作品番号 2012-181
初夏神社廳豊後旅行
暁朝恰好仰流星 暁朝
先禱~前行旅寧 先ず神前に祷る 行旅の
嚢中収巻望天昊 嚢中 巻を収めて
已見ク村秧稲 已に見る郷村
<解説>
平成24年(2012)5月23日から一泊二日で愛媛県神社庁松山支部研修旅行が実施され、大分県を視察しました。
今回は豊後吟行の第一弾として「発軔」を投稿します。今後一連の漢詩を続偏してまいりますので、よろしくお願いします
「発軔」 車で出発すること
「天昊」: 大空、夏の空。昊天(こうてん)
「秧稲」: 行く先々では田植えが終わり、青々とした水田が広がっていた
<感想>
愛媛と大分は地図で見ると近いのですね。私は随分昔、まだ学生だった頃に大分から松山にフェリーで向かいましたが、夜中に発して朝に着いたような記憶があります。窓から何も見えない夜の船で、船酔いで気持ち悪くなり横になっていたことを覚えています。
お仲間と一緒に朝方出発ということで、金太郎さんの旅は明るく楽しいものになりそうですね。
詩は、転句の「望」と結句の「見」に重複感がありますね。「已」は振り返ってみると、という意味合いで時間経過を表しているのでしょうが、これも承句の「先」と重なるような気がします。
結句の「已見」の二字を検討されてはいかがでしょうか。
2012. 9. 5 by 桐山人
作品番号 2012-182
初夏神社廳豊後旅行二 佐田岬港即詠
待機船艇霧煙晴 待機船艇 霧煙晴れ
來集同行二十盟 来集の同行 二十の盟
已先燈臺岬端R 已に先んず 灯台
鎮西欲究幾古榮 鎮西究めんと欲す 幾古栄
<解説>
平成24年5月23日(水)、一台の貸し切りバスは松山を発して、南予伊方町(旧三崎町)にある三崎(佐田岬)港につきました。ここは四国最西端の町、そして九州に突き出した細長い佐田岬半島で有名です。
国道九四フェリーが豊予海峡を横断しています。三崎(佐田岬)港から佐賀関まで九四間の最短航路(31km)を、わずか70分で結びます。愛媛から大分方面はもっぱらこのルートが便利で使われます。
いよいよ大分に向けて出航です。豊後の歴史や風土そして関鯖・関アジなどグルメも満喫したいです。
「佐田岬」(Wikipediaより)
<感想>
転句の「先」は両韻で、ここでは動詞用法で仄声になりますね。
結句の「幾古栄」はこのままですと「多くの昔の栄えた跡」という意味でしょうか。
平仄の関係で言えば、「枯栄」として、「栄枯盛衰」つまり「歴史」を究めたいという句意だと思います。
2012. 9. 5 by 桐山人
作品番号 2012-183
悼詩朋井古綆雅兄一周忌
暗風凜烈破窓帷 暗風 凜烈 破窓の帷
灯下懷君夜漏遅 灯下 君を懐へば 夜漏遅し
朝夕繙書何万巻 朝夕 書を繙く何万の巻
春秋摘句幾千詩 春秋 句を摘む幾千の詩
評談温順人情閲 評談は温順にして 人情を閲し
詠藻清高物意奇 詠藻は清高にして 物意奇なり
相去年余隔天地 相去りて年余 天地を隔つも
燦然網上玉瓊詞 燦然たり 網上 玉瓊の詞
<解説>
禿羊さんから先日、井古綆さんを悼む詩をいただきました。
(「悼井古綆先生(2012-179)」)
遅ればせながら、私も井古綆さんのお気持ちを追いかけて、一詩を捧げさせていただきます。
2012. 9. 5 by 桐山人
作品番号 2012-184
偶感
眼見老愁愁不竣 眼ハ見ル 老愁 愁フルモ
無為老耄脅余身 為ス無ク 老耄 余ガ身ヲ脅カス
即令目眚太悲惻 即チ目ヲシテ
又使心萎深鬱湮 又 心ヲシテ萎エシムハ 深ク鬱湮タリ
<感想>
結句の「鬱湮」は「
転句と結句でひとまとまりで読み、「目もかすみ、心も萎えて、「悲惻」「鬱湮」の状態だ」という構成でしょう。
題名を「偶感」だけでなく、「鏡中偶感」とすると起句からの導入が滑らかになると思いますがいかがでしょう。
2012. 9. 5 by 桐山人
作品番号 2012-185
七月江村雨景
瀝瀝淋淋曾水雨 瀝瀝淋淋 曾水ノ雨
溟溟漠漠荻蘆洲 溟溟漠漠 荻蘆ノ洲
一堤繁柳軽紗帳 一堤ノ繁柳 軽紗ノ帳
半浦叢竹濃翆幬 半浦ノ叢竹 濃翆ノ幬
沙鷺声融川霧蜜 沙鷺ノ声ハ融ク 川霧ノ蜜ナルニ
荷花色染野烟幽 荷花ノ色ハ染ム 野煙ノ幽ナルニ
村沈蒸気暁鐘裡 村ハ沈ム 蒸気 暁鐘の裡
度口無人繋釣舟 度口 人無ク 釣舟ヲ繋グ
<感想>
「江村風景」の詩題は真瑞庵さんの十八番。
以前お会いした時には、「いつも同じような内容だ」と奥様に言われる、と仰っていましたが、身近な風物を丁寧に描き続ける、ということは素晴らしいことで、絵画でも同じような趣があります。
モネの一連のスイレンの絵は、自身の庭にある池のスイレンを200作近くも描き続けたものですが、「どの絵も同じ風景だ」という批評を聞くことはありません。一作一作に画家の目が生きているわけで、鑑賞する私達も微妙な光の変化や構図の違いを感じ取って、絵画の奥深さを味わうわけです。
この詩を読んでも、真瑞庵さんの円熟味が増していることを感じますね。
前半三聯を対句に仕立て、木曽川のほとりの風景を印象的に描いていると思います。
尾聯の「暁鐘」は、それまでの景や「繋釣舟」から見ると「晩鐘」かと思いました。
2012. 9. 5 by 桐山人
作品番号 2012-186
於漢城會面C溪先生書懷
碧水東西漾漾旋 碧水東西 漾漾として旋り
危樓千尺屹中天 危樓千尺 中天に屹す
四正門上白雲遠 四正門上 白雲遠く
勤政殿前清砌連 勤政殿前 清砌連なる
三伏鶏湯除暑氣 三伏 鶏湯 暑気を除き
一宵驟雨滌詩筵 一宵 驟雨 詩筵を滌ふ
舊朋得会嘉同好 舊朋 会するを得て 同好を嘉す
幽趣高談風雅縁 幽趣 高談 風雅の縁
