作品番号 2006-241
月夜憶友
金蘭酒友四時斟 金蘭の酒友四時斟む
惜別三年商与参 惜別三年商と参と
独向春醪懐往事 独り春醪に向かって往事を懐えば
屋梁落月夜沈沈 屋梁落月夜沈沈
<解説>
私は昨年秋、骨髄炎のため入院していました。いつ左足を切断されるかと、毎日ヒヤヒヤしていましたが、主治医の先生を始めスタッフの皆様のおかげで無事退院することができました。
その喜びは正に天にも昇る気持ちでした。
退院して五日後、多久市より「全国ふるさと漢詩コンテスト」での受賞の知らせと共に、除幕式への招待を受けました。妻の介添えを得て出席をした次第です。
多久市の方々には体の不自由な私の為に、何かと配慮して頂きました。東原庠舎において、選者でもある石川忠久先生の講義を受けた後、入賞者全員の詩の講評を頂きました。
幸いにも私の詩には瑕疵が無いとの、身に余る好評を頂きました。
<感想>
井古綆さんは、平成17年度の佐賀県多久市での「全国ふるさと漢詩コンテスト」で最優秀賞を受賞されました。すぐにご紹介をしたかったのですが、井古綆さんが遠慮されましたので、しばらく待たせていただきました。
聞きますと、お体も大変な状態だった時だそうですね。遅ればせながら、改めてサイト上から「おめでとう」と申し上げます。
このサイトの投稿仲間の方が受賞されることは、ご本人はもちろんでしょうが、私にとっても本当に嬉しいことです。
受賞の折にお作りになった詩も送っていただきましたので、ご紹介しましょう。
被招除幕式2006.11.30 by 桐山人
洙泗垂訓此恭迎 洙泗の垂訓此に恭迎し
聖廟尊崇奎運成 聖廟尊崇奎運成る
投稿蕪詩留慧眼 蕪詩を投稿して慧眼に留まり
孔丘膝下印虚名 孔丘膝下虚名を印す
入賞偶吟
恭迎孔訓幾星霜 孔訓を恭迎して幾星霜
多久古来文運郷 多久は古来文運の郷
何詫蕪詩称廟畔 何ぞ詫(ホコ)らん廟畔に称さるを
井蛙綆短未升堂 井蛙綆短くして未だ堂に升らず
題石碑除幕式
文字縁連孔子門 文字の縁は連なる孔子の門
遠乗銀翼旅抱奔 遠く銀翼に乗り旅抱奔る
九州豊壌素秋冷 九州の豊壌は素秋冷ややかなるも
多久人心青眼温 多久の人心は青眼温かし
受講三時垂訓尽 受講三時垂訓を尽くし
蕪詩七絶建碑煩 蕪詩の七絶建碑を煩わす
可容此謂吾郷里 容すべし此は吾が郷里と謂ふを
他日同帰語子孫 他日同に帰りて子孫に語らん
作品番号 2006-242
子規與漱石
邂逅向陵情意敦 向陵に邂逅して 情意敦し
唱酬踐漢琢詩魂 唱酬 漢を
俳箋文策涵伊豫 俳箋 文策 伊予に
此地無消洗硯渾 此の地 消ゆる無し 洗硯の
<解説>
11月23日に松山市で開催された「全日本漢詩大会」で、愛媛県知事賞を受賞しました。
この大会では、高校生も奨励賞を受賞しております。若い方の詩が楽しみです。
大会では、各地の方と知己となり、また鈴木先生にもお目にかかり、幸せでした。
大会後の懇親会は主会場で250名、このほかに二会場に分散して開催するという大盛況でした。
大会終了後、大会実行委員長の伊藤竹外先生に、感謝の意をこめて次の詩を呈上しました。
次伊藤竹外先生大会書感韻
先人韻事汎傳承 先人の韻事 汎く伝承し
三道一如方喚朋 三道一如 方に朋を喚ぶ
賦詠清吟雅懷舞 賦詠 清吟 雅懷の舞
春風秋月毎追鵬 春風 秋月 毎に鵬を追わん
(下平声「十蒸」の韻)
<感想>
松山市での全日本漢詩大会では、常春さんとお話をすることができました。また、サラリーマン金太郎さんには何から何までお世話になりました。
