作品番号 2002-76
元町竹枝
東風晴色遍横濱 東風晴色 横濱に遍く
裙飄飾春 裙 飄す 飾の春
廛肆玻窓調緑 廛肆の玻窓に 緑を調う
清明時節可憐人 清明の時節 可憐の人
<解説>
「山陽風雅」時代の旧作ですが、清明の季節ですので「清明時節」と言う言葉を使いたくて作った詩を送ります。
昔、仕事で横浜にいっている頃、元町商店街を歌ったもので、ポップス調を目指しました。
ファッション雑誌にあるような商店街と女性の写真に、丸ゴチックで印刷するのが似合うような感じで、内容も声調も軽いことを第一に考えたもの。
「・・・スカートのすそが翻るおしゃれな春。ショーウィンドウで髪をなおす、清明のころ、素敵な女性」
作者の感慨がどうのという詩ではなく、誰が口ずさむでもいいポップソングということで「竹枝」という詩題にしたつもり。
一種のご当地ソングかな。
[語釈]
「廛肆」 :お店のこと。
「飄」 :舞うさま。
「玻窓」 :ガラス窓
「緑」 :黒髪
<感想>
解説にお書きになったように、軽やかなスケッチ風の詩で、季節感がよく表現されていると思いました。
こうした写生風の漢詩もひとつのスタイルですね。古い皮袋に新しい酒を入れる、それも酒の楽しみ方として宋代に既に追求されて来たわけですが、この詩も、清明の候の現代の横浜を切り取り、その町を眺めている作者の姿も髣髴とさせて、爽やかな印象です。
舞台が横浜ですので、その特徴がもう少し感じられると、一層「ご当地ソング」の風が出たのではないでしょうか。
2002. 5.12 by junji
作品番号 2002-77
五丈原
秋天渭水落暉紅 秋天の渭水 落暉 紅
千古興亡一夢中 千古の興亡 一夢の中
曽是二龍争覇処 曽って是 二龍 覇を争いし処
栄枯今日総帰空 栄枯今日 総て空に帰す
<解説>
<感想>
作品番号 2002-78
一七令・賞櫻花随歩 櫻,
先日さる本で五丈原の写真を見ました。
人も家も全く何もない青草の生い茂った丘陵で、小さな木々が三々五々立ち並ぶだけの光景に驚きました。嘗ての蜀軍の屯田が今では嘘のような草原で、遙か彼方に渭水が白く流れているだけです。
私は五丈原を訪れた事はありませんが、この写真に感じて、能因法師よろしくこんな詩を作ってみました。唯、写真の光景は晩春か初夏の様ですが、五丈原はどうしても秋のイメージと密着していて、こうなってしまいました。
尚、承句は「千古興亡多少事」(辛棄疾:登京口北固亭有懐)と「還如一夢中」(李U:子夜歌)から、
また、結句は「栄枯一照両成空」(白居易:盧山草堂夜雨)から借りました。
[語釈]
「渭水」 :黄河最大の支流で五丈原の直ぐ北を流れている。
「二龍」 :孔明と仲達。孔明は臥龍と呼ばれ、仲達は宣帝(帝=龍)とおくり名された。
高校1年生に初めての漢文の授業を行う時に、私はよく 「中国の作品で名前を知っているもの」 と尋ねるのですが、ほとんどの生徒は具体的な作品名を挙げることができません。
「タテとホコの話」だとか、「国が何とかというトホの詩」あたりの答がくれば良い方で、目を合わさないようにひたすらうつむいている子が多いものです。
ところが、ある時、顔を上げて答えたそうにしている子がいましたから、「よっしゃあ!君を待ってたぜ!」という気持ちで指名すると、答えてくれたのは「三国志」でした。そんなに読書好きには見えないし、答えた後で近くの友人にニタッと笑いかけているので、「???」と感じた私は、「じゃあ、三国志に出てくる人では誰が好きかな?」と追求してみると、何と「孔明に、劉備に、関羽に・・・・」とどんどん出てきそう。「へー、ほんとに読んでるんだ!」と納得をして「えらい、えらい」と誉めてその場は終りました。