「危樓」: 高い建物、高層ビル
「四正門」: 景福宮の正面、光化門の古名
「鶏湯」: 韓国の人が三伏の時期に暑気払いに食べるサムゲタン(参鶏湯)
<解説>
8月上旬に韓国のソウルに旅行に行きました。
韓国に行くのは二度目、前回は釜山など南の方を中心に巡りましたので、今回は北でソウルに是非行きたいと思っていました。
ソウルに行く目的は二つ、世界漢詩同好會の韓国幹事でいらっしゃるC溪さんと面会する機会を得たいということと、数年前にソウル大学に留学した某生(舜隱)さんにお会いしたいということでした。
C溪さんとは、昨年秋以来休憩中の世界漢詩同好會につきまして、今後のことをどうするか(私としては是非継続したいという希望ですが)、を相談したいと思っていたのですが、実はC溪さんは日本語はお話にならないし、私は韓国語は話せないし、筆談で話すには微妙な部分が伝わらないとどうしようか、と迷ってはいました。
某生さんは高校時代から漢詩を送ってきていただき、お若いながら、もう十年近くのお付き合いです。外語大学に入学された後、ソウル大学の大学院に留学されたのですが、ちょっと連絡が遠くなっていましたので、時間が取れれば会いたいと願っていました。
日本にいらっしゃる時にお会いしたわけではなく、初対面ということになるのですが、私のメールに快くお返事くださり、是非会いましょうと言っていただけました。
となると、これは一肌脱いでいただこうかと図々しくなり、C溪さんとの面会に通訳がてら同席できないかとお願いしたところ、これも快諾、結局当日の面会までのC溪さんとの連絡は全て彼が取りまとめてくださいました。
私よりも三十歳以上若い某生さんを「漢詩仲間」と呼んでは申し訳ないかもしれませんが、本当に好青年、良き朋に感謝しています。
C溪さんは息子さんと一緒に来られました。私よりも年齢的には上ですがしっかりとしたお話ぶりで、穏やかなお人柄と古典文学への深い造詣がうかがわれました。
こちらも、年長者に失礼ながら「詩朋」と呼ばせていただき、漢詩を縁とした人のつながりを嬉しく思いました。
世界漢詩同好會の継続については、C溪さんも望んでいらっしゃることで、今後も可能な限り続けていくことを確認し、有意義な時を過ごすことができました。
某生さんにも、私のまわりくどい日本語を的確に伝えてくださり、話がスムーズに進みました。C溪さんも、某生さんの韓国語や翻訳の力を絶賛しておられました。
この詩は、帰国してから、ソウルの思い出をまとめて、C溪さんに送ったものです。
ソウルの中心を東西に流れる漢江、そして首都にそびえる超高層ビルの林。
世界遺産の景福宮で、政治を行ったとされる勤政殿、その前には復元のなった光化門(四正門)、某生さんが夕食のメニューとして推薦してくださったサムゲタンの味、色々な思い出は詩では表しきれない程です。
C溪さんからは次韻の詩をいただきましたので、次に紹介します。
2012. 9. 5 by 桐山人
作品番号 2012-187
次桐山堂書懷韻
節序循環地亦旋 節序 循環し 地も亦旋る
參商各據一方天 參商各々據る 一方の天
伯牙鼓瑟歎鍾子 伯牙 鼓瑟 鍾子を歎き
靈運成章夢惠連 靈運 成章 惠連を夢む
世界佳詩蒐電網 世界佳詩 電網に蒐め
兩邦吟客會茶筵 兩邦吟客 茶筵に會す
續行舊契斯時約 舊契を續行す 斯の時の約
雅集同文是宿縁 雅集 同文 是れ宿縁
2012. 8. 5 by C溪
作品番号 2012-188
臨津江
白鷺高天自在揚 白鷺 高天 自在に揚り
臨津江上徧秋光 臨津江上 徧く秋光
水分山野豈分國 水は山野を分かつも 豈に国を分かたん
今古滔滔湛望郷 今古 滔滔 望郷を湛たふ
<解説>
「臨津江」はイムジン河、北朝鮮から38度線に沿い、漢江と合流する大きな川です。
私の世代では、学生の頃に聞いたフォーク・クルセイダーズの歌が鮮明に記憶に残っていますね。
今回の旅ではオプショナルで「板門店」見学コースがあり、申し込みをしました。日本人対象のコースには30人ほどの参加者がいました。
軍事境界線と呼ばれる場所では兵士が銃を持って立ち、緊張感を出していました。
板門店では解説のビデオ上映がありましたが、日本語での解説ながら、内容は「北朝鮮の人々はどんなに貧しく辛い生活を送っているか」「悪の元凶は金一族だ」ということが繰り返され、もう少し歴史的な説明があるかと思った私は肩すかしに会いました。ツアーで来た日本人にまで、こんなに煽るようなビデオを見せてくれなくてもよいのに、と心中で思った次第です。
そのビデオはともかくとして、朝鮮半島が政治的に南北に分断され、一つの民族が離ればなれになっているという事実は、観光コースとしての見学ではありましたが、平和な生活にどっぷりと浸った日本の日常とは全く異なる世界を見る思いでした。
転句はまさにイムジン河を見ながらの私の感懐です。
余談ながら、フォークソングの「イムジン河」の原詩は、もともとは、花咲く北朝鮮から荒れ果てた南の地を思うという内容だったそうです。現今の両国の状況を見ていると、いっそうメロディのもの悲しさが感じられる気がしますね。
2012. 9. 5 by 桐山人
作品番号 2012-189
平泉懐古
竟定中原走狗危 竟に中原を定めて走狗危し
衣川波穏九郎悲 衣川波穏やかに九郎悲し
豆萁相煎同根苦 豆萁相煎って同根苦しむ
不似平門棣萼慈 似かず平門の棣萼の慈
<感想>
義経と頼朝の兄弟の争いを、魏の曹丕(文帝)と曹植の兄弟になぞらえ、有名な「七歩詩」を用いたのが転句ですね。
七歩詩 曹植(魏)この話は『世説新語』に載っていて、詩は偽作かとも言われますが、兄弟の争いを嘆いた詩としてよく知られています。
