2005年の投稿詩 第181作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-181

  大垣空襲        

砲火逃迷流水淵   砲火に逃げ迷い 流水の淵

暁空覘故里焼燃   暁空覘えば 故里焼燃す

燼灰焦土人安在   燼灰の焦土 人安くにか在る

惆悵茫然祈仰天   惆悵茫然と 天を仰いで祈る

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 私の故郷は岐阜県大垣市です。わが大垣市も昭和20年7月29日の深夜に空襲に見舞われました。
 当時小学6年でしたが、戦火の中を逃げ惑う内に家族とも散り散りになってしまい、ふと気がつくと水門川の中にいました。
 明け方に見た大垣城の落城は今でも忘れません。その感想を作詩しました。

<感想>

 昭和二十年に入ると、愛知県や岐阜県の都市は幾度も空襲にみまわれました。三菱重工業を始めとして軍需工場が集まっていた地域です。
 百三十万人を越えた名古屋市の人口は、空爆と疎開で終戦時には五十万人前後まで減り、市街部はその三分の二が焼野原になったと言われます。

 私の住む半田市も、中島飛行機製作所の工場があったため、七月二四日に空襲を受けました。しかし、そうした事実は詳しく伝えられてはきませんでした。市民運動として各地で「空襲を記録する会」が事実を掘り起こす活動が進められ、半田市でも、ようやくその空襲の実態などが明らかになってきました。
 体験者からの聞き取りを素材に、戦時中の市民の生活を演劇によって再現し、若い人に伝えていこうという活動が20年近く続けられています。オリジナルの脚本、市民参加による手作りの演劇ですが、私も何度か参加しました。
 勤労動員学徒、国民学校の教員など色々な役柄を担当させてもらいましたが、舞台で演じながら、胸が詰まるような思いをすることが何度もありました。当日の観客には体験者も各地から多くおいでになり、六十年もの昔を目の当たりにするようだと涙ながらに語られていたのが心に残っています。

 記録や記憶を風化させないためには、社会として取り組むことと個人として伝えることが大切だと思っています。緑風さんのこの詩は、辛い体験だったのでしょうが、読者である私たちのために、本当に残すべきものだと思います。

 起句は、「砲火が逃げ迷い」となりますので、「逃迷」を「砲火を形容する言葉」にするか、「砲火」「炎下」などのように場所を表す言葉にした方が良いでしょう。
 承句は句のリズムが乱れていますから、「暁空旧閣欲焼燃」などのようにしたらどうでしょうか。
 結句は「祈」を、「只」のような副詞に替えると、「茫然」とした心象を行為によって表すことになるでしょう。

2005.12.26                 by 桐山人


兼山さんから感想をいただきました。
 昭和二十年六月十九日夜、軍需工場の無かった福岡市も大空襲を受けました。
 当時中学一年生だった小生も、緑風さんの「逃げ惑う」体験とは異なりますが、近所の人たちで一杯になっている防空壕の外から、空襲の光景を見ていました。
 翌朝、市内の大きな建物の周辺には何人もの死体が転がって居ました。車力に乗せて運ばれている死体の手足が車輪に擦られているのを見て、生きている人ならば痛くて我慢が出来ないだろに、と思いながら傍を通りました。
 シナリオライターの友人(今泉俊昭君)たちが制作したアニメ映画『火の雨が降る』は、この福岡大空襲を取り上げた作品です。あの夜の、正に「火の雨が降る」が如き、焼夷弾の落下する印象を、何時の日か、私も詩に詠みたいと思いました。

2005.12.27                by 兼山





















 2005年の投稿詩 第182作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-182

  長崎倶羅婆園     長崎倶羅婆園(グラバー)   

雨洗軽塵澄霽天   雨は軽塵を洗ふ 澄霽の天

崎湾眺望佇庭辺   崎湾眺望 庭辺に佇む

思回歌劇劇中景   思ひは回る 歌劇 劇中の景

蝶妓凝眸待一船   蝶妓 眸を凝らして 一船を待つ

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 私はこの歌劇を見たことはありませんが、グラバー園から長崎湾を見て蝶蝶婦人の心情をうたいました。(1990年作)

<感想>

 起句を読むと、「あ〜る晴れた日に」という一節が聞こえてくるような気がします。プッチーニの名作ですが、結句に蝶々夫人がピンカートンを待つ切ない心情がよく表れていますね。

