作品番号 2023-61
山郷秧田
過日数翁鋤宿草 過日 数翁 宿草を鋤き
今朝衆女挿新秧 今朝 衆女 新秧を挿す
梯田午餉閑談熱 梯田の午餉 閑談熱く
何処鐘声報夕陽 何処の鐘声ならむ 夕陽を報ず
<解説>
このあたりの棚田は、絵葉書で見るようなスケールではなく、山からの小さな流れに沿って、わずかな土地も農地にしてあります。
狭くて農機は使えませんので手作業です。
上流にはわさびが自生、棚田の上のため池は、子供のころ泳ぎを覚えたところです。
いっしょに遊んだ何人かは、すでに鬼籍に入りました。
遠い昔の話です。
<感想>
前対格ですが、中二字の「数翁」と「衆女」の対比が、農村の実状をよく伝えていますね。
「宿草」と「新秧」の対応も時間軸が示されて面白いと思います。
後半は展開が速くなり、転句でお昼、結句ではもう夕方という流れ、その間を「閑談熱」で繋ぐわけです。
狭い土地なのでお昼前には田植えが終り、午後は仲間と楽しく話をする、「閑」の字がここも生きていますね。
ただ、読者には「もう仕事は終わった」と伝わらず、極端に言えば「午後は働かずに、ずっとサボっていた」と読みますね。
「狭い田地」という情報を転句に入れて、「閑談」の方を結句に持って行くと、「夕陽」も効果が出ると思いますよ。
2023. 5.31 by 桐山人
いつも適切なご指導をありがとうございます。
具体的な推敲案まで示していただきながら、なかなか推敲にいたらず、恥ずかしい限りです。
2023. 6.15 by 石華
結句の「啞啞」は「笑い声」を表す言葉、穏やかな時間が感じられますね。
2023. 6.20 by 桐山人
作品番号 2023-62
(無題)
戦乱何人不想邦 戦乱 何人か国を想はざらん、
中原父老漢王幢 中原の父老 漢王の幢(はたさしもの)。
南風列島流蛍夜 南風の列島 流蛍の夜、
朔気山村積雪窓 朔気の山村 積雪の窓。
踏陸初知深蜀道 陸を踏んで初めて知る 蜀道の深きを、
浮舟未済大長江 船を浮かべて未だ済らず 長江の大きいさ。
粧紅装素還妖嬈 紅く粧ひ素く装へばまた妖嬈たり、
此国多嬌使賊降 此の国は多だ嬌しく 賊をして降さしむ。
<解説>
90年代に書いたものを整理していた時に出てきたので取り敢えず投稿することにしました。
中国と言うとどうしても『三国志』のイメージで、騎馬隊が広い平原を砂煙を巻き上げながら走る、そんなイメージから抜け切れず。
(今ではそんなことはないですが)
中国文学をする以上大陸への憧れが強かったのだな〜と思い出しながら懐かしく眺めていました。
コラージュのような作り方なので出来はまあさておき、この韻で律詩が作れるものなら作ってみましょうと試みに書いたものです。
まだ二十代だったのですね。
<感想>
題名が書かれていなかったせいもあると思いますが、何が書かれているのか、でまず悩みました。
「コラージュ」のような、と仰ってますから承知の上なのでしょうが、各聯の繋がりも飛躍が大きく、この詩はちょっと読み辛いです。
「90年代」ということですと三十年近く前、若さと才気が感じられる詩というところでしょうか。
2023. 6.22 by 桐山人
作品番号 2023-63
題行田園林
薫風満苑路 薫風苑路に満つ
一望白菖園 一望す白菖の園
抱葉林禽宿 葉を抱きて 林禽宿る
縫花胡蝶翻 花を縫ひ 胡蝶翻る
閑看忘片刻 閑かに看る 片刻を忘れ
静坐憶乾坤 静かに坐し 乾坤を憶ゆ
時復娯才女 時に復た才女と娯しまん
百千野趣存 百千の野趣存す
<解説>
さわやかな初夏の風が庭園の中の道に満ちて
見渡すと菖蒲の花が庭園一杯に咲いている
林の葉隠くれに鳥たちがやすんでいて
花の間を縫うようにして蝶がひらひら舞っている
のんびりと見ているとわずかな時間すら忘れそうだ
静かに座って天地自然のことを思う
いずれまた才知あふれる女性と、この園林でふたたび楽しみ
多くの自然の趣が残っている所である
この作品は2017年に先生に添削いただいた詩です。
五言律詩としての体裁がなってなかったので、先生にはしつこくてすいませんが、また悔しくて推敲してみました。
一応良く考えて対句を構成したものの、内容が空虚で意味の通りや詩全体にインパクトが感じられないかもしれませんが美的に作ったつもりです。
僕の予感では多分、出来は悪いような気がします。
<感想>
そうでしたね、以前にいただいた作品は「行田題園林」でしたね。題名をまず直しましたね。
五言律詩の体裁も出来上がり、詩作を続けてこられた成果が出ていますよ。
平仄の点では、第一句は「下三仄」です。「下三平」に比べて厳しくは言われませんが、例えば「満園路」を「流園路」にするとか、「C苑路」とすれば解消することですので、直しておきましょう。
もう一点は、最後の句が「二字目の孤平」、これは七言句の「四字目の孤平」と同じく、禁忌です。「応知千趣存」(応に知る 千趣の存するを)。
あと、頸聯の二句、「閑」「静」は変化が無いので「静」を「独」に、「看忘」「坐憶」と動詞が重なり、「看」「坐」はあまり意味の無い言葉ですね。
「片刻」は修飾語と名詞、「乾坤」は名詞二つの熟語ですので、ここは語の対応としては甘いですが、句の構造としては述語に対する目的語で同じ役割、悪くはありません。
2023. 6.22 by 桐山人
作品番号 2023-64
梅雨絶句
街中嬌女級友多 街中の嬌女 級友多し。
未解風流踏拍歌 未だ風流を解せざるに 拍を踏み歌ふ。
携傘雲空晴又雨 傘を携へ曇り空、晴又雨、
