作品番号 2000-31
参墓偶成 金先生
過日供花訪 過日、花を供えに訪れ、
今年塚上煙 今年、塚の上の煙。
旧恩何以報 旧恩に何を以て報いしか、
孤影哭望天 孤影は哭して天を望む。
<解説>
[訳]
いままでは、いっしょに墓参りをしていた人は
今年は、墓の中の人になった。
何の恩返しも孝行もできなかったと
一人 涙がこぼれそうで 空をみあげた。
毎年2月はじめには、母方の祖母の墓参りに、母・叔父・叔母(ともに母の実の兄姉)と一緒にいっていましたが、一昨年、母と叔父が3日違いで相次いで亡くなり、今年は寂しい墓参りになってしまいました。
作品番号 2000-32
仏前偶成 金先生
多垢行年月 垢(はじ)多くして年月は行く、
少孝帰母冥 孝少なくして母を冥に帰す。
何有存在理 何ぞ有るか存在の理
天命未能聴 天命いまだよく聴かず
<解説>
[訳]
恥ばかり重ねて 年月をすごしてきた、
孝行をしないうちに 母をあの世に逝かせてしまった。
生きながらえる意味は どこにあるのか、
天命を知るには まだまだ力不足のようだ。
夜、仏壇の前で亡き母に線香をあげるときにふと浮かんだものです。
私の兄(になるはずだった人)は、産声もあげずに死産で母の腹から出てきたそうです。
私自身も生後6ケ月で病気をして、三途の川を半分わたりかけたそうです。そんな私が36まで生きながらえていることは、母や兄の分まで生きねばならないのか、はたまた、母や兄の命を削ってまで三途の川を戻ってきてしまったのか。それとも、まだこの世でせねばならぬことが残っているのか・・・・。
<感想>
前作の「亡母偲歌」からの一連の作ですね。
親しい人が亡くなった時、その悲しさが実感となるのは、以前と変わらぬ場面に身を置いているにもかかわらず、相手だけが居ないという時でしょう。
『伊勢物語』の中の、有名な在原業平の歌、
月やあらむ 春や昔の春ならむ
わが身一つはもとの身にして
も、歌中の「や」が反語なのか、疑問なのかで意見の分かれているところですが、詠われた感情としては、月や春景色が昔のままであるから、尚更悲しみが増すのだと解釈したいものです。
でも、金先生。まだまだ36歳、「知命」の50歳まではもうしばらくの時間が必要ですよ。天命を知るために生き続ける、それも生存の意義となると思いますよ。
2000. 2.29 by junji
作品番号 2000-33
瞠目仙翔 鮟鱇
地鉄吐風車站狂 地鉄の吐く風、車站に狂い
紅裙膨脹胯間涼 紅裙膨脹して胯間涼し
誰人撫弄氷肌夾 誰か撫でて弄ばん、氷肌の夾(せま)きを
瞠目仙仙仙子翔 瞠目すれば仙仙(せんせん)と仙子翔ぶ
<解説>
語釈:
「地鉄」は地下鉄、「車站」は駅、「紅裙」は赤いスカート、「胯間」は股の間と、「氷肌」は美人の氷のように白い肌、「瞠目」は眼を見開くこと、「仙仙」はひらひらと舞うさま、「仙子」は妖精です。
解説:
マリリン・モンローのスカートは白かったのですが、「白裙」というのもどうかと思い、「紅裙」にしています。
わたしは、眼をつぶったら何が見えるかというテーマの詩を書きましたが、この詩は、眼を見開いたら、普段は見えないものが見えたという詩です。
<感想>
鮟鱇さんはマリリンモンローに悩殺された世代ですか。
彼女が亡くなったのは、1962年のことですので、振り返れば40年近くも昔のことなのですね。
私はまだ思春期にも届かないガキでしたが、「美女=モンロー」という図式は、しっかりと頭の中にインプットされています。何も分からなくても「シャネルの5番」という名称は覚えていたり、地下鉄の風と聞くとつい期待感が胸にわき上がる、というのは、勿論その後に仕入れた記憶もありますが、ハリウッドの「大女優」ならぬ「大スター」が残してくれた映画の華やかな時代の空気だと思っています。
