2008年の投稿詩 第241作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-241

  王右丞        

先生画客將詩人   先生画客か將た詩人か

山水写來雙是真   山水写し來りては雙ながら是れ真なり

悲歌万戸傷心句   悲歌す万戸傷心の句

從此閉門帰仏身   此れ從り門を閉じて仏身に帰す

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 謝斧さんからのこの詩は、2008−237の「昌谷詩人」と一緒にいただきましたが、私が「先生は誰のことか教えて下さい」とお願いしました。題名を改めて「王右丞」としていただいたために、掲載時期がずれました。

 王右丞は王維、彼を「詩中画有り、画中詩有り」と絶賛したのは蘇軾でしたか、盛唐の大詩人ということで、杜甫の「詩聖」、李白の「詩仙」と並び、王維は「詩仏」と呼ばれます。母親の影響で、幼い頃から仏道に熱心だったそうです。

 転句の「万戸傷心句」は、安禄山の乱の折、皇帝に従って下るのに遅れた韓愈は捕らわれの身となり、菩提仏寺に拘禁されていた折に読んだ詩だそうです。
 安禄山は長安と洛陽の二都を攻め取り、宮中の宦官や女官、梨園の楽人たちを洛陽に送りました。洛陽の凝碧池で宴を開いた時に、楽人たちは涙を留めることができず、中に雷青海という人物は楽器を抛ち、演奏を強いる賊将たちに反抗したそうです。彼は手足をばらばらにされ処刑されてしまいますが、その話を聞いた王維が書いた詩です。
 国破れた者の思いが痛切に出されたものですね。

2008.11.22                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第242作は 嗣朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-242

  ハート大阪秋祭        

錦楓澄朗素秋天   錦楓 澄朗 素秋の天

闊歩御堂身世円   闊歩する御堂 身世円なり

憂国政治腸欲断   憂国の政治 腸を断つを欲し

維新功業係君肩   維新の功業 君の肩に係る。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 今晩は、漢詩は本当に難しいものですね、このホームで勉強し、其れなりに分かったつもりでも、詩語が思うように浮かんで参りません、漢字の平仄の難しさを特に感じるこの頃です。

 財政難に苦しんでいる大阪府・市は、今年のハート大阪祭り(10月12日)御堂筋パレードを歩行者天国「御堂筋闊歩」に改変した。大幅な予算削減と市民に御堂筋を開放し、数十万の市民が大路を我が思いのまま闊歩した。

「御堂」: 御堂筋(大阪梅田〜難波までの大路)
「維新」: 大阪維新
「君肩」: 大阪府知事の肩(橋下知事)

<感想>

 若い橋下知事への期待が籠められた詩ですね。大阪府にお住まいの嗣朗さんならではの作品です。
失言が一時よく話題になりましたが、最近は首相の方が圧倒的な勢いで、橋下知事の方は落ち着きを感じるくらいです。

 さて、詩の感想に行きましょう。

 起句の「澄朗」は次の「素秋天」に掛かっていくのでしょうが、そうなると「錦楓」が言い捨てのようで、孤立しているようです。
 この言葉は、承句に置いた方が生きるのではないでしょうか。

 承句の「御堂」を「御堂筋」として道だとするのは無理があります。「御堂」と書かれていれば、読者は当然、建物や部屋を想像します。「御堂筋」はもともと、北御堂と南御堂という二つの寺院をつなぐ道路だったとのことですが、それならばなおさらのこと、「御堂を闊歩した」と読むのではないでしょうか。
 道を残すならば「康衢」などの語、あるいは起句で用いた「錦楓」などをここに使うのも一案だと思います。

 転句は「腸欲断」「腸断たんと欲する」と読まずに、「腸 断たれんと欲す」とすべきでしょう。

 結句の「係君肩」「係」は意味から言えば、「懸」「掛」ではないでしょうか。「懸」は韻字ですので、「掛」でしょうか。

2008.11.22                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 玉作を拝見いたしましたが、難しい詩題の詩ですね。
 前半は叙景になっていますが、絶句ではその余裕がないと思います。鈴木先生の感想で全てを言い尽くされていますので、私は試作のみといたします。

    試作
  府民鶴首待秋天、   府民 鶴首して 秋天を待つ、
  誰料遊行靠例年。   誰か料らん 遊行は 例年と靠(たが)ふを。
  大阪維新腸斷策、   大阪維新 腸断の策、
  借財五兆負君肩。   借財 五兆 君の肩に負わす。

「遊行」: パレードにあてる。
「大阪維新」: 橋下大阪府知事就任当時からの施政方針(心意気)。

 以前に私が作った詩ですが、「應援 橋下大阪府知事」もよろしかったらご覧ください。

2008.11.24            by 井古綆


嗣朗さんからお返事と推敲作をいただきました。

 今日は、ご指導有難うございます。

 次の通り推敲いたしました。

   碧空澄朗素秋天
   闊歩康衢身世円
   憂国政治腸欲断
   維新功業掛君肩

 承句の御堂筋の大道りの詩語に「康衢」の詩語は勉強になり有難うございました。
 また、起句の「錦楓」「錦秋」と置いたとき「秋」が二度使われますので、「碧空」に致しました。

 井古綆先生の作品については勉強させていただきます、有難うございます。

2008.11.26            by 嗣朗





















 2008年の投稿詩 第243作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-243

  伏見酒     伏見の酒   

古来伏見酒芳醇   古来 伏見の酒 芳醇

正是吾朋毎夜親   正に是れわが朋にて 毎夜親しむ

不欲傾城将美味   傾城と美味と欲せず

只呑憂苦忽為塵   只だ呑めば、憂苦忽ち塵となる

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 伏見の酒の旨さを単純に詠みました。
 酔って気持ちよくなれば、美女も贅を凝らした食い物もいらないといったところです。

<感想>

 伏見の酒の旨さは異論のないところですが、今回の詩は何となくバタバタとした落ち着きのない詩ですね。

 例えば、起句は言葉だけを見れば意味も一応分かりますが、本来は「古来芳醇伏見酒」という語順であるはずです。平仄の関係で入れ替えたのでしょうが、そのためにそれぞれの言葉が存在を主張し過ぎているようです。

 承句も「毎夜」ではなく、「夜毎」でしょう。

 転句は、注を読まないと意味が分からないですね。「将」でつないだ「傾城」という比喩的な表現と、直接的な「美味」も対応が悪いでしょう。

 結句は「只」が邪魔な気がするのと、「憂苦」「塵」になっても鬱陶しいだけのように感じるのですが、どうでしょうか。

2008.11.22                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 玉作を拝見いたしました。
 転句を除いては詩意が一貫していると思いました。

 鈴木先生のご感想で、「落ち着きがない」との講評は、熟語の使用が不足しているからではないかと感じられました。

 鈴木先生ご指摘の、承句の「毎夜」ですが、通常の文ではそのままでも良いと思いますが、漢詩ともなれば少しマズイような気がいたします。
 どこかで申し上げましたが、杜甫の『曲江』の第一句「朝回日日・・・」とありますので、雅兄の場合は「夜夜」とすべきだと思います。鈴木先生はそのことを述べられたのではないでしょうか。

 結句の詩意は陶淵明の詩にある「忘憂物」を意識したいと思います。

 例によって試作してみました。

    伏見
  酒郷伏見醸清醇、   酒郷 伏見は 清醇を醸(かも)し、
  當向芳樽夜夜親。   当(まさ)に芳樽に向かって 夜々親しむべし。
  美禄三杯凌百薬、   美禄 三杯 百薬を凌ぐ、
  大憂倏忽作微塵。   大憂 倏忽(しゅっこつ) 微塵と作る。

 以前に作った詩ですが、「伏見孟春」もご覧いただければ幸いです。

2008.11.24              by 井古綆


謝斧さんからも感想をいただきました。

 詩の句を評するに頓挫という言葉があります(「筆力起伏頓挫」)
「古来伏見酒芳醇」の句では、「古来伏見」で一頓、「酒芳醇」で一頓になるのが妥かではないでしょうか。
今読み下しを読むと、「古来」で一頓、「伏見酒」で一頓 、「芳醇」で一頓になります。これでは不自然におもえます。
 読者には、「古来伏見の地は酒芳醇である」ように読みますが、そうすれば「正是」が生きてきませんでしょうか。

 起句は能く破題の役割を果たして佳句だと思います。
 承句は、我が先達である、安岡先生の漢詩読本で、山谷が『山河は我朋』と言っていることに対して稚拙だといっています。 あまりにも、陳套で、今でいうベタな表現だからではないでしょうか。

 「只呑」はひたすらに呑めばでしょうか、「憂苦忽為塵」は「忘憂」からでしょうか。
「俗塵の衣を払ふ」とか、杜甫では道義的なことを「棄如土」という表現がありますが、個人の好みかもしれませんが、「忽如塵」でとどめるほうがよいようにおもえます。
 「忽為塵」は強韻のように感じます。

2008.11.26               by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第255作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-244

  時事憂国政     時事国政を憂ふ   

紛紛官政乱如麻   紛紛たる官政 乱れて麻の如し

憂国慈民無傑嗟   国を憂い民を慈しむ 傑無きを嗟く

廉白議員人不現   廉白議員の人現れず

衆参選挙幾相差   衆参 選挙 幾たびか相いたがひしか

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 安倍後継内閣も一年足らずで辞任、麻生内閣も発足五日で国土交通大臣の放言失言と、政治経済は混沌として先がみえず、衆参選挙で人選を幾度も間違ったのか、この国の人材無きを歎くかな。

 宰相語録 踏襲 頻繁 未曾有 詳細 前場 など如何せん

 今年も余すところ僅かとなりましたが、寒さに向かう折から、国内外からの経済不況の中で政経定まらず師走を迎えようとしています。グチぽくぼやいています。
 俗塵を逃れて風流をと思ってもこんな句になってしまいます。
 このページに寄せられる諸賢の玉作で心を癒されています。

<感想>

 つい愚痴を言いたくなってしまう程の最近の政治状況ですので、深渓さんのお気持ちがよく分かります。
 確か、ねじれている国会では満足な政策は実施できないからと前首相は引退なさったのですから、当然、ねじれを解消するためにふさわしい人材として現首相は選ばれたのだと思いますが、その方が何やら一年先まで職務を続けそうな気配。
 ということは、前首相の辞任は単に個人的なわがままなだけで自分が仕事をすればもっと良い仕事ができるのだと、先の総裁選では完敗した方が思いこんでいるのかとつい穿ってしまいます。

 起句の「乱如麻」は意識されたのかどうか分かりませんが、現首相のお名前を一字入れたところにきついアイロニーが感じられますね。

2008.11.24                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第245作は 道佳 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-245

  与高校生笑顔     高校生に笑顔を与ふ   

平允修行求志真   平允なる修行の求志は真

生徒理義意思仁   生徒の理義な意思は仁なり

受経教育成権利   教育を受経する権利を成し

不使悲啼十五春   十五の春を悲啼せしめず

          (上平声「十一真」の押韻)

「平允」: へいいん・公平で適正
「修行」: しゅうこう・学問、道徳を習い、身につける
「理義」: りぎ・道理
「受経」: じゅけい・講義を受ける

<解説>

 先生お久しぶりです。お世話になります。
 先ごろ大阪の橋本知事と「高校生に笑顔をくださいの会」との懇談がありました。知事は選挙で「若者に笑顔を」と公約していました。
 高校生の切実な願いに対して、「あなたが政治家になれば」とか「外国にでも行ったら」などと言い、泣き出す子もいました。
 こんな時に蜷川知事の言葉を思い出し、作詩しました。

