2004年の投稿漢詩 第106作は 逸爾散士 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-106

  古別離        

欲贈把亭柳   贈らんとして亭柳を把れば

青青更愴神   青青、更に神を愴たましむ

嫩草雲鬟緑   嫩草、雲鬟の緑の

何如再會春   何如ぞや再會の春に

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 朝日新聞社版「中国古典選」文庫版、『唐詩選』『三体詩』の中の楽府題の詩を選んで作っていった時の一つ。
 詩題は民謡的な別れの歌なのかしらん。(わからないで作っているのも横着至極ですね)
(官人の)夫を長安の隣の宿亭で見送った若妻になったつもりで作ったもの。
詩の前提がこうしたフィクショナルな設定であることについても議論はできるでしょうが、「歌謡曲の歌詞も女人転進詠が多いのだから漢詩でもいいはず」と思っています。

 山陽吟社の時の旧作です。
太刀掛先生の朱筆は、
「愴」「ィタマシム」と訓読。「何如」は初案では「如何」でしたが、字を倒置して「イズレゾヤ」と訓読するというものでした。
 初案だと意味は「(妾の髪を)どうしたものだろう?」となるのでしょう。「イズレゾヤ」だとより強く「どちらが緑なんだろう?」という意味でしょうか。
「どちらなのか」というほうが、二つのものを並べた転句と一体感があるようです。さすが、作者よりも先生は鑑賞が深いなあと思いました。
 漢文でも「緑の黒髪」のように、髪を「緑」で喩えるのかはわからないけど、(和臭の一種?)若葉のようにつややかだという比喩にはなるかも。

 なぜ旧作を思いだしたかというと、書店で『サヨナラダケガ人生カ』という本を立ち読みしたからです。
 いろいろな漢詩を七五調の定型詩に訳した本です。
この『古別離』も、定型に訳せそうだと思っていました。

    ワカレノシルシニ、ヤナギヲトレバ
    シゲルアオバニ、ムネフタグ
    ワカバノミドリト、ワタシノカミト
    マタアウハルニ、ドンナヤラ

 実際、やってみたら都都逸モードになってしまった。
五言は沈着で荘厳なリズム。七言は軽快な歌謡調とすると、五七調は五言の漢詩、七五調は七言の絶句にあうから、古調の楽府題に七五調は似合わない。
 井伏鱒二さんが于武陵『勧酒』という五言絶句につけた、「ハナニアラシノタトエモアルゾ サヨナラダケガジンセイダ」の名調子も、音韻的な感動の中心は結句の断定のさま(訓読の日本語)にあります。
 七五調にあるわけではないでしょう。
 でも、漢詩が「歌謡」の側面を持っていることも、世の中に広めたい。日本語定型詩の美感も捨てたものではないですしね。
 昔の人の文学理解、文学享受の仕方で、現在に生かせるものもたくさんあると思います。

<感想>

 太刀掛先生の朱筆を興味深く読ませていただきました。
 初案の「如何」のように「どうしようか」という形ですと、「雲鬢緑」がはっきりとしてくる分、「嫩草」の働きが弱くなり、「嫩草のような雲鬢の緑」という比喩のニュアンスが出てくるでしょうか。
 逆に「何如」ですと、状態を尋ねる形になりますので、「嫩草」「雲鬢」「どんな様子だろうか」となるように思いました。
 「イヅレゾ」と選択疑問にするのは、とても思い至りませんでした。

 「古別離」は、もともとは古詩である「行行重行行」の別離の情を題材にした作品ですので、離ればなれの男(夫)や女(妻)の気持ちが描かれるようです。孟郊韋荘の作品が『唐詩選』には載っていますね。

 漢詩の歌謡の側面は、なかなか私たちには掴みにくいところがあります。音楽的な趣よりも「調子の良さ」という音調の側面が日本の場合には重要で、文語自由詩としての漢詩の役割は大きいと思っています。

2004. 6. 2                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第107作は 長岡瀬風 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-107

  春日偶吟        

弱脛衰顔懶出家   弱脛衰顔家を出るに懶く

満庭暖気透窓紗   庭に満し暖気 窓紗に透る

曳筇難覓三春色   筇を曳いて覓め難し 三春色

閉戸唯看一樹花   戸を閉て唯看る 一樹の花

曾是亡妻桃手植   曾て是れ亡妻 桃手づから植し

如今新彩涙交加   如今新彩 涙交加ふ

昔遊已去人空老   昔遊已に去りて 人空く老ゆ

却喜塵囂城市賒   却て喜ぶ 塵囂城市に 賒 なるを

          (下平声「六麻」の押韻)

