創作を始めて約二年「初学詩偈法」読書中です。
漢詩創作初心者の漢詩は「亡霊の寝言なり」と、上手下手は抜きにして一生懸命取り組んだ者にとっては大きなショックでした。
今後より奮起して頑張ります。一層の御批正の程をお願いします。
作品番号 2001-76
墓 参
双親阿兄埋墓垣 双親阿兄 埋(おさ)まる墓垣に
幾回想望迎穏盆 幾回(たび)か想望して 穏(おだや)かに盆を迎う
肉声如聞上苔碣 肉声聞こゆるが如し 苔碣の上
何日我行前世論 何(いつ)の日か我行きて 前世を論ぜん
<解説>
瞬時にも忘れた事のない両親と阿兄、墓前に立ちて唱える般若心経、
只ひたすら報恩感謝あるのみ
このページの投稿詩はたいへん参考になります。毎回楽しく拝読させてもらっています。
今後一層努力し頑張りたいと思いますので、どうぞよろしくご指導ください。
<感想>
お手紙を拝見しました。古希を過ぎておられるのでしょうが、若々しい表現で、言葉に力強さが感じられます。創作のお役に立てますように、私もホームページの更新を急ぐようにします(・・・・反省)。
さて、今回の詩についてですが、平仄については私の見るところでは、起句と転句で「二四不同」が、起句と承句で「二六対」が破られています。「二四不同」「二六対」は、近体詩の大切な条件ですので、これは守るようにしたいものです。
用語、語順の関係では、起句の「埋墓垣」は表現が直接過ぎるでしょうし、今目の前で「埋めている」わけではないでしょうから、「臥」とか「眠」「寝」などを使ったらどうでしょうか。
承句は「迎穏盆」の語順が、このままでは「穏かな盆を迎える」意味になりますので、やや書き下しとは意味が違うようですね。「穏迎盆」とすれば、語順と平仄は良くなります。
転句は、「上苔碣」がこれでは「苔碣に上る」となりますので、「上」の字を最後に持ってきたいところです。
結句も語順としては「論前世」となるべきなのですが、韻字の関係で入れ替えることになります。こうした入れ替えは許容範囲の中です。
ただ、「前世を論ずる」というのは分かりにくい言い方ですね。冥界に行った後だから「前世」とは「現世」のことになるのでしょうが、この詩を書いている作者自身は勿論「現世」の人なわけですから混乱します。一般的には、「盛時」「生時」「昔懐」などの語を用いれば表現意図は伝わると思います。
「初学詩偈法」は私も以前読み、詩句の構成を学ぶ上でとても参考になりました。服部承風先生は「初心者はダメだ」と仰っておられるのでは決してなく、形式を整えれば良しとする初心者の気のゆるみを指摘して下さっているのだと私は思っていますよ。頑張りましょう。
さて、次は叙景の作を、是非とも見せていただきたいですね。
2001. 6.29 by junji
作品番号 2001-77
夏 夜
蕭蕭草靡鐸玲瓏 蕭蕭草は靡き 鐸玲瓏
昃日沈山涼気漂 昃日山に沈み 涼気漂う
聞一鶏鳴声上日 一鶏鳴声聞きて日は上り
暁天鮮白月朦朧 暁天鮮かに白月朦朧
<解説>
今まで、あまり七言の詩は作ったことがないのですが、久しぶりに作ってみました。
鶏は、僕の家の近くの小学校に居るので、そこから考えました。
<感想>
徐庶さんの精力的な創作意欲に汲めども尽きぬ若さを感じます。うーん、本当にうらやましい。
