2021年の投稿詩 第241作は静岡芙蓉漢詩会の Y ・ H さんからの作品です。
 対面での合評会は開けませんでしたが、各自で感想を送り合い、
 推敲を経て完成作を『芙蓉漢詩集 第28集』としてまとめました。

作品番号 2021-241

  賞花        

兩岸櫻花蕾綻時   両岸 桜花 蕾綻ぶ時

先來黄雀噪揺枝   先ず来り黄雀 噪揺(そうよう)の枝

萬人遊客今年絶   万人 遊客 今年絶え

緩歩賞華孤獨悲   緩歩して賞華 孤独悲し

          (上平声「四支」の押韻)


 春の花見は最高。花を愛でる人、酒を楽しむ人。人それぞれである。しかし、今年はコロナの影響により自粛。花見は残念である。























 2021年の投稿詩 第242作は静岡芙蓉漢詩会の Y ・ H さんからの作品です。
 対面での合評会は開けませんでしたが、各自で感想を送り合い、
 推敲を経て完成作を『芙蓉漢詩集 第28集』としてまとめました。

作品番号 2021-242

  初春出遊        

山麓春霞嶺雪晴   山麓 春霞 嶺雪晴る

一枝梅信數花明   一枝の梅信 数花明かなり

啼來黄鳥又飛去   啼き来たる黄鳥 又飛び去る

風暖南郊芳草生   風暖かく南郊 芳草生(しょう)ず

          (下平声「八庚」の押韻)


 春は何もかもが絵になる一年で一番良い季節である。
「不要不急」の外出を控える行政の要請もあるが、たまには息抜きも必要か。
























 2021年の投稿詩 第243作は静岡芙蓉漢詩会の 子方 さんからの作品です。
 対面での合評会は開けませんでしたが、各自で感想を送り合い、
 推敲を経て完成作を『芙蓉漢詩集 第28集』としてまとめました。

作品番号 2021-243

  春日閑居        

霽雪香泥復會春   霽雪 香泥 復た春に会ふ

無爲一日夕陽淪   無為の一日 夕陽 淪(しず)む

遺經尺牘幾年學   遺経(いけい) 尺牘(せきとく) 幾年 学ぶ

汲古追懷邁八旬   古(いにしえ)を汲み追懐 八旬を邁(す)ぐ

          (上平声「十一真」の押韻)


 老いを感じる日 整理をすれば古い手紙や本が山のようにある。目録を作ろうと苦労をする毎日である。























 2021年の投稿詩 第244作は静岡芙蓉漢詩会の 子方 さんからの作品です。
 対面での合評会は開けませんでしたが、各自で感想を送り合い、
 推敲を経て完成作を『芙蓉漢詩集 第28集』としてまとめました。

作品番号 2021-244

  春郊        

冬陽舒展又逢春   冬陽舒展 又 春に逢ふ

麥隴淡煙田水瀕   麦隴淡煙 田水の瀕(みぎわ)

衆鳥高枝啼睥睨   衆鳥は高き枝に 睥睨(へいげい)して啼く

終年拾綴樂清貧   終年 拾綴(しゅうてつ)して清貧を楽しむ

          (上平声「十一真」の押韻)


 春になると麦畑がかすみ鳥が鳴く。
 一人の農夫 毎日草取りをしている。
























 2021年の投稿詩 第245作は静岡芙蓉漢詩会の 子方 さんからの作品です。
 対面での合評会は開けませんでしたが、各自で感想を送り合い、
 推敲を経て完成作を『芙蓉漢詩集 第28集』としてまとめました。

作品番号 2021-245

  詠赤茄子        

吾生南米遠悠涯   吾は生ず南米 遠く悠かの涯(はて)

異境來栖客枕嗟   異境に来たり栖み 客枕を嗟(なげ)く

幾許苦辛數旬歳   幾許(いくばく)か苦辛して 数旬の歳

堪疴親地拓朱茄   疴に堪え地に親しみ 朱茄(しゅか)を拓(ひら)く

          (下平声「六麻」の押韻)


「赤茄子」: イタリアンハッピーグローブス
 トマトや茄子の台木、五十何年前に用いていたものが今も続いているのが驚きです。























 2021年の投稿詩 第246作は静岡芙蓉漢詩会の 子方 さんからの作品です。
 対面での合評会は開けませんでしたが、各自で感想を送り合い、
 推敲を経て完成作を『芙蓉漢詩集 第28集』としてまとめました。

作品番号 2021-246

  冠毒與醫學        

欲馴蝙蝠穿山甲   馴らさんと欲す蝙蝠(こうもり) 穿山甲(せんざんこう)

接觸頻回感染奔   接触頻回 感染奔る

救世妙玄探窈渺   救世(ぐぜ)の妙玄 窈渺(ようびょう)を探る

良醫至徳萬人温   良医の至徳 万人に温かし

          (上平声「十三元」の押韻)


 蝙蝠や穿山甲など由来ののウイルスと戦う医科学者を詠む























 2021年の投稿詩 第247作は静岡芙蓉漢詩会の 恕庵 さんからの作品です。
 対面での合評会は開けませんでしたが、各自で感想を送り合い、
 推敲を経て完成作を『芙蓉漢詩集 第28集』としてまとめました。

作品番号 2021-247

  宸題「實」恭賦        

扶桑昇旭日   扶桑 旭日昇り

萬里惠風C   万里 恵風清し

立志新開暦   志を立て新たに暦を開く

老生宜實行   老生 宜しく実行すべし

          (下平声「八庚」の押韻)


 日に新た 

    入念に詰め

        筆始

























 2021年の投稿詩 第248作は静岡芙蓉漢詩会の 恕庵 さんからの作品です。
 対面での合評会は開けませんでしたが、各自で感想を送り合い、
 推敲を経て完成作を『芙蓉漢詩集 第28集』としてまとめました。