懐かしい想いと、スピードにあふれる現代の姿が錯綜し、楽しく読ませていただきました。
2000. 3. 2 by junji
作品番号 2000-34
新春海暾 羊羊
異國窮途絶海邊
盪胸晨起對東天
正看洋上元朝曁
精氣満身祈吉年
<解説>
[語釈]
「盪胸」 :胸をときめかせる
「曁」 :(ちょっと覗いた)朝日
トルコ最南端のアナムールにて、2000年の初日の出を拝んだ時の作。
地中海の水平線から登る朝日を拝むことが年来の宿願だったが、今年は特に新ミレニアムということで、場所を選び、じゅうぶん下見をして臨んだ。
<感想>
「新年漢詩」のコーナーに入れたいような、エネルギーに満ちたすがすがしい詩ですね。
海と朝日という組み合わせは、スケールの大きな画面が構成され、しかも「異国」という状況では、一層の地球規模の拡がりが生まれて、読むこちらもつい「盪胸」してしまいそうな気持ちになりました。
あらためてですが、この1年が「吉年」であることを祈ります。
2000. 3. 3 by junji
作品番号 2000-35
郊居春日 青巒
蓬戸安閑茶獨斟 蓬戸安閑として 茶 獨り斟む
凭楹打欠嬾情深 楹(はしら)に凭り 打欠 嬾情深し
西山黛色徐徐緩 西山 黛色 徐徐に緩み
浸麓春波解俗襟 麓を浸して 春波 俗襟を解く
<解説>
[訳]
軽暖の昼下がり、やっと煩雑な確定申告も終わり、ゆっくりと柱にもたれて独り茶を飲めば、
忽ち大きな欠伸を一発、何もかもすっかり おっくうになる。
ふと目を上げて窓外を見れば、西の方、箱根の山々の黛色も春靄で心持ち淡くなったようだ。
一望、緑の春の波が押し寄せるようで、私の俗心をも洗ってくれる。
<感想>
春の一日の、のどかな午後、ゆったりと自然を味わう。うらやましいような、贅沢な時間ですね。
時間の流れもゆるやかな前半の日常の描写、転句からの自然の推移への転換という構成が面白いと思います。
用語としては、「徐徐」という「ゆるやかさ」を示す言葉を転句でも使って共通のトーンで行くのが良いのか、「あっという間に」色が変わったとして展開する方が良いのかは意見の分かれる処、悩み処だったのではないかと思います。
春の気配は日毎に濃くなり、詩題に事欠かないこの頃です。私もしっかりと創作に励みたいと決意しています。
2000. 3. 3 by junji
作品番号 2000-36
満月懷旅 羊羊
暮寒幽壑遠林蒼
天鏡團團満路光
想起清宵前月景
皎然殊境禿山郷
<解説>
[語釈]
「皎然」 :白々とした
「禿山」 :ここではトルコ中央部の奇勝カッパドキアを指す
カッパドキアの満月が素晴らしかった。帰国後のある宵、ふと満月を眺めて一月前の異境を回想した。
<感想>
羊羊さんの前作「新春海暾」と同じ時にいただいた詩ですが、私の都合で掲載が遅れました。
羊羊さんは、商社のお仕事で中東(イラン・トルコ)に駐在なさっていたそうです。「トルコは後年に在住した関係で、同国の紹介がいわばライフワークとなっています」とのお手紙をいただきました。
異国への想いがあふれるような二つの詩を拝見し、「トルコの風景を見に行きたい」という気持ちが募った方も多いのでは、と思います。
2000. 3. 5 by junji
作品番号 2000-37
新年 柳緑
天寿賜吾新世紀 天寿吾に賜る 新世紀
飛竜併発賀正春 飛竜併せて発く 賀正の春
敗残焦土飢児叫 敗残の焦土 飢児の叫び
耐乏再興奇跡民 耐乏の再興 奇跡の民
科学究明遺伝謎 科学は究明す 遺伝の謎
電波錯綜衛星旻 電波は錯綜す 衛星の旻
英知研鑚滋無止 英知の研鑚 ますます止むこと無し
遷易時流不待人 遷易する時流 人を待たず
<解説>
柳緑さんからいただいたお手紙を紹介します。(一部語句を変えました)
私は現在愛好者十余名、太刀掛呂山先生の漢詩のつくり方の教本と石川忠久先生の教本などで素人同士の勉強会を文化会館を利用して隔週開いております。