<感想>

 それぞれの春の思いはあるのでしょうが、今回の長岡瀬風さんの作品は、ひとしお胸に迫るものですね。
 第一句の「懶出家」は常套の言葉ですが、頸聯の「亡妻」や尾聯の「人空老」と重ねると、切ない思いが一気にこみ上げてきます。
 庭に面した一室からの作者の目に映る光景ですので、描かれた場面としては狭い空間に過ぎないのですが、「一樹花」で視点を絞り、そこから「曾是亡妻桃手植」へと懐旧の情へと転換する。
 そうした流れが生きているからこそ、結びの「空老」が観念論ではなく、実感を伴って伝わってきます。
 一つ一つの素材が乖離するのではなく、一貫した情感の中で緊密に結び合っているのは、極めて自然で、素直に共感できます。

 「塵囂」「塵に汚れてやかましい」という意味ですし、「賒 」「遠く離れている」という意味ですね。

2004. 6. 2                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第108作は 枳亭 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-108

  勢州津結城神社枝垂梅      勢州津結城神社の枝垂梅  

枝杪懸垂底順柔   枝杪の懸垂 底ぞ順柔なる

軟風微戦麗姿幽   軟風に微かに戦ぎ 麗姿幽たり

彩容豈比人為巧   彩容 豈比せんや 人為の巧みに

紅白競妍花影浮   紅白妍を競ひ 花影浮く

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 人の噂を聞き、今年こそはと訪れたが、正直、その美しさに驚き、目を奪われた。枝は素直に長く垂れ下がり、軽風に揺れ、花は白、紅、深い赤と真に見事であった。
 自然の造形に勝る美しさは無いものだと今更感じことである。

<感想>

 起句「底」はあまり見ない用法ですが、「なんぞ」と読んで感嘆を表す字ですね。承句の「戦」も読みにくいかもしれませんが、「そよぐ」と読み、「揺れ動く」という意味でしょう。
 全体に枝垂れ梅の柔らかさが表れていて、ほっとするような詩ですね。
 その分、結句の「紅白競妍」は一転して力が入りますので、ここを浮いていると見るか、対比で効果的と見るかが意見が分かれるところでしょう。
 私の感じたところでは、結句の明白さが転句をぼかすように思います。内容的には、転句と承句が逆になっていても良いのではないでしょうか。

2004. 6. 2                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第109作は 五流先生 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-109

  多度山登山        

野鳥嚶鳴爽響峰   野鳥 嚶鳴して、爽やかに 峰に響く。

老翁喘汗一依筇   老翁 喘汗して、いつに筇に依る。

登山頂遠望佳景   山頂に登りて 佳景を 遠望すれば、

車作蟻螻川是竜   車は蟻螻と作り、川は 是れ 竜。

          (上平声「二冬」の押韻)

<解説>

 平素運動していないので、低い里山でも疲れました。

 [語釈]
 「嚶鳴」:鳥が声をそろえて鳴く。
 「喘汗」:あえぎながら 汗をかく。
 「蟻螻」:蟻の総称。

<感想>

 多度山は三重県にある山ですが、五月の上げ馬神事で有名ですね。私ももう十年程も前になりますが、丁度五月の連休の終り、どちらかと言えばひっそりとした山道を登っていきました。
 頂上から眺めると、木曽三川が眼下に広がり、汗が一気に引くような爽やかさでした。
 その時に見た景色が目の前に浮かぶようで、懐かしい気持ちで読ませていただきました。

 起句承句は対句仕立てですね。「老翁」と対応させるなら、「野鳥」にもう少し具体性をもたせるように一工夫あると良いでしょう。
 転句は、句のリズムが「登山頂/遠望/佳景」となっていて、「三・二・二」になっています。これが読みにくさの原因でしょう。「山巓遠望遭佳景」のように少し動かせば解消します。
 結句は確かに川沿いの道路を走る自動車をご覧になったのでしょうが、車を蟻というのはどうでしょうか。川が竜となるのでしたら、車ではなく自然のものを出した方が良いように思います。もしくは、「車」を「人」に換えるだけでも随分違うと思いますよ。

2004. 6. 2                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第110作は 五流先生 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-110

