2009年の投稿詩 第61作は 青山 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-61

  歳晩書懐     歳晩の懐ひを書く   

光陰如矢過   光陰 矢の如く過ぎ

世事未憂貧   世事(せじ) 未だ貧しきを憂へず

何日平安信   何れの日か 平安の信(まこと)を

風和只待春   風は和らぎて 只春を待つなり

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 今年一年は世界が凶荒となり、日本も失業者が多く出て不安の年越しとなった。
 いつになったら景気の回復がなるか心配である。
 早く明るい時が来て欲しいものだ。

<感想>

 青山さんの仰る通りで、一日も早く景気が回復することを願っていますが、三月を迎えても一向にその気配は見えませんね。
知秀さんも先日、「思無宿児曹越冬」で同じお気持ちを書かれていましたね。

 承句は「まだ貧しさを憂うところまでは行っていない」ということでしょうか。このままですと、「まだまだ我慢は出来るぞ」と仰っているような感じがしますが・・・・。

 転句は、「平安信」をどうするのか、述語が無いのが気になります。
 結句は「風和」がバランスが合わない気がします。「風和」になったならば、普通はそれで「春が来た」という意味を持たせると思いますので、ここは「冷たい風の中にまだ居るけれど」という内容にした方が良いでしょうね。

2009. 3. 7                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第62作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-62

  新雪        

寒氣森森侵我裯   寒氣 森森と 我が裯を侵す。

屈身縮首強關眸   身を屈し 首を縮めて 強いて眸を関す。

未明窓牖盍蒼白   未明の窓牖 盍(なん)ぞ蒼白、

雪蔽四圍殊更幽   雪は四囲を蔽って 殊更に幽なり。

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 裯は寝巻きのことですが、このところの朝晩の冷え込みには連日この思いを実感しています。当地ではめったに積雪を見ませんが、たまに早朝幽遠な情緒を味わうことがあります。

<感想>

 青眼居士さんは京都の長岡京市にお住まいでしたね。

 雪の朝の静謐な趣が漂っていますね。
 寝床の中までも寒さがしみ通ってくる様子から、青く白んだ窓の様子、そして窓を開ければ辺り一面の雪景色、全ての音が消えたような情景がしっかりと伝わってきます。

2009. 3. 7                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第63作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-63

  北海斷腸        

北海漁船訃報奔、   北海の漁船 訃報奔る。

虚呈惨禍彈丸痕。   虚しく惨禍を呈す 弾丸の痕。

驕邦蠻行輕生命、   驕邦(きょうほう)の蛮行は 生命を軽んじ、

弱國悲哀共斷魂。   弱国の悲哀は 断魂を共にす。

不戰精神捨矛耳、   不戦の精神は 矛(ほこ)のみを捨て、

平和理念作空論。   平和の理念は 空論と作る。

人忘往時埋青史、   人は往時を忘れ 青史に埋もる、

憂憤頼誰傳子孫。   憂憤誰に頼りて 子孫に伝へん。

          (上平声「十三元」の押韻)



「驕邦」: 驕りたかぶる国。
「捨矛耳」: 我国が先制攻撃をしないこと。
「作空論」: 我国には平和憲法があるので、外国に侵略されない論理。


<解説>

 この作品は常春雅兄の「渾濁之海 蝉連體(2008−85)」に依韻した以前の作品です。
 先日、日本海で境港の蟹漁船がロシアの警備艇に拿捕されたニュースを思い出して、詩嚢より探し出しました。

 詩意は2006年ロシアが引き起こした、北海道の吉進丸へのあの悲惨な事件の犠牲になられた漁民の方への、せめてもの『鎮魂歌』です。

 わたくしの止むに止まれない気持ちは「蘇連邦崩壊風聞抄古稿(2008−246)」に記しました。

<感想>

 この詩は、井古綆さんからは昨年送っていただいていましたが、「あわてて作ったので推敲の余地はまだまだある」と仰っておられたので、そのままにしておいた次第です。
 私から見ると、井古綆さんは更にどこを推敲したいのかが分からないくらいで、井古綆さんの抑えることの出来ない思いが伝わってきます。

 最近は世界不況と国内の政局にばかり目が向けられて、首相の精一杯の外遊も成果に期待が出来ないために、外交問題へのアンテナが弱くなっているように感じられますね。

2009. 3. 8                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第64作は 展陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-64

  老朋        

久違親朋到   久しぶりの 親友が来て

相斟百舌言   酒を酌み交わして よくしゃべり

客帰空盞剰   客が帰って 空の盃だけ残る

酒醒寂寥存   酔いが醒めて 寂しさあるのみ

          (上平声「十三元」の押韻)

<感想>

 旧友と久しぶりに杯を交わす喜びがあれば、その楽しい一時の後の寂しさも必ず来るものです。その辺りの心情を描いているとは言えますが、具体性が乏しいように思います。
 題名に「老」と入れていますが、だからどうなのか、という点が無いので、詩だけを見ると二十代の人、三十代の人が作ったと読んでも違和感がありません。逆に言えば、題名の「老」に違和感が残るという感じです。

 また、結句の「酒醒寂寥存」は言わずもがなで、特に「空盞剰」は転句の「空盞剰」で既に示されている気持ちを繰り返している印象です。
 常套の展開では、この結句で室内の様子や室外の風景を描いて余韻を残す形でしょうし、その方が五言絶句としては読みやすいでしょうね。

2009. 3. 8                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第65作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-65

  次韻 欣獅雅兄・観水雅兄玉韻『懐旧』        

但州僻地過童時、   但州の僻地 童時を過ぎ、

二八出郷聽竹枝。   二八 出郷して 竹枝(ちくし)を聴く。

寸草多年嘆風樹、   寸草 多年 風樹を嘆き、

春暉一刻比瑠璃。   春暉 一刻 瑠璃に比す。

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 欣獅雅兄の玉韻に、観水雅兄が次韻されましたのでわたくしも見習いました。

「但州」: 但馬。
「二八」: 16歳。
「竹枝」: ここではふるさとの民謡。

<感想>

 この詩は、作品番号2008-290、欣獅さんの「懐旧」に対しての次韻の詩です。
 作品番号2008-293で観水さんが次韻された詩「次欣獅雅兄懐旧詩韻」をご覧になって井古綆さんが作られたもの、観水さんの詩の感想欄に掲載しましたが、改めてご紹介します。

 前半は井古綆さんの語注がありますので、転句について補足しておきましょう。
 「寸草」は丈の短い草のことですが、ここでは「親への孝行の心」を象徴していますね。孟郊の『遊子吟』の一節に「誰言寸草心 報得三春暉」とあり、親の愛情(「春暉」)に対して報い切れない気持ちが書かれています。
 その「寸草」「嘆風樹」が対応して、長年親孝行できないままに終わった気持ちを述べて、結句へとつないで行く形です。

 欣獅さん、観水さんの、少年の夏のきらめくような感覚が、この作では人生を振り返っての作へと進みましたが、それぞれの方の年輪が感じられるようで、楽しく拝見しました。

2009. 3. 8                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第66作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-66

