作品番号 2001-181
訪学舎跡
此地君通処 この地 君通ひし処、
共過青春時 共に過ごすは青春の時。
季移学舎無 季移り学舎は無く、
唯語対緑枝 ただ緑枝に対して語る。
誰待石階跡 誰待つか石階の跡、
今在人不知 今あるを人知らず。
<解説>
広島大学は現在広島市内には無く、「西の筑波たらん」として、東広島市に統合移転しています。
私の大学生時代(1980年代前半)は、ようやく移転が始まった頃でした。広島市の千田町にあった本部キャンパスは最後まで残っていましたが、1980年代末には完全移転が完了し、現在利用のめども立たずただっぴろい公園となっています。
被爆建物でもある旧理学部は保存のため?に建物は残っていますが、他の校舎などはすべて更地になっています。キャンパス当時の道と並木はそのままです。私自身は広島大学は受験しましたが不合格だったため、他の大学に通いましたが、サークルの関係で半分広大生のようにキャンパスに出入りしていました。
先日この跡地公園を訪れたところ、当時の道のそば、旧教育学部と思われる所に校舎の基壇が残っていたのを見つけ、この作品ができました。
中学・高校と一緒だった女の子が教育学部に通っていましたので、もしかして姿が見られないかな・・と、よく教育学部には顔を覗かせていましたのですぐに判りました。
作品中の「君」と「人」はこの女の子と考えてもいいですし、同時代に此処で学生時代を過ごした不特定の人々としてもいいと思います。
<感想>
六句による詩は、王維や李白の作品にも幾つか見られますよね。高青邱にもかなりありましたから、独特の面白さがあるようです。構成的には、絶句プラス二句という感じでしょうかね。
三句目の「学舎無」は主語述語の関係からは「無」の字を前に置きたいところです。「学舎朽」という形にした方がよいでしょう。
五句目はよく分かるのですが、六句目は原文で読んでも書き下しを読んでも、意味がよく分かりません。「在」と「不知」の主語が異なることが原因かもしれません。あるいは、「在」を「残」とか「遺」にするとよいかもしれません。
全体では、時の流れをベースにして、金先生独特のどこか甘い香りのする寂しさが漂い、つい「そうそう、そういう気持ちわかるなー」とつぶやいてしまいますね。
2001.12. 2 by junji
作品番号 2001-182
感青衿 青衿に感ず
臥竜動地起雲雨 臥竜 地を動がして 雲雨を起し
雛鳳震天送大風 雛鳳 天を震わせて 大風を送る
君伐西戎吾北狄 君は西戎を伐て 吾は北狄
青衿早已是英雄 青衿 早く已に 是れ英雄
<解説>
半年ぶりくらいに「漢詩を創ろう」ホームページにアクセスしてみましたが、若い方々の活躍が目ざましいことに驚かされました。
私よりも先に投稿されていた舜隱さんに加え、中学生の徐庶さん、マヨっちさん、そして大学生の楚雀さん(私自身、去年の今頃、初めて投稿した時は大学4年でした)。
これからとても楽しみですね(……って、自分も精進せい)。
<感想>
久しぶりですね、本当に。就職という環境の変化の中で、少し自分を見る余裕が出たという時期でしょうか。お元気そうで、うれしく思います。
若い世代の活躍は、まさに職場の活力、漢詩の世界でも同じことですよね。観水さんも勿論お若い世代ですが、それにしても「後生畏るべし」という感じ、まったく同感ですね。
観水さんの最新作は、まさに若い世代の才能を歓迎すると同時に、共に頑張っていこうというあたたかい気持ちにあふれていて、読んでいてほんのりと優しい気持ちになってくる作品です。
生意気に言わせていただけば、観水さんが心の面でもまた一回り大きくなったことを感じさせられるようで、若者っていいなぁとこれも久しぶりに思わせていただきました。感謝感謝です。
