2004年の投稿漢詩 第211作は川口市の 一人土也 さん、十一歳の方からの初めての投稿作品です。
 お手紙では、
「11歳です。夏休みに自作漢詩を本にしてもっていきましたが、読む人がいませんでした。
 漢詩を知っている人がいないかと思いました。
 こんなホームページもあるのかと思いました。
 ほかの人の詩を読むのも楽しみです。
違っているところがあったら教えてください。
とのことです。

作品番号 2004-211

  夜景        

落日中群竝   落日群竝の中

碧黔白月黄   碧黔に白月は黄なり

星填陰暗暗   星填まり暗暗と陰る

我考黴形忘   我考す黴して形忘る

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

  落日、群れて竝(並)ぶ(ビル)の中。
  深き青が黒ずみ、白い月は黄色くなる。
  星静まる。暗い闇がそれを覆う。
  我考え、筆を浸して(書こうとして)その(すばらしい夜景の)形忘れる

 訳はこれでいいでしょうか

 中国の「三国志」、「封神演義」などにはまり、漢詩を知りました。
今は漢詩人の本を読んでいます。

<感想>

 小学校六年生の方からの漢詩投稿ということで、まず驚きましたが、詩を拝見してまたまた、その力強さにびっくりしました。投稿に添えられたお母さんのお手紙も拝見しましたが、「毎日『字通』の平仄一覧を眺めていた」と、一人土也さんの様子が書かれていました。

 私が差し上げた手紙をご紹介し、今回の感想とさせていただきましょう。

 押韻・平仄とも整えようという気持ちがよく伝わってきます。

 注意するところとしては、
@転句の「填」は、「しずまる、しずめる」は仄声、それ以外は平声ということで、平仄異義語です。
 この場合には、仄声での用法ですので、「二四不同」の原則から外れます。ここは「填」の字を他の平声の字と替える必要があります。
A承句の平仄は、「●○●●◎」となっていますが、二字目の平字である「黔」が仄字に挟まれています。これは「二字目の孤平」に当たりますので、避けなくてはいけません。
 以上の2点が平仄の点では注意することですので、よく調べて作ってあると思います。

 内容の点では、
@起句「中群竝」は「〜の中」とする場合には、「中」の字を最後に持ってこなくてはいけません。「京中」「期間中」など。夕日がビルに並んだということですと、「落日層楼竝(落日 層楼に竝び)」とすると良いでしょう。
A承句は孤平のことがありますが、やや色を使いすぎかもしれません。そこが狙いだということでしたら、「碧」の後は「空」「天」などにして、孤平を避けるために「白」だけはあきらめる必要があるでしょう。色にこだわらないのならば、「東天璧月黄」「東天片月黄」でも良いと思います。
B結句は、「我」の主語は漢詩ではほとんど不要です。また、「考」もここでは役割が無い(「考えたけど忘れた」という結果ならば「考え」は意味が無いことです)ので、ばっさり捨てて、ここに「欲写」とはっきりと動作を示し、何を忘れたかを三字目四字目で表すとバランスが良くなります。
「黴」はここでは使いにくく、「カビのついた形」と理解されてしまいますので、他の言葉で探した方が良いでしょう。

 いくつか書きましたが、内容の面でのことは「間違っている」ということではなく、「こちらの方が良いかな」という私の感想ですので、今後の参考にするつもりで読んで下さい。
 漢詩は特に、一度書き上げたら完成、ということではなく、何度も推敲をするものです。今回の作品を出発点にして、より自分の気持ちがしっかり表れている詩を目指して下さい。
 分からない所などがありましたら、いつでも質問をして下さい。

 お母さんへ。
 十一歳という年齢ですと、漢詩や漢文を学校で習ってはいないでしょうに、しっかりと調べて作ろうとしているのは素晴らしいことです。
 漢詩は、中国の古典語で詩を作るという非常に難しいことを行うわけで、文法や細かな規則は確かにありますが、まずは作り始めることが大切です。良い悪いという評価はありません。
「この詩では、どんな気持ちを表したいの」という形で、書かれた詩をお母さんもご一緒に読んで下さると、励みになると思います。その上で、率直な感想、例えば「そういう気持ちなら、こういう景色の方が良いんじゃない?」とか「この例え(比喩)はとても分かりやすいね」などと話し合っていただけたらと希望します。


