第106作は Y.T さんからの作品です。
 

作品番号 2000-106

  詠鷺草      鷺草を詠める  

素花寂寞生荒圃   素花寂寞と 荒圃に生ず

青草萋萋没麗容   青草萋萋として 麗容を没す

風媚妍姿揺緑袖   風 妍姿に媚びんと 緑袖を揺るがす

白鴎驚起碧波中   白鴎驚き起つ 碧波の中

          (上平声「一東」「二冬」通韻)

<解説>

 この夏、緑化センターで草花の盆栽展がありました。
 鷺草が長方形の鉢に植えてあり、気に入って眺めていた所、不意に、風が来て白い鷺草の花が揺れ動き、本当に白鷺が舞うように見えました。
 それに感じて、先ず転句と結句を作りました。
 起句と承句に苦しんで、陶淵明の「青松在東園/衆草没其姿」 (「飲酒八」)から借りました。

<感想>

 起句と承句の対については、平仄の対応は問題ないと思います。
 対についてですが、「萋萋」と畳字を後で用いていますから、前の「寂寞」も出来れば畳字で対応させて、前対格を明確にしたいところです。
 もう一点、「荒圃」「麗容」の対応は、文の構成上の役割が前者は場所を示す語であり、後者は「没」の目的語としての状態を表す語ですので、対応としてはやや弱いでしょうか。

 尚、通韻に関しては次のように言われるますので、その点も留意下さい。

 七言絶句で二種類の韻目(仮にAの韻目とBの韻目とします)を用いる際には、
 「ABB」のように後に同じものを並べるのが正しく、「ABA」とか「AAB」のようにはしない。

 今回の場合、起句を対句の関係で押韻を流しましたから、できれば承句と結句で韻を踏んでおきたいでしょうね。

2000. 9. 5                 by junji



 謝斧さんから感想をいただきましたので、掲載します。

 承句と結句の通韻はともかくとして(通韻は起句のみ許されます。承句と結句は必ず同じ韻を用いなければなりません)、勝手な事を言いますが、「生荒圃」「没麗容」の対句は感心しません。
 起句承句の対句の作詩意図がみえません。両方共、鷺草のことだと理解しました。「鷺草は寂しく荒圃に咲いていましたが、今は、其の姿は、地に委てられています」でしょうか、その場合、後の転句結句のつながりが不自然になるように思います。「没麗容」が無理なのではないでしょうか。
 私は、別のものとして詩作した方が良いと思います。「秋ともなると、衆草はその姿は没するが、独り素花は寂寞と 荒圃に生じています」このようにすれば、転句結句へのつながりも無理はないと思います。
 措辞はたいしたものです。唐詩から抜き出したようです。特に転句結句の収束の仕方はなかなか面白く、みごとだと思います。詩人が作った詩だと感じています。
 「妍姿」は素花(鷺草)、「緑袖」は其の葉だと理解しました。起句の「生荒圃」や、転句が擬人法を使っているので、「白鴎驚起」と続くと、読者は何か比興があるかと勘ぐります。詠物体は概ね、言外の言を読者に暗示するように詩作するようです。
 素花は作者自身なのでしょうか。そうすれば、荒圃は世の中で、三閭大夫の心境に擬しているのでしょうか、おそらくは、そうではないと思いますが。詩は志しといいますから、こういった詩の作り方も必要かとおもっています(景を写して情を致す)。
 各句に素青緑白と技巧をこらしたあとがみられて、羚羊の却って足跡を残す感が有り、詩の格調を落としているように思います。

2000.9.20               by 謝斧





















 第107作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2000-107

  村居雑賦        

霜髪半過嫌世煩   霜髪半バ過ギ 世煩ヲ嫌イ

匏瓜一箇繋寒村   匏瓜一箇 寒村ニ繋グ

身閑灯下染箋筆   身閑ナレバ 灯下 箋筆ヲ染メ

心静牀前対酒樽   心静カニ 牀前 酒樽ニ対ス

朝露満天濡粗褐   朝ニ露 天ニ満チテ 粗褐ヲ濡ラシ

晩鐘度野聴荒園   晩ニ鐘 野ヲ度ッテ 荒園ニ聴ク

何為恨悔少朋訪   何為レゾ恨悔セン 朋ノ訪レルコト少ナキヲ

月出相和老瓦盆   月出デテ同ニ和ス 老瓦盆

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 近年、定年を迎えて田舎暮らしを楽しむ人が多くなっているとか?。
 小生も、やがてそんな年を迎えようとしています。もっとも、小生の場合は木曽川沿いの田舎暮らし。改めての其れと言うわけではないのですが。
 さて、この詩は、小生が引退して田園生活を専らにした時はこんなものかなーと言ったところです。1600年ほど前、官を辞して田園に暮らした陶潜の心境や如何に。


<感想>

 定年の前からすでに、閑静な生活の興趣をこんなに豊かに描いてしまって、真瑞庵さんは実際に定年後にはどんな詩を描かれるのでしょうか、などとつい心配をしてしまいました。でも、本当にその時に真瑞庵さんの詩を読ませていただければ、きっと新しい閑適のスタイルや心情を見つけておられるだろうと、とても楽しみでもありますね。
 私がまだ二十代の頃によく言われたのは、 「若者には金は無いが時間がある」という言葉でした。「時間はあるが金はない」と少し順序を変えると、実感が一層強く、全くその通りだと納得したものでした。そして、やがては「時間も金も有る」生活が来るように何となく思っていたのでしょうね。
 そして、今考えると、この言葉に加えて、 「金も時間も無い」中年の時代があり、やがて来る私の老年は 「時間だけがあって、金も体力も無い」となるような気がします。だからこそ、「心の広がり、豊かさ」だけは今の内から準備しておかなくては、と思います。