  立春        

立春路上小花開   立春 路上 小花開き

発散清香是野梅   発散する清香 是れ野梅

球賽少年声噪噪   球賽する少年 声噪噪たりて

老生生気亦能回   老生の生気 亦た能く回(かえ)るならん

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 立春の日の午後、久しぶりに暖かかったので散歩に出ました。
 路傍にはオオイヌノフグリの瑠璃色の小花が開き、途上の中学校校庭では、少年達が大声で声をかけ合って野球の試合をしていま した。
 養病中の身にも亦生気が帰って来る様に感じました。

「球賽」= 球技の試合

 インターフェロン治療のため週の半分は微熱が続き、散漫な日々を過ごしています。
 しかし、流石に立春を過ぎると春らしい日もあり、時には外出して体力の減衰を防ぐべく努めております。

<感想>

 外出されるのに適した気候になってきましたし、出かけた時に、草花を見たり人の往来を見たりという楽しみも出てきましたね。
 養病の柳田周さんも、体力を回復されて、春の陽気を満喫されることを願っています。

 いただいた詩では、承句に場所を表す言葉が入ると良いと思います。
 起句の「小花」がそのまま承句の「野梅」につながる気がしますので、外を歩いて路傍の花を見たり、どこからかの梅の香りを味わったり、そして、子ども達の喚声が聞こえたり、という作者の歩きに合わせた自然な動きが出て来ると、臨場感が増すように思います。
 「発散」に替えて、場所を示すようにしたらどうでしょうか。

2009. 3. 9                 by 桐山人



柳田 周さんからお返事をいただきました。

鈴木先生
柳田 周です。

 拙作に対する適切なご指摘を賜りありがとうございます。
 第78作「立春」の承句『発散清香是野梅』において、「発散」の二字に代えて場所を表す語にすべきとのご指摘を戴きました。
 全くご指摘の通りで、投稿後に気付いてはいたのですが、丁度その頃、今年も秋の演奏会に私の合唱曲が取り上げられることになり、そのための曲を制作中で、投稿詩の推敲に手が回りませんでした。

 遅くなりましたがご指摘に従い、承句を『何処清香是野梅』(何れの処よりの清香ぞ是れ野梅)と改めます。

2009. 5. 7                by 柳田 周





















 2009年の投稿詩 第67作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-67

  二月中旬星期日聴友吹奏楽     二月中旬の日曜日、友の吹奏楽を聴く   

東風三日近陽春   東風三日 陽春に近し

二刻徒行会館臻   二刻の徒行 会館に臻(いた)る

初得玩聴君演奏   初めて君が演奏を玩聴するを得たり

高鳴金管震心身   高らかに鳴る金管 心身を震はす

          (上平声「十一真」の押韻)


「星期日」= 日曜日
「二刻」= 約30分
「徒行」= 歩いて行く
「会館」= 現代中国語でホールの意もある
「玩聴」= 楽しんで聴く

<解説>

 昨年入院中に世話になった看護師の一人が、ある市民ブラバンでホルンを吹いていおり、音楽好き同士で親しくなりました。
 このブラバンは全国大会で金賞を得る程優秀な楽団で、私が住む町で演奏会が開かれました。この楽団のコンサートを聴くのは初めてでしたが、素晴らしい演奏に感激し、また半年ぶりで会ったその看護師と喜びを分かち合いました。

<感想>

 昨年柳田周さんからいただいた「与春銀信来」でも、ご自身が作曲された曲を合唱団が歌って下さることになったとのお話でしたが、音楽が柳田周さんの元気の源になっているのですね。

 転句の「玩」は一見すると邪魔な気もしますが、現代中国語では「楽しむ・遊ぶ」の意味ですが、もともと「じっくりと味わう」という意味を持っていますので、この場合も「演奏を味わって聴いた」と解すると良いですね。

2009. 3. 9                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第68作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-68

  豫州一宮大山祇神社     豫州一の宮 大山祇おおやまづみ神社   

楠樹森然抽碧空   楠樹なんじゅ森然として 碧空にぬきん

賽人陸續厚尊崇   賽人さいじん 陸続りくぞく 尊崇厚し

寶刀神鏡判官鎧   宝刀神鏡 判官の鎧

祈願凱旋収此宮   凱旋を祈願して此の宮に収む

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

「一宮」:

 平安時代に定められた旧國に原則一箇所の格式ある大社。
愛媛県では今治市大三島町(しまなみ海道)に鎮座する旧國幣大社・大山祇神社である。
 境内には樹齢2600年の御神木の大楠(国指定天然記念物)がある。乎知命おちのみことお手植えとされる。


転句の「寶刀神鏡判官鎧」について、
赤糸威鎧 大袖付(あかいとおどし よろい おおそでつき)」一領は源義経(九郎判官)奉納
禽獣きんじゅう葡萄ぶどう(唐時代) 」白銅円鏡一面は斉明天皇奉納
大太刀(銘 貞治五年丙午千手院長吉)」一口は後村上天皇奉納
牡丹唐草文兵庫鎖太刀拵」は護良親王奉納

 いずれも代表的な国宝物で、国宝・重文の武具約八割がこの神社宝物館に収蔵されている。
大三島が「国宝の島」といわれる所以である。

・大山祇神社関連ホームページは、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E7%A5%87%E7%A5%9E%E7%A4%BE

http://nttbj.itp.ne.jp/0897820032/index.html?Media_cate=populer&svc=1303

<感想>

 大三島の大山祇神社のことを私が初めて知ったのは、高校の国語の教科書に載っていた小林秀雄の文章からでした。大学入試問題に登場する作家ランキングの上位に小林秀雄が常に居た頃ですので、もう随分前のこと、二十年か三十年昔になるでしょうか。
 その頃は「しまなみ海道」も通じていませんでしたから、愛知に住む私にとってははるか遠くのことで、どこからどう行けば大三島に至るのかも知りませんでした。
 しかし、大山祇神社に奉納されている武具の素晴らしさは、小林秀雄の文と共に私の記憶に残っています。
 愛媛に住んでいらっしゃるサラリーマン金太郎さんは、地元ですので、思いも深いものがお有りでしょうね。

 詩を拝見しますと、大山祇神社に関しての必要なことを網羅し、工夫されたことが分かります。
 転句も注を添えていただきましたが、神社ですので「宝刀」「神鏡」は違和感ありません。「鎧」「判官」が源義経を表しますのでここだけ固有名になります。義経を強調して結句の表現につなげたいという作者の意図なのでしょう。

 結句の「収」「納」が良いのですが、「四字目の孤平」を避けたのでしょう。

 私の印象としては、承句と結句は説明文としては問題は無いのですが、どちらかの句は省いても良いように思います。その分を、大三島や瀬戸内、神社の様子などに用いると、詩に作者のお気持ちが表れるのではないでしょうか。

2009. 3.24                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第69作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-69