作品番号 2021-248

  春日偶成 其一        

春池清水響   春池 清水響き

泉石漉ム芳   泉石 緑林芳し

風穏雲光淡   風穏やかに 雲光淡く

裁詩倚短床   詩を裁し 短床に倚る

          (下平声「七陽」の押韻)


 富士を背に
    末広がりの
        花盛り

























 2021年の投稿詩 第249作は静岡芙蓉漢詩会の 恕庵 さんからの作品です。
 対面での合評会は開けませんでしたが、各自で感想を送り合い、
 推敲を経て完成作を『芙蓉漢詩集 第28集』としてまとめました。

作品番号 2021-249

  春日偶成 其二        

香雪東風裡   香雪 東風の裡

池頭柳色新   池頭 柳色新たに

點苔花似錦   苔に点ずる 花錦に似たり

澹澹詠懷純   澹々(たんたん)と 詠懐すれば純なり

          (上平声「十一真」の押韻)


 袖かすり
    模様なるかな
        花吹雪
























 2021年の投稿詩 第250作は静岡芙蓉漢詩会の 恕庵 さんからの作品です。
 対面での合評会は開けませんでしたが、各自で感想を送り合い、
 推敲を経て完成作を『芙蓉漢詩集 第28集』としてまとめました。

作品番号 2021-250

  春日偶成 其三        

蝶迷櫻徑歩   蝶迷ふ 桜径に歩す

極目綺羅塵   極目 綺羅の塵

黄鳥扇枝語   黄鳥 扇枝に語り

忘歸獨醉春   帰るを忘れ 独り春に酔ふ

          (上平声「十一真」の押韻)


 花散るや
    木花之開耶姫(このはなさくやひめ)の舞
     ※富士山本宮浅間大社にまつられている神

























 2021年の投稿詩 第251作は 国士 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-251

  波濤群燕圖        

海上波濤響   海上 波濤の響き

天清燕子飛   天清くして 燕子飛ぶ

群遊落葉若   群れ遊んで 落葉の若し

舊里伴潮歸   旧里 潮を伴いて帰る

          (上平声「五微」の押韻)


<解説>

 海の上にうねる波の音が響く
 空が澄み渡り、つばめが飛んでいる
 群れ遊んで飛ぶ様子は、まるで落葉のようだ
 故郷に海の香をまとって帰ることだろう

 狩野探幽の「波濤群燕図」の賛みたいな詩です。
 ちょっと淡白な詩になってしまったかもしれません。

<感想>

 絵画が存在していて、その詩を作るとなると、作品の世界を丁寧に描写することがまず第一ですが、作品から詩人がつかみ取ったものが加えて詩人の独自性が出せるかどうかが大切です。
 この詩では承句の「天清」、これは原画には描かれていない背景を描いたもので、独自性を出していると思います。
 ただ、「波濤響」という場面で「清」が合うのか、は疑問です。
 また、ここで「天」があると、起句の「波濤」、承句の「天」、転句の「落葉若」と、読者の視点が「下」「上」「下」に忙しく動きます。
 そうなると、結論としては「天C」は無い方が良さそうで、画面に合わせるなら「衝風」「乗風」としてはどうでしょうね。

 転句は下三字に仄声が続きます。「下三平」ほど厳しくはないですが、語順を直してついでに「如落葉」としておきましょう。
 この「落葉」の比喩は穏当ですが、逆に面白みが無く、絵の躍動感が出ていない感じがします。
 「群遊頡頏影」(挟み平です)として動きを強調するような形が良いでしょう。

 結句は、燕が帰っていくという想定ですが、転句までの燕の姿のどこから「帰郷」のイメージが出てくるのか、これも作者独自の捉え方と言えばそうですが、読者に対して理解が進むような表現をしないといけません。
 「落葉の若し」が何か「帰郷」を予想させるならば良いですが、繋げるのは無理ですね。
 ただ、詩人がどこから「帰郷」を感じ取ったのか、それはどこか(絵の中か、詩からか)から導かれたわけですので、それをもう一度拾い上げて考えることで、何か良い言葉が見つかると思いますよ。.



2021. 9.22                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第252作は 幸青 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-252

  詠父子郷里情        

父通農芸受天旨   父 農芸に通じ 天旨を受く

然病選人其生止   然れども 病は人を選ばず 其の生を止む

我決京師抛俗事   我 決して京師の俗事を抛つ

心澄今歩地郷里   心は澄みて 今歩む郷里の地

          (上声「四紙」の押韻)


<解説>

 父が逝き、漢詩をつくることで気を紛らわせてきました。
 父に捧げること、自分の決意のこと、諸々の想いが今もあります。
 雑念も多々ゆえに先生の添削を願うばかりです。

<感想>

 以前にいただいた幸青さんの詩ですと、故郷は九州の国東半島でしたね。
 お父様がお亡くなりになり、故郷に帰って後を継がれたと理解しました。

 まず、大きな点から言うと、仄韻の詩ですので、転句の末は平声にするのが正しい形です。五言ですが、孟浩然の「春曉」などがその例ですね。

 各句の展開は、前半でお父様のこと、後半でご自身のことをまとめて、分かりやすい構成になっていると思います。

 承句は、読み下しの「病は人を選ばず」の打ち消しが本文にはありません。「然」の接続の言葉は無くても通じますので、「病不選人」とするところです。
 この下三字は「生」の字が平声ですので、「二四不同」が崩れています。「生」「命」とすると、起句の「天旨」とも対応が良いでしょう。

 転句は起句の「父」に対応して「我」が入ったのでしょうが、一人称は本来漢詩では必要無く、強調の場合だけです。「この私が」「なんと私は」という感じですが、ここでは不要な言葉、普通に「決意」「決断」で良いです。
 ここは本来は「抛」が先に来て、「抛京師俗事」となる語順ですが、意味は分からないことはないので、まあそこは良しとしましょう。
 最後の「俗事」「俗生」としますか。「俗塵」も良いですが、それですと閑適の感じになってしまいますね。

