2006年の投稿詩 第76作は 一人土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-76

  新秋歩山村     新秋 山村を歩く   

石径悠悠古色村,   石径悠悠たる 古色の村、

徘徊四顧愛秋暄。   徘徊 四顧 秋暄を愛す。

山鐘隠隠晴空浩,   山鐘隠隠たる 晴空浩たり、

倦脚漫留一葉飜。   倦脚 漫ろに留めれば 一葉飜る。

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 新秋 山村を歩く

石の小道が続く古びた村、
散歩し、周りをかえりみて秋の暖かさを愛す。
山の鐘の音が響き渡る晴空はひろく、
歩き疲れた足をなんとなく止めれば一枚の葉っぱが翻った。


<感想>

 起句から結句まで、勢いの止まることもなく、緊張感を持続して句を重ねている印象です。とりわけ、承句から転句にかけては、聴覚への転換も明快で、良い作品になっていると思います。
 結句の「漫」は、「広々とした」意味でしたら平声ですが、「みだりに」の意味ならば仄声ですので、「徐」とした方が良いでしょうね。

2006. 6. 9                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第77作は 一人土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-77

  秋月夜        

出黌行道夕陽紅,   黌を出で 道を行かば 夕陽紅にして、

万頃雲流数刻窮。   万頃 雲流れて 数刻窮まる。

過駅到家星漢蔽,   駅を過ぎ 家に到らば 星漢蔽われ、

暫時幽月是朧朧。   暫時の幽月 是れ朧朧。

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 秋月の夜

学校を出て、道を行けば夕陽赤く、
ひろびろと雲は流れて何十分かが過ぎた。
駅を過ぎ、家に到れば銀河は蔽われ、
しばしの幽月はとてもおぼろげである。


<感想>

 学校からの帰り道の情景ということでしょうが、こちらも味わいがありますね。
 「行道」は、実は「出黌」という行為に既に内包されていることですので、この詩ではわざわざ言う必要は無い言葉でしょう。しかし、敢えてこの言葉を使うことにより、「帰り道を歩き歩き、周りの景色を眺めて行く」という感じが出てきます。

 転句の「過駅到家」は、到着点を示すと落ち着きすぎるかもしれません。「到家」を、どこか通過点(「川」とか「橋」など)にすると、歩き続けている内にという雰囲気が出るでしょう。

 結句の「是」は働きが弱いと思います。意味の明確な他の副詞を探してみると、面白い展開になるかもしれませんね。

2006. 6. 9                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第78作は 人正 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-78

  白川郷雪景     白川郷の雪景   

寒空六出舞微風   寒空の六出、微風に舞ふ

暁起銀面旭日紅   暁に起くれば、銀面、旭日紅なり

屋上多人倶下雪   屋上多人、倶に雪を下ろす

長年守宅古村功   長年、宅を守る古村の功

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 前の晩、雪がちらついて、どうなるかと思ったが、
 次の朝起きてみると、一面、銀世界。そこに旭日が紅く染まっている。
 ふと、隣の屋根をみると、もう村人総出で雪下ろしをしていた。
 これで、代々、白川郷が守られてきたわけだ。
 今年は雪が多く降り、雪国は雪下ろしでたいへんだったようだ。ご苦労様。


<感想>

 掲載が遅くなりました。
 前半に自然を、後半は人の動きを描いて、展開が落ち着いていますね。特に、承句は「銀面」「旭日紅」の鮮やかな色彩の対比が、まばゆい雪の日の朝をよく表現していると思います。
 起句の「六出」「六出花」、雪のことですね。

 平仄の点では、承句の四字目の「面」は仄声ですので、「二四不同」が崩れていますね。
 また、転句の「下雪」は、「雪をおろす」ではなく、「雪が降る」の意味になってしまいますので、「掃」の方が良いでしょう。

 結句は、時の流れと古村への愛着が表れて、良い収束だと思います。

2006. 6. 9                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第79作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-79

  誘観梅     観梅に誘う   

北嶺晶晶冠雪堆   北嶺晶晶として 冠雪堆く

春暄未至小庭隈   春暄 未だ至らず 小庭の隈

只存盆裡一枝発   只 盆裡に一枝発き

馥郁清香待客来   馥郁清香 客の来たるを待つ存り

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 毎年、梅の花が咲きかけるころ、兄弟が我が家に集まり観梅会を行います。その案内状に毎年詩を添えるのですが、今年は例年に比べ冬の名残が強いのでしょうか、我が家の庭の梅は未だに蕾が硬く、鉢植えの梅がようやく見頃を迎えました。
 そこでこの観梅会の案内に添えましたのがこの詩です。

