安求午枕緑陰風 安(いずく)にぞ午枕を求めん、緑陰の風
瞻仰藤花満碧空 瞻仰すれば、藤花、碧空に満つ
万物応愉隆運夏 万物応(まさに)隆運の夏を愉(たの)しむべし
少年宜立学書功 少年宜(よろ)しく学書の功を立つるべし
欲窮一日銘千語 一日を窮め千語を銘ぜんと欲し
更悟無謀紛異同 更に無謀を悟り異同を紛ず
睡意元来喜仙境 睡意は元来仙境にあるを喜ぶ
明朝考試任天公 明朝の考試、天公に任せん
<解説>
どこで昼寝をしようか、緑陰の風が気持ちがよい。
仰ぎ見れば藤の花が咲いて、青空にいっぱいだ。
万物は、今まさに元気いっぱいの夏を楽しもうとしている。
しかし、少年(私)は、よろしく学問の功を立てなければならない。
一日あれば千語ぐらいは覚えたいと思ったが。
また、みずからの無謀を悟り、あれとこれの区別がつかなくなった。
明日の試験のことは、天の神様にまかせておこう。
情去思留秋已濃 情去り思ひ留りて秋、已(すで)に濃く
嫦娥江上淡粧慵 嫦娥、江上に淡く粧ひて慵(ものう)し
君今独不同観也 君今、独りならんか、同じに観んか
月有含愁想婉容 月有りて愁ひを含み、婉容を想ふ
<解説>
月を観て別れた人を想い出す未練の歌です
窓開壁有壁連窓 窓開けば壁あり、壁、窓を連ねり
我識只今在異邦 我は識る、只今、異邦に在り
随処危楼紫空聳 随処に危楼、紫空に聳え
衝天風趣似牙幢 天を衝く風趣は、牙幢に似る
<解説>
ニューヨークの朝の感慨を歌いました。
「牙幢」は、天子の旗で、てっぺんに象牙を使ったよし。
百年遅悟我愚痴 百年遅くして我が愚痴たるを悟る
悟我愚痴共喜詩 我が愚痴たるを悟って共に詩を喜ぶ
共喜詩人帰宴息 共に詩を喜べば人、宴息に帰し
人帰宴息百年遅 人、宴息に帰すること百年遅し
<解説>
この詩は回文詩で、語句の重複を省けば次のようになります。
百年前の漢詩作りがまだまだ盛んだったころに生まれればよかったという思いで作りましたが、呪文のようなもので、意味の方はあまり詮索しないでください。
百
息 年
宴 遅
帰 悟
人 我
詩 愚
喜 痴
共
北風吹処鳥南飛 北風吹く処、鳥南に飛び
妾寄書人思旧稀 妾の書を寄す人、旧を思ふこと稀なり
但願花期鶯比翼 但(ただ)願ふ、花期に鶯の比翼するを
君能勿忘載鵬帰 君能く鵬に載りて帰るを忘るる勿かれ
<解説>
「旧を思うこと稀なり」は、わたしと過ごした楽しい日々を思い出してくれることがあまりないという意味で作りましたが、意味が通じているかどうか。
病床積日似仙居 病床、日を積んで仙居に似る
千客万花填四虚 千客の万花、四虚を填む
惜未聴香発浄土 惜しむらくは未だ香を聴かずして浄土に発たんか
明天晴霽赴華胥 明天、晴霽すれば、華胥に赴かん
<解説>
承句の「千客万花填四虚」瀕死の病人が夢うつつの状態で部屋中に花いっぱいに感じているところをイメージしていますが、そのように受け取っていただけるかどうか。
また、自分の葬式をイメージしているという解釈でもよいのですが、いかがでしょう。
転句、「香」ではなく「経」にしようかとも迷っています。
某氏希賢半衒愚 某氏、賢を望んで半ば愚を衒う
天真童女笑工夫 天真たる童女、工夫を笑う
説道諄諄無我境 諄諄と無我の境を説いていえば
翻疑忘者是何吾 翻(かえ)りて疑ふ、忘者は是れ何(いづ)れの吾ぞ
<解説>
(訳)ある人、賢者と思われたくて馬鹿なことばかり言っていた。
いとけない女の子が、その工夫を笑った。
そこである人、これは無我の境といって
とても高い境地なのだと説いて聞かせる。
女の子は聞いた、私を忘れる私はどんな私なの?