中国の古典詩を読んで詩語を覚えたり、各人の詩作品の推敲・講評などを行っています。何せ素人なので教え方も、勉強の仕方も分からず、五里霧中のありさまです。
私は日本人が読んで、辞書を引かなくても分かる漢詩を創りたいと念願していました。
加えて、短歌・俳句等に見られる日本人のデリケートな感性を表現したいと思っております。
平明な詩語を使って、誰でも作って読める漢詩を創りたいと思っています。
<感想>
2000年のお正月にふさわしい、時の流れをしっかりと詠み込んだ詩ですね。特に頷聯(第3・4句)は、日本人の戦後50年を十四字の中に描ききっていると思います。印象的な句になっています。
その分、頸聯(第5・6句)の役割が重くなります。「科学」の進歩を描くのに「遺伝子謎」という形で例を出したのですが、頷聯との意味的なつながりが弱かったようで、事柄を羅列したという感じになったのが、やや残念。
柳緑さんたちは、公民館での勉強会で指導して下さる方を探していらっしゃるそうです。場所は神奈川県の大和市ですので、もし心当たりのある方は、是非ご紹介下さい。
2000. 3. 6 by junji
作品番号 2000-38
懐阿母 阿母を懐う 謝斧
頑児勿讀蓼莪章 頑児讀むを休めよ 蓼莪の章を
生我劬労拭涙長 我を生みて劬労して 涙を拭うこと長し
已逝双親人亦老 已に双親は逝きて 人亦た老い
獨嘆孤影客将傷 独り孤影を嘆いては 客将に傷まん
眼看癡燕誰須笑 眼に癡燕を看ては 誰か笑を須いん
心慚慈烏豈易忘 心に慈烏に慚ては 豈に忘れること易からざらん
掻首無那何限罪 掻首するも那んともする無し 限りなきの罪
凱風吹止割愁腸 凱風吹き止んでは 愁腸を割かん
<解説>
[語釈]
「蓼莪章」 :親に孝養をつくせなかったを悲しんだ詩(『詩経』「小雅谷風」)
「生我劬労」:「私を生みて劬労(くろう)す」(同)
「癡燕」 :燕詩示劉叟 燕の親不孝を譏詩(白楽天より)
「慈烏」 :慈烏夜啼 烏は反哺の孝がある(白楽天の詩をふまえる)
「凱風」 :南風 万物を成長発育させる風で母親の愛情(『詩経』「凱風」)
<感想>
謝斧さんから今回いただいたのは、亡くなったお母さんを偲ぶ詩です。
『詩経』の「蓼莪章」は、次の一節によって始まります。
蓼蓼者莪 匪莪伊蒿 蓼蓼たるは莪 莪に匪ず伊(こ)れ蒿
句の大意は、「すくすくと伸びた柔らかな若菜(莪)は、いつの間にか堅いよもぎ(蒿・蔚)になってしまった。父母は苦労をして育ててくれたのに、私たち子供は、ただ図体が大きいばかりで、愛情に報いることもできない」というものです。
哀哀父母 生我劬労 哀哀たる父母 我を生みて劬労す
蓼蓼者莪 匪莪伊蔚 蓼蓼たるは莪 莪に匪ず伊れ蔚
哀哀父母 生我労瘁 哀哀たる父母 我を生みて労瘁す
父や母の愛に応えるのは、子供が人として立派に生きていくことでしょう。しかし、自分の家族の生活に精一杯の日々が続き、やっと親孝行をしようとした時には、既に親は遠くへ旅立ってしまったという哀しみ、それは三千年以上もの昔からの人々の哀しみでもあったことを『詩経』の詩は教えてくれます。
私事になりますが、私は両親が早くに亡くなったため、親孝行の機会は無いままでした。しかし、両親が私をこの世に生んでくれたこと、短くても「劬労して」私を育ててくれたことに対しての感謝の心は、忘れたことはありません。結婚した時に妻の両親に親孝行できることを、本当に幸せだと思いました。(でも、まだとても「孝行」には届かず、ドラ息子が増えただけの状態でしょうが・・・・)
誰にとっても父母は大切な存在、人生の先輩の方々が皆、健康でいていただきたいと心から願っています。
2000. 3.14 by junji
作品番号 2000-39
天上尋文苑 天上 文苑を尋ぬ 鮟鱇
