作品番号 2004-166
拝愛媛丸慰霊碑(波和怡州加加吾子公園) 愛媛丸慰霊碑を拝す(ハワイ州カカアコ公園)
携友遨遊得好機 友を携えて遨遊の好機を得
風光訪島夕陽微 風光の島を訪えば夕陽微かなり
羅災魄睡丘陵郭 羅災の魄は丘陵の郭に睡り
合掌航行無恙祈 合掌して航行の恙無きを祈る
<解説>
3年前(2001年)2月10日午前8時48分(日本時間)、ハワイ沖にて米原子力潜水艦「グリーンビル」が宇和島水産高校実習船「えひめ丸」に衝突・沈没させる事故が発生した。結果9人の犠牲者が出たことは記憶に新しい。
一行は宇和島市民を代表に立て、慰霊碑に献花亡くなられた方のご冥福と、二度とこのような惨事が起こらないよう祈念した。
昨年には愛媛県とハワイ州はこの事故を永久に風化させること無く、両国の友好親善を図るため、姉妹交流の調印を行った。
<感想>
サラリーマン金太郎は愛媛県にお住まいですから、この事件はとりわけ胸を痛められたことと思います。事故の様子がはっきりするにつれ、また、沈没した愛媛丸の姿を見るにつけ、悲しみが深まりました。
事故の悲しみを乗り越えて、愛媛県とハワイ州が姉妹交流をすることになったということは、本当に素晴らしいことですね。犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。
一二、詩の本文と書き下しの合わない所がありますね。起句では「遨遊得好機」を「遨遊の好機」とするのは、修飾語が飛んでいますから苦しいでしょうね。また、承句も「風光訪島」を「風光の島」と飛んで読むのも同様です。
結句では、「航行無恙祈」は「祈航行無恙」の順番でしょうね。語順を入れ替えるのは詩では平仄押韻の関係でよく見られますが、あまり多いと読解に困難が出てきたり、誤読の可能性も出ますので、できれば整える方が良いでしょうね。
2004. 8.26 by junji
作品番号 2004-167
獅子巌
白沙作對黒耶青 白沙對を作すは黒か青か
熊野峰前百里汀 熊野峰前百里の汀
徐福一行恟不進 徐福の一行恟れて進まず
化巌獅子吼東溟 巌と化すの獅子東溟に吼ゆるに
<解説>
和歌山県新宮市から熊野川を渡って三重県に入り、鵜殿村から熊野市木ノ本町に到る海岸線は、七里御浜と呼ばれる全長27Kmの砂浜です。砂浜の途切れた所が昔海賊の棲家であったと言われる鬼ゲ城です。その少し手前に獅子岩があります。
散策で、言わば時間が潰せる鬼ゲ城とは異なり、ただ岩があるばかりの獅子岩は、車中から一瞥して通り過ぎてしまいがちです。しかし、第一印象はこちらの方が強いのではないのでしょうか。
徐福が、その姿に恐れをなしてか、あるいは獅子のように岩と化すことを恐れてか、これより先に進めなかったと言うのは、私の勝手な想像です。承句「百里」は前述のように華里ならば「五十里」が正確なところですが、ここはスケール感を表わすものとしてお許しいただける範囲かと思います。
実の所、この詩が私の本年第一作です。
私事で恐縮ながら、この新年から五月に到るまで、仕事の面で辛い局面があり、とても想が湧く状態ではありませんでした。ジタバタしても仕方ないので、書き溜めた作を見なおし、いくつかを投稿させていただいた次第です。6月に入ってやっと想が得られ、この作になりました。
熊野の地は私が青春を過ごした地であり、言わば第二の故郷です。思いは年々強まります。三月末に母校の同窓会があり、久しぶりにこの地を訪ねました。古い友や恩師と歓談するうち心も落ち着きを取り戻し難局を乗り切ることができました。
この詩は、今はまた全国に散った友への私からの便りとして投稿させていただきます。詩として詰めの甘さも残ると思いますが、ここは「巧久」よりも「拙速」を取らせていただきます。
