2005年の投稿詩 第106作は 遊雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-106

  祝与故人耳順     故人と耳順を祝す   

曾嘆下第悵望月   曾ては嘆く 下第 悵望の月

却得親交永結朋   却つて得たり 親交 永結の朋

猶有昔遊今不忘   猶 昔遊の今に忘れざる有り

相逢耳順酔顔崩   耳順に相逢へば 酔顔崩る

          (下平声「十蒸」の押韻)

<解説>

 60歳となり大学の同窓に会い、40年前を振り返って作詩しました。一期校を滑りなしたが、却って長い付き合いの友人を得て、激動の時代を潜り抜け、それぞれが60歳となりそして一同に会することが出来た喜びを述べてみました。

起句と承句が対であれば、起句の押韻いらないと聞いた事がありますが、正しいのでしょうか?
自己流で作詩していますので、誰か感想をいただけますとありがたく思います。
{今不忘}は杜牧の{唯有別時今不忘}から借用しました。

<感想>

 杜牧の引用は、「懐呉中馮秀才(呉中の馮秀才を憶ふ)」(『三体詩』所収)からのものですね。
 しかし、「下第」というと、真っ先に浮かぶのは、やはり中唐の孟郊でしょう。「再下第」は、同じ作者の「登科後」という科挙合格の後の浮き浮きした詩と並べて読むと、五言絶句の短さが落第した悲嘆の心を十分に表していますね。原文だけを並べておきますので、訳は題名をクリックして下さい。


     再下第   孟郊(中唐)

   一夕九起嗟   一夕 九たび起ちてなげ

   夢短不到家   夢は短くして 家に到らず

   両度長安陌   ふたたわたる 長安のみち

   空将涙見花   空しく涙をって 花を見る



     登科後   孟郊(中唐)

   昔日齷齪不足誇   昔日の齷齪 誇るに足らず

   今朝放蕩思無涯   今朝 放蕩 思い涯(はて)無し

   春風得意馬蹄疾   春風 意を得て 馬蹄疾し

   一日看尽長安花   一日 看尽くす 長安の花

 二つの詩が同じ韻目(下平声六麻)というのも、面白いですね。

 さて、遊雲さんの詩では、承句の「却得親交永結朋」が、六十歳(耳順)を受けて、とても実感を伴っての言葉になっていると思います。同じ言葉を例えば二十年前に語っても、伝える方の気持ちは同じでも、受け取る方に十分な共感を持ち得ないかもしれないからです。
 言葉には語るべき時というのがあるのでしょうね。

 ご質問の、起句の踏み落としについては、既にご本人にはメールで伝えましたが、以前、「桐山堂」の意見交換のコーナーで、坂本定洋さんが検討しておられました。(「七言絶句の踏み落としについて」)
 起句承句が対句になった場合には、起句は踏み落としをする方が自然です。しかし、対句でなくても踏み落としている例も幾つもあります。私は、無条件に踏み落としを認めるのはあまり好きではなく、起句承句に音調上の工夫を入れることで、踏み落としを認めるのが良いのではないか、と思っています。

2005. 9.19                 by 桐山人


謝斧さんから感想をいただきました。

 句頭が全て副詞を用いてますし、転句を除いて、下三字が全て同じ調子になっています。
調子が平板のような気がして、その点が良くないように思いますが、どうでしょうか。

2005. 9.23                 by 謝斧






















 2005年の投稿詩 第107作は徳島県の 山草花鳥 さん、五十代の男性の方からの作品です。
 

作品番号 2005-107

  鴻鵠        

夢醒帰草堂   夢醒めて 草堂に帰る

閨婦嘆薄運   閨婦 薄運を嘆く

独酔纏月光   独り酔ひ 月光を纏ふ

鴻鵠舞白雲   鴻鵠 白雲に舞ふ

          