京邑万烏棲 京邑に万烏棲み
高吟枕上啼 高吟して枕上に啼く
有時似人語 時に人語に似て
酔夢白天迷 酔夢、白天に迷う
<解説>
休日、お昼にビールを飲んで昼寝をしていたところ、カラスの声が人の声のように聞こえ、びっくりして目が覚めたという詩です。
この詩は、鈴木先生の平仄・韻検索を用いて予習なしに作りました。
急急忙忙走大街 急急忙忙として大街に走り
為君老舗買金釵 君が為に老舗に金釵を買ふ
一嘗叉髪含羞笑 一たび髪に叉すを嘗みて羞(はじ)を含むの笑み
日坐香雲輝耀佳 日、香雲に坐して、輝耀佳し
<解説>
(訳) 君のためにかんざしを買う
そそくさと大通りを行って
君のために老舗で金のかんざしを買った
(君、)ちょっとためしに髪にさして、はずかしそうに笑う
(かんざしは)太陽が香雲に座しているようで、
きれいに輝いている
詩思何恐大家裁 詩思、何ぞ大家の裁を恐れんや
景在月光情古苔 景は月光に在り、情は古苔
万衆千心励押韻 万衆の千心、押韻に励まば
数篇當敵楽天才 数篇、當に楽天の才に敵すべし
<解説>
解説等は「投稿漢詩のコーナー」の23番接落塵先生的好詩写所感をご覧下さい。
嫦娥天下賞花人 嫦娥は天下の花賞づる人
清照桜雲雨後新 清らかに照らす桜雲、雨後に新たなり
千里徘徊尋勝景 千里徘徊して勝景を尋ね
今宵如雪落英春 今宵は雪の如く落英の春
<解説>
月照って花落ちる
月の女神は天下の花めずる人だ
月が清らかに照らす雲のような桜は、雨の後で新鮮だ
月は千里を徘徊してすぐれた景色を尋ねる
今宵は雪のごとく花の散る春
鮮盛桜花喜彩雲 鮮盛たる桜花、彩雲を喜び
隨風揺蕩乱紛紛 風に隨ひ揺蕩して紛紛と乱る
終天慢舞迎朧月 終天慢舞して、朧月を迎へ
幽夢含英留霧雰 幽夢、英を含んで霧雰に留まる
<解説>
盛桜幽月
鮮やかに咲いた桜の花は彩る雲を喜び
風に隨って揺れて紛紛と乱れ散る
一日中ゆるやかに舞っておぼろ月を迎え
幽玄な夢のように、美しい霧のなかに留まっている
酣宴百家言 酣宴、百家の言
蛙鳴蝉噪喧 蛙鳴蝉噪として喧し
庭前求醒酒 庭前に酒を醒ますを求むれば
月笑促排悶 月、笑ひて排悶を促す
<解説>
大きな宴会では気持が乗り切れず、一人だけ浮いているように感じるときがあります。この詩はそんな気持を歌っています。
宴中人語に厭く
盛んな酒盛り、みんながしゃべる
どうでもいいことばかりでやかましい
庭先で酒をさまそうとすると
月が笑ってクサクサしなさんなという
臨眺夕陽灘 夕陽の灘を臨眺して
恬愉天地寛 恬として天地の寛きを愉しむ
向風船欲去 風に向かひて船、去らんと欲し
自祝渡航安 自ずから渡航の安きを祈る
<解説>
船を送る
高いところから夕陽の灘を眺め
恬然として天地の寛きを愉しんだ
風に向かって船が進んでいく
おのずから渡航の安全を祈る気持ちになった
春陽訪処百花環 春陽訪るる処百花環(めぐ)り
秋月照時苔蘚閑 秋月照る時、苔蘚閑たり
盛夏尋涼愉味読 盛夏には涼を尋ねて味読を愉しみ
厳冬琢句忘人寰 厳冬、句を琢(みが)きて人寰を忘る
<解説>
作詩三昧
春の陽があれば多くの花がまわりをめぐり
秋の月が照れば苔が閑静
盛夏には涼しいところで読書を愉しみ
厳しい冬には詩句をみがいて俗世間を忘れる
頂上藤花月近鮮 頂上の藤花、月近づきて鮮やかなり
千英輝映似星懸 千英輝映して、星の懸るに似る
山崖子夜最危険 山崖は子夜に最も危険なり