ところが、他のクラスに行っても同じようなことが起きる。どうも変なので再度尋ねて分かったのは、丁度その頃にテレビゲームの「三国志」が出始めたのだそうです。同じ頃に横山光輝さんのマンガの「三国志」もブームになって来ましたし、しばらくしたらNHKの人形劇も始まりました。
私たちには、「三国志」のドラマは、漢文の教科書の中で、「出師表」やら「前赤壁賦」などから触れていったり、土井晩翠の 「星落秋風五丈原」の
嗚呼五丈原秋の夜半
あらしは叫び露は泣き
銀漢清く星高く
神秘の色につつまれて
・・・・・
という韻律に酔ったものですが、彼らのアプローチは違うわけです。
「なんだ、テレビゲームなのか」という、ちょっとがっかりした気持ちもないわけではありませんでしたが、でも、導入は様々であってよいわけですし、漢文への興味づけになるならばそれも良しとすべきだと考えるようになりました。
昨年も3年生の授業で、生徒から「先生、教科書の孔明の話の所を授業でやってほしい」と言われました。普段ほとんど睡眠学習に近いような状態の生徒からの要望でしたので、教育者の使命感に燃えて早速教えたのですが、ゲームの展開と漢文の授業での展開とはずれたようで、期待はずれの顔をしてました。うーん、まだまだ私の力量不足なのでしょうね。
Y.Tさんのこの詩は、多くの人に愛されている名場面を詠いあげるわけで、独自の感覚をどのあたりに出すかがポイントになると思います。私は、孔明と仲達を並べて「二龍」としたところに(つい優劣をつけたくなる二人ですから)、おもしろさを感じました。
難としては、承句と結句が似た表現になっている点でしょうか。承句の表現を受けて更に何か新しい感慨を付け加えるのならば効果的ですが、今のままですと、主題を早く出しすぎた、と感じます。
2002. 5.12 by junji
Y.Tさんからお返事をいただきました。
Junji 先生 いつも懇切なご教示、有り難う御座います。先生のご指摘、正にその通りです。
この詩の承句、最初は、「眼前風光黄草中」(辛棄疾の句、「眼前風光北固亭」)でした。しかし「黄草」というのがどうも気に入らず、といって「白草」では冬天に成ってしまいます。
それで同じ詞の直ぐ次の句を使ってあの様にしてしまいました。
句自体は気に入っているのですが・・・詩全体では確かにバランスを欠きます。独りよがりはいけません。
起承を次の様に改めます。
「悠悠渭水夕陽紅 悠悠たる渭水 夕陽 紅
/眼前風光秋色中 眼前の風光 秋色の中
2002. 5.14 by Y.T
2002年の投稿漢詩 第78作は 鮟鱇 さんからの作品です。
花盛,風輕,
人随歩,鳥飛声。
鱗鱗香雪,漫漫春行,
搖脣游勝景,覓句弄幽情。
獨賞烟霞尽日,暫忘塵境聽鶯。
溢目夕映 天月欲盈。
雲 東
明 首
處,回
桜,花は盛んに,風、輕く,
人は歩に随い,鳥、声を飛ばす。
鱗鱗たる香雪,漫漫たる春行,
脣を揺らして勝景に遊び,
句を覓(もと)めて幽情を弄ぶ。
獨り烟霞を賞(め)でて尽日
暫く塵境を忘れて鶯を聴く。
目に溢る夕映,雲、明るきところ,
首(こうべ)を回(めぐ)す東天,月、盈(み)ちんとす。
<解説>
詞韻第十一部平韻(平水庚・青・蒸韻)押韻。
「一七令」を初めて作ったのは、白樂天。次の作が伝わっています。
詩。 綺美,瑰奇。 明月夜,落花時。 能助歓笑,亦傷別離。 調清金石怨,吟苦鬼神悲。 天下只応我愛,世間惟有君知。 自従都尉別蘇句,便至司空送白辞。
「一七令」は、一字から七字まで、順次句の字数を増やしていくところが面白く、また、二字〜七字の句はそれぞれ対句が楽しめます。詞譜は次のとおり(新編実用規範・詞譜,姚普編校)