<解説>

 挫折感と隠士への憧れ

<感想>

 初めての漢詩作品ということですね。押韻や平仄については、今後勉強をして整えていただくことにして、全体の印象をまず、書いておきましょう。
 「挫折感」と解説にお書きになったような出来事があったということでしょうね。「夢醒帰草堂」と、失望して帰宅された状況をまず描き、家で奥様が優しく迎えて下さったことが承句、月の光を浴びて飲みながら、世間の人を見る目が無いことを嘆くのが後半ですね。
 「鴻鵠」は、『史記』の「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(燕雀安知鴻鵠之志哉)」を踏まえての結句の収束が生きていて、全体の流れも分かりやすいものだと思います。
 どんなことがあったのかという具体的な事情は五言絶句では説明しきれないと割り切って、心情をすっきりと描いている点が良いのでしょう。
 展開の上からは、承句に疑問が残るところで、作者にはそのつもりはなくても、「世間は自分を認めないが、妻だけが分かってくれる」というニュアンスになり、結句の心情が甘くなるでしょう。また、「隠士への憧れ」ということまで意識されているのならば、ましてや、優しい奥さんはどうするの?と私などは思ってしまいます。
 そういったことまでも含んだ上で、転句の「独」を用いたとすると、今度は「妻の前では心配させないように振る舞ったが、眠れずに深夜独りで飲んでいる時の想い」と読めますので、嘆きは弱くなりますがふとした日常を描いた純文学の趣があり、これはこれで面白いと言えます。

 長くなりましたが、詩としての構成力を感じられる作品ですので、その分、押韻や平仄が出来ていないことが残念です。「韻目韻字表」を用いて押韻字を決めること、平仄のために字を探したり、順序を入れ替えたり、そうしたことは漢詩を作る時の必須手順です。
 また、「夢醒」は漢詩では「眠りから覚めた」となります。「希望」「期待」の意味で「夢」は用いませんので、そうした確認も必要です。
 書き下しの「日本語」を「漢語」に置き換えるという進め方も漢詩作りです。せっかくの詩ですので、是非、推敲を進めてください。

2005. 9.20                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第108作は 長岡瀬風 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-108

  送別        

君家新卜海西邊   君家新に卜す 海西の邊

今夕離亭斟月前   今夕 離亭 月前に斟む

衰鬢倶遊都似夢   衰鬢倶に遊ぶ 都て夢の似く

青襟同学半帰仙   青襟同に学びしは 半ばは仙に帰す

送行此會空埀涙   行を送って此の會 空しく涙埀れ

抱疾他郷別在天   疾を抱いて 他郷別に天在り

只少華城好春色   只少くは華城の好春色

櫻花両岸遶江船   櫻花 両岸 江を遶りし船

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 年をとってからの友人との別れは、ひとしお辛いものがあると思います。しかし、引き留めることもできないわけで、「空埀涙」は実感のこもった言葉になっていますね。
 実際にはきっと涙をこらえての宴だったと思いますが、そうした抑制された心の動きがよく感じられます。感情過多にもならず、かと言って淡々と別れるでもなく、去る側も送る側も互いの心を十分に分かり合った相手と、もうしばらく時を共に過ごそうという想いが尾聯に集約されていると思います。「只少華城好春色」の、やや舌足らずな印象も、そうした想いを表しているのでしょうね。

2005. 9.20                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第109作は 藤原崎陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-109

  早春輕暖        

祇園浄域鳥飛回   祇園浄域 鳥飛び回へる

塵外清遊気爽哉   塵外の清遊 気爽なる哉

時聽黄鶯林裏囀   時に聴く黄鴬 林裏に囀り

相看紅蓼水邊開   相見る紅蓼 水辺に開く

浮香細細孤山路   浮香 細細たり 孤山の路

疎影瀟瀟一朶梅   疎影 瀟瀟たり 一朶の梅

渓上無人春未遍   渓上人無く 春未だ遍からず

暖風晴日獨徘徊   暖風晴日 独り徘徊

          (上平声「十灰」の押韻)