日頃、メールでのやりとりだけで、直接顔を合わせることがありません。こうした機会にお会いできれば、本当に嬉しいことです。サラリーマン金太郎さんからは、「名古屋で、『漢詩を作ろう』のサイトの総会を開いて、皆さんと集まる機会を作ってほしい」というご要望をいただきました。そうですね、前向きに検討させていただき、またご案内をします。
常春さんの受賞、改めて、おめでとうございます。子規と漱石の交情、お互いに漢文学の素養を身につけた上で近代文学の礎を築いたこと、そして、風雅の流れは愛媛・松山に脈々と伝わっていること、そうした作者のお気持ちがよく伝わってくる詩ですね。
起句の「向陵」は、子規と漱石が出会った「旧制一高」(現東京大学)。かつて一高は東京の向ヶ丘という地にありましたので、別称で「向陵」と呼んだとのことです。
2006.12. 2 by 桐山人
作品番号 2006-243
同窓会食
一翁三媼会横浜 一翁三媼 横浜に会す
笑貌相呼幼字頻 笑貌もて幼字を相呼ぶこと頻りなり
旨菜微醺方瞬刻 旨菜微醺 方に瞬刻
旧朋情誼老弥淳 旧朋の情誼 老いて弥(いよいよ)淳し
<感想>
題名は「同窓 会食」と一息入れた方が良いですね。私は「同窓会の食」と読んで、何となくおかしくて、間を入れたら納得できました。
起句の「一翁」は柳田周さんご自身のことでしょうが、「三媼」などと書いては、後でお叱りを受けるかもしれませんね。でも、そのお叱りも笑顔でなされるように思われるのが、同窓生の良さでしょうね。
句の展開としては、結句の「旧朋情誼」へとつなげるには、承句と転句を入れ替えた方が良いように思います。
また、「幼字」はやはり「幼名」とした方が理解しやすいと思います。
2006.12. 2 by 桐山人
作品番号 2006-244
台風十三号
台風二去近秋分 台風二たび去って秋分に近し
気爽天高逗片雲 気爽やかに天高くして片雲を
雖幸関東免災禍 幸にして関東は災禍を免ると雖も
九州疑是過兇軍 九州疑ふらくは是れ兇軍の過ぎしかと
<感想>
九月十六日に九州に上陸した台風十三号でしたが、非常に大きな台風でしたね。新聞記事で確認をしましたが、瞬間最大風速が福岡で49メートルを記録したそうですし、竜巻の被害も発生しました。
この十三号の前後の台風は、太平洋岸をかすめるように進んで、直接日本に上陸することはなかったと思いますが、その辺りを起句で示されたわけですね。
承句の爽やかさ、台風通過後と秋分、二つの要素が働いているわけですが、ここと後半の「災禍」「凶軍」との対比が面白いと思いました。
それにしても、台風のニュースをテレビで見ていると、「関東に接近しそうな台風」と「関東には影響のない台風」ではNHKの全国ニュースでも明らかに報道の緊迫度が違うように思いますが、田舎に住む者のひがみでしょうかね。
2006.12. 2 by 桐山人
「九州疑是過兇軍」とあり、九州(福岡)在住の一詩友として、一筆啓上申し上げます。
台風お見舞い誠に有難う御座います。
台風十号は雨台風だったので寧ろ干天の慈雨でしたが、台風十三号は強力な風台風だったので、公園の樹木や街路樹などがかなりの被害を受けました。
我が家でも庭の主木である羊蹄木(樹高約五米)が倒れ、隣家の屋根瓦が庭に飛んで来ました。
植木屋さんも瓦屋さんも当面は大忙しです。「雨が降ればば桶屋が儲かる」の類でしょう。
猶、「羊蹄木」(日本名「香港桜」、中国名「羊蹄甲」、英名「Hongkong Orchid Tree」)は、日本では珍しい樹木ですが、香港や沖縄では、庭木、街路樹として多く植えられています。
