作品番号 2012-241
夜坐感秋
開窓清夜桂香幽 窓を開けば清夜 桂香幽なり
皎月鳴蟲共占愁 皎月 鳴虫 共に愁を占む
一片欲詩燈下坐 一片の詩を欲して 灯下に坐す
沈沈蕭寂是深秋 沈々として蕭寂 是れ深秋
<解説>
秋の夜、窓を開けた時の様子を詩にしてみました。
<感想>
前半で、嗅覚・視覚・聴覚と揃え、やや欲張り過ぎたかもしれませんね。
その分、結句が観念的な言葉になり、物足りない感じがします。「沈沈」の所に試みに「鳴蟲」を置くだけでも、随分印象が変わるはずです。
承句の下三字、「共占愁」は「共古愁」「共積愁」でどうか。
2012.11.10 by 桐山人
作品番号 2012-242
山茶花
落柿殘楓秋盡期 落柿 残楓 秋尽きる期
茶梅何奈隔籬窺 茶梅 何奈ぞ 籬を隔てて窺へば
白翁閑坐看花處 白翁 閑坐 花を看る処
漉t光輝華婉奇 緑葉 光輝 華婉にして奇なり
<解説>
山茶花を探した時の事です。
探している時はなかなか見つからないものですね、
見つけた時の花はいつもより美しく見えました。
<感想>
幾つか辻褄が合わず、光景がなかなか浮かんできませんね。
例えば、結句の「緑葉」は起句の「残楓」と色彩的にも季節感でも対立します。また、「光輝」は緑葉の間から見上げた光景でしょうが、「隔籬窺」という姿勢と釣り合わない、など。素材を多く並べるだけでなく、少ない素材を丁寧に描く手法も大切です。
上記が合評会の時の私の感想ですが、常春さんから次のようなご意見をいただきました。
より適切な形になるかと思います。
落柿残楓の時節、作者は、山茶花の冬でも目立つ葉の緑を求めていますので、「緑葉」は残したいところです。
「光輝」を「凌霜」に変えて、「緑葉凌霜」でいかがでしょうか。
2012.11.10 by 桐山人
作品番号 2012-243
春夜些事
絲絲春雨滴聲流 糸糸たる春雨 滴声 流れ
獨樂陳碁夜氣幽 独り楽しみて碁を陳ぶれば夜気幽かなり
底事近邊音簌簌 底事ぞ近辺 音の簌々たる
牀頭一蟹到迷遊 牀頭 一蟹 到り迷いて遊ぶ
<解説>
雨がしとしと降る春の夜、独り碁を並べていると、さっきから近くで何かごそごそ聞こえているのに気付き、見ると廊下のすみに沢がにが一匹・・。
庭に放してやりましたが、山中のいなか家のこととて、いろいろな虫や生き物がよく家の中へ我がもの顔で訪れます。
「簌簌」: かさこそという音の形容
「牀頭」: ゆかのほとり
<感想>
静かな春の夜のひと時が感じられる詩です。
起句の「滴声」、転句の「簌簌」、加えれば承句の「夜気幽」も含めて音が続きますが、転句からの後半の面白さを生かすためには、承句の末字は「悠」と空間的な語にしておいた方が良いでしょう。
同じく承句で言えば、「楽」で感情を出すよりも「坐」が良いでしょう。
2012.11.10 by 桐山人
作品番号 2012-244
新燕歸來
始看群燕春寒路 始めて群燕を看る 春寒の路
萬里奮翎翔曠郊 万里 翎を奮って 昿郊を翔ける
地僻茅廬人訪少 地僻にして茅廬人の訪うこと少なるに
可憐又返屋梁巣 憐れむべし又返る 屋梁の巣
<解説>
毎年のことながら、まだ春の寒さの中のある日、空中に舞う燕の群に気付きます。ああ、つばめが来たんだな、という感じ、季節の変わり目を感じる日でもあります。
「昿郊」: 広い野原
<感想>
季節になれば訪れる燕を人との関わりで描いた詩ですね。
承句の「翔」は自由に飛び回るという意味で「縦」に、その関係で「奮翎」は「翔来」でどうでしょう。
結句の「又」は「復」、あるいは「又返」は説明的なので変更も考えられます。
2012.11.10 by 桐山人
作品番号 2012-245
遊布哇(ハワイ)
渺茫蒼海送涼風 渺茫たる蒼海 涼風を送る
巨大龜游幻夢中 巨大亀游ぎ 幻夢の中
鳥囀花芳樂園島 鳥囀り花芳る 樂園の島
都忘遊歴若龍宮 都を忘れ遊歴す 龍宮の若し
<解説>
果てしなく広く青い海から吹く風の心地良さは格別です。
透き通る水中には、巨大なアオウミガメが泳いでいて夢か幻を見ているようです。
街には小鳥が囀り美しい花が咲き乱れています。
何もかも忘れて遊び楽しみ、まるで竜宮城のようでした。
<感想>
詩中の言葉のように、「幻夢」の中にいて、パノラマを見ているような詩ですね。
結句の「都忘」は口語調で詩に合いませんので、「自由」「自然」など別の語で。
「龍宮」も俗っぽく、承句の「幻夢」をぼかしてしまいますので、「仙宮」などを検討してはどうでしょう。
2012.11.10 by 桐山人
作品番号 2012-246
愛猫
白毛極小負傷憐 白毛極小 負傷して憐れなり
寒夜迎家歴二年 寒夜家に迎えて二年を歴たり
百口唯今心快癒 百口唯今 心 快癒さる
何思立耳坐窗前 何を思うか耳を立て窓前に坐す
<解説>
十二月の寒い夜、孫が怪我をしている猫を、可哀想だといって連れて帰ってきました。
早速病院に連れて行き、治療してもらい暫くで怪我は治りました。