何恨無人顧我詩 なんぞ恨まん、人のわが詩を顧みる無きを
偏望彼岸捩吟髭 偏へに望む、彼岸に吟髭を捩るを
將来天上尋文苑 將来、天上に文苑を尋ねなば
衒耀倭唇酬和奇 衒耀せん、倭唇酬和するの奇を
<解説>
[語釈]
「文苑」 :文人たちの苑の意。
ここでは、李白や杜甫が今でも詩を作っているに違いないあの世の文苑のつもりです。
「衒耀」 :衒い誇ること。
「倭唇」 :日本人の唇。
鈴木先生のページもありますから、今はひとりではないのですが、わたしが詩を書き始めたころにはまわりに漢詩を書く人がいず、読んでくれる日本人もいず、ただただ孤独に書き綴っていました。そのころの思いを改めて詩にしたものです。
つまり、わたしが漢詩をならう目的ですが、いずれあの世にいったときに、幸いにも唐宋の詩人と出会う機会があるとしたら、下手でもよいから詩の応酬ができたほうがよいだろうと考えています。
そこで、李白や杜甫から新しい詩を示されたときに、困らないようにしておこうと、詩を書く勉強をしています(^-^)。
<感想>
せっかく苦労して漢詩を創っても、誰も読んでくれる人はいず、発表する場も見つからない。
鮟鱇さんのような想いを抱いている方は多いことと思います。詩を作るということは、自分がこっそり読んで楽しむ、というだけで終わるものでは決してありません。誰かに(この「誰か」が自分自身だということも当然あるわけですが)この胸の想いを伝えたいからこそ創作という行為があるわけです。
ところが、そうした基本的な場が漢詩の場合には成立していない。詩を作ってはみたものの、どこに持っていけば他人に見てもらえるのかが分からない、これでは漢詩の普及は望みようがありません。そもそも、創る段階で漢詩は既に障壁をもっているのですから。
もはや現代の現実社会とは無縁の、古典として、趣味の領域としてのみ生存を図るのならば、今述べたような状況でも良いでしょうし、もっともっと小さなマニアの世界に入っていこうが構いません。
でも、漢詩がそこまで行ってしまったとは、私はまだまだ思っていません。このホームページに投稿下さる詩を読んでも、現代を描いた作品が沢山あります。漢詩を創りたい、というお手紙もいくつか頂いています。
詩に詠うべき感動もない人が詩を創れないでいる、それは当たり前のことですから、同情もしません。感性も意欲もありながら、外部の事情により創れない、そういう場合が一番私は残念です。
インターネットのホームページでは、昨年くらいから漢詩関連のホームページが増えてきたように思います。投稿して下さる方の中にも、ホームページを開いている方もいらっしゃいます。それらは、個人としての活動ではありますが、漢詩の窮状を打開する大きな力を持っていると思います。
何よりも、「仲間が沢山いるのだ!」という喜びを、私たちは共有して行きたいと思っています。
鮟鱇さんの詩を楽しみにしているのは、あの世の李白や杜甫ではなく、今この場の私たち、2000年という時代を生きている私たちです。現代の私たちが迷い無く詩を楽しむようになって、その時に初めて、先人に顔を向けられるのだと思っています。
2000. 3.14 by junji
作品番号 2000-40
和鮟鱇先生「瞠目仙翔」詩 河東
一看能令万男狂,
尽為遐思裙下涼。
薄命紅顔成旧土,
仙姿猶自伴詩翔。
<解説>
[訳]
一目見ただけで、多くの男は狂ってしまう。
スカートの下が涼しいだろうと想像してしまうから。
ただ、古来美人は短命で、モンローも死して久しい。
しかし、その美しき姿は猶も詩を伴ってネット間を飛ぶ。
<感想>
先日の鮟鱇さんの詩に、河東さんが和して下さった詩です。
「美人薄命」は女性にとっては、考えてみるとひどい言葉だと思いますが、若くして亡くなった人を悼む言葉なのでしょう。モンローは、でも、今でもあの美貌と名は不滅なわけで、ある意味での「不老不死」の美女と言えましょうか。