  憶没後十年狄安娜元英國皇太子妃     没後十年ダイアナ元英国皇太子妃を憶ふ   

英國皇妃没十霜   英国の皇妃 没して十霜

猶看美貌秀眉彰   猶看る美貌秀眉(しゅうび)彰(あきらか)なり

地雷撲滅尊偉業   地雷撲滅せん偉業尊し

衆庶臻今仰重光   衆庶(しゅうしょ)今に至って重光を仰ぐ

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

「狄安娜元英國皇太子妃」: ダイアナ Diana, Princess of Wales (Lady Diana Frances Spencer)、
   1997年8月31日パリで不慮の交通事故死を遂げた。
   昨秋、没後10年を記念して松山三越で「プリンセス・ダイアナ展」が開催された。
「衆庶」: 多くの人々、庶民、万民。
「仰重光」: 立派な王妃と仰ぐ

公式ページ
http://www.pomato.co.jp/diana/

<感想>

 ダイアナ妃が亡くなって十年ですか。この間に随分と世の中が変わったような気がしますね。

 さて、今回の詩では平仄の確認をお願いします。
 転句の「尊偉業」の平仄が「○●●」になっています。
 結句の「重光」は通常は「重なる(平声)」の意味ですが、ここは仄声ですので「重い」となるのでしょうか。流用でしょうか。

 結句は「今になってようやく」という書き方のように感じます。私でしたら、「終能仰重光」とするところかな、ちょっと迷います。

2009. 3.24                  by 桐山人



サラリーマン金太郎さんからお返事をいただきました。

 「尊偉業」については、これは私の原稿の誤植です。
本来は「尊遺業」です。「遺」であれば「のこす」という意味は平字ですから何ら問題ないと思います。

 結句の「重光」は、出典は服部承風先生の著書「韻別詩礎集成」(書藝會発行)の864pに例示されているものです。
 意味は「立派な君主と仰ぐ」と掲載され、●●○です。

 「終能仰重光」との提示をいただきましたが、確かに!^O^ 。
 十歩下がって「今に至るまでも」とは解釈できないでしょうか?私はそういう意味で措字したものです。「終能仰重光」の方が、さらに明確でいいですね〜☆ (^_^)v 。
その場合「ひさしくよく 重光と仰ぐ」という訓読でよろしいのでしょうか?

2009. 3.29                 by サラリーマン金太郎





















 2009年の投稿詩 第70作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-70

  称賛第二回WBC連続優勝        

不屈精神奮猛威、   不屈の精神 猛威を奮ひ、

北京辱雪洛杉磯。   北京の辱(はじ)は 洛杉磯(ロサンゼルス)に雪ぐ。

愁嘆涙作栄光涙、   愁嘆の涙は 栄光の涙と作り、

選手勲功燦燦輝。   選手の勲功は 燦々と輝く。

          (上平声「五微」の押韻)

<感想>

 井古綆さんから、「嬉しさのあまり作りました」との添え書きでいただきました。
 皆さんの感激も熱いうちに、と思い、大急ぎで掲載させていただきました。

 私は丁度勤務の関係があり、ほとんどの試合を夜の録画放送でしか見られませんでしたが、試合結果を知っていても見応えのあるものが多かったと思います。
 つくづくと思うのは、イチロー選手にしても松坂選手にしても、ここで頑張ればヒーローになれるという「おいしい」場面が必ず彼らの所に現れること、そして、そこで好結果を出したということです。
 このあたりは、もちろん、彼らの能力の高さに拠るところは大きいのですが、野球というスポーツの特性もあるのかもしれないと思います。集団競技でありつつ、個人としての活躍の機会も多い、勝敗を決めるようなチャンスが個々の選手に与えられるという、言ってみればヒーローが生まれやすい競技だと思いました。
 同じ集団競技でも、サッカーとかバレーボールとは異なる部分があるなぁ、と感じたWBCでした。
 何はともあれ、北京でのモヤモヤとした雰囲気を吹き払う、爽やかな風でしたね。

2009. 3.26                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第71作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-71

  探梅        

早春南紀暖風軽   早春 南紀 暖風軽し

遠近山村彩靄横   遠近の山村 彩靄横たふ

丘壑西東梅万樹   丘壑の西東 梅万樹

清香雅景暢幽情   清香 雅景 幽情を暢ぶ

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 南紀南部(みなべ)は有数の梅干の産地、重なる丘陵に梅樹千本、一斉に花が咲くと霞か雲、正に至福の感。

<感想>

 南紀南部が梅干の名産地であるからには、当然、梅の木も多いでしょうし、「梅万樹」と仰るのもうなずけますね。

 起句の「南紀」という広い視野から順に転句の「梅万樹」までクローズアップする形で描いてきて、結句で「香」を出したのが工夫されたところでしょう。
 自然な目の動き、作者の感覚の変化に共感できます。

 気になるとすれば、「雅景」が内容がはっきりせず、取って付けたようなまとめ方になっていることで、ここは梅の香りを詳しく説明するか、梅の花の描写にした方が良いでしょうね。
 もう一つは、ここまで広く開放された情景を言ってきましたので、結びの「幽情」では何かしぼんで終わるような感じで釣り合いが悪いでしょう。

2009. 3.29                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第72作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-72

  案時世        

久闊僚朋會一堂   久闊の僚朋 一堂に会し

閑談時論又傾觴   閑談 時論 又 觴を傾く

學童互貶残交友   学童 互ひに貶り 交友を残ひ

父子相謾及刃傷   父子 相謾り 刃傷に及ぶ

緊迫金融猶有事   緊迫せる金融 猶ほ 事あり

寛容出借是無望   寛容なる出借 是れ望みなし

吾人真實尊平穏   吾人 真実 平穏を尊べば

當以英圖得小康   当に英図を以って 小康を得べし

          (下平声「七陽」の押韻)


<解説>

 この頃の時勢を見ると、学童がメイルで互いに傷つけあったり、また、親子で問題を起こしています。また、世界的な不況で金融に苦しんでいる状況ばかりが、話題になっています。
 そんなことを、詩にしてみましたが、対句がきわめてむずかしく、苦労しました。

「出借」: 貸し出し

<感想>

 対句に苦労されたとのことですが、私は二句目の表現がまず気になりました。
 頷聯、頸聯で題のように「案時世」の具体的なことが書かれているわけですが、これは内容としては、友人や肉親といった人間関係の崩壊、百年に一度の大不況というかなり厳しいものです。そうした暗く重たい話がこの後にくるのに、「閑談」であり、「又傾觴」では、せっかくの主張も「酒のさかな」程度の扱いのようで、軽くなってしまいますね。
 現実には、心許せる友人と久しぶりに会えば酒も飲みますし、何気ない世間話から切実な問題へと進んで世を憂う展開になることも分かりますが、詩として見た時には読者のとらえ方も配慮しなくてはいけません。指摘しました「閑談」「傾觴」はここで本当に必要なのかどうか、詩の主題が「友人との再会」では無いのですから、推敲なされば結論として削るという方向になるのではないでしょうか。

