2005年の投稿詩 第166作は 枳亭 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-166

  蔓草横暴        

郊途散策杖漫留   郊途の散策 杖漫ろに留まる

一面堤塘萬緑稠   一面の堤塘 万緑稠し

蔓草生生傲柔克   蔓草生生 柔克を傲り

茅庵半隠使人憂   茅庵半ば隠れ 人をして憂へしむ

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 最近の蔓草の繁茂は異常なほどで、草木を被い尽くす勢いで、散歩の途中の斜面も見渡す限り、緑一色で、木も他の草の姿も見えない。
 斜面の上に立つ、小屋も壁、屋根の殆どが被い尽くされ、あまりの横暴さに腹が立った次第。

<感想>

 うーん、「萬緑稠」「蔓草生生」という情景から、結句の「憂」が出て来るのは、意外でしたね。
 展開から行くと、「横暴」と言うには、枳亭さんの目は温かいように感じました。
 承句の記述で景を言わずに、作者の行動としておくと、不自然さは解消するかもしれません。

 私の家の狭い庭でも、夏には草が茂り、毎年、蚊と格闘をしていますから、枳亭さんの仰る「横暴」というのは、とても共感します。そういう点では、「緑陰の佳景」を詠む一般の詩とは違い、新しい視点の詩と言えますね。

2005.12.11                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第167作は 嗣朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-167

  登飯盛山        

登山流汗浄心根   山に登るは 流汗 心根を浄め

換景澱江平昔元   景を換えての澱江は 平昔の元

故道変遷知一事   故道の変遷 一事を知り

正行銅像向誰言   正行の銅像 誰に向かひて言ふ

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 四条縄駅より真直ぐ東へ、飯盛山城を目指して旧道を一気に頂上まで登る。大阪平野を見下ろし感慨に耽る。頂上には城が築かれたであろうと思われる空き地の一番上に、楠木正行の銅像が建っている。

<感想>

 飯盛山は日本各地にあるようですが、この詩の舞台は、大阪にある(河内)飯盛山。南北朝の時代から戦国時代、歴史の中で要の舞台となった地ですね。
 そうした時の流れを意識した「故道変遷」は前の句の「平昔(昔日)」と照応して、意味深く感じます。

 結句は、「銅像」が主語ですが、銅像そのものは新しいわけですから、ここはどうでしょうか。「小楠公墓」というような形ですと、違和感はないでしょうが・・・・

2005.12.11                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第168作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-168

  機関誌「風早」出版書感        

構想十年呈拙論   構想十年 拙論を呈す

宮司教授感恩滋   宮司の教授に感恩滋し

諸兄情熱又新實   諸兄の情熱 又新たに實り

風早興亡遺後昆   風早の興亡 後昆に遺す

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 風早歴史文化研究会機関誌「風早」初の論文上梓を記念して詩を賦す。

 私は歴史が好きで、特に古代史に関心があります。今回、所属する郷土史家の研究団体に長年のささやかな研究成果を論文として発表しました。
 今年5月に亡くなった井上宮司をはじめ、県内外のさまざまな方々にご教授いただいたおかげです。
 今後とも郷土風早の興亡史を掘り起こしながら、日本の建国史の謎に迫って参りたいと考えています。

「風早」:=(かざはや)古代における愛媛県旧・北条市域の地名。風早国造として物部阿佐利が着任した。

<感想>

 サラリーマン金太郎さんは、ご自身の郷里への深い愛着の感じられる詩を書かれていますが、今回はその思いを歴史の論文として書かれたのですね。
 「構想十年」ということですが、大変な労作だったのでしょう。おめでとうございます。

 お気持ちが全面に出ていて、よく伝わる詩ですが、承句は押韻が崩れています。語順を優先されたのか、平仄を整えて推敲される必要があります。
 また、起句から結句まで、初めの二字が後の二字を修飾するという構造が同じで、みな「○○の○○」という書き方になっているのは、詩を単調にしています。
 転句は、「さまざまな方々にご教授いただいた」というお気持ちを表したのでしょうが、「宮司」への感謝が承句に出ていますので、話題転換の方向で、ここは推敲されると良いでしょう。

