2002年の投稿漢詩 第196作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-196

  参詣岡太神社而弔小松内府平重盛公        

西過帝里小松村   西のかた帝里を過ぎて 小松村

武庫川頭祠宇存   武庫川の頭 祠宇存す

夙使孤碑説陳跡   夙に孤碑を使て 陳跡を説かしめ

空將雙塔祭幽魂   空く雙塔を將って幽魂を祭らん

野夫却喜賽人少   野夫却って喜ぶ 賽人の少なるを

節士応安封樹繁   節士応に安んじかるべし 封樹の繁きを

嗟欲為忠不為孝   嗟ずらくは忠為らんと欲すれど 孝為らず

悲哉祈死奉箴言   悲い哉 死を祈りては、箴言を奉ず

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 参詣は和臭です。
 「封樹」は不封不樹で並列の関係になるかも知れませんが、封樹と祠屋の例がありますので許されると考えて居ます。封(墓)上の樹
 「祈死」 死ぬ事を願う(豈晉范子畏慎可效祈死 近世史論集 平重盛父子)
 「空將雙塔祭幽魂」  「祭」は日本人の感覚からいって「祀」の方が良いかとおもいましたが、「論語」「其の鬼にあらずして祭は諂いなり」とありますので、敢えて使いました。

<感想>

 小松殿、平重盛は、父親の平清盛「平家物語」で悪道の権化のように扱われるため、その忠臣、孝子の姿勢がより強く印象に残ります。
 「君に忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」との言葉は、鹿ヶ谷の陰謀の事件後、清盛後白河法皇を幽閉しようとした時に、父の行為を諫めようとして重盛が語った言葉です。
 「平家物語」では、

 悲しき哉、君の御ために奉公の忠をいたさんとすれば、迷廬(須弥山)八万の頂より猶たかき父の恩、忽ちに忘れんとす。
 痛ましき哉、不孝の罪をのがれんと思へば、君の御ために既に不忠の逆臣となりぬべし。
 進退これ極まれり、是非いかにも弁えがたし。申しうくるところの詮は、ただ重盛が首をめされ給へ。
 この時点では、謝斧さんが書かれたように「祈死奉箴言」、つまり父親を諫めるためには死も辞さない、という決意が表れています。
 しかし、読み進めていくと、次第に重盛は愚かな父を正すことに疲れて行き、やがて「自分や子孫は清盛の悪行の報いを必ず受けるだろう。それを見るのは耐えられない」と、死を望むようになります。
 普通の人ならばきっと、出家してしまうところでしょうが、「忠孝」を棄てきれないからこその苦しみなのでしょうね。

 同じく「平家物語」では、重盛が亡くなった所の記述で、
「この大臣(重盛)、文章うるはしうして、心に忠を存し、才芸すぐれて、詞に徳を兼ね給へり」と絶賛しています。

 それにしても、「孝」「忠」も、現代では随分遠く聞こえる言葉になってしまいましたね。
 重盛の板挟みの苦しみに共感できる人も少なくなっているのかもしれません。

 三句目の「陳」は、「述べる、つらねる、ならべる」の意味の時は上平声十一真の平声ですが、「戦の陣立て」の意味では仄声になります。  この場合には、平仄としては仄字、戦の陣の跡だということが碑に書かれていたという意味ですね。

2002.12.21                 by junji



謝斧さんからお返事をいただきました。

 「陳」は平用だけと思っていました。安易に辞を措きましたので、知りませんでした。
 今回は、「戦の陣の跡だということが碑に書かれていたという意味」ではなく城跡です。
 現在の小松に重盛公の荘園があり、そのため重盛公のことを小松内府と呼ばれたそうです。
「陳跡」「陳」「古い」で、古跡と同じで「陳」は平字のようです。
 内容的には、先生の言われるように、戦の陣の跡の方がピッタリで、はるかによいのですが、事実は面白くないほうです。これも仕方有りません。
 因みに「陳跡」は、「夫六經、先王之陳跡 荘子 天運」にあります。

2002.12.22                by 謝斧





















 2002年の投稿漢詩 第197作は 佐竹丹鳳 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-197

  秋山即事        

楓溪傍路聴淙潺   楓溪路に傍って 淙潺を聴く

未作紅黄葉半斑   未だ紅黄を作さず 葉半ば斑なり

野店叟呼有松菌   野店の叟は呼ぶ 松菌有りと

微香留客夕陽間   微香客を留む 夕陽の間

          (上平声「十五刪」の押韻)

<感想>

 秋の山路は、紅葉がどの段階であっても、心が和む美しさがありますね。「葉半斑」であるのも、また全山一面黄色に染まっているのも、私はどちらも好きです。
 丹鳳さんは、ちょっと物足りなかったんでしょうね。「未作」という部分に気持ちが表れていますね。「せっかく来たのに、時季が早すぎたかしら」という言葉が聞こえてきそうです。
 でも、さらさらという谷川の水の音も聞いたし(聴覚)、少しだけど紅葉も見たし(視覚)、残るのは食欲をそそる松茸の香(嗅覚)という展開は楽しく、最後の「夕陽間」は秋の一日を締めくくる象徴として優れた配置だと思います。