 対句としては、頷聯は分かりますが、頸聯は下句の内容が細かすぎると思います。「緊迫金融」として世界不況を出しましたので、下句ももう少し大きな視野で、失業や廃業、リストラなどの問題を扱うとバランスが良くなります。

 尾聯は敢えて「吾人」を入れるべきかどうか、悩ましいところですね。

2009. 3.29                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第73作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-73

  初春偶感        

繍眼児翻不假媒   繍眼児 翻りて媒を假りず

花披清楚啄茶梅   清楚に花披きし 茶梅を啄む

閑人啜茗茅堂裡   閑人 茗を啜る 茅堂の裡

逢復初春万感来   復た初春に逢うて 万感来つ

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 垣根の山茶花の白い花が咲くと翠の羽を翻してメジロが来る。茅屋の南窓から茶を啜りながら、また春を迎えることができた。


「繍眼児」: 漢名でメジロ。

<感想>

 メジロの漢名については、昨年の投稿詩で点水さんの「初冬」にもご紹介がありましたね。

 今回の詩では、承句と結句の語順に苦しいところがありますね。
 承句は韻字の関係で「茶梅」を句末に置かれたのでしょうが、それを「啄」としたために、おかしくなったのでしょう。
 「啄」の主語が「繍眼児」であるとは一応判断できますが、これは主語と述語が離れすぎていることと、間に別の述語が入っていて、文意が分かりにくい形になっています。
 作者のお気持ちとしては、茶梅の花の清楚さも言いたいところかもしれませんが、それぞれを分けて描くか、ここはぐっと我慢して「繍眼児」の行動を描くだけに絞るか、整理した方が良いでしょう。
 このままですと、「花は披きて清楚 茶梅を啄む」と訓じて、「花が茶梅を啄んだ」と不気味な話になってしまいます。

 結句は平仄の関係で「復」を二字目に置いたのでしょうが、「復た」→「逢う」という修飾関係では語順は日本語と同じです。「復会」として、意味が通じるようにしましょう。

2009. 3.29                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第74作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-74

  早春即時        

留寒野徑任西東   寒を留む野径 西東に任す

詩客莫愁花未紅   詩客 愁ふる莫れ 花未だ紅ならざるを

木葉飛騰還樹上   木葉 飛騰して 樹上に還る

可知群雀舞春風   知るべし 群雀の 春風に舞ふを

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 先日、散策していたところ、不思議にも地面の木の葉が舞い上がり、樹の上に戻るのを見ました。
フィルムを逆回しにしているようでした。

 よくよく見れば、単に雀が飛んでいただけなのですけれど、ふと詩にならないかと思い、作詩してみたものです。

<感想>

 「フィルムの逆回し」という比喩で状況がとてもよく分かりました。
「よくよく見れば」起こり得ることですが、パッと見た時には驚きますよね。
 詩としては、驚きだけを語るのではなく、早春の景とつながってくれると良いですね。

 そういう点では、「木葉」「落葉」「群雀」「小雀」が良いかな。

 結句の「可知」「将知」「已知」のように「可」の字を換えてみると、色々考えることができて、難しいと言うか、楽しいですね。

2009. 3.29                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第75作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-75

  讃 梅樹     梅樹を讃む   

冬耐風霜能作花   冬 風霜に耐へ 能く花を作す

暗香疎影興無涯   暗香疎影 興 涯り無し

夏生梅子緑更密   夏 梅子を生じ 緑更に密なり

其菓功多養百家   其の果 功多くして百家を養ふ

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 初春の象徴として古来より詩に詠まれた梅樹は、初夏に於いては緑濃く、実(み)は有益、重用されます。

<感想>

 「花も実もある」ということで現代は色々な果実が大切にされていますが、中国では古来は梅ではなく、桃が大切にされたようですね。
 古詩としてよく知られる「桃夭」では、「花」と「実」と「葉」を嫁いでいく女性に例えて、幸福な結婚生活を象徴させていますね。
 梅が「花」として観賞されるようになったのは、南北朝の頃からでしたか、それまでは「実」としての効用が専らだったのでしょう。
 博生さんのおっしゃる通り、日本では梅は観賞にも漬け物にも欠かせない貴重な木ですね。中国の梅干しはドライフルーツという感じで、また別のおいしさでした。

 結句の「功多」だけは「多功」と語順を変えましょう。

2009. 3.29                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第76作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-76

  新春偶成        

卜居都下在茅堂   都下に卜居して 茅堂に在り

迎復新春見瑞祥   復た新春を迎へ 瑞祥を見る

籬落横斜全不発   籬落の横斜 全く発かず

東風夙至待清香   東風 夙に至り清香を待たん

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 起句で「都下」「茅堂」と並べたのは、陶潜の「結廬在人境 而無車馬喧(廬を結びて人境に在り 而も車馬の喧しき無し)を意識されたのでしょうかね。

 承句は「復迎新春」の順にしないといけません。

 転句は「横斜」は林逋の「山園小梅」から梅を表す言葉とされていますが、もともとは梅の斜めに伸びた枝を言うわけで、句末の「不発」とつなげるには「花」を出しておきたいところです。素直に「梅花」とした方が具体的にイメージできます。

 結句は、「東風がとっとと吹いて、早く香りを運んで来とくれ」という感じですね。

2009. 4.14                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第77作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-77

  早春即事        

素英點點毀垣隈   素英 点々 毀垣の隈

可愛芳草擡   愛すべし 青々と芳草抬ぐ。

驚殺杉枝藏夥蕾   驚殺 杉枝 夥しき蕾を蔵す、

東風應運嚏噴災   東風 応に嚔噴の災を運ぶべし。

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 春風の吹き始めるのは結構だが、杉の蕾がたわわについているのを見てびっくりした。きっと今年も花粉症に悩ませられることだろう。

<感想>

 青眼居士さんは毎年花粉症に苦しんでおられるのでしょうか。結句の「嚏噴災」の表現には、「この野郎!!」という気迫が感じられます。

 結句は「東風」ですと穏やかな風で、しかも方角も意識されますが、花粉がひどいと感じるのは山の方から吹く強い風のように思いますので、ややバランスが悪いですね。
 「春風」ならば、方角が無い分、落ち着くように思いますし、いっそ「恵風」とでもすれば、「災」との対応が生まれ、アイロニカルな面白さが出るでしょう。
 「風師」「風神」などでも自然な展開になりますね。

2009. 4.14                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第78作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-78

  奉寄半解先生        

先生上梓本天成   先生上梓せしは本より天成

評釈陸陶文挙名   陸陶を評釈して 文は名を挙ぐ

除却敝廬耕釣事   除却す 敝廬耕釣の事

定知晩節近淵明   定めて知る晩節淵明に近し

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 去冬、苔菴先生と一海先生の著作集出版記念に出席しました。
 場所は神戸大学でした。
 興善先生にもお会いして、いろいろお話をお伺いしました。
以前呂山先生が私的な祝事を投稿することは遠慮せよといわれましたが、一海先生は半ば公器でもありますので寛恕して下さい。

