作品番号 2004-256
偶成
多情灯火下 多情 灯火のもと
三更月色饒 三更 月色饒(おお)し
井泉澄碧影 井泉 澄碧の影
何堪紅心揺 何ぞ堪えん 紅心の揺れるを
<解説>
夜 あの子のことを思い浮かべていると
いつの間にか深夜になり 月が明るく輝いている。
私の心の中の泉に 澄み切った光が射し込めば
あの子への熱き想いが 湧き起こるのを止めることが出来ないんだ。
・高校時代の恋心を思い出してみました。
・灯火細 にするか 灯火下 にするか悩みました。
<感想>
高校時代を思い出しての作品ということで、「熱き想い」の中にほんのりとした味わいが漂いますね。
転句の「井泉」が屋外ですので、場面の転換がやや唐突な気がします。起句を「灯火細」とした方が情感も加わりますので、より良いように思います。
結句が五字とも平声なのは無理がありますね。そうする意図もはっきりしませんので、推敲されると良いでしょう。
2004.12.27 by junji
作品番号 2004-257
逢瀬途上作 逢瀬途上の作
中坐詩莚太匆匆 詩莚を中座、太(はなは)だ匆匆
往抱妹子寤寐中 往(ゆ)きて妹子を抱かん寤寐中
白雲紅葉一千里 白雲紅葉一千里
心争征雁趁秋風 心は征雁と争ひて秋風を趁(お)ふ
<解説>
長引く経済不況に加え、天変地異続きの昨今国民意識も沈滞気味であったが、その最中皇室の御慶事が早朝から報道された。私は職場の旅行で視察先の高知県西土佐村で祝報に接した。
ご案内の通り東京都職員の黒田慶樹さん(39)にあっては、このスクープ報道を受け、本日平成16年11月14日(日)午後、渋谷区の自宅マンション前で、慎重に言葉を選びながら報道陣に紀宮内親王殿下との御婚約内定を公表された。
今月上旬にも発表のご予定だったというが、中越地震の被災民に配慮されて、天皇皇后両陛下と御二人が御相談のうえあえて遅延なさったという。常に我が国の平和と国民の幸せを皇祖に祈念され、艱難辛苦を国民と共に歩んでこられた皇室の姿勢を思うとき改めて感動を覚えた。
さてそのようなことで、早速お祝いの漢詩を作ろうと思ったが、ことがことだけに字句の推敲が必要であることから、いずれ慎重に挑戦することとし、今回は私事で気恥ずかしいのであるが、紀宮さまと同世代であり今回自身の恋愛感情をつづってみたものである。
本来ならこのような艶詩は憚るところ十分承知であるが、今日のオメデタに免じ諸兄には許しを請ふ。
<感想>
起句から承句はなかなか艶めかしいのですが、表現にもう一工夫欲しいところですね。漢詩にはなかなかなじみにくい素材ですので大変でしょうが、だからこそ頑張りがいがあるはずです。
私の感覚では、起句のところ、「中座」するのが「詩莚」というのはどうでしょうか。対比的な面白さを狙ったのでしょうが、それを詩で読むわけですからあまりにもリアルに感じられて、ちょっと露悪的?・・・・。取り合わせとしては、せめて「酒宴」くらいにすべきではないでしょうか。
転句からの展開も事情がよく伝わりませんね。相手は今どこにいるのか、時間的にずれがあるのか、そうした点をもう少し明確にすると、気持ちが理解しやすくなると思いますよ。
平仄は、冒韻も含めて乱れていますね。こうした詩では、技術的な面での指摘を避けるようにし、表現や内容に話題が集中するようにした方が良いでしょう。
2004.12.27 by junji
拝啓。金太郎様。
自注のようなやんごとなき方への祝意を表わす詩としては、率直にいかがなものかと言わせていただきます。しかし、題の通りの詩として読ませていただけは゛、これは私にとって大変魅力的な詩です。