さて、詩の方ですが、以前にも言いましたが、漢詩にはリズムがあります。七言の場合には、「二字+二字+三字」のリズム、五言の場合には「二字+三字」のリズムが基本としてあり、特に効果を狙うのでなければ、このリズムに即することが大切です。
というのも、私たちが漢詩を読む場合にもひとまずこのリズムで読み始めるわけで、破調のものは流れが滞ったり、読み違いを起こしたりしやすいものです。
今回の詩で言えば、転句・結句が読みにくく、意味が不明瞭です。
起句・承句ともに実景ですので、転句は「聞」の字を持ってきて、人為を表したいところですから、例えば「忽聞」としたり、「驚」の字を使ったり、まだまだ工夫できるのではないでしょうか。
結句もこのままでは、「暁天 鮮白 月朦朧」と読むことになりますが、それで良いのなら書き下しを変更しておきましょう。
承句の「昃日沈山」は、「沈」の字に違和感があります。「入」とか「落」ならばいいのでしょうが、「日が沈む」は日本の言い回し(和臭)ではないでしょうか。
尚、韻字については、「瓏」「朧」は「上平声一東」ですが、「漂」は「下平声二蕭」ですので、これは韻を踏んでないことになります。偶数句の踏み落としは厳禁。
2001. 6.29 by junji
作品番号 2001-78
哭鬼友之賀信 鬼友の賀信に哭す
君去黄泉未過旬 君黄泉(よみ)に去り 未だ旬を過ぎざるに
年更賀届夢魂頻 年更(あらたま)って 賀届(いた)り 夢魂頻り
空尋王母還魂薬 空しく尋ぬ 王母 魂を還すの薬
欲問輅生延寿人 問んと欲(す) 輅生 寿(いのち)を延ぶるの人
漠漠九泉思寂寂 漠漠たる九泉 思い寂寂
寥寥胸裏恨津津 寥寥たる胸裏 恨み津津
君之賀信不堪読 君の賀信 読むに堪えず
一見断腸悲涙新 一見して 腸(はらわた)を断ち 悲涙新たなり
<解説>
「守夜」で述べた友人は暮れも本当に押し詰まってから亡くなったので、亡くなった筈の人から年賀状が届きました。私も賀状を出していたので、意外ではなかったものの、実際に届くと悲しみはひとしおです。
起聯で逝去から新春迄の様子を述べ、
頷聯で夢を暗示する二つの故事を対句にし、
頚聯では夢から醒めて相手と自分の気持ちを推し量って叙し、
尾聯で届いた年賀状に対する遣り切れぬ想いを述べてみました。
[語釈]
「王 母」:崑崙山に住む西王母のこと(淮南子)
「輅 生」:易の名人管輅のこと(三国志演義69回)
[訳]
貴方が亡なって十日も経たない中に、年が代わって年賀状が届き、しきりに夢を見る。
(夢の中では)死者を甦らす霊薬を西王母に求めたり、夭折する筈の若者の寿命を延ばした南斗の居場所を教えた管輅をたずねようとしたりした。
(夢から醒めると)遙か広い九泉の裡で、貴方は今きっとこの上もなく寂しい想いで居ることだろう。うら寂しい私の心ので裡は(それを思って)君への悲しみが溢れんばかりだ。
(亡くなった)君から届いた年賀状は、とても読む気になれない。一目見ただけで、胸が張り裂け、悲しみの涙が新たに湧いてくるのだ。
昨年始めて投稿した頃は、何も判らず、単に字が揃っていれば対句だと思って、大恥を掻きました。
その直ぐ後で真瑞庵先生の対句に対する先生方のコメントがあり、対句とはこんなに難しいモノかと驚き、とても書けないと思いましたが、今度やっと律詩を書いてみました。
