2005年の投稿詩 第61作は 坂本 定洋 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-61

  題桃下猫圖        

二月粧紅里下桃   二月、紅によそふ 里下の桃

春光遍照影休搖   春光遍く照らして 影揺れるを休む。

勝花巧彩白金黒   花に勝る巧彩 白、金、黒。

午後漫眠三色猫   午後そぞろに眠る 三色の猫。

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 俳句に詠めばこんな所でしょうか。「三毛猫の花にも勝るいなせかな。」九分九厘まで雌と決まっている三毛猫に「いなせ」はなかろうとも思うのですが、そこはお許し願います。
 題は後から付けたもので、特定の絵から想を得たものではありません。このような題を与えればそんな絵がありそうにも思えてくるかというものです。
 練習で、難しい韻で何か取り繕ってみようとするうちにできました。本来「偶成」とでもするべきものでしょうか。
 いわゆる通韻になっていますが、「桃」(豪韻)は「挑」(蕭韻)との取り違いで置いてしまったと言うのが正直な所です。近頃老眼が進む一方です。とは言え、それがなければこんな詩もできていなかったわけで、難しい韻でもありますし怪我の功名としてお許し下さい。
「二月」は旧暦を採っています。
 それにしても「猫はいいなあ」などと思ってしまうこのごろです。明日からまた仕事です。

<感想>

 現実に花が咲いていながら、それでも「花に勝る」とするわけですから、この設定が坂本さんの意図なのでしょうね。
 実際の絵が存在するのではなく、想定してのものだということですが、おそらく、この詩のような絵は描けないだろうと思います。例えば、咲き誇る桃の花、その紅や白の花の下に、これまた「白金黒」の三毛猫を配置したとしたら、絵の主眼はどこにあるでしょう。一枚の絵の中に二つも色鮮やかなものを置き、どちらにも感動して下さい、というのは、やや無理強い。絵画としては、ポイントの散漫な絵になってしまいます。
 作者の気持ちが「花に勝る三毛猫」の方にあるのでしたら、前半の描写はもっと控えめにすべきでしょうね。「まだ(もう)花はチラホラだけど・・・・・」という設定ならば、一般的ですけれど。

 承句は、「春日遍照」と下三字の「影休揺」に飛躍があります。「影が動かない」ならば、春の日長のイメージとして許容範囲でしょうが、「影不揺」のように「それまで揺れていた桃の枝が揺れなくなった」となると、風の描写がほしくなりますね。

2005. 5.23                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第62作は山梨県北杜市にお住まいの 清山 さん、六十代の男性の方からの作品です。
 

作品番号 2005-62

  寒中作        

崚嶒五岳一望雄   崚嶒たる五岳 一望雄なり

雲散霧消景不窮   雲散霧消 景窮まらず

暁雪深深生玉樹   暁雪深々 玉樹を生ず

寒空寂寂四無風   寒空寂々 四に風なし

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 「崚嶒」=はてしない   
 「五岳」=富士八ケ岳駒ケ岳鳳凰三山茅ケ岳
 「暁雪」=明けがたの雪
 「深深」=奥深くかすかな様
 「寂寂」=ひっそりとした様

<感想>

 詩吟歴は三十年、漢詩を作り始めて一年というお手紙でしたが、言葉に無理がなく、素直に読むことのできる詩をお作りになると思いました。ちょうど二月以降、今年はあまりにも多忙だったため、掲載が遅くなりすみませんでした。

 平仄としては、承句が「四字目の孤平」になっていますので、ここは直さなくてはいけません。結句の「空」も冒韻です。

 詩の展開としては、起句承句で雄大な遠景、転句では近景と変化をつけていますが、転句結句の上四字が対になっているため、結句の遠景に引きずられて、転句の効果があまり出ていないようです。そのため、四句とも景を述べて、しかもあまり変化がなく、淡々とした平板な印象を受けます。
 「寂寂」の畳語をやめるだけでも随分違ってくると思います。他の言葉に改める形で推敲されると面白くなると思います。

2005. 5.23                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第63作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-63