今では家族の人気者になり皆が癒されています。
「百口」: 家族全部
「快癒」: 癒す
<感想>
転句の「唯」は限定が強く「今だけ」という感がありますので、「如今」で。
結句は「何思」の主語が猫だとは分かりにくく(転句の主語が家人なので)、「立耳」だけでなく、もう少し猫だと分かるように、「窓前」を「悠然」くらいにすると良いでしょう。
2012.11.10 by 桐山人
作品番号 2012-247
宿白川郷
嚴寒山奥里 厳寒 山奥の里
素影雪花晶 素影 雪花晶たり
合掌皚皚屋 合掌 皚々の屋
招人赫赫旌 招人 赫々の旌
庭松如鶴舞 庭松 鶴の舞うが如し
池石若龜行 池石 龜の行くが若し
離俗謐然宿 俗を離れ 謐然の宿
今殘往昔情 今に残る 往昔の情
<解説>
厳寒の真冬、岐阜県の白川郷へ出掛けた時の詩です。
辺りは、一面銀世界でした。
こんな景色は初めてでしたのでとても印象的で今でも、鮮明に覚えています。
合掌造りの家が真っ白な雪をかぶり点在していて、お店の客を呼ぶ赤い旗が寒風に揺れていたこと・・・
合掌造りの昔懐かしい家の中を・・・
「晶」: キラキラ光る
「謐然」: 静か
<感想>
洋景さんの律詩への挑戦も回を重ねて、対句もまとまりが良くなってきましたね。
二句目の「素影」は「雪花晶」と同じ内容になりますので、句の役割を高めるには、ここで静謐な感じを出しておくのが良いと思います。
頷聯はどちらも良い句で、対句としてもまとまっていると思います。
頸聯も対句としては良いですが、「如」と「似」の対はいかにも対句然としてしつこいので、それぞれを「庭松孤鶴舞」「池石老亀行」とした方が良いでしょう。
2012.11.10 by 桐山人
作品番号 2012-248
大圏盡東 大圏東に尽く
絶海高飛鳥 絶海 飛鳥高く
大圏施盡東 大圏 ようやく東に尽きんとす
邉愁胸裏没 辺愁 胸裏に没み
萬里故園空 万里 故園空し
<解説>
果てしなく広がる北太平洋 空高く鳥が舞い始めた。
港を出て以来走り続けてきた大圏コースも終わりに近い。
そこはかともない望郷の思いは胸の奥に閉ざされてゆく。
遠い海路の向こう 故郷の影も薄れてゆく。
<感想>
芳原さんの船旅もそろそろ終わりに近づいてきたようですね。
承句の「施」の「ようやく」は「次第に、だんだん」の意味のようですが、すみません、私はすぐには用例が浮かびませんでした。孤平を避けるためのものでしょうが、「愈」あたりでいかがかと思いますがどうでしょう。
後半の構成が分かりにくいのですが、「辺愁」は「(都を)遠く離れた愁い」で、それが胸の奥に収まったということは「旅の愁いも収まった」という意味かと思います。
結句では「故園空」で「故郷への思いも空しいもの」ということで、結局、旅愁も望郷の思いもどちらも胸の中で薄くなって行くことになります。
となると、今作者の心を占めているのは何なのか、旅の終わりを惜しむ感情ということでしょうか。
長い旅の終着を控えて、もう少し続けたいという気持ち、なのでしょうかね。
2012.11.13 by 桐山人
先生 ご多用の中ご指導下さってありがとうございます。
厚くお礼申しあげます。
承句に使用した「旋」の文字はご助言通りに「逾」に替えました。
ありがとうございました。
先日横浜を出港させた船は今日やっと桑港に入港させることができました。
一時はどうなるかと心配致しておりましたがホットしています。
私が初めて桑港の土を踏んだのは19歳、昭和29年の時であります。
戦後の日本海運が国際社会の仲間入り出来て間もなしの頃です。
船は更にロスからパナマを抜けて革命前のハバナに寄港・バルチモア・ノーフォーク・ペンシルバニア・ニュウーヨーク・ボストンなどニュウヨーク航路一航海は4ケ月でした。
遠い記憶になりましたが多感な少年時代の感動は今も鮮やかに残っています。
その後も欧州航路・南米・中米・豪州・アフリカ・インドなど各地を廻りました。
私の貴重な人生体験です。
2012.11.19 by 芳原
作品番号 2012-249
憶四国巡礼
磴道躋攀浴佛光 磴道躋攀して 佛光に浴さん
白雲生處展僧堂 白雲 生ずる処 僧堂に展す
停杖坐愛檜杉色 杖を停め坐ろに愛でる 檜杉の色
梵果憑依霊気蒼 梵果 憑依 霊気蒼し
<解説>
曽つて逝妻を弔わんと欲して八秩の叟四国巡礼の旅をせり。
弘法大師修業のためとは雖も、処々険峻な処にと呟きながら上ると、堂の周りは千年を超える檜杉の巨木が天を摩し、当に「梵果憑依霊気蒼」である。
<感想>
四国巡礼の旅とのことですが、八十八所のどこのお寺のことを詠ったのかを示した方が良いのではないでしょうか。
大きく全体を思い出しての詩というお気持ちでしょうが、情景描写が現実的な分だけ、ある程度絞り込んだ方が読者も共感しやすいように思います。
どのお寺も皆同じような印象、あるいは代表的なお寺をイメージしたということでしたら、その旨をどこかで言葉にしておくと良いでしょうね。