○。 △●,○○。 ○△●,●○○。 ○△△●,▲△▲○。 △○○●●,▲●●○○。 ▲●△○▲●,△○▲●○○。 △○▲●△○●,▲●○○●●○。(▲●△○○●●,△○▲●●○○。)
なお、拙作は、これに視覚的な遊びを試みました。七字句は、桜の幹を表現するため、途中で折れ曲がっていますが、「溢目夕映雲明處,回首東天月欲盈。」と読んでください。
<感想>
この投稿も、鮟鱇さんがご自身でHTML形式でを書いて下さいましたので、視覚的な楽しみも十分お分かりいただけると思います。
こうした形式の詩を作ろうとすると、私などはまず形式に追われてしまって、何を言っているのか分からないものになってしまいがちなのですが、鮟鱇さんはさすがですね、字数が増えるにつれて情も重層化していき、特に最終聯(「聯」と言って良いのでしょうか)などは、作者のはっとするような感動が表れていて、余韻が深い表現になっていると思いました。
鮟鱇さんが追究なさっている「言葉」と「情」の関わりについての、説得力のある作品になっていますね。
2002. 5.12 by junji
作品番号 2002-79
春日游恵良山 春日恵良山に遊ぶ
登來鐡鎖靜祠堂 鉄鎖を登り来れば 祠堂静まり
俯瞰斎灘帯日長 俯瞰す 斎灘 日を帯びて長し
驟雨忽然妨宴去 驟雨忽然 宴を妨げて去り
霓虹鮮掛促飛觴 霓虹(げいこう)鮮やかに掛かって 飛觴(ひしょう)を促す
(:晩唐)
<解説>
春うららかな日、友人達と近くの山(300米)に登りました。
ここには、中世伊予国の大名として名を馳せた河野氏の出城があったところで、現在は恵良神社奥宮が頂上にある。頂上付近には鎖場があり、まさに西日本最高峰 石槌山のミニチュア版です。
北条市沖に広がる斎灘を山頂から望むと、太陽に照らされきらきらと輝いてまさに絶景。
にわかに空が掻き曇ったかと思うと、無情の雨が酒宴を妨げることに…
どうしたものかと思案する内、雨もやみ宴を再開、飲み直しと行こうとすると、幸運にも空には虹が掛かり、一段と杯が進むのであった。
<感想>
四国伊予を舞台にしたサラリーマン金太郎さんの作品ですが、起承転結の展開も素直で、楽しく読みました。
確かに、花見だの山登りだのでは、雨が降ってくるとどうしようもなく、宴会もそこそこに引き上げるしかなくなるのですが、金太郎さんは心掛けが良いのでしょう、すぐに止んだようですね。雨後の晴色が、前半との対比でよく表れていますので、前半に緑の色を出して、色彩的にも対比させるとおもしろいでしょう。
起句の「静」の使い方についてですが、この字は「動」に対する字ですので、「動いていたのが落ち着いた」というニュアンスがあります。ただ、その結果(例えば鳥が飛ぶのをやめたり、波が騒いでいたのが凪いだりして)音も静かになるというようになるのでしょう。
例えば、『三体詩』に収められている晩唐の鄭谷の『贈日東鑑禅師』には、「夜深雨絶松堂静」の句が見えますが、これも雨が止んだことで音が無くなったということでしょう。
語順としては、本来ならば「祠堂靜」とするのが正しいのでしょうが、押韻の関係から入れ替えてあるわけですね。
これも、『唐詩選』に収められた杜甫の『秋興 二』に、「千家山郭静朝暉」として用例があります。
平仄的には、転句の「妨」の字ですが、ここでは「孤平」を避けるためには「平声」で読むわけですが、その場合には「下平声七陽」に属しますので、「冒韻」となってしまいます。
許容範囲と言えなくもないですが、できれば避けた方がよいでしょう。
2002. 5.12 by junji
