2009年の投稿詩 第181作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-181

  訪首夏故郷        

懸崖瀑布洗塵煩   懸崖の瀑布塵煩を洗ひ

裂帛新鵑絶俗縁   裂帛の新鵑俗縁を絶す

四弁皓花清渓岸   四弁の皓花清渓の岸

吟行信歩入孤村   吟行歩に信(まか)せて孤村に入る

          (上平声「十三元」の押韻)


 杜鵑鳴き交はしゐる山峡のたぎつ瀬覆ひ山法師咲く

<解説>

<感想>

 以前に知秀さんからいただいた詩ですが、ブログを拝見すると八月にお病気されたようですね。随分と冷え込むようになってきましたが、お身体はいかがですか。

 知秀さんからは、漢詩とともにいつも和歌も添えてくださるのですが、今回は立体感のある歌で、漢詩での「四弁皓花」が「山法師」に当たって、色彩も鮮やかですね。

 詩の方は、転句は「皓花」と色が出ていますので、「清」に色を置いても面白いかと思います。

 承句の「絶俗縁」は韻を合わせて「絶俗魂」に、転句の「渓」「澗」にしておくと良いでしょう。


2009.11.10                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第182作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-182

  弔十一庄屋辞世四百年     十一庄屋の辞世四百年を弔ふ   

茸茸苔蘚掩残碑   茸茸たる苔蘚 残碑を掩ふ

侠骨里魁知者誰   侠骨の里魁 知る者は誰ぞ

松下低回孤弔古   松下を低回して 孤り古を弔ふ

焚香欲詠断腸詞   香を焚き詠ぜんと欲す 断腸の詞

          (上平声「四支」の押韻)


<解説>

 今を去る四百年前の慶長十三年十月、郷里岩国山代の地に、移封後間もない毛利藩の検地による過酷な年貢に抗議して一揆が起こる。
 後年陸続として起こる一揆の嚆矢といわれる。

 翌年三月二十九日、その責を負わされ十人の庄屋と一人の畔頭が処刑梟首にされる。わが、祖母方の遠祖宇佐郷村の庄屋山田兵兵衛も連座処刑されたと伝えられる。

 詳細は「山代慶長一揆

 [語釈]
「茸茸」: 乱れ茂る。
「侠骨」: 勇気ある風格。
「里魁」: 庄屋・村長。

<感想>

 起句の「残碑」から承句の「侠骨里魁」へとつなぐのは、やや苦しいところがあります。特に、多くの人に知られていない史実(「知者誰」)ですので、作者にはもちろん分かっていることでも、読者にはある程度導入を施さないといけないでしょう。

 詩全体を眺めると、起句と結句をすっぽり入れ替えると、インパクトも強くなり、句の展開もそれほど無理が無くなって良いように思いますが、いかがでしょうか。

2009.11.10                  by 桐山人



深渓さんからお返事をいただきました。

 お手数をお掛けしますが、先生仰せのように起句と結句を置き換えますと意味が通じます。
そこで、

  焚香欲詠断腸詞   香を焚き 詠ぜんと欲す 断腸の詞
  侠骨里魁知者誰   侠骨の里魁 知る者は誰ぞ
  松下低回孤弔古   松下を低回して 孤り古を弔ふ
  葺葺苔蘚掩残碑   葺葺たる 苔蘚 残碑を掩ふ

 とさせて頂きます。


2009.11.19                by 深渓





















 2009年の投稿詩 第183作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-183

  白雨        

東峰雲起洛中来   東峰に 雲起ちて 洛中に来り、

倏忽天昏白雨催   倏忽 天昏くして 白雨を催す。

殷殷街頭珠跳地   殷々たる 街頭 珠は地に跳ねて、

泰然仏閣映惊雷   泰然たる 仏閣 惊雷に映ず。

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 京都東寺の五重塔のことを詠んだものです。
 夕立の中、稲妻に映しだされる五重塔の漆黒の姿に佛威を感じました。

<感想>

 結句の「惊雷」は「驚雷」のことでしょうか。「惊」の字は「驚」の簡体字ですが、漢詩で使えば「冷たい」と読むことになります。ここで簡体字をわざわざ用いる意図は私には分かりませんので、お教えください。

 転句の「殷殷」は雷の鳴る大きな音を表しますが、「殷殷街頭」はという修飾はどうなのでしょう。普通に考えれば「殷殷」の音が聞こえてくるのは空の方で、街が音を出しているわけではないと思います。ここは「町は暗くなって」としたいのですが、承句で「天昏」としたために、音を出すしかなくなったのでしょうか。違和感が残りますので、一考してください。

2009.11.10                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第184作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-184

  露天風呂        

深山涼味暮蝉天   深山の涼味 暮蝉の天、

羈旅疲身浸碧泉   羈旅の疲身 碧泉に浸す。

最好暫時忘世煩   最も好し 暫時 世煩を忘れ、

虚心只在老松前   虚心 只在り 老松の前。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 下呂温泉に投宿したときのことです。石造りの露天風呂に浸かり、ただ山緑と蝉声の中にいると、世の煩わしさを忘れてしまいます。何も考えなくてよい時間の大切さを感じました。

<感想>

 「露天風呂」という日本的な題名がもったいないような詩です。そのアンバランスが作者のねらいかもしれませんが。
 この題で行くならば、結句を「老松前」で終わるよりも、ここで「泉」を持ってきたいですね。詩の結びですのでどうしても題の「露天風呂」が頭に残るため、「老松前」も風呂から素っ裸で松の木の前に立っているような、妙な滑稽さが出てしまいます。

 語句のことで言えば、承句の「疲身」は違和感があるのですが、「労身」の方が良いのではないでしょうか。

2009.11.10                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第185作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-185

  夏日海村(自北条鹿嶋望伊豫二見)        

蒸暑難堪脱俗銜   蒸暑堪へ難く俗銜(ぞくかん)を脱す

遥望彭湃疾風帆   遥かに望む彭湃(びょうはい)風帆疾し

相對豫海斜陽裏   相対す予海 斜陽の裏(うち)

恭識神威夫婦巖   恭しく識(し)る神威の夫婦巌(めおといわ)

          (下平声「十五咸」の押韻)