桜の花見頃が過ぎてから、蘭に似た花が咲き始めます。甲は莢(豆科の植物)、Orchidは蘭。
「年々歳々花相似たり」と申しますが、来年、台風で傷んだ枝葉に花芽が着くかどうか心配です。
蛇足ながら、旧作拙詩『詠羊蹄甲』を御披露致します。
香港櫻花萬朶萋 蘭馨相似葉羊蹄 已亡故舊賜苗木 只有十年風雅持
2006.12. 7 by 兼山
作品番号 2006-245
野歩
西郊雨霽足C幽 西郊 雨霽れて 清幽足る
風盡旻天白日悠 風尽きて 旻天 白日悠なり
野菊放香千畝夕 野菊 香を放つ 千畝の夕べ
村童戲友一村秋 村童 友と戯る 一村の秋
雁聲横断碧空裏 雁声 横断す 碧空の裏
蟲語催來告頭 虫語 催し来る 緑水の頭
熟路行行林下徑 熟路 行く行く 林下の径
隔山數杵寺鐘流 山を隔てて 数杵 寺鐘流る
<解説>
先日の台風並の低気圧が通過した後、故郷に帰省した時の事を詠んだものです。
最初は、起聯と尾聯の絶句として詠んだものですが、何となくものたりなく感じ、初めての律詩に挑戦したものです。
<感想>
よく工夫された良い詩ですね。ゆったりとした足運びが感じられるようで、余韻も深いと思います。初めての律詩とのことですが、とてもそう思えません。
頷聯の下句は、「村」の字を重ねていますが、あまり働いているようには思えません。また、上句の対で見れば、「村童」という人の動きを出すよりも、自然の景物を描く方を私は好みとします。
2006.12.2 by 桐山人
玉作「野歩」を拝見しました。
律詩に初めて挑戦されたとか、素晴らしいと思います。頑張ってください。
私の気が付いた点を記しますが、気を悪くなさらないように。
一句の韻字は詩題に合致した字があるはずです。三句の「野菊」と「畝」が情景に合わないように思います。
前聯と後聯の句末が全て名詞収まりになっています。どちらかを動詞収まりにすれば、句勢に変化がでてきます。
鈴木先生の仰るように「村」は働きをなしていないように思われます。
しかし始めての作品としては、素晴らしいと思います。
これからも頑張って下さい。佳作を期待しています。
2006.12. 9 by井古綆
作品番号 2006-246
詠松山
道後平原拆渺茫 道後平原渺茫と拆け
海南第一擁名湯 海南第一の名湯を擁す
迎留游子非城爾 游子を迎留するは城のみに非ず
和漢双才奎運郷 和漢の双才奎運の郷
<解説>
常春さん、此の度の「愛媛県知事賞」入賞おめでとうございます。
皆さんの活発なご活動を、ただ見ているだけで自分の不甲斐なさを、恥じいるのみです。
皆さんの今後のご活動をお祈りいたします。
詩中の「双才」は、子規と漱石を表します。
<感想>
さっそくのお祝いのお言葉、ありがとうございました。
松山は町そのものに活気があり、私はその活気の根底に伝統と文化を感じました。
多くの都市が自動車の交通量の激増に伴い、路面電車を廃止してきました。電車のために車線が一つ使われて道路が狭くなる、信号を路面電車用に調整しなくてはいけない、などの車中心の発想からの理由があったのですが、一番の理由は、利用客の減少、そして採算面での赤字増加だったと思います。
松山市の路面電車も、道後温泉へとつながる路線であるとは言え、都市計画や経営などの面で負担は大きいのだろうと思います。でも、私はその路面電車に揺られ、多くの人が乗り降りする人々を見ていると、この電車が生活の中に溶け込んでいることを感じました。