<感想>

 早春の春まだ浅き頃を描いたものですね。前半ではあまり早春を感じさせませんが、頸聯辺りから徐々に、「細細」「孤山」「疎影」「一朶」などの言葉で雰囲気を出していき、尾聯の「無人」「春未遍」に至って、一気に収束しますね。
 そう見ていくと、最後の「獨徘徊」がやや冗漫な感じでしょうか。第三句の「黄鶯」が無ければ、「無人」「無声」としたいところでしょう。

2005. 9.21                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第110作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-110

  偶題        

蔵書愉晝漏   書を蔵めて 昼漏を愉しみ、

躑躅小園亭   小園亭を 躑躅す。

細柳垂千緑   細柳 千緑を垂れ、

雲花覆四青   雲花 四青を覆う。

泥鰍卷弧泳   泥鰍 弧を巻きて泳ぎ、

翡翠斂容停   翡翠 容を斂めて停まる。

春日遅且暖   春日 遅 且つ 暖なり、

惟希遠潦溟   惟希む 潦溟を遠からしめんことを。

          (下平声「九青」の押韻)

<解説>

 (久しぶりに)書物をしまって昼の時間を楽しみ、
 小さなあずまやの辺りを行きつ戻りつする。
 細い柳は沢山の葉っぱをつけ、
 雲のように咲き乱れた花は四方の青い天をも覆う勢いだ。
 ドジョウはクルクルと泳ぎまわり、
 カワセミは綺麗な姿で止まっている。
 春の日はゆっくりと、そして暖かく、
 ただただ、梅雨がまだ来ないことを願うばかりだ。

<感想>

 夏休みも終わって、徐庶さんも本格的な受験勉強に突入でしょうか。忙しい中でも、自然の景物をふと眺める目を保つと、日々の時間の流れが少し変わってくるものです。高校の教員がこんな呑気なことを言っていては、同業者からしかられてしまうかもしれませんが、陸上競技で全力疾走で走っている時でも、ゴールしか目に見えていない選手もいれば、風を感じ土を感じて走る選手もいます。どちらが良いということではなく、人によって、時によって、色々な走り方があるのです。
 受験も最終的には結果を求めるものですから、そのための鍛錬は必要です。そうした日々の鍛錬は、しかし、結果を残すためだけでは終わらずに、必ず、その人を育ててくれるものです。スポーツ選手がトレーニングの時に、自分の身体の筋肉の動き一つ一つを見つめるように、勉強も自分の心を見つめさせてくれます。
 時の流れの速さに自分を見失わずに、残り半年を頑張ってくださいね。

 頷聯、頸聯の対では、「細柳」「雲花」は良いでしょうが、「泥鰍」「翡翠」はどうでしょうか。
 尾聯の「春日遅且暖」は面白い句ですが、「遅」がややありきたりで、下句の「惟希遠潦溟」ともつながらないように思います。「緩」にすると、流れがよくなるのではないでしょうか。

2005. 9.21                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第111作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-111

  緑陰幽居        

樗花淡紫開梢上   樗花は淡紫 梢上に開く

嫩葉葱青蔭眼前   嫩葉は葱青 眼前に蔭る

市隠騒人醒午睡   市隠の騒人 午睡より醒め

新茶一啜対陳篇   新茶一啜 陳篇に対す

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 無用の木の代表とみなされている樗も綺麗な淡紫の花を咲かせます。
 その下で午睡をむさぼるような、ゆったりした生活を思い浮かべ、つくってみました。現実はなかなか、そんな具合にはまいりませんが。

<感想>

 「新茶」の語が、緑陰の季節感とよく合っていて、ふーと爽やかな気持ちになる詩ですね。
 前対格で起句踏み落としになっていますが、「眼前」が、対の点からももう一工夫欲しいところですね。転句では「午睡」がありますから、縁側辺りで昼寝をしていたその目の前というところでしょうが、「梢上」と対するためには、「庭前」「窓前」などで、物を持ってきた方が落ち着くでしょう。「眼前」は、直接的に「目」の前ではなく、距離感を表す抽象概念の言葉の印象が強いでしょうから。