「九泉」は名詞、「胸裏」は場所ですが、ここでは「九泉」も「胸裏」も場所と考えられる、と勝手に思って対句としました。
「胸裏」に代わって「茫茫心事」も考えたのですが、それだと字だけ合っても、(心事の内容が恨みに充ち充ちている)と言う意味になって、却って対さなくなると思い、「胸裏」の方をを採りました、たぶん誤りかも知れません。
<感想>
亡くなった方からの年賀状という、頭では起こりうる可能性は理解できても、現実としてはあまりにも劇的な出来事だったと思います。Y.Tさんのお気持ちに本当に共感します。
一般的に、自分の深い感慨を詩にする時には、自分の思いを何に託して語るか、が重要なのですが、「死後に届いた年賀状」という素材だけで、これ以上無いくらいの具象化が行われているわけです。既に完成しているドラマに更に何を語らせるのか、難しいところだと思います。
私の印象としては、前半の四句でこの詩は完了していると言えます。後半に使われている作者の心情を表す言葉、「寥寥胸裏恨津津」も、「不堪読」「断腸」も、詩の中で一度使えば全体をまとめてしまうような強い言葉ですので、重ねて使う時の効果(逆効果)を見なくてはならないでしょう。
「九泉」と「胸裏」が対として適するかどうか、よりも、私はここで自分の胸の内を語るべきかどうか、という構成の方を考えたいのです。
衝撃的な出来事ほど、私たちはそれを詩として語りたいし、自分の思いを伝えたいものですが、激情に流されずに、心情語を抑制して描くことが大切です。今回の詩は、発展の可能性を十分に含んだ前半部のトーンを何とか後半まで維持することで、素晴らしく変身する筈だと思います。
2001. 6.29 by junji
作品番号 2001-79
暑 気
燠燠餔時暑 燠々として餔時暑く
遅遅夕影玄 遅々として夕影玄し
涼風吹日降 涼風吹いて日は降り
昏黒月茲鮮 昏黒月茲(ますます)鮮やか
<感想>
徐庶さんからの作品は、表現の新鮮さがとても面白く、いつも楽しみにしています。
さて、五言絶句の場合には、最短詩形というわけで、字数が当然少なくなります。したがって、出来るだけ表現の重複は避けたい所です。
この詩では、夕方を表す言葉が、「餔時」「夕」「昏黒」と続き(「夕影」も入るでしょうか)、時間的に多少の動きはあるにしろ、重出の感は否めません。
また、「暑」や「涼」の言葉も、出来れば使わないで、景物によって表したいところです。題名がそもそも「暑気」とあるわけですから、それを何によって表現するか、が大切でしょう。
2001. 7. 8 by junji
作品番号 2001-80
廬山途上之作(其之一)
懐留筆達苦無蹤、 懐を筆達に留めて苦に蹤無く,
廟塔晴嵐緑樹叢。 廟塔は晴嵐 緑樹は叢。
堆堆雪峯雲靉靉, 堆堆たる雪峯 雲靉靉,
蒼蒼竹澗霧濛濛。 蒼蒼たる竹澗 霧濛濛。
君覘草頭應花白, 君が草頭を覘えば應に花は白く,
我望林梢已葉紅。 我が林梢を望めば已に葉は紅し。
誰寄好嚢詩骨健? 誰に好嚢 詩骨の健なるを寄せんか?
危岩磴桟徑重重。 危岩の磴桟 徑は重重たり。
作品番号 2001-81
廬山途上之作(其之二) 用中華新韵
重重徑桟磴岩危, 重重たる徑桟 磴岩危く,
健骨詩嚢好寄誰? 健骨たる詩嚢 好し誰に寄せんか?