帰りに空港まで乗せてもらったタクシーの運転手さんは、市の中心部を走った時に「この電車の分だけ道路が狭くて、よく混むから困る」と言いながらも、どこか嬉しそうでした。
急にスピードを落としたかと思うと、「お客さん、ここから見える松山城の夜景が一番きれいなんだよ」と教えてくれて、「おいおい、こんな道路の真ん中で止まりそうになって良いのかよ」と私は思いましたが、確かに愛媛県庁と松山城を同じアングルでとらえた構図は美しい景色でした。
この町の人は、きっと松山の町が大好きなんだなと思いました。それは、今目の前にあるものだけではなく、歴史や風土までも含めて、分厚い郷土愛なんでしょうね。
それが、「坊ちゃん」を書いた時に、江戸っ子である漱石自身の郷土愛と衝突したのかもしれませんね。そんなことを思いました。
2006.12.11 by 桐山人
作品番号 2006-247
清夜
帰雁飛来在眼前 帰雁飛び来たりて 眼前に在り
啼声一響転哀憐 啼声 一響 転た哀憐
望郷独佇天辺月 望郷独り佇む 天辺の月
山頂空澄晩景伝 山頂空澄みて 晩景伝ふ
<解説>
すがすがしい秋の夜空を想像して表現しました。
<感想>
「秋の夜空を想像して」とのことですが、そのためでしょうか、情景がもう一つしっかりと目に浮かびません。
起句の「眼前」が気になります。次の「啼声一響」は雁が空を飛んでいる時の鳴き声ですので、作者が見ている雁も今空を飛んでいるのでしょう。作者は恐らく「自分の見ている空間を」という気持ちで書かれたのでしょうが、「飛来」そして「眼前」と続きますので、どうしても「雁が飛んできて、今、目の前に居る」と読みます。
そして、承句の「啼きながら空を飛ぶ」につながると、雁も作者もどこにいるのかが分からなくなります。ここは、「水辺に在り」とか「●水の辺」などにして、落ち着きたいところです。
転句の「望郷」は「帰雁」からの勢いですが、後の「天辺月」との対応も良いですね。古来、遠く離ればなれになった人と心をつなぐ役割を月は果たしてくれています。
ここでは、「独佇」が前後にかかり、「(私は)郷を望んで 独り佇む」ともなるし、「天辺の月が独り佇む」と倒置にもなります。和歌によく使われる表現ですが、転句はよく工夫されていると思います。
ただ、「天」も「辺」どちらも「下平声一先韻」の字ですので、押韻と同じ韻目の字は使わないようにすべきですね(「冒韻」)。
結句は、「空」は「むなしく」としか読めません。日本語の「そら」の意味で用いると和習とされます。また、最後の「晩景伝」は詩題の「清夜」とは合わないと思います。
2006.12.11 by 桐山人
作品番号 2006-248
送秋
狂風走石夕陽街, 狂風 石を走らす 夕陽の街、
万葉成堆万地埋。 万葉 堆を成し 万地埋まる。
寒起月浮蕭瑟影, 寒起こり 月浮び 蕭瑟たる影、
深秋静夜有愁懐。 深秋の静夜 愁懐有り。
<解説>
秋を送る
狂風が石を走らす夕陽の街は、
万葉がうず高くなって万地が埋まってしまう。
寒さが起こり、月が浮び、さびしい影、
深秋の静夜、愁いの思いがある。
<感想>
この詩も半年ほど前に送っていただいたものですが、季節がようやく合うようになってきました。
承句の「万葉」と「万地」を重ねたのがねらい所ですね。
転句の「寒起月浮」がやや説明的で少し興ざめになりますので、ここだけ推敲を進めるとよいでしょう。
2006.12.11 by 桐山人
作品番号 2006-249
晩秋夜思
寡坐書房裏 寡り坐す 書房の裏
時懐友訊音 時に懐かしむ 友の訊音
西風声切切 西風 声 切切
