2021年の投稿詩 第121作は桐山堂半田の 醉竹 さんからの作品です。
 漢詩教室の二月分で提出いただいた作品です。

作品番号 2021-121

  春日閑居        

逐鬼催終已二旬   逐鬼催し終え 已に二旬

東風踏脚暖寒春   東風 踏脚 暖寒の春

南窗炙背憪詩作   南窓 炙背 詩作を憪(たの)しめば

不覚須臾入夢頻   覚えず 須臾 夢に入ること頻り

          (上平声「十一真」の押韻)


<解説>

 節分の行事を終えて(立春を過ぎて)二十日になるが、三寒四温の春まだ浅い。
 暖かい日差しのところで静かにのんびりと詩作を憪しめば、思わず暫し居眠った。
 いかにも閑人のノンビリした気分

<感想>

 古代、大晦日の夜、疫病を追い払う儀式として「駆儺(くだ)」「大儺(たいな)」が行われました。
 日本では「追儺(ついな)」と呼びますが、奈良時代には伝わっていたとされます。江戸の頃に、節分の行事として民間に定着しました。

 二月も二十日を過ぎると、少しずつ「雨水」から「啓蟄」への移り時、春一番が吹くと翌日は一気に冬の寒さに逆戻り、そうした時節ですね。

 承句の「踏脚」「足踏みをする」ということで、春風が逡巡しているかのような表現ですね。

 転句の「南窗」「南軒」として外に出た方が、「炙背」には合います。
 逆に、畳の上でのんびりと、というならば、「曝書」を上二字に置く形でしょうね。



2021. 3. 9                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第122作は桐山堂半田の 醉竹 さんからの作品です。
 漢詩教室の二月分で提出いただいた作品です。

作品番号 2021-122

  春日湯遊河原        

湯村日暖物皆春   湯村 日暖かく 物皆春

碧落梅雲山色新   碧落 梅雲 山色新なり

水鳥遨遊採芹處   水鳥 遨遊 芹採る処

康強衆女笑聲頻   衆女 康強にして 笑聲頻り

          (上平声「十一真」の押韻)


  <解説>

 箱根と並ぶ神奈川の温泉処 湯河原。
 早春には山の斜面に約四千本もの梅が咲きほこり、大勢の観光客でにぎわいます。
 麓の河原には沢山の芹が自生しており、それ目的の人も結構います。
 立ち位置は川沿いの散策路、早春の湯河原の景を表現したいと思いました。


<感想>

 題名は「春日遊湯河原」が良いですね。

 承句は「碧落」がここでは要らない情報で、梅のことをもっと書くべきでしょう。

 転句は、「水鳥」「芹」を取りに来ているわけでは無いでしょうから、下三字は場所を表して(「川上野」とか)、結句の方に「採芹老若」と持って行ってはどうですか。

 再敲作も既にいただきました。
    湯河原春望(再敲作)
  湯村日暖物皆春  湯村 日暖かく 物皆春
  梅掩山陵景色新  梅 山陵を掩ひ 景色新た
  水鳥遨遊川上野  水鳥 遨遊 川上の野
  採芹衆女笑聲頻  芹採る 衆女 笑声頻り





2021. 3. 9                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第123作は桐山堂半田の 芳親 さんからの作品です。
 漢詩教室の二月分で提出いただいた作品です。

作品番号 2021-123

  春日閑居        

風白庭梅興趣眞   風白く 庭梅 興趣真なり

玲瓏馥郁又迎春   玲瓏 馥郁 又春を迎ふ

閑吟歩歩逋仙句   閑吟 歩歩 逋仙の句

枝上鶯聲詩思新   枝上 鶯声 詩思新たなり

          (上平声「十一真」の押韻)


<解説>

 庭の老梅が今年も又春を迎え、良い香りを放っている。
 梅を愛した林逋の句を口ずさみ、庭を歩いた。鳥の鳴き声で更に詩心が増した。

<感想>

 まとまりのある構成にはなっていますが、起句の「興趣眞」と結句の「詩思新」で、主題とも思われる大事な言葉を繰り返したのは、ポイントがぼけて良くないですね。
 どちらを残すかの選択ですが、承句が花と香りの両方を出していますので、起句の下三字を更に梅の話にすると、承句の簡潔さがそがれてしまうように感じます。
 また、転句で「林逋句」と出しておいて「詩思新」はやや失礼になりますので、結句の方を直しましょうか。

 結句での「鶯」を句全体にもってきて「時聽高枝鶯語頻」のように考えると、色々な変化が出てきますね。

 なお、起句の「風白」は秋のイメージが強いこともありますので、「風暖」「風誘」などが良いでしょうね。



2021. 3. 9                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第124作は桐山堂半田の 眞海 さんからの作品です。
 漢詩教室の二月分で提出いただいた作品です。

作品番号 2021-124

  豪雪        

暗雲拡汎北風吹   暗雲 拡汎 北風吹く

新潟雪溪白雪姿   新潟の雪渓 白雪の姿

幹道深深銀世界   幹道 深深 銀世界

千臺澁滯悔難追   千台の渋滞 悔れども追ひ難し

          (上平声「四支」の押韻)


<解説>

 新潟の大雪、惨状をテレビで視て、天候の無情を歎くばかりである。

<感想>

 新潟は日本有数の豪雪地帯ですが、この冬は各地で十二月から一月にかけて、突然の豪雪で道路が大渋滞となりましたね。

 起句は「暗雲」が垂れ籠めたという場面ですね、「拡汎」よりも「泛泛」が読みやすいですね。

 承句は「四字目の孤平」、次の「幹道」を意識して地域を広げて「三越萬方豪雪危」としてはどうでしょう。

 転句は「銀世界」ですと、何となく世界がきれいに彩られたような印象、「幹道霏霏天晻晻」くらいが良いです。

 結句は「臺」を車の数に使うのは無理ですので「滯留千輛」、数にこだわらなければ「綿綿渋滞」などで良いと思います。



2021. 3. 9                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第125作は桐山堂半田の 輪中人 さんからの作品です。
 漢詩教室の二月分で提出いただいた作品です。

作品番号 2021-125

  春日閑居        

麗日風暄幾度春   麗日 風は暄かに 幾度の春

青青盡日拂埃塵   青青 尽日 埃塵を払ふ

野翁信歩終年樂   野翁 歩に信せて 終年楽しむ

漠漠花顔老更新   漠漠 花顔 老更に新なり

          (上平声「十一真」の押韻)