<解説>

 故郷北条鹿嶋には「伊予の二見」と美称される夫婦岩があります。炎暑を避けて納涼船で鹿嶋に渡り、二見を拝した時の作です。

  岩ありて天つ日ありて海ありて伊予の二見はかしこかりけり   吉井勇

 昭和三十五年十月,全国を歌行脚の吉井勇は,鹿島を訪れ,鹿島の裏側に浮かぶ千切鹿島の玉理,寒戸島の景観を賞して,この歌を詠んだ。
 以来、伊予の二見,夕日の二見と称せられ,毎年五月にはシメ縄が架けられることになった。

  「(画像:「松山ブログ」より)

<感想>

 愛知県に住んでいる私は、「二見」と言われると三重県の鳥羽の夫婦岩しか頭に浮かばなかったのですが、伊予にもあるんですね。鳥羽は朝日、伊予は夕日の二見かな、という感じでしょうか。

 転句の「相對」は、意味としてはこれが一番良いですが、平仄のことで見れば、「對」に他の字、あるいはこの二字を検討されると良いかもしれませんね。

 結句は、初めて分かったのならば「識」でも良いのですが、故郷ということで馴染みの地でもあるようですので、私としては「恐悦」として自分の感情をここで出しても面白いかと思いました。


2009.11.10                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第186作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-186

  夏夜棹舟        

傾杯望月泛軽舟   杯を傾け 月を望み 軽舟を泛ぶ

渡水西風疑爽秋   水を渡る西風に 爽秋かと疑ふ

籠火幾條楊柳岸   籠火 幾條 楊柳の岸

螢光千点荻蘆洲   螢光 千点 荻蘆の洲

香魚躍動舷邊泳   香魚は躍動 舷邊を泳ぐ

烏鬼潜行口内収   烏鬼は潜行 口内に収む

已過二更三伏夜   已に二更を過ぐ 三伏の夜

忘懷微酔納涼游   忘懷 微酔 納涼の游

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 鵜飼の鵜を「烏鬼」ということを辞書を調べて、やっと知りました。
 大分以前のことですが、長良川の鵜飼を見たのを思い出しながら、習作しました。

<感想>

 鵜飼いと「烏鬼」については、昨年井古綆さんから投稿いただいた「清流長良川(2008-208)」の感想で書かせていただきましたが、真偽は別として、「烏鬼」として「鵜飼い」と解するのが現在の通り相場のようです。

 かたや籠火が燃え、目を暗闇の岸に転ずれば螢の群舞、思い出しての表現とのことですが、臨場感のある練られた対句だと思います。
 第七句の「更」は時刻で用いれば平声(他にも「あらためる」の意味も平声)、「さらに」の意味では仄声になる両韻字です。「二更」は、今の時刻では午後九時から十一時の間くらい、そこに「三伏」と数詞を重ねたのが工夫のところですね。

2009.11.10                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第187作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-187

  秋来        

曽水古津昏暮時   曽水 古津 昏暮の時

柳堤夕靄影参差   柳堤 夕靄 影 参差たり

田畦荷葉揺風冷   田畦 荷葉は揺るる 風の冷たきに

草径蛩声告季移   草径 蛩声は告ぐる 季の移るを

鬢霜更加懐暗暗   鬢霜 更に加へて 懐 暗暗たり

縟耕只息刻遅遅   縟耕 只息みて 刻(とき) 遅遅たり

匏身一箇凭藜杖   匏身一箇 藜杖に凭たげ

日日無為賦拙詩   日日 為す無く 拙詩を賦す

          (上平声「四支」の押韻)

<感想>

 「秋来」という題名ですので、季節の変化をどう表すかという点が興味深いのですが、それが表れるのは頷聯だけですので、物足りなさを感じます。詩自体は真瑞庵さんの持ち味のしっとりとした趣がありますので、「初秋即事」のような題名に替えるのが良いと思います。

 その頷聯は、対句で対応させると「揺風冷」は「風の冷たきを揺らし」と目的語として読まなくてはいけませんので、文意が分かりにくくなりますね。

 頸聯については、上句は「鬢霜」「霜鬢」としておかなくてはいけませんね。

2009.11.14                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第188作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-188

  夏日山行        

欲避炎威上峻岑   炎威を避けんと欲して 峻岑(しゅんじん)を上り

行聞樵徑亂蝉吟   行(ゆくゆく)聞く 樵径(しょうけい)乱蝉吟ずるを

山巓方好坐雲榻   山巓(さんてん)方に好し 雲榻(うんとう)に座し

俯瞰青田連碧潯   俯瞰すれば青田碧潯(へきじん)に連なる

          (下平声「十二侵」の押韻)

<感想>

 爽やかな景色が目に浮かびますね。実際にどこの山に行かれたのかは分かりませんが、詩はスケールが大きく、自分が仙人にでもなったような気持ちになれます。

 特に、結句の「青田」「碧潯」は青の濃さの違いが奥行き感を出しており、工夫の効果が生きていると思います。

 どの句もよく錬られていますが、特に後半は無駄が無くて良いですね。その後半の感覚で見ると、承句の「行聞」はもう一工夫、推敲の余地があるように感じます。

2009.11.14                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第189作は 赤龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-189

  酔夢中        

炎威焦土暑如烘   炎威土を焦がして 暑さ烘くが如し

昼漏無人午熱空   昼漏 人無く 午熱の空

入夜雷車蘇万物   夜に入りて 雷車ありて万物を蘇す

清風一枕酔夢中   清風 一枕 酔夢の中

          (上平声「一東」の押韻)

<感想>

 夏の耐えられないような暑さが、夜になっての雷雨で収まり、ほっと一息ついてゆったりと眠りに就いたという時間の流れがはっきりとしていて、結句の「清風」への喜びに共感できる詩ですね。

 承句の「午熱」は前半と重複が強いことと「空」は「空(むな)し」と読むのが妥当です。場所を表す言葉を入れて、「□□空し」とするのが良いでしょう。

 転句についてですが、「万物」を実際に潤すのは雨であり、光と音だけの雷が「蘇」の主語では何か腑に落ちません。やはり、「一雨欲しい」というところでしょうね。

2009.11.16                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第190作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-190

  悼伊藤和也君        

遥於異境受拘擒、   遥か異境に於いて 拘擒を受け、

不耐青年聽訃音。   耐へず青年の 訃音を聴くを。

始識尊君確乎志、   始めて識る 尊君の確乎たる志、

利他眞髄惜純心。   利他の真髄 純心を惜しむ。

          (下平声「十二侵」の押韻)