「半解先生」: 一海先生自号半解

<感想>

 一海先生のご著書は拝見しては、漢詩の読み方とはどういうことか、を教えられる思いをしています。
 高校生に対してはいつも「漢詩入門」(岩波ジュニア新書)を紹介していますが、時々私自身も読み返して楽しんでいます。「新唐詩選」(岩波新書)も長い間薦めてきましたが、一海先生の名調子に誘われ、ジュニア新書を手に取る生徒が多いようです。

 謝斧さんは直接先生のお人柄をご存知なわけで、詩に流れるトーンが「五柳先生伝」を読んでいるように思わせます。結句の「近淵明」は実感なのでしょうね。

 承句の「陶」と結句の「淵明」の重複はどうなのでしょう。

2009. 4.14                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第79作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-79

  早春偶感        

翠禽溌水荻蘆湄   翠禽 水を溌ぬ 荻蘆の湄(みぎわ)、

鳧鴈習翔懐旅羇   鳧鴈 翔けるを習ひて 旅羇を懐ふ。

朔北湖山閑適否   朔北の湖山 閑適なりや否や、

仄聞冰解畜生衰   仄聞す 氷解けて 畜生衰ふと。

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 翠禽はカワセミ。鳧鴈は野鴨や鴈などの渡り鳥。畜生は鳥獣のことで、チクショー!とは別です。

<感想>

 前半は、春まだ浅き候、鳥たちは季節の変化を感じ取っているという趣でしょうね。どちらの句も、生命感が表れています。
 そこから後半へと流れる経過が、なかなか難しいのですが、この鳥たちに向かって「閑適否」と問いかけているのでしょうか。だとすると、結句も「春になって氷が溶けると(人間が跋扈するので)鳥や獣は衰える」ということで、彼らへ「気をつけろよ」と警告を発しているのでしょうか。

 何となく、青眼居士さんの意図とはちがう読み方をしているような気がしますね。結句は故事があるのかな?もう少し教えていただくと、作者の心の動きについていけるように感じます。

2009. 4.15                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第80作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-80

  元宵節参観故宮博物院 (台北)        

節日無風不覺寒   節日 風無く 寒さを覺えず

館前雑伎値稱嘆   館前の雑伎 稱嘆に値す

陶磁彫刻青銅器   陶磁 彫刻 青銅器

名品豊豊侵肺肝   名品 ゆたか 肺肝を侵す

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 台北の故宮博物院を訪れてきました。
ここは二十年も以前にツアーで一度訪れ、ほんの一部しか見ることが出来ず、何時かゆっくりと見たいと思っておりました。

 昨年博物院の修復がすんだということで、先日でかけ、二日かけて見てきました。
 一日目が元宵節(旧暦1月15日 今年2月9日)でして、その前日にガイドから元宵節は雨降りが多いと聞かされていまして、心配しておりましたが、幸いにも晴天に恵まれました。
 博物館の前庭では元宵節を慶祝する雑技団の演技があり、その妙技を楽しんできました。(元来 lantern festivalなのですが、それは夜を待つ必要があります)

 名品の多さに、ただただ驚くばかりです。それとともに、日本にも、相当多数の立派な文物が入っていると思いました。

旅行のスケッチのような詩ですが、よろしくお願いいたします。

<感想>

 私も昨夏に台北の故宮博物館を訪問しましたが、やはりツアーで時間が足りず、駆け足のような見学でした。是非、もう一度見に行きたいと思っています。

 「旅行のスケッチのような詩」と書かれていますが、そうですね、前半と後半のつながりが無いという印象です。それは多分、後半に置いた故宮のすばらしい文物の描写に対して、バランスの取れた前半に置くべきものに苦労されたからではないでしょうか。

 詩としてまとめるならば、承句の雑伎団は省くべきでしょう。「これもすばらしい、あれもすばらしい」と並べるのは、後半の感動を薄くしてしまうように思います。その分、博物館の文物への期待を徐々に高めていくような描写になると良いですね。

2009. 4.15                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第81作は 展陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-81

  歎        

一別家山已幾年   故郷と一別して以来すでに何年になるだろう

懐思老母望郷天   老いた母を懐かしんで故郷の空を見る

今宵失業居難保   今宵失業して住居の確保も難しい

以後何求米飯銭   以後はどこから飯代を求めていいのか

政客論多無対策   政治家は論説多いが対策なし

貧民訴苦有誰憐   貧民は苦しみを訴えても誰も憐れまない

人生得損如泡影   人生の損得は泡の影のようなものだが

世上紛騒太愴然   世の中のもつれ騒がしさはあまりに痛ましい

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 現代の世相に対しての歎きを描くのには、やはり七言絶句では言葉が不足というお気持ちになられたのでしょうね。律詩にして書いてもまだ足りないという思いかもしれません。  律詩とする場合には、しかし、対句を置かなくてはいけません。ここでは頸聯に狙いを置かれたようですが、言葉の対応が合わないようです。展陽さんは対句の対応以上に、憤りの言葉の方が強く出てきたのでしょう。

 尾聯の「泡影」は「泡の影」ではなく、「泡や影」としておきましょう。これは「夢幻泡影(むげんほうよう)」という四字の言葉で、どれも存在が淡くはかないものを指しています。

2009. 4.27                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第82作は 東洸 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-82

  豊津国分寺護摩焚        

梅花馥郁招千衆   梅花馥郁として千衆を招き

揺起白煙余塔尖   揺らぎ起つ白煙塔尖を余す

螺笛吹鳴誦経響   螺笛吹鳴誦経響き

六根清浄迎春炎   六根清浄春を迎えて炎ゆ

          (下平声「十四塩」の押韻)

<解説>

 地元の国分寺の境内、三重塔前で毎年梅の時節に行われる修験の行です。

<感想>

 下平声「十四塩」という韻目を選ばれたのは、何か理由があったのでしょうか。
 他の韻の方が作りやすいでしょうに、わざわざ険韻を選ばれたのはどうしてかなぁ、これがまず最初に思った感想です。

 後半の「螺笛」「誦経」「六根清浄」などの言葉が、力感に満ちていて、儀式の厳かさをよく出していますね。
 細かいことを言えば、起句の「梅花」「馥郁」につなげるならば「香」が欲しいし、承句の「白煙」の正体が何かを「揺起」のところに入れられないか、などは思いますが、それほど大きな問題ではなく、勢いのある詩だと思いました。

2009. 4.27                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第83作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-83

  功虧一簀     功一簣に虧く   

春水未温羅馬街   春水 未だ温(ぬる)まず ローマの街、

議休放念晩餐佳   議休(や)んで 放念 晩餐佳なり。

風邪尚盡芳醇酒   風邪 尚尽くす 芳醇の酒、

可惻曚曨喪位階   惻むべし 曚曨として位階を喪ふ。

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 春まだ浅いローマで開かれたG7会議。
 真剣な討議がほぼ終わって、ホッと寛いで気が緩んだ(放念)。
 晩餐の料理はうまいし上等なイタリアワインもある。
 風邪をひいてクスリをのんでいるが、ワインを我慢できない。
 ついいつもの調子で呑みすぎて、翌日の記者会見で朦朧の醜態を演じて、気の毒なことに大臣を辞職する羽目になった。

