2010年の投稿詩 第211作は 小鮮 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-211

  東京天空樹     東京天空樹(スカイツリー)   

蒼穹霄樹長   蒼穹に霄樹 長(の)び

蝟集好奇民   蝟集す 好奇の民

共仰摩天閣   共に仰ぐ 摩天閣

江辺野宿人   江辺 野宿の人

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 東京墨田区で現在建設中の新しい電波塔「東京スカイツリー」についての情景です。
 完成前から見物人が集まっています。
 一方隅田川沿いの隅田公園はホームレスのテント村で有名です。

<感想>

 東京スカイツリーは、テレビでも「ここが絶好の眺めるポイントだ!」なんて形でよく紹介していますので、たまにしか東京に出て行かない私でも、現在の進行状況をよく知っています。

 「霄樹」はその「すかいツリー」を漢字に訳したのでしょうが、そもそも、どうして「タワー」でなく「ツリー」なのかが、実は私には疑問なのです。「ツリー」だと言うから直訳して中国でも「天空樹」と言うようですが、私は「塔」にしておいた方が良いと思うのですけれどね。

 承句の「蝟集」は「ハリネズミの針のように、一点を中心に集まる」ことが原義ですので、ここはスカイツリーを中心に上方から鳥瞰する形で表した言葉ですね。

 転句の「共仰」は結句の「野宿人」を意識されての言葉と読み取ることになりますが、この「すかいツリー」を考える時に、「野宿人」がどうしても必要なのかどうか、と言うよりも、どうしてつなげなくてはいけないのか、がよく分かりません。
 テント村の人たちも一緒に眺めるからどうだというのか、無理すれば解釈できないことはないですが、作者の意図したものと合致しているかどうかは、根拠も自信もありません。
 とりわけ、「野宿人」で詩が結ばれていますので、読者の耳にはこの言葉が読後にも響くわけで、何とも重い詩になっているような気がしますね。
 五言の詩ですので限界が当然あるので、あっけらかんと世界一の電波塔だ!と感激を出した方が、ここではすっきりするような気がします。


2010. 9.22                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第212作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-212

  賀坂上之雲記念博物館落成     坂の上之雲記念博物館の落成を賀す   

松城山麓彩雲飛   松城山麓 彩雲飛び

恰好竣工高館輝   あたかも好し 竣工して高館輝く

明治英雄茲輩出   明治の英雄 ここに輩出し

又新追憶探眞機   又追憶を新たにして 真機を探る

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

 ○坂上之雲記念博物館: 「松山市立 坂の上の雲ミュージアム」として平成19年5月に開館して、入館者が今年の6月に50万人を突破した。同市(中村時広市長)は現在NHKスペシャルドラマと連動した「坂の上の雲のまちづくり」を全国に向けて発信中。

 「坂の上の雲ミュージアム(公式ページ)

○松城: 伊予松山城
○明治英雄: 言わずもがな、この小説の主人公 秋山兄弟と正岡子規を指す。

<感想>

 松山市は「坂の上の雲」で盛り上がっていますか。素晴らしい先人を輩出したという誇りが、町にも人にも感じられるのは良いことですね。
 これは決してひがみではなく、優れた郷土の先人が居ても、実際にその土地の人々の意識がそれ程高まってこないという話もよく聞くことです。(もちろん、逆の形で、郷土の人々の熱意があっても他の地域の人々にはあまり評価されない場合の方が多いのでしょうが)。松山は、歴史的にも文学的にも恵まれて、まさに先人が土地にそのまま生きているような趣があります。
 そうした風土と記念館の竣工を重ねて、転句まで不足のない良い詩だと思います。結句の「真機」は「(英雄の)まことの心」ということでしょうね。

 承句で「恰好」と、もうすでに絶好の機会だと言っていますので、放っておいても先人への思いは高まるわけで、結句の「又新」は言わずもがな、という気がします。
 転句までと比べると、結句が間延びした感がするのは、そのせいではないかと思います。作者を登場させて、「私も先人に負けないように気力充実させて頑張るぞ」という気持ちを出してはどうでしょう。


2010. 9.22                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第213作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-213

  謁備前少将池田光政公廟     備前少将池田光政公の廟に謁す   

陶工招聘起藩窯   陶工招聘して藩窯を起こし

懇迓儒師加百僚   ねんごろに儒師を迓へて百僚に加ふ

四百星霜全治政   四百星霜 治政全し

兒孫千載受恩饒   児孫千載 恩を受くることあまね

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 平成22年5月24日から25日まで、神社庁松山支部の視察研修旅行があり山陽路を訪ねました。
今後追々と吟行の拙詩をご披露して参ります。

 今回は岡山県備前市「閑谷学校」敷地内にある藩侯の御廟「芳烈祠」です。

閑谷神社(「芳烈祠」岡山県神社庁ホームページ)

 江戸時代前期の名君で、文治政治を展開した池田光正公については下記ホームページをご参照ください。

池田光正(ウィキペディア日本語版)

○陶工招聘起藩窯: 全国に名高き備前焼である。
○儒師: 陽明学者の熊沢蕃山
○加百僚: 備前藩家中に賓師として迎えた。



<感想>

 前半に史実と土地柄を入れて、それを転句でまとめるという手法になっていて、転句までで意は十分に尽くされている印象がします。その分、結句が余分に感じてしまいます。
 転句の「四百星霜」と結句の「千載」の効果はどうなのでしょう。私には、引き算をしなくてはいけないような、何となくあわただしさが先に出てきてしまうような気がするのですが、いかがでしょう。
 閑谷学校の落ち着いた雰囲気を語るような、叙景の句でも良いかと思いました。


2010. 9.22                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第214作は 牛山人 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-214

  紫陽花        

倐忽雲奔欲五更   倐忽 雲奔り 五更にならんと欲す

雨余時此暁鐘声   雨余 時に此れ 暁鐘の声

開窓頬上美人涙   窓を開けば 頬の上に美人の涙

採挿青瓷心更清   採りて 青瓷に挿す 心更に清し

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 推敲を何度もされ、苦心された作品のようですね。

 起句の「倐忽」は「あっという間に」という感じで、時間が速く過ぎることを表す言葉ですので、この場合は当然、次の「雲奔」に掛かっていきます。
 この句は初稿からほとんど変更がありませんので、実景をそのまま詠まれたというところでしょうか。ただ、疑問が残るのは、日中に「倐忽雲奔」と気づくのは分かるのですが、ここでは真夜中のこと、作者はずっと眠らずに起きたまま夜空を眺めていたのでしょうか。ちょっと、読者は共感しづらいですね。
 たまたま眼が覚めたということならば「雲奔」は不要で、「雷鳴」などを配置した方が自然な印象になります。何か考え事をしていて眠っていないということならば、それはそれで重い話ですから、もう少し説明が必要でしょう。