 結句を読むと、転句の帰郷の決意が色々と迷われたものだと分かります。ここは「今」の字が効果的です。
 下三字は平仄合わせでしょうか、「地郷里」を「郷里の地」とするのは無理ですので、「舊郷地」「故郷地」が良いでしょうね。



2021. 9.22                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第253作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-253

  雨日閑居        

二十余年避世埃   二十余年 世埃ヲ避ケ

結茅養老水村隈   茅ヲ結ビ 老ヲ養フ 水村ノ隈

酌醪重盞楽酣酔   醪ヲ酌ミ 盞ヲ重ネテ 酣酔ヲ楽シミ

潤筆作詩嘆菲才   筆ヲ潤シ 詩ヲ作シテ 菲才ヲ嘆ク

香稲嘉蔬疇畔汗   香稲 嘉蔬 疇畔ニ汗シ

衰顔禿鬢鏡中催   衰顔 禿鬢 鏡中ニ催ス

今朝密雨無農事   今朝 密雨 農事無ク

獨坐書斎聞遠雷   獨リ書斎ニ坐シテ 遠雷ヲ聞ク

          (上平声「十灰」の押韻)


<解説>

 降りやまない雨の日、する事も無くボート近づく雷の音を気にしている時に、「遠雷」の文字を使うことを思いつきこの詩をつくつてみました。
 出来上がってみると相も変わらずの表現に我ながら呆れるばかりです。

<感想>

 真瑞庵さんには、先日、小松市で開かれた「全日本漢詩大会」でお会いできました。
 真瑞庵さんは入選者の中にお名前がありました。おめでとうございます。

 さて、今回の題は「雨日閑居」、江村の景をいつも緻密に描いて下さる真瑞庵さん、雨で外に出かけられない時でも素材探しを楽しまれているようですね。

 頷聯の対句は、「醪」「筆」「盞」「詩」「酣酔」「菲才」、組み合わせも整っていると思います。
 ただ、「重」に対して「作」は絞りが甘い感じで、「敲」のような具体的な内容を含ませる言葉が良いかと思いました。

 頸聯は下句の内容はピントがずれているように感じます。
 雨の日で外に出られないところに持って行くために「農事」は短めにしたのでしょうか、「衰顔禿鬢」はこの詩では要らない情報、と言うより不釣り合いな情報です。
 頸聯全体で「晴れた日の仕事や景色」を述べたとしても、次の「今朝密雨」で充分に転換は出来ると思います。
 普通の人だと恐くて変化させにくいところでしょうが、達者な分だけ筆が走ったのでしょうか。



2021.10. 2                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第254作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-254

  再訪寒山寺        

車水馬龍名刹前   車水 馬龍 名刹の前

釈迦黄壁色更鮮   釈迦 黄壁 色更め 鮮やかなり

往事閑散恣撞木   往事 閑散 撞木を恣にす

城外早春経廿年   城外の早春 廿年を経

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

 名刹の前の往来は、人も車もあふれんばかりの賑わいである。
 大雄宝殿にある釈迦牟尼仏の像は金色に輝き、入口の照壁は黄色が鮮やかだ。
 どちらも色を塗り直したのだろう。以前はひっそりと静かで、好き勝手に鐘をつくこともできたのに。
 蘇州城外の寒山寺も、あれから二十年目の早春を迎えている。

<感想>

 起句の「車水馬龍」「車が水のように流れ、馬が龍のように連なる」ということで、交通量が多いことを表す言葉ですね。

 転句は「往事」は平仄が合いませんね。「往時」の間違いでしょう。
 この句は「曽遊」で書き出し、「少人影」と直接述べた方が良いかと思います。

 結句は視点を変えて終らせるのが狙いでしょうが、寺から離れてしまうと詩がぼやけてしまう印象。寒山寺ということですので、「鐘聲」を入れて作れませんかね。



2021.10. 2                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第255作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-255

  欄上烏        

烏嚼小蚯欄上停   烏 小さき蚯を嚼へ 欄の上に停む

不悲無手却工翎   悲しからずや手無きこと 却って工なる翎あり

以為凶鳥衆嫌忌   以って凶鳥と為し 衆 嫌ひ忌む

其実養生慈孝寧   其れ実に生を養ひ 慈しみ孝なること寧ろなるに

          (下平声「九青」の押韻)


<解説>

 カラスが小さいミミズをくわえて手すりの上でじっとしている。
 手が無くて悲しくないのだろうか。でも、空を飛べる巧みな翼があるからまあいいか。
 不吉な鳥だと言い、みんな忌み嫌うようだけど、
 本当は、老いた親を養い、優しく親孝行なのにね。

<感想>

 我が家の近辺ではカラスと言えばゴミ収集所を荒らす鳥、ちゃんと大きなネットを掛けてカラス除けをしているのですが、彼等(カラス)は賢い。
 必ずどこかに隙間を見つけるようで、道路に生ゴミが散乱している光景を目にします。
 ミミズを加えていたならば、ゴミ荒らしをしないわけで、なかなか上品な烏というのが私の印象ですね。

 さて、作品は窓から眺めた一瞬の光景でしょうね。
 承句の「不悲無手」はなる程と思わず手を打ちました。
 逆に言えば、「手があればもっと楽だろうに」という同情の表れで、こういう見方が出来るのは優しい人柄なのでしょうね。
 白居易の「慈烏夜啼」や「慈烏反哺」の言葉も知識としては頭に入っていても、私にはどうにも「迷惑な鳥」というイメージしかないので、反省です。




2021.10. 2                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第256作は 石華 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-256

