釈させるのは、何の補助説明も無いままでは無理があります。 若い頃を表す言葉を入れて、その頃にどうだったかを下三字に入れる形、「回想弱冠雄壮気」という感じでしょうか。

結句には、転句の「若かった頃」を受けて、「現在は・・・」とか「今日は・・・」という形で時の流れを感じさせたいですね。


2011. 6.19             by 桐山人




















 2011年の投稿詩 第110作は 鮟鱇 さんからの作品です。

作品番号 2011-110

  少年游・青蠅來弔        

白頭逝去,         白頭 逝去し,

青蠅來弔,         青蠅 來りて弔ふに,

朱夏雨濛濛。        朱夏 雨は濛濛たり。

醉歩黄泉,         醉歩するは黄泉,

鼾眠緑蔭,         鼾眠するは緑蔭,

詩客夢紅亭。        詩客 夢みるは紅亭。

  ○        

磨香墨、仰天裁賦,     香墨を磨き、天を仰いで賦を裁(き)るに,

刀筆欲含靈。        刀筆 靈を含まんとす。

韵事隨風,         韵事は風に隨ひ,

羽人陪酒,         羽人 酒に陪するに,

老骨枕閑肱。        老骨 閑な肱(ひじ)を枕とす。

          (中華新韵十一庚平声の押韻)

<解説>

 青蠅來弔:友人が無く、死んでも弔いに来るのは蝿だけである、ということ。

 小生、まだ死にそうにはありませんが、死ぬときはどんなだろうということは、小学生の時から考えてきました。
小学五年生のとき、たんすの周辺で異様な臭いがして、曳き出しを開けると、そこに鼠が眠っていました。以来、よくも悪くも、死がわたしにとりついています。

 醉夢という言葉がありますが、死夢というのもきっとあると思います。拙作は、その死夢をイメージしたものです。

 少年游詞譜:(新編実用規範「詞譜」姚普編校 による)
 少年游にはいくつか体があります。そのなかの一体。
  △○▲●,○○▲●,○●●○☆。●●○○,△○▲●,▲●●○☆。
  ○○●、●○○●,○●●○☆。●●○○,▲○△●,▲●●○☆。

 ○ :平声。
 ● :仄声。
 △ :平声が望ましいが仄声でもよい。▲:仄声が望ましいが平声でもよい。
 ☆ :平声の押韻。(拙作は中華新韵七尤平声の押韻)

 「、」:詩詞は「。」で章を区切り、「,」で句を区切り、七言句を上三下四に作る場合など特殊な句作りの場合に、「、」で句のなかを区切る。
 拙作では、詞譜に随い、「磨香墨仰天裁賦」の七言句は、「磨香墨仰・天裁賦」ではなく、「磨香墨・仰天裁賦」と作っています。


<感想>

 題名から想像して、孤独で寂しい死の姿を思い描いていましたが、鮟鱇さんのイメージはもっと突き抜けていましたね。
 誰にとっても必ず迎えねばならない「死」は重くなりがちなテーマですが、こういう発想で行ければ良いですね。

 死夢というよりも仙夢という感じで、鮟鱇ワールドに引き込まれて行くのが分かりつつ抗えない、そこが魅力でしょうか。
 今回は拝見しながら、蘇軾の「前赤壁賦」を思い出していました。


2011. 5.31                  by 桐山人





















 2011年の投稿詩 第111作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-111

  看櫻(一)        

老櫻一樹寺門隈   老櫻 一樹 寺門の隈

香靄流鶯獨占魁   香靄 流鶯 獨り魁を占む

僧俗相和談世變   僧俗 相和して 世變を談ず

忘歸更累賞花杯   歸を忘れ 更に累ぬ 賞花の杯

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 今年は寒気の所為で花時が長かったけれど、団地内の公園で開催される町内会恒例の花見も、自粛ムードで中止された。
 毎朝のウオーキング・コースになっている裏山の禅寺の桜は、例年通り見事に咲いたが、馴染みの住職との会話も「大震災」と「原発事故」に終始した。
 気分的に花見の段ではなかったのである。

