先月からこのホームページを拝見しております。
初心者でも漢詩を作れるように工夫されているのが素晴らしいですね。
漢詩の在り方についての議論などたいへん示唆を与えられるところがあります。 今まで同時代の日本人の詩を読む機会があまりなかったので、投稿漢詩のページは楽しみにしています。
ここから新たな刺激を得て、漢詩の創作と鑑賞に励んでいきたいと思います。
作品番号 2004-181
椰子漿 椰子漿(ココナッツジュース)
椰子漿香払鬱陶 椰子漿の香りは 鬱陶を払ふ
一壺甘露落青霄 一壺の甘露 青霄より落つ
果膠淡白甜如蜜 果膠淡白
飲罷菲菲清気漂 飲み
<解説>
皆様はじめまして。
多田燎(ただ・りょう)と申します。私は数年前から漢詩を作っていましたが、怠けていたので作品数は少ないです。今回がはじめての投稿ですが、この詩は旧作です。
2年前、マレーシアを旅行したとき、屋台で飲んだココナッツジュースについての詩です。南国によくある、椰子をまるごとくり抜いて、上の穴からストローで飲み、匙で果肉をすくうという形式です。
ご感想・批評の程、よろしくお願いします。
[語釈]
「青霄」 | :あおぞら |
「果膠」 | :果肉のゼリー状の部分 |
<感想>
初めまして。新しい仲間が増えて、とてもうれしく思っています。高校時代から漢詩を創り始めたそうですが、「ココナッツジュース」という珍しい素材を、的確にまとめられたと感心します。
特に、承句の「一壺甘露落青霄」は、「椰子」を「壺」、「ジュース」を「甘露」としたのも分かりやすいですが、それが「落青霄」と来ると、真っ青な南国の空を背景に、高い椰子の木、そこから落ちてくる椰子の実、あまい香り、そうした光景が目に浮かぶようです。
この承句は、表現というよりも、発想が素晴らしく、作者の工夫がよく表れているところでしょう。
その分、転句の比喩(「如蜜」)が物足りなく感じられ、後半の説明的な調子が気になってしまうのは、何というか、二皿目にメインディッシュが出てきたコース料理みたいなものでしょうか。三皿目も四皿目も味が落ちるというわけではないのですが、ね。
飲んでも、食べても、終った後でも美味しい、という展開も問題は無いのでしょうが、承句の所で「よし、勝負は終ったぞ!」というような安堵感が作者に生まれてしまったのでしょうか。
2004.10. 2 by junji
作品番号 2004-182
満江紅 於俄羅斯国(ロシア)南部武装集団占拠学校
ロシア南部において武装集団学校を占拠す
天地哀鳴、 天地哀鳴す、
更無奈我心頭熱。 更に
驚凶報、 凶報に驚く、
炮聲怒號、 砲声怒号し、
衆人嗚咽。 衆人嗚咽すと。
殘賊狂奔囚丱角、 残賊 狂奔して
無辜慘死塗膏血。 無辜 惨死して
憶犠牲、 犠牲を憶えば、
壯士哭西風、 壮士も西風に哭す、
太凄切!