払暁騎羚尋便娟 払暁、羚を騎して便娟たるを尋ねん
<解説>
藤の花、月に近く鮮やかだ
山の頂上の藤の花は月に近く、鮮やかだ
あまたの花びらが照り映えて、星が懸かっているかのよう
山の崖は真夜中には最も危険だから
夜が明けたらカモシカに乗って綺麗なそこを尋ねよう
飛機尽処白雲招 飛機尽くる処、白雲招き
吾送佳人天際遙 吾が送る佳人、天際に遙かなり
不要巴黎名産等 巴黎 (パリ) の名産等は不要
客心勿忘思帰朝 客心忘るる勿かれ、帰朝を思ふを
<解説>
女性が男性を見送る詩はたくさんあると思いますが、男性が女性を見送る詩はどうでしょうか。
いい人を見送る
飛行機が見えなくなったところでは白雲が(私を)招いている
わたしが見送るいい人は、天の果てに遙かに去った
パリの名産などはいらないから
旅の心に、帰国を思うことを忘れないでほしい
春暁夢神交 春暁、夢に神と交はる
金烏舞玉梢 金烏、玉梢に舞ふ
宝樹聞泉韻 宝樹、泉韻を聞きて
花如人面咆 花、人面の咆ゆるが如し
<解説>
春 暁
春の暁に夢に神と交わった
金のカラスが玉梢に舞っていた
宝の樹は、泉の音を聞きており
その花は人面で咆えているかのようだった
有名な「春暁」のパロディのつもりですが、できはどんなものか。
下平三肴韻は、平仄は異なりますが、本家「春暁」の上声十七篠と音の響きが似ていて、私にはとても扱いにくい韻です。そこでなかばヤケクソで作りました。
なお、第2句と第3句は、絶句では「粘法」とするのがルールですが、本家「春暁」にならって、「粘法」にしていません。
酔仙操翰藻思高 酔仙、翰を操すれば藻思高く
翰藻思高如怒濤 翰藻の思ひは高く怒濤の如し
如怒濤言将成句 怒濤の如き言、将に句を成さんとし
言将成句酔仙操 言、将に句をなせば酔仙操す
<解説>
酔 仙
酔仙は筆をとれば、詩の構想高く
そのすぐれた文章は高邁で怒濤のようだ
怒濤のような言葉はまさに句となろうとし
言葉がまさに句をなせば、酔仙はそれを口にする
この詩は、回文詩です。語句の重複を省けば、次のように書くことができます。
酔 句 仙 成 操 将 翰 言 藻 濤 思 怒 高 如
月照橋頭人放歌 月橋頭を照らし人放歌す
無関車馬対銀波 車馬を関せず銀波に対す
酔郷已在川中島 酔郷は既に川中島に在り
朗朗吟声夜過河 朗朗たる吟声、夜河を過(よぎ)る
<解説>
月下の酔吟
月は橋頭を照らし、人が高らかに歌っている
通り過ぎる車や馬にはわれ関せずで銀波(月の光)対している
酔って境地はすでに川中島にあって
朗朗と詩を吟じる声が、夜、河を渡っていく
昨晩、会社からの帰りがけに東京渋谷の雑踏のなかで詩吟に興じている人をみかけました。
無関心に通りすぎる人波のなかで直立不動の姿勢で大声を張り上げるのは、ちょっと滑稽でもありますが、本人はいたって気持よさそう。
場所が違えば、たいそう風流なことにも思い、翻って今日の大都会はなんとも風情のないことよと思ったものです。
月光雪後訪寒家 月光、雪後に寒家を訪れ
雲樹沈沈万朶花 雲樹、沈沈として万朶の花
聴到児童玩明夜 聴到す、児童の明夜に玩ぶを
老翁未看厭銀沙 老翁、未だ銀沙を看るに厭きず
<解説>
月下に雪を看る
月光、雪があがって寒家(わたしの家のつもりです)を訪れ
雪は木に降り積もって雲のよう、また、枝は花が咲いたよう
子供たちが明るい夜に遊ぶ声が聞えてくるが、
年老いたわたしは、銀世界を見ているだけで十分。