2005. 9.21                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第112作は 一人 土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-112

  鎖上     鎖上り   

深林絶壁不沖天   深林の絶壁 天に沖せず,

杳渺攀来頂上前   杳渺と攀じ来りて頂上の前。

幽壑一望凄異也   幽壑 一望 凄異なり,

並山層靄浩無辺   並山 層靄 浩として無辺。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

  深林の絶壁は天に沖さず,
  はるかに攀じ登ってきて頂上の前に来た。
  深い谷を一望すれば凄く不気味で,
  並んだ山、重なるもや、限りなく果てしない。

 これは伊豆ヶ岳の絶壁に上ったときの詩です。落ちたら死ぬのではないかと思ったほどでした。

<感想>

 「沖」の字は、日本では「海などで岸から遠く離れた場所」を指しますが、それは和習です。「湧く、上る、深い」などが本義です。
 「沖天」の場合は、「天に上る」、つまり「非常に高い」という意味になります。本詩では、「深林の絶壁は天に上らない」つまり、「天に届くほどには高くない」となるのですが、あれ?、これでいいのでしょうか。意味としては逆の方が良い、否定形ではおかしいように思いますね。

 転句の「凄異也」は、「也」は不要でしょうから、語順も含めて、ここは練り直した方が良いでしょう。

2005. 9.26                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第113作は 一人 土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-113

  夢        

耿耿還瞑急見岡,   耿耿また瞑し 急に岡を見、

崎嶇大石一茫茫。   崎嶇たる大石 一つ茫茫。

光陰転瞬頭起枕,   光陰転瞬 頭枕より起き、

夢散居然黒白牀。   夢散って居然 黒白の牀。

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 光がちかちかして今度は暗くなり、急に岡を見ると、
 けわしい大石は一つがとてつもなく大きい。
 あっという間に時が過ぎ去って頭を枕から起こせば、
 夢がきえて依然、影とわずかな光ばかりの布団の中だった。

この漢詩を作っている途中考えたことです。
○「耿耿」はくらくらときらきらの意味があります。二重に使ってはいけないのでしょうか

<感想>

 この詩は、正直に言って、あまり良くないですね。と言うか、私の方には作者が何を言おうとしているのか、分からないのです。
 前半がきっと夢の内容なのでしょうね。「耿耿」「茫茫」の畳語、「崎嶇」の双声語などの工夫は分かりますが、「大きな石があった」という夢の話は、だから何なのかが書かれていないため、構成が非常に雑な印象です。
 「他人の夢の話ほどつまらないものはない」とよく言われますが、夢は見た本人にしか見えないもの、見てない人にも共感してもらいたいのならば説明が必要です。
 そして、それは単に「夢」だけの話ではなく、基本的な詩の表現につながることでもあります。風景を描いた詩にしても、作者が感動した景色を読者は実際には見ていないわけで、その時に「読者の想像力にまかせる」と、具体的な説明も無かったら、読者はあまりに情報不足です。また、自分の見たものだから自分が分かっていれば良い、というのでは、人に見せる意味もないでしょう。
 読者は自分とは違う位置に居て、自分と違う物を見ている、そういう気持ちで作らないと、自分のペースで走りすぎてしまいます。

 転句は平仄も崩れていますし、「光」も冒韻です。特に、承句の末で「茫茫」と韻字の畳語を受けていますので、ここで三文字、同じ韻字が続いてしまいますので、直すべきでしょう。