  登池田山      池田山に登る  

嫩緑山中躑躅燃   嫩緑の山中 躑躅燃ゆ

近村遥遠帯春煙   近村 遥遠して 春煙を帯ぶ

鶯鳴突発遄回首   鶯鳴 突発して、遄(すみや)かに首を回らせば

鳥渡林間人舞天   鳥は林間を渡り、人は天を舞う

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 池田山には パラグライダーの 練習場が ありました。

<感想>

 池田山というのがどこにあるのか知りませんでしたので、インターネットで調べました。岐阜県の大垣市の北方、揖斐川の上流の近くという感じですね。
 結句の「人舞天」はパラグライダーの解説がないと分からない言葉ですね。実景としてはとても新鮮で、句中対も生き生きとしています。けれど、ここだけを見ると、何が起きたのか、仙人でも現れたのかと思ってしまいますね。
 題名にでもそれらしいことを加えるのでしょうね。パラグライダーは漢語では何というのでしょう?どなたかご存じの方は教えて下さい。

2004. 6. 4                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第111作は 蜂翁 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-111

  観雪形      雪形を観る  

連山残雪玉容豊   連山雪を残して玉容豊なり

描得巖肌種蒔翁   描き得たり巖肌 種蒔く翁

世事雖移天不動   世事移ろふと雖も 天動ぜず

時宜廻到語農功   時宜廻り到って農功を語らう

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

   連山に雪が残って、顔形が豊である。
   岩肌が種まき爺さんの形を描いている。
   俗世は変化するが自然は動じない。
   ちょうど良い時に廻ってきて、農事を語ってくれる。

 初夏が真近のころ、雪形が顔を出します。
 動物、鳥、蝶、人影等があらわれ、山との語らいが楽しい季節です。
毎年、時期になると、忘れずに訪れる、不思議な自然の動きを詠んでみました。

<感想>

 蜂翁さんは安曇野にお住まいでしたね。私も白馬に行った時に、山に残った雪の姿によってその年の豊作凶作を占うという話を聞きました。この詩ですと、「種を蒔く翁」の姿が表れたということですね。

 起承転結も整っていて、素直に納得できる内容だと思います。前作の「深山雪」もそうでしたが、自然と親しく暮らす生活が感じられる良い詩ですね。

2004. 6. 4                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第112作は山口県の 朋岳 さんからの初めての作品です。
 第89作での知秀さんと同じ漢詩会で活動なさっておられるそうです。

作品番号 2004-112

  初夏偶成        

燕子飛翔五月天   燕子飛翔す 五月の天

幽庭新樹映陽鮮   幽庭の新樹 陽に映じて鮮やかなり

南窓閑座繙書巻   南窓に閑座して 書巻を繙けば

瞬時薫風払机辺   瞬時の薫風 机辺を払う

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 知秀さんに誘われてこのページを訪問いたしました。
 萩市で漢詩の会に所属しています。詩吟のほうは長くやっておりますが、漢詩は好きというだけです。私はパソコンはまだやっておりませんので知秀さんにお願いしました。
 皆様のお作を拝見してとても勉強になりいっそうやる気が沸いてきました。
 今後ともよろしくお願いいたします。パソコンも勉強するつもりです。

 [訳]
 つばめ飛び交うさつき空
 若葉の木々が日に映えて
 窓辺に座って書を読めば
 机のあたりに 風かおる

<感想>

 初めまして。よろしくお願いします。

 初夏を表す「燕子」「新樹」「薫風」を配して、爽やかな雰囲気が漂う詩ですね。机を吹き払う薫風が瞬間を切り取り、起句の「燕子飛翔」と結句の「払机辺」の「動」と承句転句の「静」がバランスを取っていますね。
 ただ、バランスが取れていて、まとまっている分、落ち着きすぎている感もあります。「机の上の書物を風が吹き払う」という結末も、安定感の反面、流れが良すぎてサラリと読み切ってしまうという面もあるかもしれません。
 ま、それは整っている作品である故の私の欲張り(ひがみかな?)でしょうか。

2004. 6. 4                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第113作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-113

  田園逍遥        

蛙声小径聴疎鐘   蛙声の小径 疎鐘を聴く

水満耕場樹影濃   水 耕場に満ち 樹影 濃やかなり

四匝重機農事急   四匝に重機 農事急なり

群禽喧啾起孤松   群禽 喧啾して 孤松に起つ

          (上平声「二冬」の押韻)