<解説>

 老境を楽しむ心境で作詩しました。

<感想>

 承句の「拂埃塵」の主語は起句の「風」なわけですが、遠いですね。
 起句の「風」「光」とし、承句の「青青」「青風」とすればすっきりします。
 また、「日」が重複していますので、「麗日」「C麗光暄」としましょう。

 転句は「終年」で「一年中」という気持ちですか。
 直前の承句で「盡日」と述べていますので、また、同じようなことを言うのは面白くないですね。
 どこを歩いたかを示す形で「廻江畔(江畔を廻る)などとしておきましょう。

 結句は、沢山の花を見て、若返る心境だということですかね。「滿目黄花国瑞V」ですかね。

 全体を読むと、題名の「閑居」が出てきませんね。「春日出遊」が良いでしょう。



2021. 3. 9                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第126作は桐山堂半田の 輪中人 さんからの作品です。
 漢詩教室の二月分で提出いただいた作品です。

作品番号 2021-126

  春日閑居 二        

孤村郊外水光新   孤村 郊外 水光新なり

漫歩頻頻白髪人   漫歩 頻頻 白髪の人

地僻野花春好處   地僻 野花 春好き処

田家風暖故ク親   田家 風暖かく 故郷親しむ

          (上平声「十一真」の押韻)


<解説>

 初春、毎日散歩して帰宅する、そんな状況を作詩しました。

<感想>

 起句は「水」を導くために、「江村堤畔」としてはいかがですか。

 承句の「頻頻」は韻字ですので、避けましょう。「漫歩悠揚白髪人」とするのが自然ですね。

 転句は「春好處」とするのに「地僻」は関係ありません。
 春らしい物を並べる必要がありますので、「風暖花C」と良いところを出しておく必要があります。

 結句は「故郷親」という結びを生かしたいですね。
「孤筇日日故郷親」として、毎日の風景を表しましょうか。

 こちらの詩も、題名は「春日江村」というところでしょうね。



2021. 3. 9                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第127作は桐山堂半田の F ・ K さんからの作品です。
 漢詩教室の二月分で提出いただいた作品です。

作品番号 2021-127

  春日即事        

閑行巷陌訪梅人   閑行 巷陌 梅を訪ぬる人

滿溢芳時日日新   満溢 芳時 日日新たなり

書問友朋無恙否   書問 友朋 恙無きや否や

南窗淨几遠遊身   南窓 浄几 遠遊の身

          (上平声「十一真」の押韻)


<解説>

 近所の梅を見て、旧年の梅見を思い出しました。

<感想>

 起句は「訪梅」と目的を持って歩いていますので「閑行」では違和感があります。

 承句は「滿溢」に合わせるならば「芳香」が良いですね。

 転句は読み下すならば「書して友朋に問ふ 恙無きや否や」が良いです。
 ただ、ちょっと分かりにくいので、「ク信」「舊信」としてはどうでしょう。



2021. 3. 9                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第128作は桐山堂半田の F ・ K さんからの作品です。
 漢詩教室の二月分で提出いただいた作品です。

作品番号 2021-128

  春日即事 二        

雪中君子郊村春   雪中 君子 郊村の春

穩穩四隣名目人   穏穏 四隣 名目の人

消日閑行花間路   消日 閑行 花間の路

昇平念念老衰身   昇平 念念 老衰の身

          (上平声「十一真」の押韻)


<解説>

 花は時を知って咲くとか、一日一日大切に感じる日々です。

<感想>

 起句の「雪中君子」は梅の花、ここは「下三平」ですので、「野郊春」「僻村春」としましょう。
 承句の「名目人」は何か用例がありましたか。中身の無い、とってつけたような風流人のことでしょうか。ここは承句に「君子」がありますので、「人」がそちらと重なってしまいます。  「隣」も韻字ですので、「東風繞四隣」として、上二字は別の言葉にしても良いですね。

 転句は「消日」では下の語句と合いません。「一日」「晴日」でしょうか。
 六字目は仄字でないといけませんので、「花下路」「花徑路」など。

 結句は「念念」「ずっと思い続ける」という気持ち、「昇平」「老衰身」を繋ぐ良い言葉になっていると思います。



2021. 3. 9                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第129作は桐山堂半田の F ・ K さんからの作品です。
 漢詩教室の二月分で提出いただいた作品です。

作品番号 2021-129

  湯島天滿宮        

尋梅好日參天神   尋梅 好日 天神に参る

繪馬滿架祈願春   絵馬 満架 祈願の春

喜笑書翰人意綻   喜笑 書翰 人意綻ぶ

閑吟獨坐擧杯頻   閑吟 獨坐 杯を挙ぐる頻り

          (上平声「十一真」の押韻)


<解説>

 知人の子供さんの受験を思い出して、お参りしてきました。

<感想>

 起句の「參」「お参りをする」という意味ですと和習になります。
 平仄的にもここは「拜」が良いですね。

 承句は四字目を合わせて「滿堂」「滿棚」でどうでしょう。

 転句は絵馬に添えられた感謝の言葉でしょうか、それならば「答賽」(お礼参りする)という言葉があります。
 合格の報告でもあったという後日談ならば、「嘉報毎來」でしょうか。

 結句は「吟」はここでは要らないし、おめでたい場面ですので「獨」も疑問。
「春窗午下」のように、句のまとまりを出して行ってはどうでしょう。



2021. 3. 9                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第130作は桐山堂半田の 向岳 さんからの作品です。
 漢詩教室の二月分で提出いただいた作品です。

作品番号 2021-130

  述懷        

漢詩勉學一年春   漢詩 勉学 一年の春

日日閑居世外人   日日 閑居 世外の人

述志推敲心不滿   志を述べ 推敲 心不満

連綿駄作苦吟身   連綿 駄作 苦吟の身

          (上平声「十一真」の押韻)


<感想>

 平仄、押韻の点はしっかり出来ていますね。

 全体に漢詩の勉強の話ですが、承句は外れていますね。承句を削除してみると、一気に話が分かりやすくなります。

 内容的には、「私は閑な生活をしている」ということは別に言っても良いのですが、この位置にあると、「漢詩の勉強をしていても毎日暇だ」となり、漢詩は退屈だとなってしまいます。
 起句と承句を入れ替えれば、一応、話の流れとしては繋がるようになります。内容の順番一つですが、結構大事な点でもあります。

 転句は「心不滿」が不注意な言葉で、これでは「推敲すること自体に不満がある」ということで、謙遜のお積もりが逆になってしまいます。「言不足」と言うべきですね。

 結句も謙遜ですが、自分の詩を「駄作」としてはいけません。「詩は志を述べる」もの、表現は心情を正しく伝えるためのもの、より良い表現を求めて「推敲」するわけです。
 ここは「覓句(句を覓め)」「摘句」「積句」などとしましょう。