2005.12.11                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第169作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-169

  中秋        

涼風陣陣坐南楼   涼風陣陣 南楼に坐す

浅酌微吟虫語幽   浅酌 微吟 虫語幽なり

月挂中天星漢淡   月は中天に挂り 星漢淡し

竹簾捲尽恣閑遊   竹簾 捲き尽くし 閑遊を恣いままにす

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 中秋を迎えて久し振りに月や天の川のことを思い出して、つくってみたものです。 ただ、残念なことは、都会では天の川が見えないことです。

<感想>

 落ち着いた時間が感じられる詩ですね。
 承句の「浅」「微」「幽」の三字がよく調和していることが、落ち着きを出しているのでしょうね。

 前半から後半にかけての視点の動きにも無理がありません。自分の身の回りを眺めていた作者が空(上方)へと目を向け、そのまま終わってしまうのではなく、両者をつなぐ役割として「竹簾捲尽」が効果を表しています。

2005.12.11                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第170作は 藤原崎陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-170

  断梅        

鳴蛙閤閤大池傍   鳴蛙閤閤 大池の傍

人坐層楼占夏涼   人は層楼に坐して 夏涼を占む

梔子帯烟風度水   梔子 烟を帯び 風は水を度る

芙蓉濡雨露生香   芙蓉 雨に濡れ 露は香を生ず

浮舟晨旦回洲渚   舟を晨旦に浮べて 洲渚を回り

垂釣午陰停柳塘   釣を午陰に垂れて 柳塘に泊す 

閑聞波間魚撥剌   閑かに波間に魚の撥剌を聞き

一天雲散日方長   一天雲散じて 日方に長し

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 穏やかに描かれてきた季節の景が、最後の句にいたって、急展開、動きが表れるところが作者の工夫のところですね。題名の「断梅」は、「梅雨の終わり」「梅雨明け」を表す言葉です。

 全体にゆったりと流れる時間が感じられ、上質な風景映像を見ているような味わいがあります。

2005.12.13                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第171作は 枳亭 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-171

  散策即事        

甸郊一望美田蒼   甸郊一望 美田蒼く

早稲頭垂色已黄   早稲頭垂れ 色已に黄たり

疎網難遮雀狙機   疎網遮り難く 雀機をうかが

精農秋穫合豊穣   精農の秋穫 まさに豊穣たるべし

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 散歩していて見たままの情景です。私は従来、当世の日常の言葉で、眼前の事象を漢詩にできたらと思っています。

<感想>

 「日常の言葉で、眼前の事象を漢詩に」という枳亭さんのお気持ちは、とてもよく分かります。とりわけ、後半の「眼前の事象を」というのは、何よりも大切なことだと思います。
 詩を作るということは、何らかの感動を伝えるためのもの。では、感動は何から得るのかと言えば、多くの場合には、自分の目の前の出来事や景色から、ということになります。同時に、詩を作る過程で、普段ならば見過ごしていたような微細な変化に気づくこともあるし、詩語を選ぶ中で、自分の思いもしなかった新しい視点を得ることもあるわけです。
 そうした経緯の中で、それでも大切なのは、自分が感動するものに出会うことだと私は思います。

 厄介(?)なのは、「日常の言葉」の範囲をどこまで認めるのか、ということでしょう。当然、漢詩文に精通している人と、そうでない人とは語彙の量に差があります。何年も漢詩を読んでいる人同士でも、好みの詩人や時代の違いによっても、共通語彙が異なります。
 だからと言って、全ての人が分かるような共通レベルを求めることは正しくはありません。
 最も基本的な姿勢は、自分の詩としてふさわしい言葉であるかどうか、ということでしょう。その時に、ほとんどの人が知らなくて、辞書で調べなくてはならない難解な言葉であっても、どうしてもこの場面にはこの言葉でなくてはならない、ということならば、使わなくてはいけません。逆に、理解しやすい他の言葉で表現できるのならば、読んでくれる人のために、置き換えるべきでしょう。
 詩を読む時には、そうした吟味がなされた上での用法なのだと、私は理解しようと思っています。