しかしながら詩に対する厳しいご意見は、存分に頂戴したく思います。例によって十分寝かせてから再度見直すつもりです。
最後に想を得るに当たって枳亭さんの「熊野鬼城」が刺激になつたことを申し添えておきます。
<感想>
いやいや、徐福の話はそうした伝説が残っているのかと思いましたよ。それくらい、詩の中で生きているということでしょうか。スケール感の強い詩になっていると思います。
起句の「黒」と「青」が何を指しているのでしょうか。「青」は「海」でしょうね。それとも「松」?対する「黒」は難しいですね。「白沙」に向かうとすると、「岩」「陸地」かな?そこを考えさせるのが作者の狙いでしょうね。
承句からは例の徐福の話も含めて、一気に進みますが、力量感のある展開になっているでしょう。お仕事で大変だったようですが、この詩を見る限り、坂本定洋さんのエネルギーは十分に蓄えられていると感じます。離れた地のお友達も「お、これなら彼は大丈夫だな」と安心なさると思いますよ。
2004. 8.25 by junji
作品番号 2004-168
梅霖小庭 梅霖の小庭
百花過尽緑庭繁 百花過ぎ尽き 緑庭繁るも
唯見紫陽華燦存 唯見る紫陽の 華燦として存するを
得雨鮮妍益加艶 雨を得て鮮妍 益艶を加え
雲晴酔美映黄昏 雲晴れ酔美 黄昏に映ず
<解説>
昨年の今頃は蒲郡市の補陀寺の紫陽花を賛嘆して眺めたが、今年は家の庭で紫陽花をゆっくり見た。雨に濡れて色が変化して行く球形のはなの美しさを芳酒と共に楽しんだ。
<感想>
紫陽花の美しさは雨と切り離すことはできませんね。また、丁度花の途切れる頃に、庭先を彩る落ち着いた紫の色は、心を惹きつけるものがあります。
紫陽花園の無数に煙るような花も良いですが、個人の庭の一隅を占める紫陽花は、一際色の鮮やかさを出します。
その美しさを描写するのに、「華燦」「鮮妍益加艶」「酔美」と並べたのは、やや多すぎたかもしれませんね。紫陽花の具体的な描写を加えると実景が浮かぶでしょう。
結句の「雲晴」は現実なのでしょうが、不要だと思います。転句で「雨に濡れて一層美しい」と言ったからには、今度は晴れたなら晴れた美しさを描かなくてはいけません。そこまでを絶句で描くのは無理ですから、ここは晴れたことは書かないで我慢することが大切です。
2004. 8.25 by junji
作品番号 2004-169
即事
酲裏山妻苦語煩 酲裏 山妻 苦語煩わし
徹宵相酌尽芳樽 徹宵 相酌んで芳樽を尽せり
不解人生感意気 解せず 人生 意気に感ずるを
暫逃火宅伴童孫 暫く火宅を逃れんと童孫を伴う
<解説>
家内が身体を心配しての苦情とは判っているのですが、二日酔いで聞くのは辛いもので、「人生意気に感ずだ」と捨てぜりふを残して、孫と逃げ出しました。
<感想>
最近、禿羊さんの詩には独特の雰囲気が出てきて、「禿羊ワールド」という感じがしますね。この詩も、まさに「即事」というにふさわしく、日常のほほえましいひとこまを垣間見ることができます。
奥さんの小言を背中で聞きながら、孫を連れて逃げ出す姿がそのまま目に浮かびます。
私も健康診断で肝臓の数値が悪い時には、妻に冷たい目で見られながらビールを飲むことになります。きっと世間の酒飲み男はみんな同じ様な思いをしてるんだと思いますよ。だからこそ、この転句の爽やかさ、もうすっきりしますね。
昨夜の楽しい酒のことを一句まるまる使うならば、起句と承句は内容的には逆の方が良いでしょうね。
2004. 8.25 by junji
「不解人生感意気」は妥かではないと感じます。