文帝嘗令東阿王七歩中作詩。
不成者行大法。
應聲便爲詩。
曰、
煮豆持作羹 豆を煮て持つて羹と作し
漉豉以爲汁 豉を漉して以て汁と為す
萁在釜下然 萁は釜下に在りて然え
豆在釜中泣 豆は釜中に在りて泣く
本自同根生 本 同根より生ずるに
相煎何太急 相煎ること何ぞ太だ急なると
帝深有慚色。
『世説新語』文学篇
作品番号 2012-190
船發豫州佐田岬向佐賀關 船 予州佐田岬発して佐賀関に向ふ
船旗片片逐風翻 船旗は片片 風を逐ふて翻り
浪穏雲流慰客魂 浪穏やかに雲流れて客魂を慰む
險灘想起東征跡
已傃豊州速水門 已に
<解説>
初夏神社廳豊後旅行B
「神武東征神話と速水門」:
「速吸門」とも書き、日本書紀では豊予海峡とされる。
「三十六灘」といわれるくらい、関門海峡と並び大変に早瀬が多い難所で、往古神武天皇が大和東征の途中、
ここ速水門で「亀の背に乗りて釣りをしつつ、羽ばたいて来る人」に遭う。羽ばたく亀とはさしずめ帆舟であろうか。
この国つ神が珍彦 こと椎根津 彦 で、大和まで水先案内をして、その功により倭国造になる人である。
<感想>
起句は船旅を象徴した良い句で、特に下三字が光りますね。
一般的に「風」と「浪」は関係が深いので、承句の「風穏」は直前の「風」からの流れで読むと「あれ?」という感じがします。「浪」以外のものを出してはどうでしょう。
転句は反法ですので拗体となっているわけです。「険灘」を「三十六灘」として作っていけば粘法を守ることもできたでしょうが、どうも結句の韻字の「速水門」が先に決まっていた感じですね。
「想起東征跡」は、注を読まないと「険灘」とのつながりが私には分かりませんでした。地元の方には良く知られたことなのか、神社庁の旅行を意識すれば出てくることなのか、勉強不足ですみません。
ここのところのサラリーマン金太郎さんの作品は拗体が続いていますが、何かお考えがあるのでしょうか。拗体は認められていることですので問題は無いのですが、私は個人的には、やはり「例外ルール」という感覚がありますので、例外が続くと気になりますので。
2012. 9.17 by 桐山人
『漢詩作法 初級より中級へ』(伊藤竹外著)の56pに、こう書かれています。
「呂山著『誰にでもできる漢詩の作り方』14頁に七言絶句の平起式の起承に仄起式の転結を続け、仄起式の起承に平起式の転結を続けるのを拗体といって許されると次の例を挙げている。また、直接の漢詩の宗師でもある伊藤先生は定例の授業でも、こうご指導をなさいます。
頼山陽の『舟発大垣赴桑名』(省略)
その他『送元二使安西』王維作他、例は山の如くある。」
「世の中には(拗体)をあまり使うべきではないといわれる指導者もいるが、私は、その著書(上記記述)にも書いた通り、先賢の用例も数多あり、大いに使ってよろしいという考え方だ。特に初学レベルの方には、あれもいかんこれもいかんでは創作にに不便をきたす。認められた(拗体)はどんどんお使いなさい。(大意)」というものです。
ですから、伊藤先生が会長を務める本県や四国地方(四国漢詩連盟)では、桐山人先生をはじめとする他県の方々のように違和感はありません。地域性と指導者の見解の浸透でしょうか。
今回たまたま(拗体)詩が続きていますが、他意はありません。しかし、伊藤門下内ではご指摘のような「例外ルール」という観念はそもそもありません。あくまで「標準ルールに属する一技法」と受け止めております。
意図的に(拗体)を狙うわけではありませんが、全体の脈絡や結句の下三字にどうしても固執したい文字がある場合は、結果として(拗体)の作品にもなるわけです。
もちろん、桐山堂サイトに投稿させていただいている私としては、主宰のご指摘も謙虚に拝見いたしました。そのようなことで意のあるところをお汲み取り下されば幸いです。
ご感想をありがとうございました。
2012. 9.25 by サラリーマン金太郎さん
作品番号 2012-191
屏鷹
樹上屏鷹爪吻豪 樹上の屏鷹 爪吻豪にして
叢陰隹兎タ然騒 叢陰の隹兎はタ然として騒たり
不知四鼓聞枝震 知らず 四鼓 枝の震ふを聞くを
暁色夢中見血毛 暁色 夢中 血毛を見る
<感想>
題名の「屏鷹」は屏風に描かれた鷹ですね。
起句と承句で全体の構図が示されて、迫力ある鷹の姿と鳥(「隹」)や兎の怯える(「タ然」)姿が示されています。
絵画とは言え、鮮烈な印象が残ったのでしょうね。転句からは作者の心中を表し、展開がすっきりとしていると思います。
「四鼓」は四更のことですので、午前二時頃です。草木も眠る丑三つ時、何かが起きそうな時刻ですね。
ここでは、どうやら鷹が飛び立ったようです。「聞」はここでは耳で聞いたというより、「音」「声」という意味合いですね。
結句は、実際の生々しい惨劇の場面を描くのではなく、その結果を示すことで、より鮮明にイメージさせるという手法です。
鷹が夢の中にも出てきたという程、強烈な印象だったのでしょう。目覚めた時に冷や汗をかいていたのではと想像できます。
絵画は、実物を見るのとは違って、描いた人のイメージがより強く出され、見る人の心も共鳴を強くします。
そうした趣が十分にうかがえる詩だと思います。
これで完成形でも良いと思いますが、例えば、転句の「不知」などは推敲していくと変化が出て、まだまだ色々と楽しめるかな、という気がします。
2012. 9.18 by 桐山人
作品番号 2012-192
観昆布漁
朝光映海日高天 朝光 海に映ず日高の天
勇壮出漁昆布船 勇壮 出漁 昆布船
褐藻晒干浜一面 褐藻 晒干 浜一面
南風喜気卜豊年 南風 喜気 豊年を卜す
<解説>
日高海岸の昆布漁を観て。
日の出を合図に一斉に出漁
