作品番号 2020-301
梅雨感懷
梅天鶴舞拷A深 梅天の鶴舞 緑陰深し
重疊玉盤池面侵 重畳の玉盤 池面を侵す
颭颭紅蕖如極樂 颭颭の紅蕖 極楽の如し
應忘平生暫行吟 応に平生を忘るべし 暫し行吟す
<解説>
名古屋の鶴舞公園の見事な蓮池を見て、心が洗われるようでした。
<感想>
蓮の葉(「玉盤」)が池面を覆い、花がスッと立ち上がっている様子がよく分かります。
良い詩ですが、転句の「極楽」の比喩がどうでしょうね。
「蓮」で「極楽」ですと、はまり過ぎというか、面白みが無いです。
花の姿をもう少し出すか、香りを持ってくるか、どちらかで検討してはいかがでしょうね。
2020. 9.25 by 桐山人
作品番号 2020-302
梅天感懷
梅天難歇奈霖霪 梅天 歇み難く 霖霪を奈せん
村巷未乾無處尋 村巷 未だ乾かず 尋ぬるに処無し
雨足停留於日本 雨足 日本に停留して
百川氾濫苦人心 百川の氾濫 人心を苦しましむ
<解説>
六月十日の梅雨入りから五十日程、散歩もままならず、テレビ報道では九州から東北まで河川の氾濫が起きているとのこと、多くの人々が苦しんでいる。
<感想>
今年の異常に長かった梅雨の重苦しさ、そして水害がテーマですね。
起句は「雨が歇む」なら分かりますが、「梅天」が「歇」むは変ですね。
相手は空ですので「散」「盡」あたりでしょうね。
承句は下三字、これですと「処と無く尋ぬ」となり、あっちもこっちも尋ねたことになります。「無尋處」としたいですがダメですので、「何處尋」ですかね。
転句は「雨帶」「雲帶」、下三字は面白いですね。
2020. 9.24 by 桐山人
作品番号 2020-303
梅天閑歩
連日梅霖欲斷魂 連日の梅霖 魂を断たんと欲す
闥杖竹晝猶昏 間庭に竹を杖つけば 昼猶ほ昏し
蝸成草篆池亭畔 蝸草篆を成す 池亭の畔
蝌蚪浮沈水僅渾 蝌蚪(かと)浮沈して 水僅かに渾る
<感想>
散歩に出て、目に入るものを順に描いていったという感じですね。
転句から「かたつむり」「おたまじゃくし」と小動物が登場しますが、草場と水中ですので、重複感は無いです。
梅雨らしいどんよりとした気配を、この二つ生き物の動きが産み出していて、全体に流れのある詩になっていると思います。
2020. 9.24 by 桐山人
作品番号 2020-304
梅雨感懷
雲脚低垂連日霖 雲脚 低く垂れ 連日霖たり
靜聽零雨入幽襟 静かに零雨を聴き 幽襟に入る
晩凄茅屋無人到 晩凄の茅屋 人の到る無し
仙客憂懷酒獨斟 仙客 憂懐 独り酒を斟む
<解説>
蒸し暑さが表現できず残念です。
<感想>
梅雨ですので確かに「蒸し暑さ」も要素ではありますが、そうでない面を見つけるのも詩人の仕事ですね。
承句の「靜聽零雨」はしっとりとした趣で良いですね。「幽襟」も心の中の深い思いを表しますので、雨の寂しさがしみじみと心に染み込むということになり、句全体のまとまりも良いですね。佳句だと思います。
転句の「晩凄」はどういう意味でしょうか、「棲」の意味でしょうか。
結句の「仙客」は自分のことですかね、「仙」は俗世を離れた存在になりますので、自分の表現としてはやや滑稽味を表します。
ただ、そうした世俗を離れた存在が「憂懐」を持っていてはいけません。「高懷」くらいが良いでしょうね。
下三字も「獨」ではなく、「芳酒斟」とすると、「仙客」「高懷」「芳酒」とバランスが良いかと思います。
2020. 9.25 by 桐山人
作品番号 2020-305
梅雨感懷
梅天散策有C音 梅天 散策 清音有り
爽氣小橋一澗深 爽気 小橋 一澗深し
雙燕歸來蘇意氣 双燕 帰り来たり 意気蘇る
青田蛙鼓雨霖霖 青田の蛙鼓 雨霖霖
<感想>
承句は「四字目の孤平」になっていますので、直す必要があります。
また、「氣」が転句にも出て来て「同字重出」でもあります。どちらかの「氣」を削る必要があります。
起句の「C音」の関係で、川に居ることを早めに出したいので、「野水村橋爽氣深」とこちらに使いましょう。
転句の方では、下三字の「意気が蘇る」で元気が出ていると思いますが、結句は「雨霖霖」としょんぼりしている感じ、これは合いませんね。
せっかくの燕にもう少し働いてもらって、「飛上下(飛ぶこと上下)」、「飛掠面(飛びて面を掠む)」などとしてはどうでしょう。
結句はこのままで良いと思います。
2020. 9.25 by 桐山人
作品番号 2020-306
梅雨感懷
節到黄梅雨色深 節は黄梅に到り 雨色深し
殘花委地午寒侵 残花 地に委ち 午寒侵す
沈雲漠漠檐溜下 沈雲 漠漠 檐溜の下
稚子水渠樂踏音 稚子 水渠 踏音を楽しむ
<解説>
長雨で気分も落ち込んでいた時、孫が楽しそうに水たまりでピチャピチャ無邪気に遊んでいました。
<感想>
梅雨の景と子どもの可愛らしい姿の対比は、狙いとしては良いですね。
承句は、梅雨の時節ですので、「午寒」が合いますかね。「涼」が適当だと思いますので、「一涼」が良いでしょう。
転句は下三字の平仄を直す形で、「茅簷下」「誘簷溜」でしょう。