 転句の「歌劇劇中景」は面白い表現ですが、「思回」「劇中」の語にもう一工夫できそうな気がしますね。

2005.12.26                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第183作は東京都の 霽晴 さん、三年前に香港からお見えになった二十代の方からの作品です。
 

作品番号 2005-183

  冬来     冬来たる   

寒閨懶起雲裳暖   寒閨 起きるを懶(おこた)る 雲裳 暖かし

昼鼓無聊白玉煙   昼鼓 無聊 白き玉煙

弄律方知愁狄韻   律を弄して まさに知る 狄の韻を愁ふを

推門還掩冷孤肩   門を推して た掩ふ 孤肩を冷やすを

郷書一紙頻思國   郷書一紙 頻りに国を思ひ

明鏡三年但照顴   明鏡三年 但だ けんを照らす

暫借銀杯添細指   暫く 銀杯を借りて 細指を添へ

雪精已舞月痕前   雪の精 すでに舞う 月痕の前

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 漢詩好きのアマチュア詩人として、このホームページの発見を嬉しく思います。
 私は故郷は香港ですが、商業だけがすべてという気風があり、文学、しかも古臭いと思われがちの漢詩の作品を発表できるところは皆無といってもいいほどです。そのため学生の頃からの作品の多くが散逸してしまい、今更ながらとても惜しく思います。
 ここでは発表のみならず、他の騒人同好と詩の楽しさを共有し切磋琢磨することもできますし、一石二鳥といえましょう。

 但し、日本語の書き下ろしや白話翻訳が苦手ですので、なにかとお世話になるかもしれません。書下ろしなどがおかしかった場合はご指摘お願いします。
 最後になりますが、古代漢語の成分が多く残っている広東語で漢詩を詠むことをお勧めします。とても美しく、鈴のような韻律を奏でることになるでしょう。
 これからもよろしくお願い致します。

 この詩は、昨日(12月3日)の冷え込みに感傷して書いたものです。
 私は三年前に香港から日本に来ましたが、あれこれ忙しく二年も故郷に帰っていません。また、日本の寒さが私の心の寒さをも増幅しています。
 この詩は私の昨日一日の頽廃的な生活およぶ現在の気持ちを如実に表すものです。

[語注]
「 閨 」:女子の居室。転じて自分の部屋を指す。
「雲裳」:雲のように華美な衣裳
「昼鼓」:古代は鼓(鐘)で時を報じる。現代の日本の各時間ごとに鳴る時報にも通じる。
「無聊」:やることがなく頽廃的である様。
「玉煙」:煙の美称。ここでは吐息のこと。
「 律 」:音律、あるいは音楽。
「 方 」:「まさ」と書き下すが、ここでの意味は「やっと」。
「狄韻」:外国の韻律(音楽)。
「還掩」:書下しではわかりにくいが、ここでは「また閉ざす」という意味。
「郷書」:故郷の手紙 
「 顴 」:目の下、頬の上。
「月痕」:月の痕。月光のこと。

 最後の補記として。
 閨といった女性を表す言葉は従来の中国文学の伝統においては、婦女子のことを詠むことで男性が自分の心情を暗喩する場合が多いですが、私は昔からより直接的に自分のものを比喩するのに使っています。この点では屈原に近いかもしれません。
 これはやや病的に美しいものを好む美意識を持つ私の作風です。無名詩人なので作風云々とはいえないかもしれませんが、ちょうど私の心情を表せる言葉を選んでいるつもりです。
 皆様、いかがでしょうか。

(なお、投稿ページに載っている第一句の平仄の配置図は第一句から韻を押す形式を想定していますが、第一句は韻を押すかどうかが自由なのではないでしょうか。本詩は押していないので「△○△●○○●」にしていますが・・・)

<感想>

 日本では三年お過ごしとのことですが、書き下しも一部私が手直しをしたくらいで、整った文をお書きになると思います。

 寒さに胸の中も締め付けられて、物事が手につかなくなる。人恋しさが募る。故郷を遠く、長く離れておられると、こうした季節は特に心が切なくなることでしょうね。
 そうしたお気持ちがよく伝わる詩だと思います。
 「ホウ」と吐かれた息を「白玉煙」とされた感覚、尾聯のロマンティックとも言える描写、フランス映画を観ているような切なさがありますね。