2012.11.13 by 桐山人
作品番号 2012-250
遊加奈陀
錦繍紅黄旅加州 錦繍 紅黄 加州に旅す
湖邊勝景盡回頭 湖邊の勝景 尽く頭を回らす
氷河雪嶺聳天半 氷河の雪嶺 天半に聳ゆ
野老三嘆萬里遊 野老 三嘆す 万里の遊
<解説>
九月に、八日間の日程でカナダ旅行。
ロッキーの山々と山麓の氷河の湖水の清冽さに魅了させられる。
ルイーズ・モレーン・ボウ・ベイト・エメラルドの各湖。氷河の流水は乳白にして湖に入るとエメラルド色に輝くのである。
<感想>
起句と結句で旅の状況と作者の感懐をまとめていますので、この二句だけでも趣がよく伝わってきます。
叙景が承句と転句に入るサンドイッチのような構成になるわけですが、そう思ってみると、承句の「勝景」にもう少し具体性が欲しくなりますね。
例えば承句を「碧湖秋景」、転句を「氷河銀嶺」などと色彩を重ねてみるのも面白いかもしれません。
2012.11.13 by 桐山人
作品番号 2012-251
憶母(亡母五十回忌)
逝水消光半百年 逝水 消光 半百年
温顔髣髴覺依然 温顔 髣髴 依然たるを覺ゆ
在人十億勝吾母 十億の人在らむも 吾が母勝る
愧孝不成靈位前 孝成らざるを愧づ 靈位の前
<解説>
昭和三十八年十二月、私は社用で海外(東南アジア)に出張した。
当時、東西に別れていたパキスタンの政情は不安定であり、東パキスタン(現バングラディッシュ)の首都ダッカを発着する航空機の運航が乱れ、私は出張先の予定をキャンセルして、予定よりも三日早く帰国した。
そのおかげで、私は母の葬儀に間に合い、母の死顔を拝むことが出来た。
それから五十年の歳月が経ち、母の行年(六十五歳)を遙かに超え、私は傘寿を迎えた。
五十年も須臾の一時彼岸花 《兼山》
十億の人に十億の母あらむも
我が母にまさる母ありなむや 《暁烏敏》
<感想>
お母様の五十回忌ということですが、兼山さんのお心の中では歳月の過ぎることは無いのでしょうね。お母様へのお気持ちがよく伝わってきます。
転句は暁烏敏の短歌をベースにしてのもので、もっとも思いが籠められている句ではありますが、心の勢いが強すぎたかもしれませんね。
下三字の「勝吾母」は語順としては「吾が母に勝る」と読んで、意図とは逆の意味になってしまいます。「在人十億」も強引さを感じますので、しばらく間を置いて、転句を検討されてはいかがでしょう。
結句の「孝不成」は、五十年を経てもお母様への思いを持ち続け、五十回忌の法要を営まれていることは十分に「孝」だと思います。
「献寸草心靈位前」(寸草の心を献ず 靈位の前)のような表現で良いと思います。
2012.11.23 by 桐山人
作品番号 2012-252
憶義兄(亡義兄三回忌)
念佛南無觀世音 念佛 南無觀世音
鐘聲只聽故情深 只聽く 鐘聲 故情深し
横天銀漢吾存地 銀漢 天に横たはり 吾は地に存り
君逝三年寂寞心 君逝いて三年 寂寞の心
<解説>
太宰府市「花鳥山佛心寺」に於いて、故人(義兄)の三回忌法要が営まれた。
佛心寺は「ホトトギス」の同人、河野静雲が創建した時宗の寺である。
大宰府政庁跡の東方、筑紫観世音寺の西方、月山(刻山)の麓に位置し、隣接の虚子堂は静雲門下の俳諧道場であった。境内には多くの句碑が建っている。
終戦の年に静雲が福岡で詠んだ句:あとや先百壽も露の命かな 静雲
昭和二十一年、静雲は『冬野』を復刊し「ホトトギス」六百号記念大会を九州で開催した。
昭和二十四年、花鳥山仏心寺が完成し、虚子が揮毫した「花鳥山」の篇額を掲げ、時宗の管長を迎えて落慶式が行なわれた。それから二十五年間、静雲は仏心寺で過ごし、昭和四十九年に入寂した。享年八十七歳。
尚生きるよろこび胸に林檎汁《静雲》
夜都府樓址に佇む
天の川の下に天智天皇と臣虚子と《虚子》
都府樓址虚子も見上げし天の川《兼山》
都府樓纔看瓦色 觀音寺只聽鐘聲《菅原道真》
<感想>
こちらもお気持ちがよく表れている詩ですね。
承句と転句は訓読にやや無理がありますので、「鐘聲 只聽く 故情深し」「天に横たふ銀漢 吾は地に存り」とするところでしょう。
こうして読み下すと分かりますが、承句は良いのですが、転句の上四字と下三字の対応が気になります。句中対で持って行くためには、「天の川は空に横たわり、私は地上に居る」という形で主述を対応させないと、句の趣旨がぼやけるでしょう。
2012.11.23 by 桐山人
作品番号 2012-253
尋旧鹿屋航空基地跡
次韻深溪大兄玉詩「又八月十五日」(再敲作)
軍命綸言誰不從 軍命は綸言なり 誰か從はざらんや
盡忠報國決心蹤 盡忠 報國 決心の蹤
尋來史料展觀館 尋ね來る 史料展觀の館
遺筆綿綿痛殺胸 遺筆 綿綿 胸を痛ましむ
<解説>
今年(平成二十四年)は、昭和十八年、行年二十歳で戦死した亡兄の七十回忌に当たる。
亡兄が所属していた「第二五三航空隊」は、旧「鹿屋航空隊」から改編された艦戦隊である。