恐らくは詩人は、「老いが逼った身では人生感意気というような気持ちはもうすでに無くなった」でしょうか。そうであれば、叙述にもうすこし工夫が必要ではないでしょうか。
詩意(ただ「不解」では)では「世の中の人が、齷齪として人生意気に感ずとして、事に当たるということが私には理解できない」となる。つまりは、「人生感意気」ということ自体を否定しているような叙述になっているように思えます。
鈴木先生はどうお考えでしょうか。
また、「感意気」は三仄連になっています。三仄連自体は拗ですが、あまりうるさくはありません。まして、立派な成語ですので、大手を振って許されるのですが、意識的でしょうか。
2004.8.26 by 謝斧
私は、この「不解」は作者が主語ではなく、奥さんが主語だと解しています。
つまり、「男には(女にもかな?)人生意気に感ずで酒を飲まなきゃいかん時もあるということを妻はちっともわかっとらん」ということでしょう。
このように解することは無理でしょうか。
「感意気」の仄三連についてですが、ここは魏徴の「述懐」をそのまま持ってこられたわけですが、一句丸ごと持ってきたということに、作者のちょっとおどけた部分が出ているように思います。
私が上の訳で、「男には・・・」と書きましたが、このように大仰に言う時は、実際はどうってことない時が多いのであり、単に自分が飲みたかっただけというのをごまかすために、わざわざこんな言い方をすることがあります。
ここでは、奥さんが小言を言うのは自分の健康を考えてのことだと十分に理解しているからこそ、わざと「あの立派な魏徴もこう言っておるぞ」と照れ隠しの心理があるのだと思います。
「感意気」などのように部分的に使われると、まともに捉えなくてはいけない気になりますが、これだけどっかと置かれると、「やや、禿羊さんは何かたくらんでいるな」という気になりますので、私はそう解釈しています。
意識的かどうかと言えば、ほぼ100%、意識的だと思います。この辺りが、「禿羊ワールド」と私が感じた点ですけれど。
2004. 8.26 by 桐山堂
謝斧です。
鈴木先生のおっしゃるように考えると、また違った面白みがあり、禿羊先生らしい詩だと却って感心しています。
ただ、それでも「人生感意気」の句は、やはり唐突の感がします。何が「人生感意気」と言わしめたのかという、具体的な叙述がない為だとおもいます。
2004. 8.27 by 謝斧
禿羊さん
鮟鱇です。
玉作ニ首「即事」「散歩与慈孫」拝読いたしました。詩意は詩に尽くされていますし、読後感としては桐山人先生に同感で付け加えることはないのですが、ニ首、小生も楽しく、また、微笑ましく読ませていただきました。
わたしの子供二人はすでに結婚していますが、とりわけ娘の方はあれやこれやの理屈をつけて子供を生もうとはせずに孫には恵まれておりません。しかし、かりに孫が生まれたとしても、きっともの静かな目立たない子で、「童心奔放逐奇忙」とはならなかったと思います。「童心奔放逐奇忙」、うらやましい限りです。でもこれ、きっと禿羊さんの血ですよね。
妻との関係でいえば、わたしも禿羊さんと同じような環境にあると思います。というより、そう思えたということは、禿羊さんの筆力です。楽しい詩です。
ただ、読者の立場からは、起句の主語は奥様、承句の主語は禿羊さん、転句の「不解」の主語は奥様、結句の主語は禿羊さんという風に読めます(ただし、承転結の主語は、詩文の通例として省略されています)。
わたしは、起承2句で一文、転結2句で一文とするように書こうと思っています。そのせいか、あるいは隠れている主語の転換を追うのが少しつらいのか、玉作は四句がそれぞれに一文になっているように思え、起・承が切れ、転・結が切れてしまうように感じます。