<感想>

 ここ数年、私の記憶が鈍くなったのか、社会の変化が過激なのか、ほんの一カ月前の出来事を随分昔のことのように思うことが多くなってきました。
 しかしながら、中川氏のこの事件がそれほど以前のことと感じられず、生々しい記憶として残っているのは、やはりあの映像が衝撃的だったのかもしれませんね。

 「為山九仞、功虧一簀」(山をつくること九仞にして、功を一簀にく)は『書経』からの言葉ですが、彼の場合には、これから山を積み上げようと仕事を始めたばかりのところで転がり落ちたわけで、はて、国民に対しての「功」は何だったのか、と考えてしまいました。

2009. 4.30                  by 桐山人



井古綆さんから、感想をいただきました。

 青眼居士雅兄、お久しぶりです。
 まず雅兄の御作によって『功虧一簀』を覚えました。有難うございました。歳はとりたくないもので、以前どこかで読んだことをすっかり忘れていました。

 鈴木先生のご感想で「これから山を積み上げようと仕事を始めたばかりの・・・・・・」と述べられていますのは、財務相として全体的なことを指していると思いますが、わたくしは視点を今回のG7ローマ会議のみに考えました。とすれば、『功虧一簀』は完全とはいえなくとも正鵠を得た題名ではないかと思います。

 失礼を顧みずに岡目八目で拝見すれば転句の『風邪』が和臭ような気がいたします。漢和辞典を検索しなければわたくしも時々ミスを冒します。最近日中辞典を求めましたので検索をしました。「感冒」は漢語ですが「体調」を使用しても良いと思いました。

 最近の日本人は他人の失敗には殊更に非難をする傾向にあります。この世に完全な人間は皆無ではないかと思います。わたくしはパソコンに触れて5年ほどになりますが、まだパソコンを知らない30年以上前、「フィンガーボールの水」の語を何処かで覚え心の隅に記憶しております。

 今回のG7とは少し意味合いが異なりますが、同じく「他人に恥を掻かせない」ことに共通点があるように思って作ったのが下記の詩です。

   G7羅馬会議
  酔態朦朧知万国、   酔態 朦朧 万国に知れ、
  評言喧聒向千鋒。   評言 喧聒(けんかつ) 千鋒を向ける。
  操觚会見非無策、   操觚(そうこ)の会見 策無きに非ず、
  多数随員何故従。   多数の随員 何故(なにゆえ)に従ふ。

「喧聒」: やかましく。
「鋒」: (ここでは評言の)ほこさき。
「操觚」: マスメディア。
「何故」: (私見)封建時代でも藩侯に非があれば家臣は一身をもって直言したであろう。
     ローマにおいての国辱的な不祥事を看過した随行員にも責任の一端があると思うが?

<付記>最近NHKの放送で『魏徴ぎちょう』が太宗に直言した詩『述懐』を再び学びました。

2009. 5. 8                by 井古綆





















 2009年の投稿詩 第84作は 馬薩涛 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-84

  己丑元旦游中俄界河黒竜江        

興安北嶺上曨陽   興安北嶺に曨げな太陽が上る

瞻望東天願福祥   東の空を遙かに仰ぎ見て福祥を願う

凝凍界河無脚跡   凍結して水音、水流の途絶えた国境の河には人の足跡は無し

輝煌冰面已春光   輝き煌く冰の表面は(花のようで)すでに春の景色

駕乗馬橇行田野   馬橇に乗って田野を行き

母奔仔追憩道傍   母馬は奔りその仔馬が追いかけ道端に休む

観感睦親憧二宝   親子が仲良く睦んでいる姿を見てその二匹を羨む

三千里外想家郷   三千里のはるかより故郷を想う

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 2009年の正月元旦に、中国とロシア国境の河、黒龍江省漠河県北極村というところに旅行をしました。
 日の出はおそく、おぼろげな大きな太陽が上がり、正月元旦ということもあり日本の方角に向かって家内安全をお祈りしました。

 ここは中国の最北端で、凍っている河の中間が中ロの国境、河の向こうにはロシアの山並みが続き、河の表面は雪が太陽に照り映えて花のようにキラキラと光っていました。
 馬橇に乗ったところ、母馬のあとを仔馬が追いかけて来ました、休んだ時に親仔二匹が仲睦まじくしている姿を見てうらやましく想いました。
 三千里(東京まで1,491km)のはるか遠くより、ふるさとのことを想った詩です。

 持っていた温度計の目盛りがマイナス20度まででしたが、針はそれより超えていて、気温はおそらく零下35度以上あったと思いますが、二匹を見てほのぼのとした感じでした。

<感想>

 うーん、詳しくはわかりませんが、「漠河県北極村」と地名を見ただけでも、いかにも中国の最北端という感じが伝わってきます。
 零下三十五度の寒さとのことですが、その厳しさが意外に感じられないのは、「春光」の言葉と「東天願福祥」が暖かみを出しているからでしょうね。

 母馬と子馬の睦まじさに、故郷の離れた家族を思い出すというのは自然な気持ちだと思います。ただ、「馬橇」に関しては習慣があまり無いからでしょうが、橇を牽かせて人間が走らせた母馬と、それを追いかけてきた子馬と聞くと、「健気」とか「子馬がかわいそう」という印象が先に出てしまい、そこからつながる作者の気持ちも「家族と無理矢理に引き離されて、苦しんでいるのだろう」と見てしまいます。そうなると、前半の暖かみも生きてこないように思います。
 事実とは異なるかもしれませんが、野で見つけた馬の親子、という場面ではいけないでしょうか。

2009. 4.30                  by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第85作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2009-85

  松花江        

百里濱城柳絮飛   百里 濱城 柳絮を飛ばし、

暮風相起入征衣   暮風相起こり 征衣に入る。

大河悠久人空老   大河悠久にして 人は空しく老い、

落日春波返照微   落日 春波 返照微なり。

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

 ハルビンの町は、柳絮が飛び交う春を迎えた。
 夕暮の風は、旅人の私の服にも吹きつける。
 大河(松花江)の悠久の流れに対して、人生のなんと短いことか。
 日は落ち、春の波に映る 照り返しもごくわずかである。


<感想>

 大連に赴任していらっしゃるニャースさんは、馬薩涛さんともお知り合いだったようです。遠い異国の地で同じ趣味の人と出会い、交流できるなんて、すばらしいことですね。

 ハルピンは中国表記では「哈爾濱」ですので、起句の「濱城」は「ハルピンの町」を意味します。
 「百里濱城」の言葉が「柳絮飛」と釣り合いが良いと感じるのは、蘇軾の「柳絮飛時花満城」(「和孔密州五絶 東欄梨花」)の句が心に残っているのでしょう。