白浜一杯に展げられた天日干し
自然の恵みに喜びを感じる。
<感想>
スケールが大きく、昆布漁の活気がよく表れている詩ですね。
起句の「日高」は地名ですが、その前の「朝光映海」と言葉が近いのを、効果的と見るかどうか、評価の分かれるところかと思います。
私は面白いと同時に、やや付き過ぎるような気もします。「日高」を「襟裳」とできれば良いのですが、下三平になりますので駄目ですね。踏み落としで逃げるか、他の地名を検討するか、そこまでしないで「効果的だ」と頑張るか、そのあたりの判断になりますね。
2012. 9.19 by 桐山人
作品番号 2012-193
又八月十五日(尋旧鹿屋航空基地跡)
戦雲告急百僚従 戦雲 急を告げ 百僚従ふ
昔日分杯出撃蹤 昔日 分杯 出撃の蹤
譬斃難忘思往事 譬へ斃れしも 忘れ難き 往事を思ふ
七生報国涙盈胸 七生報国 涙は胸に盈つ
<解説>
四月下旬、84齢生誕の日、67年振りに旧鹿屋海軍航空基地特別攻撃隊の別れの盃の跡を尋ね、戦友の霊を慰めるを得た。
「百僚従」: 沢山の仲間が従軍した。
「分杯」: 特攻隊が出撃の際に交わした杯。
「七生報国」: 七度生まれ変わって國の為に尽くす。
15歳5カ月で入隊して丸2年。敗戦(巷では終戦というが)後から67年、倒れ死しても忘れ難き、七生報国 涙は胸に盈つの嘆傷賦なり。
桐山堂先生
ご無沙汰していました。
炎暑未だ収まらず、老体には厳しい日々ですが、今日から長月、今少しの辛抱西風がまたれます。
四月下旬から五月、郷里の岩国防長と筑紫を愛車を駆って12日間で1巡しました。
帰路神戸から600キロを7時間余で一気に走破、帰京しました。
<感想>
戦友を訪ねての旅を四月に済ませたとのことですので、今年の八月十五日は以前とはまた異なった感懐がおありだったことでしょうね。
起句と承句は説明としては多少の飛躍がありますが、勢いで読んでしまうのは、作者の気持ちがいっぱい詰まっているからだと思います。
転句は難解で、「斃」れたのは戦友の方々かと思いますが、「難忘」「思往事」の主語は作者ですので、「たとえ戦友は斃れたとしても、私は忘れられない」となり、つながりが妙な気がします。
「譬」の一字がニュアンスが違うと思いますので、この一字だけ推敲されてはいかがでしょう。
2012. 9.20 by 桐山人
桐山堂先生、「又八月十五日」にご感想を頂き、有難うございました。
又八月十五日
戦雲告急百僚従 戦雲急を告げ百僚従ふ
昔日分杯出撃蹤 昔日分杯せし出撃の蹤
雖老難忘思往事 老いたりと雖も忘れ難し 往事を思ふ
七生報国涙盈胸 七生報国 涙は胸に盈つ
仰せの転句の上2字「譬斃」を「雖老」と推敲しました。
作品番号 2012-194
夏日閑居
餘生自適僻幽境 餘生 自適す 僻幽の境
酔裏微吟一草堂 酔裏 微吟す 一草堂
野径青田無月夜 野径 青田 無月の夜
飛螢閣閣楽時康 飛蛍 閣閣 時康を楽しむ
<感想>
閑居の穏やかな心境が後半の叙景で象徴的に描かれていますね。
前半は閑居の穏やかな心境が出されていますが、閑居の舞台設定としては取り立てて特徴的なものが出ているわけではありません。そういう点では可もなく不可もなく、という印象を受けるかもしれません。
しかし、現代の私達の感覚から言えば、先人のたどった閑居の生活を実現できたという喜びという側面はあるわけで、そういう観点から言えば、閑居生活の典型を提示したということでしょう。
転句からは具体的な情景描写に入りますので、一層、そういう感は強いですね。
結句の「閣閣」は一般に蛙の鳴き声に使われる言葉ですので、「飛螢」と並べて「ホタルとカエル」と考えればよいでしょうか。ただ、「閣閣」はあくまでも鳴き声を表す言葉ですので、並列に置くのは疑問です。
螢の形容とするならば、光を表す言葉も飛び方を表す言葉も沢山ありますので、別の語で探した方が良いでしょう。
2012. 9.20 by 桐山人
作品番号 2012-195
深山徘徊
老杉返照忘塵鞅 老杉 返照 塵鞅を忘る
絶境幽渓渡石梁 絶境 幽渓 石梁を渡る
満目荒涼人跡少 満目 荒涼 人跡少なり
深山遼繞独茫茫 深山遼繞 独り茫茫
<感想>
深山の幽寂の感を、工夫された素材を配して表そうという意図は感じられますが、素材を沢山出した分、組み合わせが難しくなりますね。
起句の「老杉」や「返照」は効果的ですが、この二つがどうして「忘塵鞅」という思いを呼び出すのか、つながりが弱いですね。
また、転句の「満目荒涼」は「見渡す限り一面、何もない」ということですが、「深山」の「幽渓」に立って何も見えないというのは気になります。どこか見晴らしの良い所に行ったということならば、多少説明が欲しいところですね。
結句は、山を歩き回って、山の気に包まれて心がぼうっとした感じでしょうかね。
2012. 9.20 by 桐山人
作品番号 2012-196
八点鐘
絶海蒼茫過 絶海 蒼茫として過ぐ
雲低遠嘯悲 雲低く 遠嘯悲し
暗中鐘八点 暗中 鐘八点
余韻入虚思 余韻 虚に入って思ひ沈む
<解説>
先生お世話になります。
九月に入って少し涼しくなりました
実は、この承句の「雲低遠嘯悲」は「海嘯悲」と詠みたかったのですが、起句承句に海が重なるものですから、これに代わる語をずっと考え続けていました。
一か月余、結局何も得る所なく「遠」に置き換えました。
何かいい方法をご教示下さいますよう、お願い致します。
「八点鐘」: 大洋航行中の船は、船橋で鐘を打って時刻を知らせる。
正午に始まって16時20時24時4時8時に、2点ずつ4連打、●●・●●・●●・●●と鳴らす。これを八点鐘と云う。