<感想>

 「北嶺晶晶」という書き出しが、遠山の頂を覆う雪の真っ白さを描き、はっと目が覚めるような印象です。
 視点は承句に行くと一気に「小庭」へと移り、やがて「盆裡」から「一枝」へと小さく身近な物へと進んでいく展開が滑らかで、自然に画面の中に引き込まれていきます。
 結句で香りを出して嗅覚へと転換しますが、その香りの鮮やかさも転句までのクローズアップがあったから、一層読者に迫るように思います。

 こんな詩で案内されると、足がひとりでに向いてしまいますね。

2006. 6. 9                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第80作は 登龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-80

  春陰閑居        

柴門寂寂草離離   柴門 寂寂 草離離たり

煙霧輕籠花綻時   煙霧輕く籠め 花綻ぶ時

坐愛閑居揮禿筆   坐ろに閑居を愛し 禿筆揮ひ

東郊欲問獨敲詩   東郊問はんと欲し 獨り詩を敲く

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 柴の門は寂しく草は実を熟し垂れ下がり、
 薄い霧は軽く篭め花綻ぶとき。
 何となく閑居を愛し禿筆を揮い、
 東の郊外を問いたいと思い独り詩を敲く。


<感想>

 今回の詩は、ゆったりとした時間が流れていく登龍さんの生活が窺われる内容ですね。

 「寂寂」「ひっそりとした様子」「離離」「草や木が生い茂る様子」ですが、畳語を用いての句中対が効果的ですね。
 転句の「坐」「何となく」と書かれていますが、ここでは「まさに、ちょうど」のような強調の意味で解釈すると、「閑居」に対する思いとともに、詩全体の余韻も変わってきますね。



2006. 6. 9                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第81作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-81

  丙戌台湾迎春        

數十萬人群殿門   数十万人殿門に群らがり

新年祝賀喜如奔   新年祝賀 喜びて奔るが如し

燦然煙火焦天地   燦然たる煙火 天地を焦がし

空霽斟朋月下樽   空れて朋とむ月下の樽

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 2005年大晦日、たくさんの若者が台北市中心部にある世界一高いビル前の広場に参集し、今か今かと新年が明けるのを待っています。地元新聞は「倒数」と表していましたが、いわゆるカウントダウンも始まりました。
 そして新年!開幕と同時に夜空を焦がす花火の連発、そして中国特有の爆竹のすさまじさ。
 中国地方は旧正月を祝うと聞いていましたが、若者のパワーは万国共通のようでした。
 騒ぎも一息つくと、煙も晴れて、夜空には新年を祝うがごとく、月は皓皓と中天にまします。早速お屠蘇を戴きました。

<感想>

 サラリーマン金太郎は、昨年の大晦日から新年にかけて、台北に行かれたようですね。三首送っていただきましたので、続けてご覧ください。
 旅行した気分になれるんじゃないでしょうか。

 この詩では、新年を祝う人々の熱気が感じられますね。

2006. 6. 9                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第82作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-82

  台湾國立故宮博物院        

朱門碧瓦聳丘陵   朱門 碧瓦 丘陵に聳へ

万國人連耳目凝   万國の人は連なって耳目を凝らす

磁器青銅窮巧緻   磁器青銅 巧緻を窮め

四千年後尚尊稱   四千年後 尚ほ尊称さる

          (下平声「十蒸」の押韻)

<解説>

 世界三大博物館のひとつに数えられる台湾國立故宮博物院は一度は行ってみたかったのです。
さすが見事な陳列物に万国の人々が感嘆してました。やはり日本人の団体客が一番多かったですがね。
 先の大戦直後、蒋介石が台湾海峡を越えてこれら数多の財宝を移送したことにも驚きです。

<感想>

 この詩では、「朱」「碧」「青」など、色を表す文字が使われていますが、故宮の宝物の色鮮やかな印象が、きっと作者に殘っているのでしょう。

2006. 6. 9                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第83作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-83

  丙戌新年自台湾歸     丙戌へいじゅつ(2006、1,1)新年台湾より帰る   

関空離陸向家ク   関空離陸して家郷に向かふ

四海波平呈瑞祥   四海波平らかにして瑞祥を呈す

瀬戸島浮澄K水   瀬戸の島は浮かぶ 澄Kちょうてつの水に

應誇勝景麗初陽   應に誇こるべし 勝景初陽麗かなり

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 平成17年12月29日から跨年元日まで3泊4日の日程で初めて台湾に行きました。
いつも思うのですが、空中から見る芸豫諸島は美しいです。マジです!ぜひ松山空港到着直前の多島美を全国の皆様に満喫していただきたい思いですね。
 ことに今年の元日は実に穏やかで快晴でしたから、イザナギ、イザナミ夫婦神による国生み神話も髣髴とさせて、誠に正月ならではの初々しい心地になりました。
 今年こそは公私共によい年となって欲しいです。