「人の恋路を邪魔するやつは、馬に蹴られて死んじまえ」そんなお気持ちでしょうか。
現代の、当座の者の気持ちを良く伝えていると思います。漢詩には馴染みにくいと言えばそうですが、新しいと言えばやはり新しいと思います。
携帯電話でのやりとりが目に浮かぶ思いです。鈴木先生は工夫が必要とおっしゃる、詩の一般論からすれば空回りを指摘されるような言葉遣いも、この詩に限ってはリアリティのある会話を聞くような思いがします。
場合が場合ですので、平仄の乱れは許されて然るべきものと思います。私は馬に蹴られたくなどありませんから。
やっかみ半分で、あえて意見させていただければ、起句の「詩筵」は、実際はどうあれ、金太郎さんが話しかけている相手には気取り過ぎと受け取られる恐れなきにしもあらずです。それも私には共感なのですが、金太郎さんの欲しいのは私の共感などではないでしょう。鈴木先生のおっしゃるように「酒宴」の方が理解を得やすい気がします。
五十肩で泣いている身には、うらやましい限りの詩です。ご健闘を。
敬具。
2004.12.28 by (五十肩で泣いている)坂本定洋
作品番号 2004-258
永代五輪供養塔建立拙語
火風地水誕生縁 火風地水 誕生の縁
馥郁黄梅下碧天 馥郁の黄梅 碧天を下る
荘厳報地陰徳力 荘厳報地 陰徳の力
功薫徳種五輪眠 功薫の徳種 五輪眠る
<解説>
私は、臨済宗の寺の坊主です。寺に五輪供養塔ができてその落慶式のお経の前に読む香語(御香を焚く前に読む語)です。
檀家さんが一人でお寺に寄付してくれた五輪塔です。その方は、自分が寄付したことを内緒にしてくださいとたのまれました。(人の知らない所で徳を積むことを陰徳といいます)功薫徳種とは善根功徳の意味です。
<感想>
初めまして。新しい方をお迎えして、うれしく思っています。
落慶式での香語ということですので、入れなければならない必要な言葉もあるのでしょう。あまり私が感想を述べてもピント外れになるといけませんが、絶句として拝見する点では、転句は「報地」と「荘厳」を入れ替えると、平仄の点では落ち着くでしょうか。
2004.12.27 by junji
作品番号 2004-259-1
修学旅行
日光東照宮、 日光東照宮、
絶景唖天公。 絶景 天公も唖(驚きの声)。
金銀財宝塊、 金銀財宝の塊、
樹阡駐同。 樹閧ノ白日と同じ。
<解説>
日光東照宮は、
絶景に天公も驚きの声。
金銀財宝の塊、
樹の間に東照宮が日の光のように輝いている。
修学旅行で日光に行きました。
そこで日光東照宮にも行ったので書きました。
日光東照宮を最後に置きたかったのですが、最初にどんと置いたほうが面白いと思ったのでそうしました。
作品番号 2004-259-2
日光朝 日光の朝
散策新霜瑟瑟間 散策 新霜 瑟瑟の間、
眼見峯影旅館閑 眼に見る峯影 旅館閑(しずか)なり。
多感水冰冬已迫 多感 水冰(こほ)るは冬已に迫るること、
満眸紅葉二荒山 満眸紅葉 二荒山。
<解説>
散策していると新しい霜があり、風の中、
見ると山の影、旅館は静かである。
多くを感ずる 水が凍るのは冬がすでに迫っているという事、
見える限り紅葉の日光。
日光の朝の詩です。十月の頃の様子です。
<感想>
修学旅行の記念としての詩ですね。一首目は、起句に置いた「日光東照宮」が全体をきりっと引き締めているでしょう。ただ、転句の平仄が崩れていますので、言葉を生かすのならば、「財宝金銀塊」と入れ替えるべきですね。
二首目は、平仄を確認しましょうか。
●●○○●●◎
●●○●●●◎
○●●○○●●
●○○●●○◎
反法についても、二六対についても、崩れているところが目立ちますね。用語は問題なく整っていますが、転句からの秋の深まりを言うのでしたら、起句の「新霜」は残念ですね。