 頷聯は、「音楽を聴いていても愁いを感じてしまうし、外に出ようとしても身も心も冷え冷えとしてしまう」という雰囲気でしょうね。

 七言詩の初句の押韻は、「韻を押すかどうかが自由」という見方もありますが、「(対句でなければ)原則として押韻する」という形で、このサイトでは見ています。ただ、踏み落とした場合も問題にはしていませんので、ご了解ください。

2005.12.26                 by 桐山人


謝斧さんから感想をいただきました。

 中国の若い詩人が古典詩で難解な七言律詩に挑戦することに大変興味をもっています。
詩形が難解な為、その分、感想も辛辣になるかもしれませんが、今後の投稿作品を見るのを楽しみにしていますので、ご了解ください。

 読者の立場で鑑賞しますと、内容は晦渋な感じがします
 措辞に生硬な、独りよがりな句が目立ちます。自注に頼らなければ、読者に分かってもらえないような表現はどんなものでしょうか、せめて文脈からでも理解出来るようにしてほしいのですが。
 古人の実績ある用例を無視して、自分勝手に理由をつけて作詩しても、読者には理解出来ません。 それを自注で助けるということは、無理なことだと感じます。先生の詩は常に自注が無いと、読者には理解されないことになります。

 そういう点から、いくつか疑問を出しますと、
・「白玉煙」は具体的には何のことでしょうか
・起聯で昼鼓と言い結聯で月痕前と言っているので詩人はどういった処にいるのでしょうか
・弄律方知愁狄韻   推門還掩冷孤肩
孤肩を冷すものは何なのでしょうか (還掩は門の影が孤肩を掩うて冷ややかなのでしょうか)
 出句の主語は詩人に対して、落句は 推門は詩人自身ですが還掩や冷孤肩は詩人ではないと思いますので、そうであれば、対句に破綻が生じますが。

 七言律詩を瑕疵なく作れるようになれば、起聯に韻を踏むことなどは難しくありません。
 七言律詩の起聯に韻を踏むのが好いことは誰でもが分っていることです。何故起聯に韻を踏まない用例があるかといえば、起聯の難しさからのものです。
 七言律詩の難しさは、「方東樹昭眛(憺ー心)語曰 起句須荘重峰勢鎮圧、含蓋全編体勢 忌用宋人軽側之筆 」と言っています。
其れゆえに、大家の詩は往々内容を重んじて、韻を踏まないことがあります。
我々の実力では、そういったことは学ばない方が好いと思っています。
 ただ、起聯を対句にして、踏み落しにするのは、概ねゆるされていますが、賛成しかねます。私も苦し紛れに、そういったやりかたをする場合もありますので偉そうなことはいえませんが。
 起聯を対句にすることは、拘束されるため内容が平板になりがちです。
「起句貴遒勁高突 故以不対為宜 若起句対仗所拘而顕呆板拘絆之象 以下略 」と言ってます。

結論は、我々の実力では、起聯は必ず韻を踏み、対句にはしないことだと思います。

2006. 1. 7                by 道聴途説居士






















 2005年の投稿詩 第184作は 嗣朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-184

  秋思        

風吹颯颯幾山川   風は颯々と吹く 幾山川

我道夢中初志伝   我は道ふ 夢中 初志伝ふ

茅穂映水秋漾漾   茅の穂 水に映ず 秋漾々

回来六十意渺然   回り来たる六十 意渺然たり

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 9月23日秋分の日、成田山不動尊へ参拝の途中三ツ池で脚を止めた。茅は今年も早朝の柔らかい風に吹かれ揺らいでいた。池には鯉と鴨が餌を求め泳いでいる様子を見つめている内、遠い昔を思い出した。

「夢中」・・・夢中又占其夢・・・荘子とあった。

<感想>

 転句の四字目「水」と結句の六字目「渺」は、平仄が合いませんので、ここは直す必要があるでしょう。
 結句は、「様子を見つめている内、遠い昔を思い出した」とのことですが、読者には伝わりにくいでしょうね。転句からある程度導入を意識して、言葉を使われると良いでしょう。
 全体的には非常に趣のある詩になっていると思いますので、部分のやや言葉の不足している点が残念ですね。

2005.12.26                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第185作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-185

  讀善行新聞記事書感     善行の新聞記を讀みて感を書す   

客車欲上不登段   客車に上がらんと欲して段を登れず

老婦困窮心若灰   老婦困窮して心灰のごとし

負背青年乗樂樂   背に負って青年乗ること樂樂たり

周囲喝采是邦財   周囲喝采す 是れくにたから

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 平成16年2月21日産経新聞大阪版朝刊掲載記事  「青年の大きな背中」より
(英知大 高木慶子教授の寄稿)大意を記す。