<感想>

 三首を続けて読ませていただくと、新鮮な感動に心が躍っている金太郎さんのお姿が目に浮かびますね。
 年末や正月は、どこの国でも人々の開放された心が表れてくる時、そして戻ってきた時の郷里の姿も一層印象的だったことと思います。

 うーん、私も今年の大晦日は中国にでも行こうかな?という気持ちになります。でも、この時期は旅費が高いので、家内を説得するのが最大の難関でしょうね。

2006. 6. 9                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第84作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-84

  寒梅        

時節蕭條景色荒   時節がら蕭條たり 景色は荒む

籬垣素艶傲風雪   籬垣の素艶は 風雪に傲る

紙窓微入野人屋   紙窓 微かに入る 野人の屋

黄鳥未鳴聞暗香   黄鳥 未だ鳴かずも 暗香を聞く

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 承句が韻を踏まなかったのはどうされたのでしょうか。
 漢詩の規則の中でも、偶数句押韻は最大の規則です。起句の踏み落としは許されても、偶数句は決して許されません。どうしても、ということならば、起句と承句を入れ替えて、拗体としておく方が良いでしょう。
 あるいは、単に「雪」「霜」の間違いくらいならば、そのまま一字なおすだけですね。

 転句は、何が「入」なのか、結句の「暗香」が入ってくるというのでしたら、対応が遠すぎる印象ですね。
 あとは、起句と承句で描いたものがややアンバランスな気がします。

2006. 6.22                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第85作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-85

  寒梅 其二        

墻角一枝梅   墻角 一枝の梅

清香百樹魁   清香 百樹の魁

荒庭懸半月   荒庭 半月懸り

人愛得詩媒   人は愛す 詩媒を得るを

          (上平声「十灰」の押韻)

<感想>

 起句は王安石の『梅花』を踏まえたものですが、五言句同士でもあり、そのままという感じが強いですね。王安石の詩は、梅を詠んだ詩の中でも代表的なものですから、「墻角」と聞くだけですぐに「数枝梅」と思い浮かぶほどです。だから、もう梅を言う必要は無いわけで、直接「清香」を出してもいいくらいでしょう。

 承句の「百樹魁」「百花魁」を意識してのものでしょうが、「樹」の「魁」というのは変な気がしますね。
 転句と結句も飛躍が大きすぎる気がしますが、どうでしょうか。

2006. 6.22                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第86作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-86

  遊與孫児        

喜喜孫児弄禿羊   喜喜 孫児 禿羊を弄す

牽鬚捻鼻力真剛   鬚を牽き 鼻を捻じて 力 真に剛なり

懐看彼父形神一   懐しみて看る 彼の父 形神 一なるを

莫倣悪童常毀傷   倣ふ莫かれ 悪童にして 常に毀傷せるに

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 二番目の孫は男児ですが、父親の小さい時にそっくりです。いたずら好きで生傷が絶えなかったところまで似なければいいのですが。
こういう詩では詩語集があまり役に立たず、単語を探すのに苦労します。和習が入っているかもしれません。

<感想>

 そうですね、こうした日常的な光景は、日本の詩ではあまり描かれていないものですから、詩語集で探すにも苦労するだろうと思います。

 いかに生き生きとした場面を切り取るかが鍵になるでしょうが、承句がその役割を十分に果たしていると思います。
 転句の「形神」は、「容姿も性格も」ということですが、心配なところだけは似て欲しくないというのは、以前は自分と息子の関係だったものが、息子と孫という関係になったのでしょうね。
 「悪童」は漢字としてはきついですが、「ヤンチャ坊主」というニュアンスで、逆に愛情が感じられる表現ですね。

2006. 6.22                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第87作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-87

  送先妣     先妣を送る   

諤音驚聴急郷村   諤音驚き聴いて 郷村に急ぐ、

暗路車奔心更奔   暗路車は奔り 心は更に奔る。

天帝無情慈母冷   天帝無情 慈母は冷たく、

里人有意弔詞温   里人有意 弔詞温かし

何忘比比萱堂教   何ぞ忘れん 比比たる萱堂の教え、

誰料潭潭海岳恩   誰か料らん 潭潭たる海岳の恩。

九秩遐齢猶惜別   九秩の遐齢 猶惜別、

空嘆反哺涕亡魂   空しく反哺を嘆いて 亡魂に涕す

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 毎日のごとく諸先生の玉篇を拝見しています。
 亡母に対する句が多くあり、ハツト我に返りました。四月に亡母の十七回忌に帰郷したことをすっかり忘れていました。
 旧作ですがお願いします。