  秋夜閑庭        

喞喞蟲聲挙復垂   喞喞たる虫声 挙(あ)げ復た垂(さ)ぐ

鳴蛩猶在早寒籬   鳴蛩猶在り 早寒の籬

艸頭零露清光玉   艸頭の零露 清光の玉(ぎょく)

蒼月半簷秋溢時   蒼月半簷 秋溢るる時

          (上平声「四支」の押韻)


<解説>

 昨年の詩なのですが、承句の「例年より寒さが早く訪れた庭に、まだコオロギが鳴いているのか」を決められずに年を越して、今になりました。

<感想>

 後半の描写は、例えば「零露」「C光」「玉」の清冽なイメージの語と、「蒼月」「半簷」の寂寥感が合わさり、とても良い句になっていると思います。
 「秋溢」はあまり見ない表現ですね。「秋滿」ではなく「秋がもう終わりだ」という気持ちの言葉でしょうかね。

 後半が広い視野で色々な物を拾い上げた分、前半は聴覚を使って、焦点を絞る形にしてあるのも、構成として良いと思います。
 ただ、「喞喞蟲聲」「鳴蛩」が重複感があり、しつこく感じます。
 起句を「喞喞啾啾」とすれば、音だけをまず語った形で、収まりが良くなると思いますよ。



2021.10. 3                  by 桐山人



石華さんからお返事をいただきました。

    晩秋閑庭   喞喞啾啾挙復垂   喞喞 啾啾 挙(あ)げ復た垂(さ)ぐ
  鳴蛩猶在早寒籬  鳴蛩猶在り 早寒の籬 
  艸頭零露清光玉  艸頭の零露 清光の玉(ぎょく)
  蒼月半簷秋晩時  蒼月半簷 秋晩(く)るるの時


 ご多忙の中、ありがとうございました。
 畳語を一句に二つ並べるなんて思いもよりませんでした。
 それに、結句の「秋溢」も、たしかに晩秋の内容にはおかしいですね。題もはっきり「晩秋閑庭」に変更し、結句を「秋晩るるの時」に直しました。
 「秋晩るる時」より「の」を加えた方が、秋を惜しむ思いが強い気がしただけですが。おかしいでしょうか?


2021.10. 3                  by 石華



 「の」を入れた方が、「秋を惜しむ思いが強い」かどうかは、うーん、これは感覚の問題ですので、おかしくは無いと思いますよ。
 (桐山人)























 2021年の投稿詩 第257作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-257

  田園逍遥        

蛙聲閣閣意従容   蛙声 閣閣 意 従容

水満平田樹影濃   水平田に満ち 樹影濃やかなり

場圃耕轉農事急   場圃 耕転 農事急なり

群禽求餌向墾蹤   群禽 餌を求めて 墾蹤に向かふ

          (上平声「二冬」の押韻)


<解説>

 初夏の季節田植えを前にした田園風景を作詩したものです。

<感想>

 緑風さんの今回の詩は、2004年に投稿いただいた「田園逍遙」を再敲されたものです。
 再敲と言っても随分経っていますので、私も新作のつもりで拝見させていただきました。

 起句の「意従容」を作者の心情とすると、出すのが早過ぎです。
 本来はこの時季の田園風景、つまり詩全体を踏まえての作者の感想だと思うのですが、蛙の声から従容(ゆったりのんびり)の気持ちになったという限定的、直線的な関係しか浮かびません。
 ありきたりになりますが、この三字は結句に置いて、まとめる方が収まりは良いでしょう。
 この「従容」が作者のものではなく、蛙のものと考えると、「早過ぎ」ということは無くなりますが、蛙の声についての形容として適切かという面で疑問は残ります。

 承句は田に水が張られている状態を表していて、「樹影濃」とともに季節感を表していますね。

 転句の「耕轉」、これは「耕耘」の間違いでしょうが、これはどこを「耕耘」しているのでしょう。
 承句は動きの少ない「静」の状態で、転句の「農事急」という「動」の状態とを、同じ画面として頭に描くのは難しいですね。
 水田や樹木を描くにしても、動きを持たせるとバランスが良くなります。

 結句は「墾」の平仄が違います。
 ここの「群禽」の姿と、起句の「蛙声」は、田植え前の慌ただしさとどういう関係があるのか、目に映ったもの、耳に聞こえたものを出していくのは写実的ではありますが、単に並べただけでは冗漫なホームビデオになります。
 蛙の声、鳥の姿、それらはこの時季の田園風景と釣り合っている部分が、作者の心の中ではきっと在るのだと思います。それを読者に伝えるためには、描写する面を作者のフィルターでしっかり見ていくことが必要だと思います。



2021.10.15                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第258作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-258

  初夏夜辞        

流光有影形   流光 影形あり、

極北漸群青   極北 漸く群青。

樹静明昏彩   樹静かにして 明昏の彩、

泉波結界汀   泉波だつ 結界の汀。

虫招催美酒   虫招いて 美酒を催し、

日没黒標屏   日没して 標屏を黒くする。

詠以生詩法   詠みて以て 詩法を生じ、

飛還化翠蛍   飛びて還(ま)た 翠蛍に化す。

空中如闊歩   空中 闊歩するが如く、

路裏放清馨   路裏 清馨を放つ、

冷露真珠閃   冷露 真珠の閃、

天階小語星   天階 小語の星。

雲通陰満月   雲は通り 満月を陰らせ、

照舞主幽冥   照は舞 幽冥主(あるじ)する。

恰似魚游海   恰も魚游の海に似たり、

降臨養筆霊   降臨する 筆を養ふ霊(みたま)。

          (下平声「九青」の押韻)


<解説>

二三通じにくいところが有るかと思います。

「流光」: 満月の流れるような月明かり。
「標屏」: 道しるべのついたて。
「詩法」: 詩に宿る影法師の事、僕が作った造語です。
「照」: 一語で照明の意味で読んでください。
「主」: あるじするとよみ。動詞的であまり見ない使用例かもしれません。
「霊」: みたま。精霊の意味。