片月夜沈沈 片月 夜 沈沈
往日同酣飲 往日
今年独詠吟 今年 独り詠吟す
無言思往事 言無く 往時を思へば
寂寞倍加深 寂寞 倍す 深を加ふ
<解説>
引退して長い間の孤独さを表現してみました。
ひとり書斎にて 時たま友の便りを懐かしむ
秋風の音切々と みか月の夜沈々と(夜更けのさま)
往日は君と共に酣飲し 今年はひとりで詠吟す
無言で往時の事を思えば 寂しさの深さいよいよ増す
<感想>
晩秋の寂しさがじーんと伝わってきますね。
特に、首聯の二句は、引退なさった後の姿と心境をよく表していると思います。良い句ですね。
冒頭の二句の勢いを後の句も引き継いで、バランスを保っているのですが、最後でやや疲れが出たでしょうか。
それまでは対句という形式が支えていたのでしょうね。「往」の字も同字重出ですので、尾聯を検討されるとよいでしょう。
2006.12.11 by 桐山人
作品番号 2006-250
北国哭娘
月照花顔憶故郷 月、花顔を照らし、故郷を憶はしむ
無情拉致幾星霜 無情たる拉致 幾星霜
離家廿載帰心切 家を離れて
痛哭嗃嗃異国岡 痛哭、
<解説>
月をテーマに北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの気持ちを詩にしてみました。
先ごろ、横田めぐみさんのドキュメンタリーをテレビで見ましたが、新聞や雑誌の記事で読むよりはるかに感動させるものでした。
漢詩でも思いが伝わるのではないかと思い作ってみました。
花顔=美しい顔
幾星霜=過ぎ去った長い年月
廿載=二十年
嗃嗃=泣き叫ぶ声
<感想>
横田めぐみさんの気持ちと、残された家族の方々のお気持ちを考えると、本当に悲しい思いになります。残された写真を拝見する機会も多いのですが、「花顔」という表現がそのまま、いっそう胸が詰まります。
「無情」「帰心切」「痛哭」などの言葉も、感情があふれすぎることなく、実感を伴っているでしょう。
2006.12.14 by 桐山人
作品番号 2006-251
時事有感
頻発遺書自学生 遺書を頻発するは学生よりす
平成聖代不平成 平成の聖代平成ならず
先賢既説仁慈愛 先賢は既に説く 仁慈の愛
凡俗新加惻隠情 凡俗は新たに加ふ 惻隠の情
<解説>
「仁」=孔子
「慈」=釈迦
「愛」=キリストなどを代表する
「凡俗」=作者のみにあらず
今日の「いじめ問題」は端的にいえば「自分がいやなことを他人(親子友人その他人類すべて)に行ってはならない」というきわめて単純なことが不足していないでしょうか。
私もどちらかといえば、いじめられる方に属していました。
<感想>
いじめ問題についても、悲しい報道が多く、若者が自ら死を選ぶということに堪えられない痛みを覚えます。
昔の「いじめ」と現代の「いじめ」がどう違うのか、教育界が「いじめ問題」を検討していても「昔からいじめはあった」ということから進めず、対策が取れないままに過ぎてきたのではないかと、私自身、反省をしています。
いじめをしている子も、それを見ている子も同じ罪の重さである。ならば、見て見ぬふりをするのも同じである。そういう観点から大人が自分の行動を振り返っていかない限り、解決を子ども達自身に求めている状況からは抜け出せないのだと思います。
そして、誰に一番責任があるのかという問題を議論している時ではなく、かけがえのない小さな命を救うために何かをしなくてはいけないという気持ちをみんなが持つことが何よりも大切だと思います。
結句の「新加」は、読み手にとって解釈が異なるかもしれません。