2021. 3. 9                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第131作は桐山堂半田の 向岳 さんからの作品です。
 漢詩教室の二月分で提出いただいた作品です。

作品番号 2021-131

  閑居        

此地住居幾度春   此の地 住居 幾度の春

庭園柑子鳥聲頻   庭園 柑子 鳥声頻り

沈沈冥想搜根本   沈沈 冥想 根本を捜す

整志滿心世外人   志を整へ 満心 世外の人

          (上平声「十一真」の押韻)


<感想>

 前半は素直な分かりやすい句になっています。こういう感じで句を作ると良いですね。

 起句の「住居」「卜居」と漢詩風にし、「庭園」「南庭」としましょう。

 後半は、また、頭の中だけの詩になってしまいましたね。

 「閑居」の題から行くと、転句は話が合いませんので、ここを家での春の景色を入れて、実景を拾い出すようにしましょう。
 現在の生活がより明瞭に伝わって来ると、結句の心情が伝わるようになります。
 例えば、「暖光寧日梅香渡」のような言葉を使う感じで考えてみましょう。
 なお、この結句は「四字目の孤平」ですので、「滿心」は直さなくてはいけません。



2021. 3. 9                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第132作は桐山堂半田の 向岳 さんからの作品です。
 漢詩教室の二月分で提出いただいた作品です。

作品番号 2021-132

  人道        

各國頻争覇   各国 頻りに覇を争ふ

吾邦軍拡頗   吾邦 軍拡に頗(かたよ)る

戰塵無絶息   戦塵 絶息無し

我意有平和   我意 平和に有り

          (下平声「五歌」の押韻)


<感想>

 「覇を頻りに争ふ」とありますが、グローバル化された現代社会で、「各国」「争覇」していると思わせるような出来事は何を指しているのか、私の認識が足りないのかもしれませんが、違和感を感じます。

 また、「吾邦軍拡頗」についても、防衛費の増大はあるとしても「軍拡」と言っては、何か信条がおありなのかもしれませんが、用語としては不適切ですね。

 起句、承句ともに、具体性が無く、言葉だけが先走っている印象です。

 転句だけは、世界全体ではまだ戦禍に苦しむ国があるのは事実で、この句だけはよく分かる内容です。

 一人称の「我」を詩で用いると、強調になります。つまり、「私こそは」「私だけは」となります。
 こと平和のことで言えば「万民の願い」ですので、「我意」と言うだけの理由が欲しいですね。
 どんな事件をきっかけに「平和」を願うのか、それを前半に入れないと詩が成り立ちません。



2021. 3. 9                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第133作は桐山堂半田の 向岳 さんからの作品です。
 漢詩教室の二月分で提出いただいた作品です。

作品番号 2021-133

  世上        

國體多魚爛   国体 魚爛多し

コ人常斷魂   徳人 断魂常にす

庶民持智劍   庶民 智剣を持ち

政策正空論   政策 空論を正す

          (上平声「十三元」の押韻)


<感想>

 こちらも、世の中についての思いを語ったものですが、具体的にどのような事態や政治に対して感じたのかを伝えないと、前の詩と同様、読者に伝わるものが出てきません。
 「魚爛」「智劍」などよく勉強されていることは感じますので、こうした批評を語るためには根拠を示さないと、説得力が弱くなります。

 前半の嘆きに対して、後半は望ましい世の中の姿ですので、話が食い違っています。
 結局、「世上」は安心できるのかできないのか、一番大事なところがしっかり伝わるようにして欲しいですね。
 読者の「目」や「耳」が働くように、画面が伝わるようにする必要があります。

 そうなると、具体的な事象を描く必要があり、五言では字数不足でどうしても言いっぱなしになる、そこが絶句の難しさで、作詩勉強の階梯として「五言絶句」が最後に置かれるのも、その辺りが理由です。



2021. 3. 9                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第134作は 国士 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-134

  国宝刀長船光忠        

宵城外打鉄鎚正   城外に宵 鉄鎚を打ち 正し

秀麗精鋼哮聞声   秀麗なる精鋼の 哮ゆる声を聞く

刀剣輝妖艶産残   刀剣 妖艶に輝き 産まれ残る

幾何戦陣殺将兵   戦陣に幾何の将兵を殺し

山暉月相貌堂堂   山は月に暉き 相貌は堂堂たり

川染血時流去行   川は血に染まり 時は流れ去り行く

光刃映地霊気漂   刃に光が映え 地より霊気漂ふ

惹長船信長興争   長船に惹かれ 信長 争ひを興す

          (下平声「八庚」の押韻)




 質問ですが、第三句と第四句は「生死」で、第五句と第六句は「山川」で対句にしたのですが、僕の考えた対句は違うのですか。
 一句の中で対句にしないとおかしいですか?
 それとも、文法的におかしいですか?

<感想>

 国士さんの初めての律詩挑戦ですね。

 まず対句についてですが、漢詩での対句は「句を単位として二句が対になる」ものを言います。
 対句になった句同士は、文の構成や構造が同じになります。

 一口で説明するのは難しいですが、例えば、杜甫の『絶句』の「江碧鳥逾白」「山青花欲然」の対句は有名ですが、上二字は「主語(江と山)」+「述語(碧と青)」と対応し、下も「主語(鳥と花)+連用修飾語(逾と欲)+述語(白と然)」という形です。
 色分けして書いてみますと

         
  :    :    :   :   :
         

 というように、句同士で句の文法構造が相対していることが必要です。
 結果的には、句の構造が似ているから訓読も似た形になるのが一般です。

 また、対応する語同士は、意味の上でも、片方が色を表すなら他方も色、物の名前なら相手も名前、数詞なら数詞、という形で対応させます。

 そういう点で言えば、今回の作品ですと
 第三句は「刀剣」が句の主語になりますので、第四句も同じ位置、つまり句頭に漢字二字で句の主語になるものを置かなくてはいけません。
 述部も「産残」という並列の動詞に「殺将兵」と「動詞+目的語」では対応しませんね。

 第五句と第六句(頸聯)は上の三字は良いですが、次は「相貌」「時」は字数が合いませんし、「堂堂」と畳語を使ったら同じような言葉で対応させたい所。

 一度に対句を全部理解するのは難しいことで、古典作品を読みながら「どういう構造で対句になっているか」を考えながら読み、実例を覚えていくことが良いでしょう。
 対句の基本については、拙著『漢詩を創る 漢詩を楽しむ』にも書いてありますが絶版で古書でしかありませんので、入手しやすいものでは『詳解 漢詩入門』(佐藤保著 ちくま学芸文庫)、『漢詩を作る』(石川忠久 大修館アジアブックス)、『漢詩入門』(一海知義 岩波ジュニア新書)などが、入門者用に分かりやすく書かれています。