 あるバス停での出来事。
 三姉妹の老婆たちと居合わせることとなった。バスが来て長姉と思われる一人を後の二人が担ぎ上げてステップに乗せようとしたがうまくいかない。そこに後列でバスを待っていた青年が「僕がおんぶしましょう」と一声をあげた。その大きな背中に溶け込むように背負われた老婦人。青年は軽々とステップを踏んでバスに乗り込んだ。続いて乗車した妹たちも、満席だったが事の成り行きを見守っていた乗客たちの好意で席に着いた。
 姉妹の一人が青年に「私たちはこの近くで生まれ育ったんですが、久しぶりに三人で会うとつい年を忘れてしまい、ご迷惑をかけました。ごめんなさいね。」と礼を言う。「大丈夫ですよ。僕たちはクラブ活動で友達をおんぶしてグランドを走っているので慣れてますから」「どんなクラブなの」「陸上部です」「だから体が大きいのね」「ええ、まあ」。その会話は清清しいものであった。
 ややあって青年が「どこで降りられるのですか?」と聞くと老婦人が「終点です」と答える。「あなたたちは?」「もう少し手前ですが、僕たちもそこまで行きます」
 終点に着いた。「最後に降りましょう」と声をかける青年。青年の一人が乗車時と同様におんぶした。地上に降りると三姉妹たちはにぎやかに青年たちに謝意を述べ褒め称えた。
 私(高木氏)はじめ、同乗した人々全てが心温まる時空を共有できたひと時だった。そしてこのような若者たちの勇気ある行為を一人でも多くの方に知ってもらいたいと寄稿した次第である。

*******  そうしてこの記事を見て感動を覚えた私(金太郎)は、漢詩という媒体を使って、これまた一人でも多くの人々に日本の若者はまだまだ捨てたもんじゃないよ、と訴えたく作詩したのである。


<感想>

 この記事を私は知りませんが、サラリーマン金太郎が仰るとおりで、「日本の若者はまだまだ捨てたもんじゃないよ」という気持ちになりますね。
 社会全体に不穏な空気が漂っている時代ですが、先日の大雪の折、新潟県で広範囲にわたる停電が起きた時にも、真っ暗になった商店では、お客さんも協力してソロバンと懐中電灯で業務を続けることができたそうです。停電に乗じて盗みを働くという人は居なかったというニュースを聞くと、「日本も捨てたもんじゃない」と思いました。

 漢詩としては検討が必要な言葉も見られますが、日常の雰囲気を伝えるということで見ると、かえって口語的で分かりやすいかもしれませんね。

2005.12.26                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第186作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-186

  八月六日        

劫余五紀太平民   劫余 五紀 太平の民

惨憺干戈誰肯陳   惨憺たる干戈 誰か肯て陳べん

一瞬閃光千載恨   一瞬の閃光 千載の恨み

冀望非核亦傷神   非核を冀望して 亦た神を傷ましむ

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 八月六日の広島原爆投下の日、これまで多くの写真やフィルム、遺された街やものを私たちは見てきましたが、胸に浮かぶ思いは、まさに深渓さんがおっしゃるように、「一瞬閃光千載恨」だと思います。
 六十年の歳月を経て、戦争体験が風化しつつあると言われますが、消してはいけないもの、忘れてはいけないものとして私たちは胸に刻み続けてきました。現実には、この八月六日が近づかないとなかなか思い出す機会も少なく、日常的に思い続けることは難しいのですが、こうして様々な場面で思いを述べ合うことは大切なことだと思います。
 未来への楽観はしませんが、未来への道を造っているのは現在の私たちです。その責任を噛みしめさせていただける詩です。

2005.12.26                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第187作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-187

  桂小五郎隠棲但馬     桂小五郎但馬に隠棲して   

凄風苦雨侵征塵   凄風苦雨征塵を侵す

一敗塗来了前因   一敗塗れ来たって前因を了す

雲樹覇図天下計   雲樹の覇図天下の計

死而後已莫逡巡   死して後已む逡巡する莫れ

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 桂小五郎(木戸孝允)旧宅の管理人&ガイドとして勤め始めて3年半、今度博物館で2単位(90分×2回)の講話をすることになりました。