 転句は、平仄の点では四字目の孤平になっています。六字目の挟み平の関係で生じたのだろうと思いますが、「翁」と平字にしておいた方が良いですね。

2002.12.21                 by junji


 丹鳳さんからお返事をいただき、転句の「叟」「翁」に直したいとのことでしたので、転句は
    野店翁呼有松菌
 として下さい。

 また、ご質問として、「この詩は散文的だという意見があったが、どうか」とのことです。

 私の意見としては、「未作」とか「呼有松菌」の描写がそうした印象を与えるのではないかと思います。
 「未作」について言えば、前半と後半は重複説明になる上に、否定形で述べたところに作者の期待とか感情が見えてきて、叙景に徹し切れていないのかもしれません。
 「呼有松菌」は直接話法の書き方の素っ気なさが、「詩的」な雰囲気を弱めているのかもしれません。
 説明すればそんな感じなのでしょうが、私は初めの感想にも書きましたように、「聴覚」「視覚」「嗅覚」(「味覚」もでしょうね)を配置した楽しさがあり、それならば少しは滑稽味も塩梅する意味で転句も生きていると思います。「呼」の字を他のものを替えると印象が違ってくるのではないでしょうか。

2002.12.25                  by junji





















 2002年の投稿漢詩 第198作は 須藤謙岳 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-198

  湯西川温泉        

逃來殘党不留痕   逃げ来たりて残党 痕を留めず

村落無音幽蔚繁   村落 音なく 幽蔚繁し

今日湯西平氏里   今日湯西の平氏の里は

鶏鳴狗吠笑聲喧   鶏鳴狗吠 笑声喧し

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 久しぶりに湯西川に行って感じたままを詠んでみました。

 先日掲載されました「日光東照宮」に関して、小生も絶句の中に、同じ語の羅列だとは思っておりましたが、指摘されてみてから見直す様では何をか言わんかなというところです。反省
 先生の指摘されました「画」を生かし転結を次のように直して見ました。
     日光東照宮
    荘厳玉殿耀朝暾
    神域鬱蒼杉樹繁
    寂靜画樓觀不飽
    陽明門外既黄昏

<感想>

 「湯西川温泉」の詩は、先日も生水さんの「遊湯西川温泉平家里」を見せていただきましたね。
 お二人で唱和されたような感じで、生水さんの律詩も、謙岳さんの絶句も、それぞれの詩形の良さを出していて、面白く読みました。

 結句の「鶏鳴狗吠」は、老子陶淵明からの引用でしょうが、のどかな小村の雰囲気を出していますね。
 生水さんの方では、「鶏恐鳴声之不飼」(鶏は鳴声を恐れ 之をやしなわず)でしたから、同じく鶏を素材として使いながらも、「隠れ潜んでいた過去」と「笑聲が喧しい現在」とをそれぞれ象徴させていて、そういう点も楽しく思いました。

 平仄の点では、四句共に一字目が平声になっています。これは「平頭」ということで禁忌とされる場合もあります。規則と言うことよりも、リズムが単調になることを防ぐ意味からも、仄字を部分的に用いるとバランスが良くなります。
 また、承句の一字目の「村」は、韻字の上平声十三元に属します。冒韻となりますし、特に起句の末字と連続になりますので、せっかくの押韻の効果が薄れます。
 以上の点をお考えになると、推敲しやすくなると思います。

2002.12.21                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第199作は京都府宇治市の 太門 さん、七十代の男性からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2002-199

  国会図書館関西館        

精華台上大書樓   精華台上 大書樓

万巻東西今古周   万巻 東西今古に周し

待望二旬諧宿願   待望二旬 宿願諧い

出門蒼昊白雲悠   門を出づれば 蒼昊 白雲悠かなり

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 20年間、待望した国立国会図書館関西館が、今秋、自宅近くの精華町にできました。早速訪れて、蔵書を堪能しました。
 外へ出たとき、青空に浮かぶ白雲も、私の宿願の適ったことを喜んでくれているようでした。

<感想>

 お手紙を頂いて、さっそく国会図書館関西館をインターネットで見ました。立派な建物、立派なホームページに圧倒されました。これなら、「大書樓」という表現も納得したところです。

 太門さんは詩作経験は10年以内とお返事をいただきましたが、言葉も構成も整った詩をお作りになることと思いました。
 また、結句の「蒼昊白雲悠」を作者の心情の象徴とされた点については、具体的にどんな気持ちなのか、やや曖昧な部分が逆に抽象性を高め、読者の共感を呼びやすくなっているのでしょう。
 ただ、「青空にはるか浮かぶ白雲」をすぐに「喜び」とつなげてくれるかは読者頼みではありますが・・・

2002.12.23                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第200作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-200

  喜稚孫初笑口占      稚孫の初めて笑うを喜ぶ 口占  

孩稚唖嘔初笑嬉   孩稚 唖嘔 初めて笑嬉す

入懐踏舞愛如痴   懐に入れ踏舞し 愛ずること痴なるが如し

唯怨異爨隔三里   唯怨む 異爨 三里を隔つるを

一日無看一日悲   一日 看る無くんば 一日悲し

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 孫娘も日に日に成長し、最近はよく笑うようになりました。
 毎日でも見たいのですが、ちょっとばかり離れたところに住んでいるので、会いに行くためには息子夫婦への貢ぎ物が無いとちょっと行きにくい状態です。