僭越ですが、起・承句は奥様の立場からの文、転・結は禿羊さんの立場からの文ということを今すこし明確にしてみたらどうかと思います。
具体的には、
酲裏山妻苦語煩, 酲裏 山妻 苦語煩わし,
徹宵君酌尽芳樽。 徹宵 君酌んで芳樽を尽せりと。 相→君
当解人生感意気, 解すべし 人生 意気に感ずるを, 不→当
暫逃火宅伴童孫。 暫く火宅を逃れんと童孫を伴う
山妻詩、わたしにも一首ありました。わたしもよく妻に責められるということで、お読みいただければ幸いです。
七絶・花間踏狗糞
人肥狗痩共春風, 人は肥え狗(いぬ)は痩せて春風をともにし,
散歩櫻雲飛雪中。 散歩するは桜の雲の雪を飛ばす中。
老骨行吟頻踏糞, 老骨の行吟 頻に糞を踏み,
山妻責過去年同。 山妻 過(とが)を責めること 去年に同じ。
2004. 8.27 by 鮟鱇
桐山堂、謝斧、鮟鱇諸先生、
ご好意のこもった懇切なる感想を頂きありがとうございます。
「即事」に関しましては、詩意は桐山堂先生の解釈(私が意識していなかった深さまで)に尽くされおり、付け加えることはありませんが、起承の時間の逆転についてご指摘を受けますと確かに違和感があり、「徹宵」→「昨宵」とした方がすこしは良かったかと考えております。
転句で主語が変わっている点、誤解を招きやすいと気にはなっていたのですが、ここは棄てぜりふですから、あまり説明的になってもと思い、そのままにしておきました。
魏徴には「そんな軽いものではない。あまり気安く使うな。」と叱られそうですね。
鮟鱇先生、御高詩ありがとうございました。
家内はいつもは「細君」なのですが、こうもうるさいときは、どうしても「山妻」を使いたくなります。
今後とも、忌憚のないご批正をお願い申し上げます。
2004. 8.31 by 禿羊
作品番号 2004-170
散歩与慈孫 茲孫と散歩す
携手稚孫遊市坊 手を稚孫と携えて市坊に遊べば
童心奔放逐奇忙 童心奔放にして奇を逐うに忙なり
勿言面貌双相似 言う勿れ 面貌双つながら相似たると
胡有花顔化禿羊 胡ぞ花顔の禿羊と化する有らんや
<解説>
前の詩の続きというわけではありませんが、孫と散歩するとアチャコチャと走り回って、追っかけるのが大変です。
ご近所の人が「まあ、可愛い」はいいのですが、「おじいちゃんにそっくり」などと言われると、女の子ですから嬉しいような困ったような気になります。
<感想>
いやいや、またまた吹き出してしまいました。肩の力を抜いてこういう詩を私はいつになったら書けるのだろうかと思います。
特に承句は、まさに幼児の姿を描いて、ずばり、という感じですね。転結も、まるで落語の落ちのようで、「勿言」や「胡有」の大仰な言い方が一層、嬉しくもある微妙な心情を言い得ているでしょう。
こういう詩は私は大好きです。
2004. 8.25 by junji
禿羊先生の稚孫に対する愛情がよく表現されて、面白く読ませて頂きました。
ただ、転結句の「面貌双相似」と「花顔化禿羊」が重複して少しくどいようにおもいます。
2004. 8.26 by 謝斧
作品番号 2004-171
観行田蓮 行田の蓮を観る
暁尋深緑水辺涼 暁に深緑を尋ぬれば 水辺涼し
荷葉揺風見露光 荷葉 風に揺れて露の光るを見る
款款蜻蛉飛過処 款款として蜻蛉 飛び過ぐる処
艶姿馥郁発清香 艶姿 馥郁として 清香を発す
<解説>
7月初旬、埼玉県行田市の「古代蓮公園」に古代蓮の観賞に出かけた時に目にしたままを詠いました。無数の古代蓮が丁度見頃で、風に揺れる蓮の葉と薄紅色の花姿が印象的でした。
<感想>
「古代蓮」というのは、現代の蓮とは違うんですか?私は不勉強でよく知らなくて済みません。