 詩の内容として、頸聯についてですが、主語と述語の関係で見ますと、「朝露満天濡粗褐」は、「朝露」「満」チテ、「濡」ラスとなっていますので、「晩鐘度野聴荒園」の方も、「晩鐘」の主語に対して「度」ルと「聴」クを述語と読みがちですが、「鍾」ガ「聴」クでは変ですね。
 ここは主語と述語をしっかり対応させて、「鍾」ガ「響」クとか「鍾」ガ「到」ルなどの方が分かりやすいと思います。

2000. 9. 5                 by junji



 謝斧さんから感想をいただきましたので、掲載します。

 この詩、初めの二句で、先生の意は尽くした感があり、みごとだと思います。
 私もこういった表現をすることがありますが、到底及ばないと感じました。ただ私の好みから言えば、「匏瓜一箇老寒村」としたいところですが。恐らくは、対句のところを今一度推敲すれば、先生の代表作になるのではないでしょうか。
 最後の句は月を肴に酒を飲んだということでしょうか。老瓦盆はたしか杜詩の句ではなかったでしょうか。この場合和は仄用かと思いますがどうでしょうか。

 鈴木先生の言われる通り、
    朝露満天濡粗褐
    晩鐘度野聴荒園
 「朝露」は「濡」までかかりますが、「晩鐘」は「度野」までしかかからないので、この句は対していません。
 私も、もう15年ぐらい前になりますか、太刀掛呂山先生に、
    風引寂寥空落涙
    人堪悲悼唯呑聲
という七律を送ったことがあります。
 「人」は「唯呑聲」までかかるが、「風」は「寂寥」までしかかからないから対句にならない、と御指摘を受けたことがあります。このことは呂山草堂詩話第二揖122頁に掲載されて、いまだに恥をさらしています。
 せっかくの佳作ですから、再度推敲された詩を見せて下さいますよう願います。

2000. 9.20                  by 謝斧




 真瑞庵さんから、お手紙をいただき、推敲作を示していただきました。

 鈴木先生,謝斧先生へ 
「村居雑賦」に対する適切なご指摘、ありがとうございました。
 そこで、六句目を次のようにしました。

      霜髪半過嫌世煩
      匏瓜一箇繋寒村
      身閑灯下染箋筆
      心静牀前対酒樽
      朝露満天濡粗褐
      晩鐘度野響蔬園
      何為恨悔少朋訪
      月出相和老瓦盆

 謝斧先生ご指摘の「和」の仄用の事ですが、
確かに「和」の仄用は『答』と同義で用いる場合と理解していますが如何でしょうか。この詩の場合は、「うち融けて,あるいは、助け合って調子よく」といった意味合いで用いています。
 次に「老瓦盆」についてですが,杜甫の『少年行』の「莫笑田家老瓦盆」を意識して用いました。意味合いとしては、貧しい田舎暮らしの中で歌う鼻歌と言った処です。

 第8句の初稿は,
      片月出来叩我門でしたが少し平凡過ぎると思い直しました。

2000. 9.23                  by 真瑞庵





















 第108作は 種子島 さんからの投稿二作目です。
 

作品番号 2000-108

  台湾即事        

不慮会朋依旧歓   慮らざりき 朋に会せば 旧に依りて歓たり

慇懃冗食尽郷盤   慇懃 冗食 郷盤を尽くす

彷彿曽遊深夜酒   彷彿たり 曾って遊ぶ深夜の酒

高雄港上月團團   高雄港上 月団団

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 [語釈]
 「郷盤」:ここでは台湾料理

 久しぶりに台湾に行きました。
 偶然にも台湾の友人と会い歓迎を受けた事を漢詩にしました。(小生6年間台湾・高雄に駐在しておりました)

 このページにたどりつけた事を幸運に思います。
 皆さんの漢詩を見て刺激を受け、しばらく遠ざかっていた作詩への意欲がわいてきました。詩の感想・批評等はとても勉強になり、知らない事ばかりです、初心に返ってがんばります。
 また、主宰者様には面識も無いのに、親切にして頂き感謝申し上げま。体をご慈愛くださりながら、今後ともご指導よろしくおねがいします。

<感想>

 今回の詩は、形式の上からは起句の二字目が「仄声」ですから、「七言絶句仄起式」となります。その場合には、承句の二字目は「平声」、転句の二字目は「平声」、結句の二字目は「仄声」となるのが正格です。
 この詩は、転句の二字目が「仄声」、結句の二字目が「平声」と変格になってますので、拗体の詩です。これも認められている形ですね。

 起句についてですが、「不慮」だったのは「朋」に「会」ったことだと思いますが、「朋に会せば 旧に依りて歓たり」と読んでしまうと「朋が昔のまま遇してくれたことが思いもよらなかった」となり、少し意味が違うようです。些細なことですが、「朋に会し 」と読む方が良いでしょう。
 また、転句の「曽遊深夜酒」は、「遊」の表現が直接的すぎるように感じます。「ともにする」の意味で「曽同深夜酒」とか、もうひと味欲しいところのように感じますが、いかがでしょう。

2000. 9. 5                 by junji





















 第109作は 三耕 さんからの作品です。
 

作品番号 2000-109

  葆光磁        

白磁美利玉   

土瓷含弘灰   

松柏随風焼   

葆光止大才   

        (上平声「十灰」押韻。古体詩)