作品番号 2002-80
短深汲
八秩閑翁無力斟 八秩の閑翁 斟むに力無く
窃慙短未知深 窃に慙る 短未だ深きを知らざるに
風騒韻事途遙遠 風騒の韻事 途 遙遠なり
晩学有涯惜寸陰 晩学涯り有り 寸陰を惜まん
<解説>
[語釈]
「短者不可以汲深」:つるべの縄が短いのに深い水を汲む才能が足りなくて重任に堪えない譬え 荘 至楽
<感想>
藤原鷲山先生の詩の殆どは白墨の詩でしたが、今回は典拠を用いたものです。
ただ今回の典拠の用い方は少し唐突の様な感じもします。あまりにもここで典拠を使っていますというような感じをうけます、これは馴れてないせいもあるとおもいます。
用い方は適切です。内容も好いと感じていますが、典拠がむくつけのせいか、一句全体が情思ばかりの叙述になってやや余韻に乏しいようにおもえます。
典拠は詩の内容と同化して、使ったか使っていないのか能く解らないように用いるべきだと私は考えています。
2002. 5.16 by 謝斧
皆さん 初めまして。私は、岐阜県在住の者です。
初めてこのホームページを見たとき、沢山の中国の人達が参加されており、本場の人達に混じって笑われないような詩が出来るかを非常に心配し、迷いました。
ところが、2002年、2001年分の投稿漢詩をプリンターに打ち出してゆっくり読み出すにつれて、倭人の顔をした中国人がゾロゾロいるなと判り、安心しました。
そこで、私も皆さんのお仲間に入れて戴くと同時に、中国人に化ける事にしました。
私は陶淵明の詩が好きですので、五流先生(あれ!また誤字をやらかした?)と号する事にします。これからは、皆さんどうぞ五流先生と呼んで下さい。
私は、漢詩・漢文を読み出して4年、また詩を作り出して1年半になる者です。更に詩の先生は本だけというズブの素人であります。
どうぞ皆さん、ご教授、ご講評してください。
作品番号 2002-81
田植
植苗飛燕下 苗を植う 飛燕の下
農婦願年豊 農婦 年豊を願ふ
秀麗伊吹嶺 秀麗たる 伊吹の嶺
嫣然送冷風 嫣然として 冷風を送る
<解説>
当地は、GW期間中が田植えのシーズンです。
当然、田植機が活躍しておりますが、機械が入らない部分は、人が手で植えております。
そのような窓の外の風景を五言詩にしました。
<感想>
新しい方の投稿は、新しい風がホームページに吹き込むようで、とても新鮮に感じます。これからもどんどん投稿下さい。
さて、詩の感想ですが、本だけで勉強なさっているそうですが、平仄的には問題は無いと思います。
内容としては、結句が少し気になりました。
「嫣然」は伊吹山の初夏の嶺姿を「にっこり微笑んでいる」ようだと擬人的に表現したのでしょうか。人々を温かく見守るような伊吹山の印象を受けますが、その場合、「秀麗」や「冷風」とのバランスが悪いように思います。
もう一つは、「冷風」の語感です。田植えをする農婦に向かって吹く風としては、やはり心地よい風であるべきでしょう。「冷風」では、農作業の邪魔をしているように思えます。「薫風」「涼風」あたりが意味的には合うように思いますが、平仄の関係で避けたのでしょうか。「●〇」となる言葉で言えば、「好風」「爽風」「午風」などが使えるでしょう。
2002. 5.20 by junji
作品番号 2002-82
書懐
野老閑行沙觜頭 野老閑行す沙觜の頭
病躯日課却優遊 病躯日々に課すも却って優遊たり
徒称冗子天応赭 徒らに冗子と称しては 天応に赭するべし
即忘世縁身自由 即ちは 世縁と忘れて 身は自由なり
勿怪聳肩文字患 怪む勿れ 肩を聳かして 文字に患らい
難逃為口稲粱謀 逃れ難きは 口の為に 稲粱を謀るを