ここでは、季節を出さずに、林の中の風景に徹しておくと、後半が引き立つ筈ですよ。
2004.12.27 by junji
作品番号 2004-260
賛美二六二 二六二を賛美す
球界一郎於美州 球界のイチロー 美州に於いて
待望快挙散千憂 待望の快挙 千憂を散ず
研鑽勉励人知否 研鑽 勉励 人知るや否や
無上栄光誰可求 無上の栄光 誰か求むべけんや
<解説>
「二六二」=イチロー選手の二〇〇四年一年間の安打数。
「美州」=アメリカ。
「待望快挙」=アメリカ野球界史上、新記録を樹立。
「誰可求」=誰が求められようか、誰も求めることはできないの意。
〇 二度にわたる国民栄誉賞固辞の謙虚人に先ずは遅ればせながら祝意を表した
い。
<感想>
イチロー選手の記録達成については、以前に坂本定洋さんも「称鈴木一郎先生」で書かれていましたね。
その時にも書きましたが、「一郎」は固有名詞には読めませんから、他の表現を考えるべきですね。
年末になりましたから、テレビでも今年のスポーツのハイライトが放送され、このイチロー選手の記録達成は何度も目にしますね。まさしく「散千憂」という言葉がふさわしいことでしたね。
詩としては、転句の「人知否」と結句の「誰可求」が表現の上でややくどいかもしれませんね。感動を伝えるには、どちらかに絞った方が良いでしょう。
2004.12.27 by junji
作品番号 2004-261
雪日偶成
暮雲空漠雪斜斜 暮雲 空漠 雪 斜斜
庭木粧成疑是花 庭木 粧い成り 是れ花かと疑う
巷陌無声幽寂底 巷陌 無声 幽寂の底
悠悠独座読詩華 悠悠と 独り座し 詩華を読む
<解説>
今年の一月 雪の降る寒い夕暮れ 独り縁側に座し庭を眺めながら作りました。
よろしくお願いします。
<感想>
雪が庭木を一面白色に塗り変えた中で、花が咲いたかとつい思ってしまった、というのが、この詩の見立てですが、取り合わせとしては目新しいものではありません。それを独自のものにする「雪斜斜」の表現が今回のポイントですね。
承句の「粧成」は『長恨歌』からの引用でしょうか、この言葉からは、雪が庭木に次第に白く積もっていく様子をずっと眺めている作者の姿が想像されます。
だとすると、次の「疑是花」は、ややわざとらしいかもしれません。特に「静夜思」が思われて、どうしても「ふと気づくと・・・・」と解釈したくなるからかもしれませんね。
2004.12.31 by junji
作品番号 2004-262
客松山 松山に客たり
晩秋一日客松山 晩秋の一日松山に客たりて
道後泉中四体閑 道後泉中に四体閑たり
文芸俊才多此処 文芸の俊才此処に多けれども
子規喬嶽是難攀 子規の喬嶽は是れ攀するに難し
<解説>
子規:正岡子規
俳句を嗜んだ者として、正岡子規の遺跡は尋ねてみたかった。
子規は松山藩の儒家大原氏を母方の祖父として持ち、幼少期にその薫陶を受けた漢詩の大家でもあった。夏目漱石が一目置いて漢詩の批評を請うたことは岩波文庫「漱石・子規書簡集」や「漱石詩註」(吉川幸次郎)に詳しい。
道後公園に「子規記念博物館」を尋ねたが、和綴の俳句分類帳が天井まで積まれていたのには驚いた。
<感想>
正岡子規の漢詩については、既に多くの書物などで紹介されていますから、改めて紹介するまでもないのでしょうが、興味のある方は、柏書房の「子規漢詩と漱石 海棠花」が取りかかりやすいでしょう。
松山は近代の日本の文学史の中で、大きな役割を果たした人々を輩出した地ですね。何よりも、漱石にあれだけ田舎ものと小説の中でけなされたにもかかわらず、坊っちゃんスタジアムと命名してしまう大らかさが良いですね。