 今年もはや師走となりましたが、お元気でご活躍のことと存じます。いつも、懇切丁寧なご批正を頂きありがとうございます。

 さて、孫を詠った詩を何首か作ってみたのですが、なかなかこれと言ったのは出来ません。不出来でお恥ずかしい限りですが、よろしくお願いします。
 では、良いお年をお迎え下さい。



<感想>

 今年の投稿漢詩も二百を数えることができました。二百首目はどなたになるのか楽しみにしていましたが、禿羊さんの、お孫さんへの愛情を詠ったこの詩になりました。
 今年の掲載詩のトップバッターが禿羊さんの「新年慶事」で、息子さんの結婚のことを詠われた詩でしたから、その点でもぴったりでしょうね。

 禿羊さんは「不出来で」と謙遜していらっしゃいますが、お孫さんへの愛情があふれるばかりで、内容として私はとても良い詩だと思います。
 初めてこのホームページをご覧になった方は、是非味わっていただいて、「漢詩はこうした日常的な感情も素直に表現できるものだ」ということを実感していただきたいと思います。そうした点でも、二百首目にふさわしい詩を掲載できました。

 詩の表現としては、もう少し錬ることもできると思います。

 例えば、起句の「愛如痴」は、そのものずばりで実景が目に浮かぶ点では良いのですが、「如痴」の比喩はやはり芸が無いように感じます。思わず「ニヤリ」とさせるような比喩を考えてみたらどうでしょう。

 転句の「唯」冒韻になっていますので、他の字で意味の類するものは多いわけですから、替えた方がよいでしょう。
 同じく転句の「爨」は画数の多い字ですね。「かまど」のことですので、ここでは別居していることを表しています。
 「隔三里」は、うらやましいような距離ですが、禿羊さんのおっしゃるように、何も用事が無いのに毎日行くには確かに微妙な距離ですね。この「三里」は読者に思いを投げかけて、具体的な実感を広げる役割をして、生きている言葉です。

 結句は、「一日」の繰り返しをどう解釈するかでしょう。数字が変わっても(例えば「一日無看十日悲」のように強調する)のもちょっとふざけた感じが出て、まとめとしては面白いと私は思います。「一日・・・一日」のままですと、書いた通りですので、「悲」が深刻さを出して来ます。
 作者の意図を推し量るならば、「一日悲しい思いをしたが、よし、明日は孫の所に行くぞ」という切り替えの気持ちなのでしょうかね。
 ここは色んな意見があるところではないかと思います。みなさんの感想はいかがですか。

2002.12.23                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第201作は 長岡瀬風 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-201

  祭詩        

老懶偸生到歳除   老懶生を偸んで 歳除到り

目耕易倦自抛書   目耕倦み易く 自ずから書を抛たん

吟情纔湧不成課   吟情纔に湧いて 課を成さず

龕底無詩燈影疎   龕底詩無く 燈影疎なり

          (上平声「六魚」の押韻)

<感想>

 「偸生」の言葉は、杜甫「石壕吏」における老婆の言葉として出てきましたね。「無意味な生を貪る」意味です。
 もちろん、「無駄な人生」を送っている人は居ないわけですから、自分に向けた時には自嘲、謙遜、諧謔などの役割を果たすわけです(私の漢詩の先生の雅号が「偸生」ですから)。
 ところが、「石壕吏」の場面では、若い者は戦争にかり出されて次から次へと死んでゆく、対して生きながらえている自らを「偸生」と老婆は呼ぶわけで、厳しい現実を背景にした痛切な重みが感じられます。

 「推敲」の故事で有名な賈島は、大晦日になるとその一年に作った自分の詩を机に並べ、酒肴でその苦労を慰めたと言われます。「祭詩」の由来です。
 その賈島の故事を踏まえた上で結句の「龕底無詩」を読むと(「龕」は「厨子・小箱」のことです)、起句の「老懶偸生」の語の対応が生き生きとしてきます。
 まるで思いが循環するような効果で、大晦日の夜が静かに深まっていくことを感じる詩ですね。

2002.12.26                 by junji



 海山人さんから感想をいただいています。

 描かれたその先を更に詩にすると良いのでは。
本詩では「だからなんなのか」とやや物足りない気持ちになりました。

2002.12.28             by 海山人





















 2002年の投稿漢詩 第202作は 謙岳 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-202

  岳風先生墓前作     岳風先生墓前作   

地蔵山上白雲横   地蔵山上 白雲横たわり

眼下湖光碧水平   眼下の湖光 碧水平らかなり

追想先人弘道迹   追想す 先人弘道の迹

奮心吟詠響松聲   奮心の吟詠 松声に響く

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 木村岳風先生のお墓は、諏訪湖畔地蔵寺山上にありこの場所は、生前、先生が吟詠の修行をしたところ。
 先生の墓参りをしたときの感懐を詠んだものです。