残生如此知何似 残生此この如く 知る 何んに似るか
浅水蘆花不繋舟 浅水 蘆花 繋がざる舟
<解説>
私は健康の為、故郷である武庫川の洲崎で、毎日ジョギングをしています。最初は億劫でしたが、今では却ってゆったりとした日々をおくっています。
世情も良くない今、私は世の中の事は興味ありませんので徒に冑山冗子(甲山の役立たず)と自ら称しています。此のことでも、天が私に罰を下すことでしょう。然し世の中の煩わしさから逃れて自由の身を喜んでいます
こういった自由を楽しんでいる私が、どうして賈島の様に肩を聳かして、苦吟しては、文字に患らされているのかと訝ることでしょう。
それにしても、生計の為に苦労することには免れ得ません。
こういった、余生を何に譬えたらよいのでしょうか、丁度 浅水の蘆花の辺に流れついた岸に繋いでない舟のようです。
[語釈]
「天応赭」 :赭は赤で赭衣で罪人を指し転じて罪を下す意味とする。用例あり 例えば天所赭 天の赭する所
「文字患」 :人生識字憂患始 少し意味が違うかもしれませんが 文字(苦吟)の為に苦労するという意味です。
「浅水蘆花不繋舟」:此の句はやや晦渋ですが、此の詩の骨子で、作者の心情を言外に叙述したものです。
恐らくは司空曙の「江村即事」の詩を思い起こす事と思いますが、
作者の真意は、「不繋舟」にあり、何物にも束縛されない様子を描くことにあります。
司空曙も同じ思いであったと理解しています。
『荘子』の「雑篇・列御冦」における「汎若不繋之舟、虚而傲遊者也」(汎として繋がざるの舟の若く、虚にして傲遊する者なり)の意味も含みます。
<感想>
江村月落正堪眠 江村 月落ちて 正に眠るに堪えたり
縦然一夜風吹去 縦然(たとい) 一夜 風吹き去るとも
只在蘆花淺水邊 只だ 蘆花浅水の辺に在らん
『三体詩』に収められている有名な詩ですが、佐藤保氏は「風に吹き流されるほどの小舟に乗って釣りに日々を過ごす生活に、作者の脱俗の風がしのばれる。いかにも江村の生活にひたりきっている、平穏な作者の心情がうかがえる佳作である」と解説しておられます。
作品番号 2002-83
朝陽燦燦石州江 朝陽 燦燦たり 石州の江
江水溶溶集雨厖 江水 溶溶 雨を集めて厖(おおい)なり
影映碧潭雲逝緩 影は碧潭に映じて 雲の逝くこと緩かに
韻含黄鳥瀬奔瀧 韻は黄鳥を含んで 瀬の奔ること滝たり
晴灘乱飛桜万片 晴灘 乱れ飛ぶ 桜万片
晩渡帰来鴨幾双 晩渡 帰り来る 鴨幾双
露臥渓辺一鉤月 露臥す 渓辺 一鉤の月に
春寒独酌愁満腔 春寒 独り酌めば 愁満腔
<解説>
<感想>
まず、司空曙の「江村即事」から見ましょうか。
江村即事 司空曙(中唐)
罷釣歸來不繋船 釣りを罷め 帰り来って 船を繋がず
司空曙の詩の眼目は、まさに「不繋船」にあり、謝斧さんの今回の詩と重ねて読むと、謝斧さんの閑適な生活がよく伝わりますね。
謝斧さんがよく引用される『荘子』ですが、「列御寇」の方は、本文自体は私には禅問答のようで難解でしたが、引用された箇所は分かりやすいでしね。
頸聯の「勿怪」の内容は「聳肩文字患」とも、次の句まで含めるとも取れますが、作者としてはどちらが良いのでしょうか。私は、前者の方で読みましたが。
2002. 5.20 by junji
2002年の投稿漢詩 第83作は 禿羊 さんからの作品です。
春日行岩見国江川 春日、岩見国江の川を行く
遊んでばかりで心苦しいのですが、四月初めに島根県の江の川をサイクリングしてきました。
中国地方第一の大河で流石に雄大な感じでした。この川沿いに走っているJRはなんと三江線と云います。これでは江韻に挑戦せざるを得ませんよね?