転句の句中対が効果的で、スケールを大きくしていますね。
2001.12. 2 by junji
作品番号 2001-183
秋夜偶成
富貴何論高志人 富貴 何ぞ論ぜん 高志の人
自誇短褐弊裘身 自ら誇る 短褐 弊裘の身
寒窓月下還家夢 寒窓 月下 還家の夢
絡緯声中見老親 絡緯 声中 老親に見ゆ
<解説>
志が高い人は、富貴の事は気にしません。
ひどい身なりも、むしろ誇りです。
夢の中で、両親も誉めてくれることでしょう。
まだ暖房は使っていないし、かといって特に厚着をしているわけでもない。
だからもういいかげん夜は寒いです。
そんなおりに出来たものです。
<感想>
うーん、親の心情として「短褐弊裘」の息子の姿を誉めるのかどうか、は難しいところですね。
私はまだまだ未熟者ですので、子どもの姿を見てはつい文句を言いたくなる場面が多いのですが、観水さんのご両親はきっと観水さんに信頼を寄せて下さってるんでしょうね。反省反省。
起承転結の構成で言えば、この転句は大きく展開していて、とても良いですね。下宿や一人暮らしの姿が目に浮かび、胸に迫るものがあります。結句の「見老親」をどういう気持ちとして読むべきか、ここからだけでは分かりません。でも、そこが読者にゆだねられているのだと思えばよいのでしょう。
私は、「ぼろは着てても心は錦、という気持ちで頑張っているが、夜中に月明かりの下、故郷の夢を見た時に、その夢の中に年老いた親の姿を見せて、ふと寂しくなってしまった」という構成で読みましたが、それもまた良い詩だと感じました。
そうそう、題名については、「偶成」を取って、「秋夜」だけの方が良いでしょう。
2001.12. 2 by junji
作品番号 2001-184
題畫 画に題す
峻嶺連天雲往還 峻嶺 天に連なって 雲往還す,
泉聲静處是仙寰 泉声 静けき処 是れ仙寰。
長年住在長松下 長年 住んで長松の下に在り,
偏愛清流又愛山 偏に清流を愛して 又た山を愛す。
<解説>
「桐山堂」の方でも話題になっている日中友好漢詩協会に入会することになりました。国内では珍しく現代韻による作詩を奨励している吟社ということで、私も現代韻の勉強を始めてみたのですが、まだ入声の扱いや韻目が減ったことによる冒韻の処理などにいま一つ慣れていません。
当面は平水韻で書いていこうと思っています。
さて、最近なかなか詩が書けない状態が続いていたのですが、何か無理にでも題を設けて書いてみようと思い立ち、近所の日本画の展示を見に行きました。
帰りがけに買いこんできた絵葉書の画に詩を付けてみようと試みて、どうにか1首完成したものです。
もとの画の方はほぼ詩の内容通り、山居の図でした。
<感想>
今にも白鬚の翁が姿を現してくるような、いかにも「山居」と言うにふさわしいような詩になりましたね。転句がややもたれたような感じがしないでもないですが、結句のリズム感がうまく救っていると言えます。
逆に結句はリズムの良さに流されてしまったようで、清流を「愛」するは書き過ぎでしょう。「泉聲静處」「長松下」に「長年住在」しているのですから、好きなのは分かりますので、ここは「汲」なり「濯」なりの動作が欲しいところでしょう。
対の効果は薄くなりますが、そう展開させれば、結句の下三字も生きてくると思います。
それにしても、その絵はがきの所にこの詩を添えれば、きっと映えることでしょう。楽しみですね。
2001.12. 3 by junji
作品番号 2001-185
少年行
近頃数聴凶行多 近頃数々聴く凶行の多きを
無乃少年憑妖魔 乃ちや無からんや 少年妖魔に憑るを
勿笑老人易為感 笑う勿れ 老人感を為すこと易く
看眼時事奈憤何 眼に時事を看ては 憤を奈何せん
荀卿説道人性悪 荀卿説く道らく 人の性や悪しと
不教義方道理錯 義方を教へず 道理錯つ