  乙酉新春病中口号        

老来微恙近膏肓   老来 微恙も膏肓に近づき

五日衰衰臥冷牀   五日 衰衰として冷牀に臥す

贏得斯須熱裏夢   贏ち得たり 斯須 熱裏の夢に

雪中喜笑往山梁   雪中 喜笑して 山梁を往くを

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 アウトドア派の禿羊さんも、ご病気ではいけませんね。
 でも、熱にうなされながらも雪山で大笑いする夢を見たということでしょうから、気迫は変わらず、ということでしょうね。
 転句が下三仄ですので、ここは気になるところです。また、「熱裏夢」は説明的過ぎるような気もしますね。あっさりと比喩くらいにすると、面白い句になるのではないでしょうか。

2005. 5.26                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第64作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-64

  冬花        

満目白還白   満目 白還た白、

東都大雪中   東都 大雪の中。

盆梅炉發側   盆梅 炉の側に發き、

酌醴半窓風   半窓の風に醴を酌む。

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 昨年大晦日は早朝より雪となり、初春は大雪のなかで迎えた。
 東京郊外は、見渡す限り真っ白の雪景色。
 盆梅は囲炉裏のかたわらに赤い蕾を破りかけている。
 窓から微かなすきま風に甘酒を酌んでいる。

<感想>

 転句の語順はおかしいですね。平仄の関係で入れ替えたのでしょうか。
 深渓さんからは、「歳暮雪晨」もいただきましたね。 前作では屋外の公園に視座を置きましたが、今回は後半で室内に移りました。その展開から見ると、都内が雪に埋もれたことと、盆梅が発いたことのつながりが希薄ですね。
 転結で内容を入れ替えるようなことも考えてみると、流れは自然になるでしょうか。

2005. 5.26                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第65作は 庵仙 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-65

  想神戸一昔     神戸の一昔を想ふ   

迎賀清閑空色青   迎賀 清閑 空色青し、 

壊街断道十年経   街を壊し 道を断ち 十年経る。

震災残片渾無迹   震災の残片 渾(すべ)て 迹なし、

処処華麗神戸町   処処 華麗 神戸の町。

          (下平声「九青」の押韻)

<解説>

 阪神大震災があって、ちょうど十年に当たる今日、神戸の町は復興してどこもかしこも奇麗になり、震災の後はもう見られない。
 美しい神戸を詠った。

 「処処」「所々」でなく、「どこもかしこも」

<感想>

 先日、と言ってももう一、二ヶ月ほど前になりますが、テレビで、東京に大地震が起きたという設定のドラマを見ました。
 そのドラマの終盤では、神戸の震災とその復興の事実が人々に勇気を与えたという場面もありましたが、一口に復興と言っても、大変なことだったと思います。私も二年ほど前に神戸に修学旅行の関係もあり、二度ほど行きましたが、本当に「無迹」というのは実感しました。
 震災の記念館を見学し、改めて災害のひどかったことを思い起こしました。まだ傷跡の残る方もいらっしゃるでしょうし、昨年の新潟などの地震で今でも苦しんでおられる方もいらっしゃるでしょうが、庵仙さんと同じ気持ちで、元気を出して下さることを心から願っています。

 結句の「麗」は「うるわしい」の意味では仄声ですので、ここだけは直されると良いでしょう。

2005. 5.31                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第66作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-66

  立春        

傲寒梅一朶   寒さに傲る 梅一朶、

破蕾彩荒垣   蕾を破って 荒垣を彩る。

暗識不霜露   暗に識る 霜露にあらず、

東風微有痕   東風 微かに痕有り。

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

厳しい寒さに耐えて白梅の一枝が粗末な垣根に彩りをそえている。  

<感想>

 前半はとても情景が分かりやすいのですが、後半になるとやや言葉足らずの印象です。
「不霜露」は、打ち消しですが、主語は何なのでしょうか。「梅」だとすれば、「梅≠霜露」では変でしょうし、「梅」以外のものだと言うならば、説明が不足しています。「暗識」がここでは不要な言葉でしょうから、代わりに主語を入れると良いでしょう。
 結句も、「痕」が何の痕なのか、「春のきざし」というお積りかもしれませんが、スパッとは分からないですね。
 五言絶句は大胆に画面を描くことが大切ですが、ややもすると、作者の先走りになる危険性も持っています。言葉を選りすぐることが重要になりますね。