2004.11.11                 by junji



ニャースさんから感想をいただきました。

 現代でも道真公のように小学生のころから、漢詩に親しむ人がでてきたのは、うれしいですね。
 本当に漢詩にこだわらずに、いろいろな本とかよんで、自分の想像力を一杯 ひろげるといいですね。娘は12歳だけど、少し漢詩の話でもしようかな。
 土也君もどんどん投稿してください。楽しみにしています。

2004.11.11                 by ニャース



海山人さんからも感想をいただきました。

 拝見いたしました。
「落日」からはじまるところは後世畏るべしですね。

 全体および「訳はこれでいいでしょうか」というところから、なんとなく頭の中で白文からいきなり出来上がったような感じがします。ご本人に聞いてみたいところです。
 おそらく「今は漢詩人の本を読んでいます」ということで古人の作が古詩も含めてぎっしり詰まっているのではないでしょうか?

 そうしますと以下、
「落日中群竝」は「○○中□□」という"句型"が想起され、○○に「落日」、□□に「群竝」が当ったのではないでしょうか。すると平仄の為に「中群竝」を倒置したのでは無く、この推理から由るところの"後から付けた訳"がちょっと違っていて、実は「落日 群竝に中(あた)る」なのではないか。さすればこれはなかなかの警句と成ります。
 次に、「碧黔白月黄」は「○○横[黄]」という"句型"が想起され、今度は「黄」と「横」のちょっとした記憶違いだったとすれば、「碧黔に白月横たわる」、これもまた一興。
 さらに「我」字ですが、原点である詩経などにはよく使われており、結句にあたりそれが自然に現れたものとすれば一概に不要とも言えない趣があるのかもしれません。
 蛇足ながら「形忘」は"さすがに"倒置でしょうか。また、「夜景」という題はこの詩格に比べてやや軽いでしょうか。この辺りお母様のご意見も聞かれては如何でしょう。

 とにかく今後がとても楽しみです。

2004.11.13                 by 海山人



ニャースさんの感想に対して、一人土也さんからお返事が来ています。

 載せていただいてありがとうございました。
ニャースさんにはご感想を頂き、ありがとうございました。
それで一首作りました。        
(言い訳になってますが)一時間で楽しく作ろうと思ったので、とても崩れていますが、ご容赦ください。 (特に転句がまずいと思いますが)



  書非才身     非才の身で書く   

篤心呼筆硯   篤心に筆硯を呼び、

書札喜相陪   書札に喜び相陪す。

我盡三餘樂   我 三餘の樂しみを盡くさん、

其全亦快哉   其の全て 亦快なる哉。
  あつい心の手紙に筆記用具をあつめて書き返し、
  手紙を書いて漢詩を教わる喜びが相重なる。
  我は雨、夜、冬は読書の楽しみを盡くす。
  その全てがまた楽しいのだ。

2004.11.12                   by 一人土也





















 2004年の投稿漢詩 第212作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-212

  書憤(沖縄米軍機墜落事故捜査拒否)        

諛悦美州愁夢多   美州に諛悦すること 愁夢多し

依然民事有干戈   依然として民事 干戈に有り

同盟地位非対等   同盟の地位 対等に非らず

宰相無言邦在何   宰相 言無く 邦は何くに在らんや

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

 阿諛追従
〇 沖縄で米輸送ヘリが大学敷地内に墜落事故発生時、米軍以外は何人たりとも一切立ち入り厳禁。総理・官邸各省庁は無言の行に、憤りを書す。沖縄は日本国沖縄県なり。国連軍・理事国云々よりも・・

<感想>

 深渓さんの憤りがよく伝わってきます。
 転句で二六対が破れていること、結句の「在何」の語順、そのあたりが気にはなりますので、そこだけは修正した方がよいでしょう。

 こうした怒りや憤りを詩で表現するのは、どこまで具体性を入れるかが難しいところです。そのままの事件を描いていると、表現や言葉が直截に過ぎて、詩と言うよりも散文のような印象が強くなります。かといって、一般的な描写に移れば、今度は現実がぼやけてしまう。
 作者が詩として描きたいこと、そこを絞り込むような表現に工夫しがいのあるところですね。

2004.11.11                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第213作は 諦道 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-213