平仄が少々乱れていますし、結聯も謝斧先生が用いられた呉体に合致しているかどうか分かりません。
それにしても、結聯はやっと韻をそろえただけで、感懐の底の浅さに恥じ入るばかりです。
結聯は七言絶句で言うならば「挟み平」、それを下句の孤仄で補完したということになるのでしょうが、七律で許されるのでしょうか。
頸聯の「乱飛」と「万片」も平仄としては辛いところですね。中唐の韓
尾聯の「露臥渓辺一鉤月」は美しい表現ですが、「渓」は山間の小川をイメージしますので、この場合バランスが悪いように思いますが、どうでしょう。
「春寒独酌愁満腔」は、「やっと韻をそろえただけ」とのことですが、「春愁」を漂わせて、詩をよくまとめていると思います。
2002. 5.26 by junji
作品番号 2002-84
春夜看桜花
遠近香雲風色新 遠近 香雲 風色新たなり
花陰歩月古城春 花陰 月に歩す 古城の春
酒杯縦飲千金夜 酒杯 縦飲す 千金の夜
詩客多情興最眞 詩客 多情 興最も真なり
<解説>
「春夜看桜花」という課題で熊本城に花見に行ったが、漢詩の事は忘れてお酒ばっかり飲んでしまった。
<感想>
ふと「春高楼の花の宴 めぐる盃 かげさして」と詠いたくなるような作品ですね。
特に転句の「縦飲」の語が全体を抑えていて、主眼となる言葉が生き生きと役割を果たしていると思います。
結句の「興最真」では「真」が漠然とした表現で、やや先を急いだ感がありますね。「詞客」の心中に焦点を深めて行くと余韻が深くなるのではないでしょうか。
2002. 5.26 by junji
作品番号 2002-85
荒戸四時
春水大濠満 春水大濠に満ち
夏霧背振攀 夏霧背振に攀す
秋月輝城址 秋月城址に輝き
冬松秀御山 冬松御山に秀ず
<解説>
私の家より周囲を眺め、年間の移り変わりの美しさを読みました。
実は中国の陶潜の『四時の歌』をもじつた、ものです。やっとの思いで初めて作ってみました。
よろしく、お願いします。
<感想>
新しい方の投稿を、心から歓迎します。これからもよろしくお願いします。
さて、平仄としては、起句(第1句)「春水大濠満」が「○●●○●」となっています。これだけならば「二四不同」を満たしていますが、本来は「平起」式で、二字目が「平字」、四字目が「仄字」でないといけないところです。
形としては、「△○△●●」(△は平仄どちらでも可)となるべきです。「春水」と「大濠」を入れ替えれば良いのですが、そうすると「四時の歌」になりませんね。
内容的には、土地の風物を織り込みながら四季を歌い上げていて、整っていると思いますから、いっそ「春濠」で始まるようにするんでしょうかね。一度考えてみてください。
「もじった」とされる陶潜の『四時の歌』は次の作品ですね。
春水満四澤 春水 四沢に満ち
夏雲多奇峰 夏雲 奇峰に多し
秋月揚明輝 秋月 明輝を揚げ
冬嶺秀孤松 冬嶺 孤松に秀ず
この作品は『古文真宝前集』に収められていて、陶潜の作として名高いのですが、岩波文庫の『陶淵明全集』では省かれています。編注者である松枝茂夫、和田武司氏は、「陶淵明の著作ではないと公認されている」と説明されています。
では誰なのか、というと、陶潜よりも少し前の人、東晋の顧ト之、この人の長詩の一部だったのではないか、という説もあるそうです。
蒼鶴さんのこの詩を見ますと、「春水」「秋月」と同じものが出されていますが、ここは別の景物を見つけると独自性が現れて、詩がよりおもしろくなると思います。
2002. 5.28 by junji
作品番号 2002-86
学詩一年有感 詩を学びて一年、感有り
一載猶迷紛四声 一載 猶迷う 四声の紛たるに
詩嚢百韻概陽庚 詩嚢 百韻 概(おおむ)ね 陽と庚
諸兄多謝斧刪篤 諸兄 多謝す 斧刪の篤きに
遂得雕蟲侶畢生 遂に得たり 雕蟲 畢生に侶たるを
<解説>
漢詩を作り始めて一年が過ぎました。
まだ出来上がったものは百に足らず、稚拙なものですが鈴木先生を始め、諸先生の暖かいご批正を頂いたおかげで一生の楽しみができたと感謝しております。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
<感想>