 七言句の構造としての「二・二・三」のリズムが崩れていたり、文法的に読みにくいと言うか、読み下しとは意味が異なってしまう句も目立ちます。
 第一句などは、読み下し自体もよく分からない形ですので、多分ということで直すと、
「宵來城外戛聲丁(宵来たりて 城外 戛声丁たり)」でしょうか。

 第二句は「聞」の平仄が違いますね。ここでは平声です。

 第三句と第四句(頷聯)は刀剣長船の妖しげな雰囲気を出したところですね。
 第三句はリズムが悪いので、上四字は「刀剣艶妖」として「輝」は要りませんので、下三字を検討して下さい。
 第四句は、これでは「幾何の戦陣 将兵を殺す」ですので、無理矢理平仄を合わせたのでしょうか、先の対句のことも考慮してこの句は作り直しましょう。

 頸聯は、「時が流れ去る」ことが次の句へどう繋がるのか、疑問ですので、作者の考えがどう流れているのか、そこを示すようにしたいですね。

 第七句は第三句と同じような内容ですが、「光映刃」の語順でしょう。ここも「二・二・三」のリズムに合わせたいですね。
  「光映刃尖霊気漾(光は刃尖に映じ 霊気漾ふ)」でしょう。

 第八句は信長が備前長船を愛したという歴史の一幕、これは結びではなく、もっと前に入れるべきことで、信長の話で終っては詩の主題が何なのか、ぼやけてしまいます。
 同じような歴史的なことを選んで、頷聯か頸聯に対句の一つとして入れると良いでしょうね。
 尚、「興」は「おこす・おこる」の場合は平声ですので、下三平。
 「長」の字の重複は意図的でしょうか、強調などの効果があれば良いですが、そうでないと「同字重出」で不注意になります。

 律詩は対句の関係で難しいですが、その難しさを苦労ではなく、楽しみだと考えて、時間が掛かっても一句ずつ完成させていくと良いと思いますよ。



2021. 3.12                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第135作は 欣獅 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-135

  寒朝散策小池        

晨旦腕攜雜屑嚢   晨旦 腕に携ふ 雑屑(ざっせつ)の嚢

歸途散策比隣塘   帰途 散策す 比隣の塘

風寒水碧鴛鴦列   風寒く 水碧(あお)く 鴛鴦列(つら)なり

雲澹蘆焦群雀忙   雲澹(あわ)く 蘆焦(あ)せて 群雀忙し

退業却招好事累   退業却(かえ)って招く 好事の累(るい)

疫祅始覺有爲遑   疫祅(えきよう)始めて覚(おぼ)ゆ 有為(うい)の遑(いとま)

疎林圍繞白砂路   疎林は囲繞(いにょう)す 白砂の路

掩口走丁過我傍   口を掩(おお)へる走丁 わが傍らを過ぐ

          (下平声「七陽」の押韻)


<解説>

 日課の朝のごみ捨てのついでに、近くの池を散歩しました。
 いつもの元気な雀たちに加えて、この時期にはオシドリの群れを見ることが出来ます。
 退職した嬉しさからしばらくは色々な習い事に手を出しすぎて、却って多忙な生活に自分を追い込んでいましたが、
 コロナ禍が始めてたっぷりと余裕をもって生きることの意味を教えてくれたように思います。
 こんなことを考えて池をめぐる白い砂利道を歩いていると、マスクをした元気なランナーが私を追い越して行きました。

 コロナ禍を前向きに捉える思いを律詩にしてみました。

<感想>

 掲載が遅くなり済みません。

 「コロナ禍を前向きに捉える」という点は、一番望ましいのは、終息をした後に「大変だったけど、振り返ってみると・・・・」という形で、かつての日常の中では見落としていたことに気付いたり、新しい発見ができた時の感慨でしょうね。
 しかし、「リバウンド」「第四派」「変異株」などの不安な言葉が続いていますので、「終息」どころではない状況です。
 となると、まさに「ポストコロナ」ではなく「ウィズコロナ」と考えて、欣獅さんが仰るように現状の中で前向きに考えるべきでしょうね。

 第一句から次の「帰途」までの描写は頷聯以降の記述への導入、「ゴミ捨ての帰り道」という設定まで必要かどうか、という疑問は湧きます。
 しかし、尾聯まで読んでいくと、コロナ禍も含めた日常生活に即して、思いを描きたいという意図があるのでしょうね。
 「ゴミ捨てか」と思った瞬間に、作者の罠にはまっていたという感じでしょう。

 頷聯は、上句は「風」に吹かれる「水」「鴛鴦」ということで一応まとまりがありますが、下句は「雲」「蘆」では見る角度が違いますし、「群雀」も関連が弱く、素材がバラバラに配置された感じです。
 「水碧」「碧水」として、「蘆焦」「疎枝」としてはどうでしょうね。

 頸聯は、退職後の逆に多忙になった生活から自粛で得た余裕という流れが面白く、この聯だけを見るとどちらも佳句だと思いますが、詩全体で見ると浮いている印象です。
 頸聯は本来話題転換の役割を持っていますので、こうした展開もあるのですが、首聯での導入に字数を使った分だけ叙景が不足していて、景色をよく見ていないうちにもう自分の話に入ってしまい、中途半端な状態ですね。
 眼前の景と時間軸のずれる「退業」後のことはひとまず置いて、「冬日」「冬景」で書き出し、この景色が私にどんな思いをさせたのか、とすると、次に「コロナ禍」で私が得た物、という対応になり、前半と繋がると同時に尾聯へ流すような構成が生まれると思いますよ。
 この聯の対が作者としては一番の狙い所かと思いますので残念かもしれませんが、逆にこの二句をより印象強くするならば、この聯を転結に置いた七言絶句にした方が存在感が出るでしょう。





2021. 3.27                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第136作は 石華 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-136

  老梅        

黄雀曉來篩一枝   黄雀 暁来 一枝を篩(ふる)へば

晶晶雪片亦氷姿   晶晶たる雪片 亦氷姿なり

曾賞老幹今吹氣   曽て賞せし老幹 今も気を吹き

不飾不驕存故籬   飾らず驕らず 故籬に存らん

          (上平声「四支」の押韻)