逍遥親唄小期過 逍遥と唄に親しみ 小期過ぎる。
<解説>
梅雨時は何かとうっとうしいですが、それならそれなりに風情を楽しみましょう。
<感想>
「級友」とありますので、これは女子高校生か、中学生でしょうかね。
雨の晴れ間の街中を楽しそうに闊歩する姿が目に浮かびますね。
起句は平仄が合いませんので、下三字を「友朋多」「学朋多」でしょうね。
転句はの子たちの姿とも取れますが、そうすると結句も同様になってしまい、全編が同じような景色で、展開が間延びした感じになります。
後半からは作者の行動と見た方が動きが出ます。
結句の「小期」は「短い時間」のことでしょうか、「小時」で通じると思いますが。
2023. 6.23 by 桐山人
作品番号 2023-65
梅雨絶句 其二
暗色幾重帯雨衣 暗色幾重にも 雨を帯びたる衣、
花顔如玉露陽輝 花顔 玉のごとくして 露陽輝く。
聖山靉靆含情影 青山靉靆として 情を含む影、
溜水虹橋映夢飛 溜まり水 虹橋 夢を映して飛ぶ。
<感想>
起句は「四字目の孤平」になっています。
「帯」を平声の字に替えるか、「重重」としても良いですね。
承句は、「花顔」が既に比喩になっていますので、それを更に「如玉」と比喩するのは、逆に実体が曖昧になってしまいます。
それとも、この「花顔」は「花の姿」ということでしょうかね。
転句は「聖山」では何やら分かりませんので、読み下しの「青山」が正しいのでしょうね。
となると、雨は上がっているわけですので、「靉靆」が「雲がたなびく」「雲が(日を)おおう」、青青とした山には雲が懸かっていると遠景。
結句が「溜水」と近景に来ましたので、できればそのまま続いてほしいところ、「虹橋」からまた遠景は流れが悪いです。
「溜水」を使いたいというお気持ちでしたら、承句に置いた方が適するでしょうね。
2023. 6.23 by 桐山人
作品番号 2023-66
新譜・冥府賞櫻
髑髏頭頂, 髑髏の頭頂に,
花神翻袖旋旋舞。 花神 袖を翻して旋旋と舞ふ。
撒艷雪繽紛, 艷雪の繽紛たるを撒けば,
櫻雲噴涌流冥府。 櫻雲 噴いて涌き冥府に流る。
幽鬼聞香, 幽鬼 香りを聞(か)ぎ,
清晨夢醒, 清晨 夢醒めて,
曳杖離開墳墓。 杖を曳き墳墓より離開(はな)る。
探春妍、遊覽湖邊, 春妍を探って、湖辺を遊覧し,
賞景悠然龜歩。 景を賞(め)で悠然と亀のごと歩む。
○ ○
死後無塵務, 死後に塵務無く,
有旗亭美酒, 旗亭に美酒有り,
洗滌腸肚。 洗滌す 腸と肚(はら)を。
醉來乘興, 酔ひ来って興に乗り,
覓句將佯詩虎。 句を覓(もと)めて詩虎の佯(ふり)をす。
平仄玲瓏, 平仄は玲瓏,
巧押風韻, 巧みに風韻を押(ふ)み,
諷詠擬唐温故。 諷詠 唐に擬(なぞら)へて故(ふる)きを温む。
和蒼庚、黄昏明囀, 蒼庚(ウグイス)の、黄昏(たそがれ)に明るく囀るに和し,
共仰紫穹金兎。 共に仰ぐ 紫穹の金兎を。
<解説>
「花神」: 花を咲かせる神。
「艷雪」: 白い花。雪のように飛ぶ花。
「冥府」: 冥土。あの世。
「幽鬼」: 亡霊。
「清晨」: 早朝。
「離開」: 離れる。
「春妍」: 春の美しい景色。
「龜歩」: 亀のごとく歩む。
「塵務」: 人の世の煩わしい仕事。
「旗亭」: 酒亭。
「腸肚」: 腸と腹。
「詩虎」: 詩の達人。
「風韻」: 風雅な響き。
「蒼庚」: ウグイス。
「紫穹」: 天空。
「金兎」: 月。
私はこの春、題を「冥府賞櫻」とする詞167体167首を詠みましたが、
いずれの詞も「髑髏頭頂花神舞」あるいは「髑髏頭頂,・・花神・・舞」という句に始まる同工異曲の詞です。
既存の詞譜を踏まえて似たような詞をいくつも詠んでいるうちに、詞譜に合わせる都合で無くてもよい字を填めたり、
入れたい句を省かなければならなかったりで、いっそ自分で詞譜を作りつつ詠んでみようと思うようになりました。
そういう自製の詞を4首ほど詠みましたが、これらの詞には詞牌としての名がないので「新譜」としています。
敢えて詞牌を名付けるなら「冥府櫻」、というところでしょうか。
以下、拙作新譜「冥府櫻」の詞譜。ご参考まで。
冥府櫻 詞譜・雙調101字,前段九句四仄韻,後段十句五仄韻 鮟鱇
△○▲●,△○▲●△○仄。●▲●△○(一四),△○▲●△○仄。▲●△○,△○▲●,▲●△○△仄。●△○、▲●△○,▲●△○△仄。
▲●△○仄,●△○▲●(一四),●▲○仄。△○▲●,▲●△○△仄。▲●△○,△○▲●,▲●△○△仄。●△○、△○▲●,▲●△○△仄。
○:平声。△:平声が望ましいが仄声でもよい。
●:仄声。▲:仄声が望ましいが平声でもよい。
仄:仄声の押韻
(一四):前の五字句は,上二下三ではなく,上一下四に作る。
作品番号 2023-67
水龍吟・冥府賞櫻
髑髏頭頂花神舞, 髑髏の頭頂に花神舞ひ,
艷雪亂飛冥府。 艶雪 冥府に乱れ飛ぶ。
櫻雲噴涌, 桜雲 噴いて涌き,
亡魂夢醒, 亡魂 夢醒め,
離開墳墓。 墳墓より離開(はな)る。
曳杖春遊, 杖を曳いて春遊す,
湖邊形勝, 湖辺の形勝,
鱗漣輝處。 鱗漣(りんれん)の輝くところ。
望芳塵輕泛, 芳塵の軽く泛(う)かぶを望めば,
宛如星漢, 宛も星漢の如く,
玩佳景、隨龜歩。 佳景を玩ぶに、亀のごとき歩みに随ふ。
○ ○
死後絶無世務, 死後は絶へて世務無く,
有旗亭、酒沾腸肚。 旗亭に、酒の腸肚を沾(うるお)す有り。
醺然美醉, 醺然と美醉し,
喜乘吟興, 喜びて吟興に乗り,
笑佯詩虎。 笑みて詩虎の佯(ふり)をす。