結句は「水渠」ですと「運河」となります。
また、「樂」は「稚子」が主語でしょうが、わかりにくい感じもしますので、下三字を「踏水音」として、上は「擁傘孫兒」というところでしょうか。
読み下しは「傘を擁する」か「擁せる」、前者は「持つ」、後者は「持っている」と現在形(存続)が強くなりますので、お好みの方で。
作者のちょっと沈んだ気持ちを「沈雲漠漠」で暗示しているわけですが、読み返して見ると、やや弱いかな、という感じで、言い足りないように思います。
題名で梅雨ということは分かりますので、起句の上四字は削っても良いでしょうから「漠漠沈雲」と持って行き、転句の上四字に心情を入れることもできます。
例えば、「淡愁窗下眺簷溜」(淡愁の窓下 簷溜を眺むれば)などはいかがでしょう。
2020. 9.26 by 桐山人
作品番号 2020-307
梅雨感懷
窗前新竹告ャ陰 窓前の新竹 緑陰を成す
連日濛濛雨氣侵 連日 濛濛 雨気侵す
自肅此來無客訪 自粛の此来 客の訪ふ無し
獨聽蕭索暮鐘音 独り聴く 蕭索 暮鐘の音
<解説>
連日の長雨と自粛…今年らしい梅雨の詩をと思いましたが、それぞれの句がつながっていない気がします。
<感想>
起句は色彩鮮やかな初夏の景色、承句は長雨に煙るような景、この対比が梅雨の両面を表していて面白いとも言えますし、逆に、バランスが悪いとも言えます。
直すならば、起句を「窓前幽竹隱梅霖」という具合で、やや重くすると良いでしょう。
全体の流れとしてはこちらの方が良いかな、と思います。
転句の「此來」は「近來」「昨今」「今年」が良いでしょう。
結句は「聽」が邪魔で、「音」があれば分かります。
また、「無客訪」を受けての「獨」はストレート過ぎる感じがします。
同じようなことでも「索居」、あるいは「野家」、とすると、「蕭索」が上と下両方に掛かるような形になりますね。
2020. 9.26 by 桐山人
作品番号 2020-308
梅雨感懷
雙燕呢喃新樹林 雙燕 呢喃 新樹の林
梅天荷葉雨聲深 梅天 荷葉 雨声深し
突如颶氣暗雲動 突如 颶風 暗雲動く
甚大爪痕寂寞心 甚大 爪痕 寂寞の心
<解説>
梅雨の大雨で九州に被害のニュース。天災の脅威を何とか表現できたら・・・
<感想>
承句は蓮の葉に当たる雨の音ですので、「滴聲」の方が良いでしょうね。
転句の「颶風」は「台風」になります。
こちらに「雨」を持ってくれば「豪雨」「瀑雨」「激雨」など、色々と表せます。
下三字の「暗雲動」では弱いので、川が決壊したとか家屋を奪ったとか、やや具体的な所まで言った方が良いでしょう。
転句の下三字で被害の状況が描ければ、結句の上四字は良いでしょう。
四字目の孤平ですので下三字との関わりになりますが、うまくいかなければ「災痕」としましょう。
下三字の「寂寞」は、これまた弱いですね。
「涙」を用いるとか「暗澹」くらいでも良いかと思います。
2020. 9.26 by 桐山人
作品番号 2020-309
小憩
蜩螗亭外沸
噪鴰樹頭争
雲漸檀香渺
禪鐘兀自鳴
<解説>
盛夏室中難耐,過総持寺梵鐘亭,小憩感懷
<感想>
夏の暑さは耐えがたいものですが、沸き上がるような「螗」つまり、「にいにいぜみ」の音は一層気持ちを疲れさせますね。
承句の「鴰」は「マナヅル」を表しますが、「樹頭争」を考えると「カラス」でしょうか。
前半で騒がしさ、やかましさを十分に出しましたので、結句で「禅鐘」と音を再度持ってきて締めくくるのはどうでしょうね。
雑音が意識から消えて鐘の音に収斂していくという狙いかもしれませんが、あまりピンと来ません。
やかましい中に鐘の音が聞こえても印象が薄いわけで、「檀香」などで終らせると印象がくっきりするかと思います。
2020.10. 2 by 桐山人
作品番号 2020-310
秋宵坐月
涼棚獨坐聽秋聲 涼棚に独り坐し 秋声を聴く
返照殘炎詩未成 返照の残炎 詩未だ成らず
日暮好風開玉鏡 日暮れ 好風 玉鏡開く
露華灼灼動吟情 露華 灼灼として 吟情を動かす
<感想>
秋の月を描くために、夕方の景色から月の出(「開玉鏡」)へと進めるのは、なかなか時間経過を伝えるのが難しいところです。
特に初秋ということですと夏の名残がまだありますので、暑さを言えば日中になるし、作詩に苦しみますね。
今回の詩では、承句の「返照殘炎」で夕方、そこに「詩未成」が来ますので、
「作者は午後から(ひょっとしたら一日中)、作詩に取り組んできたのかな」とまず時の流れを感じさせます。
「殘炎」が作者のちょっと悔しい気持ちを表しているでしょうか。
後半への展開を考えると、起句と承句の内容を入れ替えた方が落ち着くと思います。
「露華灼灼」となると、夜も更けて月も高く昇ったということで、更に時間が経つわけですが、これはちょっと欲張ったかな、と思います。
そこまで引っ張らなくても、月が出てくればもう良いと思いますので、「好風」を結句に持ってくるか、月の様子を結句で述べるか、でしょう。
どちらにしろ、真夜中まで行かず、宵の口くらいで収めておくのが手頃と思います。