<感想>

 題としていただいた「岳風先生」につきましては、経歴を岳風会のホームページから読みとらせていただきました。

  ・明治32年9月20日〜昭和27年7月1日(享年52歳、本名=松本利次)
  ・信州諏訪湖畔、上諏訪町に姉3人、弟3人の長男として生まれる。
  ・尋常高等小学校に入り”吃音”を矯正するため、姉から詩吟を習う。
  ・本格的に詩吟を始める。(大正10年・22歳)
  ・全国詩吟奨励行脚を行う。昭和2〜18年・28〜44歳
     北は樺太から、南は九州・近隣諸国まで、詩吟の普及活動を行うとともに
     全国に残る詩吟を研究し岳風流を確立した。
  ・「日本詩吟学院」を、東京九段に創設する。(昭和11年)

 私は詩吟の流派とかについては全く分かりません。
 そこで、詩吟を習っている姉に尋ねました。日頃は姉から漢詩について尋ねられることが多いのですが、今回は逆、姉を頼るのも弟としては何となく嬉しいものでした。

 詩は必要なことはきちんと入っていますし、申し分ないと思います。「自作の詩を先生の墓前で吟詠する」なんていうのは、最高の場面ではないでしょうか。

2002.12.26                 by junji


海山人さんから感想をいただきました。

    地蔵山上白雲横
    眼下湖光碧水平

の二句は対句にしたくなりますね。
 「仰ぐ・見下ろす」「雲・舟」、あるいは思い切って破格ではありますが「地蔵山上・地蔵山下」ではどうでしょうか。

2002.12.28               by 海山人






















 2002年の投稿漢詩 第203作は 東落 さんからの2作同時にいただきました。
 

作品番号 2002-203

  登三峰山     三峰山に登る   

一路登高秩父天   一路登高 秩父の天

三峰頂上探秋旋   三峰頂上 秋を探ねて旋る

芳辰未至黄紅少   芳辰未だ至らず黄紅少なし

夕照帰程半月懸   夕照の帰程 半月懸かる

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 十月中旬の連休に奥秩父に出かけた時の詩です。

 高所は紅葉早からんと三峰山に登ったのですが、まだ時期が早く色づき始めた葉が疎らにあるだけでした。
 それでも空気清涼にして眺望も良く、山上を処々逍遥し、初秋の午後数刻を爽快に過ごしました。

 山境に暮色迫り帰途に就く頃、素晴らしい夕陽が山を紅に染め、暫しその色に見惚れていると、中天には半月が現れ、実に印象深い風景になりました。

<感想>

 今年はどこの話を聞いても「今年の紅葉はきれいだ」ということ、「夏が暑かったからだ」と理由まで添えて話を聞く場合も多かったと思います。
 私は10月中旬に岐阜県の高山市へ名古屋からバスで行きましたが、富山へと向かう道中の山々の色彩の鮮やかなこと、まさに絵のような美しさでした。赤、黄、緑、そして空の青、濃淡や彩度を少しずつ変えた数多くの色が織りなすタペストリーは、大自然の美術館に来たような感激を与えてくれました。
 「全山真っ赤!」という京都嵐山あたりの秋景色も美しいのですが、それとはまた異なる「野生の美」と言うべきでしょうか、どこかホッとした、そしてかなり得をした気持ちになれました。

 東落さんは、せっかくの登高なのに早すぎたということで、やや残念な気持ちが転句に表れていますね。
 「芳辰」「(紅葉の)佳い季節」という意味で使われていると思いますが、「春の花が香り咲き誇る季節」を表す言葉ですので、内容が混乱してしまいます。「好」「佳」の字を用いれば避けられると思いますので、「好期」「佳期」などならば誤解は無くなります。「佳辰」も良さそうですが、「おめでたい日、吉日」という意味が強いのでちょっと??
 「節」とか「季」が使えると良いのでしょうが、この位置では平仄として無理です。転句全体を見直すならば可能でしょう。

 起句の「登高秩父天」は、「天」の字が効いていて、空高く雲の上まで登っていくような感じを出していて、スケールの大きな表現になりましたね。
 承句は「三峰頂上」は、「三つの峰」ととれますし、「頂上」という言葉も生硬な感じがしますから、固有名詞をそのまま使って「三峰山頂」「三峰山上」とすると語調も滑らかになります。

2002.12.27                 by junji



海山人さんから感想をいただきました。

 起句承句の
    一路登高秩父天
    三峰頂上探秋旋

 普通数詞を使うと調子が付くものですが、本詩の場合何か違和感がありました。その理由を考えてみましたが、どうやら句を跨っての「登高」「頂上」にやや重複感があることが原因のように思います。
 一句にして「一路登高三峰頂(平仄不問)」なら良いリズムが生れると思います。

2002.12.28                 by 海山人




東落さんからお返事です。

 鈴木様、いつも親切にご指導頂きありがとうございます。

「芳辰」は「(紅葉の)丁度よい季節」のつもりでしたが、独りよがりでした。花のにおう春の時節のことなんですね。辞書で確かめれば解ったはずのことで恥ずかしいです。

 「三峰頂上」はご指摘に成る程と納得。承句は、初め「秩父三峰頂上旋」だったのですが、これだと「秩父三峰」+「頂上旋」となり違和感は余りないようです。「秩父」を起句に移した時に、自分の中には「頂上旋」の意識が残っていたためか、「頂上」が推敲から洩れそのまま残ってしまいました。