欣賞風光, 風光を欣賞し,
巧調平仄, 巧みに平仄を調(ととの)へ,
擬唐温故。 唐に擬(なぞら)へ故(ふる)きを温む。
和蒼庚巧囀, 蒼庚(ウグイス)の巧みに囀るに和し,
黄昏諷詠, 黄昏に諷詠し,
仰天金兎。 天の金兎を仰ぐ。
<解説>
「花神」: 花を咲かせる神。
「艷雪」: 白い花。雪のように飛ぶ花。
「冥府」: 冥土。あの世。
「亡魂」: 亡霊。
「離開」: 離れる。
「鱗漣」: 鱗を連ねるかのようなさざ波。
「芳塵」: 散った花びら。
「星漢」: 銀河。
「龜歩」: 亀のごとく歩む。
「世務」: 人の世の仕事。
「旗亭」: 酒亭。
「腸肚」: 腸と腹。
「詩虎」: 詩の達人。
「蒼庚」: ウグイス。
「金兎」:月。
拙作同工異曲の詞「冥府賞櫻」167体167首のなかで、一首を自選するなら、この作にしたいと思っています。
以下、「水龍吟」の詞譜。ご参考まで。
水龍吟 詞譜・雙調102字,前段十一句四仄韻,後段十一句五仄韻 蘇軾
△○△●○○●,△●△○○仄。△○△●,△○△●,▲○△仄。△●○○,▲○△●,▲○△仄。●▲▲△△(一四),△○▲●,△○●、○○仄。
△●△○▲仄,●○○、▲○△仄。▲○△●,△○△●,△○▲仄。△●▲○,▲○○●,●○○仄。●○○●●(一四),○○▲●,▲○○仄(一三)。
○:平声。△:平声が望ましいが仄声でもよい。
●:仄声。▲:仄声が望ましいが平声でもよい。
仄:仄声の押韻
(一四):前の五字句は,上二下三ではなく,上一下四に作る。
(一三):前の四字句は,上二下二ではなく,上一下三に作る。
作品番号 2023-68
黄鶯兒・賞櫻冥府
髑髏頭頂花神舞, 髑髏の頭頂に花神舞ひ,
靉靉櫻雲, 靉靉たる櫻雲,
噴涌湖邊, 湖辺に噴いて涌く。
艷雪繽紛, 艷雪 繽紛として,
飄飛冥府。 冥府に飄飛す。
招舊鬼喜春暄, 招きたる舊鬼 春暄を喜び,
探勝堪觀睹。 探勝す 觀睹(みる)に堪ふるを,
比肩接踵逍遙, 肩を比(なら)べ踵を接して逍遙し,
竟到旗亭, 竟(つい)に旗亭に到り,
沽賣甘露。 甘露を沽賣(か)ふ。
○ ○
村婦, 村婦,
媚笑侑甜娘, 媚笑して侑(すす)めたる甜娘(さけ),
美味温腸肚。 美味にして腸肚を温む。
醉來乘興, 酔ひ来って興に乗り,
觸景生情, 景に触れて情を生じ,
醺然吟扮詩虎。 醺然と吟じて詩虎に扮す。
押雅韻擬唐風, 雅韻の唐風に擬(なぞら)へたるを押(ふ)み,
諷詠如鸚鵡。 諷詠すること 鸚鵡の如し。
放聲酬和黄鶯, 聲を放ちて酬和す 黄鶯の,
振翼啼昏暮。 翼を振ひ昏暮に啼くに。
<解説>
「花神」: 花を咲かせる神。
「靉靉」: 雲の盛んなさま。
「艷雪」: 白い花。雪のように飛ぶ花。
「冥府」: 冥土。あの世。
「舊鬼」: 亡霊。
「春暄」: 春の暖かさ。
「比肩隨踵」: 人が混雑しているさま。
「旗亭」: 酒亭。
「甘露」: ここでは美酒。
「甜娘」: 酒。
「腸肚」: 腸と腹。
「詩虎」: 詩の達人。
「黄鶯」: ウグイス。
私は春は毎年、櫻のある風景を詞に詠んでいます。
今年は「そうだ桜を詠もう」と嘯いて、91字から95字までの詞126体126首を詠みました。
その間に「髑髏頭頂花神舞」という句を思い付き、冬の死と春の再生を詠んでみたいと思い、
題を「冥府賞櫻」とする同工異曲の詞167体167首を詠みました。
同工異曲は、異なる詞体で同じテーマを詠むものですが、多くの詞体を試す過程で語彙を増やし、熟練し、平仄と押韻に身を委ねつつも、自由に淀みなく筆を進めることができるようになります。それを楽しみます。
81字の「柳初新」を11分、109字の「霜葉飛」を19分、114字の「瑤台月」を21分。
この作詩速度では、詞譜の句の平仄と押韻を一瞥すれば直ちに詩句が頭に浮かぶ、そういう境地に浸れます。
そこで、詞を詠みながら早口言葉を楽しむようなもので、愚行といえば愚行ですが、思いのままに筆が進むことは、とても快いです。
お笑いください。
以下、「黄鶯兒」の詞譜。ご参考まで。
黄鶯兒 詞譜・雙調96字,前段十句四仄韻,後段十句五仄韻 柳永
△○○●○○仄,▲●○○,○●○○,△△○○,▲△○仄。○●●●○○(一五),●●○○仄。●○○●○○,●●○○,○●○仄。
○仄,●●●○○,●●○○仄。●○○▲,●●○○,○○▲△○仄。○●●●○○(一五),●●○○仄。●▲▲●○○,△●○○仄。
○:平声。△:平声が望ましいが仄声でもよい。
●:仄声。▲:仄声が望ましいが平声でもよい。
仄:仄声の押韻
(一五):前の六字句は,上一下五に作る。
<感想>
解説を拝見しながら、初唐の張説の「出語總成詩(語を出だせば 総て詩と成る)」という句を思い出しました。
張説は酔った時の感覚として書いていますが、鮟鱇さんは現実としてこの境地に到っているわけで、ただただ「凄い」としか言えませんね。
同じ時代に、同じ国に生きて、こんなに自由に詩を楽しんでいる「詩人」の作品に直に触れることができる、本当に嬉しい限りです。
2023. 6.26 by 桐山人
作品番号 2023-69
早春雜詠
對机休耨白頭翁 机に対(むか)ひ 耨(どう)を休む 白頭の翁
俄雨餘寒曉景濛 俄雨 余寒 暁景濛(くら)し
夢死醉生非我意 夢死 酔生 我が意に非ず
詩中有画恪勤充 詩中 画有らざるも 恪勤(かっきん)充つ
「休耨」: 農作業を休む
「恪勤」: つつしんで勤める
<感想>
こちらの詩は、言わば「晴耕雨読」のものですね。