<解説>

 いつも散歩している田園はいま田植え前の田作り、潅水の取り入れ作業が忙しく行われています。
この風景を作詩しました。

<感想>

 一読、忙しい農作業の光景が目に浮かびますね。
 それは、恐らく、起句の「蛙声」「聴疎鐘」、そして結句の「群禽喧啾」などによる、音の配列の効果でしょう。表現はされていませんが、転句の「四匝重機」も騒がしさを感じさせますしね。
 そういう点では、「疎」とか「孤」という字が、やや全体の忙しなさ、騒がしさからは浮いているようにも思えます。
 一字のことですが、そもそもその字が必要かどうかの検討は要るでしょう。勿論、喧騒の中の静寂という対比を狙うということもありますが、私には「蛙の鳴き声の中で疎らな鐘の音を聴く」というのは違和感があります。「午陰鐘」あたりでどうでしょうか。

 結句の「啾」「下平声十一尤」の平声ですので、この字は変更すべきでしょうね。

2004. 6. 4                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第114作は 金先生 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-114

  感遇 其一        

児曹恍惚与君歓   er cao huang hu yu jun huan  / / ∨  ̄ ∨  ̄  ̄

歳月如雲思渺漫   sui yue ru yun si miao man   \ \ / /  ̄ ∨ \

多感誰憐人易老   duo gan shei lian ren yi lao   ̄ ∨ / / / \ ∨

夕陽愁殺涙蘭干   xi yang chou sha lei lan gan   ̄ / /  ̄ \ / \

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 ひさしぶりの投稿です。
 書き下しの代わりに現代中国語の発音(ピンイン)をつけてみました。ただし四声記号は、後ろに書いてます。
 実は私は自作には全てピンインをつけています。この二作は脚韻の音はあっていますが、其一の方はmanとganは現代の発音では仄になるようです。

 [訳]
   若き日には君と喜びを分かちあったこともあったね
   時はあっという間に過ぎて 思いは遙か。
   年をとってしまうことは どうしようもないことだけど
   沈む夕日を眺めていると なぜだか涙がこぼれてくるんだ。

<感想>

 漢詩を現代中国語で音読する、私が中国語の勉強を始めたのはそれがきっかけでした。
 日本漢音で読んだ方が、実際の唐の時代の発音に近いとは言われますが、四声による音楽的な雰囲気は、たとえ入声が消滅したとは言え、やはり中国語での発音の方が雰囲気はありますから。

 詩の展開としては時の流れを大きく示していて、細かな説明を省いた分だけ五言絶句あたりで作ると面白いように思います。
 結句の「蘭干」ですが、「闌干」のように思います。そうそう、「干」の「gan」は一声だと思っていましたが、仄なのですか。

2004. 6.10                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第115作は 金先生 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-115

  感遇 其二        

佳人二八年    jia ren er ba nian    ̄ / \  ̄ /

如夢眼前連    yu meng yan qian lian  / \ ∨ / /

想昔傷心事    xiang xi shang xin shi ∨  ̄  ̄  ̄ \

談詩又独眠    tan shi you du mian   /  ̄ \ / /

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 出会ったときは互いに十六
 今でも いろいろ思い出すよ。
 私の恋心は 結局かなわなかったことを
 下手な詩にしては 今夜も又ひとり眠るとしよう。


<感想>

 こちらは五言絶句で書かれたもの、うーん、こうして見ると難しいものですね。起句などは、「二人とも十六歳だった」というには、やはり言葉が足りないような気がします。
 私などは、そのまま読んで、「あなたは二八の十六年、ずっと目の前にいてくれて夢のようだ」と解釈しました。つまり、承句でも、何が「眼前連」なのかがはっきりしないことが原因かもしれません。
 ただ、色々な読み方が許される(許さねばならない)のも五言絶句の楽しみ方です。金先生さんもその辺りを狙われたのでしょうね。

2004. 6.10                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第116作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-116

  推敲偶感        

時氣風光千樹春   時氣の風光 千樹の春、

草堂繞屋鳥声頻   草堂の屋を繞りて 鳥声頻りなり。

未成冬句推敲裏   未だ冬句を成さず 推敲の裏、

無奈天行不待人   奈んともする無し 天行 人を待たず。

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 毎々ご指導有り難うございます。
駄作で氣恥ずかしいながらも投稿させていただきます。
桐山堂先生の寸評も勉強になります。
投稿の諸先生の詩を拝見して糧としています。
 向後ともよろしくお願い申し上げます。