「漢詩を創ろう」に掲載されている深渓さんの2007年の193作、「又八月十五日(尋旧鹿屋航空基地跡)」に触発されて、遅れ馳せながら、旧鹿屋航空基地跡(現海上自衛隊鹿屋航空基地)を訪ねた。
基地内にある「史料館」には、旧日本海軍航空隊の歴史と栄光が展示されている。
零戦と言えば必ず特攻を連想するが、特攻以前にも多くの若者たちが祖国の為に命を無くした。
亡兄もその一人である。未だ戦意高揚の機運が残っている時代であり、名誉の戦死として賞賛されたが、遺骨も遺書もなかった。
幸いに「第二五三空」の司令小林淑人大佐(当時中佐)が、亡兄戦死の模様に就いて縷々認められた、遺族(父親)宛ての書簡が遺っている。
「い号作戦」は、連合艦隊司令長官山本五十六大将が直接指揮を執られた最後の作戦である。当作戦の戦闘記録としても貴重な資料であり、史料館の松永幸雄館長と相談した結果、「山本五十六長官」展示コーナーに展示して戴くことになった。
亡兄は私よりも十歳年長である。生きていれば、今年卒寿(私が傘寿)である。
亡兄の「七十回忌」法要は終った。今後、亡兄の遠忌が営まれることは、もう無いだろう。
<感想>
この作品は「次韻深溪大兄玉詩又八月十五日」として掲載したものを推敲した作品ですが、変更点も多かったので、「推敲作」として新たに掲載をさせていただきました。
解説にありました小林中佐からのお手紙のコピーも一緒に見せていただきましたが、部下であった若者(兼山さんのお兄様)の一周忌に送られたものでした。飛行機乗りの戦死ということですと、お書きになったように「遺骨も遺書もなかった」のはさもありなんと思いますが、そうした状況を十分に承知して遺族に戦時の状況を語ろうとした小林中佐の文面からは、戦時中という異常な事態にありながら人間としての思いが伝わってくるようでした。
手紙の最後には、「時節柄、手紙の内容は外に出さないように」という旨の一文がありましたが、立場としては確かに部下の戦死の状況を口外することは宜しくなかったのでしょうが、それでも丁寧に一周忌に手紙を出したということを考えると、当時こうした人が居たということに私は感じるものがありました。
転句の「尋來」は意味的には「尋至」だと思いますので、前作の「再尋」でも良いのではないでしょうか。
2012.11.30 by 桐山人
作品番号 2012-254
偶感
深秋朝雨濯浮塵 深秋ノ朝雨 浮塵ヲ濯ヒ
階下霜楓紅更新 階下ノ霜楓 紅 更ニ新タナリ
茅屋閉門待朋訪 茅屋 門ヲ閉ヂテ朋ノ訪ヲ待ツモ
獨斟濁酒索居身 獨リ斟ム濁酒 索居ノ身
<感想>
「茅屋」「閉門」「獨斟」などの語が、世と離れて落ち着いた生活を感じさせ、場面効果を出していますので、結句で「索居身」と更に説明する必要があるかどうか、この結びの三字がやや勿体ないように感じます。
起句から判断すると朝の様子だと思うのですが、結句まで行くと一人でもう酒を飲んでいますので、朝から飲んでるんでしょうか。
意図的に時間経過を表して、朋を一日中待っていたとしているのかもしれませんが、絶句で表すには少し時間が長すぎるように感じます。「濯浮塵」と来ると「朝雨」を置きたくなるのは分かりますが、「午雨」など別の語も探してみてはいかがでしょうか。
転句は四字目の孤平になっていますが、下三字の「挟み平」の関係で認められるものですね。
2012.11.30 by 桐山人
作品番号 2012-255
入桑港
北風能耐六千浬 北風能く耐ふ 六千浬
海尽天涯此陸基 海尽き天の涯 ここに陸基(はじ)む
一碧金門橋下過 一碧 金門橋下過ぐれば
文明百景是何夷 文明の百景 是れ何ぞ夷(おほ)いなる
<解説>
遥かなるかな 北風吹きすさぶ六千浬
海尽きて天の涯 やっと大陸が間近になる ここからアメリカが始まる
天も青 海も青 そびえ立つ金門橋の下をくぐり抜けると
忽然としてビルの街が広がる 坂の街だ 列をなす車 夢と希望
これだ これがアメリカだ
<感想>
芳原さんの船旅の詩も、ようやくサンフランシスコに到着ですね。
長い旅を終えた喜びが伝わってきます。
起句は旅の厳しさを述べた部分ですが、「六千浬」は一万キロメートルを表して具体的ですので、「能耐」とぼかすよりも、「凛冽」「峻烈」のような北風そのものを描写する表現の方が実感が出ると思います。
承句は「海尽」と来ましたので、「天涯」の方も対になるように「天窮」としてリズムを出しておくと良いでしょう。「天涯」で「地基」が狙いかもしれませんが、私の感覚ではこの組み合わせが強くなると「天の果てに地がある」という違和感を感じます。
転句の「一碧」は「青々とした」という形容ですが、この語だけの使用ですと「金門橋」を修飾してしまいます。「金門橋」が平字ばかりなので構成に苦労されたのでしょうが、「空も海も」と欲張らずに、「碧宇」「遥碧」と空を描いておくのが無難かと思います。