2020.10. 2 by 桐山人
秋宵坐月(再敲作)
残炎未散句難成
独対幽庭秋有声
日暮好風開玉鏡
清光閃閃動吟情
2020.10.21 by 地球人
作品番号 2020-311
農喜豊稔
暑天過去午風涼 暑天過ぎ去り 午風涼し
八月田園晩稲香 八月 田園に 晩稲香し
秋郊短日斜陽下 秋郊 日短く 斜陽の下
千里村村農事忙 千里 村村 農事忙し
<解説>
夕暮れまで、米の収穫で忙しい田園風景を見て詠みました。
<感想>
「粘法」を破った「拗体」で作られた詩ですね。
立夏の農月から始まり、休む時無く農家の方達は励まれるわけで、秋を迎えると収穫に忙しい時、その八月を描こうという意図がよく伝わります。
起句の「暑天過去」は季節の変化を言うだけでしたら、次の「八月」で十分です。
夏の炎天下でも働いていたことを表すつもりでしたら、言葉足らずで、明確に語らないといけません。
そうでなければ、「暑天過去」は要りませんので、「秋郊八月午風涼」とし、承句を「十里田園晩稲香」すれば、2行で収まります。
「千里」は杜牧の「」唐代の「里」ですと現代の約五百キロメートル、誇張表現にしても広過ぎで、これですと
残った字数というか、余分な言葉を省いた分、農村の人々の姿を後半でもう少し詳しく描けるでしょうね。
そういう方向で再敲してはどうでしょうね。
2020.10.17 by 桐山人
作品番号 2020-312
日野川秋望
尋詩舊路夕陽川 詩を尋ね 旧路 夕陽の川へ
停杖送秋鐘韻邊 杖を停め秋を送る 鐘韻の辺
兩岸蘆花倚風遠 両岸の蘆花 風に倚りて遠く
流光紆曲向玄天 流光 紆曲 玄天に向ふ
<解説>
「日野川」: 日野川は、九頭竜川水系の支流で、福井県嶺北を流れる一級河川。
「流光」: 水波にちらちらと暉く光。
広い河川に蘆の穂が遠くまで広がる中を、夕日にキラキラ輝く流れが北に向かいます。
古里で気に入っている場所の一つです。
<感想>
秋の夕べ、川沿いの風景がしっかりと浮かんできますね。
「夕陽」の光、「鐘韻」の音、「蘆花」を渡る風、そして「流光」が描く奥行き感、それぞれが働き合っていると思います。
石華さんは今年度の「諸橋轍次博士記念漢詩大会」で優秀賞に入選されたそうで、おめでとうございます。
継続的に作詩に取り組んでいらっしゃる成果で、この詩も一体感の生まれた良い詩ですね。
部分的に直すならば、まずは転句の下三字、せっかく結句で「向玄天」と奥行きを出そうとしていますので、先に転句で「遠」の字を使ってしまっては効果が半減します。
「動」「戰」などの語にするか、「風」を使わずに下三字を別の言葉にするか、が良いでしょう。
起句の「尋詩」は悪くは無いのですが、「詩を創ろうと思って歩いていたら、好景に出会った」という感じで、説明的と言うか、損得勘定みたいで逆に詩的な趣を消しているように思います。
「舊路」の形容とか、もう少し叙景に徹するような表現が良いでしょうね。
2020.10.17 by 桐山人
日野川秋望(再敲作)
清風舊路夕陽川 清風の旧路 夕陽の川へ
停杖送秋鐘韻邊 杖を停め秋を送る 鐘韻の辺
兩畔蘆花揺更白 両畔の蘆花 揺れて更に白し
流光紆曲向玄天 流光 紆曲 玄天に向ふ
転句で「遠」の字は…との感想、大変勉強になりました。
「蘆」は動かしたいので、「揺更白」として、起句に「清風」を持ってきました。
さらに、よく考えたいと思っております。ありがとうございました。
2020.11.11 by 石華
作品番号 2020-313
夏日山行
客到山渓畔 客は到る 山渓の畔
偏驚趣不稀 偏に驚く 趣の稀ならざるを
水穿盤石咽 水は盤石を穿ちて咽び
苔上断崖肥 苔は断崖に上りて肥ゆ
冷露霑芒履 冷露 芒履を霑し
清風入葛衣 清風 葛衣に入る
暫時留此裏 暫時 此の裏に留まれば
誰復謂塵機 誰か復た塵機を謂はん
<感想>
夏山を歩くすがすがしさを伝えたいという気持ちがよく出ていますね。
対句も丁寧に組まれていて、作品としてまとまっていると思います。
首聯については、「客到」だけを見ると気になりませんが、次の「偏驚」が来ると、「(客が)到って驚いた」と述語の繰り返しが説明的な印象を生みます。
「行客」と主語を二字で表しておけば、二句で一つの文になり、読んだ時のリズムも良いですね。
頷聯は下句の「上」では弱いので、もう少し苔が岩を覆う様子が出る言葉が良いですね。
「掩」「蔓」「逓」など検討してはいかがでしょう。
頸聯は読み下しですが、「留まれば」と読むと「留まる時はいつも、留まったので」となり、「留まらば」と読むと「もし留まったら」と仮定条件になります。
この場合は「留まらば」とした方が結びとは合いそうですね。
2020.10.30 by 桐山人
ご指導いただき誠にありがとうございます。
修正いたしましたので、ご確認の程よろしくお願い申し上げます。
夏日山行(推敲作)
行客山渓畔 行客 山渓の畔
偏驚趣不稀 偏に驚く 趣の稀ならざるを
水穿盤石咽 水は盤石を穿ちて咽び