ということで、インターネットで行田市の「古代蓮の里」を調べました。
市のホームページからのリンクがあって、わかりました。「古代蓮は、昭和46年に行われた公共施設工事の際、地中の種子が自然に発芽、開花したもので、花弁数の少ない原始的な形態を持つ1400〜3000年前の蓮と言われています。地中の種子が発芽した例は稀で、行田市では天然記念物に指定し保護しています」とのことでした。また、この「古代蓮の里」は24時間入場が可能だそうですので、菊太郎さんが起句で書かれた「暁尋」の意味もよく分かりました。
菊太郎さんのお住まいは神奈川県だそうですが、埼玉県の行田市まではどのくらい時間がかかるんでしょうか。朝早くに開く蓮の花を見るためには、もっと早くに家を出られたんでしょうね。
起句の「深緑」は「深い緑(色)」のことですので、本来はこの後に修飾される言葉が必要です。「深緑林」なり「深緑園」などですね。ここは、やや省略し過ぎの感じがします。
承句の「見露光」は読みにくいと思います。下三字は原則として、「○/○○」か「○○/○」のように、一字+二字(二字+一字)の組み合わせで読みます。ここも「露が光る」と主語述語で読むよりも、「露光」と一つの名詞として読んだ方が流れが自然です。
結句の「馥郁発清香」はイメージとしては分かるのですが、蓮の花の香りというのが実感があまり無く、どちらかというと「蓮は花」と思っていましたので、カウンターパンチを受けたような印象です。
気持ちとしては、ここで香をどうしても出さなくても、結句は視覚的な美しさで通しても良かったのではないかと思います。ただ、先ほど書きましたように、作者がここで「蓮の香」を読者に味わって欲しいのだ!というのなら別ですが。
2004. 9. 6 by junji
作品番号 2004-172
炎暑
城中炎暑早朝醒 城中 炎暑 早朝醒め、
窓外新蝉乱叫聴 窓外の新蝉 乱に叫ぶを聴く。
争用空調涼欲得 空調を争ひ用いて涼を得んと欲せば、
吹昇熱気動風鈴 吹き昇る熱気 風鈴を動かす。
<解説>
暑いですね。
夏は大好きなのですが、東京の夏は人工的な暑さを感じます。
みんなでクーラーをまわして、さらに暑くなる。
仕方がないのですが、すこし揶揄してみました。
<感想>
ニャースさんに叱られそうですけど、今年は本当によくクーラーのお世話になった夏でした。私の住んでいる所は都会ではないので、幾分かは気温も低い土地なのでしょうが、今年は夕食後でもクーラーを点けていることが多かったように思います。まさに、家族で「争って」クーラーのスイッチを入れていたようなものでした。
反省、反省。
起句は「炎暑」が「早朝」には治まったという意味かと思いました。ニャースさんは、「暑さのせいで朝早くから目が覚めてしまった」という意図でしょうね。それならば、「促(急)朝醒」としたいところですね。
転句は表現がまだこなれていない印象ですが、それは「空調」という言葉のせいでしょうか。
結句は「クーラーから排出された熱気が風鈴を鳴らす」という、諧謔味のある視点が面白いと思います。ここが今回の詩の狙いでもあるでしょうが、現代の珍妙な現状を的確に象徴しているでしょう。
転句と合わせて、「空調熱気動風鈴」の七文字、うーん、まさに現代への警句ですね。
2004. 9. 6 by junji
作品番号 2004-173
夏夜港頭
不生一秒一分風 生ぜず一秒一分の風
熱漲暝汀焙醉翁 熱は暝汀に漲り醉翁を焙る
海面如脂波厭世 海面は脂の如の波は世を厭う
漉モ溶漾夜光蟲 漉モ溶けて漾う夜光蟲
<解説>
物理的には一滴の涼もない夏の夜の定番と言えば「蛍」と「花火」です。新機軸かどうかは知りませんが「夜行虫」はいかがでしょう。