救民族、 民族を救うは、
正英傑。 正に英傑たるも。
屠兒女、 児女を屠るは、
但卑劣。 但だ卑劣なるのみ。
算年來怨恨、 算ずるに 年来の怨恨は、
自今難滅。 今より滅し難し。
身世猶離兵火遠、 身世は猶お 兵火より遠きに、
心情卻比風雲烈。 心情は却って 風雲よりも烈し。
問他儕:「獨立是什摩?」
眞不屑! 真に
<解説>
こちらへの投稿は2作目ですが、大変重苦しい作品で申し訳ありません。
言うまでもなく、この詞は先日のロシア南部北オセチアでの学校占拠事件を題材にしたものです。
子供を含む、多くの無辜の人々が殺された、あまりにも残虐で痛ましい事件。どのような政治的背景・理由があるとはいえ、絶対に正当化できない、許せないことです。事件後2日間かけて書き上げました。
「算ずるに年来の怨恨は・・・」の句では、このテロによって数年来続いてきたチェチェン紛争がさらに解決しがたいものになる、という懸念を表しています。
形式についてですが、七律にしようかとも思いましたが、感情が形式に収まりそうになかったので、宋詞として作りました。「満江紅」という詞牌は、南宋の岳飛や清末の女性革命家・秋瑾の作品がありますが、悲憤慷慨の情を述べることが多い形式だと認識しています。
でも拙作はちょっと怒りの表現が直截すぎたかもしれません。ご感想、ご批評、ご批正をお願いします。
自己紹介が前回、不備だったと存じますので、付け加えておきたいと思います。
私は、7年前、高校2年の時から少しずつ漢詩を作ってきた者です。(香川の漢詩会で活躍しておられる、安井草洲先生にいつも詩の添削、ご指導をしていただいております。)
大学では中国文学を専攻(専門は元代の詩人・薩都拉)しておりました。ただいま、大学院入試(専攻は変更予定)に向け勉強中です。
作品数はまだ少ないですのでこれからも創作に励んでいきたいと思います。
[語釈]
◎「
◎「什摩」:なに(白話) ◎「不屑」:潔しとしない、つまらない、値打ちが無い(現代語)
<感想>
ロシアでの学校占拠の事件は、あまりにも痛ましく、ニュースで日ごとに犠牲者の数が増え、占拠時の様子がはっきりしてくると、悲しみと共にやりきれない怒りも抑えられませんでした。
占拠した犯人達は、ニュースで窺い知る限りでは、狂気の殺人者でしかないと思いました。思想や理想を口実に(「口実」という言葉が悪ければ、「きっかけ」くらいにしましょうか)、他人の生命を弄ぶのは許されません。
悲しみと憎しみの連鎖、人間はいつまでこんな愚かなことを繰り返すのだろうと、本当に暗い気持ちになります。
多田燎さんの、この詞を拝見しながら、若い人たちの憤りを感じました。そこに、私自身は救われた気がしています。表現することの意義を改めて思いました。
2004.10.2 by junji
多田燎さま2004.10. 5 by 鮟鱇
鮟鱇です。玉作「満江紅」拝読しました。
「拙作はちょっと怒りの表現が直截すぎたかもしれません。」とお書きになっていますが、短い句を畳みかける「満江紅」の特質を生かした佳作になっていると小生は思います。
とくに後段「救民族、正英傑。屠兒女、但卑劣。」は、小生もまったく同感で、テロリストの主張(救民族、正英傑)を一端は否定しないうえで、その非(屠兒女、但卑劣)を隔句対の対仗で断じているあたりは、「悲憤慷慨」の詩的表現として、絶句や律詩では表現できない力強さ・律動があると思います。
「七律にしようかとも思いましたが、感情が形式に収まりそうになかったので、宋詞として作りました。」とお書きになっていますが、適切なご判断だと思います。
さて、そのうえでですが、「ちょっと怒りの表現が直截すぎたかも」とお書きになっている点、少し気になります。
詩詞として書く以上は「直截な」な表現は極力避けるべきという無意識の考え、あるいは美意識が、わたしにはあります。この無意識の制御は多田さんにもあり、そこで、多田さんは「表現が直截すぎたかも」と書かれたのではないかとわたしは思います。
