作品番号 2001-166
江頭秋日暮景
芦花財戦夕陽燿 芦花 財カニ戦ギテ 夕陽燿キ
燭火細揺茅舎明 燭火 細カニ揺レテ 茅舎明ルシ
何処幽幽残菊馥 何処ゾ 幽幽 残菊ノ馥ルハ
何辺切切痩蛩鳴 何辺ゾ 切切 痩蛩ノ鳴クハ
度頭老柳虚舟繋 度頭ノ老柳 虚舟ヲ繋ギ
祠畔高松弧月 祠畔ノ長松 弧月ヲ(カカ)グ
吹断晩風秋色野 吹断ス晩風 秋色ノ野
時聴北嶺雁來声 時ニ聴ク 北嶺 雁来ルノ声
<解説>
木曽川辺りの秋の日の夕暮れ時
薄の穂が夕日を受けて輝き、其の輝きで夕日の輝きがいっそう鮮やかです。
明かりを点した農家の窓は明るく無事取り入れを終えた喜びに溢れているようです。
何処からか咲き残った菊の香りが漂い、そこら辺りからこおろぎのかすれた声が聞こえてきます。
漁を終えた船でしょうか。老いた柳に繋がれ、日暮れと伴に明るさを増した三日月が村祠の高い松の上で輝いています。
秋の景色にすっかり変わってしまった野を渡る夕暮れの風に乗って時折北から渡ってくる雁の声が聞こえてきます。
<感想>
久しぶりの木曽川を題材にした真瑞庵さんの詩ですね。
全体的には、秋の夕暮れという伝統的な風情を詠い、かすかな動きに心を留める詩人の姿が彷彿として、余韻の残る作品だと思います。
若干気になるとすれば、
首聯の「細揺茅舎明」ですが、ここだけは明るい雰囲気を漂わせようという真瑞庵さんの構成の意図はよく分かります。ただ、解説に書かれたような「農家の窓は明るく無事取り入れを終えた喜びに溢れているようです」というには、「細揺」は合うでしょうか。逆に「大きく揺れた」とした方が整うように思います。
同じ観点では、頷聯の「残菊馥」ですが、「馥」はどうしても豊かな香りのイメージが浮かびますので、菊のすえた香りが一面に漂ったのかと思います。そうすると、「何処幽幽」とぶつかります。
頷聯はやや筆に流れた感がしますので、「馥」も含めてお考えいただければ、と思いました。
2001.11.14 by junji
作品番号 2001-167
回文七絶・秋雨聽虫
吟蛩乱点雨淋淋, 吟蛩乱点して雨は淋淋と,
醉聽閑情幽梦尋。 醉って聽く閑情、幽夢を尋ぬ。
尋梦幽情閑聽靜, 夢に尋ねる幽情、閑に聽いて醉うは,
淋淋雨点乱蛩吟。 淋淋たる雨点、乱蛩の吟。
<解説>
[語釈]
「亂点」:散らばっていること。
「雨点」:雨滴
ちらちらと聞こえるこおろぎの声、降り続く雨の音を聴きながら酔っているとぼんやりと夢心地になり、夢のなかで幽情(静かな心持ち)に浸っていると、雨はぽたぽたと落ちる滴にかわり(つまり、いつの間にか上がって)、こおろぎがにぎやかに鳴いている、という詩に作ったつもりです。
転句・結句は承句の終わりから起句の頭へ逆読みし、回文にしています。
漢詩詞を作り始めて4年半になります。これまでの作四千首あまりを整理しようと思い、ホームページを作り直しました。旧ページは鈴木先生にもリンクを張っていただいていますが、全体がわかりにくくなってしまいましたので整理し直しました。ご高覽いただければ幸いです。
http://www.h2.dion.ne.jp/~ankou/
ホームぺージを整理しながら、改めて思ったことがあります。
それは、わたしはとても平仄にこだわっているということです。なぜわたしにとって平仄がそんなにおもしろいのか、平仄をおもしろがることによって何をしようとしているのか、旧作を整理しながらそんなことを考えてきました。
答は少しわかったがまだよくはわかっていません。ただ、わたしのうちなる日本的な精神の曖昧さの対局に、平仄を置こうとしているらしいことは、自覚しています。わたしは、わたしの詩作りの規範として、才能や感性など詩を作るうえでの曖昧な機能を排除したいと考えています。つまり、自分は凡才であることをきちんと自覚して、詩を書きたい、そういうやり方でやっていきたい。