その中でも一際大きく聳えるのが、「子規喬嶽」というのも、全く納得できるところです。
旅行地での作として、必要なことは皆入れることが出来ていて、記念になる詩でしょうね。
2004.12.31 by junji
作品番号 2004-263
獨見外 獨り外を見る
小室衍幽意 小室 幽意衍(あふ)れ、
秋庭多草枯 秋庭 多草枯れたり。
K鳥飛平靜 K鳥 平靜に飛び、
其来一事無 其れ来(よ)り 一事無し。
<解説>
小さな部屋は静かな気持ちにあふれ、
秋の庭は多くの草が枯れた。
K鳥がすーっと飛び、
それ以来何事もない。
これは学校を休んだ日の、ふとしたことを漢詩にしました。この詩に出てくる鳥は実在するのですが、何の鳥だか分かりません。多分、烏か何かと思います。
この詩では、突然スーッと鳥を出して面白くしようと思いました。
<感想>
起句、転句、結句は、それぞれ「幽意衍」「平静飛」「無一事」という語順になるところですね。漢詩は語順を動かすことはある程度許されますが、解釈を誤解されることもありますから、できるだけ避けるべきです。
転句の「黒鳥」を「烏」と断定するか、単に「黒鳥」と視覚的な判断までにしておくか、によって、随分印象は変わりますよ。その辺りを比較してみると、面白いでしょうね。
2004.12.31 by junji
作品番号 2004-264
初冬朝
初冬寒気未厳峻 初冬寒気未だ厳峻ならず
緩度疎林就業朝 緩やかに疎林を度(わた)る就業の朝
口哨低吹歌一節 口哨は低く吹く歌の一節(ひとふし)
櫟枹枯葉樹間揺 櫟枹の枯葉樹間に揺る
<感想>
今年は寒気がゆるやかで、気候的には穏やかな1年でした。その分、様々な事件や災害が多かったのですが・・・・。
初冬の朝、仕事に行く途上でも、暖かさにふと口から歌が出るくらい、この転句が行為を表しながらも心情を描いていて、ホッとするような詩ですね。
結句の「樹間」が、その前の「櫟枹枯葉」とつながると、やや丁寧すぎるような気がしますね。視点を少し拡げて収束させるのも面白いと思いますよ。
2004.12.31 by junji
作品番号 2004-265
看菊
月下憐看籬菊堆 月下 憐み看る 籬菊の堆
白葩黄蕊競妍開 白葩黄蕊 妍を競うて開く
独愁庭裡夜霜降 独り愁う 庭裡に夜霜の降り
芳気華容忽欲頽 芳気華容 忽ち頽れんと欲するを
<解説>
詩吟仲間で一緒に作詩の勉強をしているさんの詩を紹介します。
ご自分の庭の菊の花を見ていて作られたそうです。
年とともに衰えるご自分の容姿と、冬に向かって色香の頽れ様としている菊の華と重ね合わせての感慨だそうです。
<感想>
初めまして。
ご自分の庭の菊ということですので、きっと心を籠めて手入れなさっていらっしゃるのでしょうね。起句の「憐看」では、「何が憐なのだろうか?」と疑問に思いますが、次第にそれが解明されていき、結句まで進むわけですね。
そうして見た時には、その「憐」と転句の「独愁」が重複していると感じますね。また、結句の「華容」も承句と重なるようです。
ただ、解説にお書きになったように、この菊の花に自分の容姿と重ねているということですから、前半は直接菊のことを詠い、後半からは主意は「自分の容姿」であり、菊は寓意として描かれているのだと解釈していけば、「憐」と「愁」の重複も意図的なものだと見るのでしょうか。
うーん、でも、ちょっとつらいかな? 真っ盛りの菊と自分の容姿とを重ねるというのも、今一私はピンと来ないんですね。
そのまま、庭の菊の美しさ、それが霜に遭うのが心配だ、という内容に絞って読んで行きたい。伊藤さんの菊への気持ちがよく出ている詩だという気がしますから。