その間は30分経過毎に●一つから始まって4時間後に八点となる。
出港してから入港するまでこれの繰り返しである。
余談ながら船の一日は正午に始まる。太陽が子午線に南中して一番精度の高い船位が得られるから(以下略)
<感想>
2012年の投稿詩170作の「舟向桑港航大圏」でお知らせのあった、サンフランシスコへの船旅のシリーズですね。
ご質問の「遠嘯」でも、悪くは無いですが、仰る通りで「海嘯」の可能性を知ってしまうと物足りなさが出てきますね。
起句で十分な広がり感が出ていますので、「遠」がまた距離感を出して、ぼやけるのかもしれません。
「海」の同字重複は、特に五言では気になりますので、どちらかの「海」を変えなくてはいけませんね。
そうですね、私が「遠嘯」を換えるならば、「海」と近い言葉で「濤嘯」とするところでしょうか。
結句は「入虚思」は句が途切れている形で、何を思うのか、余韻と言うよりも物足りなさが残ります。
承句に用いた「悲」を最後に持ってきた方が、句の力は強くなると思います。承句には他の韻字、例えば「衰」「嗤」「奇」など、選択肢は広いように思います。
2012. 9.26 by 桐山人
作品番号 2012-197
進路依然
尽日無飛鳥 尽日 鳥の飛ぶこと無く
風号不足眠 風号(ほ)えて眠り足りず
及時鐘八点 時に及んで鐘八点
針路尚依然 針路 尚依然たり
<解説>
海は荒れて一日中鳥も見えない
風は吠え叫ぶ 浅い眠りのうちに当直の知らせだ
12時八点鐘を聞いて、さあこれから自分の責任になる
引き継いだ針路は依然として元のままだ
<感想>
海が荒れたということを起句の「尽日無飛鳥」で表したわけですが、やや説明不足の感は否めません。私は「どこまでも続く大海原で、人や船は無論、鳥さえも見えない」という意味かと思いました。
次の「風号」で何とかつながるかもしれませんが、もっとストレートに表現した方が良いと思います。
同じように、八点鐘を聞いて「さあ、やるぞ」という気持ちを「及時」で表したのでしょうが、これも「さあ、何か起きるのか」と思うと結句は「尚依然」と来て「何も変わらない」ということになります。
当事者の思いとしては分からないでもないですが、読者にはその思いの断片しか示されない感じで、五言では今回の内容にはそぐわないのかもしれませんね。
2012. 9.26
by 桐山人
作品番号 2012-198
九鳥宰相
日本之南黄海辺、有島嶼、称友愛國。
彼國宰相、重友愛、唱善隣友好。
唯不識時務、竟亡國、成世嗤所。
九鳥宰相如何人 九鳥の宰相 如何の人
家極富溢多簪紳 家は富溢を極め 簪紳多し
社鼠城狐好銅臭 社鼠城狐 銅臭を好み
則為党魁無安民 則は党魁と為りて 民を安んずる無し
性来癲狂逸常軌 性来の癲狂 常軌逸し
奇行醜態沽人顰 奇行醜態 人の顰を沽ふ
口血未乾違約早 口血未だ乾かず 約を違ふこと早く
言行軽薄常無真 言行は軽薄にして 常に真無し
施策荒唐損国益 施策荒唐 国益を損ひ
邦家不幸誰成因 邦家の不幸は 誰か因を成す
世嗤疎愚面皮厚 世は疎愚を嗤って 面皮厚く
遺臭萬世民怒瞋 萬世に臭を遺して 民は怒瞋す
<解説>
平韻一韻到底格には平仄があります。
先師呂山翁は、落句を八割程度 四仄五平(四字目を仄五字目を平)にして、意識的に近体の聲律を破るように解説しています。
高青邱の詩から帰納して、出句を仄三連落句を三平連するのがより良いと思っています。
【参考】
「古詩平仄論」 訳森槐楠図書館に所蔵
「古詩印譜」 中之島図書館に所蔵 閲覧のみ可能
本編の内容では一韻到底格より改韻格のほうが適当かとおもいます。
<感想>
題名の「九鳥」は漢字を分解したものですので、合体させれば誰を指しているのかはすぐにおわかりでしょう。
「面皮厚」というのは全く同感です。同じような人で、宰相の地位を放り投げておいて、「自分の時はこうだった」と自信満々に最近テレビで話している方も、同じ穴のなんとやら、という印象ですね。
生臭く、国や国民のことなど眼中にない政界のキングメーカーとやらを目指す方々ばかりで、言葉の軽さ、責任感の軽さを感じてしまう最近です。(と、こう感想を書いていましたら、ニュースでは放り投げた方がまた総裁になったとのこと、だんだんと何でもありの世の中に進みそうで、悲しくなります)
詩題の注は、時勢に配慮して、一部直させていただきました。
2012. 9.26 by 桐山人
作品番号 2012-199
偶感
蛁蛁声告涼秋近 蛁蛁 声ハ告グ 涼秋ノ近キヲ
蟋蟀音催炎夏竣 蟋蟀 音ハ催ガス 炎夏ノ竣ルヲ
物化駿駿晝眠裡 物化 駿駿タリ 晝眠ノ裡
老来自笑繋匏身 老イ来リテ 自ラ笑フ 繋匏ノ身
<感想>
起句の「蛁蛁」は蝉の鳴き声の形容、擬声語です。
承句の「蟋蟀」も、コオロギ(キリギリス)そのものを表す語として使われていますが、「蟋」も「蟀」もコオロギが羽根をすりあわせる音を表す擬声語です。
前半の対句で、虫の鳴き声を重ねて季節の変化を出して、それを転句でもう一度「物化駿駿」としてまとめたのは、自然の変化も昼寝の一眠りのようなもの、と軽くとらえようという意図でしょうか。
結句の「繋匏身」(繋匏はぶらさがった瓢箪、ぶらぶらと何もしないでいる身)を「自笑」するのを重くしないためにも、流れをスムーズにしていると思います。
2012. 9.27 by 桐山人
作品番号 2012-200
湖上暮景
収竿帰去夕陽紅 竿を収めて帰去 夕陽紅なり
一棹仰星幻夢中 一棹星を仰ぐ 幻夢の中
湖上漁歌船任水 湖上漁歌 船水に任す
波声喜悦晩来風 波声喜悦 晩来の風
<感想>
起句はよく情景の分かる句ですね。この句だけですと、作者は釣りを終えて湖畔の道を帰るのか、舟で帰るのか分かりませんが、後半の記述から行くと、舟を動かしていると解釈すべきですね。