結句は「是何」は、既に承句で「此」を用いて感動を示していますので、また出てくるのは押しつけがましく感じます。客観的な描写で、解説に書かれたような「忽然」「忽焉」などを使われてはどうでしょうか。
2012.12.18 by 桐山人
鈴木先生 今晩は
今回の「入桑港」も手に取るように懇切丁寧なご指導を頂きました。
心から感謝とお礼を申し上げます。
年末の丁度切りのよい時に思い出のサンフランシスコ航路6連作を終えてホッとしています。
本当にこの1年ありがとうございました。
新年もまたよろしくご指導お願い申し上げます。
どうぞよいお年をお迎え下さい。
2012.12.22 by 芳原
作品番号 2012-256
感拉致
雁信未來俘拉艱 雁信未だ来らず
老親愁苦黠奴蛮 老親愁苦す 黠奴の蛮
小人占位不能救 小人位を占めて救ふ能はず
久遲寶雛乗鳳還 久しく遅つ 宝雛の鳳に乗りて還るを
<解説>
鈴木先生、お世話になります。
今回の投稿は、横田めぐみちゃんが拉致されて35年とのことですが、ご本人はもとよりご両親のご心痛を思い、また、拉致解決が一向に進まない現状は、本邦政治家の怠慢に憤りを覚えての作です。
<感想>
拉致という行為そのものへの怒りと、それが放置されたまま三十五年が過ぎてしまった悲しみと、二つの思いが憤りとして出てきていますね。
前半の構成としては、「雁信未來」と「老親愁苦」、また「俘拉艱」と「黠奴蛮」が組み合わさった方が自然な流れを生むと思います。
「黠奴」は「ずるがしこい奴ら」ということですが、それに対抗するのが「小人」では、いよいよ心もとなくなります。
かつては「変人」と言われた首相が訪朝して交渉しましたが、間もなく再就任する方はどう交渉を進めるのでしょうか。
2012.12.18 by 桐山人
作品番号 2012-257
五律・説梅畫餅
晩境多間隙, 晩境に間隙(ひま)多く,
清貧無酒卮。 清貧に酒卮なし。
餐霞想仙境, 霞を餐(くら)って仙境を想ひ,
裁賦擬唐詩。 賦を裁さば唐に擬(なぞら)ふ詩。
畫餅充飢好, 餅を畫(えが)き飢えを充たして好(よろ)しく,
説梅止渇滋。 梅を説かば渇きを止めて滋(うるほ)す。
黄泉尚遼遠, 黄泉 なほ遼遠にして,
鶴壽歩遲遲。 鶴壽 歩むこと遲遲たり。
<解説>
漢詩を始めて16年目、これまでに作った漢語の詩、漢語俳句等を含め、三万八千首を超えました。
もはや私の生活には直截に詩材とすべきものはなく、空想を玩び押韻と平仄をほしいままにする他はありません。
この作は、「畫餅充飢」と「説梅止渇」という四字成語がうまく対になることに気付き、あとは空想を弄んだものです。
<感想>
どちらの四字成語も三国史の時代の出来事から生まれたもので、「説梅止渇」は魏の曹操が喉を渇かせた兵士達を鼓舞するために「前方に梅林があるぞ」と告げたという故事、「畫餅」は同じく魏の曹丕(曹操の息子)が人材を登用する時に「まだ無名の者を探せ、既に名のある者は画餅と同じで食えん」と言った故事からの語に「充飢」を添えて、どちらも現実には存在しないものを想像することで飢えや渇きを癒すという意味です。
想像で現実の苦しみを避ける、という言い方をするとマイナスのイメージが強くなる言葉ですが、鮟鱇さんはそこに積極的な意味を見いだし、詩作することの楽しみへと発展させていらっしゃるわけで、その逆転の発想というか、柔軟性が鮟鱇さんの「若さ」の根源でしょうね。
「黄泉尚遼遠」はまさに鮟鱇さんへの言葉ですね。
2012.12.18 by 桐山人
作品番号 2012-258
老母
老母病心身 老母心身を病み
懐家問庭椿 家を懐しみて庭の椿を問ふ
嗚呼吾亦老 嗚呼 吾もまた老ゆ
如何衰鬢親 如何にせん 衰鬢の親
<解説>
95歳になる母は認知症で老人ホームのやっかいになっており、私は月2回ほど自宅に連れて帰り面倒を見ていますが、車椅子の母は足腰が弱り、トイレや入浴の世話が私一人ではだんだん重荷になっています。
家に帰りたいというので私の体力が続くかぎりは続けるつもりですが、私も67歳でさすがに苦労します。
詩については作り始めたばかりで現在までやっと15首あまりです。作詩関係の本はありますが、一番分からないのが平・仄です。これを考慮に入れると今の私には手に負えません。
<感想>
哲山さんからは、「自作の詩が漢詩と呼べるものになっているのかどうかが心配だ」とのお手紙をいただきましたが、漢詩として最も重要な条件は「押韻」がされているかどうか、という点です。
平仄の規則が確立されるのは唐の時代になってからのこと、従ってそれ以前は平仄の並べ方が規則として定まっていたわけではありません。そうした点から、平仄の整った唐以後の形式に準じた詩を「近体詩」と呼び、唐以前の形式のものを「古体詩」と呼んでいます。
押韻の仕方については違いがありますが、「近体詩」「古体詩」どちらにしても、押韻をすることは共通しています。
ですから、分類の上では、哲山さんの詩は「古体詩」だと考えればよいわけで、ひとまず漢詩にはなっていると思って下されば良いわけです。