禿羊さんの作品は、どんどん完成度が上がっていて、次はどうかな?といつも期待しています。ホームページを見ていらっしゃる方にも、禿羊さんの作品を楽しみにしていらっしゃる方が多いんですよ。
今回は「雕蟲」という言葉が使われていますが、「雕蟲篆刻」などと使われ、「文章を練り上げて美しくする」ことですね。
詩を作るにあたっては、宋の梅尭臣などは「詩癖」の詩の中で次のように言っていますね。律詩の前半だけを引用します。
人間詩癖勝錢癖 人間 詩癖は銭癖に勝る
捜索肝脾過幾春 肝脾を捜索して 幾春か過ぎし
嚢
風騒有喜句多新 風騒 句に新たなるもの多きを喜ぶ有り
と語って、「肝脾」、つまり、腹の中を探し回って句を作ると言っています。
杜甫は「語 人を驚かさずんば 死すとも休まじ」と詠い、晩唐の司空図は「此の生は 只是 詩債を償うのみ」と詠っています。
どうも詩に命がけという感じが強いのですが、逆に詩にはそれだけの充実感、楽しさがあるということですね。そういう意味では、詩はまさに「魔力」を持っているともいえましょうか。
2002. 5.30 by junji
作品番号 2002-87
鬢螺鈿 (ビン ラディン)
瞠二燕高飛入楼。 瞠(み)る、二燕の 高く飛んで 楼に 入るを。
堂崩人死愕然
燕丹憶不諧秦政。 燕丹の憶い 秦政に 諧わず。
軻刃勃然光遠艽。 軻刃 勃然として 遠艽(荒れ地)に 光る。
************************************************************************
この詩は、漢字表記に Unicord を用いています。
文字化けして変な記号が表示されたり、「 ・ 」となっていたり、字数が合わない、など、
漢字が正しく表示できていないと思われる方は 主宰者 までご連絡下さい。
************************************************************************
<解説>
五流先生の創作漢詩は、未だ全部で20首程度しかありません。
この詩は、五流先生の数少ない詩の中でも、時事問題を扱った唯一の詩です。昨年の10月末頃作りました。
興味は時事問題の方にあるのですが、何故か作り難いと感じております。何故でしょうか?
詩を読んでいても思うのですが、これ程に科学文明の発達した時代にも拘わらず、何故人の心は一向に進歩しないのでしょうか?
米国批判もチョッピリ込めて、そんな気持ちを書いたつもりです。
[語釈]
「燕丹」 :秦が中国を統一する頃の燕の太子、名は丹。
「秦政」 :秦王、名は政、つまり秦の始皇帝。
「 軻 」 :本名は荊軻。(「易水送別」:駱賓王で有名)
<感想>
時事問題を詩に詠むのは、まさに杜甫の詩史以来のものですが、現代を描こうとするとどうしても用語の点で難しくなります。杜甫が俗語を用いたのも流れとしては必然だったのでしょう。
昨年9月のテロ事件を詩にしようとして、なかなか満足できるものが作れないという声をよく聞きました。自分の感情を詩の言葉として結実させるには、衝撃があまりに強すぎたのかもしれません。一歩離れた形で客観的に描こうとすると感情がぼやけてしまいますし、私も実は作ろうとして挫折しているのです。そういう点で、五流先生の努力に頭が下がります。
しかしながら、詩の構成ではやや「???」が残りました。
前半の衝撃的な映像描写から後半は故事を持ってきてまとめようとされたのですが、つながりというか、展開の意図が私にはよくわかりません。
また、題名に<ビン・ラディン>とあるわけですが、大国秦(この場合は米国)に立ち向かっていった荊軻とビン・ラディンが同じということでしょうか。行為としては似ていても、その時代その時代で意味や価値は違ってきますから、「壮士」とされる荊軻と評価までも重ねるわけにはいきません。
もう少し説明をしていただかないと、せっかくの詩が曖昧なままに終ってしまう気がしますので、ご一考下さい。
2002. 5.30 by junji
作品番号 2002-88
二級峡大滝 呉八景懐古之二
昔聞之水連天来 昔聞く この水 天に連なりて来ると、
今見彼流重石堆 今見る かの流れ 石重なりて堆し。
佳景已無遊子涙 佳景 すでに無く遊子の涙、
尚思唯待遠殷雷 なお思いてただ待つは遠殷の雷。