<感想>

 言葉の重みについては、昔から様々な格言や言葉が残されていますが、昨今はあまりに言葉が軽くなりましたね。

 私自身も、「相手を傷つける言葉はやがて必ず自分に返ってくる」と小さい頃に教わったように思いますが、多くの人や多くの生徒たちと接する中で、何気なく口にした言葉が思いがけず相手を傷つけてしまったことも何度かあります。あるいは、自分では今でも気づかないままに、相手に重い苦しみを与えてしまって来ていることもきっと多くあるのだろうと思います。
 だからこそ、自他の胸の痛みを忘れないようにして、ひと言ひと言を大切にしなくてはいけないと肝に銘じるようにしています。

 政治家のあまりに無神経な失言がニュースを頻りに賑わし、しかも世間の批判を浴びても撤回しない風潮が進んでいるような気がします。若者に笑顔を与えたいという道佳さんの切実なお気持ちが、本当によくわかります。

 結句の「不使」はご自身の意志を表します。他者への願望の形にするならば、「莫使」(しむるなかれ)とします。

2008.11.24                 by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第246作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-246

  蘇連邦崩壊風聞抄古稿        

時流革命氣衝天   時流 革命 気天を衝き

赤黨君臨七十年   赤党の 君臨 七十年

蝅食隣邦下苛令   隣邦を蚕食して 苛令を下し

鯨呑弱國振強權   弱国を鯨呑して 強権を振ふ

金蘭訣別牙城落   金蘭は 訣別して 牙城落ち

膠漆分離鎚旆捐   膠漆は 分離して 鎚旆(ついはい)捐(す)つ

正語榮枯尊像廢   正に栄枯を語る 尊像廃(すた)れ

既呈矛盾寶書燃   既に矛盾を呈す 宝書燃ゆ

肅清恐怖平明欠   粛清の恐怖 平明欠け

禪譲當途傀儡全   当途を禅譲して 傀儡(かいらい)全し

曾遇饉秋窮穀物   曾て饉秋に遇ひ 穀物に窮し

今開荒野發油田   今は荒野を開いて 油田を発す

統治廣域何望蜀   広域を統治して 何ぞ望蜀(ぼうしょく)

友好良民可比肩   良民と友好 比肩する可し

愛勝怨讐文勝武   愛は怨讐に勝(まさ)り 文は武に勝る

飛龍保有問諸賢   飛竜の保有 諸賢に問ふ

          (下平声「一先」の押韻)



「蚕食」: かいこが桑の葉を食べるように次第に他国を侵略すること
「鯨呑」: 鯨が魚を一飲みにするように他国を飲み込んで併合すること
「金蘭」: 金のように堅く、蘭のように芳しい交わり。3・4句の「苛令・強権」とに少し矛盾する。
「膠漆」: にかわとうるしのように極めて親密で離れにくいこと
「鎚旆」: 鎚が画かれている旧ソ連の旗
「尊像」: レーニン像
「宝書」: マルクス・レーニンなどが著わした書
「平明」: 公平で明らか。次句の「傀儡」に対する畳韻
「禅譲」: 本来は帝王がその位を世襲せずに有徳者に譲ること。この場合の禅は仄韻で禅も譲もゆずる意
「当途」: 枢要な地位にある人物、ここでは大統領を指す
「傀儡」: 本来首相は大統領の下位であるべきだが、現実にはその逆であることをいう
「饉秋」: 飢饉の歳
「望蜀」: 隴を得て蜀を望む。欲望にきりがないこと。
      ここでは世界中の国の反対を押し切りロシアがグルジアに『侵攻』したことをいう。
      これは恐らくは打算であろう。
「飛竜」: ここではミサイルにあてた。

<解説>

 この詩はソ連が1991年に崩壊した後、二年くらい後に十句で完結した詩を作りました。
 その後、ロシア国内が飢饉に陥ったり、新たに油田が発見されたり、また最近では大統領の禅譲があり、最もロシアの行動に不信を懐いたのは、ロシア軍のグルジアへの侵攻です。
 このことは我国とは無関係ではありません。60数年前より我国の固有領土である『北方四島』は未だ不法占拠されたままです。

 かつて南宋の愛国詩人『陸游』は亡くなるまで憂国の詩を賦しました。わたくしは『放翁』には作詩に於いては遙かに及びませんが、国を愁うことに於いては劣らない積りです。
 漢詩を作る際には人それぞれの思いがありますが、わたくしに於いてはこれが精一杯の我国を思うことの発露で、以前常春雅兄玉作『蟹漁船』等に対しまして不遜な言葉を申し上げました次第です。

 このような気持ちがこの七言排律となりました。五言では比較的に容易に出来ますが、七言は非常に難しく苦労しました。ゆえに11・12句は完全な対句には出来ませんでした。かろうじて流水対に準じる形にもってきました。

<感想>

 詩を最初に見た時には、古詩かと思いましたが、排律で書かれていたのですね。七言の対句を積み重ねる井古綆さんのパワーにまずは感動です。

 ざーと読んでも分かりませんので、意味の上での区切りをつけながら読みました。
 初めの四句は「崩壊前のソ連」と言えば良いでしょうか、強大な力を見せつけていた時代を思い浮かべます。
 次をどこまででまとめるかが難しいですが、「崩壊から現代まで」ということにして、十二句目までまとめるのが、理解しやすいと思います。「曾遇饉秋窮穀物 今開荒野發油田」の二句は、ロシアが食糧不足の時期もあったが、現在は油田開発で国際経済的には優勢な地位を得ているという意味でしょう。
 最後の部分に、グルジア侵攻問題が明確に出されていて、井古綆さんのお気持ちがよく分かります。「愛勝怨讐文勝武」は、目新しい言葉ではありませんが、現実社会において、あるいは当事者となれば実行は難しいものなのかもしれません。
 だからこそ、理想のような言葉であるけれど、何度も何度も私たちは口にしなくてはいけないのでしょうね。

 「11・12句の対句に苦労した」と書かれていますが、これは「9・10句」のことではないでしょうか。
 ここでの「禅譲」も本来の語義から言えば「りっぱなことをした」と捉えますので、下の「傀儡全」への流れでは「禅譲したけれど・・・」と逆接になりますね。

2008.11.29                  by 桐山人



井古綆さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、お早うございます。ご高批まことに有難うございました。

 先生のご指摘の通り「9.10句」の間違いでした。お詫びして訂正いたします。
この聯の詩意は “かの國は公正に欠けるため、粛清の恐怖におののき、大統領の職を部下であった者に禅譲し、傀儡政権を作った” の意味で、先生ご指摘の『逆接』だろうと思います。しかしながら、前大統領は有能な人物で、次期大統領に返り咲いて、憲法をも変えて任期を伸ばすとも憶測されています。

 この詩を投稿いたしましたのは、九月の初旬でしたが、先生のお忙しいことを承知していましたので、掲載は何時でも良いと申し上げていましたが、このように早く掲載して頂けるとは思いませんでした。その後に最近古書店で日中辞典を購入しました。
『ミサイル』を検索しましたならば、「導弾」と載っていましたので「百千導弾問諸賢」と考えられますが、インパクトが弱く思いますので、そのまま「飛竜」にいたします。

 なお前句の「愛勝怨讐文勝武」の句は、現実の世界情勢には余りにも非現実的ですが、全体の詩意と最後の句を総合的に考えてこのようにいたしました。

 ついでに鮟鱇雅兄との「禅譲」の件について述べますと、前述のようにこの詩を作るまでは平仄を理解していませんでした。
 先賢の作品にもそのような例があります。「望立山の承句・暮れに山麓に投ずれば只雲煙」の「投」は「投宿」の場合には仄韻になります。
 作者は高名な方であり、平仄は充分ご承知だったと思います。ではなぜこの文字を使用されたかと申しますと、他に適当な文字がなかったので代用したと考えられます。このような例は稀にあります。ですから平仄が間違いであると一概に判断は出来ません。(投宿に代わる文字を探しましたが探せませんでした。)

 また即吟する場合には相当に慎重にしなくてはならないと思います。
 送別の詩で有名な李白のhttp://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/r49.htmですが、『起句』の平仄の乱れは、(私見ですが)李白が十二歳年長の孟浩然を尊敬していた為ではないかと思います。
 我国の「佐藤一斎」が「近江聖人」を尊敬した詩http://tosando.ptu.jp/2007/toko2007-6.html#2007-171の感想欄の後半にわたくしの意見を載せて頂いていますように、李白が孟浩然に畏敬の念で以って平仄を乱したと考えられます。
 これにつきましては多くの解説書にも説明は有りませんので、あくまで私見です。

 なお長年、詩の後半を再読して熟考して見ても転結がダブルような気がいたします。これは李白が即吟のため本人でさえも気が付かなかったと思われます。これは大詩人李白への “誹謗ではなく”我々が自戒することとして “敢えて” 述べました。
 比べて不肖わたくしは膚学を申し上げておりますが、読者の皆様が拙詩に対しましての疑問点があります際には、ご高説を拜受致したいと思います。

2008.12. 8                  by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第247作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-247

  詠坂本竜馬     坂本竜馬を詠む   

多年汲汲捧維新   多年汲々と維新に捧げ、

閑日悠悠詩画人   閑日悠々たり、詩画の人。

大業未完顛兇刃   大業未完にして、兇刃にたおれ、

今猶敬仰志誠真   今猶、敬仰さるる志の誠真さ。

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 伏見を散策したときに、寺田屋に立ち寄りました。
 以前に井古綆先生が近藤正美のことを詠んでおられたので、拙きながら、坂本竜馬のことを詠んでみました。
 寺田屋には坂本竜馬の作った漢詩や水墨画が飾られておりました。維新に身を捧げるかたわらで、閑な折には詩や画に親しんでいたようです。本来は、優れた文人であったのだと感じました。

<感想>

 幕末の英傑とされる坂本龍馬の多様な面を描こうとされたのは、寺田屋で見た詩画が印象深かったのでしょうね。ただ、「優れた文人であった」ということを主張するには、結句の「志誠真」は「捧維新」と付きすぎていますから、違和感が残ります。

 前半の二句、後半の二句それぞれで見れば不都合は無いのですが、全体としては、前半と後半がそっぽを向いているような感じですので、結句を推敲されると良いでしょう。

 坂本龍馬が漢詩を創ったというのはあまり聞かないので(私が知らないだけかもしれませんが)、承句の「詩」は広義に取って、和歌も含むように解釈すれば良いと思います。

2008.11.28                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 辛口になりますが、今回の詩は、坂本竜馬の事業を叙述しただけで終わっており、感興がわきません。
 詩は志をいいます。坂本竜馬に対しての詩人の思い入れや、詩人の視点がどこにあるのかを明確にしないといけないと思います。

2008.11.29             by 謝斧


井古綆さんからも感想をいただきました。

 忍夫雅兄今晩は。
 拙詩「詠近藤勇」に関心を持っていただき、有難うございました。
 拙詩を解説いたしますと、鈴木先生もご指摘のように我々関西人は好印象を持っていませんが、これは明治維新により幕府が倒れたからで、杜牧も「烏江廟」で「勝敗兵家不可期」と詠じているように、負ければ賊軍となります。
 「若しも」は禁句ですが、当時幕府が延命していたならば、彼は英雄の名称を与えられていたでしょう。
 後世の詩人が当時の人物を評価するには、その人物の気持ちを忖度することだと思いました。ですからあのような形になりました。