しかし、ほんとうのところは、わたしにはあるが、多田さんにはないのかも知れません。そこで、以下、わたしの自問自答としてお読みいただくのがよいがも知れませんが、なぜ「直截な表現」ではいけないのか、とわたしは思います。
わたしたち日本人には、どこでそうなってしまったのかよくわかりませんが、直裁な言葉はつまらない、美しくない、そこで詩の言葉としてふさわしくないという暗黙の考え、了解があるように思います。しかし、この無自覚的な信仰は、そのまま漢詩・詞曲をも支配する原理して受容すべきなのでしょうか。
「直截な」な表現は避けるべきとするのは、婉曲な表現を好む日本語文化のなかで生まれ、俳句や和歌やワビサビによって培われた感性をベースとするもので、もちろん漢民族にも理解されうる独特の美意識であるかも知れませんが、もしそれのみを詩情として他を排斥するのだとしたら、文化的な意味での「和習」といえるのではないでしょうか。
直裁な言葉が作りだす詩詞の世界、生硬な言葉が作りだす詩詞の世界、あえていえば「非日本的な美意識」を開拓していかなければ、わたしたちに書ける詩の世界を拡げることはできないのでしょうか。大事なことは、表現が直裁かどうかではなく、書かれた詩が新鮮であるかどうかではないでしょうか。
わたしは9月に北京で開かれた「中日短詩研討会」に参加してきました。参加者は中国側20人、日本は10人ほどの会議でしたが、中国詩詞学会の会長をはじめ中国の詩人たちと短詩とは何かを検討してきました。
「短詩」なら忙しい日々を送る現代人でも書ける、「短詩」なら好きな詩を暗記し、いつでも暗誦することができる、そういう短詩のメリットを確認しあったうえで、短詩の範囲を「40字まで」とするのか、「50字前後」までとするのかでいささか議論がありました。
40字までという考えには、五言律詩を短詩に含める考えがあり、「50字前後」とする考えは、中国では多くの詩人が親しんでいる七言律詩まで「短詩」に含めようというものです。40字派からは、七律56字は忙しい現代人には長すぎるし、暗記するのも難しいという反論がありました。
わずか1日の検討で「40字まで」か「50字前後」かをめぐっての結論は出ませんでした。わが国のように絶句・律詩以外はあまり書かれない状況ではあまり意味のない議論かも知れませんが、十六字令、望江南、漢俳、漢歌、(短歌)などなど、かりに40字以下に限っても多くの詩型がさかんに書かれている中国の詩壇では、それらの多くの詩型のメリットをきちんと整理し理解しておくことが、新しい詩を目指し、詩を書く仲間を増やしていくうえで、運動論としての有益な意味があると思えました。
これを踏まえ、くりかえしますが、「短詩」のメリットとして、「忙しい日々の中で」、「暗記し、暗誦しやすいように」書けるということが挙げられるとすれば、その長所を生かす詩作りは、婉曲で晦渋な美的表現に脳汁を絞るよりは、直截で爽快な句作りをめざす方が、ずっと生産的なのではないでしょうか。
もし、詩的表現は、直截であってはならず婉曲的でなければならないという美意識があるとすれば、その美意識にこだわることは有益ではありませんし、あまりに日本語だけしか知らない辺境の美学、ではないかと思えます。
どんなに直截で無骨な言辞を連ねたとしても、わたしたちが書く漢字だけの「短詩」は、平仄も考慮し押韻もし、対句表現の相乗効果も期待できる韻文です。日本語で書く限りは、どんなに詩情豊かな文であっても散文は散文に過ぎず、そこで「婉曲であれば詩、直截であれば単なる文」といった、境目のわかりにくい識別をするしかないのですが、その鑑識眼をそのままにして中国詩に接しては、中国詩のよいところを見落としてしまうのではないでしょうか。