2000. 3.14 by junji
作品番号 2000-41
時事有感 一 羊羊
多年撃壌緩官民
妄執私権疎五倫
蟻孔三千催浸蝕
危堤随処八洲濱
<解説>
[語釈]
「撃壌」 :天下太平の例え
「八洲」 :ここでは、日本全国の意味
作品番号 2000-42
時事有感 二 羊羊
萬般爲己小人常
一見公論殆慾望
鴻鵠莫拘夫燕雀
芟除錯節末梢長
<解説>
[語釈]
「芟除」 :草を刈り除くこと
「錯節」 :曲がりくねった木の節
平和、民主、人権の偏重が生んだ現在の日本は、私たちの持っている国家像からは、まったく外れたものになってしまいました。もちろん戦前に比べて良くなった点も多々ありますが、それにしてもタガの緩みはどうしようもありません。
残念ながら21世紀、当面日本は衰退に向かうでしょう。それから復元する力が枯れてしまわないうちに、何とかしなければ・・・。
戦後の基本的な風潮に賛同してきた人々は、とりあえずお引き取りを願いたい。一穴どころか、無数の蟻穴が日本堤を浸蝕してしまっている、と思います。
<感想>
私などは、戦後の生まれとして、先輩が築いて下さった恩恵を受けながらヌクヌクと生きてきた世代ですので、あまり強くは言えないのですが、でも、最近の世相を見ていると、戦後の50年間、私たち日本人が目指してきたのはこんな社会だったのか?という思いは残ります。
何が悪かったのか、誰が悪かったのか、そうした過去への責任論議ではなく、まずはこれからどうするか、羊羊さんが言われるように、「何とかしなければ」という思いを抱いている方は多いと思います。
21世紀に向けての、日本人の哲学が必要な時だと痛感します。
2000. 3.20 by junji
作品番号 2000-43
言 鮟鱇
詼諧誇諷諭 詼諧(カイギャク)、諷諭(フウユ)を誇り
詭辯説譏評 詭辯(キベン)、説いて譏評(キヒョウ)す。
談論詮讙譟 談論、詮(セン)じて讙譟(カンソウ)なるも
誰言譱護誠 誰が言(ゲン)ぞ、譱く誠(まこと)を護らんか?
<解説>
[語釈]
「詼諧」 :調子のよい冗談
「諷諭」 :それとなく遠回しにさとすこと
「詭辯」 :道理にあわないこじつけの論
「譏評」 :事物の欠点をあげつらう批評
「讙譟」 :騒がしい
「譱」 :善の古体字
わたしは太刀掛呂山先生の「漢詩は誰にでもできる」という言葉を信じ、どこまでできるかを実証しようと毎日必ず詩詞を作るようにしています。飲んで遅く帰った日は他日その埋め合わせをします。
毎日漢和辞典を引きます。詩語辞典を見ます。詩詞を念仏とすれば、辞典はお経のような感じもあります。わたしの場合、作詩填詞は、苦行にも似ています。
すると何が起こるか。いつもふざけていたい、そういう気持ちになります。どうやってふざけるか、1に詩の「内容」でふざける、2に「形式」でふざける、わたしは、回文詩が好きですが、回文詩は形式の遊びです。
今回の「言」は、わたしの独創の分野の遊びです。わたしはこれを「偏旁詩」と名付けています。これまでも「馬」「女」「口」「心」で作っています。ただ、評判は頗るよくありません。一に見づらく読みづらい、二に意味がとりにくい。どうしてそうなるのかは、ご想像にまかせます。
しかし、偏旁詩を作っていて、わかったことがひとつあります。それは、JIS第二水準の字は、漢文を書き、漢詩を作るために規格化されたものといっても過言ではないことです。第二水準でかなりの漢文がかけることがわかりました。平仄と韻の上では第三水準の実用化が望まれもするのですが、そうなればきっと、みんなが難しい字を使うことになって、いちいち辞書を引かなければ詩を読めない事態となるでしょう。
偏旁詩を作りながら、それもいかがなものかと思っている次第です。
<感想>