 また、「雲奔」の後に雨が降り、また止んだという時間経過を「雨余」で表したと思いますが、「欲五更」「暁鐘声」でも同じことを出しています。
 結論から言えば、起句で述べていることは概ね承句に包含されていることになり、起句の役割がはっきりしません。
 梅雨の季節感を出すような形で起句を検討されるのが良いでしょう。

 転句は「頬上」に悩みました。「自分のすぐ目の前(頬のあたり)に、美人が泣いているかのような紫陽花が見えた」ということ、それとも「作者の頬に紫陽花の露が落ちてきた」ということでしょうか。
 ただ、窓を開けた時に、真っ先に目に入るのは紫陽花の色、「美人」「涙」と比喩するよりも「紫色」を強く出した方が印象も鮮やかになるでしょう。


2010. 9.22                  by 桐山人



牛山人さんからお返事をいただきました。

 推敲をしてもしてもこの程度です。
しかし、悪いポイントを適確に教えて頂き、いつも感謝しています。

取り急ぎ、訂正しました。

    「紫陽花」
  倐忽雷鳴夜雨驚   倐忽 雷鳴 夜雨に驚く
  疎疎客舎暁鐘声   疎疎たる客舎 暁鐘の声
  開窓花紫庭中燦   窓を開くれば 花紫 庭中に燦す
  採挿青瓷心更清   採りて 青瓷に挿す 心更に清し


2010. 9.26            by 牛山人


 早速推敲をされたようで、拝見しました。
全体に統一感が出てきて、分かりやすくなったと思います。

 まだ気になる点を言えば、転句の「花紫」は「紫花」とすべきところ、平仄に合わせたのでしょうが、窓を開けた時の感動を表す表現はまだありそうですので、下三字も含めて五字分を更に練って行かれると良いでしょう。

 結句の「採」は時間経過を表すために入れたのだと思いますが、動詞が並ぶために却って慌ただしく感じます。「挿」を修飾する言葉を置いた方が良いと思います。


2010. 9.29          by 桐山人



牛山人さんから再推敲をいただきました。

    「紫陽花」
  倐忽雷鳴夜雨驚   倐忽 雷鳴 夜雨に驚く
  疎疎客舎暁鐘声   疎疎たる客舎 暁鐘の声
  紫花一幅破窓下   紫花 一幅 破窓の下
  挿入
青瓷心更清   青瓷に挿しはさみいれ 心更に清し


2010.10. 4            by 牛山人


 再推敲のメールを見落としていましたので、お返事が遅くなりました。すみません。

 随分読みやすくなったと思います。
 結句の上二字は、「相挿」「相照」などではどうでしょうか。


2010.12.17            by 桐山人























 2010年の投稿詩 第215作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-215

  上石鎚山(一)     石鎚山に上る(一)   

千里洋洋度兩灘   千里洋洋 兩の灘を度る

石鎚山嶮路常難   石鎚山は嶮しく 路常に難し

若於疊嶂無金鎖   若し疊嶂に 金鎖無くんば

會竟峻巓誰莫看   かならずや竟に 誰か峻巓を看ること莫からん

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 小倉港から周防灘と伊予灘を渡って松山港に至り、「お山開き大祭」の最終日の石鎚山に登った。
残念ながら今回は中宮成就社までであったが、「見返り遥拝殿」からは念願の「弥山」を遥拝する事が出来た。

 頂上社から着御される御神像を歓迎する奉納太鼓も見事であった。


   弥山背に汗して奉納太鼓打つ

   見返れば弥山在します梅雨晴れ間

   背子が背に汗して御着御神像



<感想>

 連作でいただきましたので、転句の「金鎖」も含めて後半の感慨は、(二)の解説と合わせて読んでいただくと分かりやすくなると思います。

 石鎚山は四国だけでなく、近畿以西、西日本の最高峰とされる霊山ですが、険しい頂上のようですね。
 サラリーマン金太郎さんの地元、感想などをいただけると嬉しいですね。

 転句の「於」は不要ではあるのですが、ではどんな言葉を入れると良いか、となると難しいところです。ただ、「若」「於」「會」「竟」と後半に虚字が並ぶのが気になります。
 結句の「會竟」に「阻壁」(「断壁」「翠壁」)などの具体的な叙述を入れる方が、言葉を選びやすいでしょうね。


2010. 9.26                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第216作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-216

  上石鎚山(二)     石鎚山に上る(二)   

一夜千秋舟路遙   一夜 千秋 舟路遙かなり

靈峰始詣白雲朝   靈峰 始めて詣づ 白雲の朝

八丁坂緩鎖場險   八丁坂は緩なれど 鎖場は險なり

頂上社拝魂欲消   頂上社を拝し 魂消せんと欲す

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 中宮成就社より弥山までの(今回未踏の)登山道には、先ず八丁坂を経て、一の鎖、二の鎖、三の鎖場が待つ。


  石鎚山登頂幻想(三句)

   八丁坂下れば上る霧の中

   二の鎖三の鎖や汗握る

   梅雨空に幻日見たり頂上社



<感想>

 こちらの詩は、(一)よりも具体性が強く、作者の視点が感じられます。どちらが良いということではなく、趣の違いということです。

 結句の「頂上社」は固有名として使われたのか、「山上社」の方が詩としては落ち着くと思いますがいかがでしょう。
 「拝」は仄声ですので、二四不同が破れているのが残念ですね。


2010. 9.26                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第217作は 秀涯 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-217

  炎夏偶成        

炎威焦地苦夜長   炎威ハ地ヲ焦ス苦シキ夜ハ長シ

溶碧姫沙羅径傍   碧ニ溶ケル姫沙羅ハ径傍

遥望武蔵鉄塔半   遥ニ望ム武蔵(634)ノ鉄塔ハ半ナリ

乱蝉天廣動新涼   乱蝉ハ天ニ曠ガリ新涼ハ動ク

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 猛暑の中、大地は焦がれ、熱帯夜は人を連夜苦しめる
 青空に溶け入る赤い姫沙羅が径の傍に美しい
 遥か彼方には、スカイツリー(634m)が、半ばである
 晩夏に鳴く蝉時雨は、天空まで届く、そんな中微かに新涼が動く

 暑いとは言え、もう秋がそこまで来ている、、、

<感想>

 東京も今年の夏は暑かったようですね。最高気温が都区内で出た日もあったように覚えています。
それでも、何とか彼岸を迎えれば涼しくなる、自然の律儀さに改めて感動します。