2005. 6.9                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第67作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-67

  春夜聴雨        

蕭蕭絲雨音作囲   蕭蕭たる絲雨 音 囲を

潤物随風花打扉   物を潤し風に随ひ 花扉を打つ

一脈閑愁残夢断   一脈の閑愁 残夢断え

孤懐椅机冷春衣   孤りおもふて机に椅れば 春衣に冷やかなり

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

   春雨のおと 辺りを囲み
   風吹き添ふて 花も散る
   夢を断たれて寂しく一人
   机に椅れば 春衣は寒い

 昔(7年前まで)お世話になった先生が、『女はなまめかしいのがいい』とかおっしゃってたのを思い出しました。
さて、そのような艶なる趣が少しでも出ているでしょうか。

<感想>

 「なまめかしさ」は微妙ですが、前半部分には「つややかさ」が十分に出ていると思いますよ。
 転句からは、「閑愁」「残夢」「孤懐」「冷」と続きますので、やや饒舌な気がします。想いにふけりながらも自分自身を突き放す部分がないと、余韻が重くなりますね。

 細かいことですが、結句の「懐ふて」は仮名遣いが違います。「懐ふ」は文法的には「ハ行四段活用」の動詞になりますので、「懐ふ」で良さそうですが、「・・・・て」となっていますから、正しくは「懐ひて」(連用形)とするところです。これが「オモウテ」という発音になるのは、音便おんびんという変化です。
 「読て」「読で」に、「走て」「走て」に、「書て」「書て」に変化するのと同じです。(「ん」と変化するのを撥音便はつ、「つ」に変化するのを促音便そくおんびん、「い」と変化するのをイ音便と言います)。
 この場合は「ウ音便」と呼びますが、「う」と変化するわけですから、正しくは「懐うて」としなくてはいけません。同じ様なことで言えば、「問ふて」でなく「問うて」だし、「酔ふて」でなく「酔うて」だということになります。

 起句の「作」「爲」にしておくと良いでしょうね。、

2005. 6.9                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第68作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-68

  何日是帰年        

夕陽没茜染冬天   夕陽没して 茜 冬天を染め

秩父山稜眇眇連   秩父山稜 眇眇(びょうびょう)として連なる

九十五翁堪独処   九十五翁 独処(どくしょ)に堪ゆ

嗣人何日是帰年   嗣人何れの日にか是れ帰年ならん

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 先日、九十五才の父が独り住む埼玉県西部の生家に帰った際、某私鉄駅を降りて家へ行く道すがら目にした夕景によって得ました。杜甫の有名な下記の五言絶句を詩題と結句に借用しました。

   江碧鳥逾白
   山青花欲然
   今春看又過
   何日是帰年

「独処」=独居
「嗣人」=跡嗣ぎ

<感想>

 お父さんは九十五歳ですか。お一人で暮らしていらっしゃるということですと、お元気だとは言っても、子どもの方はどうしても心配なことでしょう。
 承句の「秩父山」の固有名詞、転句の「九十五歳」という数字の具体性、この二つの言葉が現実感を強め、読者を作者と同じ位置に引っ張っていきます。だから、その後に示される「堪」の字が、「堪えてくださっている」という意味として、親を思う気持ちに共感を覚えることになります。
 そうしたリアリティに照れたのでしょうか、結句の「何日是帰年」と杜甫の句をそのまま置いていますが、これは以下の点で良くないと思います。
 一つ目は、あまりにも有名な詩の一句をまるごと使ったために、読者の頭には杜甫の詩のイメージ(特に前半の春景色)が強く浮かんでしまい、前半の具体性がどこかに吹っ飛んでしまいます。
 二つ目に、その杜甫の詩は、自分自身への悲嘆が描かれているのですが、この詩でもそこまで理解しなくてはいけないのでしょうか。つまり、「嗣人も杜甫と同じように志を果たし得ないまま放浪の日々を送っているのだろうなぁ」という解釈です。作者がそこまで要求しているわけではないとしても、読者はどうしても考えてしまいます。
 典故を用いる場合は、もとの詩の場面や心情を共有できるという効果をねらうわけですが、この場合には逆効果だったように思います。
 更に言いますと、この句を題名にも使ったこと、ここまで来ると杜甫の詩のパロディを意図したような印象さえ与え、作者のお父さんを想う気持ちが軽いものになってしまいます。この詩題だけでも、まずは変更すべきでしょうね。