ご指摘頂いたところを改めて、次のように変えさせて頂きます。
  一路登高秩父天  一路登高 秩父の天
  三峰山頂探秋旋  三峰山頂 秋を探ねて旋る
  好時未至黄紅少  好時未だ至らず黄紅少なし
  夕照帰程半月懸  夕照の帰程 半月懸かる

 海山人さん、拙詩に感想を頂き感謝致します。

 「三峰」は固有名詞で、自分では数詞の効果(良悪とも)を考えていませんでした。(「一路」は、ロープウェイで一気に登ったので、その感じを出したかったのです。)
 しかし改めて見ると起承の句頭の「一」「三」はどうしても目立ちますね。

 言われるまで自分ではこんなことも気付かないとは迂闊というかむしろ不思議です。
仰る通り、数詞を二つとも一句に入れると調子がいいですね。

 お蔭様でひとつ勉強できました。ありがとうございました。

2003. 1.12                 by 東落





















 2002年の投稿漢詩 第204作は 東落 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-204

  長歩中津峡     中津峡に長歩す   

奇岩兀兀聳幽渓   奇岩兀兀として幽渓に聳え

奔水轟轟滅鳥啼   奔水轟轟として鳥啼を滅す

緩歩二人停亦進   緩歩二人 停り亦た進む

中津川峡愛荊妻   中津川峡 荊妻を愛しむ

          (上平声「八斉」の押韻)

<解説>

 秩父の西奥に中津峡という景勝があります。
 荒川の上流中津川が作る峡谷が10km程続くのですが、若年健脚に非ず、老妻と二人の歩みはゆっくりとして、暫く進むと休むといった塩梅で全行程3時間以上かかりました。

 幽渓の奇岩を眺め流水の変化を楽しみつつ、長時間歩くうちに、傍らの妻が無性に愛しく感じられてきました。

 起句・承句は少し誇張が過ぎるかもしれません。

<感想>

 この詩は、先日(12月19日)NHKの夕方の放送で紹介されたものですね。

 関東地方のみの番組(「首都圏ネットワーク」)での、「静かな漢詩ブーム」という特集でしたので、ご覧になった方もおられるでしょうね。
 私は愛知県ですので、残念ながら放送内容が異なっていまして見られませんでした。東京に下宿中の娘に録画・郵送をさせて、つい二、三日前に見ました。

 東落さんがご自宅でインターネットを利用しながら漢詩を作っていらっしゃる様子が映されていました。この「長歩中津峡」の詩が朗読されていましたが、ご自身でお詠みになったそうです。私はてっきりプロの方が詠まれたものだと思っていましたが、落ち着いた良い朗読でしたよ。
 放送の中では奥様もご登場なさっておられましたが、「愛荊妻」の言葉を十分に納得、解説の「長時間歩くうちに、傍らの妻が無性に愛しく感じられてきました」まで読むと、「ま、何でも言っとくれぃ!」という気分ですね。

 「荊妻」は、「荊(イバラ)の枝をかんざしとする粗末な服装の女性」から生まれた謙遜の言葉ですが、これは奥様に使っては「バチ」が当たりますよ。
 自分の作った詩を奥様に第一に読んでもらえる、ということは、多分東落さんが思っていらっしゃる以上にずっと「幸せなこと」だと思います。

 ということで今回の感想は、素敵な奥様のことだけで終わりにしましょう。

2002.12.27                 by junji

p.s 
 今回のNHKの取材につきましては、番組の担当の方から私に「首都圏在住の方で、ホームページに投稿している方を紹介して欲しい」という依頼がありました。
 掲載にあたっては、個人の情報は他には教えないことが大原則ですので迷いましたが、取材を依頼された旨を私から該当の方にメールでまず伝え、ご本人から許可をいただいた場合のみ、お名前とメールアドレスをNHKに送りました。
 基本的には、このホームページでは雅号で個人を表すことにしていますので、お互いの詩の感想などのやりとりも主宰である私を経由しておこなっていただいています。不便に感じられる部分もおありでしょうが、ネット上でのトラブルを避けるための開設以来のスタイルですので、ご了解下さい。
 ということで、初投稿時に書いていただく基本データは、ご本人の許可無く他の目的には使いませんので、よろしくお願いします。


2002.12.27                 by 桐山人(junji)


 東落さんから、取材の時の様子をメールで教えていただきましたので、ご紹介しましょう。

 いつも拙い投稿漢詩にHP上で丁寧なご指導を頂きありがとうございます。

 さて、先日紹介して頂いたHNKの取材について結果を報告いたします。

 私が鈴木様にお返事のメールを差し上げた後、即日NHKディレクターの方より取材の申し込みがありました。 その後、電話での下取材を何度か経て、先ずディレクターの方だけが12/15(日)に来宅され詳しい話を聞かれました。
 そして、12/17(火)夜にいよいよ自宅での撮影となりました。ディレクターの方の他にカメラマン、アナウンサーが来宅され、撮影時間は2時間にもなりました。