話は脱線しますが、「夏用の音楽」にはシベリウスの交響曲のように北欧の風を感じさせてくれるようなものもあれば、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」やマーラーの第七番のように、夏のまったりとした空気に何とも合うというのもあります。
どちらかと言うと後者のイメージで書いたつもりですので、読んでいただいてちっとも涼しい気分にならないというのは仕方ありません。もっとも詩が狙い通りのものになっているかどうかは別の話ですが。
なお、酒を飲んでの夜光虫見物はお奨めできません。海に落ちて亡くなる「酔翁」は後を絶たないのです。
<感想>
起句は、「一秒一分風」に作者の工夫が出ているところでしょう。ただ、これですと風が強く印象に残りすぎますね。結局は吹かなかったわけですから、この起句の表現に狙いを入れすぎると、全体がバタ臭くなります。
むしろ、転句に斬新さを求める方が良いと思います。
承句の「酔翁」は作者自身の姿を描いたものと考えるのが普通ですが、お書きになったように「後を絶たない酔翁」の一人でしょうか。
2004. 9.16 by junji
作品番号 2004-174
太宰府天満宮
空僵菅公梅忘香 空しく菅公僵(たお)れて梅香るを忘れ
千年歳月意何長 千年の歳月 意何ぞ長し
讒言失脚悲歎地 讒言失脚 悲歎の地
恩賜御衣催断腸 恩賜の御衣に断腸催す
<解説>
おなじみの道真公、悲憤の物語
<感想>
言葉を並べてみますと、「空」「悲嘆」「断腸」と同じ内容が続きますね。道真公の悲しい最期は誰もが知っていることですので、それに対しての感傷の言葉をあまり並べるのはどうでしょうか。
また、転句の「讒言失脚」も直接的で、私の感覚では、せっかく道真公が「出門」と身を処したことを裏切るような気がします。
誰もが「讒言失脚」だと思っていることだからこそ、あえて言う必要は無いでしょう。
もう一点は、結句の「断腸」の言葉ですが、これは道真公の「九月十日」の詩で見るならば、「秋思詩篇独断腸」なのですから、「恩賜御衣」に対して「断腸」だったのではなく、「秋思詩篇」が「断腸」だったわけです。
勿論、その「断腸」の思いは筑紫で今でも甦る、その甦りの引き金は「恩賜御衣」ではあったでしょうが、そこまでこの句で拡大させるのは苦しく、句の解釈を誤ったと言われる可能性の方が高いと思います。
2004. 9.16 by junji
作品番号 2004-175
紫陽花 次韻白氏同題詩 紫陽花 白氏の同題の詩に次韻す
長崎成客濡梅雨 長崎に客と成りて梅雨に濡る
晩訪曾知小酒家 晩(く)れて訪う曾て知る小酒家
酔語荷医親美妾 酔いて荷医の美妾に親しみしを語れば
如羞卓子紫陽花 羞ずるが如し卓子の紫陽花
<解説>
荷医:オランダ(人)の医者、即ちここではシーボルト(正しくはオランダ人ではなくドイツ人)の積もりです。現代中国語でオランダを荷蘭(略:荷)というようです。蘭医の方が解りやすいですが、和臭を恐れて「荷医」としました。
シーボルトは長崎出島の居宅で丸山の美しい遊女、滝(おたきさん)を妾として愛し、一女イネをもうけています。また彼は、「おたきさん」に因んで、アジサイに対して、Hydorangea Otaksa なる学名を与えました。現在この学名は使われませんが、アジサイは英名で Otakusa Hydorangea という様です。
結句は以下を含意した積もりですが、独りよがりだったかも知れません。
即ち、上述のようなシーボルトと愛妾とアジサイの三者関係の下で、語られている妾の美しさに、アジサイの花が羞じらって(紅変して)いる、と。