[作法](各二句の平仄のバランスはとっております)

<解説>

[語釈]

 「葆光磁」:光を包んだ感じのつや消しの白磁。
 「美 利」:美しく利ある。
           又、『易』「乾」文言伝第五節 「乾始能以美利利天下」。
 「土 瓷」:信楽・備前のような無釉の素焼きの焼物。
 「含 弘」:包容力があって、且つ幅広い。
          『易』「坤」彖伝「含弘光(広)大」より。
 「随 風」:『易』「巽」象伝「随風巽」を踏まえる。
 「葆 光」:『荘子』「斉物論篇」
          「知は其の知らざる所に止まれば至れり。(中略)
            此れを之葆光と謂う」
 「 止 」:『易』「艮」彖伝
          「艮止也。時止則止、時行則行。
            動静不失其時、其道光明」を踏まえる。

<感想>

 「葆光」は、「外に現れてこない光」のことですから、結句の暗示するものとしては、人の持っている本当の能力や才能といったものが挙げられるのでしょうか。
 註を見ると難解で、詩の主題とのつながりが見えず、私なぞはかえって分かりにくくなってしまいます。詩の字句だけを眺めていると、上に書きましたように意味がぼんやりと見えてくるのですが、転句の役割だけは掴みにくいですね。「松柏」にも何か典拠があるのでしょうか。

2000. 9. 9                 by junji



 三耕さんから、追加で解説をいただきました。

 全篇は、伝統文化であります「焼き物」を詠むに「白磁」とその対極にある備前・信楽のような土物と謂われる「土瓷」を以って起承対句となし、両者を融合した一形態としての「葆光磁」を以って結句としております。
 これを詩句に展開するに当りまして、同じく伝統文化であります「易」を下敷きにしますとピタリとはまります。
 即ち、「易」根本の対極である「乾」:「坤」を「白磁」:「土瓷」に、この二つを止揚した文字通り『艮止也』であります「艮」を「葆光磁」に当てはめました。
 転句は、「乾」:「坤」がまた方角の対比として「北西」:「南西」で、「艮」が「北東」でありますから、残る「南東」の「巽」をもってきました。これが「随風巽」ということで、実は「焼き物」を将に窯の中で焼成いたしますときに火とともに重要な役割を果たします空気の働きに符合いたします。窯の中の酸素の加減で酸化焼成・還元焼成が行われ、これをコントロールするのが作家の技量であります。このような物事の成り立ちの中に「易」の真理を感じる瞬間であります。

 ついでに「松柏」は典故「松柏摧為薪」を持ってくるまでもなく「焼き物」によく用いられる「薪」であります。特に赤松は焼成温度が高くなりますので重宝されます。もちろん「焼」字とともに「焼き物」の重要な要素であります「火」、「易」では「離」に相当します。

 『荘子』「斉物論篇」に云う「知は其の知らざる所に止まれば至れり。(中略)此れを之葆光と謂う」の説明が一篇の締めくくりとしてこれ程ふさわしいものはありません。

2000. 9.10                     by 三耕




 鮟鱇さんから、感想をいただきました。ちょっと辛口ですが、ご参考に。

 三耕さんの『葆光磁』、解説を含めて拝読いたしましたが、典拠について納得のいかない点がありますので、投稿させていただきます。

 貴兄の詩は、20字のうちのおよそ半分が典拠に関連しています。「美利」「含弘」「随風」「葆光」「止」。しかし、このうち、「典拠」としてまず通用するのは「葆光」だけで、残りは典拠として通用しないと思われます。
 まず「美利」は、貴兄のご説明のとおり「美しく利ある」という意味にとれますが、それ以上の含蓄を含む言葉とは思えません。つまり、「美利」2字はとても当たり前の言葉であって、この2字をもって読者に『易』に思いをいたせというのでは読者に酷です。
 もし、「美利」2字が『易』の「美利」を踏まえるのであれば、『易』に「乾始能以美利利天下」とあるのですから、白磁がどのように『易』と関係があるか、また、白磁がどうして天下を利するのかが、詩のなかで有機的に理解されなければなりません。貴兄は「乾:坤を白磁:土瓷」に当てあてはめておられますが、貴兄の詩の20字から白磁を「天」に、土瓷を「地」に対応させることは無理に思えます。
 次に「含弘」ですが、「含弘」から「含弘光」を想像することはできません。「含弘灰」を日本語に翻訳すれば、「弘い灰(どういうことかわかりませんが)を含む」、あるいは「含み灰を弘む(何を含むのかわかりませんが)」となります。易の原文「含弘光(広)大」が、「弘光を含んで大なり」と読むのであれば、「含弘灰」は「弘灰を含む」と読むのが自然です。「弘光」は小生にもわかりますが、「弘灰」は何なのでしょうか。
 また、「随風」も当たり前に使われる言葉。「随風」を用いた詩・文は無数にあります。かりに易に詳しい方が貴詩を読んだとしても、「随風」から「随風巽」に至るのは困難です。
 典拠が典拠として成り立つには、その言葉が典拠として十分に個別化されている必要があると思えます。「含弘光」は典拠として成り立ちうる語句ですが、「含弘」はそれ足りえず、「随風巽」/「随風」についても同様。「止」一字をもって、『易』に思いをいたすことは小生にはできません。
 いずれにしろ、典拠の多用が貴兄の詩をとてもわかりにくくしているように思えます。貴兄の意図するところを白文から読み取るには、貴兄と同じ読書体験が必要であり、同じ書をかりに読むにしても、同じ解釈が求められるように思います。読者には酷なことです。

