作品番号 2005-31
乙酉新年作
三元詩景傷春装 三元の詩景春装を傷む
激震何図印度洋 激震何ぞ図らんインド洋
来襲津波多勢浚 来襲津波多勢を浚う
焚香興復念安康 香を焚き興復安康を念ず
<解説>
このたびの大津波を何とか詩にしたいと悪戦苦闘しました。
まず地名のインド洋を決めたので陽韻が動かせず、平仄の関係で承句と転句のそれぞれ2字ずつの語の並び方も不自然と思います。
しかしとにかく今作らなければと思い、時間もかなり掛かりましたが頑張りました。
今年中に喜寿を迎える私ですが、漢詩と詩吟を生きがいに元気で生きていきたいと思います。ご指導をどうぞよろしくお願い申し上げます。
作品番号 2005-32
望梅花・早春賦
未到春光爛漫, 未だ春光の爛漫たるに到らずも,
但發梅花華婉。 但に梅花の華婉たるを発す。
倒影鏡池氷薄面, 倒影 鏡池 氷薄き面,
泛艷正堪徐看。 泛艷 まさに徐看するに堪えたり。
天有黄鶯巧囀, 天に黄鶯の巧みに囀るあり,
人欲裁詩流眄。 人 詩を裁さんと欲して
<解説>
華婉:はなやかである
倒影:さかさまに映る影
鏡池:鏡のような池
泛艶:水面に反射する光
徐看:静かにゆっくりとながめる
流眄:見回す
詞です。詞譜は「新編実用規範 詞譜」([女兆]普編校)によっています。以下に示します。
望梅花・38字
▲●△○△★,▲●△○△★。▲●△○○▲★,▲●△○○★。▲●△○●★,△●△○○★。
<感想>
早春の梅花は名吟が多いですね。我が家の梅も、一昨日、久しぶりに庭に出ましたら、すでにいくつかの蕾がほころんでいました。
この季節、大寒を迎えていよいよ寒さが厳しくなるころ、特に今年は十二月暖冬でしたから一層その感を強くしています。しかし、梅は変わらずに時を数えています。
第三句第四句から第五句への視点の転換(視覚聴覚の転換もありますね)が鮮やかで、ほっとするような柔らかさを醸していると思います。
2005. 1.25 by junji
作品番号 2005-33
閑坐夜 夜 閑坐す
獨有夜漫漫、 獨り有り 夜漫漫、
布棊燈火坐。 棊を布き 燈火に坐す。
天地曉風清、 天地 曉風清く、
看他無炬火。 看他 炬火無し。
<解説>
一人だけの夜は長く、
棊を布いて ともし火のもとに坐す。
天地の中 曉風が清く吹き、
見ているとたいまつは無い。
宋詩人の人が朝の詩を作っていたので、同じような詩を作ってみたいと思いました。
<感想>
今回は仄韻の詩に挑戦ですね。仄韻は古詩の風格を残しますから、粘法を崩したのも意図的でしょうね。
ただ、何でもありという形になっては詩の練習にはなりませんから、「ここは破格だぞ!」の意識を常に持ち続けて下さい。
起句の「有」は働きのつかめない字です。「坐」などの具体的な行為を表してほしいところです。
承句は二字目の孤平を避けるために「燈火坐」と並べたのでしょうが、「燈下坐」としておきたいですね。起句にもし「坐」を使ったのならば、ここでは使えませんから、他の語を探しましょう。
転句で一気に朝へと時間を飛ばすのですが、「天地」「曉風」とスケールを拡げた割に、結句が力不足ですの感じがします。
朝が来ても気持ちが盛り上がらない、ということでしょうが、作者の感慨がもう一つ伝わってきません。「無炬火」が素材として適切なのかどうか、そこが検討材料でしょうね。
一人土也さんも、今年は七言絶句を中心に作るようにされると、句の構成などの勉強が進むと思います。
2005. 1.25 by junji
作品番号 2005-
江戸川迎歳朝 江戸川にて歳朝を迎う
氷輪皎皎大江東 氷輪 皎皎たり 大江の東
五曉出門寒沍中 五暁 門を出づ 寒沍の中
踏破水邊殘雪路 踏破す 水辺 残雪の路
天明至處覺春風 天明 至る処 春風を覚ゆ
作品番号 2005-35
風
旌幡翻動誤迷頻 旌幡、翻動して誤迷頻りなり
吹了海泡生美神 海泡を吹了し美神生ず
不見姿容尚拂面 姿容を見ずも尚面を拂い
虚空来到透孤身 虚空より来り到って孤身を透る
<解説>
鮟鱇先生の「風」(2004−273)を読んで、思い起こしたのは、クリスティーナ・ロセッティの詩。
Who has seen the wind?