苔蔓断崖肥 苔は断崖に蔓りて肥ゆ
冷露霑芒履 冷露 芒履を霑し
清風入葛衣 清風 葛衣に入る
時逢垂釣叟 時に逢う 釣を垂るる叟
閑談忘旋帰 閑談 旋帰を忘る
(上平声「五微」の押韻)
尾聯は初案の展開がやや平凡だったので、直しました。
2020.11.14 by 春燕
作品番号 2020-314
人生偶感
靜住蝸廬自守仁 静かに蝸廬に住み 自ら仁を守る
常甘中道不憂賓 常に中道に甘んじ 貧を憂へず
老猶求樂詩吟道 老いて猶 楽を求む 詩吟の道
眺月觀花命益新 月を眺め 花を観れば 命益す新たなり
<感想>
緑風さんのお人柄、普段のお姿が感じられる詩ですね。
起句は「靜住」も良いですが、「蝸廬」と来ましたので「蟄」で「こもる」と訓じても面白いかなと思います。
承句は末字が「賓」になっていますが、読み下しの方が正しいですね。
転句は、「詩吟の楽しみを老年になってから始めた」ということでしょうが、「求」よりも「得」とか「加」が良いでしょう。
結句は良い収まりになっていると思います。
2020.10.30 by 桐山人
作品番号 2020-315
初夏偶成
何事多憂思 何事ぞ 憂思多し
出門尋曉晴 門を出でて 暁晴を尋ぬ
薄才難處世 薄才 処世難きも
高趣足偸生 高趣 生を偸むに足る
山路緑風滿 山路 緑風満ち
野橋藍水明 野橋 藍水明らかなり
夏初光景好 夏初 光景好し
隨意自縱横 意に随ひ 自ずから縦横
<解説>
この憂さは 何処からくるのか
気晴らしに 朝から散歩
世渡りは 難事だけれど
味わって 生きていられる
山みちに 青葉吹く風
橋のした きらめく小川
夏先の この好きながめ
意のままに 足向くままに
<感想>
今回いただいたのは五律、対句も滑らかに仕上げていらっしゃると思います。
「薄才」と「高趣」は良いですね。
冒頭の「多憂思」はコロナ禍ですので何やかやと気分がすっきりしないことはあったと思いますが、例年のようでしたら「多」とはしなかったでしょうね。
つまり、第二句以降の流れからは、やや大げさな印象を受けますので、令和二年の夏という限定版として、題名にもそのことを入れた方が良いかと思います。
あるいは、ここをもう少し軽くして、平年バージョンにするかでしょうね。
頸聯の「山路」「野橋」は、「處世」で街中暮らしを思わせる中、朝の散歩には遠くまで来た印象がありますが、詩的表現と理解もできます。
「緑風」と「藍水」の色対はやや直球過ぎるかな。
観水さんは、今年度の諸橋轍次記念漢詩大会で最優秀賞の諸橋轍次賞を受賞されました。おめでとうございます。
「受賞者名簿」には、瓊泉さん、深渓さん、石華さん、点水さん、柳村さんと、桐山堂に投稿くださっている方々のお名前も沢山拝見しました。
この場をお借りして、皆さん、おめでとうございます。
表彰式はコロナウイルスの関係で中止とのこと、顔合わせが叶わないのが残念ですね。
2020.10.31 by 桐山人
作品番号 2020-316
舟中夜宴
窓含中夜霧 窓は含む 中夜の霧
霧細靜澄江 霧は細やかなり 静澄の江
江好設華宴 江は華宴を設くるに好く
宴須傾玉缸 宴は須く玉缸を傾くべし
缸空賞明月 缸空しうして 明月を賞し
月沒點銀ス 月没して 銀スを点ず
ス盡應看曉 ス尽くれば応に暁を看るべし
曉風吹綺窓 暁風 綺窓を吹かん
<解説>
窓のそと 夜霧たちこめ
細やかに 静かの川面
この川は 宴に宜しく
宴には 酒傾けん
酒つきて 月をながめて
月落ちて 灯を点けて
灯が消えて 朝を迎えて
朝風が 窓を吹くのさ
<感想>
こちらの詩は、前の句の末字を次の句の頭に使うという「連環体」ですね。
特に律詩ですので重ねる字数も多く、自然に繋げるのが大変だったと思いますが、その辺りが力量ですね。
連環体は別にして内容を見て行くと、後半は「缸空」「月沒」「ス盡」と現れては消えという流れがリズミカルで、ただの時間経過に終らないように「玉」「明」「銀」と形容を忘れなかった効果は生きていると思います。
その分、最後の「綺」は、美しさはもう要らないでしょうね、「舫窓」と舟をここで出してはどうでしょうね。
2020.10.31 by 桐山人
作品番号 2020-317
秋路散策
野風嫋嫋仲秋朝 野風 嫋嫋 仲秋の朝
天上高雲碧玉条 天上の高雲 碧玉の条
病毒蔓延何処事 病毒 蔓延 何処の事
黄金禾穂是豊穣 黄金の禾穂 是れ豊穣
「病毒」: 新型コロナウイルス
「禾穂」: 稲穂
<感想>
この詩をいただいたのが10月でしたので、コロナの第二波が少し落ち着いて、第三波がまだ来ていないという時期でしたか。
やや落ち着いて、皆がGOTOトラベルだと動き回った安心感のただよいが、転句からは感じられますね。
今から振り返れば、ということの無いように、「うがい、手洗い、マスク」で冬の流行を抑えたいですね。
そうした人間世界の嘆きとは別に、季節は流れて、豊穣の秋を迎えたというのが主眼でしょうが、起承結の三句が整っていますので、今年の秋限定にしてしまうのが勿体ないですね。