中国詩には平仄と韻があり、それが詩と文とを明確に区分するのであって、表現が直截であるか婉曲であるかではありません。表現が直截であるか婉曲であるかは、その詩が目指す内容との関連で考慮されるべきで、直截であることを詩を書くうえで一律に否定すべきではないのです、そう書くことが詩の内容に適しているかどうかのみを考慮すればよいのです。
かりに、今回多田さんが書かれた内容をもっと婉曲な表現で書いたとして、うまく書けば「悲愴」な詩は書けたかも知れませんが、「悲憤」が書けたかどうか、婉曲にこだわれば「悲憤」を失うのではないでしょうか。
最後にひとこと。確か2001年だったと思いますが、ある江戸漢詩の研究者の方がさる芸術的な雑誌が特集とした座談会で、「わが国における詞作りは昭和の初めまでの三島竹枝の終焉をもって死滅した」むねの発言をしていました。
詞を書く人は詩人にくらべ確かに少ないのですが、今ではかなりの人が詞を書いていますよね。くだんの先生の発言は、鑑賞するに足るものは作られなくなった、見るべき作品はない、という趣旨であったのかも知れませんが、だとしたら、ともにどしどし詞や曲を書いて、詞がもつ生命力の強さ、死んでも蘇る不死鳥の逞しさを、アピールしていきたいものです。
拝啓。多田さんへ。
私は詞を書きません。書けないと言うのが正しいところです。言い訳をさせていただければ、律詩もそうなのですが、このような長いものをしんどい思いをして書いてどうこうしたいというようなニーズが私にはないのです。鮟鱇先生の言う「詞のパワー」なるものを、もっと目にできれば気持ちも変るのかも知れません。
このような私に、ここで意見を言う資格があるのかと自問もします。ただ、鮟鱇先生のご意見はもっともと思います。鮟鱇先生が私を評するところの「工学的」見地で補足を試みたいと思います。
ありていに言えば、長いものほど読むのがしんどいと言うことです。その上まわりくどいでは、わからんと言って途中で投げ出されてしまう確率がそれだけ増します。個人レベルでは投げ出すまでに至らなくとも、がまんは強いられることになります。
「詞のパワー」にも当然影響することです。これが全てとは言いませんが長いものほど直裁が良いというのは自明の理としてあるように思います。
また、直裁だから内容が浅いという式は成り立ちません。行間に込められるものがなくなるわけではないからです。
みんなで詩を楽しもうというこの場において、こんなことを言うのは不適切かもしれませんが、これから社会に出て活躍される若い学生さんのために記しておきます。
くどいようですが、書いたものをわからんと言って投げ出されることは、内容が浅いと言われることより何倍も損なことです。許容の程度は相手にもよるのですが、そのような結果では、ものを書く意味など全くありません。内容が浅いと言われることも、途中で投げ出されることも、どちらも書き手の責任です。ものを書くにはそれなりの覚悟が必要です。
とは言え、私のような者を恐れる必要はありません。先に多田さんの作「椰子漿」に対してえげつない「演算」をしてみせましたが、手の内を明かしているのです。いいとこ取りをしていただければ良いのです。本当に恐れて欲しいのは「黙ってポイ」の人達なのです。
2004.10.13
作品番号 2004-183
長崎原爆忌
炎天鐘響白鳩飛 炎天に鐘響いて白鳩飛ぶ
悼没願和同祷祈 没(な)きを悼み和を願いて祷祈を同じくす
新鬼尚加原爆忌 新鬼尚加う原爆忌
世伝戦禍毎年稀 世に戦禍を伝うは年毎に稀なり
<解説>
原爆は中国語では原子弾という様です。原爆忌なる語が和習かどうか、わかりません。
<感想>
原爆という武器の開発と使用という悲惨な事件については、歴史の当事者である現代の私たちが真摯に問い続けなくてはいけないことです。それは、国家の利害や枠に押さえ込まれることなく、人類の問題とすべきことだと思っています。