今回の作に戻りますが、平仄のそんなあんなを考えながら、絶句の平仄について気付いたことがありました。
くわしくは鈴木先生の 「桐山堂」No.25 に投稿させていただきましたが、なぜ起句・承句、転句・結句の平仄が反法となり、承句・転句が粘法とならねばならないかをわたしなりに整理しました。
拙作、詩の内容的はつまらないものですが、平仄をわたしなりに考えた結果に基づいて試作したものです。
<感想>
「桐山堂」の鮟鱇さんの「平仄の美しさ」は、絶句の折り返しの妙に着目した面白い論でした。規則が生まれるときに鮟鱇さんの仰るような折り返しの考えがあったかどうかは分かりませんが、結果として平仄の美しさの一面を説明し得たのではと思いました。
今回の回文詩は、その折り返しを意識して作られたものですから、転句からは鏡を見るが如くの折り返しになっています。中国語の発音でも読んでみましたが、音調の面での美しさまではたどり着けず、面白さのレベルに私はとどまってしまいました。
さて、内容をどう見るかということになると、鮟鱇さんの意図とはずれてしまうのかもしれませんが、同じ文字が連なるのは全体に意味としてはどうしても間延びした印象です。
ただ、これを音曲としてみると、ずいぶん違ったものになります。ちょうど、現代の若者の音楽を聞くような感じでしょうか。彼らの音楽を「歌」と認めるかどうか、それと同じように、音調を重視して作られたものを詩として許容するかどうか、は皆さん各自の気持ちの問題でしょうね。
2001.11.16 by junji
作品番号 2001-168
武王
武発朝歌撃紂屍 武発 朝歌に紂の屍を撃ち
自成厚葬毅宗尸 自成 毅宗の尸を厚く葬る
聖王品格劣流賊 聖王の品格 流賊に劣れり
儒者巧言推可知 儒者の巧言 推して知るべし
<解説>
文王、武王は周公旦と共に、儒家によって聖人に祭り上げられます。是は孔子が周公旦を聖人と崇めたので、儒教が国教となって以後、孔子と共に聖人に祭り上げられたのだと思います。
歴史は概ね勝者によって作られるので、歴史の評価は果たしてどこまで真実か分かりません。
この詩は武王を詠んだのではなく、後世の評価の当てにならないという事を言いたくて書きました。
[語釈]
「武発」:
周の武王発は、牧野の戦に敗れ朝歌に逃がれ自殺した紂王の屍に三箭し、
首を斬り旗頭に掛けた。
尚、起句は楚辞天問の「武発殺殷」と「列撃紂躬」からとりました。
「自成」:
明末の流賊、李自成は紫禁城を攻略した時、自殺した崇禎帝の遺体を丁重に葬った。
「毅宗」:
明のラストエンペラー崇禎帝。李自成が北京を陥れた時、自殺。
「聖王」:
武王は儒家によって聖人に祭り上げられていますが、紂王は武王の主君だった筈です。
「巧言」:
孟子は牧野の戦いでは「至仁」が「至不仁」を討ったのだから血など流れなかった、とか、
武王は主君を討ったのではないかと問われた時には、
「仁を賊なうを賊という。義を賊なうを残と言う。武王は残賊を討ったのであり、
主君を殺したのではない (孟子:梁恵王編下)」
などと詭弁を弄している。
<感想>
史詩ということで、どうしても古人の名が出てきますが、これはあまりに多くないでしょうか。いちいち具体的に固有名を出さなくても済むように思いますし、その方が詩が散文的になるのを防いでくれると思います。
「武王」や「自成」だけで十分でしょう。
転句は、起句と承句で言ったことの繰り返しで、表現も直接的で、あまり感心しません。
せっかく逆説を詩で展べるわけですから、論文調で終わるのでなく、情を伝える必要があると思います。
2001.11.16 by junji
作品番号 2001-169
教義
誤解先師是不愚 先師を誤り解するも 是 愚ならず
最澄本意識人無 最澄の本意 識る人無し
郢書燕説古来衆 郢書燕説 古来衆(おお)し