 ご質問の「二重に使う」というのは、両方の意味をもたせるということでしょうか。「耿耿」は、「明るく輝く」「心が落ち着かない」という意味がありますが、「くらくら」というのは何でしょう。「暗い」という意味はありませんから、どこから調べられたのでしょうか。
 二重に使うということでは、一般的には良くないと思います。私たちが詩を読む時には、ある言葉を単独で理解することはありません。必ず、前後の言葉、句や詩全体の流れの中で、その言葉の意味を考えます。それは、言葉の意味を一つに確定する作業です。辞書には三つも四つも意味が載っているけれど、その中のこれだ!と決めることを誰もが行っているのです。
 Aの意味かもしれないし、Bの意味かもしれないし、どちらとも言えないなぁという場合でも、「A or B」であり、決して「A and B」という風には考えないと思います。漢字は表意文字で、しかも複数の意味を持っている字がほとんどですが、その場面その場面では、一つの意味しか持たないわけです。
 読者のそうした心の流れを無視して、作者が「この字には二つの意味を重ねた」と言っても、それは理解されないと思います。表音文字による和歌の掛詞(かけことば)とは違うと考えるべきでしょうね。

2005. 9.26                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第114作は 佐竹丹鳳 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-114

  孟夏閑居        

孟夏茅簷静   孟夏 茅簷静かに

清陰満眼青   清陰 眼に満ちて青し

粘花蜂採蜜   花に粘して 蜂は蜜を採り

別主燕過庭   主に別れて 燕は庭を過ぎる

紅杏呈鄰媼   紅杏 隣媼に呈し

青梅漬酒瓶   青梅 酒瓶に漬す

衰衰身尚健   衰々たる身は尚健に

拮据日無寧   拮据す 日々に寧きこと無し

          (下平声「九青」の押韻)

<感想>

 「拮据」「口と手を忙しく動かす」ことを表すわけですが、直前の「身尚健」と受けて、毎日元気に生活している様が目に浮かぶ表現ですね。
 この尾聯はとてもお洒落で、良い句と思いました。
 前半(自然)と後半(人事)がはっきりと切れ過ぎていて、真ん中で切断されるような印象になることと、「青」の字の重出だけが気になりました。

2005. 9.26                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第115作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-115

  暖日訪友        

呼朋叩戸欲遊陪   朋を呼び戸を叩いて遊陪せんとし

春日依遲詩興催   春日依遲として 詩興催す

北郭空尋野梅散   北郭空しく尋ぬ 野梅の散じるを

東坡最喜海棠開   東坡最も喜ぶ 海棠の開きしを

看花渡水躡堤草   花を看 水を渡って 堤草を躡み

燒筍煮芹斟酒杯   筍を燒き芹を煮て 酒杯を斟まん

叔気怡情老躯健   叔気情を怡ばして 老躯健なり

天然景物好詩媒   天然の景物 好詩の媒

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 五年程前に買った久保博士の高青邱全詩集をやっと読了しました。
 高青邱に「梅花九首」があります、東坡に「海棠」の詩及び「寓居定恵院之東雑花満山有海棠一株」の詩あり。因みに海棠は蜀の名花です。
 三四句の対句は技工的で俗にすぎているかもしれません。
 北郭も東坡も外面的には辞意のとおりです。

「看花渡水」は高青邱からの借句
「燒筍煮芹」は蘇東坡からの借句


<感想>

 春のおだやかな景物への喜びと、友との郊行の喜びと、二つが喜びが句の中ににじみ出てくるようで、温かみのある詩ですね。
 その点から見ると、第三句の「空」「散」の語がやや趣が異なり、見えているものが違うような気がします。一首全体が単調になることを避けたのでしょうか。この句によって次の第四句が鮮やかにされるという効果とも言えますが、アクセントをどこに持ってくるかは心を悩ますところですね。謝斧さんが気にかかるのも、その辺りからかもしれませんね。

 「高青邱」の全詩集は、私も五年ほど前、ちょうど入院している時に病室で読みました。分厚い本をベッドの上で広げていたので、医者にも看護婦さんにもあきれられました。でも、図書館で借りた本だったため、しばらくして返却しなくてはならず、そうなるとだめですね、今では記憶が薄れてきてしまいました。ノートにメモした詩のみが、今の財産です。