  祇園祭        

祇園祭礼熱炎辰   祇園の祭礼熱炎の辰

絢爛山車大路巡   絢爛たる山車大路を巡る

幾万遊人喜無限   幾万の遊人喜び限りなし

古都雅事至今新   古都の雅事今に至って新たなり

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 学生時代に住んでいた京都の祇園祭のすばらしさに感動を覚え、作詩しました。

<感想>

 転句は挟み平になっていますね。
 夏の暑さ、絢爛豪華な山車、沢山の人々、祇園祭の華やかさが伝わってくる詩ですね。そういう点では、転句まで一気に読み進んで、結句でまとめ上げようという構成の意図もよく分かります。
 ただ、内容的には承句と転句が祭りの具体的な描写ということでまとまりますので、推敲の方向としては、起句の内容と転句の内容を入れ替えるような形で、前半と後半をはっきりさせると、転句の効果も生きてくるでしょう。

 結びの「至今新」は、どういうことを指して「新」と言っているのか、説明が足りませんね。収束の部分が甘いために、せっかくの転句までの勢いが消えてしまったように思います。この三字をもう一工夫されると良いのではないでしょうか。

2004.11.12                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第214作は 諦道 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-214

  大文字燎火        

京洛連峰黒暗中   京洛の連峰黒暗の中

揺揺送火彩天空   揺揺の送り火 天空を彩どる

船形妙法大文字   船形妙法大文字

供養精霊今古通   精霊の供養今も古も通ず

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 毎年行われている京都の送り火を見てつくりました。

<感想>

 題名は「京の送り火」としていただきましたが、日本語では漢詩の題には不適当ですので、私の方でつけさせていただきました。
 承句の「送火」は、漢詩では通じないですね。また、「彩」は動詞としては使えませんので、これも良くないでしょう。
 こうした和臭については、漢和辞典をこまめに引いて調べることで対応しましょう。
 漢和辞典に用例が載っていれば、当然漢詩として使えます。逆に、日本語用法と書かれていれば、その場合には使うのは避けた方が良いですね。

 この詩も前作と同じように、全体の構成が転句の働きを弱くしています。転句と結句でひとまとまりにする、というのが通例であり、そこを破るからにはそれだけの必然性が要求されます。前作よりもこの詩の方が、そういう点では弱いように思います。
 やはり、起句と転句を入れ替えたいという気持ちが浮かびます。

2004.11.12                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第215作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-215

  秋日郊行        

秋清武野帶涼歸   秋は清し 武野 涼を帯びて帰る

暮鳥數聲人語稀   暮鳥 数声 人語 稀なり

獨愛西郊殘照色   独り愛す 西郊 残照の色

田園盡處彩雲飛   田園 尽る処 彩雲 飛ぶ

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

 「武野」…武蔵野

 もともとは3年ほど前に作ったもの。
いつになくすらすらと言葉がまとまっていくので喜んでいたのですが、(今では「田園」の語が入っていますが)結句頭に適当な語が入らず、長い間、頭の片隅に留めたままで放置していました。
 起句と結句の順番についてなども随分と迷ったものですが、現在の状態で割合にうまくまとまっていると、自分では思っています。

<感想>

 起句と結句の順番につきましては、お考えになった通りで、まとまりがあると思います。
 転句との関わりで言えば、「残照色」「彩雲飛」が緊密であると取るか、内容的に重なると取るか、そこが分かれ目でしょうね。
 その判断の基準は、こうした郊外へ出かけた詩でしたら、視点の流れということになると思います。この詩の場合には、起句承句が広い視野で景を捉えています。転句からは少しずつ視野を絞る形で、具体的に「西郊」「田園盡處」と進んでいますので、違和感はありません。
 起句と結句を入れ替えた場合には、全体が方向を狭められるため、承句の広がりが生きてこないのではないかと思います。あるいは、狭→広→狭→広と流れるとも言えましょうか。
 現行の流れの方が自然だと思われますね。

2004.11.13                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第216作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-216

  送某君赴濱松    某君の浜松に赴くを送る  

一唱渭城曲   一唱 渭城の曲

親朋分袂難   親朋 袂を分つは難し

赤心還惜別   赤心 還って別れを惜しみ

青眼爲忻官   青眼 為に官を忻ぶ

不懼山關險   山関の険しきを懼れず

何期海道安   何ぞ海道の安きを期せん

風雲千萬里   風雲 千万里

狂客足波瀾   狂客 波瀾 足る

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 本人に贈ることはありませんでしたが……。

 はじめ後4句だけで五言絶句に作ったのですが、あとで前4句を足して律詩にしました。
長くなった分、状況はよく分かるようになったと思うのですが、最初に持っていた勢いみたいなものが削がれてしまったようにも思います。
 今まで七言絶句ばかりだったせいか、自分でも要領がうまくないというか、どうも五絶でも五律でも落ち着きません。