    被災者にせめて手向けの花見酒

<感想>

 率直な気持ちが素直に出ていて、味わいのある詩になっていると思います。

 転句の「僧俗相和」がやや重く感じるのは、起句に「寺門」とあって更に「僧俗」と分かりきったことが出てきているからでしょう。
 「相和」も余分と言えば余分な言葉ですので、この四字に場面転換を意識させる言葉が入ると面白い展開になるかと思います。


2011. 6. 2                 by 桐山人




兼山さんからお返事をいただきました。

 毎度、御丁寧な御指導を戴き、有難う御座います。
下記の通り添削して見ました。如何でしょうか。

 「僧・俗」の組み合わせに意外性がある?にしても、「寺門・香靄・僧俗」とは、御指摘の通り、確かに抹香臭いです。

  老櫻一樹寺門隈
  香靄流鶯獨占魁
  日午閑人談世變
  忘歸更累賞花杯


2011. 6. 8             by 兼山


 「閑人」ですと、結句の「忘歸更累」が当たり前のようですし、「閑人」が「世変」を談じてもひまつぶしのように感じてしまいます。「騒人」としておくと、意外性が表れますので、兼山さんの意図に合うように思います。


2011. 6.19             by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第112作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-112

  看櫻(二)        

上中下又奥山櫻   上中下 又 奥山櫻

貴賤皆來買醉行   貴賤 皆來り 醉を買うて行く

老樹枯而新樹育   老樹 枯れて 新樹を育くむ

弟昆骨肉那須爭   弟昆 骨肉 那ぞ爭ふことを須ゐんや

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 大震災直後の自粛ムードの余波は思わぬ事態にまで及んだ。
 実は予てよりの懸案だった吉野の桜を「今年こそは」と決心して、早々と旅館の予約をしていたが、残念ながら凡てキャンセルしたのである。
 支考の「歌書よりも軍書に悲し芳野山」を念頭に、一句及び一首を詠んだ。

    花万朶歌書も軍書も悲しけれ


<感想>

 結句は吉野山の故事を理解しないと難しいですね。
 兼山さんがイメージされたのは、源義経(弟)と頼朝(昆:兄のこと)の骨肉の争い、義経が吉野に隠れ住んだことを暗示されたものでしょうが、もう少し義経をイメージさせないと読者には伝わりにくいでしょう。
 その意味では、転句の役割が弱く、前半からも結句からも浮いた印象になっていると思います。


2011. 6. 2                 by 桐山人




兼山さんから、こちらの詩にもお返事をいただきました。

 転句では世間一般の慣習として世代交代を取り上げてみましたが、御指摘の通り、前後から浮いています。
 とあらば、この場は、歌舞伎の筋書き通り、義経主従、静御前、狐忠信の出番でしょうか。

    上中下又奥山櫻
    貴賤皆來買醉行
    主從狐忠入芳野
    弟昆骨肉那須爭


2011. 6. 8              by 兼山




 うーん、なかなか転句は難しいですね。
 分かりやすくするためには、義経が分かるように「判官」「廷尉」などの語を入れるか、後半は過去のことだと伝えるようにするか、ですね。
 例えば「静女判官」と持ってくれば、「芳野」の地名の必要性も薄くなりますから、他の言葉を考慮できるようになります。

 起句の「上中下」から「貴賤」「主従」「弟昆」と句頭が全て対語で始まるのは、変化が乏しく、却って単調に感じますので、そういう点でも「主従」の変更は疑問が残りますね。


2011. 6.19             by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第113作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-113

  福島原発事故        

海嘯残傷反應堆   海嘯は残傷す反應堆

周辺民衆苦汚埃   周辺の民衆 汚埃に苦しむ

安全神話如今毀   安全神話はいま毀れたり

忘却謙虚招大災   謙虚を忘却 大災を招く




          (上平声「十灰」の押韻)



「反応堆」:  原子炉
「汚埃」: 放射性物質の塵埃


<解説>

  この事故がどう収束するか、大変気がかりです。
 技術過信の上で安全神話をつくりあげ、過去の津波の威力を軽視したことに、大きな原因があろうかとおもいます。
 今後、自然の威力に対して、謙虚さを忘れないことが大切なことでしょう。