 雅兄の「詠坂本竜馬」の詩の感想に移りますと、近藤勇とは好対照に竜馬は詩題には多く取り上げられていると思います。が、わたくしは松口月城と河野天籟のしか存知ません。
 雅兄が寺田屋を尋ねられたとか、わたくしもその前を3回ほど通過しましたが、中へは入ったことがありません。史書によれば竜馬終焉の地(屋)は近江屋だと記憶しております。

 雅兄の詩を拝見いたしますと、鈴木先生がご指摘の承句以外は整っているように感じられます。しかしながら、詩の構成に問題があるでは無いでしょうか。
 すなわち竜馬は維新の立役者であり、『維新』の語を結句に持ってくるべきであるように思います。

 以下の詩は10数年前の作で詩嚢からようやく探し出しました。

   詠坂本竜馬
  薩長連合尽心神、   薩長連合に 心神を尽くし、
  国難焦眉擲一身。   国難 焦眉 一身を抛(なげう)つ。
  可惜僑居有油断、   惜しむべし僑居(きょうきょ)に油断有るを、
  臥竜終未見維新。   臥竜 終に 未だ維新を見ず。

「僑居」: 仮住まい。
「臥竜」:機会があればおおいに実力を発揮するであろう英雄のたとえ。ここでは竜馬。

※ この転句では弱いように感じたため律詩では、『痛恨図南曷油断』と語句を最小限にして語気を強めましたました。「詠坂本龍馬
  3年ほど前の作です。なお「歓辛」の「歓」は日本で始めて新婚旅行したといわれることを表します。

2008.11.30            by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第248作は 湘風 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-248

  一邑        

峭壁山蹊樹影濃   峭壁の山蹊 樹影濃なり

遥看一邑澗渓封   遥かに看る一邑 澗渓封ず

青天夏日爽涼快   青天の夏日 爽涼 快なり

旅客誰知凍雪冬   旅客 誰か知らん 凍雪の冬

          (上平声「二冬」の押韻)

<解説>

 三首目を投稿させて頂きます。
本年の夏にグランドキャニオンを訪れた時の一首です。

 谷の上から遥か下方に一村を望む事が出来ました。
我々が訪れたのは青天の夏でしたが、冬の生活は我々の想像を絶するとの事でした。その村の冬の生活に思いを馳せて詠んでみました。

<感想>

 グランドキャニオンに私は行ったことがありませんが、起句の描写は生き生きとしていて、実感が籠められている佳句だと思います。
 こうした秀句が初めに浮かんでしまうと、その後の句も負けないようにしないといけませんから、これがなかなか大変ですね。でも、それこそが作者の工夫のしがい所、読者の楽しみ所でもあります。

 そうした観点で詩を拝見していきますと、転句までは頑張っていらっしゃるなぁと感じますが、結句に疑問が残ります。
 句の表現としての問題ではなく、これは詩としての発想の問題だと思います。

 グランドキャニオンの大きな自然に触れて、青い空の下、夏のまぶしい太陽、渡る爽やかな風、そんな気持ちの時に、「冬は厳しい生活をしているだろうな」と想像することは自然な心の動きでしょうか。
 現地の人の話を聞かなければ恐らく誰も心に浮かびもしないことで、「誰か知らん」と言われても「誰も知らん」としか答えようがないと思います。
 このお気持ちは湘風さんの実感だったとしても、それを詩にしたときに読者から共感を得られるかどうかが大切です。

 夏の詩に冬のことを入れるというような「季節感の重層化」は古来から詩人の好んできた技巧ですが、これは濃い化粧をしたようなもので、TPOにうまくはまれば「効果的で美しい」と言われますが、下手をすれば「技巧的でわざとらしい」という批判を受けることになります。
 では、その「うまく」と「下手」の境は何か、と言えば、私は「心の自然な動き」ではないかと思います。

 現時点では、詩の主題を結句に置かざるを得ず、転句までの実景の句が結句のお膳立てのような役割になっていますが、それは作者も望んだことではないと思います。
 もう一頑張りして、結句もグランドキャニオンの空気が感じられるような内容にすると、非常に良い詩になると思いますので、推敲をお勧めします。

2008.11.29                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 久しぶりに読む、文句のない、佳く出来た詩ですね
特に「遥看一邑澗渓封」は好句ですね。

 三四句で技をかけましたか

 こういった詩をよむと気持ちが爽やかになります
こういった詩を作れることに対して、妬ましい気も羨ましい気もします

2008.11.29                by 謝斧


井古綆さんからも感想をいただきました。

 湘風雅兄初めまして
 玉作「一邑」を拝見いたしました。

 雅兄によってグランドキャニオンの中に村があると知りました。
その状景を『一邑』と詩題にされたことは、よほど脳裏に焼きついたことと思います。

 我々まだ行った事のない者にとりましては、テレビ等で見る雄大な景色が眼に浮かびます。
従って、玉作の詩題では読者も戸惑うのではないかと思いました。

 わたくしは15,6年前に「大峡谷」という詩を作ったように思い、詩嚢を探しましたが見つからず、あわてて下記の詩を作って見ました。当時より少しは上達しているだろうと思いましたので、人様にご覧頂きたく送稿した次第です。

    大峡谷
  千尋峡谷瞰臨悠、   千尋の峡谷 瞰臨(かんりん)悠(はるか)に、
  委迆巉崖濁水流。   委迆(いい)たる巉崖(ざんがい) 濁水流る。
  人類栄華時到尽、   人類の栄華は 時到りて尽くるとも、
  連綿浸食永無休。   連綿たる浸食は 永(とこしへ)に休む無し。

「瞰臨」: 上から見下ろしてみる。
「委迆」: 曲がりくねるさま。
「巉崖」: 切り立ったがけ。

2008.11.30              by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第249作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-249

  自北外輪山望阿蘇五岳     北外輪山より阿蘇五岳を望む   

放牧游牛赤白重   放牧遊牛赤白(せきはく)重なり

雲蒙連岳遠霞濃   雲は連岳を蒙(おお)ふて遠霞濃(こま)やかなり

噴煙高上涅槃態   噴煙高く上って涅槃の態(すがた)

畏仰神威大観峯   畏(かしこ)み仰ぐ神威 大観峯

          (上平声「二冬」の押韻)

<解説>

 平成二十年度愛媛県神社庁松山支部の旅行が阿蘇・高千穂方面にて実施され、私も参加させていただきました。いつ訪ねても阿蘇の雄大な景観はすばらしいですね。山焼きをして背丈のそろった草草の緑がまぶしく、蕨がそこかしこに自生していました。
 阿蘇五岳(阿蘇中央火口丘)はお釈迦様が仰向けに寝ている姿に似ていることから「阿蘇の涅槃像」と呼ばれています。根子岳が顔、その右の高岳が胸、中岳が臍(へそ)、杵島岳と烏帽子岳が膝(ひざ)に例えられます。
 阿蘇五岳の眺望では一番と言われるビューポイントが阿蘇大観峰です。かつてこの地を訪問した徳富蘇峰が「涅槃像」と命名したといわれています。私が訪問した平成20年5月22日(木)は春霞がうっすら稜線に懸かっていましたが、空気が澄む秋頃には、早起きして大観峰に立つと雲海に浮かぶ涅槃像を拝むことが出来るかもしれません。

 「神威」‥麗絶な阿蘇山を拝見すると、誰しも心あらわれそこに畏敬の念を感じるのが大和心です。
 熊本県阿蘇市一の宮町にある阿蘇神社は、阿蘇開拓の祖神と伝えられる健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめ十二神を祀る由緒ある神社です。
 はるか昔、阿蘇の火口原は満々と水をたたえた湖沼でした。ミコトはこれを干して、平野にしようと考えました。外輪山の一番低い二重峠を蹴ってみましたが、堅固な上、峠が二つもあって壊れませんでした。そこで火口瀬である立野を蹴破って水を流し、やっと平地をつくることに成功しました。
 阿蘇神話が説く、あまりにも有名な健磐龍命の国造りの話です。

<感想>

 阿蘇山を詠んだ投稿詩では、2006年に兼山さんから「阿蘇山」がありましたね。
 その時にも、徳富蘇峰のことを感想で書かせていただきましたが、阿蘇山の雄大なパノラマを七絶でどこまで読み切れるか、逆に言えば、どこにポイントを置いて描くかが求められます。
 サラリーマン金太郎さんのこの詩では、後半の「涅槃像」に焦点を合わせながら、その前段としての遠景がかすむ承句が効果を出しているでしょう。そういう点では、起句の近景も構成としてはバランスが取れてきますね。

 結句は「畏仰」「神威」に言葉としては重複感がありますが、作者の気持ちとしては強調したい部分なのだろうと思います。

 承句の読み下しですが、「蒙ふて」「蒙ひて」が正しい形です。「蒙うて」とすれば「ウ音便」として見ることができますが、こうした音便形は口語っぽさを生みます。ここは内容的にも、通常に「蒙ひて」としておくのが良いと思います。

2008.12. 7                 by 桐山人



兼山さんから感想をいただきました。

 「放牧游牛」「雲蒙連岳」の詩句に阿蘇の雄大な景観を改めて思い浮かべる事が出来ました。
 鈴木先生の「感想」文中、思い掛けなく小生の旧作「阿蘇山」(2006-227)に触れて戴き、大変恐縮致しました。
 また、サラリーマン金太郎さんの「解説」文中、阿蘇大観峰が「この地を訪問した徳富蘇峰が「涅槃像」と命名したと言われています」とありました。「大観峰」だけではなく「涅槃像」も蘇峰翁の命名だとすると、小生の詩における問題の解決策としては最も無理が無いと思いました。
 尚、御指摘賜りました起句「雲烟蘇嶽大観峰」推敲の件、「蘇嶽」を省いて「雲烟遙看大観峰」と案じて見ましたが。 相変わらず、語彙の貧しさを痛感するばかりです。

2008.12.18                 by 兼山

 兼山さんのご感想は、後半は兼山さんの「阿蘇山」の方に付けた方が良いかとも思いましたが、サラリーマン金太郎さんの詩からの発展、お互いに刺激を受け合うという面で、このまま載せさせて頂きました。

                      by 桐山人


井古綆さんからも感想をいただきました。

 玉作を拝見いたしました。

 まず良いところを言えば雅兄が結句から作っている点です。しかしながらこの「冬」韻では韻字が少ないため非常に苦吟されたことでしよう。
 手馴れた人でも難しいと思いました。
 眼前の景物に眼を奪われて、その取捨をするには非常に難しいことは、http://tosando.ptu.jp/2006/toko2006-19.html#2006-277に申し上げたと思います。

 雅兄が最初に眼にされた、起句の「放牧游牛赤白重」は意味が通じないように感じます。意味が通じても本来の『阿蘇山』には副次的な状景で承句に繋がりませんので、私の試作では、起句の韻字を通韻として、「叢」を使用しました。

 かく言うわたくしは30数年前と、その後二回訪れましたので少しは覚えています。また「放牧游牛」は「牧牛」にすれば二字分を他の意味を挿入できます。
    以前の作 http://tosando.ptu.jp/2008/toko2008-6.html#2008-177『僻遠村郊』にも申し上げました。

 また承句に「雲」転句に「噴煙」を詠じているのは当日の状態がそのようであったと推察いたします。
 このことが絶対に悪いとは申せませんが、年中そのような状景ではなく、青天の日もありますので、詩としては『晴天』のほうが良いと思いますが如何でしょうか。わたくしは一句を為すに当たってその状景を頭に浮かべながら賦していると、句と句に渡っての矛盾点も浮かびます。