せっかくの好句が際物となってしまっては残念ですので、今年の分はこれとして、コロナではない秋景色という別バージョンもお作りになっておくと良いと思いますよ。
結句は「是」をもっと強調するというか、作者自身の喜びの気持ちも籠めて、「善(よみす)」とか「顕」などはどうでしょうね。
2020.11.11 by 桐山人
作品番号 2020-318
安倍政権終竟
課題山積國難重 課題山積 国難 重なる
磐石帝王康健忡 磐石の帝王 康健 忡(うれ)ふ
獅子身中蟲暴慢 獅子身中の虫 暴慢して
驚心動魄政權終 驚心動魄 政権の終り
「帝王」: 安倍総理
「獅子身中虫」: 持病の内臓疾患
「暴慢」: 乱暴で勝手気ままに暴れる
「驚心動魄」: ハッとして大きなショックを受ける
<解説>
7年8か月という最長政権、新型コロナウイルスの終息の見えない中で、
一強と言われた首相も持病には勝てずに退陣表明。
驚きの極みでした。
<感想>
そうですね、安倍総理の突然の辞任、国難と言われるこの時期でしたから、任期途中での辞任に責任を感じておられるとは思いますが、ご自身の身体も大事ですから仕方ないですね。
そういう意味では、リーダーが健康であるということは大切な要素だと、改めて感じました。
起句の「國難」ですが、「難」は形容詞ですと平字ですが、名詞になると仄字に変わります。
「国患」「国恤」が同意ですがどちらも仄字ですので、「國憂」でしょうか。
2020.11.11 by 桐山人
作品番号 2020-319
菅政権發足
七年餘月一強完 七年余月の一強 完り
国患今時替政權 国患の今時 政権 替はる
緻密伏兵新帝傅 緻密なる伏兵 新帝傅
難題山積両肩懸 難題 山積 両肩に懸る
「緻密伏兵」: 菅官房長官
「新帝傅」: 新宰相 総理大臣
<感想>
岸田だ、石破だと言っている内に、あれよあれよと菅擁立の流れができ、何とも昭和の時代に戻ったような感覚の時でしたね。
新総理は安倍首相の説明回避の習性をしっかり受け継いでいるようで、これまたどこかデジャブな答弁。
「叩き上げの苦労人」というキャッチフレーズも、もう已に古きアナログの時代を感じさせます。
新政権には、「両肩懸」と重りを与えると、バネが弾けて逆回転しそうな不安、私でしたら「頑張らなくても良いから、誠実に」と言いたいところですね。
詩はこのままで、よくまとまっていると思います。
2020.11.11 by 桐山人
作品番号 2020-320
感秋
天高一洗暮雲収、 天高く一洗 暮雲収(おさ)まり、
四壁蟲聲夜漸修。 四壁の虫声 夜漸(ようや)く修(なが)し。
商没參昇殘暑退、 商没し参昇れば 残暑退き、
茫茫宇宙早凉浮。 茫々たる宇宙 早凉浮かぶ。
<解説>
空が高くなり一筆書きのような夕暮れの雲、
秋を感じる
虫の鳴き声も盛んで夜もだんだん長くなり。
さそり座(商星)が沈みオリオン座(参星)が(夜明けに)昇るようになると残暑も少なくなった、
(人間界に関わらずに)天上は、秋の涼しさが感じられる。
お久しぶりです。十五年ぶり位の投稿です。(気がつけば50代半ばも過ぎ、亡母の享年が近付いてきました)
十数年程漢詩から離れていましたが、昨年夏からボチボチまた書き出しました。
私の漢詩実作第一作が母の一周忌の夜にオリオン座を見たものでしたので、再開第一作もオリオン座を詠んだ詩になったのも不思議な気持ちです。
今後もまた宜しくお願いします。
十年前に父も送り、一昨年には自宅が床下浸水、昨年夏に少し山の上に引越し(以前の投稿しました江戸時代の地元庄屋の別邸跡の近く)、東と南東が開けて四国連山の遠望や夜半に昇ってくる星々がよく見える場所です。
投稿詩は、今年八月の末頃、夜明け前に昇って来たオリオン座を見つけて、季節の変わり目を感じた事を詠んでみました。
「夕暮れ→深夜→夜明け前」と時間の移り変わりも入れてみました。
<感想>
懐かしいお名前を拝見し、嬉しい気持ちでいっぱいです。
ホームページ運営を長く続けていると嬉しいことが沢山ありますが、旧交を温めることができることは何よりも感激します。
十数年ぶりで、お書きになられたように生活面でも色々な変化がおありになったと思いますが、また、漢詩でお話が伺えることでしょう。
また、漢詩を一緒に楽しみましょう。
お手紙にありました「江戸時代の地元庄屋の別邸跡」というのは、2003年の投稿詩で「臨江亭跡」ですね。
「一望予州」という句が景観の良さを表していて印象に残っています。
再開作は秋を感じさせる言葉が配置され、時間経過も工夫されたものですね。
起句は「暮雲収」を上の「一洗」がさっと洗い流すという比喩で、美しく表していると思います。
まずは、秋の言葉についてですが、「天高」「夜漸修」「殘暑退」「早涼浮」と各句に秋を示す言葉が入っていますが、これは季語重なりとは言いませんが、ややくどい印象です。
特に、「残暑退」と「早涼浮」は裏表の表現ですので、ここは星の美しさとか、「窓」から眺めることで室内に居ると示すことを述べた方が良いでしょうね。