 今回の詩の内容についても、少し感想を書きましょう。
 起句の「美田」「美しい」と言ってるのではなく、「よく肥えた豊かな田」ということですので、「美田蒼」はよく実った田が目に浮かび、鮮やかな書き出しですね。
 転句の末字の「機」は平声ですので、ここは直す必要があります。

2005.12.13                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第172作は 長岡瀬風 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-172

  掃庭草        

七月炎蒸何足珍   七月炎蒸何ぞ珍とするに足らん

荒庭一変眼前新   荒庭一変して 眼前新し

慇懃掃草無疲倦   慇懃草を掃いて 疲倦無く

的歴斫柯多苦辛   的歴柯を斫って 苦心多し

飯椀持来軒北坐   飯椀持ち来って 軒北に坐し

茶瓶供得日西淪   茶瓶供し得て 日西に淪む

年年老病従疎懶   年年老病 疎懶従ひ

労務任他都是真   労務他に任す 都て是れ真

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 「掃庭草」という日常的な題もそうですが、作者のお宅の庭先でお話を伺っているような、実感のこもった詩ですね。

 四句目の「的歴斫柯」は、「次々と枝を剪って」ということでしょう。
 五句目の「軒北坐」は、陶潜の詩を思わせるものですが、下句の「日西淪」との対応はどうでしょうか。こちらは、「日が西にしずむ」という「主語・述語・補語」の関係だと思いますが。


2005.12.13                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第173作は 一人 土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-173

  田除草     田にて草を除く   

水漲田畦野草繁,   水漲る田畦 野草繁く、

火流農月苦心存。   火流 農月 苦心存す。

炎威汗落人声切,   炎威 汗落 人声切とし、

幾点蝉鳴十里喧。   幾点の蝉鳴き十里喧し。

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

  水漲る田んぼあぜに野草は繁り、
  火流(旧六月、現七月)はその野草を取るため、農業の忙しい月となってたくさんの苦労がある。
  猛暑の中汗は落ち、人の声は苦しそうにか細くなり、
  数点の蝉が鳴いて十里がうるさい。

 学校の授業で稲を育てています。それでこの前田んぼに行って草取りをしてきました。とても暑くて大変でした。

<感想>

 学校の授業で、というのは、農業体験学習でしょうか。農地がどんどん減少して宅地化しているような地域だけではなく、農業の盛んな地域でも、子ども達が土に触れる機会がなかなか少ない現代の状況ですと、好ましい経験でしょうね。
 転句の「人声切」「人の話し声がしきりにする」と解釈しそうですが、「切切」の意味で使われたのでしょう。ただ、結句の蝉の声が「十里喧」から考えると、転句では音声を出さない方が良いでしょうね。

2005.12.17                 by 桐山人


「火流農月苦心存。」について。
「農を憫む」は昔からもつ人の心情ですが、詩意より考えると、「苦心」という詩語より「苦辛」(本当は辛苦)を使いたいと思います。
 これは漢詩が持つ独特の感覚だと思っています。

2005.12.19                by 道聴途説居士



一人土也さんからお手紙をいただきました。

こんばんは
一人土也です。
今日から冬休みなので漢詩をいっぱい作れるかなーと思ってます。

最近掲載された詩についてです。

  田除草     田にて草を除く   

水漲田畦野草繁,   水漲る田畦 野草繁く、
火流農月苦心存。   火流 農月 苦心存す。
炎威汗落人声切,   炎威 汗落 人声切とし、
幾点蝉鳴十里喧。   幾点の蝉鳴き十里喧し。

         ↓

水漲田畦野草繁,   水漲る田畦 野草繁く、
火流農月苦心存。   火流 農月 苦心存す。
炎威汗落人声去,   炎威 汗落 人声去り、
幾点蝉鳴十里喧。   幾点の蝉鳴き十里喧し。