 [語釈]
 「時 氣」:季節の移り変わり。
 「千樹春」:春めいて来た樹木。
 「無 奈」:どうすることもできない。
 「天 行」:天のめぐり、天体の運行。

<感想>

 春を読みながら「冬句」を入れることで、季節の推移をよく表していると思います。この転句は工夫が生きているところですね。
 結句は、「天行不待人」と来て、かなり大げさな表現ではあるのですが、転句の妙でしょうね、違和感なく読み進めることができます。
 そうなると、やや物足りないのが承句になります。「鳥声頻」だけでは季節感が弱く、起句の華やかさに対抗できません。後半を生かすためにも、ここは「春だ〜!」と示しておきたいところです。「囀鶯頻」くらいかな、と思いますが、句の前半の「草堂繞屋」とは合いませんから、「草堂」「繞屋」のどちらかを直す必要が出てきます。
 うーん、でも、そんな風に推敲していくと、またまた「春句」が遅れてしまいますかね。

2004. 6.11                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第117作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-117

  偶感        

笑殺巷衢無用民   笑殺す 巷衢 無用の民

菲才微志未曾伸   菲才なる微志 未だ曾て伸ず

不知昼夜耽詩興   昼夜を知らず 詩興に耽る

近世如斯有幾人   近世 斯の如き 幾人有りや

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 無用民 菲才と自己謙遜しながら、結句で、近頃の世知辛い世にこのような事をして過ごす人が一体どれだけ居るだろうか。
 創作を始めて昨日のことと思っていたら、すでに六年目に入っていました。
駄作百数十首を蕪詩と名付けHP「深 渓」に恥知らずにも書き込みました。
ご叱声下さい。

<感想>

 この詩は、前半と後半がつながりが弱いですね。
 前半の謙遜の部分は、そこだけを見ると問題ないのですが、結句とつなげると、「私のような才能のない人間は近頃いるのだろうか。みんな才能を持った人たちばかりだと思われるのに」となって、本来の主題である「漢詩にこんなに耽溺する人は少ないだろうなぁ」という趣旨とはずれてしまうように感じます。
 つまり、転句の「不知昼夜耽詩興」が表す内容を作者自身は肯定的に捉えているのか、だめだなぁと卑下したように捉えているのかがはっきりしないということです。
 そこはなんとか理解できるだろう、というのは、読者に頼りすぎで、そこまで要求されても読者は不安になりますね。
 ここは、結句をもう少し工夫されると良いのではないでしょうか。

2004. 6.11                 by 桐山堂





















 2004年の投稿漢詩 第118作は Y.T さんからの作品です。
 

作品番号 2004-118

  聴超級光盤     超級光盤を聴く   

匣裏水精盤   匣裏 水精の盤

凝眸唯曜変   眸を凝せど 唯 曜變するのみ

音発楽琤琤   音 發して 樂 琤琤(そうそう)

一聞優百見   一聞 百見に優る

          (去声十七「霰」の押韻)

<解説>

 年末、SACD(スーパー・オーディオCD)を購入しました。
 音質、臨場感ともに申し分なく、プレゼンス溢れる音の洪水に浸り、陶然としながら、こんな戯れ歌を書いてみました。
 CDは現代中国語では「激光唱片」ですが、「超級激光唱片」ではどうにも雅ではないので、少し苦しいですが「光盤」としました。
 スーパーやCDを字にするのは、私の力では難しいです。

 承句の「曜變」は曜變天目からの連想ですが、和習でしょうか?
 結句は「百聞不如一見」のパロディーですので「聞」を使いましたが、意味から行けば「聴」をです。こうした場合、矢張り「聴」を使うべきでしょうか?それとも「聞」でも差し支えないでしょうか?