 無理やり五言排律のつもりで強引に書きました。
 間違っていたらご指摘ください。

<感想>

 五言排律は科挙の課題でもあり、テクニックを駆使する詩型でもありますね。
 第一句の押韻は五言の場合には通常は踏みませんが、踏んだ詩も見られますので、今回の「形」も認められます。

 「流光有影形」は、月(「形」)が空で輝き、光(「影」)が地を照らしているということでしょうね。

 段々と幻想的な世界へと進んで行きますが、「詩法」は分かりませんね。
 「詩の規則」と解して「??」でしたが、注の「詩に宿る影法師」そのものも難解です。何かそういう言葉がありましたか。
 この句だけで繋がる言葉を探すと「詩藻」かなと思いますが、次の句との関連は悩みますし、「影法師」の解決にはなりませんね。

 「冷露」「天階」に対するので「草露」でしょう。

 最後の句の「降臨養筆霊」は詩の結びとしてドラマチックなのですが、七句目の「詠以生詩法」との重なりが気になります。



2021.10.25                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第259作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-259

  夷陵戦        

魏国梟王占七分   魏国の梟王 七分を占め、

蜀呉相奪北荊郡   蜀呉 相奪ふ 北荊の郡。

怨嗟雪辱侵他領   怨嗟 辱を雪がんと他領を侵し、

業火乗風破漢軍   業火 風に乗り漢軍を破る。

玄徳逆流難退却   玄徳 流れに逆らひ 退却に難し、

伯言任勢得忠勲   伯言 勢いに任せ 忠勲を得る。

英雄切歯深傷走   英雄 切歯 深傷で走り、

白帝城辺頼趙雲   白帝城辺 趙雲を頼る。

          (上平声「十二文」の押韻)


<解説>

 ご存じ三国志の名場面の1つ夷陵の戦いを詩にしてみました。

 劉備玄徳は義弟の関羽を失い、荊州も失ってしまいました。関羽をだまし討ちにされて冷静さを失ってしまったのかも知れません。
 ベテランの趙雲も軍師の諸葛亮も賛成はしていなかったみたいです。この後の諸葛亮の戦略にも痛手を与えたのも事実でしょう。
 攻めるときは長江は下り、退却する時は流れに逆らわなければなりませんでした。その為、攻めるときはいいですがいったん退却となると大変なのは子供でも想像が付くと思います。

 呉はまたしても火計で国難を乗り越えました。呉の圧勝だったそうです。国王になっていた劉備は深手を負い白帝城にやっとの思いで逃げてきて、趙雲の部隊の機転で助かったとされています。

 しばらくして白帝城で息を引き取ったとされています。

<感想>

 「夷陵戦」は『三国志演義』の中でも、主役であった関羽、張飛の二人が死に、残った劉備もやがて白帝城で亡くなるという蜀ファンにとっては気持ちの重くなる場面です。
 劉備に立ち向かうのは呉の武将である陸遜、彼の字(あざな)が「伯言」でしたね。

 第三句の主語(劉備)が後になって出てきますが、句の流れとしては、第四句と第五句の内容が入れ替わると、第三句と併せて蜀側で話がまとまります。
 同じく第四句と第六句で呉側の話をまとめるような配置にすると、隔句対になるかもしれませんが、分かりやすくなると思います。

 なお、第二句の「郡」は「群」と違って仄声ですので、押韻が崩れますので、直しが必要ですね。



2021.10.25                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第260作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-260

  東京五輪野球優勝        

五輪金賞積年標   五輪の金賞 積年の標

英傑連盟志気喬   英傑 連盟 志気喬し

昨日親朋今日敵   昨日の親朋 今日は敵

幾希全勝國旗飄   幾希の全勝 国旗 飄(ひるがえ)る

          (下平声「二簫」の押韻)


<解説>

「金賞」: 金メダル
「連盟」: 同じ目的のために同一の行動をとる
「昨日親朋」: 来日している外国人選手



<感想>

 開催までに色々とありました東京オリンピック・パラリンピックでしたが、活躍した選手たちがテレビなどで嬉しそうな笑顔を見せてくれると、ひとまずは良かったなぁという感慨が湧きます。

 岳城さんの今回の詩は、野球が優勝したことを詠ったもので、承句の「英傑連盟志気喬」はセリーグ、パリーグからの選手が力を合わせて闘う雰囲気がよく出ていますね。

 転句は「昨日までの仲間も今日からはまた敵だ」という意味で、オリンピックが終わった後の話かと思い、時間の流れが速いなぁと思いました。
 注を読んで、「外国人選手」のことを指しているのだと分かりましたが、うーん、視点を換える転句での展開と考えても、やはり難しいですね。
 「みんな仲間で金メダル」という趣旨から見ても、「敵」をわざわざ出さなくても良いと思いますので、外国人選手を出さずに、「別チームで闘っていた敵もオリンピックではワンチーム」という話にするのが良いですね。



2021.10.27                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第261作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-261

  東京五輪競泳大橋二冠快挙        

極度不調超克時   極度の不調 超克の時

臥薪嘗胆暦年移   臥薪嘗胆 暦年 移る

個人混合強豪揃   個人混合 強豪 揃ふ

勝利瞬間驚喜姿   勝利の瞬間 驚喜の姿

          (上平声「四支」の押韻)


<解説>

 数年前は予選敗退や失格を経験。
 復活を期し、過酷なトレーニング
 強豪犇めく個人混合メドレー
 金メダルの瞬間の驚き、そして喜ぶ姿

<感想>

 こちらは水泳の大橋選手、連日の金メダルのニュースでオリンピックが始まったことを実感しましたね。

 競技をする選手たちは、「極度不調」「臥薪嘗胆」の時には、ニュースに出てくることは少ないので、名前すらも忘れがちになってしまいます。
 周囲の関心が自分からどんどん遠のいていくのを実感しながら、自分に更に過酷なトレーニングを課し、実行し続ける精神力は素晴らしいと思います。