<感想>

 送別の詩ということですし、冒頭の「渭城」は王維の「送元二使安西」を十分に意識させる展開になっていますね。
 第六句は反語形ですか?それでしたら、第六句も含める必要があるように思います。

 絶句が良いのか律詩が良いのか、という点では、送別の詩としては五言絶句ではやはり物足りないと思います。言葉が不足する分を相手に補ってもらうというのでは、自分の気持ちを直接相手に伝える場面としては、一般的には良くないでしょうね。言葉を尽くして情を尽くす、それが良いのだと思います。

2004.11.13                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第217作は 一人土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-217

  思秋        

九霄無一言   九霄 一言無し

萬葉照秋來   萬葉 秋照らし來る

千樹紅顯   千樹 紅高ノ閧る

玄黄百念灰   玄黄 百念灰となる

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 秋の紅葉について書いてみました。
 漢詩というものを始めて、まだそれほど経っていないのですが、これで読みはいいでしょうか。
漢詩はこれからもたくさん作っていきたいと思います

<感想>

   読みはこれでいいか、ということでしたが、いくつか漢字の順番が違いますね。難しいかもしれませんが、漢詩や漢文では、「主語(〜が)+述語(〜した)+目的語(〜を)・補語(〜に)」という並び方をします。
 「萬葉照秋來」ですが、ここも「秋が照らす」ということなら、順番は「秋照」とならなくてはいけません。
 「紅顯香vについては、このままで良いのですが、読みの方を「紅は高ノ閧る」とした方が、「紅香vとひとまとめに読まれると語順がおかしくなります。
 押韻や平仄の点では合っていますが、そのために語順がおかしくなってはいけません。正しい順序で書きながら、それでも平仄はそろうということが大切で、そういうところが漢詩の面白さ(大変さ)ですね。

 色を沢山使うことは良いのか、とお母さんから質問がありましたが、そうしたタペストリーのような楽しみ方もありますから、一概にダメと言うことではありません。ただ、漢詩は字数に制限のあるものですので、その中に同じ様なものをいくつも並べるのが好まれないのは確かです。
 しかし、一人土也君の場合は、漢字で楽しむことに心を動かしているのですから、色々な「色」を表す字を重ねてみるのも良いと思います。工夫することは良いことで、今は制約を加えるべきではないでしょう。
 以上のことをもとに、この詩を見直してみると、承句「萬葉照秋来」はこのままでは、「萬葉が秋を照らして、やって来た」となりますので、ここは本来は「秋が萬葉を照らして、やって来た」とするところでしょうから、「秋山萬葉頽」くらいでしょうか。

2004.11.13                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第218作も 一人土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-218

  夏山中豪雨    夏 山の中の豪雨  

遠雷忘長夏   遠雷 長夏忘る

嶂K雲回   嶂 K雲回(めぐ)る

閃電苔階上   閃電 苔階の上(ほとり)

山中白雨來   山中 白雨來る

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 夏の大雨を書こうとおもって作りました。
 風景の中に、自分の心を表すというのができないので、こんな詩となりました。今まで十句ほど作った中で、これが一番いいと思い、これにしました。

<感想>

 語順としては、今回は問題ありません。
 平仄のことでは、押韻に使っている「上平声十灰」の漢字が、押韻以外にも出てくるのが「冒韻」として気になります。「雷」「苔」がそれに該当します。
 もう一つは、「長」の字は「平声」ですので、起句が二四不同になっていませんね。
「夏」につながる字を考えてみましょう。

2004.11.13                 by junji


謝斧さんから感想をいただきました。

 漢詩は一字を変えると随分かわります。
 たとえば起句の「忘長夏」を語順を変えると対句になります。平仄も合格(規則に合う 格に合う)します。「忘」は両韻といって平仄どちらでも使えます。
   遠雷長夏忘   ●○○●● 遠雷 長夏忘る
   嶂K雲回   嶂 K雲回(めぐ)る
   閃電聞苔階   閃電 苔階の上
   山中白雨來   山中 白雨來る