Neither I nor you;
But When the leaves hang trembling
The wind is passing thro'
何びとか風を見たるや。
御身も我もしからず
されど木の葉囁くとき
風は通り過ぐるなり
(なにも文語に訳さないでも…)
中学の時の家庭教師(母親の女学校の恩師だから年配の女性だけど)が、この詩について、信心深い作者は目に見えない神のことを風に喩えているのだと言っていたのを覚えています。
で、鮟鱇先生の「風は働きがあって姿が見えません」という言葉から、風に関する形而上学的想念を詩にしようと考えました。
もとより「風」という言葉は「学風」とか「風習」とか熟して使い、決して空気を構成する分子の運動などと物質的な意味だけに特定して用いられはしません。でも現に感じられるけれども、目に見えるものではないというその特性は、「非在」から「実在」へ吹き渡るように感じられます。
風の働きを示すものは何かと考えたとき、私も日本人ですので「風動幡動」という禅の公案を思い出しました。二人の僧が幡が動いているのを見て「幡が動くのだ」「風が動くのだ」と言い争っているのを六祖慧能が「心が動くのだ」といってけりをつけたという話ですね。
さらに風を連想させるものはないかと思って、ボッティチェリの「ビーナスの誕生」をひきました。西風の神ゼフィロスが吹いて海の泡からビーナスが生まれるという、これは色鮮やかに「実在」の世界。
転句では鮟鱇先生と同じ言葉を使って、見えないのに感じられる風の特性をいいました。
結句には個人的な典故(?)があります。河合継之助が、−彼は陽明学徒ですが−風に吹かれて「己なんてものはなくて風は虚空を吹きすぎるだけだ」と観じる場面が、司馬遼太郎の「峠」にあったように思う。(中学時代に、毎日新聞連載で読んだきりで再読してないから、かなりデフォルメされた記憶かもしれませんが)風が顔を吹いて、とっても実在を感じさせるんだけれど、一方で、風は虚空を透過していくのではないかという想念。それで収束させました。
このところ詩題に名詞を置くと、「詠物体」としてどの句も詩題に即した作りにしなければならないのか試みています。前半の二句などいかにも持ってきたようで変ともいえるし、東洋、西洋の風に関する観念を代表させたとみれば、多少の意味はあるかなあなどと、作った後もぐずぐず考えています。
これだけ、縷々言葉を費やさないとわからないようでは、当初の意図は達せられたとは言い難いですね。
ここで鮟鱇先生の作への感想も併せて記せば、鮟鱇先生の「風」の起承句は、佐保姫、立田姫のように風を女神に喩えたように感じられました。
「長慕夕陽雲有情」はイメージ喚起力の強い句で、茜色の空に雲の浮かぶ様が髣髴とします。
人生、人事にわたる語句は転句の下三字だけで、風が人生の喩えというより、象徴作用そのものが詩のテーマのように感じます。
<感想>
この詩の感想は、鮟鱇さんに直接お聞きした方が良いでしょうね。
後日掲載しましょう(と、催促・強要?かな)。
2005. 1.25 by junji
逸爾散士さま
鮟鱇です。
拙作「風」に着目していただき、ありがとうございます。
クリスティーナ・ロセッティの詩や「風動幡動」のお話、ボッティチェリの「ビーナスの誕生」のこと、河合継之助のこと、また、拙作の起承句に関して佐保姫、立田姫のことなど、「風」をめぐるわたしの思いをさらに豊かにしていただく玉作を書いていただき、とても感謝しております。
風に関する「形而上学的想念」ということをわたし自身は明確には意識していませんでした。そこで拙作は、「形而上学」の高みを明確に目指すことはできず、大いに思いつきを含む「空想」の連鎖のレベルの作にとどまっておりますが、逸爾散士さんの作は「「形而上学」を明確に意識されての作ですので、各句がきちんと整理されており、より哲学的で思弁の品位の高い作になっていると思います。
結句「虚空来到透孤身」は、陽明学とのことですが、起句の「旌幡翻動誤迷頻」と照応して禅の哲理にも相い通じる深い感慨になっていますし、承句の「吹了海泡生美神」とも照応して、結句の「透」の一字に、昇華されたエロティシズムも感じられ、その多層性を味わせていただきました。