 結句の「驚喜」の言葉が、大橋選手の表情を本当によく表していると思います。



2021.10.27                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第262作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-262

  小秋偶感        

四肢缺損競遊泳   四肢欠損 遊泳を競ひ

義足全盲顕闘魂   義足全盲 闘魂顕らか

恥我平常安逸惰   恥づ 我が平常 安逸に惰せるを

殘生日日斷憂煩   残生の日々 憂煩断たん

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

 パラリンピック選手の笑顔に癒やされて

<感想>

 パラリンピックが日本で開催されたことで、今までパラ競技の実際の姿をほとんど知らなかったことに気付きました。
 車椅子の競技や陸上くらいしか知らなかったのですが、今回の大会では色々な種目が放送され、障碍の部位や程度の異なる選手が同じ土俵の同じ種目で競い合うという場面を沢山見て、正直のところ、ビックリというかショックを受けました。
 開催国でなければ、パラリンピックの放送はこんなに多く無かっただろうと、その点だけは開催されて良かったと思いました。
 転句の感慨は、恐らく競技を見た人は同じような気持ちになったと思います。そこから「残生」へと発展させるところが、常春さんの老練の業ですね。
 「安逸惰」の「平常」でも「憂煩」があるというのが人情の不思議なところですね。



2021.10.27                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第263作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-263

  祖谷蘿橋(いやのかずらばし)        

峽谷搖搖歳月過   峽谷に搖搖して 歳月過ぐ

昔時無客茂青蘿   昔時 客無く 青蘿茂る

平家隠者護身術   平家の隠者 護身の術

清唱遊人粉挽歌   遊人 清唱す 粉挽(こひき)の歌

          (下平声「五歌」の押韻)


<解説>

 徳島の名所 奥祖谷(いや)の蘿橋(かずらばし)はその昔
 平家の落人が追っ手が攻め寄せたときには
 そのかずらを切り落とし護身のために架けたとか
 徳島民謡 粉挽(こひき)の歌が心に沁みる


<感想>

 「蘿橋」は敵を防ぐために考案されたもの、という解説は、なる程と納得です。
 弘法大師が村人のために架けたという伝説もあるそうですが、平家の落人の話の方が私は好きですね。

 長い歳月、橋は架かって揺れ続けたという起句は良いのですが、直後の「昔時」はいつのことを言っているのか、平家の話に繋げて同じ頃だとすると、「無客茂青蘿」と書いた意味が無いですね。
 誰も訪れてこないならば「護身」も必要無いですから。
 歴史的なことは転句に任せて、この承句は橋の描写に専念しないと、題名と内容が合わなくなりますので、再敲が良いでしょう。

 結句は「粉挽歌」の内容になりますが、明るく楽しい歌ではない(「心に沁みる」)とすると、「清唱」とか「遊人」で合うでしょうか。
 「行人」「村人」と替えてみると、視点も変わってくると思いますので、そこから上二字も検討してはどうでしょうか。



2021.11. 1                 by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第264作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-264

  全国高校野球 敵不在球場        

憧憬球場甲子園   憧憬(しょうけい)の球場 甲子園

群雄割拠闘魂全   群雄割拠 闘魂全し

病魔感染願望砕   病魔の感染 願望砕く

対戦不諧無念員   対戦 諧(かな)はず 無念の員

          (上平声「十三元」・下平声「一先」の通韻)


「憧憬」: あこがれ


<解説>

 コロナウイルス感染による無念の不戦敗
 球児の心境や如何に!

<感想>

 コロナ禍で思うように試合ができない、参加できない辛さは、私も以前高校で部活動顧問をしていましたので、よく分かります。
 勿論、当時はコロナ禍ではありませんでしたが、高校生活最後の試合で、怪我や病気のために、万全の体調で臨めない生徒、参加できない生徒も何人もいました。
 期間の限られた高校生活ですので、辛い思いの人も居るでしょう。

 転句の「願望砕」はそうした選手達の気持ちを表していますね。
 「塞翁馬」、いつか「禍」「福」と変わることを信じてがんばりましょう。



2021.11. 1                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第265作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-265

  新秋有感        

魚鱗雲湧蔚藍天   魚鱗の雲は湧く蔚藍の天

秋氣清澄意快然   秋気 清澄にして 意は快然

世路波瀾何故數   世路の波瀾 何ぞ故に数へん

一風萬里是吾船   一風 万里 是れ吾が船

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

  あおいで見ればうろこ雲 高く広がる青いそら
  秋の空気は澄み切って それは気持ちも良くなるさ
  世間の大波小波など わざわざ数えるほどもない
  ひと風受ければ千万里 こいつがオレの乗る船さ

 転結句、「波瀾」「船」「魚鱗雲」からの連想です。

<感想>

 「蔚藍天」は杜甫の詩に出て来た言葉ですが、秋らしい「濃い藍色の空」ですね。

 承句の「世路波瀾」は、コロナ感染の世相を表していますが、秋の澄んだ空を眺めていれば心は地上から遠く離れ、「萬里」の彼方まで風に乗って飛んでいくという、一瞬の飛翔が詩人の心を更に拡げるという感覚でしょうね。
 「一風」は他にも「高風」「西風」など色々考えられたと思いますが、「萬里」との対はもっともですが、結びの「吾」との対応も利かせているのでしょうね。



2021.11. 2                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第266作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-266