「仁慈愛では不足だから新たに加える」と読むのではなく、「その仁慈愛の中に含まれているだろう惻隠情を、せめて私たちは大切にしたい」と作者は結んでいるのだと思います。
2006.12.15 by 桐山人
言外の措辞をおくみ取り下さり、感謝の念に耐えません。作者の意は正にそのとおりでして、付記の「作者のみにあらず」としました。
しかし、読者の解釈が異なるのは推敲が不足だったと思います。以下のように改めたいと思います。
頻発遺書自学生
平成聖代不平成
先賢総説仁慈愛
凡俗何加惻隠情
2006.12.16 by 井古綆
作品番号 2006-252
憶十二月八日
劫余戦禍已無痕 劫余の戦禍 已に痕かたも無し、
惨憺万民誰与論 惨憺たる 万民 誰と与に論ぜんや。
六十五年桑海変 六十五年 桑海の変、
使儂語継弔幽魂 儂を使て 語り継ぎ 幽魂を弔わん。
<解説>
戦禍の災いは跡形もなく、あの惨憺たる戦争で、国内外の犠牲者を思うとき、泰平を謳歌する世に誰と語ればよいのか、大詔奉戴の日から六十五年、まさに桑田変じて蒼海になる感じです。
私はあの悲惨な戦争の語り部として、永遠に犠牲者の霊をなぐさめるものです。
<感想>
深渓さんからは、昨年も同じ題名の「憶十二月八日」を送っていただきましたね。
「社会の問題に目を向け続けなくては、詩人の役割はない。」
誰の言葉だったか忘れてしまいましたが、私はこの言葉が好きです。もちろん、見たものを詩として表現するかどうかは別のことですから、詩人が社会問題の詩を書かねばならないということではありません。
でも、自分の居る現実を凝視しなくては、自分の心の中を見ることもできないという意味だと私は思っています。
そして、現実を見るためには、過去に無知であってはならない、これも古来から大切にされてきた人類の教えです。
時事問題の投稿詩が続きましたが、皆さんの心からの言葉が伝わってくるようですね。
漢詩の表現力にも、あらためて感激しました。
2006.12.15 by 桐山人
作品番号 2006-253
濱參宮(伊勢二見興玉神祠)
白砂來踏怪巖欹 白砂来たり踏めば 怪巌(かいがん)欹(そばだ)つ
恭頓古祠滄海湄 恭しく古祠に頓(ぬかず)く 滄海の湄(ほとり)
明朝奉曵祈無事 明朝奉曵(ほうえい)の無事を祈る
清爽心窩有作時 清爽 心窩(しんか) 作(な)す有るの時
<解説>
平成二十五年に第六十二回を数える伊勢式年遷宮(大神嘗祭(だいかんなめさい))に向けて、ご当地では今(平成17年)からお祭りや行事が、地元はもとより「一日(いちにち)神領民(しんりょうみん)」と称して全国の崇敬者を巻き込んで、着々と諸準備が進められている。
用材奉曵本部長は森下隆生伊勢市長が務める。遷宮総費用は五百五十億円に上り、全て国民からの浄財でまかなわれる。
式年遷宮とは内宮(ないくう)と外宮(げくう)の御正殿(ごしょうでん)と十四の別宮、さらには五十鈴川に架かる宇治橋が二十年に一度建て替えられ、大神様にお宮遷りをいただく、神宮最大の神事である。このとき、御装束や御神宝も古式のままに調進されることにより、太古より今日に至るまで日本文化の継承が図られてきた。
一回の遷宮で使用されるヒノキはおよそ一万五千本。当初は神宮の背後に控える山(宮域(ぐういき)林(りん))から供給されていたが、鎌倉中期までに採り尽くし現在は長野県や岐阜県にある木曽谷御料林から供給される。