 秀涯さんの今回の詩は、まだ猛暑の頃の詩ですが、新涼を求める気持ちが出ていますね。

 起句は「夜」が仄声ですから、二六対が崩れています。また、他の部分は昼中の景色だと思いますので、ここだけ「夜」が来るのは変です。

 承句は平仄は良いですが、「溶碧」で「青空に溶け入る」と解釈するのは無理です。「碧」一文字で空を思わせることも、また、赤い姫沙羅が空に「溶」けるという比喩も、どちらも独りよがりな表現です。せめて、「碧空」と添えるくらいの読者への配慮は必要です。

 転句の「武蔵」は旧国名と「634メートル」を掛けたものですが、「ムサシ」と読むことも、それが「634」を表すことも和臭で、二重に説明が必要な上にダジャレとなると、漢詩では読む方が照れくさくなってしまいます。「634」の数字の方は知らなかった振りをして、旧国名だけの意味で用いているのだという姿勢を貫いた方がまだ良いかと思います。
 ただ、この句は平仄も乱れていますし、主題との関わりもありませんので、残念かもしれませんが、全面的に作り直した方が良いと思います。

 結句は「天に廣がり」と読むならば語順を逆にします。ただ、「蝉が天に広がる」というのも恐らく「蝉の声が空いっぱいに拡散していく」という意味でしょうが、承句の「碧に溶ける」と同じ形の比喩で、漢字だけを見ていれば何となく意味はわかりますが、感覚に頼っていては読者には伝わりにくいものです。
 なお、読み下しに書かれた「曠」は「廣」とは意味が異なりますので、気をつけましょう。


2010. 9.27                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第218作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-218

  在金剛峰寺奥院思局地紛争        

山上如秋晝亦涼   山上秋の如く 昼 亦涼し

蝉吟塋域暫徜徉   蝉吟の塋域 暫し徜徉す

往時敵手隣墳墓   往時の敵手 墳墓を隣にす

爾後英霊在廟堂   爾後 英霊 廟堂に在り

恐怖紛争今尚続   恐怖の紛争 今 尚続き

安全生活所皆望   安全な生活 皆 望むところ

捨憎用愛成西土   憎しみを捨て 愛を用ひ 西土(さいど)と成し

救濟難民和怛傷   難民を救済 怛傷を和らげん  

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 高野山上の金剛峰寺奥の院には、よくご存知のとおり、敵対した武将の墓が隣接しており、多分平穏に眠っておると思います。
 ところで、世界各地では局地紛争が続いていて、多数の難民が苦しんでおります。
 日本仏教の教えのように、憎しみを捨て、愛で西方浄土ができないものか、と念じております。たわけたことと、笑われそうですが。

<感想>

 点水さんの仰る通り、誰もが憎しみを捨てて愛を持って生きていけるのが一番で、「たわけたこと」とは全然思いません。
 ただ、紛争を擁護するわけでは決してありませんが、自分の家族を守るため、自分の信ずる神を守るために戦わねばならない人々にとっては、それも「愛」だと言えるわけで、そこが紛争の最も悲しく切ないところのように私は感じます。

 首聯の「徜徉」は「逍遥」と同じ意味で、「歩き回る」ということです。

 頸聯から話は転換するのですが、このままですと、頷聯の戦いが今もまだ続いているのかと思います。視点が変わった、話題の対象が替わったことを伝える必要があるでしょうね。「今尚続」「所皆望」の対も苦しいと思います。


2010. 9.27                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第219作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-219

  感時事     時事に感ず   

六月悲風大阪隈   六月 悲風 大阪の隈

箪瓢已盡積塵埃   箪瓢 已に尽きて 塵埃を積む

兩兒相倚無相語   両児 相倚って 相語ること無し

徒見晴天燕子廻   徒だ見る 晴天 燕子の廻るを

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 先ごろの大阪での育児放棄事件(3歳と2歳の姉弟が室内に置き去りにされ、餓死)の報道に触れ、書き上げたものです。

 それぞれ事情もあるでしょうし、いちがいに親御さんや、あるいは行政の対応を責める気持ちにはなれませんが、たった二人、いく日も母親の帰りを待ち続けたお子さんたちのことを思うと、とてもやりきれません。

 窓の外を見れば、ちょうどツバメが子育てのために飛び回っている季節。
例年ならば素直にほほえましい光景なのですが。

 結句は子供たちの視点のつもりであると同時に、作者の視点でもあります。

<感想>

 同じくらいの年頃の子供を持っている方はもちろん、私のように子育てからはもう離れて久しい人間にとっても、最近の幼児虐待や育児放棄のニュースは悲しく、涙を抑えきれません。

 詩は、まさに「六月悲風」という詠い出しが全てを語っているようで、ジーンとしてしまいます。
 転句の「相」の対も効果がよく出ています。
 結句は「空」でなく「徒」を使ったのは、作者の感情を抑制して、為す術も無いという状況を写したのでしょう。逆に、子供たちが無心のまま窓の外の燕を見ていたかもしれない、と思うだけでも涙が出てしまいます。

 胸の奥がかきむしられるような、二度と起きてほしくない事件です。


2010. 9.27                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第220作は 忍夫 さんから、同題で二首いただきました。
 

作品番号 2010-220

  経済難局(一)        

報道徒然伝壊崩   報道は徒然に壊崩を伝ふれど、

愚才不語世沈升   愚才は世の沈升を語らず。

無為只待時宜到   無為にして只時宜の到るを待てば、

可識春風自解氷   識るべし、春風の自ずと氷を解くを。

          (下平声「十蒸」の押韻)

<解説>

 これだけの経済不況ではなすすべもなく、時期が来るのを只待つしかないように思います。

<感想>

 忍夫さんから、同じ題の二首いただきましたので、私の方で区別のために題に数字を入れさせていただきました。

 経済難局だけでなく、最近は外交も難局を迎えて、ついつい右往左往していまいます。
「春風自解氷」や、次の詩の「覚醒日還昇」という気持ちで構えることができると良いのですが・・・・

 それぞれの句が高僧のお言葉のようで、そのまま掛け軸にしても良いくらいだと思います。その分、詩としては抽象的だとは言えますね。


2010. 9.27                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第221作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-221

  経済難局(二)        

人為不及世沈升   人為は及ばず、世の沈升、

只識無端懼壊崩   只だ端無なくも壊崩を懼るるのみ。

闇夜何如寝床裡   闇夜、何如くぞ寝床の裡、

清晨覚醒日還昇   清晨、覚醒すれば日還た昇る。

          (下平声「十蒸」の押韻)