「風化」という悲しい言葉が広く使われるようになってきましたが、柳田さんが仰るように、「新鬼尚加」は、この原爆の問題は過去のことではなく、現在の問題だということを常に私たちに告げていると思います。
漢詩として見た場合には、結句の表現にまだ工夫の余地はあるでしょうが、率直な表現が却って気持ちをよく表しているとも言えるでしょう。
「原爆忌」はこの日を「忌」とすること自体が和習だろうと思いますので、「忌」を「日」に替えるくらいでしょうか。私は、固有名詞による和習として、このままの方が気持ちがよく伝わると思います。
尚、原爆の惨禍を伝える漢詩としては、土屋竹雨氏の「原爆行」が有名です。
2004.10. 4 by junji
作品番号 2004-184
第五十九回終戦日
五紀将臻自戦終 五紀将に
猶遺万骨潜蜈蚣 猶万骨を遺して
人間少識軍何惨 人間識ること少なし
国憲当危軽禁戎 国憲当に危かるべし 戎を禁ずるを軽んずるならん
[語注]
◎「五紀」:六十年(一紀=十二年) ◎「蜈蚣」:むかで ◎「戎」:戦争
<感想>
こちらは終戦の日を題材にされたものですね。
終戦からまもなく60年を迎えるわけですが、「猶遺万骨」というのは、戦死された方々の無念の気持ちはまだ消えたのではないということでしょうか。
「万骨」の言葉は印象が強く、写実的なイメージが強く浮かびます。となると、まだ万を超える数の遺骨が残されたままだということでしょう。具体的にはどのような場面を想定されているのか、そこがもう一つはっきりしないところでしょう。
2004.10. 4 by junji
作品番号 2004-185
船渡御即事
良宵置酒旧知音 良宵酒を置く 旧知音
欽慕菅公朋盍簪 菅公を欽慕して 朋盍簪す
煙火飛空星彩散 煙火空を飛んで 星彩散じ
篝光浮水晩涼侵 篝光水に浮んで 晩涼侵す
両堤酔客娯佳趣 両堤の酔客 佳趣を娯しみ
百講軽艀矜壮心 百講の軽艀 壮心を矜る
天満天神船渡御 天満天神 船渡御
浪華大祭到而今 浪華の大祭 而今に到る
七月念五日 遊天満宮 欲随天神大祭之陸渡御行列 姿甚勇壮 而後過夕刻 見招船渡御 菅廟詩朋集於毛馬港 揚田苔菴先生從広陵来
從此偕乗舟下澱江 舟上飲酒且食行廚 忽見煙火三千散夜空 如散星彩競妍華 更見百講軽艀之相過 舟客歓声頻 興趣無尽 感慨不少。
以長句賦船渡御即事
<解説>
天満宮より、菅廟吟社に、日本三大祭りである天神祭りの船渡御に招かれました。
アクアライナーで淀川を下り、花火や船渡御を観覧しました。天神祭りの参加は初めての経験でしたので少し感激しました。
<感想>
まず「船渡御」は「ふねとぎょ」と読むんですね。インターネットで調べました。
宵から夜にかけての写真を幾つも見ましたが、きれいなものですね。優雅な船遊びという感じで、あんな船に乗れるとますますお酒も美味しかったでしょうね。
第2句は、「欽」の冒韻は良いですか。「盍簪(簪盍)」は「友人が集まる」意味ですね。
第6句の「百講軽艀」は、「百艘の船」のことでしょうか。「講」は阿波踊りの「連」のような、祭りに参加する集団のことでしょうか。船渡御では、百艘ほどに船は限定されているそうですね。
2004.10. 4 by junji
作品番号 2004-186
曉立蓮池
忽疑浄土遠移根 忽ち疑う浄土より 遠く根を移す
瀲灔蓮池見日暾 瀲灔として蓮池に 日の暾くるを見る
露下瑤顔傾玉涙 露下の瑤顔 玉涙を傾け
泥中麗質返花魂 泥中の麗質 花魂を返す
向人無語清香散 人に向かって語無く 清香散じ
顧影含情古色存 影を顧れば情を含んで 古色存す
嫋嫋様フ偏翠蓋 嫋嫋たる様は偏に 翠蓋にフげられ
涼風度處一乾坤 涼風度る處 一乾坤
<感想>
蓮の花の魅力は、「観行田蓮」でも教えていただきましたが、佐竹丹鳳さんもやはり暁が良いということですね。
早起きは私も苦手ではないのですが、なかなか蓮の花をしっかりと見る機会がありません。今年はもう、お二人の方に教えていただいたわけですから、愛知県の近くで探しまして、来年こそは見に行きたいと思っています。