<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから再掲しました。


2011. 6. 8                by 桐山人
























 2011年の投稿詩 第114作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-114

  憂天災与人災     天災と人災とを憂ふ   

海嘯巷村傾奥州   海嘯 巷村 奥州を傾す

港湾千里没泥流   港湾 千里 泥流に没し

噴烟猛毒未知熄   猛毒を噴烟させて未だ熄を知らず

英断敏行興復求   英断 敏行 興復を求む

          (下平声「十一尤」の押韻)




<解説>

 あの津波で海辺の街や村否奥州を覆し泥流に没れさせた。
 はたまた、原発事故は人災なり。猛毒を撒き散らし未だに終息の目処がたたない。
 為政者の英断と敏行を促し速やかな再生復興を望む

<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから再掲しました。


2011. 6. 8                by 桐山人
























 2011年の投稿詩 第115作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-115

  地震行 東日本大震災        

奥羽春浅雪未消   奥羽春浅く 雪未だ消えず

三陸海岸鮮魚饒   三陸の海岸 鮮魚饒し

午余風静波浪穏   午余風静かに波浪穏やか

漁夫投網舟順潮   漁夫網を投じて 舟潮に順ふ


忽驚大地起激震   忽ち驚く大地激震起こり

眼前光景誰可信   眼前の光景 誰か信ずべきや

崖崩地裂城市焼   崩を崖し地を裂いて 城市を焼き

倒壊家屋帰灰燼   家屋を倒壊させては 灰燼に帰す


震餘更恐驚濤来   震餘更に恐る 驚濤来たり

萬畳如山石堤隤   萬畳山の如く 石堤を隤す

水都萬戸沈蒼海   水都の萬戸 蒼海に沈み

人呑奔流座視哀   人は奔流に呑まれ 座視哀し


返潮四顧市街惨   潮返り四顧すれば 市街惨たり

尽化瓦礫傷万感   尽く瓦礫と化して 万感傷む

忍見海上多溺屍   忍くも見る 海上 溺屍多く

溺屍幾萬砕心胆   溺屍 幾萬 心胆を砕く


骨肉離散問安危   骨肉は離散して 安危を問ふも

未無消息報道遅   未だ消息無く 報道遅し

相呼哀叫声摧裂   相呼び哀叫すれば 声摧裂し

五内摧敗雙涙垂   五内は摧敗して 雙涙垂る


殊哀少児失怙恃   殊に哀れむ 少児怙恃を失ひ

未知阿母已溺死   未だ知らず 阿母已に溺死するを

空曳人裾何欲伝   空しく人裾を曳いては 何をか伝へんと欲っすも

傍人欲尋嗚咽耳   傍人尋ねむとしては 嗚咽するのみ


生者尚苦苛飢寒   生者尚ほ苦しむ 飢寒に苛なまれ

雖逃鬼手多辛酸   雖鬼手を逃れんとするも 辛酸多し

渇無飲料飢無食   渇しても飲料無く 飢へても食無し

縦得仮寓心難安   縦へ仮寓を得ても 心は安じ難し


如此災禍人泣哭   此の如き災禍 人は泣哭し

看目惨状空掩目   目に惨状を看ては空しく目を掩ふ

争応救援送資糧   争って救援に応じては資糧を送り

人人唯願復興速   人人唯願ふは 復興の速しを


無奈政府尚糊塗   奈んともする無し 政府尚ほ糊塗たり

宰相無能甚凡愚   宰相無能にして甚だ凡愚

恋恋盗位面皮厚   恋恋位を盗んでは 面皮厚く

暗澹国歩一嗟吁   暗澹たる国歩 一に嗟吁す


冗子終日心不楽   冗子終日 心楽しまず

七字書憤濁酒酌   七字憤を書して濁酒酌まん

詩成酔余為一歌   詩成て酔余 為に一歌すれば

憂国慷慨有誰託   国を憂ひ慷慨して 誰有りてか託さん



<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから転載しました。


2011. 6. 8                 by 桐山人























 2011年の投稿詩 第116作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-116

  平城遷都千三百年祭訪奈良平城京        

恰好金風颺彩旄   恰(あたか)も好し 金風 彩旄(さいもう)を颺(ひるが)へし

一千三百暦滔滔   一千三百 暦(れき)滔滔(とうとう)たり

平城再建古都峙   平城再建して古都に峙(そばだ)ち

齊仰威容鴟尾高   斉(ひと)しく仰ぐ威容 鴟尾の高きを

          (下平声「四豪」の押韻)