<感想>

 こちらの詩も、前の作と用語も趣旨も重なりますので、作り始めたら二首出来てしまったということかもしれませんね。それだけこの詩題への作者の思いが濃いということでしょう。

 転句の「何如」の用法が良く分かりません、読み方もいただいた書き下しですとどう読んだら良いのか悩んでいます。そのせいでしょうか、転句の働きが弱く、結句を弱めているように思います。警句は簡潔さが命ですので、二句にまたがる冗長さは気になりますね。


2010. 9.27                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第222作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-222

  別離        

一陣松濤鳥語悲   一陣の松濤 鳥語悲し

遥雷白雨両心知   遥雷 白雨 両心知る

哀哀惜別林中臥   哀哀たる惜別 林中に臥す

暗澹誰憐是此時   暗澹 誰か憐まん 是れ此の時

          (上平声「四支」の押韻)

<感想>

 どなたとの別れの場面なのかは分かりませんが、前半に惜別の気持ちを象徴する風物を置いて、悲しげな雰囲気が全編に漂っていますね。
 ただ、承句の「両心知」は、二人の心が何を知っているというのか、わかりません。ひょっとすると、「遥雷」「白雨」も現実のことではなく、別れる二人の心象を象徴したのでしょうか。
 となると、転句の「林中臥」がそのまま生きてくるのでしょうね。実際に「白雨」(にわか雨)が降っているとすると、雨の中で横になったのかと疑問だったのですが。

 結句の「暗澹」は、その前にも「悲」「哀哀」、後にも「憐」と感情形容語がふんだんに入っていますので、どれかを削るつもりでないと、読者には「悲しい!つらい!さびしい!」と叫び声が聞こえるばかりで、逆に共感しにくくなりますね。


2010. 9.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第223作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-223

  寄鎮座一周年     鎮座一周年に寄す   

伊都國王靈域清   伊都國王の靈域 清らけく

古祠細石寂無聲   古祠 細石 寂として聲無し

石鎚山遠神心在   石鎚山は遠くとも 神 心に在します

鎮座一年天慶明   鎮座一年 天慶明らかなり

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 福岡市の西南部に位置する早良平野には、嘗て「早良王国」があった。
 その西側に広がる糸島平野には、かの『魏志倭人伝』にも記載されている「伊都国」があった。
 早良から伊都に通じる峠が「日向(ひなた)峠」である。

『記紀』に「筑紫の日向の高千穂の久士布流多気」と記されている天孫降臨の地名(たかす山、くしふる山)も残っている。我が国最大の仿製鏡が出土した「平原・三雲遺跡」は、その豪華な副葬品から女王墓であると推定されている。

 「石鎚神社龍王山大觀搖拝所・藤川信也道場」は、この三雲の中心地にある「細石(さざれいし)神社」の隣接地に位置している。鎮座祭の候(七月)は田植えの時期である。
 一帯には「豊葦原の瑞穂の国」と呼ぶに相応しい田園風景が残っている。

     日向峠越えて三雲の田植歌

<感想>

 この詩も兼山さんの前作「上石鎚山二首」と同時にいただいたものです。「鎮座一周年」がどこの話かわからなくて、少し遅らせてしまいました。

 この三雲から四国の石鎚山が遠望できるのですね。古代の人々も、同じように眺めていたのだと思うだけでもロマンがありますね。
 古代、ということでは、私もこの夏に韓国に行き、釜山・慶州を中心に南部を移動し、かつて新羅と百済の間にあったという加那国の遺跡を見てきました。数多くの古墳群や高床式の住居跡などを眺めつつ、古代の人々の生活を思い、文化の流れを感じてきました。
 高昌にあった「大加那(古墳)博物館」には韓国在住の日本人の方がガイドとしていらっしゃり、韓日交流の深い歴史を体現してくれたようにも思いました。
 話がずれてしまいましたね。伽那の話はまた後日ということで。

 兼山さんの詩では、転句の「神心在」を「神 心に在り」と読むのは苦しいですね。述語の前に主語が来る文法の関係で、「神心」が「在」となりますので、句としては「石鎚山は遠く、神の心が(そこに)在る」というところでしょうか。所在の場所を示す言葉は「在」の後、「在心」となればすっきりしますので、場所を変えるなりの工夫が要りますね。

 起句は二字目の「都」は本来は仄声でなくてはいけないのですが、「伊都国」という固有名詞を入れたための乱れですので、これは許されています。


2010. 9.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第224作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2010-224

  送大連京劇院白玉小姐去太原        

剣槍一把誉奇才   剣槍 一たび把れば 奇才を誉め、

麒麟武旦惜離開   麒麟の武旦 離開を惜しむ。

成敗一時君莫問   成敗 一時 君 問ふことなかれ、

到処江湖有舞台   江湖 到るところ 舞台あり。

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 鈴木先生 ご無沙汰です。
ニャースです。
相変わらず、大連にいます。

 親しい京劇女優さんが大連から太原に移ることになり、送別の詩を送りました。
添付写真は彼女の雄姿です。


 [訳]
 剣と槍をひとたび握れば、その才能をほめられる。
 大連京劇院の名武旦のあなたが大連を離れることに皆惜しんんでいる。
 一時の成功、失敗は気にかけること無い。
 あなたが行くところ、すべて舞台があるのだから。。

<感想>

 昨年の夏に中国の大連でニャースさんにお会いして、楽しい時間を過ごさせていただいたのが、つい先日のような気がしますね。
 もう一度お会いしたいと思っても、そうそう大連に行く機会はありませんので、本当に「三千里」の遠さを感じています。何よりも残念なのは、ニャースさんのお薦めの大連京劇を観劇できなかったことで、是非次回は実現したいと願っています。

 その京劇に関わる詩をいただきました。
 写真も添えていただきましたが、拝見すると、まだお若い女優さんのようですから、転句の「成敗一時君莫問」も励ましの言葉としてよく分かります。

 結句も、「舞台」は、京劇の舞台という意味と、一般的な活躍場所の両意を感じさせ、元気の出る良い句ですね。

 太原は李白の詩「太原早秋」の句、「夢は繞る辺城の月 心は飛ぶ故国の楼」を思い浮かべ、辺塞の地というイメージがありますが、現在はどうなのでしょう。

 句の平仄で言えば、順に「平句・平句・仄句・仄句」と並んでいて、反法粘法が切れています。粘法が切れる形はよく見られますが、反法もとなるとどんな詩の例があったか、ちょっと思い浮かびませんでした。


2010. 9.29                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第225作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-225