にしたらどうかな?と思いました。
「人の言葉が消えて今まで聞こえなかった蝉の声が響く」って感じで。

 あと「苦心」と「苦辛」の言葉についてですが、
 僕がこの詩を作った時は農業の大変さをまだ分かってないというか、授業でやっただけだったのでそういう深い所まで考えていませんでした。
 これをそういう農業全般に広げて考えるか、僕の授業の1コマにするか、今でもまだ考え途中ですが、「苦辛」にしたほうがいいかなとも思いました。

水漲田畦野草繁,   水漲る田畦 野草繁く、
火流農月苦心存。   火流 農月 苦心存す。
炎威汗落人声去,   炎威 汗落 人声去り、
幾点蝉鳴十里喧。   幾点の蝉鳴き十里喧し。

        ↓

水漲田畦野草繁,   水漲る田畦 野草繁く、
火流農月苦辛存。   火流 農月 苦辛存す。
炎威汗落人声去,   炎威 汗落 人声去り、
幾点蝉鳴十里喧。   幾点の蝉鳴き十里喧し。

にしようと思います。

ではよろしくお願いします。

2005.12.23                  by 一人土也



 転句については、「去」以外にも、「絶」「断」「滅」「熄」など、表現を変えれば「遠」など、いろいろ考えられますね。
 また、検討を進めて下さい。

2005.12.24                     by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第174作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-174

  池塘百合花        

驕陽将没起微風   驕陽 将に没せんとして 微風起こる

白影池塘動雑叢   白影 池塘に動いて 叢に雑(まじ)ふ

近有僅残芬馥気   近づけば芬馥の気を僅かに残す有り

数花百合半瓏瓏   数花の百合半ば瓏瓏たり

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

[語注]
「驕陽」:盛んに照り輝く太陽
「雑ふ」:混じる
芬馥ふんぷく:よい香り


以下の疑問があります。 1.「瓏瓏」について、学研『漢字源』は「玉のように白いさま」といい、角川『大字源』には単に「乾燥するさま」とあります。
 何れも韓愈の「瓏瓏晩花乾」を引いています。乾燥して白っぽくなった事を言うのかも知れませんが、それが玉のようと言われるとわからなくなります。

2.「間(まじう)」を『大字源』では去声(諫)としているが、角川『新字源』では平声(刪)としています。何れに従うべきでしょうか。

<感想>

 承句の「白影池塘動雑叢」「白影 池塘に動いて」と読むのは苦しいですね。この形ですと、「白影 池塘 雑叢に動く」と読むでしょう。「二・二・三」の七言句のリズムの関係と、「動」「雑」と二つの述語を持たせた点が疑問です。
 また、転句も「残」の字はすでに「存在する」意味を内包していますから、二字目の「有」も役割を果たしていないでしょう。

 疑問として出された点についてですが、「瓏瓏」については、韓愈の「感春三首 其の一」に使われているのが仰っておられる用例でしょう。
 古詩ですが、その第六句に「瓏瓏晩花乾」の表現があります。この詩では、春も終わりになり木々の葉は大きく育ち、遅咲きの花(晩花)は白く色を失っているという内容です。「乾」という字が句の中に使われていますから、「瓏瓏」自体の意味としては、「玉のように白い」とするのが適切で、白くなった原因が乾いたことだとしても、「瓏瓏」の意味に「乾燥すること」とまで書くのは私も疑問だと思います。
 もう一点の「間」ですが、「詩韻含英異同弁」では、上平声十五刪の場合には「中間」の意味、去声十六諫の場合には「隔也」「隙也」であると説明されています。つまり、何かの中に存在する時には平声、二つの物の隙間とか距離を言う時は仄声と考えるとわかりやすいでしょう。「間(まじふ)」は「隙間に挟む」ということで、「隔てる」などと同じように、動詞用法として仄声と見るべきだと思います。

2005.12.22                 by 桐山人


柳田 周さんからお返事をいただきました。
野口(柳田 周)です。
新年おめでとうございます。本年も何とぞ宜しくお願い申し上げます。
拙作について、時に厳しいご批評とともにご指導を賜りありがとうございます。