2004.12.31 by junji
作品番号 2004-266
秋雨
蘚苔多染水 蘚苔 水に染むるは多く、
枝葉苦霖中 枝葉 苦霖の中。
冷雨雺如懜 冷雨 雺(きり)の如くに懜(くら)し、
暗沈見木紅 沈(しず)かに暗(だま)り 木 紅なるを見ん。
<解説>
この詩を作った日はずっと霧雨でした。
<感想>
結句は「暗沈」は、逆順に読み下すことはできません。「沈」を「暗」の修飾語とするならば、まず原文を「沈暗」としなくてはいけません。
この詩では、何が主題なのかよく分かりませんね。ただ秋の雨を眺めている自分を描くということでしたら、もう少し言葉を補うような、つまり七言絶句にした方が良いでしょう。
秋の雨が自分の何かを象徴させているとするにしても、今のままでは想像しにくく、このままでは詩と言うよりも記録にとどまっているでしょう。
もう一点は、これは難しいかもしれませんが、一般と異なる漢字や用法を多用すると、読者が困ってしまうことも多くなります。できるだけ分かりやすく、その上で、ここだけはどうしてもこの字を使わないといけないというポイントを絞ると、随分詩がすっきりするはずです。
読者の視点をいつも意識していることが大切ですね。
2004.12.31 by junji
作品番号 2004-267
暮秋閑日
雨日繙書坐茆堂 雨日 書を繙して 茆堂に坐す
不知檐滴息斜陽 知らず 檐滴の斜陽に息むを
暮鐘音遠敗荷圃 暮鐘 音は遠し 敗荷の圃
残照影長凋菊墻 残照 影は長し 凋菊の墻
一陣朔風吹老樹 一陣の朔風 老樹を吹き
半輪窓月睍孤牀 半輪の窓月 孤牀を睍う
明朝天白隣鶏喚 明朝 天白み 隣鶏 喚かば
執耜蔬園糊口忙 蔬園に耜を執りて 口を糊するに忙し
<解説>
霜鬢繁くして尚且つ、いまだに閑中に忙を思い煩わなくてはなりません。早く忙中に閑を思う余裕ある生活がしたいものです。
<感想>
晴耕雨読の生活をそのまま描いたような、羨ましいような詩だと思って読みましたが、最後の「糊口忙」に狙いがあったんですね。
雨のおかげで作者の見ている世界にどっぷりと浸らせてもらっていたのですが、ここで一気に現実に戻ってくるという感じで、「やれやれ」と言いながら腰を叩いて立ち上がる自分の姿が見えるようです。
2004.12.31 by junji
作品番号 2004-268
送窮鬼
慌忙歳晩古今同 慌忙たる歳晩 古今同じ
形影相憐志業空 形影相憐む志業の空しきを
齷齪人生送窮鬼 齷齪たる人生 窮鬼を送り
鐘聲百八待春風 鐘聲百八 春風を待つ
<解説>
慌しい年の暮れは昔と今も同じで
身と影が互いに気の毒に思い志と務めが空しい
押し迫った人生だが、貧乏神を追い払い
百八の鐘の音を聞きながら、春風を待つ
<感想>
中国の古典では、「窮鬼」つまり「貧乏神」を送るのは一月の末のようですね。でも、日本では、この大晦日がやはりふさわしいでしょう。
貧乏神には早く家から出て行ってもらいたい・・・・とは思うのでしょうが、唐の妖合の「晦日送窮」にはこんな句があります。
送窮窮不去 窮を送るも 窮去らず
相泥欲何為 相い泥みて 何をか為さんと欲す
承句は張九齢の「照鏡見白髪」からでしょうか、次の「志業空」の意味を引き立てる効果を出していると思いますが、ちょっと長いでしょうか。「相」の字が何か変わると面白いんじゃないでしょうか。
2004.12.31 by junji
作品番号 2004-269
除夕偶感
都下蓬門欲歳更 都下の蓬門 歳更たまらんと欲す
胸中餅搗聴舂声 胸中 餅を搗く 舂声を聴こゆ
詩情未就年将尽 詩情 未だ就さず 年将に尽きんとす