<解説>

  平成22年(2010)9月13日(月)から15日(水)の二泊三日で、愛媛縣神社廳松山支部北条分会の神職・総代の一行は、伊勢神宮正式参拝の旅に出ました。
 最終日には遷都千三百年祭でにぎわう平城宮跡を訪ねました。約10年前、近鉄電車でイベント会場前を通過する時には建設中であった大極殿も朱塗りの大楼閣として立派に再建されており、奈良時代の我が国の威容を彷彿とさせました。

 それにしてもすごい人でした。会場には駐車スペースがないものの、奈良県大会本部の見事な交通さばきで予約時間になると各種のバスが整然とひっきりなしに入退場していました。
 「セントくん」人気もあり大成功だったようですね。


★関連サイト&ブログ
平城遷都1300年祭ホームページ

拙ホームページ・ブログ「風早物部饒速日王国」


<感想>

 サラリーマン金太郎さんからは、多数の作品を一気に送っていただきました。
一度に全部というわけにも行きませんので、少しずつ掲載をしていきたいと考えています。

 最初の詩は、平城遷都千三百年祭の詩です。
 「金風」は秋の風、五行(木火土金水)では、それぞれに方角や季節や色が割り振られていますが、「金」は「西・秋・白(素)」が対応します。したがって、ここは「秋風」でも「西風」でも「素風」でも良いのですが、豪華絢爛な大極殿に対応させるにはやはり「金」が合うと判断されたのでしょうね。

 承句の「滔滔」は「止まることなく流れ続けること」ですので、千三百年という時の長さを表したものですね。
 必要な言葉は揃っていて、作者が直接見た場面が生き生きと描かれていると思います。

 ただ、前半の引き締まった描写に比べて、後半はやや間延び感があります。
 転句の「峙」の主語が不明確なこと、「平城」「古都」に重複感がありますから、どちらかを「朱楼」とすると落ち着くのではないでしょうか。
 「千三百年」ということはこの詩の主要テーマでもありますから、できれば後半に置いた方が良いと思います。


2011. 6.13                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第117作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-117

  中秋南都猿澤池釆女祭        

猿澤C池繞飾艘   猿沢の清池 飾艘しょくそうめぐらせ

管弦演舞從操篙   管弦演舞 操篙そうこうに従ふ

舷頭緬想美姫愍   舷頭げんとう 緬想めんそうす 美姫のあわれ

圓月披雲夢幻翺   円月雲をひらきて 夢幻 

          (下平声「四豪」の押韻)

<解説>

 中秋の名月の平成22年(2010)9月22日(水)に行われた「釆女祭」を詠じました。
 平安の昔、この日に入水自殺した宮廷女官の慰霊を目的とした春日大社末社・釆女神社の神事。

★関連サイト&ブログ
 「采女祭
「繞飾艘」: 平安絵巻さながらに猿沢の池に雅な竜頭船や鷁首船(げきすせん)などの管弦船が浮かべられた。

「竜頭」「鷁首」は龍の頭部のデザインと、鷁〔ゲキ〕の首のデザイン。この鷁とは鵜に似た白い大型の水鳥で、風に抗って逞しく飛ぶ。ために「龍頭」と並んで、あらゆる艱難辛苦を乗り越えて旅を貫徹させるイメージから、船の守り神として船の舳先にその像を取り付けた。また、ために「道開き」(開運)にも通じるものである。
 ちなみに「鷁首」は「ゲキシュ」と読んでも正解であるが、古典文学では基本的に「ス」に読ませる。これら龍頭と鷁首は2艘1セット用意され、「端午の節句」に競争させたりした。そして天子の乗る船にはこれらが彫り付けられて旅の安全が祈念された。やがて日本に伝わって後は、宮廷貴族たちが池などに浮かべ、楽人に音楽など奏させる遊びに専ら用いた。いわばリムジンだとかカスタムカーのような感覚に近かろう。  <出典:はてなキーワード>