何異猛虎放城市 何ぞ異ならん 猛虎城市に放つを
少年多是性凶虐 少年多くは是れ性凶虐なり
脅得朋友奪金銭 朋友を脅し得ては 金銭を奪い
拉致衆人心平然 衆人を拉致して 心平然たり
或作狸奴狗児看 或は狸奴狗児の看を作し
徒好殺戮不畏天 徒に殺戮を好んで 天を畏れず
無奈先生教育拙 いかんともする無し 先生教育拙に
当事袖手遂蹉跌 事に当りては 手を袖にして遂に蹉跌する
縱遇苛虐無由逃 縱え苛虐に遇っても 逃るに由し無し
平生唯思生命絶 平生唯だ思うは生命を絶つを
<解説>
また古詩で申し訳ありません。
比較的短いので許して下さい。
[語釈]
「荀卿」:荀子「性悪説」を主張
「義方」:家庭内の徳義の教訓。
「道理」:人のふみ行うべき正しい道。 『荀子』(修身) 其行道理也勇
「先生」:老人で学問を教える人 転じて日本語の教師と同じ
「教育」:教えて立派な人物に育てあげる。 『孟子』(尽心) 得天下英才而教育之
「袖手」:何もしないでいる 手を拱く
<感想>
「少年行」と言えば、王維や李白の作品を思い浮かべます。
少年行 王維
新豊美酒斗十千 新豊の美酒 斗十千
咸陽遊侠多少年 咸陽の遊侠 少年多し
相逢意気為君飲 相逢うて 意気 君が為に飲む
繋馬高樓垂柳邊 馬を繋ぐ 高楼 垂柳の辺
少年行 李白
五陵年少金市東 五陵の年少 金市の東
銀鞍白馬度春風 銀鞍 白馬 春風を度る
落花踏盡遊何處 落花 踏み尽くして 何れの処にか遊ぶ
咲入胡姫酒肆中 咲(わら)って入る 胡姫 酒肆の中
どちらの詩も、盛り場で遊び尽くす若者の姿を描いた詩です。そういう点では、いつの時代も若者という存在は年輩者からは白い眼で見られるものなのでしょう。ただ、謝斧さんが仰る現代の少年の姿と王維や李白の見る少年とは違いがありますね。
王維や李白のとらえ方には、少年達の行動を、困ったものだとしながらもそれでも認めてやろうか、というような温かさがあるように感じます。極端に言えば、かつてはオレもそうだったけども・・・というような、そんな先輩としての目があるのではないでしょうか。
現代の少年達への見方は、どうもそうしたものではなく、まったく異質の存在、相容れることのない異人種としてしか捉えられない、そんな息苦しさが感じられます。
考えてみると、王維や李白のような見方は、千年以上も昔のことではなく、つい30年ほど前までは私たちの身近に存在していたように思います。
私自身を振り返っても、学生時代に夜中に騒いだりしたことも、周りに迷惑かけたこともあったのですが、当時のお巡りさんは寛大な人が多かったですね。
現代の若者がもはや社会の連帯者にはなれないということは多くの人が直感的に思っていることかもしれませんが、もしそれが正しいとなってしまうと、まさに新世紀は切ない時代になってしまいますね。
期待をこめた目を向けられるような、そんな若者を育てなくてはいけない、と私はつよく思っています。
2001.12.12 by junji
作品番号 2001-186
和秋
白雨何時思 白雨に 何れの時をか思ふ
天晴帰路忘 天晴れ 帰路忘る
済他大楽舟 他を済たす 大楽の舟
五色和秋浪 五色 秋浪に和す
<解説>
ご無沙汰しておりました。三耕です。
久しぶりに新体詩ができましたので投稿させていただきます。
NHKの「聖徳太子」を観ての作です。
ちょうど「法華経」を読んでおりまして、聖徳太子の著とされる「法華義疏」も手元に置いているところです。
[語釈]
「白雨」:秋雨。「白」は秋を表す色。白秋。
「済」:わたす。
「五色」:紅葉の様。
<感想>
三耕さんの作品を久しぶりに拝見しました。五言の中に深い含蓄、三耕さんのいつもの息づかいが感じられるような詩だと思いました。