煩悶煩憂獨挙觥 煩悶 煩憂して 獨り觥盃を挙げん
<解説>
一年の最後の夜となり、さまざまな思いが去来する、自分で満足する詩文が出来なかったことを振り返り、やるせない気持ちの憂さを一杯の酒にすがっている。
創作に諸先生の詩を拝見糧としています。桐山堂先生の感想を多として向後も精進したいと思います。
今年一年大変有り難う御座いました。良いお年をお迎え下さい。
<感想>
そうですね、賈島は年末にはその年に作った詩を祭ったと言われていますが、一年を振り返って満足のいく詩が作れたかどうか、もちろん詩に限らず、仕事にしても何にしてもでしょうが、自分で納得の出来る一年となることは難しいようですね。
でも、「煩悶煩憂」で飲んでいるうちに、新年は来ますから、有り難いことです。
起句の「欲歳更」と転句の「年将尽」の重複はどうでしょうね。生かすのならば、転句の方、つまり「年が尽きてしまう」という方が良いと思いますから、起句を検討したいところでしょう。
2004.12.31 by junji
作品番号 2004-270
陰代陽 陰 陽に代わる
蕭然紅紫減 蕭然 紅紫減ず。
落日乱雲間 落日 乱雲の間。
暗淡天吸地 暗淡たる天 地を吸い、
寒窓玉兔殷 寒窓 玉兔殷し。
<解説>
ひっそりと花が消えて、冬が近づく。
落ち行く日は乱れ雲の中。
暗闇が全てを包み、
さびしい窓 つきが赤い
<感想>
結句の「殷」は、「あかい」の意味の時には「上平声十五刪」の韻になりますが、「(血の色のように)赤黒い」という意味ですので、ここで見えた月は不気味な印象がしたのかもしれませんね。
ただ、ここでの赤色が起句の「紅」とぶつかりますので、起句の方を具体的な花の名などを出しておくと、現実感の伴う詩になるのではないでしょうか。
今のままですと、やや頭の中だけの世界という印象が残りますね。
2004.12.31 by junji
作品番号 2004-271
一郎居士謝榮譽
獨渡滄溟聳兩肩, 独り滄溟を渡って兩肩を聳やかし,
一郎居士列球仙。 一郎居士 球仙に列す。
温顔微笑謝榮譽, 温顔 微笑して栄誉を謝し,
不上官家冢宰前。 上らず 官家
<解説>
滄溟:青海原
居士:学問・徳を備えながら官に使えない人。
球仙:李白が詩仙なら、一郎選手は球仙。
温顔:おだやかでやさしい顔。
謝す:ことわる。
官家:政府。
冢宰:百官の長。今の首相。
一郎選手、80年ぶりの記録、おめでとうございます。
わたしは、アメリカのブッシュはきらいですが、一郎選手に対するアメリカの多くの人々のオープンでフェアな応援には、とても感服しました。また、ジョージシスラーのお嬢さんやお孫さんの晴れやかな態度。一方に、王のホームラン記録や日本人の横綱がいないことをめぐるあれやこれやの、海のこちらの国民性。
さて、いささか説明しにくいのですが、国民栄誉賞の話があったとき、80年にひとりの一郎選手が、80年にひとりかどうかわからない首相から栄誉賞をもらうために、官邸に進み出て頭を下げるというのはとても変だ、そういう思いがあります。首相は、日本国民の代表となることはできるのでしょうが、一郎選手の記録達成を応援し喜んでいる日米の野球ファンを代表できる立場ではないだろうと思います。
<感想>
十月に鮟鱇さんからいただいた詩でしたが、私の勘違いでこんなに掲載が遅くなってしまいました。すみません。
イチロー選手の世界記録更新につきましては、その偉業については国家を越えて高く評価されるものであり、「日本人が・・・・」という発想は、多分、彼自身が最も避けて欲しいとらえ方ではないでしょうか。そして、そういう姿勢を一貫して大リーグで保ってきたイチロー選手に対して、二重の意味で私は敬意を払います。