 ところで、小生の無学をさらけだすようなことをお伺いしますが、「葆光磁」は、実際に存在する「磁器」なのでしょうか。それとも、貴兄の想像が生み出した理想の「磁器」なのでしょうか。もし、実在の磁器であれば、「葆光磁」と命名した人物は、おそらく『荘子』にその典拠を求めたものと思われます。『荘子』を読んだ人物が「葆光磁」と命名し、「葆光磁」と名付けられた磁器を見た貴兄が、『荘子』に思いを戻し、さらには『易』に思いを馳せた、貴兄の詩はそういうことなのでしょうか。

 詩に戻れば、「白磁」もだめ、「土瓷」もだめ、「葆光磁」のみがよい、という趣旨なのでしょうか。それとも、「白磁」もよし、「土瓷」もよし、その中間の「葆光磁」もよい、という趣旨なのでしょうか。鈴木先生同様小生にも転句の意味がよくわかりません。「松柏」が風に随って焼くのは葆光磁だけなのでしょうか。もし松柏が焼き物に使われる普通の薪を単に指すのであれば、白磁を焼くにも土瓷を焼くにも薪は使われます。赤松が、葆光磁の薪に使われるらしいことはわかりました。しかし、柏も薪に使われるのでしょうか。もし、使われるのであれば、「松柏」は単に「薪」でよいのですが、もし使われることがないのなら、「松柏」は特別な意味をもつことになり、「松柏摧為薪」の「薪」の意味になります。貴兄は、「松柏摧為薪」の薪と焼き物に使う普通の薪を同じ薪として扱われていますが、小生には、まったく別のものと思えます。その混乱(小生の頭のなかの)が、貴兄の詩をわかりにくい(もちろん小生にとって)ものにしています。

 小生は、典拠は、魚の小骨のようなものと考えています。読者は句中に泳ぐその小骨から、もとの魚影を復元します。うまく復元できれば詩に深みが増します。しかし、うまく復元できなければ、喉に突き刺さるだけになります。
 言葉の過ぎたるところ、ごめんなさい。

2000.9.30                by 鮟鱇





















 第110作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2000-110

  初秋迎友        

軒下新涼起    軒下新涼起り

机辺残暑融    机辺残暑融く

有時齊契客    時に有り 齊契の客

無事好懐翁    無事 好懐の翁

清坐清風裡    清坐清風の裡

疎廉疎雨中    疎廉疎雨の中

詩盟詩味異    詩盟詩味異なるも

酒伴酒情同    酒伴酒情を同じくす

不用千言費    用いず 千言を費すを

相斟一黙通    相斟みては 一黙通ず

胸襟具難述    胸襟 具には述べること難くも

意気見君衷    意気 君が衷を見る

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 二聯
有時齊契客 無事好懐翁
用典の対句です。

 三聯と四聯
清坐清風裡 疎廉疎雨中
詩盟詩味異 酒伴酒情同
は双擬対をもちいました。

 [訳]
 軒先には風も涼しくなり、
 書斎には、残暑もさりました。
 たまたま、約束していた客が訪れたところです。
 この客は世事とはあまり関わりのない、好意をもっての訪問です。
 客を涼しい風の吹いている客間に案内しました。
 客間の簾には、少し雨がパラパラと降っていますが、却って涼しい感じがします。
 この客とは、共に詩を作って楽しんでいますが、
        詩の好みは違いますが、酒を呑むときは意気投合します。
 我々は、いろいろ語らなくても、心の中は通じます。
 却って、心底を述べても、具には述べることは適いません。
 語らなくても、お互いの意気で心の中は通じます。

<感想>

 謝斧さんの言われている「双擬対」というのは、句の中の一字目と三字目を同字を畳用して(それ以外の場合もありますが、一三字が正格だそうです)句の上下で対を成すものを指します。この場合には、
   風裡 雨中
   味異 情同

 となっていますね。
 李白の「宣城見杜鵑花」でも、
   蜀國曾聞子規鳥
   宣城還見杜鵑花
   廻腸
   月憶

 という形で、転句結句に用いられています。

 内容的には、分かりやすい語句を用いての率直な表現が多く、読み進むにつれて共感が深まっていく感じがしました。特に最後の聯などは、そうした友が居てくれたらと思うことが何度もあったなぁと納得することしきりでした。

2000. 9. 9                 by junji





















 第111作は岐阜県の 舜隱 さん、高校生の方からの初めての投稿作品です。
 いただいたお手紙を紹介しましょう。

 もともと漢詩が好きで、学校でも友人と作品を見せ合ったりして楽しんでいますが、二人だけでは余りに物足りなく感じておりました。
 このように詩を通して色々な方と交流できる機会を持つことができて大変うれしく思います。駄作ばかりで恐縮ですが、これからも宜しくお願い致します。

 これからが楽しみですね。頑張って下さい。


作品番号 2000-111

  識秋     秋を識る   

蝉謳白日和如雷   蝉は白日を謳い和して雷の如し

不勝陽光待夕囘   陽光に勝えず夕を待ちて回える

窓架小鈴空月下   窓架の小鈴月下に空しく

涼風過枕識秋來   涼風枕を過ぎ秋の来たるを識る

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 [訳]
 蝉は太陽を謳歌し、それが合わさると声は雷のよう。
 日差しに耐えかねて、夕方涼しくなるのを待って帰宅する。
 窓にかかった風鈴は月明かりの中で空しく鳴り、
 涼しい風が枕元を吹き抜けて秋が来たことを知った。