 番組は夕方の首都圏ニュースの中の「文化最前線」というコーナーで漢詩を取り上げたもので、12/19(木)に放送されました。
 番組の構成は、スタジオでの説明の後、漢詩ブームの一端を紹介するとして、湯島聖堂の漢詩教室の様子、趣味で漢詩を作っている人として東京三鷹の方と私を取材した内容でした。

 私については、PC上で漢詩を作りインターネットを使って自作詩を投稿している様子や、妻と旅行の写真を見ながらその時のことを詠んだ詩のことを話している様子が3分間程で紹介されました。
 「漢詩を創ろう」のTopページも大写しで映っていましたが、残念ながらURLは紹介されませんでした。
 拙作も一つ(12/13に投稿いたしました「長歩中津峡」です)私の朗読で放送され、赤面の想いでした。

  2002.12.21(受信)






















 2002年の投稿漢詩 第205作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-205

  所生        

閑撫頭顱鬢似絲   閑に頭顱を撫せば 鬢絲に似たり

浮生覺短惜諸居   浮生短きを覺えて 諸居を惜しむ

老来頻夢為児日   老来頻に夢む 児為(た)りし日

覺去空嘆懷母時   覺め去って空しく嘆く 母を懷う時

梁燕高飛有誰穏   梁燕高飛しては誰有りてか穏ならん

簷烏乱噪使人悲   簷烏乱噪しては 人をして悲まさせむ

悔将舐犢無由報   悔ゆらくは 舐犢を将って 報に由し無し

寸草春暉寄所思   寸草 春暉 思う所を寄せん

          (上平声「四支」の押韻)

<感想>

 謝斧さんの今回の詩は、亡くなったお母さんを慕う心を切々と詠ったもので、しみじみと思いを深めるものですね。
 特に、老境の自覚と共に子どもの頃を思い出し、母を哀惜するという頷聯の対句は、恐らく白居易「燕詩示劉叟」を意識されての句でしょうが、情感豊かなのに加え、頸聯へと滑らかに展開させていく構成が効果的だと思いました。

 頸聯の「梁燕」とも関わるでしょうから、内容を紹介しておきましょう。

 梁の上につがいの燕が巣を作り、一生懸命に子育てをしている。母燕は自分がやせ細るほどに雛に餌を運び、やがて雛たちは太り、自分で飛べるまでに成長する。
 すると、雛はプイと飛び去ってしまい、姿を消してしまった。
 親鳥は子どもを呼ぶが戻っては来ず、夜通し泣き続けるのだった。

     というお話の後、次のように作者は語りかけるのです。

思爾為雛日   思へ 爾の雛為りし日

高飛背母時   高く飛びて母に背きし時

当時父母念   当時の父母の念

今日爾応知   今日 爾 応に知るべし

               (五言古詩「燕詩示劉叟」の最後四句)

 自分が年老いてこそ親の愛情をしっかりと理解できるのだと教えるわけですが、私は普段はこの詩を「教師としての自分の再確認」という形で読み、「お前も昔学生だった時にはどうだったのかを思い出せ!」と自分に言い聞かせています。
           (ちょっと話題がずれてしまいました)

 同じく頸聯の「簷烏乱噪」は、やはり白居易「慈烏夜啼」を導き、「母を亡くした子烏が悲しみ泣く」姿を浮かび上がらせています。

 尾聯の「舐犢」は、「親牛が子牛を舐めてかわいがるように、親が自分の子どもを深く愛する」意味ですね。

2002.12.27                 by junji



海山人さんからの感想です

 冒頭の「閑」の字が物足りなく感じます。
 その後の展開は「惜、空嘆、誰穏、使人悲、悔、無由、寄所思」とシリアスになっておりますので、その冒頭第一字が「閑」では支えきれないのではないでしょうか。

2002.12.28                 by 海山人



謝斧さんからお返事です。

 詩人というのは独りよがりで、他人から指摘されて初めて自分の齟齬を知ることがが多いようです。
 今回も「閑」もあまり考えることなく辞を措きました。全体の詩意から考えて、海山人先生の言われるように、あるいはそぐわないかもしれません。今一度推敲したくおもいます。

 ただ独りよがりのいいわけは、「閑」「何もすることもなく、寂しい」の意味です。「ひょっと、何げなく」位の意味で使いました。
 詩の出だしは深刻ではありません。
何げなく頭を撫でれば、老いたせいか、髪の毛は随分細くなったようだなあ、人生というのは、李白が言うように本当に短いものだ。そういえば、このごろよく、子供の頃の夢をよく見るようになったといって、詩意が深刻になってゆきます。如何でしょうか。

2002.12.30                  by 謝斧





















 2002年の投稿漢詩 第206作は香川県綾歌郡の 小松琢石 さん、六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2002-206

  壬午歳晩        

禍福光陰夢境巡   禍福 光陰 夢境を巡り

煎茶翁媼話青春   茶を煎り 翁媼 青春を話す

霜晨緑凍壬生菜   霜晨 緑凍 壬生の菜

午納羊華明日新   午を納め 羊を華(かざ)り 明日は新なり

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 災い幸いの月日は夢の如く巡り去った。
 茶を煎じ老夫婦が青春の思い出を語る。
 寒い霜の朝 緑濃い壬生菜が凍てついている。
 今日は午をしまい羊を飾って明日の新年を迎えよう。