ただ、平仄だけでなく、一句の字数や一首の句数など比較的自由度が高い「古体詩」よりも、形式の固まった「近体詩」の方が作りやすいため、一般的には「近体詩」で作るようになっています。
「古体詩」を作って行くにしろ、「近体詩」のルールを知らないままでは、どういう点が「古体詩」なのかも分かりませんので、哲山さんもひとまずは「近体詩」を作る方向で作っていくのがよいと思います。
平仄が分からない、という点については、初期の間はみんな平仄に苦しんでいますので、少しずつ覚えていけば良いことです。最初から全部覚えて理解して、と思うと「手に負えない」となってしまいます。
あわてずに、一首ずつ、規則に合わせるように推敲していけば、自然に平仄も分かってくるものですよ。
さて、今回の詩は五言絶句です。平仄を確認しておきましょう。
老母病心身(●●●〇◎)
懐家問庭椿(〇〇●〇◎)
嗚呼吾亦老(〇〇〇●●)
如何衰鬢親(〇〇〇●◎)
五言では、「二四不同」の規則、つまり各句の二字目と四字目は平仄を逆にするのが決まりです。それが崩れているのは二句目(承句)だけですね。
ここは実は「椿」が問題で、漢字の「椿」は日本の「ツバキ」とは別の木を表しています。どうしてもツバキを出すと中国名の「山茶」を使うか、批判を承知で「日本のツバキの意味だ」と主張するかになります。
お母様の言葉をそのまま生かす形で「日本のツバキ」で頑張っても良いかなと私は思いますので、その場合には「庭椿」ではなく「旧椿」と平仄を合わせておきます。ツバキにこだわらないならば、「懐家問旧頻」(家を懐ひて旧を問ふこと頻りなり)というところでしょうか。
平仄で直すもう一点は、この詩は「仄起式」ですので、結句の二字目を仄声にしなくてはいけません(「反法」「粘法」)。
語順を換えて、「衰鬢奈慈親」(衰鬢 慈親を奈せん)とすると、「衰鬢」が私と親の両方を説明する形になるでしょう。
最後に、同じ漢字を詩中で複数回使うのは効率的ではありません。「老」の字は「同字重出」ですので、どちらかを変更します。
転句は大事なところですので変更しにくいですから、起句の「老母」を別の表現にします。「病心身」との対応で逆説的に「賢母」が良いですが、同じ意味で「哲母」もありますので、こちらが良いかと思います。
このような形で規則に合わせていくと、どうしても本来の自分の思っていたこととずれてしまうこともあります。一方で、変更しなくてはいけないからと考える中で、新しい発見や気づかなかった表現に出会うこともあります。
そうした意味で、推敲を経ることは、単に形式として詩が完成するだけではなく、作者自身の心情をより深く熟成させることでもあると私は思っています。
是非、漢詩を作る楽しみを一緒に味わっていきましょう。
2012.12.22 by 桐山人
お忙しい中、ご親切な感想や添削をいただきありがとうございます。
助言を取り入れ、以下のように改めました。
老母(推敲作)
哲母病心身 哲母心身を病み
懐家問旧椿 家を懐ひて旧椿を問ふ
嗚呼吾亦老 嗚呼 吾もまた老ゆ
衰鬢奈慈親 衰鬢 慈親を奈せん
95歳になる私(哲山)の母は認知症で、老人ホームのやっかいになっています。
家に帰りたいというので、月2回(1回3泊4日)ほど自宅で面倒を見ていますが、車椅子の母は足腰が弱り、トイレや入浴の世話が私一人ではだんだん重荷になっています。
部屋の障子には母が描いた椿や桜、富士山などの墨彩画を貼っていて、ときおり懐かしそうに眺めています。
しかし、今となってはもう絵筆を持つこもできません。
2012.12.23 by 哲山
作品番号 2012-259
小春日
霜降白庭落葉重 霜降の白庭落葉重し
晩秋青天片雲流 晩秋の青天片雲流る
四十雀嬉々移枝 四十雀(シジューガラ)嬉々として枝を移り
狗子也終日臥龍 狗子や終日臥龍
<解説>
小春日
霜の朝庭は真っ白で落葉は重なって積もっている
晩秋の空は青天で片雲が流れている
四十雀は嬉々として枝を移っている
犬のチャオは日だまりに終日龍のごとく寝そべっている
のどかな小春日を作ってみようかと思いました。
シジューガラとか喜々としてなど日本の漢字がそのまま使えるのかどうか、分からないのでそのままはめてしまいました。
<感想>
こちらの詩も、平仄を確認しておきましょう。
霜降白庭落葉重(〇●●〇●●◎)
晩秋青天片雲流(●〇〇〇●〇〇)
四十雀嬉嬉移枝(●●●〇〇〇〇)
狗子也終日臥龍(●●●〇●●◎)
七言になりますが、こちらの詩も「仄起式」と考えましょう。その場合、問題となるのが何カ所かありますね。
起句は四字目の平声が仄声に挟まれていますので、これは「四字目の孤平」と言って禁忌です。三字目か五字目のどちらかを平字にしなくてはいけません。「落葉」は換えにくいところですが、「白」の字も残したいですので、「霜白庭前落葉重」でしょう。