「一棹」は「舟を進めて」くらいの意味で良いでしょうが、「仰星」が気になります。暗くなったという時間経過に取るのは無理ですので、「宵の明星」と考えることになります。
その場合、起句で「夕陽紅」と出して、同じ視野の中にまた星を置くのはどういう意図でしょうか。星と夕陽を見たというならば、一つの句の中に置くべきで、起句の夕陽に包まれるような広がりのある景色が一気にしぼんでしまったような印象です。
また、「玄夢中」も何を指しているのか浮いているのですが、無理に解釈すれば、「紅い夕陽と宵の明星の二つの輝きが(美しく)、夢を見ているようだ」ということでしょうか、共感を得るのは難しいですね。
この承句は「四字目の孤平」にもなっていますし、後半の躍動感を生かすにはあまり大きな感動は出さない方が良いでしょうから、転句の下三字(これも上の四字とのつながりが弱いので)を持ってきて、「任水揺揺幻夢中」くらいでどうでしょう。
結句の「波声」という音の形容として「喜悦」はおかしく、もっと他にも表現できる言葉はあると思いますので、これは検討してください。
2012. 9.30 by 桐山人
作品番号 2012-201
懐昔
塵思怨恨涙先流 塵思(じんし)怨恨(えんこん) 涙先に流れる
慨息心労意未休 慨息(がいそく)心労(しんろう) 意未だ休まらず
世態眼前鵑語急 世態(せたい)眼前(がんぜん) 鵑語(けんご)急なり
江湖路述起離憂 江湖 路(みち)述べるが 離憂(りゆう)起こるなり
<感想>
楽聖さんからいただいた題名につきましては、時局を考え、収まりの良い形に変えさせていただきました。
勝手に変更してすみませんが、漢詩を読む場合には、できるだけ誤解を招かないようにした方が良いと思っていますので、ご了解ください。
一つのことに邁進すればするほどに周囲と軋轢を生じるのは、どうしても避けられないのでしょうね。小器用に妥協のできない苦しさが詩からにじみ出てくるようです。
その分、過去の時代への思いが強くなるのでしょうね。
起句承句に対句の感じを出そうとしたのでしょう、ただリズムの面で、二字の熟語を並べる形が転句まで続いているので、単調さを感じますね。
転句の「眼前」を「如茲」(かくのごとし)としてみると、感じが随分変わると思います。
起句の「塵思」は名詞用法の場合には仄声になると思います。「幽思」などではどうでしょうね。
2012. 10.10 by 桐山人
作品番号 2012-202
亡母十三回忌
謚期頤母旬餘星 期頤(きい)の母(はは) 謚(おくり)て 旬餘(しゅんよ)星(せい
七十七翁専詠経 七十七(きじゅう)の翁(おう) 専ら(もっぱら)経(きょう)を詠む
眷属聚来談笑妙 眷属(けんぞく) 聚来(しゅうらい) 談(だん)笑(しょう)妙(たえ)なり
生前教訓約精霊 生前(せいぜん)の教訓(きょうくん)精霊(しょうれい)に約す(やくす)
<解説>
百歳の母を見送って、もう十三年になる。
年忌法要にあたり自分は今、専らお経を上げているが、早や喜寿である。
老若男女、子や孫が集まって談笑一段と賑やかだ。
親族みんなが、母生前の訓えに感謝し精霊にお参りした。
<感想>
岳泰さんのこちらの詩は、以前の投稿詩(2012-156作)「思児孫百歳」を推敲されたものです。
後半を大きく変えたのと、詩題も変更されていますので、改めて掲載をしました。
全体のまとまりがあり、その分、お母様への思い、ご自身の年齢への思い、集まった皆さんの思いなどがすっきりと出てきて、「十三回忌」にふさわしい詩になったと思います。
次回作が楽しみですね。
2012.10.10 by 桐山人
作品番号 2012-203
次韻深溪大兄玉詩又八月十五日
軍命不須誰不從 軍命 誰か従はざるを須ひんや
盡忠報國決心蹤 尽忠 報国 決心の蹤
再尋史料展觀館 再び尋ぬ 史料展観の館
遺筆綿綿使痛胸 遺筆 綿綿 胸を痛ましむ
<解説>
次韻は初めての試みです。甚だ要領を得ませんが、体を為しているでしょうか。
起句:「満酌不須辞」に倣って「不須誰不從」としましたが、意を表しているか如何か、御伺い致します。
承句:「七生報國」は大戦中に余りにも喧伝されたので、岳飛の故事にある「盡忠報国」に替えました。
転句:「史料館」は恐らく「初尋」でしょうが、67年後の旧基地跡再訪の意を込めて「再尋」と致しました。
旧日本海軍の連合艦隊は、総戦力を結集してガダルカナル島方面他の敵艦船に対する「い号作戦」を決行した。
零戦のパイロットだった亡兄(1923〜1943)は、第十一航空艦隊第21航空戦隊(253空)第一制空隊の一員として、第一日目の「X攻撃」(昭和18年4月7日)に参加し、ソロモン群島のフロリダ島沖で戦死した。享年満20歳であった。
大戦末期の「特攻作戦」ではなく、未だ戦勝の夢に浸ることの出来る時代であったのが、せめてもの慰めである。
(同年4月18日、現地視察に赴いた山本五十六司令長官は、ブーゲンビル島上空で米軍戦闘機に撃墜され、戦死した。
尚、同じ日の攻撃に参加した艦爆隊の豊田穣は、洋上で撃墜され、米軍の捕虜となり、帰国後、戦記小説を書いた)
深渓大兄の「憶八月十五日(2011-185)」の解説文には:「数え年十六、十五才五カ月で海軍を志願入隊す。日夜の速成猛訓練で精兵を為す。六十六年前烈日の藤枝海軍航空隊での出来事を憶ひだす」とあります。
(亡兄も、大兄と同じ年頃に海軍飛行兵を志願し、訓練を受けた後、鹿屋航空基地から南海の戦場に出撃)
謹んで、深渓大兄の玉詩「又八月十五日(尋旧鹿屋航空基地跡)」に次韻させて戴いた所以であります。