  春信        

春信東隣梅一枝   春信 東隣の梅一枝、

紅花数点現清姿   紅花数点 清姿を現す。

賞心自惜無朋訪   賞心自ずと朋の訪れ無きを惜しみ、

添画新篇欲贈誰   画を添へし新篇、誰に贈らんと欲す。

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 隣家に見事な紅梅がありまして、花が綻び始めますと毎年春の訪れを感じます。
 春の訪れを友と分かち合いたく、紅梅の写真を添えた詩をメールで送りました。

<感想>

 「春信」という題名にふさわしい、素材も心情も控えめな選択がされていて、作者の人柄が感じられるような、心がホッとするような詩ですね。

 ただ、起句の「東隣」はその通りなのでしょうが、「隣」となると転句の「惜」気持ちが弱く感じます。簡単に言えば、お隣さんも梅を眺めているだろうから、そこを訪問すれば良いではないか、ということです。
 もちろん、現代ではそうは行かないでしょうし、隣人と朋友とは違うというのも分かりますが、それは作者の好みの問題かなという気もします。
 自分の家の梅ではないのでちょっと遠慮されたのかもしれませんが、ここは図々しく、「隣」ではなくて「庭」「林」「園」などの設定にした方が、詩の奥行きが広がるように思います。


2010. 9.29                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第226作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-226

  九月詩 其一        

涼風一陣問柴扉   涼風一陣 柴扉を問ふ

遠岫碧窓秋気飛   遠岫碧窓 秋気たか

禾黍油油低地熟   禾黍油油 地に低れて熟し

村童早早逐牛帰   村童早々 牛を逐うて帰る

          (上平声「五微」の押韻)

<感想>

 芳原さんから、「ご無沙汰しました」とのお言葉と共に、詩を送っていただきました。
体調を崩していらっしゃったとのこと、もうよろしいのでしょうか。
 懐かしい仲間と再会したという思いです。また、楽しく行きましょう。

 炎暑もようやく去り、いくらか涼しさが出てきました。そんな季節の爽やかな雰囲気がよく表れていると思います。

 転句の「禾黍油油」は出典を言えば、『史記』に残されている箕子の「麦秀歌」になるのですが、これは国土の荒廃を歎いた詩ですので、直接の引用とはせず、「稲やキビがよく茂っている」様子と考えれば良いでしょう。

 結句の「村童早早逐牛帰」は夕暮れの定番の表現ではありますが、「逐牛」は現代ではまず見られない光景で、いかにも持ってきた、という印象は残ります。
 そこを狙って、隠者の住む別天地のような場面を出し、時間を超越した、のどかな雰囲気を出そうという気持ちかもしれませんね。。


2010.10. 3                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第227作も 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-227

  九月詩(其二)        

日斜山影展   日斜めにして 山影展ぶ

野廣鴃声飛   野廣くして 鴃声たか

稷熟和人聚   稷熟れて 人聚まり和む

田翁沽酒帰   田翁 酒を沽うて帰る

          (上平声「五微」の押韻)

<感想>

 承句の「野廣」は「野曠」で原稿はいただきましたが、読み方が「ひろい」でしたので、私の方で直しました。
 前作でもそうですが、「飛」を「たかし」と読んでおられますので、今回の「上平声五微」の韻目を選ばれた目玉、お気に入りのところでしょう。用例がすぐに思い浮かばないのですが、何かの詩から持ってこられたのでしょうか。

 後半は秋の村祭りの様子でしょうか。
 転句の「和人聚」は「和人 聚まる」と読むことになりますので、「稷熟聚人●」という形で「●」に人々の様子を表す語を入れれば収まるように思います。
 ただ、転句で人が集まって楽しい様子を強く出すと、結句にも「人」がありますから、その解釈が「(村人たちとは別に)田翁だけが」となります。
 作者自身である「田翁」がいそいそと酒を買って帰るというのどかさを出すには、転句を「実り豊かな秋」というイメージでまとめて、下三字には「人」を出さずにおく方が良いように思います。


2010.10. 3                 by 桐山人



 芳原さんから推敲作をいただきました。

先生のご指導に感謝とお礼を申し上げます。
険しい階段を又一段上がったような気が致しております。
ありがとうございました。

 推敲の結果、次のように改めました。

  日斜山影展   日斜めにして 山影展ぶ
  野廣鴃声飛   野廣くして 鴃声たか
  稷熟祭粢腆   稷熟れ 祭粢腆し
  田翁沽酒帰   田翁 酒を沽うて帰る

2010.10.29                 by 芳原


 推敲された「祭粢腆」は「神様へのお供え物がいっぱいだ」という意味で、「実り豊かな秋」の趣をよく表していますね。
 全体のまとまりがとても良くなったと思います。


2010.12.18                 by 桐山人























 2010年の投稿詩 第228作は 酔歩 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-228

  喜先輩息災        

炎炎一洗大兄信   炎炎を一洗するような大兄のうれしい信

無恙風流詩興新   恙なく風流に、詩興も新たであろう

辛苦門兄治内事   辛苦だった門兄の内事も治まったという

重陽華香酒千巡   重陽には、華香(会)で酒を千巡したいものだ

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 音信なく、元気かどうか心配していた大先輩から「元気だよ」と暑中見舞いが来て安心し、今年の猛暑もどこかへ消えてしまった。
 さぞ、風流を楽しんで、詩作も進んでいるのではないか。
 辛かった門兄(人名)の、家庭の事情と本人の病気も平癒した。
 久しぶりに、今年の重陽の節句には華香会(メンバーの頭文字から「KAKO」会と名付けた)で、集まって、酒に菊花を浮かべて飲みましょう。


<感想>

 後漢末の鄭玄(じょうげん)という人は、自身の送別の宴で出席者三百人から盃を受けても決して酔わなかったと言われています。このことを用いたのが、李白の「将進酒」の一節、「会須一飲三百杯」なのですが、酔歩さんは「酒千巡」、華香会の人数は「頭文字から」とありますので四人かと思いますので、単純計算しても皆さん大酒飲みの集まりのようですね。

 起句は「大兄信」とありますので、承句は当然その内容かと思いましたが、「無恙」だけで終わってしまい、調子が外れてしまいました。
 この展開ならば、起句の「大兄」を止めて(「兄」の字の重複もありますので)、「無恙」の意味を含ませて「好音信」と一まとめにした方が良いと思います。

 結句は四字目の「香」は会の名前と重なって面白いのですが、平声で「二四不同」が崩れていますので、残念です。


2010.10. 5                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第229作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-229