 真瑞庵雅兄が『ちょっと邪道の感が否めませんが・・・』http://tosando.ptu.jp/2008/toko2008-8.html#2008-228 に私見を申しましたように、齟齬がなければ眼前の景を変化させて『涅槃態』を詠出するには「雲天」よりは「青天」のほうがクッキリと涅槃像が浮かび上がります。

 以上のことを勘案して試作して見ました。

    試作
  車過牧牛休草叢、   車は牧牛の 草叢に休むを過ぎ、
  遂望五岳彩霞重。   遂に五岳を望めば 彩霞重なる。
  青天畫出涅槃態、   青天 画き出す 涅槃の態、
  畏敬神威大観峯。   神威を 畏敬す 大観峯。

 下記の作は全対格を志す諸兄のために作りましたが、完全には出来ませんでした。
起句の「九回」を「羊腸」にしなかったのはそのためです。
起承は流水対になりました。


    上蘇嶽
  車上九回倶盪胸、   車は九回を上れば 倶に胸を盪(うご)かし、
  遂望五嶽矚威容。   遂に五岳を望めば 威容に矚(しょく)せしむ。
  青天顯現涅槃像、   青天 顕現 涅槃(ねはん)像、
  緑野茫洋大観峯。   緑野 茫洋 大観峯。

「九回」: 幾度も曲がりくねる。九折。羊腸。
「盪胸」: 杜甫『望嶽』より引用。
「矚」:  矚目、じっと見つめる。

 以前の投稿詩です。http://tosando.ptu.jp/2006/toko2006-3.html#2006-35 

2008.12.16              by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第250作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-250

  出雲大社仮殿遷坐祭        

祠堂儼粛畏千秋   祠堂儼粛(げんしゅく)千秋を畏(かしこ)み

警蹕聲聲巡社頭   警蹕(けいひつ)聲聲 社頭を巡(めぐ)る

雲上遷宮從神體   雲上の遷宮 神体に従ひ

壮嚴雅楽月光幽   荘厳雅楽 月光幽なり

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 御祭神の大國主大神様のお住まいの御本殿は古くより「天下無双の大廈(たいか)」と称えられますが、平成12年の境内の八足門(やつあしもん)前での巨大な御柱の顕現によって、語り継がれた往昔の高さ16丈の天下無双≠フ御本殿が明らかとなりました。現在の国宝御本殿は、延享元年(1744)に御遷宮御造営され、以来、文化6年(1809)、明治14年(1881)、昭和28年(1953)と3度にわたり御遷宮御修造がお仕え継がれてきました。そして、このたび、「平成の御遷宮」をお仕え継ぎいたします。

 平成20年4月20日には大國主大神様を仮のお住まいの御仮殿(現拝殿)にお遷し申し上げる「仮殿遷座祭」をお仕えいたし、御修造がととのいます平成25年5月にはもとの御本殿にお還りいただきます「本殿遷座祭」をお仕えいたします。また御修造は、御本殿のみならず、境内境外の摂社・末社等も、御本殿御修造に併行して、またその後の平成28年に至る間、お仕えさせていただきます。

(→出雲大社ホームページより)

「警蹕(けいひつ)」:そもそも神さまがお出になるときや膳を供える時に声を発して先を払う(前のものを取り除き清める)ことであり、神が降り立ったことを示す合図である。

「雲上遷宮」:平安時代の天禄元年(970年)、『口遊(くちずさみ)』に、「雲太、和二、京三【謂大屋誦】。今案、雲太謂出雲国城築明神神殿【在出雲郡】。和二謂大和国東大寺大仏殿【在添上郡】。京三謂大極殿、八省」と言う記述がある。これは当時の大建築の順位を表したのだという。
 1位は出雲大社。
 2位は東大寺。
 3位は京都御所、大極殿。

  「雲太」と言う名称はここから出た。
 出雲大社の口伝では、上古32丈、中古16丈、その後8丈という。1丈は3.0303m。

 また、『夫木抄』(平安時代末から鎌倉時代初頭の史料)には寂蓮法師の歌として、
「出雲大社に詣でて見侍りければ、天雲たな引く山のなかばまで、かたそぎのみえけるなむ、此の世の事とも覚えざりける

   やはらぐる 光や空に みちぬらむ 雲のわけ入る ちぎのかたそぎ」
 (此の世のこととはおもえない、非常に大きな建物であったことが記されている)

 月光幽【げっこうゆうなり】−月光がほのかである。遷座祭は午後7時から。第84代出雲國造神主 千家尊祐(せんげたかまさ)宮司ら神職はじめ参列する役員・信徒氏子ら約500人が59年ぶりの幽玄な祭典を奉仕・体験した。

<感想>

 サラリーマン金太郎さんからは、いつも丁寧な解説を添えていただき、読むときに「勉強になるなぁ」と思うことが多いのですが、今回も出雲大社がかつては最大で三十二丈、百メートル近くの高さだったということで、びっくりですね。

 転句の「雲上」は解説から見ると「雲太」の方が良いようにも思いますが、そうなると詩に注を施すことが省けなくなります。
 やや大げさすぎる表現かもしれませんが、寂蓮法師の歌から考えると、実感に近いものだったのかもしれないなと思います。
 ただ、現在の大社でも尚「雲上」の表現が実感であるのか、と疑問を持たれるかもしれませんが、過去の大社の荘厳さを現実の姿と重ね合わせたものという読み方もできるでしょうね。

 転句の「従」はこの場合は動詞用法で平声のため「挟み平」になりませんので、この句は平仄が崩れています。注意して下さい。
 また、「厳粛」「荘厳」という言葉は、場面の雰囲気で伝えた方が良く、更に同種の言葉を二度用いると無理に押しつけられるような圧迫感が出てしまいます。

2008.12.15                  by 桐山人
 転句の「従」の平仄については、仄声でも良いというご意見も伺いました。後日、確認をさせていただきます。

2008.12.18                 by 桐山人




井古綆さんから感想をいただきました。

 サラリーマン金太郎雅兄、玉作を拝見して、非常に嬉しく思います。
 詩意が整った作品であると存じますが、惜しいことに結句の措辞が間違いのように感じます。
鈴木先生のご指摘の通り、起句の「儼粛」と結句の「荘厳」は文字は少し異なるものの意味は重複します。

 本詩の結句の主語は「雅楽」で、修飾する語が「荘厳」であることはご存じと思います。
 音楽を修飾する語には「瀏喨(リュウリョウ)」と言う語があります。(楽器の音などが冴え渡っているさま)、しかしながら『喨』が仄韻でこの詩には使用できません。
 『瀏』は平仄両用ですので「瀏瀏(平韻では尤韻)」とすれば良いと思います。結句の詩意は『月光幽』では的が外れている感じがいたします。

 以前或る詩誌で中国のお方が、日本人の詩は詩語が全て似ていると言うようなことを述べられていました。
 これは我々が詩語表より抽出してそのまま使用しているからに外なりません。この『月光幽』も季節の詩語に掲載されていると思います。

 当詩結句の場合の詩意は “月光のもと、雅楽が瀏喨として流れる” ではないかと思います。
 従って結句を『月前雅楽度瀏瀏・月前の雅楽 瀏瀏(リュウリュウ)と度る』とすれば如何でしょうか。

2008.12.16               by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第251作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-251

  賀学友合同喜寿会     学友の合同喜寿の会を賀す   

昨日黌朋已白頭   昨日の黌朋 已に白頭

同迎喜寿会泉楼   同に喜寿を迎へて 泉楼に会す

高齢何厭光輝裡   高齢 何ぞ厭はん 光輝の裡

作並鷹湯参客遊   作並 鷹湯 客遊に参はる

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 起句「昨日黌朋巳白頭」は許渾(晩唐)の「秋思」詩七絶の結句「昨日少年今白頭」より。

 老残の学友が今年喜寿を迎えて、後期高齢者と位置付けされるも、吾らは光輝高齢者なりと、十月初仙台西でゴルフの後、作並温泉で歓をつくせり。因みに老生のみ年長で傘寿なり。

 桐山堂先生
今年も余すところ僅かとなりました。
諸賢の佳句が掲載され熟読しています。


<感想>

 「後期高齢者」を「光輝高齢者」と呼ぶという発想のたくましさは、人生のたくましさそのものだと思います。
 詩としてそのまま用いた時に、この事情を知らない人には「光輝裡」と言われても面白さを十分に感じないでしょうが、会に参加された方々にとっては思い出として印象深い詩となるでしょうね。

 結句の「作並」「鷹湯」の地名も同様の趣です。

 ここまで快調な詩の調べだったのですが、最後の「参客遊」は説明のようになってやや物足りない気がします。温泉の様子か宴会の様子など、結びとして心が浮き立つような感じが出ると良いですね。

2008.12.15                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第252作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-252

  秋日郷村        

晴空萬里白雲浮   晴空萬里 白雲浮ぶ

渡野西風撫頬柔   野を渡る西風 頬を撫でて柔らかし

荻穗搖搖高水畔   荻穗 搖搖 水畔に高く

稲波疊疊廣田疇   稲波 疊疊 田疇に廣がる

籬邊黄菊開花盛   籬邊の黄菊 開花盛ん

軒上紅楓落葉稠   軒上の紅楓 落葉稠し

遠近景觀看不厭   遠近の景觀 看れども厭きず

郷村業已入深秋   郷村 すでに 深秋に入る

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 秋の郊外の景を遠近を用いて、ゆったりと描かれた詩ですね。

 特に首聯・頷聯は目線の動きもなめらかで、広々とした野を歩いているような気持ちがよく伝わってきます。
 頸聯では、作者は家の中に入ったのでしょうか。流れとしては、あぜ道を歩いていた時に一軒の農家があったということで、近寄って外から眺めるという風情と読んだ方がいいでしょうね。

 言葉の面では、「稲波畳畳廣田疇」というのと、「紅楓落葉稠」は季節がずれるように思います。「紅楓」だけなら、まだ分かりますが、「落葉」まで来るとどうでしょう。

 読み下しでは、二句目の「柔」は形容詞ではなく形容動詞ですので、「柔らかし」ではなく、「柔らかなり」としなくてはいけません。
 結句の「業已」は、二文字で「すでに」と読む言葉ですね。

2008.12.18                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 点水雅兄今日は。玉作を拝見いたしました。
 対句の四句を正確に作っておられますことに感心いたしました。

 鈴木先生がご指摘の第六句の「落葉」がやはり時期的に不自然ですのは、推敲を重ねるしかありません。

 私見を申しますと、五句六句の六字目を『○香』『○色』にしましたなら解決すると思います。

 失礼を省みずに申し上げれば、感動が伴いません。尾聯を除いて誠に素晴らしいので、欲が出てきました。詩は起句も大切ですが、その巧拙を左右するのはやはり結句(律詩ならば第八句)です。

 雅兄が田舎のご出身であると仮定して、尾聯を考えて見ましたので、詩想の参考になれば幸いです。

  尾聯
 ○○村郊若桑梓、   ○○たる村郊 桑梓(そうし)の若(ごと)し、
 帰鴉○○誘郷愁。   帰鴉○○郷愁を誘ふ。

「桑梓」: くわとあずさで、故郷を表します。

2008.12.20              by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第253作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-253