 彼の波乱万丈の一生の中でも、但馬の国出石に潜伏して荒物屋を開いていたという半年足らずの間が特に印象に残りました。
 蛤ご門での敗因の一つは彼が進めた他力本願の正藩合一の失敗であり、雲樹(ここでは高杉晋作ら)の自力による割拠統一が勝因を作ります。「死して後やむ」は松陰の士規七則の一つ。猛士は松陰の別名です。

[意訳]

   苦しくも 降り来る雨か
   戦いに敗れ来って省みる
   他力本願   役立たず
   死して後やむ 猛士の訓
   いざいざ起たむ 維新へと



<感想>

 今回の詩は、日頃の知秀さんのしっとりとした繊細さから離れて、力感のあるものですね。
萩になかなかお邪魔できずにいますが、暖かくなったら妻と出かけようと話しています。その折には、必ず「桂小五郎旧宅」に伺い、知秀さんの名ガイドをお聞きしたく思っていますよ。

 幕末の英雄は沢山いますが、幾度も窮地に陥りつつも、そこからいつも立ち上がる桂小五郎の姿は、見ていて面白い(?)ですね。彼の精神の強さを感じます。
 そうした彼の強さが、詩にも反映したのでしょうね。

 起句「侵」は、両韻ありますが、通常の「おかす」の意味の場合には平声ですので、このままですと、「下三平」となります。
 また、承句の六字目の「前」も平声ですから、「二六対」が崩れていますね。

2005.12.26                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第188作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-188

  時事有感        

恩讐得失即今空   恩讐得失 即今空し

人類一家兄弟同   人類は一家兄弟と同じ

勿鬩塵涓忘水没   塵涓をせめぎて水没を忘るる勿れ

遥超叡智極氷融   遥か叡智を超えて極氷が融く

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 地球温暖化現象が杞憂であることを祈りたいです。

<感想>

 転句の「塵涓」は、「塵や水のしずく、非常に小さなもの」です。「小さなことにばかり目を向けて、大局を見忘れるな」ということが句の意味ですね。
 先日12月23日の産経新聞に、「地球温暖化によって、ワインの産地が変わる」という記事がありました。アメリカの学者の研究で、
 暖かくなりすぎると葡萄の糖分が多くなり、ワインの味が変わってしまう。今までの産地よりも北の地域が、やがてはワインの名産地になるだろう。すでにその兆候は出ている、とのこと。
 こんな要旨ですが、身近な影響というところでしょうか。現実には、そんな悠長な問題ではなく、「北極海の今夏の氷冠が、1979〜2004年の平均よりも20%小さかった」「北極海では、過去50年間で冬の気温が摂氏4度も上昇している」などの報告が出され、また、別の記事でも、「2005年は、この125年間で最も気温の高かった年になる」とされています。
 日本では、先日気象庁が今年の「暖冬予報」を「寒冬」に訂正したように、厳しい寒さが続いているために、「温暖化」という言葉に最近はインパクトが薄くなっていますが、目の前のことばかり見ていては、井古綆さんの仰るように、「塵涓鬩忘水没」ですね。

2005.12.27                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第189作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-189

  八月尽日        

朝光窓入已微傾   朝光窓より入るに 已にわずかに傾き

隅奥何虫震細声   隅奥何の虫ぞ 細声を震わす

八月将過渝景物   八月将に過ぎんとして 景物はる

秋風到復自心更   秋風到らば 復た 自ずから心更まらん

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 季節の変化を受けて、自らの心もまた新たになる、という穏やかな感動が書かれた詩ですね。
 起句の「朝光」「已微傾」というのは、「朝日が窓から差したと思っていたら、もう傾き始めてしまった」ということでしょうか。時間の流れの速さを大胆に書かれたと思いますが、「朝日」「傾」には、違和感が残ります。
 あるいは、「秋が来たので、太陽の昇る位置が低くなった」ということでしょうか。うーん、今、用例を思い出せませんので、機会があればお教え下さい。

 転句は、このように「景物」というからには、前半でもう少し変化を示すものを描いておきたいですね。「日光」と「虫声」だけでは、数が不足でしょう。
 結句は、とても良い句だと思います。

2005.12.27                 by 桐山人


柳田 周さんからお返事をいただきました。
 小生は後者「秋が来たので、太陽の昇る位置が低くなった」の意味の積もりでした。
 確かに伝統的な用法では、「傾く」のは常に夕日であって朝日ではない事は承知していますが、この作を得た朝、目覚めて窓を開けた瞬間、朝光が傾いて窓に差し込んでいる事を実感し、直ちにこの起句を得た次第です。
 しかし、文章として客観化された場合、読む方の違和感を誘うというのは尤もだと思います。
用例があって使用したわけではありません。