千歳勝稱照一隅 千歳称するに勝(た)えたり 一隅を照らす
<解説>
「先師」はここでは伝教大師、最澄の事です。
「郢書燕説」は、『韓非子』(外儲説左上)からの言葉です。
郢の人が燕の宰相に宛て、手紙を書かせていたが、暗くなったので「燭をかかげよ」と命じ又、手紙を続けた。その時、右筆は「燭を挙げよ」も手紙の文句と思い書き入れてしまった。とある。(尚、原文には、「而誤書擧燭」とあって右筆に書かせていたとは記してありませんが、自分で間違って書込むのは少し変なので、右筆云々は私の解釈です)。
一方、手紙を貰った燕の宰相は文中の「挙燭」の所ではたと困まった。考えた末「挙燭」とは「尚明」で、これは賢人を登用せよと言う事だと解釈して国王にそれを進言。燕の国は以後賢者を登用し大いに栄えた。現在の学者の説も概ねこんな所だ。
<感想>
この詩は、ところどころで引っかかる部分がありました。
起句で「先師」と言っておいて、承句で更に「最澄」と重ねるのは、あまり良いとは思えません。固有名詞をあえて入れなくても十分伝わるでしょうし、「識人無」も言葉として練れてないと思います。起句承句と否定形が続くのも気になります。「誰か識る」と、疑問形なり反語形で文を考えた方が落ち着くのではないでしょうか。
起承転とほぼ同趣旨のことを続けてきて、結句で一気にまとめ上げるという構成は、結句の言葉の大きさでバランスが取れているように感じました。これこそが、まさに最澄の「照一隅」の語の深さ、豊かさを表しているのかもしれません。
2001.11.16 by junji
作品番号 2001-170
向学校 学校に向かう
桂月微光冬到端 桂月の微光 冬到るの端(きざし)
行人擦手拒朝寒 行人手を擦りて 朝寒を拒(ふせ)ぐ
顔前息気皆煙白 顔前の息気 皆煙白
北海涼風入褶襌 北海の涼風は褶襌に入る
<解説>
[語釈]
「褶襌」:重ね着した肌着
<感想>
起句「桂月微光」というのは、(陰暦)八月の太陽の光も弱くなって、という意味でしょうか。ぱっと見ではやはり「月の光が弱く」と取りそうですね。
全体として、季節が統一されていないように感じます。晩秋?それにしては、「朝寒」や、「息気皆煙白」は真冬の情景ですし、「桂月」ではまだ中秋ですし、そのあたりが混乱のもとでしょうか。
「北海」も、どこを指してのことなのでしょうか。「オホーツク海」の寒気のことでしょうかね。そのあたりが分かりにくくなっています。
あと、題名は「向」では、意味が違うでしょうから、そのまま普通に「行学校」なり、「上学校」の方がよいでしょう。
2001.11.16 by junji
鈴木先生いつもご指導に預かり有難う御座います。
このページが益々盛んであることを心よりお喜び申し上げます。
私の高校時代、漢文の先生の渾名が、誠に失礼ながら「顎」とおっしゃり、ほとんどの生徒に睡魔が襲いくるので有名でした。その時創作の喜びを知ることが出来たら、又違うものになっていたかも解りません。
そんな私が今漢詩に親しんでいるのが不思議です。
今後とも若い人に創作の喜びを与える機会を持っていただきたく思います。
作品番号 2001-171
安土覧古
湖水蒼浪一望清 湖水蒼浪として 一望清し
荒墟独聴小禽声 荒墟に独り聴く 小禽声
雄図虚断都如夢 雄図虚しく断え 都べて夢の如く
愛是豪雄悵激情 愛しむらくは是 豪雄の激情を悵む
<解説>
数年前安土城に登ったときの感慨です。
琵琶湖に連なる湖が大変美しかったことを思い出します。
転句と結句は本能寺の変の後、知らせが備中に届いたとき黒田如水が秀吉に「千載一遇の機会です」と言ったということから、秀吉はこの男に百万石与えたら天下を取ってしまうと警戒したという逸話を踏まえています。本能寺の変が無かったならの感慨を一応あらわしたつもりです。