<解説>

 伊藤和也さんは、2008年8月26日アフガニスタンで、復興支援を続けていた「ペシャワール会」の伊藤和也さんが4人組の武装グループに拉致され、その後殺されました。

<感想>

 井古綆さんのこの詩は、世界漢詩同好會第22回総会の折にいただいたのですが、内容的にこちらの一般投稿の方が良いかと思い、ご本人にも了解を得て掲載しました。
 恥ずかしいことに、私は題名を読んだ時に事件をすぐに思い出せませんでした。たった一年前のことなのに、申し訳なく思います。掲載があまり遅くなっては、作者のお気持ちに外れるでしょうから、ここに掲載しました。

 詩としては、前半が読みづらく感じます。起句の「於」の使用、承句の「聴」の位置、また、承句で作者の感情「不耐」が出ていること、などが理由だと思います。
 後半はお気持ちが素直に表れていて、すっきりしていると思いました。

2009.11.16                  by 桐山人



井古綆さんからお返事をいただきました。

 拙詩を越級してこのように早く掲載してくださり、有難うございます。
ご好意に感謝いたしますと同時に、門下の諸兄には深くお詫びいたします。

 作詩の経緯を説明いたしますと、あの痛ましい事件から今年の八月で一年が過ぎました。
あの悲しい訃報を聞いて全国民は悲しみの涙を流さない人はなかったと思います。
しかしながら人の心は移ろいやすく、今では多くの方々は恐らく忘れ去っていると思います。
これは現代の世相が余りにも早く変化しているためで仕方のないことでしょう。

 丁度先回の日中韓の交流詩がありましたので、原作の韻を変えて応募しました。
不肖わたくしは、作詩の目的には弱者とか社会に貢献された人々にも目を向けるように啓発を心がけています。

 鈴木先生のご批評有難うございました。おっしゃる通りだと思います。

 原作の詩を下記いたしますので、お閑な時で宜しいですので批正をお願いいたします。

    悼伊藤和也君
専念利他拘異疆、   利他に専念して 異疆いきょうとらはれ、
空聞訃報断人腸。   空しく訃報を聞いて 人腸を断つ。
始知貴下崇高志、   始めて知る貴下の崇高なる志、
陰徳精神永不忘。   陰徳の精神 永へに忘れず。

「利他」: 自分を犠牲にして他人に利益を与えること。ここではアフガニスタンへの農業支援・指導。
「異疆」: (日本から見れば)へんぴなところ。
「陰徳」: 人に知れないように施す恩コ。


2009.11.17              by 井古綆


 原作についての感想も、ということですので、気になった点だけ申し上げます。

 承句の「空聞」で作者の感情が出ている点は、転句の「始知」と変化が少ないことと、また、起句の主語が伊藤和也さんであるが承句は主語が作者に変わるのが分かりにくい点を見ると、ここは投稿詩にあるような「青年」を入れるのが良いように思います。
 転句で主語が作者に変わる方が読者も読みやすいのではないでしょうか。


2009.12.11              by 桐山人





















 2009年の投稿詩 第191作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-191

  蘇門答臘島地震(スマトラ島地震)        

激震震源蒼海深、   激震の震源は 蒼海深く、

津波併害悢何禁。   津波の併害 悢(かなしみ)何ぞ禁(た)へん。

天災不測凌人智、   天災は不測 人智を凌ぐ、

萬國倶澆博愛心。   万国 倶に澆(そそ)がん 博愛の心を。

          (下平声「十二侵」の押韻)



「津波」: tunami 国際共通語。

<感想>

 こちらの詩も、前作と同じ時にいただいたものです。

 七言絶句という枠に収めるために実際の被害の様子などは描かれなかったのでしょうね。その分、井古綆さんのいつもの詩に見られるような写実・現実感が少ないように思いますが、逆に離れた日本という立場で、どうこのことに向かうべきか、という気持ちが強く感じられるものになっていると思います。
 そこが、作者である井古綆さんの工夫なのでしょうね。

2009.11.16                  by 桐山人



井古綆さんからお返事をいただきました。

 ご高庇有難うございます。

 正に先生のご指摘の通りでして、地震の発生が10月1日で、当該政府の発表が2日でした。交流詩への送稿が4日ですので地震の被害状況は知る由もありませんでした。

 わたくしの詩の真意は二十八字以外にありますが、絶句では表現できませんでした。
 すなわち自然現象(災害)は「人智を凌ぐ」ことを以って、人間同士が無益に争うことへの警告を詠じたく思ったのですが、律詩にすれば交流詩の詩題にそぐわなくなると思い、そのままにして、ただ啓発の意味のみを表現いたしました。

 ですから先生のご感想は尤もなことと存じます。

 以下は拙詩の絶句を律詩にしてみたものです。
この韻では、わたくしには非常に難しく苦吟いたしました。

    蘇門答臘島地震
  激震震源蒼海深、   激震の震源は 滄海深く、
  津波併害悢何禁。   津波の併害に 悢(かなしみ)何ぞ禁へん。
  楽園孤島平安破、   楽園の孤島は 平安破れ、
  悪夢高潮人物沈。   悪夢の高潮に 人物沈む。
  世界一家非大事、   世界の一家は 大事に非ず、
  隣邦寸志勝千金。   隣邦の寸志は 千金に勝る。
  天災不測凌英知、   天災は測れず 英知を凌ぐ、
  真摯倶澆博愛心。   真摯 倶に澆がん 博愛の心を。


「世界一家」: 故笹川良一翁の詩句より引用。

2009.11.23            by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第192作は大田区にお住まいの 秀涯 さん、六十代の男性の方、からの作品です。
 

作品番号 2009-192

  還暦秋        

晴空一碧蕣花鮮   晴空一碧蕣花鮮ナリ

尽日揺香金木前   尽日香揺レル金木(犀)前

幾度春秋迎還暦   幾度春秋還暦ヲ迎エル

中聲地満故人辺   中聲ハ地満ツ故人ノ辺(辺り)

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 早くも,還暦を九月の誕生日に迎えることになった。偶々青空の中に,残少の朝顔の藍色が鮮明に見えた。(私は,この秋色,この空気と色が大好きです)そして,還暦。。お盆に九州の郷里で同窓会に参加する事が出来て、過ぎし日の青春の夢を振り返ることになった。
 今頃,友人達の周辺にも秋は満ちていることだろうか!