紅葉已梢林望我, 紅葉は已に梢 林は我を望み,
白花應頭草覘君。 白花は應に頭 草は君を覘う。
濛濛霧澗竹蒼蒼, 濛濛たる霧澗 竹は蒼蒼,
靉靉雲峯雪堆堆。 靉靉たる雲峯 雪は堆堆。
叢樹緑嵐晴塔廟, 叢樹の緑嵐 晴塔の廟,
蹤無苦達筆留懐。 蹤に苦達無く 筆は懐を留む。
<感想>
現代中国で口語詩に用いられる「中華新韵」での韻を見るのは、「其之一」の方はまだ通韻の範囲で読めますが、「其之二」の方は難しいですね。
、先日、舜隱さんがお手紙で、
「Yahoo!台湾」で検索していたら「詩韻新編」という物を見つけました。
と教えていただきましたが、詳しくは中山さんのホームページでしょうか。
2001. 7. 8 by junji
作品番号 2001-82
拝陽山大覚禪師供養塔 陽山の大覚禅師供養塔を拝す
開山修行地 開山、修行の地
塔影落春芳 塔影は春芳に落つ
巡拝遠来侶 巡拝、遠来の侶の
恭供深謝香 恭供す、深謝の香を
名僧明自性 名僧、自性を明らめれば
仏法益他郷 仏法は他郷を益す
直指人心教 直指人心の教え
伝承全不蔵 伝承して全く蔵せず
<解説>
母親が建長寺開山(蘭渓道隆)の参拝ツアーで中国に行った時に託したもの。行かないで作っているのも横着ですが。
[訳]
開山が修行したこの地。塔影は春の花に落ちている。
巡拝する遠来のともがらは、深く感謝する香を供える
名僧(大覚禅師)が自性を明かに悟って、仏法はよその地に利益をもたらした。
禅の直指人心の教えは全て(日本に)伝わって、蔵するところがない。
禅にうといから、後半は変かもしれません。中の対句を工夫することだけ考えて、学道精進の心境を吐露するなどからは遠い話です。
この前、久しぶりに「大法輪」の漢詩欄を立ち読みしたら、例によっていつもの詩が載っていました。個人的には折り目正しい漢詩らしい漢詩がよいと思っているので、そこに掲載された作品の措辞、発想の相似が気になるわけではありません。
しかし、このページの皆さんの作品の方が、漢詩らしさもめざしながら猶、自分の言いたいことを自由に、直截に言おうとする意志が感じられます。
あえて不自由な形式に身を起き、マンネリズムと向き合いながら、独自の表現を追及するのが、私にとっての漢詩です。
<感想>
頚聯はまだ追えますが、尾聯の「直指人心教」はよく分かりません(私も禅の知識に欠けていますので)。少し解説をつけていただけると、理解しやすくなるでしょう。
逸爾散士さんがお手紙の最後にお書きになった「あえて不自由な形式に身を起き、マンネリズムと向き合いながら、独自の表現を追及する」には、全く同感ですね。「平仄討論会」でも、皆さんが漢詩に対して色々なお考えで向かっておられるのがよく分かります。
古人の詩型に則して、古人の用いた言葉を使って、尚新しい表現を求めるところに面白さを求める、というのも、大切な取り組み方だと思います。
2001. 7.18 by junji
作品番号 2001-83
蒿里曲
徒余子 徒余子
知何者 知んぬ 何者ぞ
恐在五雲閣 恐らくは五雲閣に在って
應知遭酒禍 應に知るなるべし酒禍に遭うを
罪得降世間 罪せられて世間に降り
地上酒仙也 地上の酒仙たり
性豪嫌甜酒 性 豪にして 甜酒を嫌い
長醉耽嗜夥 長に醉って 耽嗜夥し
雖不軽細行 細行を軽んずると雖も
豁達俗念寡 豁達たりて 俗念寡し
游芸愛風流 芸に游びて 風流を愛し
博学兼文雅 博学と文雅と
結交多文林 交を結ぶは多くは文林
竭力創吟社 力を竭して 吟社を創め
身投翰墨場 身を投ず翰墨の場
筆力如大厦 筆力大厦の如し
天帝憐其才 天帝其の才を憐れみ
恕罪賜仙果 罪を恕して仙果を賜う
使君還瑤京 君をして瑤京に還らしめ
白鶴下郊野 白鶴を郊野に下しめす
告別朋友集 別を告げて朋友は集い