 黒竜江に合流する松花江の雄大さが感じられる転句で、このままでも十分に味わえる詩ですが、逆に欲が出てしまいますね。
 推敲の余裕があれば、ということで書かせていただけば、「人空老」から結句の「落日」がストレートにつながり過ぎて、余韻が弱くなっている気がします。また、「落日」「返照」もすっきりとしてはいるのですが、私には明瞭すぎるように思います。
 結句だけで考えると、「日暮春波返照微」が後半の落ち着きが出ると思いますので、対応させて承句を見直してはどうでしょうか。

2009. 5. 4                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第86作は茨城県にお住まいの 赤龍 さん、六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2009-86

  春日訪友        

十里車窓問友之   十里の車窓 友を訪ふて行く

水村山郭春色宣   水村山郭 春色宣し

笑顔相対幼時友   笑顔相対す 幼時の友

爛漫桜花惜別離   爛漫の桜花 別離を惜しむ

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 漢詩は独学で全くの初心者です。漢詩の本を買い作り方の勉強を始めたばかりです。
 書道を四十代から五十代にかけて十五年位習いまして、その頃から漢詩に興味を持っていましたが、そのころは諸般の事情で漢詩を勉強することが出来ず、やっと今年の正月から始めてみました。

<感想>

 初めまして。新しい仲間を迎え、うれしく思います。
 独学で漢詩を勉強されたとのことですが、詩中にお使いになった言葉を見ると詩語にふさわしく、漢詩に興味をお持ちになっていたということが納得できます。
 規則の面での確認が必要かと思いますので、気の付いた点を述べます。

@同字重出は避けましょう。
 起句と転句に同じ「友」の字が使われています。漢詩は字数に制限のある定型詩ですので、無駄を省くことが大切です。強調表現などでどうしても必要だと説得できる時以外は、同字重出は避けるようにしてください。

A「二四不同」「二六対」の確認を忘れずに。
 承句の平仄は「●○○●○●○」となっていて、六字目の「色」が平仄を乱しています。
 杜牧を意識した「水村山郭」の四字を用いたいならば下三字の検討、「春色」を用いるならば上四字を「水村春色」とするなどの調整が必要でしょう。
 なお、末字の「宣」「宜」の入力間違いかと思います。手書きと異なり、ワープロなどの時は、漢字の確認も大切ですね。

B内容のつながりに無理のないようにしましょう。
 前半は良いのですが、後半を見ますと、転句で幼友達に会えた喜びもつかの間、結句ではもう別れを惜しむということで、展開がやや急激過ぎますね。せめて、友達と数刻なり一緒に過ごしたという記述が無いと、「会ったら、すぐにさよなら」では何をしに来たのか分かりません。
 「幼時友」を、例えば「尽芳宴」(芳宴を尽くす)などとして、酒を酌み交わしたという形にすると、結句への流れが自然になります。

 次回作も楽しみにしています。

2009. 5. 4                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第87作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-87

  獨登長峰山        

老病何妨攀峻巓   老病何んぞ妨げん峻巓に攀るを

無身痛処歩行全   身に痛処無く歩行全し

登來欲労娘生脚   登り來り労らんと欲す娘生の脚を

眼下雲崩下一船   眼下雲崩れて一船下る

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

「老病」: 老と病 
「妨」:平用で「さまたげる」
措辞熟套 詩意平板哉

<感想>

 長峰山はどこにあるのか、私は分かりませんでしたので調べました。信州の安曇野を見下ろす山のことですね。

 歳をとっても健康であることへの嬉しさとちょっとした自慢の気持ちが、転句に出ていますね。「娘生」は若い女性と解釈して良いでしょうか。

 結句でようやく叙景が出てくるのですが、はるかに見える「下一船」が、下界と隔絶された山頂の爽快感を象徴していて、落ち着きを出していると思いました。

2009. 5. 8                  by 桐山人



謝斧さんからお返事をいただきました。

「娘生」の娘は母親のことです。
「娘生脚」は、我が母が生まい給いし我が脚、則ち自分の脚のことです。 「我が雙脚」とでもすべきですが、母の恩情に背かず大切な脚をいたわったという気持ちです。

 義堂周信の「空華集」に、
    送侍者帰信州省親
  三度喚時三度應
  信陽山似剣鋩銛
  慇懃惜取娘生脚
  慎勿軽軽躓指尖

なお、「長峰山」は神戸にあります。

2009. 5.18                by 謝斧


 「長峰山」につきましては、井古綆さんからも「船」とあるから、これは六甲の方にある山ではないですか、とご意見をいただきました。

 改めて検索をして、確認をしました。「穂高湖」もあるんですね。
神戸の皆さん、知らずに失礼しました。


2009. 5.23                by 桐山堂





















 2009年の投稿詩 第88作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-88

  宇宙実験棟「希望」其一        

向天矩歩千千尺   天に向かひて矩歩す千千(百万)尺

則地規行二八周   地に則りて規行す二八(十六)周

宇宙空間無重力   宇宙空間 無重力

起居活動委浮遊   起居活動 浮遊に委ねる

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 常春さんの「宇宙実験棟『希望』其二」に詳しく解説されていますが、「希望」は地上四百キロの高さを飛んでいるそうです。月までの距離三十八万キロに比べれば短いかもしれませんが、飛行機が飛んでいる高さが十キロ(一万メートル)あたりだったと思いますので、はるか遠くですね。
 常春さんは「千尺」が「千」で「百万」だということですが、これも「アルプス一万尺」の歌を思い出せば、その百倍、随分の高さだと実感できます。「尺」は長さの単位ですが、高さを表す時にも使いますので、感覚的に理解できますね。
 「其二」は「千里」と表現していますが、同じ様な長さを表しても、「里」は平面的な長さの感覚が強いので、それを「どっこいしょ」と縦にするのは難しい気がします。

 絶句ですとやや言葉たらずで、「希望」の説明に終わっている気がします。この後にまだ何か続くだろうという物足りなさが残ります。「其二」と併せて読まなくてはいけませんね。

2009. 5. 8                 by 桐山人






















 2009年の投稿詩 第89作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-89

  宇宙實驗棟「希望」其二        

進運連携世界儔   進運連携す世界の儔

少微重力碧空求   少微の重力碧空に求む

向天矩歩壹千里   天に向かひて矩歩壹千里

則地規行十六周   地に則りて規行す十六周

準備精誠意沈着   準備精誠 意は沈着

設施綿密體浮遊   設施綿密 体は浮遊す

羈棲宇宙希新野   宇宙に羈棲して 新野を希む

實驗工房期待稠   実験工房 期待稠かならん

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 世界15ヶ国が参加する宇宙ステーションに日本の実験棟「希望」が取り付けられた。宇宙ステーションは、地上400Kmの高さで、地球を90分で一周(1日16週)しており、大きさはサッカー場ほどにもなるという。
 いよいよ「希望」の本格稼動 滞在しての実験が始まった。無重力空間では、骨からカルシュームが溶け出すなどのリスクを伴う。文字通り「骨身を削って」の作業である。宇宙飛行士の方もこの犠牲に勝る成果を期しておられるであろう。