白居易の紫陽花詩は白氏文集にあって以下の通りですが、ここにある紫陽花が果たしてアジサイか否か、解らないとする説が多い様です。
何年植向仙壇上
早晩移栽到梵家
雖在人間人不識
与君名作紫陽花
<感想>
紫陽花につきましては、先日の枳亭さんの「梅霖小庭」の折に謝斧さんからご指摘をいただきました。
アジサイは「紫陽花」と常に表記します。これ以外にも、「彷」と「徨」は一字では通じず、必ず「彷徨」として用います。こういった例は沢山あります。さて、この詩では、お書きになったように、転句以降、特に結句の「含意」が読み取れるかが鍵でしょうね。
『佩文韻府』や、古人の詩等から帰納して、解釈したものとおもいます。
紫陽花の句を用いる時は色々工夫をしているようです。句尾の三連は、
「××××紫陽花」と問題はありませんが、句頭の場合は、「紫陽花××××」とし、中間句では「××紫陽花××」として、かならず、意味は「紫陽花」にします。
このため、意味の上での二字二字三字は破綻しています。こういった作詩法は少し納得しかねるのですが、許してもらっています。
因みに、アジサイは「集(あず)真(さ)藍(あい)」らしいです。
作品番号 2004-176
初夏閑居
相州卜宅養微躬 相州に宅を卜して 微躬を養い
毎啓柴門愛萬紅 毎に柴門を啓き 萬紅を愛す
水躍香魚巡緑澤 水は香魚を躍らせて 緑澤を巡り
雲浮黄鳥渡蒼穹 雲は黄鳥を浮べて 蒼穹を渡る
時陶濁酒排憂患 時に濁酒を陶(たのしみ)て 憂患を排し
偶到函泉悦蕩風 偶(たまたま)函泉に到れば 蕩風を悦ぶ
携杖逍遥望遠岫 杖を携え逍遥し 遠岫を望めば
霊峰富嶽在西空 霊峰富嶽 西空に在り
<解説>
一昨年作った旧作です。現在は自治会長の塵事に追われてとてもこの詩のような気分にはなれません。「函泉」は近くの箱根温泉です。一応ご当地ソングの積りです。
<感想>
楽しく読ませていただきました。と言うより、よい所にお住まいなんですね。「塵事に追われて」とありますが、お暇を見つけて、また詩を作るためにもお出かけになって下さい。
頸聯については、対句としては対応が悪いでしょう。特に、「函泉」はお気持ちとしては地名を入れたかったのでしょうが、全体のバランスを崩しています。ご当地ソングで行くならば、最後の「富嶽」に一気に集約させるつもりで、ここは「温泉」とそのまま出しても良いように思います。
「憂患」と「蕩風」も対と見るには苦しいのと、「函泉」と「蕩風」のつながりも分かりにくいと思いますから、この句は再考された方が良いでしょうね。
この頸聯以外は、適した言葉の選択で安定していると思います。欲を言えば、もう少し「初夏」の景物を具体的に描いたほしい気もします。その方が臨場感が出てくるでしょう。
2004. 9.18 by junji
作品番号 2004-177
梅雨
地僻無人訪 地僻にして 人の訪う無く
茅門未変常 茅門 未だ常と変らず
紫花濡宇下 紫花 宇下に濡れ
吟嘯獨傾觴 吟嘯 獨り觴を傾く
<解説>
起承に住まいの状況を、転に軒下のアジサイの花が雨に濡れ生き生きとしている。
例えボロ屋住まいでも雨の季節の慶びがあり、結に独りで吟嘯して觴を傾けていると・・・
<感想>
深渓さんから何通かメールをいただきましたが、本文が白紙です。こちらから確認のために返信しても、その都度、宛先不明のエラーで返ってきますので、届けられません。どうしたら良いでしょうね。今、頭を悩ましている所です。
さて、この詩では、承句の「未変常」が固い表現ですね。「未」という字を使っていますから、作者の気持ちとしては「変化して欲しい」、つまり誰か尋ねて来てくれることを期待していることが分かります。でも、それで良いのでしょうか?