鹿屋を尋ねられたのは春四月。旧特攻基地跡には櫻の花が咲いていたことでしょう。
死に出でし特攻基地跡桜咲く 兼山
<感想>
深渓さんの「又八月十五日」に次韻をいただきました。
起句の「軍命不須誰不從」についてのご質問ですが、これは読みにくいですね。
「不須」の目的語の中に「誰」という疑問詞が入ることがおかしいですね。どうしても「軍令須ひず 誰か従はざる」と上四字で切って読むことになります。
本来、「軍命」は目的語で「不従」の後に来るもので(「不従軍命」)、それを倒置にして、その中間に「不須」を入れたという構造が苦しさの原因です。
「誰」を用いた反語は表現としては強いもので、「不須」が無くても「いったい誰が(軍命に)従わないことがあろうか」、つまり「必ず誰もが従う」という意味であり、「軍命誰不従」だけでも兼山さんの気持ちは十分に出るでしょう。
「不須」を用いるならば、「不従」に変わる言葉、それこそ「軍命不須辞」という形でしょう。
どちらの語を用いるにしろ、二文字分は追加できそうですので、内容がよりふくらむような言葉を探してはいかがでしょう。
結句の「使痛胸」は使役形で「使」を使うならば「使胸痛」の語順になります。ここは形の決まった構文ですので、入れ替えてあると文意が通じなくなります。
「痛」はそもそも目的語を伴う他動詞ですので、「痛胸」で意味は通じますので、「使」の代わりに何か副詞を入れると良いでしょうね。
2012.10.11 by 桐山人
作品番号 2012-204
寄敬老之日
南山一碧白雲通 南山 一碧 白雲通じ
如蔽田畦石蒜紅 田畦を蔽ふが如く 石蒜紅なり
今日閑人相集祝 今日 閑人 相集ひ祝す
隣朋偕老興無窮 隣朋 偕老 興窮まり無し
<解説>
敬老の日には、傘寿を迎えた小生も、町内会の「敬老の集い」に招待されました。
その折の一首並びに一句です。
還暦も卒壽も紅白曼珠沙華 兼山
<感想>
私の義母が今年米寿、義父が来年卒寿になりますが、二人とも元気で、今年の敬老の日にはダイヤモンド婚ということで市からダブルのお祝いを受けました。
義父は先日、家族で祝った時に珍しく「ちょっと長生きをし過ぎたかな」と笑ってましたが、「し過ぎ」なんてことはなく、いつまでも健康でいてほしいと願っています。
奥様の美しい絵と兼山さんの詩と俳句、楽しみはまさに「無窮」でしょうから、これからもご活躍を期待しています。
2012.10.11 by 桐山人
作品番号 2012-205
秋夜寄敬老日 秋夜敬老の日に寄す
自少家貧短褐寒 少(若)きより家貧しくして短褐寒し
労生晏学月臨欄 労生
孤灯独酌思時歴 孤灯 独り酌んで 時の歴しを思ふ
八十消光何一歓 八十の消光 何ぞ一に歓ならむ
<解説>
我が家は生来の貧乏暮らし 着る物とて継ぎのあたるお下がりばかり
苦しい暮らしの中でやっと本を開く夜 月は皓皓として軒端を照らしていた
今、さみしい灯りの下で静かに杯を傾けながら遠い昔のあれこれを思う時
八十のこの為すことのない日日も何と楽しいものだろうか これに勝るものはなかろう
<感想>
八十年を振り返って様々な思いがおありでしょうが、そうして「遠い昔のあれこれを思う」という日々を迎えたことが喜びだというお気持ち、よく伝わってきますね。
読み下しは少し直させていただきましたので、ご確認ください。
結句の「何一歓」は反語に読まれる可能性が高いので、「何」の字は別の言葉にした方が良いと思います。孤平の心配はありませんので平仄どちらでもよく、「亦」「尚」「正」など、強調するような言葉を入れてはどうでしょう。
2012.10.11 by 桐山人
作品番号 2012-206
憶昔日
魚籠鮮懣父帰号 魚籠(びく)は鮮(さかな)に満ち 父帰りて号す
阿母歡迎揮厨刀 阿母は歓び迎へ 厨刀を揮ふ
家貧蓬戸多喜樂 家貧にして蓬戸たりとも喜樂多し
顧懷昔日憶慈勞 顧みて昔日を懐ひ慈(はは)の労を憶ふ
<解説>
亡くなった母の事を詠んでみました。
亡父は海釣りが好きで、よく魚が一杯に入った魚籠を、重そうに肩に掛けて帰り、「おーい、帰ったぞ」と呼ばわり、母は直ぐ、刺身を作ってくれたものです。
<感想>
平仄の関係では、承句は「母」は仄声、「迎」は平声ですので、「歓迎阿母」と入れ替えましょう。また、「揮」は平声ですので「下三平」になっていますのでひとます「振」としておくところでしょう。他の言葉が浮かんだら直してください。
転句は「家貧」も「蓬戸」も同じ意味ですので「貧乏」であったことを強調することになり、それを逆接で下三字に持っていくのは苦しいですね。句の大意としては「貧乏で楽しみが多い」となり、筋道がずれる感じです。
「喜」は仄声で「二六対」が乱れていますので、「尚多喜(楽)」として一呼吸置くと逆接が生きてきます。
結句は「顧懐」「憶」と同じ意味合いの言葉が三つも入り、句意が希薄な印象です。削るとしたら「顧懐」だと思いますので、そのあたりを検討してはいかがでしょう。
2012.10.11 by 桐山人
作品番号 2012-207
上石鎚山(三) 石鎚山に上る(三)
羊腸山路漲雲烟 羊腸たる山路 雲烟漲り
視界濛濛雨色懸 視界 濛濛 雨色懸かる
頂上未登留拜所 頂上 未登 拜所に留まり
一陽來復待明年 一陽來復 明年を待つ
<解説>
「霊峰石鎚山」を御神体として祀る石鎚神社は、西条市にある口の宮本社、中宮成就社、土小屋遙拝所及び奥宮頂上社の四社より成る。頂上社を祀る彌山(1974)及びその背後に聳える天狗嶽(1982)を含めて、西日本最高峰「霊峰石鎚山」と称している。