「重」は「おもい」ですと仄声、「かさなる」ならば上平声二冬の平声ですので、注意してください。
承句は「二四不同」の原則で、四字目を仄声にしなくてはいけませんので、「晩秋天霽」としますが、「流」の字は韻目が異なりますので、押韻字としては使えません。「上平声二冬韻」で探すなら「片雲従」でしょうか。
転句は押韻しない句ですので、この句末に平声を置いてはいけません。また、二字目を平声、四字目を仄声、六字目を平声にしなくてはいけませんから、大きく変更することになりますね。
あまり場面そのものを変えたくはありませんので、「嬉嬉山雀遷枝囀」(嬉嬉として山雀 枝を遷りて囀り)でしょう。「四十雀」をそのまま使うのは平仄的にも入れにくいですが、扱いとしては前作の「椿」と同じです。
結句も「四字目の孤平」ですので直しますが、「終日」は無くせない言葉でしょうから、「終日狗児如臥龍」(終日 狗児は臥龍の如し)。「如」の比喩を避けるなら、「爲」「成」などで。
どちらの詩も、伝えたい内容が明確で、それを表す措辞も整っていらっしゃるので、とても始めたばかりとは思えませんね。詩吟などのご経歴がおありなのでしょうか。
良い詩をお作りになる素地をお持ちだと思います。お手伝いはしますので、是非、次回作もご投稿をお待ちしています。
2012.12.22 by 桐山人
いろいろな助言を読み直しても、まだ平仄だの仄起式だの等々さっぱり分かりません。マラソンの最下位ランナーですがどうにかしてついて行きたいのでよろしくお願いします。
詩吟などの経歴はありませんがこれまで短歌と主に俳句は作っていました。
それがひょんなことから、数ヶ月前、友人から漢詩を作って書にしてくれと頼まれ、2作をつくって俄然、漢詩に興味が湧き、続けざまに10首以上作りました。
それ以前は数年前に2首作っただけです。そのときはこれからも漢詩を作ろうとは思っていませんでした。
そして、現在は様々な規則に身動きできないありさまです。
小春日(推敲作)
霜白庭前落葉重 霜白の庭前 落葉重なる
晩秋天霽片雲従 晩秋の霽天 片雲従ふ
嬉嬉山雀遷枝囀 嬉嬉として山雀 枝を遷りて囀り
終日狗児爲臥龍 終日 狗児は臥龍と為る
2012.12.23 by 哲山
作品番号 2012-260
古城秋
奪目深浅紅葉稠 目を奪ふ深浅 紅葉稠し
回頭勝景白雲流 頭を回せば 勝景 白雲流る
蘚苔石壁斜陽影 蘚苔の石壁 斜陽の影
昔日颯颯一片愁 昔日 颯颯 一片の愁ひ
<解説>
いつもご指導ありがとうございます。
信州懐古園へ吟行した時の作です。
<感想>
結句の「颯颯」が平仄の合わないのと、意味としても句の中でしっくり来ませんね。
ここだけを修正する形でも良いですが、転句と組み合わせて
蘚苔石壁風蕭瑟
昔日斜陽一片愁
という形ではどうでしょうか。
「古城」の情景が出ているのが転句の「蘚苔石壁」だけですので、小諸懐古園の様子がもう少し出ると詩情も深まるように思います。
2012.12.22 by 桐山人
作品番号 2012-261
壬辰至日感懐
寒風大雪好天微 寒風 大雪 好天微か
不意雷鳴頃日非 不意の雷鳴 頃日非なり
外患内憂更互至 外患 内憂 更互に至る
一陽来復覚醒機 一陽来復 覚醒の機
<解説>
今年の師走の世情に、暗澹となる。
<感想>
今年は12月21日が冬至でしたね。今年は天候が荒れ模様で、台風並みの暴風が突然吹いて、「爆弾低気圧」という聞き慣れない言葉も昨年辺りからテレビで流れるようになりました。
今年の天候で行くと、起句の「寒風大雪」はまだ穏やかかもしれませんね。「暴風荒雪」くらいでしょうか。
転句の「更互」は「かわりばんこに」というよりも「次から次へと」というニュアンスで解すると良いでしょう。変化を強調してしまうと、結句の「一陽来復」の言葉が薄れてしまいます。
そういう意味では、「更互」を検討しても良いかもしれませんね。
2012.12.22 by 桐山人
作品番号 2012-262
大鹿村
碧峰残雪谷風吹 碧峰 残雪 谷風吹く
険径携笻歩自遅 険径 笻を携へ 歩自ら遅し
行暮黄昏山吐月 行き暮れて黄昏 山月を吐き
旅愁漠漠聚星垂 旅愁漠漠として 聚星垂る
<感想>
三敲目の作品で、二敲目は以下のようでした。
碧峰残雪谷風吹 碧峰 残雪 谷風吹く
険径携笻歩自遅 険径 笻を携へ 歩自ら遅し
行暮黄昏山吐月 行き暮れて黄昏 山月を吐き
旅愁閑坐聚星垂 旅愁閑かに坐し 聚星垂る
作品番号 2012-263
秋郊
晴空一碧雁聲単 晴空一碧 雁声単なり
樹樹蕭蕭落日殘 樹樹蕭蕭として 落日殘る
細径荒林山果熟 細径 荒林に 山果熟す
西風白露客衣寒 西風 白露 客衣寒し
<感想>
特に大きな問題は無いのですが、欲張って言えば、
転句の「細径荒林」がややくどく感じるのは、承句にも「樹」が出ているからでしょうね。
「細径」か「荒林」のどちらかを削る方向が良いでしょう。私ならば、「獨歩空林山果熟」とするかな?