  桂香        

西風蕭瑟澹秋光   西風蕭瑟 秋光澹し

歳歳庭中漾桂香   歳歳庭中 桂香漾ふ

遙憶家山還往事   遥かに家山を憶ひ 往事に還る

老夫懐想又何妨   老夫の懐想 又何ぞ妨げん

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 秋風吹き庭に桂花が開くと、その香に誘われ 何故かふるさと そして青年時が甦る。
これ至福の時。

<感想>

 「年年歳歳花相似」は春の花ばかりではない、ということですね。

 文法的なことになりますが、起句と承句の下三字は「主語」と「述語」の関係ですので、本来ですと、それぞれ「秋光(は)澹」「桂香(が)漾」となるところですが、押韻の関係で入れ替えた形です。逆に見て、本文のままに読めば「秋光を澹くし」「桂香を漾はす」となります。

 承句の「歳歳」「漾」を修飾する言葉ですので、このままですと「庭中」にかかっていくような印象になります。
 「庭裡歳歳」とした方が分かりやすいでしょう。

 構成の点では、起句から承句の流れにもやや唐突感がありますが、転句への発展は理解が難しいですね。「桂香」がどうして故郷や昔の事につながるのか、解説では「何故か」と書かれていますが、それなりの理由やきっかけとなる事があるのでしょうから、それを書かないと、作者の思いばかりが先走ることになります。
 結句の「老夫懐思」は転句の繰り返しになりますので、強調以外にはあまり効果がありません。先述の「懐思の理由」をここでは書かれると、一首のまとまりが生まれるでしょう。

2008.12.18                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第254作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-254

  奉寄蝶依先生與汨羅江先生        

日本詩壇旁落時   日本詩壇 旁落の時

臺灣斯道有君支   臺灣斯道 君有りて支へん

桜花易散霜風怯   桜花散じ易く 霜風に怯え

梅朶能堪氷雪欺   梅朶能堪へて 氷雪を欺く

羨見風流俊材足   羨み見る風流 俊材足く

應知ト悌厚情宜   應に知るなるべしト悌 厚情の宜しくを

吾曹自擬登臺客   吾曹自ずから擬す 台に登りし客を

空念挽回心苦悲   空しく挽回を念ひては 心苦だ悲し

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 先達の遺志も継げず空しく馬齢を重ねて老いさらばえてしまいました。内心忸怩たるおもいですが老騏老鶴の志は少しは残っています。

 これからは若い方達が日本の斯道を挽回してくれるものと信じています。
前に古人逝くも 後に来者を見るですか

「登台客」: 陳子昂のこと
    登幽州臺歌
  前不見古人    前に古人を見ず
  後不見来者    後に来者を見ず
  念天地之悠悠   天地之悠悠たるを念ひ
  獨愴然而涕下   獨り愴然として涕下る

「梅花」は臺灣の国花

 推敲前は、尾聯は
吾曹自有挽回意   吾曹自ずから有り挽回の意
下涕登臺騒客悲   涕を下し登に臺りて 騒客悲し

でした。どちらが良いかわかりません。

<感想>

 頷聯の「梅」は語注に書かれたように「台湾の国花」を意識されているとなると、その前の「桜花」は日本の詩壇を意図しているということになりますね。

 日本の漢詩事情で見れば、若い方への期待と共に、ベテランの方々の粘り腰も、これからの発展には不可欠ですね。両者が手を携えて危機的状況を乗り越える気持ちが必要だと、ひしひしと感じています。

 蝶依さんや汨羅江さんの作品やホームページを拝見すると、私も頑張らなくてはと気合いが入ります。

2008.12.18                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第255作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-255

  温旧好        

柳岸孤灯生暮哀   柳岸の孤灯 暮哀を生ず

納涼迎友旧遊台   納涼友を迎ふ 旧遊の台

響来鼓笛消長夏   響き来る鼓笛 長夏を消す

一夜談諧正快哉   一夜談諧 正に快き哉

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 若き頃お付き合いをしていた彼女と、久しぶりに懐かしい場所で一夜を語り明かしたという設定です。

<感想>

 解説を読みますと、そんな設定して大丈夫かな?とつい思ってしまいました。何となく生臭い感じがするので、漢詩の設定としては違和感がありますが、「彼女」に限定せずに友として読むと、詩としての気持ちが伝わってきます。

 ただ、全体として落ち着かずにバタバタした感じがするのは、句の並べ方に原因があるのではないでしょうか。
 具体的に言えば、転句の「鼓笛」が友との一時にどう関わるのか、つながりが無いことです。(私の疑問としては、「鼓笛」が響いてくる場所ってのはどんな所なんだろうというのがありますが)
 ここのつながりが弱いため、転句も叙景の句としてしか捉えられず、それならば承句と転句は入れ替えた方が、前半の叙景、後半の人事と分類ができ、落ち着くでしょう。

2008.12.19                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 仲泉雅兄、玉作を拝見いたしましたが、解説にお書きのようにまた空想でしょうか。
 鈴木先生のご感想では “句の並べ方に原因・・・” とお書きですが、率直に申し上げますと、空想のためでしょうか、実感が伴わないような気がいたします。
 従って何の感動も沸いてきません。

 架空のことを一詩にまとめることは、齟齬がないようにしなければなりません。
小説家などは物語の一粒の種を膨らませて作ると思います。その中には人間の心を織り交ぜなければ何の感動も沸かないでしょう。
漢詩であれば起承転結の僅か四行28字ですので、詩意は充分に込められる筈です。

 またやむを得ない場合以外は冒韻を避けねばなりません。転句の「来」に冒韻があるのは不用意に措辞されたためで、推敲が足りないと思います。
 起句の「暮哀」は事情がどのようであれ、友と会うには不適切な語で、全体の詩意が一貫しないと思いませんか。

 雅兄作の承句の詩意を起点として以下のように推敲して見ました。参考になれば幸いです。

    與友邂逅
  知友無端消息来、   知友 端無くも 消息来る、
  納涼共喜旧遊台。   納涼 共に喜ぶ 旧遊の台。
  依稀五十年前事、   依稀(いき)たり 五十年前の事、
  忘刻長談追想回。   忘刻 長談すれば 追想回る。

「依稀」: (昔のことで)ぼんやりとして明らかでないこと。

2008.12.20              by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第256作は奈良にお住まいの 浅野 江山 さんからの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2008-256

  花時遊南都郭外        

靄靄芳山樹樹紅   靄靄たる芳山 樹樹紅に

賞櫻谷傍訪禅宮   櫻を賞し 谷の傍らの禅宮を訪ふ

渓泉冷處花将散   渓泉 冷やかな處 花将に散らんとし

荒蘚頽垣古殿空   荒蘚頽垣の古殿は空し

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 奈良に住んでいますので、スケッチに斑鳩、吉野へはよく訪れます。
 詩題が春、櫻の吉野ですから今の季節に合いませんが、取り敢えず一首送稿致しますので宜しく御願い致します。

吉野の桜

 「荒城の月」の詩にも有りますが、荒れ果てた城に散る桜吹雪は日本文化の象徴の春景色です。一目千本、吉野も桜の名所として余りにも有名です。
 しかし吉野の桜にはお城でなく、やはり南朝ゆかりの如意輪寺でなければ似合いません。
どちらも、桜花爛漫の華やかさと裏腹に、その花の散り際の潔さが、世の盛衰を想い起こさせるからでしょう。
 吉野に遊び、散りかけた花びらが渓泉に浮かぶ様と、荒れ果てた垣根が大変印象的でしたのでモチーフにし、詠んで見ました。

春霞たなびく吉野は全山紅の花盛り。
桜を愛でて谷ぞいの禅寺を訪れる。
冷たく清らかな石庭の渓水に、花びらが散り浮かび。
荒れ果て、頽れ落ちた垣根の古殿は空しく、南朝の往時を偲ばせる。




<感想>

 江山さんはご自身のブログ(ホームページ)で、写真をふんだんに使って漢詩の紹介をなさっておられます。漢詩を通して多くの方との交流を期待されておられます。皆さんもご覧になって、ご感想などを送って下さるとうれしいですね。
 ホームページのアドレスは、 http://asanoplg-3988.cocolog-nifty.com/blog です。

 今回は私の方から、江山さんの作品も皆さんにご紹介しましょうとお願いし、詩を送って頂いたものです。

 作詩は2年ほどのご経験だそうですが、形式の整った詩で、カメラの映像が遠景から近景へとクローズアップするような展開で、一気に結句まで読ませ、余韻を残すものになっていると思います。
 お写真にご堪能なようですので、そうした感覚が詩にも表れているのかもしれませんね。

 気になったのは一箇所だけですが、起句の下三字です。「樹樹」の畳字は冒頭の「靄靄」との句中対を期待させてしまいますので、「萬樹」くらいにして畳字は避けた方が良いでしょう。(もちろん、句中対に持っていっても良いのですが、その時は形容詞を重ねる畳字にする形になるでしょう)
 最後の「紅」は、桜の花盛りとしてはどうでしょう。桜も淡いピンクという感じではありますが、「紅」にはちょっと遠いような気がします。「紅」ですと、「桃の花」か「紅葉」かというところでしょうか。菅茶山の『芳野』の詩でも「一目千株花尽開 満前唯見白皚皚」と白さを出していたと思います。

2008.12.23                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第257作は 青眼居士 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-257

  寄新大統領     新大統領に寄す   

美國人民擇黑肌   美国の人民 黒肌を択ぶ

淸新統領壯言辭   清新の統領 言辞を壮(さかん)にす。

莫忘被虐隸從史   忘る莫かれ 被虐隷従の史を、

須努平和仁愛治   須らく平和仁愛の治に努むべし。

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 さきの米国大統領選は大方の予想通り若いオバマ氏が勝ちました。予想通りとはいえ、感慨深いものがあります。
政治のことにそれほど関心があるわけでもなく、英語もほとんどわかりませんが、彼の演説は雄弁で、迫力があったと思います。

 転句は人間としての尊厳を無視され、広く奴隷としてこき使われた黒人の歴史を言います。

<感想>

 最初に青眼居士さんからこの詩をいただいた時には、起句の「黒肌」の表現が気になりました。
 「黒人」ならば人種としての言葉でもあるし、現代中国語でも「黒人」「黒種」と言います。「黒肌」ですと、見たままをストレートに表現した印象になり、不快感を与えるような気がしたからです。
 そのことがあって、しばらく掲載を迷っていたのですが、何日か眺めていますと、あまり気にならなくなりました。

 皆さんからの投稿詩を拝見した時に、感想がすぐに書ける時と、しばらく迷う時があります。良いところ、悪いところがすぐに目に付けば感想も書きやすいのですが、「何となく気になる、ひっかかる」という場合は困ります。
 まさか「何となく変だ」と書くわけにもいきませんから、辞書を引いたり、用例を調べたりしながら、気持ちがモヤモヤした状態でしばらく放っておきます。そうすると、ある時ふっと霧が晴れるというか、作者の気持ちなどがすっきりと腹に落ちる時が来ます。
 感想を書くことも、詩を作ることと似ているなぁと感じることです。
 どうしてもピッタリの表現が思い浮かばない時は、無理矢理に詩語から当てはめるのではなく、しばらく放っておくと、ある時、思いがけず頭に浮かんだり、出会ったりすることがあります。ちょっと間を置くことで、感情が整理され、冷静な判断や客観的な見方ができるようになる、私はそれは「詩の熟成期間」だと思っています。