日本では「起承転結」といい、中国では「起承転合」といいます。結句は起承と「合体」しなければならないという意味での「起承転合」であるのですが、逸爾散士さんの作は、その照応・合体がうまく構成されており、まさに「形而上学」的な感興を覚えます。
「形而上学」的な詩作りは、日本人の多くの方が抱く「親自然観」に基づく詩作りの対極にあるかも知れません。眼に見える山河や花や、音に聴こえる鳥や子供の声などが描き出す「人にやさしい自然」を思い描き、歌い上げ、その桃源郷に身を置くことのささやかな感興を詩に託すことは、わたし自身もやっていることではあるのですが、ときどきそういう「自然」が、実は張りボテの山河であり、造花の花であり、おもちゃの鳥であるように思えるときがあります。つまりは「親自然観」のなかでわたしは、あまりリアリティを感じ取ることができないのですが、その「張りボテ」感をどう表現したらよいのか。
「形而上学的思弁」による詩作りがその答えを出せるものかどうかわかりませんが、眼に見えるものを疑い、音に聞こえるものも疑うことが、その出発点であることは間違いがないかと思えます。わたしは「親自然観」を全否定するものではありませんが、かといってそういう視点で書いたわたしの詩は、わたしにはあまり面白くないのです。そこで、逸爾散士さんの作のようにきちんと整理された「形而上学的想念」ではありませんが、「空想」を大切にしていきたいと考えています。
いささかとりとめがなくなってきましたが、時には「哲学」することも詩を書く楽しみのひとつであるということを、逸爾散士さんに玉作で明確にしていただけたように思い、この稿を書かせていただきました。
2005. 1.31 by 鮟鱇
詠物体について私見を述べたいとおもいます。あくまでも私見でありますので、他人に強いるというものではありません。嘯嘯会で長岡瀬風氏などは詠物体は七言律詩にかぎるのではないかといっています。私も同じ考えではありますが、確かに、江戸期では、我が才を誇って、七言律詩の詠物体を競って作っていたと聞き及んでいます。
しかし、我々才の無い者は至難の技で、七言絶句で詩作するのがせいぜいで容赦を願っています。某氏からある詩会で詠物体の詩題が出されたと聞いております。詠物体は難しい為に詩中に詩題が入っていれば好いとのことでした。誰でも投稿出来るようにしたためですので、これも一つの考え方ではありますが、何か釈然としませんでした。
確かに逸爾散士先生の詩は詠物体になっていますが、私の内では納得の行かないと感じています。此れは個人的な考え方によるものですので、あるいは間違っているかもしれません。
@詠物体はそのものを詠ずれば、その説明に終わってしまい、何のおもしろみもありません。
詩意に深みがありません。詠物体には隠喩が必要だとおもっています。
A典故は宋迄の故実でないと、現代習ではないでしょうか、また日本の故実では和習になると考えています。
以下は荘子を羅列しただけで晦渋で好くありませんが、作法は格に合って無難な作り方だと思っています。
大塊■■噫気長 山林畏隹入茅堂 隱几先生嘘聴此 便令物我兼相忘
大塊リョウリョウ噫気長 山林畏隹 茅堂に入る 几に隱りし先生嘘きて此を聴き 便ちは物我を令て兼に相い忘れる
■=蓼−艸
2005.2.3 by 謝斧
作品番号 2005-36
坂本城懐古
午下湖邊焦暑盛 午下 湖の邊 焦暑盛ん
残碑爍石刻銘明 残碑 石を
嗚呼光秀魁如焚 嗚呼 光秀の魁 焚(やきつくす)が如く
此地空余坂本城 この地 空しく余す 坂本城
<解説>
真夏に坂本城址公園に行って、光秀の策と 左馬乃介の我が手で城を焼いた気持ちを詩にしました。
<感想>
古跡を訪ねての詩は、固有名詞を入れ方が難しいですよね。この詩でも、「光秀」と「坂本城」の二つが入っていますが、これはややくどいかもしれませんね。
「光秀」も固有名詞よりも彼を象徴するような表現が良いでしょうし、「坂本城」も既に題名に出されているわけですから、結句に持ってくるのはどうでしょうか。
起句末の「盛」は、「盛り付ける」時には「下平声八庚」の韻ですが、「盛んだ」の時には仄声になりますので、ここでは踏み落としになっていますね。
また、転句末の「焚」は、「焼く」の場合には「上平声十二文」になりますので、ここも平仄が逆になりますね。
最後に結句の「余」は、「餘」としておかないと、意味が「われ、わたし」の意味になりますので、注意しましょう。