<感想>

 独学で漢詩を作り始めての記念すべき第一作だそうです。
規則もよく理解されていて、初めてとはとても思えませんね。

 部分的に気になる点を書きますと、承句は金木犀を「金木」と省略することはできません。「桂樹前」としておくと良いですね。その前の「揺香」は平仄としては良いですが、読みは「香を揺らす」とします。替えるならば、「清香」でしょうか。
 起句で「蕣花」を出していますので、ポイントがぼけるのを防ぐためにも、花の数は増やしたくありません。

 転句は、「還暦」はもともと年齢がはっきりしている言葉ですので、それを「幾度」ではおかしいです。「六十春秋」としておきましょう。

 結句の「地満」は「地は満つ」となりますので、ここは語順を替えて「満地」としなくてはいけません。
 「中声」はどういう意味で使われたのでしょうか。すみませんが、分かりませんので、お教え下さい。


2009.11.20                  by 桐山人



秀涯さんからお返事をいただきました。

 桐山人先生
初作のご指摘ありがとうございました!

 結句の「中聲」は、「虫声」の誤記です。
本当に、平仄のチェックに気を取られて、思い込んだまま送ってしまいました。

 今、「漢詩百選」(駒田信二著)を読んでいます。
 これを励みに改めて漢詩創作に挑戦していきますので、今後とも長い目でご指導の程お願い致します。

2009.12. 2               by 秀涯


 お返事ありがとうございます。
私の方が、「中」から「虫」へと見当をつけなくてはいけませんでしたね。
すぐに辞書を頼ってしまって、柔軟性が無くなっていることを感じます。
 気になさらず、挑戦を続けて下さい。

 秀涯さんからは第二作もいただきましたので、近日掲載する予定です。

2009.12.11              by 桐山人





















 2009年の投稿詩 第193作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-193

  秋思        

未治肝疾已三秋   未だ肝疾を治せずして已に三秋

新疫蔓延重一憂   新疫蔓延して一憂を重ぬ

寿豈欲期余幾歳   寿豈(じゅがい)期せんと欲っするも幾歳をか余(のこ)す

唯将書楽使心遊   唯だ書楽を将(も)って心を遊ばしむるのみ

          (下平声「十一尤」の押韻)


<解説>

 いつも小生の体調をお気遣い下さりありがとうございます。
ここ一、二カ月、治療薬の減量により副作用は軽度になっております。
久しぶりに七絶一首を得ましたので投稿致します。


(語注) 「寿豈」: 寿楽、長生きして楽しむこと
「新疫」: ここでは新型インフルエンザ
「書楽」: 書物と音楽



<感想>

 季節の変化をしみじみと感じるのは、私の経験では「孤・病・客」の「三傷」でしょうか。「ひとりで居る時」「病気の時」「旅人である時」には、普段以上に心が感じやすくなっているのでしょう。
 ただ、それは嫌な感情ではなく、いつもなら見えない微細なものが見えたり、周りのもの全てが愛おしく感じられたり、という側面も持っています。

 新型インフルエンザが全国に蔓延していますので、ますます外には出にくいでしょうが、柳田周さんのシャープな切り口の詩を楽しみにしている方も多いと思います。

2009.11.20                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第194作は 展陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-194

  秋色        

遠近皆秋色   遠近 皆秋色なり

朝陽暁景清   朝陽の曉景清らかに

天高残暑退   天高く 残暑退く

日落晩涼生   日落ちて 晩涼生じる

屋外鴉相叫   屋外の鴉(カラス) 相叫(よ)び

窓傍我独傾   窓傍(わき)で我独り傾けて

黄昏人易感   黄昏(ゆうぐれ) 人が感じ易く

白叟句難成   白叟 句は成り難し

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 首聯で「朝陽」「暁景」が出てくるのは良いのですが、頷聯で一気に夕方まで持っていくのは勢いが強すぎるように思います。
 後半も夕方の景が続きますので、首聯はせめて午後くらいにしておくべきでしょう。

 頸聯の対は、上句の「鴉相叫」に対応させるならば、第七句の「人易感」の方がすっきりしていますね。
 「我独傾」はまさか「私が身体を傾けた」とは思いませんから一応「酒杯を傾けた」と分からなくもないですが、何の導入もなくいきなり酒と来たのでは強引な気がします。五言詩のため字数が少なかったせいでしょうが、特に対句のところですので気になります。
 また、この聯に「我」が入りますと、尾聯の「白叟」が生きてこないと思います。


2009.11.20                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第195作は 雨晴 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-195

  立秋夜坐        

半簾爽気告新秋   半簾の爽気、新秋を告ぐ

獨坐書窓月一鉤   獨り書窓に坐せば月一鉤

籬落孤蛩声切切   籬落の孤蛩、声切切

忘時繙冊早涼流   時を忘れ冊を繙けば早涼流る

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 今回も「転句」「結句」がスム−ズに繋がっていない様に思えます。特に「転句」への繋がりに、いつも苦慮しています。
転換しなくてはならないし、勿論関連無しではいけないし・・・・・この辺についてご教示ください。

<感想>

 転句へのつながりは難しいところですが、あまり大げさに考えずに、「さて、それでは」というくらいの気持ちで転換するのが良いと坂田新先生はおっしゃっていますが、私もその通りだと思います。
 古典名作を読むと、劇的な構成であっと驚くような展開の詩もありますが、そこまで行かなくても、少し変化をつける程度でも作者の工夫が籠められれば良いと思います。
 この詩のように、視覚から聴覚への変化でも、作者の意図が感じられて十分の展開です。
 注意すべきは、叙景であれもこれもと書いていったら、起句から承句まで結局同じ様な内容になってしまうことです。これは、起句と承句でひとまとまり、という意識を持っていれば、自ずから前半の二句と転句は毛色が異なる内容になるはずです。

 そのあたりに注意を払っていれば、良いでしょう。

 今回の詩では、起句の「爽気」と結句の「早涼」がかぶりますので、「夜風流」「晩風流」などにしてはいかがでしょうか。

2009.11.21                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第196作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-196