<感想>

 10代の方がこのように形式の整った漢詩をつくる、ということに、とても感動しています。このホームページを通して、知り合うことができ、本当にうれしく思います。
 平仄も乱れが無く、よく勉強していることを感じます。感想をいくつか述べますので、次作への参考にして下さい。
起句
 「蝉謳白日」についてですが、「夏」という季節を謳歌するならば分かりますが、「太陽」を謳歌するというのはおかしいと思います。承句にすぐ、「陽光」という同意の言葉がありますから、「白日」は重複を避ける意味でも「残夏」あたりの言葉でどうでしょう。
 あるいは、承句の「不勝陽光」の方で「暑さに耐えられない」とすれば良いかもしれません。「不勝」は「不堪」の方が用法としては良いでしょう。
 転句結句については、このままで十分だと思います。希望としては、「過枕」がやや老成の感が強く、高校生の生活が感じられる素材を持ってきたいですね。



2000. 9. 9                 by junji





















 第112作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2000-112

  看大阪城偶感        

電閃明浮大阪城,   電閃(いなずま)に明るく浮かぶ大坂城、

似顔天閣怒龍睛。   顔に似たる天閣、怒龍の睛(ひとみ)。

淀君遺恨流不涙?    淀君の遺恨、涙を流さんか?

急雨濛濛破屋声。   急雨濛濛、破屋の声。

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 平成9年に改装された大阪城の夜景を、ホテルの窓からはじめて見ました。ライトアップされ、城内の光が洩れる様子はどことなく生き物のようにも、また、人の顔のようにも思えました。
 わたしが見た景色は、室内は涼しい夏の静かな夜。「電閃」「急雨」は日中の軽雷を思い出したものです。「天閣」は「天守閣」のつもりです。

<感想>

 転句の書き下しはどう読めば良いのでしょうか。いただいたままに掲載しましたが、このようには読みにくいのですが・・・・。

 大阪城を私が見たのも随分前、もう20年以上もの昔のことになりますので、記憶もあやふやになっています。平成9年改装ということですので、次に大阪に行くことを楽しみにしましょう。
 天守閣の様子を怒龍に見立てたところが、鮟鱇さんの工夫ですね。ただ、今年の夏の雨を四百年ほども遡って「淀君」の涙と見るのは、うーん、恨みが長すぎるように思いますが、どうでしょうか。

2000. 9.10                 by junji





















 第113作は 西川介山 さんからの作品です。
 いつものように、謝斧さんのご推薦です。

作品番号 2000-113

  皆既食        

天河星散斗星遙   天河 星散じて 斗星遙か

雨潤戸庭炎暑消   雨は戸庭を潤して 炎暑消ゆ

此夜再廻皆既食   此夜 再び廻る 皆既食

月粧金色醉清宵   月は金色を粧い 清宵に酔わしむ

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 同じ詩題で下記の様な詩も寄せられましたが、起承句はこちらの方が良いのですが、皆既食の事があまり詠じてないように思われますので、もう少し推敲を重ねるべきだと思います。
 2首を1首にしたほうがよいかもしれません。どんなものでしょうか。(謝斧)


  南天天濶星楡散    南天 天闊く 星楡散じ
  連雨雨収朱夏帰    連雨 雨収まり 朱夏帰る
  静夜眺瞻皆既食    静夜 眺め瞻る 皆既食
  娟娟明鏡放清暉    娟娟たる明鏡 清暉を放つ


<感想>

 今年の皆既食は七月中旬でしたでしょうか。ちょうど私は病院に入っていました。
 看護婦さんが夕食の配膳の時に、「今日は月食らしいですよ」と教えてくれたのですが、新聞にも特に記事が無くて、同室の方と「本当かねぇ?」などと話しているうちに忘れてしまいました。翌日の新聞でやっと確認をしたような次第です。
 どうやら病気になっていると好奇心が薄れてしまうのでしょう。

 と言い訳をしておいて、いただいた詩の感想ですが、
 私としては先に掲載した詩の方が実景の感が強く、詩としてのまとまりも良いと思います。ただ、転句の「再廻皆既食」が、何時を受けての「再廻」なのか、「皆既食」はそんなに頻繁に来るものではないですし、定期的に来るものでもないわけで、仮に以前見た時を前提にするにしても、それを「再廻」と作者の側から一方的に言うのは気になります。
 結句は印象に残る句になっていると思いますが。

2000. 9.10                 by junji





















 第114作は 金先生 さんからの作品です。
 

作品番号 2000-114

  墓所鬼火        

寂寞多年墳下兄   寂寞多年 墳下の兄

無言阿母逝成霊   言無く阿母 逝きて霊となる

焚香泣拝黄昏近   香を焚き泣いて拝せば 黄昏近し

鬼火相交親子情   鬼火相交(あいか)わす 親子の情

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

[訳]
 寂しく墓の下で兄は過ごし、
 何も言わず母も兄の所へ逝った。
 墓所で線香をあげて涙ながらに参れば、いつしか夕暮れ、
 二つの鬼火が 親子の情を交わすが如く私の上をまわっている。

 今回は「李賀」調になってしまいました。
 二つの鬼火というのは空想のものですが、母の腕の中ではとうとう一度も鳴きも笑いもしなかった兄(になるはずだった人)のことを思いました。
 鬼火となってでも母子の情を交わしてほしいものです。