  新冠疫苗接種        

深更帶熱不成眠   深更 熱を帯びて 眠りを成さず

恨殺痛疼猶有肩   恨殺す 痛疼の猶ほ肩に有るを

固識身中無病毒   固より識る 身中 病毒無く

應令免疫十分全   応に免疫をして十分に全からしむべし

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

  夜中になって熱が出て 何度も何度も目が覚める
  肩の痛みもズキズキと 今も変わらず続いてる
  ウイルス感染したわけじゃ ないってことはわかってる
  これで免疫システムも 備えができるというわけだ

 新型コロナウイルスワクチン二回目接種後、副反応による発熱等あり。布団のなかで一首。
 幸い、まる一日寝込んだだけで平常に復帰できました。

<感想>

 ワクチン接種の副反応は、若い人は特に大きくなる、とも言われます。
 馬鹿な慰めかもしれませんが、副反応に苦しんだ観水さんは若いことの証明かもしれません。
 世の中は「3回目のワクチン接種」へと動き始めているようですが、ワクチンの供給が遅れている国のことを考えると胸が痛みます。
 特効薬が早く開発されて、コロナもインフルエンザのような扱いになることを祈るばかりですね。

 後半は杜甫の「月夜」の句、「遥知小児女 未解憶長安」を彷彿とさせる調べです。



2021.11. 2                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第267作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-267

  某保健所作        

遮莫廨中書簿堆   遮莫(さもあればあれ) 廨中 書簿の堆(うずたか)きは

曉昏相問病家廻   暁昏 病家を相問ひて廻る

老羸屢訴形骸熱   老羸 屢しば訴ふ 形骸熱しと

強壯還驚氣息摧   強壮 還って驚く 気息摧(おとろ)ふに

十日生民可能免   十日にして 生民 能く免るべきも

一年公吏不成咍   一年 公吏 咍(わら)ひを成さず

請看萬國猶冠疫   請ふ看よ 万国 猶ほ冠疫

親故有音難往來   親故 音有れども 往来難し

          (上平声「十灰」の押韻)


<解説>

令和三年八月、余依命遣于某保健所。冠疫未息、病者日多。
保健所之胥吏、日打電話僅百。新冠之感染者、日待電話數千。
已矣。更有文書停滯、誰能裁之。余亦從事有感。乃賦詩、斯示焉。

令和三年八月、余命に依りて某保健所に遣はさる。冠疫未だ息まず、病者日びに多し。
保健所の胥吏、日に電話を打つこと僅かに百、新冠の感染者、日に電話を待つもの千を数ふ。
已矣。更に文書の停滞せる有るも、誰か能く之を裁せん。余も亦事に従ひて感有り。乃ち詩を賦し、斯に示す。



部屋じゅう山と積まれてる 書類仕事は後回し
朝から晩まで休みなく 在宅患者に電話する
「熱がなかなか下がらない」 訴え続けるお年寄り
「息が苦しくなってきた」 働き盛りも気が気じゃない
十日もすれば大抵は 療養解除になるけれど
保健所内のスタッフは 笑い顔にはなお遠い
ご覧のとおり全国で コロナ禍ずっと続いてる
親友達とも会えなくて 時たま声を聞くばかり


 新型コロナウイルス感染症を診断した医療機関は、管轄の保健所に報告します。
 これを受けて保健所では、感染者本人に電話をかけ、基本的な個人データのほか、現在の症状や基礎疾患、家族の状況、行動歴等を確認・調査します(所謂「ファーストタッチ」というものです)。短くても30分、今後の生活等に関する質問への対応なども含めて、1時間以上かかるケースもあります。
 仮に保健所のコロナ専従の職員が10人いたとして、1日に対応できるのは100件程度(「日打電話僅百」)。この8月の全国的な感染拡大時期には、そんなところに連日200件、300件の感染の報告があったわけで、わずか数日で未対応の案件が1000件を超えるようになります(「日待電話数千」)。
 さらに、感染者のほとんどは自宅療養というかたちになりますが、自宅療養者に対しても、毎日、健康観察ため、フォローアップの電話をかけることになっています(外部委託のケースもありますが)。自宅療養期間は最短でも発症日の翌日から10日間ですので、フォローアップの対象者も常に数千人。これに対して、1人のスタッフが1日に電話をかけられるのは約100人といったところでしょうか(何度も電話がつながらなければ現地調査に行くことになります)。

 この「仮定」の保健所の場合、10人のうち半数をフォローアップに割くとすると、ファーストタッチ50件、フォローアップ500人というのが、キャパシティの限界ということになります(電話以外の仕事はすべて深夜〜早朝に片付けるということにして)。保健所の人間が感染者又は濃厚接触者となって戦線離脱するようなことでもあれば、処理能力はさらに低下します。

 このようなキャパオーバーの状況は、保健所内外の他部署、他組織、民間から何十人も応援スタッフを受け入れてはじめて(当然、密にならない業務スペースと、必要な電話回線も確保して。さらに感染拡大のペースも頭打ちとなって)、ようやく改善に向かっていきます。

<感想>

 観水さんは「仮定」の保健所と書かれていますが、コロナに対応する現場の実態をしっかり伝えていると思います。

 コロナ禍の中で、医療関係者の方々が厳しい勤務をされていることは色々な場面で伝えられてきました。
 しかし、なかなか現場に直接取材することもできなかったのでしょう、実態がそのまま出てくるこうとは少なかったですね。

 「廨」は「訴訟や紛争を广(いえ)」ということで、役所を意味します。
 漢詩では「廨署」「廨宇」と使われます。

 頸聯の対句もよく分かりますが、下句の「一年」は次の流行が来れば「二年」になってしまいます。
 何とか「一年」の表現のままで収まってほしいですね。



2021.11.12                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第268作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-268