結句の広大な宇宙にまで延ばした視野は魅力的ですので、この四字は生かしたいところ、この悠遠さに対して「早涼浮」が不釣り合いに思いますので、こちらを検討でしょうか。
全体としては、夕暮れから明け方までを描きましたが、やや欲張りすぎたかとも思います。
実際にオリオン座が見られるのは明け方ということで朝まで持って行かなくてはいけない事情はありますが、その分、夕暮れから夜への前半の流れが添え物的になります。
主眼を「オリオン座を見たことで秋の到来を描く」ということにするなら場面を(夜から)朝に、季節の変化に主眼を置くなら「商」と「參」をメインにしないで、風景描写を増やした方が良いかもしれませんね。
2020.11.11 by 桐山人
作品番号 2020-321
小田原開城
視界上方兵 視界 上方の兵、
費時不決評 時を費やし 評を決せず。
孤軍催援友 孤軍 援友を催し、
北国棄同盟 北国 同盟を棄つ。
弾響三重列 弾響 三重の列、
忽然一夜城 忽然 一夜城。
諸侯封蟻出 諸侯 蟻の出るを封じる。
未落滅亡情 未だ落ちずに滅亡の情。
<解説>
「上方の兵」: 関西の遠征兵のこと。
小田原城は難攻不落の堅城だと言われていました。
いざとなったら籠城して時間稼ぎをするのが、後北条氏の基本的な戦術だったみたいです。
詩の中に滅亡と入れたのですが、本流は確かに繋がらなかったのですが、傍流は何人か助かっています。
この時期豊臣政権も一番輝いていた時期で、徳川も加勢し上方の諸大名も皆参戦していたみたいです。
伊達政宗も遅参して危うく切腹しそうになったみたいです。殆ど戦国大名のオールスター勢揃いと言ったところでしょうか?この戦を機にほぼほぼ日本の平定は完成したみたいです。
三代続いた後北条氏もこの大規模な包囲戦で頭首の切腹を以ってけじめを付ける事になりました。
小田原評定とか一夜城とか色々エピソードも残っていますね。
この後、徳川は先祖伝来の三河、駿河と北条氏の領地だった関八州とを交換で領地換えに応じました。警戒していた煙たい徳川を駿河より遠くにと言う心理が豊臣に働いたものと思われます。
栄華を誇った豊臣ですが、豊臣秀吉に子が出来ず。だんだんと諸大名からの信用を失って結局は滅んでしまいました。
裸一貫の百姓から関白にまで上り詰めた秀吉ですが、結局は滅んでしまいました。
難波のことも夢のまた夢でしょうか。
<感想>
秀吉の小田原城攻めは仰る通り、彼の黄金期の戦で、戦国時代を扱った大河ドラマでも何度も登場しましたね。
私が覚えているのは「独眼竜政宗」で、確か勝新太郎の秀吉と渡辺謙の伊達政宗だったと思いますが、並んで立ち小便をする設定が印象に残っています。
歴史的事件を題材にすると、様々な事情を描くことができ、その分散漫な形になりがちですが、分かりやすく配置していらっしゃると思います。
ただ、特定の人物が登場しない分、「小田原開城」を通してどんなことを作者が言いたいのか、が伝わってこず、状況説明だけというところが淋しいところです。
あと、「二字目の孤平」が幾つか見られますので、そこは直したいですね。
2020.11.26 by 桐山人
作品番号 2020-322
庚子三月九日
愛犬斯徂十五年 愛犬 斯に徂く 十五年
吠聲毎耳奈而先 吠聲 耳する毎 而(なんじ)の先立つを奈せん
朝田野径欲倶駆 朝(あした) 田野の径 倶に駆けんと欲し
夕賽河原月照埏 夕べ 賽の河原 月照らすの埏
<解説>
今年三月にペットの突然の死と私自身も体調が良いとはいえず、創作意欲が湧かず、やっとここに至った次第です。今はアヒルとふたり暮らしです。
腎臓が少し悪いうえに血圧の薬、歯医者へも通院する日々です。
最後の「埏」ですが、「筵」の字を当てていたのですが、もっと探していてこの字を選びました。
<感想>
十五年飼われていた愛犬とのこと、哀しみもひとしおでしょうね。
私が以前飼っていた犬も十数年生きていましたので、家族の一員という言葉通り、死んだ時には心が空っぽになったような思いでした。
ただ、まだ仕事に就いていた頃でしたので、職場に出ていけば気分転換も出来ました。
哲山さんは一日思い出に向かい合っていらっしゃるのでしょう、思い出す事ばかりでしょうね。
結句の「埏」は「墓穴」、つまりお墓へと通じるトンネルのようなイメージだと思いますが、「賽河原」とのつながりがはっきりしないし、全体としても句としてどんなことが言いたいのか、転句の明解さに比べると難解ですね。
この韻でしたら他にも色々な字がありますので、この句(下三字)は検討してはいかがでしょう。
2020.11.29 by 桐山人
庚子三月九日(再敲作)
愛犬斯徂十五年 愛犬 斯に徂く 十五年
吠聲毎耳奈而先 吠聲 耳する毎 而(なんじ)の先立つを奈せん
朝田野径欲倶駆 朝( あした) 田野の径 倶に駆けんと欲っし
夕賽河原孤曷眠 夕べ 賽の河原 孤リ曷(なん)ぞ眠るや
2020.12. 6 by 哲山
作品番号 2020-323
過華清池
残月映池花気微 残月 池に映ず 花気微かなり