2005. 1. 5               by 柳田 周





















 2005年の投稿詩 第190作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-190

  台風後総選挙     台風後の総選挙   

台風三近幸無害   台風三たび近づけども 幸にして害無し 

翌霽陰虫処処鳴   翌霽れて 陰虫 処処に鳴く

請選駅頭号候補   選を請ひて 駅頭 号する候補の

誰能治国泰民情   誰か能く国を治め民情を泰らかにせんや

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 今年の総選挙は、台風というよりも洪水でしょうか。高台に住んでいる人が仲間だけを集めておいて自分で堤防を切り、町(国)中がクチャクチャになっていても、高台の集団は徒党を組んで町を闊歩する、という感じがして仕方がないのですが、うーん、ちょっと言い過ぎかな?
 承句の「陰虫処処鳴」と転句の「号候補」の対照に転句の効果を出されたと思いますが、同じ音声で並べた分だけ、(詩全体での転ではなく)承句と転句の間の変化にしか見えないのが惜しいですね。

2005.12.27                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第191作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-191

  新秋        

白雨翻盆霹靂轟   白雨盆を翻して 霹靂轟き、

紅霓劃郭画図生   紅霓郭を劃して 画図生ず

閑庭颯颯金風度   閑庭颯颯 金風度り、

簇竹漙漙玉露盈   簇竹漙漙 玉露盈つ

櫞鐸幽音留夏興   檐鐸の幽音 夏興を留めるも、

井梧衰影得秋情   井梧の衰影 秋情を得たり

酔望遥嶺銀蟾出   酔うて遥嶺を望めば銀蟾出で、

恍看短籬新蛬鳴   恍として短籬を看れば新蛬鳴く

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 拙詩に諸先生よりご高批を頂き喜びの余り、鈴木先生のご苦労を顧みずに投稿します。この詩を皆様のたたき台にして下さい。
「銀蟾」=月

 非才の管見としましては1.2句を対句にする場合、1句目を踏み落としにするのは、対句にして両韻を踏むのは技術的に難しいと解釈していますが、如何でしょうか?
 1句の「翻盆」と「傾盆」は何れが良いでしょうか?
 6句の「得」は作者の感情を出す為推敲を重ねましたが、読者に理解出来ますでしょうか?
 8句の「恍」の措辞は如何でしょうか。

諸先生のご高批を拝受したいと思います。

<感想>

 新秋の趣が頸聯に凝縮されている詩で、この二句の情趣は秀逸だと思います。ただ、「得」の字で「作者の感情を出す為」というのは主語が変わるということでしょうか。ここで敢えて作者を出す意図を読み切れませんでした。
 上句と同じように、「衰影」を主語として私は理解しましたが、「衰影」「秋」では当然という感じで物足りない気持ちがします。「愁情」ではおかしいでしょうか。

 前後しますが、「翻盆」と「傾盆」は、「白水」の関連で蘇軾の「望湖楼酔書」の連想からも、このまま「翻盆」が良いと私は思います。
 「恍」は、作者の感情がここで一気に出る形で、違和感はありませんが、そういう関係からも、頸聯で「作者の感情を出す」のはどうなのでしょう。
 「恍」よりも、私は上句の「酔」の必然性が疑問です。後の「望遥嶺銀蟾出」と酔うことの関係があまり感じられません。
 「恍」に対するにどんな字が良いか、という逆の方向、つまり第七句を推敲する線で考えてみたいと思います。

2005.12.27                 by 桐山人


逸爾散士さんから感想をいただきました。
 全部の聯が対句なのでしょうか。用語は詩語集中の語をあまりはなれないとはいえ、構成は端正ですね。
 首聯も颯爽と始まっている。イメージの強い字が続くのでちょっと技巧が強すぎる感が生じるかも。