起句で「對机休耨」と畑を休むことが出て、どうしたのかなと思うと理由が承句に来る、謎解き風の展開です。
まだ「早春」ですから「餘寒」があり、「俄雨」で靄っているということですね。
「俄雨」ではちょっと弱いので、「朝雨」として、下の「暁景」は「野景」で。
起句の「机」は仄字である「几」の代用として使われるため、両韻ではなく仄字だとされることが多いです。
「雨読」の意味合いを考えて「對書」とすれば良いでしょう。
さて、仕事が無いなら朝から一杯飲んで、となっても良いですが、「酔生夢死」は望みでは無いわけで、詩作に頑張るぞという結末は希望が湧きます。
結句の「詩中有畫」は「画が有る」で読み下しのように「画有らざるも」と打ち消しにはなりません。
「画有りて」と訓読しても通じるとは思いますが、否定で行くなら「無畫」でないといけませんね。
by 桐山人
作品番号 2023-70
春曛
光風霽月爽宵春 光風 霽月 爽宵の春
靜謐寒燈簡素辰 静謐 寒灯 簡素の辰
一刻千金詠詩樂 一刻 千金 詠詩楽しみ
胸懷洒落好杯親 胸懐 洒落(しゃらく) 好杯親しむ
<感想>
「春曛」は春の夕暮れ、「光風霽月」は「日光の中を吹きわたる爽やかな風と、晴れた空に浮かぶ月。転じて、心が澄んで何のわだかまりもなく、爽快であること」という意味ですね。
『愛蓮説』で知られる北宋の周敦頤(しゅうとんい)のことを「光風霽月の如し」と、同じ北宋の黄庭堅が評していました。
承句の「寒燈」は冬の夜の灯火になりますので、春の夜にはどうでしょうね。「孤燈」が良いです。
結句は「胸懷洒落(きょうかいしゃらく)」、これも周敦頤のことを表した言葉で「胸の中がさっぱりとこだわりが無い」という心境、春夜を楽しむ気持ちが後半からよく感じられますね。
[参考]
愛蓮説 周敦頤(北宋)
水陸草木之花、可愛者甚蕃。
晋陶淵明独愛菊。自李唐来、世人甚愛牡丹。
予独愛蓮之出淤泥而不染、濯清漣而不妖、中通外直、不蔓不枝、香遠益清、亭亭浄植、可遠観而不可褻翫焉。
予謂、菊華之隠逸者也、牡丹華之富貴者也、蓮華之君子者也。
噫、菊之愛、陶後鮮有聞。蓮之愛、同予者何人。牡丹之愛、宜乎衆矣。
(『古文真宝後集』)
水陸草木の花、愛すべき者甚だ蕃(おお)し。
晋の陶淵明、独り菊を愛す。李唐より来(このかた)、世人甚だ牡丹を愛す。
予は独り 蓮の汚泥より出でて染まらず、清漣に濯(あら)はれて妖ならず、中は通じ外は直く、
蔓(つる)あらず枝あらず、香遠くして益(ますます)清く、亭亭として浄(きよ)く植(た)ち、遠観すべくして褻翫(せつがん)すべからざるを愛す。
予謂(おも)へらく、菊は華の隠逸なる者なり、牡丹は華の富貴なる者なり、蓮は華の君子なる者なりと。
噫(ああ)、菊を之れ愛するは、陶の後に聞く有ること鮮(すくな)し。蓮を之れ愛するは、予に同じき者何人ぞ。牡丹を之れ愛するは、宣(むべ)なるかな衆(おお)きこと。
※末文の「菊之愛」「蓮之愛」「牡丹之愛」の「之」は、倒置法で目的語を前に置いた時に、目的語を示す役割の字。
by 桐山人
作品番号 2023-71
立春即事
鷄晨樹下曉寒加 鶏晨 樹下 暁寒加はる
草木春光三四花 草木 春光 三四の花
氣宇自如天地下 気宇 自如として 天地の下
平常小善一杯茶 平常の小善 一杯の茶
<解説>
立春間近の庭の霜柱と水仙の蕾を見つけました。
<感想>
起句と転句で「下」が重複しましたね。
まずは起句ですが、「樹下」は作者の立ち位置を示していて、朝方に庭に出て木の下に居たら、寒さをぐっと感じた、という形です。
ただ、ここで「樹下」は範囲が狭く、「木の下だけが寒さが募る」ように感じます。
取りあえず、承句の「草木」と入れ替えて置くと、話の流れは分かりやすくなります。
「鷄晨」で「鶏が鳴く夜明け」、下の「曉」と同じ意味になりますので、下三字を「尚寒加」としましょうか。
承句は「樹下春光三四花」となりますが、寒さとの関わりを出すなら「淺春」で。
転句は「気宇」だと「広い心」という意味になります。「自如」と合わないので、「心気」としておくのが良いです。
下三字は立春を表す形で「怡節季」で「節季を怡(よろこ)び」が良いですね。
結句は良いですね。
by 桐山人
作品番号 2023-72
詠佛事
父兄佛餉一枝梅 父兄の仏餉 一枝の梅
偕老昔談C宴開 偕老 共談 清宴開く
不易月光知我意 不易の月光 我意を知る
平生長久望常哉 平生の長久 常に望む哉
<解説>
父の四十七回忌、兄の三十三回忌を実家が行ってくれました。
仏餉に一枝の梅が添えられていて、 平和なればこそ仏事も続けてもらえると思いました。
<感想>
お父様もお兄様もまだまだお若い内に亡くなられたのですね。
「佛餉」は仏様に供えるお米ですが、「お供え」という感じで使っています。
承句の「偕老」は夫婦のことを指しますので、ここは作者のご夫妻でしょうか。
二人だけの法要ということではないようですから、「親眷」が良いですね。
転句は「我意」は結句の内容になるわけですが、「不易」では繋がらないですね。
「昔と変わらない月の光」とくれば、やはり「昔の思い出を語る」という感じですので、承句の「昔談」がこちらに来てほしいですね。
承句は「春日眷親C宴開」として、転句は「不易月光談昔事」が良いですかね。
結句は下三字の語順がおかしく、「常」が「望」の上に来なくてはいけませんが、そうすると平仄が崩れます。
語順を換えて「常望長久太平催」「常に望む 長久に太平催すを」という感じですかね。
by 桐山人
作品番号 2023-73