ちなみに私の故郷は福岡市で小学生の頃は、黒田のお城の外堀で大濠公園という所が毎日の遊び場でした。
<感想>
結聯は、「豪雄が激情を悵む」ことを「愛しむ」という文意になりますが、ちょっと作者の意図と異なるように思います。
また、題名から考えて、転句の「雄図虚断」は織田信長のことだと思いましたが、解説では違うようですね。
ということで読んでいくと、「雄図」は黒田如水のことを指すのでしょうか。では、「豪雄」は? ということで、よく分からないのです。
一度結句を整理していただくと、すっきりするのではないかと思います。よろしく
2001.11.20 by junji
作品番号 2001-172
嗤林彪(改訂) 林彪を嗤(あざけ)る
林彪父子抑何謀 林彪父子(おやこ) 抑(そ)も何をか謀る
夢断磧中遺恨悠 夢は磧中に断たれ 遺恨悠かなり
抜一毛而利天下 一毛を抜いて天下を利せんとするも
事違喬志似浮 事違(たが)い 喬志 浮に似る
<解説>
[語釈]
「夢断磧中」:
林彪はソ連へ亡命途上、乗ったトライデント機が外モンゴルのウンデルハン近郊に墜落炎上。
再起の夢はゴビに断たれたの意
「抜一毛而」:
戦国の思想家、楊朱の主張「抜一毛而利天下不爲」(孟子尽心編)を逆手にとり、
毛主席一人を除いて天下を利そうとしたの意味。
林彪のクーデターの真意は勿論、解っていません。又、永久に謎でしょう。しかし、彼が成功していたら、そのスローガンは必ずや、「抜一毛、利天下」であったでしょう。
「抜一毛」について補足します。
天啓6年(1626)、清の太祖ヌルハチは20万の大軍を率いて山海関を目指し、明併呑の壮途に就きました。この時、明の名将袁崇煥は二万足らずの兵力で山海関東方120キロにある寧遠城に立籠もり十倍の大軍を迎え撃ち、此を撃破、ヌルハチを戦死させ無敵の満州鉄騎を敗走せしめて大いに武名をあげました。こうした曰くのある言葉ですので、リズムは良くないのですが「欲抜一毛將利国」とか「將抜一毛而利国」としない方が良いと思うのですが如何でしょう?
同じ頃、明の総兵毛文竜は遼東半島東方の皮島にあり、清の後方を牽制する戦略上の要衝にあるを幸い、毎年朝廷に莫大な餉を求め、私利を貪っていた。それ故当時天下の名士陳継儒は毛文竜を憎んで、袁崇煥に「一毛を抜いて天下を利するは如何」と書き送る。
同様に苦々しく思っていた袁崇煥は密かに大学士銭竜錫と図って崇禎2年(1629)、遂に毛文竜を欺き誅殺。
事後に事を知った崇禎帝は、袁崇煥の絶大な績を評価して是を不問にしたが、僅か6ヶ月後に清の反間の計にかかって、彼を誅殺し、自ら滅亡への道を辿って、遂に社稷を清に奪われてしまいました。
<感想>
前回掲載以来のことですが、謝斧さんとの意見交換も経て、随分まとまったように思います。解説の長さも気になりません。ただ、歴史に疎い私には、人物名が多くて、かなり気合いを入れて読まなくてはなりませんでしたが・・・・
転句のこの表現で、Y.Tさんの言われるような、「一毛を抜いて天下を利せんとするも」という逆接接続で読めるかどうか、疑問です。このままでは、「一毛を抜きて天下を利する」と、確定事実として読む方が自然に思います。また、転句全体を引用で使うのも私は気になりました。
典拠もはっきりしていることですし、「欲抜一毛」の四字だけでも十分伝わるように思います。
2001.11.20 by junji
作品番号 2001-173
毛沢東(改韻稿)
布衣出世九州治 布衣より世に出で 九州を治むは
洪武劉邦与潤之 洪武と劉邦と(毛)潤之
中原獲鹿烹良狗 中原 鹿を獲て 良狗を烹る
文革堪哀劉少奇 文革 哀しむに堪えたり 劉少奇
<解説>
永い中国の歴史でも農民出身で天下を取った皇帝は劉邦と朱元璋の二人切りです。毛沢東は此等のOld Emperorとは異なりますが矢張り皇帝と云って差し支えないでしょう。とすると彼は三人目となります。事実、ソールズベリーも毛沢東をNew Emperorと呼びました。
