2004年の投稿漢詩 第226作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-226

  詠言        

哀哉斯道正聲衰   哀哉 斯道 正聲衰え

唐宋文章説向誰   唐宋の文章 誰に向ってか説かん

一穴野狐遺臭處   一穴の野狐 臭を遺せし處

九皐孤鶴唳風時   九皐の孤鶴 風に唳く時

食將練實遊幽竹   食するに練實を将って 幽竹に遊び

飲彼靈泉浴淨池   彼の靈泉を飲みては 淨池に浴さん

能使頑夫洗汚耳   能く頑夫をして 汚耳を洗わせしむ

低吟可意古賢詩   低吟意に可なり 古賢の詩

          (上平声「四支」の押韻)

<感想>

 頷聯の「九皐孤鶴」は「世俗を離れた隠者」を象徴していますので、「野狐」は逆に「俗人」を例えているのでしょうか。
 尾聯の「洗汚耳」は『孟子』に示された許由の故事ですから、世俗に汚れた心情を拒否しようという強い意志がよく表れていますね。

 伝統的な風が廃れていく、その理由がどこにあるのかを考えることが、現代の私たちには必要なことのように思います。その上で、今の風は新しい方向を示す風なのか、混乱終末に向かう風なのか、そして何よりも漢詩が生き残るためにはどうすれば良いのか、そうした点に対しての問題提起にもなりうる詩だと思いました。

2004.12.11                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第227作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-227

  詠言其二        

戢羽九皐孤鶴空   羽を九皐に戢めては 孤鶴空し

笑他鷄鶩擬高鴻   笑ふ他の鷄鶩の 高鴻に擬するを

詭差摘句興無味   詭差たりし摘句 興 味わい無く

生硬措辞情不通   生硬の措辞 情 通ぜず

一読猶嫌心易俗   一読猶ほ嫌ふ 心俗になり易く

三吟既飽雅難工   三吟既に飽く 雅工になり難し

几辺掩巻長嘆喟   几辺巻を掩ひては 長に嘆喟し

誰写性霊承古風   誰か性霊を写して 古風を承ん

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 前作の連作です。前対と後対が共に叙情でよくありません。
 第三句「詭差摘句興無味」は、「新奇と称して詭差と為る」の意味。


<感想>

 こちらは仰っておられるように、頷聯頸聯が変化に乏しいので、表現が直截的に感じます。前作と塩梅するとバランスが良くなるように思いますが、そうは都合良くはいかないですよね。

2004.12.11                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第228作は 多田燎 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-228

  磧中偶感        

東窗未曙思凄涼   東窓未だ曙けず 思い凄涼

寂寂寒燈照客牀   寂寂たる寒燈 客牀を照らす

銀漢殘星雲母片   銀漢残星 雲母片

碧天孤月水精光   碧天孤月 水精光

少年壯語遊沙漠   少年壮語 沙漠に遊び

萬里離愁夢故郷   万里離愁 故郷を夢む

欲問歸程期不到   帰程を問わんと欲するも 期到らず

明朝好作纏頭郎   明朝は好し 纏頭の郎と作らん

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 私は2003年夏から約1年間、アラビア語学習のためUAE(アラブ首長国連邦)の国立大学に留学しておりました。私は本来の専門は中国文学ですが、中東地域にも興味があり、語学学習のため留学しました。これはその期間の作です。
 この国は北緯20余度ですが、夏の気温は50度まで上がるものの、冬の夜は0度近くとそれなりに寒くなります。この詩を書いたのはそういった冷涼な時期でした。
 私が滞在していたのは、アルアインという沙漠の中の街にある大学の学生寮。夜半にふと抱いた望郷の思いを詠みました。
 留学開始から半年近く、ようやく疲れを感じ初めていた頃で、望郷の念を詠んだのですが、ただ携帯電話やEメールで常に日本へ連絡することができ、あまり「地の果てまで来た」という感じはありませんでした。