起句の「白雨」は、にわか雨という意味だと思っていましたが、こうした用例はあるのでしょうか。「白」が秋を表すのは分かりますが・・・
あと、転句が難しいですね。「大楽舟」というのは何か典拠があるのでしょうか。私は「私はここで紅葉に見入っているのだが、他の人はそんな私を放って行ってしまった」という意味かな、と思いましたが、どうでしょうか。
結句の「五色和秋浪」はスケールの大きな表現ですね。
2001.12.12 by junji
作品番号 2001-187
遊天龍寺 天龍寺に遊ぶ
龍閣亀頭秋氣白 龍閣の亀頭 秋気白く
曹源池畔錦楓浮 曹源池畔 錦楓浮かぶ
仰望天濶雲光淡 仰望 天濶く 雲光淡し
借景嵐山滿兩眸 景を嵐山に借りて 両眸を満さん
<感想>
西川介山先生の詩の感想ですが
「仰望天濶雲光淡」は少し工夫が足りないと感じています。
「天濶」とすれば、仰望したことがわかりますので、強いて断る必要はありません。「天高雲崩夕陽淡」とでもしたいのですが、どうでしょうか
2001.12.15 by 謝斧
作品番号 2001-188
深秋漫語
桂花花発幾家秋 桂花花発いて 幾家秋なり
籬外呼吾勧少留 籬外吾を呼びては、少く留るを勧む
手折香葩強分与 手ずから香葩を折っては、強いて分かち与え
主人得意語何休 主人意を得ては、語ること何んぞ休せん
<解説>
木犀の花が咲いて、それぞれの家に秋の気配が感じられます。
散歩している私を、籬を隔てて呼んで、少し休んでゆきなさいと声をかけられました。
その人は、自分で育てた、香りのよい木犀の花を、わざわざ手ずから折って、私にくれました。
その人は誇らしげに、此花の可憐さを、休むことなく、私に語りかけます。
此の作は自分の作品の中でもいい出来の方と思っています。
陸放翁の風を倣いました。
<感想>
庭の主人と作者である謝斧さんが、木犀の枝を挟んで向かい合っている光景が目に浮かぶようです。
日常の生活の一場面を切り取るのに、やはり日常の言葉を用いることが効果を出して、ほのぼのとした優しい詩になっていると思います。
秋の爽やかな陽射しまでもが感じられるような、そんな詩ですね。
2001.12.14 by junji
作品番号 2001-189
偶作
傾国諌言吟裏忘 傾国の諌言 吟裏に忘れ
老師鞭撻酔中聴 老師の鞭撻 酔中に聴く
詩壇諸彦如相問 詩壇の諸彦 如し相問わば
馬耳東風座右銘 馬耳東風は 座右の銘と
<解説>
謝斧です
この詩は揚田苔菴先生の作品です。(本人には無断で投稿しました)
先生は、広島のかたで、54歳 作詩歴は10年です。最近、漸く習作を脱さられた感じの詩が多く、作品は安定しています。多くは田園風景を叙述された詩が多いようです。
今回は一風変わった詩です。戯れに作られた詩ですが、それなりに巧みにつくられています。
<感想>
「傾国」「老師」「詩壇諸彦」と重ねながら、言葉で楽しく遊ぶという様子がいいですね。
「傾国」は推し量るには奥様のことでしょうか。私などは無駄な本買いでいつも「家を傾ける」と叱られていますので、うかつにこの言葉は使えません。
転句の「諸彦」は、謝斧さんは「諸友」の方が良いのでは、と仰っておられますが、私もその方が良いと思います。ただ、どちらが好きか、という程度の感覚での判断ですので、是非にということではないのですが。
結句は全体をまとめあげた佳句で「もう、これしかない!」という感じですね。まさに私の「座右の銘」として貰いたいくらいの面白さです。
揚田苔菴先生からのご指摘ですが、押韻については、起承が対句であり「忘」は仄用にしたとのことです。
2001.12.16 by junji
今年9月から始めたばかりの、インターネット初心者です。でもこんな素晴らしいページが有るなんて驚きました。先生はご病気だったご様子ですが全快されたのでしょうか?