  聞蛩     蛩を聞く   

雨余叢裡早蛩声   雨余の叢裡 早蛩の声

如咽如愁歇復鳴   咽せぶが如く 愁ふるが如く 歇み復た鳴く

沾湿潜身何欲愬   沾湿 身を潜め 何をか愬へんと欲す

老残倚枕感頻生   老残 枕に倚り 感 頻りに生ず

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 静かな秋の夜、物悲しい虫の声、聴くとも無く耳にすると取り留めない思いが次々と浮かび……。

<感想>

 秋の虫の声に様々な思いが心をめぐる、というのは共感できる内容ですね。

 全体に哀調に満ちた構成になっていると思いますが、結句の「感頻生」はもう少し具体性が欲しいところです。つまり、どんな「感」「生」じているのかを示さないと、虫声に「如咽如愁」ととらえた意味が薄くなります。
 よく似た表現に「万感生」もありますね。これらの言葉を使ってはいけないというわけではありませんが、丁寧に描写してきた詩が最後に「その他もろもろ」といって終わらされるような印象になるのは避けなくてはいけません。
 この語に詩が集約される重要な結びですので、ここが締まると全体も一層趣を増すと思います。

2009.11.21                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第197作は 楽聖 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-197

  維納滞在中作     ウィーン滞在中作   

異国逗留愉未窮   異国に逗留して 愉しみ未だ窮まらず

悠悠送日鬱情融   悠々日を送れば 鬱情融く

遠遊萬里蓬漂客   遠遊万里 蓬漂の客

慣得洋風興不空   洋風に慣れ得て 興空しからず

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 2007年12月初旬にヨーロッパへ単独旅行をしたことを書いたものです。
 ツアーじゃないから全部自由時間で、一人でいるのがつまらなかったことを書いたものです。
 おかげで独逸語と英語、西班牙語まで使っていました。泊まったホテルで詩を書いたりしていて、ちょっともったいないという気持ちがありました。
 ホテルには日本人は一人もいないし、飛行機の中にもいません。頼るものが自分の語学力だけでした。

 そんなことに慣れても、見るべきところを見て来ないのだから無駄な時間だったと言わざるを得ませんね。ま、そんな気持ちを漢詩に表現しました。

 いずれ日記を読みながらもっと書いて行きたいと思っています。

<感想>

 昔で言うと、音楽武者修行という感じでしょうか。現代の若い人たちは昔ほど「大冒険」という感じは無いのかもしれませんが、それでも全て自力で旅をされたのはすごいですね。

 詩は、起句に「愉未窮」、結句に「興不空」とを対応させ、次第に旅の楽しみに充たされていく心境を表そうとされたのでしょうが、やや未消化な感じです。
 起句での提示を承句以下の三句で否定するという展開が、散文的で理屈っぽいためと、起句だけ独立させて残り三句ひとまとめという構成も絶句では一般的ではないからでしょう。
 表現を簡潔にせざるを得ない漢詩ですので、起句の内容はばっさりと切り捨ててしまってもそれ程問題ではない、むしろその方が全体のまとまりが出ると思います。あるいは、この部分を他の句よりも時間的に早いものとして、転句に置けば、「起承転結」の流れで無理がなくなります。


2009.11.22                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第198作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-198

  九月十三夜名古屋望月     九月十三夜 名古屋にて月を望む   

十三夜月肅霜天   十三夜月 粛霜の天

來照金城更皎然   来って金城を照らして 更に皎然

妻子不知蓬左客   妻子は知らず 蓬左の客の

却逢清怨獨愁眠   却って清怨に逢うて 独り愁眠せるを

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

  こよい九月の十三夜 霜降る空の秋の月
  金のお城を照らすとき ますます白く輝ける
  女房子供は知るまいが 蓬莱宮の側らで
  清き怨みに眠られず 独り愁いを抱くのさ

 2年前の10月、仕事で名古屋に出張に行ったときに想を得た作です。
ちょうど九月十三夜にあたっていました。
「蓬左」という言葉も、この時はじめて知りました。
転句は、銭起「帰雁」を少し意識しています。

 [語釈]
「肅霜」: 霜の降りること。陰暦9月。
「金城」: 堅固な城。名古屋城。
「蓬左」: 蓬莱宮(熱田神宮)の左。名古屋のあたり。

<感想>

 前半はどちらも良い句ですね。しかも、私の地元のことですので、尚更にしっくりと感じます。

 後半もよく描かれていると思います。
 銭起の「」の句は「二十五弦弾夜月 不勝清怨却飛来」を指しておられるのですが、私は張継の「楓橋夜泊」の「月落烏啼霜満天 江楓漁火対愁眠」のイメージも感じました。
 結句の「愁」が直前の「怨」の重複感も、そう考えると意図的で、すっきりするようです。

2009.11.27                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第199作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-199

  十一庄屋四百年忌兼建碑        

憂村攀嶺最期春   村を憂ひ嶺を攀じる最期の春と

十一酋殂四百辰   十一の酋殂きて 四百の辰

物変顕彰碑建此   物変り 顕彰の碑此に建つ

義捐闔邑動心神   義捐 闔邑 心神を動かす

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 関が原で敗戦の西軍毛利藩は百二十万石の西国一の雄藩から防長二州二十九万石と減封され、そこで、現在の岩国市の北部山代地方の農民から七分三分の年貢を強要、農民の愁訴哀訴も却下、慶長十三年一揆がおこる。
 翌年(1609)年三月にその責で十一人の庄屋が引地峠の処刑場で斬首、物河の辻に梟首されたという。

 幕藩草創期の一揆でその前緒といわれる。

 地元ではその四百年の供養祭と顕彰の碑を立て先人の霊をなぐさめました。

 [語釈]
「攀嶺」: 峠の上の処刑場。
「酋」: おさ、庄屋
「闔邑」: 邑や町を挙げて、こぞって。

<感想>

 深渓さんのこの詩は、前回の「弔十一庄屋辞世四百年」の続編という感じでしょうか。

 前作は深渓さんの思いが前面に出ていましたが、今回の詩は顕彰碑の除幕を経て、少しパブリックな意識が前に出てきたように思います。
 四百年前の事件ではありますが、いつもの深渓さんの時事を見つめる視点は変わらないことを感じました。

2009.11.27                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第200作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-200

  望海示妻     海を望んで妻に示す   

人生到處足波瀾   人生 到る処 波瀾足るも

夫婦豈言行路難   夫婦 豈に言わんや 行路難

萬里洋洋大瀛水   万里 洋洋たる 大瀛の水

未知天地共君看   未だ知らざるの天地 君と共に看む

          (上平声「十四寒」の押韻)