<感想>

 前半は「鶯がやって来て枝を揺すると、積もっていた雪がハラハラと舞い落ちる」という幻想的な光景で、「篩」の「ふるい落とす」が効果的ですね。

 転句で「曾賞」の言葉で、前半は思い出の場面だと分かると、一層、艶やかさが浮かび上がってくる気がしますね。
 ただ、「梅」の言葉が題名にしか出ていないので、「老幹」「老梅」とすると、くっきりとした映像になるかと思います。

 結句は好みかもしれませんが、「故籬」「舊籬」が穏やかな気がします。



2021. 3.27                  by 桐山人



石華さんから早速お返事をいただきました。

    老梅 (再敲作)
  黄雀曉來篩一枝   黄雀 暁来 一枝を篩(ふる)へば
  晶晶雪片亦氷姿   晶晶たる雪片 亦氷姿なり
  曾賞老幹今吹氣   曽て賞せし老幹 今も気を吹き
  不飾不驕存舊籬   飾らず驕らず 旧籬に存らん
          (上平声「四支」の押韻)

 今は結句の「故籬」「旧籬」にしただけの推敲ですが。
「老幹」「老梅」には、平仄が合いませんでしたし、「老」は使いたいので。
 先生のご指摘どおり「梅」を起句か承句に入れる方向で再敲したいと思います。

ありがとうございました。


2021. 3.29                  by 石華


 すみません、転句の平仄は勘違いしてしまいました。
 平句として「梅」が二字目に置けますので、「古梅老幹」ならばひとまず収まりますかね。

2021. 3.29                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第137作は 石華 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-137

  日野川冬景        

枯筇呵手踏橋霜   枯筇 手を呵し 橋霜を踏む

日課閑行三里塘   日課の閑行 三里の塘

澰灔寒流縫廣磧   澰灔たる寒流 広磧を縫ひ

窺魚白鷺立朝陽   魚を窺ふ白鷺 朝陽に立つ

          (下平声「七陽」の押韻)


「広磧」: 広く石の多い河原。

<解説>

 決して暇つぶしではなく、健康で詩作を続けるための散歩であります。

 子供のころは泳ぎや釣り、大人たちは畑や流木拾いの川でした。
 山でいえば「青山」のように、生活につながっているイメージの言葉を固有名詞に替えて題に使いたいのですが、「前川」「旧川」しか知らず困っています。

<感想>

 「日野川」については、以前、石華さんの投稿詩「日野川秋望」で解説していただきましたね。
 毎日の散歩が、健康と詩作の両方に効果があるということならば、それは嬉しいこと、何をおいても継続できますね。

 先ずは筇を持つ手に息吹きかけて、「(板)橋の霜」を踏み行かん、ということで、毎日「三里」の散歩、二、三十分の距離でしょうね。

 前半はごく日常的な場面を淡淡と語っていますが、転句からは世界がスーと変わり、風雅な景が眼前に拡がります。
 これは、お気に入りの場所に着いたことを表しているのでしょうね。
 すっきりとした展開になっていると思いますので、そうなると、「寒流」よりも「C流」とか「碧波」など、視覚の言葉にした方が、現実感がよく出ると思います。

 川で生活と繋がる言葉ですか、うーん、すぐには思い浮かびませんね。
 「故淵」「故山」にならって「故川」も通じそうな気はしますが、用例があるかどうか。



2021. 3.28                  by 桐山人


 石華さんからお返事をいただきました。

    日野川冬景 (再敲作)
  枯筇呵手踏橋霜   枯筇 手を呵し 橋霜を踏む
  日課閑行三里塘   日課の閑行 三里の塘
  澰灔碧流縫廣磧   澰灔たる碧流 広磧を縫ひ
  窺魚白鷺立朝陽   魚を窺ふ白鷺 朝陽に立つ
          (下平声「七陽」の押韻)


 先生の感想をヒントに「寒流(冬の川のつもり)」を「碧流」にいたしました。

 転句に「緑」が加わり、結句の「白」「赤」とのコントラストが良くなったと思います。

 なお、ご指導いただいた、「故郷の川」を示す語「故川」と、「旧川」を「捜韻」で検索いたしましたら、各3例ですが見つかりました。
 ありがとうございました。


2021. 3.29                  by 石華

























 2021年の投稿詩 第138作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-138

  震災十年        

執筆傷心癒   執筆すれば傷心癒ゆ、

時流是主催   時流は是主催なり。

苦寒幾啓蟄   苦寒 幾く啓蟄、

含笑毎吟梅   含笑 毎吟梅。

松逞應勝雪   松の逞きは 応に雪ふるを勝ればなり、

桃貴未暖開   桃貴きは 未だ暖かざるに開けばなり。

陽春巢幸舎   陽春 幸舎に巣くふ、

乳燕又呼來   乳燕 又呼び来る。

          (上平声「十灰」の押韻)


<解説>

 震災からもう十年になるのだなぁと思いながら書いていました。
 当日仕事で品川に居ました。「強い揺れだなぁ」と思うより「長く揺れているなぁ」というのが率直な感想でした。
 電車がみな止まってしまって、会社に泊まることになってしまいました。
 気分が塞ぐときに何かに集中して苦痛を忘れる。
 僕が気分転換によく使う手でもあります。
 被災地は今どうでしょうか?そろそろ十年になりますね。



<感想>

 こちらの詩は2月に送っていただきましたので、3月11日に間に合わせれば良かったのですが、どうにも遅くなってすみません。

 厳しい寒さの裏に春の兆しが隠れている、苦しい歳月の後に見えるものを待つ、雪や寒さに負けないからこそ松のたくましさや桃の美しさがある、こうした発想こそがたくましさで、それを十年持ち続けてこられた被災地の方々への思いが感じられる詩です。
 「筆を執ると傷心が癒える」という第一句の言葉も、凌雲さんならではの励ましですね。



2021. 3.28                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第139作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-139

  戊辰役        

捕縛首魁暴六条   捕縛の首魁 六条に暴され、

京都守護久蕭蕭   京都の守護 久しく蕭蕭。

関東幕府奉還政   関東の幕府 政を還し奉り、

北國迷臣遂敵朝   北国の迷臣 遂に朝を敵にす。

武備未新殘敗散   武備 未だに新らず 残され敗れ散り、

公方不戰臆孤逃   公方 戦はず 臆し孤り逃げる。

錦旗鼓舞官軍列   錦旗 鼓舞する 官軍の列、

無血開城欲渡橋   無血の開城 橋を渡らんと欲す。

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 戊辰の役を詩にしました。
 最近この手の詩を多く書くようになりました。
 粗雑ではありますが、何とか律詩になりましたので送ります。