以上の点は形式の点ですので、直されると良いと思います。
内容的には、結句は崔の「黄鶴楼」を意識されたのでしょうが、四字そのままなのはやや気になるところですね。
2005. 2. 4 by junji
作品番号 2005-37
徘徊朝
一葉来居間 一葉 居間に来、
山門錦繍堆 山門 錦繍堆し。
出外秋郊路 外へ出て 秋郊の路ヘ、
其先露染苔 其の先 露 苔を染む。
<解説>
一枚の葉が家に飛び込み、
山門に落ち葉が積もっている。
外へ出て秋の町の路ヘいくと、
其の先は露が苔を染めていた。
ある日、学校で葉っぱが教室に飛び込んでいたので、そこから考えました。次々と場所が変わり、最後にあるものを発見するという展開です。
<感想>
この詩はスケッチのような気軽さが感じられますね。
部屋に舞い込んだ一枚の木の葉から、少しずつ視点が変化していく、それが作者の居場所の移動も教えてくれることになります。
そういう点から見れば、転句の「出外」や結句の「其先」などの移動を示す言葉は不要でしょう。わざわざ説明されるのは、読者にとってはわずらわしい印象です。
承句は「錦繍」が不適です。山門の辺りは紅葉が真っ盛りというのならば分かりますが、「堆」としたのでは、「繍」の字が生きてきません。また、ここで鮮明な画像をあまり出してしまうと、結句が弱くなるでしょう。
表現を少し抑制して、最後に焦点を合わせるようにしていくと良いでしょうね。
また、粘法が崩れていることと、起句が下三平なのは良くないことですよ。
2005. 2. 4 by junji
作品番号 2005-38
秩父夜祭
錦帳山車帯万燈 錦帳の山車は万燈を帯び
連綿簫鼓舞群乗 連綿たる簫鼓に舞群は乗ず
烟花忽発揺寒夜 烟花忽ち発いて 寒夜を揺るがせば
武甲峰頭絢爛崩 武甲峰頭より 絢爛と崩れり
<解説>
12月3日の秩父夜祭に始めて行き、提灯を飾る6台の山車は多くの曳き手により街中を練り歩き、近くでは多くの花火が上がりるのを見て、興を覚えましたので作詩してみました。武甲山の秀峰がこの秩父盆地を見下ろしていて、花火はサナガラその頂きから落ちるようでした。
<感想>
昨年の四月から独学で漢詩を作り始めたとのことでしたが、平仄・用語も整っていて、よく勉強なさっていると感じました。
転句は、前半が視覚的な表現であるのに、後半が聴覚となっていて、少し飛躍が大きいでしょう。具体的には、この句の主語と述語を見ると「烟花」が「揺」したことになります。本来は花火の「音」が「揺」でなくてはいけないわけで、空に広がる美しい花火が夜を揺るがすという違和感を読者は持つでしょう。
また、この「烟花」が結句の「崩」の主語にもなっているわけですが、主述が遠すぎますね。このままですと、「武甲峰」が崩れたように読んでしまいます。
推敲の方向としては、転句を音の描写にしておいて、結句で「花火だった」とまとめるような形が良いのではないでしょうか。
2005. 2. 4 by junji
作品番号 2005-39
辟易戦
嘗天下似龍兄在 嘗て天下に龍に似たる兄在り
才華笑鬼神位溢 才華やかにして鬼神を笑はしむる位溢るるも
所齢十七突然病 所が齢十七にして突然の病
実秀言不知篭斎 実に秀の言知らずして斎に籠もれり
<解説>
昔、私は様々な本を読み「老子」こそ最高の人物だと確信し、老子の世界を夢見ごこちになり、才能がぐんぐん開花した気分になったが、病気にかかってしまった時の気持ちを思いだして創った詩です。
[訳]
嘗て天下に龍に似た兄がいた
その才能は華やかで鬼や神様を笑わせる位溢れていた
所が、齢十七にして突然病んだ
実は、秀の言葉を知らずに斎に篭る
<感想>
いただいたお手紙には、このホームページの感想として、「まだまだ初心者なのですが、以前から漢詩に興味があり色々参考になることや、自分のつくった漢詩も送れたりできるいいサイトだと思いました。まだまだ私の漢詩は稚拙ですけれども、このサイトを利用して精進しようと思いました」と書いてくださいました。
幾つか漢詩の基本的な決まりが破れているところがありますので、順に見ていきましょう。
[起句]以上のような点を、修正して行かれると良いと思います。