 作品を鑑賞する側にも、そうした「熟成期間」が必要なのかもしれない、と思うことがよくあります。古人の詩でも、最初に読んだ時はそれほど良いと思わなくても、何年か経ってから読み返してみると、「そうだったのか」と鳥肌が立つような感動をすることがあります。
 特に投稿詩の場合、作者の姿が見えない分、解釈や表現には気をつけています。初見ではマイナスと思われたことが、熟成期間を置くと、プラスに感じられることを多く経験します。その都度、まだまだ勉強が足りないなぁと反省しています。

 何となく「掲載が遅いことの言い訳」のような感じになってしまいました。今日の感想も「熟成期間」が必要かもしれませんね。

2008.12.23                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 玉作を拝見いたしました。
 鈴木先生が「黒肌」の表現を、長く見ているとあまり気にならなくなったと仰っています。これはあくまで私見ですが、やはりこの表現はアメリカの次期大統領に対して失礼には違いありません。

 鈴木先生はお立場上このように仰っていますのは、作者の立場をおもんばかっての事だと思います。
雅兄が苦吟されたことは良く理解できます。わたくしも非常に苦労して考えました。

    祝米国新大統領就任
  皮膚色底及心神、   皮膚の色は 底(なん)ぞ心神に及ばん、
  美國良風選此人。   美国の 良風は 此の人を選ぶ。
  奴隷報怨垂以徳、   奴隷の 報怨(ほうえん)は 以徳(いとく)に垂れる、
  須衝世界注慈仁。   須(すべから)く世界に衝(むか)って 慈仁を注ぐべし。

※ 転句は『以徳報怨・怨みに報ゆるに徳を持ってす』を変用。

2008.12.24                 by 井古綆

 井古綆さんからは、この詩は「1月20日の大統領就任式前後に掲載をお願いいたします」と言われたのですが、この感想とつなげた方が良いと思いますので、早すぎると言われるかもしれませんが、ここへの掲載でお許しください。

                      by 桐山人





















 2008年の投稿詩 第258作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-258

  幼稚園運動会        

秋天紺碧彩旗翻   秋天紺碧にして 彩旗翻り

運動場中稚子喧   運動場中 稚子喧し

輪舞整然真可愛   輪舞整然として 真に愛すべし

鶏群一鶴是慈孫   鶏群の一鶴 是れ 慈孫

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 誠に爺馬鹿で、お恥ずかしいのですが。

<感想>

 まだ今ほど家庭にビデオカメラが普及していなかった頃、ビデオカメラを持っているお父さんの役割は重要でした。
 自分の子どもの姿だけでなく、子どもの友だちの姿や、奥さんの仲良しの家の子どもの姿にも気を配って撮影し、後でダビングして差し上げるという、言わば「代表としてのビデオ記録係」という責任の重い役割を、運動会やら発表会やら、何か催し事がある度に果たさなくてはいけないからです。
 私はカメラを持っていなかったので専らダビングをいただく側でしたが、ビデオを再生すると、カメラマンのお父さんの使命感の強さに感動しました。自分の子どもを画面の中央に置いて主役の座を与えたいという欲求は当然持っていたのでしょうが、それを見事に抑制して、どの子どもにも同じようにズームアップと時間配分を置き、「公共」としての役割を果たしているものが多かったのです。

 思い返してみると、そういう時代も良かったなぁ、と感じます。カメラマン役のお父さんは、我慢に我慢を重ねて撮影していたのではなく、他の子どもたちや他の親たちへの思いやり、配慮があったから「公共」であり得たのでしょう。

 「爺」や「婆」が孫に甘いのはそれは特権であり、誰もが許容してくれますが、「親馬鹿」はそうとは限りません。子どもと直接の関わりの深い「親」が、「自分の子どもがいつでも主役」と主張し続けたら、利害が剥き出しになります。
 親の愛情は本来美しいものであるはずが、エゴイズムの色を塗ると、醜悪なものに変わってしまう、最近の世の中を見ているとそんな気がしますね。

 かく言う私も、世間様の目からは、娘に甘い親馬鹿と見られているようですが。

2008.12.23                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 一読して結句の素晴らしさを感じました。
 人は子供が生まれれば親馬鹿になります。かつてわたくしもご多分にもれずそのようでした。
今から数十年前タレントのT.Tさんが仰っていました。

 幼稚園で我が子が一番光っていると。

2008.12.24              by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第259作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-259

  狂詩、金融危機        

天上紛飛億兆金   天上 紛れ飛ぶ 億兆の金

窮郷不聴貨泉音   窮郷 聴かず 貨泉の音

晩秋楡葉降如雨   晩秋 楡葉 降ること雨の如し

臥待老狸持幣尋   臥して待たん 老狸の幣を持ちて尋ぬるを

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 まあ、これは狂詩の部類に入るでしょうか。

<感想>

 そうですね、特に転句から結句への展開は、つい笑ってしまうような諧謔味ですね。
 でも、この詩の場合には、生臭いお金の話が出ている割には俗っぽくなくて、逆に上品な感じがするのは、結句の「臥待」の語が利いているのでしょう。

 「不況」「不況」と煽り立てられ、一円でも余分に払うのは嫌だと言っているような企業の言い分を聞いていると、半年ほど前の「我が世の春」のような状況がそれほど脆弱で、張り子の虎のようなものだったのかと唖然とします。

 私自身が「老狸」になって落葉を拾いに行きたいところ、となると、「臥待」の私が待っているのは私自身でもあり、脱俗の趣が一層強くなりますね。

2008.12.23                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第260作は福岡県にお住まいの 東洸 さん、六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2008-260

  秋去        

放戸秋暉顕   戸を放てば秋暉顕はれ

紅楓R聚秋   紅楓秋を聚めてRし

夜來風雨烈   夜来風雨烈しければ

落盡我庭秋   落ち尽くす我が庭の秋

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 玄関のドアを開けると庭先の楓が紅く燃えるように眩しかったが、昨夜来の風雨で葉を落としてしまった。我が庭の秋も終わりである。

 秋を三度、敢えて使ってみました。是非?

<感想>

 初めまして。新しい仲間が増えたことをとても嬉しく思います。
いただいたお手紙には、
  「作詩にあたっての基礎的なことがいろいろ教えて頂けそうです。
  自己流でやっていますので、詩句用法の誤りや文法的な誤りが気掛かりです。」

 とお書きになっていました。
 他の方の作詩などを読まれることはとても勉強になりますので、是非、ご参考にしてください。

 詩の方ですが、「秋を三度、敢えて使ってみました」とのことですので、その点について書かせていただきます。

 まず、転句と結句の末に「秋」を置いたことですが、押韻の時には同字を用いることは厳禁です。決まった位置に同じ発音の字を置くことでリズムを生むのが押韻ですが、字まで全く同じでは、却って単調になり、詩人の工夫の場所が消えてしまいます。
 押韻が守られない詩は漢詩とは言いませんので、この「秋」は許されません。

 次に、「同字重出の禁」についてですが、絶句や律詩のような定型の詩では字数が限られていますので、同じ字を何度も使うのはそれだけ情報量が減ることになります。そこで、詩の深みを阻害するとして「同字重出」は禁じられています。
 私は、この「同字重出の禁」は次のように考えています。
 短い詩の中に同じ字が出てくれば、その字は当然、強調されて読者の目には映ります。その強調表現に作者の意図が籠められていて、アクセントとしてその効果が生きているならば、同字重出も許されるだろうと思います。
 しかし逆に、強調の意図がはっきりせず、他の表現でも良いのに何故わざわざ同字を使うのか理解できないような場合には、作者の工夫が足りないとされ、大きな瑕疵とされます。
 「同字重出の禁」の例外としてよく言われるのは、「同句の中ならば許される」というものです。同句の中ですと「句中対」が働きますので、アクセント効果が分かりやすいから、ということが理由でしょう。たとえ同句の中でも、強調の効果が全く感じられないならば、同字重出は許されないと考えた方が良いと思います。
 作者の表現力が試されるわけですので、「敢えて」とお書きになったように、相当の勇気を持って使うことになります。その上で、読者の意見に謙虚に耳を傾けることが大切でしょう。勇気だけでは「ひとりよがり」の蛮勇になってしまうからです。

 長々と規則の話になってしまいましたが、今回の詩の「秋」について見ますと、規則を破るだけの効果は出ていないと思います。
 特に、承句の「R聚秋」は非常に情緒的な言い方で、この隠喩が読者に伝わるかどうか、疑問が残ります。

 同字重出以外のことでは、前半の情景と後半の情景に矛盾があるようです。作者の目の前にあるのは、「紅楓」なのか、それとも「落尽・・・庭」なのか。「夜来」とありますので、「昨夜から風雨が続いてたが、戸を開けたら庭の楓が真っ赤だった」となります。それが結句に行くと「落尽我庭秋」と落葉も終わりかけとなり、ついさっきまでの紅楓がいつの間に落ちてしまったのか、時間が合いませんね。前半の景が今朝よりも以前のものだったとはっきりわかるような言葉を入れると良くなるでしょう。

2008.12.25                  by 桐山人



東洸さんからお返事をいただきました。

 桐山人 先生

 先日は2008−260 「秋去」 に対するご懇切なるご指導ありがとうございました。

 「同字」、「重韻」を避けるべきこと、一応わきまえてはいるつもりですが、それでも・・・・・と、ご指導を請うたような次第でございます。
 初学は基本に忠実にということ、肝に銘じました。この詩は改作を試みます。

 ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
 どうぞ、良い年をお迎えください。

2008.12.29                 by 東洸


謝斧さんから感想をいただきました。

「秋」の重出については、二度であれば用例はありますのであまり気を留めません。
全句に重出すれば技巧すぎてはなもちならぬ、嫌みな面を感じます。
 唯全四句中に三句にしたことで、古人の用例もあり、ある種の技巧さを感じて不自然さはそれほど感じません。
 詩人のねらいだとおもいますが、然し、個人的な感じですが、秋だけ一字だけの重出は中途半端な気もします。二字の熟語により三度の重出であれば、詩作意図も明確になるとおもいますし、古人の用例も多いようにおもわれます。
 ただ私などは熟した詩語を好みますので、Rや烈は使いづらくかんじます。
 「我庭」の我も余計で省略すべきだとかんじます。

 ただ全篇境の句ですが、興を感じます。剽襲(春暁)の手法が生きてるためでしょうか。

2009. 1.26                 by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第261作は大分市にお住まいの 桃羊野人 さん、六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2008-261

  冬夜偶成        

古仏無声不可尋   古仏声無く 尋ぬべからず

青灯凭几到更深   青灯几に凭れ 更深に到る

空将展巻思疑義   空しく将に展巻 疑義を思ふ

暁月方知一片心   暁月方に知る 一片の心

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 道元の正法眼蔵を読む。難解。しかし心を澄ませて読み続けると、明け方ふと感ずるところがあった。

<感想>

 桃羊野人さんからは、「お金を払ってでも良いので、添削を」というお手紙でしたが、お金はいただいていません。当サイトの現行のような「感想」で良いならば、いつでも詩を送って下さい。(ただし、申し訳ありませんが、掲載までに時間がかかります)

 詩は、難しい題材を工夫されていることだと思います。
 前半はよくまとまっていますね。その勢いが後半になるとやや息切れのように感じます。
 例えば、承句の「到更深」で時間の経過を述べているのに加えて、更に結句で「暁月」とここでも時間経過を示していることなどは、読者としては理解しにくいでしょう。
 明け方まで考え続けたということは事実であったとしても、詩としては、ここでは「明月」くらいで時間をぼかす方が良いと思います。
 「方知」も月が主語であるならば、「知」ではなく他の言葉、「方伝」などが良いでしょう。