>また、転句も「残」の字はすでに「存在する」意味を内包していますから、二字目の「有」も役割を果たしていないでしょう。

お説ご尤もかと思いますが、杜甫『垂老別』の中に「幸有牙歯存」なる用例がありました。

2006. 1. 5                by 柳田 周





















 2005年の投稿詩 第175作は 庵仙 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-175

  北上川合吟     北上川にて合吟す   

北上大河豊満流   北上の大河 豊満たる流れ

新陰静昼一園幽   新陰の静昼 一園幽なり

碑前吟詠和歌曲   碑前に吟詠す 和歌の曲

雲樹清閑鳥語柔   雲樹 清閑たりて 鳥語柔やかなり

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 盛岡で詩吟の大会があった。バス1台分で参加したが、その途中、石川啄木記念館前の公園にある碑前で和歌を吟じたのが、やや曇りがちな為に薄暗い感じがしていたが、鳥の声ものどかに聞こえた。もちろん吟じたのは、石川啄木の
 「柔らかに柳青める北上の 岸辺目にみゆ泣けと如くに」

<感想>

 石川啄木の短歌は、切れ目の入れ方が大切になります。啄木自身が示した三行分かち書きですと、
 「柔らかに柳青める
  北上の岸辺目にみゆ
  泣けと如くに」
となります。このようにして読むと、「柳青める」の後に一呼吸生まれます。その結果、「柳が青々としているなぁ」という感嘆形の趣が出て、次の「北上川の岸辺が目に見えるなぁ」と並列的に捉えることができます。「柔らかに柳青める北上の岸辺」と一息につなげて前半の二句を修飾語とした時と比べてみると、違いがよくわかります。こうした啄木の、言葉に対する感覚、センスは素晴らしいですね。
 啄木と漢詩の関わりはよく知りませんので、どなたかご存知の方は教えて下さい。

 転句の下三字は、「和歌の曲」と読み下すよりも、「歌曲に和す」とした方が漢詩としては落ち着きますね。

2005.12.22                 by 桐山人


 啄木と漢詩との関わりについては、今日、私の本棚を眺めていましたら、石川忠久先生の『日本人の漢詩』(大修館書店)が目に入りました。(こういうのは、不思議なもので、普段は見過ごしているのに、気に掛けると見えてくるんですよね)ということで、開いてみましたら、「啄木と漢詩」という章題で二章にわたって書かれていました。
 結論的には、啄木が作った漢詩は(断片を除けば)無いということですが、啄木の短歌のあちこちに、漢詩からの影響が見られるということを例を示されながら書かれていました。
 また、『唐詩選』が彼の座右の書であったということ、とりわけ杜甫に惹かれていたことが日記から読み取れることなど、本箱の前でつい読みふけってしまいました。

2005.12.23                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第176作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-176

  夏日偶成        

日夜炎威有草堂   日夜の炎威 草堂に有りて

無風無雨汗如漿   風無く 雨無く 汗漿の如し

難成老骨快川偈   老骨に成り難し 快川の偈

滅却心頭火亦涼   心頭を滅却すれば 火も亦た涼し

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 快川=快川招喜和尚・織田勢に攻められ甲斐の国・恵林寺で焼死の際に唱えたと伝えられる。結句に引用。

<感想>

 今日は愛知県は大雪となりました。朝から断続的に降り続き、出勤のための電車もダイヤは乱れて、歩く時も滑らないように注意しなくてはいけませんでした。(注意していても、私は結局滑って転んでしまいましたが)
 窓の外も真っ白のこんな時に、正反対の夏の詩ですが、私の掲載が遅れたためで、本当に申し訳ありません。でも、現実の世界とは離れて頭の中でイメージを広げることも漢詩の楽しみですから・・・・というのは開き直りですね。全く、反省です。