○七言句では、句の切れ目は「二+二(あるいは四)+三」となるのが基本です。この場合には、「似龍兄」でひとまとまりですから、下四字で文を構成します。すると、切れ方としては「嘗天下/似龍兄在」となりますから、不自然で、読みにくくなっています。
[承句]
○承句も「二+二+三」が崩れています。これを読めと言われたら、「才は華やか 鬼を笑ひ 神位は溢れる」としなくてはいけません。意味とは縁遠い読み方ですね。
○七言絶句では、起句承句結句が押韻(同じ発音の字を置く)するのが大原則です。起句は「踏み落とし」と言って押韻しない場合もありますが、承句を落としては漢詩にはなりません。結句の「斎」が「上平声九佳」に属する字ですので、同じ韻目の字を探しましょう。
[転句]
○「所」の字を日本語のように接続詞として用いることは出来ません。一般的に漢詩では接続詞はあまり用いず、句と句の意味のつながりから読み取るようにする方が良いでしょう。
[結句]
○この句も「二+二+三」が崩れています。
○「秀言」が「不知」の目的語になっているのですが、漢文法では述語と目的語の順序は日本語と逆で、目的語が後に置かれます。この形では、「秀言」が「不知」と読まれます。
○「秀言」や「籠斎」が何を意味しているのかが、また、この二つの語の関係も、詩からは読み取りにくいですね。作者は気持ちを入れて書いているのでよく理解しているのでしょうが、読者は詩の語句から判断するしかありませんので、客観的な見直しがどうしても必要になります。
作品番号 2005-40
スマトラ沖大地震
世界突如生大危 世界突如として 大危を生ず
誰能得測到其期 誰か能(よ)く 其の期に到るを測り得んや
千揺巨震破盤石 千揺の巨震 盤石を破り
萬丈鯨波襲海涯 萬丈の鯨波(げいは) 海涯を襲ふ
鄙邑俄摧塵芥化 鄙邑俄(にわか)に摧(くだけ)て 塵芥と化し
蒼民忽没累骸為 蒼民忽(たちまち)没して 累骸(るいがい)と為(な)る
那天若是加災禍 那(なん)ぞ天 是の若(ごと)く災禍を加ふるや
只醵嚢銭寄寸思 只(ただ)嚢銭を醵(きょ)して 寸思を寄するのみ
<解説>
しばらくぶりです。連日の新聞TV報道で未曾有の災害を見て心を痛めております。「天道是耶非耶」と自問しても固より答えはありません。自衛隊出動など、現地で救援活動にあたられる方々は本当にご苦労さまで頭がさがります。ボランティアで行きたい所ですが、せめて一灯を点じて供したい気持ちを漢詩に託してみました。
<感想>
一年がようやく終るかと思っていた年末の、本当にびっくりする報道でした。日本でも水害や地震などの大きな災害が続いた一年でしたから、被災された方々の悲しみや苦しさは一層強く感じられました。
津波から一ヶ月余、しかし報道で知る限りでは、生活の目処さえ立たない地域も多く、病気や犯罪の不安が募るばかりのようで、胸の痛みは消えません。
新潟では19年ぶりという豪雪とのこと、「せめて暖冬であってほしい」と全国の人が願っていたのですが・・・・。
そういう気持ちは、この詩の第七句「那天若是加災禍」に凝縮されていると思います。
頸聯の描写はややストレート過ぎて、心が辛いのですが、災害のむごさを伝えるという点ではこの方が良いのか、読者の皆さんのご意見はいかがでしょうか。
最後の「思」は名詞用法ですと仄声になりますので、ご注意下さい。
2005. 2. 6 by junji
作品番号 2005-41
遊泰國暁寺
烈日沸河船笛響 烈日河を沸かして船笛響き、
門前犬仔法師聲 門前の犬仔、法師の聲。
南邦顕現彌山雪 南邦顕現す彌山の雪
白塔唯傳斃主情 白塔ただ傳う斃れし主の情
<解説>
タイ国旅行時に想を得たものです。日本人によるところの通称「暁の寺」は正式名「ワット・アルン」直訳すれば「朝の寺」だそうです。
タイ国王宮からチャオプラヤ川を挟んで南西の対岸に位置します。現王朝の一つ前の王朝であるトンブリ王朝(1767-1782)タクシン王の時代にほぼ今の姿になりました。
クメール様式の主塔を中心とする石造漆喰塗りの建物の表面には無数の陶器片による装飾が施されています。白を基調としたこの寺院は、回教寺院のような異彩を放っています。
タクシン王は、一時期タイ国を支配したビルマ軍を放逐したタイ国中興の祖です。しかし何事にも性急で家臣達から憎まれ、最後には文字通り袋叩きにされて殺されたそうです。織田信長のような人物像を想像します。