加えて今回からはおよそ七百年ぶりに、御用材の一部が宮域林からも供出できるようになった。大正十二年に森林経営計画が策定されたことに伴う植樹の成果として、直径三十から五十aのヒノキが使用されることになったのだ。
今回(平成十八年五月二十五日から二十七日)私たちは愛媛県神社庁主催の「第一次御木曳行事参列の旅」に神社総代会北条支部から神職を含め八人で参加する機会に恵まれた。
県全体では二百六十五名、バス七台の集団伊勢参宮である。
あいにく期間を通じて曇天または雨に見舞われ、御神木を二`にわたって「エンヤ」の掛け声も勇ましく約五百人で曵行し、無事に外宮まで納めたのであるが、事前に購入した法被白装束の上から合羽を羽織りしながらの行軍で、正直決して快適なものではなかった。
が、本来、神領民たる伊勢市民だけに許された御木曳行事が、近年広く国民に解放され今回の遷宮に関わらせていただいたことは、生涯の思い出だ。
「遷宮で結ぶ人の輪 心の輪」というスローガンが身にしみた。
次回は二十年後、私も還暦前の歳になっている。元気でその年を迎えたならば、また参加して奉曵車の真白いロープを共に曳きたいものだと思った。
そのときも神宮は当時と変わらぬ姿かたちで鎮座し、我々を迎えてくれるだろう。
ということで、前日伊勢の二見・浜参宮での禊から当日の感慨を詠んだ漢詩3題です。
<感想>
伊勢神宮には、私も今年の正月に行ってきました。 近くに住んでいながらも、なかなか出かけることは少なく、実は小学校の修学旅行以来のお伊勢参りだったのですが、断片的に記憶をたどりながら参拝しました。
サラリーマン金太郎さんがおでかけになるよりも五ヶ月近く前ですので、まだそれほど遷宮の催しは大々的ではありませんでした。
家族一同お参りをしつつ、遷宮の説明を「ヘェー、そんなのあるんだなぁ」と不謹慎な言葉を発しながら読んでいました。
金太郎さんは滅多にできない経験でしたね。その経験をきちんと漢詩に残されるところに、怠け者の私は頭が下がります。
2006.12.16 by 桐山人
作品番号 2006-254
奉祝伊勢神宮御木曳行事(一)
川流滾滾水粼粼 川流(せんりゅう)滾滾(こんこん) 水粼粼(みずりんりん)
杉樹深攸拝社神 杉樹(さんじゅ)深き攸(ところ) 社神を拝す
皇祖遷宮二千歳 皇祖遷宮 二千歳
用材奉曵迓佳辰 用材奉曵の佳辰(かしん)を迓(むか)ふ
<感想>
サラリーマン金太郎さんからいただいた詩では、承句の末が「神社」になっていましたが、私の判断で入れ替えました。
転句は「挟み平」で書かれています。
次の「奉祝伊勢神宮御木曳行事(二)」と比べますと、こちらの詩は木曳行事を迎えるに当たっての説明的なものですが、前半の部分で伊勢神宮の景観がよく出ていると思います。
サラリーマン金太郎さんが行かれたのは初夏の頃、とりわけ深い森の木々が青く煙っていたことでしょう。
2006.12.16 by 桐山人
作品番号 2006-255
奉祝伊勢神宮御木曳行事(二)
祠官総代浄心身 祠官(しかん)総代 心身を浄め
欲搬檜材精氣新 桧材(かいざい)を搬(はこ)ばんと欲して 精気新たにす
奇習連綿謝神徳 奇習連綿 神徳を謝し
領民舉曳大車輪 領民挙(こぞ)って曳く 大車輪
<感想>
こちらの詩は、木曳行事の実況中継という感じで、丁寧に場面を描いていらっしゃると思います。目の前に、多くの人々の木を曳く呼吸が聞こえてきそうです。
(一)の抑制された静かな世界から躍動感のある現場へと変化しましたが、どちらも臨場感があり、私としては二首をつないで一つの詩として読んでも面白いだろうと思いました。
2006.12.16 by 桐山人