 さて、詩の末句の「明朝好作纏頭郎」ですが、「纏頭郎」とはターバンを巻いた男でアラブ人のこと。「明日からアラブ人になってやろうか」と自嘲的に言ったものです。まあ帰国前にはアラビア語も話せるようになり、現地の生活・文化にも融けこんでいましたけれど。

(語釈)
「磧中」:沙漠の中 
「水精」:水晶 
「纏頭」:ターバンを巻いた頭 

<感想>

 多田さんは、先日福岡で開催された国民文化祭では、漢詩部門特別賞で「若年者奨励賞」を受賞なさっていましたね。おめでとうございます。

 砂漠の情景が直接には描かれていないので、頸聯の「沙漠」の語を取ってしまうと、どこで作られた詩なのかが分からなくなりますね。つまり、それだけアラブを漢詩の中に取り込んだとも言えますが、もう少し、お書きになったような厳しい気候条件などが書かれると、効果的だったような気がします。
 尾聯は「纏頭郎」が面白いのですが、前述したような関係で、やや唐突な気もしますね。解説を読んだから理解できる面白さ、という気もします。

2004.12.11                 by junji


観水さんから感想をいただきました。

「銀漢殘星雲母片/碧天孤月水精光」――こういう句は私の憧れです。
 人工の光の殆ど無い砂漠の中では、夜空の見え方は全く違うのでしょうね。私に想像できるのは、プラネタリウム内の人工的な空間か、せいぜい田舎の方の冬の夜空です。あるいは、作者が「冬の夜は0度近くとそれなりに寒くなります。この詩を書いたのはそういった冷涼な時期」というからには、両方のイメージを重ね合わせてみれば、それなりに近い雰囲気がわかるでしょうか。

 尾聯の「纏頭郎」は、この頷聯の対句のイメージと詩題の「磧中」、そして頸聯の「沙漠」の語から、割合スムーズにターバン姿を思い浮かべることができました。もっとも、「西域」の果て、中央〜西アジアの何処かくらいだろうと勝手に想像していましたが。
 解説を読んでUAEと知り、ちょっと意外でした(読む方のアラビア半島に対するイメージが貧弱なせいかもしれないですね)。

2004.12.13                 by 観水



坂本定洋さんから感想をいただいています。
 この方が短く言えると思いますので厳しい事から先に言わせていただきます。
 第一句「凄涼」はミスマッチ感が大きいように感じられます。おそらく第二句の窓の外の景色を言っているのでしょうが、第二句「寂寂」「寒」も基準が定かでないまま言いっぱなしです。これに「凄涼」が重なれば自明の理として、更に訳がわからなくなります。
 「凄涼」が第三句以降のことを言っているかと言うと、それは違うでしょう。しかし、読み手の感覚としては、この宙ぶらりんの「凄涼」が最後まで引きずられることになります。かなり損しています。
 比喩でも嘘でもいいから、「雪」なり「霜」なりの語を用いれば収まりの悪さはかな り解消できると思います。

 第一句、第二句に目をつぶることができる読者ならば、第三句以降、取っ付きの悪さもなく自然に詩の中に入っていくことができます。これは何にもまして重要な事で、常人には難しいことでもあります。それができています。これは大したことです。私も含めて多くのみなさんが、とどのつまり、これが欲しくて四苦八苦しているのです。あくまでも第三句以降に限ってのことですが、このようなものに一体何の注文をつける必要があるのでしょうか。

 立派な賞をいただいたそうですが、惚れ込む先生もいたであろうことは、わかります。

 題四句の表現は強引かとも思いますが、それが若さなのでしょう。作者の言いたいことは十分に伝わると思います。第三句ともども、この表現がそこはかとない異国情緒を伝えるのに役立っています。

 第一句、第二句に対しては、これから勉強して身につけていっていただきたいものがあると、率直に言わせていただきます。しかし総じて筋が良いと言うか、本当にいい線いっていると思います。