という情景を画きたいと思った詩ですが、書く下しがあまりうまくいきません。
転句の「聴到」という言葉は、現代日中辞典で見つけたもので、「聞こえてくる」という意味があるようで、そのつもりで使っていますが、書き下し文でどう読めばよいのか、わかりません。
また、結句は、7言の場合、上4言、下3言ずつで意味のまとまりをつけるようにするのがよいのですが、この詩は、「未看厭」で「見厭きない」となっていますので、そのへんがどんなものかと思っています。
なお、転句は、鈴木先生のガイドから離れ、「挟み平」の形にしています。
年終到処酔仙翔 年終、到る処、酔仙翔び
福澤先生市井忙 福澤先生、市井に忙し
以幣為雲飛酒館 幣を以って雲と為し、酒館に飛ぶ
挙杯馬上入清狂 杯を挙ぐれば馬上清狂に入る
<解説>
「年終」は、現代中国語で「年末」をさします。また、表題の「歳暮」も、年末の意味。「年終」としたのは、平仄の関係。また、口語を使えば俗な感じがでるかなと思いました。
「酔仙」は、仙人のように俗世間のことは忘れた酔っ払いのことで、ここでは忘年会の「忘年」をイメージしています。(年−>俗世間)
「福澤先生」は、一万円札。
「幣をもって雲となし」は、仙人は雲に乗って飛ぶからです。
「馬上」は、現代中国語で「すぐに、たちまち」の意味。
解説というより、いいわけの多い詩になりました。
「下平七陽」は、鈴木先生の韻字表を見ても美しい韻字がたくさんあります。本来、いい詩ができなければいけない韻です。
わたしは一日一詩を心がけていますが、ここ二三日、あまり調子がよくありません。
勿題百囀鶯 百囀の鶯を題する勿かれ
今日不聴声 今日声を聴かず
花信空周到 花信、空しくして周(あまね)く到り
梅香徒独清 梅香、徒(いたづ)らに独り清し
冬枝堪雪重 冬枝は雪の重みに堪へ
春杪嘆身軽 春杪は身の軽きを嘆く
時鳥迷帰路 時鳥、帰路に迷ひ
詩思寒意生 詩思に寒意生ず
<解説>
よくさえずる鶯を詩のテーマにしてはいけない
最近はその声を聴くことはないのだから
花のたよりは空しくあまねく届き
梅の香りは(鶯が来ないので)むだにひたすら清らかだ
冬の枝は雪の重みに堪えていたが
春のこずえは(鶯が来ないので)身の軽さを嘆いている
時鳥は、帰り道で迷ってしまったのだろうか
(梅と鶯)の詩を作ろうと思ったが、寒々としてしまった
五言律詩に挑戦しました。五律は大変難しく、いつもうまくいきません。この詩も第3句、第4句、虚辞が多過ぎてうまくできていないと思います。
なぜ、五律がむずかしいのか。律詩は3・4句、5・6句を対句にしなければなりません。七言であれば、それぞれの句の独立性を保ちつつ対句にしてもある程度流れを保つことができますが、五言ではそれぞれの句が独立してしまいますと流れが切れてしまいがちです。絶句では、短いなかで対比の妙を楽しむというようなこともあるでしょうから、それでもよいと思いますが、長い律詩では流れがないといけないと思います。
五律は、2句ずつひとまとめにして、十言を一句とする句4句をつくるつもりで作らなければならず、まんなかの2句はさらに句中対(句のなかの上下を対句にする)にしなければならないので、わたしには難しいと思っています。
また、今回の内容については、そのうち、梅とカラスを題材にして、美しさをめざす詩ができないかと思っています。
暮山青 暮山青く
近湖亭 湖亭に近し
斜日茅蜩占晩庭 斜日、茅蜩、晩庭を占め