<感想>

 一読して、斎藤茂吉の「死にたまふ母」を思い出しました。母の死を受け止めることの辛さは、自分が幾つであろうが、心の奥底まで突き刺さるものでしょうね。

 初句の「諤」はご指定の字を入れましたが、「愕」ではないのでしょうか。「諤音」の意味を教えていただけるとありがたいのですが。
 頷聯の対句は、内容的に組み合わせがどうかという気もしますが、恐らく、時間的な推移までも意識された構成なのでしょうね。
 頸聯の「萱堂」「母親」のことですが、母というものは北庭に「萱草」(忘れ草)を植えて憂いを忘れたとされたことからの言葉ですが、語義だけからでも哀しみが伝わるような気がします。「海岳」は、「海のように大きな恩」です。

 お母様への気持ちがよく表れていて、この詩には共感される方も多いことと思います。

2006. 6.22                 by 桐山人


井古綆さんから早速お返事をいただきました。
 鈴木先生こんばんは。拙詩「亡母」の2編高批有難うございました。
「ガク」の字は「愕」も「諤」も意味は同じく「おどろく」です。「諤」の本字は「噩」で角川の新字源のみに、「諤耗」「諤音」と載っています。
 他の辞書には載っていないようです。HPの「笑山翁」雅兄にも問い合わせましたが、そのようでした。
ご高批有難うございました。

2006. 6.23                 by 井古綆




















 2006年の投稿詩 第88作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-88

  亡母一周忌作     亡母一周忌の作(1981)   

萱堂易簀一周年   萱堂易簀一周年

追憶春暉万感連   春暉を追憶すれば万感連なる。

雪苦霜辛持小戸   雪苦霜辛小戸を持し、

襤褸粗食守些田   襤褸粗食些田を守る

常将徳沢孚三子   常に徳沢を将つて三子をはぐく

空老寒村赴九泉   空しく寒村に老いて九泉に赴く

白髪初知風樹嘆   白髪初めて知る風樹の嘆

遥望桑梓涙潸然   遥か桑梓を望んで涙潸然

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 詩嚢を探していたらこんな詩がでてきました。
母が無くなつても三年ぐらいは、田舎に帰ればまだ母が生きていると思いました。全くの親不孝者です。

<感想>

 初句の「易簀」「亡くなった」ことを敬意を持って表す言葉です。「萱堂」は前作にもありましたね。

 「風樹嘆」「嘆反哺」などの言葉をうまく配置して、前作と並べて是非読みたい詩ですね。

2006. 6.22                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第89作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-89

  西班牙紀行有感     スペイン紀行して感有り   

異宗角逐惨凄長   異宗の角逐惨凄長し

阿拉南消制海昌   アラブ南に消え 制海昌んとなる

遺構幾何唐草美   遺構の幾何唐草(アラベスク)の美

融和此地名声芳   此の地に融和して 名声芳し

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 スペインのアンダルシア、グラナダのアルハンブラ,,コルドバのメスキータ、セルビアの大聖堂を廻りました。
 ジブラルタルを渡って回教徒が国家を建設したのが八世紀。北部に僅かに残った基督教国がレコンキスタの名の下,じわじわと南下して、キリスト国家として統一されたのが十五世紀、策略と残忍にアラブを追い出したと本にあります。
 また、グラナダをイサベル女王が征服したその年が,コロンブスの西航の年、この百年後には天正の少年使節がトレド、ローマに赴いたのですから、スペインが,国土回復後昇竜の勢いだったと実感しました。
 宿敵の建造物で破壊を免れた数々が今世界遺産として,我々を楽しませてくれます。今回周ってみていろいろな意味で、ヨーロッパとは、スペインとは、そして,アラブとはと考えさせられました。

<感想>

 スペインの旅行を漢詩で描くというお気持ちが、まず素晴らしいですね。
 西洋の文物を漢詩の言葉で表すことから作詩が始まるわけですが、その辺りでは、森鷗外がヨーロッパ留学した時の詩などが参考になるかもしれません。

 承句の「アラブ」「阿拉伯」と三文字だと思いますが、この二字ですとどうなのでしょう。
 結句の「名声芳」は、下三平ですので、これは禁忌です。

2006. 6.24                 by 桐山人






















 2006年の投稿詩 第90作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2006-90

  感事        

文明発展可平和   文明の発展 平和たるべきに、

違背良心飼悪魔   良心に違背して 悪魔を飼う

勿道賢猿化霊長   道ふ勿れ 賢猿 霊長に化「進化」すると、

千年未見倒干戈   千年未だ干戈を倒すを見ず

          (下平声「五歌」の押韻)

<感想>

 「霊長」は、「霊妙な智恵を持った一番のもの」という意味があり、英名の「Primates」の語幹にも、「最高」という意味があると言われます。
 井古綆さんの仰るように、いまだに戦争を絶つことができないのでは、「最高」とはとても言えないですね。
 しかし、それでも未来に期待し、信ずることと、だからこそ今の私達にできることを考え続けて行かなくてはいけないのでしょうね。

2006. 6.24                 by 桐山人