 私事で恐縮ながら、私の場合は五年で五言律詩、十年で七言律詩に手が届けば良いぐらいの気持ちで詩に取り組んできました。私は私、あせりはしません。しかし若い方がこのように形になっていると言うだけでない、筋の良い七言律詩を書いてみせるのに接して、やはり先を越されたと思いますね。
 脱帽です。 2004.12.15                 by 坂本 定洋






















 2004年の投稿漢詩 第229作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-229

  野葡萄懐父        

幼時通学小川涯   幼時 学に通ふ 小川の涯

頭上描秋紫玉糸   頭上 秋を描く 紫玉糸

吾不得抄希即父   吾は抄ることを得ず 即ち父に希へば

笑而負掲使連其   笑って負ひ掲げて其れに連らしむ

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

   野葡萄の紫の実を採らせむと肩車せし父若かりき

この父は私が十歳のときなくなりました。

<感想>

 送信フォームの関係で、詩を送っていただくのにご迷惑をおかけしました。
 転句の下三字の読み下しがどうなのか、私も自信がありませんので、もし違っていたらご連絡下さい。

 随分お父さんは若い時に亡くなられたのですね。私は、母を八歳、父を十四歳の時に亡くしましたので、お気持ちはよく分かります。
 野葡萄を摘んだ思い出が鮮明なものとして残っているのですね。一緒に過ごした時間が短かった分、数少ない思い出が一層貴重なものとして心に刻まれていて、私も母の思い出というと、本当に数えるほどしかありません。でも、だからと言って、それが希薄だとは感じていません。
 知秀さんも同じなのでしょう。この野葡萄の思い出に、お父さんの優しさが凝縮されていらっしゃるのだと思います。

 それを詩として描く、という点になると、しかし、状況は別になります。自分の中で普通の人が感じるよりも膨らんだ思いを、なおかつ誰にも伝わるように表現するとなると、どのように抑制しつつ、しかも気持ちを十分に籠める難しさがあります。
 この詩では、起句がどうしても説明的になっていて、特に「幼時」が不要に感じます。短歌では「肩車せし」の句で十分に表し得ていることを漢詩で表す難しさでしょうね。

2004.12.11                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第230作は 岡田嘉崇 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-230

  消夏雑詩        

茅屋朝來蝉語長   茅屋朝來 蝉語長く

炎威如燬火雲張   炎威燬くが如く 火雲張る

風生樹杪纔和暑   風は樹杪に生じ 纔に暑は和ぎ

暑満街衝遍阻涼   暑は街衝に満て遍に涼を阻む

電扇齎秋何異術   電扇秋を齎して何んぞ異術あらん

空調排夏果仙方   空調夏を排して 果て仙方

衫子嚼冰魂欲醒   衫子冰を嚼んで 魂醒めんと欲っす

解渇誦詩翰墨香   渇を解き詩を誦す 翰墨香る

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 掲載が遅れましたので、季節感がずれてしまい、申し訳ありません。
 頷聯の「暑」の重複、尾聯の平仄(反法の乱れ)がありますので、形式として気になるところです。
 「電扇」「空調」が現代を表して、消夏の方法も古代とは異なる点が面白いところ、並べた「仙方」が利いていますね。

2004.12.11                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第231作は 長岡瀬風 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-231

  立秋        

断梅晴後雨連綿   断梅晴後 雨連綿

冷果嫌嘗茗獨煎   冷果嘗るを嫌って茗獨り煎る

湧出孤愁忘暑熱   湧出孤愁 暑熱忘れ

閉來荒屋避塵縁   閉來荒屋 塵縁避く

暗蛩泣露秋先覺   暗蛩露に泣いて 秋先づ覺え

涼月透簾人未眠   涼月簾を透して 人未だ眠らず

欲改蕪辞舊題句   改めんと欲っす 蕪辞舊題の句

四時莫問日如年   四時問ふ莫かれ 日年の如し

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 長岡さんの詩も、季節がずれてしまい、申し訳ありません。
 首聯から頸聯にかけて、丁度季節の移り変わりの時期を描いて、十分に伝わってきますね。暑さに疲れた身体や心がふっと涼気のおかげでやすらぐ、そんな雰囲気が感じられる、柔らかな詩ですね。