ところで、高祖も朱元璋も天下を平定してから、建国の功臣を片っ端から誅殺しています(朱元璋は特に酷い)。
譜代の家臣を持たない両者にとって、建国の功臣とは元来、革命の同志でした。
劉少奇首相、彭徳懐等の運命を思うと、「狡兎死、良狗享」 と嘆いた韓信の悲劇が重なってなりません。
貴族出で天下を取った皇帝達(秦、東漢、隋、唐、宋)はそれほど功臣を誅殺していない点を考えると、興味深いです。
転句は、謝斧先生のご教示により「狡兎死良狗烹」(「史記」:淮陰侯列伝)を借りました。
[語釈]
「九州」:天下の意。中國では、天下は九州から成ると考えられていた。
「洪武」:明の太祖、洪武帝(朱元璋)のこと
「潤之」:毛沢東の字。改韻の為、此方を使用。
「文革」:文化大革命のこと
<感想>
前作と比べて、起句と承句を入れ替えたのはどういう意図からでしょうか。粘法を意識して破ったのは、人物名が起句にどっと出るのを避けたのでしょうか。
人物の名で詩の三分の一を使うというのは、それが作者の意図と効果とのバランスで考えるべきでしょうが、これで最終形とは私は思えません。
2001.11.20 by junji
作品番号 2001-174
煬帝(改訂)
太宗煬帝似双児 太宗と煬帝 双児(ふたご)に似る
共斃長兄君王為 共に長兄を斃して 君王為(た)り
能使少年行止継 能く少(わか)き年の行止をして継がしむれば
不教玉璽向唐移 玉璽をして唐に移さざらましを
<解説>
改訂と言いましても、前作の承句「楊広」を「煬帝」に改め、重字を避ける為、転句「帝王」だったのを「君王」に改めただけです。
[語釈]
「太宗」:唐の第二代皇帝、李世民のこと。
「煬帝」:隋の第二代皇帝、楊広のこと。
煬帝は亡国の暗君と一般には考えられています。確かに、暴君ではありましたが、原百代さんが「武則天」に書いておられる様に、名君の誉れ高い唐の太宗と双子の様に似ています。
共に武勇に優れ、文にも秀で、政治的なセンスも優秀でした。また、父の創業を援けた次男坊で、兄を殺して帝位に就いた所までそっくりです。
煬帝は父の始めた試験による官吏登用を推進して科挙の基を作り、大運河を開いて後の中国発展の礎を築きました。此は彼の政治的センスが優れていたことの証左です。
只、驕りから民衆の怨嗟を顧みず外征を強行し、奢侈に耽って遂に亡国の君主と成り、後世の批判を浴びましたが、暗君ではありませんでした。
皇子の頃は、大変禁欲的で倹約だったと云いますから、三国呉の後主孫皓が烏程候の時代は才識明断の誉れ高く、衰呉の救世主と期待されながら国王となった途端、暴虐になったのと似ています。もう少し後まで、その演技が続けられなかったかと思うのは私だけでしょうか。
尚、転句、結句は王昌齢の「出塞」より、「但使・・・・・/不教・・・・・」を借りました。
<感想>
煬帝と太宗という、一般には逆の評価を得ている二人を、「似双児」ととらえた所に、この詩の面白さがあります。
ただ、一般の評価を覆すに足るだけのものを提示しなくてはいけませんが、この詩だけでは足らないのではないでしょうか。少なくとも、「亡国」の皇帝と、「建国・守成」の皇帝を並べるのには、「共斃長兄君王為」では納得できません。
煬帝の優れた政治センスを主張するならば、もう少しそこを述べて、彼を弁護する必要があるように思います。
2001.11.20 by junji
作品番号 2001-175
円覚寺参禅
打坐無心願仏縁 無心に打坐し仏縁を願う
荘厳古寺満香烟 荘厳なる古寺香烟満つる
方知不易離生死 方に知る生死を離れること易からず
百鳥争飛告暁天 百鳥 争い飛び 暁天を告げる
<解説>