「大瀛」:大海。

<解説>

  夫と妻と手を取って 弱音なんかは吐くものか
  この果てしなく広がった 大海原に船出して
  君と二人でどこまでも 未知の世界を旅しよう


 なかなか承句が決まらずにいたのですが、たまたま白居易「太行路」を読んで、現在のかたちにすることにしました。
もっとも、あちらでは夫婦の間でも「難」と言っているわけですけれども。

<感想>

 白居易の「太行路」からは、「人生莫作婦人身 百年苦楽由他人」と言う句が知られていますが、「人として生きるならば女性でない方が良い 一生が苦になるか楽となるかは夫(他人)次第だから」というものですね。
 「行路難」は「行路難、不在水、不在山、只在人情反覆間」と結びで用いられ、人間の心の移ろい易さが人生の苦しみを生んでいるという意味合いです。

 観水さんは、それを受けて、「行路難」を固い心で二人で乗り切っていこうと言われるのですが、これ、結局はおのろけなのかな、と思いますね。観水さんの奥様や家族への愛情があふれている詩です。
 「一人では乗り越えられない道でも二人なら行ける」という言葉はプロポーズでよく使われるようですが、幾つになってもそれは変わらないことでしょう。
 そばで見ている人たちにも幸せを分けることのできる、そんな人生を送っていただきたいし、私も送りたいと思います。

 結句は「未知」よりも「新」の字を用いた方が良いでしょうし、韻字も「看」にこだわらない方が良いでしょうね。


2009.11.27                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第201作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-201

  皆既日蝕即事        

人携眼鏡待徘徊   人は眼鏡を携へて待ちて徘徊し

鳥止飛翔潛草萊   鳥は飛翔を止めて草萊に潜む

次第炎皇光欲没   次第に炎皇 光没せんと欲し

月宮虧蝕日還回   月宮虧食(きしょく)して日 還(また)回(めぐ)る

          (上平声「十灰」の押韻)



「虧食」: きしょく、日食や月食のこと、ここでは日食。

<解説>

 平成21年(2009)七月二十二日(水)、日本では四十六年ぶりの皆既日蝕が観察されました。
 平日で仕事が忙しく、私自身は専用眼鏡などもって観察はできませんでしたが、一瞬辺りが薄暗くなった気配は感じられました。当年四十二歳の私には、まさに未知との遭遇でしたので、一首賦した次第です。

 次回は2035年九月二日の北陸・北関東などで見られる皆既日食まで二十六年間起こりません。
存命していたとしても、四国の山猿にとっては今生最後の天体ショーとなりました。

国立天文台ホームページ

<感想>

 四十六年前と言うと、私は小学校の高学年の頃ですね。友人たちと、黒いセルロイドの下敷きやら、ロウソクのススで黒くしたガラス板越しに欠けた太陽を見ていたことを思い出します。
 郷愁の気持ちも多少加わって、日食はそうやって見るものだと思いこんでいましたが、テレビでは「目を悪くしますから、下敷きやサングラスなどでは直接太陽を見ないように」との注意を何度もしていましたね。
 きっと、前回の時には私と同じような見方をした人が多いので、心配だったのでしょうね。

 日食や月食という自然現象は、古代の人にとっては日常が壊れるという怪異だったのでしょうが、現代の私たちには(特に最近は)自然が見せてくれるショーの一つという感じもします。
 しかし、サラリーマン金太郎さんのコメントや、私自身も四十六年前には楽しみで心がワクワクしていたことを思い出すと、もっと感動しなくてはいけないなとも思いますね。

 サラリーマン金太郎さんの今回の詩は、日食の直前の緊張感から始めて時間の経過で描こうという意図で書かれていますね。
 狙いがそこにあるのでしたら、転句の「次第」は結句の「虧蝕」を入れて、転句までは瞬間瞬間を切り取るような叙述にして、緊張感を持続させた方が面白いと思います。
 逆に、「次第」は結句で用いると、その緊張から解放される安堵感が表れるのではないでしょうか。


2009.11.27                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第202作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-202

  讃自然     自然を讃ふ   

塵埃散漫伴無聊   塵埃散漫 無聊を伴ふ

街衝荒墟不可招   街衝の荒墟 招くベからず

涼影満身流水畔   涼影身に満つ 流水のほとり

月華星彩一天遙   月華星彩 一天遙かなり

          (下平声「二蕭」の押韻)

<感想>

 天地の持つ遥かな力を感じて、心が浄められるような思いを詩にされたものでしょう。

 後半は整った良い聯で、作者の姿が目に浮かぶようです。
 そこに至る前の心の不安定さを前半に置き、「塵埃散漫」「街衝荒墟」は心象風景として描いたものと理解できるのですが、承句の「街衝荒墟」「不可招」というのは、つながりがよく分かりません。
 自然の中に居た方が良いから、荒み果てた人界には行きたくない、ということでしょうか。
 承句は平仄の点でも問題がありますので、推敲のついでに、前半を対句にするような形で考えてみると、聯のまとまりも生まれて現在の自分の状況をすっきりと表せるように思いますが、どうでしょうか。


2009.11.27                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第203作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-203

  憩緑陰     緑陰に憩ふ   

南薫撫頬緑陰繁   南薫頬を撫で 緑陰繁し

景趣無量脱世煩   景趣無量 世の煩を脱す

一葉当唇吹玉笛   一葉 唇に当て 吹けば玉笛

行雲山色養詩魂   行雲山色 詩魂を養ふ

          (上平声「十三元」の押韻)


<感想>

 仲泉さんのこちらの詩も、全体の趣が整っていて、作者の意図もよく伝わってきます。

 承句は「無量」よりも「無窮」の方が良いでしょう。
 転句は「吹玉笛」は自分で「玉」とするのも変です。「一葉清簫唇上韻」などの形にされると良いでしょう。
 結句は、「行雲山色」ですと、転句の「当唇」の直近から遠方へと発展しすぎの感があります。目を遠くへ動かす「遥看」「遠望」などの語を入れるか、視点を身近な樹木や渓川などに置くと、起句とのつながりが良くなるのではないでしょうか。
 遠近の飛躍を解消するには、題名を「山中緑陰」とするのも一案でしょう。

 用語の問題だけですので、少し直されるだけで共感を得る詩になると思います。

2009.11.27                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第204作は 展陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-204