<感想>

 初めまして。新しい方をお迎えでき、とてもうれしく思っています。
漢詩を楽しく読み、楽しく作る、そのためのホームページです。これからもよろしくお願いします。

 「禍福はあざなえる縄の如し」とか「一寸の光陰軽んずべからず」と、二つの著名な熟語を並べた起句の書き出しは、すぐに「人生」を連想させ、続いて承句はそこに絵に描いたような老夫婦が登場ということで、読者に十分に期待を持たせる展開が前半は生まれていると思います。

 転句は「緑凍」が分かりにくいですね。「緑色に凍った」というくらいでしょうか。「緑凍壬生菜」は、そのままでは「緑が壬生菜を凍らせた」としか読めないでしょうけど、意味としてはひとまず通じるかな?
 ただ、「壬生菜」がこの詩でどういう役割を果たしているのか、結句とのつながりも弱く、転句のみが浮いているような感じがしますね。
 推敲するとすれば、この辺でしょうかね。

 結句の「午納羊華明日新」は、語順としては目的語を述語の後に置きたいところですので、平仄の影響もないでしょうから、「納午華羊明日新」とした方が明解になると思います。

2002.12.27                 by junji



 琢石さんからお返事をいただきました。

 「壬午歳晩」への感想有難う御座いました。
先日同好会で一部指導を受け変更しました。

 「緑凍」「凍緑」
 「壬生菜」には注釈として、「(京都壬生原産)水菜の一品種。縁に切り込みが無く、大きな株となる。漬物にする。(「広辞苑」より)」をつけます。
 結句は「午往未来明旦新」とします。

2002.12.30                 by 琢石





















 2002年の投稿漢詩 第207作は 博菜 さん、六十代の女性からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2002-207

  歳晩        

閑居寂寂座虚堂   閑居寂寂として虚堂に座す

一変乾坤寒月光   乾坤一変月光寒し

緑髪却憐遠宿志   緑髪却って憐れむ宿志遠し

鐘声百八報歳終   百八の鐘声歳終を報ず

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 人気の無い部屋に座っている。
 天地は月によって、ますます寒々しい。
 若いころの志は、実らぬまま年をとってしまい悲しい。
 除夜の鐘が歳終を知らせている。

<感想>

 初めまして。
 新しい方の投稿を喜び、このサイトに参加している漢詩を愛する人たちに代わりまして、歓迎の意を表します。
これからもよろしくお願いします。

 題が「歳晩」ということで、条件が指定されますと、どうしても表現が決まってきたりするものですが、博菜さんのこの詩は、一年間を振り返るだけでなく、若かった日々も一気に思い描くというスケールの広さを感じさせ、言葉も落ち着いた適切なものが選ばれていると思います。

 平仄の点では、転句が「四字目の孤平」という禁忌を犯しています。「憐」の前か後を平字にしなくてはいけません。
 「却」のような語は案外重要な意味を含ませたり、字を替えると句の意味が全く違ってしまったりすることが多いので注意が必要です。ここでは、「愈」「逾」などが考えられるでしょうか。
 「遠」は、「遙」あたりで替えられるでしょう。

 結句の「終」は、「上平声一東」に属しますので、このままでは押韻が崩れていますね。
 また、六字目の「歳」が仄字ですので、「二六対」も破れています。ですので、この際「終」の字を替えるよりも、語順をまず入れ替えてみたらいかがでしょうか。

  2002.12.27                 by junji



海山人さんからの感想です。

 起句「閑居寂寂座虚堂」については、「閑居」「座虚堂」が意味の上で重複していること、あるいは「寂寂」「虚」も重複しているでしょうか。
 「閑居」「寂寂」のどちらかで意味は伝わると思います。

 また、転句の「却憐」は、説明的な感じですので余韻を消しているように感じます。大きなテーマですから、五言絶句の形で余韻を深めるのも一案かと思います。

2002.12.28                  by 海山人





















 2002年の投稿漢詩 第208作は和光市の 茶墨 さん、六十代の女性の方からの初めての投稿作品です。
 お手紙をご紹介しましょう。

 別のサイトで鮟鱇様や三耕様のお作は拝見したことがありましたが、とても高度で、ただ、指をくわえるばかりでした。
 鮟鱇さまのリンクにこのサイトを見つけ、ここなら初心者にも勉強させていただけそうで喜んでおります。

 この四月ごろから少しずつ作り始めたばかりです。恥も外聞も捨てて、一首お送りします。
よろしくお願いいたします。

作品番号 2002-208

  歳晩        

光陰如矢歳云移   光陰矢の如く 歳云(ここ)に移る

浮薄狂吟悔已遅   浮薄 狂吟 悔いるも已に遅し

騒客来参談古今   騒客来り参じ 古今を談ず

心閑安分独敲詩   心閑かに分に安んじ 独り詩を敲く

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 碌な修行も出来ぬまま月日を送ってしまった私は、ここで皆さまの詩にふれ、畏れおののいていますが、静かにマイペースで勉強させていただこうと考えました。