<感想>

 Y.Tさんの作品もひさしぶりですね。
 ご質問の点を中心に考えますと、承句の「曜變」は、「曜」「光、輝き」の意味ですから、和臭ではないでしょう。ただ、訓み方としては、「眸を凝らせば 唯 曜變」、あるいは「唯 曜の變ずるのみ」として、「じっと見つめると、キラキラと色鮮やかにひたすら輝いている」の意味にした方が、原案の説明的な感じが消えて、CD面の虹の光沢感がよく出てくるように思います。
 「聞」については、パロディであるとの認識には、「一」「百」「見」の字があれば十分でしょう。
 「聞」のままで、「一回耳にするだけでも百見に優る」という意味でも十分伝わるのですが、「聴」に換えて、「一旦その音に聴き入ると、心の中にあまたの光景が浮かび、陶然としてくる」と理解するのも面白いでしょう。

2004. 6.11                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第119作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-119

 集月瀬草盧喜再会   月ヶ瀬の草盧に集いて再会を喜ぶ   

沿澗廻丘野径迂   澗に沿い 丘を廻りて 野径迂なり

余花新嫩正春徂   余花 新嫩 正に春徂かんとす

年年相集薫風客   年年 相集う 薫風の客

筍蕨唯茹歳歳娯   筍蕨 唯だくらう 歳歳の娯しみ

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

 鈴木先生、お元気でしょうか。一時、更新の期間がとぎれておりましたので心配しておりましたが、また元の様になっておりますので安心しております。
 一詩投稿いたします。よろしくお願いいたします。

 以前一度同様の詩を投稿いたしましたが、毎年五月の爽やかな風に誘われるかのように連休になると月ヶ瀬の友人の掘っ建て小屋に仲間が集まってきます。楽しみといっても筍や蕨を取って酒を飲んで騒ぐだけなのですが。

<感想>

 ご心配をお掛けしています。いろいろと錯綜すると、なかなか交通整理ができず、更新が遅くなってご迷惑をかけます。
 月ヶ瀬での友人との交遊の詩は、以前いただいた一昨年の「今春採筍誤期口占」では、筍が育ちすぎたとのことでしたが、今年は好い時期だったようですね。
 転句結句に織り込んだ「年年歳歳」の言葉は、句の中での位置が変えてあるだけでなく、副詞的用法と形容詞的用法の違いもあり、常套の言葉でありながら鮮やかさを発揮していると思います。
 起承転結の流れもよく、前作のやや残念な思いに比べると、今回は禿羊さんの満足感があふれるようで、落ち着いた風格も感じます。

2004. 6.11                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第120作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-120

  鶯啼序・願和平        

悲哉戰爭未絶,悲しいかな、戦争いまだ絶えずして,
送千年旧紀。千年の旧紀を送る。
試劉覧、養緑寰球,試みに劉覧す、緑を養う寰球(地球)に,
血流漂杵前史。血流れて杵を漂わす前史を。
人何鬪?人、なんぞ闘わん?
氷刃斬肉,氷刃肉を斬り,
凶彈碎骨硝烟紫。凶弾骨を砕いて硝煙紫なり。
見寒鴉乱噪,見ゆ、寒鴉の乱噪,
山河未埋屍体。山河のいまだ屍体を埋めざるを。
 
回顧百年,百年を回顧すれば,
科学進歩,科学の進歩,
得天公兵器。天公の兵器を得たり。
帶原爆、人化驕陽,原爆を帯びて人は驕陽と化し,
清晨燒尽城市。清晨に燒き尽せり 城市を。
我們知、花多日本,我らは知れり、花多き日本,
鶯啼處、荒墟千里。鴬啼くところ,荒墟千里。
看流螢、誰不哀憐,流れ蛍を看れば、誰か哀憐せざらん
猶迷陰鬼。なお迷う陰鬼を。
 
毋忘廣島,広島を忘れるなかれ,
銘記長崎,長崎を銘記せよ,
南京當謝罪。南京 まさに謝罪すべし。
誓不再、守愚謹慎,再びせずと誓い、愚を守って謹慎し,
知足安分,足るを知りて分に安んじ,
毋使青年,青年をして
修羅横死。修羅に横死せしむなかれ。
声高賢老,声高き賢老の,
頻煽民衆,頻に民衆を煽り,
英雄救國神州譽,英雄の国を救うは神州の誉なりとは,
是爲何? 自不長征異。これ何がためなるか? 自ら長征せずは異なり。
精兵苦難,精兵に苦難あり,
東傷南病西飢,東に傷み南に病み西に飢え,
北凍雪原防衛。北に凍えて雪原に防衛す。
 