2005. 6. 9                 by 桐山人


坂本定洋さんから、感想をいただきました。

拝啓。柳田先生。

 先ずは杜甫の詩からの引用の部分について。確かに同じ弾とは言え、この詩の場合異なる入射角を持つとでも言うべきでしょうか。
 違和感を持つ人もいるかも知れませんが、実の所、私にはそんなに違和感はありません。この詩に違和感を持つほどに杜甫の元の詩に強い思い入れを持っている人は、今の世の中それほど多くないと思うのです。また、こうした引用にありがちな手垢も、私にはあまり感じられません。
ここでは「嗣人」と主語がはっきりしていることが、私のこのような受け取り方につながったのでしょうか。

 この詩は「引用」と言うよりも「換骨奪胎」として評価されるべきものと考えます。入射角の違いによる意外性と言うか威力の違いもはっきりと感じさせるからです。
 柳田先生の場合、結句の処理で苦しむ例をいくらか見受けますが、これも苦し紛れの一つかも知れません。しかし、この詩のように、結果が良ければ良しではないでしょうか。
 ただし、鈴木先生もおっしゃられるように題だけは改めた方が良いと思います。

 起句の色使いも杜甫の詩を意識してのものでしょうか。しかし、「茜」あたりは柳田先生でなければちょっと出せない美感かと思います。

私の例の言い方とすれば、「私の今年のイチオシ」候補の一品です。
敬具

2005. 6.18                 by 坂本 定洋






















 2005年の投稿詩 第69作は吹田市の 井古綆 さん、七十代の男性の方からの作品です。
 

作品番号 2005-69

  深悼二外交官        

奔走維新遇虎狼   維新に奔走 虎狼に遇ひて

股肱碧血散沙場   股肱の碧血 沙場に散りぬ

蓋棺無不惜鸞鳳   蓋棺に惜しまざる無し 鸞鳳を

悲涙断腸唉彼蒼   悲涙断腸 唉 彼蒼

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 奥克彦大使並び井ノ上正盛書記官の葬儀に際して謹作しました

<感想>

 井古綆さんから初めて投稿をいただいたのは、五月の下旬でしたが、以後も精力的にお作りになっておられるようです。掲載が遅れてお待ちいただいていました。以後、順次掲載しますので、よろしくお願いします。

 二人の外交官が殺害された事件から一年半ほど経ちましたが、あれからイラクをめぐる状況が大きく前進したとは誰も思っていないでしょう。お二人の流された血や涙を無駄にしないことが、私たちの責務なのだと思いますが、時間の流れの早い時代の中、記憶がいつの間にか薄れていくことが辛いですね。
 井古綆さんのこの詩がいつ作られたのかは分かりませんが、近隣諸国との外交でにっちもさっちも行かなくなっている今日の政府の姿と重ねながら拝見すると、改めて憤りを感じざるを得ませんね。

 お気持ちがよく表れている詩だと思いますが、結句の「悲涙断腸」は、やや表現が重すぎるようです(首相にこれくらいの感懐をもってもらいたいものですが・・・・)。「虎狼」「碧血」「鸞鳳」と強い言葉が続いていますから、結句は少し感情を抑制した方が、悲しみの深さが表れるように思います。

2005. 6. 20                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第70作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-70