  同窓会        

卓有魚蝦手有醇   卓に魚蝦あり 手に醇あり

開懐共話勧杯頻   懐を開きて話を共にし 杯を勧めるを頻り

浮生命数誰能料   浮生の命数 誰が料り能ふか

只恐星移見幾人   只だ恐るは 星が移れば 幾人を見るか

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 先生の著作を見て「句中対」を試して見たいと思って、起句に使ってみました。


「浮生」: はかない人生
「星移」: 月日が立つ

<感想>

 句中対を意識しての詩作とのことですので、そのあたりをまず書きましょう。

 句中対の場合、上四字に対して下三字で「対」を作るわけで、当然のことですが数が合いません。下三字のどれかの字を削ることになります。
 展陽さんのこの詩では、上の「魚蝦」に対して「醇」の一字で受けています。

   漁蝦 

 これは、蘇軾の「花有清香月有陰」と同じ形ですね。

 削る字を替えて

例えば、

   卓有魚蝦 手 醁醇

 と対応させることもできますね。

 転句の読み下しは、「浮生の命数 誰が能く料らん」とした方が良いです。

 結句は表現がややストレート過ぎて気になります。
 また、転句の「浮生命数誰能料」は「はかないこの世、人の寿命なんて誰にわかるだろうか(いや、誰にもわからないさ)」という反語で読む内容です。前半の「おいしい肴、おいしい酒。同窓の友との楽しい会話」という内容を受けて考えると、結句は「先の分からない人生だが、精一杯楽しもう」という流れになると思いますし、「同窓会」という詩題から考えても、結びとしては再考されるのが良いと思います。
 人生のはかなさを出すにしてももう少し婉曲にしないと、同窓会に参加された他の方々がこの詩を読んでも、楽しかった思い出に水を差すような感じで、暗くなってしまうのではないでしょうか。

2009.12. 8                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第205作は 道佳 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-205

  童子瞳        

嬌児坐膝両眸豊   嬌児膝に坐り 両眸豊なり

純一瞠瞠視息充   純一なる瞠瞠とうとう 視息充つ

年老眼花汚濁世   年老ゆれば 眼花 濁世だくせいに汚れん

将貽稚子R明瞳   将に稚子のRかがや明瞳めいどうのこさんとす

          (上平声「一東」の押韻)


  【字解】
「純一」: かざりやいつわりのない
「瞠瞠」: みつめるさま
「視息」: 見つめ息を吸う
「眼花」: 目がかすみ(杜甫・飲中八仙歌)

<解説>

 かわいらしい幼な子が、母親の膝に坐り、両目は大きく母を見ている。澄んだ目でじっと見つめ、静かに安らぎに満ちている。 しかし、人は年をとると目はかすみ、濁世に汚れてしまう。
 みんなが、この濁世の転換を望み、新しい世への一歩を選んだ。いま、将にこうした子供たちの目の輝きを貽(のこ)し、失われないように、憲法に基づく平和で安らかな世を創りっていきたいとの願いをいっそう強くします。
 いわさきちひろが描くこどもの瞳もじっと、安らぎとともに平和な明日をみつめているようです。

 また、唐の時代の詩聖・杜甫は、家族、そして子供のことを多く作詩しています。「兵車行」では、女の子はまだ嫁ぐことができるが、男の子を産めば、戦場の屍とかすと。「羌村」では久しぶりに会う子供が膝を離れない様子などを。
 子供の瞳が輝く世の中に早くと願い、作詩しました。

<感想>

 幼い子どもが瞳を大きく見開いている姿は、本当に、見ているこちらの心までも清らかにしてくれるようですね。私も、爺馬鹿と言われるかも知れませんが、孫の顔を見る度に、このきれいな瞳のまま育ってくれと願います。
 「純一」という言葉がなによりもふさわしいものですね。

 道佳さんのやさしいお気持ちがよく伝わる詩だと思います。

 転句の「眼花」は杜甫の「飲中八仙歌」からの言葉とのことですが、酔っぱらって目がくらくらするのではちょっと内容とは合わないと思いますから、注は意味だけにしておきましょう。

 結句の「R明瞳」は「瞳」を二字の熟語で修飾し、「稚子の○○の瞳」とした方が良いでしょう。

2009.12. 8                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第206作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-206

  広島原爆忌        

黒雨白虹忌   黒雨白虹の忌

威儀殘蹟前   威儀 残蹟の前

炎天江上奠   炎天 江上の奠

飛水苑中泉   飛水 苑中の泉

廢絶何悠道   廃絶 何ぞ道悠かなる

宣言復歴年   宣言 復た年を歴る

一聲來霹靂   一声 霹靂に来る

注目彼心堅   注目せん 彼が心堅からんと

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 オバマ大統領のノーベル平和賞受賞を祝して。

「黒雨白虹」: 井伏鱒二「黒い雨」より。
「残蹟」: 原爆ドーム

<感想>

 「これまでの実績ではなく、これからの行動に期待する」という今年のノーベル平和賞の趣旨からは、核廃絶の思いは日本人だけでなく、世界の人々の望みであることを改めて感じた年でした。

 頷聯の「黒雨白虹忌」は、こうした呼称があるのでしょうか。印象的な言葉ですので、固有名詞として扱うよりも原爆被災の当時の状況描写に用いた方が良いでしょう。
 頸聯の「廃絶」も何を廃絶するのか、が実は明確ではありませんので、この前にやはり「原爆」という言葉が欲しいように思います。

2009.12. 8                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第207作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-207

  涼臺黄昏        

懷朋江畔上樓臺   朋を懐うて江畔の楼台に上り

風冷醉襟重幾杯   風冷かにして酔襟 幾杯をか重ぬ

落照停雲盡秋色   落照 雲を停めて尽く秋色

衰鬢共愛此詩媒   衰鬢 共に此の詩媒を愛す

          (上平声「十灰」の押韻)

<感想>

 浪速菅廟吟社の課題詩を作り直しになった作品だそうです。

 起句の「懐朋」は、「離れている友のことを思いだして」ということでしょうか。私の感覚では、一人よりも複数の方が、次の承句の「重幾杯」に合うように思います。「伴朋」としてはいけませんか。
 また、題名から見ても、真冬の荒涼とした景色ではありませんので、一人で酒を飲み続けるような重苦しさは不要だと思います。