 破綻もなく初めから終わりまで自然に流れて行くのですが、逆にさらりと流れすぎるかもしれません。
 例えば、頸聯の下句、「人未眠」の「人」は次の尾聯の叙述から行くと「作者自身」となるわけですが、そうなると、「秋が来た」→「私は眠れない」→「詩を改める」と説明的な印象です。これなどは別の「人」が感じられるようにしてもいいし、他の生き物を出してもよく、変化が出た方が面白いように感じました。
 もちろん、これは整っているからこそのひが目かもしれませんが。

2004.12.11                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第232作は 逸爾散士 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-232

  王祖賢        

変身幽女艶容色   幽女に変身して容色艶かに

好演姑娘催嘆息   好く姑娘を演じれば嘆息催さる

香港伎優随一人   香港伎優随一の人

假如生古應傾国   假如(もし)古に生ぜば、應に国を傾けん

          (入声十三「職」の押韻)

<解説>

  王祖賢  ジョイウォン

 香港スターのジョイウォンを詠じた詩。書いている本人が「だから何なのだ」と自分でツッコミを入れたくなるけど…。
 鈴木先生が精密な読みをしているのに、浮薄なテーマですが、ミーハーな素材でも漢詩は作れるよと若い人に示せば、興味を持つ人もあるいは増えるかもと期待します。死馬の骨を千金で購えば名馬もやってくることもあるし…って喩えが大げさですね。
 そんなにジョイウォンのファンではなく、そもそも映画をあまり見ないから、彼女の出演作もケーブルテレビで「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」と「緑の大地」と、そのほか数作を見た程度で、起承句はそれを言っています。

 結句は初案、「当然たり、華麗のしばしば国を傾けることは」というようにして、中国の女の人は綺麗だから、歴史上にも美女がいるよなあ、との感慨で結ぼうと思いました。
 でも詩題が人名で、詠物体に倣えば「詠人体」というのもあるのか。詠物体は、句句、詩題を離れてはいけないと山陽吟社で習ったように思う。(杜甫の「蛍」か李商隠の「涙」が例に引かれたと思うけど、記憶が定かでありません)ならば、ジョイ・ウォンのことから結句でもはずれない方がいいかな・・・と思いなおしました。
 「華麗」=中華の麗人というのも無理でしょうし。

 なにも仄韻を選んでわざわざ詠む内容かよ、とも思うけど、韻字はそれほどとってつけた字ではないから、まあいいかなとも思います。

<感想>

 これは感想を書くのが難しいですね。というのは、私が映画に詳しくないものですから、「常識だろう!」と言われると恥ずかしいのですが、すみません。この感想はどなたかにお願いした方が良いでしょうね。
 詩に関してのみに限定すれば、承句の「催嘆息」の主語がジョイウォンではなく、作者(映画を観ている者)になっているように見えるのですが、主語の転換があることと、ここで心情を出していることが気になりました。

2004.12.14                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第233作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-233

  傷罹災      罹災を傷む  

地震揺中越   地震 中越を揺する

豪雨侵播州   豪雨 播州を侵す

天怒宿分裏   天怒 宿分の裏

罹民亦何尤   罹民 亦た何の尤あらん

暫停風捲雪   暫し停まれ風雪を捲くを

義捐為庶投   夙に届け 衣食住

夙届衣食住   義捐 庶の為に投ぜん

冷雲不尽愁   冷雲 愁は尽きず

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 「中越」=新潟県中越地方。
 「播州」=兵庫県高岡市周辺。
 「天怒」=天の怒り、天災。
 「宿分」=宿命。

日本列島は曾ってない天災(台風に地震)にみまわれた。
寒空の中、家を失い苦しむ被災民を傷む。
やがて来る冬将軍を前に少しでも遅く来るように祈りたい。
僅かな義捐を諸々の人に投じよう。
早く届け衣食住の足しに。北の空を見れば冷雲がたなびき愁いは尽きないと。