クメール様式の塔はカイラス山(須弥山)を象ったものとして知られますが、正に雪を戴く須弥山と言うのが私の印象です。一方で前述の「無数の陶器片」は、「ガラクタばかり」と言えなくもありません。事実として欠け皿が丸々嵌め込まれている箇所もあります。良くも悪くも王の性格が伝えられていると思いました。
詩の前半は、現在のタイ国王室から見れば微妙な立場にあるこの寺院の、ややうらぶれた様子も伝えようと試みました。
起句で河を沸かせているのは、実際は「烈日」ではなく行き交う「船」です。これは詩の上での事としてご容赦願います。「烈日」だけではその程度が伝わらないと考えました。
承句の「犬仔」は野良犬です。これがなかなか可愛くて、仏の加護があるかのような感がありました。
起句末は当初案「鳴」でしたが、ぎりぎり踏み落しても良い形かと考えました。音声的な得失の本当の所は知らないのですが、語の意味、詩の内容を勘案して、まあトントンは取れると踏みました。
タイ国旅行は二年前のことです。この詩にはこだわりを持って取り組んだつもりです。(何しろ元手がかかっていますので。)しかし、悲しいことに印象は薄れるばかりです。承句など散漫かとも思いますが、このあたりが私の今の限界のようです。
以上。内容が内容ですので、長い能書き(いつも長いのですが)お許し下さい。
2005. 3.10
作品番号 2005-42
町村合併
客歳合併議論燃 客歳 合併議論 燃ゆ
賛組頭民意否顛 賛の組頭 民意の否に顛える
然未現新途衆惑 然けども未だ 新途現れず 衆惑ふ
庶人要望憲政全 庶人要望す 憲政の全きを
<解説>
昨年 当地域では大垣市を中心とした[大型合併]が提起されました。
垂井町では住民の単独自立の意見が多く、猛烈な反対の声があがりました。
行政当局は絶対賛成の立場でしたが、住民投票の結果七割の反対で完敗しました。
町長は『民意の把握が不十分だった』と陳謝しましたが、未だに公約した『新街づくり構想』が発表されず、町民は戸惑っています。
この心境を詠いました。
<感想>
起句と結句の平仄が乱れていますので、ご注意下さい。転句の「然」は、冒韻でもありますし、接続詞は必要ないでしょうね。
2005. 3.10 by 桐山人
作品番号 2005-43
悼親友急逝 親友の急逝を悼む
病魔無奈魄帰泉 病魔奈何ともする無し 魄 泉に帰す
自会初君四十年 初めて君に会ひしより 四十年
難忘交情思往事 忘れ難き交情 往事を思ふ
涙新惆悵哭霊前 涙新たに 惆悵として 霊前に哭す
<解説>
昨年12月、学生時代からの親友が肺癌で急逝しました。
運の悪いことに通夜、葬儀の日とも海外に出かけており、参列できず、帰国後御宅を弔問し、奥様の前で文字通り
号泣しました。
<感想>
親しい友との別れは本当につらいことと思います。お気持ちのよく表れた詩だと思います。
承句は平仄の関係で入れ替えたのでしょうが、書き下しの様には読めません。「初」は「会」を修飾するはずですので、順序が逆です。
2005. 3.10 by 桐山人
作品番号 2005-44
冬中考
一面雪輝最盛冬 一面の雪輝き 最盛の冬
寒風旋転震家窓 寒風旋転し 家の窓を震する
首都八百八街路 首都八百八街路
雪中四輪駆動行 雪中を行く四輪駆動
<解説>
「冬のさなかに思いをめぐらす」
朝起きてみると一面の銀世界、さすが大寒の季節
冷たい風がビュウビュウ吹き荒ぶいて、家の窓をガタガタ震動させる
この雪では都心はたちまち交通渋滞
それでも、四輪駆動車で雪を蹴散らそうと躍起になる
ちょっと締め切りを過ぎましたが、駆け込みの応募です(^_^;)
何せ、つい最近このホームページを知ったものですから、半日ででっち上げた即製の乱作ですになってしまいました(^_^;)
しかも、57歳になっての「遅ればせ処女作」なもので、自動車会社の宣伝コピーのような詩になってしまい、まことに恐縮です(^_^;)
内容を考える余裕もなく、形式を整えるのがやっとの帳尻合わせ的なフレーズのオンパレードで、お恥ずかしいかぎりです(^O^)
天気予報では大雪のはずでしたが、結局は詩の中の「銀世界」は空振りで、現実には、ユーミンの歌のように、ただの冷たい雨に変わってしまいました・・・残念〜〜〜(;_;)!この冬も雪は詩の中だけに終わるのでせうか(^O^)?