簷鈴欲少停 簷鈴、少しき停まらんと欲す
汐声醒 汐声目覚め
見疎星 疎星見ゆ
秋月不勝照落螢 秋月、落螢を照らすに勝へず
天輝新一霊 天に輝やく新しき一霊
<解説>
宋詞(長相思)の投稿について
ルール違反ですが、鈴木先生の律詩の投稿フォームをお借りして宋詞に挑戦させてください。
宋詞は唐に始まり宋の時代に盛んになった韻文で、唐詩が各句同数の語であるのに対し、長短を織りまぜた句を連ね、定型詩から自由詩への展開にも似た流れを感じさせてくれます。
しかし、そうはいっても定型は定型で、ただ、ひとつひとつを詞牌と呼ぶ詩形がたくさんあって、唐詩にはない自由な感じを与えてくれるのです。
この「長相思」はその詞牌のひとつ。私がこの詞牌に興味をもっていますのは、日本の和歌・俳句にも似た響きがあることと、全体8句が平声韻の一韻到底ですので、漢詩を作るさいの韻字の勉強・練習に適している思っているからです。ですから、わたしも、この詞牌以外の詞は作ったことはありません。
最後に、「長相思」の形式ですが、わたしなりの勉強で正しいかどうかですが、おおむね次のとおりではないかと思います。
@ 各段4句の2段構成、前後段同形で、字数・韻・平仄を鈴木先生がお使いの記号 (○=平 ●=仄 △=平仄不問 ◎=平韻)で示せば、
前段:●○◎ ●○◎ △●△○△●◎ △○△●◎
後段:●○◎ ●○◎ △●△○△●◎ △○△●◎
A 各段とも各句字数は上記のとおり3375、韻は一韻到底ですが、
平仄は制限があるものかどうか、わかりません。
しかし、わたしが二三調べてみたところでは、絶句や律詩と同様に、
○○●●、あるいは●●○○を基本としているように思います。
緑層層 緑、層層とし
路登登 路 (みち) は登って登る
四国山中行脚僧 四国山中、行脚の僧
勤求眼似鷹 勤求して眼は鷹に似る
月澄澄 月、澄澄として
気稜稜 気は稜稜
草宿露華濡袖凝 草宿(野宿)すれば露華、袖を濡して凝る
何時到大乗 いずれの時ぞ大乗に到らん
<解説>
前作に続き、宋詞です。
孤羊辞去首丘留 孤羊、辞去して丘に首(むか)ひて留まる
遙看白群窪野游 遙かに看る、白き群れの窪野を游(ゆ)くを
登隴如雲行遠尽 隴(おか)を登って雲の如く行きて遠くに尽きる
明天独往草原愁 明天、独り往く草原の愁
<解説>
旧作です。
漢詩作りを始めて半年、ようやく30首ほど作ってみたところでの作です。
漢詩なんか作っていてはみんなから取り残されるように思いながらの一首で、思い出の多い詩です。
鈴木先生のページのおかげで、世の中ひとりではないなと今は思っていますが、当時はこれでひとりになるかも知れないと思っていました。
今回の鮟鱇30韻遍路、新作に挑戦しなくては意味がありませんが、一度くらいは振り返らせてください。
なお、起句の「首丘」は「狐死首丘」を踏まえています。狐は死ぬ時に故郷の丘に首を向けるというのがこの言葉の意味ですが、私の場合は、かのキトラ古墳の時代に溯る歴史をもつ(?)綿々たる日本漢詩千年(1500年?)の伝統への回帰のつもりです。
日光燦燦樹森森 日光燦々、樹は森森
高唱尋幽遊碧林 高唱して幽を尋ね碧林に遊ぶ
風葉飄揺如蝶舞 風葉、飄揺して蝶の舞ふが如く
那辺迷径不知今 那辺ぞ、径に迷ひて今を知らず
<解説>
日光はさんさんと降り注ぎ、木は繁って繁る
大声で歌いながら幽玄の境地を求めて緑の林をゆく
風にゆらぐ葉はゆらゆらと蝶が舞っているかのよう