初春訪湯島天滿宮
菅廟東風春色回 菅廟 東風 春色回り
聖丘馥郁美人來 聖丘 馥郁 美人来たる
一行雅客揮詩筆 一行の雅客 詩筆を揮へば
花咲禽吟不問才 花は笑いて 禽は吟じて 才を問はずと
<解説>
昔、春さきに観梅で湯島天神を訪ねた時、俳句の会の一行に遭遇しました。
しかし、強く記憶にあるのは、合格祈願(御礼)の受験生の多さと、山のように掛けられた絵馬に圧倒されたことです。
<感想>
湯島天神は上野の不忍池の向かい側、「湯島の梅」で知られますね。
承句の「聖丘」は最初「湯島聖堂」かと思いましたが、それですとちょっと広がり過ぎ、転句の光景が分かりにくくなりますので、同じ場所を言ったものと理解しました。
誤解を避けるなら、「C香馥郁」としちゃった方が良いかも。
転句は「不問才」を「花」や「禽」の言葉と取れば面白いのですが、作者の言葉と受け取るかもしれません。
そうなると、「賀客」に対して失礼な話になりますので、そうですね、「佐好才」「興更催」など。
別案もいただきましたが、
菅廟東風春色回 菅廟 東風 春色回り
聖丘馥郁美人來 聖丘 馥郁 美人来たる
考生群聚抑雅客 考生の群聚 雅客を抑へ
献納祈符壓萬梅 献納の祈符 万梅を圧す
これも面白いですが、受験生の話ならば、承句は「美人」よりも「梅」と言ってしまった方が良いですね。
同様に、受験生に対応させて「雅客」は「行客」とただの通行人にした方が良いですね。
後半は「抑賀客」と「壓萬梅」は、どちらも「他を圧倒する」という趣で、似通っています。
平仄も合わせて「壓(抑)行客」、「萬朶堆」ならば良いでしょう。
by 桐山人
作品番号 2023-74
早春佐布里村
昨日融融群鳥囀 昨日 融融 群鳥 囀り
今朝剪剪碧池漣 今朝 剪剪 碧池 漣(なみだ)つ
春風踏脚芳林里 春風 脚を踏む 芳林の里
只待四望梅闘姸 只だ待つ 四望 梅 妍を闘はすを
<解説>
『春風雑句』 館 柳湾
昨日猶寒南岸柳 今朝已暖北枝梅 吹晴送雨互相報 誠是春風踏脚來
をヒントに創りました。
<感想>
館柳湾の『春風雜句』は、春がゆっくりと訪れる様子を濃やかに描いた詩、同じ時候ですが、この詩では更にもう一ひねりしましたね。
起句で「融融」と昨日の春の趣をまず出して、ところが今日になったら「剪剪」と肌寒さで後戻り、それぞれを「群鳥囀」と「碧池漣」で象徴しているのも工夫が出ています。
転句の「春風踏脚」は「春風が足踏みをするように吹く」で、館柳湾の詩では「互相報」を受けての言葉、こちらの詩では前半の対句の順番を変更しましたのでそれだけで「互相報」の意味が出ている、そのため転句に直ぐに置いても流れは良くなっています。
下三字は「芳林」より「花林」と視覚の方が良いと思います。
結句は、季節の微妙な推移を楽しんで終りたいところなのに、「四望梅闘姸」とコテコテの物が登場ですと、ここまで練り上げたのが凋んでしまいます。
何と言うか、薄味の上品な懐石料理を食べている時に「焼き肉食いたいなぁ」と言うような感じ、ですかね。
「微かな香」とか「水の音」とか、そんな物を配置できませんかね。
館柳湾の詩に敬意を表すなら、もう一言、例えば「晴雨」などを入れるのも良いかと思います。
by 桐山人
作品番号 2023-75
結城神社看梅
東風剪剪早梅姸 東風 剪剪 早梅妍なり
境内幽香墓誌前 境内 幽香 墓誌の前
亂世興亡渾一夢 乱世の興亡 渾(すべ)て一夢
南朝忠士素心傳 南朝の忠士 素心を伝へん
<解説>
ふるさと津市の結城神社は梅の名所です。建武の新政を樹立した結城宗広が奉られています。
<感想>
起句の「剪剪」は「風がさっと吹く」「冷たく吹く」という意味ですので、「姸」に合うかどうか。「習習」「緩緩」など、他の言葉を考えてみましょう。
また、末字の「姸」は「早梅」だと考えると不釣り合いですので、「姸」ならば「古梅姸」、「早梅」ならば「早梅邊」の組み合わせが良いですね。
承句も「幽香」ですので「微かな香」。やはり風は「剪剪」だと合いにくいですね。
後半は結城宗広の話に移りますが、看梅というからにはもう一度「梅」に戻る必要があります。
詩としては、郷土の英雄を主にしても良いですが、それでも、せっかくの「梅の名所」ですのでもう少し梅の描写は欲しいと思います。
例えば、結城神社には三百本の枝垂れ梅が有名だそうですから、結句を「枝垂三百赤心傳」とすると、詩の展開も落ち着くかと思います。
by 桐山人
作品番号 2023-76
早春池塘遊行
暖氣漸迎池上春 暖気漸く迎ふ 池上の春
茶花已謝白梅新 茶花已に謝して 白梅新たなり
倂監容色與香氣 容色と香気を併せ監れば
不似英雄似美人 英雄に似ず 美人に似たり
<解説>
漸く春らしくなり池の畔を散策した時、梅が咲き誇る様は乃木希典の言う英雄ではなく、美人に比す方が相応しいとの思いがした。
<感想>
梅にどんな感慨を持つか、という点では、おっしゃるように「美人」でもあれば、寒さに負けずに真っ先に花を開くということで「高潔な人士」に例えられてもいますね。
起句は「迎」ですと目的語(「暖氣」)が上になり倒置になります。通じないことはないですが、やや違和感がありますので「迎」を「來」としておく方が良いでしょう。
全体として梅の姿を称えていますので、承句で同じ種類の「茶花已謝」と出すのは邪魔ではないですかね。
「陽光滿野」など春の景を言ってはどうですか。
転句は最後の「氣」が重複していますが、ここは直しにくいので、起句の方で「暖意」としておきましょう。