この詩では、第一句「忽疑浄土遠移根」の発想が生きていて、この一句で、蓮池は現世を超越したかのように感じます。頷聯や頸聯の描写も落ち着いた中につややかさが残りますが、それも第一句の効果かもしれません。
尾聯は、上句はいただいたままに書きましたが、「嫋嫋様偏フ翠蓋」となった方が良いと思いますが。
2004.10. 4 by junji
作品番号 2004-187
醉芙蓉
美女無憂皺翠眉 美女 憂い無きに 翠眉を皺よす
麗容向晩自臙脂 麗容
逡巡落日照花苑 逡巡として落ちる日は 花苑を照らし
應似楊妃侍宴時 應に 楊妃の
<解説>
市の公園に醉芙蓉が咲いていると聞き、見に行きました。
醉芙蓉は芙蓉の一種ですが、八重咲きで、朝は真っ白、時と共に段々、赤くなり昼は淡紅色、夕方になると普通の芙蓉と同じ位の赤さになり、翌日には凋んでしまいます。
花の大きさもほぼ芙蓉と同じですが、花弁は八重である為、薄手で雛罌粟の花弁と同様、皺が多くて柔らかな感じです。
少年の頃、父に連れられて見た梅蘭芳の「貴妃醉酒」を想いだし、しばし感傷にふけりました。それでこんな詩を書いてみました。
<感想>
いや、久しぶりに梅蘭芳(メイ・ランファン)の名前を見ました。そうでしたね、「貴妃酔酒」は彼の代表作でしたね。
酔芙蓉という名前も、それが一日の中で色を変えるということを、初めて知りました。そこで、またまたインターネットで調べましたら、ありました。開花から二十四時間の変化をカメラでとらえた方がいらっしゃって、そのおかげで、花の種類や特徴がよく分かりました。
詩は、起句に隠喩として「美女」が登場し、結句に直喩として「楊妃」がまた登場するのが面白くないですね。梅蘭芳への思いがあるのでしょうが、ここは我慢をして、楊貴妃を出したいのならば起句の方にそれと感じさせるようにした方が、結句でより多くのことを表現できるように思います。
2004.10. 5 by junji
作品番号 2004-188
秋夜書感
風過庭上桂香遶 風は庭上を過ぎて 桂香遶り
日落山頭月色催 日は山頭に落ちて 月色催す
衰盛榮枯詳史巻 衰盛榮枯 史巻に詳らかに
孤灯痩尽乱蛬哀 孤灯痩せ尽くして
◎蛬(こおろぎ)
<解説>
以前お便りにてお知らせしました通り、昨秋一月弱、体調を崩し入院をしておりました。病床の作。
<感想>
サラリーマン金太郎さんは、エコノミー症候群ということでしたね。大変でしたでしょう。
私は入院した時には、治療は勿論大変でしたが、それでも時間が取れるから詩が沢山作れるだろうと呑気な所もありました。ところが、実際に入院していると、これがなかなか作れないんですね。きっと、頭の中が治療という極めて現実的な物事に直面しているからでしょうね。
金太郎さんは着実に取り組んでいらっしゃったようですね。何はともあれ、回復なさって、本当に良かったと思います。
全体にやはり、病気と言うことでしょうか、やや寂しげな雰囲気が漂っていて、どちらかというと、金太郎さんの詩としては新しい境地のように感じます。こうした寂寥感のある詩は、言葉を並べるだけでもある程度の雰囲気は出るのですが、心に染みてくるためには、やはり実感が大切ですね。
2004.10. 6 by junji
作品番号 2004-189
立秋即事
殘炎洗盡雨初収 殘炎洗ひ盡くし雨初めて収まる
慢聽鳴蟲驚早秋 慢に鳴蟲を聽き早秋に驚く
氣如水知節序 氣水の如く節序を知り
新涼一脈正牽愁 新涼一脈正に愁を牽く
<解説>
大意は以下の通りです。
雨が残った暑さを洗い終わり始めて収まり
思いのままに蟲の鳴き声を聞き早めに来た秋に驚く
天上の白く明るい気は水のように、季節の変わり目を知り
一筋の新しい涼しさはほんとうに愁いを牽く
<感想>
「氣」は「澄み切った広大な空」という意味ですが、それが「如水」ということですと、「一面を覆い」ということでしょうか。それとも「自然に季節の移り変わりを知り」と後に掛かっていくのでしょうか。