幸生戰後,幸いにして戦後に生まれ,
偶作詩人,たまたま詩人となり,
喜太平情致,太平の情致を喜び,
趁佳韵、四時遊藝。佳韻を趁い、四時に游芸す。
野滿群芳,野に満ちたる群芳,
水映飛雲,水に映じたる飛雲,
月明古寺。月は古寺に明るし。
春禽夏蝶,春の禽(とり) 夏の蝶,
秋風冬醴。秋の風 冬の醴(さけ)。
秀吟都在凡夫筆,秀吟は都て凡夫の筆にあり,
請權官,莫惑功名字。権官に請う,功名の字に惑うなかれと。
古來鼓腹民心,古来 鼓腹の民心は,
不待鴻才,鴻才を待たず,
但愉私亊。ただに私亊を愉しむ。


<解説>

 2001年の1月、21世紀を迎え、戦争の世紀であった20世紀をふり返りつつ、新世紀へ向けての平和を願って書いた旧作です。
 しかし、その後あの9.11があり、自由と民主主義の大義を世界に広めるための戦火が、罪無き人々や若い兵士の命を屠り続けています。中国の一党独裁のもとでの人権の抑圧をことあるごとに非難する米国の現政権は、自由と民主主義という名の一党独裁を、全世界的規模で実現しようとしているように思えます。
 そして、わが国は、「日米同盟」の名分のもとで、米国の国策、というよりはブッシュ政権の施策への協力によって、国際舞台での功名をあげようとしているように思えます。

 拙作、いわゆる戦後民主主義の「平和ボケ」と非難されもするものの見方、考え方をベースにしています。それゆえの酷評も覚悟しています。しかし、作者の立場からは、そのどこが悪いかという思いがあります。
 日本を守るためのものであった日米安保条約は、本土が他国に侵略されたわけでもない米国を支援するための同盟に格上げされています。
 自国の独立と尊厳を守るためのものであった「自由と民主主義」は、異文明の国を攻める口実に美化されています。
 こういう時代にあって、小生は、わが国の権官が説く国際貢献や人道支援の美名に踊らされて、あたら命を落としたり、奪ったりしないで済むことを切に願っています。

 「鶯啼序」について

 読み下し文をご覧いただく限りでは散文詩のように思われるかも知れませんが、下記詞譜に示すとおり平仄・押韻の定めのある定型詩(宋詞)です。
 なお、○は平声、●は仄声。△応平可仄,▲応仄可平,★仄声押韻を示します。また、「(一四)」という表記は、五字句を上一下四に作ること(上二下三ではない)を示しています。

 ○○●○●●,●○○▲★(一四)。▲△●、▲●○○,●▲▲●○★。▲△●、○○●●,○○●●○○★。●▲○△●(一四),△○▲▲○★。

 ▲●○○,▲▲▲●,●△○▲★(一四)。△△●、▲●△○,△○○▲△★。●○○、△○●●,▲△●、△○○★。●△○,▲●△○,▲○○★。

 △○▲●,▲●△○,△○△●★。▲●●、▲○△●,▲●○●,●●○○,●○▲★。△○▲●,○○▲●,△○▲●○○●,●△○、▲●△○★。○○●●,△△▲●○○,▲▲▲▲○★。

 △○▲●,▲●○○,●●○△★(一四)。●▲●、△○▲★。●●○○,▲●○○,▲○▲★。○○●●,○○○★。△○▲●△△●,●○○,▲●○○★。△○▲●○○,▲●○○,●○△★。
        (新編実用規範詞譜:[女兆]普編校による)

 「鶯啼序」は、数ある宋詞のなかで最長、240字、4段18韻の詞です。
 初めて作られたのは13世紀。 詞としてはいささか長過ぎた(?)ためか、「詞を賦にに変えてしまった」と非難する向きもあったようです

<感想>

 この作品をいただいてから掲載までに時間がかかってしまい、申し訳ありません。
今という視野で刻々変化する世の動きに対応していると、いつの間にか、自分の思想の軸がぶれてきてしまう。そんな感覚を私は最近持っています。
 昭和から平成という長い幅で眺めてみると、この日本という国が進もうとしている方向が見えてくるような気がします。
 丁度、今朝のニュースで、サミットが終わったとの報道がありました。各国首脳の記念写真で日本の首相が真ん中に立つことができたということで、中曽根首相以来のことだという話でしたが、いやいや、何とも馬鹿げたデータもあるものです。
 中曽根首相と同じと言われると、尚更、首相の優先しようとしているものが見えますね。

 「構造改革をして、景気も回復した」と絶叫する姿に空々しい思いを感じ、「立場が人を作る」というのは蓋し名言だとしみじみ思います。

2004. 6.11                 by junji