そもそも「首都八百八街路」だなんて・・・「大江戸八百八町」でもあるまいに、苦しいかぎりです(^_^;)
お察しのとおり、杜牧の『江南春』の「南朝四百八十寺」を意識してのパクリ御免の「迷句」のつもりです(^O^)
ご愛敬ということで、どうかお見逃しを・・・m(_ _)m
それでは、これを機に、本腰を入れて漢詩に打ち込んでみようかとも考えております。
ひとつ、よろしくお願いします
<感想>
初めまして。掲載が遅れて申し訳ありません。
「処女作」ということですが、伝えたいことも分かりやすく、素直な詩だと思いました。
関東地方は今年は雪が多いようですね。正月の頃からよく、雪の話を聞きます。三月になってからも、つい先日も朝のニュースでは都心の春の雪を伝えていました。この詩をいただいたのは一月ですので、まだまだ寒さの厳しい頃だったのでしょうね、厳しい寒さが感じられます。
ただ、だから何なのか、というところでの作者の気持ちはやや弱く、雪景色を描写することで終っているような気もします。結句の四輪駆動車を走らせようとしているのが作者自身だとすると、少し話は違うかもしれませんが。
形式の点では、押韻が出来ていません。起句の「冬」は「上平声二冬」に、承句の「窓」は「上平声三江」に、結句の「行」は「下平声八庚」に属する字ですので、それぞれ皆、発音は似ていても韻目が異なっていますから、押韻にはなりません。
日本での漢字音ではなかなか分かりにくいのですが、辞書で確認をするようにして下さい。このホームページの上でも簡単に検索できるようにしてあります。
平仄の点では、起句が「四字目の孤平」ですので、これは直さなくてはいけません。また、結句の二字目は本来は仄字であるべきですが、「中」の字では平声ですので、ここも「二四不同」の原則から外れています。
その辺りの形式の点をまず整えることから始められると良いでしょうね。
次回作をお待ちしています。(次はもっと早く掲載しますので、ご容赦を)
2005. 3.17 by junji
作品番号 2005-45
冬暮
暮風窮大呂 暮風 大呂窮り
霜月倚參傾 霜月 参に倚って傾く
蜿影是何界 蜿影 是れ何れの界ぞ
閑將笛送聲 閑ろに笛を将って声を送る
<解説>
夕暮れ、気分転換にと散歩に出ての作です。
<感想>
語句の説明を私の方で少し加えておきましょう。
「大呂」は「陰暦の十二月」のこと、「参」は「シン」と発音しますが、冬の星座、「オリオン座の三つ星」のことですね。よく、「商」と並んで言われますが、「商」の方は夏の星座、「さそり座の三つ星」で、このふたつは同時に空に在ることはないと言われますね。
「蜿影」は何のことでしょうか?「蜿」は「蛇のように曲がりくねった」ことを表しますので、何かそうした影が見えたということで、読者が思い描く必要があるのでしょうか?「蟾影」ならば「月の光」となりますが・・・・何か用例があるようでしたら、教えて下さい。
2005. 3.17 by 桐山人