尚、以前投稿の作を推敲しました。

 母之日所感
    仏前思慈母   仏前慈母を思えば、
    何縁哭朔風   何によりてか朔風に泣く。
    涙流成血色   涙流 血の色となり、
    白花染鮮紅   白き花 鮮紅にそまる。

 君成母偶見
    慈愛有明眸   慈愛 明眸にあり
    只驚年月流   ただ驚く 年月流れるを。
    思君懐古日   君を思うて懐古の日
    窓外此身羞   窓の外 この身 はずかし。

 半島融雪
    臨江清水向南流
    鉄路難行望北憂
    平壌市街陽光亙   平壌市街 陽光わたり、
    待融憎報板門楼

 ・転句の下三文字を変えました。
 金大中韓国大統領の「太陽政策」をもじってみました。
 「亙」隅々までゆきわたるという意味で、この字を使いました。

<感想>

 冥界に入った二人の霊魂が交わることを思い浮かべ、それを「鬼火相交親子情」と表現したのは、まさに李賀の雰囲気ですね。実際に鬼火が身の回りを飛んでいたら、ドキッとするかもしれませんが・・・・。
 承句については、「阿母」「無言」であることが詩の中でどういう役割を果たしているのか分かりにくいですね。亡くなったお兄さんにお母さんがどんな思いを持っていらっしゃったのか、そんな内容を込めるとつながりが生きてくるように思います。

2000. 9.17                 by junji




 謝斧さんから感想をいただきました。

 金先生の感想を率直に述べさせていただきます。

 「寂寞多年」は妥やかではありません。「寂寞」という状態が「多年」にわたるのでしょうか。むしろ、作者は、悲憾なる感情を久く懷ているのではないでしょうか。「悲憾久懷墳下兄」ではないでしょうか。
 承句は何故「無言」なのか、よく分かりません。母は我が身にかかる運命に対して抗わなかったということでしょうか。
 「泣拝」は作者の心情としてはよく分りますが、言葉としてあるのでしょうか、やや生硬な感じがします。
 結句の「鬼火相交」は奇を衒いすぎではないかと感じます。何か不自然です。風雅ということから離れています。「親子情」は、何かしら和臭を含んでいるような気もします。「児母情」で如何でしょうか。
 結句で作者は何を言わんとするのか、よく分りません。ただ単に、「黄泉に行った母は、今頃は、兄と相対して懐かしがっていることでしょう」なのでしょうか。だとすれば殊更に「鬼火相交」という言葉は出す必要はないおもいますが。

 以上やや辛口になりましたが、詩の内容は決して悪いものではありません。むしろ深く読むにつれて先生の心情は痛いほど伝わってきます。
 先生の詩風は、よくご自身の感情等を余すところ無く、短い詩の中に叙述しきっている事でしょうか、そのために、反面、散文的な、詩語としては熟さない言葉を使われていることも多いのではないでしょうか。(古人の詩をあまり読まれてないように感じられます。しかし詩に対する感覚は我々にはもちあわせていない、なにかをもっているように感じられます。)

2000.11. 3                  by 謝斧





















 第115作は 京祥 さんの作品です。
 

作品番号 2000-115

  散策惜別離      散策し別離を惜しむ  

尖山海色落暉岡   尖山海色 落暉の岡

形影瞑人立夕陽   形影瞑(くら)し 人夕陽に立つ

師父与君何日会   師父と君 何れの日に会せんや

仰看星天別愁長   仰ぎ看る星天 別愁は長し

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 大連の大学で仕事を終えて、帰国の日時が迫って来ました。ある日の夕方一学生から散歩に誘われて、海岸まで行きました。数々の記憶を思い出して語りながら歩き、共に忘れがたい思いに愁いがこみ上げて来ました。

<感想>

 京祥さんから詩をいただくのは久しぶりですね。お元気だったでしょうか。
 投稿詩の102作目、「盂蘭盆会偶成」の仁藤さんと同じ「三餘風雅社」で活動なさっておられるようですね。
 京祥さんのホームページ、「京祥の創作漢詩と風景」では、大連で教えておられた時のご様子などが掲載されていて、楽しく見させていただきました。

 今回の詩は、そうした大連での学生さんとの交流を書かれたものですね。承句の句切れが3字+4字になってますので、このまま読むと「瞑人」が立っていたことになります。4字+3字という並びになるように工夫されてはどうでしょうか。

2000. 9.17                 by junji





















 第116作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2000-116

  幸知舜隱先生      幸いにも舜隱先生を知る  

豪吟風響若秋雷,   豪吟(ゴウギン)風に響いて 秋雷のごとく、

仰看紫穹鴻雁回。   仰ぎ看れば 紫穹に鴻雁回る。

知得西天輝太白,   知り得たり 西天に太白輝いて、

紅顔壮志跨将来。   紅顔の壮志 将来を跨ぐを。

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 舜隱さんののびやかな詩、拝見しました。
 わたしは50歳にして初めて詩のおもしろさを知りました。50歳といえば、杜牧はまもなく死ぬ、という年齢です。詩を作る喜びを知るに遅きに失した思い痛切。ですから、舜隱先生がとても羨ましいし、わたしの分も頑張ってもらいたいと思います。そんな気持ちで、舜隱さんの原玉に唱和させていただきました。

 [語釈]
 「太白」:金星と李白をかけています。舜隱さんのご活躍を祈念しています。
 「西天」:舜隱さんは岐阜の方、私が住む東京からみれば西の空に輝く星です。
 「豪吟」:佳吟とすればおだやかですが、まだまだお若いのだから、あまり細かいことは気にせずにぜひ李白のように豪放に詠ってください、ということで、あまり熟した言葉ではないかも知れませんが、「豪」を使いました。