最近は更新も間隔が短くて、それも楽しみです。
私は十年程も作詩歴がりますが、実際には年間5〜6首創れたらいいほうで、創ってみようという気が起きるまで時間が掛ってしまいます。時たまでもこちらへ送らせて頂きたいと思っていますので、どうぞ厳しいご批正をお願い致します。
作品番号 2001-190
大唐西域壁画有感 大唐西域壁画感有り
卅年追約致 三拾年 約を追いて致し
西域伽藍中 西域 伽藍の中
茫漠沙場阻 茫漠たる 沙場阻し
森厳須弥崇 森厳たる 須弥崇し
法師求法跡 法師の 求法の跡
画伯滅私功 画伯の 滅私の功
描得一仙境 描き得たり 一仙境
陶然塵気空 陶然 塵気空し
<解説>
二千一年元旦、薬師寺三蔵院伽藍では、平山画伯による、三十年前に高田管長との誓約による大壁画が完成されました。
玄奘の偉業を偲ぶこの壁画は13の壁面に7場面の構想を持って、長安大雁塔からインドまでに至る仏教求法の道を描かれました。中央の三つの西方浄土須弥山中央がご本尊、また左右は日光・月光菩薩を表わすものだそうです。
画伯は構想から完成までの30年以上の年月、中国・西域・インド等140回以上にのぼる取材旅行にも制作費も一切無償で、ただ玄奘三蔵に捧げる為にとの思いで描かれました。
<感想>
実は先月の23日、私も奈良の薬師寺に出かけ、平山画伯の描かれた「大唐西域壁画」を拝観してきました。
薬師寺の東塔から再建のなった西塔、回廊を眺め、しばし古代へのタイムトリップを楽しんだ後、壁画へと足を進めましたが、天井に描かれた星星の微かなきらめきにまで細かな配慮をされた大作に、しばし圧倒されて、足をつい停めてしまいました。
休日だったために拝観者も多く、残念ながら人の流れにあまり棹をさすわけにも行かず、すぐにまた歩き始めたのですが、一人ならば時を忘れて眺めていたいような、素晴らしい壁画でした。
別世界が突如出現したような、そんな思いに浸って、感慨深い一日を過ごしました。
祥苑さんのこの詩は、壁画の姿をよくとらえていて、「西域伽藍中」の句などはまさに納得の一句ですね。また、尾聯の「陶然塵気空」も、拝観者の心を余す所無く詠っていると思います。
頸聯の「法師」と「画伯」の対も壁画を語って、更に1000年の時の流れを一気にまとめ上げてあり、作者の工夫の感じられる表現ですね。
2001.12.16 by junji
作品番号 2001-191
歳暮
歳暮寒風舞 歳暮 寒風舞い、
門前落葉頻 門前 落葉頻り。
悲愁何故発 悲愁は何故発するか、
月照白頭人 月は照らす白頭の人。
<解説>
早くも年が変わろうとしています。
先生はいかがお過ごしでしょうか。
それにしても温暖化の影響か、身を切るような寒さというのが、都会では少なくなってきましたね。
なにか もの悲しくなります。一年一体何をしてきたのか。
予算達成を目的にする会社勤めですが、年月の過ぎゆく早さに圧倒されます。せめて、漢詩くらいは自分らしく書きたいものです。
先回の投稿につきまして、謝斧さんから感想、ご指導いただき、ありがとうございました。
<感想>
五言絶句の引き締まった句の展開にふさわしい、冬の厳しさを詠った作になりましたね。
転句から結句のまとめ方もよく、冬の夜の荒涼とした雰囲気がよく出ていると思います。「白頭人」が誰を指すのか、ということを考えながら、私は『去来抄』の「月の客」の一節を思い出しました。
岩鼻や ここにもひとり 月の客 去来
先師上洛の時、去来言はく
「洒堂はこの句を、月の猿、と申しはべれど、予は、客、勝りなんと申す。いかがはべるや」
先師言はく
「猿とは何事ぞ。汝、この句をいかに思ひて作せるや」
去来言はく
「明月に乗じ山野吟歩しはべるに、岩頭また一人の騒客を見付けたる」と申す。
先師言はく
「ここにもひとり月の客と、己と名乗り出づらんこそ、いくばくの風流ならめ。ただ自称の句となすべし。
この句は我も珍重して、『笈の小文』に書き入れける」となん。
予が趣向は、なほ二、三等もくだりはべりなん。先師の意を以つて見れば、少し狂者の感もあるにや。
はじめまして。
皆さんの交流が楽しそうに見えました。何というか、いい意味の縦のつながりと横のつながりというか。 人と人の関係が希薄な今日、詩というものでそれぞれの感性とか人生観等々が触れ合い世代を超えて感じあえる。
昔の私の大家族を懐かしく思い出しました。
作品番号 2001-192
看菊 菊を看る
清香繞舎又重陽 清香 舎を繞りて また重陽