鮟鱇さんは「ふざける」と書かれていますが、ゆとりと言うか、余裕がないとできない作品ですね。
鮟鱇さんのいつもの回文詩も私の大きな楽しみの一つです。
毎日詩作に取り組む、という鮟鱇さんの姿勢を見習いたいと思いつつ、遅々として進まぬ推敲の筆、睡魔に負けてしまいます。「遊び」の気持ちがまだ足りないのだと自分で反省をしています。どうしても肩に力が入るのは、まだまだ創作の数が足りないのでしょう。
「偏旁詩」は、確かに読みにくいとは思いますが、作る方としては楽しく、面白いでしょう。次は私も挑戦してみようと思います。
2000. 3.20 by junji
作品番号 2000-44
読王安石「梅花」 王安石の梅花を読みて 緑丘
梅花誰得似 梅花、誰か似たるを得ん
欲賦恥凡才 賦せんと欲し、凡才を恥ず
無効一杯酒 効無き、一杯の酒
紛紛雪作堆 紛々たる雪、堆をなす
<解説>
紅梅が、開きかけのところに雪が積もり、あわてて思案するも、詩とならず。
雪見酒になり、3日後にやっとまとめたものの、迫力なし。
<感想>
王安石の『梅花』は、今年の立春の「お薦め漢詩」として載せましたが、「雪」「梅」「暗香」を重ねた美しい詩でした。
緑丘さんのこの作品では、「暗香」に替えて「一杯酒」が配され、俗っぽさがやや加味された分だけ主知的な要素が抜け、親しみやすくなったようです。
緑丘さんが「迫力なし」と書かれたのは、どこを指してのことか分かりませんが、転句と結句のつながりの意図が曖昧な感じがしますので、その辺りのことでしょうか。
次は、「雪見酒」も終わったでしょうから、「花見酒」の詩でしょうね。楽しみに待っています。
2000. 3.20 by junji
緑丘さんの「読王安石「梅花」」拝見しました。2000. 3.23
まず、転句が効いてますね。
承句では、私の好みの問題でやや興味を逸らしかけましたが(と申しますのは、詩中に詩作の事を読み込むのが好きではないもので。これはあくまで私の好悪の問題で、善悪ではありませんので誤解の無きよう願いますが)、 そんなもやもやも転句で一転吹き飛ばされ、清々しい気持ちで読み終えました。
結句は「花紅柳緑」と申しますか、自然の為すがままに委ねる悟了を感じました。
「紅梅が、開きかけのところに雪が積もり、あわてて思案するも」すべての人、天才王安石にも一様に向き合う自然の姿を映じているようでした。
作品番号 2000-45
初度述懐 青巒
劫餘回憶似風濤 劫餘 回憶すれば 風濤に似て
家道世途行路労 家道 世途 行路労す
轉轉茲齢躋七秩 轉轉 茲に齢 七秩に躋り
居諸銷苦尚愉騒 居諸 苦を銷かして尚 騒を愉しむ
<解説>
三月三日は私の古稀を迎える誕生日。
戦中戦後を通じての悲惨な生活、大きく人生そのものをも転換せざるをえなかったあの忌まわしい時代。
今静かに振り返って見れば、予想だにしなかった70歳という年齢に到り、過去の悪夢は半ば忘れるように消えてしまい、只、韻詩の愉しみだけが残っています。
<感想>
「古稀」は、杜甫の『曲江』という詩の一節、「人生七十 古来稀なり」から生まれた言葉です。
『曲江』の詩を作った時、杜甫は四十七歳だったそうですが、宮中での生活も思うに任せず、朝廷から帰っては毎日質屋に通って、酒を飲んでいたと詩の前半では詠っています。「どうせ七十歳まで生きていられる奴なんて滅多に居ないんだから、酒飲んで楽しもう、春の景色を楽しもう」と、「おおらかに」と言うか、「やけっぱちに」と言うか、杜甫としては珍しい心情を詠んだ詩ですが、1000年以上もの未来に、「古稀」という言葉を残すことになるとは思いもしなかったでしょうね。。
現代は高齢化社会と言われてはいますが、「古稀」を迎えるのは本当におめでたいことですね。ますます詩作に情熱を傾けられて、素晴らしい詩を読ませていただくことを楽しみにしています。
2000. 3.23 by junji