  弔遣唐留学生井真成君     遣唐留学生 井真成君を弔す   

被選群芳喜渡唐   群芳に選ばれ渡唐を喜び、

誰図半志遇夭殤   誰か図らん志を半ばに夭殤に遇ふうを

哭声蕭索包宮省   哭声蕭索 宮省を包み、

弔涙滂沱仰彼蒼   弔涙滂沱 彼蒼を仰ぐ

子以英才修礼楽   子は英才を以つて礼楽を修め、

帝将官葬表哀傷   帝は官葬を将つて哀傷を表す

身成朽骨留殊境   身は朽骨と成つて殊境に留まるも、

魄作飛鴻帰故郷   魄は飛鴻と作つて故郷に帰らん

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 昨年井真成の墓碑発見の報に感動してつくりました

<感想>

 西安(長安)での墓碑発見のニュースは、私も驚きを持って聞きました。彼の地で没した遣唐留学生というと、誰しもが、まず阿倍仲麻呂を思い出したのではないかと思います。そして、あの「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」の叙情的な歌によって、悲劇的な人生を送ったというイメージが強くなっていましたが、井真成の墓碑によって、仲麻呂以外にも多くの留学生がいたことを改めて思い起こしました。
 外国からの留学生だからと隔てることなく用いた唐王朝の懐の広さも、各方面からよく指摘されていましたが、本当に、そうした坩堝のようなエネルギーが唐詩を育てたのでしょうね。

 一句目の「芳」は冒韻ですね。
 二句目の「夭殤」は、若死にのことですが、「殤」は辞書によれば、「成年に達しないで死ぬこと」とあります。井真成は墓碑では「36歳」で亡くなったとのことですので、用法としては適合するでしょうか。
 頷聯の対句は、上句に「蕭索」と双声語を持ってきましたから、下句の「滂沱」も音調上、特徴を出すと面白いでしょう。

2005. 6.20                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第71作は 坂本 定洋 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-71

  古道懷古和萬葉歌        

朝暮遊汀落日朱   朝暮汀に遊べば落日朱なり。

波如糸竹惑前途   波は糸竹の如く前途を惑わす。

古歌一首幾人憶   古歌一首幾人か憶ゆ

為婦探求南海珠   つまがため探し求むる南海の珠

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

 熊野古道はおおむね現在の御坊市から田辺市に至るあたりは海岸沿いを通ります。有馬皇子が歌を遺した「岩代の結び松」もあるのですが、このあたりで詠まれた万葉歌に詠み人知れずの次のようなものがあります。うち、一つは持統天皇によるとの説もありますが。

   〇妹がため我玉拾う沖辺なる玉寄せ持来沖つ白波(巻9-1665)
   〇妹がため玉を拾うと紀の国の湯羅の岬にこの日暮しつつ(巻9-1666)
   〇妹がため我玉求む沖辺なる白玉寄せ来沖つ白波(巻9-1667)

「妹」は「妻」のこと。「我玉拾う」の「玉」は当時「あわび玉」と呼ばれた真珠のことです。「湯羅の岬」は現在の由良町の白崎のことで、石灰岩の岩肌が露出した文字通りの白い岬です。
 大和の国から妻のためにあわび玉を拾ってきてやると言って勇んで出かけた男の物語が下敷きにあるそうです。
 紹介した類似三首の万葉歌の内容をつき混ぜて漢詩に仕立ててみました。転句は私なりの感慨と言うには足らないでしょうか。ただこれらの歌が好きなだけなのですが。

<感想>

 坂本さんは、先日のお手紙では「入院中」と書かれていましたが、お身体の具合が悪いのでしょうか。季節も、梅雨入りとともに暑さが増して、体調が整わないままに夏に入ってしまいそうです。お大事になさって下さい。
 この詩を読みながら、ふと石川啄木を想い描いたのは、何故でしょうかね。妻のために朝から晩まで海辺で真珠を探しているロマンティズムからでしょうか。
 結句の「南海珠」「探求」しているのは、言い伝えの「大和の男」とも、作者である坂本さんともとれますね。私は作者の方が良いと思います。
 「そうそう、そう言えばこんな古歌があったぞ」とか言いながら、その実は最初から妻のために探すつもりで来ていたという、男のそんな照れくささを感じては、万葉の大らかさから逸脱してしまいますかね。

2005. 6.20                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第72作は 坂本 定洋 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-72

  遊古道        

山中百里徑増昏   山中百里 徑増すます昏し

熊野猶遙客滅魂   熊野は猶遙にして 客魂を滅す

至此萬枝齊指彼   ここに至って萬枝斉しくかしこを指す。

地生甘露白龍源   地は甘露を生ず 白龍源

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 熊野古道は、富田川河口(田辺、白浜の近く)で更に海岸線を行く大辺路と分かれて山間部に入る中辺路(なかへじ)に分かれます。中辺路の中間点に「野中の清水」「野中の一方杉」があります。
 「野中の清水」は山腹にある湧水で日本名水百選にも選ばれています。「野中の一方杉」はこの付近の杉の枝は全て一方に伸びていることからこのように呼ばれます。地形と日照の関係で自然にこうなるのですが、熊野那智大社の方角を指していると伝えられています。
 ここから少し行くと小広峠に達し、道のりは遠いながら一気下りで名実共に熊野の領域に入ります。