広寒宮裏涙沾衣 広寒宮裏 涙 衣を沾す
海棠生暈黄蓮惑 海棠 暈を生じ 黄蓮 惑ふ
天意不開連理扉 天意開かず 連理の扉
<解説>
華清池に立ち寄って
有明の月が池に映り、花の香りがかすかに漂っている。
月にあるという広寒宮で涙が衣を濡らす。
海棠のような楊貴妃の頬にはほんのりとしたほてり、玄宗はそれに参ってしまった。
天は二人の相思相愛を許さなかった。
<感想>
華清池に行きますと、グラマラスな楊貴妃が出迎えてくれて、『長恨歌』の世界に引き込まれますね。
小心な私は、小さな子どもも訪れる国際観光地にこんなセクシーな塑像を置いて良いかしら、と余計な心配をしてしまうほどでした。
承句の「広寒宮」は玄宗皇帝が作曲したとされる「霓裳羽衣」の曲を、実は月の「広寒宮」で聞いたという伝説を想起させる言葉で、言わば「華清池」の縁語のようなもの、ここら辺りから恕水さんの仕掛けが始まりますね。
「涙」は楊貴妃の流すものでしょうが、楊貴妃の魂は死後には「海上仙山」に居ましたし、玄宗皇帝が広寒宮に行ったのは楊貴妃を迎える前ですので、「広寒宮裏」に居るのは誰なのか、細かく考えると悩みます。
また、楊貴妃(或いは玄宗皇帝)の涙とすると、転句・結句と時間軸が前後しますし、ここは「華清宮下」のように現在の作者の涙に持って行くのが良いかと思いますが、いかがでしょうね。
転句は「海棠」が楊貴妃を指すのは分かりますが、「黄蓮」を玄宗皇帝と見るのはどこから考えれば良いでしょうか、「涙」と合わせてご教示いただけると嬉しいですね。
2020.11.30 by 桐山人
承句の「広寒宮裏」は、先生のおっしゃるように「華清宮下」として作者の涙にするのが良いと思いました。2021. 2.15 by 桐山人
「なるほど」と思いました。
時間軸については、あまり意識していませんでした。
「残月」とのつながり、玄宗とのつながりで、「月にあるという宮殿で、玄宗がここを訪れたという伝説がある」広寒宮を持ってきました。
ですので、私の中ではこの涙は玄宗の涙でした。
実はこの部分は、「誰が涙を流すのか」の「誰が」がなく、このままで大丈夫だろうかと悩んだ所でした。転句の「黄蓮」についてですが、華清池の玄宗の浴場は蓮の花をかたどり、楊貴妃の浴場は海棠の花をかたどった造りということから、「蓮」と「海棠」をセットにしたいと考えました。
「黄」は皇帝の色ということで持ってきました。
作品番号 2020-324
弔屈原
敬弔先生独醒衷 敬みて弔ふ 先生 独り醒むる衷
秋陽染葉汨羅楓 秋陽 葉を染む 汨羅の楓
今非端午民投粽 今 端午に非ざるに 民 粽を投ず
信義為虚濁世通 信義 虚と為る 濁世の通
<解説>
「衆人皆な酔ひ我れ独り醒めたり」と詠じた屈原の真心を、謹んで弔う。
秋の強い日差しが、汨羅のほとりの楓の葉を色づかせる。
今は端午の季節ではないというのに、屈原を思って粽を投げ込む民がいる。
信義があだとなるのも、俗世のならいとはいえ、屈原の無念を思う。
<感想>
こちらの詩も、句の順番が気になりますね。
転句の描写は、現代でも民衆が屈原を偲び敬っている、と解釈したいのですが、結句の「信義為虚」と来ると、粽を投げることを非難しているように感じます。
また、「信義が虚と為るのはこの世の通例だ」という結びでは、屈原に対して救いが無い、と言うか、題名の「弔屈原」や起句の表現が生きて来ないですね。
結句の内容を残すならば承句と交換するくらいが適当かと思います。
2020.11.30 by 桐山人
作品番号 2020-325
梅雨閑雨
雨唄傘花風 雨は唄ふ 傘花の風、
閑街溜水高 閑街 溜水高し。
晴間空夏近 晴れ間 空 夏近し、
追夢彩虹東 彩虹の東に夢を追はん。
<感想>
掲載が遅れて済みません。
五言絶句らしい展開の早い詩になっていますね。
承句は「高」では韻が合いませんね。何の字と間違えられたのでしょうか。
転句は表現がバタバタしていますね。「新晴夏天近」となれば分かりやすいと思いますが。
結句は「追夢」と突然出てきましたが、何を指すのでしょう。
また、それがどうして「東」なのかも、作者には何か意図があるのかもしれませんが、暗示が無いので分かりづらいですね。
五絶という最も少ない字数ですので、どうしても話を急ぐ必要があるのでしょうが、結句だけでも五字使えますので、もう少し情報を入れてほしいところです。
2020.12.22 by 桐山人
作品番号 2020-326
中秋看月
晴宵供餅冷揺芒 晴れた宵 餅を供へ 冷と揺るる芒、
楽酒虫声静夜長 虫声に酒を楽しめば静かな夜長し。
北竹風通飛鏡走 北竹 風は通ひ 飛鏡走り、
南窓星語木犀香 南窓 星語り 木犀香る。
月催脱兎高雲皎 月は脱兎を催し 高雲皎く、
闇属狡龍遠霧蒼 闇は狡龍に属し 遠霧蒼し。
幻夢興心頻問影 幻夢 心に興り 頻りに影に問ひ、
留詩何奈渾流光 詩に留めるに 流光を渾るを何奈(いかん)せん。
<解説>
中秋の名月を詩にしてみました。
「飛鏡」: 月の意味
<感想>
こちらの詩は力の入った詩ですね。