 転句の「稲妻が苔階に落ちる」と言う表現は無理があります。作者が苔階のほとりで稲妻の落ちる音を聞いたということでしょうが、そうであれば、素直に「聞苔階」という表現のほうが分かりやすくて良いとおもいます。
 難しくなりますが、ただ、起句に「遠雷」がありますので、読者は少しくどいような気がします。
五言絶句はわずかに20字で作りますのでいろんな言葉を使ったほうが、いろんなことを読者に伝える事が出来ます。
 結句については、この詩は作者の詩を作った思いよりも深い意味あいがあります。読者は恐らく文脈より、山中より白雨來るとよみます。
 全体の意味は、遠く雷の声は夏の暑さを忘れさせます。山頭にKき雲は回ってきます。時に雷の声を苔階に聞きました。このにわか雨は山中から來たものなのでしょう。

 大変良くできています。言外にも作者の情が感じ取れます。感興深い詩です。

2004.11.14                  by 謝斧






















 2004年の投稿漢詩 第219作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-219

  騎自行車征阿武隈山地   自行車に騎し阿武隈山地を征く読み  

暁納張篷千草陂   暁に張篷を納む 千草の陂

銀輪処処信風馳   銀輪 処処 風に信せて馳す

午陰睡簟東西嶺   午陰 簟に睡る 東西の嶺

斜照抛銭左右岐   斜照 銭を抛る 左右の岐

嘉秋蕎麦白花発   嘉秋 蕎麦 白花発らき

豊歳稲禾黄穂垂   豊歳 稲禾 黄穂垂る

何是転蓬老遊子   何ぞ是れ 転蓬の老遊子

安閑農事急忙時   安閑たり 農事 急忙の時

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 九月に、阿武隈山地をサイクリングしてきました。テント持参で5泊6日の旅でした。
 この辺りは関西人の小生には全く縁がなく、通過する村々は全く聞いたことのない地名でしたが、日本の原風景のようなのどかなところでした。
 ちょうど農繁期で腰の曲がったお婆さんまで忙しく立ち働いているのを見て、我が身を振り返って恥ずかしい思いをしました。

 [語釈]
 「張篷」:テントの現代語。詩語としても適切な気がしました。
 「千草」:和習でしょうか。
 「睡簟東西嶺」:ハンモックを吊して、東西の分水嶺で昼寝をしました。
 簟は竹のベッドなのでハンモックは少々苦しいのですが。

<感想>

 前半でサイクリングの一日の様子が窺われ、頸聯に景、尾聯の飄逸な収束と流れる展開に、私も同伴させていただいているような楽しい気持ちになります。
 首聯の「処処」がよく働いていますね。テント持参ということですから、日程に縛られることもないでしょうから、とりわけサイクリングの自由自在な雰囲気が出て、「あちらでもこちらでも」という言葉が現実感をもって伝わってきます。
 尾聯の「転蓬老遊子」も適切な表現で、思わずニヤリとしてしまうところがありますね。「転蓬」は一般的には「飛ばされる蓬」、つまり「望まないのに風のせいで飛ばされてしまう」と受け身の形で捉えるのですが、ここでは作者は自分から飛んでいるわけで、そのギャップが暗に感じられて、「安閑」の言葉へもつながる比喩になっていると思います。

2004.11.14                 by junji

追加:四句目と七句目が「四字目の孤平」になっていますので、ご注意下さい。





















 2004年の投稿漢詩 第220作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-220

  輪行至阿武隈川有感     輪行して阿武隈川に至る、感有り   

涼天百里愛群花   涼天 百里 群花を愛で

行至清江夕日斜   行き行きて清江に至れば 夕日斜めなり

一片秋風度胸裡   一片の秋風 胸裡を度り

万重秋思満天涯   万重の秋思 天涯に満つ

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 たかが物見遊山なのに、表現が大げさになりすぎた感がありますが。