  異常気象        

異常氣象已平生   異常氣象 已に平生

豪雨驕陽今不驚   豪雨驕陽 今や驚かず

逃避炎威防中暑   炎威を逃避 暑に中るを防ぎ

排除水患得財成   水患を排除 財成を得たり

豫知危険雖難事   危険の豫知 難事と雖も

保定安全可盛行   安全の保定 盛行すべし

温室化彌深刻化   温室化は いよいよ深刻化し

適當對策必須明   適當な對策 必須 明なり

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 この夏の異常気象も、もう平生と思はざさるを得ない状態となってしまいました。
 それど、なんとか、水害もなく、熱中症にもならず、過ごすことができています。  しかし、この気象の根幹となっている、温室化(地球温暖化)の対策は真剣に取り組む必要がありそうです。

そんなことで、つくりました。

<感想>

 おっしゃる通り、毎年、「今年は異常だ」「観測史上の最高」という言葉を聞いていますと、「異常が平生」という第一句の逆説も納得できますね。
 熱中症という言葉がこの夏の流行語だったなぁと詩を拝見しながら、しみじみと思いだしていました。

 暑さや寒さに対して「危険」とか「安全」と訴えるのは感覚的には疑問があるかもしれませんが、世界の温暖化が気象異常や水害などの災害を生んでいると考えてのことだと、頸聯については理解しました。
 ただ、「保定安全」は言葉がまだ固い印象です。

 尾聯の「温室化彌深刻化」もこなれていないし、最後の「明」も意味がはっきりしないので、この聯はもう少し、咀嚼が必要かと思います。


2010.10. 5                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第230作は 楽聖 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-230

  書感        

情熱朝朝旺   情熱 朝朝として旺んなり

楽師心自寛   楽師 心 自ずから寛し

好音吾宿志   好音 吾が宿志

何日欲成歓   何れの日にか歓を成さんと欲す

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 朝から情熱が上がってきて音楽家としての気持ちが広い。
 いい音楽を作ることが宿命なのでそれをもって自分の幸せにしたいと思う。

 宿言志ですね。ま、ちょっと難しいかったので、いつかまた書いてみたいと思います。

<感想>

 「宿言志」は「宿志」と「言志」を重ねたのでしょうか。すみません、勉強不足で。

 起句の「情熱旺」と承句の「心自寛」が温度差がある感じで、「音楽家としての気持ちが広い」という感覚になかなか近づけないところです。

 後半はまさに楽聖さんの「志」であり、是非実現して欲しいなぁという気持ちになります。


2010.10. 5                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第231作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-231

  秋日愁老        

我老消光裏   我は老ゆ 消光の裏

頬凹思理衰   頬くぼみ 思理衰ふ

窮経至今邈   窮経は今に至るもとお

無奈乏吾才   吾が才の乏しきはいかんせん

          (上平声「十灰」の押韻)

<感想>

 歳を取ることを歎くお気持ちはよく分かります。私自身、記憶力の衰退やら、ひとつの物ごとを判断するのにやたらと時間がかかるようになったことやら、自制心も向上心も薄くなってきたことなど、まあ、拾い出すときりがないくらいですね。

 ただ、まあ歎いていても仕方がないことも分かっていますので、最近はもがくのをあきらめて、そうすると更に向上心が抜け落ちていくので、悟りの境地はどこまで行けば辿り着けるのか、難しいものです。

 芳原さんの今回の詩は、起句で主題を述べ、承句以下でその具体例を示すという展開ですが、もう少し、外形的なことを書いた方が良いですね。どの句にも心の面の老いが描かれていますが、せめて承句だけでも外面だけに描写を絞ると良いでしょう。

 結句は「いかんともするなし」と読み下しをしなくてはいけないです。意味はそれほど変わりませんが。


2010.10.24                  by 桐山人



 芳原さんから推敲作をいただきました。


 推敲の結果、次のように改めました。

  我老消光裏   我は老ゆ 消光の裏
  頬凹歩歩衰   頬くぼみ 歩歩衰ふ
  窮経至今邈   窮経は今に至るも邈く
  無奈乏吾才   いかんともする無し 吾が才を乏しうせしを

2010.10.29                 by 芳原


 推敲によって外形的なものが入りました。
ここには何でも入るわけですので、読者それぞれが自分のことを考えてみても面白いかもしれません。

 芳原さんは「歩歩衰」を入れましたが、自分の歩く姿を眺めるわけで、ここは街角のショーウィンドウに写る自分の姿を見てドッキリしたというような場面が目に浮かびますね。
 私は「顔色衰」あたりを考えていました。

2010.12.18                 by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第232作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-232

  於蹴球南阿弗利加大会降強豪l馬  
    蹴球南阿弗利加大会に於ひて強豪l馬(デンマーク)を降(くだ)す  

蹴球跳躍若飛鷹   蹴球跳躍 飛鷹の若(ごと)し

攻守應酬奔走能   攻守応酬 奔走能(よ)し

敵陣遂穿三弾雨   敵陣遂に穿(うが)つ三弾雨

扶桑電映喚聲騰   扶桑の電映 喚声騰(あが)る

          (下平声「十蒸」の押韻)

<解説>

 平成22年(2010)6月25日未明、南アフリカ共和国ルステンブルク・ロイヤルフォケング競技場において開催されたFIFAW杯大会において、日本は強豪デンマークを3対1で降し、2大会ぶり二度目の決勝トーナメント進出を決めた。(その後の試合結果では初の8強入りは、ならなっかたのは皆様ご案内のとおり)

 ちなみにサッカー・ワールドカップ南アフリカ大会で活躍した、長友祐都選手は本県西条市のご出身で、本年7月20日「愛媛県文化・スポーツ賞」が加戸守行知事より県庁で授与されました。

愛媛県庁公式ホームページ

スポーツナビ|試合速報/詳細|デンマーク 対 日本



<感想>

 ワールドカップから丁度4ヶ月が過ぎましたが、随分昔のことのような印象がするのも、これも老化のせいかとふと思ったりもしますが、金太郎さんの詩を拝見しながら、「そうそう、決勝トーナメントに進む」と決まった時は喜んだことを思い出しました。
 大会前の日本の評判は決して良くはなく、岡田ジャパンは早々と消えるかという(どちらかというと冷やかな)論調が多かったように思いますが、勝てば一気に評価が変わる、結果が大事な世界ではありますが、豹変する周囲の方が気になりましたね。

 サラリーマン金太郎さんはテレビの中継を見続けておられたのでしょうか。詳細な描写で、臨場感がよく出ていますね。翌日のお仕事は眠くありませんでしたか?