坐中涕洟堕 坐中涕洟を堕す
想起去年春 想い起す去年の春
酌酒紅花下 酒を酌む紅花の下
年年亦歳歳 年年亦歳歳
如旧花嫋娜 旧の如く花嫋娜たり
今日還逢春 今日還た春に逢い
春遊歡未可 春遊歡び未だ可ならず
春帰人不帰 春帰るも人帰らず
花下低眉坐 花下眉を低れて坐す
酌酒不能醉 酒を酌むも 醉う能わず
卻恨残葩妥 卻って恨む残葩の妥るを
君逝誰提将 君逝いて誰か提げ将たん
綵霞余哀惹 綵霞 余哀惹く
情至悼往事 情至れば往事を悼み
呑涙如聾唖 涙を呑めば 聾唖の如し
詠言為相弔 言を詠じて 為に相弔わん
命也奈何我 命也 我を奈何ん
<解説>
古詩で長編です。
詩は高菁邱の菁邱子の歌を真似て作りました。「徒余子」は和田登代子といいまして、号は徒余で、毎日新聞の文芸部で活躍された方です。『敦煌』の井上靖とは共に机をならべた同僚で、井上靖が関西にくれば必ず一番先に連絡をとるという間柄で、奥様とも昵懇だったらしいです。
我々は 、井上靖の話を聞くことが楽しみでした。嘯嘯会は、和田登代子 の発起で出来ました。
[語釈]
「甜 酒」:甘口の酒
「紅 花」:桜の花
<感想>
謝斧さんからは、「サイトの主旨と異なり、差し支えがありましたら没にして結構です」とお言葉をいただきましたが、皆さんの関心も高い謝斧さんの作品ですので、論なく掲載です。
古詩を読む時には、私はいつも『万葉集』の長歌を読むような感覚でいます。定型のリズムに乗りながら、波にたゆとうように場面が展開していくスケール感は、短詩形の緊張感とはまた違った趣です。
勿論、それは「読む側」の感覚で、「創る側」はまた違うリズムがあるのでしょうが。
2001. 7. 18 by junji
作品番号 2001-84
訪友人 (二)
溪聲深處訪同人 溪聲深處 同人を訪う
退職忘情離世塵 職を退き情を忘れて 世塵を離るる
雲静鳥啼風歴耳 雲静に鳥啼き 風 耳を歴る
山花含涙不言貧 山花涙を含んで 貧を言わず
<解説>
第74作の「訪友人」の後半を作り直したものです。
<感想>
詩を作り直して行く場合に気をつけることは、全体を見る目を常に保つことでしょう。
俊成さんのこの詩の場合には、前半に人事が描かれていますので、後半は景を描く展開、そう言う意味では作り直しやすい構成になっていると思いますが、全体のバランスとしては改めた結果はどうでしょうか。
転句を「音」で揃えたのは良いのですが、起句に既に「渓聲深處」として聴覚を使っています。結句も「不言貧」とここでも聴覚が働いていますので、結果として転句が生きていません。
結句については、前作でもそうでしたが、「山花含涙」の比喩が飛躍が大きいようです。友人をそのまま描いた方がよいのではないでしょうか。
2001. 7.18 by junji
作品番号 2001-85
在移情閣的六角堂憶孫文 移情閣の六角堂にありて孫文を憶う
雌伏多年在異郷 雌伏 多年 異郷に在りて
剣磨壮士滅清皇 剣を磨きたる 壮士 清皇を滅す
黄昏海峡橋梁下 黄昏 海峡の橋梁下
已絶行人六角堂 すでに絶えたり行人 六角堂
<解説>
仕事の都合で神戸から鳴門に行く際、舞子でバスに乗りました。(明石海峡の玄関口です)
待ち時間にあたりをぶらぶらしていると、偶然、移情閣という処があり、孫文記念館があるのを知りました。時間の都合で中に入れませんでしたが、漢詩を作ってみました。
六角堂はその中の建築物で孫文が神戸に立ち寄った際にそこで食事もしたそうです。
<感想>
「移情閣」というのは、私は初めて聞きましたが、命名に何か由来があるのでしょうね。ご存知の方は教えて下さい。
題については、「移情閣的六角堂」の「的」は不要と思いますが、どうでしょう。