2008.12.25                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

桃羊野人雅兄、初めまして。

 玉作を拝見いたしました。
 初めて拝見する投稿詩として起承転結が整っているように感じられました。

 私見といたしましては、詩題と起句に少々問題があるように思います。
多くの方々は詩題を「○○偶成」とされていますが、詩本来の意味の内容を込められない時には、詩題で補うことが出来ます。本詩の場合には 『冬夜仏典を読む』 とすれば、読者に分かりやすいと思います。

 起句に言及すれば、「古仏無声」では仏像を連想いたしますので、「仏典」とした方が読者には理解しやすいと思いました。
 私見として「仏典幽玄未得尋・仏典は幽玄 未だ尋ぬるを得ず」と推敲して見ましたが、如何でしょうか。

 細かい点を言えば転句も直す点がありますが、全体的の詩意が整っていますので、時間をかけて推敲をお勧めいたします。

2008.12.26               by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第262作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-262

  和宮親子内親王        

開国攘夷危急初   開国攘夷 危急の初(はじめ)

敢持詔勅發皇居   敢へて詔勅を持して皇居を発す

入城幕府騒然裏   入城の幕府 騒然の裏(うち)

不飾寶釵何索譽   宝釵(ほうさい)を飾らず、何ぞ誉れを索(もと)めんや

          (上平声「六魚」の押韻)

<解説>

 二百五十年以上日本を統治してきた徳川幕府がゆらぎ始めた江戸時代末期。ペリーも来航し鎖国政策も崩れてゆきました。開国を決意する幕府と、天皇を中心として外国と戦う決意の朝廷。そんななか権威を失いつつある幕府は、徳川十四代将軍・家茂と皇女を結婚させることで、朝廷を幕府の味方につけようとします。
 また、朝廷もその結婚により権力を取り戻そうと考えていました。
 そんな政略のために京の御所から江戸の将軍家へ降嫁することになった仁孝天皇の皇女・和宮。失意の中、兄君孝明天皇より託された公武一和と攘夷実行の丹詔を携え、江戸開府以来、禁中並びに公家諸法度により朝廷をも支配下に置くなど元来不仲な将軍家に嫁いだ和宮です。
 しかし、そうした和平工作も、もはや時代の趨勢には抗いがたく、世は大政奉還・王政復古そして武力による倒幕に向かい、江戸城そして大奥は混乱の坩堝と化すのです。平素より金銀珠玉で飾ったかんざしなどを愛用せず、質素を旨とし、ましてや利名を求めず一命をとして、ただひたすら十五代将軍・徳川慶喜の助命を嘆願し、徳川の家名存続・江戸の無辜の民を戦渦に巻き込まないよう尽力しました。

☆作詩の背景‥平成二十年度の大河ドラマ「篤姫」は高視聴率のうちに、大詰めを迎えています。
 これから篤姫と和宮の嫁姑が一致団結して、徳川宗家と江戸無血開城を目指して、女の意地を見せるクライマックスを迎えるところですね。
 内憂外患のなか、機能不全に陥った幕府の再建・存続が前提で、ともに雄藩(薩摩藩)との公武合体政策により朝廷から政略結婚させられたお二人が、時代の趨勢抗いがたく、終いには実家と敵対してまでも婚家を守るというなんとも皮肉な役回りに、女性として本当にお幸せだったのかとの思いを凡夫の私は禁じ得ません。
 それぞれ、小松帯刀清廉や有栖川宮熾仁親王という思い人がいながら、公儀のため身を殉じた女傑というところに、後世まで語り継がれる偉業があるのでしょう。

<感想>

 今年の大河ドラマは好調の理由は色々あるのでしょうが、私は、これまでの「幕末物」とは異なる新しい視点で作られていたことも一つだと思います。
 大河ドラマは、視聴率を取るなら「戦国物」か「幕末物」が良いと言われるそうです。政治の大きな転換期には、数多くの英雄が登場し、そこには栄光と挫折、創造と破壊、数多くのドラマが散りばめられているからでしょう。
 「幕末物」も、『花の生涯』が最初だったと思いますが、以来何度取り上げられてきたことか。改革者、つまり明治政府側から見たドラマもあれば、守旧派である幕府側からのものもあったのですが、そのどちらからも離れて(と言うか、どちらにも関わりを持てる)女性の側からの視線というのは、新鮮だったのではないでしょうか。

 社会の混乱期、歴史の表舞台で名を残していくのは男性がほとんどですが、その波に翻弄されるのは男女を問わないはずで、男性と同じ数だけ女性の側のドラマもあるということを感じさせてくれます。

 詩で歴史を描く時には、同じことが求められます。従来の歴史観を踏襲するにしろ、新説を展開するにしろ、作者の視点がどこにあるかが大切です。
 そして、それをどう効果的に表現するか、ということです。

 サラリーマン金太郎さんの今回の詩では、前半はよく思いが出されていて、特に承句の「敢」には、降嫁の際の和宮の複雑な心情と、作者の和宮への共感を感じさせる一字で、この字が無かったら前半はただの歴史叙述で終わってしまうところです。

 後半は疑問が残るところで、「入城幕府」の表現も気になりますが、一番は結句の重さです。
 質素な生活、名利を求めない生き方をした、ということにサラリーマン金太郎さんが着目したのは良いと思います。しかし、転句までの叙述は「歴史の大転換、混乱の幕府のまっただ中」という、まさに政治の表舞台のような描き方をしておいて、急に一人の女性の日常生活で終わったのではまとまりがつきません。
 この大きな時代の変化の中で、和宮はどんな役割を果たしたのか、その点が描かれていないため、ここまで読んできて突き放されたようなもどかしさを感じます。

 逆に、和宮の人柄や日常に視点を置くならば、前半の叙述、あるいはせめて転句の内容に伏線を置かないと読みづらいでしょう。
 大河ドラマが好調だった分、和宮の存在を多くの人が知りましたので、詩の題材とするにはチャンスでもありますが、同時に鑑賞者の評価が厳しいかもしれませんよ。

 尚、掲載が遅れてしまったため、「作詩の背景」として書かれた前半の内容は、年末の現在と合いませんが、そのまま掲載させていただきました。遅れてご迷惑をかけました。

2008.12.30                  by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 鈴木先生の感想文の、“・・・同時に鑑賞者の評価が厳しいかもしれませんよ。”を拝見して筆を執りました。

 他のお方の詩を批評するのは作るより難しいと言われています。鈴木先生のご感想は微にいり細にわたって懇切に説明をなされているので参考になります。
 サラリーマン金太郎雅兄の細かい解説にはいつも感心させられます。

 玉作を拝見して、鈴木先生もお書きのように結句の重みが足りないように感じました。
皇女和宮を描くには中途半端ではないかと思います。
推測ですが、この詩は起句から作っていませんか。もし、結句から作れば、自然と「生涯」と言う語が浮かぶように思います。

 その他の点では、起句{危急初」は押韻の関係でしょうけれど、通常では「危急時」と言います。
 承句の「皇居発」ですと転句の「入城幕府」との関わりで、転句の役割を失ってしまいます。

雅兄とは別韻で推敲して見ました。

     皇女和宮
  開国攘夷争乱時、   開国と 攘夷と 争乱の時、
  欲将降嫁救傾危。   降嫁を将って 傾危(けいき)を救はんと欲す。
  豈図連理断腸別、   豈図や 連理 断腸の別れ、
  年壮生涯初志悲。   年壮の 生涯 初志悲し。

「降嫁」: 国語。
「傾危」: 国が傾きあやうくなること。
「年壮」: 三十歳をいうが女性には?

2008.12.30               by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第263作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-263

  中秋亀城看薪能     中秋亀城にて薪能を看る   

良宵約友上亀城   良宵 友と約して亀城に上れば

樓閣三層滿月明   楼閣三層 満月明らかなり

薪能鼓笛儼然舞   薪能(たきぎのう)の鼓笛 儼然たる舞

醸出幽玄又蕭清   醸し出す幽玄 又 蕭清

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

「中秋」: 旧暦八月十五日。仲秋は旧暦八月の一ヶ月間を指す。
「薪能」: 平成二十年九月二十九日、第七回松山城薪能が行われた。
「亀城(きじょう)」: 伊予松山城、ちなみに玉城とは讃岐高松城を指す。

<感想>

 一昨年、松山に行きました時に、サラリーマン金太郎さんとお会いする約束をし、待ち合わせの時刻までに少し暇がありましたので、松山城を見学しました。「金亀城」とも言われますが、現存十二天守のひとつ、明治以前の天守閣がそのまま残っているお城だそうで、秋空の下で白壁が映え、美しい楼閣でした。
 そこでの薪能ですか、趣が深かったことでしょうね。

 詩は薪能が主題でしょうが、松山城の姿もすっきりと出されていて、作者のお城への愛着も感じられる内容だと思います。
 後半の「儼然」「幽玄」「蕭清」の繰り返しは、作者の感覚を表した言葉の連なりで、やや押しつけがましい気がします。実際に体験できなかった私(読者)は、グルメ番組で芸能人が「うまい、おいしい、美味」と連呼するのを聞いているようなもので、作者の感想によだれを垂らすしかないわけで、せめて「鼓笛」の音くらいは客観的な形容が良いかな、と思います。

 あと、これは作者が意図したことかもしれませんが、題名は別にすると、季節感が無い詩で、夏の詩でも秋の詩でも春の詩でも通用するように思います。こうした記録的な要素もある詩ですので、思いを籠めるということで言えば、何か秋を感じさせる物か言葉が欲しいところです。承句の「満月」を「秋月」に替えるだけでも違いが大きくなると思いますが、どうでしょうか。

2008.12.30                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第264作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-264

  望郷月        

山代出郷停至今   山代の郷を出て 停まりて今に至り

東都良夜月遥臨   東都の良夜 月遥かに臨む

星移不変望郷念   星移れど 変らず 望郷の念ひ

人在桑楡情更深   人は桑楡に在りて 情更に深し

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 草深い山代を出て東京に在住、良く晴れた夜遠く月を眺めて望郷の念に駆られるのである。
古里の閭に還らんと思い、帰らんと欲すれど道因る無し、望郷の念を月に媒して吐露せり。

 ご多忙の中、この漢詩創作のホームページの運営、有り難うございます。
諸賢の玉作、先生の適切なご感想を、拝見拝読して詩作の糧とさせて頂いています。

<感想>

 故郷を思うに月を介す、というのは古来からのやり方ですね。深渓さんも、ここでは定番という感じで気持ちを高めていらっしゃるようです。ただ、今回は少し問題がありますね。

 起句、「山代の郷を出て」とするならば、語順は「出山代郷」でなくてはいけません。原詩のままですと、「山代が故郷を出た」となってしまいます。
 「山代」の地名を入れたいというお気持ちだと思いますので、題名にも「山代」を入れるようにして、故郷の地名だとあらかじめ伝えれば、句意を誤解することは無いかもしれません。

 転句の「星」は実際に星を見たというのではなく、「歳月・星霜」の意味ですが、承句に「月」を用いていますので、どうしても具体的な「星」を想定してしまいます。そのまま「時」を持ってきた方が良いと思います。