結句は良いですね。
by 桐山人
作品番号 2023-77
春日偶成
春陽滿地惠風暄 春陽 地に満つ 恵風暄なり
坐圃摘除萌草繁 圃に坐し 摘除す 萌草繁し
一樹紅桃花未發 一樹の 紅桃 花未だ発かず
禽聲遠近野人園 禽声 遠近 野人の園
<解説>
暖かくなってきたので、これから植える苗や種まきの準備のため畑に出て除草をしている情景を詠んでみました。
<感想>
のどかな春の日、そろそろ畑の作業も始まりますね。
承句で「圃」、結句で「園」と場所を表す言葉が二つありますので、どちらかにしたいところ。
作者の居る場所を早く言った方が良さそうですので、起句と結句の下三字を入れ替えてはどうでしょう。
承句は、畑に限らない形で、ちょっとしゃがんで草むしり、という感じで「炙背」「蹲踞」としましょう。
by 桐山人
作品番号 2023-78
見洞慶院臘梅
早春古刹水空流 早春の古刹 水空流れる
新植臘梅花未稠 新植の蝋梅 花未だ稠からず
北岳防風乾圃暖 北岳 風を防ぎ 乾圃暖かし
老人平穩共朋遊 老人 平穏 朋と共に遊ぶ
<感想>
起句の「水空流」と感じたのは、お寺がどうなっていたからでしょうか。
人が居なくて寂しい、まだ花など見る物が無い、その辺りが示されないと唐突感を拭えません。
「客稀古刹」「無人古刹」として「空流」を補足できるかもしれませんが、今度はこの「古刹」はどうして人が居ないのかが欲しくなります。
天候、寒さ、時刻などが理由だとするとそれを書かなくてはいけない、そう考えるとここで「空流」を言うのは(重要な言葉だとしても)早過ぎるわけです。
結句の「共朋遊」と入れ替えましょうか。
承句の「新植」というのは自分が植えたのなら分かりますが、お寺ですのでどこから判断しましたか。
転句や結句を見ると穏やかな景色ですので、やはり「空流」は合わないですね。題名が「見洞慶院臘梅」ですので、最後はお寺の景色に戻るべきですね。
蝋梅は花は早かったかもしれませんが、香りはどうでしたか。
北宋の黄庭堅の蝋梅を詠んだ詩に「香蜜」という言葉があり、「甘い香り」を示しますので、使ってみるのも良いでしょうね。
by 桐山人
作品番号 2023-79
立春
寒季欲香交庭木 寒季 香を欲し庭木を交ふ
繁盛椿去臘梅回 繁盛の椿去りて 蝋梅回らす
別離若木侵松刃 若木に別離 松を侵すの刃
恥我立春生暮哀 我を恥ず 立春 暮哀を生ず
<感想>
起句は「香りが欲しくて庭木を交える」、何の作業をしたのでしょうか。
承句は「盛」ですが、「盛る」は平声、「盛り」は仄声です。また、「椿」は和訓で別の木を表しますので使えません。「山茶」と表記しますので、そのまま入れて「山茶已去」「紅山茶去」。最後の「回」は起句が分からないので何とも言えません。
転句は「別離」が大げさですね、「剪枝」で良いです。
「若木」は「木」が重複していますので、起句の方を「樹」としましょう。
この句の意味は「松の枝の若木の方を切ってしまった」ということで「恥」ずかしいとなるのですかね。
それならば「翠松若木剪枝咎(とが)」で意味が通じますかね。
最後は「暮哀」と夕方まで待つ必要はありませんから、「小哀」としましょう。
by 桐山人
作品番号 2023-80
雛人形
還來雨水賞花人 雨水 還来る 賞花の人
雛飾雙看姉妹親 雛飾 双看 姉妹は親しむ
舞踊重杯欺濁酒 杯を重ねて舞踊 欺りの濁酒
如斯電信一家春 斯くのごとしの電信 一家の春
<感想>
起句は「還た来たる雨水 花を賞づる人」と読むべきです。
この「賞花人」は誰ですか? 句としても全体としても浮いていますね。
承句は「雛飾」が和語ですが、仕方ないですね。「雙看」は「双(ふた)り看る」ですね。
ただ、「姉妹親」とありますので、この「雙」は「二人で」というだけなら要らないです。
逆に「雙看」を残して「姉妹」を「孫女」としておくと、後半の事情が分かりやすくなります。
転句は、「欺濁酒」が分かりませんね。「お酒を飲んだ振りをする」としか読めないですが。
どうしてそんなことをするか、も分かりません。ここは言葉足らずということでしょうね。
by 桐山人
作品番号 2023-81
大寒即事
含蜜臘梅花笑辰 蜜を含む臘梅 花笑ふの辰
公園散歩一閑人 公園散歩す 一閑人
東風習習送香氣 東風 習習 香気を送る
十里輕寒似小春 十里 軽寒 小春に似たり
<感想>
大きな齟齬はありませんが、句の順番がやや気になります。
書き出しに「臘梅」を置くと、転句の「香氣」まで間があり、特に今回の詩では承句の視点が遠いので、せっかく花に目を向けてくれた読者を置いてけぼりにし、しかもまた戻ってくるということですので、起句と承句を入れ替えてみましょう。
散歩公園佚老人
臘梅含蜜發花辰
東風習習送香氣
十里輕寒似小春
こうして見てみると、「含蜜」が必要かどうか、香りが出ていますので、承句は花の色とかの姿が良いと思います。
また、転句については、作者に近い「香」が上に来て、遠さを表す「東風」が下に来た方が視線の流れが良いです。
「芬香脈脈東風裏」となって、「十里」が来ると分かりやすいでしょうね。
by 桐山人
作品番号 2023-82
早春探梅
十里尋芳何處之 十里 芳を尋ね 何れの処にか之かん
芙蓉白雪最~奇 芙蓉の白雪 最も神奇
寒威未去春猶淺 寒威 未だ去らず 春猶ほ浅し
一樹氷肌半綻時 一樹の氷肌 半ば綻ぶ時
<感想>
こちらは「十里」ですので、まあ村全体を廻って梅の花を見に行ったということで、そうしたらまだ早かったけれど一本だけ蕾が開きかけた木があった、という流れですね。