 結句の収束も、ワールドカップの雰囲気を伝えていると思いました。


2010.10.24                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第233作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-233

  幕末四賢侯越老公與土翁公     幕末の四賢侯 越老公と土翁公と   

後継將軍推戴謀   後継将軍の推戴を謀り

却蒙譴責蟄居憂   却(かえ)って譴責(けんせき)を蒙(こうむ)り蟄居して憂ふ

輔車脣歯提携固   輔車脣歯 提携固く

廟議復権歸兩侯   廟議の復権 両侯に帰す

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

「越老公」: 前越前藩主 松平春嶽
「土翁公」: 前土佐藩主 山内容堂

「幕末四賢侯」については、ウィキペディア日本語版での「幕末四賢侯」で。

 承句は大老 井伊直弼による「安政の大獄」を指します。

 転句の「輔車脣歯(ほしゃしんし)」は、一方がだめになると、他方もだめになってしまうような、お互いが助け合うことにより、成り立つ関係のたとえのことです。もちつもたれつの関係をいいます。
 輔車唇歯の「輔車」は頬骨(ほおぼね)と下あごの骨のことで「唇歯」はくちびると歯で、一説に車の添え木と車ともいって、他にも説があります。くちびると歯や頬骨と下あごの骨は、切っても切れない密接な関係にあることから言います。「唇歯輔車(しんしほしゃ)」ともいいます。「唇」は「脣」とも書きます。
 ここでは両公の友情の深さと、提携して幕末維新の政局に臨んだことを表現しました。

 結句について、両公の政治心条は「公武一和」政策の推進、「公武政体」政権の樹立であり、大政奉還はするものの天皇の下に議会を開設し当面はその議長に徳川慶喜公を推戴する立憲君主体制への穏健な移行でした。
 しかし、この政権交代構想は軟弱として、薩長両藩は武力倒幕路線を展開し、幼帝を推戴して廟議を恣にし(「小御所会議」)王政復古の大号令が煥発されることになります。
 したがって政治的スタンスとしては微妙なところもあるのですが、結果として尊王藩ではありながらも親徳川の両公も、維新前夜の煮え切らない慶喜公の言動に見切りをつけ、共に明治新政府の重職を得て「朝威の復権」に尽力されたわけで、両公を敬慕する私としては結句をこのようにまとめた次第です。


 創作の背景は以下の通りです。

 両公は「幕末の四賢侯」と称せられた俊英の大名で、肝胆相照らす歳もひとつ違いの熟友であった。彼らが生きた幕末、将軍継嗣問題が起きた。黒船が来航した嘉永六年(1853)、十二代将軍家慶が病死し、後を継いだ十三代将軍家定は挙動が常人と異なり、泰平の御世ならいざ知らず、挙国一致して内憂外患の政情を統っていくには、とてもじゃないが任に耐えられる人ではなかった。
 そこで、家定を補佐するに足る有能な継嗣をたてることが緊急の政治課題であるとして、浮上したのが「安政の将軍継嗣問題」だ。一人は紀州藩主徳川慶福(後の14代家茂)であり、もう一人が一橋慶喜(15代最後の将軍)である。
 そして、どちらを支持するかで二大派閥が形成され、慶福支持派は「南紀派」、慶喜支持派は「一橋派」と呼ばれ幕政を二分する大政争へと発展していった。

 今回詩題とした両公は共に「一橋派」の有力諸侯として朝廷をも巻き込んで難局収拾に挺身した。が、結局「南紀派」に敗れ、安政五年(1858)、大老井伊直弼により隠居謹慎の処分を受けた。(安政の大獄)

 このような背景があり、起句と承句では慶喜を一目見るなり、将来頼もしい英明なる君主の相と看破・嘱望して、共に継嗣運動に邁進したものの政争に敗れ処分を受けたことを記した。

<感想>

 詳しく解説を添えていただきましたので、作詩のお気持ちなどもよく分かりました。

 前半は、幕末の政治における激動の場面ですが、この二句でまさに政争をドラマチックに描いていて、歴史の勉強をした後のような気持ちで、なるほどと感心しました。

 転句は前半を受けて、「しかしながら」と逆接でつないでいるのも分かりやすいと思います。

 結句は「廟議復権」として「朝威復権」と同じ意味で使われたように感じます。それならば「興復朝威」でも良いのでしょうが、将軍擁立に関わった幕府側の「両侯」の行動としては分かりにくいので、「廟議復権」として、「朝廷内での復権」、つまり明治政府になって「両侯」が復権したという意図を添えたのでしょう。
 安政の大獄の頃から明治維新後までの話になりますので、時間的に広がり過ぎる印象は残りますが、七言絶句ですので、ぎりぎりに絞り込んで凝縮された金太郎さんのお気持ちがよく感じられます。


2010.10.25                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第234作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-234

  憩山中        

塵界沾襟汗自流   塵界 襟を沾して 汗自ら流る

雲峰招我散先憂   雲峰 我を招き 先憂を散ず

独聞松韻溪嵐閟   独り聞く 松韻 溪嵐閟(とざ)す

興正無窮消夏遊   興正に窮り無し 消夏の遊

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 下界の暑さに耐えかねて、山中に一人憩うという趣の詩ですね。
 今年はとにかく異常なくらいの暑さでしたから、こうして山に入っての爽やかさはひとしおだと思います。

 起句が下界の様子ですので、対応する承句も具体的な叙景がもう少し欲しいところです。
 また、「散先憂」「興正無窮」と同じで感情を表す語ですので、詩自体がやや散漫な印象になります。
 結句を生かして、承句の下三字は「雲峰」がどうなのかを描くと、全体のバランスも良くなるでしょう。


2010.10.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第235作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-235

  展墓(阿波山中伴稚孫拝先塋) 
      展墓(阿波山中に稚孫を伴ひて 先塋に拝す)

山丘静寂度涼風   山丘 静寂にして 涼風度り

展墓無邪戯幼童   展墓 無邪 幼童戯る

夏日一舟漁碧澗   夏日 一舟 碧澗に漁り

午時層圃耨蒼穹   午時 層圃 蒼穹に耨(くさぎ)る

何人漂泊村閭到   何れの人か 漂泊して 村閭に到り

累世精勤誉望隆   累世 精勤して 誉望隆たり

孫輩雕肝父祖血   孫輩 雕肝せよ 父祖の血の

今流脈脈汝身中   今に脈脈と汝が身中に流るを

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 先日、孫どもを連れて徳島の山村にある両親、先祖の墓参りに行ってきました。
 孫たちに我が一族のルーツを見せておきたかったのですが、果して記憶に残ったでしょうか?