2005. 9.28                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第116作は 藤原崎陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-116

  初夏即事        

野亭梁燕哢簾前   林亭の梁燕  簾前に哢(さえず)り

満架紫藤容又妍   満架の紫藤 容又妍し

新翠滴衣停杖履   新翠 衣に滴りて 杖履を停め

幽香隋歩訪林泉   幽香 歩に隋ひて 林泉を訪ぬ

庭明午影花籬外   庭明らかに  午影 花籬の外

日永薫風蓬屋邊   日永く 薫風 蓬屋の辺

半雨半晴梅雨近   半雨半晴 梅雨近く

山邨到処緑相連   山邨到る処 緑相連なる

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 この詩は、第三句の「新翠滴衣停杖履」が、とても生きていますね。この一句で、もう詩の全てを表しているような、そんな印象です。他の句も工夫されていて、雰囲気をよく出しているのですが、何となく控えめな感じがしてしまうくらいです。いいですね〜。
 だから、第八句の「緑相連」が、やや収まり過ぎているようで、もう少し動きがあると余韻が深まる気がしました。

2005. 9.28                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第117作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-117

  馳思井真成公帰郷     井真成公の帰郷に思いを馳す   

渡唐茫漠旧蹤空   渡唐茫漠 旧蹤空し

忘却尊君發日東   忘却す 尊君の日東を發するを

礼節慇懃聴城外   礼節 慇懃 城外に聴こえ

声華澎湃満宮中   声華 澎湃 宮中に満つ

常勤勉学追群彦   常に勉学に勤め 群彦を追ひ

遂覚郷愁奈病躬   遂に郷愁を覚ゆるも 病躬を奈せん

今隔千年化碑復   今千年を隔て 碑と化して復り

垂名身後掛長虹   名を身後に垂れて 長虹を掛けたり

          (上平声「一東」の押韻)

<感想>

 西安にて墓碑が発見された唐代の留学生、井真成についての詩は、以前にも井古綆さんから「弔遣唐留学生井真成君」が送られましたね。
 今回は墓碑が日本に戻ってきたことを受けての作ということで、一層、身近に感じられる内容になってますね。とりわけ結句の「掛長虹」は両国をつなぐという意味で、帰郷した井真成生の魂にとっても、十分に納得できる表現でしょう。

2005.10. 2                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第118作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-118

  宝塚歌劇        

武庫清流映校風   武庫の清流 校風に映つし

開基垂訓令名崇   開基の垂訓 令名崇し

劇場輪奐盪胸望   劇場輪奐 胸を盪(うご)かして望み

綺席嗒焉延頚窮   綺席嗒焉 延頚窮まる

忽見歌姫兼舞媛   忽ち見る 歌姫の舞媛を兼ねるを

当称少艾演英雄   当に称すべし 少艾の英雄を演ずるを

遥承理念伝昆後   遥か理念を承けて 昆後に伝え

長鑑塵間報逸翁   長しへに塵間を鑑らして 逸翁に報いん

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 今から二十数年前歌劇を見ました、後に宝塚音楽学校生のまちを歩く端然とした姿に感動し創始者である小林一三翁の理念である〈「清く正しく美しく」が連綿と続いていて翁の薫陶の深さを実感しました。

<感想>

 私は実はまだ、宝塚の舞台を実際に見たことがないので、内容について感想を述べることができないのです。見たことのある方ならば、きっと井古綆さんのこの詩を読んで、「ウンウン」と納得なさるでしょうね。
 「りっぱな劇場(「輪奐」)」のきれいな座席(「綺席」)に腰掛けて、「首を延ばして待ちこがれて「延頚」)いる」と、美しい歌姫が現れるという頷聯からの描写は、客席の胸のときめきを感じさせてくれますね。「嗒焉」はあまり目にしない字かもしれませんが、「夢中になって、我を忘れて」という意味の言葉です。