<感想>

 新しい方のご参加を心からうれしく思います。

作り始めたばかりとのことですが、年末の時の流れを感じさせる風のある詩だと思います。

 茶墨さんにメールにて感想を送りましたので、それを元に書かせていただきます。

 気のついた点では、結句の「敲」は、「推敲」とした時には「詩や文章の字句を練り上げる」意味になりますが、それは故事成語としての用法ですので、この「敲」だけではやはり「たたく」としか読みとれません。

 茶墨さんからは、「手元の詩語集からそのまま用いた」とお返事をいただきました。私も手元の本から調べましたら、「詩韻含英」にも載っていました。太刀掛呂山先生の「だれにでも・・・」にも入っていましたので、ごめんなさい。

 転句の「騒客」と結句の「心閑」が呼応して、「騒客」が文字通りの「騒がしい客」のように読みとれます。
 本来詩人である騒客は静かな存在だと思いますので、結句でわざわざ自分だけが「心閑」という必要は無いように思います。
 「騒客」の来てくれたおかげでますます詩を作ることが楽しくなるという風に展開できると、起承転結も整うと思います

 茶墨さんからのお返事では、
「騒客」は漢詩ホームページにお集まりのベテランの詩人の方々。
 皆さまは高度な詩論を展開していらっしゃるけれど、自分は自分の力相応に静かにこつこつやっていこう、という気持ちでした。
 「来参」では、我が家においでいただいたようになってしまいますね。

 転句の「古今」は、このままでは句末が平声ですので「古韻」などにすると良いでしょう。

2002.12.30                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第209作は 畑香月 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-209

  歳晩偶成        

除鐘隠隠夜沈沈   除鐘隠隠 夜沈沈

回首無為歳月侵   首を回せば 無為にして 歳月侵さん

唯有些間鞭病骨   唯だ有り 些間 病骨に鞭うち

雌黄只管悩心襟   雌黄 只管に心襟を悩ます

          (下平声「十二侵」の押韻)

<感想>

 大晦日は、テレビなどでは「年越しライブだ!」とか、「カウントダウン○○」とかで、色々と騒がしい昨今ですが、過ぎた時間を独り静かに振り返る貴重な機会でもありますよね。
 起句の句中対は、重そうなリズムが雰囲気を作って効果的ですね。
 結句の「雌黄」は、「文字を書き改める」ことです。昔は黄色の紙に文字を書いていたので、修正するときには「雌黄」という顔料(硫黄と砒素の混合物だそうです)を塗ったとか。今なら「修正液」となるところですが、それでは風雅も何もありませんね。
 ここでは、「詩の句を推敲する」という意味でしょう。

 私はまだまだ大掃除も残り、しかも妻は風邪気味とかでダウン、頼りの助手(娘)は宿題のレポートに焦りまくり、ということで、まだまだ今年は静かに振り返ることはできないようです。

2002.12.30                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第210作は 西川介山 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-210

  除夜        

以抱殷憂復送年   殷憂を抱き以って 復び年を送る

索居獨酌有誰憐   索居独り酌むも 誰有りてか憐れむ

人間禍福平分否   人間の禍福 平分や否や

遮莫間関世累縁   さもあらばあれ 間関たる世累の縁

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 今宵は独り索居におりて、酒を酌みながら、新たな年をむかえんとす。
 不可解な浮世の煩わしい因縁の苦しさなぞはうっちゃいといて酒に酔いしれて眠ろうとしようか

 [語釈]
 「間関」:道が険しくてなかなか進めない 転じて人生行路の難しさ
 「遮莫」:さもあらばあれ

<感想>

 起句の「殷憂」「殷」「盛大、大きい、多い」という意味ですから、「憂」が山ほど胸に残るということですね。
 そうした憂いを払うのは、古来お酒しか無いようで、介山さんのこの詩でも約束通りの展開で安心できます。

 結句の「遮莫」は、石川忠久先生によると、「後の句を受ける」ということですので、この場合も「間関たる世累の縁などどうでもいいことじゃ!」という意味になるのでしょうが、そうすると転句からの展開が唐突な感じがしますね。
 いただいたお手紙には、次案なのでしょうか、「遮莫等閑乗醉眠」も書かれていましたが、こちらではさらに「酒に酔いしれて眠ることなどどうでもいいことじゃ」となりますね。
 「遮莫」を、前の句を受けてのものと解釈する必要があるのでしょうか。

2002.12.30                 by junji


 介山さんから推敲作をいただきました。

 以下のように推敲しました。

 抱將憂悶送残年   憂悶を抱き將って 残年を送り
 獨酌索居乗醉眠   獨り索居に酌んで 醉いに乗じて眠る
 禍福平分有誰信   禍福平分誰れ有りてか信ぜん
 呂翁一夢亦徒然   呂翁の一夢も亦た徒然たり

愁い悶えては、ここに旧年を送る
嫌なこと等を忘れて、索居に独り酔っぱらって眠らんとしよう
眠りながらも、つれづれに考えることは
一体世の中の禍福は公平なのか、公平等信じているものがいるものか、
わが人生も呂翁の儚い一夢の如く、何もしないが如く無駄な人生だったのか(いやそうではあるまい)


2003. 1. 3