<感想>

 前作に対して、七言絶句になった分だけ、実景の描写が甘いように感じますね。
 起句は「愛群花」「愛」の字が余分でしょう。ここでは作者の感情を入れるのではなく、より具体的な描写、例えば「群花」の色とか形状などを入れて客観描写に徹した方がよいと思います。
 転句の「一片秋風」と結句の「万重秋思」は「秋」の字の重複(「天」の字も重複ですが)、「重」の字は「重なる」の意味では仄声であることなども気になりますが、特に「万重秋思」がどこから来たのかが分かりにくいように思います。
 流れとしては「一片秋風」なのでしょうが、それですと、お書きになったように「大げさになりすぎた」という気がしますね。
 それまでにも作者の心の中には様々な感懐があって、それが秋風に触発されたということでしょうが、それはこの詩ではつかみとれません。
 結句を推敲されるとよいと思います。

2004.11.14                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第221作は 一人土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-221

  闇黒中月     闇黒の中の月   

夜静沈千樹   夜静かなり 千樹沈む

玄黄洗俗情   玄黄 俗情を洗ふ

地衣孤月照   地衣 孤月照す

微雨古苔C   微雨 古苔Cし

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 夜は静かで千樹はその中にあり、
 その天地の色に俗情は洗われてなくなる。
 コケを空に一つ光っている月が照らし、
 薄い雨に昔からのコケが清い。

 訳はこれでいいでしょうか。やり始めてから二ヶ月ほどたち、何とか詩らしいものができないかなぁと、思っているところです。
 この詩は、半分学校、家で半分作ったものです。暗闇を書こうと思って作ったのですが、なぜかこのような詩となりました。
 もう少し、推敲したほうがいいと思うのですが、どう変えようかと考えて、ほとんど全部変わってしまったりするのですがそれはいいことでしょうか。

<感想>

 今回の詩では、内容を検討することを考えましょうか。
 転句で「孤月照」でありながら、「微雨」とあるのは変ですね。雨は降っているのでしょうか、降っていないのでしょうか。「孤月」は空にポツンと残った月ですが、やはり晴れてないとおかしいからです。ここは「雨」ではなく、「露」にした方が良いでしょう。
 また、「地衣」、結句で「苔」と同じものが出てくるのは良くないですね。

 推敲すると詩がすっかり変わってしまう、というのは、言葉が変わるのは構いません。言いたい内容が変わってしまうと言うのは、自分が言おうとすることがはっきりしてないからです。ただ、それは誰でもよくあることです。詩は、完成された気持ちを述べる場合もあれば、詩を作ることで自分の気持ちをはっきりさせていくという役割もあります。だから、何度でも推敲して、詩を何度でも作り直していくことは、自分の気持ちをしっかりさせていく道筋でもあるのです。
 土也さんに必要なのは、そうして推敲したものを、大切に保存することです。「最初に作った詩(初稿と言います)」「二番目の詩(二稿)」というように、整理しておくと、自分の気持ちがどう変化したか、どう詩がまとまっていったかが分かります。
 作りかけのものを取っておくことは必要ありません。何年何月何日の段階で完成させた、それを今度は何月何日にこう直して完成させた、またそれを何月何日に・・・というように、その時その時に自分としては完成させたものを残すこと、それがきっと、物事に感動する君の心を大きく育ててくれることだと思いますよ。
 がんばって下さい。

 でも、学校では授業中は漢詩のことは考えないで、先生の話を聞いてくださいよ。

2004.12. 2                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第222作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-222

  迎八月十五日(終戦記念日)        

劫余無事幾星霜   劫余 事無き 幾星霜

不戦宣言守國章   不戦の宣言 國章守る

異境未還千骨魄   異境 未だ還らず 千骨の魄

昨今危懼否尋常   昨今 危懼する 尋常に否ずを

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 なしくずしに自衛隊を人道支援と称して海外に派遣、イラク復興支援と称して派遣し、次は国連軍に編入と宰相は声高らかに内外に宣言。専守防衛の国是も危ぶまれる。
 この日一少年兵として終戦を迎えました。 

<感想>

 拝見しますと、全ての句の頭が仄声になっていますね。これはリズムを単調にしますので、避けるべきでしょう。結句の「昨今」「今来」「今時」などにされたらどうでしょうか。

 結句の「否尋常」「非尋常」とすべきところでしょうが、平仄の関係でしょうか。「不尋常」とした方が分かりやすいと思います。
 もう一つは、「危惧」の内容が「否尋常」を指すわけですが、具体的なイメージが浮かびにくいですね。何がどのように「尋常」なのか、前半の記述を「尋常」だとすると、「守國章」が弱くなる気がします。
 はっきりと危機を表す言葉を探した方が、主題が明確になると思いました。