 頸聯の「少艾演英雄」も、いかにも宝塚という感じですね。

2005.10. 2                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第119作は 登龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-119

  雨日閑居        

梅天陰鬱雨淋漓   梅天 陰鬱 雨 淋漓

漠漠沈雲水滿陂   漠漠たる沈雲 水陂に滿つ

欲助鋤犂兩三日   鋤犂じょれいを助けんと欲す 兩三日

無情霖瀝漫題詩   無情霖瀝 漫に詩を題す

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 連日の梅天から雨が滴り
 薄暗く雲が沈み村里の堤に水が満ちる
 鋤犂の仕事に手をつけようとしているこの二三日
 無情の雨に邪魔されて思いのままに詩を作る

<感想>

 転句の「鋤犂」は、どちらも土を耕す「すき」のことですから、農作業を意味します。「助」はそれほど役割のない字でしょうから、誰かを手伝うと考えずに、自分がするとして読んだ方が良いでしょうね。
 「無情」は、「つれない、思いやりがない」という意味をあまり強調すると、本来の「人間としての心が無い」という語義からはずれてしまいます。喜怒哀楽の感情や、ものに感動したりすることがない自然界の木石鳥魚などに使う言葉ですので、ここでは「人間の思惑などとは無関係に雨が降っている」と解釈しておき、「(それならば私も、農作業ができなかったなどと嘆くのは止めて)気ままに詩を作ろう」とつなげていくとよいでしょう。


2005.10. 3                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第120作は 中村祥苑 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-120

  被爆五十周年有感        

五十年前戦局危   五十年前 戦局危し

炎威八月乱蝉滋   炎威八月 乱蝉滋し

白光一閃爆風起   白光 一閃 爆風起り

雲影須臾黒雨垂   雲影 須臾 黒雨垂る

広島市街為地獄   広島の市街 地獄と為り

長崎民衆極傷悲   長崎の民衆 傷悲を極む

且行実験法中呆   且に実験を行わんとす 法中呆なり

反核高嚆竟訴誰   反核の高嚆こうこう 竟に誰にか訴えん

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 すっかりご無沙汰してしまいました。
目も悪くなり辞書を引くのが苦痛で、詩心も無くつい作詩から遠ざかってしまいました。

 上の漢詩は十年前に作ったものです。
 今年六十周年に当り見直していたところ、『且行実験法中呆』が目に留まりました。将にこの時、フランスと中国が核実験を行い、世界の注目を浴びていた時だったのです。
 それから10年、今年の五月に開かれた「核不拡散条約再検討会議」で明らかになったのは、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルなどの核保有国並びに核保有願望国が、世界の大多数の市民や国の声を無視し、人類を滅亡に導く危機に陥れているという事実です。

 矢張り作り変えることが出来ずに、十年前の作とその気持ちを知っていただきたくて投稿しました。

<感想>

 そうですね、二年ぶりでしょうか。お元気でしたか。
 八月中に掲載できると良かったのですが、遅れてすみません。

 十年前にお作りになった作品とのことですが、その折の危機感が現在はより強くなっていることを思い知らされる気がします。
 尾聯の「法中呆」が良いですね。でも、解説にお書きになったように、現代ではここにいくつもの国を追加しなくてはならないわけで、哀しいというか何というか、まさに「法中呆」では済まないから、この際、「皆阿呆」と言ってやりたいですね。

 私はとりわけ、結句の「反核高嚆竟訴誰」を強く受け止めました。「戦争はいやだ」「核兵器を捨ててほしい」という人間としての素直で素朴な願いを訴えることが、社会全体に年々弱くなったこと、私自身、核への不安感が次第に慢性化によって甘くなってきていることを、改めて感じます。

2005.10. 3                 by 桐山人