「井梧衰影得秋情」は、「衰えた影」でなく敢えて「繁影」にして、「秋の情が潜む」とか「忍び寄る」ような字を探すのはどうでしょうか。
「酔うて遥嶺を望む」のはそれほど唐突の感はしませんが、「望」「看」と同じような見る意味の語が並ぶと、(おまけに酔ったり、恍としたりとそれぞれ形容されていると)何か合掌対のよう。作者の姿が最後に出てきて収まるのはそれでいいのですけれど。どちらかを「二字熟語」・「遥嶺」(または「短籬」)という形、どちらかを一字の形容語」・「看」(または「望」)というふうに対の形を崩すほうがかえってダイナミックになると思えます。「遠望東嶺銀蟾出  恍回短籬新蛬鳴」みたいな感じ。
(酔ってではなく)月が出たのを仰ぎ見て、「あー」と感嘆しながらまがきを回ると虫の音が聞こえる…。

2006. 1. 2             by 逸爾散士

------------------------------ 井古綆さんからお返事をいただきました。

 逸爾散士さん、初めまして。井古綆です。
 早速のご高批有難うございます。
(その前にまず鈴木先生にお礼を申し上げます。中古のパソコンも半年で故障、清水の舞台から飛び降り、新調しました。以前は筆名の「綆」も入力できず、投稿するに文字をかえるなど苦労しましたが、先生にはそれ以上にご苦労があったことと思います。長い間有難うございました。なお4句の??はサンズイ+專でタンです)。。。
 余談ですが、私は昨年、わが国漢詩界の泰斗である石川先生にお会いする機会がありました。その講演のなかで白楽天の詩について、彼は老婆にも理解できる詩をモットーにしたと聞きました。
 私も以前より、誰にでも理解できる詩を作って参りました。いや難解な詩は作れないのです。まして、詩作の動機がボケ防止のためという、不純な気持ちからですので、良い詩ができないと思います。
 この度、鈴木先生のこの「成蹊」を見つけ、皆様と共に斯道の向上に努めたいと思います。入賞作品を投稿しようと思ったのも、皆様の詩想の一助になればとの気持ちからで、忸怩たる気持ちもあります。私は投稿にあたっては先入観をできるだけ避けるため注釈を最小限にしています。
 では、本文にはいります。
 1句は膾炙されている「傾盆」を考えましたが冒韻を避け「翻盆」を造語しましたが、私は「軽盆」を好みます。1句の押韻はこの場合いたし方ないと思いますが如何でしょうか。
 「翻盆」としたため、2句に同じく重韻の「劃郭」に苦心しました。。。
 絶句の場合、前半を景、後半を情に作りますが、律詩の場合大概7,8句が情とおもいます。拙詩は後半4句が情です。即ち「夏興」「秋情」で、前半4句に「暑」を入れたかったのですが無理でした。
 しかし、この4句で新秋の到来を暗示できると思いました。5、6句の意味は「ようやく夏も過ぎ清清しい秋が来たことを喜ぶ(得)]です。それで言外に飲酒、7句に「酔望」とし、7、8句が対句であれば、逸爾散士さんのご指摘のとおり「望」も「看」も同意語です。やはり「聴」とすべきでした。
 有難うございました。
 最後の「恍」ですがこの字は「恍惚」(双声語)としか用例を知りません。例として「彷徨」(重韻)があります。私は一字で使用したことはありません。この点をご教授いただきたいと思います。

2006. 1.18               by 井古綆























 2005年の投稿詩 第192作は 登龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-192

  東籬看菊        

盡心培養發黄花   心を盡くし培養 黄花を發く

留戀東籬秋色嘉   留戀す 東籬 秋色嘉し

萬態千枝香馥郁   萬態千枝 香馥郁

傲霜浥露在吾家   霜に傲り露に浥ひ 吾が家に在り

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 大意

起句 心を込めて培い育てた菊が黄花を開き
承句 後ろ髪を惹かれるような秋の籬の景色は優れている
轉句 色々な容姿のたくさんの枝は香りも高く立ち込め
結句 霜をものともせず露に湿りまさに我が家にある

<感想>

 菊の花は、陶潜に愛されたことが最も有名ですが、他にもさまざまな詩人が詩に詠んでいます。この登龍さんの詩では、「東籬」の語から「飲酒」の陶潜の姿を浮かばせるとともに、「傲霜」の語から「贈劉景文(劉景文に贈る)」の蘇軾も浮かんできますね。

 大輪の菊は日本でも秋を代表する花として愛されていますが、特に心をこめて育てておられる方はひとしおなのでしょうね。
 菊の花の姿も香りも、そして登龍さんの愛情も感じられる詩だと思います。

2005.12.28                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第193作は 庵仙 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-193