漱石に見習っているわけではありませんが、最近早朝 円覚寺で座禅をやっております。煩悩のかたまりですから、禅の「生死を離れる」などとてもできませんが、非常に気持ちが良くなります。
それと、現代の我々はいかに多くの騒音に囲まれていることか。人声の無い寺では鳥のさえずりすらも騒々しく聞こえます。
結構 禅寺は門戸を開放しているようですから、皆さんにもお勧めしたいです。
<感想>
読み下しを少し修正した方が良いでしょう。
打座 無心にして 仏縁を願い
荘厳たる古寺 香烟を満たす
方に知る 生死を離るることの易からざるを
百鳥 争い飛んで 暁天を告ぐ
起承転結も整っていて、余韻も深い詩になっていますね。
転句がややバタバタしているような感じがしますし、「方知」は内容と合わないように思いますから、ここはもう一ひねりしても良いのではないでしょうか。
結句の「告暁天」は、夜明け前のまだ暗い時間帯を想像しますので、「百鳥の囀声 暁天に頻なり」などの方向で考えてみたらどうでしょう。あ、でも「頻」は平声ですので、あまり良くないですね。うーん?
2001.11.20 by junji
作品番号 2001-176
三者面談前風景
水化薔薇刺 水は薔薇の刺と化し
初冬赤我肌 初冬我の肌赤し
如車過季節 車の如く季節は過ぎ
来直決然時 直に来る決然の時
<解説>
朝の私の吐息も白くなり、もう冬だなあと感じ、作りました。
早朝、水を触ると、手がとてもチクチクする冷たい風に当たると顔が赤くなりますよね。早朝の水は、(水道から出る)とても冷たく、キンキン(?)しますので薔薇の棘なんて表現にしました。転句の「如車」は、目の前を通るスピード違反のスポーツカーをイメージしています。「決然の時」というのは、入試前夜のことです。
ああ、もう金曜日の三者面談で、進路が決定します。
そういえば、徐庶さんも中学生だとか。すごいです。難しい漢字を使ってて。
あっ、前作の「秋夜管絃」この詩、どちらが詩吟向きだと思いますか?発表で吟じたいのですが、どっちがいいですか?
最後になりましたが、咆泉さん感想ありがとうございました。
<感想>
今回の詩は、平仄も押韻もきちんとしていて、いっぺんに上達した感じがします。
特に、冬の朝の水の冷たさを「薔薇の棘」と比喩したところなどは、もう楽しくって、すっかり嬉しくなりました。
言葉としては、結句の「来直」は、順番が逆ですから、「直来」としなくてはいけません。でも、そうすると、せっかくの平仄がずれてしまいます。このあたりが苦労するところかもしれませんね。「忽識」(たちまちしる)としておくと良いのではないですか。
あと、承句(第二句)は、「赤我肌」も順序としては「我肌赤」とするべきところですので、少し直しましょうか。
朔風赤我肌 朔風 我が肌を赤くし
ではどうでしょう。
ご質問の、「詩吟に適するのはどちらか」ということでは、言葉の流れからみて、前作の「秋夜管弦」の方が良いと思いました。ただ、押韻を整えることはしておいた方が良いので、私が前回お示しした修正作をマヨっちさんにはお勧めしておきました。
しかし、前作の「虫の管弦楽」の発想、今回の「薔薇の棘」の比喩、若々しく、新鮮な感覚ですね。また、そうした感性の中に「受験生」の姿も現れていて、マヨっちさんのもう一つの面をも拝見させてもらい、本当にうれしく思いました。
2001.11.20 by junji
作品番号 2001-177
輪行一夜臥林間、同好諸子宴炉辺 輪行の一夜 林間に臥し、同好諸子と炉辺に宴す
晩嵐受背集炉辺 晩嵐 背に受けて 炉辺に集い
共語共斟急刻遷 共に語り共に斟めば 刻の遷ること急なり
酒尽火消銀漢渺 酒尽き 火消えて 銀漢渺かなり
明朝相別又何天 明朝 相別れては 又何れの天ぞ
<解説>
楚雀さんの詩をみて、思わず頭を抱えてしまいました。同じく詩を作り始めて半年というのにこの違いはなんだろう?