 詩は、山また山の道で疲れ果てた往時の旅人が、「一方杉」を見て熊野の地が近いことを知り「野中の清水」で元気を取り戻すと言うようなストーリーで考えました。
 このような詩は地元の人や、ここを訪れたことのある人にも納得がいき、全く知らない人にもそれなりのことが伝わることが求められると思うのですが、難しいものです。初稿から二年、改めること六回で今の形になりました。

 起句「百里」は、華里ならば、実際の距離に大体あてはまるところです。
 承句「熊野」は漢詩になじむものかどうか迷いましたが用いざるを得ないと判断しました。
 転句は、知らない方には訳がわからないと思います。しかしこれを外しては「どこも同じ」になりかねません。文脈上「ここに至って何かがあった」ことだけ伝われば良いと割りきりました。
 結句「白龍源」は、実のところ「野中の清水」にこんな別称があるなどとは聞いた事もないのです。しかし泉の直辺に何のいわれなのか実際に白龍が祭られており、これならば地元の方のお許しもいただけるのではないかと思っています。

 ところで、ひょっとして鈴木先生のご先祖は熊野にゆかりがあるのでしょうか。私の住むあたりの近く、和歌山県海南市には全国鈴木氏発祥の地なるものがあります。静岡県に多い鈴木姓は、熊野神社の伝道師の末裔との説もあります。一考いただければ、あるいは楽しんでいただけるかも知れません。

<感想>

 熊野古道を私はまだ歩いたことがないのですが、坂本さんの説明を読んでいると、実際に歩いたような気持ちになります。
 「百里」も、実際の距離は知りませんが、内容的にはぴったりの表現だと思います。山道のことですから、幾分大目に感じるのは当然という感じでいいと思いますけど。

 「熊野」も、私は気になりません。「熊」「野」という字面がいいのかもしれませんね。結句の「白龍原」がありますので、そちらとのバランスでしょうね。
 ただ、転句は解説があるから分かりましたが、そうでないと、どうでしょうか。「此」「彼」と方向指示語が二つ使われているのは、会話的で、内容として分からない人も多いと思います。「一方杉」が説明できるといいんですけどね。

2005. 6.20                 by 桐山人

 ご質問への答を書き忘れていました。
 熊野に私の先祖の縁があるのか、ということですが、すみません。我が家はせいぜい四代前くらいまでしか先祖を探せないので、何ともまったく答えられないのです。
 これは、どうやら私が実際に熊野に行ってみて、遺伝子が騒ぐかどうかで判断するしかないかもしれませんね。

2005.7. 1                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第73作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-73

  朝霧        

客舎開窓旦霧深   客舎窓を開けば旦霧深し

不知夜雨湿柴林   知らず夜雨の柴林を湿(うるおわ)せしを

時迷所向研窮路   時に所向を迷う研窮の路

若必晴天瞭指針   天必ず晴るるが若く指針瞭(あきらか)ならん

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 「研窮」=研究
 「所向」=方向



<感想>

 研究に没頭しておられて、気がついたらもう朝だったということでしょうね。
 昨夜の雨も気づかずに、朝靄の中にたたずむ。研究は時として隘路に立ちすくむこともあるのでしょうが、この霧がいつかは必ず晴れるように、前路もきっと開かれていくはずだ、というお気持ちがよく伝わります。
 前半の湿った朝の情景が、研究の厳しさをよく感じさせて、それが一層、結句の晴れ行く空への希求を生かしていますね。句の表現としては、結句はもう少し滑らかな言葉で並べられそうな気がしますが、いかにも胸の奥から漏れ出てきたそのままの記録のような印象もあり、実感を伴っていますね。

2005. 7. 4                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第74作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-74