<感想>

 鮟鱇さんと同じく、私も舜隱さんの詩に接して、本当に嬉しく思いました。
 漢詩の面白さは、古来からの文学伝統を受け継ぎながら、現代の自己の心をそこに投影するところにあると思います。その方法として、創作するか鑑賞するかは、それは各自の好みだと思いますが、こうして10代から創作に関わることは羨ましい限りですよね。


2000. 9.17                 by junji





















 第117作は大阪の 佐竹丹鳳 さんからの作品です。
 丹鳳さんは嘯嘯会の会員、謝斧さんのご推薦です。

作品番号 2000-117

  夏日雑詠        

茅屋三間炎若   茅屋三間 炎が若く

空簾僅拂北窓風   空簾僅に拂う 北窓の風

新詩欲覓心愈嬾   新詩覓めんと欲すれど 心愈嬾し

満耳蝉聲半睡中   耳に満つ蝉聲 半睡の中

          (上平声「一東」の押韻)

<感想>

 謝斧さんのご推薦のように、句意も明快で、詩としてのまとまりもあり、印象に残る作品だと思いました。
 男性女性と詩作において区別する必要はないのかもしれませんが、後半の句を女性の作と意識して読むと、「心愈嬾」「半睡中」の表現などが、夏の昼下がりのけだるさとなまめかしさを重ねて、ドキッとするようなつややかさを醸し出していますね。

2000. 9.21                 by junji





















 第118作は Y.T さんからの連作です。
 Y.Tさんからのお手紙には、この連作についてこう書かれていました。

 昨年の8月15日、私が保証人をしている中国の留学生(女性)と近くの蓮池へ花を見に行きました。橋の上から風に吹かれて蓮花を眺めていた時、浮かぬ顔をしていた彼女が不意に、「先生、父が亡くなりました。半月も前なんです。私が心配するといけないと思ったのか、昨日やっと知らせてきたのです」と涙ぐんでいました。
 その場ではおざなりのお悔やみを言って慰めたのですが、悼亡詩で慰めようと思い、初めて詩を作ってみました。「悼亡」と云うより「代悼」と言うべきですが。
 彼女も今年の3月大学院を卒業し、先月中国へ帰りました。其れで投稿する気になりました。

 二首ずつまとめて紹介しますが、感想を寄せられる方は別々に書いて下さって結構です。



作品番号 2000-118-1

  悼父君之喪 其一      父君の喪を悼む  其の一  

悲報初聞正断腸   悲報 初めて聞く 正に断腸

顰眉倚戸対斜陽   眉を顰め戸に倚り 斜陽に対す

訃音催下千行涙   訃音 催し下す千行の涙

空憶故人焚瓣香   空しく故人を憶い 瓣香を焚く

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 転句は最初、陳玉蘭の「一行書信千行涙」(寄夫)を借り、書信を訃報にしたのですが、この句は中国では非常に有名らしく彼女が笑ったので、李清照の「又催下千行涙」(孤雁児)に借りかえました。








作品番号 2000-118-2

  悼父君之喪 其二      父君の喪を悼む 其の二  

緑濃池面翠風頻   緑濃やかなる池面 翠風頻り

只見荷花不見人   只 荷花を見て人を見ず

莫道丈夫終作土   道 (い) う莫れ 丈夫も終に土と作 (な) ると

不堪愁夢涙沾巾   愁夢に堪えず 涙 巾を沾す

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 池の畔で水の面を渡る荷風をかぎながら、涙ぐんでいた留学生を思い遣って作りました。
 承句は陸游の「只見梅花不見人」(沈園)、転句も同じく陸游「也信美人終作土」(春遊)を借りました。








作品番号 2000-118-3

  悼父君之喪 其三      父君の喪を悼む 其の三読み  

園裏斜陽対藕池   園裏斜陽 藕 (はす)(いけ) に対す

緑波橋上涙偸垂   緑波橋上 涙偸 (ひそか) に垂る

水辺懐旧空回首   水辺に旧を懐 (おも) い 空しく首を回 (めぐら)

日暮風休啼鳥悲   日暮れ風休 (や) み 啼鳥悲し

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 其の二と同じく蓮池での情景を想い出して作りました。転句は陸游「林亭感舊空回首」(禹跡寺)を借りました。




























 第119作も Y.T さんからの連作です。
 

作品番号 2000-119-1

  悼父君之喪 其四      父君の喪を悼む 其四  

涙眼問花残照中   涙眼 花に問う残照の中

愁腸欲断哭斜風   愁腸断たれんと欲して 斜風に哭す

此患人間鎮無計   此の患 (うれ) い 人間 (じんかん) に鎮むる計 (すべ) 無し

唯存李子法輪功   唯 李子の法輪功のみ存す

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 亡くなられた父君は花が好きで、庭で沢山の花を育てておられたそうです。彼女も花が好きでベランダに鉢植の花を幾つか育てていました。
 又、彼女の一家は皆、熱心な李洪志を教祖とする法輪功の信者でした。
 起句は馮延巳「涙眼問花花不語」(蝶戀花)から取りました。
 転句と結句は白楽天「人間此病治無薬/唯有楞伽四巻經」(見元九悼亡詩・・・)をそっくり真似ました。