素蕋年年凝艶粧 素蕋年年 艶粧を凝らす
満地佳人争料得 満地の佳人は いかでかはかるを得ん
手栽久客在他郷 手ずから栽えし久客 他郷に在り
<解説>
[訳]
清らかな菊の香りが家の周囲に漂い今年も重陽の時節となった
白い花は年毎に艶やかに美しさを増してゆく
地にいっぱいに溢れるように美しく咲き誇るあなたはきっと知らぬことでしょう
あなたをこの手で植えた私がもう長いこと異郷に暮らしていることを
実は投稿をずっと迷っておりましたが、歓迎していただいて安心致しました。
実は私も投稿欄を創ったことがありまして、現在も作品募集中です。人には声を張り上げ「投稿せよ」と言う割には自分は駄目なものです。
以下が投稿欄の所在です。
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三陸新報社
宮城県気仙沼市松崎柳沢228−100
三陸詩窓さんりくかんしのまど係
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三陸付近に住む人か、三陸に縁のある人の作品、または三陸、東北の自然や歴史、文化等にちなんだ作品が投稿の条件です。
機会がございましたならばぜひご投稿願います。
気仙沼は明治期に清国の王漆園も立ち寄り、詩を残しております。
それではまた。
<感想>
少し遅くなりましたが、改めて菊の花を楽しませていただきました。
仰るとおり、菊の美しさは香りと姿という、嗅覚と視覚に訴えるものによって成り立っていますね。その菊を丹誠こめて育てていらっしゃるのだろう、そんな作者の姿も目に見えます。
転句の「佳人」の比喩は、それでも私の心の哀しみを理解してくれない、という愛憎なかばするアンビバレンスなもどかしさでしょうか。冷たい美人を連想させて、ここでの比喩としてはとても適しているのではないでしょうか。
2001.12.16 by junji
偶々、ベージに出くわし、面白そうだったので、漢詩のルールもそこそこに作って見ました。
落着きましたら、正式に勉強したいと考えています。
宜しくお願いいたします。
作品番号 2001-193
上学府 学府に上る
河上之水帯薄陽 河上の水は、薄陽を帯びて
艾在萌芽被晩霜 艾は萌芽に在りて 晩霜を被る。
汝欲漕船上学府 汝は船を漕ぎて学府に上らんと欲す、
勿忘母待何日還 忘るること勿れ 母の何れの日にか還らんことを待つを。
<解説>
晩春の河沿い、いつもの通り朝日が川面を照らしている。
萌え始めた蓬は折りからの晩霜で白く覆われていた。
そんな日に私は田舎を後にした。
都会の書生暮らしは決して楽ではないが楽しい事だってあるものだ。
ふと故郷に残した母をわすれてしまい長い間帰省をしなかった慙愧の念が今でもよぎる。
その母はもういない。
<感想>
投稿ありがとうございます。
漢詩で何かを表現してみる、ということは、実行するまでのハードルが結構高く感じるものですよね。私も以前は「漢詩を自作するなんて自分とは無縁の世界さ」と考えていました。でも、始めてみると、決して低くはないけれど、ハードルを越える楽しさも十分にあります。是非、李白日さんもその楽しさを味わっていただき、このサイトの仲間に入って下さい。
さて、「正式な勉強」はこれから、ということですが、一句の構成(二字+二字+三字)、あるいは(四字+三字)という基本のリズム、漢文法については、それ程大きな破綻はなく、あとは平仄と押韻の問題だけだと思います。平仄については、このページの漢詩の音韻あたりから読んでいただけると、大体のきまりは分かってくると思います。
押韻は、これは詩を作る上での基本ですので、これは最低限守るようにしましょう。今回の詩では、起句の末字「陽」と承句の末字「霜」が同じ韻ですので、あとは結句末に下平声七陽に属する字を持ってくれば良かったわけです。
結句では、「忘」が一応下平声七陽に属していますので、これを最後に持って行ければ万事解決とはなりますが・・・・
内容としては、やはり結句が複文構造になっているため、誰が「何日還」なのかが分かりにくくなってます。一気に行こうとせずに、例えば「勿忘」などは思い切って省くなどすると、首尾が整うと思います。
この詩は、李白日さんの若いときの思い出を詩にしたものでしょうか。前半のもの寂しい叙景が旅立ちの不安な気持ちをよく象徴していますし、後半の「母」が一気に詩を切実で違和感のない作品に持ってきていますね。やはり「母の力」は偉大だということでしょうね。