<感想>

 今年は本当に災害の恐ろしさを思い知らされた一年でしたね。
漢詩でこうした事件をどう記録するか、というのも、私たち現代の漢詩人の責務かもしれません。

 「宿分」(運命)として捉えるのは実際に被災された方々にはまだまだ難しいことでしょうが、深渓さんの仰るように、厳しい冬が来るのが少しでも遅くなることを祈るしかありません。

2004.12.14                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第234作は 一人 土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-234

  台風来     台風来たる   

十月台風不久闘   十月 台風と闘うは久しからず

豪音変地害層楼   豪音 地を変え 層楼を害す

多多死報驚人國   多多 死報 人國を驚かし

滝滝如川落苦愁   滝滝 川の如し 苦愁に落つる

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 十月 台風と闘うことは久しくなく、
 豪音が鳴り地を変え建物を損なう。
 多くの死報が人の国を驚かし、
 雨の降る様は川のようで苦しくなる。
この前の台風が凄かったので書きました。

<感想>

 起句の踏み落としは構いませんが、結果的には「下三仄」になっていますので、これは避けた方が良いでしょう。
 また、結句の「滝滝」は平声ですから、ここは平仄が崩れていますね。内容的にも、何が「川の如くに滝滝と落ちる」のかがはっきりしませんね。
 「苦愁」が主語ならば、これを「如川落」の前に置きたいですし、「死報」が主語ならば、主語と述語が離れすぎているでしょう。

2004.12.14                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第235作は 長岡瀬風 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-235

  新秋即事        

秋從天末到吾家   秋は天末從り 吾家に到り

老瀬孤舟莫用嗟   老瀬孤舟 嗟するを用いる莫れ

隔日入厨炊白玉   隔日厨に入って 白玉を炊き

毎朝注水見黄花   毎朝水を注いで 黄花を見

豈無一盞消愁酒   豈無からんや一盞 愁を消す酒

亦有兩甌除悶茶   亦有り兩甌 悶を除く茶

嫁女時來多笑語   嫁女時に來りて 笑語多く

佳肴上膳更何加   佳肴膳に上して 更に何をか加へん

          (下平声「六麻」の押韻)

<感想>

 これは穏やかな、心が安まるような詩ですね。
 今はお一人で暮らしていらっしゃるのでしょうか。日々の静謐たる生活と秋の到来とが調和し、十分に瀬風さんの世界を築きあげていると思います。
 尾聯の「嫁女」のお見えになった喜びが、それまでの状況との変化をよく表していて、味わいを深めていますね。

2004.12.14                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第236作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-236

  詠言 其三        

九皐孤鶴啄苔時   九皐孤鶴 苔を啄む時

頑質尚嫌名利羈   頑質尚ほ嫌ふ 名利に羈れるを

勁草梳風自無臥   勁草風に梳けられるも 自から臥する無く

虚舟漂水欲何之   虚舟水に漂うて 何くにか之かんと欲す

東坡詩巻不離手   東坡が詩巻 手より離さず

清節田園令展眉   清節が田園 眉を展ばしむ

与世相忘難適用   世と相い忘れては 用適し難く

故称冗子似泥亀   故に冗子と称して泥亀に似たり

          (上平声「四支」の押韻)

 [語釈]
 「勁草」:風になびかぬ勁い草 疾風知勁草  「梳風」:草が風に吹かれる  「虚舟」:何ものせていない舟(心に名利のない)  「清節」:清節先生 陶淵明  「冗子」:世の中に役の立たない人  「泥亀」:曳尾泥中

<感想>

 「詠言」の連作での第三作ですね。
 第一作第二作が詩文を中心に語られていたのに対し、第三作は対象を拡げて、詩人の心情を明瞭に打ち出されていますね。
 その分、作者の悲憤は弱くなり、清澄な雰囲気が表出されているように感じます。ただ、三作を並べて読むのと、この詩だけを読むのとでは印象が随分違い、並べた場合には、世を嘆いた後の諦観がここでは表れているでしょう。その深まりが、連作の効果と言えるのでしょう。