<感想>

 首聯で「六条」「京都」、頷聯で「関東」「北國」と地名が続く点が工夫の所でしょうね。

 歴史的な事件を七言律詩でまとめるというのは力が必要で、凌雲さんの充実が感じられます。

 こうした詩はどうしても事件を羅列する形になりますが、部分部分に見られる「蕭蕭」「迷臣」「臆」などの言葉に、作者の見方が感じられます。
 それ自体はあまり目新しいものではありませんが、「無血開城」で詩を結んだのは、良かったと思います。

 欲を言えば、歴史の教科書的な感じもしますので、人物を絞って描くと、物語的な面白さが出るかと思います。



2021. 3.29                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第140作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-140

  嗚呼三士碑        

岩國藩斯人在思   岩国藩に斯の人在りと思ふ

憶邦幕末感懷滋   幕末に邦を憶ふ 感懐滋し

東南栗姓名不朽   東南栗の姓 名は不朽

噫乎佇佔三士碑   噫乎 佇み佔(み)る 三士の碑

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 転句の「東南栗姓名不朽」「東沢瀉と南部五竹と栗栖平次郎の名は朽ちない」。
 錦帯橋を渡り、吉香神社の北側の位置に三士誠忠碑が建立されている。

<感想>

 深渓さんの故郷、岩国への思いが浮かんで来ますね。

 起句は読み下しのようには読めませんので、結句の下三字を持ってきて、「岩國藩中三士碑」と書き出してはどうでしょう。

 承句は「幕末の時に国を思って活躍した三士に、様々な思いが尽きない」ということでしょうか。その場合、「憶邦」「感懷滋」の主語が異なりますので、句としては分かりにくいですね。
 「邦を憶ひて幕末」と読み下して、下三字も三士の行為と持って行く形、つまり作者の気持ちはここは出さないのが流れもよくなると思います。

 転句の「不」は打ち消しの意味では仄声ですので、平仄が合いません。

 結句の「乎」も平声ですので、修正が必要でしょう。



2021. 3.29                  by 桐山人



深渓さんから再敲作をいただきました。

    嗚呼三士碑
岩国藩中三士碑   岩国 藩中 三士の碑
憶邦幕末各違噫   幕末に 邦を憶ひ 各おの違ふも噫
東南栗姓名無朽   東南栗の姓 名は無朽
蹉賞佇佔歴々知   蹉賞 佇佔 歴々と知る


2021. 4. 3                  by 深渓


 承句は「邦億」を先に読まないといけません。
 この句の末字「噫」は「ああ」でしょうか。
 ここはあまり感情を出さずに描いた方が良いと思います。

 結句の「蹉賞」「嗟賞」、「ほめたたえる」という言葉ですね。

2021. 5.15                  by 桐山人

























 2020年の投稿詩 第141作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2020-141

  歩平家傳説里切山     平家伝説の里 切山(きりやま)を歩く   

伊豫東端秋色粧   伊予の東端 秋色粧ひ

羊腸十里似仙ク   羊腸十里 仙郷に似たり

幼帝行宮遺跡地   幼帝の行宮(あんぐう) 遺跡の地

殘碑頽壘夢一場   残碑 頽塁(たいるい) 夢一場

          (下平声「七陽」の押韻)

「幼帝」: 安徳天皇
「行宮」: 天皇行幸の時の仮の宮居
「頽塁」: 崩れたとりで


<解説>

 新型コロナウイルスの影響で近場を散策。
 平家の落人伝説の残る里
 訪れる人は少なく古びた城跡に昔を偲ぶ。

<感想>

 岳城さんのこちらの詩は、昨年末にいただいたままになっていたものでした。とんでもなく遅くなり、済みません。

 切山のことは知らなかったので、ネットで調べました。
   「https://kiriyamanosato.jimdofree.com/平家の里-切山/」  
 香川県との県境、最東端に位置する山で、八島の合戦の前に安徳天皇が住まわれる地として行宮が置かれたそうです。
 「近場」でも、こんなに歴史ある場所ならば、申し分ないですね。

 承句で「羊腸十里」と言うためには、山であることを示したいですね。
 また、「似仙郷」の比喩も後半の歴史的な記述とそぐわないので、「至山郷」と事実を語る形が良いでしょう。

 後半はしっかりした句で、必要なことが全て書かれていますね。



2021. 3.29                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第142作は 春燕 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-142

  春日閑居        

東風滿村巷   東風村巷に満ち

茅舎不看塵   茅舎塵を看ず

凭几誦書穏   几に凭れば書を誦すること穏やかに

當窗得句頻   窓に当たれば句を得ること頻りなり

柳池魚影動   柳池 魚影動き

花樹鳥聲春   花樹 鳥声春なり

幽興已堪養   幽興 已に養ふに堪へたり

窮山何必巡   窮山何ぞ必ずしも巡らんや

          (上平声「十一真」の押韻)


<感想>

 起句は挟み平ですので、平仄は問題ありませんね。

 前半は自宅の様子、後半は外になりますが、「柳池」「魚影」は自宅のものとは読みづらいので、いつから外出したのか気になります。
「凭几」「當窗」という状態からですので、ご自宅の庭くらいが適当でしょう。

 また、結句の「窮山」「窮」「幽」と同じで「窮山幽谷」という言葉もありますね。
 直前に「幽興」とありますので、似たような形容詞は使わずに「丘山」と場所を表すだけの方が良いでしょうね。

 そうなると、この詩の舞台は「山」でも「丘」でもない、自宅か近場の景だとしないといけません。更に、遠くまで出かける必要が無いくらいの素晴らしい景色だとする必要も出てきます。
 下句は「芳樹」とすれば収まると思いますので、上句を「閑庭」くらいで始める形で考えてはどうですか。



2021. 3.30                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第143作は 春燕 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-143

  題秋夜棄婦圖        

廋腰甚似楚宮人   痩腰は甚だ似たり 楚宮の人

秋露空牀夢醒頻   秋露の空牀 夢醒むること頻りなり

翠袖風吹寒素手   翠袖風吹きて素手寒く

青眸涙下濕朱脣   青眸涙下りて朱脣湿る

毎看月影長悲夜   月影を見る毎に 長(つね)に夜を悲しみ

復聴蟲聲難及晨   復た蟲声を聴けば 晨に及び難し

蕩子不知閨裡怨   蕩子は知らず閨裡の怨み

花街柳巷逐香塵   花街柳巷香塵を逐ふ

          (上平声「十一真」の押韻)