結構広い範囲を歩くわけですので、「何處之」という感覚は要りますか、「倚杖之」「携友之」が手頃ですかね。
あるいは次の「芙蓉」に繋がるような場所が示せると良いかなと思います。
起句の修正にもよりますが、事前に何も案内が無いままで「芙蓉」と比喩が来ても、なかなか富士山とは行きませんので、とりあえず「靈峰」「富峰」としておく必要があります。
転句は上四字をそのまま下三字で言い換えた形で、特に「未去」が面白くないですね。「凛凛」「凄切」とか、寒さそのものを表す言葉が欲しいですね。
結句は良い句ですね。
by 桐山人
作品番号 2023-83
佛涅槃會
門掩殘寒二月春 門は残寒に掩はれる 春二月
沙羅花落涅槃晨 沙羅の花落ちて 涅槃の晨
瞿雲説法三千照 瞿雲の説法 三千を照らす
報恩拈香妙コ彬 報恩に香を拈ずれば妙徳彬なり
<解説>
釈尊の供養(法要を営む)することを仏忌と言います。
三度(降誕会・成道会・涅槃会)あり、これを「三仏会」と称します。
その一つが、二月十五日、亡くなられた命日に因んで修行する法供養、これを涅槃会と申します。
<感想>
起句の「門は残寒に掩はれ」という表現は、門が実際にどうなっていたのか、興味が湧きますが、面白い表現だと思います。
下三字は語順を替えることはできませんので、「二月の春」と読むことになります。
承句は良いですね。
転句の「瞿雲」は釈迦の姓であるゴータマを漢音訳した言葉、下三字は語順が合いませんので、「三千を照らす」とは読みづらいですね。
「照」が欲しいところでしょうが、「三千界」でしょう。
結句は「恩」は平字なので、意味が違ってしまうかもしれませんが、「報謝」でどうですかね。
by 桐山人
作品番号 2023-84
大室山山焼
火噴岩滓姿均整 火噴の岩滓(がんさい) 姿均整
大室全山萱草景 大室全山 萱草の景
雨水焼荒傳統催 雨水 荒れを焼くは伝統の催し
麓炎如走盡焦嶺 麓炎 走るが如く 尽く嶺を焦がす
<解説>
大室山は約四千年前に噴火した単成火山のスコリア丘である。
スコリア丘とは、火口からマグマが噴き上がってできたスコリア、岩滓が、火口の周囲に累積し、円錐台の丘を形成したもの。
山焼きは七百年前からの行事という。
「スコリア」: スコリア(英: scoria)は火山噴出物の一種で、塊状で多孔質の物のうち暗色の物。岩滓ともいう。
<感想>
山焼きは二月の第二日曜だそうですね。
ちょうど「雨水」に近い頃、私も動画で見ましたが、麓から炎が上がっていき、山が真っ黒焦げになるというスケールの大きさにびっくりでした。
承句の「萱草」は「わすれぐさ」を指すようですので、「茅」の方が良いかと思います。
by 桐山人
作品番号 2023-85
癸卯半醒吟
虎吼表出舞台裏 虎吼えて表に出づ 舞台の裏
兎耳將査不厭多 兎耳 将に査べんとし多きを厭わず
停滯邦家前一歩 停滞の邦家 前へ一歩
侵攻大國奈干戈 侵攻の大国 干戈奈んぞ
<解説>
昨年七月の思わぬ事件から、旧統一教会の諸々が表になり、救済法が僅か五ヶ月で成立、また宗教法による調査も始められた。
六十年放置されていた問題にメスが入る。この機敏さを維持してと期待したい。
そしてウクライナ、大国が戈を収めて。
<感想>
統一教会のことが表舞台に出てくることは、待ちかねていたような趣で、仰る通り、対応も珍しく速かったですね。大臣の辞任は遅かったですけど。
結句で話題が急に変わりますが、「そうそう、そう言えば」という感じで「半醒」ということで了解しましょうか。
by 桐山人
作品番号 2023-86
元宵節
紅炎松竹注連繩 紅の炎 松竹 注連縄
人集元宵希泰寧 人集ふ元宵 泰寧を希む
時代厭煙微火祭 時代煙を厭ひて火祭り微かに
昌昌秋葉本山庭 昌々たれ 秋葉本山の庭に
<解説>
鎮守でのどんど焼きが消えて五年ほどになろうか。
返納は自宮の神符のみとされ、境内に小さな焼却炉が設置されている。
火祭りは秋葉山だけになろうか。
十月初旬、諏訪から高速道で清水へ。収穫後の田圃あちこちで煙が見えたが、静岡に入るとこれが途絶えた。
五、六年ほど前「野焼き、焚火は法律で禁止」と県や町の広報で強調され、川原の土手も夏草枯れ立ちのままとなってしまった。
廃棄物処理の法律では、政令によって適用除外として、宗教行事としての廃棄物焼却、農漁業に伴う焼却、焚火をあげているのだが。
<感想>
「注連縄」は和語かと思っていましたが、「注連」は辞書に載ってはいますね。
物としては同じような感じですが、役割は「死者を魂が家に戻ってこないように出棺の後玄関に張る」ということですので、随分違いますね。
「元宵」は陰暦正月の十五日、つまり小正月の夜、前半に書かれたような光景が見られたのが、今は嫌われるようになったわけですが、最近では野焼きの煙に対しても厳しくなりましたね。
「秋葉山」は火伏せの神をまつった「火渡り」で知られますが、固有名詞として読めば良いですね。
by 桐山人
作品番号 2023-87
梅香
寒枝雪後綻輕風 寒枝 雪後に 軽風に綻ぶ
萬朶C香疎影中 万朶の清香 疎影の中
春水鶯聲梅信到 春水 鶯声 梅信到る
忘還最喜玉成叢 還るを忘る 最も喜ぶ 玉叢と成る
<解説>
寒い季節に耐えた梅花を見て、その香に誘われて鶯声、あまりの美しさに還るを忘れてしまう
<感想>
「梅香」という題に対し、香が出ているのは「清香」だけですので、もう少し香自体のことを書いて欲しいですね。