2004.12.15                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第237作は 慵起 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-237

  秩父羊山芝桜        

崎坂杖登上未岡   崎坂 杖つきて登り 未岡に上る

白葩紅蕊独壇場   白葩紅蕊 独り場を壇にす

瞻武甲山容屹屼   武甲山を瞻れば 容は屹屼

和風花海散清香   和風 花海 清香を散ず

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 今年の春、秩父の羊山公園で芝桜を観たときの光景です。
羊山を未岡とするのは、苦しいでしょうか。

<感想>

 転句の「武甲山」は秩父のシンボルとも言える山ですね。「屹屼」「はげ山がそびえ立っている」ということでしょう。
 起句の「未岡」はどうかということですね。読めないことはないと思いますが、そこまでする必要があるかどうかですね。転句にも固有名詞が入っていること、詩題にすでに示されていることを考えると、ここは一般名詞なり、丘の形状を語るなりするのが良いように思います。
 また、結句の「花海」は、一首のまとめという役割でしょうが、承句の鮮やかな表現を薄めているように感じます。転句の力強さを受け止め得る内容が欲しいところでしょうね。

 起句は「四字目の孤平」になっていますね。

2004.12.15                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第238作は 柴田和子 さんからの初めての投稿作品です。
 嘯嘯会の会員でいらっしゃり、謝斧さんからのご紹介です。

作品番号 2004-238

  賀友沢翁喜寿        

専攻電信著先鞭   電信を専攻して 先鞭を著け

事業成功豈偶然   事業功を成す 豈に偶然ならんや

趣味多才身亦健   趣味多才 身も亦健なり

風流絵画残生全   風流絵画に残生全し

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 柴田さんの仰るところの「友沢翁」を存じ上げないので、内容について申し上げることはできないのですが、詩から拝見するには、落ち着いた人生を歩まれたことがよく分かります。喜寿のお祝いにこの詩を贈られたのならば、お喜びになったのではないでしょうか。
 結句は下三平になっていますので、ここは修正なさるはずでしょう。

2004.12.15                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第239作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-239

  朔月即事        

朔月寒風鳴樹梢   朔月 寒風 樹梢に鳴り

晩来酔老怕空匏   晩来 酔老 匏の空しきを怕る

家妻幸甚好烹割   家妻 幸甚にも烹割を好み

蘿蔔羹甜可酒肴   蘿蔔の羹 甜にして 酒肴に可なり

          (下平声「三肴」の押韻)

「朔月」:11月
「蘿蔔」:大根


<感想>

 初稿に比べて「酔老」に言葉を替えられたのは、禿羊さんらしくなって、承句を見る分には味わいが出ています。しかし、結句の「可酒肴」とつなげてみると、やや冗漫な印象になってしまいますね。
 全体のバランスという点では、もとの「窮老」の方が流れが良いように私は思います。
 寒くなってきますと、確かに温かいものが恋しくなります。私も先日、家内が留守の時に、おでんを食べたくなり、スーパーをさまよったりもしましたよ。

2004.12.15                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第240作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-240

  秋思        

一去郷関霜鬢年   一たび郷関を去って 霜鬢の年

毎牽秋思拠珠川   毎に秋思に牽かれ 珠川に拠る

無雲天際小春節   天際に雲も無く 小春の節

託意東流詩幾篇   東流に意いを託さん 詩幾篇

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 故郷を出てから何十年とか数える事も忘れる程歳月が流れ、霜鬢の齢となり、広々とした多摩川を散策して青春時代を懐かしもうと、小春の節、東流の水に思いを託さんとしている。

<感想>

 共感を引く詩ですね。主題をまず述べ、情景を次第に明確にしていく展開は、非常に分かりやすいと思います。結びの「詩幾篇」も余韻の残る表現ではないでしょうか。
 川の流れが時の流れに結びつくのも自然ですし、転句で視点を上方に向けさせたのも、全体の視野を広げる意味で効果を出していて、大きなスケールの詩になったと思います。

2004.12.15                 by junji