冒頭の「地僻」に住むことを決めたのは、作者自身です。誰か来て欲しければ、「地僻」の地になど住む必要は無いですものね。この「未」の一字が読者を混乱させていますね。
また、ここがはっきりしないと、結句の「獨傾觴」も、このことを喜んでいるのか、それともしぶしぶ仕方なくなのか、意味合いが違ってきます。
2004. 9.17 by junji
作品番号 2004-178
黄山
群山畳畳集奇峰 群山 畳畳として奇峰を 集めり。
怪石森森似鋭鋒 怪石 森森として 鋭鋒に 似たり。
盍使唐人遊此地 盍ぞ 唐人をして 此地に 遊ばしめざる。
黄山詩独未遭逢 黄山詩 独り 未だ 遭逢せず。
<解説>
昔は、絵画を見て、漢詩を吟詠する事が行われたと聞きますが、この詩と次の「廬山」の2首は、ビデオを見て詠じたものです。ほんものを見ていないのが残念です。
黄山は、こんなに素晴らしい山なのに、何故唐詩がないのでしょうか?
実はあるのだが、単にこの私が知らないというだけの事でしょうか?
[語釈]
「畳畳」 | :重なり合うさま。 |
「森森」 | :高く聳え立つさま。 |
「鋭鋒」 | :鋭い鉾先。 |
<感想>
「黄山」については、唐の天宝の末年にそれまでの「黟山」から名前を変えたと言われています。
「黄山」として最初に詩に書かれたのは、李白の「送温処子帰黄山白鵝峰旧居」とされていますが、宋の時代の鄭震にも「暁看黄山」があるようです。
前対格ですので、起句は押韻しない方が正格です。転句と結句がやや重複感がありますので、結句はもう一度、黄山の姿を描写したらどうでしょうか。
2004. 9.28 by junji
作品番号 2004-179
廬山
陶潜李白白居易 陶潜 李白 白居易
曾住曾遊曾左遷 曾て住み 曾て遊び 曾て左遷さる
彼此匆匆皆代謝 彼此 匆匆として 皆 代謝せり
廬山冉冉独依然 廬山 冉冉として 独り依然たり
[語釈]
「彼此」 | :あの人 この人。 |
「匆匆」 | :あわただしいさま。 |
「代謝」 | :年寄りが若い人達と世代交代をして行く。 |
「冉冉」 | :年月の経つさま。 |
「依然」 | :もとのまま。 |
<感想>
自然の山河と人の命のはかなさを対比させるのはよく行われますが、ここでは陶潜、李白、白居易と時代の異なる詩人を列挙しましたので、そりゃ生きていなくても当然だよ、という気がしますね。
つまり、前半で詩人を列挙したのなら、後半の展開は「依然」とはせずに、逆に古人と心の交流に持って行った方が良いのではないでしょうか。今のままでは、かの詩人達に今でも生きていて欲しいという願望になってしまい、それはやはり不自然でしょうから。
2004. 9.28 by junji
作品番号 2004-180
戦後児輩
如何終戦後児輩 如何なりしぞ終戦後の児輩は
食芋衣襤山野遊 芋を食し襤を衣(き)て山野に遊ぶ
街陌少車宜競走 街陌に車少(まれ)なれば競走に宜ろし
友朋兄弟悉輝眸 友朋兄弟悉く眸を輝かす
<感想>
戦後の時代を振り返ると、貧しかったことがまず真っ先に浮かぶ人が多いようです。私は昭和27年生まれですので、戦後の貧しさを体験した最後の世代かもしれません。
でも、貧しかったことが苦しみや辛さを直結するかというとそうではなく、だからこそ兄弟の絆や友人との絆、自然とのふれあい、そうしたものを深く体験することができたという思いもあります。
柳田 周さんの今回の詩は、そうした戦後の時代を多面的にとらえようという意図の表れた作品ですね。
言葉の点では、起句の「如何終戦後児輩」は、句の切れ目が「如何 終戦後 児輩」となっていますので、これは不自然です。「二・二・三」のリズムが七言の基本です。
また、「如何」は「何如」と異なり、手段方法を問うことになりますので、ここでは「終戦後の児輩をどうしようか」と訳すことになります。柳田さんの意図から行けば、順序を逆にした「芋」は漢文では「里芋」のことですが、それで良いでしょうか。
全体の印象としては、結句の「悉輝眸」が全体を象徴していると思いますので、前半の用語にもう少し気を配られると良いでしょう。
2004. 9.29 by junji