起句は「寒い中、雪が降った枝が軽風で蕾が綻んだ」ということで、雪の降るような寒さの中で梅が綻ぶという画面は良いですね。
「寒枝雪後」は「綻」ぶ物が欲しいので、「雪枝寒蕾」と「蕾」が欲しいです。
この起句は花が綻び始めた場面ですので、次の「萬朶」は数量的に食い違いますね。
「疎影」は「梅花」を象徴する良い言葉ですが、これもまだ疎らな花の状態を表しますので、「一朶」かせめて「數朶」でしょう。
転句は、上四字は良いですが、下の「梅信(梅が開いたというたより)」は、目の前で花が開くのを見ているわけですので、不自然ですね。
「澗水鶯聲春信到」ならば通じると思います。
結句の下三字は「美しい花が群がっている」となりますが、「萬朶」と同様で、この場面にはそぐわない印象です。
この下三字は何か典故が有るのでしょうか。
普通に詩をまとめるならば、「忘還一日醉芳中」と香に関連させておいて、承句の方は「疎影蒙」「疎影朧」などでどうでしょうか。
by 桐山人
作品番号 2023-88
曾我梅林逢舊友
C景梅林花滿枝 清景なる梅林 花枝に満つ
親朋靜坐共題詩 親朋と静坐し 共に詩を題す
句成乘興春如夢 句成りて興に乗ずれば 春夢の如し
相送芳香憶舊時 相送る 芳香と旧時の憶を
<解説>
たまたま句会でみえた旧友と曽我梅林でお会いし、作った句と思い出を添えて便りを出した時を思うて…
<感想>
結句の末字、ここは「旧時を憶ふ」という語順で読みますので、「相送」も含めて時間軸が曖昧です。
全体を梅林での出来事としたいので、「芳香」は叙景として承句に入れ、転句で旧友の登場、結句で句ができる、という流れが落ち着くかと思います。
by 桐山人
作品番号 2023-89
長城
石壁長城氣強豪 石壁の長城 気強豪たり
秦政爭世不辭勞 秦の政 世を争ひ 労を辞さず
隨民病骨非吾事 民は随ふ 病身でも吾事に非ず
騎馬何期萬里高 騎馬 何ぞ期せん 万里の高きに
<解説>
長城の長きこと、高きに登った時、これを作業した農民数百万人の苦労を考えた。
でも、唐の王遵の「長城」にあるように、唐の時代、匈奴に滅ぼされてしまった。
「秦長城を築いて鉄牢に比す」・・・・すばらしい句です。
<感想>
平仄の点で、起句の「強」は両韻字ですが、「強いて」という意味ですと仄声ですが、形容詞として「強い」という意味ですと平声です。
この場合には従って平声、そうすると「二六対」が崩れますね。
また、承句の「政」は仄字ですので、これも直す必要がありますね。
起句は「氣」も「長城」の形容としては少しピントがずれますので、「強」を直すついでに変更して下三字を「威勢豪」としましょうか。
承句は、秦の国が多くの民を駆り立てて長城を築いたということで転句に繋がるのでしょう。
そうなると、中二字の「爭世」は「擧世」ならよいですが、「争覇」と同じような意味ですと合いません。
「強秦築造不辭勞」「秦時築塞不辭勞」、長城を築いたのは秦だけではありませんので、そういう観点で言えば頭を「歴朝」とするのも考えられます。
転句は「病気であろうが関係無く民を動員し、皇帝自身は何もしなかった」ということでしょうね。
「隨民」は語順が逆で「民に随ふ」「民を随はす」、こちらの方が主語が皇帝になりますので良いですね。
「非吾事」は我が国の藤原定家が『明月記』に記した言葉。
原典は白居易の『劉十九同宿』という詩にある「紅旗破賊非吾事」とされていますが、「私に関わることではない」という意味ですね。
数多くの人民ということで「烝民」とし、下三字は「隨苦役」でしょう。
結句は「萬里高」は通じないですね。ここに「石壁」を持ってくれば話は分かりますので、「萬里」は起句に入れましょう。
[参考]
長城 汪遵(晩唐)
秦築長城比鉄牢 秦長城を築きて鉄牢に比す
蛮戎敢不逼臨桃 蛮戎 敢へて臨洮(りんとう)に逼(せま)らず
焉知萬里連雲勢 焉んぞ知らん 万里連雲の勢
不及堯階三尺高 及ばず 堯階 三尺の高きに
(七言絶句 「牢」「桃」「高」… 下平声「四豪」の押韻)
by 桐山人
作品番号 2023-90
春雨
千嶂濛濛細雨天 千嶂 濛濛 細雨の天
孤村寂寂淡於煙 孤村 寂寂 煙よりも淡し
問誰春苑着花未 誰に問ふ 春苑 花を着けしや未だしや
坐待微晴告前 坐して待つ 微晴 緑水の前
<解説>
まだ冷たい霧のような雨が降る春の日に、開花を待つ気持ちを詩にしました。
山々は細雨の空におぼろげで ぽつんとした村は寂しく霞かかっている。
春の園は花をつけたかどうか、誰に問おうか。 わずかに晴れるのを緑の水の前で坐って待って。
<感想>
それぞれの句では問題ありませんが、繋がりを見ていくと気になるところが見えます。
前半は六字目以外はきれいに対応していて、対句にしたいので、下三字を検討しましょうか。
内容的には、「濛濛」「細雨」という景と「淡於煙」が同じことを言ってますので、承句は別のことにしたいところ。
起句の方を「細雨煙(細雨に煙る)」とし、承句は「賞心旋」とすれば対句が整いますね。
転句の「問誰」は意味としては「不知」と同じで、「花を着けたかどうかわからない」という気持ちの表れ。
「誰かに聞きたいが誰も教えてくれない。仕方ないから雨が上がるのを待とう」という流れが出来ていますね。
後は、「坐待」の場所が「告前」が良いのか、部屋の中、途中の東屋など、場面が変わると詩も変化するのを愉しめますね。
私でしたら、静岡ということで、転句からを「古城春苑着花未 暫待微晴溝水前」という形で考えますかね。
by 桐山人