 結句の「共愛」は、何と何が「共に愛す」なのか、分かりづらいのではないでしょうか。私は「秋色」「衰鬢」かと思いましたが、自信はありません。

2009.12. 8                 by 桐山人



玄齋さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、ご指導ありがとうございます。

 僕は「一人の友人のことを思って、多くの人が酒を酌み交わす」という場面を考えて作っていましたが、独酌のような光景になってしまったようなのですね。

「共愛」は鬢の毛の色つやが薄くなってきた人たち(「衰鬢」)が、共に秋の夕焼けの景色を愛する、という風に考えていました。
 改めて考えてみると、「伴朋」として、登場人物を二人にした方がよりわかりやすくなって良いかなと思いました。

 また、「鬢」は仄声で失声になってしまいますので、このところも改めます。

    涼臺黄昏 (推敲作)
  伴朋江畔上樓臺   朋を伴って江畔の楼台に上り
  風冷醉襟重幾杯   風冷かにして酔襟 幾杯をか重ぬ
  落照停雲盡秋色   落照 雲を停めて尽く秋色
  白頭共愛此詩媒   白頭 共に此の詩媒を愛す

 これならば「共愛」も、白髪頭の二人が共に秋の景色を愛するという風になって、少しはわかりやすくなったかなと思いますが、どうでしょうか。

2009.12.10            by 玄齋


 玄齋さんの推敲作で、冒頭の「懐朋」を「伴朋」に替えるのは漢字一字の変更ですが、それだけでつじつまがぴったり合って来て、詩情に臨場感が増したように思います。

 結句の「衰鬢」につきましては、玄齋さんから掲載前に「二毛」に変更したいとお手紙をいただいていましたのに、私が見落としていました。
 すみませんでした。

2009.12.11            by 桐山人





















 2009年の投稿詩 第208作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-208

  桐山堂先生新著        

精勤本職惜光陰、   本職を精勤して 光陰を惜しみ、

上梓詩書示指針。   詩書を上梓して 指針を示す。

理論盈科餘墨妙、   理論は盈科 墨妙を余し、

猶將紙背説人心。   猶 紙背を将って 人心を説く。

          (下平声「十二侵」の押韻)

<感想>

 ありがとうございます。新刊の「漢詩を創る 漢詩を愉しむ」についての井古綆さんのご感想です。
 自分の本のことを書いた詩に自分で感想を書くのも変な気がしますので、ここはお礼だけを申し上げておきます。ありがとうございました。

 特に、結句の「紙背」は、私の日頃の思いをくみ取っていただけたようで、嬉しく思います。


2009.12. 8                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第209作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-209

  秋分(敬老之日)        

終焉炎暑是秋分   炎暑を終焉す 是れ 秋分

紺碧天涯漾白雲   紺碧の天涯 白雲漾ふ

敬老墓參閑半日   敬老 墓參 閑半日

青山萬里我生欣   青山萬里 我が生 欣なり

          (上平声「十二文」の押韻)

<解説>

 今年は、ハッピーマンデー制度とやらで、休日が連なりました。
年金生活者には無関係ですが、本当に平和な世の中なのでしょうか。

 「敬老の日」は「多年に亘り社会に尽して来た老人を敬愛し長寿を祝う日」である。毎年九月十五日であったが、ハッピーマンデー制度によって、九月第三月曜日となった。
 九月十五日は「老人の日」として残り、同日より一週間は「老人週間」となった。

 今年の「敬老の日」は九月二十一日、二十三日は「秋分の日」であり、二十二日は「国民の休日」、秋の彼岸から何やかやと連休続きである。

    健やかに 目覺めし晨 秋彼岸

    健やかに目覺めし晨 嬉しけれ 兩手を合はす秋彼岸かな



<感想>

 私は勤務の関係で、今年のハッピーマンデーは全て飛び石にしかならず、どこに行くわけにもいかず、中途半端な連休でした。マスコミが盛んに「五連休だ!」と言うのを聞く度に、「この野郎!」という気持ちが起こるのを否定はできませんでした。
 連休を利用して帰省・お墓参りという人も多かったかもしれませんね。それはそれで良いことです。

 さて、詩の方ですが、結句の「青山」は、眼前に広がる景観を描写されたものでしょうが、蘇軾の有名な句「青山可埋骨」を意識すると「骨を埋める場所」は遥かに遠く、人生はまだまだこれからだというように解釈でき、なかなか面白いなあと思いました。


2009.12.11                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第210作は 澄朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-210

  無血平成維新        

党朋連立一陽生   党朋の連立 一陽生ず

政變論證万事驚   政変での論証 万事が驚き

晩酌団欒凡甫夢   晩酌 団欒 凡甫の夢

国民選澤瑞雲萌   国民の選択 瑞雲萌す

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

 いよいよ鳩山新政権による国会が召集された。三党連立(民主・社民・国民新党)による政権である。
「無血の平成維新」と位置付け、官僚政治から友愛政治への転換?ハテさてどんな政治か?
国民は平平凡凡たる「中庸」の政治を期待していると思うが。

<感想>

 澄朗さんからこの詩をいただいたのは十月下旬でした。
 政権発足からすでに三カ月、マニフェストとの整合性、連立の軋みも表れて、国民の目線もこれまでのご祝儀含みの温かいものから、やや冷めたものに移りつつあるような気がしますね。

 しかし、澄朗さんの結句「国民選澤瑞雲萌」にあるように、新しいことが動きつつあるわけですから、思い切ったことをどんどんやって、失敗するなら失敗したでやり直せば良いと思います。
 中途半端に前時代の遺物みたいなものを残そうとしたり(遺物そのもののような発想の大臣もいますが)、嫌われないようにあちこちに気を配っている間に、結局全てが泡のように消えてしまうようなことがあれば、まさに政治バブルで、国民の政治への思いが一気にしぼんでしまうことが心配です。

 自民が駄目だから民主にしたのに、その民主も駄目、仕方ないから元に戻して、なんてこと(最近の自民を見ているとその可能性というか、意欲そのものが少ないと思いますが)は、政権交代も負のスパイラルというか、出口のないどんづまりですものね。

 無理難題、空想夢想、荒唐無稽、どんな言われ方をしようと、とにかく「理想」という言葉をぶら下げて動き出してほしいというのが私の願いです。

2009.12.11                  by 桐山人