「従操篙」: 船頭の見事な竿さばきに船は任せて進む。
「緬想」: 遥か遠くを思いやる。


<感想>

 情景が眼に浮かんでくるような、臨場感のある詩ですね。

 句の展開については、時間経過を追っているので自然で無理が無いのですが、転句の「美姫」がインパクトが強い分、結句の「夢幻」や、「円月披雲」のドラマチックな感動が弱く感じられます。
 「円月披雲」を転句に持って来て、采女への連想を結句に置くと、最後まで期待感を持たせて読者を引っ張ることができるとおもいますが、いかがでしょうか。


2011. 6.13                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第118作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-118

  早春歩伊勢路     早春 伊勢路を歩く   

古道臨灘石甃長   古道は 灘を臨み 石甃長し

萌芽野草白梅香   萌芽する野草 白梅香る

感懐客死建碑祷   感懐す 客死 建碑の祷り

分与蜜柑親愛郷   分与さる蜜柑 親愛の郷

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 早春に 熊野古道伊勢路の一部を歩いた。
 紀伊路が平安中期から鎌倉期にかけて盛んに歩かれた行幸ルートといわれるのに対して 伊勢路は江戸時代以降に歩かれた庶民のルートといわれるが、なるほどと感じさせられた。

 古道は真っ蒼な熊野灘を望み、石畳の道は延々と続いている。
 早春スミレ・タンポポの花が咲き ふきのとうが出、家々の庭には白梅が香っている。
 石畳の途中には行き倒れた巡礼たちの碑が建てられ、この地域の人たちの思いやりの心がしのばれる。
 私たちが村の人たち会話を弾ませていると、新鮮な蜜柑をくださった。
 昔も今も変わらぬ親しみと優しさのある里である。

<感想>

 前半は伊勢路の早春の風景を描写していますが、スケールの広がりがあり、よく工夫されていると思います。
 承句は下三字の「白梅香」に句中対で上四字を対応させたいところです。「野花早発白梅香」のような形でどうでしょう。

 後半は、転句で「感懐」と作者の気持ちが出ていますが、結句での「親愛郷」に主眼を置くならば、ここは出さないで客観的な描写にした方が良いでしょう。
 ただ、結句の蜜柑のことでは、村人も作者も突然の登場で、解説を読まないと話が理解できません。作者としては、過去からずっとこの土地の人々が暖かい情愛で旅人を迎えてくれたことを言いたいのでしょう。
 意図は分かりますし、主題としても適切だと思いますので、言葉選びが課題かと思います。
 後半を推敲する形で検討を進めてください。


2011. 6.13                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第119作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-119

  少年志願兵        

逼迫戦時兵割当   逼迫する戦時 兵の割当あり

教師困苦慟耶嬢   教師は困苦 慟く耶嬢

言明殉国表情痛   言明する殉国なれど 表情は痛し

煩悶死生雲散殤   煩悶する死生 雲散の殤となる

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 昨夏NHKで「少年志願兵」というドラマが放映された。原典は、江藤千秋氏がご自身の体験をもとに書かれた記録文で、『積乱雲の彼方に』である。

 私は兄が志願兵として出兵し戦死したので、特に深く心に刻み込まれる内容だった。
 10歳以上離れていた兄は当時の私から見れば半ば大人に思えたが、実際はまだあどけなさの残る少年であったのだ。
「父母の言う事をよく聞いて立派な小国民でいなさい」と私への手紙にはしたためられていたが、本心はどんな思いであったのだろうか。
 戦死の公報がきても家族はなかなか信じようとしなかった。
 60年以上経ても心が痛む。

<感想>

 承句の「耶嬢」は杜甫の詩にも出てきますが、「父と母」のことですね。ここも前の詩と同じく、上四字と下三字を対応させて「主語+述語」か「修飾語+名詞」のどちらかで構成を揃えた方がわかりやすくなります。

 転句は主語が誰なのか、教師なのか、父母なのか、それとも志願した少年兵(兄)なのか、それによって受けるイメージも随分変化してしまう大事な点です。直接説明しないにしても暗示するような丁寧さは必要で、読者を意識していないと見のがしてしまうところです。