特に前半は対句も合わせて、秋の夜の風趣が表れていますね。
頸聯の下句が四字目の孤平になってしまったのが残念ですね。
これは「蛟竜」の間違いでしょうが、「ずるい」という文字につい心ひかれてしまいましたか。
月が「脱兎」、闇が「蛟竜」の譬えの辺りから、凌雲さんの世界に入っていき、象徴派の映画を見ているような趣がありますね。
結びになる肝心のところはやや難解で、「心に浮かんだはかない思いを詩に書き留める」までは良いでしょうが、それが「渾流光」となると「過ぎゆく時の中に消えていく」ということなのか、それとも「月の光に溶け込む」ということなのか、どちらにしても、秋の月夜というルナティックな寂しさがにじみ出てくるようです。
2020.12.22 by 桐山人
作品番号 2020-327
近来偶感
退隱無事順時長 退隠事無く 時に順ふこと長し
知足一簞醺一觴 一箪に知足して 一觴に醺ふ
只可驅除庭亂草 只だ 庭の乱草を駆除すべきも
心中芥屑奈難壤 心中の芥屑 壤ひ難きを奈せん
<感想>
東山さんからは、最近の心境という感じで書かれた作品をいただきました。
退職後の穏やかな暮らしが前半によく表れていると思います。
東山さんと私は同い年ですので、「うん、うん」と納得します。最近は晩酌の回数もめっきり減りましたし、妻が作ってくれる夕食も以前の半分くらいの量で十分になりました。
それでも残ってしまい、翌日の副菜となることもしばしばです。
まあ、満足な生活ですね、と言いたいところですが、目を家の外に向けると、コロナ禍の一年、政治は相変わらず行き当たりばったりで心配事は尽きません。
転句からがその心情ですね。
庭の草も一旦はびこってしまうと駆除が大変ですが、それでも毎日少しずつでも継続して摘むと、次からは楽になります。
地道な改善が大切ということですよね。
2020.12.23 by 桐山人
作品番号 2020-328
令和二年秋季多久聖廟釋菜
春秋客滿拝餘光 春秋 客満ちて 余光を拝するも
豈謀今年疫病猖 豈に謀らんや 今年 疫病猖ふ
怪力亂心非所識 怪力乱心 識る所に非ざるも
密祈盛儀復恒常 密に祈る 盛儀の恒常に復するを
<解説>
今年はコロナの影響により、春・秋の釈菜が簡素化されました。
<感想>
人が集まることはとにかく駄目ということで、何十年振りかの行事中止となったものも多かったですね。
出口の見えない状況というのが、何よりも私たちを不安にさせます。
多久聖廟の行事もできなかったのですね。東山さんも寂しかったことでしょう。
起句の「春秋」は「春と秋」ということでしょうか、「歳月」ということでしたら、「春秋三百」としておくのが良いでしょう。
転句で「怪力亂心」は聖廟にふさわしく孔子の言葉を持ってきましたね。
結句は「密」がどういう積もりでの言葉なのか、孔子様のお言葉がありますので、大っぴらに「神様、仏様」と祈るわけにはいかないということでしょうか。
でも、コロナが終息して平穏な日常が戻ることは、万国万民の願いですので、そんなに後ろめたくならなくても良いし、逆に今年で言えば「密」は避けなくてはいけませんから、使うにしても別の字にした方が良いでしょうね。
2020.12.23 by 桐山人
作品番号 2020-329
秋塘散策
窺魚白鷺曲江湄 魚を窺ふ白鷺 曲江の湄
連翅蜻蛉秋草陂 翅を連ぬる蜻蛉 秋草の陂
遠聽疎鐘晩霞徑 遠く聴く疎鐘 晩霞の径
一筇雙屐染紅時 一筇双屐 紅に染まる時
<解説>
「一筇双屐」: 「あの人もこの人も」のつもりで使いましたが。
<感想>
前半の対句は無理なく理解できる形になっていますね。
下三字の対応をもう少し強くするなら、「曲江」には「霜草」、逆に「秋草」には「北江」という形でしょうか。
結句の「一筇雙屐」は、私は作者自身の歩く姿かと思いました。
「周りの人が皆」ということでしたら、「行人遊客」と並列で人物を出した方が良いかと思います。
2020.12.27 by 桐山人
作品番号 2020-330
中秋悠悠
浮雲数片駐旻天 浮雲 数片 旻天に駐まる
白狗魚型向日鮮 白狗 魚型 日に向って鮮なり
自適歳時望見樂 自適の歳時 望見の楽しみ
塵外千里太平年 塵外千里 太平の年
「旻天」: 秋空
「歳時」: 年月
「望見」: 遠くを眺める
<解説>
新型コロナウイルス・政変と世の中騒がしい毎日だが、田舎での年金生活の身にはそんなこと何処吹く風、空行く雲を眺めての生活である。
<感想>
コロナがこれだけ拡がってくると、何処に暮らしていても危険からは逃れられませんね。
岳城さんも、予防に十分務めて下さい。
前半は空を行く雲の様子ですね、ここが丁寧に書いてありますので、「ノンビリ雲を眺めて」という画面がリアリティを増していると言えます。
結句は平仄が違ってしまいましたね。「世塵千里」で合いますね。
ただ、「俗世は乱れているかもしれないが私だけは太平だ」という話にするには、「年」では世間の話になりますので、「邊」「全」とした方が良いでしょうね。
2020.12.27 by 桐山人