 快川和尚の「心頭滅却すれば火も亦涼し」は現代でもよく使われる言葉ですが、炎の中での言葉と見ると、まさに凄まじいものがありますね。
 起句の「有」は、働きが弱いでしょう。夏日に炎威が有るのは当然です。どのように「有る」のか、どのくらい「有る」のかを示したいところです。「覆草堂」とか「焦草堂」などと作者の気持ちも分かるような言葉が良いですね。
 転句は、「年老いてしまうと、快川和尚のような気概を持つのも難しくなった」ということですが、「織田に最後まで抵抗した快川和尚のような、反骨の気概」ということか、「心頭滅却のような強い精神力(悟り)」なのか、読者によって味わい方が違ってくるでしょうね。

2005.12.22                 by 桐山人


深渓さんから、お返事をいただきました。

 桐山堂先生
 ここ数日の寒気は異常です。寒い雪の日に夏日偶成との対比
暑さも寒さも年寄りには堪えます。ところで、雪で転ばれてお怪我は如何にと案じています。お気を付け下さい。

 ご指摘の「有草堂」「焦草堂」と改めました。有り難う御座いました。
 残り少なくなりましたが、お元気で新年をお迎えの程お祈りいたします。

2005.12.23                by 深渓




















 2005年の投稿詩 第177作は 登龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-177

  秋宵坐月        

西風颯颯早涼流   西風 颯颯 早涼流る

籬畔蟲聲轉感秋   籬畔の蟲聲 轉た秋に感ず

月満空庭窓下坐   月は空庭に満ち 窓下に坐し

吟邊懷友不堪愁   吟邊友を懷ひ 愁ひに堪へず

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 大意
起句 秋風がさっと吹き、早めの涼が流れ
承句 籬の辺りの蟲の声に益々秋に感じる
轉句 月は空庭に満ち窓に坐っていると
結句 詩歌を作ろうとしながら友を懐かしみ寂しさに堪えられない

<感想>

 ふと人恋しくなる秋夜の趣が、よく表れた詩ですね。「風の音」「虫声」「明月」と道具立ても揃って、自然に句が流れていくように思います。
 難点は、転句まで情景描写を引っ張ったことです。下三字から主語が変わるというのは、唐突な印象です。
 また、結句の「不堪愁」は、常套句過ぎて面白くありません。こうした、作者の感情を表す言葉は、注意が必要です。うまく使えば主題を明確に示すことができますが、逆に、言葉の上だけの浅い読み取りしかできなくなる危険性もあります。
 せっかく「友」を導いたのですから、その「友」の姿を想像するとか、作者自身や「友」の気持ちを具体的に描かれると良いと思います。杜甫の「月夜」のような感じでしょうかね。

2005.12.23                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第178作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-178

  堀之内新居        

転任乗機離故郷   転任の機に乗じて故郷を離れ

松城山麓結茅堂   松城(しょうじょう)山麓に茅堂を結ぶ

捲土重来期再起   捲土重来 再起を期し

豊饒大地一無忘   豊饒の大地 一も忘る無し

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

「松城山麓」=日本三大平山城・松山城のある勝山山麓の旧三の丸(現・堀の内城山公園)
「豊饒大地」=山の幸海の幸豊かな郷土 旧・北条市を指す

 新居と言っても、築17年のホントぼろアパートです。でも私にとっては松山城直下のまさに我が城です。市町村合併に伴い、平成17年4月29日に転居しました。
 旧北条市が北の副次核都市空間として発展していくことを祈りつつも、市民や職員が真に市域を越えて和合するのはまだまだ時間がかかりそうです。でも希望は捨てられないのが人間です。いずれ時節も来るでしょう。
 その日を夢見て、しばらくはここで元気に暮らしていきます!