<感想>

 首聯は「楚腰」の故事ですかね。
 詩全体の趣を出していて、よく分かる内容になっていると思います。

 頷聯は、「翠袖」で、他は全て身体の部分ですが、ここだけ衣服なのはどうでしょうか。「埼、」でも通じると思います。

 頸聯は「長く夜を悲しむ」と普通は読みますね。
 また、「毎」ですが、ここは「毎(つね)に月影を看ては」と流れて行く用法でないと対になりにくいです。
 それでは「長」「つねに」と読んではおかしくなります。
 「毎」「長」「復」「難」と連用修飾語を対句で重ねると意味がぼやける感もあります。
 上句は「悲長夜」、下句は「嘆早晨」のような形で書くと明確になると思いますよ。

 尾聯は遊び呆けている男の男のことを言うと、女性の悲しみをもたらした張本人、種明かしみたいな感じで、女性の心情も単なる浮気話になってしまい、話がつまらないですね。
 最後も女性の心を描いておくと、理不尽さや悲運を色々と考えさせることができると思います。



2021. 3.30                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第144作は 海鵬 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-144

  故里懷舊 一        

早曉松林風細吹   早暁松林、風細やかに吹いて

分天碧海萬波馳   天を分くる碧海に万波馳す

白鷗舞處遠聲在   白鷗舞ふ処、遠声在り

漁艇揚旗到岸時   漁艇旗を揚げて岸に到る時

          (上平声「四支」の押韻)


<解説>

 明け方、日本海の砂浜の松林を散策しているときに、
 鴎が飛ぶ方角から、人の歓声が聞こえてきた。
 漁船が、大漁旗を掲げて入港したのである。


<感想>

 海鵬さんからは、七年振りくらいでしょうか。
 お久しぶりですね。旧知に再会したような喜びで、サイトを続けてきて良かったなぁと感じます。
 また、よろしくお願いします。

 千葉県にお住まいだったと思いますので、これは故郷の海辺ということですね。

 書き出しの穏やかさ(「風細吹」)と対照的に、承句では雄大な日本海を描きましたが、「萬波馳」は風が強いイメージがあります。
 日本海の景色ということならばそうなのでしょうが、違和感が残ります。
 また、思い出ということからでしょうが、詩からは季節が消えているので、起句の方を「風冷吹」としてはどうでしょう。

 転句は「鴎が舞う方角」ですので、沖の方ですね。そうなると、「遠聲」は漁船の音と理解します。
 結句を見ると、作者としては、漁船が大漁旗を揚げて港に入ってきて、岸で迎える人々の歓声が上がったという設定のようですが、転句ではまだ船が沖にいることになります。
 合わせる形で「到」「歸」とした方が良いと思います。



2021. 3.31                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第145作も 海鵬 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-145

  故里懷舊 二        

聽催告集早晨濱   催告を聴きて集ふ 早晨の浜

網袖兩端揺曳均   網袖 両端 揺曳均し

好是群鷗滿魚兆   好し是れ 群鴎 魚満つる兆し

歡聲衆客讃銀鱗   歓声の衆客 銀鱗を讃ふ

          (上平声「十一真」の押韻)


<解説>

 未明に地引網を掛けるとの催告で村人は浜に集まる
 網の両袖を、均衡させて引くのである
 群れて飛ぶ鴎は大漁の兆しである
 集まった人たちは、歓声を上げて網に入った魚を讃える


<感想>

 どの句も生き生きとした、勢いのある表現で、集まった人々の歓声が聞こえて来そうです。
 特に、転句の「群鷗」は臨場感があり、地引き網を体験した方でないと表せない素材でしょう。

 結句の「衆客」「歡聲」で分かります。
 どんな「聲」だったかとか、あるいは浜の様子など、画面を補足するような言葉を入れて写実性を高めると、効果が上がると思います。



2021. 3.31                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第146作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-146

  立春偶感        

待望立春春始時   待望の立春 春 始まるの時

新鶯開口笑梅遅   新鶯 口を開いて梅の遅きを笑ふ

人間疲乏空邀日   人間(じんかん) 疲乏(ひぼう) 空しく日を邀(むか)ふ

希冀花魁盡日嬉   希冀(きき)するは花魁(かかい) 尽日 嬉しまんことを

          (上平声「四支」の押韻)


「人間」: 世の中
「疲乏」: ぐったりして弱る
「希冀」:願い望む
「花魁」:梅の別名

<感想>

 起句は気の利いた表現とも言えますが、「立」「始」はまったく同じことを言っているわけで、「立春春立時」と同じ、繰り返した効果は疑問です。
 「立春」ということはもう題名にも出ていますので、この中二字を「今天」として、素直な表現にした方が良いでしょう。

 承句はここで「梅」を出すと、結句の「花魁」が生きて来ないですね。逆も言えますので、梅についてはどちらかに絞った方が落ち着きます。

 転句の末字の「日」は結句にも出て「同字重出」ですので、再考しましょう。



2021. 4.19                  by 桐山人



岳城さんから再敲作をいただきました。

    立春偶感(再敲作)
  待望自今春始時   待望の自今 春 始まるの時
  新鶯開口笑梅遅   新鶯 口を開いて梅の遅きを笑ふ
  人間疲乏空邀日   人間 疲乏 空しく日を邀ふ
  希冀遊吟淑景嬉   希冀するは遊吟 淑景を嬉しまん

「自今」 :これから
「淑景」 :春景色


2021. 4.28                 by 岳城
























 2021年の投稿詩 第147作も 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-147

  早春郊行        

千枝梅發暗香頻   千枝 梅発き 暗香頻りなり

閑散園林次第巡   閑散の園林 次第に巡る

混沌世相吾不知   混沌たる世相 吾は知らず

早春野趣淨無塵   早春の野趣 浄くして塵無し

          (上平声「十一真」の押韻)


「混沌世相」: コロナウイルスで混乱の世の中

<感想>

 起句の「暗香」は梅を表す言葉ではありますが、意味としては「どこからともなく漂ってくる香り」ということです。
 梅園でしょうか、「千枝梅發」という状況では、眼前に梅の花が満開なわけで、「暗」はおかしいですね。
 多分、「清香」が一番合うでしょうが「下三平」になってしまいます。「馥香」「郁香」では下の「頻」とかぶりますし、そうですね、「艷香」「妙香」など、「千枝」に対応させて「萬香辰」とか「滿香新」も考えられますね。

 転句は「知」では平声ですので、押韻の規則から外れます。
 また、内容的に「混沌の世の中など私の知ったことではない」という高踏的な言い方は、相手が病原菌ですので向こうからやって来てしまいます。
 「自分には関係無い」というわけにもいかない話ですので、「この梅園に居る時だけは忘れられる」、そういう流れにすべきでしょうね。