平成二十二年七月、初めて石鎚神社の「お山開き」に参詣した折に、「上石鎚山(2首)」(*)を詠んだが、実は、頂上社のある彌山には上らず、成就社の遙拝殿(1450)から拝しただけであった。
再度訪れた昨年、土小屋遙拝所(1492)から頂上社を目指したが、落石事故による交通制限の爲に果たせなかった。
三度目の今年も、又また、前日来の降雨の爲に念願の頂上社には上ることが出来ず返す返す残念であった。
梅雨時の石鎚山は例年雨が多いらしい。
三度來し霊峰石鎚梅雨晴れず 兼山
以前投稿した上石鎚山の二(作品番号2010-215、216)の一部を修正しました。
上石鎚山(一)
千里洋洋度兩灘
石鎚山嶮路常難
若於疊嶂無金鎖
天外峻巓誰莫看
上石鎚山(二)
一夜千秋舟路遙
靈峰始詣白雲朝
八丁坂緩鎖場險
頂上社望魂欲消
<感想>
三度挑戦しても登頂ができないとは、難しいものですね。
前半は雨に包まれた山容をスケール大きく描き、石鎚山が雨の向こうに厳として存在している広大感が出ていますね。
転句が説明的でストレートなのがやや物足りない気がします。「残念無念」という感情がここに出てくると、結句の次回への期待が強くなると思います。
2012.10.11 by 桐山人
「残念無念」という感情が欲しいと、ご指摘頂いた件ですが、
「頂上未登」を「登頂不能」(登頂能はず 拜所に留どまり)と致しました。如何でしょうか。
2012.11.12 by 兼山
随分、内容の展開が滑らかになったと思います。
「未登」「不登」「不能」と選択肢はありますが、登れなくて残念だという感情が「不能」でよく出ていると思います。
2012.11.22 by 桐山人
作品番号 2012-208
秋風
楓林寂寂北風寒 楓林寂々として 北風寒し
日暮清閑月影殘 日暮れて清閑 月影残る
滿耳蟲聲秋信早 耳に満つる虫声 秋信早し
君書通夕倚机看 君が書を通夕 机に倚りて看る
<感想>
刈谷東高校での漢詩講座も五年目になりましたが、一兔さんは一年目から参加されている方です。
今回の詩は、まとまりのある、落ち着いた内容の作品になっていると思いますが、以下は作品に添えた私の感想です。
全体を見ると、起句の「北風寒」は晩冬から冬の描写ですので、転句の「秋信早」とはバランスが悪いでしょう。
季節を合わせる形で、ひとまず「秋色老」としておけば良いですが、別の表現に変えることもできますので、検討してください。
結句は「君書」は、なぜ「君」が必要なのか、が問題です。
特定の相手に対しての詩ならば「君」とわざわざ書くのも納得できます。あるいは、恋人からの手紙ということでも良いでしょうが、一般的には、あまり個人的な要素は出さないようにして、「帛書」「素書」「雁書」としておきます。
杜甫に倣って、「家書」とすれば、詩の場面が旅先のものと一転しますので、そうしたチャレンジも面白いものですよ。
作品番号 2012-209
訪州原公園
參州芳沼醉薫風 三州の芳沼 薫風に酔ふ
鷺立魚旋興不窮 鷺立ち 魚旋り 興窮まらず
六辨異華開繖状 六弁の異華 繖状に開く
娟娟杜若淡濃紅 娟娟たる杜若 淡濃紅なり
<感想>
松閣さんも初年度から講座に参加されています。
創作に意欲的に取り組んでおられ、中国に旅行に行かれると、それぞれの地の作品を必ず作るようにされています。作品を何度も推敲するのをいとわず、「三多」を実践している熱心な方です。
この詩は、三敲目です。
転句結句の後半を推敲されていますので、その辺りをご紹介しましょう。
「洲原公園」は愛知県刈谷市北部、教育大学の近くにある公園で、桜やカキツバタなどの花で知られる場所です。
初案は、
六辨異華紅萬点
娟娟杜若四山空
として、カキツバタが満開の様子を描きました。
私の感想としては、一つ目は、紫の花のイメージが強いカキツバタですので、「紅萬点」では色が違う、場合によっては別の花と解釈されてしまう可能性もあること、二つ目は「四山空」が美しい花の描写からのつながりが無くて、詩全体の収束としてもまとまらない印象であること、更に、「紅」が韻字ですので、これを結句に使えないかと書きました。
二敲では、
六辨異華如短夢
娟娟杜若浅深紅
とされたのですが、花と「短夢」が比喩として繋がらないのが気になります。初案の「四山空」と同様、初夏の好景を愛でる(「興不窮」)筈の詩に不釣り合いな感情語で、詩の主題が花から作者の空虚感へと移ってしまいます。
作者としてはこの時に何か沈んだことがあったのかもしれませんが、詩の前半からの流れでは唐突感はぬぐえません。
叙景に徹する形で、花の描写とすることを勧めました。
このような経緯での三敲が今回のものです。全体のまとまりが生まれたと思います。
転句の「繖」は、普通に「傘」の字を使った方が分かりやすく、一般的には「張傘蓋」(傘蓋を張る)でしょう。
2012.10.23 by 桐山人
作品番号 2012-210
再訪鞏縣石窟
昊天歖鵲舞回風 昊天 歖鵲 回風を舞ふ
麦穂綿綿直路充 麦穂 綿綿 直路に充つ
石壁淡紅遺漢古 石壁 淡紅 漢古を遺し
七千古佛大山東 七千の古仏 大山の東
<感想>
同じ受講生の作品ですが、こちらは中国へ書道展で行かれた折のものです。
石壁に使われた古代の赤色が印象に残り、どう書き表すか、に苦心されましたが、三敲目の「遺漢古」でまとまったように思います。
その関連での「古」の重複を避ける必要がありますので、転句の「石壁」を「窟壁」とし、結句の「古佛」を「石佛」としておく必要がありますね。
結句の「大山」は鞏縣にある「大力山」のことだそうです。「大山」ですと一般的な「大きな山」という印象になりますので、私なら「力山東」としたいところですが、通じるかどうか、ちょっと不安です。
2012.10.23 by 桐山人