 北条は豊饒の地  いつも私のアイデンティティはそこにあります。

<感想>

 「任」の字は、「任せる」とか「仕事」の意味の時には、仄声(去声二十七沁)となります。「たえる」「になう」「任侠」の意味ならば、平声(下平声十二侵)となります。
 サラリーマン金太郎さんの、故郷北条市への思いは、これまでの投稿作品でも何度も拝見しましたが、読むたびに胸がギュッとします。ただ、今回の詩は、「捲土重来」はどうでしょうか。この言葉の意味は「戦いに負けたり、失敗した人間が、準備を整えて巻き返しをはかること」です。
 金太郎さんも含めて北条市の方々が、今回の合併で戦いに負けたわけではないでしょうし、やがては報復して北条市の天下にしようと思っているわけでもないでしょう。金太郎さんが仰るように、「真に市域を越えて和合する」方向としては、この「捲土重来」は似つかわしくないですね。

 それと、部外者が生意気なことを言うように思われるかもしれませんが、「市民や職員が・・・・和合する」と書かれていますが、「職員」の和合が進めば、初めはとまどう市民も同じ方向に進みやすくなるのだと私は思います。

2005.12.23                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第179作は 嗣朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-179

  吟行偶感        

雨去彩冴美人陰   雨去りて彩冴 美人の陰

燕子帰来池苑潯   燕子帰り来る 池苑の潯

只有一天無限興   只有り 一天 無限の興

朋遊相聚楽清吟   朋遊 相い聚り 清吟を楽しむ

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 吟を愛する朋と 山田池の菖蒲を見に行った。朝方雨が降っていたが十時過ぎには上がり、絶好の行楽日和となった。楽しい一日を過ごした。

<感想>

 平起式の絶句ですので、起句の二字目「去」の仄声ではいけませんね。「雨餘」と平声に換えておくとよいでしょう。
 結句は逆に、「朋友」では「友」が仄声なので「遊」に換えられたのでしょうか。

 雨上がりだからこその、転句の「只有一天無限興」でしょうね。
 起句の「美人」は「菖蒲の花」を指しているのでしょうか。そう言えば、菖蒲の仲間の「カキツバタ」のことを「燕子花」と言いますが、承句はそれも意識されての表現でしょうか。「美人」⇒「いづれアヤメ・カキツバタ」⇒「燕子花」との連想も楽しいですね。

2005.12.23                 by 桐山人


嗣朗さんから、お手紙をいただきました。
 今日は
 推敲の足りない拙い作品を丁寧に御指導いただき大変勉強になります。漢詩に興味を持ってから日が浅く、平仄も一字毎辞書を引く情況です。又どうしても和臭的となりますが、良しとしてしまいます。これから、『唐詩選』の絶句から読んで勉強しようと思います。

 「雨去」は 雨上がりを意識して平仄を確認せず使ってしまいました。御指導頂きました「雨餘」に変えたいと思います。
 又、結句の「朋遊」も何か和臭的なため、「朋徒」(=朋友)と考え変更したいと思います。

 「美人」は「花菖蒲」を意識していましたが、「燕子(花)」がカキツバタとは思いもつきません、勉強になります。只池苑(山田池)のほとりを燕が飛んでる様子を単純に画きました。

 これからも変な漢詩を投稿するかもしれませんがよろしくお願いいたします。

2005.12.25                 by 嗣朗





















 2005年の投稿詩 第180作は福岡県の 兼山 さん、七十代の男性の方からの作品です。
 

作品番号 2005-180

  賀繊月先生傘壽     繊月先生の傘壽を賀す   

壽齢八十不知衰   壽齢八十 衰を知らず

賀客來参献玉巵   賀客來り参じて 玉巵を献ず

矍鑠仙顔眞可羨   矍鑠たる仙顔 眞に羨むべし

揮毫落紙少陵詩   毫を揮ひ 紙に落す 少陵の詩

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 先般『漢詩 はじめの一歩』を読み、アンケートを御送付致しましたところ、御多忙にも拘らず早速主宰からのメールを頂戴し恐縮致しました。
 今後は「漢詩を創ろう」のサイトに参加することに致します。
 何方かからの御教示が得られれば幸甚に存じます。

 この詩は、繊月先生(書家、西日本草書展推薦作家)の傘壽に献呈する為に作詩したものです。

 結句「揮毫落紙」は「飲中八仙歌」(杜甫)から引用。
   張旭三杯草聖伝   張旭三杯 草聖伝ふ
   脱帽露頂王公前   帽を脱ぎ頂を露す 王公の前
   揮毫落紙如雲煙   毫を揮ひ紙に落せば 雲煙の如し