作品番号 2000-119-2

  悼父君之喪 其五      父君の喪を悼む 其の五  

訃報重披燈火前   訃報重ねて披らく 燈火の前

一言隻句思過年   一言隻句に 過年を思う

帰心苦恨身無翼   帰心 苦 (はなは) だ恨む 身に翼無きを

嗚咽家園路十千   嗚咽す家園 路十千

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 留学生は、今すぐにも帰りたいと悲しんでいました。
 承句は李商隱「一絃一柱思華年」(錦瑟)を借りました。


<感想>

 連作として五首読みましたが、Y.Tさんの借句が冴え渡っていますね。
 それぞれの句に哀悼の情があふれていますが、特に其四、其五は状況がしっかりと描かれていて、心に残ります。好みもあるでしょうが、私はこうした詩の場合、その場面その場面の特徴が表れている(「法輪功」のこととか、留学で帰路が遠いこととか)ことが詩を生き生きとしたものにすると思っています。
 個としての感情は言葉にした時に一般化されてぼやけてしまいがちですが、それでも個を表現するためにどこまで頑張るかが詩の面白さでもあると思います。そうした点で、成功した作品ではないでしょうか。

2000. 9.30                 by junji




 謝斧さんから、感想をいただきました。

  悼父君之喪 其三      
園裏斜陽対藕池   
緑波橋上涙偸垂   
水辺懐旧空回首   
日暮風休啼鳥悲 

三首連作就中此作為白眉 
能使唐人驚殺 
佳編一読感慨不少
編編訴情愛巧 
便知作者悼故人切。

三首連作の中でこの詩が一番の佳作だとおもいます。相変わらず、唐人の作った詩のようです。とくに、余韻をもった収束のしかたは見事だとおもいます。故人に対するおもいやりが全編に感じられます。
 「林亭感舊空回首」「水辺懐旧空回首」を較べた処、「懐旧空回首」は劣ると思います。
 「懐旧」「回首」も同じことをいって表現が重複しているのではないでしょうか。
 それに対して感舊の結果、空回首と理解しますが、いかがでしょうか。

 また、起句で「対藕池」、承句で「緑波橋上」といっているので、水辺の措辞は少しくどいように思われます。

2000.10. 1                  by 謝斧






















 第120作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2000-120

  乾隆醉        

旅游承徳酒愈詩,   承徳に旅遊すれば酒、詩に愈 (まさ)

不染吟箋蓬島帰。   吟箋を染めず蓬島に帰る。

山月相同茅屋月,   山月、茅屋の月とあい同じなるも

乾隆醉美夢蝶飛。   乾隆醉美 (うま) く、夢蝶飛ぶ。

          (上平声「四支」・「五微」の通韻)

<解説>

 連休を利用し、4泊5日で北京と承徳に旅行しました、ノートと詩語辞典を携えて。
 でも、一首も作らず、ただ食べ、ただ飲んだくれて帰ってきました。わかったことは、ワープロがないとわたしには詩が作れないということです。
 承徳では、おりよく仲秋の名月。しかし、あたりまえのことですが、日本でみるのと寸分違わない月でした。星の数もほぼ東京と同様。ひとつ勉強しました。
 しかし、お酒は違います。料理も。とても濃厚な味の料理が、香りの強い酒とよくマッチして、堪能できました。日本の中華はおおむね広東風で、それはそれでよいのですが、山東料理と満族の料理の混肴ともいえそうな承徳の味もなかなかのものでした。

[語釈]

 「乾隆醉」:承徳(北京東北250kmの都市。後述)の銘酒。50度。壺詰であっても包装の紙箱に香りが移るほどで、文字どおり芳醇。日本の美酒を芳醇と形容するのは比喩に過ぎない。
 「蓬 島」:日本
 「不染吟箋」:吟箋は詩を書くための用紙。「吟箋を染めず」には少々迷いがあります。意味は「吟箋を用いず」、つまり詩を書かなかったということですが、ちょっとおシャレに言ってみたいと思いました。漢語として通用するかどうか、自信がありません。
 「山 月」:承徳の山月
 「茅屋月」:わが家で見る月
 「承 徳」:清朝康熙帝が作った「避暑山荘」で有名な河北省の都市。避暑山荘には、周囲10kmに及ぶ長城のごとき外壁がめぐる宏壮な敷地に、歴代皇帝が夏の間政務をとった堂于が甍を連ね、また、康熙帝が命名した36景、孫の乾隆帝が命名した36景、計72の名勝がある。全部見てまわるには1週間はかかるとか。
 また、避暑山荘に隣接して、蒙古族寧撫のために建立したチベット仏教の寺院が金色の甍を連ねている。

<感想>

 結句の「夢蝶飛」の結びが印象強く、美味しい料理と美味しいお酒にひたすら浸ってきた鮟鱇さんの楽しそうな声が聞こえてきそうです。
 ワープロが無かったから詩が成らなかったとのことですが、うーん、本当の理由はどうもこちらの方にありそうですね。
 なにはともあれ、お帰りなさい。鮟鱇さんの中国旅行での成果は、平仄討論会にレポートしていただきました。

2000. 9.30                 by junji



 謝斧さんから感想をいただきました。

 最近の鮟鱇先生の作は私の好む所の詩風とは異なる為、理解がし難いのですが、今回の作は浅学な私でもよく理解出来ます。
 特に起句承句はよく分かります。読む者をして心をなごませます。転句から結句の収束もみごとだと思います。
 「唯夢蝶」はどうしても荘周を想像してしまいますので、どんなものでしょうか、やや晦渋の気もします。
 なかなかの佳作だと思います。感心して読ませていただきました。「山月相同茅屋月」もなかなか機知を含んだ句だとおもいます。

2000.10.13              by 謝斧