<解説>
呉市広町と郷原町の境にある二級滝は、江戸時代から芸州屈指の大滝として知られています。
今では二級ダムができて水がへってしまい、大雨やダムの放水の時しか大滝は現れません。
[大意]
昔は「天より連なりて来る」といわれたこの滝も、
今は流れは見えず岩がゴロゴロしてるだけ。
よき景色も無くなり見物客も悲しんで、
突然の大雨で滝の水が流れ出さないかとだけを思ってしまう。
<感想>
金先生からは、詩の平仄も送っていただきました。
●○○●○○◎
○●●○○●◎
○●●○○●●
●○○●●○◎
「二級滝」というのは、私は初めて聞きました。申し訳ないことに、読み方も分かりません。ごめんなさい。
滝と言えば、誰もが李白の『廬山の瀑布を望む』を思い浮かべるところでしょう。
飛流直下三千尺 飛流 直下 三千尺
疑是銀河落九天 疑うらくは是 銀河の九天より落つるかと
これからは気温が上がるにつれ、滝の美しさが増していく季節ですよね。李白が眺めたスケールは想像できませんが、でも、二級滝がダムの建設のせいで枯滝になってしまったのは残念ですね。
結句の「尚思唯待遠殷雷」は、そういう意味ではダムの上流、山の向こうで鳴る雷に期待をするということでしょうが、前半の「尚思唯待」の反復が、「何とか雨がたくさん降ってほしい」という気持ちをよく表していますね。
平仄としては、起句二字目の「聞」は、「噂や評判になる」という、この詩の意味で使う場合には、仄声になりますので、せっかくの対句になっているところですが、修正した方が良いと思います。下三平にもなってますから、五字目を仄声にしたいところです。
また、承句の「重石堆」は、語順から行けば「重なった石が堆(うずたか)い」となり、「石が重なり・・・」とはならないので、読みを変えておく必要がありますね。
2002. 6. 1 by junji
作品番号 2002-89
高原春滑雪(スキー)
夜発早着志賀高原。滑走、望雲海下善光寺平。
草雪素斑絵事観 草雪 素 斑にして 絵事を観、
高原索道引騒人 高原の索道 騒人を引く。
衆星明月旋車上 衆星 明月 車上を旋り、
降捲疾風雲海津 疾風を捲いて 雲海の津に降りる
<解説>
[語釈]
「 素 」 :白。
「絵事」:絵を書くこと。
「索道」:ケープル。ロープウエー(現中国語同)。
「騒人」:詩人。
<感想>
春スキーですか、良いですねー。
私も元気だった頃は、乗鞍高原に春先に出かけたりしたこともありました。雪質は真冬のシーズンに比べると重いのでしょうが、寒さ対策をあまりしなくても良いという気楽さはありました。
さて、三耕さんからの久しぶりの作品ですね。ロープウェーで、まだほの暗い空を眺めながら上がって行く、まばらな雪が緑の草の中、一層白さを際だたせている、そんな色彩の美しさを示して、結句の広がった風景へとつなげた視野の大きな詩です。
結句は、この語順では意味が変わってしまいますね。リズムは崩れますが、「捲疾風降雲海津」とした方が、まだ良いのではないでしょうか。
2002. 6. 1 by junji
作品番号 2002-90
円覚寺早朝
朝露早陽照 朝露 早陽照らし、
薫風緑樹深 薫風 緑樹深し。
山門雲水去 山門 雲水は去り
托鉢伴鈴音 托鉢 鈴音を伴う
<解説>
季節はもう初夏を感じさせます。鈴木先生 いかがお過ごしでしょうか。
朝 座禅を終えた後の円覚寺を詠んでみました。
”雲水”は所謂 和臭だと思いますが、「行脚僧」や「学僧」では雰囲気が伝えられないので、敢えて使ってみました。
ヒネらず素直に風景を描写してみました。
<感想>
ニャースさんから送っていただいたのが五月の中旬でした。まさに初夏の早朝、爽やかさな風を感じさせてくれる作品ですね。
昨年の11月に掲載しましたニャースさんの「円覚寺参禅」でも、落ち着いた閑寂の世界を描写して感銘深かったのですが、今回は五言絶句ということで、より余韻の深い作品になっていると思います。
あえて注文を出すならば、起句にもう一ひねりの余地というところでしょうか。ややありきたりのものを並べた感じですし、「朝」の語と「早」の字が重なり、冗語の感じです。出来れば「朝露」を主語として、この場での発見がほしいと思います。
2002. 6. 1 by junji