鮟鱇さんは、きっと、イチロー選手と現首相の「人としての格の違い」を感じていらっしゃるのでしょうね。全く同感です。
この詩では、「普通話韵」であるということが、一つの効果を出しているようにも思いました。
2004.12.31 by junji
作品番号 2004-272
学終帰道 学終って帰る道
紅顔氛楽殺。 紅顔 氛は楽殺たり。
白雲占蒼旻。 白雲 蒼旻を占める。
禿木欣温暖。 禿木 温暖を欣ぶ。
山花數百輪。 山花 數百輪。
<解説>
子ども<自分>の気持ちは学校が終わってうきうきしている。
白雲が青い空を占める。
葉の無い木は温暖を喜ぶ。
椿が数百輪。
(山花は椿)
12月24日が自分が行っている学校の2学期の終業式でした。
その日の帰り道の詩です
<感想>
終業式の開放感が感じられる詩ですね。対象があちこちに飛ぶのも、「うれしいぞー!」という気持ちから目線が跳ねとんでいるようで、楽しいですね。
表現のことで言えば、承句は二字目の「雲」が平仄を崩しています。こうした間違いは避けなくてはいけません。「雲影」「雲翳」「雲色」「雲気」など、いくつも考えられる筈です。
もうひとつは、四句とも頭が「紅顔」「白雲」「禿木」「山花」と名詞が並んでいること、リズムが非常に単調になっています。
こうした点に注意していくと、随分違った感じになっていくはずですよ。
2004.12.31 by junji
作品番号 2004-273
風
不見仙姿千里行, 仙姿の千里を行くは見えずも,
羽衣拂面醒然清。 羽衣 面を払えば醒然として清らかなり。
寒蝉鳴處吾生老, 寒蝉 鳴くところ 吾生老い,
長慕夕陽雲有情。 長慕す 夕陽 雲に情あるを。
<解説>
仙姿:仙人のような姿。仙姿玉質は気品のある美人の形容。
羽衣:天人のきる衣。天衣。
払面:顔を撫でる。
醒然:夢からはっとさめるさま。
寒蝉:ヒグラシ。
雲有情:起句の仙姿を受けて、巫山の夢を踏まえる。
長慕:長らく恋慕するの意味で使っています。
人生はよく「夢」に喩えられますが、「夢」の代わりに「風」を人生のたとえに使ってみたいと考えながらの作です。残念ながら力不足。ただ、「空間を吹き抜ける風」ではなく、「時間を吹きぬける風」ぐらいは書けたかと思います。
この詩、題を外せば何を題材としているのか、おそらくわかっていただけないと思います。そこで、詩の本体部分には、現実や自然のなかに対応するものを持たない作になっているといえます。言葉だけで見ることができるもの、思うことができるもの、それを書くのがこの詩のねらいです。
なお、「風」は働きだけあって、その姿は見えません。そこで、起句の冒頭は「不見」としましたが、「夢見」とした方がよいかとも思っています。「夢」ならその姿が「見えてもよい」という理屈です。「推敲」ならぬ「夢不」。この作、あの世で韓愈先生に聞くことができるまで推敲することにします。
<感想>
仰る通り、この題名と詩に描かれたものとは、直接にはつながらないですね。しかし、「風」ということを意識して読んでいると、実際にはどの句からも風の吹き抜けるような印象が出てきます。題のもたらす効果というところでしょうか。
それは恐らくは、鮟鱇さんがこの題で作詩をなさった段階で既に織り込まれているのでしょうね。「どこに風があるんだ?!」と右往左往する読者を、してやったりと眺める姿が目に浮かびます。
さて、この鮟鱇さんの詩で、二〇〇四年の投稿詩掲載は最後とさせていただきます。掲載が遅れてご迷惑をかけた多くの方々にお詫びを申し上げます。
来年もよろしくご支援をお願いします。
2004.12.31 by junji