承句は主旨はよく分かりますが、「滅清皇」は、詠史の詩ならばともかく、この詩では表現が直接的過ぎるでしょう。「剣磨」も語順が逆ですね。
転句は冒韻が許されるとも言われますが、「黄」も「梁」も韻字ですので、音としてはややくどくないでしょうか。
結句で寂寥感を出そう、ということでしょうが、「六角堂には人影も絶えた」ということと、前半の「雌伏」の「壮士」のつながりに、飛躍がある気がします。結句はよく目にするこなれた表現ですが、そのこなれた部分に乗っかり過ぎて、やや安直な結びでしょう。
転句までの工夫が結句で飛んでしまったようで、もったいないと思います。結句の四文字を是非推敲して下さい。
2001. 7.19 by junji
作品番号 2001-86
霖雨之間
雲氣僅開霖雨休 雲気僅かに開き 霖雨休むも
無風註卻催憂 風無く 羽扇は却って憂いを催す
田間小徑蛙聲響 田間の小徑 蛙聲響き
日盡試登城址邱 日尽きれば試みに登らん 城址の邱
<解説>
長らくご無沙汰しておりました。久しぶりに投稿させて頂きます。
何日か降り続いていた雨がやっと上がったかと思えば、今度は気温が急上昇し、本格的に夏が来たことを実感した時にできた詩です。
雨上がりということでただでさえ湿気が多くなっている上に、風ひとつ吹かず、「羽扇(ゥ葛亮の持っているような立派なものではなく、横浜の中華街で200円ほどで売っていた鳥の羽でできた団扇です。)」で扇いでも生温かい湿った風が吹いてくるだけ。承句の「註卻催憂」とはこのことです。
「城址邱」とは岐阜市にある「鷺山」のことで、山とは言っても頂上まで登るのに5分程しかかからない小さな邱です。
日本の戦国時代に詳しい方ならご存知だと思いますが、織田信長の妻、濃姫の父である斎藤道三が晩年隠居していた城のあったところです。もっとも、今では嘗てそこに城があったということさえ不思議なことのように感じられますが。
<感想>
舜隱さんのお住まいの岐阜は、斎藤道三や織田信長がその本拠とした歴史的な街ですね。「岐阜」という地名も信長が命名でしたよね。司馬遼太郎さんの『国盗り物語』を夢中になって読んでいた頃を思い出します。
起句承句が言葉がもたつく感じで、説明くさくなってますね。「催憂」などは、わざわざ言葉にしなくても、叙景だけでも十分伝わると思います。
後半はすっきりと流れて、分かりやすくなってますが、その分、爽やかさが出てきて、全体の調和の点では「??」というところでしょうか。
でも、この季節の心情がよく出ていて、楽しい詩ですね。
2001. 7.19 by junji
作品番号 2001-87
老紅梅
梅樹経千歳 梅樹 千歳を經るも
春回復点脂 春 回(かえ)らば復た 脂(べに)を點ず
東風揺古木 東風 古木搖らぎ
花片舞紅絲 花片 紅絲舞う
墜地行成土 地に墜ちて 行(ゆく)ゆく土と成るも
有香猶満籬 香有(あっ)て猶 籬(まがき)に満つ
老来初志在 老い来たるも 初志在り
省己忸怩思 己を省み 忸怩の思いあり
<解説>
親友の家に梅の古木があり、二月に花を咲かせ、芳香を放ちます。かねてから、老いても花と香を保つ梅を詠んでみたいと思っていました。
最初、首聯と尾聯の五言絶句で作りましたが、五言律詩が作ってみたくて、改作しました。末句は冒韻になってしまいました。
対句が未だよく分からず、律詩に成ってないかも知れません。
頷聯「古木」は「東風」と他動詞で結ばれ目的語ですが、「花片」と「紅絲」は同じもので be 動詞で結ばれ、厳密には対になりません。
頚聯「墜地」と「有香」、是も「香」は目的語ですが、「地」は目的語ではなく、本来、前置詞をともなうものです。
しかし、「桂花風半落/煙草蝶雙飛」(于武陵:友人南遊不還)が対句なら、是でも良いのではと自分勝手に考え対句としました。