どちらとも取れるということは、両方の意味を兼ねているということかもしれませんね。
初秋の気配の感じられる詩ですが、転句は「二四不同」が破れています。これはどうしたんでしょうか。残念ですね。
2004.10. 7 by junji
作品番号 2004-190
夏夜偶作
甲申三伏火雲天 甲申 三伏 火雲の天
夜熱炎炎不可眠 夜熱 炎炎として 眠るべからず
欲読詩書燈下坐 詩書を読まんと欲して 燈下に坐す
一吟高詠意悠然 一吟 高詠すれば 意 悠然たり
<解説>
本年(甲申の年)は記録的な猛暑続きで、寝苦しい夜が続いています。
寝つかれないままに詩書をひもといて、好きな一句を朗読してみました。気持ちは多少和らぎましたが、やっぱり暑い夜でした。
<感想>
そうですね、今年は本当に暑い夏で、しかも九月の終わりまでいつまでも続くという、厳しい年でした。「夜熱炎炎不可眠」は、実感の伴った句で、共感する人が多いと思いますよ。
起句の「甲申」は「今年の夏は」という気持ちでしょうが、あらためて詩の中で言う必要は無いと思います。詩題に含ませた方がすっきりするでしょう。
平仄の点では、四句とも頭の字が仄字ですので、これはバランスが悪く、どこかの句を平字にすべきでしょう。
結句の「一吟高詠意悠然」は、前半の暑さとの対応で見ると、やや離れすぎているような気がします。「どんなに暑くても、詩を吟ずれば心は落ち着く」という意図でしょうが、それには承句の「不可眠」が強すぎるかもしれませんね。
2004.10. 7 by junji
作品番号 2004-191
十一代目市川海老蔵襲名披露狂言勧進帳
新之助改め十一代目市川海老蔵襲名披露五月大歌舞伎(東京歌舞伎座) 歌舞伎十八番内 勧進帳
天保以来名跡還 天保以来の名跡還り
浅葱素襖映紅顔 浅葱の素襖紅顔映ゆる
壇頭漉漉智仁勇 壇頭漉漉智仁勇
祖澤渥恩越苦難 祖澤渥恩苦難を越ゆらん
<解説>
父市川団十郎と息子海老蔵。
この歌舞伎界二大名跡が一堂に会すのは、実に幕末天保年間より150年ぶりの御慶事。私も上京して堪能しました。
承句は、海老蔵扮する安宅関守 富樫氏の艶やか颯爽なる様を詠んだもの。転句の智は弁慶、仁は富樫、勇は義経をさす。
新海老蔵丈の大成を願ってやまない。
<感想>
団十郎と海老蔵が一堂に会すのは150年ぶりですか。私は詳しいことを知らないので、話を伺って、びっくりしました。歌舞伎が好きな方には、きっとたまらない場面なんでしょうね。
承句に若い海老蔵を描き、転句ではその舞台、結句で伝統とこれからへのエールときれいに展開されていて、知らない人でもつい応援したくなるような詩だと思います。
転句の「壇頭漉漉」は「舞台の上で汗を流しながら演じている」ということですかね。
結句の「祖澤渥恩」は、「祖恩」が「澤渥」ということで、ちょっとくどいかもしれませんが、伝統に支えられたという雰囲気がよく表れています。
2004.10. 7 by junji
作品番号 2004-192
過松林帰客舎 松林を過ぎりて客舎に帰る
暑気微和日没西 暑気微かに和らいで日西に没す
松林風動夕蝉啼 松林に風動いて夕蝉啼く
当難我業時停頓 難に当たりて我が業時に停頓すれども
復息焦心脱径迷 復た焦心を息めて径迷を脱せん
<解説>
勤務先の某研究所で一日の業を終え、夕食を摂って宿舎に帰る際に得た作です。
<感想>
うーん、つい「お仕事ご苦労様です」と言いたくなるような結末ですね。
私も自分の思ったように仕事が進まなくて、気持ちばかりが焦っているようなことがよくあります。そんな時には、ほっと自分を忘れることのできるような時間を取りたいものですが、なかなかうまく行きません。
きっと車で通勤しているからかもしれませんね。職場を出て、そのまま一時間近くも運転していると、自分だけの空間は作れますが、精神的には安らぐことはありません。そんなことしてると、どこかにぶつかってしまいますからね。