 この詩で苦心したのは、地上400Kmという高さの表現、絶句では、「千千尺」と凡そ300Kmの表現とした。律詩では 「千千」に対して「二八」では対とならない。「四四」も考えられるが、この発音を忌まれる方も多い。最終的に「壹千里」「十六周」とした。
 現代中国では一里 500mであり、古代周の法制では405mである。
 だが日本では一里 4Km。わが頭にも1里=4Kmとこびりついている。これでは実際よりも10倍の高さになる。この詩を読んでくださる方には「古代周の時代は、一里とは兵士の歩幅300歩のこと」と強調したい。

<感想>

 「千里」については「其一」の感想に書きましたので省きます。

やはり、この詩の尾聯のような叙述があると、詩としてのまとまりが生まれますね。

 第六句は、前半の「設施綿密」の上四字と「體浮遊」がつながらないので、句の意味がぼやけています。この聯はもう一歩推敲したらどうでしょう。

2009. 5. 8                 by 桐山人



常春さんからお手紙をいただきました。

 桐山堂先生、掲載ならびにご指摘 ありがとうございました。
宇宙空間 詩にまとまりにくい空漠とした世界ですが、あえて取り組みました。

「里は平面的長さの感覚」というご指摘、「うーん、そうかー!」と意表を衝かれるご指摘でした。海の深さは、水深何マイルと、浬で表現しますが、「里」はたしかに地上の距離表現が主でした。
ここは、丈=10尺 を用いて、「其二」詩の「壹千里」を「百千丈」ならば「白髪三千丈」との比較でご理解容易でしょうか。

 第6句「設施綿密」と「體浮遊」とがつながらない、とのご指摘がありました。
「設施」を「設備」と解釈されてのご指摘かと思います。「設施」には、「按排、措置」という意味があります。
『淮南子』「兵略」での「昼則多旌、夜則多火、晦冥多鼓、此善為設施者也」にある「設施」です。
 第5句「準備精誠意沈着」で、計画から今日まで三十年間を含む地上での開発製作の苦心を詠いました。宇宙ステーションでの設営は今までの短期間の宇宙飛行士のお仕事でした。今回始まった滞在型宇宙飛行士の日常の作業全般を「設施」で表現したつもりでしたが、意不足ですね。

 ご指摘をうけて、考えてみました。力みすぎていたのかなと。
「準備年年意沈着、設施日日體浮遊」とすれば、意味はとりやすくなりましょうか。お教えください。

2009. 5.12                by 常春


 推敲を見させていただきました。『淮南子』からの用例は知りませんでしたが、上句の「準備」との対応で判断させていただいてました。
 長年の周到な準備を経ての実験ですので、「意沈着」は分かるのですが、「躰」へのつながりに飛躍があるように感じます。
 作者の側は宇宙実験をすでにイメージして作詩していますので不自然を感じないのでしょうが、読者としてはどうでしょうか。私の印象としては、「躰」ではなく「志」などの内面を表す言葉にして、「躰浮遊」は別聯で用いた方が流れが良いと思うのですが。

2009. 5.23                 by 桐山人





















 2009年の投稿詩 第90作は 展陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2009-90

  早春        

半晴疎雨水紋繊   

初響輕雷破黒甜   

日漏雲端春暖促   

開窓隠見燕窺檐   

          (下平声十四「塩」の押韻)

<解説>

 小雨が半ば止んで晴れるに従って 水面の波紋が細くなって行く
 初響きの軽い春雷で 昼寝が醒め
 雲の切れ間からの陽ざしが 春暖を促す
 窓を開ければ 燕が見え隠れして軒先に来ている


黒甜=昼寝(北方の方言)

<感想>

 展陽さんからこの詩をいただいたのが三月でしたのが、もう掲載が五月、初夏になってしまいました。遅くなって済みません。

 さて、「早春」という題で考えると、少し気になる点があります。「雨」「雷」とか「燕」は、仲春から初夏にかけての風物のイメージがあるのですが、どうでしょう。「春日偶感」のような題名ならば問題ないのですが。

 これと似た話が、「一字之師」という言葉の語源になっています。今書いている本で丁度話題にした話ですので、ちょっと引用させていただきます。

 唐末の時代、『鷓鴣』の詩の作者として知られた詩人鄭玄のもとを斉己という詩僧が訪れ、自作の「早梅」という詩を見てもらったことがありました。

    早梅        斉己(晩唐)
  万木凍欲折   万木凍えて折れんと欲すれども
  孤根暖独回   孤根暖かにして独り回る
  前村深雪裏   前村 深雪の裏
  昨夜数枝開   昨夜 数枝開く
  風逓幽香去   風は幽香を逓へて去り
  禽窺素艶来   禽は素艶を窺ひて来たる
  明年如応律   明年 如し律に応じなば
  先発映春台   先ず発きて 春台に映じん

           (五言律詩【押韻:回・開・来・台 上平声十灰韻】)

 これを見て、鄭玄は四句目について、「『数枝』は早梅に適せず、『一枝』とするに如かず」と批評しました。斉己は思わず膝を折り、鄭玄を「一字之師」と呼んで拝したそうです。
 これは『唐才子伝』という書物に見られる話で、「一字之師」の言葉は、「詩文のたった一文字でも指導を受ければ師として敬う」という意味の故事成語として現代にも残されています。

 「早梅」つまり早春の時期であるならば、確かに、梅の花はそれほど多くは開いていないでしょうから、鄭玄の評はまさにその通りなのですが、しかし、単に時期が合わないというだけのことでしょうか。
 斉己が最初に「昨夜数枝開」と作ったからには、実際は雪の中に幾枝の梅の花が見えたのでしょう。村里に深い雪の降り込めた朝、気がつくと寒を凌いで幾枝もの梅が、夜の内に花を開いていた。季節の変化、自然のたくましさへの感動が斉己の句には表れています。
 これはこれで、一つの詩だと言えるでしょう。

 しかし、鄭玄は、その「たくましさ」が「早梅」には合わないと思ったのでしょう。
この点を、『唐詩物語』(大修館書店)で植木久行先生は次のように解説されています。

 単に「一枝」の語が、凍てつく厳寒期に咲き始める梅のなかでも、ひときわ早い「早梅」に対する、清雅で幽静な描写(構図)にふさわしいだけではない。春の幽かな足音を着実に伝える梅の開花をひたすら待ち受けながら、ついにその望みがかなったときの、沸きたつ喜びは、「一枝」でなければ表現できないからである。

 鄭玄の指摘に斉己が感動したのは、こうした意図が理解できたからだと言えます。
『全唐詩』では、この詩の第四句は「昨夜一枝開」となっています。

 季節に対する感覚という例になりましたでしょうか。

2009. 5. 8                 by 桐山人