 結句の「殤」は「若くして死ぬこと」ですが、「少年志願兵」という題だけに重く残る字になっています。
 全体としては表現に荒い点が幾つかあるのですが、この字を結句の韻字、つまり詩の末尾に置いたことが、この詩の最も重要な点だと思います。印象深い収束になっていると思います。


2011. 6.13                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第120作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-120

  地震行(関西大震災)        

平成七年大寒朝   平成七年大寒の朝

睡起忽感坤軸揺   睡起忽ち感ず坤軸を揺がすを

初震水平後上下   初は水平に震ひ後に上下し

身不可支魂神銷   身は支ふべからず魂神銷え


天明驚見四顧異   天明けて驚き見ゆ四顧異なるを

近隣家屋全潰墜   近隣の家屋全潰墜す

潰屋在声生埋没   潰屋声在り生きながら埋没し

骨肉拱手空呑涙   骨肉手を拱きて空く涙を呑む

人人少頃心少平   人人少頃は心少なからず平かなるも

忽見城市劫火生   忽ち見る城市劫火生ずるを

呑尽大都化瓦礫   大都を呑み尽くして瓦礫と化し

惨状満眼若為情   惨状眼に満ちて若為の情ぞ


喪母少児脱鬼手   母を喪ひし少児は鬼手を脱し

嗚咽未解頻呼母   嗚咽しては未だ解せず頻りに母を呼ぶ

不忍念無相見期   相見期無しを念ふを忍びず

觀者傷目徒俯首   觀る者は目を傷めて徒らに俯首す


要糧未得日飢疲   糧を要するも未だ得ず日々に飢ゑ疲れ

剰苦寒雨心身衰   剰さへ寒雨に苦しみては心身衰へ

路傍老婦不能睡   路傍の老婦睡る能はず

怛咤親故相流離   怛咤す親故相流離するを


隣人竭心毎互助   隣人心を竭くして毎に互助し

縦復平生患難除   縦へ平生に復するも患ひ除き難し

此日死者五千餘   此日死する者五千を餘し

罹災市民酷憂慮   災に罹りし市民酷だ憂慮す


政府糊塗救援遅   政府糊塗として救援遅く

不解急促如焦眉   解せず急ぎ促すこと焦眉の如し

刻舟求剣徒拘泥   舟に刻み剣を求めては徒らに拘泥す

悔使殊方受嘲嗤   悔むらくは殊方をして嘲嗤を受けしむ


聞此胸臆為摧敗   此れを聞いては胸臆為に摧敗し

偏袒扼腕怒一喝   偏袒扼腕して怒りて一喝す

如此苛殃未曾遭   此の如き苛殃未だ曾つて遭はず

天公無情噫噫噫   天公情無く噫噫噫



「俯首」: うつむく
「脱鬼手」: 死に神から逃れる
「怛咤」: 傷み嘆く
「糊塗」: 曖昧にする いい加減にごまかす或曰端為人糊塗 帝曰端糊塗小事不糊塗大事
「焦眉」: 情勢が非常に差し迫る
「刻舟求剣」: 時勢の移り変わりをしらないで昔通りの事を固守する 呂氏春秋
「偏袒扼腕」: 片肌を脱いで自分の左手で右腕を強く握り締める激しい怒り 甚だ残念がる。『戦国策』燕策
「拘泥」: 物事に拘って自由な判断行動が出来ない
「苛殃」: 大きな災害
「無情」: 薄情
「天公」: 天帝 興亡誰知天公意 元好問

<感想>

 謝斧さんからは先日、今回の東北大震災に関する詩をいただきましたが、今回は先の神戸での大震災を題材にしたものを送っていただきました。
 神戸の復興はめざましく、現在神戸を訪れても被災の名残りもほとんど見られないほどになりましたが、当時の市民の皆さんの苦しみや悲しみは消えることは決してないのでしょう。

 東北地方の復興が神戸のように果たされていくのかどうか、津波と原発事故と災害が重なる中で、現在も苦しい日々を送っていらっしゃる方々が沢山居ることに、胸を痛めている国民は多いことと思います。
 関西の大震災での教訓、という言葉も、他地域で安穏と暮らす私などは軽々しくは決して言えないのですが、今回の謝斧さんの詩を読みながら、改めて「立ち上がる」ことの大変さを感じました。



2011. 6.19                  by 桐山人