以前は通勤時に、車の中で中国語の勉強をしたりもしましたが、全く駄目ですね。頭に入らないし、入れようとすると運転が危なくなるし、結局あきらめました。最近はもう、ひたすら音楽を聞きながら、無心に、でも注意深く運転をしています。おっと、これは話が脱線ですね。
詩の方に戻りますと、転句はややもやもやしている気がしますが、多分、「我業」が余分なんだろうと思います。ここを別の言葉にすることで、「難」がもう少し具体的に想像できるようになると面白いでしょう。
同じように、結句も、「復」が分かりにくいでしょう。「復」というからには、一回目もあったのでしょうが、それは転句結句の描写からでは推測もできません。つい勢いで入れてしまった言葉のように感じますね。
2004.10. 7 by junji
作品番号 2004-193
称鈴木一郎先生
一郎渡海不知疲 一郎海を渡って疲れを知らず
衆目重懷剣聖姿 衆目重ねて懷く剣聖の姿
打棒如刀驅似矢 打棒は刀の如く駆けて矢に似たり
空前球史破之誰 空前の球史これを破るは誰ぞ
<解説>
イチローの年間262安打の記録達成を祝しての詩です。この記録を破る者は、ほかならぬイチロー本人しかいないと言われます。
本人は、しんどい、もう御免だと言っているのに、これ以上の期待はかわいそうな気もしますが、素直に祝意を述べたものとしてお許し下さい。
また、このような詩の性格上、拙速についてもお許しいただきたいと思います。
<感想>
大リーグ記録を更新という快挙に心を躍らせた人も多いことと思います。坂本定洋さんが早速送ってくれました。
起句の「一郎」の固有名詞は、彼自身が「イチロー」と改名しているわけですから、用いるべきではないでしょう。固有名詞の代わりにどんな形容をするか、が勝負所でしょうね。
また、「不知疲」や「破之誰」は韻字と重なっていることや、表現が荒いようにも思いますので、まだまだ推敲が必要かもしれませんが、その辺りはご自身でも十分に承知の上でしょうね。
速さが大切ということですので、急いで載せさせていただきました。
2004.10.10 by junji
作品番号 2004-194
中秋節(集句)
秋日荒涼石獣危, 秋日荒涼として石獣危く,
月明華表鶴歸遲。 月 明るき華表に鶴の帰ること遅し。
共君今夜不須睡, 君とともに今夜はすべからく睡るべきにあらず,
故国平居有所思。 故国 平居 思うところあり。
<解説>
集句です。
起句は、趙孟頫の「岳鄂王墓」
承句は、虞集の「挽文丞相」
転句は、賈島の「三月晦日贈劉評事」
合句は、杜甫の「秋興八首之四」
からとっています。
<感想>
本詩と次の回文詩は、世界漢詩同好會の詩題で作っていただいたものです。鮟鱇さんのご許可をいただいて、一般投稿の方に掲載します。
2004.10.10 by junji
作品番号 2004-195
中秋節(十字回文二首)
其 一
古
時 道
移 知
月 彌
映 彌
水
映月移時古道知。 映る月の時を移すを古道は知る。
知道古時移月映, 知るべし 古時は月の映ずるを移し,
時移月映水彌彌。 時移るも月は水の彌彌たるに映ずるを。
<解説>
上記七絶は、次の曄歌體を十字回文詩に展開したものです
曄歌體:古道知。彌彌水映,月移時。
古道は知る。彌彌たる水に映じて,月は時を移すを。
其 二
與
酒 詩
巵 池
金 明
映 月
影
池明月影泛金巵, 池に明るき月影
影泛金巵酒與詩。 影は金巵に泛かんで酒は詩に與す。
詩與酒巵金泛影, 詩は酒巵の金に影を泛かべる與し,
巵金泛影月明池。 巵は金に影を泛かべて月 池に明るし。
<解説>
上記七絶は、次の曄歌體を十字回文詩に展開したものです
曄歌體:酒與詩。池明月影,泛金巵。
酒は詩に与(くみ)す。池に明るき月影,金巵(キンシ)に泛かぶ。