拙作を振り返ってみると、思ったことをそのまま列べただけで、詩と言うよりは散文でした。「雅」がありません。詩想を詩に転換するための語彙が貧弱なことは勿論ですが、それだけでなくどうも料理の仕方が判っていないようです。
やはり言われているように、題詠というか、詩語辞典の言葉を列べて作詩するというトレーニングが必要なのでしょうか?
<感想>
禿羊さんの北海道自転車旅行の折の詩、第二弾ですね。
結句がいかにも旅先の詩という感じで、何とも言えぬ寂しさを的確に表現していると思います。
承句は、「散文」的なところで、「共」の繰り返しも効果的とは思えません。「斟」の字も孤平になっています。また、「急刻遷」は、語順としても意図したようには読めませんので、この句は直した方がよいでしょう。
構成としては、転と結のつながりが薄く、結果として、転句だけが浮いている感じがします。具体的には、「銀漢渺」ということと、「明朝相別」の関連が伝わって来ないということです。禿羊さんの意図の中には入っていると思いますので、それをどう匂わせるかが工夫のところでしょう。
題詠、詩語集のことですが、「ねばならない」こととは思いません。題詠も訓練になりますし、詩語集もあれば語彙を増やすにも有効ですから、「あった方がよい」ものです。
昔から上達の秘訣は「三多」と言われています。
「看多」:たくさん読むこと。
「做多」:たくさん作ること。
「商量多」:たくさん考えること。
この三つのことは、「ねばならない」ことだと言えます。特に初めの「看多」は、優れた古典をいくつも読むこと、そこから詩想・語彙・料理の仕方、全てが学べる筈です。
2001.11.24 by junji
作品番号 2001-178
題英語試験
嫌学吾痾癈 学を嫌うは吾が痾癈
疵根不快愈 疵根快愈せず
徒書愚解答 徒に愚かなる解答を書けば
成績又低匍 成績は又た低く匍う
<解説>
英語は苦手です。「文の構成とかは、漢文に少し似ているから楽でしょ。」と言われたりもしますが、さっぱりです。
どうにか期末にはいい点を、と思っているのですが、二句目にあるように、なかなか快癒しません・・・
因みに、その「快愈」は「快癒」に同じですが、韻が合わないので字を変えてみました。
ただ、これでも合っていないかもしれません。
<感想>
大人たちはそろそろ忘年会の季節ですが、生徒たちにとっては期末テストの時期ですね。
「愈」の字の韻については大丈夫ですが、転句の「愚」の字が「上平声七虞」の字ですので、冒韻になっています。
前半の大仰な言い回しから、後半は一気に口語調に変わり、そのあたりがいかにも試験に対する嫌な感じを出していると言えましょうか。
試験は幾つになっても嫌なものだ、とはよく言われます。成績とか順位とかがなければ、試験も自分の学習の達成度を知るための良い手段で、それなりに充実感もあるもの(結果が良くても悪くても)ですが、現実的にはなかなか難しいことですね。でも、自分の向上のためだと思ってみると、少しは気が楽になるかもしれませんよ。
少なくとも、「嫌学」とは言わないようになりましょう。
2001.11.24 by junji
作品番号 2001-179
同走買輕羅
何敢推門聽定説? なんぞ敢えて門を推して定説を聴かんや?