 結句の「桑楡」「老境」「晩年」を表す言葉ですので、「年を取るほどに故郷が恋しくなるものだ」というのが句意ですね。

2008.12.30                  by 桐山人



深渓さんから推敲作をいただきました。

 桐山堂先生
寒中お見舞い申し上げます。

 起句と転句に郷を重ねていましたことと併せ、二句をご指摘の通りに推敲いたしました。

    望郷月
  獨出故山停至今   獨り故山を出で 停りて今に至り
  東都良夜月遥臨   東都の良夜 月遥かに臨む
  時移不変望郷念   時移れど変らず 望郷の念ひ
  人在桑楡情更深   人は桑楡に在りて 情更に深し


2009. 1.18                by 深渓

 固有名を取ったことにより、多くの人に共感される形になったと思います。良い詩ですね。

2009. 2.21                by 桐山人





















 2008年の投稿詩 第265作は 揚田苔菴 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-265

  春宵對梅        

東風破蕾小窗前   東風 蕾を破る 小窓の前

清夜新梅殊可憐   清夜の新梅 殊(こと)に憐れむべし

休道不看紅幾點   道(い)ふを休(や)めよ 看えず 紅幾点

暗香浮處抱香眠   暗香浮かぶ処 香を抱いて眠らん

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 揚田苔菴さんの作品を拝見するのは久しぶりですね。
 十一月八日(土)に行われた「国民文化祭いばらき2008」での文芸祭「漢詩」漢詩大会(水戸市)にご参加なさった折の作品ですね。

 早春の梅一点に絞っての叙述ですが、情景がドラマを見ているように目に浮かぶようで、よく構成されていると思います。
 結句の「香」の重出によるリズムも、緩やかな時間の流れを引き出していて、工夫の効果が出ていると思います。

2008.12.30                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第266作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-266

  海岸寺吟行        

霧中疎影忽然晴   霧中の疎影 忽然として晴れる

雨後伽藍排世情   雨後の伽藍 世情を排す

石仏無言雲否動   石仏言ふ無く 雲動かず

森厳悠久嘉吟行   森厳 悠久 吟行を嘉とす

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 山の中にある寺ですが、なぜか海岸寺と言います。雨上がりの山門に向かいました。周りの山々も霧の中です。
 境内に入る頃,突然日が差してきました。しっとりぬれた伽藍は、人を寄せ付けない荘厳さがありました。
 石仏群も静かにたたずんでおりました。境内に悠久の時が流れておりました。

<感想>

 仲泉さんのこの詩は、実景を詠まれたものでしょう。

 転句まではドキュメンタリーフィルムを見ているようで、仲泉さんの漢詩に対する勉強量を示されていると思います。

 結句は「嘉吟行」の下三平は何か勘違いでしょうか。
 内容的にも、ここでの「吟行」は取って付けたような印象で、それまでの張り詰めた臨場感や景観と作者の一体感から一歩離れた感じになり、趣が一気に醒めたものになっています。
 ここは最後まで「海岸寺」の景情に徹した方が良かったと思います。

2008.12.30                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第267作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-267

  秋夜偶成        

月斜人已靜   月斜めにして 人已に静かに

興盡酒頻傾   興尽きて 酒頻りに傾く

醉夢寥寥夜   酔夢 寥寥たる夜

吟蛩喞喞聲   吟蛩 喞喞たる声

枕邊書可讀   枕辺 書読むべく

襟裏句難成   襟裏 句成り難し

世事多憂感   世事 憂感多く

空知暗恨生   空しく暗恨の生ずるを知る

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 秋の夜に酒を酌み交わした後の情景を考えて詠みました。
最近は時事を理解するのが難しいなと、よく思います。

<感想>

 年末に新聞では一年間の出来事のまとめをしていましたが、玄齋さんのおっしゃるように、胸の中が重たくなるような事件が多かったことを改めて思い出しました。

 今回の詩は、各聯がつながらないようでつながっていくという、細い糸でずるずると結ばれている感じがします。率直な感想を言えば、首聯と尾聯だけを残して、五言絶句として見た方が、作者の気持ちに近づける気がします。

 逆に言えば、頷聯、頸聯があまり働いていないということでしょうか、特に頷聯の「吟蛩喞喞聲」や頸聯の「枕邊書可讀」は、五言の短さも原因でしょうが、だから何が言いたいのかを読者にかなり推測することを要求しているようで、「句難成」も、その理由は前段に書かれているのか後段に書かれているのか、なかなか伝わってきませんね。

2008.12.31                 by 桐山人



井古綆さんから感想をいただきました。

 玄齋雅兄明けましておめでとうございます。

 今回の詩は、率直に申しますと、全体的にまとまりがなく、いわゆる 「木に竹を接ぐ」 ような詩になっているように思われます。
 先ず場所の設定が不明ですし、首聯の上句と下句との繋がりが弱く、なぜ飲酒しなければならない理由もわかりません。
 第五句の「枕辺」は間違いで「机辺」にしなければならないでしょう。第六句の「句難成」をしなければならない理由も有りません。

 各句の措辞は整っていますが、第七句のみが推敲の余地があります。すなわち「世事多憂感」とするならば、「世事憂愁足」が正しい措辞になります。
 尾聯ではなぜ慷慨の詩意にしたのか疑問です。慷慨を賦するならば、それ相当の構成にしなければならないと思います。

 試作では飲酒をある宴会に設定しました。そして前半と後半をスムーズな展開になるようにしてみました。

      試作秋夜偶成
  宴終論客去、   宴終わり 論客去り、
  酒尽月光傾。   酒尽き 月光傾く。
  帰路停筇処、   帰路 筇を停むる処、
  寒蛩喚友声。   寒蛩 友を喚ぶ声。
  人間忘博愛、   人間 博愛を忘れ、
  世界背昇平。   世界 昇平に背く。
  好戦誇霊長、   好戦 霊長を誇り、
  如何暗恨生。   如何せん 暗恨生ずるを。

2009. 1. 9                 by 井古綆





















 2008年の投稿詩 第268作は 博生 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-268

  観心寺観楓     観心寺に楓を観る   

返照山腰古刹楼   返照の山腰 古刹の楼

寺庭錦繍以人遊   寺庭錦繍 以て人遊ぶ

南朝苦史今誰語   南朝苦史 今誰か語る

檜尾陵辺落葉稠   檜尾陵辺 落葉稠し

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

  夕日に染まる古刹で、紅葉を楽しむ人達に混じりながら傍らの陵墓に南朝の哀史を思う。

「観心寺」: 在河内長野、南朝ゆかりの古刹で紅葉の名所
「檜尾陵」: 後村上天皇陵、楠木正成首塚を擁する。


<感想>

 南朝への思いを語る人は少なくなりましたね。戦前は、楠正成などは天皇への忠臣の鑑ですので、その業績などについても多くの人が知っていたところだったのでしょうが、現代の若い人たちには名前すら忘れられているかもしれません。

 南朝ゆかりの観心寺に来る人たちも、そうした歴史のことなどは関係なく、ただ紅葉が美しいという理由だけで訪れているのだという作者の嘆きのような気持ちが、承句の「以人遊」に表れているのでしょう。
 ただ、それを受けて転句に行くと、展開があまりにも直線的で、「今誰語」が「以人遊」と重なってしまい、転句自体も弱くなるように思います。

 結句の余韻も十分で、よく構成されていますので、承句の下三字だけを推敲されて、紅葉の様子などの描写にされるとすばらしい詩になると思います。

2008.12.31                  by 桐山人






















 2008年の投稿詩 第269作は 忍夫 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-269

  黄菊        

窓外風寒冷気侵   窓外の風寒く、冷気侵し、

今宵素月寂虫吟   今宵の素月は虫吟を寂しくす。

可憐黄菊堪霜発   憐れむべし、黄菊の霜に堪えて発するを、

千里飄零一簇金   千里飄零 一簇の金。

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 仕事帰り、畑の脇に一叢の黄菊の咲いているのを見かけました。
 月の綺麗な夜で、却って虫の音も寂しく感じました。
 凋落の晩秋、すべての物が輝きを失っていく中で、黄菊だけが、金色に輝いているような気がいたしました。

<感想>

 以前にもご紹介しましたが、他の花や木が霜に負けて凋落していく中で、凛として立つ菊の花を思い浮かべると、水原秋桜子の名句

    冬菊のまとふはおのがひかりのみ

 が思い出されます。

 承句の「素月」から「寂虫吟」へつなげるのに、「今宵素月」だけで理解を求めるのはやや苦しいように思います。「今宵」のところに、月の冷たい光を形容するような言葉を置くと落ち着くと思います。

 結句の「飄零」「草や木が葉を枯れさせること、凋落」の意味で、「一簇」「一叢」と同じ意味です。
 「千里」「一簇」の対比はどうでしょうね、どうも中途半端な気がするので、「万里」とどーんと大きくするか、「十里」くらいの現実感を出すか、どちらかの方が面白いように感じますが。

2008.12.31                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

 詩の全編景になっている詩を多く見ます。
全編情も更によくありません。気をつけていますが、そういった詩になりがちです。

 『淡窓詩話』の中で広瀬淡窓は、
「佳句は多くは景を写す句にあり。然れども景を言うこと、一首の中に多くすべからず。
多き時は人をして厭はしむ、情を主として景を以て其の間に粧點すべし。
 例之(たとえば)前庭に樹木を植えるは景なり。 空地は情なり樹木多くして空地なきはうるさし。 空地ありて樹木なければ玩賞すべき無きがごとし」
といってます。

2009. 1.20              by 謝斧





















 2008年の投稿詩 第270作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2008-270

  時事 危前途        

四海恐惶難奈何   四海の恐惶 奈何ともし難し

宰衡奇語日應多   宰衡の奇語 日に應に多かるべし

年金医療危存続   年金 医療 存続危ふし

軽侠政官如病魔   軽侠の政官 病魔の如し

          (下平声「五歌」の押韻)

<解説>

〇米国発の不況は世界の経済界が不景気になって、不安と混乱に陥るも、奇語の多い宰相はこの日本をどうしてくれるのか。

「宰衡」: 宰相の別称。
「軽侠」: 上滑りのおとこだて。
「病魔」: 疫病神。


〇年の瀬を如何に過ごすかやりくりに苦しむ庶民に対して、為政者は何の救済の手立てもなく、切歯扼腕の歳末です。
一散人のボヤキをご容赦ください。

<感想>

 深渓さんの時事詩も、ボヤキの回数が多かった一年でしょうか。
 正月を間近にした師走に、職を失い、住み所を追われた人が沢山出ても、政府は何も動く気配はありませんね。
私が一番腹立たしいのは、ガソリン代がたった一年の間に倍に値上がりしたかと思えば、半年で半分に値下がりしたこと、値下がりしたから良いと言うかもしれませんが、この原油価格に生活が翻弄された人がどれだけいた事でしょう。
 限りのある資源だから少なくなれば値が上がる、そういう理屈ならば分かりますが、一部の人の思惑で世界中が混乱するのはやりきれません。そうした、庶民を苦しめるような経済の動きを抑制するのが、本来の政治の役割ではないでしょうか。

 そして、心配なのは、こうした混乱や不安に対して、国民のあきらめ感が強くなっていることです。確かに、庶民一人が不満を言ったってどうにもならないでしょうし、先を見越された弱体政府に期待できないのも分かりますが、黙々と現状を受け入れていては、権力以上に悪質な経済という悪魔が全てを廃墟にしてしまうように思います。
 そういう意味で、ボヤキは大切なのだと私は思っていますから、深渓さんもどんどんボヤイてください。

 転句の「危存続」だけは読みにくいですので、「混迷極」くらいでしょうか、直された方が良いでしょう。

2008.12.31                  by 桐山人