疑問に思うのは「曲徑通幽處/禪房花木深」(常建:題破山寺後院)や「一去春山裏/千峯不可尋」(劉長卿:寄霊一上人)が対句と認められている点です。
(以上、二例、三体詩:五言律詩、四虚に見える。他にも同様の例が 一意 以外の所でも散見される)
尚、頚聯は「零落成泥碾作塵 只有香如故」(陸游:卜算子)を借りました。
<感想>
まず、ご質問の件ですが、常建の「題破山寺後院」の「一去春山裏/千峯不可尋」についてですが、まず、詩全体を眺めましょう。
清晨入古寺 初日照高林
曲径通幽処 禅房花木深
山光悦鳥性 潭影空人心
万籟此倶寂 惟聞鐘磬音
実はこの詩につきましては、昨年の五月の「お薦め漢詩」で紹介しましたが、対句になっているのは、首聯と頸聯で、頷聯は対句になっていない「偸春体」という形です。通常は頷聯と頸聯が対句になります。
ですから、Y.Tさんが「これが対句か?!」と疑問に思われるのも当然なのです。
そういう観点で劉長卿の「寄霊一上人」をご覧になると、これも同じく「偸春体」であることが分かると思います。
さて、ではY.Tさんの今回の対句はどうか、ということですが、頷聯の対句は文字面だけならば問題ないと思います。ただ、「花片舞紅絲」の句は「花片が紅絲を舞わせ」となりますので、何のことか意味が分かりません。まず、意味が通じることが大切です。
頸聯も、時間の順序が逆なだけ意味が伝わりにくく、「有香」と「満籬」のつながりが不明確ではないでしょうか。もしくは、思い余って言葉足らず、という感じでしょうか。
尾聯は、「省己」が余分な言葉で、「忸怩思」で十分意は通じますので、もう一工夫できそうな気がします。
2001. 7.19 by junji
作品番号 2001-88
鎌倉行
提提鳥翊八幡宮 提々として鳥翊ぶ八幡宮
畏謹祈茲白髪翁 畏謹して茲れを祈るは白髪の翁
拝本堂沈吟裏降 本堂を拝み沈吟の裏に降れば
大鐘鳴鴿舞青空 大鐘鳴って鴿青空に舞う
<解説>
この前、鎌倉に遠足に行きました。いろいろな幽勝を見られてとても楽しかったです。
「提々」は鳥が飛ぶ様子
「畏謹」は恐れ謹む(そのまんま・・・)
鳩が沢山いて、周りを飛び回っていました。
ところで、起句の鳥と結句の鴿は、違う鳥ですので。
鐘は実際鳴らなかったのですが、鳩が「ばっ」っと急に飛ぶ様子を書きたかったので、鐘が鳴って飛んだことにしました。
<感想>
私も仕事がら、遠足や修学旅行に生徒を連れていくことは何度もありましたが、歴史旧跡を見学する時には、あらかじめ興味を持っている子とそうでない子では、随分と楽しみが違います。興味の無い子は露骨に「オレは行きたくねー!」という意思を態度で示したりもします。
ところが、いやいやでも実はいくつか見ていると、次第に関心を持つようになってくるんですね。勿論興味の持ち方は様々ですから、「ここの陳列ケースの方が大きい」だの、「部屋の匂いがここは嫌だ」だとか、本来の鑑賞対象とは別のことに気を取られることも多いようですが、それでも、個々の生徒が自分で見始めている証拠ですよね。
こうした生徒の変化を、「あきらめたから」とか「ポーズを作っているだけ」とか消極的な評価をする人も居ますが、私は生徒が知的刺激を受けて関心が高まったからだと思っています。良質の素材を与えていけば、大部分の子ども達は自分なりの反応を始めるはずなのです。
小さな時から、若い時から良いものを目にし、耳にする機会を多く与えることが、やはり必要なのだと思います。大人が相手の興味のレベルに合わせることはないのでしょう。
徐庶さんが鎌倉に行って楽しんだという話を聞いて、そんなことを思いました。
さて、詩の方ですが、リズムの問題で言えば転句が気になる所です。結句は徐庶さんの意図とは別にして、「鴿」が鳴いたと理解すれば読むことはできます。