愛人請我買輕羅。 愛人、我に請う、輕羅を買うを。
開車同走捲風處, 開車同走、風を捲くところ,
嬉笑丹脣伸翠蛾。 嬉笑して丹唇、翠蛾を伸ばす。
<解説>
現代韻(「通韻」)で書いています。押韻は第2部:波部(含o,uo,e)の平声。説(shuo1), 羅(luo2),蛾(e2) 。
用語上は、半白話体になると思います。
[語釈]
「愛人」:妻のこと。
「開車」:車を運転する。
「同走」:「走」は、行くの意味。日本語の「走る」ではありません。
「輕羅」:軽いうすぎぬ。拙作、ブラウスのつもりです。
「請我買輕羅」:
兼語文です。正確に訳せば「我に我が輕羅を買うを請う」であり、
「我」は「請」の目的語、「買」の主語を兼ねています。「輕羅」を
買うの主語は妻ではなく、私です。
「推門」:
賈島と韓愈の「推敲」の故事を意識しています。
小生には、「推門」でも「敲門」でもどちらでもよかったことだと思えます。
「門」はここでは、後述しますが、小生が通う吟社の「門」のつもりです。
ただ、お寺とか、教会とか、講演会とか、少々高尚な場の「門」ぐらいに
読んでいただければよいと思います。
「推門聽定説」:
小生は月1回、吟社の会合に出席します。いまだかつて、一度も欠席をしていません。
そこで論じられることは、新しい発見がありますから私には「定説」ではないのですが、
漢詩をまったく解しない妻の眼には、いつも同じことを飽きもせず、と映ります。
わたしがやっていることは、妻の眼からみて「定説」を何度も聴いていると映るわけです。
そこで、時には家庭サービスにも心を砕かなければなりません。わかりやすいのが、
妻の買い物の手助けに車を運転することです。妻は吟社の会合の日には車の運転を求めません。
そこで、小生が妻のアッシー要求に応えなかったことは一度もありません。
起句・承句は作詩上の創作です。
<感想>
鮟鱇さんがきっと狙ったのだろうと思いますが、一つ一つの句が独立していて、一般的な意味での句のつながりや構成としては整っていません。しかし、逆にドラマの場面場面を切り取ったようで、うーん、映画のスチール写真みたいな感じでしょうか。とても面白く読みました。
ただ、テレビの連続ドラマでも、初めから見ていないと流れがよく分からないことが多いのですが、この詩も、鮟鱇さんの解説があったからこそ、生き生きとした画面になってくるように思います。詩だけでまるっと理解できるわけではないでしょう。しかし、状況を理解した上でもう一度読み直してみると、まさに現実感があふれ、私のすぐ隣の車に鮟鱇さんが乗っているのではないか、そんな気持ちになってきます。
そう言う意味では、本作は鮟鱇さんの生活と深く、強く結びついた作品であり、現実を記憶・記録するべく書かれた作品なのだということに思い至ります。
なるほど、現代韻の使用、現代用語の使用、あたりの鮟鱇さんの意図は十分成功しているのではないでしょうか。
2001.11.25 by junji
作品番号 2001-180
雨日
四方濃雨覆星茫 四方の濃雨 星茫を覆い
独占高天停滞長 独り高天を占めて 停滞長し
秋月欲明雲気厚 秋月明らかならんと欲するも 雲気厚し
自非昭日不輝岡 昭日にあらざるよりは岡を輝らさず
<解説>
雨の日、友達と街へ出て、ふと空を見て浮かんだ詩です。
勿論、書いたのは家でですが。
<感想>
雨からイメージされるものをうまく配列してありますね。
暗さをイメージさせる「濃雨」「停滞」「雲気」あたりの言葉と、逆に明るさをイメージさせる「星茫」「秋月」「昭日」「輝岡」などの言葉の配列が面白く、徐庶さんが言葉選びを楽しんでいる姿が目に浮かびます。
少し気になる点は、
@起句の「四方濃雨」とある状況で、承句の「高天」という高く澄んだ天を想像するのは、やや無理があるのではないでしょうか。
A結句は、訳してみれば「明るい日ではないのだから、岡を照らすことはない」ということだと思いますが、だからどういうことを言いたいのか、それが分かりません。「輝岡」に何か暗示があるのでしょうか。そうでないと、単に当たり前のことを言っただけの句になり、全体の収束がぼやけてしまう気がします。
2001.11.25 by junji