頸聯は、我が家は代々村の神主を務めていたのですが、家の伝承です。

<感想>

 頸聯の伝承ということですと、禿羊さんの遠いご先祖はお墓のある「徳島の山村」にふとたどり着き、そのまま住み着いて代々神主さんを務められたというわけですね。

 そのルーツへの思いは、お孫さんにはすぐには伝わらないかもしれませんが、伝えたいというお気持ちそのものがまさに「脈脈父祖血」であるわけで、それは必ず残され伝えられていくものだと思いますよ。

 結句の「今流」がやや甘いので、「至今」あたりでどうでしょうか。


2010.10.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第236作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-236

  納涼        

倦書来追河畔涼   書に倦んで来たり追ふ 河畔の涼

画橋影暗帯斜陽   画橋の影暗うして 斜陽を帯ぶ

帰烏啼過長夏消   帰烏啼き過ぎて 長夏を消す

紅酔芙蓉冷石床   紅酔の芙蓉 石床に冷やかなり

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 知秀さんの詩を拝見するのは久しぶりですね。
少し体調を崩されていたそうですが、もうよろしいでしょうか。
 桐山堂では女性の方の仲間が多くはないので、知秀さんの詩を拝見するのがとても楽しみです。これからもどんどん詩を送ってくださいね。

 平仄の合わないところが二箇所、起句と転句です。転句は「長夏消」を「消長夏」とすれば済みますが、起句の二字目の「書」は難しいですね。「倦書」で物語のような流れとリアリティが出て味わいが出ていますので、無理に合わせないで行くか、「午熱」「一夕」あたりで、一応句として通じさせておいて、ゆっくりと言葉選びをするか、というところでしょうね。

 全体的には、知秀さんののびやかな視線が感じられる好詩だと思います。


2010.10.28                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第237作は 展陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-237

  初秋        

碧天千里稲雲黄   

落日微風帯早涼   

枕側披書耽夜讀   

徐徐熟睡夢中忙   

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

[意訳]

  碧天千里 稲雲が黄なり
  落日微風 早涼を帯びる
  枕の側に書を披き 夜讀に耽る
  徐々に熟睡したが 夢の中で忙しい

「稲雲」: 見渡す限りの稲穂
「早涼」: 秋の涼しさ

<感想>

 うーん、今回の詩は分かりにくいですね。

 起句の「千里」「碧天」を受けているのでしょうが、読者の読み方としては、下の「稲雲黄」も広がりを出していますので、当然かかるものとして考えます。
 そうなると、この「千里」は広がりすぎているように思いますね。
 ここは構成としてバランスが悪いわけで、遠い視点を持ってくるならば、承句の「落日」(夕陽)を起句に持ってきた方が良く、逆に地上を表す「稲雲」は承句に置くと落ち着くでしょう。
 ただ、季節的に「初秋」に「稲雲黄」が合うのかは疑問が残りますが。

 結句の「夢中忙」は、夢の中で何が忙しいのか、これはもう少し説明していただかないと理解できないと思います。そこが分からないから、ということもあるかもしれませんが、転句以降の後半は、場面も時間も転換していて、唐突な感じです。つながりが弱く、前半からどうしてこの後半が来るのか、詩全体として何を言いたいのかがはっきりしません。
 結句に季節を表す言葉を加えると、それが解消されるかな、と思いますのでご検討ください。



2010.10.29                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第238作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-238

  結婚五十年        

相扶互恵赤縄縁   相扶互恵 赤縄の縁

偕偶清魂五十年   偕偶清魂 五十年

回首人生只如夢   首を回らせば人生只夢の如し

金婚深喜謝君賢   金婚喜びを深くして君が賢なるに謝す

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 金婚式をお迎えになり、おめでとうございます。
 五十年の歳月を振り返れば、きっと「只如夢」というお言葉も実感からのものでしょうね。

 お互いに助け合って元気でいないと「結婚五十年」は迎えられないわけで、起句の「相扶互恵」の言葉に想いが集約されているように思います。

 承句の「偕偶」は「配偶」と同意ですが、「清魂」のところは「同魂」とした方が句意に合うでしょう。


2010.10.29                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第239作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-239

  赤穂浪士討入後日談        

君仇雪辱仰欽深、   君仇の雪辱 仰欽(ぎょうきん)深く、

禮待終生勝萬金。   終生を礼待するは 万金に勝る。

昆後如何報恩澤、   昆後 如何して 恩沢に報いん、

櫨苗寄贈示眞心。   櫨苗(ろびょう) 寄贈して 真心を示す。

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 投稿詩2010−151のサラリーマン金太郎さんの「越台播州赤穂友好記念樹由来」を拝見しての作です。
 何故ハゼノキを後世の人が贈ったのか分からず、また何時頃贈られたのかも分かりませんが、熟慮長考してみれば「花言葉=真心」ではないかとの結論に達しました。
 であれば四十七士が預けられた四家の都てに贈られたのではないでしょうか?と思いました。


「仰欽」: (討ち入りを)仰ぎうやまう。
「礼待」: 赤穂浪士のお預け先。細川・松平・毛利・水野の四家をさす。
「終生」: ここでは浪士が切腹したことを言う。
「昆後」: 後世の人、ここでは赤穂の市民。
「櫨」:  ハゼノキ。

<感想>

 サラリーマン金太郎さんの解説では、ハゼの木は赤穂藩特産だったとのことですね。
 調べてみると、ハゼの木は中国原産で、日本に入ってきたのは安土桃山時代、蝋燭のロウを取り出すために栽培されたそうですが、そういう意味では当時は貴重な樹木だったのでしょうか。

 金太郎さんの詩は贈られた松山藩の側からのものでしたが、こちらは赤穂藩からのお気持ちを当時に戻って描かれた内容になっていますね。


2010.10.29                  by 桐山人






















 2010年の投稿詩 第240作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2010-240

  追想東京裁判        

東京裁判理非存   東京裁判 理非存し

辨護邦家吐正論   邦家を弁護して 正論を吐く

彛法精神破邪法   法の精神は 邪法に破らるるとも

今猶靖國捧芳魂   今猶 靖国に 芳魂を捧ぐ

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 同じく、サラリーマン金太郎さんの2010−171、「讃印度巴爾判事」を見て作る。

 転句の意味:(彛法は人の守るべき道)勝者が敗者を裁くことを、パール判事は指摘した。

<感想>

 こちらの詩も、金太郎さんの詩を読んで作られたものですね。

 結句の「芳魂」はパール判事のことで、顕彰碑が靖国神社に建立されたことを指しているものでしょう。
 ただ、その事情を知らない(解説が無い)と、「靖国」のインパクトが強いので、この句のみが一人歩きする危険があるように感じます。


2010.10.29                  by 桐山人