構成としては、承句が「白髪翁」で終わったので(倒置法)、転句の「拝」んでいる主体がやはり「翁」のように感じます。起句承句は叙景なので、承句ではこの老人を頭に持ってきて、主語述語を普通の形で並べて、すっと流した方が、転句の主語転換が生きてくると思いますよ。
2001. 7.20 by junji
作品番号 2001-89
花宴懐人 花宴、人を懐う
看櫻京洛盛 看櫻、京洛に盛んなるに
才媛北方尋 才媛は北方を尋ぬ
神水嬌聲起 神水、嬌聲は起り
信州寒色深 信州、寒色深し
落花微妙意 落花、微妙の意
残雪幾多心 残雪 幾多の心ぞ
酣宴芳姿缺 酣宴に芳姿を缺く
黙然聞酔吟 黙然として酔吟を聞く
<解説>
今年、神田川(東京のビルの真中を流れているけど早稲田辺に桜が多い)でお花見したとき、松本に仕事でいっているから行けないと言った女性に贈った詩。
江戸漢詩で隅田川は「墨水」というけど神田川を「神水」なんていっていいのかなとも思います。
対句は眼前の景色と相手を思いやっての想像。「幾何」のほうがいいかな。
「花の散るのを見て私には微妙な思いがあります。残雪の中、あなたはどんなお心でしょうか。」ぐらいのつもり。「才媛」といわず「官遊」とでもいえば友情の詩でしょうね。
今年、漢詩を再開しての第1作。季節はずれだけど、どこかに遺しておこうかと…。
<感想>
このホームページは、逸爾散士さんのおっしゃるような形で、漢詩を作られた方の記録として使っていただいても全く構いませんので、どんどんお送り下さい。
さて、この詩では問題は「神水」ですね。神田川を詠んだ詩を探すことなのでしょうが、私にはちょっと分かりません。ただ、このままでは固有名詞とは読めないでしょうから、やはり使いにくいでしょう。
頸聯の「微妙意」と「幾多心」は内容として対にはし難いようです。どちらももう少し具体的な心情を述べた方が良いのではないでしょうか。特に頷聯と頸聯が、聯の中も聯同士も対になっているというように構成が複雑になっていますので、あまりあいまいな表現は避けたいところです。
2001. 7.21 by junji
作品番号 2001-90
出舟従備前片上浦、偶見長島有感 舟を備前片上浦より出し、偶々長島を見て感有り
棲島隔坤纔一水 島に棲み 坤(つち)を隔つるは纔かに一水
宿痾離世渺千山 宿痾 世を離るること 千山の渺(はるか)なり
眼前如睡是長島 眼前 睡るが如し 是れ長島
青樹碧油亭午閑 青樹 碧油 亭午閑なり
<解説>
先日、瀬戸内海にカヤックで漕ぎだして遊びました。その時、偶々、長島を見ることができました。
ハンセン病の患者さんたちの思いの籠もった島で、軽々に話すことができない重いものを感じましたが、眼前に見える島は初夏の燦々と輝く日光の下で何もなかったような静かな佇まいを見せていました。
<感想>
禿羊さんのこの詩は、構成上本当にすばらしい詩だと思いました。
起句承句の「隔坤纔一水」と「離世渺千山」の対句によって、この隔ての原因が「宿痾」であったという不条理性の歴史が明確に主張されています。
転句からは一転穏やかな自然の景が描かれていますが、のどかであればあるほどに、抑制された怒りの表現が浮き上がってくる気がします。
私は「最も恐ろしい残虐は笑顔の中の殺意だ」と思っています。私たちは美しい自然の中に暮らしていれば心も美しくなる、という錯覚の中にいるのではないでしょうか。どんな環境であれ、大切なのは私たちがそこでどれだけ知性と理性を保つか、ということ。
そういう意味では、禿羊さんのおっしゃるように、「何もなかったような静かな佇まい」だからこそ、一層の重さや悲しみ、自らの心の痛みを感じるのだろうと思います。
余韻がいつまでも心の奥に残る、そんな詩ではないでしょうか。
2001. 7.21 by junji