  曝背        

沈吟曝背坐南楼   沈吟 曝背 南楼に坐す

俄覚枯腸苦味浮   俄かに枯腸を覚え 苦味浮かぶ

懈怠村翁徐煮茗   懈怠の村翁 徐に茗を煮る

清香二椀解憂愁   清香 二椀 憂愁を解く

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 詩を口ずさみながら、日向ぼっこをしていると、喉も渇き口には苦味も感じます。しかし、これは単に喉の渇きにとどまらず、自分の才能の無さのせいかもしれません。
 怠け心をおさえて、茶を入れ気分を落ちつかせたという心境です。

<感想>

 盛唐の李頎の「曝背野老詩」に
   百歳老翁不種田
   惟知曝背繁残年

という句がありますが、題名とされた「曝背」の語が、何よりも詩の状況を表していますね。
 世俗の慌ただしさからはもう離れて、のんびりとひなたぼっこ。しかし、詩に心が動くと、まだまだ「苦味」が胸に浮かんでくる。
 展開の上からは、承句と転句の内容を入れ替えて、前半はのんびりした姿、転句で胸の中の思い、結句でもう一度落ち着かせる、という形の方が、結句の余韻が生きてくるでしょうね。「俄覚」の語も、説明しすぎているように思います。

2005. 7. 4                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第75作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-75

  題伊拉克        

北山乾氣發   北山 乾気発し

萬里曠原披   万里 曠原披く

牧豎催牛馬   牧豎 牛馬を催(うなが)し

隊商求帛絲   隊商 帛絲を求む

砲煙三月海   砲煙 三月の海

戎甲兩江陲   戎甲 両江の陲

士謂存天佑   士は謂ふ 天佑存すと

何神拂衆夷   何れの神か 衆夷を払はん

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 北の山から吹いてくる乾いた風が下ってきて、
(その麓には)万里に広がる荒野が開けている。
(かつては)牧童が牛馬を急き立てたり、
キャラバンの商人達が絹糸を求めていた(場所であった)。
三月に海から米軍が侵攻してきて、
兵士がチグリス、ユーフラテス両河の辺りを占領した。
兵士達は(イスラム教にせよキリスト教にせよ)自分の方に神の意志があると言うが、
一体どの神が民衆を苦しみから救ってくれるのであろうか。



昔、血みどろの十字軍の中で、第六回においてのみ、
イスラム王朝の英雄と称えられているサラーフ・アッディーンと
神聖ローマ帝国皇帝のフリードリヒ2世は、平和的話し合いで
イスラエルの統治権を期限付きでキリスト教徒側に移し、
一方でムスリムの自由な出入りも認めるようにしたと聞いています。
また、彼らはその後死ぬまで文通の友であったとも聞いています。
彼らのような統治者は今はもういないのでしょうか。


<感想>

 徐庶さんの投稿、久しぶりですね。
 このサイトへ初めて来られたのが中学生の時でしたが、もう高校3年生だそうですね。つい先日、高校入学のお祝いを申し上げたような気がしていましたが、早いものです。受験勉強もあり、大変でしょうが、漢詩も変わらずに作っておられるようです。

 日常的な場面を切り取って、新鮮な感覚をいつも示してくれていた徐庶さんでしたが、今回は視点を空間的にも時間的にも大きく広げていますね。
 徐庶さんの内面の充実が感じられるようで、とてもうれしく感じました。

2005. 7. 4                 by 桐山人


謝斧さんから、第二句「萬里曠野披」は、四字目の「野」が仄声だから失声しているとご指摘がありました。
徐庶さんがご覧になったら、また、改めて下さい。



徐庶さんからお返事をいただきました。「野」は入力ミスで、「原」が正しかったとのことです。本文を訂正しておきます。


坂本定洋さんから感想をいただいています。

 拝啓。徐庶さん。

 立派です。私などペチャンコです。
 漢字ばかりとは言え、少ない語数で、これだけスッキリと、そして要点はしっかり押さえています。それだけでも大したものなのにちゃんと韻を踏んで平仄も合わせています。詩としての魅力もしっかりあります。

 勉学に忙しいとは思いますが、今後の活躍を期待せずにはおれません。

敬具。

2005. 7. 4                 by 坂本定洋