ここはどこ? 道に迷ってこの世ならぬ 「今」と出会った
電網包羅詩客庵 電網、詩客の庵を包羅して
流觴曲水四時覃 流觴曲水、四時に覃(およ)ぶ
鈴声悲響亘星夜 鈴声(風鈴)の悲響、星夜に亘(めぐ)り
木母暗香乗夕嵐 木母(梅)の暗香、夕嵐に乗ず
老少応親平仄詠 老少、応に平仄に親しみて詠むべし
春秋宜養藻思耽 春秋に宜(よろ)しく藻思を養ひて耽るべし
淳淳亭主窮周到 淳淳たる亭主、周到を窮め
次比韻牌覓句談 韻牌を次比(ならべ)し、句を覓(もと)めて談ず
<解説>
鈴木淳次先生がインターネット上に作られた平仄韻検索システムに寄す
インターネット、詩人の家々を覆い包んで
(三月三日に行う)流觴曲水の宴を、いつでも開けるようになった
風鈴の悲しい響きが星夜にめぐる(詩を作る人もいれば)
姿の見えない梅の香りが、夕方の大気にただよう(詩を作る人もいる)
老いも若きも、まさに平仄に親しんで、(詩を)詠むべくである
春や秋によろしく詩を作る才能を養い、(作詩に)ふけるべきである
ホームページの主催者はとても誠実で周到を窮め
平仄・韻検索システムを作って広く詩の応募を求め
(その一作一作について)談じてくれるのだから
欲作佳詩抽韻籤 佳き詩を作らんと欲して韻籤を抽(ひ)き
天心得意中難塩 天心意を得て、難しき「塩」を中(あ)てる
不能発想徒呵筆 想を発する能はずして徒らに筆を呵し
掻痒禿頭摩白髯 禿頭を掻痒して白髯を摩(な)ず
<解説>
いい韻を得ず頭を掻く
いい詩を作ろうと韻籤をひいたが
天は心得たもので、難しい「塩」韻があたってしまった
イメージがわかず、寒さで凍る筆の先に息をいたずらに吐き
はげた頭のかゆいところを掻いたり白い髯を撫でたりするばかり
暁悟自称凡 暁悟して自ら凡と称し
養廉逃轡銜 廉を養って轡銜(ヒカン)を逃る
黄泉無爵禄 黄泉に爵禄なし
此岸避譏讒 此岸に譏讒(キザン)を避く
<解説>
爵禄は人臣の轡銜なり(「准南子」の言葉から)
大いに悟って自分は凡人と称し
清廉に暮らしてたずなとくつわ(俗世間の制約)とはオサラバしよう
どうせ地獄には地位や給料なんかはないし
(目立たないように暮らせば)この世でも人から悪口をいわれることはない
(ひとこと)
鈴木先生のページのおかげで始めることのできました30韻30詩、
この詩で終わります。
終わりよければなんとかですが、上平声1東はかなりいい調子だったのに最後はどうだったか。
高校生のみなさん、日本人がまともに漢文を学ぶのは高校時代しかありません。わたしも然り。大切にしてください。
それでも授業中に眠くなるのだったら、私の上平声1東、最後の2句、自分でいうのも何ですがあれはなかなかいい句ですから、ぜひ思い出してください。
睡意(=眠気)は元来、仙境を喜べり
明天(=明日)の考試(=試験)、天公に任せん
現代中国語では大体、次の発音になります。
スウェイ ユワンライ シー シェンジン
ミンテン カオシ レン ティエンコン
どうです。なかなかの調子でしょう。
が、最後。下平声15咸、難儀しました。
平声30韻、番号をつけて並べるなら下平声13覃を最後にもってきてくれればよかったのにと、中国宋の時代の、誰でしたっけ、百六韻を編んだ偉大な先達を恨んでいます。
鮟鱇喜海瞑、大抵昏昏睡、点火口前灯、奇魚鱗聚戯
ではまた、鈴木淳次先生のこのすばらしいページでお会いしたいと思います。
平成10年12月20日 鮟 鱇 記