2004.12. 2                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第223作は 藤原崎陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-223

  秋日逍遥        

晴天曳杖冑山東   晴天杖を曳く冑山の東

清境招提爽気中   清境たり招提 爽気の中

松陰坐聞湍瀬響   松陰坐して聞く湍瀬の響

澗阿行見野情豊   澗阿行く行く見る野情豊

丘隅幽径湛零露   丘隅の幽径 零露湛え

溪上深林尋砕楓   溪上の深林 砕楓を尋ぬ

楓葉勝花看不盡   楓葉花に勝り 看れども盡ず

無聲片片舞秋風   聲無く 片片 秋風に舞う

          (上平声「一東」の押韻)

丘隅 丘の木の茂る静かな処 詩 緜蛮

<感想>

 頸聯下句の末字「砕楓」と次の頭の「楓葉」が重なっていますが、入力はこれで良かったでしょうか。もう一つは、第3句の「聞」はこの場合には平声でしょうが、これもよいでしょうか。

 内容的には、六甲山(冑山)麓の秋の爽やかな雰囲気の漂う句で構成されていて、読了感も清々しいものです。
「招提(ショウダイ)」「寺院」のことですが、ここでは「辺り一面、四方」の意味ですね。

 頷聯の「湍瀬響」の具体性と「野情豊」の抽象性の対応は、工夫のところでしょうか、皆さんはどう感じられますか。

2004.12. 2                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第224作は 蜂翁 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-224

  山間稲穂     山間の稲穂   

山間稲穂向陽鮮   山間の稲穂 陽に向かって鮮やかなり

古老潤喉岩蔭泉   古老 喉を潤す 岩蔭の泉

先達汗顔開狭地   先達 顔に汗して 狭地を開く

時遷蒲葦蝕棚田   時遷りて 蒲葦 棚田を蝕む

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 いいページにめぐりあえて、うれしく思っています。

 詩は、山間を訪れてみると、昔の棚田がすっかり荒れて、稲刈りの時期だというのに、黄色の田んぼが少なくなった。昔の人が苦労して開墾したのに、時の移り変わりとはいえ、憐れなことである、という内容です。

<感想>

 用語のことでは、転句の「汗顔」「恥ずかしくて顔を赤らめる」ことになりますので、主旨から外れるでしょうね。「汗滴先人」にすれば良いのではないでしょうか。
 冒韻のことでは、転句の「先」「遷」が該当していますので、検討の際に参考にして下さい。

2004.12. 2                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第225作は 菊太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-225

  台風襲来        

覆盆豪雨怒号天   盆を覆すの豪雨 怒号の天

河溢崖崩転惨然   河溢れ 崖崩れ 転た惨然たり

半夜如奔雲散尽   半夜 奔るが如く 雲散じ尽き

台風一過暁暾鮮   台風一過 暁暾 鮮やかなり

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 本年は台風の当たり年、先日の22号は関東地方を直撃しました。
全国で被害に遭われた方々には衷心よりお見舞い申し上げます。
 さて、承句は本年の私の実体験ではありませんが、このように詠ってよいものかご指導をお願いします。

<感想>

 承句が実体験でないことについては、そのこと自体は問題はないと思います。特に字数に制限のある省略文学では、実体験以上の描写を用いることで、より効果的な表現になる場合も多々あります。
 大切なのは、詩全体の中での働きだと思います。この詩の場合、恐らくは各地の重大な被災の様子が目に浮かばれたのでしょうが、それと眼前の景とのアンバランスが生まれています。
 「河溢崖崩」と言っておきながら、「台風一過暁暾鮮」では、あまりに呑気すぎるのではないでしょうか。勿論、大惨事の後の青空の美しさというのも詩や映画の場面としては使われることもありますが、ここではそうした効果は感じられません。
 転句もやや説明的で散文的な感じですが、こうした点からも、それほどひどい被害を受けたとは思われませんので、この承句は浮いているということです。
 結論的に言うならば、作者が「河溢崖崩転惨然」のような場面に遭遇した切迫感が不足しているわけで、印象としては軽い感懐になってしまっていますね。
 ここはやはり、ご自身が台風の夜の中で見たものを描かれるのが良いと思います。

2004.12. 2                 by junji