  反貧困教育      ――大阪府立西成高校教師集団実践――   

無視教員行廃頽   教員を無視し 行ひは廃頽す

生徒亡状若風埃   生徒の亡状 風埃の若し

家庭実態務査察   家庭の実態 査察に務め

貧困連翩組断裁   貧困の連翩 断裁に組む

窮蹇孤飄呈起点   窮蹇孤飄の起点を呈し

法規制度編教材   法規制度の教材を編む

学修意欲眼光暉   学修の意欲 眼光暉き

信愛育成開未来   信愛の育成 未来に開く

          (上平声「十灰」の押韻)


<解説>

 NHKTVで 大阪府立西成高校の教師集団での実践を取り上げられたのを見て、大変感動し、作詩しました。
 10年来の取り組みのようです。以前は教育困難校と言われた学校ですが 今は大きく様変わりしているようです。
 教師の言葉、生徒を見守る眼等々から「これぞ、真の教育だ」と思わされました。

<感想>

 茜峰さんのこの詩は、以前投稿いただいた同題の七言絶句、「反貧困教育  ――大阪府立西成高校教師集団実践――」を律詩にしたものですね。

 首聯で「以前の学校の状態」、頷聯・頸聯で「教師の取り組み」、尾聯で「変化した生徒たち」という展開は分かりやすいと思いますし、律詩にした分、特に教師の取り組みについての説明が丁寧になったと思います。

 頸聯は、「窮蹇」(きゅうけん)は「貧乏して困り果てる」、次の「孤飄」「孤独で漂泊しているような状態」で、ここは生徒達の実態を並列で示したところ。
 下句も同様に考えると、「法規制度」も並列で、「法規制度」と解して、「法律や社会の制度など、生徒の自分自身の生活に直結する問題を教材とした」という実践が見えてきます。
 良い対句なのですが、「教」の字が起句と重複している点、また平仄でも、両韻とする本が多いですが、「おしえる」という意味では仄声、平声になるのは使役形の場合(「詩韻含英」など)とする「両韻異義語」の扱いで、つまり、「教材」とした場合には「●○」となり、「二六対」が崩れています。
 また、仮に平声として見ると、今度は五字目の「編」も平声で「下三平」になります。
 この下三字は直す必要がありますね。

 尾聯はまとめになりますが、「学修」「意欲」を補足する形で「育成」をこちらに持ってくるか、「醸成」などの言葉にするのが良いと思います。
 末字の「暉」は「上平声五微」韻ですので、ここは「燦」くらいでしょう。
 最後の「信愛」は、ここではもう出来上がったという形が良く、「育」でなく、「笑顔」とか「希望」など、明るい未来を感じさせる言葉が合うと思います。



2021.11.13                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第269作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-269

  謹賀真鍋淑郎博士諾貝爾賞受賞        

ク土偉人名不知   郷土の偉人 名も知らず

仰天朗報表旌垂   仰天の朗報 表旌(ひょうせい) 垂る

異常氣象因提供   異常気象 因 提供

温暖解明開拓基   温暖 解明 開拓の基

          (上平声「四支」の押韻)

「表旌」: 善美な行為を広く世に表し示す垂れ幕


<解説>

 今年のノーベル物理学賞に真鍋淑郎博士が選ばれたという報道。
 私の住む四国中央市 その山あいの旧新宮村出身の報にビックリ。

 地球の気候をコンピューターを用いてシュミレーションし再現する方法を開発して、気候変動の予測に関する研究を先駆的に開拓したことが高く評価されたとありました。
 こんな偉人がこの山あいのお生まれとは!

 久々の明るい話題を頂きました

<感想>

 ノーベル賞は中国では「諾貝爾獎」と表記します。

 起句の衝撃的(?)な書き出しは、「郷土」に限定するものでなく、結構多くの方の率直な感想でしょうね。

 現代でもそうなのかどうかは分かりませんが、海外でなくてはできない研究は多かったのだと思います。
 海外での研究活動は一般人というか門外漢は知りませんので、業績を紹介されてはじめて、世界を牽引する研究者なのだと分かりました。
 同時に、改めて、現在の私たちの生活は多くの研究に基づいていることも感じ、素直に感謝の気持ちが湧きました。



2021.11.13                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第270作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-270

  又逢秋        

大耋残年似贅疣   大耋ノ残年 贅疣ニ似タリ

有間少楽正堪憂   間(ひま)有リテ楽シミ少ナク 正ニ憂ウルニ堪エタリ

階前切切早蛩語   階前 切切 早蛩ノ語

却恨還逢是此秋   却ッテ恨ム 還タ逢ウ 是此ノ秋

          (下平声「十一尤」の押韻)


<感想>

 石川県小松市での全日本漢詩大会の会場で真瑞庵さんにお会いできました。
 コロナウイルスの感染が無ければ、桐山堂のオフ会を開くところですが、残念ながら受付での立ち話程度でお別れしてしまいました。
 岡山での漢詩大会の折に、調布の深渓さんと真瑞庵さん、そして私で髭面三人衆ということがありました。丁度私もヒゲもじゃの時でしたので、なかなか壮観でした。
 今回も深渓さんは会場に居られたので、三人で写真を撮りたかったですね。
 お二人ともお身体はお元気そうで何よりでした。

 起句の「大耋」(たいてつ)は「八十歳の老人」を表す言葉です。
 次の「贅疣」(ぜいゆう)は身体にできる「こぶ」と「いぼ」、そこから「役に立たない無用なもの」という意味になりますので、ここは作者自身の姿を例えたものになります。

 承句は今度は老いの心情、「少楽」は詩の展開としては穏当な語ですが、真瑞庵さんのお姿としては「閑を得て楽しみ多けれど」という方がしっくりする、というか、面白いように思います。
 他の句も納得できるものばかりで良い詩ではありますが、逆に手慣れた仕上がりにも感じます。
 私としてはつい欲張って、作者ご本人の顔が浮かぶような、個性的な句を求めてしまいます。



2021.11.15                  by 桐山人