もう十分に整った漢詩を作る力量をお持ちですので、是非、次は押韻にチャレンジ、次は平仄にチャレンジ、という形で一歩ずつ進んで下さい。楽しみに自作を待っています。
2001.12.26 by junji
作品番号 2001-194
与工廠長同避官賊土匪密発浮梁喜達潯陽江頭
工廠長とともに官賊土匪を避け密かに浮梁を発して潯陽江頭に達するを喜ぶ
秋浦高楼穿荻花 秋浦の高楼 荻花を穿ち
登臨客路尽天涯 登りて臨めば 客路の天涯に尽く
長風万里潯陽餞 長風万里 潯陽の餞
換酒浮梁朋故茶 酒に換える 浮梁朋故の茶
<解説>
潯陽江は九江付近の長江の呼び名で白楽天の『琵琶行』の舞台として有名。
また江畔の潯陽楼は『水滸伝』の英雄、宋江が壁に詩を書き付けたくだりで有名。
隣接する鎖江楼は明代の役人が洪水の鎮静を祈念して建設させた楼閣で、わが国の砲撃で損傷したというが本当か。
筆者の祖父が終戦時、武装解除後に抑留され、命が助かったのも九江。ここから長江を下り帰国する。工廠長は筆者と景徳鎮磁器の中興を目指す。彼の父親の胴体には日本の弾が貫通した傷痕がある。同じ江西省での出来事である。
今、兄弟の契りを結んだ工廠長とともに制作した官窯並の磁器の逸品を目にするとその存在と、われわれ二人の存在がいかに偶然が重なり奇跡的に存在するか、戦争が如何に惨いかあらためて思う。
しかし、友好のための磁器研究開発の成功は不幸にして金に目がくらんだ人達に争いを生むことになった。
この詩は悪人から命からがら逃れんとする筆者を工廠長が助けながら、共に景徳鎮を脱出し、九江に到着した折のものである。
怒り心頭の出来事も戦々恐々の道中も水平線が見えるほどの長江の雄大な眺めに考えるのも馬鹿らしくなり、別れに一杯やろうと思ったらこんな道中ゆえ酒も間に合わない。
しかし、さすがは茶の名産地景徳鎮の人。茶の葉だけは携えていた。餞に茶で一献と洒落込んだ訳である。
[訳]
秋の江のほとりで楼閣は高く生い茂る葦原を穿つがごとく聳え
楼閣に登って見下ろせば今来た道もこれから行く道も遠く天に接する辺りで見えなくなっている。
彼方から風が万里を吹き渡る潯陽での餞の席、
酒の代わりに景徳鎮の友人が携えてきた茶を頂くとしよう。
<感想>
送られてきた詩の題名を見た時には、一体いつの時代の話なんだと思いましたが、解説を読んで理解しました。
しかし、詩の方は特別な事情を知らなくても、友人との別れの一こまとして読めば、十分に整った作品ですね。「酒」ではなく「茶」というところも、言われればそう言うシーンもありそうに思います。
漢詩での送別や別れというと、つい酒がつきもの、「勧君一杯酒」という感じになりますが、そこを敢えて裏切るところに、個性的な場面が創出されていて、お茶でも違和感がありません。
解説に書かれたように、人の世の愚かしい出来事も「長江の雄大な眺めに考えるのも馬鹿らしくなり」という体験は、その程度の違いはあるかもしれませんが、誰もが人生のどこかで一度は感じるもの。大切なのは、それを何時体験し、その後の人生に生かしていけるか、かもしれません。
2001.12.26 by junji
作品番号 2001-195
秋日即事
些装騒客乗秋後 些か騒客を装いて 秋に乗じし後
鶉服入村迎吠狗 鶉服 村に入りて 吠狗に迎えらる
午余衢巷転悽然 午余の衢巷 転た悽然
落葉翻空風伯走 落葉 空に翻って 風伯走る
<解説>
秋のハイキングの時の情景です。
最初は転結を「松蕈陳舗値等金 飃香応飲一杯酒」 としたのですが、どうも結句が底の浅いものにしかならず、断念しました。
それで、李賀の「白昼万里閑凄然」を下敷きにしましたが、実際の情景でもあります。
<感想>
うーん、転結については、解説に書かれた初稿も楽しくていいんじゃないですか。松茸は高いから香りだけを貰って酒を飲む、なんて風情は、どことなく江戸の庶民の粋な姿のようで、私はこういう詩も好きですよ。
でも、そりゃあ作者である禿羊さんの意向が第一でしょうけど、初稿の生き生きとした息づかいに比べると、どうも決定稿のほうはやや理屈っぽいような、持って回った感じがします。
発想的には決定稿の「風伯」を持ってきてなかなか面白いとは思いますが、初稿を見てしまうと褪せてしまうように感じます。
決定稿も一つの詩、初稿も一つの詩として、二回分楽しんでみたら良いかもしれません。どちらもそれくらい整っていると思います。
2001.12.26 by junji