2021. 4.19                  by 桐山人



岳城さんから再敲作をいただきました。


    早春郊行(再敲作)
  千枝梅發妙香頻   千枝 梅 発き妙香 頻りなり   閑散園林次第巡   閑散の園林 次第に巡る   混沌世相今際忘   混沌たる世相 今際(いま)は忘る   早春野趣浄無塵   早春の野趣 浄くして塵無し


2021. 4.28                 by 岳城






















 2021年の投稿詩 第148作も 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-148

  春郊散策        

星山殘雪兔形斑   星山の残雪 兔形(とけい) 斑なり

漸緩餘寒梅杏闌   漸(ようや)く緩(ゆる)む余寒 梅杏 闌(たけなわ)なり

田作農夫皆笑語   田作の農夫 皆 笑語

逢春日日耿懷安   春に逢ふ日日 耿懐(こうかい) 安らぐ

          (上平声「十五刪」「十四寒」の通韻)


「星山」: 近くの赤星山
「耿懷」: うれえの心

<感想>

 赤星山は「伊予小富士」と呼ばれるそうですが、岳城さんのお宅からも眺められるのですね。
 標高が1,453メートル、残雪も美しいのでしょうが、「星山」で通じるかどうか、題名の方に「赤星山」とフルネームを入れておくのが良いと思います。

 承句は上四字の季節感と「梅杏闌」の時期にややズレがあるように感じます。
 「寒」よりも「暖」の字を使う方向が良いと思います。

 結句の「耿懐」は難しい言葉ですね。
 この愁いは前の作品にあった「コロナ禍」でしょうか、少しヒントがあると、「今年の記録」という要素が入ってくると思います。



2021. 4.19                  by 桐山人



禿羊さんから感想をいただきました。

 四国出身の禿羊です。
 四国の風光を詠まれた詩、いつも楽しんで鑑賞させてもらっております。

 余談になりますが、先日、土佐から伊予へと仁淀川流域を自転車旅行いたしましたが、面河ダム湖畔で「岳城荘」との扁額が掛けられたお宅を見かけました。
 これはきっと岳城さんの別荘だろうと思いながら通り過ぎました。


2021. 4.22                 by 禿羊




岳城さんからお返事と再敲作をいただきました。

 禿洋様の感想コメントを拝見いたしました。

 土佐から伊予へと自転車旅行と聞き 凄い!と感動しておりましたらとんでもない。
禿洋様の漢詩を読ませて頂くと北海道から九州に留まらず中国 更にイタリアとその行動力に感服致しました。

 私 今年 後期高齢者の仲間入りですが禿洋様の体力には驚きです。
菜園作りと犬の散歩の日課を恥じております。
コロナが収まりましたら行動範囲を広げたいと元気を頂いたところです。
 有難うございました。

 因みに「岳城荘」は私の別荘ではございません。所有したいものですが(笑)


    赤星山山麓散策   星山殘雪兔形斑   星山の残雪 兔形 斑なり
  出谷新鶯梅杏闌   谷を出ず新鶯 梅(ばい)杏(きょう) 闌なり
  田作農夫皆笑語   田作の農夫 皆 笑語
  逢春野徑暖風寛   春に逢ふ 野径 暖風寛なり


2021. 4.28                  by 岳城


 承句は読み下しを「谷を出づる」にしないと「出ない」の意味になってしまいますね。

2021. 6.28                  by 桐山人





















 2021年の投稿詩 第149作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-149

  樂孤立住居映像     孤立住居映像を楽しむ   

一舎安居秘奥甍   一舎の安居 秘奥の甍

自然共鳴友柴荊   自然に共鳴し 柴荊(さいけい)を友とす

往年經歴活知識   往年の経歴 知識を活かし

快適會心寛裕生   快適 会心 寛裕の生

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

 TV番組で『ポツンと一軒家』が放映されて、いつも楽しんで視ている。
 毎週取り上げられる家・人物・生活は異なるが、いろいろな人生のドラマがあり興味が尽きない。
 殆どが、若い時に体験した知識を活かしながら 年配者が山奥の自然と共に、豊かで納得のいく暮らしをしている。
 その人たちの表情から 見ている私も心が安らぐ感じがする。

<感想>

 私もこの番組は楽しんでいます。
 人里離れた一軒家で暮らすのは、何らかの事情、何らかの想いが詰まっているわけで、他人様の家の中を覗くような気持ちも無いわけではありませんが、暮らしておられる方のすがすがしさに毎回心が軽くなるような気がしています。

 起句はそのままズバリ、「こんなとこ(「秘奥」)にポツン(「安居」と一軒家(「一舍」「甍」」を表したものですね。

 承句は自然と一体となっての生活を表していますが、「鳴」は平声ですので「二四不同」が崩れています。

 後半はなるほどとは思いますが、結句で「快適」「會心」「寛裕」と三つも「生」への修飾語を付けるのは多すぎるように思います。
 反対に作者自身の気持ちを少しは入れてはどうでしょうね。



2021. 4.20                  by 桐山人
























 2021年の投稿詩 第150作は 地球人 さんからの作品です。
 

作品番号 2021-150

  春寒        

雨絲如霧薄寒生   雨絲 霧の如く 薄寒生ず

雲散吟行歩午晴   雲散じ 吟行 午晴に歩む

靜寂村郊花始開   静寂な村郊 花始開く

東風蝶舞一鶯鳴   東風 蝶は舞ひ 一鶯鳴く

          (下平声「八庚」の押韻)


<感想>

 起句から承句は、「霧のように雨が降っていた」状態から「吟行歩午晴」となり、変化に驚きます。
 春の天気の変わりやすいことを表しているのかと思いましたが、後半は承句からの延長のようで、結局、題名の「春寒」に関わるのは起句だけという構成は疑問が残ります。
 承句から始めるような形で、「薄寒」「雨」を後半に持ってくると、題名と噛み合うようになると思います。

 転句は末字の「開」ですが、これは平声です。「發」の間違いでしょうかね。

 結句は「東風」「蝶舞」「鶯鳴」と春を表す素材が三つも入れてあり、贅沢と言うか散漫な印象です。
 二つくらいにして、前半に持ってきてはどうでしょう。



2021. 4.20                  by 桐山人





地球人さんから再敲作をいただきました。

    春寒(再敲作)
  一枝花發草初萌
  蝶舞昏黄囀谷鶯
  雲起冥濛天暮早
  東風剪剪薄寒生

2021. 5. 2                 by 地球人

 流れが良くなったと思いますが、承句の「昏黄」と転句の「天暮」が画面の緊張をぼかしますね。
 承句の上四字を蝶のことに使うつもりで、情報過多にならないようにしましょう。
 例えば、「黄蝶飛來呼谷鶯」のような形。

2021. 6.30                 by 桐山人