2012.12.28 by 桐山人
作品番号 2012-264
初夏即事
庭樹新陰雨霽時
橘花清雅兩三枝
光風瀝瀝南窓下
几上堆書裁一詩
<感想>
初出は次のようでした。
庭樹新陰雨霽時 庭樹 新陰 雨霽るるの時承句は「馥郁」と「両三枝」では数量が合わないこと。
橘花馥郁兩三枝 橘花 馥郁 両三の枝
光風白鷺南窓下 光風 白鷺 南窓の下
几上堆書綴拙詩 几上 書を堆ねて 拙詩を綴る
作品番号 2012-265
建仁寺
建仁院落獨憑欄 建仁院落 独り欄に憑る
幽鬱枝条葉半丹 幽鬱たる枝条 葉は半ばは丹
僧侶経聲秋風動 僧侶の経声 秋風動き
雲龍雙壮破憂端 雲龍双壮 憂端を破る
<感想>
起句は「建仁寺」の名前を入れましたが、「建仁」だけですと、おさまりがあまり良くないですね。
山号を用いて「東山院落」「建仁寺塔」など、「建仁院落」ならば題名を「秋色建仁寺」としておくと良いでしょう。
転句は「読経の声」と「秋風動」のつながりがピンと来ません。平仄も合わせて、「秋韻湛(たたフ)」「秋韻更(さらニス)」とするところでしょう。
2012.12.28 by 桐山人
作品番号 2012-266
郷里看桃
小村新緑好風吹 小村 新緑 好風吹き
鶯韻桃花裊裊垂 鶯聴 桃間 裊裊として垂る
此季景観真過分 此の季 景観 真に分を過ぐ
離郷一世舊懷思 離郷し一世 旧懐の思ひ
<感想>
情景も心情もよく表れている詩ですね。
結句は「旧懐思」ですと、「思」が名詞用法ですので仄声になるのと、「懐」と「思」が同じ意味ですので、働いていません。
「旧懐時」とすれば良いですが、「想帰期」でどうかとアドバイスしました。
2012.12.28 by 桐山人
作品番号 2012-267
初夏田園
夏初新樹嘯清風 夏初 新樹 清風を嘯く
漠漠田園麦浪中 漠漠たる田園 麦浪の中
今歳平安豊作願 今歳 平安 豊作の願ひ
鐘声遺響伴村童 鐘声 遺響 村童を伴ふ
<感想>
以下は作品提出に添えた私の感想です。
起句の「嘯清風」は表現として面白いですが、「弄清風」の方が分かりやすいでしょう。
「一村東」はありきたりの感がありますね。
承句は「麦浪」が起句の「清風」と照応しているでしょう。
転句、結句は良いです。「伴」がもう少し他の言葉も考えられるでしょうが、ひとまず無理のない形にはなっているでしょう。
作品番号 2012-268
自適
池邉亭子紫藤垂 池邉の亭子 紫藤垂れ
蛙黽一鳴驟雨吹 蛙黽一鳴 驟雨吹く
老馬業閑娯陽夏 老馬 業は閑にして 陽夏を娯しみ
赤貧何厭獨敲詩 赤貧何ぞ厭はん 独り詩を敲く
<感想>
以下は作品提出に添えた私の感想です。
こうした題名の詩では、のんびりとした時間の流れる感じを出すと効果的です。
承句は以前の「楊柳枝」を「驟雨吹」に直されたのですが、この詩では動きの速い「驟雨」の必要性はあまり感じません。雨に対して「吹」も気になりますし、「驟」は仄声として使うのが一般的ですので、四字目の孤平も問題になります。
「糸雨時」「新雨遅」というところでしょうか。
転句の「老馬」の比喩はよく使われますが、承句の同じ位置に「蛙黽」がありますので、同じ叙景のようなイメージが出ます。できれば、別の比喩にするか、「老馬」を使うにしても別の位置に置いた方が良いでしょう。
結句の「赤貧何厭」は転句の「業閑」「娯陽夏」と重複していて、あまり働きがありません。
特に「娯」と「厭」とどちらも作者の心が表れた言葉ですので、くどく感じます。
作品番号 2012-269
夏日海村
汀沙獨歩嗅潮香
浩蕩濤聲已夕陽
海岸煙火似垂柳
松風洗暑世塵忘
<感想>
以下が作品提出時に添えた私の感想です。
起句は「嗅」があまり詩的ではありません。通常でいけば、「識潮香」「覚潮香」というところですが、ちょっと面白くないので、何か良い言葉を考えてみてください。
転句の平仄が合いません。具体的には四字目の「火」が仄声で「二四不同」が崩れているのと、「海岸」も起句の「汀」と重なりますので、「煙火高天恰垂柳」など入れ替えてみましょう。
結句は「洗暑」は表現がそのまんまという感じですので、「松風清冷世塵忘」としてはどうですか。
作品番号 2012-270
晩秋即事
渓行両岸好峰巒 渓行 両岸 好峰巒
晩艶千枝落日寒 晩艶 千枝 落日寒し
古寺帰鴉人已遠 古寺 帰鴉 人已に遠く
西風在樹葉聲乾 西風 樹に在りて 葉声乾く
<感想>
起句は「両岸」あるいは下三字がもう少し工夫できそうな気がしますので、検討してみてください。
転句はイメージは分かりますが、「渓」はそもそも谷間を流れる川ですので山の中、そこに「古寺」は妙な気がしますね。空とか雲とか、何か別のものを持ってきてはどうかとアドバイスしました。
2012.12.28 by 桐山人