 結句「少陵の詩」は、昨年の書展に繊月先生が出展された書、「南鄰朱山人が水亭に過る」(杜甫)の詩を指しています。杜甫は先生の最も愛好される詩人の一人と伺っています。

    南鄰朱山人が水亭に過る
  相近竹參差  相過人不知   相近くして竹参差たり、相過れども人知らず。
  幽花攲滿樹  小水細通池   幽花攲いて樹に満つ、細水曲りて池に通ず。
  歸客村非遠  殘樽席更移   帰客、村遠きに非ず、残樽、席更に移す。
  看君多道氣  從此數追隨   看る君が道気多きを、此れ従リ数追随せん。


<感想>

 以前に送って来られた詩もそうでしたが、句の配列、展開に疑問が残ります。
各句の要旨だけをまとめますと、
  起句・・先生のお元気な様子
  承句・・周りの人々の祝いの姿
  転句・・先生のお元気な様子
  結句・・先生が筆をとっている姿

 このような展開になっていますが、絶句の構成である起承転結から考えると、この詩では転句の役割が果たされていませんね。
 起句と承句でひとまとまり、これが原則です。従って、この詩を読んできた人は、「この先生は八十歳でお元気なんだなぁ。みんながお祝いに来てくれているのだなぁ」と理解します。お祝いに来てくれて、さあ、どうなるのだろうと思っていると、転句で、また「先生は元気ですよ」と戻ってしまって、拍子抜けの感じがします。そうならば、この転句は本来は承句の位置にあるべきでしょう。
 平仄や押韻は別にして、承句と転句を入れ替えてみると、詩の展開の違いが分かるのではないでしょうか。

  壽齢八十不知衰
  矍鑠仙顔眞可羨
  賀客來参献玉巵
  揮毫落紙少陵詩

 もう一点は、結句ですが、どうして「少陵詩」でなくてはいけないのか、これは読み取るのが難しいですね。
 繊月先生が書かれるものがいつも杜甫の詩であるというのなら、ここは先生の紹介のような役割になるでしょう。また、昨年の出典作が先生の現在のお姿と重なるような内容の詩であったなら、先生を内面から紹介する役割になるでしょう。お祝いの席に集まった方々は先生のそうしたお姿やご活躍を知っておられるわけですから、詩を読んで納得できますし、先生ご自身もきっと喜ばれるでしょう。お祝いの詩としては、それで良いと思います。
 どちらのケースでもない、となると、「少陵詩」と置いた理由をもう少し説明しなくてはいけないでしょう。

 「飲中八仙歌」からの引用は、「張旭」が草書の聖人(「草聖」)と呼ばれた人であったことから見ても、適切ですね。「揮毫落紙」は当然、その後の「如雲煙」の表現を思い浮かばせますから、十分な効果です。お会いしたことはありませんが、繊月先生も「張旭」と同じように、お酒がお好きで、人柄の大きな先生なのでしょうね。

2005.12.24                 by 桐山人


兼山さんから、早速推敲の作をいただきました。
御教示の線に沿って推敲してみました。

  
  賀繊月先生傘壽  繊月先生の傘壽を賀す
  
  壽齢八十不知衰  壽齢八十 衰を知らず
  矍鑠仙顔品格宜  矍鑠たる仙顔 品格宜し
  賀客來参張盛宴  賀客來り参じて 盛宴を張る
  揮毫落紙少陵詩  毫を揮ひ紙に落す 少陵の詩

2005.12.25                 by 兼山

 句の展開に流れが出ましたので、祝賀会の席上、繊月先生が今にも筆を持って「少陵詩」を書き出しそうな感じが出てきましたね。随分と句に迫力が増したように思います。
 今後ゆっくり推敲するとしたら、先生はお酒を楽しまれる方のようですので、承句か転句でそのことに触れられると良いでしょうね。初案での「献玉巵」のような言葉で良いと思います。

2005.12.25                 by 桐山人