  題茂庭左月奮戦     茂庭左月奮戦に題す   

独眼危身激戦場   独眼の危身 激戦場、

茂庭一戦此攻防   茂庭の一戦 此の攻防。

奮然征馬斜陽下   奮然たる征馬 斜陽の下、

壮絶干戈悲憤岡   壮絶たる干戈 悲憤の岡。

六十魂消呼不答   六十 魂は消え 呼べども答へず、

豪雄臣没涙成行   豪雄 臣は没し 涙 行を成す。

興亡傷目凄風夕   興亡 目を傷ましむ 凄風の夕べ、

独立荒原冷月光   独り 荒原に立てば 月光冷やかなり。

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 これは伊達政宗三大合戦の一つである「人取り橋合戦」を取り上げた。
 政宗は少ない配下を連れて朝駆けをしていた。「人取り橋」に差しかかったとき、突然敵の芦名勢が3000騎雪崩れ込んできた。たちまち囲まれ、あわやというとき、家臣の茂庭左月が60騎を従い、血路を開いた。辛くも難を脱したが、左月たち60騎は全滅した。時に左月は73歳。壮絶な死であった。惜しい人材を失った政宗の気持ちはいかばかりか。
 これを漢詩で綴った。これは(その2)であるが、(その1)では戦いの様子を七言律詩で書いている。

<感想>

 歴史的な合戦の様を描く時には、書き下しの訓読体がよく合います。この詩でも、迫力と哀傷が両存して、一気に読んでしまいました。
 対応の関係では、頷聯の「斜陽下」「悲憤岡」、頸聯の「六十」「豪雄」が、内容的に苦しいように思います。
 特に、「六十」は、最初は茂庭左月の年齢かと思いましたが、兵の数のことですね。ここは、主人公である茂庭左月の奮戦の様子に揃えた方が良いと思います。

 「行」の字は、「行く、行う」ならば「下平声八庚」、「(並んだ)列」ならば「下平声七陽」、「行い(名詞)」ならば「去声二四敬」と幾つも韻を持つ字ですが、この場合は下平声七陽の用法ですね。

2005.12.28                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第194作は 諦道 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-194

  京都送火        

京洛東山黛色連   京洛 東山 黛色連なり

揺揺送火耀盆天   揺揺たる送火 盆天に耀く

舟形妙法大文字   舟形の妙法 大文字

供養精霊坐福田   精霊を供養して 福田に坐す

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 京洛の東山は黛色が連なっている
 ゆらゆらと揺れる送火は盆の天に耀いている
 舟形妙法大文字
 先祖の精霊に供養して安楽のところに住む

京都のお盆の行事を描きました。

<感想>

 昨年も諦道さんから、「京都の送り火」の詩を送っていただきましたね。今回は、韻目を替え、推敲された作品ということですね。
 夕暮れから次第に夜に入り、大文字を眺めるところまで、喧騒から離れた落ち着いた風趣が感じられる詩です。
 ただ、日本の行事を漢詩で描くと、どうしても和習を使うことになります。
 この詩では、「盆」がひっかかります。八月の「お盆」の意味では使えませんので、「盆の形をした天」と読まねばならなくなります。「送り火」も、前回書きましたような「燎火」が良いでしょう。
 同じことは、「東山」「送火」「妙法」「大文字」などの固有名詞にも言えるのですが、これらは例えば、「東山」は「京都のヒガシヤマ」であっても「東方にある山」と読んで解釈できるように、固有名詞を普通名詞に読み替えることで何とか理解はできるでしょう。ただ、作者の意図通りに伝わるわけではないのですから、使う時には覚悟が必要ですね。

 

2005.12.28                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第195作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-195

  祇園祭        

王城市井熱炎辰   王城の市井 熱炎の辰

絢爛山車大路巡   絢爛たる山車 大路を巡る

幾万遊人歓喜叫   幾万の遊び人 歓喜の叫び

祇園祭礼感懐新   祇園の祭礼 感懐新たなリ

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 今年久しぶりに祇園祭を見ました。その感想を作詩しました。

<感想>

 緑風さんからも、京都の祭りの詩をいただきました。
 こちらは、にぎやかな祭りの雰囲気がよく表れていて、諦道さんの詩と対照的で面白いですね。特に、起句は朝からの祭りの熱気があふれるようです。承句・転句も勢いがあって、活気が感じられます。
 結句の「感懐新」は、締めくくりとしては無難ですが、物足りなさも感じますね。余韻がもう少し残るような結末が良いのではないでしょうか。

2005.12.28                 by 桐山人